犬夜叉考察 8
8月の終わりに
秋を向かえ、TOPも秋バージョンにして見ましたが、外はまだまだ夏の雰囲気、暑いです。
でも今朝、ごみを出そうとドアを開けたらセミの死骸が落ちてました。
確実に秋の気配は忍び寄ってきているんですね。

さて、今月のアンケート、「好きなOP、ED、テーマ曲」でしたが、今までで最高の盛り上がりでとても喜んでいます。
全部で264票(うち管理人による項目作りのための投票20票)、本当にありがとうございました。

1位 GRIP!  28票

・ELTが好きなので。
・いつまでもこの曲がいい
・最高!
・元気がでる、犬夜叉に、ピッタリの曲〜vv
・七人隊が出てるから!
・ノリの曲で、カッコイイ!!
・めっちゃスキですvv毎日聞きまくりです♪
・好き!
・サビ大好き!!

現OP曲ということもあり、1位獲得。
毎日のように投票していただきました。
固定ファンがついているなあって感じがしました。

2位 犬夜叉幻想 24票

・アニメにもつかわれてないんだけどすごくかつこいい

この曲に関しては1度に24票入ってました。(笑)
熱烈なファンがいらっしゃるんですね。

2位 鋼牙のテーマ 2位

・短いですが良い曲です!!
・風のイメージがよく出てるから
・かっこいい♪
・一陣の風ですね♪
・好き♪
・キャラは犬夜叉ですが、テーマ曲は鋼牙が好きです
・弾いてみたら犬夜叉のテーマと似てるんですね〜
・今日は鋼牙に会えますね♪

「犬夜叉幻想」と同率2位獲得!
管理人の一番好きな曲なので嬉しいです。♪
「一陣の風ですね。」と書いていただきました。
うちのサイトのテーマ曲にしたいです♪

4位 珊瑚のテーマ 23票

・珊瑚好きだから。
・曲はあんまり印象ないですが、珊瑚が好きなので・・・(^_^;)
・珊瑚ちゃん最高!
・お大事に>管理人さん。

ちょうど体調を崩していた時にお見舞いまでいただきました。(笑)
ありがとうございました。

5位 桔梗のテーマ 22票

・桔梗にふさわしい曲だと思います。
・これで1位かな?
・桔梗の雰囲気と合っています。
・雨の日にぴったりの曲かも(^^♪
・桔梗いいですー!
・盛り上がってますね、ここ(^^♪

実は10位くらいまでは僅差ですごく競っていたんです。
もう少し続けていたら、順位も大幅に変わったかも、って思います。

6位 I am 21票

・聞くと元気が出ます!
・楽しい曲だから!
・今でも毎日聞いています。
・私も毎日聞いています♪
・またテーマ曲うたってほしいですね

私もOPの中では一番好きな曲です。
元気が出ます!

7位 EVERY HEART -ミンナノキモチ - 20票

・これもいいですね。
・せつなくなります
・新EDは安室さんらしいですよ。

知らない間に情報までいただいて(笑)。
ありがとうございました。

7位 深い森 20票

・管理にさんに同じです♪
・好き♪
・置いてかないで〜
・癒しの曲
・僕達は〜♪
・生き〜る〜ほどに♪

「EVERY-」と同率7位です。
私が一番好きなEDです。
歌ってる方がいらっしゃいます。
このまま続けば1フレーズ歌ってたでしょうか。(笑)

9位 CHANGE THE WORLD 19票

・一番犬夜叉らしいと思う。
・再放送でもう一度見たい。
・V6好きだから。
・↓ほんとうですね。
・かっこいいから!

「一番犬夜叉らしいと思う。」
同感です!

10位 犬夜叉のテーマ 18票

・上位4曲競ってますねえ(^_^;)
・あっ、本当だ。
・犬夜叉にはまぅたきっかけもこの曲です。
・☆★音楽の流れが大好きです(^−^)★☆
・この曲がなければアニメ見てなかったかも・・・
・すごい迫力、いろんな番組でも使われてるみたいですよ。
・犬夜叉LOVE♪

意外に低いかな?ってちょっと残念。
「アド街っく天国」「世界ふしぎ発見」他、いろんなところで遣われてますね。
私もこの曲で「犬夜叉」にはまりました。

11位 神楽のテーマ 15票

・神楽姐さん、いい女!
・かっこいい女性ですよね、声もいいし
・神楽ってかっこいいよね。

曲よりも神楽に対する投票ですね。(笑)
でも、神楽も曲も凄く合ってて、私も大好きです。
頑張って欲しいですね、神楽姐さん。

12位 Dearest 8票

・名曲!!
・歌も良かったけど、背景も良かったから!

意外に苦戦、一番売れた曲ではないかと思うのですが。

13位 My Will 4票

今見ると、すごく懐かしい気がします。
よく考えられた画像でしたよね。

13位 弥勒のテーマ 4票

・弥勒様LOVE♪

弥勒のテーマも素敵なのに意外と苦戦。
弥勒初登場は衝撃的でした。
「My Will」と同率13位。

15位 ゆらゆら 3票

「鏡の中の夢幻城」の曲でしたっけ?
あまり印象にないです。

15位 愛の謳 3票

・各カップリングにはぴったりって思うんです

う〜ん、これもあまり覚えてないです、ごめんなさい。
「ゆらゆら」と同率15位です。

17位 イタズラなKISS 2票

・歌詞がかわいくて、聞いていて心がなごみました v

現ED、かごめの心情を歌い上げている曲ですね。

17位 真実の詩 2票

・歌詞の意味がとても深い

「イタズラなKISS」と同率17位。
たしかに私も歌詞を聞いてドッキリでした。(笑)

18位 no more words 1票

残念ながら管理人の項目作りのための1票のみでした。

18位 終わりない夢 1票

これも残念ながら管理人の1票のみ。
実は「犬夜叉」の中で一番苦手な曲かも・・・、ごめんなさい。

18位 真面目に戦う弥勒 1票

・一大イベント記念曲ですから

たしかに。(笑)
こんなタイトルつくところが弥勒らしいと言うか・・・。

18位 卒業〜さよならは明日のために〜 1票

・挿入歌追加しました。(管理人)

曲は悪くないと思うんですが、いかにも唐突でしたね・・・。


「アンケート」は今月で一応終了します。
今までご協力ありがとうございました。
もし、「こんなアンケートして欲しい」という要望がありましたら、いつでも管理人にご連絡ください。

私が毎日お邪魔していた山口勝平さんの公式サイトが一時閉鎖になってしまいました。
私は書き込みはしてませんでしたが、とても残念です。
一日も早い再開をお待ちしております。

では、9月もよろしくお願いします。
 (2003年8月31日の日記) 
「犬夜叉」主要キャラ性格分析書感想
以前、竹内規和氏の「犬夜叉心理解析書」が出たが、内容的にはこれとそっくり。 相違点と言えば、七人隊が出るか出ないかということくらい。
と思ったら、どちらも同じフットワーク出版社だった。
ただし、今回の著者は寺田英司氏。

さすがプロだなあと思ったことは、キャラの行動を心理学的見地から考察し、実例を挙げてわかりやすく説明してくれていることだと思う。
お金を出して買って読むのだから、もちろんそうでなくては困るわけで、本自体決して安いものではない。
ただし、以前の竹内氏の本でも感じたことだが、キャラの行動、性格を類型的に整理しようとするあまり、自分の考察にキャラの方を合わせてしまった部分がかなりあるような気がした。

それはともかくとして、本を読んでの感想を少しつづってみたい。

まず「第0章 口伝・犬夜叉物語概説」で、七宝を排泄物扱いしている点。
もちろん本気でけなしているわけではないことは十分理解できる。
だが、読み始めてすぐこの文章に当たってしまったことで、本の印象がだいぶ変わってしまったことは否めない。

犬夜叉に関してはひとりよがりで孤独な乱暴者から、かごめや仲間たちによって少しずつ癒され、グループのリーダーとしての存在感を得たこと、ただ強い妖怪になりたい、という個人の要求から奈落を倒し、四魂の玉を封印するという使命感に変わったことなど、犬夜叉の成長が語られる。
このように主要キャラに関してはおおむ納得のできるものである。

ただし、奈落に関しては首をかしげる部分があった。
考察の最後に、
「奈落となるとファンの評価も厳しいものではないでしょうか。」
とまとめているが、ずっと読んでくると、奈落に関してはその一面しか見ていないのではないかという気がする。

これだけの本、イラストも使えず、文章だけで読ませる本ならば、ある程度大人の読者も想定していると思うのだが、ただ悪なだけの奈落ならば、奈落の表の顔に過ぎない。
邪妖奈落をあそこまでに育て上げたのは、孤独感、絶望感、桔梗への狂おしい情熱など表にはなかなか出てこない部分であり、それが「犬夜叉」の物語に深みを増していることは否定できない事実である。
奈落は単なる「悪」ではない。
また、たしかに「好きなキャラベスト1」に上がることはなくても、奈落に対する評価はおおむね「良」である。
(私にとっては「優良」だが)

こういった部分に、プロのジャーナリストとしての著書の限界を感じる。
もちろん寺田氏がどれくらいの犬夜叉ファンかは存じ上げないが、「犬夜叉」が好きで好きで、台詞を全て暗記するほど読み込んで書かれた、といった感じがしないのである。
プロの目で読んで、そつなくまとめた、というのが正直な感想である。
もちろん「そつなく」というのは、素人が逆立ちしたってできないような、幅広い知識と文章力に裏打ちされたものではあるが。

次に桔梗。
桔梗が白霊山の麓の村にたどり着いたとき、七人塚が壊され、骨が盗まれて村人達が祟りを恐れていた。
そこで桔梗は「お清めいたしましょう。」と申し出る。
寺田氏は桔梗の持つ「柔軟性とサービス精神」と書かれている。
たしかにその通りなのだが、サービス精神などという言い方をして欲しくないのは、桔梗に思い入れが強いゆえのわがままだろうか。

それから最後の章で、桔梗と犬夜叉の生前の関係について、「極めて主体的な恋愛感情を持つ人間以前に、公人たる”巫女”としか捉えない大衆が、それを許さない」とある。
半妖として蔑まれる犬夜叉との関係は、犬夜叉側にも葛藤はあったが、鬼蜘蛛のことがなければ、たしかに成就していたと思う。
たしかに成就しつつあった、それをご存知なのだろうか。

ただし、犬夜叉や奈落に対する面を除けば、桔梗はたしかに「他人の幸せに人生を捧げる慈悲を知る人」であり、そこは桔梗の本質的な部分だろう。

さらに殺生丸の項で、邪見が殺生丸の強烈なエゴに振り回され、足蹴にされるも我慢しなければならない悲哀を書かれているが、ここも邪見は口では不平不満を並べていても、根底に殺生丸への尊敬の念、敬愛の念がある。
邪見は殺生丸と一緒にいたいからいるのだと思うのだが。

また、殺生丸が りんとの出会いで「人を慈しむ心」を覚えた今、彼に去来するのはどうしようもない孤独感だと思われると書かれているが、これがわからない。
私には殺生丸はもっと単純な、慈しみ心を覚えたら、それはそれ、といったキャラに見えるのだが。

七宝に関しては「所々でかいま見せる臆病さは、豊かな感受性が皮肉にも暗転してしまった典型的な結果」と書かれている。
どうして単純に「まだ子どもだから臆病、非力だから臆病、もともと臆病な性格なんだ」ではいけないのだろう。
ここが前述した
「キャラの行動、性格を類型的に整理しようとするあまり、自分の考察にキャラの方を合わせてしまった部分がかなりあり、気になった。」部分の一例である。

続いて琥珀。
「ただでさえ初陣を迎えて緊張しているのに、父がかました大きなハッタリにいっそう気持ちは萎縮します。」
引っかかったのは「ハッタリ」と言う言葉、「信頼」ではないかと私は思う。
たしかに父の言葉で気が楽になるわけではないが、萎縮などするはずもなし。

そして鋼牙。
「場当たり主義的な決断力」と否定的で、「一軍を率いる指揮官が個人のヒラメキだけで集団の行く先を決められては成員はたまったものではありません。」の部分。
ここも根底にある互いの絶対の信頼感が抜け落ちている。

最後は蛮骨。
煉骨を殺した蛮骨の孤独感、「さみしい・・・ とうとうおれひとりになっちまった・・・」と言う。
私自身は、蛮骨はけっこう喜怒哀楽の激しいキャラではあるが、基本的には単純で、感情などに惑わされるほどの豊かな感性はないと思っている。
言い方は悪いが、何も引きずらない、何も残さない性格。
だから、「さみしい」といえば「蛮骨は寂しかったのね・・・」、「嬉しい」と言えば「よかったね」といった感情移入はできそうにない。

まるで批判集のようになってしまったが、それ以外は本当におもしろく読ませていた だくことができた。
 (2003年9月14日の日記) 
愛を知るひと 〜桔梗(コミック32巻)
第301話「門の向こう」から、すでに原作1話ごとの感想は書いているが、やはり改めてコミックで通して読むと、また違った感想が出てくる。
毎週サンデー買っているので、もちろんストーリーもわかっているし、サンデーを10冊くらい並べて一気に読み上げたこともある。
それでもコミックを買ってしまうのは、やはり完成された作品として出来上がっているからだろうか。
もちろん「犬夜叉」以外の情報はないので、心置きなく集中できることもあるが・・・。

今回読んで気づいたこと。
かごめが傷ついた桔梗を癒した後、桔梗はかごめに
「まもなく犬夜叉が来る。おまえを追って・・・」
と言う。
第75話「桔梗の結界」(桔梗が死魂虫で木に縛り付けられたかごめの前で、犬夜叉にくちづけ)で桔梗はかごめに「おまえを助けにではない。私に会いにくるのだ。」と言い放つ。

状況は違えど今回のこの言葉、間違いなくかごめに対するお礼の言葉であり、かごめを共に犬夜叉を想う存在として認めた証だろうと思う。
「助けたあたしがバカみたいじゃない。」とかごめは一人つぶやくが、かごめの心に桔梗を助けたことを後悔する気持ちはない。

この時、犬夜叉への想いは桔梗は愛であり、かごめは恋なんだなと思った。
別にかごめの想いを軽んじるつもりはないが、かごめの犬夜叉への恋心、きれい過ぎるのである。
奈落の赤子によって心の闇を見透かされるが、それすらかごめの心を穢すものではなかった。

桔梗の想いはもっと生々しい。
一度死んだ魂を無理矢理目覚めさせられ、犬夜叉への憎しみに翻弄される。
一時は犬夜叉を共に地獄に引きずり込もうとし、邪魔なかごめの憎しみを露わにしていた。
今でこそ自らの魂を浄化し、孤独に奈落と戦い続けるが、その苦しみはおそらくかごめの比ではなかったと想う。

かごめだって犬夜叉のためなら命をかけるだろうし、その想いが桔梗より軽いとは決して思わない。
ただ、やはり本質的に穢れのない、穢すことのできない魂の清らかさと、一度泥沼に落ちて、とことんあがいて自ら清めた魂の強さ、どちらを選ぶかと言われたら私はやはり後者だろう。
その意味で私は桔梗を「愛を知るひと」だと思う。

そして犬夜叉。
「ふたまた」と言えば聞こえが悪いが、かごめと桔梗、2人への想いはどちらも真剣。
割合で言うなら100対100、決してどちらかに傾くものではないと思っている。
ただ犬夜叉の想いも、やはり「恋」。
桔梗をめぐって奈落と命がけの争奪戦を繰り返しながらも、どこか甘いしどこか幼い。
もちろんそこが犬夜叉の魅力でもあるのだが。

また、かごめに対しては100%恋心だと思うが、桔梗に対してはどこか後ろめたさ(昔、信じきれなかったこと、死なせてしまったことなど)、責任感のようなものが混じっているような気がする。
この犬夜叉の想いの不確かさがかごめと桔梗を余計苦しめ、自分も苦しむ。
これもまた、「犬夜叉」の魅力である。

人生の酸いも甘いもかみ分けたようなことを書いてしまったが(笑)、何よりも犬夜叉とかごめの幼い(もちろん真剣でひたむきな)恋、桔梗、そして奈落の複雑な大人の愛をここまで見事に描き分ける高橋先生の感性に脱帽している次第。
 (2003年9月18日の日記) 
9月の終わりに
もう4日ですが、一応9月のまとめということで・・・。
ごめんなさい!忘れてました。

さて、9月末から10月にかけていろいろな試みに挑戦してみました。
アクセス解析、フラッシュカウンター、メルフォ、記念投票所の設置、コンテンツを整理して「日暮の森」に。
「アニメ犬夜叉最強トリオ」「小説 犬夜叉」新設など。
メルフォはすごく苦労しました。(笑)
きっとパソコンに詳しい人なら何でもないことなんでしょうが、何がなにやらわからなくて。
時々ものすごくでかい広告出ませんか?ひげもじゃのおじさん。
右上の青い「閉じる」をさわると消えるそうですので。
あまり気になるようでしたらご一報ください。
カウンターは前にも書きましたが、自分の更新などで何度もカウンターが回るのを防ぐ機能のものにしました。
もうすぐ「十二国記を語る部屋」もUPできるかと思います。

とにかく最初の1年は飛ばすぞって感じですか。(笑)
その後は思いっきり気抜けするような気がしますが・・・。

10月は高橋先生(10日)、趙雲様(小野坂昌也さん、13日)、そして鋼牙くん(松野太紀さん、16日)のお誕生日とめでた続きですね。
楽しい1ヶ月になりますように・・・。

ここからちょっとオマケを。
今朝、日テレの文珍さんのニュース番組を見ながら朝ごはん食べてたら、某経済評論家の「今まで小泉さん(首相)の周りに引田天功がいたからどーのこーの。」とのお言葉が。
「えっ?小泉さんの周りに引田天功?」と思わず箸を止めて見入ってしまいました。

そしたら「小泉さんの周りに引き立て役が」だったんだそうです。
もうこれが笑いのツボにはまっちゃって、一日中思い出し笑いをしてしまいました。

新宿の京王百貨店8階にステーショナリーグッズの「丸善」があるんですが、そこにはなんとあの「スタン・ハンセン」にそっくりな皮製のペン立てがあります。
目じりのしわの具合とか、髭の感じがあまりにそっくりで、「ハンセンくん♪」と心ひそかに呼んでいるのですが、値段が高すぎてとても買えません。

行くたびにまだ残ってるのを見てホッとしてますが、ハンセンにあげたら喜ぶだろうなあ・・・。
東京近郊のプロレスファンの方、良かったらちょっとのぞいてみてください。
あまりにそっくりで笑えます。
レジの真向かいにあるのですぐわかると思います。(笑)
 (2003年10月4日の日記) 
鬼首伝説
先日、「鬼の首城の秘密」(アニメ「邪気が満ちる鬼の首城」感想)において、岐阜県和良(わら)村念興寺にまつわる藤原高光の鬼退治を紹介した。
アニメ後編の感想に移る前に、もう少し鬼首伝説について書いてみたいと思う。

管理人プロフィールにて、出身地を「寒いとこ」と書いてあるが、私は東北地方の出身である。
東北人で少し車が好きな人なら、東北六県は日帰りのドライブコース。
まあ私の場合は車好きと言うより、車に弱くて助手席だの後部座席だのに乗ってると必ず酔うから、それならいっそドライバーがいいと運転を重ねるうちに、1人、あるいは家族や友達とで遠野やら男鹿半島やら歩き回るのが病みつきになってしまったのだが。

さて、その中で私のお気に入りのひとつが鬼首温泉である。
宮城県の鳴子と言えばこけしで有名だが、けっこうひなびた温泉などもあったりして過ごしいい。
ここがなぜ「鬼首」などという物騒な?名前をつけられたかというと、808年頃、坂上田村麻呂が桓武天皇に命じられて鬼退治をしたことによる。
ただし、その場所は岩手県一関市。
その証拠?に昔、その地には「鬼死骸村」があったと言う。
今ではその村名はなく、「鬼死骸」という名のバス停が残るだけだとか。

そして斬られた鬼の首が飛んでいったのが宮城県の鳴子とされる。
ちなみにこの時退治された鬼の名前は「大武丸」。
たぶん念興寺の方が伝説としては有名なのかもしれないが、坂上田村麻呂といえば有名な武将であると同時に、前述の藤原高光と共に百人一首にも名を連ねる歌人のひと り。

それよりも気になるのが、この坂上田村麻呂、当時「蝦夷」と呼ばれていた東北地方から北海道にかけてを平定した人物として知られているが、さてこの退治された鬼の 本性、これもまた「鬼」ではなく「先住民族」ではなかったのだろうか。
都から見た敵であるはずの「大武丸」、もしや東北人の味方であり、象徴であり、坂上田村麻呂こそが侵略してきた敵だったのかもしれない。

ところでこちらの「鬼首」、内田康夫氏も「鬼首殺人事件」で登場させている。
内田氏が一時期秋田県雄勝町に住んでおられたことはファンにとっては有名な話。
湯沢市より南下して、雄勝町の小野小町の里、横堀温泉と私にもお馴染みのコースだが、幸か不幸か湯沢市警察署にはお世話になったことはない。(笑)

そしてもうひとつ、あまりにも有名な、しかも架空の鬼首村が横溝正史著金田一耕助シリーズ「悪魔の手毬歌」。
実は岡山県の鬼首村、やはり「金田一シリーズの一編、「夜歩く」にも登場するのだがいくらなんでも同じ村とは思えないのでこちらはカット。

私は金田一シリーズも大好きで(別に金田一少年のおじいちゃんだからと言うわけではなく、笑)、出ている限りは全て読んでいるが特に時代背景など調べたことはな い。
だから、「悪魔の手毬歌」に関しても、そんな村が本当にあるのか、そんな手毬歌が本当にあるのかなど全然知らなかった。
今回、鬼首伝説を調べてみるにあたって読み返してみたのだが、ヒントは「悪魔的な手毬歌」のルーツが伊東佑之(すけゆき)なる人物にあると書かれていること。

天明時代のものすごい暴君で、女たちをさらっては殺していたが、後に周囲の者によって毒殺される。
この作品、市川崑監督、石坂浩二主演で「獄門島」などと一緒に大々的に封切られたからご覧になった方も多いのではないだろうか。
女の子が漏斗を加えて滝の下で殺されていたりする、残酷だが映像の美しさが際立っていた映画。

それはともかく伊東佑之は実在の人物である。
’79年の大河ドラマ「草燃える」(永井路子原作)でも滝田栄さんが演じていたらしい、私は見たことがないが。
源頼朝に嫁いだ北条政子、彼女を愛していたのが伊東佑之とある。
しかも、頼朝とは親友の間柄であったために、この後、頼朝に裏切られたと信じ込んで源家の敵に回る。
たしかに時代は同じだが、雰囲気的にはまるで別人。

ただ、横溝正史が実在の人と知っていて、全く違ったキャラに作り変えて登場させたのだとしたら、これは大問題ではないだろうか?
はっきり言って「悪魔の−」の伊東佑之は、色欲に狂った極悪人である。
しかし、こうして新刊になってもそのまま記述されているということは、偶然なのか、別人と銘打ってあったのか。
この件に関しては資料があまりにも少なく、なんとも結論づけることができないのだが。
「犬夜叉」の中の「鬼の首城」のエピソード、話のおもしろさもさることながら、この「鬼首伝説」がらみで興味深い部分が多かった。
その意味で、好き嫌いではなく、「印象に残るエピソード」をあげろと言われたら、間違いなくベスト5に入る作品となった。
 (2003年10月5日の日記) 
巡る因果の糸車
まず思い出話を2つ。

何度か書いたが、私はアニメが「犬夜叉」との出会いだった。
予備知識のない状態で見て、「犬関係の男の子」と、「四魂の玉なる玉」を見て、すぐに「もしかして南総里見八犬伝をモチーフにした漫画?」と思った。
もちろん全然関係ないことはすぐにわかり、それっきり忘れていた。

もうひとつ、つい最近桔梗がしつこく?(失礼!)口にしていた、「巡る因果の糸車」の言葉。
なんとなく遠い遠いかすかな記憶で、「どこかで聞いたような気がする・・・」とずっと思っていた。

さて「南総里見八犬伝」(滝沢馬琴著)、私が大好きな本のひとつである。
時代は「犬夜叉」よりちょっと前の戦国時代。
場所も「犬夜叉」は「武蔵の国(東京、埼玉、神奈川)」だが、「八犬伝」は「安房の国(千葉)」。
接点はほとんどないが、「犬夜叉」がらみでいろいろ調べた後で読み返してみると、おもしろさも倍増する。

主役の一人は「里見義実(よしざね)」の娘「伏姫(ふせひめ)」。
「玉梓(たまずさ)」なる怨霊の祟りで伏姫は飼い犬の八房と形だけの夫婦になる。

伏姫は8つの玉をその体から生み出し、死んでしまう。
「仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌」の文字が浮き出た8つの玉は、あちこちに飛び散ってしまった。
その後、体の中にそれぞれの玉を持ち、「犬」の名を持つ8人の男の子が生まれる。
私が好きなのは「孝」の玉を持つ犬塚信乃。
8人はやがて巡り会い、最後には里見家に仕えるというのが主なあらすじ。

読んでる途中で突然思い出したのが、私が子供の頃見たNHKの人形劇。
といっても覚えているのは、「我こそは玉梓が怨霊〜、(ヒュードロドロ〜)」と入る台詞と「♪いざとなったら玉を出せ」という歌のワンフレーズだけ。
でもなんだかすごくおもしろかったような、懐かしいような気がする。

そこでさっそく調べてみたのだが、なんと故坂本九さんが歌った主題歌の中に「巡る因果の糸車」というフレーズがあったのだ。
私のかすかな記憶はここから来たのだろうか?
  同時にアニメ「犬夜叉」のスタッフの中に「八犬伝」ファンがいて使ってみたのかな?などと考えるのもまた楽しい。

だが、玉がかごめの体から出てくるところ、生まれ変わりの雰囲気など、高橋先生もまた「八犬伝」を意識していたのではないかと思うのだが。
こんな質問、少年サンデー編集部や、読売テレビに聞いても答えてはくれないだろうな。(笑)

ところで以前、家紋について調べたが、なんと里見家は「犬夜叉」飛天満天に全滅させられた武将の紋と同じ「一引両」。
「考察日記」でエキストラ武将の家紋についてこの家紋、「新田」と「足利」と書いた記憶があるが、里見家は新田の筋。
意外なところでつながった。
 (2003年10月17日の日記) 
1周年のご挨拶
なんとかかんとか1周年にこぎつけました。
1年前の今日の日記「一陣の風」はなんと6行。(笑)
ものすごく緊張していて何を書いたらいいのかわからない状態だったことを覚えています。

なにしろそれまでパソコンと言えば、検索とメールだけ。
前にも書きましたが、ホームページとは読むもので作るものじゃないと思ってたし、タグなんて言葉さえ知らなかったんです。
ただ「犬夜叉」への想いをつづりたい、そんな思いで始めたのがきのうのことのような気がします。

地味〜なサイトではありましたが、いくつかのイラストや小説をいただき、コンテンツも中途半端ながら増えました。
他にも「三国志」を別コンテンツとして立ち上げる予定です。
松竹梅さんからいただいた小説を「犬夜叉」の中に埋もれさせておくのが申し訳ないという気持ちからですが、できたらプレイ日記や小説なども書いてみたいと思っています。

実はね、「プロレス」と「読書」と「映画」のコンテンツも立ち上げたいんですよ。(笑)
思い出や感想、書きたいこといっぱいあります。
でも、これらはたぶん今の「犬夜叉」以上の文章量になってしまうと思うので、やるからには別サイトを立ち上げないと。
はっきり言って時間も体力もないです。

今はとにかく2周年までがんばろうと。
いつも遊びに来てくださって本当にありがとうございます。
他にもリンクしてくださったサイト様、タグについていろいろ教えてくださった方、小説やイラストを贈ってくださった方、ご意見や感想を書き込んでくださった方、メールをくださった方、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

今までは気合が先走っていたようなところもありましたが、これからは少し肩の力を抜いてのんびり行きたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
などと夏目雅子さんの「西遊記」見ながら書いてます。(笑)

さて、1周年記念好きキャラアンケートも毎日たくさんの投票を頂いて、嬉しい驚きでいっぱいです。
今日で第2回から第3回に移ります。
今回は「朔の日の犬夜叉」の他にリクエストをいただいた「犬夜叉(原作版)」「音無響子(特別参加)」、そしていよいよ「鋼牙」の登場です。

私はこちらは参加してないので、鋼牙くんが何位くらいになるかドキドキです。(笑)
まさか予選落ちということはないですよね・・・?
第2回の結果は後日まとめて「日暮の森」に掲載予定です。
 (2003年10月19日の日記) 
楓と奈落の50年
「犬夜叉」において、戦闘シーンの迫力などをのぞき、アニメが原作より優れているとは思っていない私だが、時々はっとするような場面にぶつかることがある。
原作では触れられず、自分でも全く関心がなかったか、あるいは漠然とした印象しか持っていなかった部分。

不思議なことに、アニメで「ここを見て!」と気合を入れて作った大事な場面より、あってもなくても気にならないようなさりげない場面が心に残ることが多い。
最近印象に残ったのは、先日考察日記を書いた「依り代の姫」。
抜書きしてみると、

「戦闘後の虚脱した雰囲気、謝礼を受け取るお婆のほくほくした表情など、意外なところに素敵なオリジナルが入った後(以下略)」

と書いてある。

なぜこんなことを書き出したかというと、七人隊編で見せたアニメのオリジナルの一部分が妙に引っかかっているからである。
蛮骨が以前奈落と出会っていたという設定、その回想シーン。
生前の出会いについてはどうこう思わなかったが、奈落のどこか寂しげな虚脱した雰囲気が忘れられない。

桔梗が死んで、四魂の玉も蘇っていなかったこの50年。
原作では、弥勒の祖父との因縁がらみで、元気な奈落については触れられている。
それで鬼蜘蛛の心は表に出ることのないまま、奈落はより強い妖怪、本物の妖怪になるために「元気に」活躍していたと思っていた。
(「元気」という言葉はいまいち奈落の雰囲気に合わないが、後の鬼蜘蛛との差を際立たせるためにあえて使った。)

だが、漠然とした疑問は残っていた。
妖怪として蘇ったつもりの奈落が、実は半妖だったことを知った瞬間の葛藤はなかったのだろうか。
しかも当時は四魂の玉もなく、奈落が完全なる妖怪になる術はなかった。
さらに、後に無双編で鬼蜘蛛の心が封じられたことを知ったが、それまでは桔梗をその手で殺した葛藤もあったはず、などと考えていた。

そこへあの奈落の虚無感である。
鬼蜘蛛の心を封じてはいても、折に触れ見せていた桔梗への愛憎の念、半妖犬夜叉への嫉妬ともしかしたら同属嫌悪の心。
それらを思い出すにつけ、やはりこの50年は奈落にとっても単純なものではなかったんだろうな、という気がする。
そこまで意識して作られた場面かどうかはわからないが、こうして思いがけない所に素晴らしい場面が入るから、アニメもやっぱりやめられない。

次に楓の50年。
これから楓を中心に書きたいことがあるので、ここでまとめてみたいと思う。
楓は私にとって、とても興味をひかれる存在である。

まず、楓を失明させたこと、桔梗を殺したことがありながら再会当初の犬夜叉に怒りや憎しみを感じているようには見えない。
楓の目はもしかしたら、犬夜叉が直接の原因ではないかもしれないが、それでも犬夜叉が村を荒らさなければ失明することはなかっただろう。

話がスムーズに進むように、都合よく忘れられたのかもしれないが、もしかしたら楓は生前の桔梗と犬夜叉の淡い恋を心のどこかで感じていたのではないかと思う。
また、子供なりに粗暴な中の犬夜叉の優しさを感じ取っていて、犬夜叉を心底憎む気にはなれなかったのではないか。
桔梗が犬夜叉に会うのは1人でだったろうし、鬼蜘蛛の世話にはついて行った楓も、一緒に行くことはなかったに違いない。

というより、桔梗の巫女としての立場、半妖である犬夜叉のことを考えれば、人目を逃れてこっそり会っていたのではないかと思うのは容易である。
四魂の玉の力で犬夜叉が人間になって初めて、犬夜叉は桔梗の恋人として村で受け入れられるはずだった。

そしてそうなっていたら、楓はどうしていただろう。
桔梗ほどの美しさも霊力もなく、むしろ一生を桔梗に仕えるか、他の村に嫁いで、その村を守る巫女として平凡な一生を終えていたのではないかと思う。

唐突に桔梗を失って楓は村の守り神の座に据えられた。
姉と同じような霊力を持たぬ楓の葛藤もあったのではないかと思う。
姉のように完璧になれぬ自分に苛立ちながら、それでも楓なりに一生懸命、朴訥に務める楓。

一方、村人たちの楓を見る目は優しい。
桔梗のような完璧さは求めない。
むしろ近寄りがたいような存在感のあった桔梗とは違った親しみやすさを感じて楓を支えたのではないか。
桔梗の時は、桔梗に甘えて依存していればそれで良かった。
楓と村人は共にがんばって村を守るようなそんな連帯感を感じる。

生前の桔梗の台詞に感じる孤独感は、あまりにも完璧すぎる巫女故の悲劇だったような気がする。
私はそんな楓のサイドストーリーを書いてみたいと思う。
(書けるかどうかは別として)
 (2003年10月26日の日記) 
これがほんとの?「日暮神社」
2,3日の旅行を思いついた時に、迷わず決めたのが静岡県伊東市、ガイドブック風に言うなら「東伊豆」。
以前「実在した日暮神社」を書いたが、その日暮神社が存在するのが伊東市なのである。
近すぎもせず遠すぎもせず、魚はおいしく、お茶とみかんも食べ放題飲み放題、温泉に入ってついでにお酒も楽しみに、と張り切って出発したのが 朝8時。

満員電車とかち合ってふーふー言いながらなんとか新幹線に乗り込んだ。
ところが前日風邪をひいて熱を出し、出発日に熱は下がったものの鼻風邪が治らず、帰ってくるまで何を食べても味がしない状態。
天気も降りもしないが晴れもせず、といったどんよりした空模様で、観光名所も霞の彼方。
それでもホテルに直行、荷物を置いて、日暮神社を探しに出かけた。

畳で言うなら六畳ほどの、小さな神社 →(写真)。
神社というと、境内の中に宮司さんの家もあってといった風景を想像するが、こちら はあまりにも狭く、薄暗く、それでいて「日暮神社」と書き込まれた額と白い鳥 居だけがいやに真新しい。
写真を撮ろうと踏みこむと、なんと道路工事の休憩らしき作業服のおじさんと若者が お弁当を食べている。

邪魔にならないように後に回って御神木を探したが、見事な太い木が数本立ってい て、特に説明もなく、注連縄も渡していないので、どれが御神木かわからない。
人がいなければ抱きついてすりすりしたいところだが(笑)、それもかなわず、「日 暮の森」らしき木陰も全く見当たらず。

近くに宮司さんが住んでいるなら話を聞きたいと、興味深げにこっちを見ているおじ さんに話しかける。
この2人がまた人懐っこくも礼儀正しい人たちで、宮司さんは市のはずれの、ここか らは遠いところに住んでいて、ほとんどここにはいらっしゃらないと教えてくれた。

地元であっても頼朝ゆかりの神社とは知らなかったが、図書館なら近くにあるよと、 懇切丁寧に道を教えてくれ、結局写真を撮らぬままに図書館に向かう。
ここでちょっと言い訳。
翌日撮った神社の写真がかなり近づき過ぎているが、道路が狭く、しかも向かいの家の門が閉ざされていたため、それ以上下がれなかったせいである。
曲がって写ってしまったのは、私が下手なせいである→(写真)。 (涙)

で、ついでにと思って「日暮の森」のあったところを聞いてみると、ちょうどそこには「日暮会館」なる建物が建ったよと、神社の隣、小さな公園をはさんだ立派な建物を指差して教えてくれた。

伊東市は有名な温泉街であるが、いわゆる歓楽地といった感じではなく、潮に焼けて白茶けた感じの建物の多い、どちらかというとひなびた感じ。
その中に有名な温泉旅館がいやに立派にどどーんと立ってる。
道は曲がりくねって狭く、変形のY字路があちこちにあり、ゆるい坂急な坂、さらに似たような建物が立ち並んでいるのでとにかく迷いやすい。

その中で、この日暮会館、図書館、市役所、後で訪れた文化財センターなどの公共の建物だけがこれまた立派で真新しく、かえって不思議な感じがする。

さて図書館に行く前に、こちらの日暮神社について少し書きたい。
詳しくは「実在した日暮神社」を参照していただきたいが、本来は誉田別名(ほむたわけ)を祀る神社である。
誉田別名とは応神天皇のことで、五穀豊穣、縁結び、安産祈願などの守護神として祀られていた。

そこに流されてきたのが平治の乱に敗れた源頼朝。
頼朝はそこで平家の監視役、伊東祐親(すけちか)の娘、八重姫と恋に落ちてしまう。
もちろん源氏と平氏の今風に言うならロミオとジュリエット。
2人の恋は当時にあって認められるはずもない。

そこで頼朝は森に隠れて一日を過ごし、日が暮れて八重姫が忍んでくるのを待った。
そこで名づけられたのが「日暮の森」であり、さらに松川を挟んで向こう側には「音無の森」がある。
ここで2人が会っていた時に、川の音がうるさいと頼朝が一喝、そしたら川の流れる音が消えたというから「音無の森」と名づけられたという嘘のような話。

  旅空の気安さでふと考える。
かつて頼朝がらみの本でも読んでいた高橋先生が、ふとこの言葉に目をとめる。
「音無か、いいなあ。今度の連載、主役の苗字に使ってみよう。」
音無響子が生まれる。
「いつか戦国もの書くときにこの神社の名前も使ってみよう。」
そしてかごめの実家が日暮神社になる・・・。
ありえないかもしれないが、音無と日暮がこうしてワンセット揃っているのを見て想像するのは楽しかった。

話はそれたが、敵同士の家柄ゆえに2人の恋は引き裂かれ、頼朝は後に北条政子と結ばれる。
実は政子も、伊東祐親と並んで頼朝の監視役だった北条時宗の娘。
こちらもいわゆるロミオとジュリエットの間柄。
ところが北条はうまく立ち回り?頼朝の時代に味方として勢力を広げていく。
そして伊東祐親は自刃し、その一族は・・・、まあこれは後で書くことにしよう。

頼朝と政子の恋も、頼朝と八重姫との恋に勝るとも劣らず激しい恋物語があるのだが、それは「日暮神社」とは関係がなくなるので、今回は触れずにおく。
おじさんたちに勧められるままに、郷土資料を探しに図書館に向かった。
こういった調べものの旅では、私は必ず図書館に行くことにしている。

自費出版された郷土史など、その土地ならではの資料を見つけることができるからで、下手に聞き歩くよりずっとてっとり早い。
前述したように、図書館もあまりにも立派な建物でびっくりしてしまった。
ここで説明役を買って出て下さったのが、途中で退席されたためにお名前を聞きそびれたが、実に詳しい司書の方だった。
 (2003年11月22日の日記) 
11月の終わりに
今年も残すところ1ヶ月になりました。
早いものですね。

12月ということでクリスマスバージョンも考えましたが、後半の予定です。
今月の壁紙は「幕末維新新選組」さんからまたお借りしました。
私は名うての豪雪地帯で育ったものですから、冬というとどうしてもこんなイメージです。

どんよりと曇った空、真っ赤な南天に積もる真っ白な雪・・・。
寒くて冷たくて、「早く春にならないかなあ。」と、初雪降った瞬間から春を待ちわびる気持ち・・・。
そりゃスキーもスケートも楽しいけれど、やっぱり冬は嫌いでした。
「幕末維新新選組」さんの壁紙は本当に綺麗です、しかも和風テイストで、大好きです。
まだまだたくさんお借りしたいと思っています。

さて、1周年記念アンケートも2回戦に入りました。
娑蘿以外は全て1回戦勝ち抜き組です。
最終的には記録を残すのはベスト10のみ、形式も「オリジナルアンケート」と同じものにしたいと思ってます。
とにかくファイルの量がものすごくて・・・。(笑)

HPを立ち上げる時に、ジオからお借りした容量を全てクリアするまでがんばろうと思ってました。
今月でちょうど半分に達しました。
だいたい1年ですね。
1年後、どうなってるのかなあ・・・。
犬夜叉続いていればいいなあ、アニメも原作も。
12月もよろしくお願いします。
 (2003年11月30日の日記) 
浅草羽子板市 〜犬夜叉羽子板
今日はお休みだったので、浅草橋をぶらついてから浅草羽子板市に行ってきました。
天気も良くて平日なのにすごい人波。
去年写真を撮らせていただいた犬夜叉羽子板あるかなあと思っていたら、あったんで すよ!
「秀徳人形工房」さん、松井羽子板、星野監督羽子板、サザエさん羽子板など、テレ ビでもおなじみの羽子板と一緒に。

迷って迷って値切って値切ってついに買ってしまいました!
きれいな売り子のお姉さんの歯切れの良い言葉、回りの人を巻き込んだ三三七拍子 (羽子板買った人にサービスしてくれるんです)など、「粋とかいなせとか、こんな 人のことなんだなあ。」とうっとり。
私が一番苦手なところです、憧れちゃいます。(笑)
「写真の小部屋」に飾ってある羽子板とほとんど同じですが、微妙に違うところも。
「言霊の念珠」が、なぜか「勾玉の首飾り」になってたりします。
クリスマス明けにUPの予定です。

あと、怪しいお店で犬夜叉笛売ってました。
勝手に作ったんでしょうが、けっこう可愛かったです。
でも500円では買えないな、高すぎです。

てんぷら食べたり揚げ饅頭買ったりしてから今度は日本橋高島屋の力道山展へ。
力道山は、美空ひばりなどと同じで、偉大なことはわかるけど、いまいちぴんとこな い世代。
それでもプロレスファンの端くれとして?のぞいてみました。
そしたらチャンピオンベルト、トロフィー、写真などと一緒に血痕の残るガウンが 飾ってあって迫力がありました。
しかもテレビで流れている白黒の試合の前に群がる人たちの異様な熱気、圧倒されて しまいました。

街頭テレビに群がって力道山の試合を観戦する人たちのニュース映像、何度も見たこ とがありますが、その人たちが年老いて、あるいは大人になってここにいる、すごい なあと思いました。
売り場の人に力道山への思いを伝えようと必死になるおじいさんなどもいました。
この世代のプロレス、力道山に対する思いははかりしれないものがありますね。

帰ろうとしたら駅がどこかわからなくなって、交番の近くで地図を探してたら、おま わりさんが「どこ探してるの?すごいの持ってるねえ。」なんて気さくに話しかけて くれました。
いいなあ、こういう下町の雰囲気、大好きです。
おしゃれだけれど親しみやすい、歩いて歩いて疲れたけれど、とても楽しい一日でし た。
 (2003年12月18日の日記) 
伊東市の日暮神社
案内していただいたのは持ち出し禁止の資料室。
もちろんコピーは取り放題。
私が頼朝と祐親(八重姫)がらみの資料を探していることを伝えると、まずは市内に ある伊東家がらみの観光名所を教えてくださった。
その中にはもちろん音無日暮両神社も含まれるが、標高100メートルにある祐親の 住居跡の隣りに作られた伊東市役所、祐親の墓、その子河津三郎祐泰の墓のある東林 寺に行ってみたいと思っていたのだが・・・。

とにかく膨大な資料が揃っており、伊東市の災害状況から市政の流れから調べようと 思えば何でもあり、の狂喜の部屋。
一番参考になったのは「伊東風土記」(加藤清志著)。
頼朝と八重姫の悲恋の様が事細かに綴られている。
ここで司書の方が、明治43年の伊東市の古地図を出して来てくださった。

コピーはしたものの残念ながらここに掲載するわけにはいかないが、今、立派な日暮 会館が立っているあたりに「日暮の森」と「音無神社」を見出すことができる。
興味深いのが日暮の森の道を挟んだ隣にある「避病院」。
興味深いと言ってはいけないのかもしれない。
明治時代にコレラが大流行して作られた隔離病舎だったとされる。

だがこの時代、「日暮神社」はない。
そこで別刷の「絵はがき 伊東百景」を見つけて歓声を上げてしまった。
日暮の森の写真があったのである。

文章を引用すると
「少し小高くなった場所に林の如き一画があり、鳥居はなく前の方に木から木に注連 縄を渡し、わずかに神域らしさを保っている。」
とある→(写真)。

「森」というより「杜」もしくは「林」ほどの少ない木々であったことが写真を見て いても察せられる。
前回書いたように、今の日暮神社に巨木は数本あり、注連縄は渡されていないので、 どれが御神木かはわからない。

「現在も神社の中に残されている石灯籠であろうものも見えるが、杜のごときものは 窺えない。」
掲載した写真をその灯籠見ていただけると思う→(写真) 。

「伊東誌の中で小祠ありというから、当時はまだ伊東誌の書かれた嘉永の頃と同じよ うな小社が林の奥に祀られていつのだろうが写真では判然としない。」

ここまで読んで、ふと思ったのが「この神社はいつ頃できたのだろう?」というこ と。
頼朝がらみで知られているが、もちろん神社自体は以前からあり、誉田別名が祀られ ている。
そんな私の問いに対して、司書の方は次のように答えて下さった。

まず巨木ありき。
現代でもそうだが、巨木はそれだけで何か日常からかけ離れた清浄な雰囲気を感じさ せる。
そこに注連縄を渡すなどしてそこを神域として崇める。
そして時代の移り変わりに応じて祠ができ、鳥居ができ、次第に1つの神社としての 形を成していくのである。
だからよほど大きな、昔から有名な神社でない限り、いつ頃できたと設定することは 無理なのだそうだ。

いい話を聞いたと思った。
もちろん楓、桔梗の時代よりもさらに遥か昔、大きな木の根元に集まる人々。
木の周りに村ができ、神社が生まれる。
よく土着の神とか土俗信仰とか気軽に口にするが、その心が初めて実感として湧いて きた。

さて、そんなこんなで今度は静岡県版の新聞の切り抜き集をあさってみる。
そこで見つけたのが「日暮遺跡」の文字。
こちらについてはまた次回。

 (2003年11月23日の日記) 

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