犬夜叉考察 6
緋の衣
5月の半ば、薔薇が真っ盛りの旧古川庭園に母のお供で行ってきた。
大正6年に古川虎之助が作らせた庭園で、春と秋の桜の見事さで有名な場所である。

さまざまな色や香り、形の薔薇を見ながら散策しているうち、ふと目にとまったの が、「緋衣(ひごろも)」なる薔薇の花。
「犬夜叉」の影響か、「緋色」と言えば、どちらかというと朱色がかったオレンジに 近いような赤を想像していたのだが、「緋衣」は濃いローズピンクと言ったらいいの かピンク系である。

花弁も大きく、香りは強くないのでさわやかな感じがする。
「緋色の薔薇」のイメージとはだいぶ違う。
「緋鼠」が実在したとしても、朱色がかった鼠ならともかく、ピンク系ではなんだか 気持ちが悪い。

それにしても「マリアカラス」は情熱的な赤い薔薇、「ホワイトクリスマス」は私 が好きな白い薔薇、 「 プリンセス オブ ウエールズ (故ダイアナ妃をイメー ジ)」は同じ白薔薇でもあくまでも可憐で気品高く、「テキーラ」はその名のとお り、濃厚な香りを誇る。

何枚か写真も撮ってはみたが、私の腕ではとても掲載できる代物ではないのが残念。
何よりもこんな所に来てまでも、犬夜叉ワールドにこだわる自分に苦笑している次第 である。
 (2003年6月7日の日記) 
心に残るエピソード 〜かごめ編 1
先日「犬夜叉好きに100の質問」に答えていて、「一番印象に残っている場面は? その理由は?」という質問に対してすごく悩みました。
印象に残っている場面がありすぎて、それもキャラごとに違っていたりするので。
そこで、今回から「心に残るエピソード」をキャラごとに分けて書いてみたいと思い ます。(コミック30巻まで)

1回目はかごめ編です。 10のエピソードを抜き出してみましたが、1位2位といったランク付けはしていま せん。
また、かごめの場合はたくさんありすぎて選ぶのに大変でしたが、基本的に泣ける場 面を選んでみました。

1 蜘蛛頭と朔の日の犬夜叉(原作5巻71ページ)

   蜘蛛頭の毒にやられた犬夜叉をかごめが看病する場面。
   この2人いいな、って 最初に思ったシーンです。
   それまでは妖怪アクション物って意識しかなかったので。
   毒のせいで気が弱くなっているのか、膝枕を頼む犬夜叉、ドキドキするかご め。
   ただ、いかに犬夜叉が弱気になっていても、言わないだろうこんなことって 思ったのも事実です。(笑)
   「やだ・・・ なんでこんなにドキドキするんだろう・・・」
   蜘蛛頭後半のかごめの表情がとても柔らかくて好きです。

2 狼野干と手負いの犬夜叉(8−31)

   かごめを守るために現代に無理矢理返した犬夜叉。
   その真意を悟ることができずに揺れるかごめ。
   やっと戦国時代に戻れて思わず抱きつくシーン。
   これ、私だったら「嫌われたんじゃないかなあ」とかうじうじするところ。
   まっすぐなかごめの性格がうらやましい・・・。
   「しょうがないじゃないっ! 会いたかったんだもん。」
   言ってみたい、けど言えないだろうな、今更・・・。

3 桔梗との口づけの後で(8−180)

   果てしなく続いた追いかけっこの後のかごめの台詞。
   「あたしはやっぱり・・・ 桔梗のかわりなの?」
   犬夜叉の告白の途中で疲れて眠るかごめ。
   「やさしい匂い」って言葉がたまらなく好きです。
   2人の表情も素敵です。

4 奈落の城(12−40)

   犬夜叉たちを苦しめられ、揶揄されたかごめの怒りが爆発。
   破魔の矢が奈落の体を打ち砕くシーン。
   およそ恐怖心というものを持たないかごめの真骨頂。
   かごめの凄み、撰ばれし者としての存在感を感じました。
   正義を歌い文句にしてはいないまっすぐな怒り、小気味良いです。
   あれこれ余計なことを考えない。
   「奈落っ・・・ あんたって本当に・・・ 最っ低!」

5 犬夜叉に会いたい。(18−129)

   地念児の場面も好きですが、似たような場面が多いので、そこは飛ばして私の 一番好きなシーン。
   「犬夜叉」の中でも最高の名場面だと思います。
   桔梗への嫉妬の心、今にして気づく犬夜叉への想い。
   この時のかごめは、まだどうすることもできず涙を流すばかり。
   とても自然な姿、表情も素敵です。
   「あたし 犬夜叉のこと好きだったんだ。いつの間にか・・・こんなに好きに なってたんだ。」                      
 (2003年6月16日の日記) 
漫画雑感 〜動物のお医者さん
犬夜叉日記を書くようになって気づいたこと。
「犬夜叉に会うまでは漫画やアニメに興味はなかった」などと言ってたわりに、漫 画、アニメにずいぶん詳しい私。
実はこれには理由がある。

私は3人姉妹の長女だが、私達3人、性格も趣味も好みも、ほんとにこれで姉妹なの ?と聞きたくなるほど違う。
「酔狂者」を自認する長女の私は洋画、洋楽、プロレス、ミステリーホラー、少年漫 画に夢中だったし、「良くも悪くも平凡堅実」の2番めは邦画、邦楽、少女漫画、 「ジプシー的性格」の3番めはいわゆるアニメおたくで、映画の好みはインディー 系。

おかげで妹たちは興味もないのにクラスで一番プロレスに詳しかったというし、未だ にビリー・ジョエルを聴くとうんざりするなどと怪しからぬことを言う。
私は私でアニメや漫画にやたらと詳しい。

たとえば「動物のお医者さん」。
ドラマは動物を見たいから見ているといった程度だが、漫画の方は大好きである。
ホットメールのアドレス、cyobbiも「動物のお医者さん」に出てくるハスキー 犬の名前である。

この本は2番目の妹のうちで見つけ、コミックで読んだ。
だから連載当時は知らない。
街でやたらとハスキー犬を見かけた時期があったが、今思えばあれが絶頂期だったの だろう。
だが、同じようにあっという間に見かけなくなったこともまた事実である。

何年か前に「あらいぐまラスカル」を見てあらいぐまを飼い始めた人たちが、やがて 始末に困って捨ててしまい、北海道であらいぐまが大繁殖して困ったというニュース を見た。
同じようにあれだけいたハスキー犬の始末に困った人たちはどうしたのだろう。

もちろん漫画に罪はない。
今のドラマでは描ききれていないほのぼのとした雰囲気がおもしろい佳品である。
勝手に感動して勝手に飼って、勝手に捨てるのは人間のエゴであろう。

ただ、ドラマでハスキー犬人気が再燃して、また同じ現象が繰り返されるのではない かと心配している。
ドラマの中で、「ハスキー犬は飼うのが難しい動物です。」といったテロップを見た が、製作者側の良心を見た思いがして本当に嬉しかった。
どれほどの効果があるかはわからないが、こういった誠意がドラマを質良いものにし ていると思う。

他にも「動物にさわったら手を洗いましょう。」などというのもあってこれには笑っ た。
ハスキー犬チョビがモデルとなってポスター撮影に挑むエピソードのことが思い出さ れたからである。

今、私の手元に1枚の写真がある。
2歳くらいの大きなボールを抱えた私、なぜか泣きそうな顔をしている。
そんな私を慰めようとするかのように、顔を寄せて私を見上げている白い犬。
横から撮った写真で、コロという犬がとても可愛い。

私自身には記憶がないが、とても人懐っこく私にもなついていたと言う。
しかし、それから間もなく交通事故で死んだ。
写真を見るたび悲しくなる。
記憶にもない、白い、可愛い犬。

残念ながら今の私、動物アレルギーで犬を飼うどころか動物のそばに30分もいると くしゃみが止まらなくなる哀しい体質。
ドラマのチョビを見るたびに、記憶にないコロを思う最近の私である。
 (2003年6月21日の日記) 
漫画雑感 〜風の谷のナウシカ
ご多分にもれず、私も宮崎駿監督の大ファンで、宮崎作品はルパン、ハイジから「パ ンダ子パンダ」に至るまで網羅しているが、あまりアニメを観ているという意識はな かったような気がする。

子どもの観るアニメとは一線を画した、いわゆる実写映画のような認識だった。
だから、今、犬夜叉を観ていて言われるように、「マンガなんか見て・・・。」とあ きれられた記憶もない。
私の好きな宮崎作品をリストアップしてみると

 1 風の谷のナウシカ
 2 となりのトトロ
 3 もののけ姫
 4 千と千尋の神隠し
 5 カリオストロの城

といったところだろうか。
あと別格として「火垂るの墓」。
これは娯楽作品としてのアニメとは同等にできない。

なぜ今回、こんなことを書き出したのかというと、「風の谷のナウシカ」こそが、 「原作のアニメ化(あるいは映画化、ドラマ化など)」難しさを端的に表している作 品として有名だからである。
原作宮崎駿、映画化宮崎駿。
理想のシチュエーションでありながら、生まれた作品は全く違う。

などと書いてみたが、残念ながら私は原作の方は読んだことがない。
今、この文を書く前に検索してみたら、原作も買うことができることを知った。
早めに買って読んでみたいと思っているのだが。 

原作はより重く、より深い、と聞く。
環境問題を取り上げ、痛烈な社会批判をしているとも聞く。
それらを全て盛り込んで映画にすることが、宮崎監督でさえもできなかったのか。

原作を読んで、映画を観た人の感想は、おしなべてこうである。
「映画は原作のうわっつらをなでてみただけに過ぎない。」
私がいつもアニメの「犬夜叉」や「十二国記」を観て思っていることと同じ。
ただ、少なくともナウシカには、極端なキャラ設定の変更はないようだ。

具体的に、原作をアニメ化などする上で、どこが難しいのかわからないが、(これな どは実際に作ってみなければ絶対わからないだろう。) そういった舞台裏などをもう少し教えていただけたらな、と思う。
いつも宣伝など、良い部分、誰が見てもわかる部分だけを流すのではなく、なぜこう いった設定にしたか、基本となる部分。

たとえば前に書いた「十二国記」、なぜオリジナルの2人組が出てきたか。
陽子一人では会話がなく、映像的に変化がないからだと知った。
好き嫌いはともかくとして、それならば納得できる。

犬夜叉ももう少しそんな部分を見せて欲しいと思っているのは私だけだろうか。
 (2003年6月24日の日記) 
第18回ワールドホビーフェア
6月20日、幕張メッセに行ってきました。
今回は一緒に行く人がいないので、無理矢理甥っ子を連れて。
いつもはうちでゴロゴロしていて、お土産だけを待ちかねるやつですが、グッズ探し がいかに大変かを学ばせねば。

でも、姉と弟には見えないだろうな。(笑)
私にもこんな子どもいたっておかしくないんだし。(うちにはいませんが。)
どう見ても親子?と思うと嬉しいようなくすぐったいような、不思議な気持ちです。

ところがこの日はなんと33.3度の真夏日!
しかも炎天下にて1時間半待ち!
しんどかったです。

最近は「混んでても待つ」「並んでも待つ」といったこと、全然なかったからな。
「混んでたらあきらめる」「並ぶくらいならあきらめる」主義になってしまった根性 なしです。
それでもWHF慣れはしてるので、飲み物確保、甥っ子にはGBA、自分には本を用 意してスタンバイ。

待ってる間、カタログ見てたら、「セットテレカ(犬夜叉、コナン)」「シングルテ レカ(コナン、犬夜叉etc.)」などなど、犬夜叉とコナンがかわりばんこに一番 に名前が書かれてて、気を使ってるのね、いろいろ、と感心してしまいました。

ところが、今回サンデーブースが一番力を入れていたのは、どうやら「金色のガッ シュ」とやら。
カードもグッズもこちらがメインで、犬夜叉巫法札合戦会場は寂しい感じでした。
(私の見た限りでは)

それでもサンデーでテレカ×2種、犬夜叉(とコナン)ハンドタオル、鋼牙も入った クリアファイル×5枚。
お菓子のところで今まで持ってなかった犬夜叉七味あられと抹茶クランチ。

あとどこでだっけ?
犬夜叉&コナン万華鏡とぬりえ、学習帳(買ったはいいが、どうしよう・・・?)な どなど。
甥っ子はコナンの新作ゲームを体験プレイしてご満悦。
帰りは秋葉原によって鋼牙と犬夜叉のダブルキーホルダー、ラスカルフィギュアにP S2ソフト「かまいたちの夜 2」にカードを少々。
精神年齢は完全に甥っ子並みだな。

そのうち犬夜叉グッズを写真にとってアップしようかなと思ってます。
 (2003年6月27日の日記) 
心に残るエピソード 〜かごめ編 2
かごめに関しては、やはり優しさに触れる部分が一番好きですね。

6 犬夜叉の元に戻ってきたかごめ(原作18巻149ページ)

   犬夜叉と桔梗を見て自分の気持ちに気づいたかごめが犬夜叉のところに戻って きます。
   桔梗のことも全て受け入れてそれでも一緒にいたい、そんな素直な気持ちがな んだか愛しくて。
   井戸の端に座っているのを犬夜叉が見つけるところから、言葉、表情、全てが 好きです。
   「一緒にいていい?」

7 黒巫女椿に矢を放つかごめ(20−162)

   めずらしくかごめの怒り大爆発シーンです。
   他にもあることはあるんですが、この時の顔がなんか凛々しくて好きです。
   「あたしはかごめよ!ほかの誰でもないわ!!」

8 犬夜叉の寝顔を見守る(23−112)

   「休息」はとにかく好きなエピソード。
   全部が全部いいんですが、最近珍しい私服姿も可愛いです。
   「安心して眠ってね、今夜くらい。」

9 犬夜叉の涙に・・・(25−114)

   霧骨の毒で瀕死の状態だったかごめ達が冥加の血吸いで蘇ります。
   始めて見る犬夜叉の涙に。
   「犬夜叉・・・ ありがとう・・・」

10 告白は聞こえてた?(29−130)

   奈落の赤子に支配され、四魂のかけらを埋め込まれそうになります。
  赤子に負けない強い魂と、犬夜叉への想いがかごめ自身を救います。
   この叫び、犬夜叉には聞こえなかったみたいですね・・・。
   「私が犬夜叉を・・・大好きだってことよ!」

番外編 最近珍しいお笑い場面(30−179)

   宝仙鬼に会いにいった犬夜叉とかごめ、宝玉を待つ期間100年と聞いて揃って「ばた」と倒れる場面。
   余計な台詞もなしにこれほど笑わせてもらったのは久しぶりでした。

みなさんはどんなエピソードが心に残ってますか?
良かったら教えてくださいね。
 (2003年6月29日の日記) 
6月の終わりに
5月6月の犬夜叉カレンダーは、犬夜叉vs鋼牙バージョンでしたが、今日でそれも おしまい。
もちろんちゃんと取っときますが。
明日から7月が始まります。

7月は七夕もあって私の好きな月ですね。
星座や宇宙の現象などが、子供の頃から大好きで、プラネタリウムや宇宙の不思議図 鑑など、夢中になっていましたから。
池袋サンシャインのプラネタリウムがなくなってしまったのは、本当に残念でした。

七夕伝説もロマンチックで素敵ですよね。
個人的に思い出の日でもあります。
今年は織姫さんと彦星さんが出会うことはできるでしょうか。
てるてる坊主でも作ろうかな・・・。

ところで今月は「好きな作家を教えてください。」というアンケートをお願いしまし た。

 1位 小野不由美
 2位 喜多嶋隆
 3位 松本夏美
 4位 西村京太郎
 5位 村上春樹

といった結果が出ました。
小野不由美、西村京太郎は大好きな作家ですし、村上春樹もよく読みますが、喜多嶋 隆、松本夏美は(たぶん)読んだことがないので、今度読んでみますね。
どの本がお勧めなのかしら・・・?
ご協力ありがとうございました。

今月は「お勧めの映画を教えてください」というテーマでお願いします。
今日は午後がお休みで、しかも夜に用事があるので日中更新しています。
アニメの感想は明日となります。

毎日暑い日が続きますが、皆様も体調には気をつけて、暑い夏を乗り切ってください ね。
 (2003年6月30日の日記) 
心に残るエピソード 〜犬夜叉編 1
犬夜叉編となると、どうしてもかごめと重なることが多いのですが、なるべく同じものにならないように選んでみました。

1 やかましい! おれがおまえを守るっつってんだ。(原作2巻169ページ)

   全体的に後半に入ってからの方が、心に残るエピソードって多いんですが、「犬夜叉ってこんなヤツなん
   だ。」って、かごめと共に見直したのがこのエピソード。
   斬れない鉄砕牙でかごめを守ろうとする決意。
   乱暴なだけではない犬夜叉の人となりが始めて表れた台詞だったと思います。

2 かごめが死ぬかもしれないと思ったら・・・ こわかった・・・(7−112)

   殺生丸によって傷つけられたかごめ。
   この時はなんとか守りきったものの、かごめを失うかもしれないという恐怖に怯える犬夜叉。
   犬夜叉の真意を理解することができずに揺れるかごめに「わかってやりなよ。」と何度語りかけたことか。
   こういった時の犬夜叉やかごめの心理状態って私にとってはもはや「懐かしい青春の思い出」ですね、感覚
     的には・・・。
   その点、弥勒は精神的な成熟さを感じます。

3 やっぱり・・・ かごめにそばにいてほしい・・・(8−74)

   かごめの帰還に力が倍増、一太刀で狼野干を倒した犬夜叉。
   「会いたかった」というかごめの言葉に必要とされることの暖かさを知る。
   生身の人間であるかごめ達を、危険を承知で仲間とすること、煉骨の言うとおり犬夜叉の弱点ではあるが、
     同時に犬夜叉の優しさの表れでもあるでしょう。

4 かごめ・・・ そばにいてくれるんだな。 やさしい匂いがする・・・(8−185)

   疲れきったかごめが眠り込んだのも知らずに、素直な告白を続ける犬夜叉。
   この時の2人の表情もたまらなく素敵。
   ちゃんと起きてて、聞いていて欲しかったなあ、と思ったのは私だけではないはず。
   そこがまたいいのだけれど。

5 いつの間にか・・・ 当たり前みたいにかごめがそばにいる− おれの居場所だ−(12−132)

   「気がついたらひとりぼっちになってた。」
   地念児のことから半妖としての孤独を率直に語る犬夜叉。
   「今はひとりじゃないんだもの。」
   かごめの笑顔にああそうだって気づくところ。
   かごめの優しさがいいなあって思うところでもあります。 
 (2003年7月6日の日記) 
日暮神社じゃないけれど
先日ぶらぶら歩いていて、素敵な神社を見つけました。
まるで日暮神社のように石段を登っていく神社。
その名も「市谷亀ヶ岡八幡神社」。
1478年に太田道灌が建立。
大本は鎌倉鶴ヶ岡八幡宮。
道灌は、室町時代の武将であり、歌人としても有名。
江戸城、川越城、岩槻城などを築いた人。
江戸の礎として、今年の江戸開府400年で再び脚光を浴びているようですね。

もしかしたら、露姫(九十九の蝦蟇)が嫁いだ城も、道灌の手によるものかもしれま せん。
そんなことより、かごめちゃんの気分で石段を登ってみたり、駆け下りたり、と思っ たら、ものすごい急な石段で危うく転げ落ちそうになりました。

もちろん神社の形も全然違うし、日暮神社のモデルなんて言うつもりはありません が、鳥居のそばに立ち、下の風景を見下ろすと、かごめちゃんもこんな風に眼下の町 を見下ろしていたんだなあとしみじみ思います。
黄色い電車は総武線、お堀ではのんびり日向ぼっこするおじさん、湿った風、むっと する草の匂い・・・。

残念ながら、と書くと神社に失礼ですが、ここの鳥居は新宿区内唯一の銅鳥居、赤く ないんです。
しかも御神木は、どう見てもイチョウだし。(笑)

などとのんびり散策していたら、なんと猫がお出迎え。
こちらのブヨは白と黒のスマートな気品ある猫。
思わず「ブヨ。」って呼んでみたら、ずいぶん人なれしているようで、すぐに寄って きてくれました。
何枚写真撮っても全然平気、楽しい時間を過ごすことができました。

以前は市谷御門内にあったのをこの高台に移したのだそうですが、都心にあるのに、 一歩鳥居をくぐれば本当に静か。
  広くはないので、座って本を読んだり、なんてことはできませんが、かごめちゃん気 分になりたい時は、また行ってみようかな、と思ってます。
 (2003年7月7日の日記) 
心に残るエピソード 〜犬夜叉編 2
6 いて・・・ くれるのか・・・?(原作18巻150ページ)

   桔梗への想いを断ち切れない犬夜叉。
   そんな想いもひっくるめて犬夜叉を受け入れるかごめ。
   犬夜叉の想いがどちらに対しても真剣であるだけに、こうするしかないんで
   しょうが、やっぱり問題あるぞ、この性格。
   犬夜叉の「正統派ふたまた確立」が決定した瞬間ではありますね。

7 寝顔・・・ (23−110)

   かごめの部屋で眠り込んでしまう犬夜叉。
   やさしい匂いに包まれて・・・。
   寝顔が可愛いですよね。

8 涙・・・ (25−114)

   かごめ達が霧骨の毒から奇跡の生還。
   犬夜叉の涙と、それを隠そうとするしぐさが何とも言えないです。
   こんなに想われてる仲間っていいな、って思います・・・。

9 あー ムカつく。 (27−90)

   犬鋼漫才は数あれど、一番好きなシーンがここ。
   鋼牙を助けて早速水浴び、ぶるるっがいいし、鋼牙も「なんか・・・ すっげームカつく。」と応戦。
   アニメで犬夜叉が鋼牙を背負うシーンがあったけど、あれは見たくなかったなって思います。
   心の中のイメージでいろいろ楽しんでいたかったから。

10 ・・・顔が見たくなったんでい。文句あっか。(29−167)

   何気ないシーンですが、犬夜叉がこんなに素直に言ってんだから、もっと喜べ
ば?ってやきもきしたシーン。

犬夜叉&桔梗がらみのシーンもたくさんあったんですが、10個選んだらこうなって しまいました。
桔梗の項で紹介したいと思います。
 (2003年7月15日の日記) 
麗しの牛頭と馬頭(コミック31巻)
301話「門の向こう」からは、サンデーを読んだ時に感想を書くようになったの で、今回は3話分。
それにしても、今、コミックを通して読んでから、自分の感想を読み返してみると、 あれこれ推測していることがはずれてばかりで何だかおかしい。
というより恥ずかしい。
それもあって小説や詩も考察日記もUPした後は、なるべく読まないようにしている 次第・・・。

現在進行形では黒く汚れてしまった宝仙鬼。
30巻「宝仙鬼」で、犬夜叉達は宝仙鬼に会いに行く。
巨大な阿古屋貝?の中でさまざまな宝玉を育てる妖怪、それらの宝玉のひとつひとつ が墓場に通じる入り口となるという。
どう見てもあの場所は海ではなく湖のようなので、阿古屋貝ではないだろうが。

だが宝仙鬼はすでに死んでいた、しかも宝玉を使い切って。
新しい宝玉を譲ってもらいたいかごめ達、「百年(待て)。」と言われて揃って倒れ るところがたまらなくおかしい。
珊瑚の「妖怪ってのは気が長いもんだね。」という台詞もおもしろい。
このおとぼけモードの宝仙鬼からは、現在の父宝仙鬼の姿は想像もつかなかったのだ が。

宝玉をあきらめた犬夜叉達は、神楽の誘いに乗る。
麗しの牛頭馬頭の待つ火の国へ。
話の流れを壊すことになるだろうが、この「火の国道中記」はぜひ描いて欲しかった 部分。 特に今週の殺生丸、神楽、邪見御一行様がどんな旅をしたのか興味津々なだけに、気 づいてみたら火の国だったというのはちょっとつまらない。

手乗り最猛勝と語り合う白童子、アニメではどんな声になるのだろう。
森川さんの「かわいこぶりっこ」?それも聞いてみたい気がする。
可愛い声で「くくく」と笑う森川さん・・・、なんか変。

それはともかく、ついに扉の前に立つ犬夜叉たち。
「敷石がわりに」敷き詰められた妖怪たち。
扉の前に立つ巨大な牛頭と馬頭の像。
髪型と、それぞれ牛、馬の横顔の形の胸当てがどっちがどっちか教えてくれるが、お しゃれで素敵。

通りたくば死者となれ、と(おそらく)何の抑揚もつけずに言い放つのだろう。
アニメで早く見たい。
苦戦する犬夜叉だが、冥加の助言をうけ、何とか扉を封じる鎖を破壊する。
先陣きって飛び込んだのは神楽だが、扉の向こうから発する光によって、あやうく石 像にされるところだった。
犬夜叉たちも結局あきらめ、別の道を探すことになる。
そして「阿毘登場」へとつながる。

サンデーで毎週読んでいても、こうして通して読み返してみると、改めておもしろ い。
ところで、現在テレビで「高橋留美子劇場」が放映されており、もちろん私も見てい るが、思うことは、私は「高橋留美子ファンではなくて犬夜叉ファン」ということ。
もちろん高橋作品はほとんど全部読んでるし、見られる限りは見ているが、やはり 「犬夜叉」とはどこか違う。

「犬夜叉」を知ってから見たり読んだりするせいだろうか。
ちょっと寂しい気がする。
 (2003年7月18日の日記) 
もののけの住む国 1 〜南方熊楠
2003年1月1日、ヒストリーチャンネルで「ものの怪の住む国」前後編が再放送 された。
犬夜叉好き=もののけ好きである私にとって、待ちに待っていた放映だった。

前編ではもののけを愛し、研究する2人の人物が登場する。
1人は柳田國男。「遠野物語」が有名な民俗学の大家であり、もう1人は南方熊楠 (みなかたくまぐす)。
熊野地方(和歌山、三重、奈良に渡る山深き地)に住んだ世界的な博物学者、同時に 民俗学にも造詣が深い。
この2人の文通を通して、番組は「もののけとは何か?」その本質を見極めていく。

南方が住んでいた熊野地方は古くから自然を神と崇める自然崇拝の土地柄であったと される。
以前、内田康夫著「熊野古道殺人事件」を読んだことがあり、少し調べたので熊野古 道、那智の白滝、雲取越などに関しては知識があったが、南方の時代はそのさらに 昔、修験者や信仰人のみが辿る奥深い山であっただろう。

1 ひだる

熊野のもののけについて問われ、南方はまず「ひだる」をあげている。
ひだるは、山道で取りつく行き倒れた人の霊だとされる。
ひだるに取りつかれると、意識が朦朧となり、倒れてしまう。
南方自身も何度かやられており、背中に背負った荷物のおかげで頭を打たずにすん だ、などと書いている。
また、この時、米粒を食べると助かるとも書いている。
このことから南方は、険しい山道を歩く上で生じた極度の疲労が、ひだるというもの のけを生んだのではないかと考察している。
同様に、「亡者の出会い」という場所もあって、ここで人は死んだ肉親や知人に会う という。
これもまた、疲労が見せた幻覚であろう。
このように、南方は熊野特有のもののけを柳田に紹介し、なぜそれが生まれたかを記 していく。

2 一本ダタラ

一つ目一本足の妖怪、女性をさらい、生き血をすするとされる。
一本ダタラの正体は、当時「ダタラ氏」と呼ばれた山岳地帯に住む製鉄民であったと される。いわゆる刀鍛治。
製鉄業は大変な重労働で、常に炉の穴から片目で火の状態を確かめるため、熱風で片 目がやられる。
さらに、いつも片足でふいごを踏み続けなければならないので、片足がやられる。
そこから片目、1本足のもののけが生まれたのだろう。
ちなみにこの「ふいご」の別名が「たたら」である。

それだけならまだしも、彼らが砂金を取るために流した泥が麓の水田を傷め、村人と のいさかいが耐えなかった。
さらに、女性に不自由していたため、山から下りてきては女性をさらうなどといった (神隠し)話も加わって、一本ダタラが登場したのである。

3 ゴウラ

河童の一種。
テレビではカタカナでしか出てこないが、私はカメや河童の甲羅(こうら)の字を当 てはめるのではないかと思っている。
大水の時に現れて子どもをさらう妖怪。
過疎の村では、子どもは大切な存在である。
子どもが水難に会わないようにと願う親の心が生み出したもののけ。

南方は純粋な民俗学者ではないが、熊野という霊気に満ち溢れる地に住むことで、さ まざまなもののけに出会い、その歴史を辿り、分類していった。
そして、もののけの発生は信仰の衰退によるものと位置づけている。
このことに関しては後ほどまとめたい。
 (2003年7月19日の日記) 
心に残るエピソード 〜桔梗編 1
「心に残るエピソード」を書き始めて気づいたこと。
主役である犬夜叉に対する言葉や行動で印象的なものが多いことは当然でしょうが、 奈落に対するものも多いんですね。
かごめにしても桔梗にしても。
愛するにしろ憎むにしろ、やはりそれだけ深く関わっていることですから、ある意味 奈落は幸せ者と言えるかもしれません。

1 やっぱり・・・ 私らしくないか・・・ (原作5巻163ページ)

原作を読み始めて、「あれ?もしかして桔梗って生き返るの?」って思い始めた頃です。
でも、生き返るにしても1話限りだろうなあと思ってました。
下から犬夜叉を見上げる桔梗の寂しげな笑顔が、今まで抱いていた桔梗のイメージとだいぶ違って驚きました。
でも、裏陶事件で、あんな性格になっちゃって、せつなかったです。

2 犬夜叉に抱きしめられて・・・ (6−16)

犬夜叉に激情を迸らせた桔梗、そんな桔梗を犬夜叉は「おまえは人間で・・・ 女だから・・・ おれよりずっと・・・ ずっと辛かったんだな・・・」と抱きしめます。
本当なら、桔梗はここで鎮まっていたと思います。
話の進行上、救われない設定にされてしまった悲劇のキャラかもしれない、そんな風に考えていました、当時は。

3 死魂虫と戯れる・・・ (8−95)

桔梗を一番美しいと感じる場面です。
本当は死んだ娘たちの魂を集めている場面なのですが、元結をほどいて、同時にあふれる愛を解き放っているようにも見えました。
でも、これが桔梗でなかったら、女たちの安らかな眠りを奪う物の怪のひとりとして退治されているんですよね。
最高に美しいけど、最高に哀しい場面でもあります。

4 生きていれば− この私が犬夜叉の心を癒すはずだった。(8−177)

かごめも恋に関しては辛い経験をしていますが、本当に辛いのは桔梗なんだな、と思えた場面。
いつも犬夜叉と一緒にいて、犬夜叉の想いもかごめに向いてて、そんなかごめに対する桔梗の辛さは比べ物にならないでしょう。
今はまだ、桔梗自体が苦しみ抜いている時期。
読めば読むほど桔梗の人間臭さが胸に迫ってきます。

5 この私がきさまを地獄に送る。 (13−112)

運命の幻影殺から解き放たれた桔梗の決意。
悲しみも憎しみも乗り越えた孤高の巫女として存在する桔梗。
桔梗を見直した瞬間でした。
申し訳ないけど、それまでは、犬夜叉とかごめの恋の障害といった意識が強かったので。
 (2003年7月24日の日記) 
心に残るエピソード 〜桔梗編 2
6 生きていたな・・・ よかった。(原作16巻84ページ)

桔梗により四魂のかけらを手にした奈落が犬夜叉に重傷を負わせます。
そんな犬夜叉を気遣う桔梗。
桔梗への不信感も拭い去ってしまう桔梗の優しさと決意。
ただ、犬夜叉の首に腕を回す桔梗が、犬夜叉の首をグキッとやりそうで、絵的 に怖いかも。(笑)

7 大丈夫だ、犬夜叉・・・ おまえ以外の男には、髪の毛一筋も触れさせはしな い。(18−85)

犬夜叉への気持ちを素直に吐露。
時と場合により、高笑いしたり、懐剣で切りつけたりすることも・・・、ある はずがない。
でも、奈落もけっこう紳士的だったりする桔梗の扱い。
犬夜叉、こんな時は、完全にかごめのことは忘れてるんだろうな、見事なほど のふたまただ・・・。

8 覚えておけ 奈落。きさまは私を殺せない。(18−102)

こういう凛々しい桔梗も好きです。
こんなに関心を持たれるなんて、ある意味奈落は幸せ者。
桔梗と奈落の愛憎劇は、桔梗と犬夜叉のつながりよりもずっと凄みがあると思 います。

9 白霊山の麓にて、見つめ合う・・・ (26−10)

桔梗のまなざしがたまらなくせつないシーン。
この時ばかりは、2人きりにしてあげたい、って思いましたもん。
でも一方で、かごめの気持ちに胸が痛む。
一番罪深いキャラ、ある意味犬夜叉かも。

10 死を・・・ 選ぶと?(27−78)

犬夜叉より奈落より、睡骨といる桔梗が好きだったなあ。
桔梗自身は睡骨に対して、本心を見せるような場面はなかったですが、もし、 犬夜叉や奈落とのしがらみもなく、睡骨
もそのままの睡骨だったら、意外に大人同士穏やかな生活を送ることができた かも、なんて思います。
桔梗を任せる気持ちになれるほど、私にとって睡骨は魅力的な人でした。
 (2003年7月26日の日記) 
四魂について
今日の考察日記は「短いおはなし」の付記として書いたものです。

     ☆     ☆     ☆

今回書いた「四魂」は一応「犬夜叉」で語られる四魂の意味を、私なりに解釈してみたものです。
実際は、他にもさまざまな解釈の仕方があり、私が書いた物が正しいというわけではありませんので御了承願います。

たとえば、犬夜叉において、四魂は「人間の魂」として設定されていますが、これは広い意味を持つ四魂の中から、犬夜叉に関係ある部分だけを抜き出したものと思われます。

広くは四魂とは人間だけでなく、神々の持つ魂(あるいは神々の性格)を意味するものであり、時には神霊界における分類を意味することもあるようです。

たとえば、「荒魂」は神の持つ荒々しい側面、もしくは荒ぶる神を意味することもあります。
台風や洪水などの自然災害もこのせいにされていたようです。

「和魂」は「荒魂」の反対でその名のとおり和やかな一面を持ちます。
日の光の暖かさなど。
自然信仰の影響を受けているのでしょうか。

もうひとつは、霊学における世界観念で、神界(神のいる場所)は私達の魂の中の奇魂に等しく、幸魂は霊界であるといったような考え方。
和魂は幽界、荒魂は視界だそうです。

言葉としてはなんとなくわかるんですが、やはりきちんと定義づけて捉えることは難しいようです。
 (2003年7月25日の日記) 
もののけの住む国 2 〜柳田國男
民俗学におけるもう一人の巨人、柳田國男。
妖怪に興味はない人でも、その名前と「遠野物語」という本のタイトルは聞いたことがあるのではないだろうか。
森鴎外らと共に文学活動を進める傍ら東京帝大、農商務省農務局、朝日新聞社と移っていき、同時に「遠野物語」をはじめとした民俗学の研究を行う。

その「遠野物語」で柳田は遠野では、人々が数々の伝承を育んできており、その暮らしは神や仏への厚い信仰心によって支えられてきたのだとつづっている。

たとえば常堅寺というお寺がある。
このお寺には河童の姿をした狛犬があるが、これは昔、常堅寺が火災に見舞われたとき、河童が水をかけて火を消してくれ、感謝した当時の住職が彫ったものだと伝えられている。

また、そのそばにはカッパ淵と呼ばれる場所があり、そこに女性が夜遅くまで一人でいるとカッパに襲われ、カッパの子を身ごもってしまうと言われていた。
もちろんカッパの子を産むわけにはいかないから、生まれた子どもは殺してしまう、つまり間引きである。
これなども冷夏による飢饉の多かった遠野で、口減らしのために間引きが公然と行われていた事実を示している。

「あれはカッパの子だったのだから。」とカッパのせいにすることによって罪の意識、己の心の苦しみ、我が子を手にかけた悲しみなどを少しでも取り除こうとしていたのだ。
殺された子ども達の魂を慰めるために「五百羅漢」が作られ、私も何度か見に行ったことがある。

もっと悲しみに満ちた雰囲気を想像していたのだが、一体一体がとても穏やかな優しげな表情をしており、せめてあの世で、あるいは生まれ変わって今度こそこんな顔をして暮らせますように、という親の願いが込められているのかと胸がいっぱいになった。

それから「座敷童子」。
座敷童子が住み着いた家は栄え、座敷童子が出て行った家は滅びてしまうというこれも有名なもののけの一人。
以前、座敷童子について調べた時に、気になることを見つけた。
昔話などによくあるパターンだと、まず貧乏な人が良い行いをして、お金持ちになる。
だが、それで増長して傲慢な人間になってしまったため、しっぺ返しを喰らって、また貧乏のどん底に落ちてしまう。
つまり良くも悪くも自業自得である。

ところが座敷童子の場合は、あまりその家に住む人の行いには関係しないようだ。
気まぐれみたいに家を選んで出たり入ったりしているように見える。
今回わかったのだが、この座敷童子も、貧富の差が激しかった当時、お金持ちの人々に対する妬みの気持ちを、「あそこには座敷童子がいるから仕方がないんだ。」と自分を納得させようとする気持ちが生み出したもののけだった。

現実の世界では、善行をしたからといって報われるとは限らないし、あくどい人間でお金持ちになれる人もいる。
そんな現実を背負って生まれたもののけだけに、その物語りもまた生々しい。

このように「もののけとは何か」を問う2人の民俗学者について書いてきたが、「もののけの住む国」はまだまだ終わらない。

     ☆     ☆     ☆

前回書いた「一本ダタラ」について。
一本ダタラとは、当時「ダタラ氏」と呼ばれた山岳地帯に住む製鉄民であったとされる。」と書いたが、実は「もののけ姫」に形は違うが「タタラ場」が登場する。
あそこで描かれるタタラ場に関しては、宮崎アニメらしからぬ(と当時は思っていた)ドロドロ感が気になっていたが、それに関してはいつか書くこともあるかもしれない。
今回宮崎駿インタビュー集を読んで、今まで宮崎監督に抱いていた先入観と、アニメに時おり見られるシニカルな部分との違和感が、見事に消失した気がしている。

とにかく宮崎駿という人は、「子どもが大好きな、白いひげの優しい目をしたおじさん」などではなかった。(笑)
そんな先入観を持っていた私も私だが。
どうやら宮崎アニメ、もう一度見直す必要がありそうだ。
 (2003年7月27日の日記) 

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