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時代を越えた少女と封印された少年 |
原作少年サンデー1996年11月13日(50号)第1話「封印された少年」
☆ ☆ ☆ 今更ではあるけれど、サンデー感想を第1話から始めたいと思う。 「過去の日記」が第301話から毎週書き始めているのが落ち着かないし、いわゆる「素直な感想」は、やはりアニメではなく原作のものだから。 もともと私がサイトを立ち上げたきっかけは、「アニメと原作何かが違う、何が違う?どう違う?」と考え始めたことからだった。 ラスカルだのルパンだの、もちろん好きなアニメはあったけど、アニメというもの自体に興味はなかった。 さらに「ジュラシックパーク」にしろ「グリーンマイル」にしろ、「原作と映画が違う」ことには気づいていたが、それはそういうものだと受け止めていたように思う。 違和感を覚え始めたのはやはり「犬夜叉」から、それだけ原作への思い入れが強かったのだろう。 とは言うものの、実は最初はアニメファンだった、というよりアニメにしか興味がなかった。 今から考えると信じられないような話(笑)。 アニメが犬夜叉との出会いで、第1回放映が平成12年10月16日(松野さんの誕生日)。 この頃原作はすでに蛾天丸まで行っていた。 もちろんそれまではサンデーは買っていない。 単純にアニメのおもしろさを楽しんでいたのだと思う。 サイトの立ち上げなんて夢にも思っていなかった。 その後桔梗が登場して原作に興味を持ち、一気に原作を買い揃えたが、それでもしばらくはコミック派。 サンデーを買い始めたのは、たしか七人隊が登場して、コミックが待ちきれなくなった頃。 サイトを立ち上げたのは、アニメが始まってちょうど2年後。 いくつかのサイトさんに書き込みをするようになって、やがて我慢ができずに自分で立ち上げた。 だから最初から「犬夜叉感想」ではなく、「アニメ原作比較」で始まっている。 そんなこんなで私の知らない原作の6年間を、いつか埋めたいと思っていた。 今まで書いていたことのくり返しになるかもしれないのがちょっと怖いが。 前置きが長くなったが、私にとって「犬夜叉」との出会いは「高橋留美子」先生との出会い。 後で知ったのだが、3番目の妹が「うる星やつら」が好きで、2番目の妹が「めぞん一刻」を買い揃えていて、甥っ子が「らんま」が好きだったらしい。 私が知らなかっただけ。(笑) 後でめぞんは原作とアニメ、らんまとうる星はアニメだけそこそこ見たが、普通におもしろいとは思っても犬夜叉ほどの思いいれは持てなかった。 見た順番のためかもしれない、逆にうる星の頃からのファンには犬夜叉への評価が低い人も多いと聞いたこともある。 まあ好き好きだろう。 今度こそ本論。 初めて「犬夜叉」をアニメで見た時の印象は決して良いものではない(笑)。 何しろ「金田一少年の事件簿」にハマったと思ったら最終回で、その後釜である。 見るもんかとまでは思っていなかったが、まあ危うくチャンネル変えるところだった。 「Change The World」で思い直し、そして夢中になったが。 結局原作第1話「封印された少年」を読んだのは、アニメでもかなり進んでから。 実はアニメで完成された絵で見ていたせいか、ずいぶん犬夜叉などキャラが子供っぽく見えた記憶がある。 かごめの印象も、今のように落ち着いていなくてむしろアニメの印象が強い。 まず興味を持ったのが、四魂の「玉」と「犬」夜叉。 以前書いたように、すぐに「南総里見八犬伝」が頭に浮かんだ。 あれをモチーフにしたのかなと思った。 実際どうなのかはわからないが、PS「犬夜叉」で「八房の牙」というアイテムが出てくる。 「きりの村」で子犬を助けたかごめが転んで、ひざから血が出る。 犬夜叉はかごめのためにしぶしぶハンカチを川にぬらしに行くが、戻ってみるとかごめの姿が消えていた。 かごめを探しに行く途中、犬夜叉が見つけるのが「八房の牙」。 八房とは伏姫と添い遂げる犬の名前。 犬夜叉しか身につけることのできない攻撃力防御力大幅アップのアイテム。 ゲームスタッフさんも意識しているのかな、と嬉しくなった。 ゲームとしてはちゃちだったが、本編にオリジナルを加えたストーリー展開は未だに好き。 たぶんPS2の「呪詛の仮面」より好きかも。 私は初期のかごめ、殺生丸に喧嘩を売ったりけっこう気の強い感じのかごめより、後で落ち着くかごめが好きだが、「好きキャラアンケート」に「日暮かごめ(原作初期)」という項目が出てきて驚いた。 おもしろかったのが、同様に思われた方がいたらしくて、質疑応答(笑)がされたりして興味深かった。 私が聞こうと思っていたので。 私もたしかに原作初期のかごめ=アニメのかごめと感じている1人。 後はそのかごめがどう変わったかだが、両極端に変わって行ったような気がしないこともない。 犬夜叉も同様、私の中では、であるが。 さて第1話でおもしろさとは別の部分で思ったこと。 桔梗は蘇りはしないだろう、かごめが「生まれ変わり」として出てきたから。 楓の目は犬夜叉が? かごめの神社と四魂の玉の関係。 日暮神社の由来を聞かされても忘れてしまう。 「どうして忘れるのかってことすら考えたこともなかった。」 「奈落も通れぬ(通らぬ?)」骨喰いの井戸、なぜ百足上臈が通れたのか。 妖怪のいる戦国時代。 妖怪に襲われ、タイムスリップしても、そこそこの不安しか感じていないかごめ、馴染んでいるかごめ。 目覚める犬夜叉。 ほとんどは解明されたが、未だにわからないのが「どうして忘れるのかってことすら考えたこともなかった。」の一文。 私はこれは「記憶の封印」と捉えているが、「誰により、何のために」を考えた時、「めぐり会う前の運命恋歌」が思い出される。 「桔梗による前世の記憶の封印」。 つまりかごめの中で眠りについたままの桔梗と共に、全ての記憶もまた眠っている。 戦国時代に行ってからのかごめは、楓に「骨喰いの井戸」の由来を聞き、ちゃんと覚えている(由羅編)。 戦国の世に行って魂が桔梗に近づき、桔梗の魂が蘇る前兆であったとも思える。 これは個人的な考えだが、もしも裏陶がいなかったら、桔梗はかごめの中で目覚めていたのではないかと思う。 かごめがかごめとして犬夜叉への想いが高まるに連れ、桔梗の目覚めにも近づいていく。 もちろん高橋先生が裏陶により蘇ることを設定しておられた以上、考えても詮無いことではあるがおもしろい。 ただそうなったら、睡骨以上のぐちゃぐちゃ性格になりそうだ。 しかし最近は、「これは犬夜叉に会う前のかごめであると同時に、犬夜叉と別れた後のかごめ」もありではないかと思うようになった。 四魂の玉により、本人たちは意識しないままに繰り返される永遠の輪廻転生。 結局は、奈落ですら四魂の玉に操られる者なのである、しんどすぎ?(笑) 素直な感想にするつもりが、どうしても考察になってしまう。 でもまあこの調子であと299話、書き綴っていきたいと思う。 (2004年6月8日の日記)
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時代を越えた妖怪と封印から目覚めた少年 |
原作少年サンデー1996年11月20日(51号)第2話「甦る犬夜叉」
☆ ☆ ☆ 奈落も通らぬ(通れぬ?)骨喰いの井戸を百足上臈がなぜ通れたのか、先日のアニメスペシャル「めぐり会う前の運命恋歌」でおもしろい解釈が見られた。 死ぬ間際の桔梗が退治した最後の妖怪が百足上臈、井戸の中のどことも知れぬゴミ捨て場?に積み重なった中で一番上にいた百足上臈が四魂の玉に反応したらしい。 その後楓もいくらか妖怪退治はしたろうが、百足上臈のような「大物」妖怪は四魂の玉のない村を襲うようなことはなくなり、かごめの四魂の玉に反応するほどの妖力を持った妖怪は百足上臈以降はいなかったということだろうか。 百足上臈を大物と書くと、首を傾げられる方もいるかもしれないが、楓の村にとっては百足上臈でさえも手に負えぬ妖怪のように見える。 桔梗の死と共に骨喰いの井戸も眠りに入り、かごめの15歳の誕生日に井戸も目覚めた。 百足上臈は最初から井戸の中にいて、四魂の玉の気配を感じられるほどの最後の大物妖怪だったことになる。 逆髪の結羅の場合は本体が来たわけではなく、犬夜叉にくっついていた髪が導かれてきたのだから話は別。 では奈落。 かごめを一番畏れているはずの奈落はどうなのだろう。 時々いなくなるかごめを探す気配もなし、犬夜叉が井戸に岩を突っ込んだくらいで通れなくなるなら、かごめが井戸を通っていなくなった隙に井戸を封じるなんて朝飯前のような気がするが、その辺は興味がないらしい。 もちろん最近は「かごめの目」を必要としているという設定に変わってきたが。 そしてかごめは15歳で霊力発動、戦国時代にタイムスリップする。 かごめが別人格ながら、桔梗の生まれ変わりであることは裏陶編からしても間違いないだろう。 だから私は桔梗もてっきり15歳で死んだのかと思っていた。 かごめに比べ、大人っぽい印象があるのは、当時の幼いうちから一人前に扱われる(結婚も早かった)風潮にプラスして、巫女としての経験や修行の成果、そしてもちろん持って生まれた性格なのだろうと。 定かではないが、奥義皆伝で初めて桔梗が18歳で死んだことが明かされたのだと思う。 奥義皆伝を何度か読んで思うようになったのは、犬夜叉とかごめの旅も3年なのではないかということ。 この時点での物語、かごめが戦国時代にタイムスリップして犬夜叉の封印を解く、これは3年後に起こる何かに向けてのプロローグではなかったのかと。 初期の頃はかごめが学校の成績や受験のことを気にしたり、朔の日に合わせて物語が進行したりするが、特に学校問題は原作での膨らましの部分であったように思う。 今はもう、現代は必要ないほどストーリーができあがっていることもあり、おそらく意識的に季節感、時間の流れを打ち出さないようにしているような気がする。 極論かもしれないが、かごめがタイムスリップして3年後の誕生日、本当のクライマックスが来るのではないかと思う。 いろいろな結末が考えられる中で、私が最近選択肢の一つとして思い描いているのが、「リセット」すること。 かごめは現代に戻り、桔梗は蘇り、犬夜叉に会うこともなく、鋼牙も七宝も弥勒に珊瑚も、まるっきり関わりのない、四魂の玉に踊らされることのない人生を生き直す、もちろん鬼蜘蛛はいても奈落はいないから、神楽と神無も生まれない。 各人が記憶を一切なくし、何もなかったことにしてそれぞれの人生に帰っていく・・・。 そのためにはこの3年後、翠子が何かをなさなければならないのだが。 一番寂しいけれど、全くないとは言えない・・・、くもなくもないかな・・・?(笑) 奈落はまあ滅びるだろうが、犬夜叉がかごめを選ぶ、桔梗を選ぶ、どちらも選ばない、いつまでも決められない(笑)、結末に向けての選択肢は多い。 でも記憶の消去と人生のリセット、それもまた選択肢かもしれない。 だってかごめが行った世界は、「私たちの世界の戦国時代」ではないのだから。 3年後、翠子が関わる、奈落が滅びる、かごめは井戸に吸い込まれる。 そして15歳のかごめが学校に向かう、犬夜叉は1人さまよう、桔梗は生きている、珊瑚は退治屋の里でみんなと暮らし、弥勒は父の元で法力と助平の修行を積む。 七宝も父親と一緒に、鋼牙も仲間と一緒に暮らし、人見家も安泰である。 そしてもしかしたら、この時点からまた、「犬夜叉」の物語が始まるかもしれない。 そのまま何もなかったことにして終わるかもしれない。 桔梗とかごめの3つの年の差、なんだかいろいろ考えてしまった。 それからかごめの霊力、弓に頼る分、難しくなったような気がする。 飛天満天だろうがなんだろうが、さわっただけで霊力発動できていたら、いくつかのピンチも軽く乗り越えられていただろうに。 もちろん妖怪に触れなければ霊力が発動しないのは危険だが、なまじっか弓を持ったばっかりに、素手のかごめは霊力がなくなってしまった・・・、のかな?(笑) (2004年6月10日の日記)
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楓と犬夜叉 |
原作少年サンデー1996年11月27日(52号)第3話「玉を狙う者」
☆ ☆ ☆ 私がずっと気になっていたこと。 封印から蘇った犬夜叉に対する楓や村人の態度に、犬夜叉に対する憎しみが感じられず、「相変わらずのうつけ者」に象徴されるように楓たちにとって犬夜叉は、「厄介者だけど憎めない」程度の存在のように見えた。 犬夜叉のせいで桔梗が死んだのではなかったか、犬夜叉のせいで楓は右目を失明したのではなかったかと思っていた、ずっと。 ところが考えてみると原作を読む限り、桔梗は「犬夜叉にやられた」とは言っていない。 つまり、四魂の玉を奪うために犬夜叉が村を「本気で」襲った時、桔梗は「たまたま」1人で出かけていて、「何者かに」傷を負わされた、そして重傷のまま村に戻ってきて、暴れている犬夜叉を見つけ、封印した。 村では一応そうなっているのだろう。 楓だけは蘇ってからの犬夜叉の態度から、薄々2人(犬夜叉と桔梗)の間にあるものを感じ取っていたかもしれないが、結果的に明らかになるのは裏陶編になってから。 (私がよく引き合いに出すPS「犬夜叉」では、初期に楓の村の村人に話しかけると、けっこう犬夜叉が嫌われてておもしろかった記憶がある。) 犬夜叉の森を覆っていた瘴気、楓の目のことなど疑問はいくらでもあったはずだと思うのだが、やはり50年の月日は長い。 今更蒸し返しても仕方のないことと思っていたのかもしれない。 アニメスペシャル「めぐり会う―」では、楓の目は、桔梗が死んだその日ではなく、それ以前に桔梗がらみで傷ついたことになっている。 私は違うと思う。 犬夜叉が意識してやったのではないが、やはり犬夜叉の襲撃により起きた村火事で傷ついたのだろう。 同時にこの時、怒りに駆られた犬夜叉は楓を気にも留めていなかったから、「自分が楓の目を傷つけたことを知らない」。 もしかしてかごめなどが、どうして楓は右目を失明したのか聞いたこともあるかもしれないが、楓は「犬夜叉にやられた」とは言わなかったと思う。 蘇ってからの犬夜叉と楓の様子を見ていると、そんな様子が伺えた、私には。 楓が囲炉裏のそばで語る言葉で。 ただしスペシャルを作るにあたって、製作側が高橋先生にリサーチしたなら話は別だが(笑)。 桔梗が蘇ることがなければ、全ては過去のこととして封印されるはずだった。 裏陶により桔梗が蘇る、鬼蜘蛛のなれの果て「半妖」奈落が登場する。 これがなければ、犬夜叉に夢中になることはなかった。 さて犬夜叉、さっそくかごめを殺してでも四魂の玉を奪おうとする。 これに対する態度が「相変わらずのうつけ者」である。 口ではどう言おうと、犬夜叉がかごめ(人間)を本気で傷つけるはずがない、楓にはわかっていた。 そして言霊の念珠を犬夜叉にかける。 楓がいつも持ち歩いているとは思えないから、桔梗が死んで50年後のちょうどこの日、「何かが起きる」ことを予感した楓が「桔梗の墓、祠」に収めていた形見の念珠を持ち出したと言う風に考えた。 そして魂鎮めの言霊を「かごめに言わせた。」 かごめは「おすわり」だが、「いとしい」はロマンチックに過ぎて私には馴染めない。 前にも書いたが引き寄せられる磁石のごとく、犬夜叉がぴょーんと飛んできて、桔梗にびたっとくっつく図を想像してしまった。 「鎮まれ」くらいだと思う、せいぜい。 同時に桔梗の犬夜叉を(対等に)愛する気持ちと、念珠によって犬夜叉を(上から)コントロールしようとする気持ちが同時に現れるのがおもしろい。 私は桔梗が生きていたら、おそらく念珠は使わなかっただろうと思っているが。 まあ「犬夜叉」を描くにあたって、まず「おすわり」ありき、それに続く登場人物の行動は後で作られたものだとは思う。 私の妹は小学校の養護教諭をしているが、アニメで「おすわり」発動の翌日、学校中で「おすわり!」「ふんぎゃ〜!」「おすわり!」「ふんぎゃ〜!」が1日中鳴り響いていたと言っていた(笑)。 あの当時は微笑ましく思っていた「おすわり」が、これほどアニメで苦々しいものになるとは予想もしなかったが。 さて楓の家。 堂々上がり込んでいる犬夜叉にも笑ったが、一応女の端くれとしては(笑)、「もしも桔梗が生きていたら」を想像してしまう。 50年の眠りから覚めた15歳の犬夜叉と、68歳の桔梗の再会。 むごいと思う。 仮に共に生きていたとしても、かごめなり桔梗なり人間だけが年をとり続け、犬夜叉はその半分くらいの若さに見えることになるだろう。 「人魚シリーズ」を読むまでもなく、やはり平静ではいられまい。 人間と妖怪の恋愛に関してはこれまでも何度か書いたが、この気持ちを克服してなお共に生きることは想像以上に難しいに違いない。 そう考えると、犬夜叉が人間になることには何の不自然もないが、犬夜叉が四魂の玉を使って妖怪になるにはやはり四魂の玉を体に埋め込むか飲み込むか? かけらならまだしも玉を身に入れるのは痛そうだ。 しかも玉が体内にあるだけでは人間にも妖怪にもなれまい。 強くなるだけではなく、全く別の種族になるためには、やはり桔梗の霊力が必要なような気がする。 今は必要ないがかけら(玉)を得ても、体から抜かれたら元通りのパターンがほとんどだったので。 それとも時間がたてば妖力自体が溶け込むという解釈なのだろうか。 (2004年6月11日の日記)
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旅の始まり |
原作少年サンデー1996年12月4日(1号)第4話「屍舞烏」
☆ ☆ ☆ 百足上臈はかごめを戦国時代に導く妖怪、屍舞烏は四魂の玉を砕き、かけらを捜す旅を始めるきっかけとなる妖怪で、共に重要な役割を担うが、いかんせん魅力がない (笑)。 そもそも戦国好き、物の怪好きで見始めた「犬夜叉」だったが、当初はわりと淡々と見ていた。 おっと身を乗り出したのは「逆髪の結羅」が登場してから。 その後も雷獣兄弟、肉づきの面、九十九の蝦蟇と魅力的な?妖怪が続くし。 さて烏(カラス)、日本では縁起が悪い上にゴミあさりの被害が増えるにつけ害鳥扱いされがちだが、たしかカラスを聖なる鳥と捉える国があったように記憶している。 調べてみたら、北欧神話でオーディンという戦いの神が知恵の象徴としてカラス2羽を従えていたという記述があった。 私の中では白いカラス→聖なる鳥→インドかエジプトなのだが、この頃あちこちに首を突っ込むせいで記憶がごっちゃになってしまったらしい。 日本でも神武天皇を導いたヤタガラスが日本サッカー協会のシンボルマークにされてる例もある。 ヤタガラス この屍舞烏も死んだ人間を支配し、普通に喋らせることができる能力、それだけでもたいしたものだと思うが、それに動じぬかごめもすごい。 百足上臈の一件だけでパニックに陥り、トラウマになりがちなはず。 なにせ死にかけるのだ、妖怪の手によって。 さらに野盗に捕まり、屍舞烏の操る頭に斬り殺されそうになり・・・。 「炎トリッパー」の例を見るまでもなく、こちらはむしろ異常なことだが、それでは話が進まないから意識して強気な女の子に設定したかもしれない。 別の考え方をすると、かごめに残る無意識の中の「桔梗の記憶」により戦国時代に、妖怪退治にすでに慣れていると見ることもできるかも。 アニメにはこのお頭役ですでに地念児銀骨の江川さんも登場しているが、当時はあまり声優さんを意識していなかったので、なんとなく流していた。 犬夜叉のかごめ初おんぶが早速お目見えするが、犬夜叉がかごめの短いスカートのすそを押さえていないので、後から見たらすごいことになっていそう。 初弓矢も披露するが、こちらも霊力はあっても技術が伴っていないのでへろへろ状態。 霊力で押し切るわけにはいかないらしい。 ところでこのかごめ、弓矢以外の武器を持っても霊力は発動しないのはおもしろい。 頭に対抗しようと、古寺の槍を手にするが、あっさり両断されるし。 やはり桔梗が「破魔矢」に対して念をこめる修行したことの影響なのだろうか。 桔梗も弓矢以外ではそれほどの霊力を込めることはできないのか。 弓矢は刀や槍に比べ、神器としての意味合いも強いらしい。 なぜ弓矢なのか。 その名の通り、破魔矢はもともと「魔を打ち砕く」という意味の縁起物だったらしい。 おもしろいのは、お正月が近づくとよくデパートに飾られ売られているが、なんとなく桔梗がらみで女の子のための縁起物だと思っていたら男の子のためのものだった。 テレビで弓を手で鳴らす神事のような儀式を見たことがあるが、あれは「鳴弦の儀」と呼ばれ、皇太子が誕生された時などに執り行われるらしい。 なぜ男の子かというと、やはり本来は戦場で使われる勇ましい武具だからだろうか。 巫女の神事とはまた違った意味があるのだろう。 ☆ ☆ ☆ きのうからテレビや新聞を騒がせている名前問題。 琥珀、桔梗、苺なんて、これまで使っちゃいけないことも知らなかったが、「鋼牙」とつけられるようになったのは嬉しいかも。(笑) 逆に呪だの癌だのとんでもない漢字もぞろぞろ出てきたが、何を基準に今回新たな名前適用漢字が出てきたのだろうか。 問題になりそうな漢字を削除するだけの融通も持ち合わせていないなら、そもそもなぜ名前適用漢字と不適用漢字を分けるのだろうか。 調べてみたらおもしろいかも。 と思って調べてみたが、JIS(日本工業規格)から、第1水準(一般日本語表記用漢字)551字と第2水準以下(個別分野に用いることが多い漢字、旧字や難解な漢字)27字が選出されたとのこと。 琥珀の「珀」とは「苺」などは別に難解ともなんとも思わないが、「苺」の旧字は「莓」であるから、今までは難解扱いされていたということなのだろうか。 でもどう考えてもまずいだろうと思う漢字もあえて打ち出し意見を聞く、妙なところで民主主義だな、他の事に比べて、などと考えてしまった。 (2004年6月12日の日記)
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かごめの矢 |
原作少年サンデー1996年12月11日(2,3合併号)第5話「かごめの矢」
☆ ☆ ☆ 私がこだわり続けていることの1つに「四魂の玉(かけら)を見極める能力」がある。 骨喰いの井戸の中で目覚めた百足上臈は別格としても、七宝の父親や鋼牙にしても、「いつどこで誰から奪ったのか」はほとんど明かされていない。 邪な人間なり妖怪なりが四魂の玉を見つけたとしても、その気配を感じることができなければ、「石の花」のようにただのガラスなはずである。 初登場時の弥勒が、イタチ妖怪のかけらを見抜いていたものの、狼夜干ではすでに見極めることができなかったこともある意味おかしい。 鋼牙を例にとってみると、鋼牙は最初、3個のかけらを持っていた。 仮にかけらが道に落ちていたとして、それが四魂のかけらとわかったのはなぜか。 噂を聞いていて、それらしきものが落ちていたので、とりあえず体に埋め込んでみたら四魂のかけらだった?ちょっと考えにくい。 急に強くなった妖怪と戦ったとして、体中細切れにして見なければどこにかけらを埋め込んであるのかわからないだろう。 かごめや桔梗の特殊な能力と言われている四魂の気配を見分ける力、実はたくさんの妖怪が持っていることになる。 楓は百足上臈の中にあった四魂の玉をかごめに捜させているが、あれは楓はわかっていてかごめに試したように感じる。 奈落をはじめ、たくさんの妖怪が四魂のかけらを得ることができたのはなぜか、実はこの屍舞烏編におもしろいヒントがある。 屍舞烏と戦う前、犬夜叉が屍舞烏を見つけて「さっそく玉の匂い嗅ぎつけてきやがった・・・」と言っている。 もちろん話を聞きつけたとか、百足上臈戦を見ていたという意味にも取れないこともないが、素直に考えると、四魂の玉には「匂い」があることになる。 そもそも翠子の魂と取り込まれた妖怪によって作り上げられたもの、妖怪の匂いがしても不思議はない。 かごめや桔梗は離れていても気づくし、また穢れているか澄んでいるかも判断できるが、普通は妖怪同士が相対した時に匂いで気づく、こんな解釈、無理があり過ぎ? そう考えるとオリジナルの菖蒲だってがんばれば四魂のかけらを見つける能力、得ることができるだろう。 第5話では四魂の玉がかごめの矢により粉々に砕かれる過程が描かれる。 私的には108個に砕けたかと思っているが。 百足上臈も屍舞烏も妖怪としてはあまり魅力のないキャラだが、「犬夜叉」に与えた影響は大きい。(笑) 先日も書いたが、かごめは弓矢という媒体を得たことで、百足上臈に襲われたときに見せたような直接的な霊力はなくなったのだろうか。 満天に連れ去られる場面など、あの力を発動していれば捕まることはなかったように思えるが。 この頃の犬夜叉かごめの2人旅は、今とはまた違った小気味良さがあって、犬夜叉ももっとギラギラしていたように思う。 最近の2人を私は成長と捉えているが、「おとなしくなってしまって寂しい。」と思われる方も多いそうだ。 ☆ ☆ ☆ 「スワッチのアニメ日記」、毎週月曜日更新予定とのことだったが、けっこう速いペースで更新されているようだ。 3回目にして「犬夜叉」登場だが、「天下覇道の剣」の宣伝も兼ねてか、(犬夜叉一行を差し置いて)殺生丸一行の声優さんが紹介されている。 たしかに宣伝番組などを見ていると、殺生丸の成田さんはお茶目で可愛らしい(笑)。 山口さんや長島さんは、アニメからそのまま犬夜叉と邪見が飛び出してきたような感じだったが、殺生丸とは対極の性格の方なのかな?と楽しく読んだ。 ☆ ☆ ☆ さっき帰ってきてテレビをつけたら「名探偵ポワロ」の「白昼の悪魔」が放映されていたが、そこからいきなり奈落の声が。 えっ?と思わずテレビに釘付け。 前奈落&無双の家中宏さんが犯人役でご出演中でした。(笑) 私は声優さんでも、アニメ畑の人と洋画畑の人と別れているのだとずっと思っていましたがそんなことはないんですね。 最近は何を見てもチェックしてしまいます。 最近といえば、最近おもしろいのが「妖怪人間べム」や元祖「キューティーハニー」。 もちろん名前は知っていましたが見たことなかったんですよね。 ハニーは増山さんでべムは次元だぁ〜とか言いながら見ています。(笑) (2004年6月19日の日記)
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逆髪の結羅 |
原作少年サンデー1996年12月24日(4号)第6話「逆髪の結羅」
☆ ☆ ☆ 6話目にしてついに(やっと?)魅力的な敵キャラ登場、逆髪の結羅。 百足上臈はかごめを戦国時代にいざない、屍舞烏は四魂の玉を砕かせる、それなりの役目を持ってはいたが(笑)、キャラ的には雑魚妖怪に近かったので、結羅登場がとても嬉しかったことを覚えている。 もちろん結羅も最初はアニメ、声は現琥珀の矢島晶子さん。 我侭ながらも「色っぽさが足りないな。」などと思いつつ見ていた思い出。 以前書いたが、結羅は原作では「鬼の魂移し」として存在していたが、アニメでは「付喪神」として存在する。 原作では、肉体が傷つけられても大丈夫なように本体(魂)を櫛に移していた。 アニメでは、長年使い続けられたことにうんざりした櫛が意思を持ち始め、妖怪(鬼)と化した。 当時はなんとも思わなかったが、おもしろいのがこの「魂移し」、実は奈落の先取りだったりする。 さて並みいる妖怪の中でも大好きな結羅だが、一時期私の中で「困ったちゃん」になったことがある。 犬夜叉ゲーム第1作、RPG「犬夜叉」。 これは本筋にオリジナルストーリーを絡めたもので、最後は桔梗が奈落と共に滅び、しかも犬夜叉を許し、かごめを認めて消えていくという、今思うととんでもないエンディングだった。 もちろんありえない展開ではないが、そこに至るまでの描写をすっ飛ばして行き着く結末だから、当時としては仕方がないとは言え、笑ってしまう。 それは置いといて、結羅、初期の敵キャラとしてはやたらと強く、しかも全体技をがんがん使ってくるので、先を急いで育っていないかごめなど、あっという間に戦闘不能。 しかも3回か4回戦闘が続くので、持ちアイテムが少ない状態では乗り切れず、リセットして2,3度やり直した記憶がある。 他にもこのゲーム、妙なところで原作に忠実で、妖犬化した時以外の殺生丸には、犬夜叉側の攻撃は「決して」当たらず、しかもこの戦闘もやたらと多い。 最初はそれに気づかずに、気力を使いまくって飛刃血爪だ風の傷だと打ち込んではへろへろになっていた。(犬夜叉が) それでも今回のPS2版に比べ、戦闘アニメがカットできるので、楽といえば楽だが。 RPG、そんなに遊ぶわけではないが、一番遊びにくいのが今回のPS2「犬夜叉」。 戦闘シーンがショートカットできず、見栄を切ったりいちいち長い。 これも最近出たPS2「十二国記 紅蓮の標 黄塵の路」も戦闘がやたらと多いが、こちらも特殊技はアニメ画面がカットできるのでだいぶ楽。 とにかくいずれも迷いだすと、いつまでたってもセーブ画面に行き着けず、かといって5時間も6時間も続けて遊べるわけないので、とりあえずゲームはつけたままほったらかしにして仕事をしたり、生活したり、その合間にちょこちょこ遊ぶことになる。 東京電力に叱られそうな体たらく、しかも100時間とかゆうに過ぎるはめになる。 話がそれたが、もう1箇所、戦いもなくひたすら話を読むだけの、桔梗「霊山」(桔梗がかごめを捉え、犬夜叉を地獄に引きずり込もうとするところ)とこの3箇所がゲームの中の「困ったちゃん」だった(笑)。 それでも単純におもしろいのは、1作目の方だったなと未だに思う。 思いつつも「呪詛の仮面」の全イベントをクリアすべく、遊び続ける私だったりする。 (2004年7月8日の日記)
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骨喰いの井戸 |
原作少年サンデー1996年1月4日(5・6合併号)第7話「骨喰いの井戸」
☆ ☆ ☆ 逆髪の結羅に襲われたおかげで?結果的に現代に帰ることができたかごめ。 その間に今度は楓の村が襲われ、楓が傷を負う。 楓を救い、犬夜叉が迷いなく骨喰いの井戸に飛び込むところまでが今回の流れ。 逆髪の結羅に関しては、結羅が原作では鬼の魂移し、アニメでは付喪神として表現されていることは前にも書いた。 心臓をどこか(赤子の中)に隠した奈落のように、犬夜叉たちと戦う体は空っぽの入れ物なので、何度体を壊されても死ぬことがない。 結羅の場合は、自動再生が不可能なのか、それとも奈落のように自分の体を元に戻すことができるのか。 妖力の差で、犬夜叉から生き延びて生き永らえたとしても、あの姿のままならちょっと辛いかも。 骨喰いの井戸は、現代と戦国時代にある場所が違う。 簡単におさらいすると現代では、骨喰いの井戸は、御神木と共に高台の上にある。 かごめは毎朝、井戸と御神木を見ながら石段を降りて学校に行く。 一方、戦国時代の高台の上には桔梗の墓がある。 御神木と骨喰いの井戸は、かつて村があった場所?高台から遠く離れた平地にある。 この村と井戸や御神木の関係に関しては、ずっと考えてきた。 高橋先生が、後に何らかの意味を持たせるためだろうと思ったこともある。 原作での最初の場面、桔梗の死を思い出してみよう。 犬夜叉が村を荒らしている、その犬夜叉を、桔梗は御神木に封印する。 この時2人は平地にいる。 桔梗は死に、その後村は高台の下に移され、御神木はまわりに木を植えられて森の一 部となり、禁域の森としてこれもある意味封印される。 つまり桔梗が死ぬまでは、御神木も骨喰いの井戸も、村の中か、村のごくごく近くにあったことになる。 そしてアニメ。 村は最初から高台の下にあり、高台の上には「四魂の玉を収める」社(やしろ)がある。 高台の上で四魂の玉を奪った犬夜叉が降りて来る時に、桔梗が石段の途中で犬夜叉を射抜く。 御神木も石段の途中にある。 実はここはすでに石畳が敷き詰められ、立派な石段と鉄らしき手すりが整備されている。 むしろ現代の日暮神社に近い。 さらにかごめが来た時の状態から考えると、村ではなく、「御神木と井戸」を遠くに移したことになる。 原作以上に無理がある。 ここで思ったこと。 アニメスタッフの方々も、当然現代と戦国時代の御神木と骨喰いの井戸の位置の相違に気づかれたに違いない。 もちろん高橋先生にリサーチされたのだと思う。 そして私の勝手な想像だが、「好きなようにどうぞ。」といった意味のコメントを頂いたのではないかと思う、この件に関しては。 つまりどう描いても矛盾が生じるのだから、いっそ好きなように作って構わないというわけ。 キャラ設定の変更などに関しては、個人的に納得いかない部分は多いが、この御神木と井戸に関する原作、アニメの設定は非常におもしろい。 逆に好きなように設定できるということは、原作においても井戸と御神木の位置の相違は意味がないことになりかねないが、さて・・・? いつの日か、原作「犬夜叉」が最終回を迎える時までに明かされることはあるのだろうか? このまま何事もなく終わってしまって、後で先生が「実は間違えました♪」などとコメントされてもおもしろい(笑)。 現代の日暮神社の井戸のある祠にも、井戸の底といい、周りといい得体の知れぬ骨が散らばっているが、それ以上にミステリアスな謎でなる。 そしてもう一つおもしろいのが、犬夜叉と楓の関係。 原作を読んで、ほとんどの人が桔梗が死んだのも、楓が右目を失明したのも、犬夜叉のせいだと思われたのではないだろうか。 その敵同士のような関係の2人が、特に結羅編では、祖母と孫のような気の合った会話や連携を見せる。 私はこの頃はアニメしか知らなかったが、これが非常に不可解だった。 もちろん主役の犬夜叉が人殺しであってはキャラとしての魅力が失われてしまうので、そこはかとなく善の気配を漂わせるように設定、その相手役に借り出されたのが「老女」楓と言えないこともない。 これは犬夜叉とかごめの間にワンクッション置くことにもなり、2人の関係をスムーズにする上でとても効果的だった。 その一方で楓の態度に矛盾を抱えこむことにもなった。 会話の様子から、「犬夜叉は自分が桔梗を殺し、楓を失明させた」ことに気づいてないことを知った楓が、遠い過去の出来事として忘れることにしたと考えることもできるが・・・。 かごめを追って迷いなく井戸に飛び込んだ犬夜叉、ここでゲーム「呪詛の仮面」のオリキャラの如く、底にびたん!などということになっていたら、さらにおかしかったかも(笑)。 結羅がらみで、井戸の中を通れる力、通れぬ力について書きたいこともあるが、今日はここまで。 (2004年7月16日の日記)
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奈落の関心 |
原作少年サンデー1996年1月14日(7号)第8話「帰還」
☆ ☆ ☆ アニメや原作を見たり読んだりしていた当時は、普通に受け止めていた逆髪の結羅編だが、かなりストーリーが進んでから読み返してみると、非常におもしろいことがいくつか出てくる。 骨喰いの井戸、かごめだけではなく犬夜叉までがあっさり通る。 しかもこの時、犬夜叉は四魂のかけらを持っていない。 さらにおもしろいのが、犬夜叉にくっついていた結羅の髪の毛も井戸を通る。 この時結羅は四魂のかけらを入手している。 後になって、かごめがかけらなしで井戸を通れなくなる話が出てくるが(狼夜干編)、犬夜叉とかごめに関してはその時まで取っておく。 問題なのは結羅の髪。 とりあえず犬夜叉とかごめ以外のキャラが、骨喰いの井戸を通るには、四魂のかけらは必要不可欠なものらしい。 逆髪の結羅、キャラ的にはものすごく魅力的だが、妖力の方はさほど突出した感じは受けない。 (原作に従うと鬼なので妖力ではないが。) 「魂移し」の力が、かけらの力によるものか、結羅本来の力かわからないが、まあこれくらいだろう。 その結羅の操る髪が、唯一「時を越えて」現代までやってくる。 念のため確認しておくと、百足上臈は最初から井戸の中、肉づきの面やタタリモッケは最初から現代にいたので問題外。 実は結羅の「時代越え」、ものすごいことだったりする。 結羅自身は犬夜叉を追って現代までは来ようとしていないが、仮に髪の毛を伝って井戸に飛び込んでいたらどうだろう。 ここでもう一つ思い出していただきたいのが、かけらを持ちながら井戸を通れなかった七宝(狼夜干編)と草太(肉づきの面編)。 同じくかけらを持ちながら、通れた結羅(の髪)と通れなかった彼らの違いは何か。 それは犬夜叉に接触していたこと、私はこう見ている。 「犬夜叉」において、次々に出てくる妖怪やら鬼やらの強さはだいたいわかるが、その力(妖力)については非常に曖昧である。 以前も書いた記憶があるが、四魂のかけらを見抜く力を持った雷獣兄弟など、弥勒の法力とどっこいどっこいの「眼」を持つ妖怪はけっこう多い。 そもそもかけらを入手した妖怪やら人間が、「どうしてかけらを入手できたか」は非常に大きな謎である。 その辺に散ったかけらが落ちていたところで、かけらの気配を感じなければ、ただの石ころと同じ。 そのかけらを見つけても、「四魂のかけらか石英か」を見抜くには、体に埋めてみなければわからない。 鋼牙なども、他妖怪から奪うには、まずその妖怪が四魂のかけらを持っていることを知らなければならない。 急に強くなった妖怪にめどをつけて襲ったところで、今度は体のどこにかけらを使っているか見つけなければならない。 それこそ体を切り刻まなければ見つけることはできないだろう。 ところがこれだけ幾多の妖怪や人間が簡単に手にしているということは、かごめや桔梗の「見抜く力」の特殊性は、「ある程度離れていても気配を感じる、かけらが汚れているかどうか感じ取れる」、それくらいになってくる。 もちろんこれは原作の矛盾探しをしているわけではなくて、とにかく読めば読むほどいろんなテーマが溢れてくる、ということ。 話がそれたが逆髪の結羅、もし髪の毛を追ってきてたら、私は井戸を通ることができたと見ている。 つまり七宝も草太も、ついでに弥勒と珊瑚も、1人が1個ずつかけらを持って、犬夜叉やかごめと手をつないで、せーので井戸に飛び込んだら、現代に来れると思うが、どうだろう? これはぜひ先生に試していただきたいアイデア(笑)。 ここまでは実は前書き。 何度も読み返すともっと不可解になってくるのが、今日のタイトル「奈落の関心」。 「犬夜叉」の中で、ターニングポイントとなるエピソードはいくつかあるが、奈落初登場の狼夜干編もそのひとつ。 同じ顔と魂を持つかごめと桔梗を前にしてなお桔梗一筋な、ある意味純情奈落だが、狼夜干を操りながら、「この奈落に見えぬものはなかったというのに・・・ あの女だけは見えなかった。」とつぶやく。 かごめに対する言葉。 この台詞は非常に意味深。 実は桔梗の復活もしばらく知らなかった奈落。 最猛勝ネットワークも今ほど細分化されていず、たまたま偵察していた時は、たまたまかごめが現代に帰っていたから見えなかったと言うこともできる。 しかしかごめの霊力、眼力などを恐れるようになった奈落は、かごめに対して特殊な関心を持ち始めたはずだった。 特殊な関心と言っても、もちろん恋愛ではなく恐れの感情。 桔梗も傀儡奈落を称して「かごめを恐れている」と言っているし。 ところがその関心とは逆に、奈落は不思議なほどかごめの行動を探っていないように見える。 ちょっと調べれば、かごめが骨喰いの井戸を使ってどこかと行ったり来たりしていることに気づきそうなものだが。 たとえば井戸を壊す、たとえばかごめを追って行く。 私が奈落ならそうする。 犬夜叉たちと離れたかごめは1人、ある意味チャンスである。 奈落が通れるかどうかはわからないが、四魂のかけらは持ってるし、とりあえず最猛勝を1匹、背中の辺りにくっつけておけばいい(無理?)。 おもしろいなと思ったのが、アニメスタッフさんの中にも、私と同じ考えを持った方がいたらしい。 「悪夢の真実 嘆きの森の戦い」でかごめの悪夢で奈落を現代に登場させるような展開を描かれていた。 奈落の心の中で両立するかごめに対する「恐れの気持ち」と「希薄な関心」は非常に興味深い。 それにしてもかごめがいなければ、犬夜叉は結羅にやられてしまいそうな雰囲気だったが、そもそもかごめがいなければ犬夜叉が結羅と闘うことはなかった。 2人の関係を1歩前進させてくれた結羅には感謝、である。 (2004年7月18日の日記)
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結羅の髪 |
原作少年サンデー1996年1月22日(8号)第9話「結羅の巣」
☆ ☆ ☆ 私は結羅編はアニメが最初だったが、その巣の綺麗なことに感動した記憶がある。 骸骨がくっついてなければ、なんだかいいじゃない?みたいな。 その時思った素朴な疑問。 結羅の髪には2種類あって、犬夜叉が触れても気づかない髪の毛と、犬夜叉を捕まえたり傷つけたりできる髪の毛があるのだろうか。 あの髪の巣は、犬夜叉には見えていたのだろうか。 PSの最初のゲームでは、犬夜叉はしっかり巣の中に入っているが、もしかしたら犬夜叉の感覚では、宙に浮いてる感じなのかな、手足を縛られて宙に浮いてる時も、髪の毛は見えていなかったのかな。 そんなことをいろいろ考えた。 たぶん偵察用の髪の毛は特殊加工してあるんだろうと勝手に決め付けたが、この頃のゲスト妖怪としては破格の可愛さで、結羅は未だに好きなキャラ。 演じているのは現琥珀の矢島さんだったが、矢島さんの声はやっぱり琥珀の方がいい。 今回は結羅の魂移しのすごさも出ず、クライマックスへのつなぎのような展開だが、現代から迷いなく戻るかごめ、首なし死体を見ても怯えるどころか、結羅への怒りをかき立てるかごめの姿にやはりその特殊な性格を感じた。 いきなり戦国時代でいきなり妖怪に襲われ、パニックに陥ることもないかごめの姿が当時は不思議だったが、何度か書いてきたように、かごめの中には桔梗の記憶があり、「慣れる」までの段階が必要なかったということなのだろう。 「犬夜叉」の原点と言われる「炎トリッパー」に関して先日掲示板で指摘していただいたが、たしかにいちいち怯える、泣き騒ぐ、妖怪に対しても怖がるばかりのかごめから始まったら、最初から読む者をぐいぐい引き込むおもしろさが出なかったのではないかと思う。 普通に考えれば「炎トリッパー」の方が自然な姿だが、それだけにあの物語には現実味が強く、たとえば妖怪などを登場させたらより過酷さだけが際立っていたように思う。 その意味でかごめに「桔梗の生まれ変わり」らしき立場を設定したことで、話に深みを与えただけでなく、いきなりの妖怪退治(本題)に入れたことは大きな成功だったと思う。 何の背景も持たないかごめだったら、仮に霊力があったとしても嘘っぽかっただろう。 もうひとつ特筆すべきは「緋鼠の衣」、今回結羅の鬼火櫛の洗礼を受けるが、その強さはものすごい。 嘘だろう、と思うほどすごい(笑)。 「竹取物語」にも登場する緋鼠、どんな鼠なのか見てみたい。 今回の「スワッチのアニメ日記」でアニメ製作の裏側がやっと登場、興味深く読ませていただいた。 それによるとシナリオに関する会議は、放映の半年前から行われるのだそうだ。 琥珀の声は、結羅の演技が評価されて矢島さんに決まったのかと思っていたが、結羅編から珊瑚と琥珀登場まではちょうど半年、最初から琥珀=矢島さんに決まっていたと考える方が無難かも。 それにしてもこの会議、喫茶店でされることもあるとか。 こっそり近くで聞いてみたい(笑)。 ☆ ☆ ☆ たぶんきのうだと思いますが、65,000HIT達成することができました。 ありがとうございます! 最初の1,000HITを思い返しても、夢のような数字です。 本当に嬉しいです・・・。 これからもよろしくお願いします。 (2004年7月22日の日記)
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火鼠の衣 |
原作少年サンデー1996年1月29日(9号)第10話「窮地」
☆ ☆ ☆ 業火からかごめを守ってのは火鼠の衣の威力。 この火鼠の衣っておもしろいなあとずっと思っていた。 なにしろ火に強く、並外れた再生力を持ち、刀や妖怪の爪、牙といった攻撃にも耐え得る便利な衣。 以前「鏡の中の夢幻城」について考察した時に、この映画のモデルとなった「竹取物語」についても調べてみた。 かぐや姫が5人の求婚者に5つの無理難題を与えたのは有名な話だが、その中の1つに「火鼠の皮衣」がある。 この時、左大臣阿倍のみむらじ(御主人と書く)が与えられた課題が火鼠の衣、ここでこの人は「唐の国まで捜し求めた」という記述があることから、今回「山海経」を探してみた。 「山海経」は「十二国記」ファンにはおなじみの、古代中国より伝えられる、いわば獣、鳥、植物、玉(ぎょく)、神から妖魔?までを全て網羅した百科事典のような本。 「山海経に見る十二国記」なるコンテンツを立ち上げた時に、十二国記用語を調べるついでに、「火鼠」がいないかと探してみた。 「これが現れると火事が起こる」みたいな獣は多かったが、「火をふせぐによい」と書かれていたのは、今まで見つけたところでは「ルイ」という「鳥」。 鳥とみなされ、挿絵も頭が2つある鳥のようだったので、最初は見逃していたのだが、「ルイ(田が3つに鳥と書く)は実は「むささび」のことだった。 「鳥には[ルイ]チョウ(疊に鳥と書く){むささび}が多く、その状は鵲(かささぎ)の如く、赤黒くて二つの首(かしら)、四つの足、火をふせぐによろし。」 首が2つある鳥をむささびとは捉えづらいが、ここでふと思い出したのが「帝江」。 ここで絵が描ければ言うことなしだが、描けないので言葉で説明すると、豚と豚が頭をつき合わせているうちに、合体して頭が溶けちゃった?みたいな姿。 前から見ても後から見てもお尻で、頭がない(笑)。 これをルイにも当てはめて、こちらは逆に前も後も顔にして、お尻のほうがつながった絵を想像していただきたい。 真ん中辺で羽を広げ、足が4本、むささびに見えてきませんか?無理? まあ本物のむささびが火に強いわけではないだろうからかなり私のこじつけだが。 ちなみにむささびは足の間に膜があって木から木に飛び移ることのできるリスかネズミみたいな動物。 モモンガも同類。 ところがやはり「鏡の中の夢幻城」で五芒星から陰陽道にたどり着いた時のこともふと思い出した。 もともと陰陽師安倍晴明などが大好きで、その関連についてはかなり詳しく調べたが(ほとんどは忘却の彼方、笑)、そこでやはり「山海経」みたいな書物があったことを思い出した。 たしか「神異経」だったと思って覚書ノートをたどって調べてみたら大当たり。 火鼠は牛ほどもある大きな鼠で、普段から火の中に住み、当然火に焼かれることはない。 おもしろいのが、汚れたら火に焼けばまたきれいになるらしいこと。 「犬夜叉」では見られないが、もしかしたら犬夜叉、焚き火で衣を焼いているのかも。 まあそのわりに犬夜叉だけでなく、他のメンバーの着物もいつもきれいだが(笑)。 「神異経」そのものに関しては当時もほとんど調べなかったので、機会があったら読んでみたい。 ここで結論。 犬父が中国まで火鼠を捕まえに行ったか、むささびで地道に作って染めたか、希望としては前者かも。 余談だが、奈落の「狒狒の毛皮」の「狒狒」も「山海経」に登場する。 高橋先生も語っておられたが、猿の狒狒ではなく、中国妖怪の狒狒。 いくら奈落にすごい力があるにしても、はるばる中国まで行ったとは考えにくいので、たまたま日本に遊びに来た?狒狒が哀れ奈落の餌食になったのかもしれない。 「山海経に見る-」はまだ途中だが、狒狒などはこれから出る予定。 これは本当に感想か?という内容だが、感想自体はむしろ「原作アニメ比較」の方に書いてあるような気が・・・。 ところで結羅の不死身体。 付喪神と魂移しに関しては、次回に書くつもりだが未だにわからないのが、魂移しの結羅の能力が、四魂のかけらの力によるものかどうかということ。 形は違うが、仮の体がいくら傷つけられても平気というのは、奈落と同じ。 なんだかすご過ぎ、むしろかけらの力に頼ったと見る方が無難かな? でも奈落と結羅の力の差を考えると、仮に結羅が勝ったとしても胸の穴や手首の再生は無理のような気がする。 それにしても結羅が妖怪ではなく鬼であることは、その力とは関係なくおもしろい。 この後は鬼はあまり出てこなくて(悟心鬼、牛頭馬頭、雑魚妖怪くらい)、ほとんど妖怪になってしまったが、結羅のキャラ、魅力を考えると、「うる星やつら」の頃から高橋先生の歴史と共に続いてきた「鬼っ子大好き」の名残かな?などと考えるのもまた楽しい。 これも余談だが、最近「三國志IX」というゲームを買った。 内容は置いといて、その攻略本のアイテム紹介に「山海経」があって大喜び。 他にもアイテムながら、古代中国を知る上で参考になりそうな書物を網羅してあるので、これは嬉しい。 遊んでみてわかったこと。 私はどうやらじっくり考えることの苦手な猪突猛進型らしい・・・。 (2004年7月29日の日記)
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