東京十社巡り(一)


9月15日御用聞き・万七の家〜根津神社
狐が出てくる不思議な話、「狐雨」は、「鬼平犯科帳」にも「剣客商売」にもあって、どちらもとてもおもしろくて好き。
池波小説には、たまにこうした人智を越えた不思議な話が出て来て、でもこのリアルな世界に何の違和感もなく 溶け込んでいるのが凄いと思う。

今回は「剣客商売」の方の「狐雨」。
剣術があまり得意ではない杉本又五郎が、恋人小枝がかつて助けた狐のおかげで一時的に強くなれるが・・・の話。
人はいいけど頼りない又五郎、恐ろしい力を持ちつつどこか色っぽい?狐の霊、そしてその姿をわずかとはいえ 垣間見る秋山小兵衛。

「狐」をテーマに狐が出て来る話をどこかで集めて出してくれないかな?と思うほど狐が好きな私としては この話はたまらない。
「狂乱」を手に取ると、何度も何度も読み返してしまうほど好き。

さて、その又五郎が住んでいるのは団子坂だが、今回は「根津権現門前に住む御用聞きの万七」の家を取りあげたい。
マップで見てみると、団子坂から根津神社までは歩いて8分とある。
以前千駄木駅から根津神社に歩いて行った時はもっと遠かった気がするが、そんなもの?
又五郎の道場で、5人の狼藉者が縛り上げられているという「珍事」を聞いて駆け付けた万七。
又五郎をよく知っているので、そんなことはあり得ないと思いつつ納得させられてしまう。
ここからやはり御用聞き文蔵を通じて小兵衛の耳に入ることになる。

今回取り上げる根津神社は谷根千の名所として有名だが、私も毎年4月のつつじ祭りを欠かさず見に行っている。
「今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。 」
と由緒にあるが、確かにどっしりと重みのある、何度訪れても飽きない神社である。

★「ひとりごと」でも写真を紹介しています。

★東京都文京区根津1-28-9
(2015年9月15日の日記)
菓子舗・まつむら〜芝大神宮
芝・神明前の菓子舗「まつむら」で売り出している「うさぎ饅頭」そっくりなことから「兎忠さん」と呼ばれている若き同心木村忠吾。
この大人しい同心が何とも危なっかしくて、出て来るたびにハラハラさせられるのだが、テレビでも「うさぎ!」と呼びかけて笑顔を見せる中村吉右衛門さんとのやり取りが微笑ましかった。
芝・神明とは芝大神宮のこと、早速行って来た。
先に2ヶ所回ってから港区に出て大門駅で降りたので、せっかくだから増上寺にも寄って行こうということで、大門をくぐる。

私はこの大門が大好きで、門の下を自動車が通り抜ける光景はいつまで見ていても飽きることがない(笑)。
道路をまたいでいるような大きな門だが、そこから先は参道となる。
増上寺に参拝し、お昼を食べてから芝大神宮へ向かう。
芝大神宮は初めてだが、ここも一目見て惚れ込んでしまった。

何というのかな?
都会の喧騒の中にあって静かなたたずまい、背後にのっぽビルや東京タワーが見えるのに清楚なたたずまい。
何より緑の多さ。
広くはないが、きちんと手入れされていてとても雰囲気がある。

石段を上ろうとして、ふと「東京十社めぐり」の看板に気がついた。
東京十社は明治天皇が明治元年11月8日、准勅祭神社として幣帛を捧げられ、東京の鎮護と万民の平安を祈願された十の社のこと。
でも東京だけではなく、起こってしまった災害の鎮魂と復興を祈り、同時に未来に向けて二度とこのような悲惨なことが起きないように、祈る機会にしたい。
個人でできることは小さいけれど、少なくとも何かできることはないかと常に意識し続けることは大切だと思う。

参拝を済ませた後、境内を見ていたら、きなり狛犬と目が合った。
なんだかとっても楽しそう。
見ているだけで幸せな気持ちになれる、可愛いね、狛犬くん。
桜もほころびかけて、とても綺麗な場所だった。
石段の上から狛犬くんと一緒に街を見下ろす。
この下に「まつむら」があったんだなあと想像するのは容易だ。
もうひとつ気になったのは「生姜塚」。
渋い雰囲気の芝大神宮で、石碑に刻まれた「生姜塚」の金色の文字が目立つ目立つ(笑)。

Wikipeiaによると、この辺りは昔生姜の産地で、取れた生姜を神前に供え、その生姜が風邪を防ぐと評判になった。
それ以来例大祭の時に生姜を授与するようになり、生姜がお馴染みの社になったのだそうだ。
御利益ありそうで、お守りと一緒に生姜湯買って来たが、とろりと甘くてとてもおいしかった。

★東京都港区芝大門1−12−7

★「ひとりごと」でも写真を紹介しています。

(2014年6月6日の日記)
2月21日 富岡八幡宮
「剣客商売」の「深川十万坪」など秋山小兵衛にもお馴染みの富岡八幡宮だが、私の中では深川はどうしても「宮部みゆき」。 作品というより作家本人のイメージなのだけど。

江東区の一部の地域名だが、「深川に行こう」と言うとなんとなく胸躍る気持ちになるのはなぜだろう(笑)。
「浅草」と「深川」は時代小説好きにはたまらない地名であり、当時の名残を一番感じさせてくれる土地だからだろうか。
いつもはスマホいじりながら乗る電車も、急に池波本や宮部本を持って乗りたくなる。
「深川に行く私」に酔っているとしか言いようがないのだが、わかっていてそれを楽しむ自分がいる。

見どころも多いが、必ず訪れるのが富岡八幡宮と深川不動尊。
そして深川めしと深川江戸資料館。
一日いても飽きない街、それが深川かも。

今富岡八幡宮の更新しるそばで、テレビで富岡八幡宮そばの「わが家の食堂」の特集をやっている。
前に一度行ったことある気がするが、そんなに人気のお店だったのか。

ひとりごと」 にも写真を載せてあります。

★東京都江東区富岡一丁目20番3号

(2017年2月17日の日記)
亀戸天神
秋山大治郎は、それから何処をどう通って行ったか、よくおぼえていないが、気づくと、亀戸天神の境内にいた。
(これはいかぬ)

          ☆           ☆           ☆          

「剣の誓約」、「剣客商売」の中でも特に好きな話のひとつ。
嶋岡礼蔵と剣客シリーズとしてまだ2話目、出たばかりの秋山小兵衛(大治郎の目にはまだ頼りなく見える)の対比、嶋岡礼蔵と柿本源七郎の対比、大治郎と伊藤三弥の対比、大治郎と佐々木三冬の出会いなど、何もかもがおもしろく、何度も何度も読み返してしまう。
一巻を手にすると一通り読んでから必ず「剣の誓約」を二度三度と読み返すのが私の癖、それほど好きだ。
嶋岡礼蔵と柿本源七郎の対決もさせてあげたかったし、何も知らず、でも責任を取って自害した柿本源七郎の生き様も見事、そして嶋岡礼蔵の死に様もまた見事。
ここまでして果たされなければならないものなのかと信じられない思いだった。

仮に何事もなく立ち合っていたとしたら、嶋岡礼蔵は柿本源七郎をどうしただろう。
死病にかかり、苦しむ相手を討つことも討たれることもなく、終わっていたのだろうか。
それともあくまでも誓約を守り、礼を持って斬っていただろうか。
それとも大治郎が感じたように、それでも斬られていたのだろうか。
読むといつも考える。
でもどれほど考えてもわからない。
けれども読後感は清々しく、厳しく、哀しい。

さてこの場面。
さりげなく書いているが大治郎はとんでもない距離を歩いている(と私には思える)。
少なくとも考え事しながら歩ける距離ではない(と私には思える、笑)。
しかも途中鐘ヶ淵に寄っているから回り道までしている。

大治郎の家がある真崎稲荷神社のあたり(石浜神社)は白鬚橋西詰のあたりだから、最寄りの駅は南千住かな?10分くらい歩く。
それから白鬚橋(隅田川=大川)を渡り、南下する。
グーグルマップだと、バスで30分歩いて10分くらいとなっている。
ああ意識して歩くとそれほどでもないかな?
今度このコースを歩いてみたい。

私は亀戸天神は大好きだが、秋葉原から亀戸までの総武線がいつものコースなので、橋場から南下するというのはやったことがない。
なにしろこの2つの駅の間に浅草橋、両国、錦糸町をはさんだこの本所界隈は池波関係、七不思議他おもしろ所満載地域なので、東西に歩いたり電車に乗ったりして訪れることは多い。
そして大体締めは亀戸天神で参拝し、そのまま秋葉原まで電車で帰る。
それだけに馴染みのある神社だし、広く、季節の花も多く、カメも多くてのどかなのでここに来るとなんとなく和む。

最近はスカイツリーの影響で参拝客も一気に増えたが、それでもどこかのんびりした雰囲気の神社だ。
特に綺麗なのは藤の季節と梅の季節。
私が先日行った時は何も咲いてなくて寂しい風景だったが、それでも特に合格祈願の受験生の姿が目立っていた。
なにしろここは菅原道真を祀る神社なのだ。

平日はわからないが、休日だと屋台が出ており、時折小さな甥っ子のおみやげにわたあめを買うのも楽しい。
ちなみに甥っ子、スーパーなどで売ってる袋菓子のわたあめは甘みがきついと言って食べない。
なるほどすぐに溶けないように、なんらかの工夫をしているのだろうが、それが甘みのきつさにつながっているらしい。
屋台のわたあめはすぐ溶けるけど、ふんわりした甘みがあって確かにおいしい。

★ 〒136−0071東京都江東区亀戸3丁目6番1号
(2013年2月8日の日記)
神田明神
東京都内で、神田明神ほど時代小説に頻繁に登場する神社はないのではないだろうか。
江戸の人々が馴染んだ神社、江戸の人々に愛された神社はこの時代になっても、神社としては珍しく華やか賑やかな雰囲気と圧倒的な存在感を持って、訪れる者を迎えてくれる。
私ももう20回近く訪れたと思うが、いつ行ってもだらだら歩き回るだけで軽く2時間はたってしまう。

前回「御宿稲荷神社」を取り上げたが、御宿稲荷神社の御神体が一時神田明神に移された時も、確認のために駆けつけた。
「平将門」について調べていて将門が神田明神でも祀られていることを知り、将門塚から回って来たこともある。
何年前か、なんとここで「犬夜叉」のお守りが発売されて、その時もすっ飛んで来て10個も買い、保存に5個と自分が持ち歩くのが1個、後は甥っ子や友達に配って回ったこともある(笑)。
後は年配のお客様を秋葉原から神田明神に案内して、さらに男坂を降りた所にある「かに道楽」でお食事を、というコースは皇居散策と同じくらい喜んでもらえた。

そんな用事などなくても、天気のいい日、時間のある日、ダイエットが必要になった日(涙)など、大きく回り道して訪れるにはとてもいい場所にあるのが神田明神。

「剣客商売」で一番印象的なのは「天魔」の中の「約束金二十両」。
秋山大治郎に惹かれ始めた佐々木三冬が、剣術の稽古に来ているはずの大治郎に会いたさに父田沼意次邸に向かう途中、神田明神そばの茶店に走り込み、甘酒をすする。
その三冬の目に留まったのが平内太兵衛が掲げた立て札。
これをきっかけに三冬、大治郎、そして大治郎の父秋山小兵衛が愉快な物語に巻き込まれていく。

池波小説が好きといっても、時折見られる濃密な人間関係の生臭さにはついて行けない(それこそが池波小説の醍醐味、と言われそうだが・・・)私であるが、この「約束金―」に関しては、解説で常盤新平氏書くところの「春風駘蕩」とした雰囲気が顕著に現れていて、読んでいて気持ちがいい。
特に老いた剣客太兵衛と若い娘おもよの性格や心の交流がほのぼのしていて、それでいておかしみがあって、何度読んでも読み返したくなる。

その三冬が訪れた「明神社・大鳥居を入った左側の茶店」は「天野屋」さん。
見た目は普通のお土産物屋さんだが、入って左側、喫茶部の方に向かうとひなびた感じで薄暗い。
黒光りする柱やみっしり貼られた千社札、レトロな置物など、「天野屋」にお客さんが何を求めて訪れるのか知り尽くした感じ、でも自然。
うだるような暑さに汗を拭きながら、あるいはこごえた手をすり合わせながら入ってくる参拝客が腰を下ろしてほっと一息つく気分が間違いなく味わえる。

隣の売店で売っているたくあんの匂いがきつい。
これは味が濃くてとてもおいしいのだが、買って電車に乗るにはとても勇気がいる(笑)。
甘酒に添えられるなめ味噌もおいしくて、友達とおしゃべりしたり、一人で店の前を通る人たちをぼんやり眺めながら甘酒をすすっていると、スーツを着た現代の「旅人」の姿が見えてくる。

天野屋さんの隅っこで「天魔」を読みながらふと目をあげたら、そこに私と同じ名前の千社札が貼ってあった。
中年女性の10人ほどのグループが隣りの席に陣取り、おしゃべりに夢中になっていたが、その会話の内容から、その人たちが、やはり池波小説に登場する史跡を巡って歩いているのだと知ったこともある。
ちなみに私はもう少し神社寄りにある三河屋さんのさっぱりした甘酒も好きだ。
麹の匂いが苦手な方はこっちの方が飲みやすいかも。

大きな鳥居を一歩くぐれば、そこは間違いなく江戸の世界だ。
歌川広重の「江戸百景 神田明神曙之景」の真似をして、裏側の銭形平次のお墓がある辺りからあたりを見渡すと、立ち並んだビルの中にもやっぱり江戸の匂いがある。
いつも思うことだが、失った風景や新たにできた余計な物を嘆くよりも、今の風景からかつてを偲ばせるものを探す醍醐味、それが当時を知らない私の世代の特権である。
帰りは天野屋さんの方からお茶の水経由で帰ってもいいし、男坂を降りて秋葉原に寄ってもいい。
暑くもなく、陽射しも強すぎない気持ちのいい日の午後なら湯島聖堂に寄って読みかけの「剣客商売」を読んでしまってもいい。

でもそうすると、思いがけず時間を食って慌てふためいて夕方ラッシュの満員電車に飛び乗り、スーパーの買い物袋を両手に全力疾走する羽目になる。

★今日の一枚。
神田明神にはこんな物も売っています(笑)。→「犬夜叉お守り
(2007年12月14日の日記)
6月26日白山神社〜あじさい祭り
文京区白山にある白山神社は東京十社のひとつ。
毎年6月にはあじさい祭りが開催されるので、欠かさず見に行く。
境内には富士塚があって、富士塚に上る区域は普段は入ることができないが、この時だけ公開される。

今年はちょうど雨が降った翌日(しかも晴天!)とあじさい見物には理想的な日になり、瑞々しいあじさいが 素晴らしかったが、同時に人も凄かった(笑)。

Wikipediaによると、
「天暦2年(948年)、加賀国の白山比咩神社から勧請を受けて、武蔵国豊島郡本郷元町(現在の本郷1丁目)に創建された。
元和年間(1615年-1624年)に将軍徳川秀忠の命で巣鴨原(現 小石川植物園内)に移ったが、明暦元年(1655年)、その地に館林藩主徳川綱吉(後の5代将軍)の屋敷が作られることになったため、現在地に遷座した。
その縁で綱吉とその母桂昌院の崇敬を受け、以降、徳川将軍家から信仰された。
明治初期には准勅祭社に指定された。」


とあるが、引っ越しを繰り返したわりにはどっしりした佇まいで好きな神社のひとつ。
本殿前の狛犬さんはとにかく愛嬌のある可愛い顔してて、まずは心の中で「久しぶり、元気ー?」と声をかけてからちゃんと参拝している(笑)。
なんかそんな声をかけたくなる笑顔なのだ。
狛犬やお稲荷さんのお狐さんは、どれも個性があって見て回るのがとても楽しい。
そういえば池波さんの小説には「指谷」という名前で白山近辺は出て来るが、白山神社は出て来たことがなかったんじゃないかな?

この時期は花だけでなく、和菓子もまたあじさいの季節で、デパ地下や老舗のお店など、あちこちで「紫陽花」と名付けた和菓子が販売されるが、今年は休みがうまく合わず、一番好きな池袋「すずめや」さんの 「あじわい」を買えずに終わってしまったのが残念だった。

★「ひとりごと」でも写真を紹介しています。

★東京都文京区白山5-31-26
(2015年6月26日の日記)
袋物屋・鍵屋利助〜氷川神社
梅安シリーズのタイトルはみんな好きだが、この「梅安迷い箸」は特に好きだ。
内容も、梅安の優しさとおときの哀れさ、どうしようもない運命の残酷さと梅安の怒りに泣きそうになりながら、何度も読み返した記憶がある。
ただし鍵屋利助は、おときの弟宗太郎が働いている店。
宗太郎が躰をこわして、ひょんなことからおときが、殺人の現場を目撃してしまった梅安に治療を頼みに来るが・・・というあらすじ。

仕掛け人としてあってはならぬこと、仕掛けの現場を見られたら、その者も殺すことが仕掛けの掟。
しかし梅安はあえておときを見逃す。
でもおときは川村甚左衛門を恨んでいたがゆえに口を閉ざす。
梅安、彦次郎もおときの人柄を見切っておときを助ける。

いい話だなあと思った。
なのにおときは殺される。
欲深い女だったわけでもなく、その口の堅さは誰もが認めるところだったのに。
梅安と彦次郎はおときのあるじ、おときを殺した橘屋忠兵衛を殺して仇を討った。

「萌葱の蚊帳ぁ」と、ただ一声の美しい声が、さわやかに炎天の空にながれた。
乾いた殺しと、その直後にながれた声の美しさ。
最初に読んだ時は「萌葱」の意味がわからなくて、素材?と思っていたが、後で綺麗な緑色の名前だと知った。
映画「となりのトトロ」に出てくる蚊帳、あれが萌葱色だそうだ。

さて、鍵屋利助は紀伊国坂下、現在の元赤坂1丁目にある(ホテル・ニューオータニのそば)。
小泉八雲の怪談(むじな)でもおなじみの有名な坂で、以前「日枝神社」でも書いたように、虎ノ門から四谷まで酷暑の中歩き、その時見上げた赤坂御用地の佇まいに圧倒された記憶がある。
雉宮神社そばに住む梅安の家から鍵屋・利助まで電車だとJR線で六本木、恵比寿、五反田と乗換入って約30分。
直線距離で歩けばもっと近いだろうが、それにしても結構遠い。

紀伊国坂下(赤坂見附交差点あたり)に手頃な神社を見つけることができず、ちょっと離れているが赤坂6丁目の氷川神社に行って来た。
六本木1丁目で降りてうろうろ歩いていると、神社より先にいい物発見!
ハライコ」というドイツ風ファーストフードのお店。
ソーセージの看板が可愛い。
ドイツビールも飲めそうなので、先に神社に行ってから遅めのお昼をここにすることにして、まずは氷川神社へ。

最近は木の生い茂るいい雰囲気の場所が多いが、氷川神社も大きな木に囲まれた素敵な場所。
素戔嗚尊を祭神に据える氷川神社は、埼玉県大宮市の氷川神社を本社に全国に261社あり、東京だけで68社もあるそうだ。

ただこの日は梅雨特有の蒸し暑い空気が充満する鬱陶しい一日で、境内を歩いていると、刺されると辛そうな虫に追い回され、そそくさと出て来てしまった。
もちろん参拝はしたけど、いつかまたきちんとお邪魔したい。

で、さっきの「ハライコ」に戻り、ホットドックとポテトとビール。
私も毎年行く「オクトーバーフェスト」の映像をテレビで流し、メニューの種類は少ないけど、ソーセージやザワークラウトの店売もあり、楽しいお店。
ホットドックもおいしかったけど、ポテトがさらにおいしかった。
外側のかりかり加減と内側の柔らかさのバランスが最高、また来たい。

六本木だけに各国料理を気軽に食べれるお店が多く、楽しそう。
夜はあまり出歩けないので、休日ランチを楽しめるお店は貴重。
と、話がそれたが都内で68ヶ所ある氷川神社、片っ端から歩いてみたい。

いくつくらい歩けるかな?

★「ブログ」でも写真を紹介しています。
★ 東京都港区赤坂6−10−12
(2013年7月1日の日記)
2月9日 王子神社
北区王子駅の北口を奥に進むと、王子神社や音無川(現親水公園)、玉子焼きの扇屋さんなど時代小説ではお馴染みの 名所が迎えてくれる。
余裕があるならさらに進めば、赤レンガの北区中央図書館も待っていてくれる。

1月は何度も初詣と称して、あちこちの寺社仏閣を回ることにしているが、王子神社は欠かさない。
王子駅からすぐという場所の良さもあるが、そのたたずまいはもちろん、毎年野村萬斎さんを招いて飛鳥山公園で薪能を する際に、王子神社の神主さんがお祓いをしたり、となんとなく親しみやすさを感じる神社。

池波小説にも何度も登場するが、今回は「梅安最合傘」より「梅安鰹飯」から。
この短編の何が好きかと言って、最後の鰹を前にかわす会話。
特に、
「飯へかける汁は濃目がいいね」
「ことに仕掛がすんだ後には、ね。ふ、ふふ・・・・・・」の二行。

「仕掛」の意味を知ってる読者は不気味な雰囲気を感じてしかるべきなのだが、ここはどうにもほのぼのとしてしまうのだから困る。
仕掛人でありながら、読者の共感を呼ぶダークなヒーローとしての梅安の面目躍如といったところか。
「仕掛」を「仕事」に、「鰹飯」を「きんきんに冷えたビール」に置き換えれば、そのまま自分の生活に使える日常性もいい。

ここでは「王子権現と王子稲荷」と称して、王子稲荷神社と共に紹介されている王子神社だが、この日はたまたま吹雪の日だった。
何年前のことだったろう。
裏の石段を下りて見上げる秋の銀杏、見下ろす親水公園の桜、境内の緑、夜の闇に浮かぶ灯り、小さいけれど賑やかに行われる 熊手市、何度来ても飽きることがない。



ところが先日行ったら、鳥居の前にあった巨大な樹が切り倒されてなくなっていた。
1メートル以上ある(ように見える)切り株だけが残っている。
樹が傷んだようにも見えないのだが、後で聞いたらセブンイレブンができるらしい。
鳥居の外だから、厳密には王子神社と関係ないのかもしれないが、北区役所の前に立って王子神社を見る時の、鬱蒼とした杜と 親しみやすい雰囲気が一気に消えてしまった。

本当に残念だ。
もう前のように足しげく通うことはないだろう。

余談だが、「梅安最合傘」の「最合傘」、本を読むまでもなく「相合傘」のことだが、最合傘は池波さんの造語だとばかり思っていた。
今回調べたら「他の人と共同で物事を行うこと。また、その組織。」とあった。
でも「相合傘」より「最合傘」の方が、語感もいいし、雰囲気もいい。 さすがなあと改めて思った。

★「ひとりごと」でも写真を紹介しています。

★東京都北区王子本町1-1-12
(2016年2月9日の日記)

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