「六阿弥陀」巡り

6月8日 六阿弥陀
以前亀戸界隈をぶらついていて常光寺に立寄った時、「六阿弥陀」という言葉を見つけた。
その時は「七福神みたいなものかなあ。」と思った程度だったが妙に気になり、帰ってから調べてみた。

「行基作と伝える阿弥陀像をもつ東京近郊の六つの寺。
すなわち王子の西福寺、沼田の恵明寺(古くは延命寺)、滝野川の無量寺、田端の与楽寺、上野の常楽院、亀戸の常光寺。
春秋の彼岸に参詣すると利益が大きいとされる。 」とあった。

おもしろいのが七福神と違って、場所が散らばっていること。
七福神だと「深川七福神」「谷中七福神」のように、地域単位で回ることができるが、六阿弥陀は北区、足立区、台東区、江東区と 別れていて一日で回るのはかなりしんどいと思う。
ではどんな由来で六阿弥陀ができたのだろうか。

ここでまたおもしろいのが、北区の豊島左衛門清光という人物が、善意の主人公である話と、悪役である話と2つあること。
清光の娘が意に添わぬ結婚のために自ら死を選ぶか、清光に無理に嫁がされた娘が死を選ぶか。
私は清光善人説を初めに読んだことと、北区のお寺が多いこと、清光寺にお邪魔してとても良くして頂いたことなどから、 清光善人説を支持したい。

どちらにしても娘を失った両親が悲しんで行基に作ってもらったのが6体の阿弥陀仏。
両親は6つのお寺を建立し、それぞれに阿弥陀仏を納めたとされる。
なので清光の清光寺には阿弥陀仏はなく、それ以外の6つのお寺を回ることになる。
でも前述の通り、清光寺も含め、いくつかすでに回っているので、少しずつ感想など書いていきたい。

ちなみに足立区の説では足立氏の娘が北区の清光に嫁ぎ、北区の説では清光の娘が足立氏に嫁ぐと立場が逆転しているのは、 それぞれ地元を立ててのことかと思うが、清光寺に阿弥陀仏がないからこそできた話だろう。
清光寺に阿弥陀仏がない理由はわからないが、それを元に生まれたのが2つの伝説なのかもしれない。

言ってしまえば、清光と行基では生きた時代が違う。
清光は平安時代末期から鎌倉時代初期、行基は奈良時代の人だという。
だから伝説自体を否定するのではないが、これから六阿弥陀を回りながらこの伝説を検証していくのもおもしろいかもしれない。

(2018年6月8日の日記)
6月25日 清光寺〜六阿弥陀
前回書いたように、六阿弥陀の原点と言える場所でありながら、肝心の阿弥陀像がないという不思議なお寺。
故に豊島清元が主人公になったり悪役になったりと複数の伝説ができたのだろう。
北区の歴史を調べていると必ず出て来る豊島氏だが、北区の豊島と池袋のある豊島区がごっちゃになってかなり混乱する(笑)。
まあ豊島区の「豊島」も、この「豊島氏」の流れから来ているのだが、先に「豊島区」の名前を使われてしまったため、「豊島」の地名があるこの区が「北区」になったというお話を聞いたことがある。

もしかしたら今の北区が豊島区だったかもしれないややこしさ。 北区の住民でも、この界隈に住んでいなければ、北区に豊島があることは案外知らないのではないだろうか。
かくいう私も、初めて「豊島図書館」に行こうとして池袋に行ったことがある。
豊島区に「豊島区立」の図書館はあるが、「豊島図書館」はない。
豊島区立中央図書館でそれを知った時はかなり脱力したっけ(笑)。
しかも豊島図書館は最寄りの王子駅からかなり遠いので大変だったなあ、それも遠い思い出・・・。

さて肝心の清光寺だが、名前の通り豊島清元(清光)が開基で、六阿弥陀に登場する悲劇の娘の死を弔うために建立したとされる。
私がお邪魔した日は抜けるような青空で、美しい建物と手入れされた草花でとても美しい場所だった。
美しいけれど取り澄ました感じもなく、触れると木や石の温もりを感じるような。
予約をすれば清元の像も見学できるそうだ。

近くを隅田川が流れ、古い建物だった頃は水害にも悩まされたらしい。
帰りに豊島図書館に寄り、調べたところ、新しくなったのは2009年(平成21年)。
古い時期の清光寺も見てみたかった。

ひとりごと」 にも写真を載せてあります。

★東京都北区豊島7丁目31

(2018年6月25日の日記)
6月26日常光寺〜六阿弥陀
江東区亀戸にある常光寺は六阿弥陀の6番目の霊場。
回る順番にルールはないようなので、所用で亀戸に行った時に寄ってみた。
現在は六阿弥陀よりも亀戸七福神で有名で、延命長寿の御利益があるとされる寿老人のお堂の前に人だかりが・・・。

伝説によれば、阿弥陀を作った時にお寺を建立し、それぞれ納めたという。
なのでお寺の名前もそれぞれ意味があって、常光寺の場合は「未来は常に光明を放つ身を得させる」のだそう。
不思議なのが以前紹介した六阿弥陀伝説は北区と足立区が中心なのに、六阿弥陀の1つがここ亀戸であり、もう1つが調布市であること(常楽院)。
他のお寺は北区と足立区にあるのに、この2つがなぜこんな遠い場所にあるのか、調べて行けばわかるだろうか。

私が訪れたのは4月の初めだったが、綺麗な八重桜が満開だった。

ひとりごと」 にも写真を載せてあります。

★東京都江東区亀戸4丁目48−3

(2018年6月26日の日記)
7月21日船方神社〜六阿弥陀
六阿弥陀伝説で、身投げした姫の後を追った12人の侍女がいたが、その侍女達を祀った神社としてかつて十二天社と呼ばれていたそうだ。
明治4年に船方神社と改称した。

侍女だけ祀られるなんてお姫様が寂しかろうに(お姫様はお姫様で祀られている場所もあるのだけれど)と思っていたら、帝釈天など十二の神々、 さらに十二所権現、十二社など熊野信仰とも結びついているものらしい。
肝心の十二天塚はなぜか柵で遮られていて近寄ることはできないが、しっかり見ることができる。
神社自体も緑に囲まれた奥行きのある場所で、その背には隅田川、向かって右手には楽しそうなアスレチックのある雰囲気の良い神社だった。

その日はあいにくの雨だったけど、逆に不思議な静けさを感じることもできた。
元気な笑顔の狛犬や、雨宿りしていた猫も眺めて飽きることがない。
そして驚いたことに、すぐそばに荒川遊園地の観覧車が見えた。

王子駅からてくてく歩いて気がつけば北区のはずれ、荒川区までたどり着いたのか。
でも着いた場所がこういう良い場所だと、疲れを感じないのが我ながら不思議。
ひとりごと」 にも写真を載せてあります。

★東京都北区堀船4-13-28
(2018年7月21日の日記)
6月25日西福寺〜六阿弥陀
六阿弥陀巡り2番目は、六阿弥陀第一番霊場、北区豊島の西福寺。
北区に豊島?と最初混乱しましたが、六阿弥陀のいわれを調べていた時に、元となった豊島氏の存在を知り、それで豊島と納得しました。
ではなぜ、現北区が「豊島区」にならなかったかと言うと、昔の「北豊島郡」に現北区や豊島区が含まれており、先に豊島区が「区」になった時に「豊島区」とつけたのだそうです。
順番が変わっていれば、今の北区が豊島区だったかも?

まずは色鮮やかな山門に驚きました。
柱に巻き付いた龍の彫刻が愛嬌があって可愛いです。
山門をくぐって進むと、コンクリートの本殿、阿弥陀像に巨大なこれもコンクリートの阿弥陀像。
左側は日本庭園のような佇まいで、六阿弥陀の築山があります。

コンクリート造と言っても、この庭や木々が美しく整えられているために殺風景な気はしません。
むしろ鮮やかな彩色と緑のコントラストが目を楽しませてくれます。
お寺を訪れたはずが、どこか広くはないけれど静かで趣のある日本庭園を訪れたような、そんな気持ちになりました。

他に印象的だったのが「六阿弥陀大壱番」と書かれた大きな赤い提灯。
何度でも来たくなるような、そんなお寺でした。

ひとりごと」 にも写真を載せてあります。

★北区豊島2-14-1
(2019年6月25日の日記)

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