第14話 生かされて
ふと視線を感じ、包帯を巻いていた手を止めて顔を上げた。
少し離れた木陰に桔梗がたたずんでいる。
春の陽射しがまぶしい午後だが、桔梗の回りだけは、相変わらず静謐の気配が漂っている。
桔梗は軽く頭を下げ、静かに歩み去った。
「もう行ってしまわれるのか。」
睡骨はかすかにため息をついた。
今朝早く睡骨の元を訪れた桔梗が、昼過ぎにはもう行ってしまう。
わかっていても寂しさを拭い去ることができない。

治療の間、うつらうつらと舟を漕いでいた老人が眼を覚ました。
「どうなされた?睡骨さま。」
「いや、なんでもない。」
強いて笑みを浮かべ、睡骨は包帯を巻き終えた。
何度も礼を言う老人を送り出し、井戸の水で手を洗う。
雪解け水は、さぞ冷たかろう。
だが睡骨は冷たさを感じない。

春の陽射しの暖かさも、流れる水の冷たさも、むっとする草の匂いも何もかも、二度と感じることはない。
その寂しさにももう慣れた。
三度目に生かされて、こうして医者として生きている。
最初の頃は、桔梗のそばにいないと、またかけらが汚れて殺人鬼に戻るのではないかと恐れていた。
だが、もうそんな不安は感じない。
四魂のかけらが汚れることはないと自信を持って言い切れる。
「桔梗さまがいてくださる限り・・・。」

睡骨は喉の辺りをまさぐっった。
かけらの気配は感じないが、彼はかけらの力で生かされている。
桔梗は何も言わないが、おそらく奈落など四魂のかけらを狙う者達との孤 独な戦いを続けているのだろう。

あの時、桔梗は自分のの体もまた骨と土でできていると言った。
でもかけらの力で生きているのではないと・・・。
たった一人死人として蘇って、どうしてあんなに穏やかで毅然としていられるのだろう。
物が食べられない苦しみ、血や涙の出ない悲しみ、一箇所に定住できない寂しさ、自分は桔梗がいたから耐えられた。
桔梗はなにをよすがに耐えることができたのだろう。

「桔梗さま・・・」
仏に仕える弟子のように、桔梗と共に生きたいと願う。
だが四魂の玉は、おそらくこの世にあってはならぬ物。
いつかこの体から、かけらを抜き取ることになるだろう。
それが今日であっても明日であっても、自分は喜んでかけらを差し出そう。
三度目に生かされてこうして人のために尽くし、心穏やかな日々を過ごしてこられた。
いつ滅びても悔いはない。
その日まで一人でも多くの病人や怪我人を癒したい。
今の自分の願いはただそれだけ。

睡骨は空を見上げ、深く息を吸い込んだ。
不思議だ・・・。
何も感じないはずなのに、空気の匂いがかぐわしい。
生きていた頃の記憶が骨の中に残っているのだろうか。

睡骨を呼ぶ声が聞こえる、村の子供たちが駆け寄ってくる。
睡骨は振り返り、子供たちに笑顔を向けた。












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「楽杏庵」のさえさんからキリ番記念に「睡骨」の絵を贈っていただきました。
最初に「生かされて」を読んで、それに合わせた睡骨さんを描いて下さいました。
「死の間際 生きる道」で生きることを選択した睡骨のその後です。
穏やかで優しくて、それでいて悲しげではかなげで・・・、そんなイメージ通りの素敵な睡骨さんです。
さえさん、ありがとうございました。

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