陽子(月の影 影の海)

慶国景王。
「蓬莱」と呼ばれる日本で生まれるが、実は胎果。
胎果とは、蝕に巻き込まれて向こうの国(蓬莱=日本)に流され、そこで生まれ育っ た者のことを言う。
シリーズのほとんどに登場する主人公のような存在。



誰もが理由なく被害者を決めるわけではない。
被害者になったからには、彼女の中にそれなりの要因があるのだ。

陽子の基本的性格を表した言葉。
(疎んじられる)被害者にならないように細心の注意を払っていることを感じさせ る。



どうしてこの男は満足な説明もなしに、陽子に何かを強制しようとするのだろう。

パニックに陥りながらも、実は景麒の性格を正確に把握している陽子。
笑えるよ うな場面ではないのだが、何度目かに読んだ時は、とうとう笑ってしまった部分。


腕がひどく痛い気がした。
あの老人 が切なる力で掴んだ場所が。
二度と人を信じるなという、これはその戒めなの だ。

巧国に来てからの陽子は達姐、松山誠三をはじめとした人々に騙され、裏切られ、傷 つけられる。
おもしろさより辛さを感じてつい読み飛ばしてしまう部分。
蒼猿のあまりにも的を射た言葉が胸に突き刺さる。



それでも生きのびなければいけない。
味方も、生 きる場所もない命だからこそ、心底惜しい。

傷ついた陽子はここでひとつ強くなる。
しかしその強さは他人に対する不信感に 根ざしたもの。
陽子の強さはあまりに哀しい。



万が一楽俊が自分にとって危険な存在になれば、剣にものをいわせればすむことだ。
ーそう考え、ひどく自分が情けない生き物になっ た気がした。

楽俊に救われ、体の傷は癒えるが不信感は拭えない。
自分を「生き物」と捉えるところに悪になりきれない陽子の善性を感じる。



ただ逃げるしかない人々の声をー
海客 である陽子を狩っているはずの人々の悲鳴を背中で聞くのは奇妙に誇らしく、愉しい。

楽俊と出会っても救われない当初の陽子。
蠱雕に襲われた街で、剣を扱い、蠱雕を狩る喜びを感じる。
陽子を「狩る」人々の悲鳴が、今の陽子には心地よい。
今の陽子はたしかに強い。
偽りのの強さではあるけれど。



楽俊は自分を匿ったのだから、罰をおそれて彼を見捨てて逃げた海客のことをしゃべったりはしないはずだ。
自分に強く言い聞かせて、陽子は足を止めた。
胸の中に深い穴があいた気がした。
いま考えるべきことは、そんなことではないのではないか。

自分を助けてくれた楽俊、それも傷を負っているように見えた、を見捨てて逃げた。
信じ切れない中にも自分の行為を許せない自分がいる。
陽子の葛藤は深い。
しかし、逆の味方をすると、これは陽子が王になるための試練でもある。
も し、何事もなく陽子が景麒と一緒に慶国に着いていたらどうだっただろう。
陽子 は予王の二の舞になっていたのではないだろうか。


見捨てただけでもこんなに心が重いのに、殺してそれでどうやって生きていくのだ。
命がありさえすればいいのか。
どんな醜い生き物に成り下がっても、ただ生きていられればいいのか。
「・・・殺さなくてよかった・・・」

陽子が己の誇りを取り戻した瞬間。
正直言ってここまでは、本当に読むのが辛い場面が続く。
特に楽俊がいい奴だって知ってるから。
「信じてやりなよ、頼ってやりなよ。」何度も心につぶやいた。
そんな読む側の声がやっと陽子に届いた。


陽子自身が人を信じることと、人が陽子を裏切ることはなんの関係もないはずだ。
陽子自身が優しいことと他者が陽子に優しいことは、なんの関係もないはずなのに。

この瞬間、陽子は王になったのだと思う。
後に李斎や祥瓊を救おうと全力を尽くす心優しき王、心強き王に。
私が本当に「十二国記」にとりつかれたのもこの瞬間かも。(笑)


陽子にとっては、自分の意見を考えるより他人の言うままになっている方が楽だっ た。
他と対立してまで何かを守るより、とりあえず周囲に合わせて波風を立てない方が楽 だった。

これ、もしかして自分の性格?と考えると忸怩たるものがある。
同時に変えていくことはやはり難しい・・・。



埠頭に降り立った陽子に声がかけられたのはそのときだった。
「陽子?」
かけられるはずのない声に驚いてふり返って、陽子はそこに灰茶の毛並みを見つけ た。

楽俊との再会。
本当に良かった、楽俊が生きていて。
陽子を恨みもせず、陽子が心を開くのを待っていた楽俊。
これで陽子もやり直すことができる。



「わたしは楽俊を裏切ったのに、うらめしいと思わないの」
「陽子をバカだとは思うが、別にうらむ気にはなれねえなぁ。」
「わたしは、止めを刺しに戻ろうかと思った。」

初めて雄弁に正直に気持ちを語る陽子。
それに対しても構えたところのない楽俊。
珠晶が頑丘や利広に出会ったように、陽子もまた、楽俊を巻き込んでいったのだろう か。
そうでなければ景王陽子は存在しなかったと思う。



楽俊は笑った。
「おまえはよく頑張ったよ、陽子。
  いい感じになったな」
「え?」
「船から降りてきたとき、すぐにわかった。
なんだか目が素通りできねえんだもん」

言われてみたい、その一言。
日本での陽子、巧に来たばかりの陽子の状態を考えると、もう涙が止まらない。
同時にうらやましいな、って思う。



「・・・聞いたことがある」
どこかでタイホというという音を聞いた。
「そりゃ、あるだろうさ」
「ちがう。多分、むこうで」
ずいぶん昔に聞いた音だ。

陽子自身の何気ない一言が陽子の運命を変える。
「ケイキ」という言葉はけっこうあちこちで使っていたが、誰も気づかなかっ た。
「ケイキ」という名前はもっと一般的なのだろうか。



「景麒がおまえを王と言うなら、おまえは景王だ」
「え?」
「慶東国王、景」
陽子はしばらくぽかんとする。 あまりに隔たりのある言葉にうまく反応することができなかった。

朝、職場に行って普通に仕事してたら、突然「おまえは日本の首相だ。」って言われ たら、どう思うんだろ?
あっ、それとはちょっと違い過ぎ?(笑)
読んでる側には、もう最初から陽子=景王であることはわかっているのだから、けっ こうじれったい部分もあった。
楽俊に会ってなかったら、今頃盗賊に身を落とし、行方不明ってゲームの展開だ!



深々と頭を下げた姿が悲しかった。
「わたしは、わたしだ」
「そういうわけには」
「わたしは」
ひどく憤ろしくて声が震えた。

もし、自分の友達が急に王様になったら、写真撮ったりサイン求めたり?するくらい の感覚?こっちでは。
楽俊でさえも豹変するほどの身分の差、想像するのは難しい。
陽子は楽俊に裏切られたような気持ちになった。
「憤ろしくて」、あまり使われない言い回しだが、迫力が感じられる。



「わたしが遠くなったんじゃない。
楽俊の気持ちが遠ざかったんだ。
わたしと楽俊のあいだにはたかだか二歩の距離しかないじゃないか」

原作を読んでいて、一番泣けた部分かも。
さらに、この後の楽俊の返事を読んで、今度は泣き笑い。
成長したなあって。
苦しかったけど、王としての修行の道でもあったのだろう。



陽子は腕を伸ばす。
ふかふかした毛皮を抱きしめた。
わわわ、と奇声をあげる楽俊を無視して灰茶の毛皮に顔を埋める。
想像どおり、ひどく柔らかい感触がした。

「楽俊、言わないんだもん。」by陽子。
半獣だと力説しても、海客にその意味が通じるわけないでしょうか。(笑)
しっかりしているようで、こんなすっとぼけたところが楽俊の魅力かも。



人々をなぎたおしながら駆けてくる巨大な虎。
その背後に、大きな牛に似た生き物が見える。
「二頭・・・」
すこし身体が緊張する。
久しぶりの感覚に恐怖よりも奇妙な高揚感がある。

最初の頃の気弱な性格が、こんな風に変わるんだ、とちょっと驚いた。
優しい女らしい王をイメージしてたら、どんどん女くささが抜けて武勇の王と呼ばれ るようになり、中性的な魅力を持ち始める。
これは小野先生の好きな女性の好みかも知れない。
祥瓊、氾麟、梨耀のような徹底的な?女っぽさか、美しくても陽子のように女性を感 じさせないか。
李斎や廉麟もそんな気がする。



陽子は肩で息をしながらだまって男を見あげる。
男はただ笑った。

尚隆が来なければ、陽子は間違いなくやられていた。
もしかしたら死んでいたかもしれない。
しかし、陽子にはそういった己に対する感情は希薄である。
尚隆に対しても、命の恩人と言った無防備な感謝の念を抱いているようには見えな い。
心理的に非常におもしろい部分。



陽子はしばらく身動きができなかったし、楽俊にいたっては髭も尻尾も立てたままで 硬直してしまった。
まじまじと見つめられた方は笑う。
彼がこの状況を楽しんでいるのは明らかだった。
 
  尚隆に連れられ、一軒の宿に向かう。
ここでは陽子と尚隆の印象が強く、楽俊はほとんど存在感を感じさせない。
尚隆や六太に比べ、外見はともかく、強い個性の持ち主ではないからだろう。
傷つき弱った時、あるいは2人だけの時、楽俊は光を放つ、そんな気がする。


楽俊が示した方向には何も見えなかった。
街の明かりも見えず、ただ深い闇だけがある。
どこに、と問い返そうとして、陽子は自分が見るべきものを誤解していたのを悟っ た。 楽俊は闇の中のなにかを示したのではなく、闇そのものを示したのだ。

「十二国記」は情景描写も神秘的で想像力をかきたてられる部分が多い。
陽子が見ているのは、ただの「闇」なのだが、その美しさ、大きさの迫力には圧倒さ れる。



「ただの獣ならしゃべるかい。
半獣だと言っただろうが」
「・・・たしかに」
顔から火が出るとはこのことだ。

「しっかりしているようで、ウカツだなぁ」と言われたって、こっちの人間なら誰で もそう思うだろう。
特に「犬夜叉」ファンには。(笑)
言わない楽俊も人?が悪い。



「わたしはこちらに来て、いつ死んでもおかしくない状況だったんだ。
なんとか生きてこられたけど、それは運がよかったんだと思う。
こちらに来たときになかったも同然の命だから、そんなに惜しい気がしない。
少なくとも、そういう惜しみ方をしたくない」

尚隆や楽俊には見えている陽子の王としての資格。
陽子にだけは見えていない。
でも、こんな迷い方をする陽子、かっこいいなと思う。
話し方も後で「武骨」と言われるほど率直で好もしい。


−ばけものと呼び、取ってくれと駄々をこねた。
  そのせいなのだから、これは陽子の咎だ。
「わたしは、ほんとうにおろかだ・・・」
つぶやいた声にはもう返答がなかった。

  冗祐の言葉に自らを省みる。
その言葉さえも陽子の救いにはならない。
愚かさだけが陽子を鞭打つ。
でも、陽子の言う愚かさ、塙王や予王とは何かが違うような気がする。



「根拠のない自信は驕りというんだ」

こちらの世界に来て陽子が学んだこと。
厳しい言葉にすでに王気が感じられたのは気のせいか。



「・・・景麒?」
言うと真っ直ぐに陽子を見あげる。
四肢を折って陽子の足元に体躯を伏せた。
屈み込んで手を伸ばしても逃げない。
金の鬣をなでると目を閉じた。


景麒との再会。
このまま名コンビになって一件落着、と思った私はやっぱり甘い。(笑)
でも、ここの景麒との会話のおもしろさ、陽子の葛藤を超越した柔らかさ、何度読んでもおかしくて楽しくて、でも涙が出る。


「ああそうだ。
お願いがあるんだけど」
「なんなりと」
「ジョウユウにした命令をといてほしい。
まだ離れてもらっては困るけど」

「ジョウユウ」が「冗祐」であったことを知る瞬間。
後になって、誰にでも気安く声をかけるなと小言を言う景麒が想像つかない。
冗祐は「月の影−」以降はほとんど出てこず、王となった陽子から離れたことになるのが本当に惜しい。
おかげで陽子も間一髪の目に会うし・・・。


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陽子
(風の万里 黎明の空)

尚隆たちの助けを借りて偽王を倒し、景麒を取り戻した陽子は慶国の王になることを決意する。


「・・・・・・私は、国を営むということがどういうことだか、まだよく分かっていない。良い国を作りたいとは思う。けれど、良い国とはどういう国だろう?」

十二国記の世界の住民が全て王が選ばれる仕組みを知っているならば、そちらの人々は常に王を、国の仕組みを意識しながら生きているのだろう。
こちらの世界では王はともかく、頭となるべき人は望んでなるもの。
なりたいと思わなければ意識しないものである。
陽子の素朴な疑問はこちらの世界、現代の世界を生きているからこそ出たものだろう。
けれどもその意味するところはあまりにも重い。
逆に、そんな疑問を持つ陽子だからこそ偉大な王となる可能性を秘めているとも言える。
尚隆は陽子に答えを与えてはいないが、尚隆もまた答えを見つけていないのかもしれない。
たとえ見つけていたとしても、それは陽子が自身で見つけるべき答えなのだろう。



「・・・・・・景麒も、私が不満か?」 主上、と目を見開く下僕(しもべ)を陽子は見やる。
「女王が不満か?私は不甲斐ないか」
諸官は常に猜疑の目で陽子を見る懐達という言葉を聞いた。彼らは女王を玉座に据えておくこと自体が不安なのだ。

諸官や民の不安は仕方がないと思う。
陽子にとって辛いことではあるけれど、懐達という言葉が出ることも。
しかし陽子の味方、師となって陽子を支え、導くべき景麒は予王の件で何を学んだのだろう。
陽子に最初から完璧を求めているわけではないだろうが、陽子にとっては半身どころか落ち込ませる要因のひとつだ。
もし陽子が道を失っていたら、責任の一端は景麒にある。
麒麟の慈愛が肝心の王にだけ向けられていない。
景麒がするべきは、陽子に自信を与え、民や官の不安を除くべく努めることではなかったか。
物語とはいえ、損な性格、真面目な主従で済む話なのだろうかと思った記憶がある。



―いつの間にか、顔色を窺っている。官の、景麒の溜息怖さに、顔色を窺い、少しでも満足してもらえるよう、媚びようとしてはいないか。そしてそんな自分に辟易して、いっさいを投げ出したい衝動に駆られている。

陽子のすごいところは自分の「愚かさ」に自分で気づくところだと思う。
私自身は陽子を愚かだと思ったことは一度もないが。
尚隆や楽俊ですら、陽子を助け、支えはしたものの、陽子の目を開かせたわけではない。
陽子は常に自分で気づき、乗り越える。
今がその第一段階。



「妖魔に追われれば辛い。・・・・・・私が玉座に就かなければ、慶の民の誰もが同じ目に遭うのだと聞いたから、玉座を受け入れた。王とはそのためにあるはずだ。少なくとも官を満足させるためにいるのでも、景麒を喜ばせるためにいるのでもない。民を満足させるため、喜ばせるためにいるのじゃないか」

そのためにはまず民を知ること、陽子は街に降りて民に混じって生きることを決意する。
もう陽子は立派な王だ。
陽子に必要なのは王としての心ではなく、王としての知識だった。
陽子を気遣いながらも認める景麒。
この後景麒の独白が入るが、景麒は予王の性格や想いを正確に把握していた。
今回も陽子の弱さを最初から見抜いている。
ならばなぜ、と思ってしまうが、こちらは「景麒」の項で語りたい。



「―え」
通り抜けた赤い髪。駆け寄り、駆け抜けていった人影の残像。
振り返った蘭玉の目に映ったのは翻る赤い色と、鮮やかな弧を描く白刃のきらめき。
小柄な少年だった。その影と飛び降りてきた窮奇の影が交わって、蘭玉は弟の身体を抱きしめる。

冗祐が憑いているのだろうが、その身のこなしと色彩は鮮やかだ。街に降りた陽子からは活気が感じられる。
そして蘭玉、桂桂、遠甫との出会い。
後の展開を考えると、この場面ですでに切ない。



「大人は朝から夜中まで働く。
 子供は朝から夜中まで勉強する。
 べつに強制されるわけじゃないけど、人より働かないとたくさんのものをなくしてしまう。
 だからみんな、夜中や明け方まで働く」

陽子が語るこちらの世界。
陽子は自分の印象、自分の世界で感じたこと、経験したことを語っているだけなのだけど、聞いている側はそれを全てと受け止める。
たとえば陽子が珠晶のような、祥瓊のような、鈴のような、もしくはいじめる側のクラスメート、いじめられる側の杉本のような性格だったら、陽子が語るこちらの世界は蘭玉や遠甫の耳にどのように響いていただろう。



「〜(前略)〜 
 ―冬、人に必要なものはなんじゃと思う?」
「暖かい家・・・・・・ですか?」
遠甫は髭をしごく。
「なるほど、蓬莱生まれではそうなるじゃろう。
 ―いや、家ではない。食料じゃよ。
 それは飢えたことのない国の者の意見じゃな」
陽子は恥じ入って俯いた。

本当の飢えを知らない陽子はまず心地良さを求めてしまう。
陽子はそのことを恥じているけれど、知らないことを恥じることよりも、知ろうとするこの姿勢が大切なのだと感じる。
祥瓊に関しては彼女の項で書きたいと思っているが、私は珠晶や楽俊のように祥瓊を責めることのできる人が、果たしてどれだけいるのだろうと疑問を持っている。
塙王が陽子を殺そうとせずに、陽子がすんなり王になっていたら。

楽俊や六太や尚隆と会うことなく、彼らに教わることも、助けられることもなかったら。
陽子は予王や芳の二の舞になっていただろうか。
それとももっと遠回りにしろ同じ道を辿り、良い王となっていただろうか。



「諸官の中には、浩瀚を恐れて主上は雁に逃げ出したのだと、噂する者もございますが」

くすりと陽子は笑った。
「それは言われるだろうと思った。
 ・・・・・・まあ、そういうことにしておこう」

実際に雁に留学?ホームステイ?して雁に学んでもいいのになあと不埒にも思ってしまった瞬間(笑)。
けれど陽子は学ぶことよりまず知ることを選んだ。
しかも遠甫という素晴らしい教師もついた。
目立たないけど景麒のお手柄。



友人の半獣。
彼に感謝して半獣を隔てる方を撤廃したかった。
―だが、官吏の賛同が得られなかったのだ。
 それを初勅にしようか、とも思った。
初勅は陽子にとって、ひとつの区切りだった。
自分が王としての自覚と自負をもって行う最初の仕事にしたいと、いつの間にか頑なに思っている。

最初に読んだ時は、楽俊に対する感謝の気持ちを押し通して初勅にしてもいいのでは?と思ったが、そうしても結局は反感を招くだけだったろう。
陽子はまず自分を王として認めさせることが必要だったし、何よりも陽子自身に初勅とするにはためらいがあった。
陽子は王であることの意味を無意識のうちに感得しているようだ。
それはやはり陽子が苦しみつつも、王という立場と真っ向から向き合っているゆえなのだろう。

陽子のこの不器用な誠実さがとても好きだ。



軽く眉を寄せて広途へ出ようとしたときだった。
陽子は顔を上げた。
先に見える途の出口、そこから悲鳴が聞こえた。

「風の万里 黎明の空」前半は陽子と鈴、祥瓊の3人の物語が平行して綴られていく。
この悲鳴により陽子と鈴がクロスする。
けれどそれは鈴にとってあまりに辛い瞬間だった。



―もういちど、止水に行ってみようか。
思って首を振る。会って陽子に何が言えるというのだろう。昇紘を放置している自分、そして。―慶には海客を隔てる法がある。それを陽子は撤廃できてない。その陽子が海客に会って、掛ける言葉のあろうはずがない。
「・・・・・・なんて不甲斐ない王なんだ、私は・・・・・・」

十二の国に住む民は、少なくとも自分が王に選ばれるかもしれない可能性を常に意識しながら生きている。
海客である陽子はその時点で大きなハンディを背負っているのだが、王としてすべきことができているかどうかはともかくとして、その精神は紛れもなく王のものだと思う。
ただ、急ぎすぎる、完璧を求めすぎる陽子の気負いが陽子自身を追いつめている。
確かに今鈴と会ってたら、互いにさらに落ち込む結果になってたかも。



「・・・・・・やっぱりお前だったんだな」
陽子は言って、宿の客房に入る。堂に座った澄ました顔をねめつけた。
相手は少し不審そうに目を見開いて首をかたむける。すぐに丁寧に頭を下げた。巻いて垂らした布が肩先から前に落ちる。
「お呼び立てして申し訳ありません」

陽子と景麒のかみ合わない会話に、この前の蘭玉との会話、班渠のくつくつ笑いとセットで、何度読んでも吹き出してしまう。
同時にこんな世間知らずの麒麟が政務を司ることに不安も感じてみたり。
六太や麟たち世慣れた麒麟なら、そんなこともないだろうけど。
でもそこが景麒の魅力だ(笑)。



陽子は臥牀に寝転がって、ぼんやりと宙を見上げる。
―民が子。その子を通して天に仕える。
陽子は故国で神を持たなかった。天帝という神を戴く心は、自分のものとして理解できない。神に仕える、という言葉が遠い。

神を戴く心は、陽子同様私にも理解できないけれど、こちらと違って確実に王を選び、神に背けば天罰を与える神(天帝)は、あちらの世界には確かに存在する。
「黄昏の岸暁の天」で天帝の存在を私たちも垣間見ることができたが、今後その謎が明らかにされることはあるのだろうか。



「・・・・・・死臭がする・・・・・・」
「―景麒?」
見上げた白い面は、僅かに不快な色を呈していた。
「まるで街に呪詛が淀んでいるようです」
陽子は踵を返した。
「―戻ろう」

昇紘、呀峰、靖共らによって虐げられた国、虐げられた民の呪詛が淀む地、和州。
清秀もまた昇紘に殺された。
全てが陽子の責任ではない、予王や景麒や、王に仕えて政治を行うほとんどの者たちの責任。
景麒も予王もそれなりの苦しみは味わっていたのだが、それが民に届いた様子はない。



「・・・・・・こっち」
祥瓊は膝をつき、その腕の主を見た。同じ年頃の少女だと思った。思ったすぐ後に着ている褞袍が目に入って少年だろうかと思う。
「―こっちだ。急げ」

陽子と祥瓊の出会い。
理不尽な磔刑の現場につい石を投げてしまった祥瓊を助けたのが陽子。
その場は互いに名乗ることもなく別れるが、後に意外な形で再会を果たす。



「和州では、死刑といえば磔刑だそうだ」
絶句した景麒を陽子は見やる。
「―そんなふうに、私や景麒の知らないことが、たくさん行われている国だ、ここは」

「街に降りてみることが必要だった」と景麒に告げる陽子。
確かに景麒すら知らないことがこの国にはたくさんあった。
けれど何よりも知ろうとする陽子の態度が王としての気概を感じさせる。



「本当に景王は何をしているのかと思うわ。自分の国がどんな状態だか知らないのかしら・・・・・・」
「傀儡なんだ」
陽子がぽつりと言って、鈴は首を傾けた。

陽子の正体を知らない鈴の言葉は慶の国の民の言葉、陽子の心を鋭くえぐる。
陽子だって一生懸命やっているのにわかってもらえない。
歯がゆくて、でもそれが王なのだと尚隆も言っていた。
「傀儡なんだ」
陽子はどんな気持ちでこの言葉を言ったのだろう。



唇を噛んで陽子は、蘭玉を見る。深く深く頭を下げた。
「至らない王で、本当に済まない・・・・・・」

陽子と関わったばかりに死んでしまった蘭玉。
陽子を恨むどころか陽子を守ろうとして死んで行った。
陽子に全てを託して。
蘭玉や清秀や陽子自身が殺した名もなき兵士たち、全ての命が陽子の肩にのしかかる。



「肚は括った。他に手がない。―夜陰に乗じてできるだけ敵の数を減らせ」
「よろしいのでございますか」
陽子は僅かに苦笑した。
「―私が許す」

望まぬこととは言え人を傷つけることを容認する陽子。
後で出てくる「―どうせ玉座などというものは、血で購うものだ。」という尚隆の言葉がそのまま陽子の覚悟につながる。
王の、麒麟の要請を拒む官がいる、王のための出陣を拒む瑛州師がいる。
「傀儡」であることに苦しめられながら、陽子は今「傀儡」を越えようとしている。



戦うということは、すなわち敵を殺すということだった。陽子が怯めば、陽子を支援してくれる人々が死ぬ。己の手を血で汚すことを恐れて、守ってくれる人々の背後に隠れていることはできなかった。

「月の影 影の海」ではあえて描写されなかったが、ここで陽子が偽王軍との戦いで多くの人を殺したことが明確にされる。
綺麗事ではすまされない世界。
普通の少女が異世界で戦士となる、ファンタジーでありがちな設定ではあるが、実際に人を手にかけ、その手を血で濡らす陽子の凄まじい生き様がファンタジーを越えて現実世界のように読む者の胸に迫ってくる。

もはや人を手にかけることへの怯え、恐怖は陽子にはない。
陽子が通ってきた道、王としての道の厳しさを強く感じさせられる部分。



楽俊、と呟く陽子を祥瓊は振り返った。
「いい人だったの。あの人の友達なんだから、きっと景王もいい人だと思うわ」
「・・・・・・私だ」

陽子の王気に楽俊が、祥瓊が、そして鈴が巻き込まれていく。
ひとつひとつの出会いが大きな渦となって今ここに集結する。
初めて読んだ時は、祥瓊はともかく鈴の反応が気になって本当にドキドキした。



「でも、王さまってそんなものね。みんな勝手に期待して、陽子自身のことなんか考えてもみないで、勝手に失望していくの・・・・・・違う?」

鈴の言葉。
陽子と出会い、行動を共にし、語り合ううちに陽子の苦悩や性格を知り、陽子の立場を理解していく。
陽子にとって尚隆や楽俊に続く大切な友達になり、協力者となっていく鈴と祥瓊。
陽子もだけど、彼女たちの歩んできた道のりを考えると、彼女たちもまた成長したのだと思わずにはいられない。



申し開きをせねば、と思う。思うが声が出なかった。言葉を探して、思考はいたずらに空転する。―小娘だと思っていた。先王と同様の凡庸な王だと。だが、迅雷を萎縮させるほどの覇気はどうしたことか。

凡庸なる王として陽子を侮っていた将軍迅雷の目に映った陽子はまさしく王だった。
足掻いて苦しんで掴んだ王の覇気。
その前にはさしもの禁軍将軍も萎縮せざるを得ない。
さらに陽子は怒りの中にも正しい判断を下す。
怒りに任せて昇紘を殺すのは簡単だが、あえてしなかったところに陽子の成長を感じる。



「諸官は私に、慶をどこへ導くのだ、と訊いた。これで答えになるだろうか」
諸官の返答はない。視線だけが王に向かう。
「その証として、伏礼を廃す。―これをもって初勅とする」

「風の万里 黎明の空」は陽子のこの言葉を持って終わる。
初勅をなぜ「伏礼を廃す」と定めたのか、この前に陽子の説明が入るが、ずっと本書を読み進めてきた私たちには陽子の想いが、陽子の覚悟が説明なしでも十二分に伝わってくる。
見事な王だと、やはり涙がにじんだ。



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