犬夜叉サンデー感想(第111話〜第120話)
急ぎすぎたアニメ
原作少年サンデー1999年3月3日(14号)第111話「浄化」

     ☆     ☆     ☆

卑劣な奈落にかごめの問答無用の怒りが爆発する。
3月3日の雛祭り、女の子のためにある日に誰より強い型破りなヒロインがついに登場した。
私は1999年頃の求められる「女の子」についてよく覚えていないが(というより気にも留めてなかった)、可愛いだけの女の子、守られるためだけの女の子、恋愛のためだけに存在する女の子が「女の子」の通説だったとしたら、高橋先生の作り上げた日暮かごめというヒロインは、これまでの女の子像に風穴をぶち開けたのではないかと思う。

最初から戦闘士として登場するキャラ以外でここまで強いヒロイン、性格の強さだけでなくこんなとんでもない霊力の持ち主だったなんて。
アニメではカットされたが、犬夜叉への恋のパワー、奈落への怒りのパワーを爆発させるこの「浄化」を読んだ時は本当に爽快感を感じた。

同時に珊瑚の弱さも描かれる。
こわい、ひとりで戦うのはこわい。
辛かった、ずっと辛かった。
でも一緒にいたらまた裏切る。
こわいけどひとりで戦わなきゃいけない。

その想いを犬夜叉が、弥勒が、七宝が解き放つ。
かごめは抱きしめる、すべての言葉に変えて。

今になってみれば「いい時期だったなあ。」と遠い目をしながらため息のひとつもつきたくなってしまう場面。
何度か書いたように、動のかごめはこの奈落の城での霊力爆発が一番好き。
静のかごめが18巻の犬夜叉の元に帰ってくるかごめ。
逆に言うとそれ以降、かごめに心をずんと揺すぶられるシーンがないってことか・・・。

ここでおもしろいのは、タイトルは「浄化」となっているが、かごめには奈落という敵を浄化するつもりなどさらさらなく、霊力というより怒りのパワーで奈落の体をぶち抜いたこと。
霊力というと、どうしても清らかな心の持ち主があくまでも相手を浄化するために発動するという感じがするが、かごめの場合は怒りのパワーにたまたま持っていた霊力がくっついてきただけという感じがする。

これが巫女として生まれ、常に己の霊力を意識してきた桔梗との違いだろうと思う。
それだけに完璧にコントロールする桔梗と、普段は全然駄目だが、激情に駆られた時だけ桔梗を凌ぐ霊力の大爆発を見せるかごめの違いが際立つ。
かごめと珊瑚、かごめと桔梗、心が一番強いのは誰か、一番暴走ファイターなのは実は誰か、もしもアンケートを取ったなら、どんな結果になるだろうか。

原作のかごめは珊瑚のための怒りと犬夜叉のための怒りがうまく両立しているが、アニメでは犬夜叉のための怒りがすっぱりカット。
当初の犬桔路線突っ走りの一環か、ただ30分にまとめるために削ったか。
もしかしたらこの怒りの両立をうまく映像化する自信がなくて、珊瑚よりも犬夜叉を大切に想うかごめに思われないように「珊瑚目指してオンリーユー」にしたか。

実は今日、111話になって、やっとアニメ30回目が終了。
111話で30回目・・・。
放映当初のスピード感は、誰もが指摘するところだがこのスピード感こそアニメの人気を一気に高め、あっという間に原作に追いついてのオリジナル多発を生み出した。
当時の製作側の立場を考えると、先が読めないのは当然として、とにかく放映当初に人気が出なければあっという間の終了なのだから、とにかく今を盛り上げる、その姿勢は当然だろう。

それでもここまでの間、そこまで端折らなくても、と思うエピソードもある。
原作の長さに関係なく前後編もののアニメエピソードをあげてみると(ゲスト妖怪登場エピソード)

・逆髪の結羅編
・殺生丸登場編=無女
・雷獣兄弟飛天満天
・桔梗登場裏陶編
・狼夜干編
・晴海編
・珊瑚登場編
・琥珀登場〜奈落の城

他は水神編やタタリモッケなどの一話もの、かごめ登場から犬夜叉が目覚めてあらすじ説明の第1話から、奈落と桔梗、奈落と殺生丸と本筋にまつわるエピソードを加えて30話。
こうして見ていくと、アニメが早いというより、いかに原作1話が短いという結論に達し(笑)、おかしくもなんともないのだがそれでも早く感じる矛盾。
その意味でも出来上がったストーリーでなく、連載中の作品の映像化の難しさを感じることができる。

それでもつけ加えれば、

・九十九の蝦蟇編
・今回奈落の城編

はもう少し伸ばすことができたのではないだろうか。

蝦蟇は信長絡みのギャグテイストで、奈落の城は何度も書いた「犬夜叉への想い」で。
終わったことではあるけれど、考察からさらに分析に移行するのも私の中では楽しい犬ファン作業。
12巻もやっと第4話に入る。
次回は今頃どうしているのかしらの地念児編。    
 (2005年8月4日の日記) 
地念児銀骨江川さん
原作少年サンデー1999年3月10日(15号)第112話「地念児」

     ☆     ☆     ☆

「犬夜叉」で声優さんにハマっていくらか見るようになったが、元々アニメには全く興味がなかった人。
好きで見ているアニメと言えば、「犬夜叉」そして「十二国記」くらいだろう。

その中で両方に出演されている声優さんの一人が江川央生さん。
「十二国記」では泰麒を捉え、自分こそ戴の王だと言ってのける不遜な男。
そして「犬夜叉」ではご存知地念児と銀骨である。
「犬夜叉」では村人など、いわゆるエキストラもこなされる。
そして三国志ゲーム「真・三国無双」では曹仁の声も。

この3作品を網羅している声優さんは夏候惇、凱之&星黄泉の中井和哉さんくらいか。
(最近蛾天丸、景麒&猿飛佐助=戦国BASARAの子安武人さん追加。)
山口勝平さんや松野太紀さんのような、一声聞いただけですぐわかるという強い個性の声じゃなくてむしろ地味。
でも西前忠久さん、中嶋聡彦さん、田中一成さんのアニメ犬夜叉最強トリオに繋がる大好きな声優さん。

          ☆          ☆          ☆

その江川さんが声をされた地念児が登場。
12巻第4話「地念児」の表紙がとても可愛い。
のぽ〜っとした犬夜叉と寄り添うかごめ。
最近キャラの線がきつくなってきているので、このような柔らかい絵を見るとほっとする。

隣ページ、奈落の城の戦闘後、「もう大丈夫よ。」と珊瑚を抱きしめるかごめの優しい表情と共に大好きなカット。
12巻にはかごめの優しい表情、凛々しい表情などでお気に入りが多く、読み返す回数の多い本。
なんとなく犬夜叉&かごめ組、弥勒&珊瑚組に別れて、弥勒と珊瑚の恋の始まりを感じさせるいい雰囲気。
(ただし、珊瑚はまだ弥勒に警戒心のみ、笑)。

ほのぼのギャグも楽しくて、いつの間にやら都合よく現れた冥加に突っ込んで、七宝を残したかごめの配慮に笑って。
そして一転、村の娘が何者かに襲われる。
腹わたをごっそり食われているという凄まじい内容で、それでも平然としているかごめにびっくり。
嘘みたいに慣れてるかごめ。

それはともかく、その犯人と目されているのが地念児。
妖怪退治を買って出る犬夜叉だが、地念児が犬夜叉と同じ半妖であることを知る、ここまでが第4話。
ここを読んだ時、私の「犬夜叉半妖問題」に対する見方が大きく変わったことを覚えている。

地念児は確かにこの村で半妖であると差別を受ける。
妖怪に対しては恐怖、ハーフに対しては恐怖より軽侮、この感覚が不思議であり、わかるようでもある。
人は人が関わった異常な状態に生理的嫌悪を感じてしまうのではないだろうか。
それが良いとは思わないけれど。

半妖地念児は村人に差別される。
後に登場する半妖紫織も村において侮蔑の対象だった。
さらに人喰い(地念児)、百鬼蝙蝠の危機(紫織)が重なることによって、彼らに対する村人の気持ちに憎しみが加わる。
その中で、村人を憎むことなく普通に生きようとする2人の姿は感動的だった。

ところが犬夜叉、同じ半妖でありながら旅の中で半妖だからと侮蔑される場面はない。
犬夜叉を半妖と罵るのは妖怪だけである。
時々怖がられたり怪しまれたりすることはあるが、それもすぐにおさまる。
最初はかごめがいたからかな?と思ったが、大体半妖登場に驚かれる場面がない。

犬夜叉が限りなく人型でかっこいいからというわけではないだろう。
まあ鼻の利く妖怪でもない人間に、鋼牙と犬夜叉が目の前にいて、どっちが妖怪でどっちが半妖かなどとわかるはずもないが。
この差は何だろうと思った。

現在の犬夜叉と地念児たちの違いは、彼らが村の中で母と一緒に住んでいることにある。
村人は妖怪と愛し合い、身ごもった母を常に見ることで、子供が「人間ではない」ことを強く意識する。
閉鎖的な村の中、その思いが薄れることはない。

だから犬夜叉も子供の頃、母といた頃は、共に迫害されたのだろう。
妖怪の子を産んだ母、人間と妖怪の間に生まれた子供。
犬夜叉は母の死と共に、自分を迫害した人間社会に決別する。
そして500年の時を越え、桔梗に出会うまで、犬夜叉は迫害されるというより自分から人間を拒否していたのだろう。

今犬夜叉に対して、周りから特別な反応がないのは、犬夜叉個人しか目の前にいないからのような気がする。
だからもしも、犬夜叉が貴族社会から飛び出して、もっと早く楓の村のような場所に来ていたら、こんなにも長い間、孤独に生きることはなかった。
もっとも犬夜叉がもっと早くに人間社会に受け入れられていたら、桔梗やかごめに出会うこともなかったから、犬夜叉にはやはり500年待ってもらって正解だった。
犬夜叉には可哀そうだけど。

先生が設定されたかどうかはわからないが、描かれる犬夜叉像、地念児像、そして出会うさまざまな村の人たちを見るたびに、逆にイメージを作り上げていくのは楽しい。
そして、描かれない過去を作っていくのも楽しい。
もちろん大はずれかもしれないけれど、そこはファンの気安さで(笑)。
これがもしお金を払って買ってもらう「犬夜叉考察本」だったら絶対書けないだろうと思う。  
  (2005年8月6日の日記) 
頑なな犬夜叉 癒すかごめ
原作少年サンデー1999年3月17日(16号)第113話「襲撃」

     ☆     ☆     ☆

半妖としていじめられる地念児に、犬夜叉は自分を重ねる。
いじめられて泣き寝入りが嫌なら強くなるしかない、心も強くなって侮蔑をはねのけようとする。
一人で生きてきた犬夜叉は、人間に対してかたくなに生きる。
犬夜叉が地念児に対して、どこか歯がゆさと苛立ちを感じているように見えるのは、かつての自分を思い出すからだろう。

同時に犬夜叉は地念児の濡れ衣を晴らすために真犯人を探しに行く。
残ったかごめは地念児親子と過ごす。
「この子いいなあ、本当にいい。」って思った。
かごめは別に地念児に対して優しく接しようと思ったわけではない。

ただ普段通りに構えることなく畑仕事を手伝い地念児に話しかける。
とても簡単なことのようでとても難しい。
私だったら、「半妖を意識していないことを見せるようにしなくちゃ。」などと余計な気を使って、かえってぎくしゃくした雰囲気を醸し出さそう。

でも誤解されると困るのだが、村人側を100%悪いと決め付けることにも抵抗がある。
地念児に助けられてから手伝いに来ていることでもわかるように、一人一人は決して悪い人とは限らないだろう。
恐怖、と言ったらよいのか、全ての人が全ての対象に公平で偏見なく接することは想像以上に難しい。
その意味で、私は地念児編の結末に、「誤解が解けてよかったね。」と言ってあげたい。

もし桔梗が復活しなければどうだっただろう。
かごめは未だに地念児編のような、癒しの固まりみたいな女の子だったのだろうか。
以前はそれではつまらないな、と思っていた。
けれども最近は、地念児編の頃のかごめでいて欲しかったと思うようになった。

恋を知って生身の人間により近くなったかごめだが、当然のこと、自然な成長と頭ではわかっていても、今のかごめの恋の姿には共感しにくい。
かごめというキャラが、現実にはあり得ないほど思いやりに溢れていて、辛い恋の中でも、自分の想いと同じように桔梗の想いも考えることができる、そんな少女であって欲しかったんだなあと思う。

一時期、今のかごめの恋(ヤキモチ)の仕方に否定的なことを書いてた時期があるが、それはやはり地念児編や18巻「出会った場所」頃のかごめが大好きだから、そのままの姿でいて欲しかったからという気持ちがあるのだろう、自分の中に。
かごめの自然体は、不器用な私の憧れだったから「普通の女の子」になって欲しくはなかった。
考えてみれば、自分の好みをかごめに押し付けているようで、いかにも理不尽な話なのだが、私にとってかごめはそれほど思い入れのあるキャラだった。

この頃作品内のかごめ大好き度は200%近かったが(笑)、今はたぶん80%くらい。
同時に作品に対する情熱?も下がってしまった。
そんな時はやっぱりこの頃の原作を読む。

犬夜叉を守ろうとするかごめ(蜘蛛頭)。
地念児を救い、犬夜叉のかたくなな心を自然に癒すかごめ(地念児)。
そして桔梗への想いを知りながら帰ってくるlかごめ(出会った場所)。

もしかしたら私のかごめは18巻で終わっているのかもしれない。

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情報を頂きました、ありがとうございます。
「戦国BASARA」のドラマCDが発売されます。
「ファミ通」に収録の模様がレポートされています。
登場する声優さんは真田幸村役の保志聡一朗さん、伊達政宗の中井(夏候惇)和哉さん、猿飛佐助の子安(景麒)武人さん、武田信玄の玄田哲章さん、かすがの桑谷夏子さん。
でもどうして濃姫の日野由利加さんや明智光秀の速水奨さんは出られないの?(涙)。

「スタジオは変なテンションでノリノリに」?
やったんだろうなあ、「お館さまあ!」「幸村っ!」「お館さまあ!」「幸村っ!」どこまでも暑苦しく、どこまでもむさ苦しく(笑)。
おまけ情報。
「戦国BASARA公式ガイドブック」が8月26日発売予定です。

          ☆          ☆          ☆

「犬夜叉」のドラマCDやキャラソンは買わず、「戦国BASARA」のドラマCDを買うってどうよって自分で突っ込んでみました。
でもやはり「犬夜叉」は真面目な世界なんですね、私にとっては。
洒落やギャグの世界にして欲しくない。
「戦国BASARA」は元々が洒落&ギャグですから、今更OKって感じで。

本当は「原作は原作、アニメはアニメ、キャラソンはキャラソン」って割り切って楽しんだ方が絶対お得でしょうけど、どうしてもできないです。
でも意外に感想がないですね、なぜでしょう。    
 (2005年8月8日の日記) 
桔梗に出会うまで
原作少年サンデー1999年3月24日(17号)第114話「半妖の思い」

     ☆     ☆     ☆

かごめが村で危機に陥っていた頃、犬夜叉は妖怪の巣を突き止める。
妖怪の子育て法といってもほとんど動物と同じだが、見切る犬夜叉がすごいと思った。
この時思ったことだが、母に死なれてから桔梗に出会うまで、犬夜叉はどんな生き方をしてきたのだろうかということだった。

先生によって描かれる犬夜叉の過去は、父妖怪の死後、母と二人鉄砕牙に守られながら貴族社会の中で暮らし、おそらくは母の死と共に人間社会に決別したであろうことのみ。
唯一殺生丸と冥加が犬夜叉の母を知っており、鉄砕牙と天生牙を作った刀々斎も関わっていたことくらい。
ある日突然犬夜叉は、四魂の玉を狙う者として桔梗の村に現れる、それまでの500年。

鉄砕牙を母の元から父の墓へと納めた者、あまりにも幼かった犬夜叉をある時期まで養育した者などいたはずだと思った。
今では意思を持ち、移動できる鉄砕牙だから自分で飛んでったかもしれないと思ったり(冗談)、もしかしたら父妖怪の兄(犬夜叉の叔父)が出てきて「実は俺が」ってなったり(あり得ない)いろいろ想像を膨らませることもできるし、全ては「架空の世界だから」で片づけることができる。

犬夜叉が自分で「散魂鉄爪」「飛刃血爪」なんて言葉を考えついたとは思えないし、緋鼠の衣をあつらえたのが誰?なんて問題も。
もっとも驚異的な修正能力を持つ緋鼠の衣のこと、最初に父妖怪が与えておけば、犬夜叉の成長に合わせて大きくもなろうし、「山海経」のように汚れたら火に突っ込めばきれいになっていたのかも。
(作品中では破けたり汚れたりするのはほとんど犬夜叉の衣装だけだが、他キャラも常にきれいな衣装であることの突っ込みは必要なし、笑)。

あまりにできすぎの姿で登場した犬夜叉、その過去を先生はこれ以上描く気はないように見受けられるが、やはり冥加なり誰なりにある程度の教育、養育は受けていたのだろうと思う。
どうせだったら「天下覇道の剣」で膨らませて欲しかったかも。
「天下覇道の剣」、私は犬父と人間社会の確執と、お世話係×3の部分がすごく好きだったので。

ここで素朴な疑問を思い出した。
この映画や地念児オリジナル編で、かごめとりんが同一視されて描かれていたが、果たしてそうなのだろうか(高橋先生の意図として)。
私としてはそのような部分は全くないように思えるのだが。
この疑問を当時あちこちにぶつけたが、反応が全くなかったことを覚えている(笑)。
皆さんはどう思われますか?

話が大きくそれたが、人間かごめによって大きく癒された地念児親子が、今度は同じ人間である村人の襲撃を受ける。
半妖、半妖を産んだ母だけではなく、犬夜叉と「つるんでいる」だけの全く普通の人間である、かごめさえ殺そうとする村人の憎しみが凄まじい。
しかしその攻撃の後に現れたのは本物の人喰い妖怪親子。
狩る側から一転狩られる側に回った村人たちはなす術もない。

ここで犬夜叉がいれば犬夜叉の一撃でジ・エンドだったろうが、それでは地念児編の意味がない。
まずはかごめが、そしてかごめを守ろうと地念児が勇気を振り絞って立ち向かう。

地念児が妖怪の口の中に腕を突っ込んだまま膠着状態になったところで犬夜叉が戻ってくるのだが、母が叫ぶ、「助けるこたねえ!」。
今回はここまでだが、次回、犬夜叉と地念児母、かごめと地念児が大きく二つに分かれる。
力による和解を求める母と犬夜叉、互いを認め合う和解を願うかごめと地念児。

四人の過去と性格が見事に描き分けられ、最後に犬夜叉もまた、心を開く。
作品とは、書きたい物があるから書くのだろう。
最初は手が追いつかないほど書きたいことが頭の中からあふれ出すのだろう。
その時期の高橋先生のストーリーテラーとしての魅力が凝縮された見事なエピソードだと思う。    
 (2005年8月9日の日記) 
語り合う二人
原作少年サンデー1999年3月31日(18号)第115話「居場所」

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自分も周りも幸せになれるのは、力によって押さえつけることではなく、優しさで認め合うことだった。
犬夜叉は地念児の行動と、かごめの言葉によって学ぶ。
薬草をもらった帰り道、ふたりの表情が優しくて柔らかくて。
心を開く犬夜叉に喜ぶかごめ。

でもここで気になるのは地念児の寂しさ。
村人とうちとけることができたとはいえ、かごめにいて欲しかったんだろうなあと思う。
かっこいい男の子と可愛い女の子が恋に落ちるのは王道、でもかっこ良くもなく、さほど可愛くもない人や妖怪や半妖や。
そんな存在に向ける視線の優しさが感じられる時期だった。

犬夜叉たちが、こうして充実した時間を過ごしている間に、奈落は体が弱いけど、剛毅な殿として城に君臨。
朝起きたらご飯食べて、時には場内の見回りなどして、家臣にねぎらいの言葉などかけて、あるいは陳情も聞いてみたり。
よくできた殿様役を完璧に演じているような気がする。
「城を継いでから木彫りが好きになられた」などと噂されたり。
もちろん桔梗復活も知らず、ひたすら療養に努めながら。

奈落の赤子もそうだったが、人間社会に入って普通に暮らしている姿も見てみたかったと思う。
適当に美形だし優しそうだしでお見合いの話なども続々来てそうな気もするが(笑)。
人間の間に入って羨まれ、慕われて奈落は何を考えていたのだろうか。
この時点で鬼蜘蛛の心は眠っているようだが、もし鬼蜘蛛が目覚めていたらこの安定した穏やかな生活に何を思うだろう。

おそらく生前望んでも得られなかった生活。
それをもぶち壊そうとする根っからの悪党だろうか、我が鬼蜘蛛は。
鬼蜘蛛は時々無双になったり、桔梗に触れることのできぬ心として登場していたが、そのある意味純粋な桔梗を想う心は犬夜叉にも学んで欲しい。
それが殺す方に向いてはいけないが。

さて地念児、この後どう生きただろうか。
アニメのオリジナルは入れないで、だが確かに村を出て行くようなことはなさそうだ。
紫織では年が違いすぎるが、可愛い女の子の友達ができて幸せに生きてくれたらいいなあ。
あっ、それってアニメスタッフの方々が、りんを意識したからあのオリジナルになったのかな?

次回はいよいよ奈落と桔梗が再会する。
桔梗は鬼蜘蛛の顔を見たことなかったと思うが(火傷の状態で出会う?)、見ていたとしても人見の現城主の顔では鬼蜘蛛とは気づけないのか。
一方あれほど桔梗を恋しがっていた鬼蜘蛛も、「死んだはず」の固定観念に捉われ、目の前にいるのが本物の桔梗と気づけない。
しかもしっかり触れることができる至福の時期。
今思えば奈落がとことん紳士的で、桔梗をアニメのように操ろうとしないところがおもしろい。

地念児編までの綺麗な世界から、奈落と桔梗の再登場でどろどろぬるぬる?の恋模様へ一転、苛烈な桔梗と奈落の間では、さすがの犬夜叉も色を失うが、どっこいこの時のかごめはまだ桔梗を凌ぐ色彩を持って物語に関わってくる、そこが楽しみ。    
 (2005年8月12日の日記) 
奈落と桔梗が出会う時
原作少年サンデー1999年4月7日(19号)第116話「邪気の穴」

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まだ最猛勝ネットワークがそれほど発達していなかった奈落、四魂の玉の復活を知るのも桔梗復活を知るのも遅かった。
たまたま桔梗が奈落のいる人見城の近くに来てその噂を聞きつけ、心配した家臣が桔梗を城に連れてくる。
この時「へえ〜」と思ったのが、桔梗は鬼蜘蛛の顔を知っているのだろうかということ。

火傷した鬼蜘蛛を助けたのだから、鬼蜘蛛の顔も知らないだろうし、もちろん人見蔭刀とも初対面だから相手がかつての鬼蜘蛛と気づくはずもない。
邪気の立ちこめる城で生気のない、首から下は死んでいるような蔭刀を見た反応が鈍いというかおもしろかった。
桔梗は陰刀をどう思ったのだろう、悪よりも被害者として見たのだろうか。
今は蔭刀どころじゃない、その奥にある巨大な邪気の固まりが気になる状態、意外に桔梗らしくない気もする。

もうひとつおもしろいのが、桔梗の目にも見える餓鬼。
大怪我を負った男に取り付く餓鬼を浄化、退治する。
殺生丸の天生牙に匹敵するこの霊力だが、桔梗はこれまで死にそうになった人全てを救ってきたのだろうか。
殺生丸に比べ、巫女である分いろいろとしがらみがありそうだが、この時以外に人を救う場面がない。
琥珀も救える?なんて御都合主義のアイデアが不遜な読者(ここにいる)の頭に思い浮かばないように忘れられた設定のひとつだろう。

この頃鬼蜘蛛の心は奈落の中で眠っていて、桔梗を見た奈落は動揺、あるいは恐怖しか感じていないように見える。
ここで桔梗を見たショックで鬼蜘蛛の心が目覚めていたらおもしろかったなあと時々思う。
奈落の中で無双のような鬼蜘蛛の心と今の奈落の心がせめぎ合い・・・、今とは全く違った奈落模様が出来上がっているかも。

今回ツボのカットや台詞が多くてそれも楽しめる。
井戸のそばで村人から話を聞いている犬夜叉たちのそばで見詰め合っている七宝と雲母。
人助けをめんどくさがる犬夜叉に、かごめの一言、「犬夜叉、なんか忙しいの?(大真面目)」。
「お礼の銭」をちゃかり「いただいて」いる弥勒(いつ使ってるんだろ)。
籠に乗ってる桔梗も珍しいし、かごめを置いて妖怪退治もあまりないこと。

今読み返すと、奈落もこの頃は可愛いなあと思う。
やっぱり人の心を捨て去って完全悪の奈落はちょっとつまらない。
奈落と桔梗のどろどろした恋愛模様、最近に比べるといっそ新鮮。
全体的に12巻現在の方が最新話より新鮮に感じるのは何故だろう。

現在の「犬夜叉」に倦怠感を感じる方は、初心に帰って1巻から読み返すのがいいかもしれない、私のお勧め。
その上で輝いているうちの終了か、何が何でも続けて欲しいか考えてみるのもおもしろい。
次回はいよいよ犬夜叉と桔梗が再会、共に奈落の巫蠱の術(蠱毒)のはまり込みそうになる。
ここでも迷いなく桔梗を助けるかごめと、法師としての知識前回の魅力が大爆発。

心置きなく桔梗に触れることができるのも後わずか、でもまだそれを知らない奈落至福の時。
かごめー犬夜叉ー桔梗、犬夜叉―桔梗―奈落の2つの三角関係が始まる前の前哨戦。
ここに後で犬夜叉―かごめ←鋼牙が入るが、こうりて羅列してみると、一番煮え切らないのは・・・、書かぬが花か(笑)。

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情報を頂きました、ありがとうございます。
「真・三国無双4 猛将伝」を店頭で予約した先着10万名にその場で「オリジナル猛将メモパッド」をくれるそうです。
「メモパッド」には「魏」「呉」「蜀」「他」の4タイプがあり、その中の1種類がプレゼントされるとか、全部欲しいです。  
 (2005年8月27日の日記) 
「蠱毒」と「巫蠱の術」
原作少年サンデー1999年4月14日(20号)第117話「満願」

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この日のために(笑)、「蠱毒」「巫蠱」に関してはずっと調べてきた。
おもしろいのは「蠱」の字、皿の上に虫が3つ乗っかってるが、まさしく「蠱」が乗った皿のこと。
「蠱」は蜘蛛やムカデ、ゲジゲジヤ蛇、虱やカマキリなど、一般に私が苦手な虫や長物系、足が一杯系、爬虫類などの他に犬や狼も使うとか!
しかも「蠱毒の術」を使う者のひとつに犬神があるとか!

なんとなくジャムの瓶に犬夜叉と奈落を入れてスプーンでグチュグチュかき混ぜてる鋼牙がイメージされてしまった。
(さっき帰ってきて、朝の残りのジャムトースト半分をかじっているので。)
蛇足だが犬神=狼なのである、鋼牙は犬夜叉より格調高いのである?
さてこの最後に残った虫を「蠱毒」といい、この術自体を「巫蠱の術」という。

「巫」の「巫」の字は「巫女」と同じだが、「生贄」の意味を持つ。
ここからはまだ調べ中なのだが、巫女自身が生贄になるというよりも、巫女が行う神儀には生贄がつきものだったから生まれた言葉だろうか。
いずれ「蠱毒」「巫蠱」に関しては考察としてまとめたいと思うが、図書館での資料が圧倒的に少ないので苦戦中。

この「蠱毒=虫たちを共食いさせて最後に残ったもの」は普通相手に呪いをかけるために使われるが、奈落の場合は自分の体を再生するために使う。
後になると、城の地下でどっから集めたのか分解してお手軽組み換えしているため、巫蠱の術が見られるのは今回限り。

雲母も洞窟に入っていたが、影響を受けるのは犬夜叉。桔梗と同じ。
本当に危ない場面だった。
もっとも「妖(あやかし)」ではない桔梗の死魂までなぜ奪われるのかはわからないが。
もっとも今回は村の人々と連動して邪気の影響を受ける弥勒と珊瑚、霊力のおかげか影響を受けないかごめ、そしてやはり邪気に引かれてきた桔梗と話は前振り。
桔梗も生前ならおそらく邪気の影響を受けないだろうが、今回は術の行い手(奈落)の正体を突き止めるために、あえて身を投げ出す。
ここを読むと、かごめも破魔の矢で洞窟を射抜くことはできたのかな?と思う。

かごめは常に破魔の矢を使うわけではなく、犬夜叉の見せ場や普通の戦闘では使わないという犬夜叉想いの女の子。
犬夜叉が一人で戦いたがる性格がなんとなく醸し出されていて、この頃は普通に読めた。
最近はギャラリーに徹しているように思えるのは、やはり長期連載によるこちらの「マンネリ」だろうか。    
 (2005年8月27日の日記) 
満願の夜
原作少年サンデー1999年4月21日(21号)第118話「蠱毒」

     ☆     ☆     ☆

邪気の満ちる洞窟の前で待っていたかごめと珊瑚、そしてやはり邪気に引かれて奈落の城から脱出してきた桔梗が出会う。
珊瑚が「この巫女・・・かごめちゃんに似てる・・・」の言葉に「似てないよ。」と無駄な突っ込みを入れた記憶が(笑)。
最初の頃は、高橋先生がかごめと桔梗を書き分けるために顔を違えていることを知らず、なんでこんなに違う顔なのにいんなが似てる似てる言うんだろうと不思議だった。
これも遠い遠い思い出12巻最終話。

桔梗とは初対面の珊瑚に、七宝が「犬夜叉が昔・・・惚れておった女じゃ。」と過去形で語るのがおもしろい。
七宝の中では、どこまでも犬夜叉にはかごめという構図ができているんだなあと思わせる。
一方犬夜叉。
巫蠱の術の意味を知る弥勒の制止にもかかわらず、残っていた妖怪と戦おうとする無謀。

犬夜叉という主役キャラに、私がさほどの魅力を感じないのは、ひとつにはこの性格にある。
犬夜叉好きには、逆にこの無鉄砲さが魅力なんだろうな、それもわかる、危なっかしさ、私も時には母性本能?を擽られるし。

ここで桔梗が来なかったらどうなっていたか。
犬夜叉蠱毒の妖怪を取り込んだグロテスクな姿となり、下手するとかごめについて来た雲母と戦う羽目になる。
漫画だからあり得ないとはいえ、もしそうなったら、逆にかごめが破魔の矢で射抜く形に変更なるかも。
ここで桔梗が来て、かごめが珊瑚と共に残ったことは、この蠱毒編を進める上で計算し尽くされている感じがする。

さてこの日は奈落の巫蠱の術の満願日。
洞窟の外では、満月を背負った奈落が成就を待つ。

私が知っている限りでは、古来願をかける場合には、新月の日に初め、満月の日に成就する。
他にもいろいろな説、やり方があるはずなので、私の知識が正しいと一概には言えないが、もしそうなら珊瑚が鉄砕牙を奪って奈落の城に向かったのが朔の日の直前となり、満願の日までには1ヶ月強たっていることになる。
な〜んてまた考えても詮無いことを書いてしまった・・・。

          ☆          ☆          ☆

「アニマックス激闘アニメバトル2005」で押井守監督の「BLOOD THE LAST VAMPIRE」を見た。
押井監督の作品を見るのは初めて、と思っていたらなんと「うる星やつら」の「うる星やつら オンリーユー」「ビューティフル・ドリーマー」も手がけられたとか、初めて知った。
で、これも初めて気づいたんだけど、あの名作「珊瑚目指してオンリーユー」ってどうしようもないタイトル、ここから取った・・・?
やめてくれ・・・。

それはともかく、この作品はタランティーノ監督の「キルビル」が影響を受けていることでも有名らしいが、私はそれより日本刀を持って戦うセーラー服でロングヘアの少女「小夜」が「十二国記」の陽子と被って仕方がなかった。
陽子も刀で妖魔と戦う。
何か関係あるんだろうか。
どちらかがどちらかのファンとか?だったらいいな。    
 (2005年8月30日の日記) 
桔梗の意図
原作少年サンデー1999年4月28日(22,23合併号)第119話「桔梗の矢」

     ☆     ☆     ☆

奈落、桔梗、殺生丸、彼らの共通点は何だろうか。
心を見せないことだと私は思う。
いずれも謎めいた行動をとることで物語の伏線、深み、謎を増すために大切なキーパーソンだから、彼らの行動がわかりやすかったら話にならない。

殺生丸の行動は、なにげに邪見に見抜かれてるし(笑)、桔梗は時たま犬夜叉との語らいで心の内を垣間見せる。
一番しゃべりまくる奈落も実は喋るのは揶揄と過去のことだけ。
ずっと「犬夜叉」を読み続けて、今度はこの3人の行動に視点を置きながら読んでみると、作品の雰囲気はがらりと変わってくるのがおもしろい。

とにかくよく叫ぶ、よく喋る、よく跳ねる、よくぎりぎり一杯になる犬夜叉とかごめ、この2人のインパクトが強すぎて目立たなかった部分が、奈落、桔梗、殺生丸を中心にすえると見えてくる。
この3人が登場すると、本筋が動く。
今では彼らの行動がどういった結果を生むかわかっているから、その伏線となる3人の行動が読めてくる、たまらなくおもしろい。

今回の桔梗。
死魂を吸われていたけれど、「あえて」落ちたように見える。
この蠱毒を生み出した者を探るため、あえて桔梗は身を挺する。

この時、桔梗の頭の中で、犬夜叉をどうするつもりだったのだろうか。
桔梗は自分を助けるために飛び込んだかごめに、

「おろかな・・・
 おまえが出てきたことで・・・
 犬夜叉は完全に己を失った・・・」

と言うが、桔梗が落ちた段階で犬夜叉は己を失ったいるように見えた。
ではかごめが飛び込まなかったら犬夜叉と桔梗はどうなっていただろうか、桔梗はどうしていただろうか。
犬夜叉が妖怪と合体するのを許すわけないから、ただ引っくり返っているだけではあるまい、でもその先がわからない。
かごめが来ようが来るまいが、桔梗は矢を放っていただろう。

矢を放たなければ、己を失った犬夜叉は妖怪と同化する。
この辺は、未だに桔梗の意図するところがわからない部分。
犬夜叉がいなければ、桔梗だけが同化することなく奈落の元に運ばれ、邪気の正体を突き止めていたはず。
結果的に桔梗は望みどおりに邪気の元、鬼蜘蛛(奈落)の復活を知ることになるのだが。

後でかごめを殺そうかと思われるそぶりすら見せる桔梗、普通の人間社会では、あくまでも優しく怪我人の介抱にあたる。
この時期桔梗の怨念は犬夜叉、奈落、そしてかごめのみに向けられたもの、この複雑怪奇な心理状態は、現在に至るまでの心の動きを年表風にまとめたいくらい興味深い。
同時に、かごめの無意識の恋心が少しずつ表れてきているのも興味深い。    
 (2005年9月1日) 
桔梗に触れる奈落
原作少年サンデー1999年5月12日(24号)第120話「蠱毒の行方」

     ☆     ☆     ☆

9月の犬夜叉カレンダー、水の中をオフィーリアの如く漂う桔梗と、桔梗を抱きしめる犬夜叉。
9月のアメリカ版カレンダー、肉づきの面の化け物に追いかけられるかごめと後を追う犬夜叉と草太、懐かしい〜。
こうして何度も読み返すうちに、私の中でのカップリングNO.1がいつの間にか桔梗と奈落になった。
カップリングといっても、結ばれて欲しいという意味ではなく、読んでて一番おもしろい組み合わせという意味。
今日の奈落は桔梗を至福のお姫様だっこ。
後に殺すどころか触れることもできなくなる奈落の大切な思い出となるだろう(笑)。

もっともその桔梗も奈落の腕の中で薄目を開けて様子を伺う。
奈落=鬼蜘蛛と明確にはされていないが、「五十年前〜」の台詞から、今時分を抱いているのが鬼蜘蛛だと悟った桔梗。
この時点で桔梗が奈落とどう対するつもりかわからなかったが、この時から桔梗は何となく奈落の手助けをするという謎の行動をとるようになる。
今(もう平成17年)となっては、桔梗の目的は「四魂の玉の完成→奈落が使った瞬間が奈落を倒す最大のチャンス」であることがわかっているが、これまで読む中で、桔梗の行動はわからないことだらけだった。

実はそこがいいのだが。
「犬夜叉」主要キャラをまとめると、年齢に関係ない感性、精神年齢、雰囲気といった部分で、「奈落、桔梗、殺生丸、弥勒」を大人組、「犬夜叉、かごめ、珊瑚」を幼な組と私は分ける。
個人的に、桔梗といる犬夜叉に違和感を感じるのはそのせいだと思う。
むしろ桔梗は奈落や殺生丸、ナチュラル睡骨などと丁々発止とやり合ったり、その旨にもたれて眠る方が似合っているような?

その意味でこの時期の奈落との出会い(鬼蜘蛛との再会)の息詰まる緊張感には堪能させられた。
妖怪の竜巻の中、犬夜叉が助けたのはかごめ。
もちろんかごめがそばにいたせいだろうが、後の展開を考えると興味深い伏線に感じる。

          ☆          ☆          ☆

情報を頂きました、ありがとうございます。
ゲーム「桃太郎電鉄」のゲーム監督などのさくまあきら氏のホームページ「さくまあきらホームページ仕事人裏日記」に、「小池一夫劇画村塾の同窓会」の模様が掲載されました。
高橋先生も出席されていて、その様子の一部が書かれており、高橋先生の写真も掲載されています 。
先生の歴史を垣間見る意味でも必読必見!(5月14日付)

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アメリカに遊びに行った知り合いが犬夜叉グッズをたくさん買ってきてくれました。
犬夜叉一行の縦型タペストリー、Tシャツ4枚、、雑誌、トレーディングカード、パーカー、そして朔犬ショルダーバック!
どうしてアメリカはこんなにグッズが充実してるんでしょう。
後日柄写真アップします。

夜中の2時頃、放映されているそうです。
やや大人向けと思われているらしいのが不思議。
ちょうど七人隊の対蛮骨戦だったとか。

雑誌のそっくりさん特集で、殺生丸とサッカーのデヴィッド・ベッカム選手がそっくり?へっ?
あと殺生丸の声優さんDavid Kayeさんがめちゃくちゃかっこいい。
「ダークエンジェル」や映画「スコーピオン」に出てた人?
神保町あたりでたまに海外のアニメ雑誌見かけますが、高価でなかなか買えないんですよね・・・。  
 (2005年9月3日の日記) 

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