漢和辞典に見る「十二国記」用語

蘭雪堂
慶国の西園にある書房の名前ですが、蘭の花に雪が積もってるイメージでとても素敵です。
漢和辞典では、明時代に銅、活字印刷などを行った華堅の室名とされています。
室名とは「号(名前や字以外に人を呼ぶ時に使う称号)」のことで、居宅や書斎(文房)の名をそのまま号とすることも多く、日本でも池大雅の大雅堂のように堂・斎・室・館・閣などの語が附随するので堂号(堂名)、斎号(斎名)・室号(室名)などと呼ばれるそうです。
まあ「十二国記」での「蘭雪堂」は、意味よりも字感とイメージされる風景の美しさから取ったんでしょうね。
「清らかな形容」を意味し、李白の詩にも使われているそうです。
室名に関しては、Wikipediaを参照しました。
呉剛環蛇
泰麒を助けるために使われた漣国の宝重。
直接関係ないかもしれませんが、呉剛という人物は漢和辞典に載っていました。
日本だと、月には兎がいて餅をついているという伝承がありますが、中国では、仙を学んでいました漢の西河の呉剛という人が過失によって謫せられ(配流される、流されるの意味)、月で桂を伐り続けているのだそうです。
アニメで虚海を渡る時に金色の輪っかみたいな形の中に入って行くのは、月をイメージしているのかなと思いました。
月の満ち欠けは海にも影響するし、もしかして蝕も・・・?
鴻溶鏡
「こうようきょう」、範国の宝重。
「鴻」は漢和辞典では「おおとり」となっていましたが、「こうのとり」を意味することもあるようです(日本の鴻巣神社はコウノトリの巣を意味します)。
妖魔を裂いて増やせるということで「溶ける」にしたのかと思ったら、「鴻溶」で「體(からだ)をそびやかして踊ること、広大なこと、水の盛んなこと」という意味もありました。
鴻基
王者の大事業の土台を意味します。
鴻慈(王者の慈愛)といい「鴻」が多く使われるのは、曹操の名言「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(雀などにおおとりの志はわかるまい)」や「図南の翼」のように「鴻」や「鳳」が偉大なる者とみなされているからなんでしょうね。
霜楓宮
恭国の王宮は霜で葉の赤くなった楓を意味します。
蘭雪堂といい、本当に綺麗な名前と風景です。
狐琴
慶国王宮の奥にある建物。
「孤琴」は「ただ一人弾ずる琴」
積翠台
こちらも「積み重なったみどり、青山の形容」とあります。 どの言葉も綺麗としか言いようがありません(笑)。
琳宇
驍宗はこの近くで行方不明になりましたが、この言葉は「美しい玉で飾った家」だそうです。
「琳」は「玉」。
でもその後の展開を考えるとちょっと意味深な名前でもありますね。
丕緒
「丕緒」とは「宗史」などに出てくる言葉で「大きいいさを」とあります。
「いさを=いさお」を辞書で調べると「勲、功」とあり、「いさおし」とも読みます。
「大いなる業績をあげる」「偉大なる軍功を立てる」といった意味(使い方)になるのでしょうか。
「丕緒の鳥」では人名として使われていましたが、やはり「素晴らしい業績を上げる(素晴らしいものを作り上げる)人」という敬意をこめてつけられたのだろうと思います。
文姫 
「大漢和辞典」ではありませんが、「三国志」を読んでて気になるのが蔡文姫と名乗る女性。
董卓を恐れず、その才を認められた蔡邕の娘ですが、蔡邕の死後、匈奴に連れ去られ、その妃となります。
でもその豊かな才能を惜しんだ曹操が匈奴に働きかけて連れ戻すという話で、その知性をあの人材コレクター曹操に認められた女性というだけで利広の妹文姫と同化してしまいます。
図南 
荘子によって書かれた鵬が翼を張って南冥に行くことを企てること、大事業を計畫する喩として使われます。南冥は「南の海」と書かれていますが「天の池」とも。鵬は「図南の翼」に「―背は泰山のごとく、翼は垂天の雲のごとし。」とあるように、数千里の翼を持って九万里の空高く舞い上がり、羽ばたいて旋風を起こし、弧を描いて飛翔します。
これを見ていた蜩(ヒグラシ)や小鳩がすぐそばの木にたどり着くにも大変なのに、なぜそこまで大変なことをするのかと笑います。
小物には到底わからないそのスケールの大きさを讃えた言葉なのでしょう。
おもしろいのが鵬は元々鯤(コン)という魚であったこと。
もちろんその時も数千里の巨大な魚であったそうです。
自分たちの生活を嘆きながらも自分は王ではないと昇山しようとしない人々とわずか十二にして昇山し、大国奏の利広や頑丘、犬狼真君まで巻き込んだ珠晶を表現するのにふさわしい言葉と思えます。
珠晶 
「珠」はもちろん「玉」の意味を持ちますが「美しいもの」を表す喩としても使われています。
「晶」は光、「珠晶」は「美しい光」とでも訳すのでしょうか。
確かに祥瓊は華やかな紅玉のイメージがありましたが、珠晶は煌く水晶のイメージを感じます。
この2人の少女は陽子と祥瓊、陽子と珠晶とはまた異なった対比を見せてくれます。
祥瓊を許してくれるように珠晶に願った陽子を珠晶は厳しく突き放しますが、もちろん陽子はその厳しさの意味を理解したことでしょう。
2人の女王の今後の付き合い(あるかな?)と、ここまで王として君臨できた珠晶の90年の苦労も読みたいです。
凌雲 
雲を凌いで高くそびえるという意味と、浮世を離れて遠く世外に超脱するという意味と二通りありますが、この場合は作品中に書かれてあるとおり前者でしょうね。
「凌雲」は特殊な言葉ではありませんが、読み方も意味も大好きなので取り上げてみました。
星彩 
利広の騶虞の名前、「星のひかり」という意味だそうです。
やはり流れるような星の動きときらめきを表現している素敵な言葉です。
驍宗の「計都」も彗星を意味しているので好対照をなしています。
語感としては「星彩」の方が好きかもです。
清漢
利広たち宗王一家が住んでる宮殿です。
意味は「天河」、つまり「天の川」です、何て素敵な。
「風漢」とはえらい違いだ(笑)。
風漢(尚隆)と清漢、狙ったわけではないでしょうが、そのまま尚隆と利広比較にもなっているようでおもしろいです。
昭彰 
もしかしたら十二の国の中でも一番幸せな麒麟?、宗麟の字は「あきらかに表す」という意味です。
宗王の帰還に「そう」とつぶやく声は玲瓏としていますが、それは「美しく光り輝く様子」。
采麟と比べるともう少し毅然とした感じなのかな?などと思ってしまいました。
鉦担
室季和の書生でしたが主演に襲われた時に見捨てられてしまいます。
その後助けに来た珠晶と共に朱厭を狩り、行方不明になった珠晶を最後まで探そうとします。

「十二国記」の中で「ごくごく平凡だけどがんばる善人」の代表格。
結果的に室季和の元にいるより成長することになりますが、その後どうなったのかが気になります。
珠晶のそばで仕えていて欲しいです。

「鉦担」の「鉦」は「鐘」や「銅鑼」の意味。
「銅鑼を鳴らす担当」の人だったのかな?なんてことはないと思います。
桓魋
「論語」によると桓魋という名の宋の大夫が実在したそうですが、そんなことよりおもしろいこと。桓魋の「桓」は「たけしい、大きい、いかめしい、うれうる」の意味を持ち、「魋」は「赤熊、神獣」の意味を持ちます。つまり「桓魋=赤い大熊」、半獣を自ら名乗ってることがバレバレで爆笑してしまいました。アニメではいやに毛並みの艶やかな黒熊さんでしたが、本当は赤いのかな?でも赤熊って見たことないですね・・・。
夕暉
その名の通り「夕日輝く」の意。「夕」は「夕日、落日」、「暉」は「輝く」。そのイメージ通りの繊細でありながら頭も良く、武芸も秀でた美少年、と言ったらまんま無双の陸遜だ(笑)。
浩瀚
「水の広大なさま、物多く豊かなさま、そして文章のとりとめもなく大きいさま」、図書館で吹き出してしまいました。「黄昏の岸 暁の天」の大演説はとりとめなくはなかったけど膨大な量だった(笑)。乃村さんにがんばって欲しいからアニメ化希望!
楽俊
後漢に実在した人物。ただし「がくしゅん」と読みます。特別な意味はないようですが、「楽観的な俊才、ついでに底抜けのお人よし」と勝手に訳してみたい。ちなみに後漢が乱れ、国が荒れ果てると同時に始まったのが中国版戦国時代、いわゆる「三国志」の時代なのです。無理矢理くっつけ「犬夜叉リンク」♪だめ?(笑)。
飛燕
前漢の孝成帝の趙皇后の謚。体軽く歌舞に妙であったとされます。同時に「良馬」の意味も持ちます。泰麒が麒麟みたいと驚くほどの身の軽い天馬。こうして調べてみると、登場人物の名前ひとつとっても周到に用意されたものであることがわかりますね。
風漢
延王尚隆が風来坊と化して十二の国を渡り歩く時の偽名。なんとなくそんなイメージの言葉だと思っていたら、なんと「気の狂った男、狂人」の意味だそうです。これは奇異の目で見られてたでしょうねえ。もっとも本人はそれを楽しんでいたかもしれませんが。私は語感で「尚隆」が字も響きも大好きなので、「帰山」も「尚隆」に置き換えて読んでしまいます。
朱衡
「明、萬安の人。字は士南。河道を経理し、浮費を裁抑し、節省する所多し。」なんだかよくわからないけど、いかにも切れ者凄腕の十二朱衡にぴったりの名前です。
斡由
「斡」は「ひしゃくの柄」とな?同時に「めぐる、めぐらす」の意味も。「由」は「つかさどる、よる、ちなむ」。何らかの意味がありそうな名前でしたが、特に意味はないようです。でも何となく「謀略の人、斡由」って感じしません?
祥瓊
「祥」は「めでたい、よい、兆し、しるし」と共に「災い」の意味も持つのだそうです。「瓊」は「美しい玉、赤い玉」。祥瓊に対して無責任な親になってしまった仲韃ですが、娘に対する愛情の感じられる名前です。同時にいかにも飾り物の雰囲気のする名前でもあります。楽俊に会うまでの、見かけ倒しのうつろな紅玉も、今ではしっかり自分の足で地面を踏みしめる、凛々しい花に成長しました。
班渠
「班」は「まだら、ぶち、乱れるさま?」「渠」は「みぞ、大きい、かしら、鎧、芋?」。「まだら芋?」違う(笑)。雰囲気的には「模様があって大きい」ってところでしょうかね?「渠」ってなんとなく犬のことかと思ってたら全然違いました。関係ないですが「軒渠」で「笑うさま、よく笑う」だそうです。班渠のくつくつ笑いが私、大好きなんですが。柴田錬三郎著「英雄三国志」では「渠」と書いて「かれ(彼)」と読ませる表現があります。「男」といった意味合いもあるのかな?
鶯嬌
アニメで陽子を食事に招き、癒してくれるも弑逆の罪で射殺されてしまう女性ですね、しかもやったのが八衛門(涙)じゃなくて中嶋聡彦さんでした。「鶯が媚びること、その艶かしさ」だそうですが、「媚びる」といっても悪い意味じゃないように思います。この女性の扱いには納得できない部分も多いんですが、魑魅魍魎が跋扈する(笑)金波宮において、アニメで非常に際立った印象を残します。
雨潦
「唐書」によると「雨降りの水たまり」とか。漣国廉王の雨潦宮より。この王様のために名づけたようなおうちですね。漣国主従のほのぼのした感じがたまらなく好きです。内乱の時、どうやって乗り切ったんだろ?廉王の百姓一揆をどうしたも思い浮かべてしまふ・・・。
華胥華朶
「華胥」とは「安楽平和な境地」から「華胥の国」を「非常によくおさまっている国」をさします。「十二国記」の場合は、「見る者の望む国」ですね。短編集のタイトル「華胥の夢」は直訳するなら「吉夢」。やはり古代中国の皇帝黄帝が昼寝をしたときに見た夢が「華胥氏による理想郷(国)」が語源となっているそうです。「華朶」の「朶」とは「しだれる枝から垂れ下がる花の固まり」。
「華胥の夢」では、見た夢と得た夢の食い違いによる悲劇が描かれますが、夢が一人一人違うのは当然のこと。国ひとつとっても戦争のない豊かな国を目指したい王もいるでしょうし、もしかしたら文化の最先端の国でありたい王もいるかもしれない。もしかしたら十二の国全て統治したい王だっているかも。
あまりにも当たり前の事実に気づかなかった王や采麟の悲劇は、そのまま私たちの人間関係にも通じるものがあるかもしれません。この悲劇を経て国を立て直す「黄姑」と呼ばれる女性。己の不幸に酔い痴れる鈴に向けた言葉の重みが胸を打ちます。
ちなみに「黄姑」とは前述の黄帝と関係があります。穢れて帰って来た泰麒を清める西王母は黄帝の神であるとされ、また「山海経」には西王母のいる崑崙山には黄帝がいるともありました。
そして「黄姑」とは「織姫彦星」の彦星こと「牽牛」を指して呼ばれていたそうです。「黄色」を麒麟を意味する高貴の色として采王の敬称に「黄姑」と名づけた設定ですが、もしかしたら小野先生の中では黄帝からの連想もあったのかもしれません。ここでふと「十二国記」でも「黄帝」の名前が出てたような気が・・・。確信がないので後で調べておきます。
頑丘
「にぶい、愚か、頑な、片意地、悪い、欲深、野蛮で無知」全くいいところなしの「頑」ですが、あえてそんな名前をつけるところに頑丘たちの偽悪的な性格が現れているように思えました。でも本当はお人よし。珠晶を助け、王の座へと押し上げる手伝いをしますが、同時に癒された部分も多々あったように思います。本人は嫌がるかもしれませんが、仙として生きていて欲しい。黄海で犬狼真君のように昇山の人々を助け、たまには珠晶や利広の騎獣狩りに無理矢理付き合わされる、そんなボランティアになっていないかしら?「十二国記」の男性キャラの中でもベスト5に入る好きキャラです。朱衡、浩瀚、利広より頑丘、尚隆、桓魋が好きな私はワイルド系が好みかも(鋼牙も含め♪)。
蒿里
山の名。泰山の南。人が死ねば魂魄がここに来て留まると言い、転じて墓地をいいます。魂魄は、「犬夜叉」でアニメではカットされましたが、鋼牙が出会う魍魎丸の原形?で人の魄により形作られる妖怪が登場します。そのとき調べたことを抜き書きしておきます。

魂魄、簡単に言うと人の魂だが、この考え方では「魂」は「精神的な魂」であり、「魄」は「肉体的な魂」とされている。 人間の魂はこの「魂」と「魄」が合わさってできたもので、人間が死ぬと「魂」は天上に還り、「魄」は地上に還る。 この世に人間が生まれる時、その人間は天上から「魂」を、地上から「魄」をもらって自らの魂とする。

私は驍宗は「あまりにも王にふさわしい王」で登場すること、王になってからも活躍することでその迷いのなさに返って馴染めなかったのですが(好きですが)、「いっそ不吉で縁起がよかろう」どころか戴は今大変な状態に。驍宗のこの一言が大いなる皮肉となりませんように・・・。気になる戴の今後です。
計都
以前どこかで「彗星」と書いてあるのを読んで「素敵な名前だなあ。」と感動していたのですが、むしろインドより渡った仏教用語で九曜と呼ばれ、月火水木金土、そして日(太陽)に計都星、羅喉星を合わせたものを言うのだそうです。まあ彗星も間違いではないけれど全てでもないというところでしょうか。ここでも「計都」はあまり縁起のいい星ではなく、むしろ「凶」を意味するとか。ここでも「いっそ不吉で」などと言っていたのではないでしょうね・・・。騶虞の流れるような飛び方の美しさを彗星に例えたのだと思いたいです。
月渓
月影を浮かべた谷川。月陰、月が曇ること。王を弑し、後は沈むことしかできない国だった。その国を負うたのは月渓、王を弑した男。その月渓に桓魋(青辛)がはからずも言う。「月陰の朝というのはどうでしょう。」月に乗じて暁を待つ―。月渓という名前がつけられた時点で、沈みゆく国を負う運命を与えられていたのでしょう。正直言ってアニメで月渓を見た時は、予想していたより老けて見えたのでびっくりしましたが、アニメではむしろ祥瓊の父親のような雰囲気がありましたね。ここでの原作の桓魋(青辛)の「風の万里 黎明の空」からのあまりの変貌ぶりにもかなり驚きました。「風の―」では気がいいけれど、どこか凄みあるしたたか者の熊さんって感じだったのに、ここでは繊細できめ細やかな気配りのできる、文学青年のような雰囲気。アニメの最後の祥瓊のお迎えシーンも素敵でした。
傲霜 
巧国の首都傲霜。霜の寒さにも屈しない強さ、王にも持っていて欲しかったです。同時に菊の形の意味もあります。そんな形の都かな?
嘉祥 
廉王が育て、泰麒にもいでくれた木の実。陰暦6月16日に疾病を除くために16個の餅と菓子を神前に供え、食べた行事から縁起物、演技のいいものと称されるようになりました。赤い実だから「紅嘉祥」です。赤くて大きくて丸い枇杷?種の大きな林檎?私のイメージではそんな感じでした。

漢字の意味は漢和辞典の直訳ですが、「十二国記」と関連づける解釈などは管理人の個人的な考察です。

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