原作アニメ比較 16

こんな風に作って欲しかった
アニメ第151回放送2004年5月10日
「かごめ本能の選択」

原作少年サンデー2003年4月16日(20号)第309話「選択」
原作少年サンデー2003年4月23日(21号)第310話「苛立つ心」

     ☆     ☆     ☆

今回はかごめが桔梗を癒すエピソード。
この2人の関係は犬夜叉とかごめ、犬夜叉と桔梗の関係以上に危うく微妙なもの。
原作であえて触れてこなかった2人の接近に、アニメは「洞窟には―」で果敢に挑んだ。
いかにもアニメな、危うかったり微妙だったりはかけらもなく、アニメらしく押しまくる。
好きか嫌いかはともかくとして「かごめが桔梗を癒す」形になっていたことはある意味評価できる。

原作、滝壺の底でかごめは一瞬の迷いもなく救うことを決める。
決めるだけでなく実際に救おうとする。
そしてその迷いのなさが桔梗を救う。
私の大好きなかごめの姿がここにある。

かごめが瘴気を浄化して桔梗は救われる。
「ならば・・・ 礼は言わない。
おまえが決めたことだ。」
素直になれない桔梗が可愛くて、ここでのかごめと桔梗、ほんとに愛しい。
「まもなく犬夜叉が来る。おまえを追って・・・」

桔梗の最高のお礼の言葉、かごめは気づいているのか。
その意味も犬夜叉に会わずに去る桔梗の寂しさも。
かつてかごめを死魂虫で木に縛りつけたときの台詞、
「(犬夜叉は)おまえを助けにではない。私に会いにくるのだ。」
犬夜叉はかごめがここにいることを知らないのにこの台詞、かつての桔梗はここまで追い込まれていた。

そして今、ふさがった胸を押さえ「まだあたたかい。」と心に呟く桔梗。
やはりかなり前、桔梗が同じような表情を見せることがある。
楓の小屋を訪れ、奈落やかごめの話を聞いた桔梗。
「生きていれば― この私が犬夜叉の心を癒やすはずだった。」

どちらもいっそ人形のように表情を消して台詞だけで伝える、想いが痛いほど伝わってくる素敵なカットだが、以前に比べて「癒されている桔梗、強くなった桔梗、救われつつある桔梗」がくっきりと浮かび上がってくる。
ここまで原作に入れ込んでいると、残念だがアニメの「普通の女の子」バージョンのかごめの癒しが、これを越えることは(私の中では)ないような気がする。

ところがアニメのかごめが「もしかしたら」今回、とんでもない悲劇のヒロインになりかねないかと思ったのがかごめが見る桔梗の内面。
生前の桔梗と幼い楓のほのぼの生活だったらいいが、桔梗と犬夜叉の必死な恋の思い出だったりしたらどうしよう。
逆に奈落により傷つけられた桔梗の姿なら納得できる。
いかに「めぐり会う―」の2人の恋が素晴らしく描かれたからと言って、それを今のかごめに見せつけることだけはしないで欲しい。

最後は前にも書いた声優さん。
奥方は小林希唯さん。
他には老爺の仲木隆司(りゅうじ)さん、腰元で近野真昼さんと柴田まゆさん、最強トリオは西前さんが珍しく?殿様で登場。

この後いつもの「桔梗と会ったその後で」が始まり、読む側としても少々食傷気味になっていたが、今回は犬夜叉が意外な変化を見せる。
意外と言えば意外だが、桔梗のために寂しい気もする。

          ☆          ☆          ☆

今回はオリジナルも秀逸で、1人の老爺を助けたことから城に行くことになる琥珀の嬉しそうな笑顔、しかし頭上から見張る最猛勝と、すでに悲劇の予感が辛い。
先々週のサンデーでもあった、優しい人と普通に過ごす琥珀の笑顔。
いつも家臣や村人(それもおじいさん)の西前さんの若い殿様、見てる方がちょっと照れ。
そういえば男子中学生の時もあったけど、本当は何歳なんだろ?西前さん。
普通だったら琥珀の背中のおじいさんの役どころなのに、格調高く決めてくださった、嬉しい。

そしていよいよかごめの癒しの場面。
当然のことだが、洞窟編はすっぱりカットで何もなかったことにする。
かごめのアップが時々ものすごく綺麗で一瞬ながらも走る後姿が、いつもと違って自然な感じ、むしろダイナミックなのも好印象。

オリジナルの部分を抜き出してみると、

1、今まで意識のあった桔梗だが、魂移しの人形(ひとがた)が壊れてしまったため、魂を留めておくのが難しい。
しかも日が沈むまでの期限付き。
瘴気は闇によって力を増していく。
これで見る側に緊迫感を与える手法。
原作で知っていてでさえドキドキしてしまった。

2、かごめがかいま見る桔梗の内面世界。
見るまでは一抹の不安があったが「これでも文句があるなら言ってみろ!」と怒鳴られたような気分。
素晴らしすぎて平身低頭誤るしかない体たらく。

犬夜叉に化けて桔梗を傷つける奈落。
死んで行く桔梗の哀しみ、犬夜叉への想いをかごめは見る、ちょっと喋りすぎかな?とは思ったが。

今の恋人にかつての恋の姿を見せるのではなく、「奈落への怒り」をかき立てさせる。
原作かごめはその霊力と迷いのない心で癒した。

アニメの普通の女の子は2人の、というより桔梗の犬夜叉への想いに対する共感と奈落への怒りでがんばった。
ここまで来ても「苛立つ心」かと、原作を読んで思ったが、アニメのかごめが等身大でより共感できるような気がした。
アニメでは桔梗への呼びかけ「あんた」が「あなた」になってて、かごめの緊張ぶり?がちょっぴり笑えた。

その後の犬夜叉とのお定まりの会話も、顔が可愛いせいか違和感がない。
そして最後、桔梗が胸の暖かさを確かめながら消え去る場面・・・、そこにあの元気な音楽でがっくりきたけど仕方がない。
私としてはEDはバラードがいいなあ。

そして次回は琥珀が主役の「血の涙」。
心理的に残酷?な場面もこれまでわりと淡々と作られてきたような気がする。
シルエットにするなどして。

しかし次回の琥珀は今までとは違う。
自分を取り戻してしまう。
かつて琥珀は事実を知ったら心が壊れてしまうと思われていた。

だが今の琥珀は悲しいまでに強く成長し、奈落を殺して己を罰する覚悟を決める。
下手すればクレームのつきかねない壮絶な話をアニメでどう描き切るか、これまで不安だったが、急にものすごい楽しみになってきた。

最後、予告まで豪華で琥珀、かごめ、阿毘に阿毘母奈落まで。
 (2004年5月10日の日記) 
優しい人々
アニメ第152回放送2004年5月17日
「守れそして奪い取れ!」

原作少年サンデー2003年4月30日(22,23合併号)第311話「城」
原作少年サンデー2003年5月14日(24号)第312話「命令」

     ☆     ☆     ☆

今回のエピソード、原作で読んだ時の感想、それ以上でもそれ以下でもない。
城の人がみないい人だけに琥珀自身が手にかけるその残酷さ、どうして殺戮前に珊瑚を来させなかったのか、琥珀を目覚めさせなかったのか、その辛さに今読み返してみても後味は悪い。

私個人はあまり意識しないが、アニメ側が常に謳う「幅広い年齢層を意識」するなら、こういった部分は考えて欲しいといつも思ってきた。
その意味で今回のエピソード、どのように仕上げるか、期待と不安は大きい。
ついでにタイトルにも「赤子を守れそして奪い取れ!」と勝手に補足。

奥女中の1人、前田ゆきえさんは、白心上人編で新太郎の姉のうち「月」だった方、もう1人の奥女中は斉藤梨絵さん。
西前中嶋田中の最強トリオは揃って侍。
前回殿だった西前さんも格下げか(笑)。
他にも侍は斉藤瑞樹さん、岸祐二さん。
物売りで文化放送の長谷川のび太さんが特別出演。

今回は琥珀が奈落の命令を受けて自分の意思をなくしかけるところまでだった。
この最後のシーンと予告の琥珀のアップが素晴らしくて、それだけに余計辛い。
殺戮の前と後、アニメで意志を持たぬ琥珀の殺戮が描かれるのは次回となる。

最近冒頭の回想シーンの見せ方が上手になったような気がする。
以前はナレーションに乗せて前のシーンを流すだけだったが、新たなシーンを冒頭に置き、その中で回想シーンを入れる。
見せ方にくどさがなくていいと思う。

阿毘母は相変わらず大物感にあふれて良かったが、阿毘姫の声に慣れない私はつい音量を下げてしまう。
そして城。
オリジナルで奈落の赤子のオムツ替えとか授乳シーンとか見せてくれるかと楽しみにしていたが、それはなし。
奥方の顔が、今まで登場した姫よりさすがに母の落ち着きがあって好き。

逆に城の人々のいい人ぶりが、オリジナルでこれでもかというほど出てくる。
琥珀の周りの人々がいい人であればあるほど後の殺戮が辛くなるのだが、今日の時点では琥珀のために嬉しい。
また珊瑚がたまたま琥珀を、それとは知らずに想うところも良かった。

しかし奈落が命令を下すのは、阿毘により「城が落ちてから」。
もし阿毘が城を攻めることをせずにいたら、城の人々も無事だったのだろうか。
それとも赤子が去る時に、いずれにしろ殺される運命だったのだろうか。
もしくは阿毘母の偵察を見越した上での、全てが奈落の罠だったのだろうか。
琥珀を一番可愛がってくれた老爺が(殺されたとして)琥珀に殺された場面のなかったのが、原作における救いとも言えない救いだったが。

奈落の命令がなくても琥珀は城の人々を守るためにがんばっただろう。
そんな琥珀の優しさがわかるだけに次の展開が辛い。
「退治屋」の言葉がやはりオリジナルのキーワードで出てくる。
かすかに記憶を取り戻し始める琥珀。

あり得ないのは承知の上で、原作を変えてもいいから珊瑚が間に合って欲しいと願うのは私だけだろうか。
 (2004年5月17日の日記) 
流す涙 流せぬ涙
アニメ第153回放送2004年5月24日
「運命は残酷な再会」

原作少年サンデー2003年5月21日(25号)第313話「罪の記憶」
原作少年サンデー2003年5月28日(26号)第314話「解けた呪縛」
原作少年サンデー2003年6月4日(27号)第315話「鳥の巣の臭い」

     ☆     ☆     ☆

たとえば小説や絵で悲しみの感情を表現する場合、一番簡単なのは「○○は悲しかった。」と書いたり、顔に涙を描くことだろう。
誰が読んでも誰が見ても「この人は悲しいんだな。」と一目でわかる。
それ以上もそれ以下もない、わかりやすいが、ただそれだけ。

私が好きなのは「悲しい」という言葉を使わずに、顔に涙など描かずに、読む側見る側が「ああこの人は今とても悲しいんだな。」と読み取ることができる絵や小説。
いえ読み取ろうとしなくても、行間から悲しみの雰囲気がかもし出てくるような、そんな表現。

原作で琥珀が優しくしてくれた城の人々を殺す場面を読んだ時、あまりに無残で胸が痛んだ。
琥珀に殺された人々は血も吸われておらず、本当にただ殺されただけの人々。

あえて珊瑚に殺戮の場面を見せるためでも、奈落の気まぐれでもないとすると、「琥珀の記憶をあえて取り戻させるため」に思えないこともなく、この優しい少年の心を弄ぶ、奈落親子の非道があまりに辛い。
必要のない殺戮に思えたからこそ、この展開に未だに疑問を感じ、納得できずにいる。

ただどうしてもこの展開でなければならないとすると、その描写の見事さに、とても印象的な場面となる。
優しい人々に囲まれて暮らす日々に、心ならずも殺さねばならない自分に、琥珀の記憶が、心が少しずつ蘇る。
「いやだ。なんだ?このいやな気持ちは・・・」
何かを思い出しかけながら、琥珀は表情のない顔で殺戮を続ける。

珊瑚に名前を呼ばれて振り向く琥珀。
記憶の戻ってはいない琥珀の顔に涙はなく、ただその手にかけた人の血が、涙となってこびりついている。
これから琥珀が流さねばならぬ心の中の血の涙を暗示させるすさまじい場面。

ついに記憶を取り戻した琥珀は泣けない。
泣いてすますには琥珀の罪は、苦悩はあまりに深い。

公式サイトのアニメの琥珀、泣いている。
泣きながら鎖鎌を振り上げている。
たしかに琥珀の辛さが一目でわかる。

子供向け、一般向け、いろいろ規制はあるだろう。
この難しい場面をどう描いてくれるのか、わかりやすいけど薄っぺらな悲しみの表現でないことを望む。
奥女中で斉藤梨絵さんの代わりに?永木貴代子さんが登場する。

          ☆          ☆          ☆

まずは前述の涙の部分。
私は琥珀が記憶を取り戻して泣いているとアニメで表現するのかと思っていたが、ほとんど原作どおりで涙は無意識の涙だった。
今回も容赦なく、時間をかけて殺戮場面を描いていく。

原作どおりで嬉しい反面、世の一般視聴者(特に保護者世代)の反応を考えてドキドキしてしまった。
無意識の琥珀の涙、優しかった老人たちが助かる部分のオリジナルなどは、ある意味予防線とも言えるだろう。
あまりに傑物に仕立て上げられた奥方は興醒めだったが、琥珀が自分の意思で殺戮を続けていると思う人も、中にはいるかもしれないから?
原作では殺されたと思われるこの老人、アニメで助かるのは嬉しかった。
琥珀の前半の回想と、珊瑚と分かれて記憶を取り戻してからの回想と、同じシーンが2度も入ったりしてだれるところ、矢島さんの渾身の演技でぐいぐい引き込まれて見たが、やっぱり長すぎ。
以前の琥珀は操られている時は目が茶色一色で(微妙に陰影はあったが)不思議な顔をしていたが、今回は目をはっきり描き、その上で少し焦点の定まらない表情にしてくれた。
ものすごく嬉しかった、以前の顔は嫌だったので。

琥珀が記憶を取り戻すシーンは原作ではわりと淡々と描いていて、それが琥珀の中の葛藤を血の涙と共に際立たせていた。
アニメでは神楽の羽から転落しながら、絶叫する迫力のシーンに変えられた。
これはどちらもすごいと思うし、素晴らしいと思う。
とにかく琥珀の辛さが見る側にも辛い。

話は変わって弥勒と珊瑚。
思いつめる珊瑚を慰める弥勒。
「○なでシーン」に関しては、原作にもあって私は違和感を感じていた。

高橋作品のシリアス一転ギャグタッチで初めて「そんな場合じゃないでしょ」って感じ?
これがアニメになると、輪をかけていらなくなる。
32巻はかごめの心理にも馴染めない部分がいくつかあるが、弥勒と珊瑚のここはシリアスにまとめて欲しかった。
凄絶な琥珀の姿を見た直後のことなのだから。

批判ばかり書いてきたような気がするが、作品としては大満足。
「犬夜叉」の根底を流れる「作品観」が壊れていない。
珊瑚はわりと苦悩を見せるが、今回は初めての琥珀の苦悩、矢島さんの演技を堪能できただけでも嬉しかった。

たまたま「名探偵コナン」のサイトを見た。
失礼ながら次回予告で声優さんがコナンの高山みなみさん、園子の松井菜桜子さん、新出先生の堀秀行さん、ジョディ先生の一城みゆ希さんしか紹介されていなかった。
「犬夜叉」はたとえ前後編でも、最強トリオに至るまで必ず全員の名前が紹介される。
アニメ「犬夜叉」、言いたいことはいろいろあるが、この発見でアニ犬好感度一気にアップした。
 (2004年5月24日の日記) 
あっけない最後
アニメ第154回放送2004年5月31日
「あの世とつながる妖怪」

原作少年サンデー2003年6月11日(28号)第316話「託された矢」
原作少年サンデー2003年6月18日(29号)第317話「鉄鶏(てっけい)」

     ☆     ☆     ☆

今週からOPが島谷ひとみさんの「ANGELUS-アンジェラス-」に変わったが、犬夜叉かごめの次、いきなり登場の鋼牙!(と桔梗と殺生丸)にドッキリ。
弥勒と珊瑚に七宝雲母を差し置いての「憂いに満ちた横顔」編、ひねくれた表情とも言う。
楓登場も嬉しかった。
この日は体調を崩していてOPしか見なかったが、他の場面や曲のイメージは全然頭に残っていなかった。

最初にタイトルを聞いた時には、大好きな浅草の喫茶店を思い出したが(アンヂェラス)、直訳するとカトリック用語で「お告げの祈り」あるいは「お告げの鐘」という意味。
「angel(天使)」から来た言葉だが、キリストの受胎告知を祝って天使ガブリエルが1日3回「お告げの鐘」を鳴らし、信者が祈る、そこから来た言葉。
私は島谷さんの曲が、「パピヨン〜papillon〜」の頃からどこかエスニックな感じが好きで、「犬夜叉」に合っているとは思えなかったが、何となく気に入った。

阿毘母に負けじとセクシー眼差しどアップ奈落には笑ったが、前に見たことのある場面入ると、総集編かとドキドキしてしまう。
他は珊瑚と琥珀の悲しい場面が多く、驚いた。
奈落に囚われる桔梗、意味深な神楽と殺生丸。
桔梗の式神も登場するが、この2人は後で消えてしまうキャラ。
その頃またOPが変わるのだろうか。

羽や雪が効果的に使われていて、アニメは桔梗でも雪使っていたな、もちろん映画でも。
しかしOPのかごめは本編のかごめとは別人だと思ったり、映像が綺麗なのに最後の締めがあまりにありきたりの5人のカットでがっかり したりと今回はいろいろ考えながら何度か見た。

そうなると今回は32巻の10話中第8話から、OPに出たのは34巻の10話中第9話まで。
単純に考えると、22話分くらいは確実に続くわけだが、さて・・・。

今回は話のシリアスさに紛れてしまったが、鋼牙以外の主要キャラ総登場の豪華版、新ゲストキャラなし、よって最強トリオも出番なし。
いきなり犬夜叉と桔梗が再会するが、犬夜叉は桔梗に触れない。
以前傷ついた犬夜叉を抱きしめるなど(アニメではカット)、桔梗はわりに抵抗なく犬夜叉に触れるが、犬夜叉から桔梗に触れるシーンは少ない。
もちろん無意識に触れたり、気持ちが上ずってくると話は別。
しかし屍舞烏編でいきなりかごめをおんぶしたのとはえらい違い。

好きという感情はともかくとして、やはりかごめに対しては屈託なく桔梗に対しては良くも悪くも構える犬夜叉、ゆえに大人に見える。
犬夜叉が桔梗に会いにいったのを知り、沈み込むかごめ。
ただものすごく我侭だと自分でも思いつつ、かごめの犬夜叉桔梗へのどうのこうのは、コミック1冊につきせいぜい1度にして欲しいと思う。
かごめがいつも犬夜叉や仲間と一緒にいられる自分を全く省みない状況で、さらに桔梗が犬夜叉と一緒にいれない恨み言を一切言わない状況で、この場面が続くと、かごめにとってもマイナスになるような気がする。
弥勒や珊瑚のかごめオンリーびいきもちょっと辛い。

もちろん15歳の普通の女の子として桔梗の花を見てもかちんとくる(来ないか、笑)のは当然としても、こちらを掘り下げすぎるとそれこそヒロインとしての魅力的なかごめ像が消えてしまうような気がする。
かごめの気持ちがより犬夜叉に近づき、かごめ自身が大人になる上で避けられない通り道であることは承知の上だが、最近アニメ効果で桔梗人気が急激にアップし、かごめが押されているように見えることが気にかかる。

桔梗人気は大歓迎。
かつての懐剣事件、高笑い事件その他でアニメの桔梗の印象がかなり悪かった時期がある。
もちろん桔梗大好きの池田監督があえて「別物桔梗」に取り組んだということはあちこちで議論されていたし、私なりの考えもある。

しかし月曜7時のお子様(も対象とした)アニメで、大の大人がそこまで深読みしなければわからない作品、人間像になってしまったことはやはり問題だろう。
その意味で最近の桔梗の描かれ方は美しく、素晴らしく、本当に嬉しい。
でもだからと言ってかごめに霞んで欲しくはない。
珊瑚も含め、3人が同様に原作でもアニメでも光り輝いて欲しいと思う、その意味でこの当時のかごめは私の中では辛かった。

ただ原作どおりに珊瑚に「かごめちゃん、なんかこわい。」と言わせているが、アニメではこの時のかごめは最初寂しげで台詞と合っていないように感じた。
むしろこの感じで押し通して欲しかった。

一方阿毘親子vs奈落対決。
阿毘というキャラは逆髪の結羅以来のセクシー女性キャラで期待大だったのだが、原作では奈落にとことん振り回されるだけで、どんどん印象が薄くなっていった、ものすごく残念。

巨大な体を現した途端殺された鉄鶏も、アニメでは破格の大物扱い。
とにかく麻志さんのニワトリ声が爆笑だったし、触手?を使って「よっこらしょ」と出てくる奈落にも大笑いだった。

阿毘の死に様が原作でも美しく、アニメでも声はともかく美しかった。
初登場時にはインパクト大だった阿毘は美しく死に、目だけのうちは大物感のあった母もまたあえない最期を遂げる。
これだけ引っ張っておいて、あっけなく散るゲストキャラも珍しい。

麻志さんの鶏声にライバル意識が燃え盛ったか(笑)、山口さんも犬唸り披露。
そして奈落がいよいよ地獄への道を開く。
血の河は綺麗な?紫。
気のせいか犬夜叉が飛び石伝いに進んでいるような気がしたが、まさかあれは殺された人の恨みの念ならぬシャレコウベ?

予告で宝仙鬼の大友龍三郎さんが登場、52歳の方らしいが、あまりに若い声にびっくり。
もっと痩せ枯れた声を想像していたので。
大友さんはアニメでもいろいろな役をされているらしいが、私には何と言っても「グリーンマイル」のジョン・コーフィー。

宝仙鬼のダイヤモンド攻撃は、金田一少年など東映のビデオのOPが絶対いい。
色つきで綺麗、あれを見た後では真っ白けのひし形攻撃ははっきり言ってつまらない。(笑)
 (2004年6月4日の日記) 
格調高い 宝仙鬼
アニメ第155回放送2004年6月7日
「四魂のかけらを守る鬼」

原作少年サンデー2003年6月25日(30号)第318話「血の河」
原作少年サンデー2003年7月2日(31号)第319話「かけらの意思」
原作少年サンデー2003年7月9日(32号)第320話「届かぬ矢」

     ☆     ☆     ☆

新聞には「宝仙鬼の意外な執着!四魂のかけらを守る鬼」とある。
宝仙鬼や犬夜叉の父君が眠る場所は「あの世とこの世の境」であり、「向こうの世界」であり、「死者の場」であり「地獄」であり、「妖怪の墓場」である。

素直に考えると「この世」(人間と妖怪が共存する世界)と、「あの世」(人間が死んでから行く所)の間に、「あの世とこの世の境」(妖怪が死んでから行く所)があることになる。
犬夜叉、紫織、地念児の両親など、どんなに愛し合っても人間と妖怪では共に眠ることができない、ものすごく残酷な話。
さらに半妖である犬夜叉奈落はどこで眠ることになるのだろうか。

おもしろいのはプレステのRPG犬夜叉第1弾は、この世界を「異次元」と称し、むしろわかりやすい。
つまり犬夜叉の父君始め、犬夜叉一族と関わりのある者が眠るべく用意された場所。
しかも「血の河」に蠢く人間の怨念は、父君の世界を通り越して、「あの世」まで流れていくのか?など考え始めるときりがない。
しかも鉄鶏は「地獄に住む鳥の仲間」だし・・・。

奈落と犬夜叉一行は、地獄への道(血の河)から境で途中下車?したと解釈していいのだろうか。
息子(斎藤志郎さん)の雰囲気からしてもっとおとぼけ妖怪を想像していたが、たしかに話の流れでシリアスにつき、大物声の大友雄三郎さんも楽しみ。

宝仙鬼、間違って「ん」を抜いたら「宝石」と出た、金剛石とはダイヤモンドを指す。
最も硬い宝玉、PS「犬夜叉」にも「金剛の指輪」として登場するが、もっと使い勝手のいい指輪アイテムが出た後では、いまいち使えないアイテムだった。
なにしろ「うん(運)」だの「かしこさ(賢さ)」だの何のためにあるの?って感じだったし。

          ☆          ☆          ☆

あの様子だと、奈落が境で出口を開いてくれなければ、そのまま「あの世」の方まで行っちゃいそうだなと思って見ていたが、オリジナルで相変わらず見境なくなる犬夜叉登場で気持ちが一気に盛り下がった。
今回も「じっくり見せたい」製作側の意図が感じられ、それはいいのだが、それがあんな犬夜叉だったり回想だったりするのは無駄に思える。

原作ではいつの間にか消滅した黒真珠が、アニメでは犬夜叉の眼の中にまだあり、残った思念が犬夜叉に遠い記憶を蘇らせる。
宝仙鬼は黒真珠がここから去れと言っていると言い、犬夜叉は「俺は逃げねえ!」と叫ぶ。
なぜ今この台詞が出るのか、この台詞のために回想やら何やらが挿入されたのか、私としてはマイナスの印象が強かった。
もちろん全てのオリジナルがいらないとは思わないが。

さて宝仙鬼。
鞘や刀々斎タイプのとぼけたキャラを想像していたが、あまりの格調高さにびっくり。
トナカイみたいな角が可愛かったりエリマキトカゲに見えたり、「デビル・メイ・クライ2」の壁のブルーオーブに見えたりと時々笑いつつも、堪能させてもらった。

阿毘母に負けない巨大奈落の目にも笑ったし、今日はなんだか力が抜けた。
神楽と殺生丸は意外にあっさり、牛頭馬頭再登場は楽しみかも。
予告で殺生丸、奈落、神楽も登場、熱演派には気取りっこで対抗。
驚いたのが、公式サイト1位の常連だったコナンのアクセスランキングが3位、犬夜叉が4位に転落したこと。

後でトップページにもリンクするつもりだが、公式サイトに「 スワッチのアニメ日記 」なる連載がスタート。
諏訪道彦氏が、犬夜叉コナンだけでなく、「金田一少年の事件簿」も取り上げ、アニメの裏側を語ってくれるとのこと。
毎週月曜日が更新だそうなので、こちらも必読!

 (2004年6月7日の日記) 
無理やり気持ちを奮い立たせて・・・
アニメ第156回放送2004年6月14日
「墓前決戦!殺生丸vs犬夜叉」

原作少年サンデー2003年7月16日(33号)第321話「広がる汚れ」
原作少年サンデー2003年7月23日(34号)第321話「破れぬ結界」
原作少年サンデー2003年7月30日(35号)第323話「最後のかけら」

     ☆     ☆     ☆

「帰れない命がけの(?)墓前決戦!殺生丸vs犬夜叉」、お得意の敵をほっといて犬も喰わない兄弟喧嘩が展開されるのではないかと、先週予告を見た瞬間からドキドキしている。
私は最初から殺生丸というキャラには原作でもアニメでも興味がなくて、いえ別に好きとか嫌いとかそういった意味じゃなくて単に思い入れがない、そんな感じだった。

鋼牙のようなワイルド系か奈落や睡骨のようなぐちゃぐちゃしたものを抱え こんだタイプに興味があるせいだろう。
現実にはもちろんまた違ったタイプが好きだが。
殺生丸にも抱えこんだものは当然あるだろうが、それをあまり見せてくれない人なので共感しにくかった、ずっと。

ところが原作このエピソード、麗しの牛頭馬頭を戦わずして(闘鬼神で少しは戦ったけど)跪かせ、犬夜叉の危機にキラ・・・と遠く輝きゴッと飛んできて奈落にドンとぶち当たる、そして1ページぶち抜きで現れたその美しさ、父君の亡骸を慕わしい眼差しで見上げ、「父上、お親しゅうございます」、ふわりと飛んできて犬夜叉に「愛の」拳骨。
この拳骨がいい。

自分もかつて犬夜叉との戦いで父君のおなかの中を荒らしまくったことはすっかり忘れたらしい。
そして奈落に向かって「一言」だけ、これが大事。
「下衆が・・・」
そう簡単には怒りまくらない、そこが好き。

本人はそのつもりはなくても結果的に犬夜叉を助けにきたことになる。
原作の寡黙な殺生丸にはさすがの私も惚れ込んでしまった。
アニメのおしゃべり殺生丸も笑かしてくれるので嫌いではないが、殺生丸もやはり原作派。

前に書いた記憶があるが、犬夜叉に「死にな」と言う瞬間の蛮骨、犬夜叉に助けられ、犬夜叉が自分から助けようとしたことを知る瞬間の鋼牙、一瞬ふっと気負いの取れた表情を見せる。
これがたまらなく好きで、これがアニメのようにもうテンション上げまくり、何が何でも漫才モードにされるとものすごく盛り下がる、私の気持ちが。

どうせ時間を稼ぐなら、火の国に行くまでの神楽と殺生丸(+邪見)の 旅の様子でも見せて欲しい。

          ☆          ☆          ☆

今回のエピソード、実は意外に原作に忠実。

台詞を足して引き伸ばさなければならないのは頭の中でわかっているけど、それを邪魔と思ってしまうのは私が悪い。
テンポが悪くて間延びした感じになってしまったし。
洞窟に入る前に天生牙が騒ぐのに気づかず、原作どおりに闘鬼神を抜き放つ殺生丸にはめげた。
何のためにオリジナルを入れたか→扉を通るのに天生牙が必要だから→殺生丸は気づけない→ここで気づいてしまったら話が早く進み過ぎるし、何より原作と異なる→ではなぜこんなオリジナルを入れた?殺生丸がいかにも鈍感に見える失敗。
逆に奈落の底に?落ちた犬夜叉を描くオリジナルは良かったと素直に思う。
ところが後半、殺生丸が麗しの牛頭馬頭と戦闘、犬夜叉たちに合流するあたりから「おっ?」と思わず座り直した。
私は殺生丸自身が奈落に体当たりを食わせるのかと思っていたが、最初になにやら投げつけたらしい、殺生丸ビーム?

しかも奈落を無視してその前素通り、犬夜叉拳骨原作通りなのになぜか笑える、何かが違う。
「待たせたな、奈落。」(殺生丸の心の声)が口では「下衆が・・・」となってしまう素直になれない殺生丸。

そして始まる静かな気取りっ子決戦。
今回好印象に残ったのは牛頭馬頭&宝仙鬼だった。
予告も豪華。

今見ているコナンに日暮かごめの雪野五月さんがご出演。
雪野さんは高山みなみさんや山崎和佳奈さんと今まで共演されたことがあるのだろうか。
高橋留美子劇場、サイボーグ009、そして今回、やっぱり雪野さんの声は素敵。
かごめだけが馴染めない自分が悲しい。

 (2004年6月14日の日記) 
すごく楽しめた
アニメ第157回放送2004年6月21日
「奈落を貫け金剛槍破」

原作少年サンデー2003年8月6日(36,37合併号)第324話「試される資 格」
原作少年サンデー2003年8月20日(38号)第325話「金剛槍破」
原作少年サンデー2003年8月27日(39号)第326話「帰還」

     ☆     ☆     ☆

今週はタイトルの前に「極限の剣圧全力鉄砕牙!」がつく。
まとも過ぎて突っ込みどころがないのがかえって寂しい。

          ☆          ☆          ☆

きのう届いたメールに考察日記の感想を書いていた だいたのだが、その中に「最近犬夜叉のアニメを観るのが辛そうに感じられたので」とあり、心にぐさっと突き刺さった。
そしてふっと気が抜け、すとんと気持ちが楽になった。

アニメのノリについていけないのは私、それでもなんとか自分を納得させようと構えていたような気がする。
もっと素直に見たらいいじゃない、そんな風にやっと思えた。
言い方は悪いが生真面目にアニメと向き合ったところで人生が変わるわけじゃない。

今日のアニメ、最初に犬夜叉が宝仙鬼を斬ろうとし、最後にかごめが奈落 を射抜くまでの部分を原作の倍以上のボリュームで描き抜く。
それを予感させる山口さんの渾身の「金剛槍破!!」タイトルコール。

まずは奈落を斬るのに「ふんっ」と鼻息荒い?殺生丸。
殺生丸は移動するにも何をするにもあまり力の入らない優雅な動きをする人だと思うが、アニメではいちいち岩だの何だのに飛び移ったり息遣いが聞こえたり、すごく人間ぽいというか、普通の妖怪っぽい感じ。

闘鬼神を振るうにもいちいち山を砕き山を砕き(2度も砕く)、それから剣圧がやっと奈落に届く。
「この殺生丸はこんなにも凄いんだぞ!」とアピールしたい殺生丸、笑える。
おまけに奈落はお疲れらしくて目の下隈男、アニメの奈落vs殺生丸のねっ とり対決、実は好き。

一方忘れられた犬夜叉、宝仙鬼が「このままではまもなく・・・」と語り始めるところ、大きな雲母が登場していた。
原作ではこの時は紛れてしまって見えないので、ここはすごくいい感じ。
そして竜骨精(爆硫波)、大獄丸(赤い鉄砕牙)と懐かしの場面と共に犬夜叉の、というか鉄砕牙の成長が細かく入る。

もっと仰々しく見せないの?と思うくらい短いカットだったがかえってインパクト強かった。
あと宝仙鬼が金剛石に覆われる部分のオリジナルも良かったと思う。
関係ないが今日の犬夜叉、特に宝仙鬼と相対する場面の顔が子供っぽくてすごく可愛い。
なにげに邪見の出番も多くて楽しめた。

宝仙鬼に挑む犬夜叉からはすごい迫力、感動の場面が続く。
最初の傷が猫の髭みたいで「猫夜叉みたい。」などと思いながら見ていたが、傷が増えるとあら不思議、お兄様バージョンに大変身。
犬兄弟が刀を振るう場面を重ね合わせ、さらに「この殺生丸は甘くないわっ。」の「ないわ」の重低音に思わずときめき。
負けずに唸る犬夜叉にも寛大な微笑みをプレゼント。

後で井戸の中からも登場するこわもて奈落もやられっぷりが凄かった。
例によって「ここまでやっていいの?」と心配になるほどの顔両断体ばらばら奈落。
それでもここに至る場面の美しさは映画を見ているようだった。
もちろん犬夜叉のテーマに乗って、犬夜叉が金剛槍破を振り切る場面も鳥肌もの。

極めつけが「この殺生丸が・・・ とどめを刺してくれる!」の犬兄大見得、歌舞伎みたい。
しかも「思い上がりが命取り(オリジナル台詞)」ときた。
今日こんなに楽しめたのは、私自身の気負いが取れたこともあるかもしれないが、やはり素晴らしい作品だったからだろうと思う。

そしてなぜか無事に帰れる犬夜叉一行。
あれは牛頭馬頭の門にみんながたどり着いたのだろう。
行く時は殺生丸と邪見の2人だったのに、帰りはぞろぞろ引き連れて、さぞかし牛頭馬頭も驚いたに違いない。
また、最後に犬夜叉が父君や宝仙鬼かに想いを寄せるような表情で振り向く場面も素晴らしかった。

原作での犬夜叉一行は、中期頃から自分たち以外の妖怪や人間に対してあまり関心を持たなくなってきている。
桔梗に対してもそうだが、それ以外の登場キャラに対しても。
内容があまりに深まりすぎて、いちいち死に逝く者への同情や哀惜や、そんなものまで描き込むと話が進まないせいかと思ってはいるが。
その意味でのこの犬夜叉のオリジナルは心に響くものだった。

 (2004年6月21日の日記) 
五芒星ではなくて・・・
アニメ第158回放送2004年7月5日
「大暴走無数の妖怪ネズミ」

原作少年サンデー2003年9月3日(40号)第327話「厨子鼠」
原作少年サンデー2003年9月10日(41号)第328話「魔寄せ」

     ☆     ☆     ☆

今週の犬夜叉は「大暴走無数の妖怪ネズミ」。
新聞ではその前に「白童子最悪の厨子!」がつく。
白童子もとうとう厨子に変身したか。


先にキャストを紹介すると、悲劇の「出てきた途端やられキャラ」厨子鼠が木村雅史(まさふみ)さん。
趣味がテレビゲームに三国志?う〜ん、親近感(笑)。
男が野中秀哲さん。
このところレギュラーキャラのみで出番のなかった最強トリオは老人で西前忠久さん、香具師で田中一成さんが久々登場。
飛鳥の清水香里さん(由加)と胡蝶の増田ゆきさん(絵理)の他に、あゆみの岡本奈美さんが西前さんの孫で登場、かごめのクラスメートトリオもなにげに揃い踏み。
「小さな幸せ」まで一気に収録したのかな?

ちなみにオリキャラの香具師ってなに?
お香の道具でも作る人かしら、風流な、と思ったら物売り、行商人、興行する人と出た、香具師と書いて「やし」と読む。
よく時代劇などで出てくる「やしの元締め」は「香具師の元締め」と書くらしい。
ちなみに厨子は仏像やお経を入れておく観音扉の木の箱。

さて内容。
ある家を襲って「厨子の中に飼っている鼠」に人の肉を喰わせ、厨子鼠本体は骨だけを喰う。
人間にとっては恐ろしい妖怪だが、おもしろいのは珊瑚の台詞。
「襲うのは自分が喰う分だけで、大群で村を襲うなんて聞いたことないよ。」

この時代、この世界は人間でさえも弱肉強食の一環に過ぎなかったことを示唆する言葉。
共存のためにある程度は仕方がないけど、大群で見境なく襲うなら許せない、そんなニュアンス?興味深い。

逆に原作において非常に気になる部分もある。
6月25日の考察日記「犬夜叉の心、かごめの想い」で書いたばかりだが、基本的に私は「恋愛は理屈じゃない」と思っているから、かごめが桔梗のことを受け入れながらも嫉妬したりするのはどうこう思わない。
また七宝がとことんかごめ寄りなのも、七宝の年齢やかごめとの関係を考えれば無理はないと思っている。

その私でさえ「えっ?」と思ったのが第327話「厨子鼠」におけるかごめの態度と周りの雰囲気。
あの世とこの世の境から帰ってきて、犬夜叉は1人桔梗に矢を渡された木の元に向かうが、桔梗はいない。
そして戻ってきた犬夜叉に「人がせっかく気を遣って」以降の台詞、ひどく傲慢な気がする。
犬夜叉は桔梗がいたら、いたと言うだろう。

かごめはいろいろ考えたり悩んだりしているが、現在では意識しているかどうかはともかく、犬夜叉の恋人という立場なのだろう。
犬夜叉の態度を見ていると「桔梗が一番、かごめが二番」とはとても思えない。
個人的には「桔梗が一番、かごめも一番」、あるいは「かごめが一番、桔梗が二番」ではないかと思っている。

ここは七宝の言葉を含め、ギャグの意味合いのある部分かもしれないが、どうして誰も犬夜叉がこれで傷ついたとは思わないのだろう。
傷ついていないように描かれているからなんだろうな、と思う。
七宝の「昔の女に尻尾をふって」も「言わせすぎ」だと思うが、何よりもそんな七宝を誰もたしなめないのが辛い。
その前に犬夜叉が戻ってきているとはいえ、その後の「かわいそうなかごめちゃん」(珊瑚)、「心が広いと損じゃのう。」(七宝)の言葉を読んでも、たしなめるどころか同調している様子が窺える。

せめて弥勒だけでもと思うが、そんな様子はない。
この時の犬夜叉以外のキャラの態度にはどうしても共感できない。
この「かごめの辛さ」が後の「小さな幸せ」につながる伏線なのかと思いもしたが、たぶん私の中で今まで形作られたかごめのイメージが崩されるのが嫌なのだろう。
アニメのわりと普通の女の子的なかごめの心の揺れ幅には、あまり違和感を感じないので。

この鼠騒ぎの後、また似たような場面が出てきたが、これがなくては漫画が始まらないとはいえ、やはり犬夜叉の「どちらも選べない弱い心」が全ての根源にあると言えるだろう。
「優しい心」とも言えるが、結果的にかごめの「一緒にいる」の言葉に甘えてかごめを苦しめる。
桔梗が恨み言を言わないのが「漫画の」救いかも。

逆に恨み言を言わない態度が犬夜叉を今もなお引きつけているとも言えるかもしれない。
ところがいざ鼠&ナメクジ編になると、私の大好きな凛々しいかごめが登場し、私の不満を吹き飛ばしてくれる。
共感できるかごめの苦しみ、共感できないかごめの態度、それを先生の描き方と見るのは私のわがままかもしれない。
それでもかごめなら悩んでいてさえ潔いと思うのは、持ち上げすぎだろう か。

琥珀や桔梗も絡むが今日はどこまで進むのか、まずは見るまで。

          ☆          ☆          ☆

タイトルコール、「暴走する」で改行してくれたのでよかったよかったなどとのんきに構え、全裸の白童子延々姿も寛大に捉え、七宝にキャンデーはかごめの優しさのアピールか、はたまた口封じかと微笑ましく捉え、いよいよかごめの「・・・で?」が始まった。
すごい、なんか気を使った語り口、台詞は変えようなくても優しさでカバーするのかな?と思った私が馬鹿だった。

「あんたの余計な気遣い」ですか、原作よりはるかにパワーアップ、かごめ株ははるかに下がった、私の中で。
このやり取り以外は自然な感じでよかったが、残念ながら相殺できない。
以前の観音掛け軸では篠助にカップラーメン食べさせていたが、今回はペットボトルの大盤振る舞い。
ころころ転がるガイコツの大移動といい、斬られてねずみ算式に増える一つ目ネズミの大群といい、魔寄せに反応おしゃべりネズミといい、なんだか可愛く感じてしまったが、さすがに次回登場(予定)の巨大ナメクジはどうあがいても可愛いとは思えないだろう。

あとおもしろかったのが、犬夜叉七宝かごめが魔寄せの元に向かうところのかごめの(-_-)の顔がやたらと長く続き、笑えた。
そんなこんなでわりと取りとめもなく見ていたのだが、やはり緊張感があるのは琥珀と桔梗の部分。
琥珀に関しては珊瑚がらみで来週に回すが、桔梗が招霊の木の枝を「西の山中」に取りに行かせたこと。
私はこれは犬夜叉がかつて封印されていた木の枝と見ているが、だとすると今はみんな武蔵の国の東側にあることになる。
まあ「山中」ではないはずだから、こだわることではないだろう。

次、びっくりしたのが桔梗が魔寄せを施す時に五芒星ではなく星を描いていたこと。
なにか五芒星ではさしさわりがあるのだろうか。
五芒星は映画「鏡の中の夢幻城」にも登場したが。

五芒星は逆に入り込んだ魔を捕らえて封じ込め、外に出られなくする力もある。
ただ不思議なのは、私が調べた限りでは五芒星は「魔寄せ」ではなく「魔よけ」であり、招霊の木も人の「魂を呼び寄せ、供養する」ための物であり、魔を「呼ぶ」風には思えなかった。
ネズミを呼び寄せた「何か」が桔梗の霊力の賜物だったのだろうか。
それとも陰陽道などで「魔を呼び寄せ、滅する」力があるとされているのだろうか。

今回でちょうど33巻は終わり。
現在出ているのは35巻まで。
追いついては困るせいか、2話収録の丁寧な作り。
その結果が不思議な?香具師だったり七宝の爆雷筒だったりするが、まあご愛嬌だろう。
(2004年7月5日の日記) 
琥珀と珊瑚の心の絆
アニメ第159回放送2004年7月12日
「琥珀の決意と珊瑚の心」

原作少年サンデー2003年9月17日(42号)第329話「蝕まれた霊木」
原作少年サンデー2003年9月24日(43号)第330話「暴走する群れ」
原作少年サンデー2003年10月1日(44号)第331話「人の心」

     ☆     ☆     ☆

公式サイトには「白童子の放った妖怪」とあるが、実はこれは巨大ナメクジ、しかも最低5,6匹。
カラーで見たら、さぞ綺麗な色だろうなあなどと今から鳥肌立てているが、もしかしたらもうちょっと無難な妖怪に変わるかも?
声優陣もレギュラー8人のみ。
特に琥珀と珊瑚の渾身の演技に期待は大きい。

本筋に関わるエピソードには、ゲスト声優さん(妖怪、村人など)があまり出演されず、レギュラーキャラだけで話が進むことが多いが、最近は特に多い。
宝仙鬼編のように閉ざされた空間、今回のように奈落一家がらみの切り取られた空間。
これはこれで素晴らしいが、現在アニマックスで放映されている初期の「犬夜叉」のような、何が(どんなゲスト妖怪やキャラ)が出てくるかわからない、引っくり返ったおもちゃ箱みたいな時代もとても懐かしい。

シリアス路線の最近の犬夜叉はアニメでも期待大、とにかくナメクジだけは・・・、と私もちょっとしつこい(笑)。
ネズミの大群は思ったより平気だったので、もしかしたらナメクジも平気かも。
可愛いなんて思ったりして?
今回はシリアスな中にツボな台詞も多いので、すごく楽しみ。
珊瑚「法師さま、吸っといて。」(ネズミを)
七宝「・・・あれは言われて気づいた顔じゃ。」(犬夜叉が)
かごめ「的が大きいからね。」(ナメクジが)

ほっぺをネズミにかじられて、跡も残らぬ珊瑚のお肌の若さもうらやましいです、はい。

          ☆          ☆          ☆

前半、顔もすっきり話もすっきり。
回想シーンで桔梗が魔寄せをほどこすシーンが繰り返されるところを見ると、やはり意味があって五芒星ではなく星にしたのらしい。
白童子の口の中と鼠の目が同じ赤だ、などと新発見しながら見ていたが、となりのトトロかジャックと豆の木かというほどの天高くそびゆる大木、ときどき落っこちる鼠といい、妙なところで芸か細かい、というか可愛い。

鼠を「法師さま 吸っといて。」が「後はお願い。」に台詞が変わっていた。
アニメの珊瑚は原作より台詞やしぐさがが柔らかい感じに変更されていることが多く、原作よりも女らしく設定されているようである。
そしてついに登場、巨大ナメクジ(涙)。

今は亡き銀骨を思い出させるシーンもあり、色が肌色ではなく灰色のメタリックナメクジ。
白童子や犬夜叉はしっかりナメクジ踏んで立ってるので粘液どっぷりつきそうだけど、まあメタリック風味でさらさら感強調。
弥勒や珊瑚を乗せてる雲母、けっこう鼠が気になるらしく、ちらちら横目で見ているカットが原作では目立ったが、やっぱり食べたいとか思うのかな?

でも噛み砕いた分、おなかの中で増えても困るし、なんて気持ちがどんどん鳥肌方向に勝手に向かう。
ところが最後の1匹、たっぷり血と粘液が飛び散ってくれて、ひぇ〜っと心で絶叫。
オリジナルで七宝の上で足でドンドンする犬夜叉が可愛い。

ところが後半。
珊瑚と琥珀の鼠に襲われぶりがあまりの迫力で、いいのかとまたまた心配。
おまけに赤子の城での琥珀の殺戮まで再現。
その後の珊瑚との回想シーンの効果を高める意味では良かったと思うが、あまり子供向けを意識しなくなったのだろうか。

一般受けを狙うか原作に忠実に挑むか、どちらかを選ばなければならないとしたら、原作ファンとしてはありがたいが、逆に一般視聴者の反応も気になる。
つくづく私、心配性。

結果的に桔梗と犬夜叉が連携プレイで厨子を壊すが、ここは犬桔の最高の見せ場。
逆に考えると、かごめが最初から厨子の方に行っていたらと思う。
ここまで犠牲は出なかっただろう、かごめの破魔の矢で妖(あやかし)の結界を消すことができれば。
話のおもしろさとは別の部分で、最近あまりに無造作に人が死ぬ展開はちょっと気になる。

そして最後の「人の心」。
血を吐くような珊瑚の叫びも、包み込む弥勒の言葉も、ついでに包帯姿のちび雲母も、全てがツボで不覚にも涙がにじんだ。
それでもあんなに哀しく優しい琥珀の眼差しに相対しても気づいてやれない珊瑚もまた、哀しい。
珊瑚の手に手を添える弥勒のシーンのサービスつき。
その涙が一気に乾いたのが予告。
バンダナ犬夜叉可愛いけれど、テンション上げまくり200%の予感が怖い。

そして桔梗が髪をひとすじ切り取る。
先に書いてしまうと、この髪は奈落の赤子探索機?
おかげで桔梗は奈落の赤子に近づくが、さらなるピンチに追い込まれるが、それは後の話。

先日も書いたがこの後のアニメ、非常に不思議な展開に入る。
犬夜叉がかごめを追っていよいよ友達に紹介される?「小さな幸せ」、次は弥勒の昔の浮気?がとんでもないことになる「昔の過ち」。
犬夜叉かごめ、弥勒と珊瑚の恋がらみの?サイドストーリー的な意味合い。

本筋のシリアスエピソード(と七宝爆笑の宿り蛹、これは絶対見たい!)をすっ飛ばしてこちらになだれ込むその意味は?
(2004年7月12日の日記)  
アニ犬ファンのためのエピソード
アニメ第160回放送2004年7月26日
「幸せを呼ぶフタマタ暴力男」

原作少年サンデー2003年10月8日(45号)第332話「小さな幸せ」

     ☆     ☆     ☆

サンデー感想を読んでくださった方はご存知と思うが「小さな幸せ」に対する私の感想、あまり好もしいものではない。
最近テーマで取り上げた「この時期の原作のかごめの葛藤に対する私の葛藤」がピークに達した時期で、このエピソードでのかごめの心境に共感できずにいた頃だった。

同じようなサイドストーリーの「休息」は原作でベスト5をあげろと言われたら、迷いなく入れる大好きな話。
「小さな幸せ」はそうではなかった。
しかし今感想を聞かれたら、もっと違った答えが出てくると思う。
先日来考察日記や掲示板で書き続け、読み続け、考え続けてきた私なりの結論があるから。
「休息」にかなうものではないが、やはり素敵な話と言っていいと思う。

最近今まであまりお邪魔することのなかったサイトさん巡りをしていてすごく勉強になったことがある。
私がアニメで苦手な最たるものの1つに、かごめのおすわりの使い方があるが、それに対して「かわいい。」「うらやましい。」「当然の権利」「自分もやってみたい。」といったような意見をたくさん見つけた。
私に同じように思いなさいと言われても不可能な話だが、自分の意見を押し付けるだけではなく、「自分がマイナスに捉えている要素を大好きと見る人もいる。」ことを再確認できたことは大きかった。

今日のタイトル、原作の何気ない台詞を「これだ!」とばかりに強調しているが、これなら引いても罪はあるまい(1キロほど引いた・・・)。
「フタマタ」「暴力男」、ものすごいマイナスイメージの言葉で笑いを取ろうという作戦、もう怖いものはない時期なのだろうか、それが怖い。

もちろん現代で金剛槍破を使ってダイヤモンドを出しまくろうが、主役2人をとことんパワーアップしようが、おもしろければそれで良い。
実は今日のアニメ、タイトルはちょっと置いといて内容は期待している。
死ぬほどはじけても、最後にきちんとまとめてくれれば。
なにせそれがアニメなのだから、素直に思いたい。

          ☆          ☆          ☆

どうでもいいことだが「由香」っていつから「由加」になったんだっけ?などと思いつつ。
戦国時代の日暮神社の夕闇迫る風景があまりにも綺麗で、映画っぽい顔の犬夜叉と楓の会話があまりに素敵で、なんかうっとり。
「ばばあ」を取って「楓」と呼ぶ犬夜叉にときめいてもみたりして。
でも最近アニメの楓がめっきり老け込んでしまったのが気にかかる(笑)、目の描き方のせいか。

珊瑚のおすわりにも笑ってから、話は現代へ。
犬夜叉とママ、犬夜叉とじいちゃん、犬夜叉と草太の会話がオリジナルも原作もすごく新鮮で楽しめた。
いつもの犬夜叉とかごめは怖さも三割増し、テンションも三割増しだったが、回想シーンを使ってかごめの心情をよりわかりやすく表現していたように思う。

金剛槍破でダイヤが出なかったのは相手が宝仙鬼ではなかったからか、相手(妖怪)がいなかったからか、はたまた現代だからか、この解釈はおもしろい。
今後原作ではどうなるのか。
まあ原作で犬夜叉が現代でまで金剛槍破を放つことはあり得ないだろうけれど。

クラスメートと初対面(アニメでは再会)した犬夜叉の座り方、なにげに爪を隠すところなども原作どおりで、これが現実なら喋り方とか全然違うんだろうななどと思いつつ。
それにしても特攻服の話、アニメでもそのままですか(笑)。

だが最後に心に残るのは、やはり厨子を壊した後の何も言わずに去っていく桔梗の姿。
ここで犬夜叉が桔梗を追って行ったり、桔梗が恋しげに犬夜叉を見つめていたりしたら、また一悶着起こっていたのだろうか。
そうならぬために、あえて潔い桔梗の姿はやはり寂しい。
やはり犬夜叉が一番罪作り。

          ☆          ☆          ☆

「EZ!TV」にてアメリカの日本アニメブームが取り上げられました。
アニメショップには「犬夜叉」CDやカード、A-konイベント会場では犬夜叉やラムのコスプレ、爆笑です。
で、今コスプレ一番人気は「犬夜叉」。
2年前のですが「こんな感じ でした!
犬夜叉、練骨、奈落?、神楽、神無etc.笑えます。

そういえば土曜日の「ブロードキャスター」では菅さんのお遍路ニュースにも「犬夜 叉」劇伴使われてたけど、あまり政治色の強いニュースには使って欲しくないなと思いました。
(2004年7月26日の日記)

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