「鬼平犯科帳」をたどる道(四)


12月3日 「逃げた妻」より伝通院
「たのむ、御亭主」 これを藤田から聞いた忠吾が、「よし。それできまった。
では明日、八ツごろに小石川の伝通院・中門前で落ち合いましょう。
駕籠も、そこへ待たせておこう」
「かたじけない」

     ☆      ☆      ☆     

今日この時まで、私はずっと「伝通院」を「でんつういん」と読んでいました。
「でんづういん」が正しい読み方です。
けっこうあちこちで朝顔市の話をしていたので、知らないうちに恥かいてたなあ(笑)。

こんにゃく閻魔こと源覚寺のほおずき市と、伝通院の朝顔市は文京区の夏の風物詩です。
逆に言うと、この時期しか伝通院に行くことがないのですが、徳川家康の母於大の方、清川八郎、柴田錬三郎のお墓があったり、 夏目漱石や永井荷風が小説に書いたり、そういった面でも有名だとか。
混雑していない時にゆっくり行って、ゆっくり見てみようかと思います。

でもこの「逃げた妻」は救われないなあ。
作品としては素晴らしい出来かもしれませんが、女性の立場で読むと、何だかなあと苦い思いがこみ上げてきます。

「鬼平犯科帳」、ドラマを「ファミリー劇場」で見ていると、忘れてしまうのですが、池波小説は決して暖かい、もしくは爽快なエピソードだけではありません。
全てが池波正太郎であり、全てが「鬼平犯科帳」なのですが、この「逃げた妻」はあまり読むことがない話の1つです。

★東京都文京区小石川3丁目14−6

★「ひとりごと」で写真を紹介しています。

(2019年12月3日の日記)
12月9日 「用心棒」より躑躅(つつじ)
内庭と奥庭の境にも、低い土塀がある。
土塀の潜門を入ると、そこは奥庭で、正面が長谷川平蔵の居間であった。
若葉の鮮烈なにおいがたちこめてい、植込みの紅と白の躑躅が盛りである。
          ☆           ☆           ☆          

「用心棒」で平蔵が名前を変えて登場するのは、主に深川ですが、私にとって躑躅といえば根津神社。
こんもりした丘が躑躅苑になっていて、普段は立ち入り禁止なのですが、4月頃に躑躅が咲き始めると、有料公開されます。

躑躅に囲まれた細い道を1列に並んでぞろぞろ登って行きますが、皆さん途中で足を止めて撮影するのでなかなか進みません。
それもまた楽しく、頂上にある小さな祠を参拝して、またぞろぞろ降りて行きます。

これまで気に留めたことがなかったのですが、今夏調べていて、何人もの、いわゆる文豪と呼ばれる人々がこの界隈に住んでいたことを知りました。
夏目漱石、森鴎外・・・。
鴎外記念館に行ったこともあるし、漱石旧居跡も見て来ましたが、根津神社とつながらなかったです。
どこへ行ってもポイントで覚えるので、それがなかなか線として繋がらず、ましてや面とするのは苦肉の策です。
今度3ヶ所一度に回ってみればいいのかな。
Wikipediaに根津神社(根津権現とも)が登場する小説がたくさん紹介されているので、今度読んでみます。

★東京都文京区根津1丁目28-9(根津神社)

★「ひとりごと」で写真を紹介しています。

(2019年12月9日の日記)
1月8日 「むかしの男」より護国寺
・・・・・・近藤勘四郎が久栄に指定してよこした「よしのや」という茶店は、護国寺前の西端、 西青柳町の子育て稲荷のとなりにあった。
勘四郎の指定どおり、翌日の四ツごろ、久栄は供の者もつれずに只一人、よしのやの前へあらわれた。 (むかしの男)

          ☆           ☆           ☆          

久々に「鬼平犯科帳」を再読しています。
今読んでいるのは「むかしの男」です。
昔は鬼平こと長谷川平蔵を中心に読み進めていたように思いますあ、今は平蔵以外の登場人物も丁寧に読むようになりました。
特別意識してのことではないので、たぶん私もいくらかは成長したのでしょう。

久栄はドラマの影響が強くて私の中ではすっかり多岐川裕美さんで定着していますが、原作の久栄はもっと強さが前面に出ている気がしますね。
そうでなくては鬼平の妻など務まらないのでしょうが。
当然とはいえ、昔の嫌な思い出、辛い思い出に敢然と立ち向かう、なかなかできないことです。
仕方ないとはいえどうしても逃げ腰弱腰になってしまう。
そんな私から見たら久栄の強さは憧れです。

ところで護国寺前の西端、 西青柳町の子育て稲荷ですが、切絵図を観たらその通りの場所にちゃんとありました。
今でもあるのか調べてみたら、場所は多少変わったもののちゃんと残っているようです。
今度行ってみたいと思います。

★東京都文京区大塚5-40-1
(2020年1月8日の日記)
1月10日「五月闇」より清水観音堂・上野公園
この岡場所にいる娼妓は「けころ」とよばれてい、二間間口の格子戸をつけた店構えで、妓たちは素人ふうの着つけをして 見世にならぶ。
目と鼻の先の、将軍家の菩提所である東叡山・寛永寺の僧たちも、隠れ遊びに来る岡場所だけに、町奉行の監視の目も ゆるやかだし、妓たちの収入(みいり)も他の岡場所にくらべると、なかなかによいらしい。
(五月闇)

          ☆           ☆           ☆          

今の上野公園の雰囲気とは全く異なる世界が描かれていて、初めて読んだ時はかなりびっくりしました。
(なにしろ中学生でした。)

でも今思い出されるのは「五月闇」の哀しさ、寂しさです。
伊三次の死。
作者が後に、こうせざるを得なかった、こうなってしまったという意味のことを書かれていて、作家の業というものを垣間見る思いもしました。
ドラマもしみじみ悲しくて良かったですね。

★東京都台東区上野公園1-29
(2020年1月10日の日記)
1月14日「白蝮」より谷中霊園
谷中は、徳川将軍の菩提所であり、天台宗の関東総本山でもある東叡山・寛永寺をひかえた上野の台上にあり、市中の雑踏を離れた別天地といえよう。

この遊所を、長谷川辰蔵に教えたのは、おそらく忠吾(うさぎ)であろう。 (白蝮)

    ☆   ☆   ☆

こちらもなかなか生臭さのある、それでいて凄烈な話。
日暮里駅から毎年夏になると向かう全生庵(幽霊画を見に行く)、その道筋に谷中霊園はあります。
なので私が谷中霊園を訪れるのはいつも夏。
いずれにしてもこの界隈に辰蔵や忠吾が戯れた場所の面影はありません。

余談ですが、私はこの「白蝮(しろまむし)」をずっと「しろなまず」と思い込んでいました。
語感の気味悪さがだいぶ愛嬌者のイメージに変わってしまっていたのですが、物語全体の雰囲気はそのままに読んでいたように記憶しています。
思い込みって怖いですね。

★東京都台東区谷中7-5-24
(2020年1月14日の日記)

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