驍宗(風の海 迷宮の岸)

現戴国泰王。
昇山して泰麒に出会い、王となるが現在は行方不明。


目を引いたのは小柄なほうだった。
黒い鎧と白い髪の対比。肌はよく日に焼けた褐色、上背が高く、体格も動作も恐ろしくしなやかで獰猛な獣のような印象を与えた。

驍宗と泰麒の出会いであり、泰麒の目に映った驍宗像が描かれる。
講談社文庫を読んで浮かんだ驍宗のイメージは、後で読んだホワイトハート文庫の挿絵の柔らかい雰囲気よりも、アニメに近かったように思う。


すこしも気負ったところのない動作、気負ったところのない声だった。
冷淡に言い捨てて振りかえった男と泰麒の視線が合った。
―その瞳の真紅。あたかも血のような。
思わず蓉可の裾を握ってさがった。泰麒は彼が恐ろしかったのだ。

この時点で王は驍宗だと誰もが思ったはず(笑)。
泰麒は王を選ぶ麒麟の宿命に怯えていたのだが、それは驍宗に対する畏怖という形で現れる。


李斎がいつになく照れているのがおかしい。
驍宗もその様子を見て、軽く笑う。
実際にそばにいて笑顔を見てしまえば、さほど恐ろしい人物とも思えなかった。

他の登場人物に比べて非常に人物像が掴みにくかったが、どこから見ても欠点と言うべきものがなく、それだけに「王じゃないだろう」と思い直した。
小説の場合、あまりにらしい人物は主役(王のような)でない場合が多かったから。
結果的に驍宗は王となったが、あまりに隙のない完璧さゆえに最後まで妙な居心地の悪さが残ったように思う。


「恐ろしいほど覇気のあるお方だ。犬だと信じて気安くしていたら、なにかのおりに実は狼だったと気づいてヒヤリとする、そういう感じがございますね」
それは泰麒の感覚をうまく表現しているような気がした。

驍宗を表現した李斎の言葉。
驍宗をたとえばデザイナーズブランドを完璧に着こなし、隙のない男性とすれば、尚隆は着こなした上であえて着崩してみせる余裕のある男性、どちらがくつろげるかと言えば尚隆か。
もちろん尚隆もそんな甘いだけの存在ではないだろうが、やはり驍宗の近寄り難さはちょっと苦手。
むしろ「黄昏の岸 暁の天」で大きな挫折を味わった驍宗に親しみやすさと今後への期待を覚える。


「では、わたしには麒麟をしりごみさせるものがあるのだな」
驍宗は薄く苦笑した。
「麒麟は仁の生き物だという。
どうやらわたしには仁に厭われるものがあるらしい」

泰麒に怖れられる自分を振り返る驍宗の言葉 。
苛烈な性格だが、自分に対する厳しさも十分に備えている驍宗、泰麒が怯えているのは麒麟の宿命だけではないことが、やはり後の「黄昏の岸―」でわかる。
驍宗の中の、この苛烈な部分が後に驍宗自身の足元をすくう。
そして同時にこの自分を省みる驍宗の厳しさがその後の展開に期待を持たせる。


「・・・・・・驍宗殿も。いまのうちに逃げてください」
   ―(中略)―
「お願いです・・・・・・」
低い声で返答があった。
「できぬ」

驍宗と李斎に連れられ、黄海に騶虞を捕まえに出かけた泰麒だが、饕餮の巣穴に入り込み、李斎が捕らわれてしまう。
李斎を、そして驍宗を救うべく麒麟では為し得ない力を発揮する泰麒だが、そのギリギリの泰麒を見た驍宗は、泰麒の気をそがないように、逃げることを拒否する。
死の恐怖の中での判断力、動じない強さ、泰麒への思いやりなどが一気に胸に迫ってくる場面。


「・・・・・これを言うのは戴国の民としては許されぬことやもしれないが、できるだけ長く蓬山におられたほうが公ご自身のためであろう」
禎衛はまじまじと驍宗を見た。
この男はものの道理をわかっている。天啓のないのが、惜しまれるほどだ。

禎衛さえ認めた驍宗の王としての資質。
それだけに麒麟に認められなかった驍宗の無念は察するに余りある。
驍宗は己の心の弱さに惑わされないように、早めに蓬山を出ることを決意する。
同時にこの行動が泰麒を思わぬ行動に駆り立てることになる。


驍宗は泰麒を抱き上げたまま周囲を見渡す。
これ以上ないほど誇らしげに見渡してから、泰麒に向かって破顔した。
「おまえは小さいのに見る目がある」

自信満々の驍宗には一気に引いた(笑)。
アニメの笑いでさらに引いた。
でも一人ぐらいここまで完璧で自信満々な王がいてもいい。


肩に手を置かれた。
見上げると驍宗が微笑っている。
驍宗は知っていたのだ。泰麒の告白を聞かされていた―。
「麒麟が選んだ、まさにそのことが天啓なのですよ、泰麒」

驍宗と別れることに耐え切れず、天啓を「偽った」泰麒、その苦しみは同時に驍宗をも戸惑わせる。
泰麒のために景麒を呼ぶように取り計らいながら、その景麒が伝えた泰麒の告白はショッキングなものだった、驍宗は王ではない。
驍宗の葛藤もあっただろう。

でもその中で「狼狽もせず落胆もみせず、ましてや責める言葉など口の端にものぼらせず、苛烈な目で景麒を見据えてただ一言、それでも自分は王だろうかと問うた」驍宗。
景麒には「驍宗は王だ」とわかっていただろう。
だがこの時どう答えたのかとても気になる。
普通に言えばいいものを、はっきり言わず、延主従を呼ばせたとなれば、結局驍宗も泰麒も景麒一人に振り回されたことになる。
ある意味景麒が十二国一の強者(つわもの)かも。


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驍宗 (黄昏の岸 暁の天)

泰麒に選ばれ、戴国王となった驍宗。
誰よりも王にふさわしい人物と思われ、その評に恥じない政を行う驍宗だったが・・・。

「驍宗は死んだ」
その者は言った。
無意識のうちに怖じけて後退ろうとした泰麒の足が凍りついた。
「・・・・・・嘘」

驍宗が王になったのだから戴は安泰。
読者の誰もがそう思っていたのではないだろうか。
「黄昏の岸 暁の天」は驍宗の失踪と襲われる泰麒という衝撃的な場面から始まる。


李斎はその場に身体を投げ出す。
床に額をつけ、叫んだ。
「未だ白雉が、落ちては、おりません!」
王は死んでいない。

展開が早い。
瀕死の状態で慶の陽子の元を訪れたのは李斎。
李斎は辛うじて命を取り留め、陽子に驍宗の捜索を願う。
「黄昏の岸 暁の天」では驍宗は追憶の中にしか出て来ない。


「驍宗様が構わないって。
驍宗様のぶんも、お祝いを選ぶように言われたんです。
驍宗様とぼくと、正頼と。
三人ぶんだからどっさりあります。
驚かないでくださいね」

厳格なだけでなく優しさも併せ持つ驍宗。
個人的に李斎を信頼しており、同時に李斎を慕う泰麒の心にも気持ちを重ね合せてくれる。
部下にも恵まれ、これほど完璧な王があるだろうかと思う。


「先王の時代にあっては禁軍の左軍将軍を務め、王の信任も篤く、軍兵からも領地の民からも慕われ、その名声は他国にも 鳴り響くほどだったとか。
このため、次の王は乍将軍ではないか、という風評が、先王が斃れた直後からあったようです」

いろいろな形でこれでもかとばかり描写される驍宗の偉大さ。
上巻半ばになってもまだ何が起こったのか戴の内情がわからず、もどかしい。


驍宗はそもそも禁軍将軍、先王の信任も篤い寵臣のひとりだった。
彼は国政を知り尽くしており、彼に崇敬を寄せる人材を多数、持っていた。
余州にも名高い驍宗軍、その部下と軍史たち。
驍宗は泰麒の誓約を受けて登極した。

順調な滑り出しを見せた新生戴。
しかしこの後に性急な驍宗の行動が明らかにされる。
それでも驍宗のやり方は正しかったのか、間違っていたのか、未だにわからない。
今後出版予定の新作で驍宗の結末をつけてくれるだろうか。


「雪が融け始めたら面倒だ。
足元がゆるむだけではなく、周辺の雪が融けると山に逃げこまれてしまう。
文州の山は玉泉の坑道で穴だらけだ。
そこに潜りこまれると厄介なことになる」

英章の言葉。
初めて読んだ時は、この言葉が驍宗の失踪に関するヒントになるとは気づかなかった。
後に氾王が慶を訪れ、李斎に文州の玉泉から送られてきた玉に交じっていた驍宗の腰帯の 断片を見せる。

不意を突かれ、背後から斬られて血を流し、驍宗は坑道に逃げこんで出られなくなったのか。
あるいは閉じ込められたのか。
わかるのは死んでいないということだけ。
この謎が明かされる日が待ち遠しい。


捜索が続けられる一方、一羽の鳥が急を知らせるために文州へ向けて放された。
それが文州にたどり着く以前に、その文州から別の鳥が飛んできた。
青鳥が運んできた書簡には、驍宗の姿が消えた、とあった。

「轍囲の盾」という言葉を生み出した驍宗の誠意と手腕。
権威に溺れず、栄誉を求めず、あまりに見事な成果を上げたこの地で罠に落ちた驍宗。
でも王としても「轍囲の盾」を行っていたならば、たとえ驍宗を襲う計画があっても 成功はしていなかったのではないだろうか。
あまりにも性急な「粛清」が軋みを生み出し、驍宗に襲い掛かる。


「王が亡くなったのであれば、いずれ次の王が立つわけですから。
民はそれまでの期間を耐え忍べばいいという話でしょう。
愚王の場合だっていずれは天が玉座を取りあげてくれる。
それまでと、次王が立つまでの間を堪えればいい。
亡くなってもおられず、しかも玉座にいないというのは、ある意味で最悪のことかと」

桓タイの言葉、見事。
確かに愚王でも偽王でもなく、でも行方不明でかといって死んでもいない。
台輔(麒麟)も生死不明。
不思議なのはなぜこの物語が「戴」だったのかということ。

十二ある国でほとんど描かれない国もあるのに、戴、というより泰麒に集中的に襲い掛かる悲劇。
陽子や尚隆もシリーズにおける主人公格ではあるが、ここまで無残な事にはなっていない。
本当は他の国もこれくらい描き込む予定だったのだろうか。
戴も十二分の一の物語に過ぎなかったのだろうか。


この方は、と李斎は驍宗を見た。
(新王が登極して十数年はーへたをすれば数十年はかかることを、一年で片づけてしまおうとしている)
ふいに悪寒を感じた。

李斎の直感は正しい。
でもそこで終わってしまうのが李斎の致命的な過失。
驍宗に比べれば王の器ではなかった李斎。
でも補佐としての能力はあったと思う。
だからこの危機に気づいた。
にもかかわらず、李斎は掘り下げて考えることをしない。


「これからの波乱を台輔のお耳に入れたところで、お心を痛めるだけだ、ということは分かるのです。
ですが、そう決めてかかり、国外へ追いやってしまうのは強引に過ぎないでしょうか。
御自身がおられない間に、粛清が行われたことを台輔が知ったら。
粛清の事実にお心を痛めるだけではなく、それに際して御自分が何もできなかったこと、助命や温情を嘆願する 余地もなかったことに傷つかれはしないでしょうか」

花影が使う「粛清」という言葉は恐ろしい。
私は「東の海神 西の滄海」はこの後に読んだが、斡由を斬った尚隆に「粛清」の言葉は浮かばなかったし、 性急とも思わなかった。
軍人だから、で済む話だろうか。
確かに佞臣を処罰することは考えていただろうが、驍宗自身、王になってからどこか変わったような気がしてならない。


「私は今回のこれを、蒿里に見せたいとは思わない。
−ならばきっと、民の目からも隠すべきなのだろう。
それを量るために蒿里の存在はあるのだと思う。
民の信任は、まだあれほどに小さい・・・・・・」

何度も読むうちに思ったこと。
驍宗のミスは、民と泰麒を一緒にしたことではないだろうか。
確かに民が無用に驍宗を恐れるべきではない。
でも泰麒は麒麟であり台輔。

仮に泰麒が驍宗の真意を知って止めたとしても、驍宗の行為は変わらなかったろうが、 泰麒は最初から驍宗に汕子と傲濫を付けようとしただろう。
そこで不穏な状況なのだから、どちらかは泰麒自身の護衛としてそばに置くべきと アドバイスすべきは、誰よりも心情的にそばにいた李斎の役目だっただろう。

何もかもがずれた結果、今の戴がある。
李斎の罪も大きいが、李斎は今命を懸けて償っている。


「つまり、全ては主上のお考えではないか、ということなのです。
主上は何らかの理由で宮城をお空けになりたかった。
だからといって、朝廷が整ったばかりのこの時期、あえて出られる理由がございません。
そこで轍囲を使ったとは考えられないか、と」

花影や琅燦が言う事は、李斎の甘さを越えた厳しい現実。
ここで李斎が何もしなかったことが重ね重ね悔やまれる。


「おれでもし、主上に何かあったら、どうするわけ。
台輔は小さいけれど、無能でも無力でもない。
そうやって一事が万事、台輔を憐れんで庇うのは、台輔を侮ることと一緒なんじゃないの。
主上に危険があって、それを救うために台輔にできることがあるんだったら、やってもらわないといけない。
やらせてあげないのは、かえって酷だと思うけどね」

琅燦、あなたは偉い!
でもなぜその言葉を直接驍宗に言ってくれなかった!
やはり驍宗の持つ近寄りがたい雰囲気のせいなのだろうか。
琅燦なら、驍宗なりの理屈に中途半端に納得することなく立ち向かっていただろうに。
結局のところ、驍宗は泰麒に恐れられるのが怖かったという、限りなくプライベートな理由で秘密にしていたのかもしれないと 思うようになった。


王が斃れた例はある。
宰輔が斃れた例もある。
だが、その双方の行方も安否も分からないなどという例が、これまであったとは思えない。

なぜまた戴なのか、なぜまた泰麒なのか。
陽子も苦しい経験を立て続けに強いられるが、それはどこか王の試練といった前向きなものを感じる。
でも泰麒は本当に惨い、「魔性の子」も含めると、ホラー的な意味合いを込めて惨い目に合ってばかりいるような気がする。
通して読むと、泰麒が幸せな時間は本当に少ない。


ひょっとしたら・・・・・・と李斎はわずかに息を呑んだ。
李斎も知らない、だれも気づかない水面下で、似た者同士が互いに互いの足許を掬おうとして熾烈な戦いを続けていたのかもしれない。

そして阿選が現れた。
驍宗同様有能で、まるで双子のような存在。
混乱する場を見事に治めるが、その後花影は再び違和感を感じる。
それに対してやはりなにもできなかった李斎がいる。


「阿選が主上を弑し、玉座を盗んだのは、自分こそが王として戴に君臨したいからだったはずです。
・・・・・・けれども、私にはそのように見えませんでした。
阿選は戴を支配し治めることに興味を抱いていないように見えたのです。」

阿選の考えがわからない。
ただ驍宗の生死はともかく、国をこのような状態にしておくことは、麒麟が病み、失道し、王が崩御する対象ではないのか。
国を荒らしているのは阿選だから、驍宗は責められないのか。
このあたりの解釈は難しいが、阿選が本当はどうしたいのか。

李斎が言うように、王の地位を奪って、驍宗よりうまくやるつもりもないようだし、国を荒らすことも平気。
阿選が「洗脳」しているらしいことは陽子も指摘していたが、阿選もまた誰かに操られているのではないかとさえ思える。
ただその場合、黒幕になり得る人物がいないのが不可解だ。


「行ったことがあるんだっけ、鴻基に」
「はい。王が登極されたばかりでも、目につくほどの荒廃はありませんでした。
仮朝がしっかりしていたのでしょう」

王になるために準備していた驍宗。
昇山して泰麒が最初に認めなかった時、かなりショックを受けていたが、その気持ちが今ならわかる。
ただ麒麟の王の選び方は、王としての資質基準とは限らないんだよなあ・・・。


その中で、かろうじて民がまだ生き延びることができているんは、鴻慈のせいだと言われている。
驍宗が、玉座に就いて朝廷を革めるにあたり、初勅を発布するよりも先に行ったことがあった。
王宮の中には国の基となる里木がある。
それを路木というが、驍宗はこの路木に願い、荊柏という植物を天から得たのだった。

驍宗は王としての務めは完璧に果たしている。
それでもなお危うさを感じるのは、民に対する優しさと対照的な、臣に対する性急さだろうか。



「おそらくは泰王は未だに戴におられる。 ただし、李斎殿がその在所を知らなかったことからしても、どこかに捕らわれているか、あるいは機を窺って潜伏しておられるかの どちらかであろうと思われます。

傷を受けて洞窟に逃げこんだが動けなくなり、そのまま岩が落ちたりして閉じ込められた、というのが私の推理。
横溝正史の読み過ぎか?
ただ汕子や傲濫がいれば驍宗は助かっていただろう。
泰麒をうまく操って中途半端な場所に置いたその手腕、作者の手腕。


戦闘のどさくさに紛れ、王を討つー普通ならあり得ることだが、驍宗に限って言えば、それは考えにくかった。

武勇の王として評価が高い驍宗。
討たれることは考えにくいが、後で氾王により、驍宗襲撃のある証拠が示されることになる。


「・・・・・・切れています」
陽子の言葉に、氾王はうなづく。
「これは刃物で斬った傷じゃと、冬官の意見は一致している。
表はもちろん、帯の裏にも血痕が滲みついておろう。
・・・・・・つまりはそういうことなのだねえ」
「誰かが泰王を斬った・・・・・・」

氾王によってもたらされた衝撃の事実。
いえ衝撃は氾王そのものか、そんなことはないか。
あの尚隆を憮然とさせる超大物麗人王。
しかし見た目が麗しいだけではなく、内面は深い。

驍宗を背後から斬れる者。
それは驍宗に信頼されている者。
そしてこの遠征に付いて行った者。

前にも書いたが、なんとなく傷ついた驍宗が洞窟にでも逃げ込み、ふさがれて出られなくなったようにイメージしている。
王だから死にはしないし。
汕子や傲濫なら回復すれば見つけるのはたやすいんじゃ?
でもそんな、読者が想像する全ての展開を作者は越えて物語を作らなければならないのだから大変だ。


驍宗に変事が起こったのが、琳宇郊外の函養山だということも分かった。
泰麒捜索になにがしかの決着がつけば、戴に戻って驍宗を探すことができる。
慶に来たのは無駄ではなかった。
確かに李斎らはまだ驍宗と繋がっている。

恐ろしいほどの偶然により、驍宗の手掛かりを得た李斎。
この「黄昏の岸 暁の天」が出たのは2001年(平成13年)。
それからなんと13年がたっている。
今なお行方不明のままの驍宗と泰麒と李斎。 私は「華胥の幽夢」までを一気に読んだ遅れて来たファンだが、それでも長く感じるから、刊行当時に読んだ読者は どんなに待ったことだろう。
もうすぐ?出る長編が、戴のその後も含まれていますように・・・。


仮にも驍宗配下の者たちが、間諜や盗聴に無頓着だったとは思えない。
彼らは秘密裏に集まり、充分に注意して密談を持ったはずだ。
にもかかわらず、それが阿選に漏れたということは、その中に阿選に通じていた者がいたということを意味しないか。
ー驍宗は、自らの配下の中に、裏切り者を飼っていたのだ。

驍宗配下(本では「配下」ではないが、字が出せなかったため引用も「配下」に変えています)で名前のある者は意外と少なく、 裏切り者を絞り込もうとすれば、あまりに簡単に絞り込めてしまうところが逆に怪しい。
悩みながら、李斎は泰麒と共に戴への帰国の途に就く。
死出の旅に等しいとさえ思える展開だが、何とかして生き抜き、驍宗を見つけて連れ帰り、戴を建て直して欲しいと思う。
陽子たち戴のために尽力した各国の王と麒麟のためにも。



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梨耀(風の万里 黎明の空)


翠微洞に住む仙。
通称を翠微君、言葉の通じない鈴を召し上げるが・・・。

翠微洞に住むのは仙だった。
先々代の王ー扶王と謚すーの勅面によって昇仙し、ここ琶山は翠微の峰に洞府を構えた。
よって通称を翠微君という。
かつての名を梨耀、扶王の愛妾であった。

十二国記シリーズの中でもトップクラスの複雑な女性。
「風の万里 黎明の空」を読んだ時に、登場人物の梨耀に対する評価や、本を読んだ人たちの、梨耀に対する評価にとても悩んだ。
私の梨耀に対する気持ちは、むしろ初期の鈴に近い。

扶王の後宮にあって、よく王を助けた。
奸臣が王の柔和につけいり、専横を恣にすればこれを王に代わって咎めて憎まれ、王が道を失い始めれば王を叱って疎まれた。
その結果が翠微洞。
逆臣には敵視されていたが、仙籍を剥奪することも処罰することもできなかった。
あまりに功が大きかったゆえに。
梨耀を遠ざけてのち、扶王の玉座は急速に傾いた。

とまで書かれた人物。
生き飽いているだろう、辛かろう、苦しかろう、確かにそう思う。
けれどそうまでして生きているのは己の矜持ゆえ。
苦しいからと言って自分より弱い者に当たり散らして憂さを晴らしているようにしか見えない。

それで楽にはならないだろう、なおさら辛くなるだろう。
梨耀に同情という感情が許されるなら、その自分自身を持て余す矜持の高さとその辛さに同情する。
けれど、梨耀に同情するなら、私は鈴にも同情するべきだと思う。
本編において、また他の人の感想を読んでも、梨耀に同情する人は多く、鈴に対する風当たりが強いのを感じていた。

そこはうまく表現できなくて苦しかったのだけど、吉田秋生著「蝉時雨のやむ頃」を読んで、ああこれだと思った。
三人姉妹の長女は看護婦で、自分の父と駆け落ちした女性について語る台詞がある。
その女性は末期癌になった父をほとんど見舞うこともなく、薄情に見えるのだが、「(父の見舞いに来たとしても)弱る姿を見たくなくてほんの10分足らず、せいいっぱい看病してるつもり。
その意味ではウソはないの。それが限界なのよ」「許容量が小さいからってそれを責めるのはやっぱり酷なのよ」と言う。
なにげない日常を描く「海街diary」と壮大なスケールのファンタジー「十二国記」と違いは大きいが、人としての本質は変わらない。

確かに鈴と梨耀の不幸を比べてみれば、そこには天と地ほどの差がある。
同時に私は自分が弱い人間だからか、この頃の鈴に近い人間だからか、器の差というものも感じてしまう。
梨耀の心が大きな器なら、鈴の心はおちょこみたいなもの。
梨耀に比べてあまりに小さな不幸でもすぐに溢れてしまう。

言葉が通じても心が通じるとは限らないと采王は鈴を諭すが、「たくさん話しかけられて、たくさん話をした」と鈴とて努力したことは十二分に描かれている。
海客であることは、それだけで大きなハンデだろう、誰が何と言おうと。
そして梨耀の元で虐げられて百年、誰が鈴を不幸でないと言えるだろうか。
後で梨耀を諌めてあげればよかったと鈴は反省するが、使用人中鈴以外の誰もそれはなし得なかったこと。

鈴が出会う人々が皆素晴らし過ぎて、鈴に真正面から同情してくれる人がいなかったところに作者の厳しさを感じる。
私は梨耀に同情するなら、鈴にも同情を向けるべきだし、鈴を批判するなら梨耀も批判するべきだと思った。
実は采王はその意味で、むしろ鈴の側にいたのだが、鈴と一緒の場面では鈴が突き放されたような形になっている。

ただ梨耀の凄いところ、私が梨耀を好きで好きでたまらないところは、梨耀が自分の矜持の高さ、傲慢たる態度、使用人への仕打ちなどを十分に弁えていて、同情されようとしたり言い訳したりしない見事さ。
梨耀に「死」が与えられたら、それはある意味救いであろうが、それで鈴や采王を恨んだり憎んだりすることはないだろう。
むしろ「鈴、あの娘にしてやられたわ」と最後まで傲然と笑んでいるだろう、むしろ鈴の同情を屈辱と感じるだろう、そんな部分に惹かれる、最後の最後まで誇りと矜持を保っていくだろうところ。

同時に鈴のいけないところは、自分の不幸をあたりに振りまいて、同情してもらおうと足掻くところ。
これもまた人間としてごくごく当たり前の行動なんだけれども、「十二国記」に出て来る人物の中ではあまりに身近で、同時に見苦しさだけが際立ってしまう。
それでも作者の厳しい視線の陰に、鈴をかばう采王や、鈴を放っておけない清秀や夕暉がさりげなく鈴を導く。
梨耀と鈴の対比は見事だったけど、鈴にはちょっと酷な相手、として利用は存在していたのかもしれない。


「ー笨媽」
呼べば、ぴくりと鈴が顔を上げる。
この娘は始終梨耀に怯えている。
それを承知で悪意を露に、梨耀は跪いて衣服の始末をしている娘を見下ろした。

愚か者、との意をこめて、梨耀は嘲笑を含んだ朱唇にその通称を載せる。
そこに悪意以外の何を見ることがあろうか、八つ当たり、弱い者いじめ以外の何が見えようか。
言葉が通じるからと言って心も通じるとは限らないと鈴に伝えているようにはとても見えない。
辛くても苦しくても、鈴や使用人に当たり散らして憂さを晴らせる梨耀は幸せ者だ、ここではそう思えてしまう。


鈴は仕方なく、下僕たちを起こしてまわった。
梨耀の命とはいえ、深夜に起こされた者は憤懣やるかたなく、起こした鈴に悪態をつく。

数ある使用人たちの中で特に鈴につらく当たる梨耀。
彼女は鈴の中に何を見たのだろうか。
怯えるからか、卑屈だからか、でもそれは皆同じ。
海客だからか、そうして自身を特別扱いしている鈴の孤立に自分と同じものを見たからだろうか。
残念ながらそうも見えない。


「助けて・・・・・・!あたし、洞主さまに殺されてしまう!」
門卒たちは顔を見合わせた。

戦い始めた鈴、梨耀の運命が大きく動き始める瞬間。
梨耀はこのことを見越していただろうか、鈴が逃げるはずはないと見くびっていただろうか。
後の采王との会話を読むと、むしろ梨耀はこの展開を楽しんでいるようにさえ見える。
延王尚隆も口にしていた「飽いた」人生に遂に刺激が、あるいは終わりが来るかと実感しただろうか。


王が飛仙を任じる例は少なく、多くの飛仙はやがて生きることに飽いて仙籍を返上する。
今現在才国にいる飛仙は僅かに三人、そのうち二人は行方が知れなかった。
仙籍を返上しない仙は失踪することが多く、その後の消息が知れる者はほとんどない。

采王黄姑の目に映る梨耀の傲岸不遜な姿。
その本質は采王にはちゃんと見えていた、にもかかわらず采王は溜息を落とす。
ただのいじめっ子から誇り高き翠微君に戻った梨耀と、人として苦しみを知り尽くした采王黄姑が対峙する。
そこにはなりふり構わず足掻く鈴の入る隙間はない。

梨耀は己の所業に言い訳するでもなく、最後まで傲然と振る舞い、「十二国記」から消える。
けれどもその姿は後に鈴の会話や回想にたびたび登場し、鈴の成長を読む側に伝えていくことになる。

私は最初、梨耀は仙籍を剥奪され、死に向かうのだと思っていた。
あくまでも傲然と顎を上げて、けれど心の内にようやくの安らぎを覚えながら。
でも采王は梨耀の下僕を召し上げると言った。
翠微洞の中で一人取り残される梨耀、それが処罰だったのだろうか、ならばそれこそ救い難い孤独だ。
梨耀のその後、救いの物語を是非読みたい。


「だったら簡単だろ。
ねえちゃん、死ぬ気になるほど辛くなかったんだよ。
気持ちよく不幸に浸ってるやつに、同情するやつなんかいないよ。
だってみんな自分が生きるのに一生懸命なんだから。
自分だって辛いのに、横から同情してくれ、なんて言ってくるやつがいたら、嫌になるよ。−当たり前だろ?」

ーそれで、なのだろうか。
それで誰もかれも、鈴に辛くあたったのだろうか。
梨耀や黄姑が生きることを辛く感じているとは、とうてい思えないのだけれど。

梨耀の元から逃げ出した鈴。
黄姑と対面した後梨耀は登場しないが、鈴の口から何度か梨耀が語られる。
「風の万里 黎明の空」では、鈴と祥瓊が血を吐くような思いで自分の愚かさと向き合う。
できれば目を背けたい内面、自分の醜さ、愚かさを作者は清秀と楽俊を通じて容赦なくえぐり出していく。
そして鈴と祥瓊は生まれ変わる。

梨耀は登場しないので、鈴の脱走と黄姑との対面の後、変わったのか、変わったとしたらどう変わったのか描かれることはない。
でも鈴の中で梨耀もまた大きな変貌を遂げていく。
鈴は知らないが、というより知ろうともしなかったが、梨耀や黄姑も辛い過去を持つ者たちだった。
ただし鈴のように同情を求めない者たち。
鋼の梨耀と柔の黄姑。
本作で梨耀はどうしても鈴と比較されがちだが、梨耀と黄姑の対比もまた興味深い。


「余計なお世話よ」
言いながら、鈴は笑ってしまう。
憎まれ口に腹が立たないのは、清秀の言葉には他意がないからだ。
時に腹の立つことも言うが、嘘はないと思える。
かわいそうね、と口先だけで言われるくらいなら、かわいそうじゃない、と言い放たれてしまったほうが楽だった。

鈴はふと、清秀を見た。
「ひょっとしたら、梨耀さまもそうだったのかしら・・・・・・」

鈴は最終的に梨耀を越えたのではないかと思う。
梨耀は鈴たちに何を求めていたのか。
使用人である鈴たちが主人である梨耀に何ができるというのか。
たとえば「かわいそうじゃない」と鈴に言われたら、梨耀はどうしてただろうか。

鈴と清秀の会話は、すでに梨耀を救おうという時点に到達している。
鈴ばかりが責められていたが、他の使用人たちも何もしなかった。
ただ耐えていた。
その不満を鈴だけが周りに振りまいていた、それだけの違いだったのだろう。

実際鈴も後で言っているが、梨耀に逆らったらやはり追い出されるか、ひどい仕返しをされるかそれしかなかっただろう。
鈴を見事と称え、やっと自分と正面切って向かい合ってくれたと喜ぶような人物ではさすがにないだろう。
小物と言う意味ではない。
黄姑にたとえ処罰されたとしても、急に弁解したり自分を繕おうとはせずに我を貫いた梨耀の生き様はそれはそれで見事と思う。 また、黄姑のように他人に対する憐れみを持てない気位の高さ、不器用さはキャラとしてはとても好きだ。


「うん。−あたし、慶に来る前、ある人のところに努めてて、その人がとっても使用人に辛く当たる人だった。
今から考えると、どうしてそんなことするんだ、って文句を言えばよかったと思う。
でも、ご主人さまの機嫌をそこねると、ひどいことを言われたり、辛い仕事を命じられるから、それが怖くて黙ってた。
黙って我慢してて、そうしてる間にね、どんどん怖くなるんだよね」

梨耀は下僕を全て取り上げられたとはいえ、一人きりになったわけではないだろう。
さらに仙籍を返上することもなさそうだ。
しかし、結局はさらに辛い生活を強いられているのではないかと思う。

それでも傲然と顎を上げて厳しく寂しい生活を自分に強いているのだろうか。
鈴が清秀に出会ったように、祥瓊が楽俊に出会ったように、梨耀を救える人物は現れないのだろうか。
黄姑との対面が梨耀にとってある意味最後のチャンスだった。
それさえ梨耀は自ら潰した。
見事に終結した「風の万里 黎明の空」だが、報いを受けることなく、救われることもない人物がただ一人いる。

鈴に当っていた頃の梨耀には実はそれほど同情できなかった。
けれど黄姑と対面後の梨耀に対しては、凄まじく同情せざるを得ない。
そして救おうと思う者には過酷な試練を課して後救い、救われざる者は責めることすらなく消滅する、作者の厳しい姿勢は時に恐ろしさすら覚える。
だからこそ「十二国記」にこれほど惹かれるのだろうか。


「あたしは才國琶山が主、翠微君にお仕えする者です。」

以前の鈴なら梨耀のことなど口にしたくもなかったろう。
けれど今素直に現在進行形で語る鈴。
鈴の中で梨耀はすでに、憎むべき人でも恐れるべき人でもなくなった。
鈴は変わった、梨耀はどうだろう。

鈴は全てが終わってから黄姑に会いたいと言うが、梨耀の事は口にしない。
鈴の中で梨耀はすでに過去になってしまったようだ。
もし今の鈴が梨耀に会っていたら、梨耀が感じるのは屈辱だろうか、称賛だろうか。
後者であって欲しいと思うが、梨耀はそれすら気位で抑え込むのだろうか。
だとしたら本当に不幸な女性だと思わずにはいられない。

梨耀もまた変わる努力をして欲しい、救われて欲しい。
その機会を与えられて欲しい。


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