梨耀(風の万里 黎明の空)
翠微洞に住む仙。
通称を翠微君、言葉の通じない鈴を召し上げるが・・・。
翠微洞に住むのは仙だった。
先々代の王ー扶王と謚すーの勅面によって昇仙し、ここ琶山は翠微の峰に洞府を構えた。
よって通称を翠微君という。
かつての名を梨耀、扶王の愛妾であった。
十二国記シリーズの中でもトップクラスの複雑な女性。
「風の万里 黎明の空」を読んだ時に、登場人物の梨耀に対する評価や、本を読んだ人たちの、梨耀に対する評価にとても悩んだ。
私の梨耀に対する気持ちは、むしろ初期の鈴に近い。
扶王の後宮にあって、よく王を助けた。
奸臣が王の柔和につけいり、専横を恣にすればこれを王に代わって咎めて憎まれ、王が道を失い始めれば王を叱って疎まれた。
その結果が翠微洞。
逆臣には敵視されていたが、仙籍を剥奪することも処罰することもできなかった。
あまりに功が大きかったゆえに。
梨耀を遠ざけてのち、扶王の玉座は急速に傾いた。
とまで書かれた人物。
生き飽いているだろう、辛かろう、苦しかろう、確かにそう思う。
けれどそうまでして生きているのは己の矜持ゆえ。
苦しいからと言って自分より弱い者に当たり散らして憂さを晴らしているようにしか見えない。
それで楽にはならないだろう、なおさら辛くなるだろう。
梨耀に同情という感情が許されるなら、その自分自身を持て余す矜持の高さとその辛さに同情する。
けれど、梨耀に同情するなら、私は鈴にも同情するべきだと思う。
本編において、また他の人の感想を読んでも、梨耀に同情する人は多く、鈴に対する風当たりが強いのを感じていた。
そこはうまく表現できなくて苦しかったのだけど、吉田秋生著「蝉時雨のやむ頃」を読んで、ああこれだと思った。
三人姉妹の長女は看護婦で、自分の父と駆け落ちした女性について語る台詞がある。
その女性は末期癌になった父をほとんど見舞うこともなく、薄情に見えるのだが、「(父の見舞いに来たとしても)弱る姿を見たくなくてほんの10分足らず、せいいっぱい看病してるつもり。 その意味ではウソはないの。それが限界なのよ」「許容量が小さいからってそれを責めるのはやっぱり酷なのよ」と言う。
なにげない日常を描く「海街diary」と壮大なスケールのファンタジー「十二国記」と違いは大きいが、人としての本質は変わらない。
確かに鈴と梨耀の不幸を比べてみれば、そこには天と地ほどの差がある。
同時に私は自分が弱い人間だからか、この頃の鈴に近い人間だからか、器の差というものも感じてしまう。
梨耀の心が大きな器なら、鈴の心はおちょこみたいなもの。
梨耀に比べてあまりに小さな不幸でもすぐに溢れてしまう。
言葉が通じても心が通じるとは限らないと采王は鈴を諭すが、「たくさん話しかけられて、たくさん話をした」と鈴とて努力したことは十二分に描かれている。
海客であることは、それだけで大きなハンデだろう、誰が何と言おうと。
そして梨耀の元で虐げられて百年、誰が鈴を不幸でないと言えるだろうか。
後で梨耀を諌めてあげればよかったと鈴は反省するが、使用人中鈴以外の誰もそれはなし得なかったこと。
鈴が出会う人々が皆素晴らし過ぎて、鈴に真正面から同情してくれる人がいなかったところに作者の厳しさを感じる。
私は梨耀に同情するなら、鈴にも同情を向けるべきだし、鈴を批判するなら梨耀も批判するべきだと思った。
実は采王はその意味で、むしろ鈴の側にいたのだが、鈴と一緒の場面では鈴が突き放されたような形になっている。
ただ梨耀の凄いところ、私が梨耀を好きで好きでたまらないところは、梨耀が自分の矜持の高さ、傲慢たる態度、使用人への仕打ちなどを十分に弁えていて、同情されようとしたり言い訳したりしない見事さ。
梨耀に「死」が与えられたら、それはある意味救いであろうが、それで鈴や采王を恨んだり憎んだりすることはないだろう。
むしろ「鈴、あの娘にしてやられたわ」と最後まで傲然と笑んでいるだろう、むしろ鈴の同情を屈辱と感じるだろう、そんな部分に惹かれる、最後の最後まで誇りと矜持を保っていくだろうところ。
同時に鈴のいけないところは、自分の不幸をあたりに振りまいて、同情してもらおうと足掻くところ。
これもまた人間としてごくごく当たり前の行動なんだけれども、「十二国記」に出て来る人物の中ではあまりに身近で、同時に見苦しさだけが際立ってしまう。
それでも作者の厳しい視線の陰に、鈴をかばう采王や、鈴を放っておけない清秀や夕暉がさりげなく鈴を導く。
梨耀と鈴の対比は見事だったけど、鈴にはちょっと酷な相手、として利用は存在していたのかもしれない。
「ー笨媽」
呼べば、ぴくりと鈴が顔を上げる。
この娘は始終梨耀に怯えている。
それを承知で悪意を露に、梨耀は跪いて衣服の始末をしている娘を見下ろした。
愚か者、との意をこめて、梨耀は嘲笑を含んだ朱唇にその通称を載せる。
そこに悪意以外の何を見ることがあろうか、八つ当たり、弱い者いじめ以外の何が見えようか。
言葉が通じるからと言って心も通じるとは限らないと鈴に伝えているようにはとても見えない。
辛くても苦しくても、鈴や使用人に当たり散らして憂さを晴らせる梨耀は幸せ者だ、ここではそう思えてしまう。
鈴は仕方なく、下僕たちを起こしてまわった。
梨耀の命とはいえ、深夜に起こされた者は憤懣やるかたなく、起こした鈴に悪態をつく。
数ある使用人たちの中で特に鈴につらく当たる梨耀。
彼女は鈴の中に何を見たのだろうか。
怯えるからか、卑屈だからか、でもそれは皆同じ。
海客だからか、そうして自身を特別扱いしている鈴の孤立に自分と同じものを見たからだろうか。
残念ながらそうも見えない。
「助けて・・・・・・!あたし、洞主さまに殺されてしまう!」
門卒たちは顔を見合わせた。
戦い始めた鈴、梨耀の運命が大きく動き始める瞬間。
梨耀はこのことを見越していただろうか、鈴が逃げるはずはないと見くびっていただろうか。
後の采王との会話を読むと、むしろ梨耀はこの展開を楽しんでいるようにさえ見える。
延王尚隆も口にしていた「飽いた」人生に遂に刺激が、あるいは終わりが来るかと実感しただろうか。
王が飛仙を任じる例は少なく、多くの飛仙はやがて生きることに飽いて仙籍を返上する。
今現在才国にいる飛仙は僅かに三人、そのうち二人は行方が知れなかった。
仙籍を返上しない仙は失踪することが多く、その後の消息が知れる者はほとんどない。
采王黄姑の目に映る梨耀の傲岸不遜な姿。
その本質は采王にはちゃんと見えていた、にもかかわらず采王は溜息を落とす。
ただのいじめっ子から誇り高き翠微君に戻った梨耀と、人として苦しみを知り尽くした采王黄姑が対峙する。
そこにはなりふり構わず足掻く鈴の入る隙間はない。
梨耀は己の所業に言い訳するでもなく、最後まで傲然と振る舞い、「十二国記」から消える。
けれどもその姿は後に鈴の会話や回想にたびたび登場し、鈴の成長を読む側に伝えていくことになる。
私は最初、梨耀は仙籍を剥奪され、死に向かうのだと思っていた。
あくまでも傲然と顎を上げて、けれど心の内にようやくの安らぎを覚えながら。
でも采王は梨耀の下僕を召し上げると言った。
翠微洞の中で一人取り残される梨耀、それが処罰だったのだろうか、ならばそれこそ救い難い孤独だ。
梨耀のその後、救いの物語を是非読みたい。
「だったら簡単だろ。
ねえちゃん、死ぬ気になるほど辛くなかったんだよ。
気持ちよく不幸に浸ってるやつに、同情するやつなんかいないよ。
だってみんな自分が生きるのに一生懸命なんだから。
自分だって辛いのに、横から同情してくれ、なんて言ってくるやつがいたら、嫌になるよ。−当たり前だろ?」
ーそれで、なのだろうか。
それで誰もかれも、鈴に辛くあたったのだろうか。
梨耀や黄姑が生きることを辛く感じているとは、とうてい思えないのだけれど。
梨耀の元から逃げ出した鈴。
黄姑と対面した後梨耀は登場しないが、鈴の口から何度か梨耀が語られる。
「風の万里 黎明の空」では、鈴と祥瓊が血を吐くような思いで自分の愚かさと向き合う。
できれば目を背けたい内面、自分の醜さ、愚かさを作者は清秀と楽俊を通じて容赦なくえぐり出していく。
そして鈴と祥瓊は生まれ変わる。
梨耀は登場しないので、鈴の脱走と黄姑との対面の後、変わったのか、変わったとしたらどう変わったのか描かれることはない。
でも鈴の中で梨耀もまた大きな変貌を遂げていく。
鈴は知らないが、というより知ろうともしなかったが、梨耀や黄姑も辛い過去を持つ者たちだった。
ただし鈴のように同情を求めない者たち。
鋼の梨耀と柔の黄姑。
本作で梨耀はどうしても鈴と比較されがちだが、梨耀と黄姑の対比もまた興味深い。
「余計なお世話よ」
言いながら、鈴は笑ってしまう。
憎まれ口に腹が立たないのは、清秀の言葉には他意がないからだ。
時に腹の立つことも言うが、嘘はないと思える。
かわいそうね、と口先だけで言われるくらいなら、かわいそうじゃない、と言い放たれてしまったほうが楽だった。
鈴はふと、清秀を見た。
「ひょっとしたら、梨耀さまもそうだったのかしら・・・・・・」
鈴は最終的に梨耀を越えたのではないかと思う。
梨耀は鈴たちに何を求めていたのか。
使用人である鈴たちが主人である梨耀に何ができるというのか。
たとえば「かわいそうじゃない」と鈴に言われたら、梨耀はどうしてただろうか。
鈴と清秀の会話は、すでに梨耀を救おうという時点に到達している。
鈴ばかりが責められていたが、他の使用人たちも何もしなかった。
ただ耐えていた。
その不満を鈴だけが周りに振りまいていた、それだけの違いだったのだろう。
実際鈴も後で言っているが、梨耀に逆らったらやはり追い出されるか、ひどい仕返しをされるかそれしかなかっただろう。
鈴を見事と称え、やっと自分と正面切って向かい合ってくれたと喜ぶような人物ではさすがにないだろう。
小物と言う意味ではない。
黄姑にたとえ処罰されたとしても、急に弁解したり自分を繕おうとはせずに我を貫いた梨耀の生き様はそれはそれで見事と思う。
また、黄姑のように他人に対する憐れみを持てない気位の高さ、不器用さはキャラとしてはとても好きだ。
「うん。−あたし、慶に来る前、ある人のところに努めてて、その人がとっても使用人に辛く当たる人だった。
今から考えると、どうしてそんなことするんだ、って文句を言えばよかったと思う。
でも、ご主人さまの機嫌をそこねると、ひどいことを言われたり、辛い仕事を命じられるから、それが怖くて黙ってた。
黙って我慢してて、そうしてる間にね、どんどん怖くなるんだよね」
梨耀は下僕を全て取り上げられたとはいえ、一人きりになったわけではないだろう。
さらに仙籍を返上することもなさそうだ。
しかし、結局はさらに辛い生活を強いられているのではないかと思う。
それでも傲然と顎を上げて厳しく寂しい生活を自分に強いているのだろうか。
鈴が清秀に出会ったように、祥瓊が楽俊に出会ったように、梨耀を救える人物は現れないのだろうか。
黄姑との対面が梨耀にとってある意味最後のチャンスだった。
それさえ梨耀は自ら潰した。
見事に終結した「風の万里 黎明の空」だが、報いを受けることなく、救われることもない人物がただ一人いる。
鈴に当っていた頃の梨耀には実はそれほど同情できなかった。
けれど黄姑と対面後の梨耀に対しては、凄まじく同情せざるを得ない。
そして救おうと思う者には過酷な試練を課して後救い、救われざる者は責めることすらなく消滅する、作者の厳しい姿勢は時に恐ろしさすら覚える。
だからこそ「十二国記」にこれほど惹かれるのだろうか。
「あたしは才國琶山が主、翠微君にお仕えする者です。」
以前の鈴なら梨耀のことなど口にしたくもなかったろう。
けれど今素直に現在進行形で語る鈴。
鈴の中で梨耀はすでに、憎むべき人でも恐れるべき人でもなくなった。
鈴は変わった、梨耀はどうだろう。
鈴は全てが終わってから黄姑に会いたいと言うが、梨耀の事は口にしない。 鈴の中で梨耀はすでに過去になってしまったようだ。
もし今の鈴が梨耀に会っていたら、梨耀が感じるのは屈辱だろうか、称賛だろうか。
後者であって欲しいと思うが、梨耀はそれすら気位で抑え込むのだろうか。
だとしたら本当に不幸な女性だと思わずにはいられない。
梨耀もまた変わる努力をして欲しい、救われて欲しい。
その機会を与えられて欲しい。
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