犬夜叉考察 18
「犬夜叉」と輪廻転生
「犬夜叉」過去の感想を終えて、人魚シリーズに取りかかる前に書きたかったテーマは5つ。
「不老不死」「タイムスリップ」「輪廻転生」「人魚」「比丘尼」だが、最初の「不老不死」の考察を書き始めた時点で出口のない迷路にはまり込んでしまった。
そこで普通に感想を書きながら、その中で少しずつできる範囲で取り上げていこうと思い直した。

「犬夜叉」で高橋先生に出会って過去の作品を遡ったことは何度か書いたが、私の中で高橋作品は漠然と次のように分類された。
シリアスとギャグ、キャラクター年齢の高低など。
「うる星やつら」「らんま1/2」などはギャグ系、「人魚」シリーズや「炎トリッパー」などはシリアス系。
同様に「うる星やつら」「らんま1/2」は少年少女世代、「めぞん一刻」は青年世代。

そして私の好んだ作品はどうしてもシリアス系で対象年齢及びキャラクター年齢が高めの物に偏ってしまった。
(もちろん特に「うる星やつら」に関してなど異論正論あるだろうが、あくまでも私の中での分類として。)
転じて「犬夜叉」はよく言われるとおり、その融合。
シリアスとギャグが交じり合った物語世界が形作られている。

それでも主要登場人物が犬夜叉とかごめ、弥勒と珊瑚(と鋼牙)だけだったら私の中ではおもしろいアニメで終わっていただろう。
桔梗、奈落、後期殺生丸、神楽、睡骨などの精神年齢を含め、年齢的に共感しやすい世代のキャラの恋模様が織り込まれているからこそここまでのめり込んだのだと思う。
さらに上記のキーワードに「もののけ」「伝承」などが加わって独自の世界を生み出した。

などと書いていてふと思ったのだが、「忘れて眠れ」に見られるテーマ「輪廻転生」、これは「犬夜叉」にどのように関わっているのだろうか。
たしかにかごめは裏陶が桔梗を復活させる時にその魂の拠り所として生まれ変わりであることが打ち出されている。
だが、逆に言うとかごめが生まれ変わりであるらしきことはこの時以外出てこない。

かごめと桔梗、2人の少女が犬夜叉に恋したことは生まれ変わりだからではない。
かごめはかごめとして犬夜叉に恋し、桔梗は桔梗として犬夜叉を愛した。
生前の桔梗を深く知る者と言えば犬夜叉、奈落、楓だが、犬夜叉は最初のうちこそかごめと桔梗を混同していたが、かごめに恋した時点ですでに2人は別人だった。
奈落に至っては最初に桔梗?と見違えただけ。

結局桔梗が復活する時に、その復活を信じやすくするために証言者として楓が同行したことのみが、「犬夜叉」にとっての輪廻転生だったような気がする。
ありきたりな展開だが、最終決戦においてかごめの中から桔梗や翠子の幻が現れ、共に破魔の矢に霊力なり念なり想いなりを込めて奈落を射るとか(笑)、そんなことでもない限り、「犬夜叉」の輪廻転生は裏陶編、桔梗復活編で終わっていると思うのは乱暴過ぎるだろうか。
(2006年11月7日の日記)  
人の心、妖怪の心
初期の「犬夜叉」でセットで気になるシーンがある。
ひとつは弥勒初登場回(6巻「不良法師」)で裏陶編を終えた犬夜叉が心に呟く言葉、

「妖怪になれば、心も強くなれるのか?
 桔梗のことも忘れて・・・」

もうひとつは犬夜叉が桔梗を「選んだ」後、奈落に会いに行った時の桔梗の言葉(18巻「土の結界」)、

「覚えておけ 奈落。
 きさまは私を殺せない。

   きさまが人間の心を残す限り・・・
 半妖である限り。」

これに対して奈落は心に思うのである、

「そうだ、だからこそ・・・
 わしは妖怪になろうとしている。」

奇しくも共に桔梗を愛した人間の心と妖怪の心を併せ持つ2人、犬夜叉と奈落は妖怪になることを願う。
半妖と蔑まれないため、中途半端な半妖ではなく、本物の妖怪としての強さ(妖力も含め)が欲しいと言う気持ちももちろんあるだろう。
だがそれ以上に2人が求めたものは、「悲しみや嫉妬や怨念や、そんな弱い部分に惑わされない強い心」だった。

では高橋先生の描くところの妖怪とは一体どんな存在なのだろうか。
作品を離れて私たちが一般に思い描く妖怪と言えば、見た目は人間に近くてもその性格はとても単純でむしろ動物に近いような気がする。
菅原道真や平将門のような怨霊などは別格として、河童だの雷獣だの、元が動物から生まれた妖怪が多いせいだろうか。
仮に彼らの生活を覗くことができたとしても、その生活はいたってたとえばライオンの群れを覗くようなシンプルなような気がする。

縄張り意識はあるだろう、弱肉強食もあるだろう、1頭(匹)の雌を巡って2頭(匹)の雄が争うこともあるだろう。
けれど、そこに嫉妬や妄想や怨念の入る余地はない。
つまりは人間の持つ性格の複雑さを持たないゆえのシンプルさ、それが私たちの世界の妖怪である。
では「犬夜叉」の妖怪はどうだろう。

本来ならば犬夜叉や奈落も1人2人ではなく1匹2匹と数えられるべき存在だが、抵抗があってとてもそうは呼べないほど彼らは人間に近い。
ああ人間の部分のある犬夜叉や奈落に抵抗感があるのは当然か。
でも鋼牙や殺生丸だって抵抗感はあるだろう、彼らはビジュアル、行動、心理などの面において限りなく人間に近い。
それでもなお犬夜叉や奈落は「心を持たない」妖怪になることを願う。

「犬夜叉」に登場する妖怪には「弱い心」はないのだろうか。
恋する心を持つ2大主役の犬夜叉と奈落は人間の部分があるから駄目だ。
神楽にいたっては理屈で言えば半々妖、つまりクォーターだ。
残っているのは鋼牙だが、純粋な妖怪であるけど鋼牙はちょっと難しい。

鋼牙はかごめを巡って犬夜叉と対立しているが、なかなか引かなかったのは犬夜叉を自分と対等、もしくは格下と見ていたからのような気がする。
もし犬夜叉が妖狼族で鋼牙よりも地位も高く、力も強く、年上だったりしたら鋼牙は犬夜叉に張り合わなかっただろうみたいな。
鋼牙も限りなく人間に近い存在に見えながら、その性格パターンはとても単純で、むしろ動物に近い。

ただしこれを妖怪だからと結論付けるには無理がある。
鋼牙の性格はラブコメのために作られた部分があるからで、こんな性格じゃなかったら、鋼牙はとっくの昔にリタイアしていただろう。
これで恋する妖怪はいなくなってしまったが、実は一番人間から遠い存在として登場して、一番人間臭い部分を見せる妖怪キャラがいる、殺生丸である。

積極的な恋の場面こそないが(神楽はむしろ片思いだったと思う)、初登場時からしてその印象は強い。
以前も書いた記憶があるが、殺生丸の立場、性格からすれば、人間は非力な餌でしかないだろう。
無関心が一番似合う。

ところが殺生丸は人間を毛嫌いし、半妖である犬夜叉を嫌悪する。
他の妖怪が半妖に対して向けたような単純な侮蔑ではないもっと根の深い嫌悪。
物語が進む中でその原因が明らかになる。

妖怪である母から父を奪った人間の女(犬夜叉の母)。
私は殺生丸の母君は亡くなったと思っていたのだが、生きているにしろ亡くなったにしろ、その思いは変わらなそうだ。
むしろ陰湿だった初期殺生丸に比べ、あまりにあっけらかんと登場する母君に驚いた。

父君が自分には「斬れぬ刀」を残し、犬夜叉には「優れた刀」鉄砕牙を残したことに対する恨み。
こういったまさに人間の持つ弱い部分、醜い部分を垣間見せるのが初期殺生丸なのだ。

それらを踏まえてみれば、犬夜叉や奈落が求める「妖怪ならではの強い心」は一体どこから来ているのだろうという疑問が残る。
ずっとこの疑問が心を離れず、答えを待ちながら読み続けてきているのだが、最近別のことを思うようになった。
高橋先生は私たちが現実生活の中で捉える妖怪を意識しながら「犬夜叉」を描いておられるけれど、「犬夜叉」に登場する妖怪たちがあまりにも人間的で、そのキャラクターとしての妖怪と、潜在意識の中で設定されている妖怪の間に矛盾が生じてきているのではないだろうか。

たとえば奈落が「弱い心を捨てるために」四魂の玉を使うのならわかる。
けれど今奈落は四魂のかけらに関係なく(厳密にはないとは言えないが)、半妖のままで人の心を捨てた、捨て得た。
矛盾はさらに広がるが、物語の中で私が初期に感じた疑問はもはや存在しないのかもしれない。

次回はこのテーマ「人の心、妖怪の心」を踏まえて「奈落の生きる意味」を考えてみたい。
奈落が桔梗を殺したことに対する微妙な違和感の原因がわかった・・・かもしれない。
(2006年12月12日の日記)  
奈落の生きる意味
奈落の目的って何だろう。
答えは簡単だ。
高橋先生がどんなに突拍子もない漫画家だとしても、奈落が最後に勝利を収める結末はあり得ないだろう。
でも「犬夜叉」世界の中では、奈落も倒されキャラとしてではなく生きる権利がある。

・憎くて恋しくて、同時に自分にはかり知れない屈辱を与えた桔梗を殺すこと。
・その桔梗に愛された犬夜叉への嫉妬、同時に激しい同属嫌悪の気持ちを抱かずにはいられない犬夜叉を殺すこと。
・四魂の玉を使って本物の妖怪になること。
・邪魔となるかごめや弥勒、珊瑚や殺生丸らを殺すこと。

もちろん琥珀や鋼牙も例外ではない。
七宝はもしかしたら例外となり得るかもしれないが、これから妖怪奈落が生きる年月を考えると、共に成長していく七宝は脅威だろう。

このうち奈落は桔梗を殺した。
この時私が感じた違和感の原因はここにある。

仮に奈落がこれらの目的を全て果たしたらどうだろう。
恋しい桔梗も憎い犬夜叉も邪魔なかごめたちもいなくなり、四魂の玉を首尾良く手に入れて本物の妖怪になった奈落。
奈落の目的は達せられた。
そしてその後の奈落に何が残るのだろう。

これまでも何度か書いたが、アニメの生前の蛮骨が奈落に出会うオリジナルが妙に心に残っている。
動けぬ体を妖怪に食らわせて、望み通り奈落として蘇った鬼蜘蛛。
しかし奈落は鬼蜘蛛の心を封印し、恋しい桔梗を殺してしまう。
さらに桔梗は四魂の玉を持って死んで行った。

いくら奈落が鬼蜘蛛の心を封印していたとしても、無双が登場するまでの奈落の桔梗への思慕や犬夜叉への嫉妬を見ていれば、鬼蜘蛛の心が奈落にも影響を与えていたことはすぐわかる。
しかも奈落は半妖だった。

奈落が自分が半妖であることに気づいたのはいつか。
18巻で桔梗が指摘するまで出てこないが、当然最初の頃から犬夜叉の朔に当たる日(人間になる日)はあったはずだから、奈落は早いうちから自分が半妖であることを知っていただろう。
そのショックもまた大きかったのではないか。

何のために奈落に生まれ変わったのか。
恋しい女も求めていた四魂の玉もなく、生まれ変わった自分は中途半端な半妖。
そのまま放浪していた50年、想像するとアニメ奈落の見せた「虚無感」が痛烈な色彩を帯びてくる。
鬼蜘蛛が滅びて奈落が生まれた瞬間、奈落の心もまた死んだ。

生前したことと言えば桔梗を襲い、四魂の玉を奪い、桔梗に犬夜叉を封印させたことだけ。
その策略は実ることなく桔梗は死に、奈落の心もまた死んだ、のだと私は思う。
奈落が再び蘇ったのは、かごめが戦国時代に迷い込んで四魂の玉が再び現れた瞬間なのだろう。
しかも桔梗まで蘇ったのだから。

しかし最初にあげた「奈落の目的」を果たして後、奈落に何が残るだろう。
たとえば奈落が世界征服を企むような(笑)、悪の大ボスなら話はわかる。
日本中の妖怪ばかりか人間までも傘下に置き、大陸にも進出して末は「猿の惑星」のような妖怪主体の地球になってその下に人間が住まう、そんな世界。
そんな奈落だったら邪魔者をみんな殺して本物の妖怪になったら万々歳だろう。

しかし「犬夜叉」の奈落はそんなつまらない存在ではない。
だからこそ私は目的を果たした奈落に残るのは「虚無」だと思う。
奈落として生まれて桔梗を殺して、四魂の玉を失って自分が半妖であることに気づいた瞬間から始まった虚無のくり返し。
実際神無を操る奈落の雰囲気にそれに近いものを感じたのだが。

なぜ奈落は再び桔梗を殺したのか。
なぜ奈落は同じ過ちを繰り返そうとしているのか。
それが私の感じた違和感だった。
桔梗は殺してはいけなかった。

たとえ犬夜叉が死んでもかごめが死んでも、桔梗だけは生き続けなければ奈落には生きる意味などないと思う。
ただそれが大きな違和感とはならなかったのは、桔梗が残した最後の光。
その光が奈落を苛立たせ、奈落に生きる意味を与え続ける。

たとえ犬夜叉たちを殺しても四魂の玉の光は奈落を追い詰め続けるだろう、奈落は本物の妖怪にはなれない。
四魂の玉がなくなる時は奈落が滅びる時だろう、それで全てが終わる。
結果的に桔梗は死ぬことで奈落の生きる意味を奪ったけれど、汚れた四魂の玉に光を残すことで奈落に生きる意味を与え続ける。
これは高橋先生の思惑なのか、それとも私の頭が作り上げた別世界の「犬夜叉」なのか、別人の奈落なのか、私にはわからないのだけれど。
(2006年12月20日の日記)  
白神山地の日暮神社
2,3年前に旅行で白神山地に行った妹一家が「日暮神社」を見つけ、写真を撮って来てくれた。
戦国時代の桔梗と楓の神社はこんな風だったんじゃないかと思えるような、素朴で味わい深い神社。
伊東市の日暮神社は新しかったので、こちらの方が雰囲気あるかも。

★「写真(一)」(真ん中に甥っ子がいるのが泣けます。)

現在の青森県深浦町は2年前に深浦町と岩崎村が合併したものだが、「
深浦町ふるさと体験サイト」によると、日暮橋、日暮の池などとセットになっているようだ。

★「
写真(二)

でもなぜこんな所に日暮神社があるのだろう、気になって問い合わせてみた。

★「
写真(三)

日暮橋に立って現在の日本キャニオン(
ハローネットあおもりより)を見ると、あまりの美しさに日暮らし(一日中)見入ってしまうことが旧岩崎村の100年史に記載されているのだそうだ。

日暮里なども「
JR東日本」に「谷中七福神の寺院が有り、享保年間頃からは、暮れていく日のことを忘れるほど美しい、『日暮らしの里』と言われるようになった」ことがきっかけとされているし、同じ由来の日光東照宮の陽明門(日暮門)、京都西本願寺の日暮門も知られている。
「日暮」という名前自体は決して珍しいものでないことがわかる。

つまりそれほどの美しさを称えてつけられているわけだが、この時応対して下さった方がとても親切で、感激してしまった。
いつか帰省の際にでも足を伸ばして白神山地の日暮神社を訪ねてみたい。
岩崎村史も現地でないと手に入らないそうなので、是非行かねば。

私は桔梗や楓の神社が、かごめが祭神となって「日暮神社」となり、今の時代に伝わっているのだと思っている。
戦国時代で一生を終えるなり現代に帰るなりしたかごめを偲ぶ神社として。

「かごめ」という名は可愛いからと先生が書いておられるが、「日暮」の苗字に関しては特に言及されていない。
これが日暮中学校だの日暮マンションだったなら特に興味も持たなかっただろうが、「日暮神社」だったことで一気に興味の幅が広がった。
静岡県の次は白神山地に日暮神社を訪ねて行くことになったら我ながらおもしろいと思う。

          ☆          ☆          ☆

★追記(3月13日)

先日の休みに広尾の図書館に全国の郷土資料が充実してるとのことで行って来た。
残念ながら日暮伝説が掲載されている旧岩崎村の100年史はなかったが、「深浦町史・上下」「岩崎村史・上下」(この2つが合併して現深浦町になった。)「深浦町史年表」「岩崎村史年表」があってさすがに全巻読破はできなかったが、神社仏閣についてや歴史風俗の部分などはおもしろく読んできた。

ちょうど戦国エンパで「東北統一戦」を安藤家で遊んでいたので、これらの資料に安東氏が紹介されていたのもおもしろかった(安藤家は秋田から青森にかけてを支配)。

とにかくハードカバーの豪華な装丁の本なのにはびっくり。
全国全市町村でこのような資料が作られているのだろうか。
でもやっぱり100年史が欲しいので、いつかは行きたい、白神山地の日暮神社。

上記の資料の中ではたくさんの神社が紹介されていたが、日暮神社を始め、もれてる神社も多く、そんな神社全てに関して
「人々が集落を作った時に、民心安定と部落の結束を図って神を祀った。」と記されているのが心に残った。

(2007年2月22日の日記)  
河童の手のミイラ 〜曹源寺
ずっと気になっていたのが第1話のかごめの誕生日プレゼントだった「河童の手のミイラ」。
四魂の玉のお守りと共に何かの伏線ではないかといろいろ調べたことがある。
(じいちゃんに由来を語らせたかったなあ・・・。)
結局ミイラの方はそのまま流れてしまったが、台東区の曹源寺に実際に河童の手のミイラがあることを発見。

同時にそのお寺には、たくさんの漫画家の先生たちに寄せられた河童の絵があるそうだ。
もしかしたらその中に高橋先生の描かれた河童の絵もあるのでは?などといろいろ推理してみたのは何年前だったろうか。
高橋先生が曹源寺の河童の手のミイラをモデルにして、あるいはご存知で登場させたかなんてわかるはずはないけれど、実物を是非見てみたいと早速出かけた。

入谷駅を出てすぐそば、石榴の花が満開の「恐れ入谷の」鬼子母神に寄り道、「池波正太郎記念文庫」を覗いて合羽橋商店街のあちこちにある河童の人形を探し、お店を冷やかしてから「曹源寺」へ。
入谷駅からこのコース、まっすぐ歩けば30分ほどだが、時代物好きにはお勧めかも。
建物に張り付く巨大なカブトムシや、レストランでよく見かけるサンプルのお店など、すぐに足が止まってしまい、とても30分ではすまないけれど(笑)。

曹源寺の河童伝説は、由来書によると、昔この地に住んでいた合羽川太郎なる雨合羽商が、ある日子どもたちにいじめられていた河童の子供を助けた。
その後、水難に苦しむ住民を助けるために掘割(用水路を作る)を作ろうとするが、それを河童が手伝って恩返しをしたというもの。
お寺の中に川太郎のお墓があり、河童も河童大明神として祭られている。

この河童伝説と昔この付近に伊予新谷の下屋敷があり、天気のいい日に家来が内職で作った雨合羽を近くの干したとか、雨合羽屋が多かったといった説がまぜこぜになって、現在の合羽橋となったらしい。
つまり「河童」と「合羽」の掛詞。
そのために河童をシンボルとし、街のあちこちに縛られ河童とか韋駄天河童とか、さまざまな伝説付きの河童が配置され、店名を書き込んだ看板や、道路のプレートにも河童を描くなど、とにもかくにも、どこを見ても河童だらけ。
金ぴかの「かっぱ河太郎」なる度肝を抜かれる像もある、とにかく楽しい。

さて、話を曹源寺に戻してこうした由来を聞きながら、普段は閉め切りの河童のお堂へ。
(河童の手のミイラを見るには予約が必要です。)
実はテレビやいくつかのサイトさんで写真を見ているのだけれど、実物を見たときの印象は「小さい!」それに尽きる。→「写真」。
子どもの手の平に大人の指をくっつけたような形で、水かきのようなものも見える。
どう見ても4本指で、河童ってそもそもそういうものなのかは聞きそびれてしまった。
ちなみにこのミイラ、川太郎を助けた河童のものではなく、河童にゆかりのあるお寺、ということで檀家の方が奉納されたものだそうだ。

ちなみにかごめがもらった河童の手のミイラとの違いは、かごめの方が指が5本で手を開いたものであること。
水かきはあるけれど、見た感じは全然違う、残念。

お堂の中には他にも河童大明神の掛け軸や、鍬をかついで工事に勤しんでいる河童たちの絵を描いた巻物、河童グッズに河童の本などがずらり。
そして天井を見上げれば、たくさんの河童絵。
残念ながら私が知っているのは「手塚治虫」、「水木しげる」両氏のみだったが、それでもお酒を飲んだり舟を漕いだりと、思い思いのポーズをとる愛嬌たっぷりの河童たちは見ていてとても楽しい。

甲羅を脱いだ色っぽい女性の河童を描かれた「萩原楽一」氏が曹源寺の檀家で、昭和28年のこの絵が最初なのだそうだ。
水木しげる氏の絵は河童絵を奉納されたものだそうで、たしかに背景が白くて新しい。
でも天井にはまだまだ隙間があるので、「河童の手のミイラ」つながりで高橋先生もどうかな?な〜んて思ってしまった・・・。

曹源寺の入り口には、ちょっと変わった河童の置物もある。
かっぱのぎーちゃん」なるネーミングの由来は?と聞こうとして、思わず「きゅうりのきゅ、あっ、かっぱのぎーちゃんって」とあせった私。
だってほんとに「きゅうりのきゅーちゃん」って感じなんだもん(笑)。
でも案内してくださった方、全く動じず、言われ慣れてるのかな?

これは合羽橋のシンボル河童のひとつで、「ぎーちゃん」は曹源寺の先々代の名前が「義勇」だったことからついたものだとか。
そういえば河童堂の中にも「河童連邦共和国」の「名誉大統領」横山隆一氏から先々代久我義勇氏に贈られた表彰状(河童文化の発展普及に多大な功績をあげた貴河童殿だって)が飾られていたっけ。

ところで河童の手のミイラが入っていた箱には「水虎の手」と書かれてある。
河童は虎には見えないよなあと思っていたのだけど、京極夏彦著「豆腐小僧双六道中ふりだし」を読んでいて答えが見つかった。

          ☆          ☆          ☆

「(山猫は)山に居る―虎の親戚のようなものだ。これはな、善く化ける。屍体を盗み火の車に載せて運び去る火車という妖怪がおるが、この火の車を引っ張っているのが山猫だ。ただ、この牽き役はな、先程の魍魎(火車や川獺や河童一族とも通じる、大陸渡りの妖怪)にも割り当てられておる―」
「魍魎と山猫は同僚と云うことでございますな。」
「―そこで、まあ魍魎は猫一族の親類になった。魍魎と云うのはな、これ水の怪でもあってな、そのお蔭で山猫も水の怪に近しくなってしまった。河童に水虎と云うのがおるであろう。あれ、水の虎と書くが、これも元は山猫だな。猫一族は河童の先祖にもあたる訳だ」

     ―(中略)―

「山猫は対馬だの琉球だの、あっちの方には棲息しておるがな、本土にはまずおらぬ。そこでな、この山猫妖怪が遥々海を越えて我が国にいらした際に、だ」
「え? いらっしゃったので?」

     ―(中略)―

「だからさ。いないのは獣の山猫。いらっしゃったのは妖怪の山猫。愚僧やお前と同じで、居るけど居ない、概念だ」

     ―(中略)―

「ここで困ったことが起きたのだな。
山猫妖怪は来たけれど、実体である山猫がおらん。
伝承を補強するために生きた山猫を輸入するわけにもいかんからな。
そこでな、山猫妖怪は、分割してだな」

「山猫の性質の一部は川獺や河童に割り振られてたんだな。
そして山猫を表す表す狸(リイ)という文字の方は―狢に割り当てられたのだ。
そもそも山野におって化けるものだから、町や家におる猫には割り当てられなかったのだ。」

〜京極夏彦著「豆腐小僧双六道中ふりだし」より抜粋〜

          ☆          ☆          ☆

引用の前後を読まないと物語としての意味は通じないが、少なくとも河童に「水虎」の字が当てられた理由はわかるのではないだろうか。
ちなみに同書では「茶吉尼天の乗り物が野干、いわゆるジャッカルだが、日本にはいないから狐が当てられた」との説明もされている。

他にも河童の像や置物があちこちに散りばめられていて、歩くだけでも楽しいお寺、曹源寺。
何より印象深かったのは、河童堂の 「お賽銭箱」 に供えられた3本のきゅうりだった。
あと御真言が「オン、カッパ、ヤ、ソワカ」と21回唱えるのだとか。

他にもお寺が散在し、お寺巡りをするも良し、河童探しをするも良し。
合羽橋商店街は本当に楽しい場所だ、私もまた行こうと思う。
(2007年6月19日の日記)
骨抜き妖怪他

京都七条河原の墓地には化け物がいると言い伝えられていて、若者たちが集まった際に、夜中にたった一人で行けるかどうか賭けをした。

真夜中、一人の若者がその墓地に行って、杭を打ち、証拠の札をつけて帰ろうとしたときだ。
歳のころ八十くらいの老人で、身の丈二メートル半、すすけた顔に歯を二つ剥き出し、眼は掌に一つある化け物が現れて、わっとばかりに襲いかかってきた。
若者は肝をつぶし、無我夢中で近くの寺に逃げ込んで、かくまってくれと頼みこんだ。

僧が若者を長持に隠したところに、化け物がやって来た。
つくづく見回しても見当たらず、あきらめたような気配だった。
しかし一方で、例の長持のあたりからは犬が骨をしゃぶるような音がする。それとともに呻き声が聞こえたが、僧はあまりの恐ろしさに這いつくばっていて、何とも知れなかった。

やがて化け物が立ち去ったので、長持から出してやろうとふたを開けると、若者は骨を抜かれて皮ばかりになっていた。

〜京極夏彦著「今昔続百鬼―雲」〜

「犬夜叉」で登場した骨抜き妖怪、ブラッドベリのハリス氏も骨抜きにされているが、雰囲気ではこっちが近いかな?と思う。

鬱陶しい梅雨の時期になるとなぜか読みたくなる京極夏彦物。
「京極『巷説百物語』の世界」では京極氏は「髷のある妖怪はいない。」と言い切る。
やはり「犬夜叉」に登場する妖怪の中で、半妖地念児だけが髷がある。
人間でもあり、妖怪でもある地念児は村という人間の共同体の中で異端の者として虐げられていた。

地念児を描く上で髷の存在は重要な意味を持っていたことに気づかされる。
高橋先生がそこまで意識されていたかどうかはわからないが。
ではなぜ犬夜叉や奈落が髷者ではないのか?
単なるビジュアルの問題だろう(笑)。
今となっては髷姿の犬夜叉や奈落は想像できない。

タタリモッケ。
「モッケ」は「物の怪」の変化形だと思っていたが、方言で「赤ん坊」を指すと明示されていた。
「宮城縣史」によると死んだ赤子の霊がタタリモッケとなり、梟に宿って泣くという。
「犬夜叉」のタタリモッケが本家本元のタタリモッケをどれほど意識されているのかわからないが、そういえば梟に似てないこともない・・・?
「結界師」で白羽児が化けた梟の妖(あやかし)とタタリモッケ、似ているし。

ちなみに「もののけ」の「もの」は精霊や霊魂のことで、「け」は病気のこと。
本来は怨霊によって生じる病気を意味していたのだそうだ。
ついでに「獣」は元々「毛もの」、毛がある者だから獣(動物)と呼ばれるようになったとか。
京極物は雑学の宝庫だけれど、高橋作品とのつながりがあるのかないのか、知りたいな。
どちらかがどちらかのファンだとか愛読者だとか、そんな記事はないのだろうか。
(2007年8月18日の日記)
6年目を迎えて
「一陣の風」も今日で6年目を迎えました。
何に驚いたと言って、未だに「犬夜叉」が続いていることに一番驚いています(笑)。
1996年(平成8年)11月13日に連載開始した「犬夜叉」、アニメの放映開始が2000年(平成12年)10月16日、「一陣の風」を開設、公開したのがさらに2年遅れて2002年(平成14年)10月19日でした。

つまりサイトを開設した時点で、連載より6年遅れていたことになります。
サンデーでは赤子を抱かされたかごめが自らの「心の闇」と向き合っていた頃、アニメでは猿神さまと3匹の小猿たちとの心温まる交流からお見舞い対決、草太の告白と怒涛のオリジナル攻勢に入ったあたりでしょうか。

最初はとにかくあせりました。
とにかくアニメの感想追いつくまではアニメ終わらないで欲しい。
アニメの感想が終わってサンデーの感想を書き始めたら、それが追いつくまでは原作も終わらないで欲しいってとにかくあせっていた気がします。
今にして思えば何もあせる必要なかったのですが、当時の考察日記を読んでると、あせりと気負いだけがびんびん伝わってくる恥ずかしさです。
まあそのあせりが、ほとんど毎日更新という今じゃ絶対できないパワーを与えてくれたのかもしれません。

そして気づいてみれば、連載も間もなく11周年。
一ファンのあせりや気負いやそういったもろもろを全て受け入れてくれた作品です。

膨大なファンサイトやブログの中、埋もれそうになりながら、それでも大切に育ててきました。
いつか「犬夜叉」が終わって10年20年が過ぎ、誰かがふとアニメやコミックで「犬夜叉」という作品に触れ、おもしろい、もっと作品のこと知りたいって思った時に少しでも役に立ったら、そんな風に思ってます。

まだまだ足りない、まだまだ書きたいことはたくさんある「犬夜叉」ですが、今はとにかく続いて欲しい。
マンネリやループや、そんな批判も全て押し流して連載を続けて欲しい、それが一番大きな願いです。
そして「一陣の風」が7年目を迎えた時に、「犬夜叉まだ続いてます、すごいね。」って友達と語りたい。

もちろん「犬夜叉」が終了し、次作品が始まったら、それはそれで読むつもりです。
けれど「犬夜叉」のようにのめり込めるか、正直自信はないです。
私は高橋留美子ファンではなく「犬夜叉」ファンですから。
それでもサイトだけは続けて行きたいと思っています。

これまで遊びに来て下さった方々、メールを下さった方々本当にありがとうございました。
やっと5歳の「一陣の風」ですが、今後ともよろしくお願いします。
(2007年10月19日の日記)
反魂の術 〜犬夜叉リンク
先日人魚シリーズ「舎利姫」 の感想を書いた時、「反魂の術」という言葉、どこかで聞いたことがある気がして、ずっと気になっていた。
いえこの言葉自体は珍しいものではないが、お気に入りの本か何かで。
(だったら忘れるなという話だが、笑)。

「舎利姫」では反魂の術は次のように説明されている。

「その昔、西行法師が高野山で修行をしていた時、一人のさびしさに耐えかねて荒れ野の人骨を拾い集め・・・ 反魂の術を施して人を作ったという。」

もうひとつは

「骨に砒霜(ひそう)を塗り、いちごとはこべの葉を揉みあわせ、沈(じん)と乳(ち)を焚き・・・(以下略)」

ちなみに砒霜とは毒薬「砒素」のこと、「沈と乳」はそれぞれ「沈香(じんこう)」「乳木」と補うのだろうか。
以前「世界ふしぎ発見」で、伽羅などの「沈香」は水に沈むことから「(水に)沈む香(木)」というのだと説明していた。
乳木は護摩木として使われたりするらしいが、詳しいことはわからない。

で、その反魂の術、どこにあったかある日突然思い出した。
京極夏彦著「狂骨の夢」だった。
お馴染み中禅寺秋彦も後でこの術を使って実に劇的な憑き物落としをするのだが、今回は教会での降旗と白丘の会話から引用してみたい。

「知らないかね?『撰集抄』だよ」
「知りませんね。僕は古典には興味がない」
「ああ、そうか」
そうだったなと白丘は繰り返した。
「その古典(撰集抄)にね、西行法師が高野山の奥で、骨を一揃い揃えて反魂の術を使い、人を造ると云う話が載っていたのだ。僕は十六の頃、それに行き当たってね、ぞくぞくとした」
白丘は何だか箍が外れたような口調で云った。
降旗はただ呆れた。
「その場合骨は同一人のものである必要はないようなんだな。山野の人骨を取り集めてと書いてあったからね。つまり一セット揃えばいい訳だ。だから、奴等は骨を一揃い集め、その反魂の術を実行しようとしていたのではないか―」
「そんな、亮さん、あなた」
反魂の術―。
それはつまり、死者を復活させる術のことだろう。

そっか、「撰集抄」って本なのか。
早速読んでみた。

おもしろいのが、西行法師が1人の人間の骨をそのまま使ったのではなく、あちこちで拾い集めたこと。
目的を持って1人の人間を蘇らせようとしたのではない、とりあえず己の無聊を慰めてくれれば、人でさえあればいいということ。
「なつめ」という1人の人間を愛情を持って蘇らせようとしていた老父の行動から、私は西行法師もある特定の人物を蘇らせようとしていたのだと、勝手に思っていたのだが。
その辺が上記「狂骨の夢」でも指摘されている。

「舎利姫」との相違点、というよりもっと詳しく説明してある部分としては

「集めた骨を藤や糸などで巻き紮(から)げ、一体としたものを、水にて度々洗い、頭の、髪が生えるべき所には、皀莢(さいかち)の葉と木槿(むくげ)の葉を灰に焼いたものを擦りつけ   ました。」とある。

さらに土の上に筵(むしろ)を敷き、骨を伏せて、あまり風が当たらぬように工夫し、二十七日が過ぎるのを待つ。
それから沈などの香料を焚き、反魂の術を施した。

ただ、この時西行法師が作った人間は、色も悪く、心も備わっていなかったと言う。
声は発したが、楽器の音のようであった。
これに対して、

「実(まこと)に、人には心が備わればこそ、始めて声も活き活きと用を足す道理にて、それを考えに容れず、ただ声の出る仕組みのみを施したがために、吹き損じた笛のごとき音しか出なかったのである。」と説明されている。
「舎利姫」とは直接関係はないが、とても考えさせられる一文ではあった。

結果的にこの反魂の術は失敗、西行法師はどこが悪かったのかを教えてもらうのだが、「なにやら空しき事のように思い返し、その後は造るのを止めてしまった」らしい。
なんとなく寂しいからと、話し相手を作るのと、愛しい存在を亡くして悲しみのあまり蘇らせようとするのと、形は違えど、さらなる「犬夜叉」の桔梗へとつながっていく、この反魂の術。 (そういえば、裏陶も結局はこれをやってたのか?当時はあまり意識しなかったが。)

桔梗を蘇らせたのが奈落ではなかったことが、「犬夜叉」が少年漫画たる所以だろうが私は「犬夜叉」のテーマのひとつとしてよく引き合いに出される「輪廻転生」よりもこちら、いわゆる「死者の復活」の部分に関心は大きい。
勝手に復活したらゾンビだが、こちらは奈落や裏陶や(一応殺生丸や母君や)、そういった、人ではないが人と同じ性格、感性を持つ存在によってなされる復活、興味深い。

ところでこの反魂の術、漢の武帝が行ったとも書いてある。
妃である李夫人が亡くなった時、「反魂香」なる香を焚いたら、亡き夫人の面影が現れたという故事のことで、実際に「反魂香」なる香が売ってるわけではないらしい(名前だけでも)。
漢の武帝となれば、私の中では「三国志」につながっていく。
「十二国記」にもつながっていく。

同時に漢の武帝は、不老不死を求めた存在として映画「紅蓮の蓬莱島」から「犬夜叉」へと戻っていく。
私の中で「犬夜叉」「戦国時代」「三国志」「十二国記」「池波小説(特に真田太平記)」そして京極夏彦小説などが、「犬夜叉」を中心にぐるぐるぐるぐる回っている、それが私の「犬夜叉リンク」。
「鉄のクラウス」や「BLOOD+」はちょっと異質だけど(笑)、当サイトはこの「犬夜叉リンク」によって成り立っていると思っている。

先日も松平定信(池波世界をたどる道)から、小泉八雲「振袖」の振袖火事へとつながり、小泉八雲といえば「犬夜叉松江ツアー」じゃないかと狂喜乱舞した(笑)。
無理矢理でもこじつけでも、こういった知識のリンクが「犬夜叉」を中心につながっていくことがたまらなく楽しい。
京極堂シリーズでは、他にやはり中禅寺が「紅蓮の蓬莱島」のモチーフとなっている「温羅」に少し触れている部分もあるので、今度取り上げてみたい。

余談だが、ずっと前(「狂骨の夢」を読んだ頃)、「犬夜叉」とは関係のないメール友達と京極作品について何度もメールのやり取りをしたことがある。
そこで私はずっと「凶骨の夢」と打ち込んでて、後々になってその方から遠慮がちに注意していただいた。

「狂骨」じゃなくて「凶骨」と打ち込んでしまう「犬夜叉」ファンの性(さが)、この日記を読んでくださってる貴方ならわかってくれますよね(笑)。

★参考文献

(2007年12月7日の日記)
奈落の純愛 犬夜叉の純愛
鋼牙と犬夜叉の違いって時々書いてきたと思うが、顔や声はともかく(笑)、一番大きな違いは鋼牙がかごめ一筋なのに比べ、犬夜叉がかごめと桔梗のどちらも選びきれず、2人の少女の間をふらふらさまよっていたことだろう。
どちらがいいとかそういうことではなく、どちらが好きかと聞かれればいつも鋼牙と答えてきたけど、これは当然好みの問題。

ただ鋼牙の場合も、たとえば犬夜叉が鋼牙と同じ妖狼族の狼妖怪で、位も年齢も鋼牙よりずっと上で頭のような存在だったら最初から黙って身を引いたように思う(と前にどこかで書いたような気がする)。
犬夜叉を自分と同等、あるいは格下と思っていたからこそ、かごめを巡って喧嘩していたというか。
これも鋼牙が打算的というのではなく、人間型の妖怪でありながら、鋼牙の性格?が限りなく獣に近いものがあったように見えたから。
そんな私にとって、奈落はかごめには目もくれず、恋も憎きもその想いは全て桔梗に向けており、その所業はともかく「二股」の犬夜叉に比べてその共感度はかなり高かった。

ところが私は同時に犬夜叉がかごめと桔梗を口では何と言おうと完全なる別人として捉えることができず、同一視しているという意識も持っている。
だからこそ犬夜叉はかごめも桔梗もどちらも選ぶことができず、迷っているのだと。
この大きな矛盾を今回Yさんからのメールで痛烈に指摘していただいた(笑)。
ものすごく大きな感動と共に、私ってなんて馬鹿かと苦笑い。

犬夜叉がかごめと桔梗を同一視しているから選べないなら、それは二股などではなく、犬夜叉もまた一筋だ。
犬夜叉の目の前にかごめが2人、桔梗が2人いるのだから、その時々で目の前にいる方に100%気持ちが向く(高橋先生談)のは当然のことで。
顔の違い、性格の違い、描写の違いに惑わされてしまったのは私の方。

もちろん犬夜叉がかごめと桔梗をどう捉えているかは読者次第でそれぞれの考え方があるだろう。
犬夜叉が2人を完全に別人としているか、同一視しているか、それはわからない。
「私は」犬夜叉は魂の部分を共有しているかごめと桔梗を同一視していると思っている。
だったら「かごめ=桔梗」に恋している犬夜叉を二股扱いするのは大きな間違い、こちらの勘違い。

それにしてもここまで来てやっと気づくとは。

ただ描写上は確かに犬夜叉が2人を同一視して1人の人間として想っているというよりは、あっちにふらふらこっちにふらふらに見えて仕方がない部分はある。
決着をつけるために、「桔梗の死」が自然な形で用意されたが、これがもし桔梗がずっと生き続ける展開だったら、犬夜叉の「見かけ上の二股」も終わることなく延々と続いたような気がするのだが・・・。
(2008年5月11日の日記)
米国における日本アニメと吉田寿史氏
3月29日の「ひとりごと」で紹介した、2008年3月28日付けのITmedia Newsの記事「米国のオタク事情」に登場する吉田寿史氏に関する情報を、Yさんより頂きました(元記事は「こちら」)。

記事によると、以前はビデオやDVDで見ることしかできなかった日本のアニメがP2Pファイル交換ソフトやYouTubeのような動画共有ネットワークが普及したことで、事情が変わり、日本でアニメが放映された翌日には、字幕(「ファンサブ」と呼ばれる)付きの動画ファイルがP2Pネットワークで出回り、その後YouTubeなど共有サイトにもアップされます。
そのせいで日本のアニメのDVDが売れなくなったと、アニメDVD販売にも携わった経験を持つ吉田氏は語っておられます。

漫画の海賊版もネットで流通しており、日本語版の漫画のせりふの部分だけが英語に翻訳して書き換られ、スキャンしたファイルがP2Pネットワークに公開されて、「Scan」と「Translation」を合わせた「Scanlation」(スキャンレーション)と呼ばれています。
人気作品は、日本で発売された1週間後にはScanlationが登場するそうです。

「ファンサブもスキャンレーションもファンがやっていると言うが、版権者の正規ビジネスを阻害している。
本当にファンと言えるのだろうか。作品を盗んでいるだけではないか」と吉田氏。

日本のアーティストやクリエイターがOTAKONなどのイベントを通じて米国に積極的に進出し、市場を広げようと努力している一方、ファンサブやScanlationがビジネスの拡大を阻んでいる――そんな現状があるようです。

この記事に関してYさんより頂いたメールによると

取材されている「通訳の吉田寿史さん」は、アニメ「犬夜叉」のアメリカ側プロデューサーだったToshifumi Yoshidaさんです。

記事中で、いわゆるファンサブについて強い言葉を残しておられますが、吉田さんはアマチュア時代から日本の権利者と交渉してアニメ情報誌を作っていらしたぐらいの方なので、特に憤りを感じておられるのでしょう。

吉田さんと、アマチュア時代からのパートナーである、奥様のトリッシュ・ルドゥ(Trish Ledoux)さんは1993年にViz社へ入社後、10年近くに渡って高橋先生の作品をアメリカに紹介する努力を重ねていました。

吉田さんはアニメ部門で「人魚の森」のアシスタントから始まり、「めぞん」「らんま」「犬夜叉」ではプロデューサー。
また日本人ということで原作の翻訳チェックもされていた他、「らんま1/2」など原作の英訳も一部手がけられました。
2000年に、高橋先生がアメリカのイベントでサイン会をされた時にはすぐ横で通訳をされています。

ルドゥさんはマンガ部門で原作英語版の編集を担当、アニメ部門では「めぞん」「らんま」「犬夜叉」などで英語の吹替え台本を執筆されました。

もちろん、他にも多数の方が関られていますが、特にこのお二人の努力がなければ高橋先生の作品(マンガとアニメの両方)がアメリカでビジネス的にもファン的にもここまで普及しなかったと思っていますので、市場を崩壊に追い込みかねないファンサブについては同感です。

ちなみにアマチュア時代から日本の権利者と交渉して作っていらしたアニメ情報誌は"Animag"といい、1987〜92年に発行されました。
吉田さんとルドゥさんは第4号から編集に参加されたそうです。
同じく元メンバーであるジュリー・デイビス(Julie Davis)さんもViz社に入社後、ルドゥさんの後を継いで『らんま』『犬夜叉』の編集を担当されています。

Viz社はもともとマンガ部門だけでしたが、1993年にアニメ部門を設立して『らんま』など英訳版ビデオの発売をはじめていますので、業務拡張にあたって本社のあるサンフランシスコ周辺にいた実力のあるアニメファンをまとめて採用、即戦力にしたのかも知れません。

★「参考資料

吉田氏の近況としては、2004年10月、11年間勤務されたViz社を退社。
ただし、2005年までは契約プロデューサーとしてアニメ『犬夜叉』を担当。
その後はフリーのマンガ翻訳者として、『魔法先生ネギま!』『武装錬金』『D.Gray-man』などの英訳を手がけられました。

2008年5月、バンダイ映像部門のアメリカ子会社「Bandai Entertainment」のプロデューサーに就任。
ガイナックスの話題作『天元突破グレンラガン』のアメリカプロデュースを担当されるそうです。
同社の発表資料でも「『犬夜叉』『らんま1/2』などを手がけたベテラン」と具体的に紹介されています。

★「参考資料

Yさんの許可を得て引用させていただきました。
Yさん、ありがとうございました。
(2008年5月29日の日記)

過去の日記目次へ

ホームへもどる