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今頃ですが 「呪詛の仮面」 |
以前PS2で出たRPGゲーム「呪詛の仮面」、何度かプレイ日記など書いた気もするが、おもしろい反面飽きるのも早いゲームだった。 なにしろイベントの数が多く、全部見るには10回はクリアしなければならないし、ダルマに手足とまでは言わないが、立体化してむっくりした顔の犬夜叉たちがトテトテついて来るのがらしくない。 何よりもカットできない戦闘シーンにすっかり飽きて、2,3度遊んで後はほったらかしだったのが正直なところ。 ところが先日甥っ子が遊び出して、夢中になっているのをそばで見ていたら、これってとても良くできたストーリーなんじゃないかと思い始めた。 何よりも甥っ子の珊瑚への惚れっぷりが凄い(笑)。 いえ自分がゲームキャラになり切って切ない恋を体験できてしまうところが凄いゲームなのかもしれない。 男の子キャラと女の子キャラとどっちでも選べるので、たとえば女の子キャラ選択、好感度をあげるキャラは犬夜叉で。 すると休日を犬夜叉と2人だけで過ごすイベントが何度か入る。 そのうちに「私」の中に犬夜叉に対するほのかな恋心が芽生え始める。 そんな「私」をかごめもなんとなく気になる様子。 このイベントが犬夜叉と2人きりで薬草摘んだり水浴びしたりと、他愛ないんだけどとても楽しい。 原作ほどさっぱりしてもおらず、アニメほど濃くもない、ゲームの日常生活がさりげなくて、でもキャラが本当に魅力的。 けれど犬夜叉にはかごめがいる。 誰も気づかなかったかごめの不調を犬夜叉だけが気づく。 いたわる犬夜叉、嬉しそうなかごめ、そして見ていて辛い「私」はとうとう逃げ出す。 心配したかごめが追いかけて来て、「私」はかごめが本当にいい子なのを知る、けれど辛い。 再び逃げ出す「私」はやがて桔梗と出会う。 再会した仲間たちから犬夜叉と桔梗の関係を聞き、かごめもまた辛い想いをしていることを知る。 かごめにはかなわないけれど私はやっぱり犬夜叉が好き、やっとそんな自分と向き合う「私」。 その後も犬夜叉にお姫様抱っこされるなど、なんとまあと思わず赤面イベント盛り沢山(笑)。 最後の最後、唐突な別れの瞬間に犬夜叉に想いを告げるのだけど、その声はたぶん犬夜叉には届かなかった。 これが男の子選択で好感度キャラがかごめや珊瑚だと、逆に犬夜叉や弥勒に嫉妬したり、いい男っぷりと見せ付けられることになる。 これまでのゲームにもれず、名前を呼んではくれないけれど、「○○○、大丈夫か?」と自分の名前が台詞の中にちゃんとあるのも嬉しい。 (声では「大丈夫か?」だけ入って名前はカット。) 下手すれば原作を読んだりアニメを見たりするよりかごめや珊瑚のヤキモチに説得力を感じてしまうのは何故だろう。 私自身キャラのそういった部分に感情移入することはあまりないのだが、主人公が恋する過程が自分のことのように思えてくる、これは凄い。 普通の恋愛ゲームではなく、「犬夜叉」という原作が下地にあってこそだろうけど、まだ遊んでいない方には是非お勧めしたい。 もうひとつ、奈落と組んだ敵「ウツギ」の存在。 覚樹と名乗る老人(主人公が男の子だと老婆)が主人公の導き手だが、ウツギはかつて覚樹の伴侶だった。 しかしウツギは子供1人を残して若くして死んでしまう。 悲しみにくれる覚樹はウツギそっくりの人形を作り、「魂込めの術」で命を吹き込む。 蘇ったウツギもまた覚樹を愛するのだが、やがて覚樹はウツギの前で1人年老いて行くことに耐え切れなくなり、「化け物」と呼んで追い出してしまう。 ウツギは本当の人間になるために自分の子孫である主人公を戦国時代に連れてきて魂を奪い、覚樹の愛を得ようとしたのだった。 原作や「人魚」シリーズにも重なる素晴らしいストーリーだったと思う。 下手すれば私は他の映画やアニメオリジナル以上に良くできたシナリオだと思った。 惜しむらくはやはり立体化したことによるお茶目すぎるキャラと戦闘シーンの無駄に長いことか。 私の周りでもそれで飽きた人が多かった。 特に奈落と殺生丸は失笑するしかない。 逆に邪見や刀々斎はほとんど変わらないけど(笑)。 「十二国記」もそうだったが、いわゆる「ゲーマー」にはアラばかり目立つけど、シナリオさえしっかりしていればこういうゲームもいいなあと絶賛してみた次第。 特にアニメ絵部分のキャラの可愛らしさは絶品、アニメよりみんな性格良さそうに見えます(笑)。 (2008年9月26日の日記)
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「犬夜叉」を振り返る 〜テーマ「奈落」 |
奈落の最後の言葉 「わしはただ・・・ 桔梗の心が欲しかった・・・」 と高橋先生のインタビューでの奈落に関するコメント 「世界征服とか、私にはピンとこない。 『恋敵をネチネチいじめたい』という方がわかりやすいじゃないですか。 支配より破壊、『みんな死んでしまえ』というのが奈落。 本当は、だれかに愛されたかっただけかもしれませんけど」 を読んでから「犬夜叉」を読み直してみると、奈落に対する見方(特に初期)もだいぶ変わってくる。 たとえ奈落が強くて優しいいい人で、顔も火傷などしておらず、ちょうど医者の睡骨のような状況で(犬夜叉の前に)桔梗と会っていたらどうだったろうか。 それでも桔梗に愛されることはなかったかもしれないが、ここまで醜く恋焦がれる結果にはならなかったのではないか。 火傷など負っていなくとも鬼蜘蛛と名乗る野盗は性格が元々歪んでおり、桔梗に素直な愛を向けることはできなかったに違いない。 瀕死の重傷で動けぬ体を洞穴に横たえたまま、楓に桔梗への「想い」をぶつける鬼蜘蛛の描写があるが、あれは求愛というよりむしろ欲求だった。 むしろ体を妖怪に喰わせて魂を地獄に落とし、奈落として蘇ってからの方が、桔梗への愛の純度を高めていったような印象を受ける。 そして蘇ってはみたものの、いきなり桔梗は四魂の玉を封印して死んでしまい、奈落には目的のない生だけが残される。 弥勒の祖父と戦いを繰り広げ、最後は祖父の女好きを利用して逃げ去った後は人見家を乗っ取り、若君に納まったり珊瑚の里の退治屋たちを皆殺しにしたりと犬夜叉と桔梗の復活、かごめと四魂の玉の出現とリンクする部分はあるものの、その登場は極めて遅かった。 蘇ってから四魂の玉が出現するまでの50年の間、奈落が何をしていたかが非常に気になるところだが、弥勒の祖父との因縁は風穴出現のための布石で、むしろ生きる目的を見失って放浪していたと考える方が普通な気がする。 後で利用するために七人隊とか阿毘姫とか、幾多の妖怪や人間の情報を集めていたとか、妖怪による体作りの研究とか、分身を作るために魂込めの勉強をしていたかもしれないけれど(笑)。 そんな奈落が「犬夜叉」の物語が進むに連れて、生き生きと動き始める。 人の弱い心を操って愛し合う者に殺し合わせ、信じる者を裏切らせ、共に生きるべき者を引き離す。 けれどむしろ初期奈落の方が「桔梗の心が欲しかった」の最後の台詞がすんなり当てはまるように思う。 後期になると、桔梗を通り越して「愛を知る者」全てに対する怒りや恨みや憎しみや妬みや嫉みや、そんなものばかりが目立っていた。 だから私はかごめとの「あんたは・・・本当はなにがしたかったの?」から始まる問答や、奈落の最後の台詞に戸惑ったのだと思う。 桔梗に愛されなかった俺は桔梗に愛される犬夜叉が憎かった、普通に人を愛して普通に愛される全ての人間が憎かった、だから非道な手段で人の心を壊してきたのだと訴えて欲しかった。 最後もかごめの一言で目覚めることなく死んでいったが、 「あの世でも― 桔梗― おまえと同じ所には・・・ 行けそうもないな―」 なんて綺麗な台詞は不思議だった。 死んでしまったらそこには桔梗も何もない。 一度目覚めて無間地獄に落とされて、永遠に四魂の玉の中でさまよい続けることを運命付けられて、それをあえて受け止めて見せて欲しかった。 その上でかごめによる四魂の玉の消滅、本当の死を迎えて欲しかった。 それが奈落退場の王道だろう。 最終回はともかく、奈落の死の辺りはあまりに綺麗にまとまり過ぎて物足りなくあっけなく思っていたのだが、これもやはり作者が意図する以上に奈落が深みにはまり過ぎて、少年漫画の域を越えてしまったせいなのだろうか。 決してそうは思えないのだが・・・。 (2008年10月1日の日記)
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10月6日 「犬夜叉」を振り返る 〜テーマ「楓」 |
最初に「犬夜叉」に出会った頃、不思議なのが楓だった。 桔梗が死んだあの日、確かに桔梗は「犬夜叉にやられた」とは言っていないが、今まで大人しかった犬夜叉が村を荒らして四魂の玉を奪い、瀕死の重傷を負った桔梗に封印された。 さらに楓は犬夜叉が直接傷つけたのではないにしろ、その騒ぎの中で片目を失明した。 楓にとって犬夜叉は、ある意味敵ではなかったか。 幼い楓にとって全身火傷で動くこともできず、死を待つだけの野盗鬼蜘蛛が妖怪に体を喰らわせて蘇ったなどと、それほどの邪念、邪恋が存在するなどと想像できるはずもなし。 桔梗ですら「犬夜叉に化けた何者か」に考え及ぶ余裕はなかったのだ。 ところが50年後、かごめによって蘇った犬夜叉に対する楓や村人たちは、「あの日」より前の仕様もない悪ガキ程度の意識しかないようだった。 それがとても不思議だった。 実際PSで出たRPG「犬夜叉」では楓の村の人たちが犬夜叉に向ける台詞は「おまえのせいで桔梗さまは」みたいな憎々しげなものだった、当然だろう。 犬夜叉が楓の村と他の場所を行ったり来たりしながらいろんなエピソードをクリアして行くにつれ、その台詞も「おまえも案外いい奴だったんだな。」みたいな見直す台詞に変わっていく。 台詞を正確に覚えてはいないが、大体そんなニュアンスだったと記憶している。 楓だけは最初から原作と同じ悪ガキ扱いだったが。 その後も楓が桔梗に思いをはせたり奈落に複雑な感情を抱くことはあっても、その心情描写は希薄だった。 そこで私は結局楓はかごめと戦国、犬夜叉の50年前と現在、犬夜叉とかごめを結びつけるためだけに作られたキャラなのかと思った。 さらに犬夜叉たちに奈落=鬼蜘蛛の存在を知らせ、蘇った桔梗に桔梗が眠っていた間の出来事を知らしめる、ただそれだけのために。 けれどだんだん読み進むにつれ、描写されない楓が実は作品の中でしっかりした存在感を見せるようになった。 犬夜叉やかごめたちにとって楓の村は港であり、旅が終われば帰る場所。 同時に心の拠り所だったのではないか、そう思う。 犬夜叉でさえ、かごめや桔梗のことで悩みがあると、楓の元に行く。 何を言うわけでなくても、憎まれ口を叩くだけでもそばにいる、というより人間不信に陥っていた復活直後の犬夜叉でさえ普通に会話していた相手なのだ(怒鳴り散らしていた、と言い換えることもできるが、笑)。 野生の獣みたいに警戒感をむき出しにしていた犬夜叉が最初から気を許していた相手、それがかごめと楓だった。 さらに他作品を読んで、高橋作品の中で「老人」はいろいろな描写をされているが、とても重要な役割を担っていることに気がついた。 いくつかの例外はあるが、ほとんどの作品はいわゆる「ファミリードラマ」だ。 おじいちゃんやおばあちゃんに抱え込まれた腕の中で好き勝手に暴れる娘や息子、そして孫たち。 その確固たる基準は高橋先生のキャリアの長さによるものだろうか。 私はそんなに漫画を読む方ではないが、最近の漫画、小説、ドラマの中で「ファミリー物」と銘打っていない作品で「家族」をこれほど自然に意識させる物はあまりないような気がする。 家族より仲間、仲間より個、クールな方がかっこいいみたいな。 でなければ限りなく家族や仲間を意識させ、ひたすら熱いだけのような。 そんな中で高橋作品の魅力は、「自然な暖かさ」なのかもしれない。 そして「犬夜叉」における自然な暖かさの象徴が楓に思える。 けどやっぱり楓の感情や、楓との日常生活をもっと描いて欲しかったなと思ってしまう。 その意味でも前述したゲームで楓に始めて会った弥勒が、「弥勒です、よろしくお願いします。」と挨拶する台詞が嬉しかった。 生涯独身を通し、連れ合いも子供もいなかった楓、けれどある日楓に突然2人の孫ができる。 いつしか孫は6人に増え、最終話ではりんも加わって7人の孫(殺生丸も入れたら8人だ!)、さらに曾孫も3人、まだまだ増えそうだけど(笑)。 ペット(雲母)もできたし、時には茶飲み友達(冥加や邪見や刀々斎や)も遊びに来るだろう。 鋼牙も遊びに来るかもしれない、可愛いお嫁さんを連れて。 楓の幸せな3年後は、楓にとってはもちろん、私にとっても高橋先生からの大きなプレゼントだった。 (2008年10月6日の日記)
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「犬夜叉」を振り返る 〜テーマ「不思議な3年間」 |
以前各キャラの設定年齢が公表された時、一番気になったのがかごめの15歳と桔梗の18歳、その差だった。 それまで漠然と桔梗の死んだその日、もしくは誕生日から500年後なら500年後の同じ日がかごめの誕生日であり、桔梗の享年と同じ年になったかごめの霊力が目覚めたのだろうと思っていたから。 早い話が仮に桔梗が1500年10月10日が桔梗の生まれた日か命日(享年15歳)で、500年後の2000年10月10日がかごめの生まれた日か、15歳で霊力が目覚めてタイムスリップした日みたいな。 (具体的な年月日を出したけど、これは当てずっぽうです、念のため。) 最初はかごめ=桔梗の生まれ変わりが打ち出されていたし。 そこで今度はかごめの戦国時代での冒険が3年間でかごめが桔梗の年齢に追いついた時に何かが起こるのだろうと思った。 (奈落を倒すとか、四魂の玉が消滅するとか、かごめが現代に戻るとか、かごめと桔梗がひとつになるとか。) いずれにしてもその時が作品としての「犬夜叉」の終焉で全ての決着がつくのだろうと。 実際に終わってみたら、かごめが奈落と戦っていたのは1年にも満たず、残り3年間はかごめの高校生活に当てられた、これが不思議だった。 かごめの描写で現代生活は非常に希薄だったと思う。 確かにかごめもがんばっていたけど、戦国時代で冒険して時には怪我もしてただろうに、ほとんど心配の描写がされない暢気な家族。 これだけ理由をつけて学校を休んでいても問題にならない暢気な学校。 「肉づきの面」で家を壊された神社に関心も持たない暢気な社会。 もちろんこれが悪いと言うのではない。 作品中で、そんなことまで事細かに描写されてたら話も進まなかったし、おもしろさも半減してただろう。 心配のあまり戦国時代に行かせたがらず、いつも本気でかごめを止めようとする家族。 家庭訪問に来ても病気の生徒は家にはおらず、たまに登校しても見事に日焼けして健康的、そんな生徒を問題視する学校。 不思議な事件で現場の神社を調べてみたら、そこの娘はほとんど学校にも行かず、家にもいない。 しかもその近辺には凄まじい跳躍力を持つ赤い大きなツチノコもどきが時折目撃される、早速ワイドショーに取り上げる社会。 あれっ?それはそれで読んでみたくなってきた(笑)。 つまりそれほど重点を置かれていなかった家族の存在、高校の存在が、かごめを犬夜叉から引き離して現代にきっかり3年間留め置くほどのものだったのかと思う。 かごめの高校への憧れや、家族の心配がもっと明確に描写されていたら、なるほどと思う展開なのだろうが。 私はむしろ戦国時代での役目を終えたかごめが強制的に帰らせられる、もう戦国時代には来れなくなる、それでいいと思う。 けれど犬夜叉に会いたい、その気持ちが骨喰いの井戸を1度だけ開く、それが自然だと思う。 何のための3年間だったのか、きっかり3年間高校に通わせた高橋先生の意図は何だったのだろうか。 もしかごめに戦国時代に残るか、現代に帰るか、四魂の玉消滅の時点で一気に決めさせるのでは、かごめや家族があまりに可哀そうという先生の優しさだろうか。 それとも読者の予想を(良い意味で)裏切るためにはそれしかなかったのだろうか。 私は辛いことだとしても、その場でかごめが家族にきちんと別れを告げて、犬夜叉の元に飛び込んで行く展開の方が、より自然だと思うのだけれど。 そうじゃなくてもその3年間を高校生活に当てた部分が正直残念だった。 たとえ現代に戻されたかごめが当然高校に通ったとしても、それほど重きを置いて欲しくなかった・・・、というのかな? ところがこの「戦国時代で役目を終えた主人公が強制的に現代に戻される」って展開、先日取り上げたゲーム「呪詛の仮面」でやってしまっているのだ、実は。 (もちろんゲームの主人公は2度と戦国時代へは戻れない。) 穿った見方をすれば、ゲームにかごめの結末を先取りされてしまって、かごめの帰還に何らかの意味づけをする必要があったとか。 さらに少年サンデー対象年齢に合わせて学校生活の大切さとか、そんなものを重ね合わせたとか。 正直に書くと、少々蛇足に思えたかごめの3年間、それが私が最終話の感想で書いた「小さな不満」の最たる部分だった。 でも結局は圧倒的な感動の前にそんなことはどうでも良くなったんだっけ。 今かごめは幸せだ、今犬夜叉は幸せだ、それだけが私にとっても全てだ。 そんな「犬夜叉」最終話からもうすぐ4ヶ月になろうとしている。 未だにがっちり「犬夜叉」に囚われたままの私もなんとなく幸せだ、そんな気がする。 (2008年10月11日の日記)
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「犬夜叉」を振り返る 〜テーマ「ヒールの魅力」 |
★宮部みゆき著「おそろし 三島屋変調百物語事始」の内容に触れています。 以前「目からウロコの奈落論」で、メールで頂いた仮想世界と言えども奈落は悪であり、悪として成敗されるべき存在であるという読み方をされる読者の方を紹介した。 確かに奈落がどんなに悩もうと苦しもうと、そのせいで数え切れないほどの命が残虐な方法で失われた、その部分だけを取り上げるなら全くその通りだと思う。 ただあくまでも仮想世界と限定した上のことだが、主人公に敵対するキャラの魅力が作品のおもしろさにつながる部分もまたあると思う。 一般的に使われているかどうかわからないが、私は物語や映画に登場する「魅力ある悪役=ヒール」という言い方をよくする。 ものすごく悪かったり、ものすごく深かったり、ものすごく怖かったり、ものすごくかっこ良かったり(笑)、とにかく中途半端な悪党が相手だと主人公の強さ優しさそして正義も引き立たない(徹底的に中途半端だとそれもまたおもしろいけど)。 主人公のために敵キャラを嫌ったり怒ったり時には憎んだり、架空を越えてそこまでさせてくれるヒールこそ物語の核となる、少なくとも私はそう見る、そう読む。 奈落の場合はそこに葛藤やら恋心やらなにやらかにやらが付随するので、さらに陰湿かつ純粋な魅力が三分ほど割り増しされる。 ただこのメールを下さった方がたまたま男性だったこともあり、私の見方はいかにも女性的なのだろうかと時々考えていた。 メール友達もほとんど女性で見方が私と限りなく近い方ばかりなので、その辺がよくわからなかった。 そんなある日、宮部みゆき著「おそろし 三島屋変調百物語事始」を読んだ。 私は宮部物は全部好きだけど、その中でも現代物より時代物、少年主人公より少女主人公が好きなので「おそろし―」は待ちに待ってた快作だった。 この作品の中に、非常に気になる描写が出てくる。 ★以下作品の内容に触れる部分があります。★ ヒロインは許婚を目の前である男に殺される。 許婚が悪いのでもその男が悪いのでもなく、ただ運が悪かったとしか言いようのない巡り会わせだった。 あえて言うなら許婚の陽性の部分と男の陰性の部分、決して触れ合ってはいけない部分が最悪の形で激突してしまった、そんな殺しだった。 後になってヒロインは死者となったその男と再会する。 幽霊、と言うのともまた違うが、ある場所で囚われ人となっているその男のために、ヒロインは戦い、男の魂(と言って良いかどうかわからないが)を救い出す。 そのヒロインに向かって男を捉えていた者がこう言い放つのである。 ☆ ☆ ☆ 「あなたは人でなしの味方ばかりしている。 何ひとつ悪いことなどしとらんのに命をとられた『許婚』は、あんたの眼中にはなかった。 あんたが心を寄せるのは、人を手にかけるか、人を不幸にした連中ばっかりでしょう。 そいつらにはみんな、致し方のない理由(わけ)があったんだって、かばってやってね」 (注;『許婚』の部分には許婚の名前が入ります。) ―(中略)― 「なぜかと言ったら、そういう連中はあんたの仲間だからだ」 膝が震える。 男の言うことは正しくない。 正しくないけれど、間違ってもいないと、『ヒロイン』の心の隅で囁く声がする。 ☆ ☆ ☆ 確かに許婚がそこに囚われていないこともあったが、それ以前にヒロインが思い浮かべるのは、痛ましく思い続けるのは加害者である男のことばかりで、許婚のことなどほとんど心に残っていないようにすら見える。 実際読んでいても魅力があるのは陰気だけど誠実(に見える)な加害者の男の方で、殺される許婚は短気だけどいい奴なんだくらいで済まされそうな描写である。 もちろんヒロインは許婚のことを嫌っていたわけではなく、幼い恋ながらも好いていたのだが、それ以上に加害者となる男の方に気持ちがあったのである(必ずしも恋というわけではない)。 哀れなのはこの被害者となった許婚。 「『許婚』さんは、まるっきりの殺され損ですな。 あんたが『男』を許したいとばっかり思うもんだから、『許婚』さんの恨みと悲しみは棚上げだ。 胸が痛まんですか」 とまで言われるヒロイン。 もちろんヒロインの中では現実の出来事なのだから、私たちの奈落に向ける好意?などとは桁外れの悲哀に満ちているのだが、ここでヒロインが何と答えるか、とても楽しみに読み進んだ。 ところが・・・。 ヒロインは何も答えることなくその場を去った・・・。 「なにこれ!?」っと絶句してしまったこの結末。 続編を予想させる展開とは言え、あまりに尻切れとんぼな終わり方に、一番読みたい部分が消えてるなんて。 もちろん物語はこんな単純なものではなく、ヒロインに関わる人物も多様に渡っているのだが、それでもなお勿体ないなあ、辛いなあ、悔しいなあと地団太踏んでる、心の中で。 ずっとおもしろくておもしろくて、一気に読み進んで、最後の2,3ページでがっくり来るとは寂しいなあ。 前向きに考えれば、続編への期待も2割り増しに膨らんだと言えるのかもしれないが・・・。 (2008年10月13日の日記)
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7年目を迎えて |
早いもので「一陣の風」も6周年7年目に入りました。 子供だったらもう小学生? 毎年繰り返しても詮無きことながら、「犬夜叉記念日」の16日に開設したかったなあと。 準備が間に合わず、3日遅れの19日開設になってしまったのが未だに悔やまれます、って相変わらずしつこいです(笑)。 それはともかく今年は「犬夜叉」終了という大きな出来事がありました。 いつか終わるものではあるので、そうなった時に脱力しないようにと無闇にコンテンツを増やしてきましたが、正直言って最終話直後はまさにサイト閉鎖の危機でした。 性格的に突っ走っているうちはいいのですが、気を抜くとすぐ「ぐーたらの鬼」と化す人なので、もう「犬夜叉」に関して書くことないやと思った瞬間脱力しました。 「高橋留美子展」がなかったらたぶん未だに休止状態だったんじゃないかな・・・。 今は高橋先生の次回作が始まるまで「犬夜叉」に関して無理にでも書き続けようと思ってます。 義務じゃないしもちろん仕事でもないのになんでそんな無理矢理?と自分でも思いますが、やっぱり不肖のサイトではあっても可愛いです、ずっと続けたいと思います。 確か開設時は「一生続けるサイトを作ろう!」なんて気張ってた気がしますが(汗)。 「犬夜叉」って作品は私にとってそれほど大きな存在だったんだなあ。 同時にパソコン自体「犬夜叉」を知ってから本格的に取り組み始めたので、半分勉強みたいなものでした。 友達が増え、今年は好きな本やアニメやゲームや映画も一気に増えました。 今年「犬夜叉」以外では上橋菜穂子、京極夏彦、畠中恵、宮部みゆき各作品について語り合う友達が増えました。 それからゲーム(無双やBASARA)関係の友達も。 実はずっと憧れていたファンサイト(犬夜叉ではないですが)の管理人さんが先日縮小宣言をされたので思わずメールを出してしまったのです。 元々小心者でこちらからはなかなかメール出せない、出しても妙にかしこまった文章になってしまう人なので、すごい緊張したのですが、なんと今日お返事を頂きました。 これも6周年の素敵なプレゼントになりました。 それから虚脱状態に陥っていた私を励まして下さった方々、「たかが漫画」か「されど漫画」かで喧嘩になるほど議論してしまった方、寂しいけれど「犬夜叉」卒業宣言のきっちりした挨拶メールを下さった方、そして「えむさんと同じく犬と十二と三と少佐と池波が好きだ〜!」っと絶叫してくださった方(蟲もよろしく!)、ご自身のサイトで当サイトを取り上げてくださった方々、「犬夜叉は永遠に不滅です!」と名言を残して下さった方、本当にありがとうございました。 もちろん遊びに来て下さった方々にも感謝の気持ちでいっぱいです。 いつまでたっても発展途上な「一陣の風」ですが、これからもよろしくお願いします。 8年目を迎える頃には高橋先生の新作も始まっていることを信じて。 (2008年10月19日の日記)
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1巻を読み返すー1 |
「犬夜叉」が終了して約4ヶ月。 時折コミックを取り出して飛ばし読みなどしていたが、結末を知った後ではまた別な感想が出てくることに気がついた。 一番大きく変わったことは、話は大河の如くねじれ、曲がり、膨らみ、澱みながらも、中心は「犬夜叉とかごめ」、この2人からひと時もずれたことがないということ。 時には四魂の玉が主人公と思ったり、時には犬夜叉が桔梗と共に滅びる未来を想像したこともあったが、結局四魂の玉も桔梗も奈落も、犬夜叉とかごめのために存在する者(物)たちだった。 もうひとつ、ずっと大好きだった「犬夜叉」ファンサイトさんでは毎週のサンデー感想の他にコミック感想も書かれていた。 ストーリーを追うだけのサンデー感想と、ある程度まとめて読むコミック感想、内容は同じなのに、どうして別の感想が出てくるのだろうと不思議だった。 今さらという気がしないでもないけれど、私も挑戦してみようかと思う。 全56巻、終わる頃には新作も始まっているかな? さて1巻、登場妖怪は百足上臈、屍舞烏、そして逆髪の結羅。 犬夜叉が桔梗の村を荒らし回る場面から物語は始まる。 解決しない謎は、桔梗を死に至らしめたのは誰だと楓たちが思っていたかということ、楓の目のこと、そして桔梗が何故犬夜叉を殺さなかったかということ。 楓たちはこの時点では犬夜叉が封印されただけとは気づいていなかったのか。 かごめが戦国時代に現れた時点では「永遠に解けぬはずの封印」と楓の台詞があるので、殺したのではないことを皆知っているようだったが。 桔梗を傷つけたのは犬夜叉だと皆が思えば話は手っ取り早い。 楓の目も犬夜叉が暴れたせいだろう、間接的に犬夜叉が傷つけたとも言える。 その割りに犬夜叉が目覚めた時の、楓たちの犬夜叉に対する態度が解せなかった。 相変わらずのうつけ者、それが楓の犬夜叉への評価。 厄介だけど憎めない、嫌いではない、そんな感じ。 では楓たちは犬夜叉が桔梗を殺したのではないことを知っていたのだろうか。 桔梗が殺さなかったことで「犬夜叉は悪くはない」と判断したのか。 「犬夜叉」が高橋先生との出会いの私、高橋作品の雰囲気もわからず、シリアス一辺倒だと思っていたので首をかしげた。 後になって、高橋先生はこういった細かい部分、リアルな部分も、物語のおもしろさやスピード感を削ぐと思えばあっさり削る漫画家なのかと思い始めた。 多少強引な展開でも辻褄が合わなくてもおもしろければいいみたいな。 作品自体シリアスとギャグの絶妙な組み合わせの上に成り立っていたし、小さな破綻は押し切ってしまう勢いもまたあった。 「へえ、高橋留美子っておもしろい・・・。」 もののけや戦国時代やタイムスリップの要素と共に、キャラの魅力や会話、行動のおもしろさにどんどんハマった。 ずっとアニメばかりでその後一気に大人買いして読んだせいもあっただろう。 七人隊が出るあたりまではコミックなしで読めるほど夢中で読んだ(さすがに今は忘れた)。 とりあえず犬夜叉は蘇り、四魂の玉も復活するだろうが、桔梗はもう出てこないだろう、そんな風に思っていた当時の私、まだまだまだまだ甘かった(笑)。 (2008年10月22日の日記)
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1巻を読み返すー2 |
そういえば四魂の玉ってかごめの体から出てきたんだっけ。 けれど桔梗の場合は体内から出てきたわけじゃないんだな。 「翠子の木乃伊のある」退治屋の里の、珊瑚の祖父が桔梗に預けたものだった。 その時点で翠子の木乃伊の胸に、桔梗が清めた四魂の玉を戻していたらどうなっていただろう。 四魂の玉は消滅、翠子は見事成仏してそこで話が終わっていたかも。 そんな話は置いといて、かごめが桔梗の生まれ変わりであることは間違いないだろう。 四魂の玉が桔梗の中から出てきたのではないことから、桔梗は翠子の生まれ変わりではないだろう。 そんな気がする。 桔梗が翠子に願って?死魂を手に入れた時のことが気になる。 どこか他人行儀というか、同志ではあるけれど同一ではない、そんな気がした。 ではかごめは? かごめに関しては曲がりなりにも骨喰いの井戸をコントロールしていることが気になる。 前にどこかで書いたけど、私は翠子もまた日暮神社のあるこの地で生まれたと思っている。 桔梗が死んでもその機能を果たし続けた骨喰いの井戸、それは翠子が作ったものだと思っている。 そしてその井戸を開き、閉じ、再び開いたかごめの力。 かごめは翠子の生まれ変わりでもあるのではないかと思っている。 そうなると前に私がこだわったかごめと桔梗の、大きな意味を持たなかった3年間は、むしろ翠子に重なり合っていたのではないだろうか。 かごめは翠子の生まれ変わりであり、桔梗の生まれ変わりである。 桔梗は日暮の地に生まれてしまったために類まれな霊力を持つ巫女のひとりとなり、四魂の玉を巡る因縁に巻き込まれてしまう。 「ただの生まれ変わり」ではなかったはずなのに立ち消えてしまったかごめと桔梗の力の差は、こんなところにあるのではないかと思う。 「犬夜叉」は本当に不思議な作品だ。 何も考えずにパソコンに向かっても、どんどん書きたいことがあふれ出してくる。 これは「犬夜叉」が答えのない作品だからではないだろうか。 何度か読み返すうちに、かごめ、桔梗、翠子の関係を高橋先生がそれほど緻密に設定していたとは思えなくなった。 3人の少女の関係に限らずだが、背景があってそれをあえて表現しないと言うよりは、元々そこまで考えていないから読む側がいくらでも答えを探せる、肉付けできる。 「犬夜叉」にはそんなおもしろさがある。 でも決していい加減なのではなく、高橋先生の感性、感覚のおもしろさなのだろう。 ところでアニメの第1話だが、桔梗が犬夜叉を封印する場面の戦国時代の日暮神社がものすごく立派だ。 というより犬夜叉と桔梗がわざわざ現代に出張して来て封印場面を演じて見せたみたいな(笑)。 あれは一体なんだったのだろう、未だに謎だ。 アニメが「犬夜叉」との出会いだった私はそれがそのまま戦国時代の日暮神社と誤解して、楓や村人たちの家とのギャップが不思議でならなかった思い出がある、懐かしい。 (2008年10月31日の日記)
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1巻を読み返すー3 |
犬友Yさんがアニメオリジナルの有名なシーン(小舟の上の犬夜叉と桔梗、その後の抱擁)にストーリーをつけてくれたのを読んでいて、ふと生前の桔梗と犬夜叉について疑問を感じたことを思い出した。 たぶん当時の考察日記には書いてないか、書いても削除したと思うが、ちょうど1巻も関係あることだし、今回は「生前の桔梗と犬夜叉の関係」をテーマに書いてみたい。 あのオリジナルは数あるオリジナルの中でも秀逸だと思う。 その描写の美しさ、いかにも犬夜叉らしく、いかにも桔梗らしい恥じらいや初々しさや儚さや。 もしも何事もなく2人が結ばれていたら、原作でも描かれるだろう、それほど素敵な場面だった。 (あれほど何度も何度も繰り返されなければ、の但し書きがついてしまうけど。) ただあの場面を見た時、あれは絶対なかったな、と思ったことも覚えている。 1巻を読んでいて第6話「逆髪の結羅」のかごめが裸で川に入っている場面、犬夜叉が見ている。 怒ったかごめがおすわりを喰らわせて犬夜叉は落ちて来るのだが、のぞかれたと怒るかごめに犬夜叉は何言ってんだ?みたいな反応を見せる。 四魂の玉が気になって、かごめどころではなかったのかもしれないが、仮にも桔梗と見間違えるほどそっくりな娘が裸で水浴びしているのを見て、恥らうことも喜ぶことも(それは弥勒!)照れることもやましく思うこともなく平然としている犬夜叉。 ここで「あっ、この子(犬夜叉)幼いな。」と思った。 母君が生きている間は虐げられながらも人間社会でそれなりに暮らしていただろう。 けれどそれは本当に子供の頃で、母君が亡くなると、人間社会を追い出されたのだと思う。 逆に冥加や刀々斎が迎えに行ったと考えられないこともない。 母君が持っていた守り刀(鉄砕牙)を父君の骸の中に納める存在が必要で、少なくともこれまで出てきた妖怪の中ではこの2人しか思いつかない。 そこに宝仙鬼や朴仙翁が加わって「子育てプロジェクト」が開始される。 けれど半妖であることを強く意識させられた犬夜叉は物心つくと彼らの元からも飛び出す。 初登場時の冥加や刀々斎の犬夜叉に対する反応を見ていると、どうしても「何百年ぶり」という言葉が浮かんでくるし(笑)。 何百年という長い年月を1人きりで暮らしてきた犬夜叉ならば、異性に対する意識などもなくて当然と思えてくる。 そんな犬夜叉が桔梗に出会った。 原作を読む限り、犬夜叉はまるで子犬のように真摯に、ひたむきに桔梗を想っているように見える。 犬だから犬属性っぽく思えるのだけれど、これはもちろん犬夜叉を馬鹿にしている訳じゃなく、本当にそう見えたのだ。 異性に対する意識が生まれる前の犬夜叉と桔梗の関係だった、そう思う。 犬夜叉と桔梗に本当の恋が生まれるのは、むしろ桔梗が復活してからだろう。 「犬夜叉は変わっていた」から。 ああ別のエピソードになるのでこの部分は後回しにしたい。 ストイックな恋、プラトニックな恋、言い方はいろいろあるかもしれないが、私にはどうしても「恋」には見えなかった。 そして当時で18歳、十分に大人であった桔梗には、そんな犬夜叉の心がわかっていたのではないだろうか、そう思った。 桔梗はおそらく犬夜叉が「恋」に目覚めるまで、自分の想いをひそやかに胸に秘めていた、待っていた、そんな気がする。 だからこそ桔梗が死に、犬夜叉が封印されたあの日、桔梗は犬夜叉が桔梗を裏切るはずはないと信じることもできず、同時に犬夜叉を殺すほど憎むこともできず、死んで行ったのではないか、そう思う。 それでも抑えきれない葛藤が犬夜叉の眠る森を瘴気で包んだ。 ただこの森の瘴気は、必ずしも桔梗の葛藤と決め付けるわけにはいかない。 退治された妖怪の埋葬場所である骨喰いの井戸があるのだから、妖怪たちの怨念が瘴気として残っているかもしれないし。 けれど桔梗的には、そして私的には桔梗の瘴気であった方が絶対かっこいいと思う。 まあ最初漠然とそんなことを思ったわけだが、次にこのことを思い出したのは裏陶編、桔梗復活の時だった。 (2008年11月8日の日記)
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1巻を読み返すー4 |
裏陶編を読んだ時、蘇った桔梗の激情に驚いた。 恋をして霊力が弱くなるどころか、素手で裏陶はともかく犬夜叉をも攻撃してくる桔梗。 かつて瀕死の重傷を負っていたとはいえ、犬夜叉を詰問することなく、殺すことなく封印するに止めた桔梗。 そこには怒りよりもむしろ悲しみとあきらめと、「巫女としての責任を捨てて私情に走った償い」と「これ以上四魂の玉に惑わされる者が現れぬよう、最後の務めを果たす覚悟」が感じられる。 その哀しい静けさと裏腹な桔梗の激情、驚いた。 アニメ感想には「裏陶の卑しい心が桔梗の体に練りこまれてしまったのか」なんて書いているが、これは当時アガサ・クリスティ著「ホロー荘の殺人」を読んでいたせいだった。 この作品にはある女性彫刻家が登場するが、彼女は理想的な女性モデルを見つけ、彫像を作り始める。 しかしそのモデルは容姿こそ美しかったが卑しい心根の持ち主で、彼女との会話の中で彫像にその卑しさが練りこまれてしまったと感じた彫刻家は迷うことなくその彫像を壊してしまうのである。 一見ストーリーには関係ないように見えるが、事件の謎を深める上で、この彫刻家の女性の性格が果たす役割は大きく、このエピソードは大切な伏線となっている。 桔梗の場合はこれとは逆に、「桔梗」を形作るうちに裏陶の卑しい心根が「桔梗」の中に練りこまれてしまったのかな?と思ったわけだった。 今読み返すと的外れもいいところだけど(笑)。 で、桔梗の激情である。 前回書いた流れからすると、むしろ蘇った犬夜叉とかごめへの嫉妬と考えられないだろうか。 たしかに桔梗は空ろな人形と化しているが、かごめのそばに座り込み、犬夜叉に自分の名を呼ぶなと懇願している。 犬夜叉が来る前にかごめの中で目覚めた桔梗は、目の前に自分とそっくりの、自分の魂を持った少女を見てしまう。 桔梗がかごめの意識と同化しなかった(かごめの経験を自分の物としなかった)ことは、後で楓の元へ事情を聞きに行ったことから容易にわかる。 しかし、桔梗はかごめを見たことで何故犬夜叉が目覚めたか、つまり誰が犬夜叉を目覚めさせたか、そして誰が犬夜叉をこのように柔らかい雰囲気に変えたか気づいたに違いない。 孤独に眠る自分を差し置いて、自分の生まれ変わりの少女と幸せに生きる犬夜叉を見てしまった桔梗の憤りが、あの激情を生んだと考えるとすんなりまとまると思うのだがどうだろう。 などと書いてきたけど、かごめには見向きもせず、犬夜叉にだけ激情をぶつける桔梗を見ていると、やっぱり違うのかなあと思ってしまう。 同時にこの後のかごめへのむき出しの嫉妬を見ていると、やっぱりそうなのかなあと思ってしまう。 ただその桔梗を怨念の固まりとしてしまうのには賛成できなくて、この頃から「犬夜叉」という作品に、漫画を越えて一気にのめり込んだ。 まあ1巻から5巻の蘇った桔梗の場面に一気に飛ぶと、こんな理屈も通るかな?と思えるが、理屈が通るだけではつまらない。 5巻にはもう1ヶ所、大切な場面がある。 「おぬしとおねえさまの間に・・ 真実何があった?」 楓の問いに答える犬夜叉の回想で描かれる桔梗。 それまで描かれたどの桔梗より美しい「やっぱり・・・私らしくないか・・・」と呟く桔梗。 二人の間に恋はなかったかもしれないけれど、魂の結びつきは確かにあった。 そんなことを考えていたせいか、とんでもない夢を見た。 蘇った桔梗が「らんま」のあかねの口調で「なんで四魂の玉をこんなにしちゃったのよ〜!」と怒鳴りながら犬夜叉に馬乗りになってぽかぽか叩いてた。 せっかく苦労して封印した(あの世に持ってった)四魂の玉をまた出してきて、しかも粉々に砕いてしまったんだもの、桔梗が怒るのも当たり前だなあと思いながら私は見ていた。 そして四魂の玉を持ち込んで砕いた張本人、かごめは七宝と一緒にこそこそ隠れてた。 雷獣兄弟飛天満天の場面だった。 なんだかとってもお得な気分だった(笑)。 (2008年11月15日の日記)
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