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拍子抜けするほど原作どおり |
アニメ第131回放送2003年11月3日 「観音掛け軸呪いの罠」 原作少年サンデー2002年11月6日(49号)第288話「鬼女の集落」 原作少年サンデー2002年11月13日(50,51合併号)第289話「観音 堂」 ☆ ☆ ☆ 干物妖怪文化祭、猪九戒に心の傷、とはちきれんばかりのオリジナルが続いた後は拍子抜けするほど原作どおり。 私のような原作ファンには嬉しい限りだが、一般にはかえって地味に見えてしまうのではないかと余計な心配をしてしまう。 つい先日の喜助に続き、またもや好青年だけど印象薄い篠助は佐々木望さん。 ついでに書いてしまうと若菜の大原さやかさんは地獄絵師編で紅達が恋心を抱く姫。 おもしろいのが、集落の長のまつこと沢田敏子さんと観音掛け軸(山椒魚の妖怪)こと北浜晴子さん。 「海のトリトン」のトリトンの母(沢田さん)と白イルカのルカ(北浜さん)なのだそうだ。 こういうのってなんか楽しい。 最強トリオでは田中一成さんのみ薬草探しの村人としてご出演。 前にサンデー感想でも書いたが、来週正体が明らかになる山椒魚の妖怪、実際にハンザキ大明神と呼ばれる妖怪もいたとされる。 岡山県に住み、体長10メートルでぬるぬるしており、斬っても斬っても元通りになってしまう。 犬夜叉も言っていたが、なんだか生臭そうな妖怪・・・。 掛け軸から出て来た時に緑色なのにはびっくりしてしまった。 山椒魚色?なのだろうが、なんとなく掛け軸の肌の色(肌色)を想像していたので。 もう1つびっくりしたのが、平然とカップ麺を食べている篠助。 原作ではかごめは自転車などの特殊な物をのぞき、意外に現代グッズは仲間以外には披露しない。 小さなことかもしれないがこんなところに私は原作とアニメ、それぞれ作る側の姿勢の違いを感じてしまう。 かごめが珊瑚におめめキラキラバージョンで弥勒のことを聞くところ、ここも驚くほどおとなしめ。 なんだかかごめが自分を抑えているというか、はじけたいのを我慢しているように見えて妙におかしかった。 原作では珊瑚の回想のみ入るが、アニメでは七宝につつかれた弥勒の回想も入る。 これはうまいと思う。 もう1つの好印象、原作での弥勒は邪魔がなければ行くとこまで行っちゃいそうな雰囲気で気になった。 隠し通せることではないし、珊瑚がそばにいることを知っていて口先だけでなく行動に移っちゃうの?と実は反感を覚えた。 弥勒らしからぬ生臭さを感じたのだ。 アニメではすでにお堂の邪気を感じ取って、あえて乗せられているように描かれている。 子供向けがどうのこうの以前に、こっちの弥勒が正しいのではないかと思うのだが・・・。 匂いを感じながら耳が動く犬夜叉にも笑ったが、最後の場面、かごめの口調とでき過ぎの身のこなしが気になった。 最初に書いたが原作でもこのあたりは白霊山の死闘が終わって、なんだか気抜けした状態が続いていた時期。 この後、弥勒のプロポーズで読者も一気に目が覚めたのではないかと思っているが(笑)。 意外に?ある層のファンには人気のあった元気なオリジナルが続いた後の今日のアニメ、そのファン層にはどう映ったろうか。 (2003年11月4日の日記)
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素直に泣けた |
アニメ第132回放送2003年11月10日 「弥勒法師の最も危険な告白」 原作少年サンデー2002年11月27日(52号)第290話「腹の中の妖気」 原作少年サンデー2002年12月4日(1号)第291話「珊瑚の行方」 原作少年サンデー2002年12月11日(2号)第292話「特別なおなご」 ☆ ☆ ☆ 弥勒と珊瑚の恋に関しては、これまでもアニメでもクセがなく、原作に忠実に丁寧に素直に作られてきた。 犬夜叉とかごめ、犬夜叉と桔梗に比べておおげさバージョンはあっても失敗が少ない、というより全くない。 だから今回も、何度も原作を読み返しながらドキドキワクワクの一日を過ごした。 結論から言えばもう泣きっぱなし、感動しっぱなしの本当に素敵なエピソードだった。 原作とは違う雰囲気ではあったが、「アニメは別物」という言葉がいい意味でぴったり。 細かく内容を見ていくと、まずは先週から登場していたが緑というより青に近い?山椒魚の妖怪「お堂の中」編。 原作より髪?の部分がはっきり描かれているせいかまず思い出したのがメデューサ。 ギリシャ神話に登場する髪の毛が蛇で、顔を見た者は全て石にしてしまうという恐ろしい怪物である。 勇者ペルセウスに退治されるが、その血から天馬ペガサスが生まれている。 星好き、星座好きゆえ蛇足を承知で付け加えると、メデューサ退治の帰りにペルセウスは生贄とされていたアンドロメダを助け、後にその母カシオペアと共に星座になる。 山椒魚というと水苔でもこびりついて緑色のイメージがあったのに、あまりにもきれいな水色で出てこられたから、海を連想してしまったのだと思うが。 さて日本に戻って戦国時代。 弥勒が山椒魚の妖怪と戦っている場面を見て、次に思い出したのが映画「ローマの休日」に出てくる「真実の口」。 嘘つきが手を入れると噛みつかれるという、あの有名な「真実の口」に何だか似ている。 ちなみに「真実の口」の顔は海神ネプチューン=ポセイドンのもの。 ポセイドンは前述したメデューサが美しい人間だった頃、見初めて恋人にした神様。 はっきり描かれるライオンヘア(笑)のおかげで「犬夜叉」見ながら心の中で世界旅行。 もっとも弥勒が山椒魚妖怪はともかく、珊瑚と戦って苦戦したり怪我を負ったりしするのは、弥勒にとっては禊の道でもある。 嘘つきは「真実の口」に噛みつかれる。 浮気者は「愛しいおなご」と戦うハメに。 しかもこの「おなご」、やたらと強い(笑)。 ここまで見ていてあれっ?と思ったのが、かごめの口調。 先週あたりから感じていたのだが、優しい口調を心がけているのではないだろうか?と思った。 時々一本調子になったりゆっくりしゃべったりと、なんだかいつもと違う気がした。 以前犬夜叉vs蛮骨戦のエピソードの時、地震速報が出たことについて非難轟々だったが、今回も政治がらみの速報が出た。 またいろいろ苦情が出るのだろうか。 私はそういった書き込みを読むと悲しくなってしまう。 たとえば地震、大災害ではないのだから少なくとも影響のある地域だけに速報を流せばいいと言う。 実際に地震にあって怖い思いをしている人が読んだらどう思うだろう。 小さな地震だからどうとか、自分に関係ないから邪魔だとか、読む側のことを考えない、対象相手の気持ちを思いやれない、そんな人は私はどうしても認めることができない。 また話がそれたが、篠助一人が妙に緊迫した場面をいちいちはずしてくれて爆笑ものだった。 普通に描いているつもりなのだろうがなんかリズムが違うというか、もしかしたら苛立ってしまうかもしれないところ、あまりのヌーボー感に笑えてしまうのだから不思議。 弥勒の浮気相手?も正気に返って一人恥らい出すところもおかしかった。 もちろん弥勒はそれどころではない、その対比が笑えた。 さて、目に錫杖突き立てられて逃げる山椒魚、「泡泡してる〜っ!」と鳥肌立てたが、尻尾にくっついている掛け軸に再び爆笑。 妙な所に芸が細かい。 大きく飛んで、オリジナルらしきオリジナルは弥勒が娘のおなかに拳骨だけではなくお札も使うところ。 私はこれはかごめのため?と思った。 またまた話が大きくそれるが、この時期原作かごめは「心の闇」など一部のエピソードをのぞいては、非常に存在感が薄い。 これは私は高橋先生が、「犬夜叉」は「犬夜叉」の物語と捉えているからだと思っている。 たとえば「らんま」は「乱馬とあかね」の物語であり、「めぞん」は「響子さんと五代君」の物語である。 どちらか欠けても恋物語として成立しない。 だが「犬夜叉」の基本は「犬夜叉と四魂の玉」であり、いわゆる恋愛もの?ではないような気がする。 極端な言い方をすれば犬夜叉とかごめ、犬夜叉と桔梗の恋愛関係は、非常に大事な要素ではあるが、メインのテーマではないということ。 だから高橋先生は必要がなければ、わりとさっくりと斬り捨てておられるような気がする。 しかしアニメの基本は「犬夜叉とかごめの恋物語」である。 かごめが出ないわけにはいかない。 同時に何となくアニメを見ているこだわりのない視聴者層は、かごめの存在感が薄ければそのまま忘れてしまうだろう。 そういった気持ちがあって弥勒にお札を使わせ、かごめ(と、ついでに七宝)の出番 を作ったのではないだろうか。 犬夜叉にお札を直接渡せば手っ取り早いところ、あえてかごめに持たせるのは、製作側のそういう意図があったのではないかと思っている。 ただしこれは原作ファンにしてみればどうしても余計な添え物になってしまうのは致し方ないところ。 難しいし、製作側の苦労がしのばれる。 全体像を現してやたらと可愛い山椒魚妖怪というより怪獣だったが(笑)、犬夜叉「わらわ」発言もあってしっかり楽しめた。 まあこのあたりは「おもしろかった。」で流して、やっと弥勒vs珊瑚戦。 原作の心を操られた無表情な珊瑚の顔は、ぞくっとするほどセクシーで私は大好きなのだが、アニメでも素敵に描いてくれて嬉しかった。 目を赤くしたり口からカラフルな色の妖気?を出していたが、これはアニメだけ見ている人に印象付けるためには仕方ないだろう。 雲母も原作以上に可愛くて、ここの部分も文句なし。 いきなり朝日が輝きだした時は笑ってしまった。 同時に頭の中で、松任谷由実の「朝日の中で微笑んで」が大音響で鳴り出した。 全く私ときたら・・・。 そしていよいよ・・・、の場面だが、私は弥勒の告白が始まった時、BGMが流れていたのに気づかなかった。 それだけ集中して見ていたのだろう。 別サイトさんの書き込みを読んであわてて見直したら、たしかに音楽が流れていた。 シリアスな弥勒と原作どおりの珊瑚。 この2人は全くと言っていいほどクセがない。 だから余計なことをあれこれ考えながら見なくていい。 「ひとりごと」にも書いたが、アニメを見ていてこんなに素直に泣けたのは久しぶり、嬉しい。 この場面も原作にとことん忠実で良かったが、忠実なりの弊害もある、残念なことに。 弥勒と珊瑚の会話の間にかごめ達ギャラリーの反応が挟み込まれるが、これは邪魔だった。 かごめだからどうとか、そういう意味ではない。 以前竜骨精のところでも書いたが、カットが細かく切り替わる場面、原作ではさらっと読めてもアニメではどうしてもくどく感じてしまう。 私ならこの場面、ギャラリーの反応はすっぱりと切り取る。 作り方の問題ではなく、漫画(静止画)とアニメ(動画)の問題だろうと思っている。 弥勒と珊瑚の会話だけをしっとりと描いてみたらどうだったろう。 それから私だけかもしれないが真正面のアップ顔、目のうるうる付きは止めてほしい。 以前桔梗、犬夜叉にも見られたが私には爆笑ものだった。 特に今回は、他のシーンは細かい顔の角度や表情まで原作どおりだったのに「もう浮気しないよね!?」だけが正面どアップに変更されている。 こういった手法、シリアスな場面で多く見られるが私にとっては爆笑問題。 原作において真正面向きカメラ目線はほとんどない。 それともこの手法が気になるのは私だけなのだろうか? このように小さな不満はあったが、今まででも最高のアニメの一つに数えられる作品に仕上がったと思う。 どうして弥勒と珊瑚に関してはここまで神経が行き届いているのに、犬夜叉とかごめに関しては無造作に作り変えてしまうのだろう? 作る側の想いが見えてこないことが悲しい。 えっ、最後のシーン?いいんじゃないですか?(笑) 弥勒&珊瑚ファンへの大サービスということで。 私ですか? 私ははふっと余韻を残して、あとは読む側(見る側)の想像に任せる手法が好きなんで。 でも今回は素直に泣けましたから・・・。 ☆ ☆ ☆ 「SFファンから見た犬夜叉」追記 私はあまり犬夜叉をSFという観点から読んだことはないが、先日のXさんとのやり取りでもうひとつおもしろいことを思い出した。 桔梗復活時、かごめは桔梗の生まれ変わり説があったことから、私はかごめと桔梗は同い年だと思っていた。 かごめは15歳になった誕生日に戦国時代にタイムスリップしている。 よって私は、かごめの誕生日は桔梗15歳の誕生日、あるいは命日だろうと思っていたのだ。 生まれ変わりなら、SFならば定番のパターンである。 後になって、桔梗の推定ではあるが年齢は18歳ということを知り、意外に思った。 かごめ15歳誕生日に起こったことも、何かの伏線なのだろうか? ☆ ☆ ☆ 以前書いた実在する「日暮神社」のそばに、「音無神社」があることも発見! 今度ふらりと行ってみようと思っている。 (2003年11月11日の日記)
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「私、あの時見てました」シリーズ第2弾! |
アニメ第133、134回放送2003年11月24日 「殺生丸を愛した女」 ☆ ☆ ☆ いやあおもしろかったですね、今日のアニメ「犬夜叉」。 何がおもしろかったと言って、折笠富美子さんの「私、あの時見てました」シリーズ第2弾ですよ。(笑) 前回は炎珠で桔梗復活を覗き見してましたが、今回は「父君の墓での犬兄弟の喧嘩その後の殺生丸」ですよ。 もう爆笑です。 奈落の「実はあれ、わしがやっちゃったんだもんね(羅刹の勘助など)」と共にシリーズ化して欲しいくらいです。 書きたいことは良くも悪くもいろいろありますが、今日にはちょっと書ききれないので、残りは明日です。 折笠さん、なずな、炎珠といいキャラが続きますね。 ☆ ☆ ☆ きのうの「犬夜叉スペシャル」ならぬ「殺生丸スペシャル」、見ている時はいろいろ突っ込んでもみたが、終わってみればしっとりした余韻の残る素敵なエピソードだったのではないだろうか。 感想としてはこれで終わってもいいのだが(笑)、いろいろ思ったことも書いてみたい。 スペシャルだけにOPの後にいきなりCM。 邪魔は邪魔だが犬夜叉系の宣伝も多く、まあ仕方がないだろう。 冒頭映画がらみの回想シーンが入るが、初期のアニメの頃のものなので、懐かしく見た方も多いのではないだろうか。 思いっきり犬扱いのかごめにいつもならいきり立つところだが、今回は「おすわり」もなかったことだし、と「腰に手」かごめにも寛大な私。 娑蘿の最後は後に回して、海辺で少女の危機に遭遇する犬夜叉一行。 ここで弥勒の素早さにあきれる場面があるが、目の前で今まさに殺されようとしている人間に対し、そんな意識はないはず、と弥勒の援護にまわるところだが、ここでも「おさわり」はなかったし、とどこまでも寛大。 助けられた少女は「うみねこ」。 この名前とうみねこ柄の着物にまず爆笑。 別に笑いを取るつもりはなかったろうが、あの柄は何回見ても笑える。 ガラスになった弥勒と珊瑚も後で元に戻ることがわかっているからそのまま流す。 七宝の出番を出すためにうみねこの異常に七宝が気づくところなどは良かったと思う。 でも七宝、弥勒ではなく珊瑚にしがみつくところがあの五狐を思い出して苦笑してしまった。 そしていよいよ娑蘿と殺生丸が出会う。 娑蘿は殺生丸に「あの浅野城でのこと、お忘れですか。」と語りかけるが、実は殺生丸が覚えている方が不思議。 よほど自分の美しさに自信があるのか? 殺生丸が実際に娑蘿を見るのはこの時一瞬なのに。 ここでまずは殺生丸に(好意的な)突っ込み。 光の鞭がアニメ定番の武器になってしまったことは置いといて、殺生丸の原点にあるのは他者への無関心であると思う。 私が危惧したような殺生丸が人間の女を助けるものでこそなかったが、かごめ、りん、奈落など自分に関わる者以外に呈しては驚くほどクールである。 憎んだり嫌ったりするのは、対象にそれなりの関心があるからである。 その上で娑蘿に対する初期の殺生丸の反応には「らしくないな。」とまず思った。 娑蘿が妖怪と一体になっていると見抜いていたとしても。 それでもアニメの殺生丸は原作以上に人間臭い部分があるのでそれで良しとしよう。 話が飛ぶが、もうひとつは娑蘿が犬夜叉から鉄砕牙を奪った時の反応。 この時期は七人隊&白霊山編が終わって一段落した頃のエピソードとされている。 この時期の殺生丸の犬夜叉に対するスタンスを考えてみると、「友好的でない共存」という言葉が一番ぴったりくるような気がする。 もはや生かすの殺すの奪うの奪われるのといった「犬も食わない(笑)兄弟喧嘩」の時期はとっくに終わっているのである。 アニメの解釈が原作に追いついていないと判断するのはこんなところからなのが、それでも「アニメは別物」がいい意味で発揮されている。 ここで娑蘿は「阿佐野城主」の娘であることが明かされる。 この時代、武蔵の国に実在するのは「浅野」家。 アニメで惨めな最期を遂げるだけに、字を変えたものの出所はここではないかと思っているが。 有名なのは浅野長政だが、長政はちょうど犬夜叉の時代に生まれているので、モデルとなったのはその父、長勝だろうか。 おもしろいのは没年が1568年から1575年までの間、定かでないことで、特に1568年に箕作城に攻め入った際に戦死したなどという記述があるところから、私などは長勝が阿佐野城主のモデル?とドキドキワクワクしてしまった。 ちなみにアニメでは長勝とは逆に攻め込まれる設定である。 もちろん勝手な想像である、念のため。 わざわざ戦闘の真っ只中に降りてくる殺生丸もどうかと思うが、折れた刀に殺生丸が歩く姿が映るところなどは秀逸だと思った。 邪見の「化粧だ化粧!」あれもアドリブ?もう爆笑。 結局娑蘿も半妖だったわけで・・・。 さて話は飛んで海神の祠のシーン。 あの窪みに鉄砕牙を埋め込むことに何の意味があるのだろうか? もちろん鉄砕牙を奪い取るための策略だとしても、壊すだけなら犬夜叉が最初から鉄砕牙を振るう方が自然だろう。 屍舞烏?に乗って登場したのは神久夜か阿毘かの鎧にマント姿の娑蘿。 強い女=鎧の概念に囚われすぎではないかと思う。 阿毘や神久夜はは元々妖怪だからまだしも、妖怪に乗っ取られた娑蘿の禍々しさを押し出すためにはかえって不釣合いだと思う。 ここで冒頭に書いた「折笠富美子キャラ覗き見大作戦」が始まるわけだが、ガラス像になりかけた犬夜叉を、かごめの破魔の矢が救う場面は良かったと思う。 娑蘿との対比として思い出されるのが「りん」だろう。 積極的に?殺生丸の介抱をするりん、木陰からそっと見ていることしかできない娑蘿。 2人の違いは年齢の差か? それにしても殺生丸、つくづく覗き見されるタイプのキャラのようだ。 覗き見するタイプよりはましだが。 結果的に殺生丸に救われたことになる城主が殺生丸を襲い、反撃されて狂う設定は無理がありすぎ。 鬼蜘蛛ばりに自ら体を差し出すのもちょっとあり得ない感が強い。 むしろ山犬妖怪のように、死に切れなかった娑蘿の煩悩に妖怪たちが取り付いた風に作ったほうが自然だろう。 そうでなくては「犬夜叉」の原点、鬼蜘蛛の凄まじい妄執があまりにも軽いものになってしまう。 この場に出てくる犬夜叉は余計だろう。 どうしてこんなに猛ってばかりいるのだろう、いえそう作るのだろう。 結局娑蘿はつなぎに過ぎず、「なぜか」敵の目的は殺生丸。 悟心鬼の恨みを飲んだ闘鬼神は妖怪に力を与える物というが、それでは今まで闘鬼神の餌食になってた妖怪は一体・・・。 結果的に殺生丸の娑蘿への哀れみの心が鉄砕牙の結界に拒まれつつも鉄砕牙を変化させる。 この時の殺生丸の描き方、見事である。 七宝の例もあるし、普通に使えてもいいんじゃないかなどという突っ込みはもう止めよう。 アニメの殺生丸はこれでいい。 センチメンタルな、ロマンティックな殺生丸。 あら探しみたいにいろいろ書いてきたが、今回の私の感想は前に書いたとおり「素敵なエピソードだった。」に尽きる。 殺生丸の心を揺らめかせた至福の女性娑蘿は冒頭どおりの「折笠富美子」さん、その父であり阿佐野城主でもある阿佐野双樹は小室正幸さん。 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」で有名な平家物語の「沙羅双樹」からのネーミングだろう。 ただしキャラの「娑蘿」と「沙羅双樹」の「沙羅」、字が違うので注意が必要。 ちなみに沙羅双樹はツバキ科で、椿のように花が形をとどめたままぽとりと落ちるところから首切りを連想させ、不吉な花に例えられたり、あるいは散り逝く者の潔さを代弁する花とも言われている。 小室さんは私の大好きなK.ベーコンの「フットルース」でJ.リスゴー演じるムーア牧師の吹き替えを担当された方だそうだ。 他愛ない青春音楽映画を引き締めるにはうってつけのキャストだったが、ケヴィンの器械体操みたいなダンスシーンも最高にかっこよかった。 ただMTVでダンス集中クリップを見せられた後、映画で観たときはちょっとがっかりしたことを覚えている。 魑魅魍魎で片付けられている(笑)妖怪は井田国男さん。 娑蘿に付き添っていた尼の一人はさとうあいさんでやはり外国映画の吹き替えが多い方。 「ドラえもん」のスネ夫のママの鳳芳野さんも尼さんで登場。 もう一人の呉林卓美さんは「山犬妖怪」のくればやしたくみさんと同じ方だろうか? 阿佐野の敵方侍大将はまたまた殺生丸の餌食になった西前忠久さん、村人で中嶋聡彦さんと田中一成さんも久々登場。 敵味方が入り乱れる場面では、レギュラー陣も声をサービスされてた気がした。 予告も豪華だった。 ☆ ☆ ☆ 「殺生丸を愛した女」、オリジナル投票でいきなり2位に飛び出しました! すごいです。 リニューアルオープンしたよみうりテレビの犬夜叉サイトの「スタッフ・キャスト」のページ、犬夜叉一行、冥加、桔梗、楓に続き鋼牙役の松野さんが堂々9番目に登場。 殺生丸、奈落より上ですよ。(笑) (2003年11月25日の日記)
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意外に楽しめたオリジナル |
アニメ第135回放送2003年12月1日 「弥勒の師匠 最後の宴」 ☆ ☆ ☆ こういった原作とは全く関係のないオリジナルで気になるのは、シリアス系(出雲編など)とお笑い系(助平法師など)などだろう。 私は比較的シリアス系には好印象を持っているが、お笑い系は「笑えない系」となってしまい、苦手な作品が多い。 例をあげると、干物激闘文化祭、ブンザ編、猪九戒編など。 その中でいくらか好感を持っているのは、「珊瑚目指してー」「生姜編」そして今回の「最後の宴編」。 全体を通しておもしろかったわけではなく、弥勒と珊瑚がとても素敵に描かれていたからだと思う。 私はあまりカップリングという言葉は好きではないが、原作において一番好きなのは犬夜叉とかごめ。 アニメではそれがなぜか弥勒と珊瑚になってしまった。 今回見ていても「なんでかごめはこうなっちゃうの?珊瑚はこんなに素敵なのに・・・。」という疑問ばかりが頭に浮かぶ。 製作側は日暮かごめというキャラクターをどう考えているのだろう? 考えれば考えるほどわからなくなる。 いくらOPとEDのかごめを可愛くしても、実際に登場するかごめがこれでは、愛されキャラとはとても言えまい。 ただ今回はかごめに対し、怒るというより呆気にとられているうちに珊瑚が出てきて、それっきりかごめのことは忘れてしまった。 なんか3人いるみたい、なんか叫んでいるみたい、それよりなんかいるみたい、そんな感じ(笑)。 内容は、いきなり神楽と白童子が僧を襲いながら「あの世とこの世の境」について語るシーンが挿入される。 これには驚いた。 その噂を聞いた無心が自分も殺されるに違いないと思い込み、とオリジナルにつながっていく。 この時もずっと違和感を感じていたが、最後の最後、大いびきの無心の上を見向きもせずに飛んでいく神楽たちを見て「なるほど!」と手を叩いた次第。 風穴に吸い込まれもせずに風穴を治療する無心、法力は実はなかなかのものだと思うのだが、白童子に襲われるには哲学的な性格も持ち合わせていなくてはいけないらしい(笑)。 お掃除犬夜叉、サンデーで出てきたばかりなのであれっ?と思ったが真似をする暇はなかったろうから偶然だと思う。 「第2の休息」的なエピソードを楽しみにしていたので、ここで早々と出てこられてちょっと残念、可愛かったが。 でも今度かごめのじいちゃんとお掃除する時は、もっと普通にしゃべって欲しい。 今回のアニメ、それなりに楽しめたがアニメを見るだけなら、私が犬夜叉系サイトを作ることは絶対なかったと思う。 それでも今回のオリジナル、弥勒と無心の師弟愛?、辻谷さんと藤本さんの演技合戦という1本筋が通っていたせいか、予想以上に楽しめた。 妖狼族、野武士、妖怪、村人と神楽にいつもやられまくりの西前さん、今回も僧役で止めを刺されてしまう。 久々登場無心の藤本譲(じょう)さんは、えっ?「妖怪人間べム」のナレーターしてらしたんですか? これはびっくり。 今度はぜひアニメかごめが苦手なファンが目を見張るような、オリジナルかごめバージョンをお願いしたい。 (2003年12月2日の日記)
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カチカチ頭に曇った眼? |
アニメ第136回放送2003年12月7日 「怪奇透明妖怪現る現る!」 ☆ ☆ ☆ このエピソード、サブタイトルを最初にを読んだ時、ピンクレディーの歌がぱっと思い浮かんだ人は犬夜叉ファンでも大人世代。 かく言う私もその一人。(笑) 途中はほとんど忘れたが、最後が「♪現れないのが透明人間です〜」だったことは覚えている。 まさかその言葉、犬夜叉が言うとは・・・。 きっと子供と一緒にアニメを見ているお父さんお母さん世代が「懐かしい〜!」などと笑ってくれると思ったんだろうな。 いや、実際そう思った人もいると思う。 中には一緒に歌ったり踊っちゃった人だっているかもしれない。 でも「かちかち頭」の私には笑えない。 お祓いお婆の再登場を楽しみにしていただけに、こんな内容ではしらける限り。 正直言って、これなら誰が出てもかまわない気がする。 お祓いお婆ならではの物語を練り上げて欲しかったと思う。 私の眼が曇っているのかもしれない。 でも私が描く犬夜叉はあんなに突っかかってばかりじゃないし、かごめはあんなに自己中心的じゃないし、弥勒は節操なくはないし、七宝だってもっと子供らしい可愛らしさがある。 珊瑚も先週でやめときゃよかったな・・・。 今回のアニメ、初めてファイルの整理をしながら適当に見ていた。 これまではテレビの前で心で正座し(笑)、アニメに対して真剣勝負。 台詞一つ、カット一つ見逃すまいとしていたが、今のアニメはどうでもいいや、もう。 「殺生丸を愛した女」「弥勒の師匠 最後の宴」がそれなりに筋が通っていただけに、奈落の底に突き落とされた気分。 もちろん部分的におもしろいところもあった。 七宝が透明化に成功するものの、例によって中途半端なところ、平薄平なる妖怪相手に孤軍奮闘する場面。 いつもは弱気で犬夜叉達に頼りがちでありながら、いざとなるとがんばっちゃうところ、でもなにげに中途半端なところ、原作でもよくある部分をうまく捉えていたと思う。 「帰ってこない雲母」や今回犬夜叉との関係に見られるような、揚げ足取りの強い、あら捜し七宝とはこれで相殺。 焼き魚のところでも犬夜叉と七宝の取り合い喧嘩の後、かごめが七宝にあげることにより、かごめの優しさを押し出そうとしていた。 もっともそれ以前に今の犬夜叉、そこまで大人げないか、そこまで成長してないか、という気持ちになる。 わざわざ喧嘩になるような分け方、取り方など、そもそも設定に無理があるから素直に見れないが。 いじめられていた女の子、助けに来るのは七宝?を予想していたら珊瑚が来た、ここもおもしろい。 「初恋」にしなければ七宝の新たなる出会い、大歓迎だったが。 恵比寿様みたいな、透明妖怪というより薄物妖怪「平薄平」も意外に好き。 反物掛け軸、薄っぺらなお宝に魅かれる性格もよし。 もっとも冒頭、ちゃっかり虎の置き物も盗んでいたように見えたが、あれは掛け軸の絵だったのかな? そうそう忘れてはいけない、入浴シーンのかごめ(濡れ髪)がとても可愛かった。 私にとってアニメ「犬夜叉」、「好きなかごめ」探しの旅でもある。 けっこう辛い旅ではあるが、アニメのかごめに共感できないとアニメ自体が楽しめない。 なんでこんなに葛藤しながらアニメ見てるんだろ?私。 妖怪「平薄平」は「コナンの目暮警部」こと茶風林さん。 「サイボーグ009」の中国人006でも有名な方。 西前さんと田中さんは村で一番二番のお金持ち。(笑) 残念ながら活躍の場がなかったお祓いお婆は藤田淑子さん。 いじめっ子は「穆靖院門前稲荷 桜(狐だそうな)」の?芝原チヤ子さんと五狐の「じっぽう」こと東さおりさんで「狐つながり」。 七宝との恋が生まれそこなった?女の子は「アンパンマン」の「こうめちゃん」などの小暮英麻さん。 弥勒に誘惑される?娘たちは生天目(なばため)仁美さんと大野ユリさん。 (2003年12月8日の日記)
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アニメ第137回放送2004年1月12日 「ご先祖様の名はかごめ」 ☆ ☆ ☆ 映画「夢幻城」から北条秋時を、「天下覇道」から妖刀を借りてきて、七人隊や豹猫族のエッセンスを散りばめた?オリジナルシリーズ。 今回は秋時と犬夜叉達の再会、乾坤の薙刀にまつわる話、秋時が襲われるところまでが紹介される。 「乾坤」は直訳すれば、「天と地」「陰と陽」を指すが、この場合は、風水学、あるいは気学から来た言葉だろう。 もともとは東洋思想を構成する五術のひとつで、方位術のことを言う。 よってもっとも重要なのが「方角」であり(玄武などの言葉はここから)、この方角は 「気」とも深く関係がある。 「気」とは全てのものに存在するエネルギーで、もちろん天には天の(乾)、地には地の(坤の)気(エネルギー)がある。 これらの気が人間に対して与える影響を調べ、より良い「気」に満ちた世界を作り出す学問が「風水」であり、「気学」であると読んだ。 たしか「陰陽師」や池波正太郎著「銀座日記」を読んだときに興味を持って調べたのだが、あまりに昔で忘れてしまった。 あやふやで申し訳ないが、今回の「黄泉」の言葉や「朱雀」などの四神、「乾坤の薙刀」などはここから持ち出してきたものであることは間違いないだろう。 「風雷神社」は「風神雷神」が取られたのだろうが、「しょううんの滝」がわからない。 「招運」かな?とも思ったが、公式サイトにも載っていなかったので。 こういったオリジナル用語こそ画面に文字で紹介して欲しい。 さて内容に入って、まずは北条秋時。 代々伝わる羽衣の次は「乾坤の薙刀」を背負い込み、「本人にとっては辛いけど、周りから見るとちょっと笑える」不幸に悩まされる。 ここで秋時が楓に会いに来るのは私には嬉しい驚き。 とにかく楓好き、北条くん好きの私としては、この2人のツーショットはおいし過ぎ。(笑) 北条くんといえば最近お邪魔している某サイトさんの掲示板で、「かごめの三つ又疑惑」が浮上し、興味深く読んでいる。 かごめが鋼牙と北条くんに対して犬夜叉一筋を宣言しないのはかごめの三つ又か否かというテーマ。 読んでいると北条くんに関しては、アニメの中でのかごめとの関わりが大きく取りざたされている。 原作では鋼牙はともかく北条くんはほとんど出てきていないので、そんなに気にならなかったが。 このテーマについてはあまりおもしろいのでいずれ書きたいと思っている。 たしかにアニメを見ていると、鋼牙に対するかごめの「ほめられると弱いから、おだてておけば」などという言葉が出てきたりして、怒髪天をついていた、私が。 基本的にアニメもかごめは優しい子なのだろう。 困っている人を見ると見捨てておけない。 相手がかごめを好きになるのは勝手だが、ということになるらしい。 ただ、この問題をかごめが木の上の犬夜叉にきちんと説明する場面はとても好感が持てた。 「天下覇道の剣」のパンフレットで、かごめ役の雪野五月さんが、「もう言霊の念珠いらないですね。」と語ったことが書かれていた。 もしかしたら雪野さんはアニメのかごめの描き方に葛藤を感じていらっしゃるのだろうか、とふと思った。 それに関する脚本の隅沢氏のコメントにはちょっとがっくりきたが・・・。 「言霊の念珠」についてもいずれ書きたい。 もうひとつ楽しかったのが、珊瑚と秋時の雲母二人乗り。 弥勒はさっぱりしていてヤキモチ犬夜叉とは大違い、これが笑えた。 これが許婚の余裕かな? 灰刀坊、刀々斎の出し方も良く、次回に期待を持たせるおもしろさだったが、「星黄泉」「妖忍」などについては次回に書きたい。 今回は煉骨ばりの爆薬攻撃が見られたが。 一番興味が持てたのが、犬夜叉が妖刀が「人間なんかには扱えない」といやにシリアスな一言を言い放つ場面。 本来犬夜叉が言いそうにない台詞。 人間だからどうとか、妖怪だからどうとか。 「半妖だから」と常に言われ続けてきた犬夜叉らしからぬ一言だが、話の深みを感じさせる効果となるか、犬夜叉の世界観を崩したものになってしまうか、まずはお手並み拝見といったところか。 今回「ご先祖様の名はかごめ」のタイトルにどうなることかと思ったが、内容的には想像以上の出来だった。 ついでに映画もおもしろかったし、原作もおもしろかった。 今年の「犬夜叉」の盛り上がりに期待したい。 星黄泉の中井和哉さんは、「ワンピース」の「ロロノア・ゾロ」で有名な方らしいが、見ていないのでわからない。(笑) 私にとっては何といっても「真・三国無双3」の典韋 &夏侯惇、ついでに「猛将伝」のお店のお兄さん。 さらに「戦国BASARA」の伊達政宗でも大ブレイク。 とにかく渋い声なのでもっとお年を召した方かと思っていたら、ものすごく若くて素敵な写真でびっくりしてしまった・・・。 黄泉と玄武らの関係は、梅原猛著「黄泉の王」からレンタルか? 玄武は田中さん、青龍は西前さん、しばらく固定キャラでお声が聞けて嬉しい限り。 白虎の川中子雅人さん、外画の吹き替えが多い方らしい。 朱雀の岩田光央さんは辻谷さんのサイトによると、「無責任艦長タイラー」で共演されていたとか。 今回はあまりはっきりした出方をしていないので、これからの活躍?が楽しみである。 余談だが、秋葉原などに寄ると今まで犬夜叉巫法札合戦の自販があった場所は全部「金色のガッシュ」だっけ?のカードの自販に変わってしまった。 サンデーでも一押しで盛り上げているし、巫法札合戦はもう出ないのだろうか・・・。 (2003年1月16日の日記)
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絵が素敵 |
アニメ第138回放送2004年1月19日 「妖怪山河 ふたりのサバイバル」 ☆ ☆ ☆ 今回見ていてあれっ?と思ったのが絵の可愛らしさ。 何度も書いて申し訳ないが、いつもは気になるかごめの強さも、こんな表情だとそんなに気にならない。 作画監督さんや絵のスタッフについてはよくわからないが、いつものアニメや映画のかごめの顔よりずっと好き。 普段のかごめはとてもあっけらかんとした顔つきで、それにきつめの声が加わるから、つい「原作と違う〜っ!」と心の中で叫んでしまう。 むしろ原作とは似てないのに、原作の(深さはないが)柔らかさを一番出しているような気がした、なぜだろう。 と妹に話したら ただ一言「好みじゃないの?」で終わってしまった。 たしかにそうかもしれない、ってそれで終わってどうする? 生身の人間2人、あの滝から落ちて生きていられる方が不思議だが、例によって絶好調は戦国時代の北条くん。 アニメになっても絶対はずさない見事なキャラ、大笑いさせてもらった、同時に男気も見せてもらった。 性格は違うが、武田蔵乃介を思い出す。 オリジナルの星黄泉、顔や姿はどこかで見たことあるような気がしたが、「妖忍法」(影分身、影縫い、闇傀儡?)はとても新鮮。 犬夜叉の鉄砕牙に太刀打ちできる敵キャラといえば、そのうち奈落を越えねばなるまい。 その意味で全く違った種類の、強さではなく技、を使ったところはよかったと思う。 なにげに七宝のライバル?(笑) 前回「招運の滝」?と書いた滝の名は「昇雲の滝」、なるほど。 どうして画面に出してくれないんだろう。 キャラ名よりもある意味大事だと思うのだが。 今回初めて見た人には意義あることかもしれないが、どうも余計な気がするのは私だけ? さて今回特筆すべきは、アニメならではの「半妖(妖怪)と人間の越えられない深い川」だったか、かごめが犬夜叉との関係に迷いが生じる部分と「乾坤の薙刀」の妖気の影響を受けない秋時くん。 妖気なのに人間は大丈夫なのか?しかも七宝は影響を受けていない。 その辺はどうなっているのだろう。 シリーズなので、この2点がどんな意味を持つかはまだわからない。 ただ、前回犬夜叉が「人間にはどうのこうの」とシリアスに言い切った言葉との兼ね合いが興味深い。 また星黄泉が答えなかった疑問、「何故(刀を)打たせた、なぜ欲しい、なぜ北条家に半身がいった」の答えも楽しみである。 一方朱雀をメインの方角四神、ではなく四妖忍? 朱雀は先日書いたばかりの「サイボーグ009 アポロン編」の高山みなみさんの「アルテミス」にそっくりで大好きになったが、声で興ざめ。 それにどうしてあのようなキャラに仕立て上げたのだろう? 蛇骨の二番煎じにも見えてもしまい、とても残念。 1人華やかな朱雀と他の玄武、青龍、白虎がむしろ個性を出さずに朱雀を引き立てているのに、朱雀を生かしきれなかったように思えてならない。 それから小さなことだが、闇傀儡の声がかごめのクラスメートの名前でクレジットされていた。 たしかに顔はあの3人だが、厳密に言えばあれらは人であって人でない。 こんなところにまでこだわってしまう自分が情けない気もするが、つい書いてしまった・・・。 それでも今回もおもしろいと言い切れるアニメだった。 もちろん次回も楽しみである。 (2003年1月20日の日記)
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おもしろさとは別の部分で・・・ |
アニメ第139回放送2004年1月26日 「昇雲の滝の大決闘」 ☆ ☆ ☆ 最近の敵キャラの強さは非常に不思議。 乾坤の薙刀は鉄砕牙の妖力を吸い取る。 かごめはさらわれ、犬夜叉達は四妖忍と戦闘に入る。 個性のなかった玄武、青龍、白虎が正体を現し、おもしろおかしい忍法を見せるのにどこまでも興ざめなのが朱雀。 特に変化後のあの姿には泣くしかない。 実は私、朱雀(キャラではなく本来の赤い鳥)が大好きなので余計許せない。 蛇骨を愛らしく可愛く感じ、朱雀に鳥肌立ててるのは私だけではあるまい。 少しずつ明らかになる星黄泉の恨み、前回からの「人間と妖怪の壁」の伏線など設定はとても良くできていておもしろい。 もちろん次回が楽しみ。 だが、戦闘シーンが珊瑚があれだけやられて傷もつかない不思議もあってあまりにもあっけないし、どうもシリアスと笑いのバランスがかみ合わない気がした。 むしろおもしろいのが北条秋時。 このキャラは現代の北条くんよは別人ではあるが、北条くんが戦国時代にタイムスリップしてきてもこうだろうと思わせる飄々キャラ。 演じる上田祐司さんは、実はアニメ「十二国記」でやはりオリジナルの浅野という少年も演じておられる。 この浅野というのが、普通の高校生なのにやはり異世界、ちょうど三国志時代の中国?にまで無理矢理タイムスリップさせられたような形になる。 選ばれた者、陽子(「犬夜叉」ではかごめ)ではない彼は言葉の通じないこの世界で陽子ともはぐれ、今いる世界をゲームの中の仮想現実をみなすことにより自分を保とうとするが、その時代を受け入れることができずに狂い、死んでいく。 似たような境遇でありながら対極にある2人の違いがこのエピソードで一番気になる部分。 現実なら、おそらく浅野の姿こそが本来の私達だろう。 今回初登場は月黄泉、私が好きなタイプのキャラ。 翠子と似たキャラだがこちらは人間の巫女であり、星黄泉をかつて封印した。 犬夜叉と桔梗に似た感じの過去のすれ違いが星黄泉を変えたことになるのだろう。 ストーリー自体はおもしろいが、総体的な感想は来週結末を見てから。 ちょっと危惧しているのが最近書いた「炎珠」「出雲」のような結末になること。 やはりあまりにも正論でまとめてしまうことだけは避けて欲しい。 次回予告がずいぶん老けて見えるように思えたのは気のせい? 最後に私だけの「好み」として。 人でないものに変化すると容貌も妖怪チックに変化するが(刹那猛丸、娑蘿なども)、わかりやすいが私はあまり外面の変化を強調するのはどうかと思う。 (2003年1月26日の日記)
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不思議な話、不思議な絵 |
アニメ第140回放送2004年2月2日 「永遠の想い 乾坤の薙刀」 ☆ ☆ ☆ なんて言ったらいいんだろう。 「感動した〜」とか、「なんだかなあ」とか、いつもはそれなりの感想が出てくるのだが、いまいち中途半端な気分。 悪かったとは思えない、絵も綺麗だった。 でも「殺生丸を愛した女」のような、ストレートに伝わってくるものがなかった、なぜだろう。 月黄泉と星黄泉の恋物語、犬夜叉と桔梗になぞらえてうまく作っていたとは思う。 途中から見たら「犬夜叉」とは気づかないだろう、渾身の大人のラブストーリー。 そっちに気合が入りすぎて犬夜叉とかごめは浮いてたし、珊瑚と弥勒は「いたっけ?」状態。 かろうじて北条秋時と七宝だけが心に残る。 などと考え込んでいても仕方がないので、気づいたことから書いてみたい。 私にとってのたぶん、だが星黄泉と月黄泉の(と北条秋時)の方に力が入りすぎてあまりにいつもどおりの犬夜叉達とのギャップが大きくなりすぎたのではないかと思う。 北条秋時の命がけの告白に対し、犬夜叉は同様に叫ぶことができない(桔梗がいるから)。 そこでいつもの「俺が守る」で終わってしまう。 実際に星黄泉を倒したのは犬夜叉達だが、星黄泉は北条秋時の「想いの強さ」に敗れたとした方が良かったのではないだろうか。 犬夜叉とかごめの連携を自分と月黄泉に重ねて満足して死んでいく・・・、筋は通るがあの時のインパクトは北条秋時の方が数段上だった。 結局「乾坤の薙刀」を手放したことで人の心を取り戻したということだろうが、わかりにくい。 犬夜叉の気持ちをかごめに100%向けるわけにはいかない作る側の立場、同時に秋時においしいとこ取りをされるわけにもいかない、最後は犬夜叉かごめでしめなければアニメとしてのスタンスが成り立たない、そんなところだろうか。 その結果かごめは北条秋時の命がけの想いを聞くこともなく、聞いても反応もなく、秋時は帰りに弥勒ばりのナンパ。 たしかに北条秋時はギャグ担当キャラではあるが、最後のこれは余計な添え物。 最後をハッピーエンドで終わらせるのも結構だが、なんでもかんでも笑わせたい、というものではないはず。 これで秋時も救われた、ああ良かったとはとても思えない。 次はかごめ。 今回は星黄泉にさらわれ、月黄泉に体をレンタル。 こちらもどうもお手軽利用されている感が強い。 たしかにかごめは「特別な存在」だがたとえばさらわれる、たとえば1人で何かに関わる、そういった時に、かごめでなければならない必然性が見つからない。 「主役だから」と言われてしまえばそれまでだが月黄泉が翠子、桔梗の巫女つながりでかごめに乗り移ったと考えるのはちょっと苦しかった。 製作側にとって「日暮かごめ」をとことん突きつめるとどんな存在なのだろ う。 ただの「霊力を持つ気の強い女の子」ではないはず。 猪九戒がさらうのはどうでもいい(笑)、しかし「四魂の玉を造る者」や今回の場合は、「かごめの生かし方」、もっと別のやり方もあるような気がする。 そして星黄泉。 犬夜叉達と戦う気満々だったのに、やられた瞬間「これでいい。」とはどういうこと? あえて自分を倒させるように仕向けたとは思えなかったが。 さっきも書いたが今回に限って言えば北条秋時の想いが勝る。 こういった中途半端な感想が頭を駆け巡って、やはり「感動した。」と言い切れない。 絵は素敵、時々「目の下隈子」や不思議な角度の不思議な絵が気になったが、月黄泉さんも素敵。 しかし月黄泉、ここまでの霊力があるからにはこの人も作れそうだな、四魂の玉。 桔梗というより翠子に近いイメージ。 せっかくの灰刀坊再登場も不気味笑いのサービスのみで声はなし、残念。 悟心鬼なみの妖怪を出すわけにはいかないから222体の妖怪。 でも最後の1体は悟心鬼っぽい、芸が細かいと言うか何と言うか・・・。 結局星黄泉は乾坤の薙刀に取り憑かれたわけで、この2人に関しては練り上げられた感じがする。 それにしても北条家には「たまたま」落ちてきたわけで(笑)、つくづく不運と言えば不運な家系。 CMの後は結局犬夜叉かごめの「最強コンビ」が止めを刺すが、肝心の「人の想い」はどっかへいってしまった。 必ず「力で打ち勝つ」のはアニメだから? あと最後に大逆転(笑)。 月黄泉と星黄泉の恋のあり方(誤解から生じた憎しみの想い)を犬夜叉と桔梗になぞらえていたとばかり思っていたのに、今回言いたかったのは「妖怪の心に囚われていた時に、かごめに救われた時のこと」だったの?と愕然。 しみじみ思った。 原作は「犬夜叉とかごめと桔梗の恋物語」だけれど、アニメは「犬夜叉とかごめ(のみ)の恋」でしかないんだなあと。 最後の「笑うはずの」画面はコナンもどきの引きつり笑い。 それでも心に残るオリジナルの1本となりそうな予感はする。 今回は妖怪として渡辺浩司さんと田中さんもご出演。 そういえば来週は原作に戻っていよいよ白童子&炎蹄登場だが、なにやら煉獄鬼なるものが登場するらしい。 例の猪九戒もどきの名前かしら? 犬夜叉の「馬の分際」発言も楽しみ楽しみ。 ☆ ☆ ☆ 3月21日よりスカパーで「犬夜叉」放映開始。 もちろんビデオやDVD持ってるけれど「この時間にみんなで一緒に見ている」感覚がたまらなく好き。 あっ、私はビデオにとって後で見るけど。 また新しいファンがどんどん増え、犬夜叉人気が盛り上がりますように・・・。 (2003年2月3日の日記)
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