犬夜叉考察 14
11月の終わりに
今日で11月もおしまい。
クリスマスプレゼント用に頼んでおいたグッズが続々と届いています。
今日は「ドラゴンボール」の日めくりカレンダーが届きました、豪華〜。
ドラゴンボールには興味がない私ですが、これは欲しくなりました。

来年のシステム手帳も犬夜叉からラスカルに久々交換。
結局両方持ち歩くことになると思いますが。
12月は気忙しい。
忙しいこともあるけれど、何よりもお札の減りが激しいです。

そういえば今日、初めて新しい千円札見ました。
お店でおつりでもらった野口英世氏。
でもじっくり見る前にとっとと飛んでってしまいました。
二千円札と違って金額が変わらないので使いやすいですね。

二千円札はよく千円札と間違って出しそうになりましたから。
でも今はとんと見かけなくなりましたね。
どこに行っちゃったんでしょ。

さてこれまで書き続けてきた「ひとりごと」ですが、お借りしていた日記帳がサービス終了とのことで今日でおしまいになります。
直接リンクしてくださっている方、もしいらっちゃったらはずして下さるようにお願いします。
前に借りた時は、アドレスが送られてきて、それをぺたっと貼り付けるだけで日記完成でしたが、今回はCGIレンタルとのことで、何がなにやらさっぱりわかりません。

結局他のサイトさんからお借りすることになりましたが、形態はほとんど同じです。
ただアイコン使えないのが寂しいかな?
いえ使えるんですが、なぜかアップロードできないんです。
あちこちで使っているアイコンもありますが、お気に入りのものばかりなので、いずれ新しい日記帳でも使いたいですね。

「ひとりごと」、結局明日から新しい日記帳をお借りして継続することになりました。
素材をお借りしたサイトさんの紹介やちょっとした情報、そして気軽なお喋りなど書き込むには考察日記は固過ぎますから。
続けて欲しいというご意見もいただきました、本当にありがとうございます。
今年も残すところ1ヶ月となりましたがよろしくお願いします。
 (2004年11月30日の日記) 
まだまだこだわる最終回
アニメ「犬夜叉」最終回、たくさんの意見を読み漁って、だいたい関心が最終回から映画へと移行したように思える。
ここで私なりに最終回について思ったことをもう一度まとめてみたい。

アニメ「犬夜叉」、批判の多くは「原作と違う」ことにあったように思う。
特にオリジナルの部分は私も含め、「犬夜叉の世界観を壊している」ように感じ、「原作通りに作って欲しい」と願った。
そして最終回、鋼牙と魄の対決をすっぱり切り取ったこと(とかごめの靴)をのぞけば全くと言っていいほど原作どおりだったと思う。
ところが最終回に関する批判はほとんど「中途半端な終わり方、オリジナルの結末を欲しかった」ということであった。

(もちろん最終回に満足し、作り方に満足している意見もたくさん見つけたが、ここではあえて批判の意見のみをテーマにしている。)
皮肉なものだ。
最後の最後に原作通りに作ったことで批判されるとは。
改めて作品製作の大変さを痛感させられた。

前にも書いたが私の感想は、「あれで良かった」ということ。
もう少し魍魎丸や御霊丸の部分、すっきりさせても良かった(原作を知らない人には首を傾げる展開だった)と思うが、アニメなりの結末をつけなかったという意味で良かったと思う。

個人的な意見だが、もしも、もしも「紅蓮の蓬莱島」の公開がなかったら、原作どおりに作ったとしても、もっときっちり終わらせていたのではないかと思う。
数ヵ月後に映画が公開されるのにアニメ「犬夜叉」をきっちり終わらせて、それで視聴者の気持ちも「あーあ、おもしろかった。」で終息してしまっては困る。
御霊丸や魍魎丸も絡めて、いかにもアニメも余韻を持たせるというか中途半端に終わらせるというか、そうすることによって視聴者の「終わりじゃないかもしれない」感を持続させる、そんな手法。

製作側の「第一部終了発言」初めいかにも煽るような言動を見ているとそのように思えて仕方がない。
(もちろん視聴者の気持ちが盛り上がって、アニメ第二部が製作されたらそれにこしたことはない。)
映画に関する宣伝やイベントも例年以上に多種多様で、ちょっと行き過ぎ感を感じてしまうこともある。

最終回にしろ、原作に沿いつつ「終了」を意識した作り方をすることはできたはずで、その中途半端さが批判につながったのではないだろうか。
では逆に、ってここからが今日のテーマなのだが(笑)、オリジナルの結末を求める人達に問いたい。
「アニメの最終回、どのように終わらせましょうか?」

大きな課題は3つ。
四魂の玉、奈落、そして三角関係。
さらに言うなら琥珀の問題もある。
つまり原作で結果が出ていない部分全てがオリジナルとなる。

けっこう難しいのは犬夜叉がかごめを選ぶか桔梗を選ぶかその問題ではないだろうか。
たとえば乱馬が最終回であかねを選んでも乱馬×シャンプー派や乱馬×右京派はある程度はあきらめがつくのではないだろうか。
なぜなら「乱馬はあかねが好き」という大前提が原作に置いて設定されているからである。

だが犬夜叉は違う。
原作に置いて、未だにどちらとも決めかねている、というより決める気がない、全くない(笑)。
その時点でアニメで犬夜叉とかごめが、あるいは犬夜叉と桔梗が結ばれる最終回だったら納得できるだろうか。
犬夜叉とかごめが結ばれれば犬かごファンは喜ぶかもしれない、犬夜叉と桔梗が結ばれれば犬桔ファンは喜ぶかもしれない。

どちらとも結ばれなければ寂しいけれどみんなが納得するかもしれない。
でもやはり無理だと思う。
特にかごめと桔梗に関しては、どちらかが単なる恋敵ではない以上、危うすぎて微妙すぎてオリジナルの結末など作れないような気がする。

高橋先生に結末を聞いてその通りに作るか(あり得ない、笑)、ファン投票でもして1位のカップリングにするか(どちらも選ばない、永遠の二股と言う手もある)、犬かご完結版、犬桔完結版と二通り作るか。
それほど大変なことのような気がする。
もちろん原作に置いては、犬夜叉がどうしようと本家本元高橋先生が決めたことなのだから、寂しさはあっても納得はできるだろう。

だから原作が終わってからアニメも終われば良かったのに、などと言っても詮無い愚痴を言いたくなってくる。
ファンにとっては視聴率なんて関係ない、アニメも原作もやってくれればいいんだから、なんて結構私も傍若無人(笑)。

そして四魂の玉と奈落に関して。
プレステ第1弾のRPG「犬夜叉」の結末が一番考えやすいだろう。
奈落を追いつめ、四魂の玉と桔梗の力を借りて奈落も玉も消滅、桔梗はもしかしたら奈落と共に消滅、かごめももしかしたら使命を終えて現代に逆戻りが一番無難だけど、もちろん先ほど書いた犬夜叉がどちらかと結ばれる結末も考えられる。

「犬夜叉」は基本的にハッピーエンドが予想されるが、もしかしたら奈落と一緒にいい妖怪(半妖)も悪い妖怪(半妖)も一緒くたにされて四魂の玉の力で消滅することだって考えられる。
結界にしろ何にしろ、人は妖怪を差別するけど区別しない。
人間にとっていい妖怪も悪い妖怪も妖怪は妖怪。

何よりパラレルワールド説に逃げなければ、かごめの現代に妖怪がいないことの一番の説明になったりする。
戦国時代よりたかだか500年、犬夜叉だって見た目20歳にもなっていないだろう。
さらに長命の鋼牙や殺生丸が死に絶えたり、人間との結婚のくり返しにより人間の血に取り込まれるとは考えられない。
恐竜にとっての氷河期、それが四魂の玉のクライマックスかも。

まあそれはないだろう(笑)。
仮にゲームと同じ結末になったとしても、正義の味方がラスボス奈落を倒してはいおしまい、ではこっちが納得できない。
それなりの深み、リアリティ、意味づけをしてもらわなくては。

さて最後の1話45分の中に、犬かごファンも犬桔ファンも納得できて、低年齢視聴者もうるさい原作ファンも納得できて、単なる勧善懲悪に終わらない、誰もが納得できるオリジナル、できたであろうか。
考えれば考えるほど「あれで良かった。」と思えてしまう。

「どこまでも奈落を追うぞ!」
「おう!」

俺たち戦国少年冒険団!みたいなノリで奈落を「退治」する結果になる恐れは十分にあった。
もちろん息を呑むようなオリジナルの最終回もできていたかもしれない。
賭けるなら私は前者に賭ける。

それでも未だにあちこちで犬夜叉への想いが綴られているのを見ると嬉しい。
同時に映画が一段落してからがちょっと怖かったりする、気持ちが虚ろ、自分も含め(笑)。
 (2004年12月9日の日記) 
「小説 犬夜叉」感想
早速ざっと目を通してみた。
基本的には原作そのままのノベライズ、桔梗が犬夜叉を封印するプロローグから結羅編まで。
漫画やアニメとの違いは、当然キャラの表情や背景で表現する部分を文章で表現するとこだけ。
この小説では風景描写はさらっと流し、かごめの心理描写に力を入れているように見える。

それだけに片仮名使いが多く、気になった。
かごめは一応1996年に15歳だった少女なのだが、今時の15歳の少女をイメージしたのだろう。
「ブラックジャック」でいきなりCDロムが送られてくる話になったりするのとおんなじなんだろうなあとは思う。
これは好きずきの問題で私は苦手かも。

特に舞台が戦国時代とはいえ、かごめがというより高橋先生の言葉の感覚が浮わついてないところが好きなので。
そして一番驚いたのが、かごめの父親(パパ)が数年前に事故で死んで、その後かごめがママと草太と一緒にパパの実家に引っ越してきたというくだり。
もちろんオリジナルの設定だろうが、そこまで言い切るか、信じてしまう読者がいるんじゃないかと思ってしまった。

ちなみに私はかごめの父親はかごめが小さい頃、(ぎりぎり草太が生まれて間もなく)亡くなったと思っている。
そうでなければかごめ達に「寂しさの雰囲気」がないことが説明できないからで、ママの態度からしてお嫁さんというのはそうだろうと思う。
でも主人が亡くなって主人の実家に引っ越すってなんだか不思議な設定。

もちろん先生ご自身が目を通されたろうから、これは先生の設定なのかな?
そういう印象は受けないが。
でも続きは出るのかなあ、出て欲しいなあ、そこが気になる。

ところで私、犬夜叉が解き放たれるところまでしか読んでない。
その後の部分は封印、かな?今は。
理由?恥ずかしくてとても書けない(笑)。

          ☆          ☆          ☆

以前伊東市の日暮神社を紹介した。
もちろん静岡県は武蔵の国ではないが、偶然武蔵の国にも「日暮」発見。
「日暮里」という地名は元々は「新堀村」と呼ばれていたが、江戸時代に道潅山から見た眺めが素晴らしく「日暮の里」として観光名所になったものだそうです。

かごめの神社、あるかな?

もひとつおまけ、これも武蔵の国ではありませんが、千葉県我孫子市にも日暮という地名があるとか。
ここが昔「下総の国」と呼ばれていた頃、日暮又左衛門なる将がいたらしい。
 (2004年12月10日の日記) 
犬夜叉宣伝番組と2005年カレンダー
正直言って見れば見るほど映画を見る気が失せたと言うか、いらいらすると言うか映画の宣伝なの?タレントさんの宣伝なの?って言いたくなってきた。
むしろ間に入った(それも番組内で)コナンの正々堂々真っ向勝負の宣伝の方がよっぽど気持ち良かった。
おまけに「ブラックジャック」の宣伝まで(番組内で)入る。
映画を本当に盛り上げたいの?

どうして声優さんだけじゃいけないの?
いえそんな風に思っちゃいけない。
きっとこの方は人気絶頂のタレントさんで、吹き替えも完璧で、この方が出ただけで観客動員100万人増を見込めるのに違いない。
楽しめないのは私が悪い、こんなんじゃ映画見る資格ない・・・。
自分に言い聞かせる、我慢して見る、耐えて見る・・・。
私ももう少し「たかがアニメ」と気軽に見ることができたらいいのにな。
楽しめないのは私が損なだけだから。

それはともかく収録現場、和田先生の音楽などはもちろん堪能できたし(ほんの短時間)、山口さん、雪野さんは出演された。
山口さんってもしかして視力弱いのかな?
雪野さんは顔が優しくなったような、以前より柔らかい雰囲気で素敵。
何よりあの犬夜叉等身大パネルが欲しい。

あとキャラの顔がアニメに近くなったのが何より嬉しい。
正直言って初めて「時代を越える想い」を見た時は、あまりの少女漫画風おめめキラキラバージョンに「誰これっ?」と思った私。
背景や戦闘の迫力や美しさには堪能しつつも、顔に馴染めず、結局映画そのものにも馴染めなかった。
「めぐり会う前の運命恋歌」の続編っぽく桔梗との絡みを増やし、アニ犬最強のアイドル?殺生丸で花を添え、ストーリーも練り込まれている感じがするだけに映画そのものへの期待大。

ちょうど今日アマゾンから犬夜叉、コナン、十二国記のカレンダーが届いた。
十二のカレンダーは山田章博さんの原画カレンダー。
犬&コナンがくるくる丸められて細い筒に入っているのに比べ、カレンダーサイズの箱にそのまま独立して入っている。
なんか気軽にぺらぺらめくれない仰々しさがある、というか豪華さがあるというか。

しかも切り取らなくてもいいように金色のリング閉じ。
気を使わなくても永久保存できるようになっている。
犬カレンダーと並べてみるとやはり微妙で複雑な色合いの美しさにため息が出るが、もちろん犬アニメのはっきりした色合いの方が好き、という人だっているだろう。

でももしも、この後アニメが再開されなければ、来年のカレンダーは犬夜叉も原画カレンダーになるのかな?
今週のマフラー犬かごのようなイラストでできたカレンダー、しっかしりた紙質であんなに大きくて・・・、と考えると来年の12月が待ち遠しくて(笑)。
でも十二国記、し、し、尚隆は?尚隆はどこ?頑丘は仕方がないとしても桓魋は?

山田さんって汕子好きだなあ。
挿絵やカレンダーの図柄(十二は山田さん一人のイラスト)は山田さんが決めてらっしゃるのだろうか。

「風の海 迷宮の岸」上巻の表紙でいきなりカラー、蝕で泰果を失うところ、後姿だが泰麒の朝ごはん、泰麒が傷つけられるところ、5カット中4カットに汕子登場。
上半身は裸の女性なのだが、いやらしさを感じさせないというか、人間離れした雰囲気が目を引き、それでいていかにも情愛の深そうな表情がいい。
「らんま」などで見る高橋先生の女の子ヌードはあっけらかんとした健康的な雰囲気で、これままたいやらしさを感じさせないが、これともまた違う。
乳首を描いているのに性的なものを感じさせないって実はすごいことだと思ったりする。

尚隆の代わりに?行方不明中の驍宗が11、12月分に登場。
もしかしたら李斎と共に驍宗のそばにいるかもしれない泰麒、今は少年形のはずだが、ここではまだちび泰麒、愛しい。
延麒、景麒、麒麟の泰麒の揃い踏みも嬉しい。
鈴と祥瓊ももちろん好きだけど、2枚はいらないから1枚は尚隆や桓魋やあぶれたナイスキャラを入れて欲しかった。
これも山田さんの好みですか・・・?

そして犬カレ。
1、2月はちょっぴり映画っぽい金剛槍破。
映画では3D仕様にしてこっちにもダイヤモンドを飛ばして欲しい。
3,4月は王道犬かご。
2人の表情がすごく優しくていいな、特に犬夜叉。
かごめもおすわり5連発するような子にはとても見えない(笑)。
アニメではキャラが口をあけているカットが多いが、私は口を閉じているカットが好きなので、このカットが一番のお気に入りかも。

5,6月はギャグタッチでスケベ法師編。
2ヶ月間毎日見るものだから、いまいちのカレンダーは後ろ向きにしたくなる時があるが、これも微妙。
スケベやおすわりを「売り」にするのはどうもね・・・。
もちろん好みの問題です。
どんなによくできたカレンダーでも私の部屋に女の子のアイドルカレンダーは飾らないのと同じです。

7、8月は殺生丸。
主役の犬夜叉と殺生丸だけ1人で登場、さすが麗しの貴公子。
9,10月の犬桔シリアスカットと共に映画を狙っているな、とにんまり。
あれっ?満月だ。

いつも三日月しょってる殺生丸。
アニメではあまりこだわってないからな。
映画で犬夜叉が満月の日が一番いいとオリジナルの台詞言ってたけど、あれはほんとだと思う。
むしろ殺生丸の方が犬の血が強いから影響を受けそうな気がするけれど。

それでもビジュアル的に三日月の夜を選ぶか殺生丸、ナルシストここに極まれり。
アニメの殺生丸ってナルシスティックなところがツボ、笑えたりする。

9,10月は犬桔ファン狂喜の抱きしめカット、美しいです、桔梗。
この感想は語り部に任せましょう。
犬桔ファンは多いはず。

11,12月は今は亡き神楽&白童子と共に王道犬かご。
奈落の顔、怖すぎです。
そしてやっぱり鋼牙はいない・・・。

今日の日記を書きながら、最初はもちろん映画の宣伝見てて、その後ニュース30分見て、その後「らんま」録画してたの見ている(笑)。
良牙の獅子咆哮弾と乱馬の高飛車気対決、笑った・・・。
やっぱり良牙、好きというわけで好きな声優アンケート管理人編に良牙の山寺宏一さんとかすみお姉さんの井上喜久子さん追加しました。
髪を下ろしたかすみお姉さんが素敵だったので。

ではこれからご飯の用意を・・・。
 (2004年12月17日の日記) 
コミック38巻感想
38巻の大きな出来事は神楽と白童子の死。
白童子の死は「あっけない」の一言に尽きる。

神楽の死はサンデーで読んだ時は、悲しくて、でも綺麗で純粋に感動した。
でも今落ち着いて読んでみるとちょっと気になる部分が出てきた。

神楽の死は犬夜叉、かごめ、弥勒、珊瑚そして七宝みんなの悲しみ。
敵対する立場にありながら、いつの間にか仲間意識が出てきたのか。

ではかつての瘴気の底に落とされた桔梗の死は?
あれは犬夜叉だけの悲しみだった。

身近な存在であること、辛い立場にあること。
この2つは一行にとって神楽も桔梗もそんなに変わらないと思う。

にもかかわらず、桔梗の死は犬夜叉だけの悲しみであり、神楽の死はメンバー全員の悲しみだった。
この違いはなんだろう。

一行の「人の死」に関して非常に感情が希薄であることは以前から書いてきたが、これはかごめたちの性格よりも、性格描写の問題のような気がする。
だが逆に、桔梗の時もかごめ達が素直に?悲しんでいたとしたら、一般的に受け入れられるだろうか。
それはそれで嘘っぽさを感じずにはいられないような気もする。

結局は桔梗とかごめは犬夜叉を巡って対立しており、その気持ちは根本的に相容れないことの証明なのかもしれない。
かごめがどんなに清らかな心の持ち主でも、恋が絡むとやはり理屈では割り切れない。
15歳の少女の心をそこまで複雑に描くと讃えるべきなのか、やはり違和感のある描写と首を傾げるべきなのか、未だにわからずいる。

そしてもう1つ、大きなテーマは桔梗の展開。
犬夜叉をも拒否して戦うことを決意する桔梗、ついていく琥珀、ついていかぬ犬夜叉。
犬夜叉は結局かごめの、というより仲間の元に戻る。
これはなぜだろう。

かごめを守るため、とは思えない。
犬夜叉の位置づけが、すでに桔梗のそばではなく、仲間(かごめも含め)と共にというのが決定しているからなのだろうか。
蘇った桔梗をさらに死なせて、それでも桔梗を1人行かせる犬夜叉の不思議。

視点を変えて見ると、こちらが勝手に設定したキャラがいて、その性格と違った性格、行動を見せられると違和感を抱いているだけなのかもしれない。
かごめに求めるもの、犬夜叉に求めるもの、やはり重過ぎて「普通の男の子、女の子」とみなすのが難しいのだろう。
犬夜叉もかごめも、そして桔梗、弥勒、珊瑚、その力や特殊な能力は別としてごくごく普通の10代と思えば、むしろ自然な形に見えてくるから不思議。

桔梗と琥珀はこの後いったん姿を消し、サンデーでも未だに現れない。
便りのないのは無事な便り。
そして最終話は鋼牙の登場。
大蛇丸と出会い、魍魎丸?の腕との対決が始まる。

もちろんサンデーでこの続きはよんでいるけれどそれでも39巻が出るまではドキドキしそう。
 (2004年12月26日の日記) 
2004年の終わりに
今年もあっという間に終わってしまいました。
今月は更新が滞りがちでしたが、決して愛がなくなったわけではないのです(笑)。
師走の忙しさ+年賀状+忘年会+大掃除、それに加えて妹こえむがこあらの国から久々に帰ってきました。
下手すると1年以上会えない妹なのでもう嬉しくてバタバタしてました。

甥っ子が忙しく、映画もまだ、したがってドラマアルバムもまだ、サンデーもお休みということでパソの前に座ってなかった状態です。
しかも大掃除しながら「ごくせん」見始めたらもう止まらなくなって、目はテレビに釘付け、体も硬直状態、涙ボロボロ、「嘘だろ〜」と言いつつも仕事が進まない(^_^;)。
仲間由紀恵さんは「リング」の時から好きだったんですが、こんなはじけキャラできるなんて・・・と今頃感動してます。
いえ放送当時は見てなかったんで、再放送に燃えているんですが。

今年は社会的にも激動(あまりいい意味でないことが多い)の1年でしたが、来年はいい年になったらいいですね。
ところで「遊楽亭」のりょうさんから素敵な年賀状が届きました。
「日暮の森」内「宝の小箱」にてアップさせていただきました。
りょうさん、ありがとうございました。

今年一年ありがとうございました。
来年も「一陣の風」共々よろしくお願いします。
皆様も良いお年をお迎えください。
 (2004年12月31日の日記) 
浅草羽子板市
改めてあけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

さて、もう去年の話になってしまいましたが、12月半ば、17,18,19日の3日間に渡って浅草寺で行われる羽子板市に行ってきました。
目的はもちろん「犬はご」、おととしは写真を撮り、去年はついに買ってしまった「犬夜叉羽子板」、今年は新バージョンが出てないかと思ったわけです。
300年の歴史を持つ浅草羽子板市が始まったのは、江戸時代から。

今ではちょっと廃れた感のある浅草ですが、こういったイベントの時の盛り上がりはさすがで、人波に揉まれながら1軒1軒お店を覗いて行くと、寒さも忘れ、つんと来る煙草や護摩の煙、屋台のたこ焼きのソースの匂い、行き交う人の喧騒や賑やかな呼び込みや羽子板が売れた時の三三七拍子の声、全てが楽しくてワクワクしながら歩いていきました。
市に入ってすぐの所に「新潟地震復興支援」の看板と共に、漫画家さんが描いた羽子板のオークションが行われています。
ものすごい人ごみでほとんど見えなかったのですが、辛うじて「アンパンマン」と「明日のジョー」だけは見てきました。

他には小池栄子さん、はらたいらさん、モト冬樹さんなどがあったようです。
今年特に目立っていたのは「ヨン様羽子板」、たしか3つのお店で売ってたような・・・。
写真もたくさん撮ってきたのですが、カメラと腕が悪いのと、外がまぶしく中暗く、であまり綺麗に写っていません、ごめんなさい。
特にヨン様羽子板は、あまりにまぶしく輝きすぎてて?顔の部分が光ってよく見えてません。

でもヨン様羽子板売ってるお店での売り子のお兄さんと、とある女性との会話。
「今年はばあさん達がヨン様に金つぎ込んだから、ばあさん達が!」
どう見ても(お)ばあさん世代の女性相手にずけずけと、とハラハラして見てたら、そのおばあさん、怒りもせずに「そうよね〜。」って頷いているんです。
気が若いっていうか、こんな下町浅草の気さくな雰囲気、心意気ってすごく好きだなあ。

そして犬はご買った店、今回は新しく作らなかったとのこと。
なんで?と聞いたら「犬夜叉、もう人気ないからねえ。」
思わず絶句。
でも今年も出てたとして、ン万円の羽子板買えるかと言えばたぶん買えないと思うので、まああきらめはついたかな?

他にもこれまでなかった注連縄などの卸問屋市?みたいなのもあったりして、七輪で土瓶のお湯を沸かすといった風景や、新しい藁の匂い、いなせな半纏に捻り鉢巻姿のおじいさんなど写真を撮りまくってきました。

お土産にはもちろん大好きな舟和の芋羊羹、甘くなくておいしいんですよ、これが。

浅草は大好きですが、日々の生活に追われていると、やはりこんなイベントでもなければなかなか足を運べない街でもあります。
今度天気のいい日にでも、ぶらりと遊びに来たいなあと改めて思いました
 (2005年1月1日の日記) 
テレビ「天下覇道の剣」他
録画しておいた「天下覇道の剣」を数回に分けて見た。
映画とDVDでもう十数回見ているので、新たな感想はなかったが、映画の中では一番単純におもしろいと思う。
(「紅蓮の蓬莱島」はまだ見てない。)
内容というかモチーフが一番好きなのは「鏡の中の夢幻城」。

我ながらおかしかったのがテレビのカットシーン。
サイト巡りをして、どの部分がカットされたかあらかじめわかっていた。
だから「あっ、やっぱりここがカットされてる!」って確認するのが楽しくて(笑)。
予備知識がなかったら、カットシーンに気づくたびに怒りまくっていただろう。

けっこう自分、いい加減。
でも母と妹も見て、「おもしろい。」と言ってくれたのは大きな収穫。
妹はコミック読み荒らして行ったし、私もせっせとアニメを録画して送っているし。
カットされるのは「犬夜叉」だけじゃないから仕方がないが、カットのしどころはもう少し考えて欲しいかも。

          ☆          ☆          ☆

「アニメ」最終回」について、未だに意見メールが私の周りを飛び交っている。
ほとんどの人があの終わり方には不満と書いてくださった。
私は魍魎丸や御霊丸など中途半端な扱いが気になっただけで、原作を越えた決着には反対の立場。
だから奈落や琥珀、三角関係や四魂の玉の完成に関して決着をつけないのは良かったと何度も書いた。

しかし、特に一般視聴者、原作を知らない方々にとっては納得できないものだったらしい。
これはなるほどと思う。
そしてほとんどの人が「アニメなりの決着をつけて欲しい」と書いてくださった。
これにはう〜んと唸ってしまった。

「アニメオリジナルの決着」に反対する理由も何度も書いた。
そしたらフィバ軍曹さんから目から鱗の(笑)アイデアが届いた。
原作においてものすごく中途半端であっけなかった白童子編を元にしてオリジナルの最終回を作る案。
これに奈落や殺生丸、桔梗らを絡め、物語を膨らませていく。

「白童子を強敵に設定し、犬夜叉・かごめ・桔梗の3人がかりで倒す」といった案、私にはとてもじゃないけど思いつかない。
もちろん酷評されたオリジナルのような作品になるかもしれない、絶賛されたオリジナルのような作品になるかもしれない。
素晴らしければ絶賛するし、やはり駄目なら酷評するけど、それでも今の終わり方よりまし、とても気持ちのいい文章だった。
私も含め、最終回の別案を出してくださったのはフィバ軍曹さんお一人で、それだけでも私が最終回にこだわり続けた甲斐があるというもの。
本当に勉強になった。

          ☆          ☆          ☆

映画「紅蓮の蓬莱島」、いかにネタバレを避けつつ、感想を読むかに必死になってる今日この頃。
どうやら評価は真っ二つに分かれているらしい。
厳しい評価の要因は短い時間に詰め込み過ぎ、というのが多かった。
絵の素晴らしさは皆さんが書いておられるのでとても楽しみ。

意外なのが「ハム太郎」が評判いいこと。
「せっかく来たのだからとりあえず見てみよう」と思った方々が、夢中になって見てしまったとのこと。
なんにしろ食わず嫌いはいけない、だからと言ってハマることもないとは思うが(笑)。
 (2005年1月13日の日記) 
映画「紅蓮の蓬莱島」感想 1
蓬莱-。

遠い遠い昔、秦の国(現在の中国)に、海の彼方の東の国に想いを馳せる人がいた。
名は徐福。

蓬莱(現在の日本)と呼ばれる不老不死の国に行くことを夢見た徐福は始皇帝に願ってついに蓬莱に行くことになる。
徐福は念願かなって蓬莱に辿り着き、日本のあちこちに徐福伝説を残すこととなる。

今作が「紅蓮の蓬莱島」というタイトルに決まったことを知った時、私の中で映画への期待度が一気に跳ね上がった。
私は「言葉の感覚」にはこだわる方だと自分でも思っているが、「紅蓮」「蓬莱」といった言葉が大好き。
漢字を見ても華やかな中に古風さが感じられ、「ぐれん」「ほうらい」といったラ行の発音も華やかで好き。
ただし「島」をつけて「ほうらいじま」になると途端に色褪せてしまうが。

もうひとつ、うちのサイト内でリンクしている「十二国記」にも「紅蓮」と「蓬莱」が登場する。
「十二国記」は古代中国をイメージした異世界で、時々日本から時空を越えて流されて?行く人間がいる。
つまりその世界にとっても「蓬莱」は日本であり、いくつかのイメージを持っているようだが、不老不死は登場しない。
実はこちら、十二の国の世界では、王となった人間はその時点で不老不死となる。

「十二国記」に興味のない方もおられるだろうから詳しくは書かないが、こんなところに「犬夜叉」と「十二国記」蓬莱つながりが嬉しかった。
そして「紅蓮」は日本から十二の国の世界に流された 慶国「景王」陽子の緋色の髪の色。
「紅蓮の標 黄塵の路」のタイトルでゲームも出ている、こちらもリンク。
もうこれだけで「犬&十二」ファンとしては期待に胸が膨らむ。

今回はなるべく事前情報は読まないようにしていたが(おかげでガッシャー氏の日記も読まないうちに「消えて」しまった・・・)、あらすじを読んでいてあれっ?と思ったことがある。
前述したように、「蓬莱」とは中国から見た日本のイメージ。
今回の蓬莱はどう見ても日本国内だ。
それでふと思い出したのが「鏡の中の夢幻城」のモチーフとなった「竹取物語」。

「鏡の中の−」を見た時の考察を引用してみると

そして2人が最初に手にした蓬莱の玉の枝は、精進湖に沈められる。
蓬莱の玉の枝とは、東にある蓬莱という山に、白銀の根に黄金の茎、白き玉の実がなる木のこと。

 「まことかと 聞きて見つれば 言の葉を
               飾れる玉の枝にぞありける。」

蓬莱の玉の枝を頼まれたのは「車持の皇子」。
この皇子は、なかなか賢い人で、「蓬莱の木の枝を探しに行く。」と宣伝して出て行ったのはいいが、すぐにこっそり帰ってきてしまう。

そして腕のいい職人ににせものを作らせるのである。
危うく姫も騙されるところだったが、職人たちが褒美をもらいに押しかけてきたことから嘘がばれ、姫が「本物かと思ってみたら、同じ葉は葉でも、(本物の葉ではなく)言葉を飾った玉の枝でした。」と皮肉った手紙を送るのである。


「東にある山」は富士山を意味するのかと思ったが、富士山が「不老不死」を意味する山となったのはまさに神楽姫が帝に送った不老不死の薬を帝が富士山で焼いたから。
「不死の山」高じて「富士山」となったのである。
ここがどうもややこしい。
中国から見た日本の他に、もうひとつ「蓬莱」と呼ばれる場所があるのだろうか、今回の映画はそちらをモチーフにしたのだろうか。

映画の感想がここまで遅れたのはこれを調べていたからで、わかったかというとわからない。
わからないままずるずる来てしまったが、ひいらぎさんに小石川後楽園があると情報を頂いて行ってみた時に、もうひとつおもしろい事を聞いた。

マップを見ていただければわかると思うが、池の真ん中に蓬莱島がある。
この島は「亀」の形をしているのだそうだ。
写真を撮ってきたのだが、あまりにまぶしくて写真が真っ黒になってしまった。
たまたま居合わせた老紳士のお話だと、亀の形をした島であることから蓬莱島と名づけられたのだそうだ。

亀は不老不死の象徴で、その背に乗せて不老不死の世界に連れて行ってくれるのだそうだ。
この説自体は根拠になる資料を見つけていないが、玄武が不老不死を司ることは間違いないようだ。
「十二国記」でも王になり、(王でいる間は)不老不死になった陽子と景麒を玄武が背に乗せて運ぶ場面がある。

ああいけない。
「紅蓮」と「蓬莱」だけでここまで長くなってしまった。

小石川後楽園はひいらぎさんも書いていらっしゃったが甘酒がとてもおいしい。
早咲きの桜や梅のつぼみが綺麗だったが、後にそびえる東京ドームが無粋だな・・・。
 (2005年2月18日の日記) 
映画「紅蓮の蓬莱島」感想 2
最初にきのうの補足を少し。
きのう私がとまどっていたのは、平安時代、飛鳥、奈良時代と言われる「竹取物語」と「徐福伝説」の時間関係。
徐福が仕えたのは秦の始皇帝だから、今から2000年以上も昔の話。

「竹取物語」がなぜ平安時代までとされているかと言うと、映画に関係なくなるが、かぐや姫の求婚者たちが「皇子」と名づけられていること。
平安時代からは皇子ではなく「親王」と呼ばれることになったので、少なくともこれ以前の話となる。
さらに、大伴、安部などのモデルとなったらしき人物も登場するかららしい。
もちろんこれは私が考えたのではなく、「鏡の中の―」に関して調べた時におもしろいと思ったことで記憶的には定かでない。

図書館でどの本だったかそれらしき本を当たってみたがわからなかったのが残念。
つまり日本において「不死山=富士山」とされたのは平安時代頃としても今からせいぜい1000年前。
にもかかわらず、徐福が不老不死を求めて日本(それも富士山)に来るのは2000年前、思いっきり逆である。
それがきのうの悩みだったが、寝る直前にああと気づいた。

きっと、きっとだけど「竹取物語」が徐福伝説も意識して作られたのに違いない。
まず富士山=不老不死の山ありきで、それにかぐや姫と帝の悲恋をくっつけていったに違いない。
それでやっと眠れた(笑)。
もちろん大はずれかもしれない。
この時代に徐福伝説が伝わっていたか、まずそこから調べなければなるまいが、資料がなくてはさすがにお手上げ。

さて本題。
タイトルの次に心臓が跳ね上がったのがサンデーで見た犬夜叉が紅蓮の炎の中に飛び込んでいくドアップ。 
「犬夜叉、おかえり!」と心に叫んだ記憶がある。
正直言って少女漫画風おめめきらきらバージョンの映画絵にはストーリーや作品の完成度以前に、どうしてもなじめなかった。

中途半端に似ているそっくりさんが犬夜叉キャラを演じているようで。
前にも書いたがこれまで映画グッズはパンフレットと原画物(ポスターなど)、シルエット物しか買ったことがない。
ただシルエットにしても目の錯覚か?体型が子供っぽく見えてあまり気に入ってない。
しかし、このワンカットを見た瞬間心に決めた、グッズは全部買おう!

結局七宝のビーズクッションだけは買わなかったけど(笑)。
ところがこの炎の中の犬夜叉の横顔カット、パンフレットにも公式サイトにも使われていない、なぜ?
私にとってはもうこれで犬映画満足度200%って言っていいほどの素敵カットだったのに・・・。

そんなこんなで映画に対してかなりの好感触でいたが、結局見に行けたのは1月22日、それも埼玉県新座市で1回限り。
あちこちで「最高におもしろかった」と書いたらみんなに驚かれた。
私ってそんなにアニメや映画に対して否定的な人だと思われてるのかな?

オープニングは「鏡の―」の月の満ち欠け&鏡が一番好きだが、それ以外は大きな画面で動く迫力、素晴らしい絵、素晴らしい音楽、そして何よりももう原作を何度読んでも、アニメを何度見ても味わえない「また会えたね。」っていう感動が大きかった、だから最高におもしろかった。
何よりも大好きな西前忠久さんがついに「剛羅」役でパンフレットに顔写真付きで登場。
たぶん派手に主役を張る方ではないだろうけど、西前さんがいなかったら「犬夜叉」が始まらない、そんな存在感が最後に報われた気がした、嬉しい。

原作派の私でもこんなに「動く犬夜叉、喋る犬夜叉」に飢えていたんだって思う。
同じエピソードを何度見ても味わえないおもしろさがそこにはあった。
内容に関してはまた次回。
 (2005年2月19日の日記) 
「平和な食卓」に関して頂いた意見
今日は映画の感想はちょっとお休み。
「平和な食卓」に関してニイハさんとフィバ軍曹さんから頂いた感想を紹介したいと思います。

最初の私の感想は
「えっ?そんなことしてていいの?
桔梗や琥珀のことは心配じゃないの?」
でした。

休息を取ることはもちろん大切だしいいと思うんですが、彼らのことをすっかり忘れてくつろいでいるのが気になるというか。
ほんの一瞬でもいいから思い出して欲しい、心配して欲しいと思ったんです。
犬夜叉とかごめが完全にカップルとして成立してるならいいですが、犬夜叉は一応桔梗にも心を残しているはずなのに。
だから犬夜叉とかごめがどうこうと言うよりも、二人の描き方に違和感を感じたのだと思います。

もっとも感想が読むたびに変わっていって、それはそれとして考察日記に書いていますが、今回頂いた感想はこの私の一回目の感想に対するものです。
頂いた順番に紹介したいと思います。
まずはニイハさんから。

ニイハさんは厳しい批判もされますが、基本的にはとても優しい視線を持っている方です。
特に原作に関しては描かれるものをありのままに捉え、受け入れる広さが感じられます。
下記の感想を読んだだけでもニイハさんの人柄がうかがえるのではないでしょうか。

まず、犬夜叉。
犬夜叉は、刀秋との闘いで疲れています。
(鉄砕牙がサビ刀になってしまうという可能性もあったので、肉体だけでなく精神的にも疲れていると思います。)
そして、犬夜叉はかごめの部屋のベッドで寝ます。
(普段の犬夜叉は、番をしながら寝ているので、久々にぐっすり眠れたのではないでしょうか。)

犬夜叉が目覚め、じいちゃんのくさや攻撃を受けつつ、かごめを探しに行きます。
(探しに行ったのは、戦国時代に帰るためのような気がします。
それと、かごめに会うため。
この時点では、奈落のことなどを考えていないとは言い切れないと思います。)

犬夜叉は学校へ。
かごめに「一日くらいゆっくり休んで」とお願いされます。
断りきれずに犬夜叉はかごめの家に戻ります。
こたつの周りをグルグル回る犬夜叉。
(この時の犬夜叉は、かごめが帰ってくることだけを考えていたと思います。)
「めしか!?」と言って食料の調達へ。
(多分、鳩と鯉を捕まえるのに一点集中。)

カップラーメンを食べつつ料理を待つ。で、かごめにおあずけされる。
(回復して力が有り余っていたのか)、ゴキブリを鉄砕牙で斬り、水道管をぶち壊す。
(実はここで魍魎丸について考えていたのではないか。魍魎丸を斬るように、ゴキブリを斬る!)

犬夜叉は戦国時代のことを考えてかごめに会いに行き、一日休むように言われたため、家でかごめを待つことに。
そして、奈落たちのことはおいといて、戦国時代での食料調達のときと同じように、食事の準備を。
力の発散のためか、戦国時代のことを考えていたためか、ゴキブリ相手に鉄砕牙。
こんなところだろうと思います。

犬夜叉は、桔梗、琥珀、鋼牙のことは、常に心のどこかにあると思います。
ギャグなので無いように見えるだけで。
それと、犬夜叉はかごめの家では戦国時代のことはあまり考えられないのではないかと思います。
戦国時代と違って敵に襲われる心配はなく、ぐっすり眠れたりして、唯一犬夜叉が存分にリラックスできる場所なので。
桔梗や琥珀を追う気はあると思いますよ。あるけど、休むように言われたので休んだだけで。

犬夜叉が一点集中型というのがおもしろいですね。
なるほど!と思いました。

もう一人はフィバ軍曹さん。
ニイハさんとは逆にとても潔い感想をお持ちの方です。
アニメの最終回についてあの終わり方が気に入らないのならどんな最終回にしたら良いと思うか」と問題提起した時に、ただ一人具体的に答えて下さったのもフィバ軍曹さんです。

自分が犬夜叉を読み続ける理由は、「犬夜叉、かごめ、桔梗、奈落の関係がどうなるのか」の一点につきます。

恋のライバルが生まれ変わり同士という恋愛構造に珍しさを感じたことも犬夜叉に興味を抱くようになったきっかけですが、加えて、奈落の「惚れた相手を殺したいぐらい憎む」という感情の大きさにも惹かれました。
以前、『愛すること、憎むことも、ベクトルが違うだけで、相手への関心ということに変わりはない』という発言をネットSSでみかけたことがあります。
自分は、犬夜叉のメインキャラ各々が、愛憎裏表の危うい感情を持っているような気がします。
そして、彼等が抱く想いが物語をどのような地点へ着地させるのか、切に知りたいと思います

現段階で、犬夜叉は佳境に入ったと言えるでしょう。
さらに、ファンも多いであろう琥珀の命運も風前の灯火状態です。
メインキャラ珊瑚に重大な悲劇をもたらしかねない大変重要な局面にさしかかっています。

なのに、犬夜叉とかごめは現代で油を売っていていいんでしょうか(笑)。
休息を取るな、とはいいません。
でも、それを描写する必要は、演出上全く必要ないのではないかと思います。
一言二言「昨日はゆっくり休めたね」「現代から色々持ってきたから」ですむのです。

例えるなら、指輪物語最終局面で、フロドとサムが水・食料もつき、滅びの山に息も絶え絶えに登る最中、アラルゴン一行がゴンドール攻防戦勝利の余韻で宴会をしていたりお風呂でくつろいでいるシーンを挿入するようなものです。
緊迫感ぶちこわしです。
もし、映画でこんなシーンがあったら、ボロボロになったフロドとの対比に、劇場内はブーイングの嵐に包まれることでしょう。
実際の映画では、戦場て佇むアラルゴンのシーンから、いきなり敵本陣へ出撃するシーンに切り替わりました。

確かに苦しい戦いに勝利した後、宴会があったり、くつろいだことは間違いないでしょう。
でも、緊迫したシーンで入れる必要性は皆無です。
それこそ二次創作でファンの方が「1日ぐっすり休んで、出撃にひかえたんだろうね」と想像すれば良いことです。

平和な食卓、あるいは刀のパワーアップ編には、このような違和感を感じました。
自分は犬夜叉達に聞きたい。
「もし君達が現代に帰っている間に、桔梗と琥珀が会って、琥珀が自ら欠片を差し出して死んだら、君達は珊瑚にどう説明するつもりなの? 万一の可能性を考慮して君達がすべきことは、桔梗と琥珀を一刻も早く探し出して真意を確かめることじゃないの?」と。

犬夜叉に厳しい意見となりましたが、これは犬夜叉達の行動をこのように感じさせてしまう高橋先生の構成に問題があると言えると思います。
RPGゲーム最終局面で、ラストダンジョンは目前。
そこに突然村人があらわれ、「勇者様、うちの村を襲う魔物を退治してくだされ」「実はまだ武器パワーアップは可能なんです」という強制イベントが連続するような感じです。
毒を食わば皿まで、ほとんどの人はエンディングまで付き合うと思いますが、全体の評価は低くなってしまうのではないでしょうか?

色々とネットの意見を見ましたが、違和感を感じている方がいる一方で絶賛する方もいて「うーん」と唸ってしまいました。
おそらく「平和な食卓」に対する最も厳しい意見だと思いますが、以前同様、参考にしていただけたら幸いです。

フィバ軍曹さんは私の感想と似ています。
さらに説得力があるというか迷いのない文章を書いてくださいましたが、こちらを取り上げさせていただきました。

いかがでしたでしょうか。
今回は特にどちらも男性で感想が正反対というところがとてもおもしろいと思いました。
私には私の見方しかできませんが、こうしていろんな人のいろんな見方を知ることができる、他のファンサイトや掲示板で一方的に読むのではなく互いに語り合える、これがサイト持ちとしての醍醐味ですね(笑)。

「そうそう!」と頷いたり「そんな見方もあるんだ。」と目をみはったり、楽しいです。
作品をただ楽しむことも素敵ですが、時にはもっと踏み込んで高橋先生は何を意図してこのように描かれたのか、犬夜叉が、かごめがこのように取る行動の裏には何があるか、考察してみるのもいいと思うんです。
もちろん時代背景や妖怪のイメージや、テーマはたくさんあります。

ニイハさん、フィバ軍曹さん、ありがとうございました。
 (2005年2月21日の日記) 

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