犬夜叉考察13
アニメ「犬夜叉」ありがとう
今日は朝から涙雨。
きのうまでの記録的な暑さは一体何だったのだろう。
同様に、きのうまでの「終わるまい、終わらせまい」という熱気も消え、今は寂しく気抜けした感じ。
いろいろとやらなきゃならないことはあるけれど、今はもう気力がない。

それはさておいて、きのう「よみうりテレビ」の「おたよりコーナー」にて終了が正式に発表された。
この「おたよりコーナー」と「プレゼントコーナー」が新設されて、継続を信じた方も多かったのではないだろうか。
今となっては、9月までのつなぎのように見えないこともなく、発表後の書き込みが一切取り上げられていないのを見ても寂しい。
おそらく書き込みが殺到しているだろうに。

アニメはいつか終わるものだから、中途半端な状態で終わることは仕方がないと冷静に受け止めることができるが、終わり方がすっきりせず、後々まで引きずり続けることになるかもしれないと思う。
ところが、たまたま「犬夜叉」に興味のない知人と話していて、言われたこと。

「始まる時は正式発表するけれど、終わる時はそんなことしないのが普通。
これだけ騒ぎになって発表してくれたのは、むしろ誠意の表れと思っていいんじゃないか。」というもの。
私は掲示板への書き込みで発表?と逆に軽んじられているように思っていたのだが、そう言われればそうなのかもしれない。

そして今、言いたいことは1つだけ。
アニメ「犬夜叉」ありがとう。

大の大人がこれほどアニメ(漫画)にハマってサイトを作る、そのエネルギーを与えてくれたのはアニメ。
アニメで「犬夜叉」を知り、動く犬夜叉、しゃべる犬夜叉、そして他のみんなに会えた。
「犬夜叉」を通じて友達もたくさんできた。

初めてアニメ第1回「時代を越えた少女と封印された少年」を見た時の「えっ?」といった気持ちは忘れていない。
いい年してアニメにハマったのが恥ずかしかったけど、サイト巡りをしているうちに、年齢に関係なくいろんな年齢層の人が夢中になってることを知り、いつの間にか恥を捨てた(笑)。

「アニメエピソードアンケート」、作品製作の参考になればと続けてきたが、それももうおしまい。
今回までの集計分は、まとめ次第、皆さんからいただいたコメントと共にサンライズ及びよみうりテレビに送らせていただきたいと思う、せっかくなので。

以前アンケート結果を両サイトに送ったことを報告した時、こんなご意見が届いた。

「そんなことしたって意味ないと思います。
だいたい読んでなんかくれませんよ。
毎日いっぱいもらってるんだろうし。」

もしかしたら他にもこのように思っていらっしゃる方いるかもしれないのでここで書いておきたい。

私にも読んで下さるかどうかわからない。
けれども少なくとも「犬夜叉のために何かをした。」、自分の中でそんな記憶が残るのではないかと思う。
単なる自己満足かもしれないが、「どうせ」と言って努力を放棄することだけはしたくないと思う。

また、読んでくださったとしてもお返事をもらえることを望んでいるわけでもない。
少なくともこれだけたくさんの人が「犬夜叉」に真剣に向き合っている、それを知っていただけるだけでいいと思っている。

自分でも驚くほど寂しいけれど、まだまだやりたいことはいっぱいある。
どうせだったら最後の最後までとことん楽しみたい。
 (2004年8月15日の日記) 
8月の終わりに
8月最後の1日もこちらは猛暑に見舞われましたが、歩いているとそこはかとなく秋 の気配が忍び寄っている今日この頃。
いつからセミの鳴き声が秋の虫の鳴き声に変わったのか、日々の生活に追いまくられ て気づかぬうちに終わってしまいました。
2ヶ月単位の「犬夜叉」「十二国記」カレンダーも楽しそうな犬夜叉一行からしっと りムードの恋人同士へ、娘2人のアンニュイな雰囲気からごつい男×2+美少年×1 の色気のない雰囲気に変わって(笑)部屋を彩ってくれます。

なんせ部屋が狭いんで、この2つのカレンダー、並んでいるんですよ、壁に。
似合いませんよね(苦笑)。
ほんとはそれなりのスペースをとってフィギュアとか飾ってみたいんですが、とても とても。
以前は鋼牙コーナーあって鋼牙グッズやカードを飾ってたんですが、通るたびに何か が落ちるのでやめたんだっけ。

そういえば「十二国記」も「犬夜叉」もアニメが(一応)終わって「カレンダー出る よね、映画もやるし。って心配していたのですが「アニメイト」によると「犬 夜叉」は10月中旬、「十二国記」は11月中旬に発売されるようですね、一安心。
今年はアメリカの犬カレも買ったし、もちろんプーさんのも2,3種類買うのでどこ に飾るかさらに迷いそうだ・・・。

さて9月前半のトップページの写真はいつもお世話になっているTSUKURUさん の「素材散策」からお 借りしました。
初めてこの写真を見た時、私にとってはまさに「犬夜叉」のイメージそのものですご く感動したんです。
季節感が微妙に違いますが、私の中で「この赤鳥居は秋よ!」みたいな信念があって (笑)。

実はTSUKURUさんはその後この写真の配布を中止されていたのですが、無理に お願いして今回特別に使用を許可していただきました。
TSUKURUさん、本当にありがとうございました。

最後に最近ちょっとお気に入りのCMを。
花王の「ASIENCE(ヘ アケア製品)」のCMでチャン・ツィイー(グリーン・ディスティニー、LOVER S)などが赤いドレスを着て踊っている、あれが素敵だなあと。
「アジアの美」の象徴ってこういう人のこと言うのかなあなんてうっとりしていま す。

3バージョンあるようですが、やはり舞台の上で照明が消えるリハーサルバージョン が一番好きかも。
音楽は坂本龍一さんなんだ、いいなあ・・・。
CMが良くても買おうと思うことはまずないのですが、これだけは「踊らされそう」 な気がする、などとつらつら書いてしまいましたが、9月もよろしくお願いします。
 (2004年8月31日の日記 ) 
最終回に思うこと
最初に先日の考察日記に対して、励ましや気遣いのメールをありがとうございます。
すぐにはお返事書けないかもしれませんが、必ず感謝の気持ちを伝えたいと思ってます。

最近滅入っていたのは、もちろんアニメ終了に関しての寂しさもありますが、「さんざんアニメ批判を繰り返してきて、今更寂しいなんて偽善者ぶらず、最後まで自分の主張を通すべき」という厳しい意見を頂いたことにあります。
御本人の許可を得て、名前を出さないことを条件に書くことにしたんですが、これは断じて中傷などではなく、ふらふらと迷いのあった私への一喝でした。

それは絶対違う、アニメも含めて「犬夜叉」が好きだから、そう、仲のいい喧嘩友達が突然いなくなっちゃうような、そんな寂しさがあるんです。
たとえば卒業して自然に別れるのならともかく、突然転校されちゃうような、心の準備のできない寂しさ。
ならば信念を持って「犬夜叉」への愛も批判も語ればいいんじゃないですか?それがその人の言いたかったことでした。

他にも優しいメール、一緒に落ち込んでくれるメール、頂きました。
本当に嬉しいです、ありがとうございます。
私の愚痴にもかかわらず、今日もこうして遊びに来てくださった皆さんにも心から感謝を、本当にありがとうございます。

          ☆          ☆          ☆

さて本題。
内容に関しては見てから書くつもりだが、あの「かけらを使う」のエピソードは、原作において無条件に感動できなかった部分だったりする。
私がかごめに関して一番感動したのは、やはり犬夜叉と桔梗の姿を見てしまったかごめが嫉妬にさいなまれつつも帰って来る「出会った場所」そして「かごめの心」。

次は鉄砕牙を奪った珊瑚が奈落の城に行った時の「奈落の城」「瘴気」「浄化」のかごめ。
アニメではあっさり作られているのでかごめの凄みが全然伝わってこないが、琥珀を人質にして珊瑚を傷つけさせる奈落、仲間を死への危険に巻き込んでしまった珊瑚は自分を責める、死を覚悟して風穴を開き、自分の命と引き換えに皆を救おうとする弥勒、その弥勒を救うために弥勒を殴って気絶させる犬夜叉、そして何よりも、かなわぬと知りながら奈落に挑む犬夜叉を「でき損ないの半妖」と揶揄する奈落への怒り、それらがかごめの中で爆発し、かごめの矢が奈落の体を打ち砕く。

この時のかごめの凛々しさ、かっこ良さは原作の中でも最高に好き。
ところがこの「かけらを使う」場面、残念ながらリアリティがなさ過ぎて、「嘘でしょう・・・?」と思わず突っ込んでしまった。
いくら愛でも、酸の中に足突っ込んでじっとしていられるというのが信じられない。
逆に鬼の酸ってそんなもん?って思ったし。

私はこの話は「アニメの最終回用」に描かれたものだと勝手に思っているが、いくら虚構の世界とはいえそれなりのリアリティは欲しいと思う。
当然予想される詰め込み過ぎ、大幅カットにこのエピソード、最終回の寂しさとは裏腹に、どうもはらはら気分で落ち着かない。

最近「一旦」お休み宣言が話題になっているようだが、アニメの再開と単純に期待できないあやふや感がすごく気になる。
一旦お休みした後に映画やCDドラマで「ほらまたやったでしょ?」みたいな展開になるのが一番困るが、どうなのだろう。

そんなこんなですんなり最終回を迎えられない気分が辛いが、アニメの再開を信じて待とう。
「ブラックジャック」は内容的にもそんなに気軽に作れるアニメじゃないと思うので、その間に原作をためてもらってBJと交互に作るとか?
犬夜叉ファンはいつでも夢を見ているのである(笑)。
  (2004年9月12日の日記) 
鳥居の赤は秋の色

9月前半にお借りした「素材散策」のTSUKURUさんの鳥居の写真(右図)を初めて見た時、写真としての素晴らしさもさることながら、「犬夜叉だ!」となぜか思ってしまいました。
鳥居の深い赤は犬夜叉の衣の色、鳥居のイメージは日暮神社、そっと添えられた八重咲きの梅が物語に出てくる3人の少女たち。
勝手な想像ですが、あまりにも素敵で是非お借りしたいと思いました。

この写真を初めて見たのは、たしか春だったように記憶しています。
写真素材としても、梅ということで当然春の素材でしょうが、あの鳥居の色が私の中ではどうしても秋のイメージでした。
「犬夜叉」も季節で表現するなら、なぜか秋です。
表面的には、元気なキャラが元気に活躍する冒険活劇ですが、その根底に流れる深くて時には暗い愛憎劇は、ほんわかした春でも、真夏の陽射しでもなく、かと言って寒々した冬でもない。
時には身が引き締まるほど寒いけど、時にはほんわり暖かく、木々の葉は赤や黄色に彩られ、やがて散る、そんな秋、それも晩秋のイメージです。

そこでTSUKURUさんにお願いして、この写真を秋に使わせていただくことにしました。
ところが気のおけない友達からは早速「あれ、春なんじゃない?桜でしょ?」
だから梅だって(笑)。
でも遠慮して指摘されないだけで、実際にそう思っていらっしゃる方、他にも絶対いるはず。
そこで付け加えたのが、今日のタイトルでもある「鳥居の赤は秋の色」の一文でした。

TS UKURUさんとのメールのやり取りの中で、あの鳥居のある神社が、うちの近くにあることがわかりました。
地下鉄半蔵門線で駅2つの大手町にある御宿(みしゅく)稲荷神社だそうです。
ご親切にも地図まで送っていただいて、24日に地震にちょっぴり怯えつつも行ってきました。

初めてこの写真を見た時、もうひとつ飛梅伝説の太宰府天満宮も思い出しました。
梅の花からの連想でしょうね。
菅原道真に関してはその風雅さ、怨霊伝説ととても関心のある人物の1人です。

特に

東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ

の句を初めて読んだ時、意味はわからなかったものの、綺麗だなあと思った記憶があります。
これは藤原氏と敵対した道真が大宰府に左遷される時に大事にしていた梅の木に与えた歌なのだそうです。
道真を慕った梅は一夜にして道真の元に飛んでいったという、それが飛梅伝説です。

ちなみに福岡県太宰府市という名前の市がちゃんとあるんですね。
遠い地の果て九州まで飛んでいった梅の木、さぞや馥郁たる香りを振りまきながら本州を横断していったことでしょう。
ところが恨みを呑んで死んでいった道真の怨念は、凄まじい瘴気を放ちながら同じ道を辿って都へと戻って来ます。

梅を愛しむ優しい心と人を憎む修羅の心と、人の中には相反する2つの心が共存します。

道真はその 典型として、どちらの心もむき出しです。
その激しさが後世も人の心を打つのだと思います。
人が隠したがる邪な心、奇跡を起こす愛する心、人って美しい、でも人って弱い、人って怖い、そんなことをつらつらと考えてしまいました。

ただ太宰府天満宮の鳥居は赤くなく、石でできた白?灰色?の鳥居でした。
考えてみたら赤鳥居って稲荷神社だけ?
前にも書きましたが、赤は生命の色、亀戸天神なども赤鳥居なのでこの辺はよくわかりません。
今度調べてみようっと。

さて大手町で降りてしばらく迷っていたら突然左斜め前方に目のさめるような赤が、「これだっ!」て思いました。
私は視力が弱いので、形より色で見つけたんです。
TSUKURUさんが「高層ビルが建ち並ぶ一角に埋もれるようにひっそりとあります。」
と書か れたように、たしかに大通りは人や車が行き交い、高層ビルが立ち並ぶ賑やかな神田の街です。でもふと横道に入ると思いがけなく静かでひっそりとした感じ。
その中で鳥居の赤がまさに生命の色、ぎらぎらと日の光を受けて真っ赤に自己主張してました。

思わず駆け寄ってまずはびっくり。
小さな小さな神社ですが、鳥居の鮮やかと言えば鮮やか過ぎる、むしろオレンジに近い赤、社殿はペンキ塗りたてのように濡れ濡れとした黒。
そのコントラストがあまりにも鮮やかで、まるで異形の世界に導く扉のよう。
私は王子稲荷神社も好きですが、王子は色ももう少し大人しめです、塗り替えたばかりなのかな?

TSUKURUさんの写真の鳥居とは別の鳥居みたいです。
しばらくあっけにとられて見ていました。

けれども右斜め前から見ると、鳥居に添えるように突き出した一枝の梅、もちろん花は咲いてませんが緑の葉が目にも優しい感じです。
神社の内側にあるのは3本セットの梅にツツジに山茶花かな?定かではないですが。
石碑は拓本でも取ったのか、こすれたところがあってはっきりと読めるところは少なかったですが、抜書きしてみたいと思います。

「天正の昔、家康の関東移封(所領を移される事、国替え)の際、武蔵の国神田村の郷士の家に投宿せられ、その庭に神祠あり。
後幕府より公の足跡(そくせき)を止められし記念として社地の寄進ありければ、ここに広く世に御宿稲荷の大神として崇め奉れり。

なお徳川氏江戸城に入城せられて後、この地に三河の国より臣下の永住するものなどと共に増加し、ついに三河町と称するにいたれぬ。」

神祠のところに「宇迦」「御魂」といった言葉も見られましたが、意味がよくわからず、帰ってから調べてみたら「宇迦」とは食べ物のことなのだそうです。
食を司る神とでも訳せばいいのでしょうか。

写真を撮ったり石碑を読んだりしているうちにも地元の人らしき女性がやってきてお賽銭を上げ、なにやら一心に祈っていきます。
地震や台風のことを祈っているのでしょうか。
ここに来ても、興味ばかりで祈るなんて夢にも思わなかった自分を恥じつつ、私も僅かながらもお賽銭を投げ入れ、1日も早い災害からの復興と、世界の平和と全ての人々の幸福を祈ります。
お稲荷さんが目を回したかも。

徳川家康の移封、これは日本の歴史においてとても重大なことです。
当時の江戸は荒れ果てた土地でしたが、家康はよく治め、やがて豊かで繁栄した地となります。
秀吉亡き後の徳川時代への移行に関しては周知のことなのでここには触れませんが、現在の東京を首都とした日本があるのは、この出来事に元をなすのです。

去年あたりから江戸開府400年記念事業として千代田区民にスタンプカードが配られました。
千代田区内で買い物や飲食をすると、400円ごとに1つスタンプを押してくれます。
これがいっぱいになると1000円分の商品券になるのです。

たとえばラオックスでDVDを買っても近所のお豆腐屋さんで豆腐を買ってもOKなので、ありがたく使わせていただきました。
地域の活性化という意味でも効果的だった思うし、来年も是非やって欲しいです。
家康の移封は、家康の力を恐れた秀吉がその力をそぐために無理矢理命じたものだと言います。
傷心の心を抱えて江戸に出てきた家康、数百年後にこうして民が恩恵に預かっていることを知ったらどう思うだろうか、と思うとちょっと笑えますね。

写真もたくさん撮りましたが、私の腕、私のカメラではとてもTSUKURUさんのように素晴らしくはできず、写真は鳥居の色が綺麗じゃないし、パソコンに取り込んだらすごく暗くなってしまいました。
恥を忍んで載せておきます。
少し画像処理も勉強しようかな・・・。

TSUKURUさんのご好意によりこうして写真も永久保存できることになりました。
本当にありがとうございました。
11月前半のトップページには、またまたTSUKURUさんの写真を使わせていただきます。
私のサイトが続く限り、TSUKURUさんの撮られる写真を全て飾らせていただきたいなどと不遜なことを考えておりますが(笑)、これからもよろしくお願いします。
 (2004年10月27日の日記)  
仕切り直して・・・
先日来いろいろとご心配をおかけしました。
目の酷使と、まあいろいろとごたごたしていて今回は本当に参りましたが、無理しない程度に再開したいと思います。
メールのお返事も、遅くなりますが必ず書きますので、もう少しお待ちくださいね。

最初に以前の「一陣の風」、ジオからお借りしていたサイトを解約することにしました。
逆に中身もないのにどうしていままで残してあるんだろうと思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
実は見えない所でいろいろとやってたんですが(笑)、実は新聞の発行を目指していました。

サイト自体が1枚の新聞となっていて、おもしろかった本や映画、おいしかった物、楽しかった場所の紹介などもっと気軽に紹介するスペースが欲しいなあと思いまして。
同時に一社会人として、いつかは社会問題や国際問題についていろいろと考えてみたいと思っていました。
目を背けていたわけではないのですが、「一陣の風」では束の間現実を忘れて、「えむ」として楽しいことばかり考えていたかったような気がします。

たぶん遊びに来てくださっている皆さんも、私にここで政治や社会について論じて欲しいとは思われないのではないか、漠然と思っていました。
そこで全く別のサイトで、全く別の人間として、名前も変えてサイトを開設したいと。
つまり「えむ」がサイトを2つ作るんじゃなくて、そっちのサイトは全く別人が作る形ですね。

そしてこっちはより「犬夜叉」や「十二国記」などに絞ってより楽しみたい、そんな感じです。
私自身小さい頃の夢が作家や新聞記者、いわゆる物書きで、作家の夢は曲がりなりにも「一陣の風」で達成できましたが、記者の方もそちらで達成できたらいいなと。

先日私の友達が本を出版しました。
その才能と努力とエネルギーは素晴らしいと思いましたが、同時に本を出すってことは「素の自分」をさらけ出すことなんだなあと思いました。
才能がないのはもちろんですが、私にそこまでできるか、と自分に問えば絶対できない。
仮想の世界で匿名に甘えてちょこちょこって書きたい、そんな形の夢です。

その夢を別サイトでかなえるはず、でした。
10月に2周年を迎えるので、それまでに開設したいと、むきになってしまった結果が今回の眼痛です(苦笑)。
以前某サイトさんで、「毎日更新できるのはよほどの暇人」とのコメントを読んで愕然としたことがありますが、さすがに両立するとなるとこちらのサイトにも影響が出るし、早い話があきらめました(笑)。

それにしても「毎日更新する時間を無理矢理作ってる」とは思ってくれないんでしょうかねえ・・・。
たしかになんとも思わずに書かれたことで傷つくことってあるわ。

現サイトの乱立する資料型コンテンツにめどがついたら今度こそ挑戦しようかな?
いずれにしても無理はいけません。
ジオが統合されることになり、キープし続けるためには再手続きが必要になったため、これを機会にお返しすることにしました。
ジオはジオでいろんな思い出があって、ちょっと寂しいかも。

          ☆          ☆          ☆

先日ちょびの家に遊びに行ったら、「MOE」のバックナンバーを用意して待っていてくれました。
2月号だったかな?
なんと「人気美少年大図鑑」なる特集が組んであって、その中での少年漫画ランキングで「犬夜叉」が8位。
「めぞん一刻」が25位にランクインしていました。
ちなみに1位が「ワンピース」で「スラムダンク」「ドラゴンボール」と続きます。

最近話題の「ブラックジャック」が堂々4位。
「MOE」読者の年齢層というのがよくわからないのですが、20代以上の絵本や綺麗な絵の漫画が好きな女性かな?
私の大好きな「BANANA FISH」は少女漫画部門の16位。
あれを少女漫画と位置づけるにはちょっと抵抗がありますが。

「美少年史」によると、「鉄のクラウス一陣支局」の「エロイカより愛をこめて」は1977年、「BF」は1985年に出てるんですね。
どちらも当時は社会現象になるほどの大人気だったとか。

この中で「犬夜叉」に対する解説。
「作者独特のコメディ色はスパイス程度に抑えられ、けっこうシリアス。
主人公とライバルたちがそれぞれ複数で、数多くのキャラの中からお気に入りを捜すコレクション魂をくすぐる。」
これがいわゆる低年齢層をターゲットにした戦略とか。

ほうほうなるほど!と思ってしまいました。
今これ、らんまの「クレープのジョー」録画したの見ながら書いてます。
ジョーが辻谷さんだというのも驚きでしたが、ハイジのおじいさんがこんな所にというのがもっと驚きでした。
私には宮内幸平さんといえば、もうハイジのおじいさんしか考えられなくて、「北斗の拳」はともかく「ドラゴンボール」で亀仙人をたまたま見た時の衝撃(笑)は未だに忘れられません。

それは置いといて、私はらんまや「うる星やつら」は原作もほとんど読んでないし、アニメも順番や内容には全くこだわりなく見ています。
(めぞんや「人魚シリーズ」はきちんと読みましたが。)
当然どれがオリジナルかなんてわかりませんし、声優さんにもこだわりなかったです(ほとんど)。
だから「うる星」からの高橋作品の歴史というものが一番弱いところなんですが、この解説を読んで「そうなんだあ」と思いました。

なにやらとりとめもなく書いてきましたが、こうしてあまり考えずにたらたら書くだけだとそんなに負担もないようです。
趣味が実生活に差し障りがあるのはちょっとまずいと思うので(笑)、ほどほど更新を目指してがんばります。
 (2004年9月24日の日記) 
9月の終わりに
早いもので、今年も残すところ3ヶ月となりました。
今日はお知らせから。

トップページで行っているアンケートですが、去年の10月19日のサイトの1周年記念日に開始したものです。
いつの間にやらいろいろ増えて(三国志だけは自分で増やした)、たくさんの投票を頂きましたが、今月19日をもって終了とさせていただきます。
もっとも集計の都合上、一気に全部終わるわけではないと思いますが、一応です。

そういえば「好きなお笑いタレント」の希望もあったりしてさすがにお断りしたのも懐かしい思い出です。
すでに終わったものでは「好きな主題歌」なんてのもありましたね。
この結果は考察日記内にあると思いますが。
この投票所は、最大得票数が15000票なので(これまでずっと5000票だと思っていた・・・)、1時間に1票制にして19日まで続けたいと思います。
あり得ないとは思いますが、最大得票数に達した場合はその時点で終了ということで。

なおファイルの都合上、コメントはアップできないと思いますが、一応最終報告として表にはまとめたいと思っています。
エピソード経過のようにまとめて「日暮の森」にしまうことになるんでしょうねえ。
あるんですよ、「1周年記念アンケート」コンテンツ、いえ私もすっかり忘れてましたけど(笑)。

実際サンデー人気投票以外は、投票してくださる方も固定化してるようですので、これから大きな順位変動はないと思いますが。

10月の目標は・・・、サンデーの感想と、できればアニメ犬夜叉最強トリオも完成したいですね。
資料的なコンテンツはなるべく完成させておきたかったのですが・・・。
まあ無理しないでいきたいと思います。
 (2004年9月30日の日記) 
2周年のご挨拶
おかげさまでサイト開設2周年を無事迎えることができました。
1年目は突っ走り、2年目も突っ走り、でしたが、後半息切れしたかな?
やっぱり「犬夜叉」のアニメは良くも悪くもサイト運営上の原動力になったんだなあという気がします。
次回の危機は原作終了時か?

3年目の目標としては、サンデー感想と資料の完成かな?
特に「アニメ犬夜叉最強トリオ」はアニメが終わるまでに完成させることができなかったことがとても悔しいです。
同時に3年目はサイトのシンプル化も目指したいと思います。

とりあえず1周年記念アンケートも無事終了、たまたま今日はお休みだったので、全結果をアップしました。
「日暮の森」からお入りください。

予想以上にたくさんの投票を頂き、アンケートの数も増えてとても充実した資料を作ることができました。
長い間協力していただいて本当にありがとうございました。
もし他のサイト様で同じアンケートを行ったとしたら全く違った結果になっただろうと思います。
その意味でも「一陣の風」ならではの宝物として大切に保存させていただきます。

ただし「三国志人気投票」は管理人が趣味で作り(笑)、投票もほとんど管理人の一人散歩小道でしたので、そのまま削除しました。
また、サイトに対するアンケートにもご協力ありがとうございました。
皆様がどのコンテンツに興味を持っていただいているか、知ることができました。
こちらも今日で終了とさせていただきます。

さて、私が初めてサイトを作った時に「カウンター」「キリ番」「掲示板」は「ホームページにはなくてはならない三種の神器?」だと思っていました。
でも上手に絵が描けるわけでもなし、いろいろと考えた末、キリ番も終了することにしました。
実はカウンターも取り外すことを考えています。

カウンターは管理人として励みにもなるけれど、下手をすれば振り回されかねないそんな怖さがあります。
その意味でも当サイトにカウンターは必要ないのではないだろうかと考えているわけです。
この話を何人かのメール友達にしたところ、「カウンターはそのサイトの歴史なのだから、取り外されると寂しい」といった意見も頂きました。
う〜ん、どうなんだろう・・・。

今回は1ヶ月ほど前からサイト内をいろいろいじっていました。
まずは「写真の小部屋」の「滝巡り」の写真を取り外しました。
鋼牙に会いに行った?私自身の写真(後姿)なのですが、もう1年以上もたっているし現実の私とネットの「えむ」とは全くの別人だし、必要ないと考えました。
免許証の写真だって有効なのは半年じゃなかったっけ?

それからいくつかのページの背景色が変わりました。
特に黄色の背景色は以前お借りしていた無料サイトの名残です。
これで以前のサイトの形態を保っているのは「考察日記」と「プロフィール」だけになりました。
微妙に色などは変えていますが、どちらも気に入っているのでこのままキープ。
まだ背景と文字色が合わなかったり、コンテンツとして一貫していないところ、素材系リンクの不備など気になるところがたくさんあるけれど、出来の悪い息子?娘?と思って可愛がっていきたいと思っています。

なお、今回のトップページの写真はMさんの「Art-Flash 加工自由壁紙と素材」からお借りしました。
お礼に皆様に差し上げる(笑)大きな花束の写真を探していて辿り着きました。
これからご挨拶に伺うところです。

これからも管理人共々よろしくお願いします。
 (2004年10月19日の日記) 
10月の終わりに
今日から11月、今年もあと2ヶ月ですか、早いなあ。
巷では10月のうちからクリスマスケーキだ年賀状だと早々と宣伝始めてたし、書店に行けば来年のカレンダーやら手帳やら。
急にあせりを感じてしまいます。
年末はいろいろとお金のかかるし、忘年会だなんだと忙しい季節です。

11月は冬の準備、かな?
とにかく雑事にふり回されないようにせねば・・・。

犬&十二カレンダーもいよいよ最後の1枚です。
十二は慶国主従、陽子と景麒、美しいです。
犬は・・・かごめ&珊瑚@温泉ですか、う〜ん。

いえ可愛くていいんですけどね、飾っておくのがちょっと恥ずかしかったりします(笑)。
両方とも来年の分はもちろん注文したし、プーさんとラスカルのカレンダーも買いに行って、家計簿買ってと、もちろんクリスマスプレゼントも早めに買って送って、うん忙しい。

ところで今月は無事に2周年を迎えることができました。
たくさんのお祝いのお言葉、本当にありがとうございました。
気づいてみたらというか、あっという間に2年たったという感じです。
早いなあと感慨もひとしおです。

さて11月前半の壁紙は「素材散策」のTSUKURUさんからお借りしました。
今回は使いたい写真が4枚あってとても迷いました。
来年の11月、再来年の11月と使えたらいいなあと思ってます。
それにはサイトを続けていかなくてはならないのですが(笑)。

なんとか仕事が一段落したので、11月はまたサイトに専念できたらいいなあと思います。
 (2004年10月31日の日記) 
妖怪たちは今・・・
私のメル友の1人に、「十二国記」関係で知り合った方がいる。
サイトに遊びに来てくれるうちに、「犬夜叉」も見てみようと思いますととても嬉しいことを書いてくれた。
こうして私の中の犬夜叉リンクが広がっていく(笑)。

そして今回、疑問を2つ感じたことを書いてきてくれた。

1つめはかごめがなぜ戦国時代にわざわざ制服を着ていくかということ。
2つめは、戦国時代にこれだけ魑魅魍魎(と言うか妖怪?)が多く存在するのに、なぜ現代には彼らが全くではないにせよ、ほとんど存在しなくなったのかということだった。

「犬夜叉」界に踏み入れた頃の私も同じ疑問を持ったし、いろいろなサイトさんで同じような疑問や考察を見かけたことを思い出し、もう嬉しくて嬉しくてたまらず、私なりの考えを記したメールを送った。
今日はそのことを考察日記にまとめてみたい。

まず1つめのかごめの制服に関しては、高橋先生がご自身で答えられている。

制服に必要な機能は、なにか。
一年中(夏用、冬 用、各々スペアがあるにせよ)着続けることを前提に考えると、制服は頑丈で、洗い直しに耐えるというスグレ物です。
最初の頃は、かごめも私服で戦国時代に行ったことがありましたが、汚れる破れるもう着れない、という事に気づいたんじゃないでしょうか。
《じゃ、体育のジャージで行きゃあいいじゃないか》と思われる人もいるかもしれない。
でも、そんなかごめを見たいでしょうか。
私は見たくないです。
戦国時代にセーラー服を着用していくのは、かごめのオシャレ心、とご理解ください。」(サンデー公式サイトより)


あ”っ、私、かごめの「戦闘服」なんて嘘書いちゃった。
急いでメール出し直さないと・・・。
私の中ではむしろ戦闘服のイメージが強いので、記憶を勝手に書き替えてしまったようだ。
さらに補足すると、

ずっと昔「犬夜叉の原点」とも言える「炎トリッ パー」という作品が描かれました。
そこでは、やはり戦国時代にタイムスリップしてしまう涼子という少女が登場します。

涼子は最初は戦国時代に慣れなくて、ちょうど初期の陽子(十二国記)のような状態になってしまうんですよね。
むしろかごめが異質で、陽子や涼子のような反応が普通だとは思いますが。

また涼子は後にある少年と結婚して、現代に別れを告げることを心に決めますが、その時、戦国時代の着物をそっとしまいます。
かごめは未だに現代と戦国時代を行き来していて、基本的には現代の人間なんだと思います。
たとえば犬夜叉と結婚して戦国時代の人間として生き抜く決意をした時に、着物姿になるんじゃないかと私は思ってます。

かごめは戦国時代でいろんな人に会いますが、着物に関して指摘されているのは最初とあとは1度なんです。
本当は会う人ごとに「変な格好」をしていることを指摘されなければおかしいんですが、その辺は高橋先生もわかって設定していらっしゃるんだと思いますよ。


これが私の説。

そしておもしろいのが、今日のタイトル「妖怪たちは今・・・」。
今、読んで下さっている1人1人に当てたメールという形で書いたので、私からのメールが届いたという風に読んでいただけたら嬉しい。

これも「漫画だから」と言ってしま えばそれまでなんですが、あえて考えるところがおもしろいわけで。

大体まずこんな形のタイムスリップがあり得るかということから始まるわけです。
タイムパラドックスという言葉をご存知ですか?
タイムトラベラーには、歴史を変えてはいけないという大前提が存在します。
たとえば自分が過去に行ったことにより、自分の父母が出会わなかったとします。

そうすると父母は当然結婚しませんから、自分は生まれない。
これは大きな事例ですが、ほんとにわずか1秒歴史を変えただけで歴史が変わるということです。
生まれないから自分は消失するかというと、こうして存在します。
SF映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では、写真から自分の姿が少しずつ薄れていく描写でドキドキ感をあおっていましたが、実際はどうかというと、歴史は少しずつ修正されて、現在は元通りになるとか、歴史を変えようとした時点で、自分の存在そのものが消されるとか、まあ考え方はいろいろあるわけです。

「犬夜叉」はまずその問題に目をつぶらないと話が始まらない。
そこで本題ですが、仮にかごめが過去にタイムスリップしたところで、戦国時代に妖怪はいないと思うんですよ、私も。
実際に妖怪として登場?していたのも座敷童子とか九尾の狐みたいなので刀持って旅したりしない(笑)。

よって「妖怪」を人に近い、いわゆる擬人化するか、「もののけ、魑魅魍魎」とするかで変わってくると思うんです。
私はパラレルワールド説ですね、基本的には。
どこかには犬夜叉初め、限りなく人に近い妖怪は全く存在しない、今私たちが生きている時代に直結した戦国時代もあると思います。
同時に、かごめの現代は、やはり今私たちが住んでいる現代ではない、別の現代。

だから私たちがどんなに日暮神社を探しても、見つけることができないし、「あたしがかごめです。」なんて女の子も現れない。
いかがでしょう?

現在に妖怪がいないわけ、これも2つに分けて考えなければならないと思います。
1つは先ほど書いた「魑魅魍魎」の類ですね。
つまり「人の心が作り出した妖怪」です。
「犬夜叉」でもどっと出てくる雑魚妖怪です。

これは「人が妖怪を信じなくなったから。」だと思います。

私たちの妖怪は人によって作られた存在です。
昔は深い闇があり、土地に根付いた信仰があり、自然への親しみと畏怖の念があり、そういった心が数々の妖怪を生み出しました。
最近は何もかもを科学的に説明しようとする、実際ほとんどの事象は科学的に説明できます。
たとえば雷獣も昔は妖怪とされましたが、今では当然落雷でびっくりして飛び出した狢(笑)だったりと位置づけられていますね。

こうして自然への畏怖の念が消えるにつれ、妖怪も姿を消したのではないかと思います。

次に「犬夜叉」に出てくるような、限りなく人間に近い長生きなだけではなく、人間のような生活をする妖怪はどうでしょう。
これまで何度か考察日記で書いてきているんですが

(犬夜叉一族 〜殺生丸登場参照)

半妖犬夜叉が500歳前後っていうのは、実はすごいことなんです。
長寿で有名な?九尾の狐でさえ1000年、齢300年の九十九の蝦蟇なんて実は犬夜叉よりかなり年下なんですよ(笑)。
もちろん300歳でも犬夜叉よりははるかに老成した印象を受けるので、蛙妖怪は犬妖怪よりも早く年を取り、寿命も短いのでしょう。

話がそれたけど、妖怪は長生きだから生きていてももちろんおかしくない。
おかしくないけど、今では人間と同化してしまっているのではないかと。

妖怪に妖力があるのはなぜか、ちょっと「犬夜叉」と離れますが、私はこういった限りなく人間に近い妖怪は、「ものすごく凄い人」だったと考えています。
菅原道真、平将門のように怨念の力で妖怪(怨霊)とされた人間、酒呑童子のように迫害された恨みによって妖怪(鬼)になった者もいます。
あと、自分でも笑っちゃいますが、ある種超能力を持っていたような人も(霊力などもその一部かもしれない・・・)、善に生きれば巫女になるし、悪に走れば妖怪扱いのような状態でもあったのではないかと思います。

こういった人型?妖怪が何百年も生きるというのは実はあり得ない話なので、これは後でついた尾ひれ(非人間性を高めるため)ではないかと。
「犬夜叉」に限って言えば、犬夜叉兄弟だけでなく鋼牙なども同じような年の取り方をしているので、これはやはり特殊な設定でしょう。

結論を書いちゃうと、私たちが生きている世界に今は妖怪は存在しないけれど、かごめの世界の現代には存在すると思うんです。
でも人間との共存の中で少なくとも見た目は人間と変わらない、そんな気がします。
妖力が残っていてもむしろ隠そうとするかもしれないし、そんなこと考えるとおもしろいですね。

でもやはり、犬夜叉かごめの戦国時代の後、江戸時代に入って明治までの間に新たに妖怪が生まれる要素はどんどん消えていきます。
もしかしたら平安時代から戦国時代末期が妖怪誕生のピークだったのかもしれませんね。
妖怪が減っていけば、妖怪同士の結婚が減り、人間との結婚が増えたかも。
やがて妖怪の血も薄まっていったのかもしれません。

こんなもんでいかがでしょう?

あり得ない世界と割り切ってしまえば簡単だけど、それじゃあまりにつまらない。
設定にいろいろな解釈をくっつけてしまうのも案外楽しいもんです。
皆さんはどうお考えですか?

ここまで書いてふと気づいたんですが、戦国時代から500年で妖怪の血が薄まるわけないんですね。
たとえば殺生丸、500年で19歳なら、それから5百年後なら成長が緩やかになると私の仮説でも30歳前後。
たとえ人間と結婚して子供が生まれても、せいぜい半妖か半々妖でしょうか。

ならば「犬夜叉」の妖怪たちも現代までちゃんと生きていることになります。
むしろさらに人間に近い容姿を持つべく密かに努力するのかも(笑)。
ほら、あなたの後に殺生丸が!ってなんかのバラエティーみたい。

でも昔と違って、国籍だの戸籍だのうるさい現代、放浪するにも一苦労かも。
それにしても殺生丸、かつてあれほど人間を嫌っていたのに、人間みたいなかっこして着物着てたんだよな。
たしかに本性(犬の姿)しているより手も使えるし、生活しやすいだろうけど、犬夜叉の父君と息子たちってどんな暮らしをしていたんでしょうね。

やっぱり人間の屋敷みたいな所に住んで、人間のような暮らしをしていたんでしょうか。
そうなるともう、妖怪というより限りなく人間に近い、それこそ超人間のような雰囲気かもしれないですね。
 (2004年11月1日の日記) 
三つの現代
先日の「妖怪たちは今・・・」でややこしい部分があったので今回はその整理と追記をしてみたい。

私が書いた「妖怪」は2つに分類される。
1つはいわゆる「魑魅魍魎」の類。
人によって作られたり素朴な民間信仰の賜物だったり、曖昧模糊として実体のない存在としての妖怪である。
闇の消失、科学の発達、自然への畏怖の念の欠如といった人間側の変化により消えていった存在。

私が「妖怪の分類」と「妖怪たちは今・・・」で書いた妖怪は基本的にはこちらの妖怪。
もう1つは犬夜叉、鋼牙、殺生丸といった「犬夜叉」に出てくる確固たる存在感を持った妖怪。
人が信じなくなることで消え行くような、そんな曖昧な存在ではなく、むしろ哺乳類、鳥類などと同様に分類付けてもいいような妖怪(半妖含め)。

今から500年前にまだ15〜20歳前後だった幾多の妖怪たちが、現代に存在しないのはなぜか。
前述したような、人が信じなくなることで消え行くような曖昧な存在ではないし、年を取るにつれ、成長の度合いが緩やかになっていくのならば、現代でもまだまだ元気に存在するはずである。
妖力の強さから言って、人間との戦いの中で絶滅したというのも考えにくい。

ここでまたまたパラレルワールドが登場する。

まず私たちの現代がある。
真由のような存在やタタリモッケは見えないだけでいるかもしれないが、とりあえずは犬夜叉型も含め、妖怪がほとんどいない現代。

次にかごめの存在する現代がある。
これだけ皆が探しても、現在23歳になる日暮かごめ(あるいは旧姓が日暮のかごめ)という女性は存在しないし、関東圏(武蔵の国)に高台にある日暮神社、あるいは昔日暮神社があったという史実がない。
伊東市に日暮神社が存在するが、静岡県は武蔵の国には含まれず、神社名の由来も源頼朝による。

肉付きの面が出てきたり、一部の妖怪や人間がの行き来する井戸があったり、そんな現代。
ところが、かごめが戦国時代に行ったことで、この現代もまた分離する。
かごめが犬夜叉の存在する戦国時代に戻った時点で、今、かごめがいる現代は犬夜叉たちがいなくてはおかしなことになってくる、年齢的に。

恐竜みたいに四魂の玉がらみで一気に絶滅して欲しくはないし。

そうなると今かごめがいる現代の他に、犬夜叉たちが存在する現代が出現することになる。

つまり、

1、かごめが存在しない私たちの現代A

2、かごめはいるが、犬夜叉型妖怪の存在しない現代B

3、かごめがいるし、犬夜叉型妖怪も存在する現代C

に現代は3つに分かれる。

同時に戦国時代は

1、魑魅魍魎型妖怪は存在するが、犬夜叉型妖怪は存在しない戦国時代D

2、魑魅魍魎型妖怪も犬夜叉型妖怪も存在する戦国時代E

に分かれる。

私たちはかごめが存在しない私たちの現代Aに今生きているし、そもそもタイムスリップ自体が存在しないが、仮にタイムスリップできたにしろ、戻っていくのは魑魅魍魎型妖怪は存在するが、犬夜叉型妖怪は存在しない戦国時代Dだろう。

ところがかごめは、かごめはいるが、犬夜叉型妖怪の存在しない現代 Bから魑魅魍魎型妖怪も犬夜叉型妖怪も存在する戦国時代Eにタイムスリップする。

この時点で、かごめが普通に戻ってくればかごめがいるし、犬夜叉型妖 怪も存在する現代Cに現代が変化することになる。
(ただし犬夜叉が個人的に行き来するのは除く)。

それでもかごめのいる現代に犬夜叉型妖怪は普通には存在しない。
本来ならば、かごめが戻 る現代がかごめがいるし、犬夜叉型妖怪も存在する現代Cになるところ、未だにかごめのいる現代がかごめはいるが、犬夜叉型妖怪の存在しな い現代Bであることを考えると、今かごめのいる現代は、かごめが戻るべき現代ではないことになりかねない。

おわかりだろうか。
かごめが戦国時代に戻って犬夜叉たちと会ったことで歴史が変わった。
犬夜叉たちは生き続けるから、戻ってきたかごめの現代に犬夜叉型がいるはずなのだ、なのにいない。

恐竜のように一気に絶滅したか、かごめがまた別の現代に帰っていると考えるか、どちらかしか選択肢はないように思える。
整理のつもりでまたまたややこしくなったが、皆さんはどうお考えだろうか。

          ☆          ☆          ☆

今回と「妖怪たちは今・・・」のテーマはまおさんから頂きました。
まおさん、ありがとうございました。
 (2004年11月17日の日記) 

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