李斎(風 の海 迷宮の岸)

戴国承州師将軍として昇山し、泰麒と出会う。
王にはなれなかったが、その人柄から泰麒との間に深い信頼関係が生まれる。
「泰麒」の次に「李斎」にしたのは、驍宗も好きだけど、李斎がより好きだから。
この時点の李斎も好きだが、「黄昏の岸 暁の天」での李斎にさらに魅かれた。
李斎のイメージは赤。
でも陽子とは違う、もっと深みのある大人の赤。
むしろ赤銅色に限りなく近い赤。



犬は大きく、白身に黒頭、短めの翼を背にたたんだ様子が美しかった。
「・・・・・・これは、蓬山公。
ご健勝そうでなによりでございます」
世話をしていた男女のうち、近づいてくる泰麒たちを認めて真っ先に膝をついたのは 大柄な女だった。

泰麒と李斎、そして飛燕(李斎の騎獣)との出会い。
王を目指すべく昇山してきたが、王ではなかった。
むしろ補佐として王を支え、泰麒に仕えるのに理想的な人物。
言葉使いといい、第一印象からして「素敵な人」、でも「王ではないな、この人 は。」と思わせる。
そう思わせるように書かれている。



泰麒はひとしきり女と天馬の話をした。
どうやって手に入れたのか、どうやって飼うのか。
騎乗した感じはどうなのか。
女の返答は明瞭だった。
柔らかな声で、柔らかな言葉遣いで、それでも歯切れのよい返答は、どこか強いもの を感じさせる。

最初は大柄、次にその言葉の印象から李斎の柔らかさ、強さ、自信が表現される。
容姿あまり描かれず、泰麒の言葉で少し出てくる程度。
それでも「美しい人」のイメージが浮かんでくる。
小野式描写でも特に好きな部分。



反対に女は渋い色の男物の服、赤茶の髪は結いもせず垂らしただけで、装飾品はいっ さい身につけていなかった。
上背もあって、動作にもなよやかなところがどこにもない。

陽子がもっと年齢を重ねて恋などして(笑)、雰囲気が柔らかくなったらこんな感じ かな?と思ったが、やはりちょっと違う。
いかにも武人風な中に大人の女性を感じる李斎のようなタイプ、大好き。
しかも本の挿絵やアニメの姿と声が頭の中で描いていたイメージとぴったりでとても 嬉しかった。
陽子の凛々しさと女を感じさせない清々しさ、李斎の強さの中に自信と女らしさを秘 めた柔らかさは好対照。
似て異なるこの2人の後の出会いは全てが逆転した形、その伏線と思えば、この2人 (陽子と李斎)の書き分けがすごいと思う。



綺麗な人だと思えたが、それは玉葉や女仙たちが感じさせるそれとは、ずいぶん違っ た種類のものに見えた。

泰麒の目に「綺麗」と映った李斎の姿。
李斎を好もしく感じる泰麒。
この2人のその後の悲劇が想像つかない素敵な場面。



「あなたはどちらからいらしたんですか?」
「私は承州から参りました。
承州師将軍李斎、姓名を劉紫と申します」
泰麒は目を丸くする。

初めて名前が明かされる。
この姓名や字がよくわからなくて、調べているけどわからない。
「李斎」は何なんだろう、字は?

ここで調べておもしろかったのが、実際に漢時代の中国では、結婚しても同じ姓とな らないこと。
たとえば佐藤さんと佐々木さんが結婚して2人佐藤さんにはならないと言うことなん だろうか。

姓は苗字と同じ感覚ではあるけれど、もっと「血筋」に近いもの。
同時に同じ姓を持つ者同士は結婚できない。
これも近親結婚的なタブー意識があったらしい。
「次王に前の王と同じ姓の者がなることはない。」といったルールとの関係なども、 これから調べていきたい課題。

たとえば楽俊。
前塙王が張姓だったから、楽俊は次王になれないと言う。
では次の次の王なら可能だろうか?
姓はずいぶんたくさんあるらしいが、それでもいつかは尽きるだろうし。



気持ちのいい人柄だったので、落胆させるのは少し辛い。
それでもどう考えても天啓に相当しそうなものは泰麒を訪れなかった。
「・・・・・・中日までご無事で」
李斎は少し自嘲するような笑みを浮かべたが、それだけだった。

書かれていないが、ここで李斎は驍宗の昇山を知っている。
その時点で自分より驍宗の方が王としてふさわしいと認識している。
やはり自分は王ではなかったと知って、それでいて泰麒を恨まず、驍宗を妬まない。
私はまだ驍宗を知らなかったが、李斎が王でなくて残念だなと思った。(笑)
王になればいつも泰麒と一緒にいてくれる、出番が多い、ただそれだけの理由。
この頃の李斎は共感しやすい陽子と違って憧れの存在。
感情移入もあまりなかった。
ただひたすら憧れていた。



問うたのはその翌日、問うた相手は前日に会った李斎という女将軍だった。
彼女は落胆など毛ほども見せず、再び飛燕に会いに行った泰麒を歓待してくれた。

泰麒は驍宗(王)に会うが、王気を感じているのにそれに気づかず、驍宗に萎縮す る。
むしろ李斎に甘え、李斎が王であったらいいなどと言う。
「落胆など毛のほども見せず」、この身の程を知る李斎のさっぱり感がたまらなく好 き。



それでも世間の風評を信じるかぎり、自分では驍宗にかなわないと、そう率直に思え るだけのものが彼にはあった。
「本当に残念だ・・・・・・。
李斎の呟きに、泰麒は迷いながら言ってみる。
「ぼくは李斎殿が王様だったらよかったと思うんですけど・・・・・・」
李斎は破顔した。

泰麒の素直さが愛しく、李斎にとっても誇らしく嬉しい場面。
ついでに泰麒が私の気持ちを代弁してくれたことも嬉しかった。



突然掛かった声は背後から聞こえた。
李斎は驚きを露にして振り返る。
どこか身構えるような仕種だった。

さすが将軍。
くつろいでいてもいざと言う時は頼りになる感じが素敵。
「月の影ー」前半の李斎はとにかく素敵としか言いようがない。(笑)
李斎が悲惨な姿を見せるのは「黄昏の岸 暁の天」。
そこで李斎の人間味がさらに深み、凄みを増す。



「いえ・・・・・・。
李斎殿なら、さぞかし立派な将軍なんだろうな、って。
何となくそう思っていたので・・・・・・」
李斎は少し顔を赤くして驍宗を見る。
「公は私を買いかぶっていらっしゃるのです」

珍しく照れる李斎。
可愛い(笑)。
しかし普通ならば驍宗は李斎とは比べ物にならないほど身分が高い(らしい)。
それでも驍宗は李斎を知っていた。
それほど腕の立つ李斎もすごいが、優れた者を見極める驍宗もやはりすごい。



「王というものは、人柄がよければそれでよいというものではありません。
優しすぎる王は国を迷わせるし、奥床しい王は国を乱れさせる。
・・・・・・本当に驍宗殿ならばよかったのですが」

自信が驕りとならず、どこまでも身の程を知る。
「優しすぎる王」、まさに李斎その人だろう。
しかし驍宗の生死がわからない今、驍宗復活の他に、後を継ぐ者としての李斎もあり 得るような気がする。
優しすぎる王であっても学ぶことはできる。
現にこの後、饕餮に殺されそうになる体験、戴を救うために命がけの行動を起こすと ころ、李斎もまた成長している。



李斎もまた驚いて、出現した白い人妖に目を見張っていた。
岩に手をかけたまま半身を泰麒のほうへ向けた、その李斎の腕に突然何かが巻きつい たのはその時だった。

李斎の危機。
驍宗、泰麒と共に黄海に皺虞狩りに行った李斎は、饕餮に襲われる。
饕餮は麒麟でさえ折伏できない伝説の妖魔。
正直言って、ここで李斎は終わると思った。
小野先生の場合、「死んで欲しくないキャラが必ず死なないとは限らない」ことがあ るので。
李斎と驍宗の危機は結果的に泰麒の麒麟としての力を解放させる結果となる。
同時にこの3人の組み合わせが親子みたいでいいなあと思うシーンも多い。



「・・・・・・面目ありません」
恥じ入って俯いた李斎の顔を、泰麒は覗きこむ。
「李斎殿のせいじゃないんです。
ぼくが麒麟のせいなんです」
「・・・・・・いいえ」
李斎は首を振って、それ以上は口にしなかった。

自分の驕りと驍宗への意地を恥じる李斎。
でも自分を責める幼い麒麟に対しては口をつぐむ。
でもこんな人間らしい李斎が好き。
驍宗は私にとっても完璧すぎてちょっと近寄りがたい。(笑)



なまじ腕に覚えがあって、よほどの妖魔でも斬ってのける自信があっただけに、用心 を怠った。
−そうして、同じ将軍職を賜る者として、驍宗に対する意地がなかったとはいえな い。

己を素直に恥じることのできる李斎ってすごいと思う。
完璧ではないけれど、己を振り返り、二度と同じ失敗を繰り返さないことを誓う、そ んな人なのだろう。



「禁軍から将軍が一人欠けるが、どう思うか?」
驍宗の問いに、李斎はこともなげに笑った。
「欠けたままというわけにはまいりませんでしょう。
諸将の功績を比べ、得を比べて情けを用いずに抜擢なさるのがよろしいかと存じま す」

李斎なら、と泰麒もおそらく驍宗も思っているだろうが、「つて」を得たことをひけ らかさずにさらりとかわす、かっこいい。
でもきっと李斎が将軍職に就くだろう、読んでる誰もがそう思ったはず。
李斎と彼らの結びつきはそれほど強い。



「李斎殿は、驍宗様が王になられると嬉しいですか・・・・・・?」
李斎は瞬きをし、そうして、理解した、と思った。

李斎でさえ泰麒の胸のうちを計れない。
「麒麟は偽りの誓約はできない」
この世界の誰もが知ってるがゆえに、泰麒だけがそれを知らなかったことに気づけな い。
後になって泰麒の気持ちを理解できたのは陽子ただ一人だった。
でもこれ、景麒にも責任の一端があるような気がしないでもない。(笑)



即位の儀に訪れた承州候に随従して、鴻基を訪れていた李斎と飛燕にも再会できた。
その李斎と驍宗と、瑞州を一廻りしたのだ。

短い文だが、再び親子みたいに楽しく過ごしたんだろうなと思うと微笑ましい。
そして自分を差し置いて王と麒麟に優遇される李斎をおそらく受け入れる承州候もす ごいと思った。
李斎が仕えるに足る人なんだろうなと思う。
この人のことも知りたい。
ここでやっと国も落ち着き、驍宗が王として国作りを始めることになる。
続編では李斎も驍宗直属の部下となり、泰麒と共に幸せな時期を迎えるのだが、それ も長くは続かなかった。



「十二国記を語りたい!」に戻る

「十二国記を語る部屋」に戻る

ホームに戻る


























李斎 (黄昏の岸 暁の天)

王に最もふさわしいと思われていた驍宗が行方不明になり、泰麒も蝕と共に姿を消す。
誰よりも忠義の将軍でありながら、一転追われる立場となった李斎は、戴を救うべく命をかけて慶に向かう。



「畏れ多くも不遜なるは重々の承知なれど、慶東国国主景王に奏上申し上げたい!」

傷つき、汚れ、力尽きて倒れるといった形ショッキングな形で再登場した李斎。
泰麒の異変があらかじめ描かれていたにせよ、その凄まじい姿に息をのんだ。
それでもいかにも李斎らしい口調が出て来てほっとする。
まさか死ぬことはないだろうと思った。

でも小野先生の事だから、もしかしたら李斎は死ぬかもしれないと思った。
この葛藤がしばらく続く・・・。


「頼む。
・・・・・・ここで休んだら、もう景王にお会いすることはできないと思う・・・・・・」

杜真、凱之、そして虎嘯。
こんな形であれ、李斎は運がいいと言える。
3人は李斎の人となりを認め、景王に会えるように計らう。
俗な言い方だが、日ごろの行いだなあと思った・・・。


吐く息が尽きた。
李斎は息を吸い込もうとしたが、喉は徒らに鳴って、それを拒んだ。
視野に禍々しく暗い斑紋が生じ、それが膨れ上がって完全に闇に閉ざされた。
もはや聞こえるのは、鋭利な耳鳴りだけだった。

ようやく景王陽子に会え、願いを伝えた李斎。
その内容は想像できていたが、実はその時点で李斎が大きな大きな罪を犯していることは完全に失念していた。
物語の中でその罪についてやがて語られていくが、李斎が
それを認識していたかいなかったかが大きな問題となって行く。
初めて李斎の中にどす黒いものを見た瞬間だった。
けれどももちろんここでは私も気づけず、ちょうど陽子が尚隆に初めて出会ったような形で戴を助ける話だろうと甘く考えていた。


(非道だということは、分かっているんだ・・・・・・花影)

意識を失っていた李斎の夢という形で描かれるかつての戴。
泰麒が王に驍宗を選び、驍宗は将軍として李斎を選んだ。
泰麒が李斎に花を贈る場面など、本当に暖かく、少なくとも戴に関しては物語は終わったのだと思っていた。
「月の影 影の海」「風の万里 黎明の空」で陽子と慶が試練を受けたように、「風の海 迷宮の岸」で泰麒と戴は試練を受けた。
次はまだ成り立ちが描かれていない国の出番だろうなんて思って私がいた。
李斎のこの意味深な呟きが、前記した李斎の中のどす黒いものにつながっていく。

それからここで鈴が登場する。
「風の万里〜」で陽子に仕えることになった鈴や虎嘯、さらに後で出てくる祥瓊や桓タイなど、懐かしいメンバーがそろうのが嬉しい。


「それで彼女ー李斎は慶を訪ねてきたんだろうか。
泰麒と面識のある景麒を頼って?」
これには景麒も首を傾げた。
「それはーどうなのでしょう。
私自身は、劉将軍にお会いしたことはありませんが」

さりげないが、「風の海 迷宮の岸」を思い出させる読者には嬉しい会話。
そう、確かに李斎は景麒とは会っていない。


ー花影、辿り着いてしまった・・・・・・。
李斎より十ばかり年上の、穏やかな面差しをした女官史。
明晰だが優しく、怖がりに見えるほど慎重だった。
最後に姿を見たのは、戴国南部の垂州。
そこで李斎は花影と別れ、ただ一人で慶を目指した。
ー李斎、それだけは駄目。

花影、どんな人物なのか。
この期にあっても正しいことを見極める目を持つ。
李斎すら諌めようとする儚げながら芯の強い人物。
彼女をしても止めきれなかった李斎の覚悟。


「台輔から・・・・・・泰麒からよく。
私は幸い、台輔には親しくしていただいたので。
とてもお優しい方で、たくさん親切にしていただいたのだ、と台輔は始終言っておられました。
台輔は景台輔のことをとても慕っていらっしゃるふうで」
李斎が言うと、景麒は困惑したように視線を逸らし、景王は驚いたように景麒を振り返った。

ここだけ読むと、李斎は陽子と景麒を懐柔しているかのように見える。
この前に、景麒に向かって笑って「みせた」という描写も気になるし。
けれども李斎がそういった人物ではないことを信じ切れるのが嬉しい。
慶を破滅に引き込もうとしながら、一方ではただただ泰麒を懐かしむ。
正義の人、と思っていた李斎の複雑な描写が凄いと思う。
李斎の真意を知ってなお、誰も李斎を嫌いになれない、もちろん私も。


後から考えてみればーと李斎は思う。
乱は最初から轍囲を中心として巻き込むべく周到に用意されていたのだった。
それは単なる土匪の暴動などではなかった。
土匪を組織し、計略を授け、陰から指揮する指があった。
その指の持ち主は、驍宗が轍囲を無視できないことを、充分に見越していたのだった。
驍宗はそのまま二度と、鴻基には戻って来なかった。

迷いがない故に驍宗は賢い王ではなかったのか。
将軍としては足る人物でも、王たる器ではなかったのか。
この後李斎が語る驍宗の行動を読むと、どうにも危なっかしい。
泰麒の事がなくても、いつかは息切れしそうな危うさがある。
それを無条件に敬愛して仕えた李斎たち。

一人一人は有能な家臣でも、驍宗の性格に惑わされてしまったのか。
桓タイが語る驍宗像、そこまでの人物とは思えないが、この危うさこそ李斎が見抜かなければならなかった部分。


「・・・・・・助けてください」
珠を握っていた手を放し、伸ばした。
その手を握る温かな手がある。
「・・・・・・お願いです、戴を」
「分かっている」

「分かっている」
正直安請け合いに思えた。
陽子が軽いというのではなく、やはりそんなことやってる場合か?という気持ちが心のどこかにある。
ただ驚いたのが、浩瀚始め家臣が誰も陽子を止めなかったこと。

陽子への信頼、そして李斎への信頼。
大人としてみるならば、陽子より李斎の方がずっと現実的で大きい人物に思えていたが、ここでも李斎は陽子の度量にはとても敵わない。
「風の海 迷宮の岸」では考えられなかった展開だ。
成長したな、陽子と感慨深いものがある。
このように、悲惨な状態でありながら、肝心の李斎より他の人物に関心が飛ぶのは、やはり時期、場所があちこちに飛ぶからだろう。


「そうだな、俺は劉将軍のことは存じ上げなかったんですが、騎獣を見ると優れた方なんだろうという気がしますよ。
騎獣のほうの主人に対する忠義が篤いし、騎獣自身もとてもよく馴らされている。
馴らし込む、と言うんですが。
よほど良く面倒を見て、しかもきちんと主人として立つーそうでないと、ああも馴らし込むことはできませんからね」

誰も知らなかった李斎。
ここで初めて桓タイが見抜いた李斎像が語られる。
桓タイにこのように称えられる李斎、正直うらやましい(笑)。


この方は、と李斎は驍宗を見た。
(新王が登極して十数年はー下手をすれば数十年はかかることを、一年で片づけてしまおうとしている)
ふいに悪寒を感じた。

「風の万里 黎明の空」の後、陽子に仕えることとなった鈴と祥瓊が登場し、微笑ましい会話が嬉しい。
李斎はもちろん知らないが、祥瓊は自分の過去と戴の現状を照らし合わせるが、それを否定し、李斎の回想という形で驍宗の統治の模様が語られる。

何度も読み返していくと、李斎は花影、泰麒、琅燦との会話の中で、何度も後わずかの所まで近づいている気がする。
あとわずかで驍宗が踏みとどまることができる、そんなもどかしさ。
確かに驍宗は間違っている。
けれどじゃあどうしたらいいかと考えてもわからない。
詭弁ではない、李斎や花影が抱く不安も疑問も驍宗の答えで納得できるのだ。


花影はただ、この急激な変化そのものが恐ろしいのではないだろうか。
多分、花影の危惧には確たる根拠があるわけではない。
驍宗に対する不安ではない、驍宗が作る急流に乗って流されている自分が怖いのだ。

事件が起こってみれば、驍宗はやはり間違っていたと言える。
過酷な粛清、急ぎ過ぎた統治、そして泰麒を「甘やかした」こと。
皆漠然とした不安を感じながらも、その正体を思いつけず、やがて納得させられる。 天帝が驍宗を王として選んだのなら、なぜそこに賢王になるためのヒントを与えてくれないのだろう。
かつての慶しかり巧しかり、王として失格ならなぜ選ぶのだろう。
だが、雁や奏の王との違いは確かに感じる。
王の柔らかさ?に対する安心感、だろうか。


少しずつ、朝廷はひとつに纏まっていった。
ーそのように見えた。
李斎にはそれが怖かった。
強いて言うなら、極めて優れていることは、極めて悪いことと実は同じなのではないか、という不安だった。

驍宗が花影を選んだ理由、そして花影の不安を察して取ろうとする処置、間違ってはいない。
このようにして朝廷がまとまることの何がいけないのか。


「・・・・・・私が弑した、あるいは、他の誰かが私を操っていたのだとして、何度も追撃の命が出されました。
ですが、それは違うのです・・・・・・」

尚隆と六太が慶を訪れ、李斎への疑いを語る。
尚隆も陽子がこれほどまでに思い入れのある李斎を本当に疑っているわけではないだろう。
けれども伝えるべきことは伝え、確かめるべきことは確かめる。
陽子が暴走しないように諌め、李斎の人となりを確かめにわざわざ来る。

仮に立場が逆で、驍宗が助ける側だったらどうだろう。
同じことをしただろうが、やはりもっと性急だったろうか。
やり方は違うかもしれないが、対応は誤らないと思うのだが。


「・・・・・・・そうですね」
うん、と琅燦は満面の笑みを浮かべる。
「李斎はものの分かりが早い。
たいへん、宜しい」
李斎は思わず苦笑した。

戴で一番の常識人と思える琅燦。
実は泰麒を麒麟として扱わないことこそが泰麒への一番の侮辱、という考えは、私も琅燦に言われるまで思いもつかなかった。
琅燦は驍宗と関わりはなかったのだろうか。
この調子で驍宗に気づかせてあげてれば、と思うのだが。
蝕の後、琅燦がどうなったかは書かれていないのでとても気になる人物の1人。


議場は一瞬のうちに混乱の中に投げ込まれた。
李斎はその片隅で呆然としていた。
王が斃れた例はある。
宰輔が斃れた例もある。
だが、その双方の行方も安否も分からないなどという例が、これまであったとは思えない。

「風の海 迷宮の岸」を読んだ時は、李斎は驍宗には届かなくてもほぼ完璧にに近い人物だと思っていた。
足りない分を人間味が補っている分、むしろ好もしかった。
しかし混乱した状況の中、なすすべもない李斎を見ていると、驍宗が王として失敗したように、李斎もまた臣として失敗したように思える。
むしろ琅燦、花影の方が状況を把握しているが、これは文官がどうの武官がどうのと言っている場合ではないだろう。
驍宗に心酔し、泰麒を盲愛していたつけが今降りかかってきたのだとすれば、李斎にはむごいことだが、やはり足りない。
特に泰麒に近しき立場にいた人物として。


ひょっとしたら・・・・・・と、李斎は僅かに息を呑んだ。
李斎も知らない、誰も気づかない水面下で、似た者同士が互いに互いの足許を掬おうとして熾烈な戦いを続けていたのかもしれない。

気づけないでいた、いえ気づこうとしなかった部分を遂に直視せざるを得なくなった李斎。
でも奏や雁に比べて戴に対する扱いはいやに厳しい気がしないでもない。


「昨日まで反民を保護してくれていた州候が、突然保護していた我らを阿選に売り、自身は何事もなかったように阿選に下って州候を続ける、ということもございました。
自らの州が蹂躙され、民が殺されても、もはやまるで意に介さないのです」

ここで「洗脳」という言葉が出てくるが、ここはちょっとがっかりした部分。
正直言って洗脳や催眠術などという言葉を使うと何でもありな雰囲気が出てくる気がする。


「お許しください。
戴を哀れむ余り、私は罪深いことを考えました。
・・・・・・けれども、それはいけません。
景王は慶の国主でいらっしゃる。
慶の民に対する以上の哀れみを、戴に施されてはなりません」
ー花影、貴女が正しい。

やっと李斎らしい李斎が戻って来る。
ただ後になって「戴を哀れむ余り」の奥にさらに深い意味を知ることになるのだが・・・。
ここまで言ってなお悩む李斎、女々しい。
でもそこが好きだ。


「天帝は本当においでなのですか?
おいでならなぜ、戴を救ってくださらないのです。
血を吐くような戴の民の祈りが聞こえませんか?
まだ祈りが足りないと仰るのですか?
それとも戴を滅ぼすことが、天のお望みなのですか?」

これは「十二国記」における大きなテーマのひとつ。 私も以前はいろいろ悩んでいたが、最近はこの国は天帝のゲームに過ぎないのだと思うようになった。 たとえばランクAのキャラの中から王を選ぶ、ダーツでも良しルーレットでも良し、そんな感じ。 厳しいルールで縛りはするけれど、救済策は用意しない。 ただ世界の中で操られている人々は生身の人間、ゲームキャラではない。 いつか天帝の意思を示すべき日が来るだろう、書かれれば、の話であるが。 新作の予告はあっても、書かれるべきテーマがあり過ぎて、天帝の意思について書いてもらえるという確信が持てないのが辛いところだ。


はい、と李斎は頷きながら、その包みを押し頂いた。
「奇跡的な縁で、そなたら戴の民と泰王はまだ繋がっている。
・・・・・・諦めるでないぞ」
ありがとうございます、と言った言葉は嗚咽で声にはならなかった。

いろんな意味で衝撃的だった範主従。
彼らが李斎にもたらした物は、李斎に希望を与える。
驍宗がどうなったのか考える上でこれは大きなヒントだと思うのだけど、やはりわからない。
驍宗ともあろう者が背後から斬られ、死んでもおらず、でも姿を現すこともない。
その性格、不死など考え合せても、驍宗が出て来ない理由が想像つかない。
強いて言えば、洞窟の中に閉じ込められている(落石などでふさがれて)とか。
うん、ありきたりだ・・・。


李斎、と呼ぶ屈託のない声、李斎を見つければ、まろぶようにして駆けてきて、笑顔を向けてくれた。
そこに飛燕がいれば必ず、撫でてもいいか、とー。
「台輔もちょうど、貴方くらいのお歳だった・・・・・・」

桂桂に幼き泰麒を思い出す。
「風の海 迷宮の岸」の李斎とは別人のような李斎がここにいる。
「風の海ー」では見られなかった母性の部分が強く打ち出されているせいだろうか。
あの李斎なら、どんなに弱っても、こうした面は見せなかったように思う。


「泰麒には饕餮がおられる。
饕餮です、違いますか」
什鈷は耳を立て、毛並みを逆立てた。

遂に見つけた泰麒の手がかり。
泰麒の存在は、こちらの世界にとっても危険なものだったことに唖然とする。
李斎はもちろんそんなことは知らず、助けを求めたのだが、李斎の捨て身の行動がこちらの世界をも救うこととなる。


「天があり、天意があり、天の神々がおられるなら、なぜもっと早く戴をーこんなことになる前に助けてはくださらないのですか!?
戴の民は血を吐くような気持で天に祈念を」

李斎の言葉に陽子は、この世界は「神の庭」と思うのだが、不謹慎ながら、やはり神はゲームをしてる感覚なのではないかと思う。
国を作り、王を置き、民を育てるゲーム。
そこに楽しみはあるけど、感情の入る余地はないゲーム。
大きな違いは神が育てる、いわゆる「キャラ」が実在の人間であり、台詞ではなく感情を持った言葉を放つこと。

そう考えると神は本当に無慈悲に思える。
完璧な王を選んで全ての国が立ちゆけば退屈だろう。
駄目な王ばかりだと、ゲーム自体が破たんするだろう。
そのバランスに苦慮しながら、それを楽しむ「神」の姿が頭に浮かんだ。


「これほど高い代償をーしかもゆえなく要求しながら、そうやって選んだ王に対して、天は何の手助けもしてくださらない。
驍宗様に、王として何の落ち度があったと言うのですか。
それはもちろん、瑕疵のない王などいないでしょう。
天にすれば、見限るだけの理由があったのかもしれません。
ならばなぜ、阿選を黙認なさるのです?
あれほどの民が死に、苦しんでいるのに、なぜ正当な王を助け、偽王を罰してはくださらないのです!」

最近の「十二国記」を何度も読み返すことはあまりないが、この頃は本当に何度も何度も読み返した。
読みやすい文章と創り上げられた物語の中に、ファンタジーを越えて考えさせられることはたくさんある。
最近の「十二国記」は難しい文章、リアルな物語ゆえに、考えることを強制されているような居心地の悪さがある。
最初からそのような形だったなら何とも思わなかったろうが、「十二国記」は明らかに変化している。


「台輔に何ができるか、そんなことがそもそも関係あるとでもお思いか。
台輔は麒麟です。
その台輔に阿選を討てるはずがなく、戦においてどんな働きもなさることができようはずがない。
それでも台輔は必要ですー分からないのですか?
台輔がそこにいるかいないか、それが民にとってー私たちにとって、どんなに大きなことなのか」

ここはとても難しい。
たとえば「風の万里 黎明の空」で陽子が土壇場で景麒を呼んだような、劇的な登場ならば効果もあろう。
でも角を失い、無力な麒麟を見て民ははたして喜ぶだろうか、やはりそう思ってしまう。
もちろん泰麒は必要だが、李斎が望むような形で必要なのか、私はちょっと違うと思う。


「李斎ーいました!」
李斎は凍りついた。
待ちかねた報せを受け、嬉しいより恐ろしくて身体が動かない。

李斎にも心の奥底ではわかっているのだろう。
泰麒を探している間は必死になれた。
けれども泰麒の帰還が最悪の形で行われようとしている今、李斎の怯えは当然だと思う。


「あれが、泰麒か?」
景麒は振り返る。
陽子に頷いて、肯定を伝えた。
陽子は軽々と、その見えない障壁を突き抜けていく。
その後をまろぶように李斎が追った。

麒麟が近寄れなかったのは、泰麒にまとわりつく穢瘁ではなく、泰麒自身に対する怨詛。
以前も書いたが、私は「十二国記」を一通り読むまで、「魔性の子」は存在すら知らなかった。
泰麒のことはこの「黄昏の岸 暁の天」でも漠然とは描かれているが、まさかあれほどとは。
しかもあちらの世界、私たちにとってはこちらの世界、の人々はただ殺戮され、翻弄されたまま取り残される。

これほどまでに決着をつけるべき物語はあるだろうかと「十二国記」を読むたびに思う。
そして同じ時代、同じ場所で生きた陽子と泰麒、高里要がついに出会うことになる。


「そう・・・・・・駄々のようなものなのかもしれません。
結局のところ、私はその苦しみから逃れるために足掻いているんです。
ーただー自分の気持ちを救うためだけに」

李斎にどんなに共感しようと、李斎に同調することはできない。
李斎は正論を吐きつつ、感情の部分で駄々をこねている。
こんな李斎だからこそ王にはなれなかったのだろう。
でも、ならば驍宗は?との疑問が残る。

「風の海 迷宮の岸」を読んだ時は、驍宗は王たるに足る人物に思えた。
今は驍宗もまた、王になり得る人物ではなかったのかと思う。
でも王にふさわしい人間はそんなにいるものだろうか。
「十二国記は続かない国、変わり続ける王の物語だ。
奏、雁、範、そしておそらくは供と慶、王が残ればそれだけで記録になるのだから。


「・・・・・・李斎?」微かな声はもう、子供の声ではなかった。
穏やかに柔らかい。
「はい・・・・・・」
李斎は堪らず泣き崩れた。
衾の下の薄い身体を抱きかかえた。
「李斎、・・・・・・腕が」
「はい。不調法で失くしてしまいました」

やっと正気に返った泰麒。
李斎の「不調法で失くしてしまいました」の言葉が何度読んでも泣けてくる。
何が不調法なものか。
泰麒を探すために李斎がどれだけに苦労をし、犠牲を払ったのか。
同時に李斎も感じている寂しさもまた感じる。
あの幼かった、愛らしかった泰麒はもういない・・・。


それは李斎殿の言動を拝見していたからですね。
主上に対する態度、我々に対する態度、あるいは虎嘯に対する態度。
なにかにつけて発せられる言葉、行われる行為、それらのものから考えて、私には李斎殿が戴さ良ければ慶など知ったことではない、と考えられるような方には見えませんでした。
私は未だに李斎殿の内実を知ることはできませんが、もしも罪を承知で来られたのであれば、それだけ必死でいらしたのだろう、けれどもその罪深さを自覚なさったのだろう、と思っております。

あまりの清々しさに拍手喝采したくなった。
李斎の心情は理解しながらも、その行為は正しいと思えず、悶々としていた読者の心に一気に迫る浩瀚の言葉。
この時期の「十二国記」には回答がある。
「落照の獄」と読み比べて、何が違うのか、読者は回答を与えられず、悶々としたまま終わる部分ではないだろうか。
それだけ物語が深化したとも言えるが、このような爽快なおもしろさは得るべくもない。


・・・・・・そう、確かに李斎らは、ここを出て戴に戻らなければならない。
李斎は涙で歪む視線を自分の手に向けた。
それを握る手は、李斎のそれと変わらない。
「こんなに・・・・・・大きくおなりなのですね・・・・・・」

泰麒と李斎の会話。
泰麒の言葉を正論とは思いつつも、納得できないものを感じる。
何の力も持たない状態の泰麒が戻って、かえって足手まといになってどうするのか。
それで泰麒をも失ったら戴はどうなるのか。

庇護に甘えるのではなく、麒麟としての力を取り戻した状態で帰ることに、それまで慶で養生することに何の恥があるだろう。
それとも、そう決意したからこそ、天の救いは得られるのだろうか。
もうすぐ発売されるはずの新作、戴を描いて欲しいと切に願う。


「十二国記を語りたい!」に戻る

「十二国記を語る部屋」に戻る

ホームに戻る