犬夜叉考察 5
日暮かごめの3ヶ月め
すっかり忘れていたのだが、今までかごめの1ヶ月め、2ヶ月めと抜書きしていたの だった。 
あれはどうなったんですか、というご指摘を受けて、慌てて書き始めた次第。
ただ、この3ヶ月め、非常におもしろいというか、不思議な展開で話が続く。
もちろん原作に従っているのだが、まず長い。
コミックで言うと9巻から17巻まで、しかも月の満ち欠けが不思議な動きをしてお り、とても1ヶ月の間の出来事とは思えないのだが、弥勒や珊瑚を見る限り、間違い なく1ヶ月間の出来事のはずだったが。

高橋先生、完全に時間を捨てた模様である。

1日(朔の日) 桃果人と戦闘。
  (朝昼)  桃果人撃破。かごめ現代に帰る。
  (夜)    犬夜叉弥勒妖怪談義。(妖怪になると心を失う。)
  (昼)    珊瑚大ムカデ退治。
15日(夜)   珊瑚達大グモ退治に誘き出される。退治屋の里、妖怪に襲われ、 全滅。

 ☆ コミック9巻162ページではすでに満月。この間15日。

    (昼)   墓作り。犬夜叉vs珊瑚戦闘。奈落を倒すも傀儡、珊瑚10日寝込む。
(昼)   翠子と対面。
(夜)   偽水神退治。
(昼)   弥勒大蟷螂に傷つけられる。
(夜)    蟲壷虫退治。 

   ☆ コミック11巻83ページここでも満月。よって珊瑚が重傷をおってからすで に1ヶ月経過。
   珊瑚は朔犬を見ずにいたことになる。
   特に事件もなく、犬夜叉も無事に朝を迎えたのだろう。
   また、4ヶ月目に入っていることにもなる。

16日(朝) 弥勒治療終了。
18日(夜) かごめ珊瑚温泉。(11巻132ページの月より)
19日(昼) 琥珀登場。
   (夜)  奈落の城にて戦闘。
20日(昼) 地念児に会う。
   (夜) 地念児の勝利。
21日(朝) 地念児との別れ。

(夜) 奈落満願。
(夜) 幻影殺。

15日(夜) 刀々斎、再び満月。
       すでに5ヶ月め?弥勒が無心騒動の最中の出来事とも思えないので。
16日(昼) 刀々斎との出会い、殺生丸との戦闘。風の傷会得。
数日後(夜)負傷殺生丸、りんと遭遇。鋼牙登場。
    (昼)かごめさらわれる。
    (夜)極楽鳥との戦闘。かごめ現代へ。
    (朝)かごめ学校へ。3日間登校。
18日(夜)月の状態より18日めであることがわかる。
       よって殺生丸、「あれから何日たったのか」などと言っているが、1 日もたっていないことになる。
19日(昼)かごめ放課後戦国時代に帰る、犬夜叉と仲直り。
20日(夜)神楽登場、三つ巴の戦い。この日も月が出ているので間違いなし。

 ☆ ところが、小春と出会って、夜は再び月が膨らみ、18日頃に戻ってしまう。

18日(夜)神無登場。
   (昼)桔梗、奈落&犬夜叉と会う。
   (夜) 悟心鬼登場。犬夜叉妖犬化。

3日後なのにすでに朔の日。灰刀坊登場である。

このようにまとめると、今回はかごめの2ヶ月間ひとまとめになってしまった。
一応確認しておきたいのだが、私は高橋先生の描く世界が時間的に矛盾しているなど と言いたいのではない。
「朔の日」を基準に、犬夜叉たちがどんな感じで過ごしているのか、興味があって調 べただけである。

それを言うなら1ヶ月に3日しか登校していないかごめが、病気がちのわりには、い かにもたくましく日焼けして生傷も耐えない元気者のように見えるだろうに、誰もそ うは見ていないらしい矛盾とか、かごめたちは着替えを何枚持っているんだとか、取 り上げればきりがないだろう。
そんなことは考えず、「犬夜叉」を心ゆくまで楽しみたい。

最後に(特命希望なので、お名前は伏せさせていただくが)前に書いたものの続きを 気にかけてメールを下さった方、本当にありがとうございました。
HPに対して、感想やメール、書き込みなどをいただくと本当に嬉しく、励みになりま す。
これからもよろしくお願いします。
 (2003年5月3日の日記) 
戦国時代の傭兵たち
「犬夜叉」で七人隊が登場した時、彼らは「雇われ兵隊」と説明されている。
雇われ兵隊、いわゆる傭兵である。
特定の主人を持たず、お金で雇われて働く兵隊。

私には一部ゲームや外国の小説などではお馴染みの存在だが、日本の話で傭兵が出て きたの を初めて見た。
だが時代は戦国時代、年がら年中戦争に明け暮れていた時代である。
プロの兵士がいたとて不思議ではない、早速調べてみた。

そしたら間違いなく「雑賀衆(さいがしゅう)」と呼ばれる傭兵軍団が存在してい た。
ただし、七人隊とはちょっと趣が違う。
生前の七人隊はあまり詳しく描かれていないが、仕事を求めてさ迷い歩く風来坊のよ うな雰囲気である。
雑賀衆はもっと大きな組織で、現在の和歌山市周辺を基盤として根づいているところ がまず決定的に違う。

しかも優秀な水軍とたくさんの鉄砲を持ち、「雑賀を制するものは全国を制する」と 言われるほどの戦闘力を持っていた。
おもしろい記録を見つけた。

雑賀衆の中でも有名な雑賀孫一。
1569年、織田信長が三好と戦った時、孫一は信長軍として戦いに加わってい る。
ところが翌年、再び信長が三好と戦った時、雑賀衆は2つに分裂し、両軍に雑賀衆の 兵士がいたのである。
特に孫一は三好方の鉄砲隊を率いていたと言う。

さらに信長が本願寺という寺を築城のために欲しがった時、拒否してのけた本願寺の 顕如という人物との間にまた戦争が起こり、この時も孫一は本願寺に味方している。
雑賀衆の他にも根来(ねごろ)衆、湯川衆など、さまざまな傭兵組織があったことは 確認できた。
ならば、七人隊のようにもっと規模の小さなグループで、あちこちの戦場を渡り歩い ている傭兵集団 がいても不思議ではないだろう。

今回、雑賀衆について調べていて、気づいたこと。
「戦国時代」という名前、「関ヶ原」「川中島」などの有名な死闘から、私はこの時 代において、戦争は日常茶飯事だと思っていた。
ところが、実際はそうではなかったらしい。
戦争となると、お金もかかるし、犠牲も大きい。

そこで、戦闘に入る前に、まず降伏を勧めるのが通例だったそうだ。
もちろん素直に従ったからと言って決して恥ではない。
戦争が始まっても、かなわないと思ったらすぐに降伏する。
その方が、後でやむを得ず降伏するより、大事にされるという意識も働く。
真田幸村や上杉謙信などは死を決して戦った特異な例だからこそ歴史に残るのであっ て、むしろ なるべく戦争に巻き込まれないように、長く生きながらえるように模索するのが卑怯 でもなんでもなかった時代。
考えてみれば当然のことで、現在起こったばかりの戦争には眉をひそめているくせ に、一昔前の戦国の世に夢中になる自分を少し反省した次第である。

最後におまけをひとつ。
アニメ「犬夜叉」でも「種子島」の名前で登場した鉄砲であるが、産地として有名 だったのは今の滋賀県長浜市にあたるところの国友村だったそうだ。
国友村のルーツをさらに遡ると、現島根県の安来地方にたどり着く。
遠い昔、安来地方に韓鍛治(からかぬち)と呼ばれる外国人の鍛治職人が8人いたと いう。
釜に火を入れると、昼夜通して作業が続くので、遠くからでも8本の火柱が見えたそ うだ。
外国人の特異な風貌(当時はそう思われていた)と相まって彼らこそがヤマタノオロ チの原型になったという説を見つけた。

スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治して手に入れたとされる草薙の剣(くさな ぎのつるぎ)、これこそが当時の大和朝廷が韓鍛治から製鉄の技術を奪った証とされ るというのである。
神話の世界も突き詰めていけば、こんなに人間臭いストーリーとなる。
本当かどうかはともかくとして、おもしろいと思ったので紹介してみた。
 (2003年5月7日の日記) 
つれづれなるままに 1
今日はこれといったテーマも思い浮かばないので、今まで日記に書き忘れていたこと など2,3書いてみたいと思う。
まずは今週のアニメ、犬夜叉が睡骨にいやに苦戦していたこと。
アニメ特有の引き伸ばしと言ってしまえばそれまでだが、おもしろいなと思ったの が、鉄砕牙を飛ばされて使えない設定。

前にもちょっと書いたが、犬夜叉は原作では鉄砕牙をあえて使わずに戦っている。
以前煉骨にだまされて、かごめたちを死にそうな目に会わせてしまった失敗から、睡 骨に対しても最初から疑ってかかる犬夜叉。
だが、それまでの流れで睡骨が芝居をしているわけではなく、善の部分も持ち合わせ ていることに気づいたのだろう。
だから鉄砕牙をあえて使わなかった、私はそう見ている。

犬夜叉の本質的な人の良さといったものがよく出た場面だったと思う。
それがアニメでは結果的に犬夜叉は睡骨を殺す気でいることになる。
無用とまでは言わないが、この引き伸ばしのために犬夜叉のそういった深い部分が消 失してしまった。
犬夜叉に限らず、アニメのキャラの性格がどうも薄っぺらな気がするのは、こういっ た細かい記憶の積み重ねによるものかもしれない。

ところで犬夜叉vs睡骨、実に地味な戦闘だった。
原作では実際に犬夜叉と睡骨が戦っているカットは少ないのでなんとも思わなかった が、アニメでは引き伸ばされた分、地味さが目立っていたように思う。
鉤爪、たしかに見た目は恐ろしいし破壊力も抜群だが、刀などの長物系に比べてリー チが短く、攻撃範囲が狭い。

よって相手の懐に飛び込んで、間合いをせばめないことには使い物にならない部分が ある。
肉弾戦と言えば鋼牙がまさにそうだが、鋼牙の場合、スピード感、跳躍力、蹴りと 言った特技があるため、アクションシーンには迫力がある。
睡骨が犬夜叉の懐深く飛び込んで、犬夜叉がぎりぎりのタイミングでかわす図に犬夜 叉がいやに苦戦しているように見えたのも、睡骨の動きと鉤爪の持つ特質にあったの ではないだろうか。

睡骨が犬夜叉に対して「振りが大きい!」などと接近戦での戦い方を指導する?場面 があるが、残念ながら戦闘の地味さのカバーにはなっていなかった。
地味と言えば、睡骨自体もともと地味なキャラである。
睡骨から二面性を取ってみると、七人隊の中でもトップクラスの影薄感だろう。
ジキルとハイドの例を出すまでもなく、二重(あるいは多重)人格者の話は多い。
睡骨を二重人格者と設定したところで、格別目新しさは感じなかった。

私がすごいと思ったのは、睡骨を桔梗と絡ませたところである。
それにより、七人隊の中で、睡骨の部分だけが大人の物語として仕上がった。
蛇骨と蛮骨、煉骨と蛮骨の部分との好対照が七人隊のエピソードを読み応えのあるも のにしていたと思う。
 (2003年5月9日の日記) 
つれづれなるままに 2
桔梗の最近の口癖?について。

「きれいは汚い、汚いはきれい・・・」の言葉、いつもお邪魔している掲示板での書 き込みによると「マクベス」から取ったものらしいということ。 ずっと昔読んだ記憶があるが、全く忘れていた。
調べてみたら確かにある。

 「All. Fair is foul, and foul is fair」とある。

「Fair」は公正な、といった形容詞だが、古体では「美しいもの」といった名詞の意 味も持つ。
「Foul」は汚れた、嫌な、といった意味。
「犬夜叉」で引用されている言葉は小田島雄志訳のもの。
ただし、「マクベス」では、この言葉の後にマクベス自身の言葉

 「So foul and fair a day , I have not seen.」

「こんないいとも悪いとも言える日は初めてだ」が続く。
マクベス自身が善と悪の境界線上で立ち迷っている状態である。
桔梗、睡骨とのつながり・・・、やはりどうも納得できないのだが、この言葉はアニ メ「犬夜叉」睡骨編を通しての1つのテーマとなるらしい。

生前の犬夜叉と桔梗の関係について。
生前の桔梗と犬夜叉が心を開いて話し合ってから(「犬夜叉、おまえと私は似てい る」と桔梗が語るシーン)村の襲撃までの間、いやその前日、犬夜叉と桔梗が会う約 束をするまでの間の犬夜叉と桔梗の関係は、原作ではあまり描かれていない。

アニメでは印象に残るシーンが2つある。
1つは何度も登場した小舟のシーンである。
小舟から降りようとした桔梗がよろめき、支えようとした犬夜叉が棹を捨てて抱きし める有名なシーン。
もう1つは犬夜叉の番犬シーン。

原作において、犬夜叉が番犬を務め、桔梗に「もうそれくらいにしておけ。」だった か、そんな台詞を吐かれるような思い出は絶対ないだろう。
そんな態度はとても恋人ではない、まさに家来か飼い犬に対する態度である。

小舟のシーンは、私の好きな場面でもあるのだが、やはりなかっただろうと思う。
そこまでの信頼関係があったのなら、物語はおのずと変わっていただろう。
もっとあやふやな、ひっそりと想うだけの関係だったのではないかと思う。
四魂の玉を使って犬夜叉が人間になった時、初めて2人が恋人として生きることを始 めていたはずだった。

だからこそ奈落の策略に乗せられ、お互いを信じきれずに悲劇を招いた。
その結果が今の「犬夜叉」だと思う。
そういった部分を高橋先生はわりに描かれない。

あえて描かずに読み手の想像にゆだね、それそれの想いを膨らませていって欲しいと 思われているのだろうか。
作家にも懇切丁寧に説明される人と、高橋先生のように説明は最小限に抑え、読み手 が行間の意味を読み取って、想像を膨らませて欲しいといった書き方をする人がいる が、私は後者が好きだ。

だからアニメなどで「それはこういうことだったのよ!」と言わんばかりに映像で突 きつけられると一歩も二歩も退いてしまうのだろう。
つくづく損な性格ではある。
 (2003年5月13日の日記) 
10000HIT報告ほか
おかげさまで1000HITを達成することができました。
遊びに来てくださった皆様、本当にありがとうございます。
キリ番絵を描く事もできず、パソの前で踊るわけにもいかず、ひっそりと喜びをかみ しめております。
パソコン初心者で、日記を全部消してしまったこと3回、ホームページごと消してし まったこと1回など試行錯誤の毎日でしたが、なんとかやってきました。

特に、メールなどを通してパソコンについて指導していただいたこと、内容について 意見やアドバイスをいただいたことなど、本当に感謝しております。
これからも「一陣の風」共々よろしくお願いします。

さて、今日は久々に秋葉原に繰り出しました。
「犬夜叉 四魂のかけらストラップ 」「犬夜叉 フィギュアキーホルダー3 」か ら鋼牙バージョンをGETし、いつもの巡回コースを回ってグッズのチェック。
アニメイトの向かいの当たりの「バックドロップ」なるプロレスグッズ専門店も新し く発見。
専門店だけに値段も高いですが、今時「バックドロップ」なんていう古式ゆかしい? 名前を使ってくれるだけで嬉しくなっちゃいます。

バックドロップと言えば、有名なのがルー・テーズ。
クラッシックスタイルではありますが、本当にきれいなバックドロップを見せてくれ るレスラーでした。

中野でもそうでしたが、最近「レンタルショーケース」が楽しいですね。
一般の人がケースを借りて自分の売りたいグッズを並べて値段をつけておくというシ ステム。
思いがけない掘り出し物があったり、見事に整理されたケースから、何がなんだかわ けのわからないガラクタ?がごちゃごちゃ置いてあるだけのものや、さまざまです。

私も売りに出す気はないですが、私のラスカルコレクションとか鋼牙コレクションと かケースを借りて並べてみたいな、みんなに見て欲しいな、なんて思いました。
 (2003年5月10日の日記) 
ワールドミステリーツアー 〜平将門
子供の頃からのミステリー好き、ということで先日「平塚神社とミステリー」と題し て考察日記を書いてみたが、あれはミステリーの中の「推理小説」という一分野のこ とにすぎなかった。
私が言うミステリーとは、その他にも空飛ぶ円盤(今時こんな言い方はしないが)、 超能力、幽霊、四次元、世界の七不思議、妖怪物の怪etc.ありとあらゆる超自然現象 をも指す。

そして、私はそれら全てに夢中だった。
と言っても信じる、といった意味ではない。
さまざまな謎が存在し、それらを解明していく過程が好きなのだ。

だから「ムー」などの雑誌も買っていたし、「特命リサーチ200X」「奇跡体験! アンビリーバボー」「世界ふしぎ発見」などは欠かさず見るし、もちろんヒストリー チャンネルやディスカバリーチャンネルも然り、である。
もちろん本もたくさん読む。
その中で一番好きなシリーズが「ワールドミステリーツアー」(同朋社)である。

その名の通り、世界中のミステリースポットを訪れ、紹介するシリーズ。
単なるガイドブックに終わらず、それぞれの場所に思い入れのある人たちが、しごく まじめに取り組んでいるもので、派手さや目新しい発見はないものの、非常に読み応 えがある。

たとえば、イタリア編では「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な漫画家の水木しげる氏がイタ リアを訪れ、日本の妖怪と比較したり感想を語ったりする。
ロンドン編では、「幽霊名所巡り」なるものもあり、イギリスに行く際は、ぜひこの 1冊を旅のお供にせねば、といった具合である。
その中でも東京編は、身近なだけにおもしろい。
東京都庁と風水の関係、実在したお岩さんなどのテーマと並んで目を引くのが「平将 門」である。

なぜか昔から「菅原道真」「崇徳上皇」「平将門」「源義経」などは、非常に耳に心 地よく響く名前で(語感がいいというのだろうか)、どんな人かも知らぬ間に、強く 印象づいている。
その中で道真、崇徳上皇と共に「死して都に祟りをなした」三大怨霊の1人が将門で ある。
詳しくは「雷獣登場 〜飛天満天」「パラレルワールド 〜妖怪の分類」(過去の日 記参照)に書いたが、よりによってこの3人が私の大好きな「名前」の持ち主だった からあきれる。

940年丞平・天慶の乱で俵藤太に討ち取られた将門の首は京で晒しものになった が、なぜか宙を飛び、故郷茨城に帰る。
それ以来、将門の祟りが噂されるようになるのだが、きっかけは川越氏の一族に疾病 が流行ったことらしい。
それにより、川越氏が慰霊のために現在の千代田区大手町のあたりに作ったのが、有 名な「将門の首塚」である。
さまざまな祟りの歴史や、未だに周囲のビルでは、首塚に背を向けて座らない配置が されているといった話を聞くが、おもしろいのがその将門を神として神田明神にて 祀っていることである。

祟りだの呪いだのといった面ばかり強調しているような物は好きになれないが、この シリーズは史実を検証し、的確に説明しようと試みているところに好感が持てる。
ミステリー、不思議な言葉である、そしておもしろい言葉でもある。
ミステリーという言葉の持つ意味こそがミステリーではないかと思っている。
 (2003年5月16日の日記) 
家紋について
12日のアニメでいくつかの家紋が登場した。
もちろん原作で登場済みのものもあるが、おもしろそうだったのでちょっと調べてみ た。

まず、蛮骨の大鉾を所持していた城だが、原作26巻29ページで大鉾の後の掛け軸 の三日月のような図柄、原作とは向きが逆だがこの月の中の黒い丸をなくし、下に三本の線を引っ張れば(月に三つ引き両)「成田氏」となる。
「九十九の蝦蟇」で「犬夜叉」の時代に関して、

「当時、武蔵の国を治めていたのは、後北条氏らしい。
 後北条氏は、鎌倉時代の執権北条氏と区別され、武田信玄の甲斐の国とは犬猿の仲 だった時期もある。

 後に和解し、共に武蔵松山城を攻撃するともある。
 甲斐の国から武蔵の国に露姫が嫁ぐとすれば、この頃だったはずで、ー(以下略)−」

と書いた。
元々上杉家の配下であった成田氏は後に後北条氏の元に走る。
それもあってこの城の領主は成田氏の設定ではないかと思ったのだが、旗印(37ページ)を見ると、どう見ても武田かむしろ後北条氏である。
武蔵の国で犬夜叉時代、一番勢力を持っていたということで後北条氏かとも思えるが、後北条氏の家紋と似ていると言えば似てるし、違うと言えば全く違う。

アニメではさらに、城の中の欄間に菊の家紋が見える。
これはなんと、武蔵野田氏の家紋に酷似している。
ちなみに野田氏の家紋は16葉の菊なので、アニメ版とは数が違うが。

野田氏もまた後北条氏とは無関係ではない。
足利義氏の庇護を受けていた野田氏は当然足利氏の後にいた後北条氏の支配を受ける。

さらにアニメで生前の七人隊征伐にやって来た中に梶原氏のの外枠のない家紋を旗印にした一団も見える。
梶原氏は上記の足利氏の敵方にあたる。
もうひとつ、下記の家紋の角度を変えたようなものもあったが、これはどこの家紋かわからなかった。

このように見てみると、残虐すぎる七人隊を征伐しようとした後北条氏が梶原氏などとも一時休戦を結んだ図、とも思えないこともないが、なに全くの嘘っぱちと言えるかもしれない。

いずれにしても、原作、アニメに登場するこれらの家紋が戦国時代に武蔵の国近辺に実在したさまざまな武将の家紋を適当にぼかして使用としたかもくらいのことは言ってもいいだろうか。

ふっとこんな光景が頭に浮かんだ。 よみうりテレビの資料室か図書館で、何人かのアニメスタッフさんが戦国時代の家紋図鑑を広げている。
「あっ、これいいね。」
「これも使えるかも。」
紙に鉛筆を走らせ、家紋を簡略化したり向きを変えたり、さまざまな家紋を形作っている、そんな図。
私自身前にそのようにして調べたりしたので、自分もスタッフの一員になったようでなんだか楽しくなってきた。
 (2003年5月15日の日記) 
プロポーズ 〜山椒魚の妖怪
七人隊、白霊山も終わり、四魂のかけらもあとわずか。
これまでどおりの妖怪退治をしていては、どうにも話がだらけてしまう。
そこで「妖怪退治+α」の物語の進行に関するエピソードが追加された。
それが弥勒のプロポーズ。

それはさておき今回登場する珊瑚と弥勒の愛のキューピットを務めるのは、山椒魚の妖怪。
かつて岡山県に体調10メートルもある大山椒魚がいてとても恐れられていたが、なんとか退治された。
それを祀ったのが「ハンザキ(山椒魚の別名)大明神」とされているが、水木しげる氏によると実際ハンザキ大明神と呼ばれる妖怪もいたそうである。

それによると、巨大な蛇のような細長い体をしていて、ぬるぬるしており、斬っても斬ってもすぐに元通りになってしまうとのこと。
「妖怪事典」で見たのだったか、図書館に確認に行ってみたが、残念貸し出し中だった。
姿形については、確認した上で後で書いてみたい。

このエピソード、一番気になったのが弥勒の態度。
以前山犬妖怪と対峙した時は、正体を見破り、それなりの計算があったようだったが、今回は完全に浮気モード?100%。
珊瑚のいない所でならともかく、知られることを承知で浮気に走るのは、かえって弥勒というキャラクターにそぐわないような気がする。
とは言っても、これは高橋先生の描いた原作なのだから、実は弥勒はこんな人、とこちらの方で修正しなければならないのだろうか。

妖怪に操られた珊瑚の表情が、ぞくっとするほど色っぽいが、そんな状態に珊瑚を追い込んだのは実は弥勒。
弥勒はひとり、珊瑚と闘う。
結果的にはあの見事なプロポーズへとつながるのだから、まさに「山椒魚様様」であろう。

ただし、「奈落を倒すまでは」同志の関係を続けるという弥勒発言はあったものの、この後の2人の関係は、拍子抜けするほど今までどおり。
プロポーズがなければこの山椒魚妖怪、話の継ぎ目の役割だけの存在だったろうが、プロポーズのおかげで、いついつまでも印象に残るエピソードとなった。

他に特徴的だったのは、かごめと雲母。
アニメスタッフが泣いて喜びそうなかごめの好奇心と「おめめキラキラ」バージョン。
原作の上では、普通の女の子っぽさを垣間見せてくれる場面として微笑ましく映るのだが、これがアニメになったらどうだろう。
「珊瑚目指して-」「草太の告白」のような野次馬モード全開、おせっかい度100%の困ったキャラになってしまうのではないかとちょっと怖い。

一方雲母も、よせばいいのに?浮気に走る弥勒を見つけ、珊瑚に注進、珊瑚vs弥勒の戦闘シーンではなすすべもなくおろおろするなど、可愛らしさ100%。
今回誠に影の薄かった篠助と若菜のカップルだったが、篠助が人として生き抜けなかった睡骨に顔が似ているだけに、ハッピーエンドが嬉しかった。
 (2003年5月17日の日記) 
この世とあの世の境 〜カワウソ妖怪(コミック30巻)
今回のキーワードは「炎蹄」「カワウソ」「白童子」「この世とあの世の境」といっ たところだろうか。
まずはカワウソ妖怪の親子。
例によって、新手の妖怪としては印象に残らない存在だったが、七宝を組み込んでの 親子の情愛、殺生丸の天生牙の一振りをうまく絡ませて、ほのぼのとした物語に仕上 がったと思う。

おもしろいのがこの甘太、水木しげる氏の妖怪コレクションにでてくる「かわうそ」 と嬉しくなるほどそっくりなのだ。
笠の感じといい、子どものような体系といい、まさにモデルといったところ。
ちなみにかわうそ妖怪の伝説はあちこちに点在しているが(特に富山県あたり)、水 辺に棲み、乾燥に弱いところ、人を化かす特性があるところ など、河童や狸とごっちゃになっている部分も多いようである。

「炎蹄」とはそのものずばり、「炎の蹄(ひづめ)」。
その名の通り、蹄の部分が炎に包まれている素敵な?妖馬。
元々は人喰い鬼の持ち物だったが、白童子によって封印をとかれ、そのお礼にと白童 子を主人に選ぶ。
アニメでの躍動感あふれる姿を早く見たいところだが、わりにあっけない最期を遂げ るのが残念と言えば残念である。

そして主役は白童子。
奈落の落とし子でありながら法力により分断、その後一気に急成長を遂げる片割れで ある。
おもちゃとして戟を振り回し、妖怪の首集めをするところがいかにも奈落の子だが、 父奈落よりなんだか可愛らしい気がする。
だがその目的は、最後の四魂のかけらがあると思われる場所、「この世とあの世の 境」である。

さらに甘太の父親の言葉によって犬夜叉とかごめが思い出した境とは、かつて黒真珠 の中に封印されていた父君の墓。
ここでおもしろいのが、現在連載中のサンデーでは、この父君の墓についての記述が ないこと。
ここまで引っ張っておいて、結局違うと言ってるわけでもなし、ただ、話に出てこな くなるのだ。
次回登場するはずだった宝仙鬼の死により、ないものとして結論付けられてしまった のか、それとも最後に大団円が待ち構えているのか、今はまだわからない。

もうひとつ気になるのが、殺生丸。
天生牙が騒ぎ、殺生丸は甘太の父親の命を蘇らせるが、それは何ゆえだったのか。
また、それを見ていた珊瑚はこの時点では琥珀のことに思い至っていないようだが、 これは琥珀復活への伏線だったのか、気になるところである。

だが、今回一番印象の強かったのは実は神楽だった。
以前は奈落を憎み、恐れているはずなのに、2人の間には普段は妙にくつろいだ雰囲 気が感じられた。
白童子にもこき使われ、文句を言いながらも従っている様子がどこか笑える。
しかも分断された赤子のスーパーで買った肉でもぶら下げているような、こなれない 赤子の扱いがなんともおかしい。

神楽はアニメでキャラを壊されずにすんでいる数少ない幸運者の1人。 原作でもアニメでも大活躍して欲しいと思う。
神楽にとっては迷惑な話だろうが・・・。
 (2003年5月18日の日記) 
多宝塔と厳島神社
以前、黒巫女椿のエピソードの中に、アニメオリジナルとして「多宝塔の鬼」が登場 した。
その「多宝塔」という言葉、ずっとどこかで聞いたことがあるような気がしていたの だが、ひょんなことから思い出した。
「厳島神社」である。

犬夜叉映画第2弾「鏡の中の夢幻城」の夢幻城のモデルが厳島神社であることは衆知 の事実だが、それについて調べていた時に見かけたのだった。
まずは厳島神社、平家の氏神として知られる美しい神社だが、593年に推古天皇に よって創建されたと伝えられている。
ただし、度重なる火災の被害を受け、何度も修復されたが、1325年頃にはすでに 今のような配置になっていたという。
「平家物語」では、弘法大師が清盛の夢枕に立ち、神社の修復を行えば天下を取れる だろう。」と言ったとされる。

ただし、増長して悪い行いをすれば、その幸運も清盛一代限りで終わるだろうとも 言った。
その言葉どおり、盛者必衰の道を駆け抜けていったのが清盛であった。
その後、戦国時代まで神社も衰退の時期が続いていたが、1555年(ちょうど犬夜 叉の時代頃)、毛利元就が陶晴賢との「厳島の戦い」に勝利をおさめたことにより、 再び勢いを盛り返す。

厳島神社の特徴のひとつに、海中に建てられていることもあげられるが、これは来世 を船で渡って極楽浄土に行くという当時の浄土信仰のあらわれであるとされている が、おかげで台風のたびに莫大な被害を受け、ニュースになることは記憶に新しいと ころ。
それでもなお、こうして美しい姿を保ち続けているのは、神社を守る人たちのたゆま ぬ努力の賜物だとか。
頭の下がる思いがする。
この厳島神社、原作「水神」のエピソードでも、それらしい姿で登場していた。

さて、多宝塔である。
実物の方が綺麗な赤い色をしていることをのぞけば、まさに厳島神社の多宝塔そのも のである。
ただし、祀っているのは薬師如来、間違っても鬼などではない。
その姿形の美しさから、厳島神社と共に国の有名文化財に指定されている。

厳島神社がユネスコ世界遺産として登録されたのも記憶に新しい。
ちなみに「厳島」の名の由来は「神を斎(いつ)き祀る島」からきたものらしい。
厳島神社と言えばもうひとつ、私には忘れてはならない場所がある。
神の島の老舗宿と呼ばれる「岩惣」という旅館である。

もちろん泊まったことなどない、私には敷居の高い旅館ではあるが、池波正太郎氏の エッセイに登場する名館なのである。
池波正太郎氏は時代劇作家として有名だが、旅の、食の、映画の、そして人生の名エッ セイストでもあった。
名著「よい匂いのする一夜」でも、さまざまな旅館を紹介しているが、単なるガイド ブックにとどまらない、池波氏の思い出や心がつづられているのである。

いつか行ってみたい場所、厳島神社、そして岩惣。
「犬夜叉」のおかげで私の内面世界がどんどん広がっていくのを感じる今日この頃で ある。
 (2003年5月20日の日記) 
陰陽師
先日、注文してあった「陰陽師 太極の巻」が届いた。
安部晴明が活躍する陰陽師シリーズ、夢枕獏著の第7弾。
物の怪好きのご多聞にもれず、陰陽師に関しては昔から関心を持っていたが、残念な がら漫画の方は絵が苦手、映画やドラマは美男子過ぎて、私の陰陽師はもっぱら夢枕 氏の小説が基本となっている。

大膳大夫を父に持つという説が一般的であるようだが、母親の方はなんと霊験あら たかな狐とも言われ、出生からして謎の多い人物である。
子供の頃から不思議な力を持っており、師である賀茂忠行を百鬼夜行から 救ったともされている。
陰陽道にのっとり、式神を操り、となるとまさに「犬夜叉」の世界と共通する部分も 多く、今回の「太極の巻」にも姿こそ違え、悟心鬼の仲間の?サトリ(悟り)までが 登場するほどである。

蘆屋道満との陰陽師対戦など、おもしろい話がたくさん詰め込まれているが、このシ リーズで私が好きなのは晴明本人よりもむしろ源博雅(ひろまさ)。
ホームズの親友ワトソンというか、ポアロの賛美者ヘイスティングスというか、まさ に晴明と好一対をなす主役の一人。
もちろん実在の人物である。

晴明より年上で、後世にも名を残す音楽家。
以前「逆髪」の項で書いた名高い琵琶法師蝉丸の琵琶聴きたさに3年間通い詰めたと いう話は有名である。
実際の博雅がどんな人物なのかは知る由もないが、「陰陽師」での博雅は、純真で朴 訥で武勇に優れ、心優しい。
陰陽道の言わんとするところを無意識のうちに(鋭く)見抜きながら、驚き喜ぶ晴明 の笑顔や言葉にからかわれたとすねる。

この2人の会話がたまらなくいいのだ。
荒れ果てた(ように見える)晴明宅の庭を見ながら2人で静かに酒を酌み交わす。
時には桜の散るさまに、時には蛍の密やかな光に、博雅は時の流れを、自然の移り変 わりを、全ての事象の本質を悟る。
晴明はそれは呪(しゅ)であると語り、博雅は煙にまかれたような気分になるのであ る。

呪とは何か、呪いではない。
晴明はたとえば「箸」を例に挙げてみせる。
ただの2本の木の棒を、人は箸と思って使う。
動物にしてみれば、それはただの木の棒である。

人は箸を使った瞬間に木の棒に「箸」という呪をかけていることになるのである。
ならば、と博雅は問う。
ただの木も、その上を渡れば橋という呪をかけていることになるのか?
そう言っている、晴明はすまして答える。

こんなやり取りが1話毎に繰り返される。
話す内容はほとんど同じ、季節と対象だけが変わるだけである。
その繰り返しがたまらなく心地よい。
ところで晴明・・・

呪について毎回頭を悩ました博雅がおもむろに語りだす。
周りで起こっているその時々の怪異を、託された物の怪退治の頼まれごとを。
もちろん晴明のほうから切り出すこともある。
だが私は実際の物の怪退治よりも、そこに至るまでの2人の会話が好きだ。

いつか晴明神社も訪れてみたいと思っているが、それまではこの本を繰り返しくりか えし読むことになるだろう。
 (2003年5月22日の日記) 
日暮かごめの4ヶ月め 〜月の満ち欠け
前回、灰刀坊に襲われる夜がちょうど朔の日だった。
コミックを参照しているので、昼夜の感じはあまりわからず、月の形に頼るしかない のだが、前から不思議に思っていたことがある。
影郎丸誕生の日の月の形からこの頃を2,3日めと判断するのだが、これは実は24 日〜26日頃の月なのである。
2,3日めの月は向きが反対になっている。
これは前からだったが、影郎丸誕生が24日過ぎということは話の流れ上考えられな いので、2日めとして設定した。
まさかこれこそが「犬夜叉」の戦国時代が別次元の証、というのではないだろうが。 (笑)

1日(朔の日)夜 vs灰刀坊戦。

2日  朝     灰刀坊消滅、vs殺生丸、妖犬化しかける。

    夕方    殺生丸、神楽と会う。
     夜     獣郎丸、影郎丸誕生。 

3日  昼    鋼牙、犬夜叉たちに会う。
     夜    犬夜叉、鋼牙vs影郎丸、獣郎丸 

4日       かごめ、犬夜叉のヤキモチに怒って現代に帰る。
            桔梗、奈落と会う。
          桔梗、巨大死魂虫に襲われるが、犬夜叉に救われる。
          桔梗と一緒にいる犬夜叉を見たかごめ、ショックを受けて現代 へ戻る。

5日   昼   かごめ、犬夜叉への想いを悟る。
          犬夜叉との会話。「ずっとそばにいる・・・。」

24日頃 夜   琥珀、老夫婦の元を去る。
          (この夜の月も影郎丸の時と同じ形と向きである。
          この時すでに24日前後という計算になる。)
           5日からこのあたりまでは何も事件はない。
           25 日以降に蛾天丸、黒巫女椿とバタバタ遭遇することになる。)
          琥珀、妖怪に襲われるが、珊瑚に助けられる。
          神楽との戦闘、琥珀、かごめを襲う。

27日前後    殺生丸、朴仙翁と会見。
          蛾天丸に会い、犬夜叉妖犬化する。
          犬夜叉、vs竜骨精戦を経て、妖怪の心に打ち勝つ。
          かごめ、現代に戻り、学校に行くが、夕方戦国時代に戻り、椿 の放った式神に襲われる。
    夜     椿との戦闘、ずいぶん長いような気がするが、原作ではわずか 一夜の出来事である。

29日頃 昼   七宝、サツキに会う。
30日   朝   サツキとの別れ 

  月のことがなければ、前半にもっと事件が散らばっていたのだろうと思うのだが、ど うやら右を向いた三日月は高橋先生のお気に入りらしい。
 (2003年5月24日の日記) 
5月の終わりに
いつもは月末に書くのですがすっかり忘れてました。
5月はやはり1万HITが嬉しかったですね。

HP以外では、とても余裕のない1ヶ月だったような気がします。
とにかくやりたいことがあり過ぎて、でも時間と体が追いつかない、そんな感じでし た。
ただ、不思議なほど人間関係のストレスがなくて、これは嬉しいです。
私はけっこう気の強い人間に思われがちなんですが、本当はすごい小心者なので、 ちょっとしたことで落ち込んでしまうんです。

あとは「真・三国無双3」に夢中になったことで、「三国志」にも興味が出てきまし た。
犬夜叉系では新しく出たカードを使って七人隊デッキ作成に燃えてます。
家にいると、こんなことばかりで運動不足なので、プールとジムにまた通い始めまし た。

いつも長続きしないので、6月はがんばるぞ!と心に決めてます。
6月は梅雨の鬱陶しい時期ですが、元気に乗り切りたいです。
今月もよろしくお願いします。
 (2003年6月3日の日記) 
妖怪公園(哲学堂公園)にて・・・
物の怪好きなら「井上円了」という名前をご存知の方は多いのではないだろうか。
れっきとした東京帝国大学哲学教授の肩書きを持ちながら、妖怪博士としての方が有 名な方。
妖怪博士と聞くと、つい妖怪が大好きで、といった水木しげる氏のような雰囲気を思 い浮かべてしまうのだが、とんでもない、全然逆である。
円了は、妖怪とはもともと迷信の産物であり、本当の教育、宗教、哲学などの分野、 つまり近代日本を作っていく上での敵とみなした。

以前、「妖怪の分類」でも取り上げたが、円了の考え方はこうである。(著書「おば けの正体より)

 仮怪・・・自然的妖怪。狐火などの物理的妖怪と幽霊などの心霊的妖怪に分けられ る。

   虚怪・・・人為的妖怪。人がわざと作り上げたもの。

 誤怪・・・人が誤って妖怪としたもの。

円了は日本中の妖怪をこのように科学的、心理的見地から分析し、片っ端から解明し ていった。
ただし、円了のすごいところは、「真怪 実怪」として「超理的妖怪。人間の理解を 超えた真の妖怪」の存在する余地を残してあることである。
ここがなんでもかんでも迷信で片付けようとする一部学者と違うところで、真の妖怪 の解明にも熱意を燃やしていたそうだ。

かなり前の話だが、その円了が作った「哲学堂公園」に遊びに行った。
別名「妖怪公園」である。
西武新宿線新井薬師前駅から歩いて5分ほど。
正門を抜けると哲理門(別名妖怪門)。

金網の中は暗くてよく見えないが、本来は仁王様の像などがあるべき場所に、なんと 天狗と女の幽霊が。
顔をくっつけなければ見えないだけに、闇に目が慣れて幽霊像と目が合ってしまうと 本気で怖い。
本当は哲学がメインなのだが、そちらの方は読んでもさっぱりわからないので、「幽 霊梅」だの「鬼燈」「狸燈」などを探し回る。
幽霊梅の写真を撮ると、必ず心霊写真になると噂があるが、大丈夫だった。

顔も風化して表情もよくわからないものの、こちらの心を覗き込むように鎮座する鬼 燈や、横から見ると、丸いおなかが可愛い狸燈など、3時間あまりの散歩コースとし てはなかなかの場所である。
妖怪好きにはお勧めかも。

帰りについでにと言っては失礼だが、新井薬師にも寄った。
名水で有名な場所だが、たしかに冷たくておいしい。
商店街もなんとなく昔懐かしい感じがして、駄菓子屋さんやお豆腐屋さんがなんだか 嬉しい。
私が今住んでいるところは、近くに踏切がないので、いきなり耳元で踏切の警報が鳴 り出した時は飛び上がってしまった。

狛犬が本殿の中にしまい込まれているのは廃仏毀釈の影響だろうか。
「めぐすりの木」なるお茶やかわいいお地蔵様(願い地蔵に捧げる)もあったが、た だで拝んだだけ。
効き目があるかどうかちょっと心配。
私には新井薬師自体よりも、隣の小さな小さな豊川稲荷のお狐さまが可愛くて、何枚 も写真を撮ってしまった。

なんだか妙に老成した気分になった一日だった。
 (2003年6月5日の日記) 

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