原作アニメ比較 10

鉄鼠登場
アニメ第91回放送2002年11月4日
「怪しい祈祷師と黒い雲母」

     ☆     ☆     ☆

今回のオリジナル、この時期乱立していたオリジナル群の中では比較的好きな作品。
「七宝の2度目の初恋は無視」との但し書き付きだが(笑)。

話自体は他愛ないが、「百鬼夜行」にも登場する「鉄鼠(てっそ)」に目をつけたところが好印象だった。
紅達のような地獄絵師がよく描いた巨大鼠の妖怪、鉄鼠。
農業中心の生活を続けてきた過去の日本において、虫害、鼠害は日照、冷害に勝るとも劣らない災害だったと書かれた本を読んだ記憶がある。

いなごや鼠が突然大発生し、通り道の田畑を食い荒らしながら移動していく、後には草1本残らない。
その恐怖は巨大鼠の比ではなかったろう。
その恐怖が形となって生まれた妖怪が鉄鼠なのだろうか。

原作でもちょっと前に厨子鼠が登場し、白童子がはた迷惑な鼠の大群をばら撒いていた。
逆に「十二国記」に登場する子供ほどの大きさほどの半獣(半鼠)半人は名を楽俊という。
「十二国記」女性読者おそらく全てに好意を寄せられる至福の存在。

人ではないという理由で虐げられたことはあるが、鼠という理由で嫌われたことはないようである。
中国には鼠の害は古来よりなかったのだろうか?
調べてみたらおもしろいかも。

内容は冒頭と最後はすっぱり切り取りたい。
せっかくかごめの看病といういいお話があったのに。
七宝のいじらしいがんばりも、「おすわり」に持っていくための流れで興ざめ。

こうめの頭がいやに大きくてアンバランスなのが気になったが、鉄鼠、七宝とこうめの関係、弥勒と犬夜叉の連携などはうまくまとめていたのではないかと思う。
それにしてもキララとクロロ、安易と言えば安易だが、三つ子の子猫が可愛かったのでそれでよしとしよう(笑)。
ところで雲母は雄なのか雌なのか、今までずっと疑問に思っていたが、果たしてどっちなのだろう?

鉄鼠は二又一成(いっせい)さん。
「めぞん一刻」の五代君、「うる星やつら」ではチビ、ついでにらんまの五寸釘。
以前聞いた話ではちびの印象が強すぎて、五代役に決まった時は非難轟々だったとか。
私はアニメめぞん、原作めぞん、アニメうる星と続いたせいか、全く違和感なかった。

むしろ二又さん=五代君というちょっと気弱な好青年を予想していたが、辻谷弥勒氏のサイトによると、「大好きな先輩」。
ってことは辻谷さんより年上・・・?
だいぶイメージが変わる。
ちなみに辻谷さんは、めぞんでは七瀬こずえの結婚相手だったとか。
全然気づかなかった。

庄屋で94話「四魂の玉を造る者」の「出雲」こと松本大さんも登場する。
収録が一緒で掛け持ちだったのかな?などと想像するのも楽しいが、スズナとセリナの亡き父も松本さんだった。
深みがあってとても気持ちいい声の方である。
庄屋役ではあまり個性も出せまいが、出雲はまさにはまり役。

こうめの白鳥由里さんは、「るろうに剣心」の燕や、「地獄先生ぬ〜べ〜」のゆきめだそう。
キャラが思い出せそうな思い出せないような・・・。
いつもの最強トリオは、西前さんは和尚、中嶋さん、田中さんが村人役で揃い踏み。
(2004年1月5日の日記)
復活した者たちの野望
アニメ第92回放送2002年11月18日
「復活した者たちの野望」

     ☆     ☆     ☆

「復活した者たちの野望」、いろいろな意味で興味深いエピソードだった。
このタイトルも好きなので、今日の日記のタイトルにもそのまま使いたいと思う。

なずな、娑蘿とおいしい役どころをこなしておられる折笠富美子(ふみこ)さん、今回も娑蘿と同じで「実はあの時見てました。」
まず最初に思ったのは、いくら裏陶が死者を蘇らせる能力を持っていたとしても、意思を持ち、生きている時と全く変わらない状態に作ることなど可能なのかということ。

桔梗は特別でその魂ゆえではなかったかと私は思う。
普段裏陶が作れるのは人形兵(自分の意思を持たぬ者、ただ生きているだけの死人)だけではないだろうか。
そんなに簡単に炎珠だ瓦丸だと作られてたらたまったものではない。
もっともだからといってこの作品を否定するものではない、割り切って見た。
桔梗との関わりを考えれば、ものすごく重いテーマだと思う、期待は大きい。

まず冒頭、死魂を失って土に返ろうとしている炎珠を桔梗が救う。
炎珠は裏陶が人形作りのために蘇らせた死人、同時にもう一人瓦丸も作られた。
瓦丸は裏陶亡き後、人形兵を使ってあちこちの城に攻め入り、殺戮を繰り返している(らしい)。
人殺しの道具を作るのが嫌になった炎珠は瓦丸の元から逃げ出し、倒れたところを桔梗に救われたわけである。

さらにその後、炎珠は犬夜叉達に会う。
ここで入ったかごめの台詞がこの話のテーマである。
安らかに眠りたい炎珠に、かごめは「生きて」と言う。
これがアニメのスタンスなのかと思った。

死人が生きることは自然の摂理に反すること。
死魂を集めなければ生き続けることができない。
かつて桔梗はそんな自分を、「おぞましいだろう」と語ったのではなかったか。
死んだ娘の死魂を奪われることを悲しむ親が、犬夜叉達に妖怪退治を頼んだのではなかったか。
桔梗は退治されるべき妖怪としてみなされていたのである。

ずっと前に、私は桔梗はかつて「犬夜叉と共に死ぬためだけに生きている。」と書いた。
今はおそらく「奈落を滅するために」生きているのだと思う。
かごめの中に魂が戻った時、桔梗は消えるはずだった。
その土で出来た体を動かし続けたのは「怨念」だったはず。
その怨念が消えた今、桔梗を突き動かすのは「犬夜叉への想いと巫女としての使命感」だと思う。

私見だが、原作において桔梗が生き続ける結末は予想できない。
土に返るかかごめとひとつになるか、私はそのどちらかだと思っている。
死人は生きることがかなわぬ存在、その死人に生きろと言う。
安易である、あまりに安易な作りと思う。

ただ、これがアニメ版かごめの精一杯の思いやりであることは理解できる。
後に「洞窟には桔梗とかごめの二人」でも感じたが、かごめは素直に思ったことを口にしている。
生きて欲しいと思うから「生きて」と言う。
その言葉の重さに思い至らないと言えるのかもしれないが、おそらく原作では出てこない一言だろう。

原作でかごめは、瘴気に落ちた桔梗を何の迷いもなく助ける。
アニメのかごめも同じだろう。
しかしやはり何かが違う。
これがキャラの深みの問題。

また、テレビとしてはどこまでも前向きに、元気を与える番組として作る意図もあったのかもしれない。
ただ、このかごめは嫌いではない。
原作とアニメのかごめの相違として素直に見ることができた。
どちらが上ではなく、対等な相違点。

ところで裏陶を母と呼ぶ瓦丸、全くの悪でないところが興味深い。
「母者の遊びではない」と言うが、見る側には裏陶に母としての愛などなかったろうと感じさせる。
むしろ炎珠の方が見切っている。
そんな瓦丸の人の良さのようなものが感じられた。

また、犬夜叉が人間同士の戦には関わりたくないという姿勢を見せるのも好感が持てた。
戦国時代において戦の場面はあっても、ほとんどが殺生丸や雷獣兄弟らにやられて終わるだけ。
犬夜叉の立場、作者の姿勢が明確に表現されていると思う。
アニメでたまに、こんな思いがけないツボの台詞が飛び出すのは本当に嬉しい。

人形兵もあれだけ揃うとやたらと可愛いが、「母の秘術」の巨大鬼はいらんだろって(笑)。
しかも出た瞬間、瓦丸と一緒に鉄砕牙の餌食に、あっけないし情けない・・・。
その前に作れないだろって、裏陶。

これだけのテーマなのだから、何回かに分けてもっと深く掘り下げて描いて欲しかったと思う。
本当にもったいない。
ただ、この後にやはり重厚なテーマの「四魂の玉を造る者」が控えていたからだろうか。
「四魂のー」は今作ってもいいような気がするオリジナル。

戦いは終わり、犬夜叉達は旅を続ける、四魂のかけらを求めて。
桔梗も旅を続ける、奈落を追って。
炎珠だけが取り残される、死魂にすがって。
死人は人間と長く関わることが出来ないことは「桔梗の闇」でも書いた。

炎珠は何のために生き続けるのか、目的などない。
かごめが「生きて」と言ったからとりあえず生きてみる、そんなニュアンス。
その言葉の責任はあまりに重い。
しかもオリジナルであるだけに、かごめが将来この言葉の責任を取る必要はない。
いやもしかしたらいつか再会して、「元気〜?」なんていうオリジナルが作られるかもしれないが・・・。

アニメオリジナルで尻切れトンボのようなエピソードではあるが、私は好きだ。
七宝も最高だったし、いろいろ考える機会を得たという意味で。

炎珠というキャラはとても魅力的。
作画は荒木英樹さん、時おりかごめや炎珠のアップがドキッとするほど綺麗だった。
瓦丸は佐々木 誠二さん。
アニメ「十二国記」の「靖共」だったりする。(笑)
低音が魅力的な朗々たる声の方で、小悪党も佐々木さんの声で聞くとすごい大物に見えてくるから不思議。

裏陶の太田淑子さんは残念ながら回想シーンのみ。
西前さんは家来(とたぶん巨大鬼)でご出演。
他に田島康成さんと大林洋平さんも家来として登場する。
(2004年1月10日の日記)  
他愛ないけどおもしろい
アニメ第93回放送2002年11月25日
「出没する謎の助平法師」

     ☆     ☆     ☆

どんなおかしなタイトルでも大真面目に読み上げる山口さんにまずひと笑いした後、珍しく珊瑚の語りが入る。
弥勒メインで意外に新鮮、いい感じ。

今回は辻谷さんの実に楽しそうな二役ぶりと、八衛門狸の魅力?をただただ楽しむ25分。
他愛もないが嫌味もなく、とてもおもしろかった。
弥勒と共に素直に逃げる犬夜叉、「謎は全て解けました。」となにげに金田一弥勒と化した決め台詞。
七宝節も炸裂、全体的に言葉のやり取りがことごとくツボにハマってこれも楽しい、絵も綺麗。
カンカンカンカン(半鐘の音)、「弥勒が出たぞーっ!」にはもう爆笑。

弥勒と珊瑚の関係は、「珊瑚目指してオンリーユー」から完全に捉えたなと思った。
ひとつだけ気になったのが、七宝のワンダースワン。
前にも書いたが原作では絶対出ないだろう現代グッズの代表格、安易に出されると非常に気になる。

弥勒の本質的な力と魅力があってこそ、ニセ弥勒、ハチ弥勒いえたぬき弥勒も引き立つというもの。
「誠心誠意弥勒の真似したら弥勒よりもてた」のは「無欲の勝利」(笑)。
そういえば「Xファイル」でもモルダーの偽者の方がスカリーの心を開いてついでに口説き落としてモルダーが落ち込むシーンがあったな、と思い出し笑い。

ついでにニセ弥勒が洞窟をのぞく場面がドアスコープからのぞいてようになっている。
ここでもスカリー宅を訪問したモルダーをスカリーがのぞくところを思い出した。
最後のダブル弥勒のその場走りはルパンのまねっこ?

こういったお笑い系のオリジナルで楽しめたのは意外に少なく、この時点では蒼天編と生姜編くらい?
やりすぎず嫌味なく、会話など脚本がしっかりしていればオリジナルでも十分楽しめる物ができるということを証明した作品となったのではないかと思う。

今回は登場する声優陣にも興味津々。
いたち妖怪の龍田直樹さんはウルトラマンシリーズのレギュラー声優さんだったようで、「となりのトトロ」でもお名前を見かけたことがある。
竹村こと藤本隆行さんは、前に妖狼族でご出演済み。
娘役の市川あゆ美さんは残念ながらデータを見つけることができなかったが、女役でかごめのママこと百々麻子さん、あゆみの岡本奈々さんが現代から出張してくる。
松村は西前さん、梅村は田中さんで、ニセ弥勒の八衛門中嶋たぬきと揃い踏み。

そして何といっても気になるのが、竹村こと河相智哉さん。
「サイボーグ009」のミノタウロスである。
009も犬夜叉と掛け持ち声優さんがとても多くて楽しい番組。

009が竜骨精こと井上和彦さんだったし(私は櫻井孝宏さんしか知らないが)、003の雪野五月さんは、こちらではとても凛々しいながらも深みのある演技をおられた。
大塚明夫さん(005)はご存知犬父、茶風林さん(006)と長島雄一さん(007)は怪奇透明妖怪と邪見。
蜘蛛頭の麦人さんはギルモア博士だった。

河相智哉さんが出演されているミノタウルス編では、信長&犬狼真君の石田彰さんがアポロン、コナン&梨耀の高山みなみさんがアルテミス(犬夜叉とは関係ないけど)、狼野干の梁田清之さんがポセイドンを演じておられた。

九十九の蝦蟇次郎の立木文彦さんなどのお名前を見かけた記憶もあるが、どんな役なのか忘れてしまった。
他にも「十二国記」「コナン」などとリンクしていらっしゃる声優さんは多く、同じ人と違う役をこなしたり、楽しいだろうなあと思うこともあるが、それだけトップの少ない厳しい世界なのだろう。
辻谷耕史さんの日記など読んでいるとつくづく思う。

ちなみに竹村だの梅村だのはニセ弥勒が訪れた村の名前。
西前さんは松村に住む村人という意味である、松竹梅で意味なくめでたいネーミング。
(2004年1月11日の日記)  
四魂の玉を造る者 〜出雲
アニメ第94回放送2002年12月2日
「四魂の玉を造る者(前編)」

     ☆     ☆     ☆

「一番好き」ではなく、「一番印象に残る」エピソードはと聞かれたら、迷わずこの「四魂の玉を造る者(前編)」に一票を投じたい私。
先日の「復活した者たちの野望」と共に、原作を越えたテーマに挑んだ力作として期待も大きかった。
前後編に分かれているので、今回は前編を見た時点での感想を書いてみたい。

公家様みたいな格好で登場する出雲だが、最初から翠子の木乃伊(ミイラ)に会ったりして怪しい雰囲気を漂わせている。
ただこの洞窟には入れたということは、アニメ設定だが、結界に拒まれなかったということ。
悪役を予想させながら、単なる悪ではないことを感じさせる。

冒頭部分、相も変わらず余裕のない犬夜叉に七宝が放った一言、「もう少し大人になるんじゃ、犬夜叉。」
これには爆笑だった。
七宝の一言は最近ちょっと行き過ぎ感が否めないが、この時期は「賢いながらも余計な一言」が絶好調だった時期。
何度見ても笑ってしまう。

宮司であり、学者である出雲は四魂を研究していると犬夜叉達に話すが、弥勒とペアの?ピアスがおしゃれ。
時々鼻が黒いけど(特に横顔)。
かごめ達が出会った神社は「国造りの神を祀る」神社だから来てみたと言うが、「国造りの神」とは大国主命(オオクニヌシノミコト)を指し、有名な出雲大社の主神である。

当然「出雲」の名前がここからつけられたことになる。
こういった細かい設定がきちんとしているのでとても嬉しい。
また、出雲が珍しく(現代グッズ)ペットボトルに反応している場面もおもしろかった。
ちょっと前のアニメ「観音掛け軸」では、篠助が何の迷いもなくカップラーメンを食べていたが、あの場面と比較しても好もしいのはこっちだろう。

前編のかごめが非常に落ち着いているのも好感が持てる。
まじめなテーマなだけにまじめに描いたのだろうが、「この時代でこういうこと考える人って初めてだからちょっと感動。」という台詞もオリジナルとしては秀逸だと思った。
「出雲の優しい四魂講座」も良かった。

出雲の次に小助を救った犬夜叉達はニセの四魂の玉を埋め込んだオロチ太夫たちに襲われる。
ここで弥勒が風穴を開き、玉の瘴気に毒されるが、四魂の玉の気配を見抜くかごめ、「穢れた気配」とは言っていない。
偽物だから気配がかすかとは何度も言うが。
睡骨編でも穢れた玉は穢れたものとして見抜いていたはず、ここがちょっと惜しかった。
また、ニセの四魂の玉でかごめの破魔の矢を打ち砕くのもどうかと思うが・・・。

ニセ水神その2、九十九の蝦蟇その2が出る意味がよくわからなかったが、魂の保存係と考えれば、蝦蟇次郎は納得できる。
ただ蛾天丸と蛾羅丸のように、何らかのつながりは持たせるべきだったろう。
せめて敵討ちくらいの一言は欲しかった。
もちろんあまり入り込んで、肝心の出雲があいまいになっては困るが。

さらにニセ水神はもともと水神の眷属だったはず。
神器を得てあのような姿と妖力を得たが、そんなにごろごろいるものではないだろう。
せめてオロチ太夫だけでもオリジナルにして欲しかったと思う。

なにげに「巨大化即退治」の法則が見られるが(笑)、5人の役割分担がきちんとしているのには好感が持てた。
原作ものだと2人しか話さないところ、まんべんなく5人台詞を入れたり、別行動を付け加えたりするのをくどく感じる。
オリジナルだと最初からそれぞれに役割を持たせることができる。
これがオリジナルの強みだろうが、それを生かしているオリジナルはこれも少ないような気がする。

また、弥勒が「むやみに村を襲えば、妖怪退治に乗り出されることを妖怪だって知っているはず。」と言っているが、犬夜叉の世界観、人間と妖怪が共存できるわけを見事に言い表わした言葉だと思う。
結局小助と出雲がさらわれ、牛王が登場するのだが、牛王に関しては後編で書きたい。
「人の魂も磨かなければただの石ころ」発言が気になるところだが・・・。

私の一押しゲストキャラの出雲は松本大(ひろし)さん。
出雲は豊かな感受性と優しい心の持ち主であるだけに、その悲劇があまりに切ない。
単なる悪になりきらない悲劇のヒールとして最高得点つけたいところ。
松本さんは、前にも書いたが、スズナとセリナの父親であり、黒い雲母の庄屋さん。

オロチ太夫の中村大樹さんは横山光輝「三国志」の劉備。
九十九の蝦蟇次郎の立木文彦さんは辻谷弥勒氏のサイトでもおなじみの方。
小助の若林直美さんは、アニメ「十二国記」の鈴。
西前さんは牙猿、田中さんが子助の父でご出演。

     ☆     ☆     ☆

今頃、と笑われそうだが、去年の「世界ふしぎ発見!」でアーネスト・サトウを取り 上げていた。
これでもまたまた「犬夜叉」劇伴使いまくり!
どなたのサイトだったか、和田先生のファンの方が、犬夜叉の曲をあまりあちこちで使って欲しくないと嘆いておられたが、私は嬉しく感じる方なのでびっくりしてしまった。

もちろん許可を得て使っているのだろうが、ご本人(この場合は和田先生)が、使ってもらって宣伝になって喜ばれるか、使って欲しくないと思われるのかにかかっているのだろう。
人によっていろいろな感じ方をするんだなあと思った次第。
 (2004年1月14日の日記) 
四魂の玉を造る者 〜半妖
アニメ第95回放送2002年12月9日
「四魂の玉を造る者(後編)」

     ☆     ☆     ☆

出雲とかごめがさらわれた形になって始まる後編。
土足で?歩いているかごめに突っ込んだ後は(笑)、2人の会話に興味津々 (途中からはちゃんと靴脱いでいたけれど)。
ものすごくまじめな話をしているのにどこかピントのずれている出雲と、どこまでも普通人のかごめの会話の微妙なズレがなんだかおかしい。

その間、ひたすら妖怪と戦い続ける犬夜叉と弥勒達。
なにげに弥勒と珊瑚の間接キスのサービスつきでどんどん引き込まれていく。
さて今回は四魂を5人で振り分けるのに「勇」=犬夜叉、「智」=弥勒、「愛」=珊瑚、「親」=七宝にしていた。
あれっ、かごめは?霊力使用?

それはともかく他の4人は今までで一番納得できる振り分け方ではある。
半妖「牛王」の正体を現し、牛王はかごめの魂を怒りに高ぶらせ、穢そうとする。
ここで第三の「また出た妖怪」屍舞烏登場・・・。

かごめの魂を穢し、曲霊(まがつひ)にしようとする、あの犬夜叉封印の日、奈落が桔梗に試みた手法の再現。
犬夜叉を憎みきれなかった桔梗は死を選び、かごめは立派な戦士となる。

まずはここまでの部分。
私は見たことがないが、「らんま1/2」に「パンスト太郎」なるキャラが出たことがあり、それが牛王とかなり被るらしい。
それだけにパンスト太郎を知っている視聴者からは感情移入しづらいとかなりクレームがついたという話をどこでだったか読んだことがある。

確かに犬夜叉も半妖だが、少なくとも人間の恋の対象になり得る顔であり、姿である。 犬耳なども「可愛い」と言われる幸せ者。
それに対し、牛王はその醜さで犬夜叉以上の苦しみを背負って生きてきた。
仮に妖犬化した犬夜叉が牛王のようになったらかごめの想いはどうなっただろう。
そのキャラクター像としてあのような姿になったのだろうが、もう少し「見た目の怖さ」にこだわったキャラにして欲しかったなという気持ちはある。

それにしても犬夜叉の父君、出雲の母、地念児の父と、妖力が強い=妖怪としてのレベルが高いから人間の形に化けることができるのだろう。
人間に恋をして子供を作るのはいいが、生まれる子供は人にもなれず、妖怪にも受け入れられず、生まれた時から重荷を背負わされて生きていくことになる。

国籍や人種の違う人間同士の結婚とは比べ物にならない、命がけの差別の戦いであることが察しられる。
おまけに子供が生まれても妖怪と人間が一緒に暮らす例は極めて少ないようである。
そんな世界に風穴を開けたのが犬夜叉とかごめの存在だろう。
生前の桔梗でさえ、犬夜叉の人間になりたいという想いを受け入れている。
かごめはそもそもそのような意識がない、生きる時代の違いか性格の差か。

ただこの親の立場から見た異種族同士の恋愛、子供への見方などを原作でも少し掘り下げて欲しいと思う。
話がそれたが、ほとんど最後まで出雲とかごめの会話が中心だが、かごめの言葉には「炎珠」の時と同じきれいごと観を感じてしまった、残念ながら。
「牛王の姿をしていても、心は出雲でいられるはず」、そうだろうか。
仮にかごめが最初に出雲に会い、半妖としての姿を見て恋することはできるだろうか。

悪い癖だが、これを原作で想像してしまう。
たぶん、たぶんだがかごめは正論を吐きはしない、そんな気がする。
満たされた者に正しいことを言われて、それで納得できるほど出雲の葛藤は軽くはない、そう思うから。
原作かごめは心で癒す、そんな気がする。

アニメで最後、出雲の惨めな死に様を見てかごめは何も言えない、当然だろう。
だがもしこれが原作で描かれていたら、出雲には救いがあったのではないかという気がする。
何のための出雲か、何のためのテーマか、これほど掴みにくいオリジナルは初めて。

オンタイムで見た時は、また別の感想を持ったことを覚えている。
半年後に見たらまた違う感想を持つだろう。
ずっと続いた出雲への説得よりも、犬夜叉の「だからなんだってんだ、甘えんな!」の一喝の方がよっぽど心に響いてきた。

ただしアニメのかごめはこれでいいと思う。
かごめはかごめなりに精一杯やっている、そこは素直に評価したい。
このオリジナルがどのように評価されたか、興味を持って調べてみたが、意外に反応がなかったような気がする。
妖怪3体再登場が、見る前からこの作品に対する先入観を与えていたようにも思えた。
当時あちこちで見かけたように、パンスト太郎似の牛王に感情移入し辛かったこともあるかもしれない₀
また、地味と言えば地味と言えるかもしれない。

だから当時で「可もなく不可もなく」といった印象が強かったように思えた。
でも私にとっては、最初に書いたとおり、「思い入れのあるエピソード」としてベスト3には入ると思う。

「アニメ」として表現の限界はあるが、「犬夜叉」のテーマはどこまでも深く、どこまでもシリアス。
そこの部分と「アニメ」の差が、広がれば広がるほどこちらも葛藤は感じるが、それでもアニメとは真正面から向かい合いたいと思っている。
 (2004年1月19日の日記) 
長島邪見は大歓迎!
アニメ第96回放送2003年1月13日
「病気になったあの邪見」

     ☆     ☆     ☆

この回からOPにEvery Little Thingの「Grip!」 が登場する。
いきなり画面に七人隊が現れ、当時の七人隊への期待感が一気に蘇り、甘酸っぱい想いがこみ上げてきた。
最近「犬夜叉」愛が停滞気味なので、とても嬉しい。
もう一度あの頃のエネルギーを爆発させたい!そんな気分。

同時にこの頃鋼牙が出てるのが当然だと思ってたんだよなあとちょっぴり寂しい気分にもなった。
先日のWHFでも鋼牙グッズは1点もなし、カレンダーなし、映画も出番なし。
「I am」のOPテープ集でも見ようかな・・・。
あの犬夜叉vs鋼牙の戦闘シーンはスピード感あふれてて最高に好き。

と期待あふれて見始めた、はずだった。
邪見も好きだし、長島さんのアドリブが堪能できるかなあなどと思ってたし。

今回のベスト3は邪見、りん、地念児母。
申し訳ないがワーストは殺生丸、かごめというよりこの2人の扱い。
りん危機一髪もちょっと多すぎ。
犬も喰わない兄弟喧嘩もあまりに軽すぎ。

地念児とかごめの物語はアニメでも大好きだった。
それを今回最後に一気にぶち壊してくれた、それが悲しい。
かごめの暖かさ、柔らかさ、奥行きの深さ、選ばれた者としての存在感、何もかもが一切感じられない。

映画の感想でも書いたが、アニメのかごめは真夏のギラギラ照りつける太陽のイメージ。
とても地念児の言う暖かさなど感じられない、それが辛い。

犬夜叉とかごめの2人の「ごくごく普通の気の強い男の子と女の子」と捉えればそんなに違和感ないだろうが、やはり原作の2人とは違う2人がここにいる。
なぜいきなり犬夜叉が出てきたかと言うと、殺生丸との(一応)死闘で、「殺しやがれ!」といった投げやりな態度を見せる部分。
生きるか死ぬかの瀬戸際もあまりに軽い、殺生丸の言葉を借りれば「全てが軽〜い!」。

ここ数回のオリジナルが私の中で好感度が高かっただけに残念でならない。

最初に怒りをぶちまけてしまったが、今度は96回目にして初めて最猛勝の性別が明かされる(アニメのみ)などおもしろかった部分を書いてみたい。
毒針を持ち、一度刺すと死んでしまう、その実体は「雌」だった(笑)。
邪見の一人芝居も大笑い、りんの健気な活躍も感動した。

最初から阿吽に乗れば?などという突っ込みは止めておこう。
千年草といえば、それを使ったお茶が害があるというニュースがあったが、ここでは「妖怪に効く」と地念児の母が説明していた。
この地念児母も私は大好きなキャラなので再登場は大歓迎。

地念児は同じ半妖でも、日中人間になって夜には元に戻るらしい。
この地念児、りんがかごめに似ていると何度も言うが、私が思う地念児ならそんな女の子が危ない目に会おうとしていたらついて行くだろう。

人間になって臆病といってもあの日以来地念児の中にはある強さが生まれていたと思う。
最後のあの子なら大丈夫と言った言葉はつじつま合わせのようでちょっと聞き苦しい。
ただこの部分は私が厳しすぎ、地念児に期待しすぎの感想かもしれない。

今回から「犬夜叉のツボ」も第2弾に入り、七宝コーナーは準備中のまま終わってしまったらしい(笑)。
 (2004年2月2日の日記) 
珊瑚と雲母の心の絆
アニメ第97回放送2003年1月20日
「帰ってこない雲母」

     ☆     ☆     ☆

「いかにもアニメらしいアニメ」の代表作品。
チビ犬、チビ弥勒に続いてチビ珊瑚が登場。
いかにも可愛らしくて、将来の琥珀や奈落がらみの悲惨な体験、弥勒との恋などはる か先のことだった頃。

もうひとつは珊瑚と雲母の心の絆。
良かった部分はこの2つだけ。

それでも最初は良かったと思う。
珍しく「珊瑚のテーマ」で始まり、水を汲み、薪を拾い、焚き火を燃やして魚を焼 く。
それぞれが役割分担してさりげない日常生活が描かれる。

そこで雲母の失踪。
ここでため息出たのが七宝。
七宝の「鋭い一言、余計な突っ込み」は、やはり子供らしい可愛さから突然飛び出す からいいのであって、笑って済まされる。
それをこんなあら探しの、揚げ足取りの塊のような七宝に仕立ててしまった。

次にかごめ。
私の思うかごめなら、1度戻って雲母をみんなの所まで返すだろう。
かごめにとってたいした手間ではない。
何よりもここを見て「やっぱりね。」と思ってしまった自分が哀しい。
いかにもアニメのかごめらしいシーン。

せっかく祖父の誕生日を思い出し、帰ろうとする優しさを見せるのに、それが台無 し。
それになぜこっそり帰ろうとするのだろう。
犬夜叉に文句言われるから?テストのように。

肉親に対する気遣いにまで文句を言う犬夜叉だと思っているからだろうか。
実際にアニメの犬夜叉設定はそうなのだろうか。

犬夜叉の実際に風の傷を放つのはどうかと思うが、少なくとも犬夜叉の気持ちはまじ めだし、弥勒に至ってはくだらなすぎて言うべき言葉もない。
残念ながら今回のオリジナルでは悪い面でのアニメらしさが吹き出してしまったよう に思う。

どっかで見たような(三猿)ゴリラのような一つ目妖怪が登場するが、これは猿では なく狒狒妖怪。
もしかしてこの妖怪の白バージョンが奈落の着物?
でもあれはちゃんと目が2つあったよね、などと余計なことばかり考えてしまう。

でも、この森が縄張りであり、餌は少ないのにそこから出る気配がないこの妖怪。
以前弥勒の言葉でもあったが、人間と妖怪が共存するための基本的なルールはしっか り把握されているように思え、好感が持てる。

目が点になるほどの弥勒の解説を聞きながら、気になるのは雲母の性別、年齢、声優 さん。(笑)
最後に雲母は無事戻り、七宝はお灸をすえられる。
これは七宝にとって必要なこと、増長しすぎは問題だろう。
それにしてもなぜこんな話が出来上がってしまったのか、珊瑚の部分だけ編集してお いて、できれば後は観たくない寂しい作品となってしまった。

父親の田中正彦さん、時々出てきてはおいしい役どころをこなしておられるが、海外 ドラマの吹き替えも多いらしい。
ある「三国志」ドラマでは孫策と呂蒙の二役をされたらしい。
狒狒妖怪の花田光さんは、桃果人編で村人を演じられていた方。
この方も海外ドラマの吹き替えが多い。

娘役で佐藤利奈さんと柳沢真由美さん、おばさん役で京井幸さんもご出演。
 (2004年2月5日の日記)
力で救う 心で癒す
アニメ第98回放送2003年1月27日
「洞窟には桔梗とかごめの二人だけ」

       ☆     ☆     ☆

原作派の私には原作を越えて、それも原作からかけ離れたキャラで作られるのが、一番 抵抗がある。
特にかごめと桔梗の関係は犬夜叉とかごめ、犬夜叉と桔梗の関係とは比べ物にならな いくらい微妙で複雑。
そこにあえて踏み込むからには、それなりの気合い?覚悟があるだろうがとハラハラ ドキドキしながら見ていた。

実は原作でも、この後でかごめが奈落の瘴気でやられた桔梗を救う話が出た。
それを読んでから見ると、当時とはまた違った感想が出てきたように思う。

このエピソードを作る時、アニメスタッフが高橋先生に「かごめと桔梗のこれから」 をリサーチしに行かれたのかと思ったくらい、形としては後に出た原作とそっくりだっ た。
最終的にかごめと桔梗の和解は想像できるが。 今回、かごめは倒れた桔梗を救い、力を合わせて妖怪を退治する。
それがかごめの力ではなく、2人の心とした部分、秀逸だったと思う。

基本は同じ、ただし描き方は全く違う。
アニメの描き方が好きか苦手かと聞かれたら、私は後者。
ただ、このテーマにあえて挑んでこのような形で作られた姿勢は素直に評価したい。

まず山口さんのいやに緊張した(笑)「洞窟には桔梗とかごめの二人だけ」に思わず 笑ってしまった。
あったな、「出会った場所に」とか「かごめの声と」とか3人が絡んだドシリアスな エピソードになると必ず出てくるこの口調。
いい人だ、山口さん。

泣いてた女の子は釘宮理恵さん、「十二国記」のチビ泰麒。
今回唯一のゲスト声優さんだったりする。
なんせ妖怪しゃべらないから、西前さんも出番なし。

ここで桔梗が「おい」ときた。
前に蛮骨と会った時と同じ口調。
泣いてる女の子にそれはないだろうとまず突っ込み。

ただ「巫女封じの妖怪」のアイデアは良かったと思う。
当時、どこかの掲示板で「今まで誰も気づかなかったのはおかしい。」と書かれてあ るのを見つけたが、生前の桔梗は別に妖怪退治で全国を回っていたわけではない。
頼まれれば妖怪退治もしただろうが、今まで名前は知ってても見たことなかったとい う説定はおかしくはない。

むしろ奈落が気づかなくて良かったね、って感じ?
さて、桔梗が洞窟に取り込まれたところでこちらはかごめ。

「私があんたに『おすわり』連発してあげたいよ。
思いっきりドス効かせてね。」
小心者の私らしくもなく、思わず心に呟いたほどの悪印象。

原作かごめ、というより私ならカレーは作らないよ。
そういう思いやりのない子じゃないと思うのは見る側だけ?
何のための言霊の念珠なのか、アニメの解釈理解に苦しむ。
かごめが1人で仲間と離れる口実を作るためとはいえひどすぎると思う。

犬夜叉が可哀そう?いえかごめが可哀そう。
まあそうして1人になったかごめは、四魂のかけらの気配を感じても、仲間には知ら せず、桔梗と共に洞窟に囚われる。
ここで不思議なのが、桔梗は死魂を奪われて苦しむ。
妖怪が奪うのは霊力であって、死魂は関係ないんじゃ?
普通の巫女でも霊力取られて普通の人間になってしまうだけなんじゃ、でも洞窟から 出られないから死ぬことにはなるんだろうけど。

かごめが影響受けないのは魂の大きさなのかなんなのか、ここで思い出すのが「RP G犬夜叉」。
奈落が妖怪達を戦わせて自分の体を作った「蠱毒の術」を使った時、ゲームオリジナ ルで桔梗がかごめをお使いに出してたな。

この時はかごめは素直に1人で封印を解きに行ったっけ。
ここで「なんでも私におしつけないで!」はオリジナルの台詞としては嬉しい驚き だった。
これは原作では出てこない言葉だろう。

でも桔梗の「1人で行け。」というのは「1人で奥に行って退治してきて。」という ことだったりする、実は。(笑)
かごめは桔梗を連れてさらなる危険な場所であり、唯一助かる道でもある中心部に進 む。

私には「のろけ」にしか聞こえなかったが、なんかこの辺、笑わせようとしているの か変な感じ。
桔梗のため息は景麒なみ。(十二国記)
四魂のかけらをわざわざ落とすが、興味なさげな妖怪、ありがたいことに。
四魂のかけらをもらってパワーアップするわけでもないらしい。(笑)

こういった時のかごめはちょっと苦手でこればかりはどうしようもないのだが、最後 に「2人の力を合わせて」の部分、最初に書いた素晴らしい部分。
しかし、いざ原作のかごめが桔梗を癒すところはどうするんだろ。
何もなかったかのように原作どおりに作るのか、回想シーンなど使って「あの時と同 じ」で作るのか、ある意味怖い。

もう一つ不思議だったのが、かごめの匂いが途中で途切れただろうに、桔梗の匂いも しただろうに全く気づかぬ犬夜叉。
とりあえず桔梗はかごめを少し受け入れたような形になり、2人は別れる。
いいのか?ここまで行っちゃって。

最後の最後、かごめは桔梗のことを口にせず、犬夜叉と腕を組む。
オリジナルで、犬夜叉が2人の和解?を知るわけにはいかないからだろうが、ここも 少し嫌だった。
まるで今回のエピソードに文句があるような書き方をしてしまったが、描き方はとも かく、スタッフの姿勢は感じた。
そこで結論。

アニメのかごめは力で救い、原作かごめは心で癒す。
どっちが好きかは言わずもがな。

次回は「鋼牙と殺生丸の笑える遭遇」じゃなかった「危険な遭遇」。
予告で銀太と白角も登場していた。
(2004年2月6日の日記)  
鋼牙と殺生丸の危険な?遭遇
アニメ第99回放送2003年2月3日
「鋼牙と殺生丸の危険な遭遇」

       ☆     ☆     ☆

怒涛のオリジナルも終盤にさしかかって、これまでタブーとされていた?課題が一気に噴出してきたようである。
オンタイムで見た当時も同じように書いたが、妖狼族の人喰い問題、妖狼族とりんの関係などが原作で触れていない分、いかにもアニメ的な決着を見せる。

「原作でやるべきこと」、「原作ではもうやり得ないこと」、そして「原作でまだやっていないこと」が今回、前回の「洞窟の中ー」、そして次回の「悪夢の真実ー」で、次々に飛び出してくる。
今回は、りんのトラウマに関して、自分を「殺した」者に再び出会うという恐怖を、簡単に捉え過ぎているきらいはあるが、「今は殺生丸(と邪見)がいるから」とそつなくまとめているのは良かったと思う。

ここでも出てくる妖怪の縄張り意識、無意味な戦いはしないという殺生丸や鋼牙の基本的なスタンスも良かったが、正直そのこと言うのにここまで仰々しく作らなくても、と思った。
逆にりんの問題を取り上げるなら、ギャグタッチにしないでシリアスにまとめ上げて欲しかった。
何より下っ端の喧嘩にしゃしゃり出てくる殺生丸、雄弁な殺生丸、鋼牙より遅い殺生丸、雑魚相手に渾身の力を振り絞る殺生丸・・・。
そして犬夜叉あまりにお子ちゃま。

これは私が鋼牙びいきなだけではあるまいが、鋼牙はアニメと原作の差がほとんどない。
それに比べてあまりにお子ちゃまな犬夜叉。
なぜ?多用するおすわりのため?
犬夜叉が成長すれば、おすわり使えなくなるから?

あれだけ理不尽におすわりされて、怒りもしない犬夜叉がむしろ哀しい。
今回は鋼牙と犬夜叉がセットなだけに、アニメの2人の違いが余計に目立ってしまったような気がする。
銀太と白角もスパイス程度に出てくるから楽しいんであって、あそこまでされるとなんだかなあと思ってしまう。

それでも松野さんの鋼牙ボイスがふんだんに聞けたという点では最高に楽しめた。
最後の鋼牙のテーマもテレビでは久しぶりだったし。
村長役で中嶋さん、妖怪×2は西前さんと田中さんで最強トリオも揃い踏み

最初に書いたとおり、今までの諸問題にアニメなりのやり方で一気にかたをつけたアニメスタッフの姿勢は高く評価したい。
次回の「悪夢の真実ー」も渾身の力作となる。
渾身なのに爆笑してしまった私は一体・・・。

「鋼牙と殺生丸ー」感想は「 原作アニメ比較 6」の「竜骨精」の日記のところにも少し書いてあります。
 (2004年2月26日の日記)  
記念すべき第100話 〜史上最高の迷台詞
アニメ第100回放送2003年2月10日
「悪夢の真実 嘆きの森の戦い」

       ☆     ☆     ☆

きのう(2月10日)のアニメについて少し書きたい。
オリジナルが続き、アニメスタッフの葛藤もすごかったのではないかと思っている。
(まだ1作残ってはいるが)最後の最後、先週の「鋼牙と殺生丸 危険な遭遇」と今 週の「悪夢の真実 嘆きの森の戦い」、タイトルや内容はともかくとして、今までのアニメオリジナルとは明らかに勢いが違う。

前にも書いたが、先週は「妖狼族の人喰い問題」を初めとしたいくつかの課題にアニメなりの決着をつけた。
そして今週、おそらくスタッフの元にも届いているであろう「おすわり多発」批判に対し、犬夜叉の迷台詞で答えている。

「誰がなんと言おうと、これがアニメ犬夜叉だ!」という、ある意味開き直りのようなものを感じて、笑うしかなかった。
アニメが始まる前に、毎週犬夜叉、かごめ、七宝の短いやり取りが入る。
今年から七宝が桔梗に化け、ドキッとする犬夜叉に、かごめがすかさず「おすわり」をくらわせるバージョンに変わった。

考えてみれば犬夜叉がかわいそう、理不尽な話である。
しかし、ここまで「アニメ専用キャラ作り宣言」をされてしまうと、ある意味清々しい。
スタッフの方々も「迷いの森」から抜け出したのかもしれない。

今週のアニメ、話自体は「幻影殺」の二番煎じ。
それだけに、より悲惨な夢になってしまった。
きのうの「ひとりごと」にも書いたが、珊瑚が琥珀を殺すシーン、殺された父を見た七宝の絶叫、もはやアニメの域を超えている、私には辛すぎた。

アニメだから、夢が終われば、珊瑚も七宝も何事もなかったように旅を続けるだろう。
だが「りんと妖狼族の再会」の時もそうだったが、アニメだからといって「心を傷つけること」をあまり気軽に考えないで欲しいと思う。

これが当時見た時の感想。
このエピソードは、いろいろと考えさせられることが多くて、30回は見ていると思う。
私は原作派のアニメ嫌いと思われているかもしれないが、特別忙しくない日は、必ずコミック1冊かアニメ1話を交互に見ている。

アニメが嫌いだったらサイトなど作らないし、アニメ自体見ないだろう。
アニメも好きだから、「誰が見てもおもしろくて文句のつけようのないアニメ」であって欲しいという想いがある。
だから原作派の目で見て、「アニメと原作、何かが違う、何が違う、どう違う。」を常にテーマにして考察日記を書いてきた。
今回のアニメは、そんな想いに対して、ある意味回答を与えてくれた作品だった。

感想はほとんど上記で語り尽くしたような気がするが、改めて書いてみたい。
まず「Grip!」に、当時の「やっとオリジナルが終わるよ、やっと七人隊が始まるよ。」とやたらテンションの高かった時期を思い出した。

そして導入部分もなく、いきなり本編。
気がつくと犬夜叉たちは「嘆きの森」に半日近くも迷い込んでいて抜け出せずにいる状態。
単発物のオリジナルにしては非常に珍しい展開で、いきなり好感度アップ。

導入部分をけずったのは、全編を通して語りたいことがあるからだ、そんな期待感がみなぎってくる。
ここでいつもお邪魔しているサイトさんの表現を借りれば、
「鬼が出るか、蛇が出るか、蛾が出たよ!」
まさにそれだった。

別に真似をしてるわけじゃなく、私もまさにそう思った、ついでに鳥肌立てた。
蛾天丸一族の蛾妖怪、蛾羅丸登場、声は関俊彦さん。
実は当時、関さんご出演ということで、ファンの中ではすごく盛り上がっていた。
私も関さんがどんな方かもわからぬままに、一人盛り上がりしていたような気もある。
「何だか知らないけど関さんだ、わ〜い♪」みたいな?(笑)

関さんは、らんまのムースであり、「美味しんぼ」の岡星さん。
私にわかるのはそれくらいだけど、とにかく有名な方らしい。

そういえば蛾天丸は、アニメ「十二国記」の景麒こと子安武人さん。
かごめの夢で学校が魔界に交わる雰囲気、景麒の初登場回と同じ。
アニメ十二国記は2002年4月9日から放映開始したらしいが、景麒の蛾天丸登場は2001年11月19日。
この辺からかごめの夢を、子安さんがらみにしたのかなあなどと考えてしまった。

犬夜叉の、「蛾の妖怪は虫が好かねえ。」ってそれ洒落?(笑)
でもその感想は上に同じ、蛾が苦手、蝶も苦手、燐粉系は全て苦手。
さて、かごめたちが蛾羅丸の繭に囚われ、悪夢を見る頃、犬夜叉は蛾羅丸相手に孤軍奮闘。
あまりにあっけない蛾羅丸の最後だったが、25分の中で、犬夜叉の想いと、かごめたち4人の悪夢を掘り下げるとなれば、仕方のないことだろう。

珊瑚は琥珀の夢を見る。
懐かしい昔の記憶、気弱で明るい弟琥珀、父や仲間を殺す琥珀、仲間を殺し、嬉しそうに笑う琥珀、自分を殺す琥珀、そして自分が殺す琥珀。

弥勒は風穴に吸い込まれる父を見る、自らの風穴で仲間たちを吸い込んでしまう、そして自分自身も吸い込まれそうになる。
七宝は父を殺した雷獣兄弟に再会する。
無残な父の姿を見た時の七宝の絶叫は、胸をえぐる。

ここまでひどい夢にしなければならなかったのか。
どうしても納得できない、未だにできない。
結局「幻影殺」の二番煎じであるから、余計むごいものにせざるを得なかったのだろう。
ならばなぜこんなテーマを選んだのか、そんな想いが残る。

それに比べ、背負うもののないかごめの夢があまりに虚しい。
現実味伴わぬ、井戸から奈落。
その一方で、山口さんの渾身の演技が凄まじい。

もはや孤独な半妖ではない、仲間の絆という大切な宝を得た犬夜叉の強さは、仲間のためにこそ最大限に発揮される。
滅多にないこと、山口さんの迫力に圧倒されながら見ていた。
犬夜叉の想いが嬉しくて切なくて、素敵過ぎて素晴らしすぎて・・・、その挙句があの台詞である。
正直言って、奈落の底に突き落とされた。

「おすわりって言ってみろ!」
それですか・・・。
おすわりして欲しいのね、なんだかんだ言って嬉しいのね、おすわりされて地面にのめりこむのが快感なのね。
アニメの犬夜叉ってそういう奴なのね。
それまでの感動が一気に消えうせた迷台詞。

だが逆に考えると、あえてこの台詞を言わせたスタッフ側の想いもなんとなく伝わってはくる。
犬夜叉が、というよりアニメがかごめに求めるのは、「強さ」であり、それがかごめの普段の行動、戦闘における姿勢、全てにおいてむき出しである。

原作のかごめはむしろ控えめで、それだけにいざという時の強さが際立つようになっている。
それではアニメのヒロインとして通用しないのかもしれない。
この犬夜叉の台詞は、前に書いたとおり、「誰がなんと言おうと、これがアニメ犬夜叉だ!」というスタッフの姿勢を代弁しているのかもしれないと思っている。

その姿勢を好ましく思うか、「やっぱり嫌!」と思うのかは、もう見る側の自由だろう。
理屈でわかっても、感想は変えられない。

そして悪夢の中でかごめたちは犬夜叉に励まされ、悪夢から目覚める。
今まで出てきた名台詞、いえこっちはほんとの名台詞、を並べて見せるが、素晴らしい手法だったと思う。
100話としてけじめをつける意味で。
ただし、そのために流れがおかしかったのもあったが。(笑)

ただ、できれば「犬夜叉がいたから」ではなくて、「己の強さ、苦しみを乗り越えた強さ」で目覚めて欲しかったなと思う。
かごめたちは、犬夜叉に依存して、守ってもらってるわけではないのだから。

言いたいことはそれだろうが、描き方でうやむやになってしまったのが残念だった。
オリジナルが続き、スタッフの葛藤も大変だったろうと思う。
それらが全てここで完結、七人隊偏に入る、のではなく、おまけみたいに弥勒話が入るのはなぜ?

普通に考えれば、鋼牙→弥勒→蛾羅丸でオリジナル終了→七人隊突入ではないかと思うのだが。
101話の弥勒話の感想はおいといて、ちょっと間の抜けた印象になってしまった。
この話はいつ入れてもいいオリジナルだと思うのだが・・・。

好き嫌いではなく、考えさせられる作品として、一番評価したいオリジナルとなった。
最後の部分は見なかったことにする。
これがアニメ犬夜叉なのだから・・・。

今回は懐かしの登場人物も多く、懐かしいシーンも多かった。
そういった意味では、100話目のけじめはきっちりつけた作品だった。
(2004年2月27日の日記)

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