|
1月9日「ダ・ヴィンチ」高橋留美子インタビュー2 |
命(死)を描く時、特に気をつけていることは、特に人魚シリーズにおいて、「生き方」を描くという事に主眼を置いたつもりです。 湧太は不老不死ではありますが、湧太は普通に死にたいのであって、別に死に憧れているわけではない。 各話の人魚の肉に関わる人々は何をやっても、不老不死の湧太が「おれはこう思う」と言う事で、 それなりにバランスの取れた話になつのでは、と思いました。 私が不老不死について考えたのは、たぶん「かぐや姫」を読んだ時が最初だと思います。 そんなに不老不死になりたい?と不思議に思いました。 まだ老いや病を意識しない子供だったとしても、不老はともかく不死を何故欲しがるのだろう。 実際問題として事故や病気で唐突に人生を断ち切られることは辛く、怖いことではありますが、 だからといって永遠に生き続けたいと思う人はいるのでしょうか。 私が不老不死と究極の幸福と捉えない人物の登場する物語に出会ったのはたぶん人魚シリーズ。 いつまでも若くいられたらそれは嬉しいけれど、そうなったらそうなったでどのように死を受け入れる ことができるのでしょうか。 老いるという事は、ある意味死を迎え入れる準備に入るという事なのかもしれません。 でも現在のような状況にある私たちは、特に病や事故などで命を奪われることがないよう、 それは望んでしまいますね。 「不老不死」という言葉は、高橋さんが人魚シリーズを描く前と後では随分意味合いが変ってきたように 思えます。 次の質問は 「(湧太は)死に憧れているわけではない。 一応、人と関わって生きている」とのこと、人と関わることが生きることと密接に結びついていると 考えているのか。」です。 リアルに考えると、逆に人と関わらずに生きて行く方が難しいと思いますが・・・。 この後も答えは続きますが、まずはここまで。 これは前の質問対する答え、湧太は人と関わって生きていることに関する2度目の質問ですね。 書面による2度のインタビュー、このような形で深めていったのだと思います。 湧太は基本的に1ヶ所に長期間滞在できません。 もちろん年単位ではありますが、何年経っても成長することも老いることもなく変らないままです。 定住を続けたらどうしても不信感を持たれるでしょう。 特に現代に近づくにつれ、どこに住むにも「自分」を証明する諸々の物が必要になって来ます。 極端な話をすれば、アパートを借りるにも、仕事をするにも自分であることの証明がいるのです。 ただ、作品内で湧太は日雇い仕事のようなことをして生計を立てています。 あまり詮索されないような場所ですね。 それに湧太や真魚はよく物を食べていますが、お腹がすくんでしょうかね。 食べなきゃ食べないで生きていけそうですが。 話がそれましたが、自分を証明する必要がない場所でなら、湧太も真魚も普通に生きていけそうです。 湧太は人を嫌っている感じはしないですしね。 不老不死であることがばれない範囲でなら普通に生活できると思います。 湧太に限って言えば、人魚を捜しているのだから情報収集のため人と接しなければならないし、 人と関わることで感情が動いたり考えたり、それが救いになったり。 人と関わる=心が動く、それが彼にとっては大切な事なのかもしれません。 人と関わって心が動くことが、必ずしも湧太にとって救いとはなっていない、むしろ辛いことが多いような 気もしますが、それでも湧太には必要な事なのでしょうね。 湧太にとって本当の救いは、真魚の存在であると私は思います。 余談ですが、今Wikipediaを読んでいたら、1989年(平成元年)にラジオドラマが製作され、湧太を野口五郎さん、 真魚を島田歌穂さんが演じたとあるのに驚きました。 聞いてみたいような怖いような・・・。 (この項続く) (2021年1月9日の日記)
|
2月12日「まんが王国」高橋留美子インタビュー 2 |
昨年12月18日放送のTOKYO FM「まんが王国 presents 世界はまんがで出来ている!」
の高橋さんインタビュー続きを書こうと思ったのですが、メモは取ってあるものの、読んでも意味が
わからず、内容もすっかり忘れてしまいました。 コロナ渦の中での仕事の仕方について、「ダ・ヴィンチ」では (月)夜10時から電話でネタ打ち合わせ (火)(水)夜11時から午前6時までネーム、担当にFAX送る (木)朝にはネームがアップしているので下絵やペン入れをすすめます (金)夜から原稿 (日)朝原稿アップ (月)夕方バイク便が原稿取りに 最初に戻る このように答えていらっしゃいます。 自分で書いたメモとはちょっと違うような気もしますが、間違えてしまうと大変なので、 ここまでにしておきますね、ごめんなさい。 最後に好きな漫画?お勧め漫画?として 「ゴールデンカムイ」「進撃の巨人」「女の園の星」を紹介。 後半いろいろ端折ってしまいましたが、高橋さんがお笑いがとことん好きなことはよくわかりました。 お笑いこそが漫画のネタの源であり、エネルギーの源であり、モチベーションの源なんですね。 これからもお元気で、素敵な作品を描き続けて頂きたいと思います。 (2021年2月12日の日記)
|
2月24日「ダ・ヴィンチ」高橋留美子インタビュー3 |
ラムとあたるや、犬夜叉とかごめなど種族をこえて交流させることについての思いに関してです。
漫画だから色んなデザインのキャラが一杯出たら楽しいという事です。 確かに御自身でおっしゃる通り、ミもフタもない言い方ですが(笑)、漫画家「高橋留美子」の 際立った特徴として認識されている強みはありますよね。 りんねと桜、摩緒と菜花、乱馬とあかねもそうですし。 個人的にもファンタジー要素、SF要素が加味された物語が好きなので、それもあって高橋作品が 好きなのかもしれません。 その対極に「高橋留美子劇場」がありますが、平凡な日常を描いていてさえ、凡人とその対極に いる人物との交流、というより対比が描かれていると思います。 高橋さんの青年漫画と少年漫画はまさに同じテーマで同じ器でありながら平行線をたどる世界の ようなものだと思っています。 次の質問はまさにこのことで、少年漫画においては違うタイプの人々が喧嘩をしながら楽しそうに交わっている。 その一方で大人向けの短編ではコミュニケーションの難しさとその中にある救いも描いている。 高橋さん自身のコミュニケーションの取り方や考え方は、作品にどう反映されているかという質問になりました。 年を重ねるごとに、「言わなきゃわからない事はたくさんある」と思うようになりました。 逆に作品ではそれが出来ないから起こる悲喜こもごもを描くという感じです。 確かにその通りですが、私自身はは「言わなきゃわからないことを言わなくなって来た」ように思います。 でも言わないことで起こるのは、程度の差こそあれ「悲」ばかりで、「喜」はさっぱりです。 その融通の利かなさが自分のおもしろさにつながらないんだろうな。 自分の日常を笑い飛ばすくらいの心の余裕と勢いが欲しいところですが。 なので、少年漫画はわりと純粋な心で?読んでますが、めぞんを除く青年漫画にはおもしろさの中に 苦みも感じています。 (この項続く) (2021年2月24日の日記)
|
3月1日「ダ・ヴィンチ」高橋留美子インタビュー4 |
次は「性をこえる」というテーマです。 最初は乱馬や竜之介など、性が固定され切っていないキャラクターに関する質問です。 乱馬は高一の頃読んだ弓月光さんの「笑って許して」が「メチャクチャ面白くて」 そこが原点。 竜之介は「うる星やつら」の中で男性キャラはボケなくてならなかったけれど、竜之介は 女子なのでかっこ良く描いても許され、しかも存在自体がボケなのでうまくいったと思います。 男女入れかえという作業は「作者自身が自分をダマす」というか、描いていて より楽しくなることが多い。 私は「うる星やつら」や「らんま1/2」は一通り読んで観ただけなので、ここは「そうなんですね」と 思いながら読みました。 残念ながら初期の作品に関しては考察できるような読者ではないです。 次は「自分をダマす」というのはどういう状態かという質問です。 例えば竜之介を描いている時、女の子だという事は念頭にありながら、絵はかっこ良い男の子なので、 男の子を描いた気になって満足できるという事です。 こういう感覚は漫画を「描く」ことに縁のない私には想像もつかない世界です。 小説を「書く」人にもある感性かもしれませんが。 次は高橋さんの描くヒロインが、ヒーローに守られるだけでなく、自ら闘って ヒーローを守ろうとします。 特に菜花はその傾向が強くて、摩緒との関係は「バディ」とされています。 そういった女の子像や関係性を描くのは何故かという質問です。 主に少年誌で描いているので一応男主人公メインにはしていますが、 やっぱり「女の子を描くのが好きで、描くからには活躍させたい」からとのことです。 デビュー当時、それを無意識にやっていたのが好評で、なんかうまくハマったのかと。 菜花はまだ成長過程なので、これからもっと自主的に育てたいとの事です。 確かに守られるだけを良しとしない強い少女は、物語のテンポも良くなるし、私も 好きです。 でも菜花は摩緒に対する恋心も感じるだけにちょっと不憫。 摩緒との恋も少しずつ育ててほしいです。 次は「女の子を描く楽しさ」とは?という質問です。 「めぞん一刻」で、前半は五代くん含め男キャラクターの場面が延々続き、ようやく 一ノ瀬さんを描いた時にすごく和んだ自分に驚きました。 「女性キャラは自分にとって潤い」だと思います。 いやあ何というか、響子さんではなく、一ノ瀬さんもちゃんと潤いのある女性として描いて 下さるところにるーみっくの魅力があるんでしょうね、嬉しくなります。 それにしてもインパクトのあるコメントです(笑)。 (この項続く) (2021年3月1日の日記)
|
3月3日「犬夜叉のつぼ八」 20話「あさましき野盗鬼蜘蛛の謎」 |
未だにアニメ「犬夜叉」のエピソードタイトル見ただけであの頃の興奮が蘇って来ます。 今回は嬉々として楓役の京田尚子さんとの再会を書かれています。 弥勒の大ファンという京田さんでしたが、辻谷さんにとっては大先輩。 手塚治虫「安達ケ原」や、「幽遊白書」というアニメでも共演されていたそうです。 「安達ケ原」は30分の短編アニメでそのうち20分は辻谷さんと京田さんの会話という作品。 まだ新人でNG出しまくりの辻谷さんに毎回本気でつき合ってくれたそうです。 また、「幽遊白書」では、他の声優さんにマイクの高さを合わせるために、京田さんはスタジオに着くと ハイヒールに履き替えていたとか。 「プロ」という言葉が本当に似合う声優さんですね。 できれば辻谷さん(弥勒)に会った時の京田さんの反応も書いて欲しかったですね。 この時のつぼ八にはなんと、和田薫さんも参加されたそうです! 和田さんと辻谷さんは同い年で、「結婚式をあげるなら断然ハワイ!」といった結婚論?になったとか。 実際に渡辺久美子さんと結婚した時はハワイで挙式されたんでしょうか? 最後に弥勒の名セリフとして「犬夜叉、おとなしく寝ていなさいと・・・」をあげています。 殺生丸によって傷ついた犬夜叉は、かごめを現代に帰し、戻って来れないようにします。 一方楓と弥勒は、鬼蜘蛛(奈落)に操られた狼野干と闘うために、傷ついた犬夜叉を小屋に閉じ込め、 封印をほどこします。 それが気に入らず、暴れようとする犬夜叉をぼこぼこにする弥勒のセリフ。 この後に「何度言ったらわかるんだ、このボケ!」が続きます。 そして楓のリアクション、「これこれ、また傷が開くぞ。」 アニメのシーンもおもしろかったです(笑) (2021年3月3日の日記)
|
3月8日「ダ・ヴィンチ」高橋留美子インタビュー5 |
次は「世代をこえる」というテーマです。 新連載のたびに子供や若い世代の読者が増え、以前からの読者は読者でい続け、 あらゆる層に読者がいる状態が何十年も続いています。 高橋さんにとって読者とは?との質問です。 漫画は読者がいなければ成立しません。 誰かが楽しんでくれる、待っていてくれるという事がありがたく、すべてのモチベーションです。 楽しんでますよ!待ってますよ!と声を大にして言いたいです(笑)。 それよりなにより質問の「新連載のたびに子供や若い世代の読者が増え、以前からの読者は読者でい続け、 あらゆる層に読者がいる状態が何十年も続いています。」をあまり意識したことがなかったので改めて 凄いことだなあと思いました。 何十年もいくつもの連載を続け、そのたびに新たな読者を獲得し、以前の読者も離れない。 なかなかできることではありません。 次は自身の年齢に合わせて少年少女向けから大人向けにシフトすることなく、今も少年少女向けに 描くことができる理由です。 少年漫画が好きだから、そして自分の絵が少年漫画の世界観になじむから。 青年誌でオジさんも描きますが、10代の少年少女が描ける少年漫画の仕事に戻ると安心します。 ストーリーも少年誌の方が、より漫画的なので、自分に合っているのだと思います。 元々「めぞん一刻」や高橋留美子劇場など大人向け作品も描いてバランスを取ってらしたような・・・。 「ストーリーが少年誌の方がより漫画的」という言葉にとても納得しました。 「人魚」シリーズも大人向けですが、ファンタジー要素が強い作品にも関わらず、漫画的?と聞かれると 首をかしげてしまうようなリアルな雰囲気が特徴でした。 (この項続く) (2021年3月8日の日記)
|
3月10日「ダ・ヴィンチ」高橋留美子インタビュー6 |
次は「ジャンルをこえる」というテーマです。 少年誌では、ギャグとシリアスをほぼ交互に描かれていますが、同じ系統のものをずっと描いていると 飽きてしまうからでしょうかという質問です。 ギャグもシリアスも好きで、両方描きたいです。 少年サンデーでも連載ごとにテイストを変えるのは、自分が変化を求めているというのもありますが、 例えば続けて同じ傾向のものを描くと、読者が飽きるんじゃないかという怖れを感じます。 この後、リクエストを聞く事も必要な作業だと思っていますが、結局その時描けるものしか描けませんと 答えています。 確かにその通りでしょうが、サンデー連載の間にうまく高橋留美子劇場を挟み込んだり、やはり バランスの取れた方という印象を受けます。 たとえば藤田和日郎さんは、いい意味でワンパターンな作品を描く漫画家さんだと思っています。 ひとつの作品という鍋の中に、シリアスもギャグもその他諸々一気にぶち込んで一気にぐちゃぐちゃ かき混ぜましたみたいな作品(笑)。 逆に小山愛子さんはいつもほのぼの〜♪ 個性として際立つ形となっていれば、どのパターンも好きですね。 今日は次の「実生活でのこえる」もまとめてしまいます。 実生活において何かをこえることをどう思いますかという質問です。 大きく環境を変える、人生が変わるといった意味でしょうか。 旅行ならいいですが、急に生活が変わることには恐怖しか感じません。 実生活にあまり変化を求めていません。 不遜にも、「あっ、似てる!」と嬉しくなってしまいました(笑)。 私の場合は年齢のせいもあるかもしれませんが・・・。 高橋作品において、普通の(まあ実は普通じゃなかったりもするんですが)女の子が時代を超えたり、 とんでもない出会いがあったりして実生活では考えられない変化の中に巻き込まれながら動じないのは、 高橋さんの基本的に保守的な部分、安定感があるせいかもしれませんね。 次は恐怖を感じつつ、実際に「こえた!」と思った経験はありますか?という質問です。 大学を卒業して、ちゃんとした仕事場を構えた時、「こえた!」と思ったかも。 本当にプロ生活が始まったと実感しました。 他に実生活においては地震など生活を根底から脅かす災害。 霊現象も基本信じていませんが、関わりたくもないとの事です。 2011年の大災害の時、高橋さんは「境界のRINNE」を連載中でした。 あの頃、笑うどころか普通に日常生活を送ることにすら罪悪感を覚えるような環境の中で、高橋さんに限らずですが、 笑ってもらう作品を書くこと、描くこと、演じる事などには大きな葛藤があったのではないかと思っています。 そんな中でも淡々と連載を続けた高橋さんは、いえ高橋先生はこの時も何かを「こえた」のではないかと、 また不遜にも思ってしまいました。 ちょうど明日が10年目のその日にあたります。 これ以上災害も災厄も起きませんように。 少なくとも普通の日常を送れる日が一日も早く戻ってくるように、心から祈りたいと思います。 (この項続く) (2021年3月10日の日記)
|
3月17日「ダ・ヴィンチ」高橋留美子インタビュー7 |
最後は「高橋留美子とは?」がテーマです。 まず、最近気に入っているエンターテイメント作品と、それらがご自分の描くものに対して 与える影響に関してです。 漫画は「BEASTARS」「ゴールデンカムイ」「進撃の巨人」「スキップとローファー」「七つ屋志のぶの 宝石匣」「ちはやふる」「3月のライオン」、東村アキコさんの一連の作品、「女の園の星」。 「MOGUMOGU食べ歩きくま」は暗記するほど大好き。 ドラマは「半沢直樹」。 小説はクリスティを読んでいてミステリーの構造の良い勉強になりました。 クリスティ以外は読んだことのない、見たことのない作品ですが、「MOGUMOGU食べ歩きくま」は気になります。 表紙絵を見て児童書絵本かと思ったら違うんですね。 本当にお笑いを見て漫画を読んで、と忙しいのにすごいなあと思いますが、楽しさ半分、感性を磨く? 勉強の部分も半分あるのかもしれませんね。 それにしても目が疲れないのでしょうか。 私は最近長時間パソコンに向かうのがしんどくてドライアイ気味、時々痛みも感じます。 花粉症のかゆみも重なって悲惨なことになってます。 次は漫画を描く上で大事にしている「読んでいる人が傷つかないこと」、どんな理由でそう思うようになったのかと いう質問です。 昔見たアニメで、自分の倫理観と違っていたため勝手に傷ついたということがありました。 倫理観は人それぞれなので、私(高橋さん)の一方的な考えですが、自分の物差しは大切にしたいしキャラの尊厳は 大切にしたいです。 後味の悪さ、納得できない終わり方、そういったのとはまた違った意味なのでしょうか。 「キャラの尊厳」という言葉がとても気になります。 幸い私はキャラの尊厳が損なわれるような作品は読んだことありませんが。 そして「倫理観」の中で、特に大切にしていることは?との質問です。 やはりキャラクターの尊厳です。 回復不能な辱めや暴力は描けません。 物語の流れで死体を描かないと伝わらない事はありますが、必要以上に残酷な演出はしないようにしているつもりです。 ここに「MAO」の華紋が、仕えていた主の種彦が殺した娘に見せる優しさのカット(コミック3巻149ページ)を載せていますが、 これは正直高橋さんの答えの趣旨とは違ったものだと思います。 ここは作者の優しさではなく、華紋の優しさを意識させる演出です。 華紋と摩緒が出会った時の展開の妙が生きて来るのは、こういった伏線があるからでしょう。 最後の質問は「ご自分をどんな漫画家」と思っているかです。 真面目だと思います。 明日出来ることも、出来るなら今日やってしまう方です。 あまり悩みこまないです。 悩みは3つ以上覚えられません。 4つめの悩みができるとひとつ消去される感じです。 漫画に対しては結構「しつこい」です。 特にネーム、演出は納得いくまでやります。 まあまあインドア派なので、漫画家に向いた性格とライフスタイルだと思います。 「どんな漫画家か」・・・デビュー作がたまたま週刊誌に掲載され、多くの読者に見つけていただき、「不安」より「やる気」が勝って、 良い波が来たら乗っかる、という感じで今までやって来られました。 恵まれた漫画家だと思っています。 何がうらやましいって悩みは3つの部分ですね。 毎日悩みばかりで生きているので、その強さには憧れます。 きっと御自身で鍛えて培った強さなのではないかと思います。 最後はダ・ヴィンチ読者へのメッセージです。 今回はコロナの関係で完全な筆記インタビューとなりました。 そのおかげで、と言いますか、考えを整理しながら自分の思うところをかなり正直にお伝えできたと自負しています。 「ダ・ヴィンチ」様の質問も色々な角度から、普段考えていないことを考えさせていただき面白かったです。 この記事をお読みになって、少しでも私の作品に興味を持って、お暇な時に気楽に読んでいただけたら嬉しいです。 どうもありがとうございました。 本当に読み応えのあるインタビューでした。 いつまでもついて行きますので、くれぐれもお身体を大切にして頂きたいです。 (2021年3月17日の日記)
|
4月7日 昔の女 |
今年の高橋留美子劇場は、「やましい出来事」系。 特別悪いことはしてないけれど、心の中に持っている、なんとなくやましい感情が さらけ出される出来事が起こり、妻に誤解されたり家に居づらくなったりする初老の夫 の悲哀。 誰もが持っている感情だと思うけど、徹底して初老の男性を攻め続けるところに 「高橋留美子」のおもしろさがあり、愛がある。 これが「責める」系だったら、笑えない作品になると思う。 恋愛の時期を通り越して、空気のような存在感を持つ夫婦。 そんな時期なのに、妻はやっぱり気にしてしまう。 まあ誤解という意味ではよくある話で、正直いつも同じパターンかとは思う。 でも「ケータイ」も持ってなかった頃だからこそのミスではあるが、やっぱり妻としては 「その時期」に飲み歩いていたことが問題。 お酒臭かったろうしねえ・・・。 いつも通り深刻にならずにほわっとまとめてくれるのは相変わらずだけど、画家さんの名前! と思ったら、「米津方舟」という明治時代に実在した画家がいた。 こんなところが本当にうまい。 美人幽霊がお祓い師にぼそぼそ喋るところもおもしろかったけど、このお祓い師は 結局怪しい人だったらしい(笑)。 でもマスクまでして登場したこの幽霊の目に、夫がどう映っていたかが気になる。 亡くなった玄舟さんが来るまで、ずっと玄舟さんとその妻に見えていたのだろうか。 竹久夢二の絵に出て来るような女性で、最後まで日陰の存在だったのかもしれないけど、 「おろおろ」や「ぺこぺこ」に何となく笑えるニュアンスがあった。 でも玄舟さんの妻がちょっと可哀そうだ。 (2021年4月7日の日記)
|
4月13日「犬夜叉のつぼ八」 21話「奈落の真実に迫る 桔梗の魂〜前編」 |
辻谷さんのこれらの記事を読んでいると、未だに弥勒の声でナレーションの
ように聞き取ることができます。 声って不思議ですね。 このエピソードは1時間の特番で収録は2回に分けて行われました。 遂に奈落と対決!ですがこの時の奈落は家中宏さん。 鬼蜘蛛系奈落は家中さんで、後に人見蔭刀系奈落となり、森川智之さんと交代します。 家中さんは後に爽やかで残虐な無双として再登場していましたね。 この記事では、辻谷さんが「声優」について、とても重要なことを書かれています。 ☆ ☆ ☆ 以前は声優と言えば皆俳優でした。 もとは新劇の俳優さんがアルバイト的に始めたのが今の声優界だったりします。 ですがこの拾数年は「声優になりたい」とはじめから思って、この世界に入って来る方が増え、 業界も様変わりしました。 また声優のアイドル化がそれに輪をかけました。 「舞台出身方」と「声優を目指した方」、僕はさほど代わり(原文まま)はないと思っていますが、 その考えは人によって違います。 舞台出身の方は、演じる役がどういった生い立ちでこれまで生きてきたか、など役の性格を まず分析しますが、声優を目指した方はキャラクターの絵に合わせることを役作りの基本と 考えている。 というところが、違うと考える方の意見です。 もちろんこれは傾向としてのもので全ての人がという意味ではありません。 ただ明らかに違うと僕が思うのはその人自身の持つ雰囲気です。 舞台出身の方と声優を目指した方はそれが違います。 なんでかな? 僕は舞台出身ですから舞台出身の方の雰囲気が好きですし、役者として絡んだ時も面白いと 思っています。 ☆ ☆ ☆ 辻谷さんの「声の演技」に対するこだわりが強く感じられます。 たとえば初期の「名探偵ポワロ」を見ていると、ポワロは熊倉 一雄さんですが、熊倉さんもまず 「俳優」という言葉が先に来る方です。 辻谷さんもいくつかのポワロ物に出演されてますが、「舞台出身の俳優」さんでありながら、 声の演技に全く違和感はありません。 「犬夜叉」に出会うまでは、「声優」という言葉も知らなかったので、声をありのままに受け止めていましたが、 それでも違和感はありませんでした。 現在の映画やアニメなどで、ゲスト声優として鳴り物入りで宣伝するから違和感があるのかな?とも 思いましたが、ゲスト声優さんの存在を全く知らなくても、やはり違和感は大きいです。 実力のある俳優さんでもやっぱり違います。 昔山口勝平さんが、犬夜叉のアテレコをしているのを見ましたが、絵がなく演技だけ見ていると、とても 演技が大げさに感じました。 ところがアニメで見ると普通なんですね。 逆に俳優さんやタレントさんの演技は画面で見ると棒読みに聞こえます。 昔のドラマや映画で棒読みと感じたことはまずないです。 ただ、「犬夜叉」でいうと大神いずみさんの神楽は合っていて好きなキャラでした。 「実力」だけではない、何かがあるんでしょうね。 俳優さんと声優さんの声の演技の違い。 その意味でも私はゲスト声優さんにはリスクしか感じないですし、そういう作品は吹き替えでは見ません。 ジブリでさえ、「ちゃんとした声優さんを使ってほしかったな。」と思う作品が多いです。 作品に没入できる、その安心感が声優さんによる吹き替えの醍醐味かと思います。 「あっ、ここゲストの人だ。」と顔が浮かんできたり、「台詞読んでるだけだなあ」と現実に戻るような ことにはなりたくないですね。 ただ、舞台をこなす俳優さんと、テレビがメインの俳優さんの違いがよくわかりません。 もともとテレビをあまり見ない方なので、俳優さんに関する知識がないのです。 たとえば昔の舞台出身の俳優さんと、今の舞台出身の俳優さんもまた違うのでしょうか。 興味はとてもあるのですが・・・。 いすれにしろ日本の映画界、アニメ界にもはもっと声優さんを大切にして惜しいと切に思います。 そして使うなら、声優さん並みの演技ができる俳優さんを選んでほしいです。 (2021年4月13日の日記)
|