犬夜叉考察 19
四魂の玉と龍の玉
先日荒俣宏著「絶(たえ)の島事件」を読んだが、その中に「大織冠(たいしょかん)」というおもしろい話が引用されていた。

中臣鎌足が唐の皇帝から贈られた龍王の玉を日本に運ぶ途中、龍王の軍団に追跡されて玉を奪い返された。
この時、鎌足は一人の海女に頼んで、海底の玉を龍王から取り返そうとした。
海女は首尾よく玉を取り戻すが、海面に上がる前に龍王の追っ手に襲われた。

しかし海女は、自らの胸を切り開き、その玉を中に押し込んで隠した。
海女は死んだが、その胸の中に玉は残り、玉を取り返した鎌足は「大織冠」という職を賜ったという。

もう少しはっきりした内容を知りたいと思って鎌足に関する本を2,3読んだが、そこにはついていず、「大織冠伝」という本自体も出ていないらしい。

「大織冠」では龍の玉を守り、危機に陥った海女が自らの胸(心臓部)に玉を隠す。
「犬夜叉」では妖怪たちに追いつめられた巫女が、最後の力を振り絞って妖怪たちの魂をとり込み、自らの魂と共に四魂の玉としてはじき出す。
四魂の玉は翠子の心臓にくるみ込まれるようにして存在していた。

全く異なる話ではあるけれど、どこか似た雰囲気を感じて、我知らずときめいてしまった。
「犬夜叉」のおもしろさはここにもある。
高橋先生が公式に発表されない限り、答えの出ないことではあるけれど、たとえば言霊の念珠と「西遊記」で孫悟空がつけられた「緊箍(きんこ)」、福井県にある「肉づきの面」など、もしかしたら、高橋先生がそこからイメージして作った?と考えたり調べたりするのは本当に楽しい作業だった。

また、ファンとしては「○○のモデルは○○です!」と断言するのでない限り、「日暮」かごめと「音無」響子の苗字は伊東の伝説から取ったかも?とか偽水神同様本物の水神(女神)も実は蛇の化身だったかも(金蛇水神社の伝説より)?など想像するのも楽しい。
この楽しみもまたなくなるんだなあと考えると、やはりせつないものあがる。
(2008年6月13日の日記)
高橋先生インタビュー 〜読売新聞
7月9日付読売新聞夕刊掲載の高橋先生のインタビュ−(popstyle115)を読んだ。
漫画の神様に愛された漫画家であり、世代を超えた大ヒットを生み続け、漫画界のみならず、1980年代以降のサブカルチャーに多大な影響を与えてきたと称えられる高橋先生は今年デビュー30周年を迎えたのだそうだ。

週刊連載は、「次週どうなる!」ってアドリブ的な部分が大切なので、あまり先を決めず、キャラの特性に合わせて自然に話が動いていくのだと先生は語る。
確かに「犬夜叉」を読んでいると、細かくプロットが練られているというよりも、大きな幹がどんとあって、そこに好きに枝葉をつけていく、時には辻褄が合わない部分があっても、強引に話を進めていくという雰囲気はあった。
ただし読む側としては、あまりに緻密に練り上げられた作品よりも、突っ込みがいのある作品で、そこがまた大きな魅力だった。

「犬夜叉」に関しては、一度お笑いじゃなく、因縁話というか、メロドラマを描いてみたかったのだそうだ。
さらにこれまで女の子キャラばかり注目されてきたので、男性(男の子、ではない)キャラクターを見て欲しかったとか。
だから犬夜叉や殺生丸は描いていて楽しかったとのこと、鋼牙は?

私が彼ら以上に魅力を感じた陰湿で魅力的な悪党、奈落に関しては「恋敵をネチネチいじめたい」と、支配より破壊を望み、「みんな死んでしまえ」というのが奈落、でも本当はだれかに愛されたかったのが奈落、と語られる。
「世界征服とか、私にはピンとこない」というのは奈落を単なる悪党ではない、深みのあるキャラにする上で大きな意味を持つ言葉だったと思う。

その他の作品についても具体的に語られる。

「うる星やつら」は、ゲストキャラのつもりだったラムが人気爆発したのは予想外だったが、「ラムみたいに明るく裏表のない性格は、自分からはかけ離れていますね。」とコメント。

「めぞん一刻」の響子さんは地雷だらけ?
完璧な女性じゃないところが響子さんの魅力だな、とは確かに始めて読んだ時から思っていた。
私は以前モデル?となった東久留米に住んだことがあるが、一刻館みたいな建物は、当時中野にあったのだそうだ。

「らんま1/2」では女の子の読者が増えた。
男の子から女の子への変身ものをやりたかった時に、ふと銭湯ののれんが頭の中をよぎって生まれたのがこの作品。

真ん中に大きく仕事場の写真が載っているが、残念ながらカセットテープやCDのタイトルまでは見えない。
平井和正「ウルフガイ」だけ辛うじて見えるが、消しゴムと洗濯ばさみがうちで使っている物と同じだった!それくらいか。

そして最後に先生の「最近のお気に入り」ベスト10の紹介。

1、阪神タイガース
野球に全く興味のない私にはちょっと辛い話題。
先生が購読中は読売新聞とか。
「よみうり新聞」で原画展とかやるのに、他の新聞名は言えませんよね(笑)。

2、鬚男爵
お笑いにも全く興味のない私にはこれも辛い話題。
でも先生に名前を覚えてもらえてうらやましいなあ。

3、鳥居みゆき
同じくわからないけど、うらやましい芸人さん。

4、ガラスのカエル
これならハンズあたりで売っていそう。
見つけたら絶対買います。

5、久住昌之原作、谷口ジロー作画「孤独のグルメ」
「月刊PANjA」に連載された異色グルメ漫画だそうです。
絵のうまさを絶賛。
ほかにうずた京介著「ピュ−と吹く!ジャガー」、やあずまきよひこ著「よつばと!」など。

6、シャトルシェフ 
真空保温調理器、お兄さんのお嫁さんから頂いたそう。
お料理もするらしく、得意料理?はラタトゥーユや煮豚など。

7、シークヮ−サー
沖縄特産の柑橘系果物。
ちなみに私はチュ−ハイが好きです。

8、宮古島の塩
秋になると旅行(鉄砕牙ツアー?)する宮古島で買ってくるとのこと。

9、畠中恵著「しゃばけ」
これは嬉しい!
しかももう一人好きな作家として京極夏彦氏の名前も挙げています。
「反魂」とか「骨抜き」とか共通キーワードも多いですもんね。

ちなみにその「しゃばけ」テレビドラマ化シリーズ第二段「うそうそ」が今年の冬に放映予定とか、京極作品「魍魎の匣」アニメ化決定とか、嬉しいニュースが続きます。

10、「さらば、わが愛/覇王別姫」
それにしても高橋先生の旺盛な好奇心には敬服してしまう。

「次回作は男の子に読んでほしい」と新作への意欲的なコメントに、知らず知らず心が浮き立つ一日だった。
(2008年7月21日の日記)
「高橋留美子展」に行って来ました
ブログに「とりあえず帰りに寄るつもりです」なんて書いておいて、なんでこんなに早くここにいるんだ?あたし達(笑)ってわけで、開店と同時に行って来ました、「高橋留美子展」。
銀座駅の構内のあちこちにもポスターが貼ってあって、忙しげに行きかうサラリーマンやOLもさりげなくちらっと眼を走らせてるし、中には立ち止まって写真撮る人も。
シンプルなのにインパクトあるよね、このポスター、などと松屋銀座に着く前からなんとなくうきうきモード。

エレベーターで会場の8Fまで一気に上がってしばらく進むと、出た!「ラムとパンダの巨大な看板」。
毎日新聞」や「読売新聞」によると、9時半から会場セレモニーが行われて高橋先生や山口勝平さんが出席されたとか。

入ってすぐに3〜5分くらい?のオープニング映像が始まります。

といっても短い物なので話も簡単。
あたるがあかねやかごめや女らんまにちょっかい出して、乱馬や犬夜叉、ラムの攻撃を受けるってそれだけなんですが、犬夜叉と乱馬が顔を合わせて「声が似てる」みたいなこと言うのがおかしいです。
さすがに響子さん&五代君のめぞん組は登場せず。
響子さんにナンパ(懐かしい言葉です)を迫るあたるに五代君激高とかあってもいいと思うんですけどね(笑)。
あたるが「メルアド教えて〜」とか言ってるのが新鮮です。

もう一度見たかったけど、人の流れに押されて最初の「うる星やつら」の部屋へ。
ここが一番人が多くて熱気も凄かった。
私は結局「犬夜叉」の最盛期(それもアニメの)しか知らないんですけど、おそらく「うる星やつら」の全盛期はそんなもんじゃなかったろうなって想像できました。
夏休みなので小中学生、親子連れが多いかと思いきや、「うる星やつら」連載当時にラムに胸ときめかしただろう世代の人が圧倒的に多い。

また、それぞれの原画の前で2人連れとかグループで来てる人は語る語る(笑)。
とにかく人波が動かないんです。
作品数も一番多かったんじゃないかな。

次は「めぞん一刻」の部屋。
こちらの呼び物は「再現された一刻館」。
響子さんの部屋は実寸でしたが、台所部分がなく、テーブルと戸棚とテレビと時計とくずかごと窓と部屋のドアと廊下、なので殺風景な印象。
小さな一刻館の全景が楽しかったです。
中野にあったという似た建物、見てみたかったです。
これらの資料は1年半の高橋留美子展が終わったら、どこかに高橋留美子記念館とか作っていつでも見れるようにして欲しいです。

私は高橋先生のカラーはこってり塗ったものよりも、パステル画のような淡い色彩の原画が好きなんですが、「めぞん一刻」の後期の原画が顔や雰囲気が一番好きでした。
途中で引き伸ばされた名場面があちこちに貼ってあって、めぞんでは酔っ払った五代君が近所迷惑顧みず、響子さんに愛の告白する場面や、怪我をした五代君と看病する響子さんの病院での寄り添うシーンとか。

続いて「らんま1/2」部屋。
天道道場の看板やお湯かけ用のやかん(っていっても普通のやかん)も飾ってあって、こちらはひたすらPちゃん探し(笑)。
そしていよいよ「犬夜叉」部屋へ。
「犬夜叉」の原画はお馴染みのものばかりですが、やはり原画で見ると雰囲気や質感が違いますね。
特に七人隊や鋼牙が懐かしかったです。
日暮神社の鳥居(犬夜叉とかごめの千社札が貼ってある)や犬夜叉の鉄砕牙のモデル?になった刀(本物ではない)など飾ってましたが、ここでの一番の目玉は、鉛筆で下書きした原稿。
他の原画はサンデー掲載の拡大版ですが、これは「高橋留美子」と「ぴよぴよ」がマーキングされた用紙に、最終話の表紙。

崖に立つ犬夜叉、かごめ、弥勒、珊瑚、そして七宝と群れ飛ぶ鳥たち(ぴよぴよと鳴き声まで聞こえてきそうです。)、それと次ページ弥勒と犬夜叉の妖怪退治の一場面。
あとは子供を産んだばかりの珊瑚に寄り添う弥勒とか。
正直言って、これ見ることができただけでも来た甲斐あったと思えます。
こういう完成する前の原稿とか、「犬夜叉」を描く際に参考にした資料とかもっと見せて欲しかったです。

何ていうのかな、私の中で原画展や新アニメ(原画展内での)自体はそんなに心浮き立つものではなかったんですよ、実は。
私が欲しいのは「物語」であって、特に最終話を読んだ後では。
実際に来てみて、原画やアニメそのものよりも(犬アニはまだ見てませんが)、ここに足を運んだ人たちの熱気というか、高橋先生に対する、その作品に対する想いがびんびん伝わってきて楽しかった。

終われば終わる作品もある。
けれど私にとって「犬夜叉」はいつまでも終わらない作品だ。
そしてここにいるたくさんの人たちにとっても「めぞん一刻」や「うる星やつら」などはいつまでも終わらない作品で、心の中に大事にしまってきたんだろうなってとっても嬉しくなりました。

他作品ではやはり人魚シリーズや「炎トリッパー」「笑う標的」などシリアス物が気になりました。
他の漫画家が描いたラムの中では北条司、青山剛昌両先生のが楽しかったです。
特に青山先生の、これまで敵キャラにお酒の名前使ってきたけど、ラムだけは使えないってコメントが楽しかったです。

いよいよアニメ部屋。
ところがここでがっかりすることが。
「犬夜叉」と「らんま1/2」のアニメが日替わり放映なのです。
両方見たければ、2日間通わなければならないわけ?

小さなスーツケースを手にした高校生らしき女の子はもう半泣き状態。
私はもう2,3回来るつもりなので問題ないけど、連れが「上映スケジュール壁に貼ってあったよ、確認したら?」と言ったのは、もう会場から出た後でした・・・。
でもアニメのらんまが終わって、またすぐにらんまが始まったので間違いないと思います。
それとも2本上映する日があるのかな?
今度確認してきます。

いつも乱馬のせいで?ひどい目に合っている八宝斉は仕返しに、乱馬に「春眠香」を嗅がせようとします。
これを嗅ぐと、春が過ぎるまで眠ってしまう羽目に。
ところが手違いで嗅いでしまったのはあかね。

実はこの春眠香、眠っていても戦えるように作られたもので、触れる人間を寝ながら攻撃。
しかも誰からも攻撃されないと、ストレスがたまり、悪夢に苦しめられてどんどん凶暴化するという恐ろしい香でした。
あかねを目覚めさせるためには「からい香?(字が不明)」をあかねに嗅がせるしかない、しかも潜在能力が100%発揮されてるあかねには正攻法では無理、口移ししか方法はない。
となればしゃしゃり出てくるのが久能蔭刀、八宝斉、五寸釘、そしてPちゃん(良牙)。

あかねを守りつつ目覚めさせようと苦闘する乱馬、そしてそんなあかねを救ったのは?ってお話です。
とにかく登場キャラが多くてあかねの家族にシャンプー、右京、天道道場の面々や学校の先生やクラスメート他。
確かに短い中にもおもしろさがきっちり詰まったラブコメです。
クレジット見逃しましたが、久能は辻谷さんでしょうね、BASARA長政っぽかったです。

あかねの悪夢はインディ・ジョーンズやランボーを意識したのかな?って感じでした。
あと「ヤッターマン」からか「100パー」なんて台詞が出てました。

最後は販売コーナー。
これでもかとばかりにグッズが並んでます。
まずはポスターと画集を買って、お菓子(おみやげ)買って、乱馬好きの甥っ子のために乱馬グッズ買って、めぞん好きのちょびのためにめぞんグッズ買って、自分のために犬夜叉グッズ買って、ずいぶん買ったつもりでしたが、周りを見ると、そこはまさに大人買いの世界(笑)。

画集3冊とかTシャツ5枚とか、カードボックスとか、大きな袋を2つも3つも持ってさっさと帰って行く人多数。
会場のそばにもブランドショップがあって、店員さんが「ここにも寄って〜」みたいな切なげな眼で見てるんですが、皆さん見向きもせずに帰って行きました。
もちろん私達も。

それから地下に寄って
・「メサージュ・ド・ローズ」の定番のバラ型ミルクチョコレートと、作品のキャラクターをプリントしたミルクチョコレートの詰め合わせ「Rumiko Takahashi チョコグラフィー」(5個入=2,100円、限 定500点)
・「BABBI(バビ)」の定番のチョコレートウエハース「ヴィエッネズィ」を「うる星やつら」「犬夜叉など4種類の限定ラベルで仕上げた「Rumiko Takahashi×BABBI アソートセット」(4個入=2,940 円)を買いました。
・「DEMEL(デメル)」のラムの角や稲妻をモチーフにしたチョコレートケーキ「ラムショコラーデントルテ」(直径13.5センチ=3,150円、各日限定10点)は売り切れでした。

私は買いませんでしたが、地下では他に
・「オートゥパティスリー」の星形のレモン風味のパート・ド・フリュイに、ジャスミン・ラム・青リンゴ・ミエル(はちみつ)味のアニマル柄マカロンを詰め合わせた「Lum マカロン」(1,365円、各日限定20点)
・「BABBI(バビ)」でもう1つラムをイメージした虎柄のポーチに、2種類の絵柄のラム限定ラベル「ヴィエッネズィ」をセットにした「Lum×BABBI アニマルポーチ」(2,940円)が売られています。
場所がわかりにくいし、店員さんもよくわからないようなので、あらかじめお店の名前を控えていった方が良いかもです。

とりあえずは週末にでもアニメ「犬夜叉」を見に行きたいと思います。
お土産(一部)」と「 デパ地下 スィーツ」と「犬夜叉と響子さんのポスター」の写真です。
(2008年7月30日の日記)
アニメ「黒い鉄砕牙」見て来ました
今朝「ズームイン!!SUPER」で「高橋留美子展」の様子が放映されていましたね。
高橋先生の声初めて聞きました。
勝平さんの犬夜叉声で「原画展なんてすげーな」も聞きたかったです。
やっぱりアニメ「犬夜叉」見たくて夕方のラッシュアワー、押し潰されそうになりながら今日も行ってきました「高橋留美子展」。
それにしても暑かった・・・。

最初に報告。
やはり「らんま1/2」と「犬夜叉」は日替わり放映でした。

 ・らんま 7月30日、8月1日、3日、5日、7日、9日、11日
 ・犬夜叉 7月31日、8月2日、4日、6日、8日、10日

で1話につき約25分。
一日中流しっぱなしになっているので、特に時間にはこだわる必要なありません。

さて「黒い鉄砕牙」ですが、私は迂闊にも完全オリジナルなお話だと思ってましたら、な、なんと(というか当然というか)原作よりの抜粋でした。

「黒い鉄砕牙」は、大体51巻あたりをアニメ化したものです。
冒頭シーンは、いきなり死神鬼が登場、華麗に消えていきました。
ただし冥道残月破に関する説明は一切なしです、「ああーっ!」とか「うわーっ!」とか叫びながら消えていくだけです。
残念ながらクレジットに声優さんの名前はなし。
誰かの2役かな?とも思いましたが、わかりませんでした。
50巻第5話「共鳴」をちょっとかすった程度です。

そして殺生丸の前に夢幻の白夜が登場します。
夢幻の白夜は殺生丸に鏡の破片を渡します(51巻第1話「妖の破片」)。
(神無と鏡の妖ちょっとだけ登場します、神無台詞はなしです。)
夢幻の白夜が出てきて喋り始めたのにはびっくりしました。
声は真殿光昭さん、弥勒と蛇骨の中間みたいなトーンの声かな?

私は「十二国記」の成笙しか覚えていませんでしたが、Wikipediaによると「らんま1/2 - 中国寝崑崙大決戦!掟やぶりの激闘編」の大白星他出演作品のものすごく多い声優さんでした。
いいとこのお坊ちゃんって感じの白夜です。
私のイメージだともう少し高い声、でしたが。

後は第6話「冥道」までの犬兄弟の死闘と共闘、そしてバラバラ奈落の犬の兄弟喧嘩みっちりねっちりじっくり観戦&ちょっかい攻撃が凄い迫力で描かれます。
奈落が白夜の眼窩に触手を突っ込むとこまで忠実です。
冥道残月破を吸収して黒く染まった鉄砕牙の美しさ、鳴り響く音楽、ここまで大げさだっけ?でもいいの!みたいな大死闘。
目がまん丸のギャラリーは相変わらずの映画顔ですが、切れ長な目の奈落と白夜、ギャグ顔の邪見と刀々斎の顔は良かったです。

犬夜叉も妖犬化して戻ってからの顔は綺麗でした。
でもなぜか殺生丸だけが最初から最後までひたすら美しく、ひたすら麗しく、なんだこの気合いの差は?と不思議なほど。
もう一度言います、さすがアニメです、原作では決して出せない戦闘の迫力と美しさ、そして音や声や音楽の豊かさです。
一言で言うなら、今回のアニメ、これが全てです。

かごめたちには冥道での死闘は見えない設定でしたが、アニメでは猛々映写機で巨大スクリーンを設置、冥道の中を逐一かごめたちに見せてくれます。
それから最後に犬夜叉が天生牙の光に導かれて斬るべき場所を見つけますが、アニメではそれに「犬夜叉!」と呼びかけるかごめの声も追加します。
どこかで見た展開です。
それからファンサービスでおすわり×2、おさわり×1が入ります。

邪見のアドリブ?や意外な琥珀の突っ込みも良かったですが、一番笑いをとっていたのは、なぜか殺生丸の「風の傷!」と「金剛槍破!」でした。
神無の鏡の破片をまとった天生牙で犬夜叉の技を奪った殺生丸、その技で犬夜叉に逆襲!のシリアス展開なのに冥道残月破はともかく風の傷とか金剛槍破とかいちいち言わなくていいんじゃない?
いえ一段とドスの効いた声で律儀に言うからおかしいのか。

もちろんアニメしか知らないファンには死神鬼とか冥道残月破とか「???」な展開でしょうが、それでもごり押しで魅せるだけの迫力とおもしろさを持った今回の「黒い鉄砕牙」でした。
終わってからそばにいた人と少し話したりしてとても楽しかったです。

きのう展示は見たので素通りして、最後のグッズコーナーも心の中で目をつぶって素通りです。
なんせきのう予算を決めていたとは言え、買いたい放題買ってしまったし、ストッパー役も今日はいないし、見れば欲しい物絶対出てくるし(涙)。
「高橋留美子ファン」に埋もれる感じが嬉しくて、毎日通いたい気分になってしまうひと時でした(笑)。
(2008年7月31日の日記)
「高橋留美子展」追記
8月7日付「ひとりごと」より。

          ☆          ☆          ☆

「高橋留美子展」今日も行って来ました。
今日で5回目です。
といっても晩御飯の支度もあるので、初日以外は1時間ほどですが。
なんか居心地がいいんですよね。
高橋先生の絵に囲まれて、ここにいるのはみんな高橋先生の作品が大好きな人ばかりだし。

でも「犬夜叉」最終話の下書き原稿があまりにもさりげなく置かれているせいか、気づかず素通りする人の多いこと!
思わず腕引っぱって教えたくなりました。
気のせいか外国の人が増えたような気もします。
「Black Tessaiga(黒い鉄砕牙)とか「Byakuya of the Mirage (夢幻の白夜)」なんて名前がぼんぼん出てきてました。

グッズも「犬夜叉」のポストカードばら売りや「めぞん一刻」エプロンなんかはすでに売り切れ。
次回は9日(土曜日)に入荷するそうなので、グッズ目的の方は土曜日が狙い目かもです。
「うる星やつら」が一番売れてるようですが、在庫の充実振りが凄いです。
きっと一番多く売れると見越して、他作品よりも多く用意したんだろうなあと思いながら眺めてました。
ここでの売れ方が、今後高橋留美子展が日本中を回る時に参考になるんだろうなあ・・・。

私も結局行くたびにこちょこちょ買い物してしまいます。
今日は「犬夜叉カップ&ソーサーのセット」。
もっと大きくてカップとお皿が別売りのバージョンもありますが(セットで5千いくら!!)、小さい方が気に入ったのと財布と相談の結果でした(笑)。
できれば土曜日か日曜日にもう1回くらい行きたいけど無理かもです・・・。

オリジナルスイーツですが、BABBIのラムの虎柄ポーチ付きヴィエッネズィは一時売り切れのため、8月11日まで予約を受け付けているそうです。
(会期後お渡し予定なので11日以降ってことでしょうね。)

原画展のための描き下ろしカットの中で、響子さんの格好をしたかごめ(スカート、エプロン、箒の3点セット)がとてもいいです。
(2008年8月8日の日記)
宴も終わり 〜「高橋留美子展」追記
「高橋留美子展」最終日、またまた行ってしまいました。
土日の後なので、結構すいているかなあと思っていたらとんでもない、初日以上に人の波。
最終日は5時で終わりであまり時間がなかったので、「犬夜叉」部屋を中心に見たかったのに、最初の「うる星やつら」部屋から人がみっちり詰まって動かないので、あせりつつも順番どおり「うる星やつら」→「めぞん一刻」→「らんま1/2」と大人しく見て行って、やっと「犬夜叉」部屋へ。

先日メールで質問を頂きましたが、犬部屋で拡大して貼ってあった名場面は4枚。

1、1巻第1話「封印された少年」よりかごめが眠っている犬夜叉に出会う場面。
 犬夜叉の耳を見て「さわってみたい。」と思うとこです。

2、13巻第10話「見えない軌道」より一時的に目が見えなくなって犬夜叉が怖い顔(半分変化)の殺生丸の攻撃を受け、「風の傷」を会得する瞬間。

3、18巻第7話「出会った場所」より現代御神木の前で犬夜叉への気持ちに気づくかごめ。

4、34巻第4話「小さな幸せ」よりママにもらった自転車を犬夜叉が壊してしまうとこ。

特に「出会った場所」の等身大、と言えば大げさですが、かごめは本当に好きな場面なので、立ち止まってしばし見入ってしまいます。
逆に「小さな幸せ」は楽しいんだけど、あえてこの場面を選んだ理由がわからない(笑)。

そうやって原画を見ながら歩いていると、最終日「らんま1/2」の乱馬の声ががんがん聞こえてきます。
でも思わず「あれっ、犬夜叉・・・?」
声優さんが同じなんで同じ声なのは当然としても、なんとなく乱馬より犬夜叉に近い演技のような・・・。
台詞がわからず、声のニュアンスだけだったら、「犬夜叉」アニメだと思っちゃうんじゃないかな?と思いました。

勝平さんもずっとずっと犬夜叉を演じてきて、乱馬は13年ぶりだと演技が犬夜叉寄りになるのも当然か。
年齢的な声の深みもあるんでしょうね。
でもあかねの声を聞いて「桔梗?」とは思いませんでした、キャラが違いすぎ。
初期の「犬夜叉」見直すと、けっこうあかねを引きずってるとこあるみたいですけどね。

それと久能先輩はやはり辻谷耕史さんでした。
こちらも思いっきりBASARA長政入ってました。
校長先生は大塚芳忠さんでした。
「BLOOD+」のジョージも素敵だったなあ・・・。

それからこちらも頂いた質問から。
「犬夜叉」の監督は青木康直さん、総作画監督は菱沼義仁さん、作画監督は中島理恵さん、脚本は隅沢克之さんでした。王道ですね。
音楽に関しては新曲がないなってイメージしか残ってないのですが、詳しい方がいらっしゃるので聞いてみますね、もう少しお待ち下さい。

そしてグッズ売り場。
もうポストカードとかほとんど残ってなくて、お菓子やストラップや、なぜかエコバックがたくさん残ってました。
やっぱり響子さんのエプロンはなしでした。
保存用のほかに実際に使う1枚欲しかったのになあ・・・。

そんなこんなで宴は終わり、疲れた足を引きずって最後に買ったグッズを抱えて一人帰るのでありました(笑)。
そういえば松屋のカード作ると、ラムとキューピーのコラボボールペンくれましたが、他の会場でも似たようなサービスするのかな?
他の会場でも開催するようですが、オリジナルスイーツがどうなるかも気になるところです。
それぞれの会場で独自のお菓子とか作られたら大変なことになりそうです。

追記。
夢幻の白夜のテーマは今回作られてなくて、白童子のテーマで代用していたそうです(Sさんより情報頂きました、ありがとうございました)。
(2008年8月15日の日記)
なんだか書きたいことがある 〜「犬夜叉」を振り返る
「犬夜叉」が素敵なハッピーエンドで完結して、これ以上「私の理屈」で語るは野暮、語らぬが花とずっと思ってきたけれど、しばらく時間を置いて高橋先生の原画展に行ったり原作を読み返したりしているうちに、やっぱり書きたいことがわらわら出てきた。
一番怖いのは読んで下さる方の最終話の感動を削ぐのではないかということ、これまで書いた繰り返しになるのではないかということだけど、私なりにもう一度「犬夜叉」を振り返ってみたい。

「犬夜叉」という作品は、例えれば500ピースくらいで完成予定だったジグソーパズルのようなものだったのではないかと思う。
けれどもっとパズルの数を増やして、完成までもう少し時間がかかるようにして、と頼まれて無理矢理58ピース増やすうちに形の合わない物が出てきたり、色が微妙に食い違ったり。
これではまずいと最後の最後に光り輝くスプレーをかけて、店頭に並べたような、そんな完成形。
さらにこちらもきらめく紗のベールをかぶって待ち構えていたような。

おそらく最後まで「犬夜叉」を読み通した読者は、多かれ少なかれそんな状態だったのではないかと思う。
そして確かに「犬夜叉」は、少々の破綻も圧倒的な感動で押し流してしまうような、そんな作品だった。

何度も書いたが、私はアニメが「犬夜叉」そして高橋先生との出会いだった。
もし普通にサンデーで第1話から読み始めていたら、正直ここまでのめり込んでいただろうかと思うことがある。
犬夜叉、かごめ、桔梗に出会い、少しずつ感情を重ねながら「犬夜叉」の世界にゆっくりじっくり浸っていく。
それが普通だろう。

でも私は最初アニメだけ見て「犬夜叉」っておもしろい、犬夜叉ってかっこいいって水すましみたいに「犬夜叉」の表面を泳ぎ回っていた。
思いついて原作コミック大人買いして一気読みして奈落と桔梗、蘇った2人の愛憎の泥沼に一気にはまった。
可愛い女の子とかっこいい男の子の恋模様だけなら、読んでいておもしろいけどそれ以上のものにはならない。

高橋先生おっしゃるところの「メロドラマ」の要素が私のような、少年サンデー対象世代をはるかに越えた(笑)読者を取り込んだのではないだろうか。
もちろん「もののけ」や「戦国時代」「タイムスリップ」といった要素も外せない。
もののけ好きにはたまらない、戦国好きにもたまらない、そしてSF好きにもたまらないおもしろさと突っ込みどころが満載な作品でもあった。
次回からはテーマごとに振り返ってみたい。
(2008年9月1日の日記)
やっぱり書きたいことがある 〜テーマ「輪廻転生」
果たしてかごめは桔梗の生まれ変わりだったのか。
はっきりした結論は出ないままに物語は終わってしまったが、犬夜叉の恋に限って言えば、かごめが桔梗の生まれ変わりかどうかはもう問題とはならないだろう。
犬夜叉は桔梗を桔梗として愛し、かごめをかごめとして恋した。

けれど翠子から続く巫女の変遷を考えた時に、翠子→桔梗→かごめの輪廻転生を考えた方が話としておもしろい。
原作で触れられているのはかごめが体内に桔梗が封印したはずの四魂の玉を持っていたこと、桔梗と同じ顔を持ち(漫画内ではあえて異なった描写をされているが、本当ならば楓や奈落、犬夜叉ですら見間違えるほどそっくりなはず)、巫女の霊力を持っていたことがまずあげられる。
他にも裏陶編でのかごめの中に桔梗の声が聞こえたこと、かごめの魂がかごめから桔梗に移り、桔梗が復活したことなどがあるだろう。

もうこれだけでかごめ=桔梗は間違いないと思っていいくらいのものだが、原作ではこの輪廻転生はその後触れられることがあまりなくなる。
犬夜叉の恋がややこしくなるのを避けるためか、生まれ変わり説はかごめの四魂の玉やタイムスリップ、桔梗復活に必要な要素だっただけに過ぎないのか、そこはよくわからない。

けれどもしも日暮神社のある地にかごめ、桔梗だけでなく翠子もまた生まれていたとしたらどうだろう。
平安時代から現代に至るまでこの地で生まれた女性の中で特異な霊力と四魂の玉に纏わる運命に巻き込まれたのがたまたまこの3人だったと。
翠子は珊瑚の里で死んで?いるが、もしも翠子がこの地で生まれて骨喰いの井戸を作ったのも翠子だったとしたら。
翠子は完全に死んだわけではなかったから、桔梗が死んでもその井戸は骨喰いの井戸としての力を持ち続け、かごめもまた意識するかしないかは別として、骨喰いの井戸をコントロールする。

翠子が桔梗に死魂を与え、かごめが桔梗を超えた霊力を爆発させる。
そう考えると、翠子が作品の中で時折己の意思を垣間見せながらも、ものすごく中途半端な立場にあったことが残念でならない。
四魂の玉の「意思」に四魂の玉の中にあってどう関わっていたのか。
鋼牙や宝仙鬼と四魂のかけらの関わりの中で、翠子はどうだったのか。

永遠の因果を求める四魂の玉の中の妖怪たちと共にいて、翠子の想いはどうだったのか。
もちろん想像することは簡単だけど、その辺はもう少し描写が欲しかった。
犬夜叉とかごめが主役で奈落と桔梗が陰の主役ならば、翠子と四魂の玉は裏の主役だと思うから。

あえて描かなかったというよりは、描く暇なく終わってしまったような唐突感が感じられる終わり方だったのが残念だ。
「めぞん一刻」でも響子の亡き夫総一郎は最後まで顔を出さなかったが、あれはあれで神秘的というかミステリアスというか、だからこそ裕作がかなわない重みのようなものを感じさせていたと思う。
けれど「犬夜叉」における翠子はそもそも四魂の玉を生み出した立役者、最後にちょっとだけ戦う姿が描かれるが、その後解放される姿とか、贅沢言うなら台詞のひとつは聞きたかった。

かごめの中に桔梗の魂はある、翠子の魂もある。
やすらかな眠りの中でかごめの幸せを共に味わい、共に生きている、そう信じたい。
私の中で翠子もまた、かごめや桔梗に優るとも劣らない大切な存在だから。
(2008年9月10日の日記)
まだまだ書きたいことがある 〜テーマは「高橋留美子」で(笑)
アニメで「犬夜叉」を見始めた頃、当然のことながら作者である高橋先生にも興味を持った。
虎縞ビキニのラムって女の子が登場する「うる星やつら」を描いた漫画家程度の知識はあったけど、ストーリーも知らなかったし、いつ頃発表された作品かも知らなかった。
高橋先生が何歳くらいかも知らなかったし、「うる星やつら」がどれほど人気がある作品かも知らなかった。

犬夜叉とかごめの掛け合い漫才みたいな恋模様を読み始めて、私の中で高橋先生はかごめと桔梗を足して2で割ったような性格、夢見るロマンティストなイメージが出来上がった。
ついでになんでだろ、おとなしやかな大和撫子みたいな。
さらに「めぞん一刻」を読んで響子さんがプラスされ、3で割ったイメージに変化した。
気は強いけど甘々な乙女ちっくな性格(笑)。

実際その頃宣伝用の差し障りのないコメント以外高橋先生のインタビューなど読む機会はなかったし、その手前勝手なイメージはかなり後まで引きずっていく。
「あれ?」と思ったのはサンデーを買うようになってから。
最終ページに読者からの質問に先生たちが毎週答えるコーナーがあって、意外とファンサービスな受け答えをする先生が多い中、「普通に」答える高橋先生が妙に目立っていたのだ。
好きなものは好きだけど、興味がないものは興味がない、読みようによっては身も蓋もないイメージ?
もちろん悪い意味ではなく、むしろ合理的で理性的、気持ちがいい、そんなイメージに代わって行った。

確かにメロドラマを描く上で、描く側がメロドラマに酔っていたらそれは非常に読みにくいものになる。
(小説でも映画でも、それっぽい作品は私はあまり好きではない。)
むしろ突き放して操って、そうしているうちに物語の方で勝手に動き始めたら、それは最高におもしろいものになるだろう。
なんて言ったらいいのかな、べたついた感動じゃなくて乾いた感動、乾いた、だけど豊かな感動。

そうしているうちに養老孟司氏と高橋先生の対談も読んだけど、高橋先生の内面に迫るというものではなかったように思う。
(養老氏の関心がそこになかったように思う。)
私はむしろ今回読売新聞に掲載されたインタビューを高橋先生の本音が聞けるという意味でおもしろく読んだ。

全体的な感想はすでに書いているので省略するが、最初に「えっ?」と思ったのは「(『犬夜叉』に登場する)妖怪はかなり『捏造』しました。」というコメント。
国語辞典で調べてみると「本当は無いことを、事実であるかのように作り上げること。でっちあげ。」と書いてある。
必ずしも悪い意味ではないのだろうが、「でっちあげ」という言葉からくるニュアンス、たくさんの事件(ゴッドハンドと称された人物やフジテレビで人気だったバラエテイー番組などは記憶に新しい)で「捏造」という言葉が使用されたことなどから、あまり印象のいい言葉ではない。

わざわざ「」で括ってまで使う必要はあったのか、と思った。
冗談半分ではなくあえて使われたのだとすれば、そこにどんな意味があるのかな?
なにか妖怪の生み出し方に自身の中で引っかかる部分があったのだろうか、と思った。
漫画雑誌でファン対象のインタビューではなく、高橋先生に関する知識や関心のない一般読者も読むであろうインタビューであえてこんな言葉を使った意味は?
これは残念ながらわからない。

次に「やられた!」と思ったのが「読者にはリラックスしてほしい、とにかく楽しんでほしいというのが一番の願いです。」というコメント。
こちとら「犬夜叉」に関しては底もないのに掘り返し、空の果てまで限度を越えて舞い上がり、大上段に振りかぶり、片意地張って息を切らしてなりふり構わず考察に走った身としては、犬夜叉の鼻にたどり着いた途端、指一本で弾き飛ばされた冥加気分(笑)。

基本はそうなんだろう。
漫画なんだから楽しめばいい。
けれど何もないところに何かを探したくなるのが「犬夜叉」だった。
今後も楽しい作品ならば楽しく読ませてもらうけれど、もしかしたら「犬夜叉」以上に喰らいついて離れませんよ、と突然ここで宣言したくなった。

そこで結論。
高橋先生は豊かな感性と相反する冷めた部分の両方持ち合わせている方なんだと思う。
今の私の高橋先生のイメージはファンの熱気に狂喜しない漫画家、嬉しく受け止めつつも惑わされない漫画家、だ。
だからこそ自身の作品に酔うことなく、踊らされることなく、時には強引に押し切るも、読者を納得させる技量も備えることができたのだと思う。
「何を今さら」と「うる星やつら」からのファンの方には笑われそうだが、私にとっては大きな発見、新発見だ。
それを踏まえて次回は次作品への期待を書いてみたい。

以前ある方から「えむさんの高橋先生に対する無条件の信頼がうらやましいです。」とメールを頂いたけど、私は先生にお目にかかったこともないし(笑)、それはやっぱり作品を通して得たものだ。
実際にどんな方かなんて会わない限りわからないし、それほど関心がない。
けれど作品に対して誠実ならば、それだけで十分なのでないかと私は思う。
(2008年9月18日の日記)
死が二人を分かつまで 〜テーマ「半妖」
これも以前書いたことだけど、ワンダースワンのかごめの夢日記か戦国日記か忘れたが、そこでかごめの「100歳になっても(犬夜叉と)一緒にいられたらいいね。」 という台詞を見つけ、驚いたことがあ る。
縁側で日向ぼっこしている老夫婦がいて、それが未来の犬夜叉とかごめというわけ。
半妖とは言え、犬夜叉がこれまで生きてきた年月と、犬夜叉がこれから生きていくであろう年月を考えた場合、かごめと重なり合う時間はごくわずか、とてもじゃないが「共に100歳」になるとは思えなかった。

でも私の中で大きな疑問とならなかったのは、原作に出てくる言葉じゃなかったからというより「犬夜叉」という作品自体が「戦国御伽草子」、いわゆるファンタジーだし、そんな細かいとこまで突っ込む方が野暮と思ったからだった。
ところがその後「人魚」シリーズを読み始めてその気持ちが大きく変わった。
妖怪のモデルや登場用語の由来以外の、いわゆる作品内容に対する考察を始めるきっかけになったのもこのことだったと思う。

不老不死の主人公湧太は年を取らないという部分で犬夜叉と重なる部分がある。
(もちろん犬夜叉は純粋な人間ではないし、全く年を取らないわけではない。)
しかし湧太は心惹かれる女性にめぐり会えても相手だけが年を取り、自分が取り残される残酷さ(自分にとっても相手にとっても)を恐れるあまり、寄り添うことをせず、避けるようにして生きてきた。

結局湧太が救われるのは同じ不老不死である真魚に出会ったから。
人魚の肉、不老不死といったテーマを扱ったこちらもSF、ファンタジーでありながら、「人魚」シリーズは「犬夜叉」に比べ、ずいぶん現実のリアルさを引きずっているんだなあと驚いた。
だとすると「犬夜叉」にそういった現実のリアルさが感じられないのは、高橋先生があえて触れなかった、描かなかったからなのだろうと当時思った。

ところが後で気がついたのが、「犬夜叉」にも人魚のリアルを引きずっているヒロインがちゃんと存在していた、もちろん桔梗である。
巫女として神格化され、人を愛することも思うままにならず、四魂の玉を手にしてしまったために、さらに思い責任を背負うことになった孤高の巫女。
桔梗は犬夜叉と出会い、恋をした時に犬夜叉のために、そして何よりも自分のために四魂の玉を使い、消滅させることを提案する。

犬夜叉が四魂の玉を使って人間になり、四魂の玉が消滅したら、桔梗は四魂の玉を守るという重い責任から解放される、同時に巫女としての力も責任も放棄して、ただの人間の女となって「犬夜叉と共に生きる」ことを望む。
描写はされていないが、この時桔梗はこれからの年月のことも当然考えただろうと思う。
少なくとも私が桔梗だったら考える。

このままだったらたとえ犬夜叉と結ばれても自分だけが先に年老いて、若いままの犬夜叉の前に老婆となった姿を見られることになるだろう。
共に年老いていくのならいい。
自分だけが、その残酷に私は耐えられるだろうか、耐えられまい。
けれど四魂の玉を使えば、犬夜叉が普通の人間の男になれば2人は共に年老いて、共に死を迎えられるだろう。

回想で語られる犬夜叉と桔梗の会話。
この時の桔梗はとても綺麗だが、その言葉は一見犬夜叉のためのようでいて、実は限りなく個人的な願いの羅列だ。
けれどそれは人として当然の想いであり、願いだ。
もしも桔梗が犬夜叉を封印した日に死んでいなくて、楓と共に老婆となって蘇った犬夜叉の前に現れたら・・・。

当然のことながらかつての恋人たちの恋が再燃することはないだろう。
それもまた残酷だが現実だ。

ではかごめは?
私が不思議なのはかごめがそういった桔梗を縛るあらゆるものに囚われていないことだった。
たとえば犬夜叉を侮蔑する言葉でもある「半妖」という言葉。
地念児や紫織のエピソードでそれがいかに陰湿なものであるかが語られるが、実際犬夜叉がかごめと行動を共にしていてそういった扱いをされる場面はない。

辛うじて敵対する妖怪や殺生丸に言われる程度。
不思議な着物を着て異国の言葉(に聞こえるだろう)を話すかごめにしたところで弥勒初登場編で少しだけ不思議がられるが、それ以外はどうこう言われる場面はない。
(もちろんこれは煩雑さを避けるためでもあろうが。)

恋をすれば霊力が薄れるとか、巫女だから人間にも妖怪にも疎まれる半妖と恋をするなど社会的にも認められないとか、そういったしがらみが全くない。
かごめだけなら戦国時代の人間じゃないからそんな「常識」を知らない=こだわらないと解釈もできようが、犬夜叉とかごめが出会う人々自体が全くそんな意識なしに彼らに普通に接している現状を見ると、つくづく桔梗の哀れを感じずにいられなかった。

無理して考えれば、改心した半妖をお供に妖怪退治の行脚をしている不思議な着物を着た特別な巫女(弥勒が出てからは法師も含む)の噂が広まって、犬夜叉に対する認識が改まったとか書けそうだが、さすがにそれはないだろう(笑)。

つまりかごめ、そしてかごめに出会ってからの犬夜叉は「戦国御伽草子」な世界に包まれて、自身がそのマイナス面を受けることはない。
そしてそれが「犬夜叉」のメインの世界だった。
その中で桔梗と、そして奈落だけが「人魚」のリアルにどっぷり浸かって引きずって足掻き続けていたのだろう。

桔梗ファンの方とメールなどで話していると、ほとんどの方が桔梗の凛々しさ、毅然とした美しさに惹かれているようだった。
けれど私は桔梗の哀れさに惹かれる、桔梗が引きずっている「現実の残酷さ」に惹かれる。

桔梗には最後まで生きていて欲しかったが、キャラとしての桔梗を考えれば、桔梗はやはり途中退場するべき存在だった。
なぜなら桔梗が生きていれば、奈落に引導を渡すのは当然桔梗の役目とならざるを得ないから。
しかし「犬夜叉」の主人公は犬夜叉とかごめだ。
奈落に引導を渡すのも、四魂の玉に結末を与えるのも犬夜叉とかごめでなければならない。

ならばやはり桔梗は途中で死ななければならない。
桔梗を悼むために、高橋先生は桔梗の幸せな、そして美しい最後を描かれたけど、それでもやはり「キャラとしての」桔梗は哀れだ。
そしてだから私は「現実」を生きた桔梗が好きだった。
哀れな存在でありながら、精一杯強く厳しく切なくそして美しく生きた。
多くの桔梗ファンが惹かれるのは桔梗のそんな部分だろう。

最初の文章に戻ろう。
「犬夜叉」を読んでいる限り、犬夜叉の前で一人だけ年老いていくかごめ、それを嘆くかごめなど考えられない。
かごめは年老いることもなく、何にも捉われることなく、幸せに、輝きながら生き続けるだろう。
それがかごめが生きている「犬夜叉」の世界だから。

高橋先生は「人魚」シリーズで生と死に捉われ続けるリアルな人間の姿を描かれた。
「犬夜叉」では「人魚」シリーズと同様に生と死の問題を抱えながら、それを意識しないファンタジー世界を眩しく生きる人間の姿を描かれた。
次回作はギャグ、なのかな?ラブコメ、なのかな?順番からすれば(笑)。
でもそれを終えたら、今度は生と死の問題を抱えながら、それを越えた人間の姿を描いて欲しいと思う。

その意味では「人魚」シリーズの続編(完結編)を望みたい。
湧太は真魚と出会うことで、ある意味完結してしまっているので(物語の中では狂言回しの役割を担っている)、難しいかもしれないが。

「犬夜叉」の桔梗や奈落もそうだが、私はどうしても前向きな明るいキャラより、その逆の弱さ暗さを抱いたキャラに共感しやすいタイプのようだ。
そんな私が痛烈にひっぱたかれた気がしたのが、最近読んだ宮部みゆき著「おそろし 三島屋変調百物語事始」だった。
結末の持って行き方が中途半端で続編でも出てくれないことには納得できない心持ちなのだが、それはそれとして目から鱗の台詞が出てくる。
それについては後日書きたい。
(2008年9月24日の日記)

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