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入れ替わった立場 |
原作少年サンデー1999年5月19日(25号)第121話「囚われた桔梗」 ☆ ☆ ☆ 原作も423話まで読んで、さまざまな人物のさまざまな恋模様が描かれてきたが、復活した鬼蜘蛛(奈落)と桔梗が再会してから、奈落が人の心を捨てるまでが一番おもしろい。 横たわる桔梗のそばに腰をおろす奈落、二人の想いは時を遡り、横たわる鬼蜘蛛のそばに付き添う桔梗の姿が蘇る。 ただそれだけの場面が、どんなラブシーンよりも色っぽくて、我知らずときめいたことを覚えている(もちろん原作の話)。 この後、桔梗出現に揺れる犬夜叉とかごめも描かれるが、やっぱりくりくりした大きな眼の犬夜叉やかごめにはこの色っぽさは醸し出せないだろう。 台詞がなければ、時折出る憎々しげな奈落の表情がなければ、このままいつまでも二人だけの時を過ごしてほしいと思わせるほどの。 一方、犬夜叉に桔梗救出を勧めるかごめの初々しさも好もしい。 勧めてみたけど、やっぱり桔梗にはヤキモチ焼いてしまうこの可愛らしさ。 今のかごめ、桔梗に嫉妬の念を抱くだけの、犬夜叉に「おすわり」を喰らわせるだけの少女になってしまった。 それはいい、恋するからこそ出る嫉妬心は人として当然。 ただその後でそんな自分を顧みる、犬夜叉と一緒にいることを許す桔梗の想いを、かごめを想うと同時に桔梗を想う犬夜叉の想いを感じ取れる女の子でいてほしい。 変な話、そんな自分に自己嫌悪するほどのかごめなら、私のまさに理想なのだが。 以前某掲示板で激論を戦わせたことがあるが、かごめの「おすわり」はなんのためにあるのか、大きなテーマだった。 犬夜叉の暴走を止めるために発動するために存在する「おすわり」。 それが恋愛問題で食らわせるということは、犬夜叉と対当の恋ではなく、上から押さえつけること。 作品として「おすわり」消失があり得ない展開であるから、何でもおすわり、いつでもおすわりが定着してしまった、私はそう捉えている。 本来ならば、かごめ役の雪野五月さんがおっしゃるとおり「犬夜叉におすわりはもういらない」、まさに同感。 話がそれたが、かごめはひたすら好もしく、桔梗はひたすら色っぽい時期、ふたりとも最高に輝くのは、さらに後だがふたりが輝く第二段階。 そしてやっとのことで桔梗を追う?犬夜叉一行。 仲間とはぐれた犬夜叉が、ついに奈落の幻影殺に囚われる。 それは五十年前、犬夜叉と桔梗の運命の日。 燃える村、矢を放つ血まみれの桔梗。 次回は弥勒や珊瑚も幻影殺の餌食となり、唯一効かなかったかごめが桔梗と対決する。 陰の桔梗と陽のかごめ、同じ魂を持ちながらどんどん離れていく二人の心が犬夜叉にどんな影響を与えていくのか、興味の尽きない頃だった。 次回にもうひとつ興味があるのは、弥勒の幻影殺と違って、犬夜叉を捉える幻の桔梗は、幻でありながら現実の桔梗でもある。 かごめを思い出した犬夜叉をにらむ桔梗はどちらの桔梗か、興味は尽きない。 ☆ ☆ ☆ 先日とても嬉しいメールを頂いた。 「犬夜叉」に飽いたらもう一度初期の「犬夜叉」から読み返して欲しい、きっと新鮮だから。 そのように書いた私の文章に、実際に1巻から読み返してみた方がいらしたのだ。 そしたらおもしろかった、また「犬夜叉」が好きになりましたってメール。 30巻以降買ってなかったコミックを一気買いされたとか(笑)。 読んでて私も嬉しかったです。 私のホームページ「一陣の風」も、少しは人のために役立っているのでしょうか。 本当にありがとうございました。 (2005年9月5日の日記)
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幻影殺の桔梗 |
原作少年サンデー1999年5月26日(26号)第122話「幻影殺」 ☆ ☆ ☆ 幻影殺という奈落の術はアニメと共に、非常に解釈のおもしろいエピソードである。 かごめ以外には効かなかったこの術、犬夜叉や弥勒たちには今でも効果あると思うが、奈落は飽きたらしい、使う気配がないのがおもしろい。 奈落も常に別の術、より効果的な術を目指して日夜精進を続けているらしいが(笑)、本題は幻影殺である。 原作をよく読むと、犬夜叉がかかった桔梗の幻影と、弥勒や珊瑚の見た幻に大きな相違があることに気づく。 桔梗の幻に絡めとられ、「一緒に行こう・・・」と目を閉じる犬夜叉だが、次回かごめを思い出す。 そこでの桔梗の台詞が興味深い、「命が惜しくなったか。」。 珊瑚の幻の珊瑚を傷つける琥珀のような、単なる幻ならこんな言葉は言わないだろう。 ただの幻ではなく、まるで桔梗自身が犬夜叉を死に誘(いざな)っているかのような場面。 ここの解釈を膨らませて、アニメで桔梗が操られるオリジナルができたのかな?と思った。 一方特別な女の子である原作かごめは幻影殺の間をすり抜け、奈落と桔梗の姿を見つける。 矢を放ち、一人戦うかごめが好き。 矢は奈落を貫くが、もちろんそれは傀儡、奈落は「逃げ去る」、怖いらしい(桔梗談、笑)。 かごめは瘴気の底、ではなく炎の底に落とされそうになり、次回よりかごめvs桔梗女の対決が始まる。 この時期は陰の桔梗、陽のかごめと描き分けがはっきりしていて、犬夜叉を挟んだ三角関係が一番はっきりしていた時期。 かごめファンと桔梗ファンにはっきり分かれるのも。ここから18巻「出会った場所」にかけてではなかっただろうか。 そこで思い出したのだが、最近あちこちのサイトさんを回っていると「犬夜叉」最終話にかけての意識がかなり変化しているように思える。 桔梗と結ばれて欲しい派、かごめと結ばれて欲しい派が以前ははっきりしていたが、今はむしろどちらも選ばない派が主流のようだ。 今になっても心を決めかねる犬夜叉ならば、そのままの状態で終わる可能性が一番高いだろうと思われるのらしい、これはおもしろい。 作品が長く続いたことにより、冷めたというのではなく、冷静に作品やキャラを見る時間ができたのかもしれない。 今日ちょっと調べたいことがあって、初期の「犬夜叉」を読み返した。 今の犬夜叉が飛天満天雷獣兄弟や、逆髪の結羅に出会っていたらどうだろうと思うと笑ってしまった。 あの超高プライドコンビ、飛天と結羅も、今の犬夜叉には爪の先にも引っかからないだろう。 常に犬夜叉にちょうどいいレベルの相手が出てきてくれることは、犬夜叉にとっては大きな幸せだった。 散魂鉄爪のみだった犬夜叉が、いきなり宝仙鬼や竜骨精クラスの妖怪に出会っていたらとっくに命はなかった。 それが架空話の定番としても、その不自然さを感じさせない「犬夜叉」、やはり高橋先生のストーリーテラーとしての力量を感じずにはいられない。 もっとも最近は、それも微妙な段階にさしかかっているが。 もはや犬夜叉より強い妖怪を求めることはかなわず、「種類」で見せるしかない時期にかかってきている性だろうか。 それにしてもこの時期の「犬夜叉」、本当におもしろい。 私はむしろ桔梗がどろどろしていた頃の方を魅力的に感じるが、皆さんはどうだろうか。 次回の奈落は逃げ、犬夜叉も呑まれる女のバトル、かごめのがんばりに期待大。 (2005年9月19日の日記)
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殺意? |
原作少年サンデー1999年6月2日(27号)第123話「殺意」 ☆ ☆ ☆ 眠っていた桔梗が大ピンチのかごめの前に現れる。 描かれてはいないが、木から降りて歩む間に元結をほどいたのだろうか、巫女から女に戻った桔梗。 「奈落にとってもおまえが一番邪魔」と言い切る桔梗、「おまえも」の「も」の字が意味深。 つまりかごめの存在は、奈落にとっても邪魔だが、桔梗にとっても邪魔ということ。 殺意があったかどうかはともかく、かごめはそこにタイトルどおり桔梗の殺意を感じる。 もしここに犬夜叉が間に合わなかったら桔梗はどうしていただろう。 タイトルのままにかごめを瘴気の底に落としていたのではないか、私は思う。 桔梗が優しくないと思っているわけではないが、この時期の桔梗は犬夜叉と共に地獄に落ちようとし、奈落に対してもむき出しの私怨を見せる。 心ならずも蘇り、自分を殺した鬼蜘蛛と、犬夜叉の心を奪った(桔梗は後で楓に話を聞きに行った時に、かごめが犬夜叉にとって特別な存在であることに気づいている)かごめ、表情はなくともその怒りは激しい。 晴海を殺した桔梗、桔梗の姿を偽るのではなく、私はこの時殺意があったと思っている。 次回間に合った犬夜叉に偽りの言い訳をする桔梗、あまりにも生々しい、けれどこれがなければ、最初から今のような出来物の桔梗なら、私は桔梗に興味がない。 犬夜叉や奈落、かごめに生臭い愛憎を抱きながらなお心の奥底には優しさを保ち続ける桔梗が好き。 ところでここでの女の対決、桔梗が一方的にかごめをいじめているように見えるが、何度も読むにつけ、一番影が薄いのは、ここでは犬夜叉であることに気がついた(笑)。 対かごめ、対桔梗、女性といる時の犬夜叉がいつも押されているように見えるのは気のせいだろうか。 そこが犬夜叉の人の良さとどちらかに選べない弱さなんだろうと思う。 少しずつ見え始めていたこの三角関係、上段=かごめと桔梗、下段=犬夜叉の図、アニメがまだ続いていたら、そのうちかごめと桔梗のダブルおすわりも作られたかもしれない。 「おすわり!」「いとしい!」攻撃に地球をくり抜いて、反対側ブラジル(だっけ?)に飛び出す犬夜叉。 いえ見たいわけではないが。 次回は四魂のかけらというか固まりを持って奈落の元に向かう桔梗が描かれる。 ビジュアル的には、桔梗と奈落や殺生丸のツーショットの方がおさまりがつくのは、やはり作品の中で大人っぽさを持つ3人だからだろう、恋とは別の部分で。 そういえば楓と冥加のツーショットは見たことあるが、今度是非楓と邪見のツーショットも見せて欲しい? 最近楓と鋼牙の出番が少なくて寂しい限り、鋼牙まさか使っちゃったんじゃないでしょうね、五雷指・・・。 さて今日のタイトル「殺意?」、原作の「殺意」にクエスチョンマークをつけてみた。 以前この時桔梗に本当に殺意があったかなかったかという議論をしたことがある。 あれも本当におもしろかった。 あの頃は犬夜叉ファンも熱かったなあ、私も熱かったなあと懐かしく思い返した次第。 巷では奈落と桔梗、桔梗と殺生丸のカップリング支持派っていらっしゃるんだろうか・・・。 もしいらしたら是非お話してみたいのだが。 (2005年9月23日の日記)
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半妖奈落 |
原作少年サンデー1999年6月9日(28号)第124話「奈落の正体」 ☆ ☆ ☆ 「犬夜叉」124話は、いつもに比べ、非常見密度の濃い内容で、さまざまな登場人物の想いや謎があふれ出してきそうなボリュームを感じる、大好きな一遍。 前回に続く桔梗とかごめの対決、桔梗はかごめの四魂のかけらを奪い、駆けつけた犬夜叉に言わずもがなの言い訳を。 この辺はまだ吹っ切れてない桔梗の曖昧さがその表情や言葉に表れている。 かごめが全てを話せば、桔梗の嘘がすぐわかる、その情けなさがこの時期の桔梗らしい。 もしくはかごめは「桔梗に殺されかけた」とは言わないはずという確固たる自信があったのか。 そして桔梗が去った後の犬夜叉とかごめ。 この頃からすでに、桔梗の姿が見えなくなった瞬間桔梗のことを忘れる犬夜叉が描かれているのだが、この頃はそれを自然に受け止めていた。 桔梗をかばうつもりはないのだが、犬夜叉の中の桔梗のイメージを壊せないかごめの迷い、桔梗も大事だけどかごめも大事、どっちが上とはとても言えない犬夜叉。 奈落の城では桔梗が奈落と対決する。 「半妖奈落」と貶めた瞬間、私怨を捨てた桔梗。 愛であっても憎しみであっても魂が自由だから自由に生きることができる。 桔梗は生きる意味を知り、奈落はこれまで半妖と揶揄していた犬夜叉と、自分が同じであることにショックを受ける。 ここでひとつ桔梗が突き抜け、奈落の立場にマイナス1、犬夜叉とかごめの恋がワンランクアップ、とこれがゲームなら途中経過の採点するところ。 奈落は自分が半妖であることにこれまで気づいていなかったのか、それもおもしろい。 犬夜叉の朔の日に当たる日も当然あったはずだが。 この奈落=半妖設定は、たぶん初期にはなかったものだろう(たぶんです、たぶん)。 いささか唐突に出てきたこの設定、考えてみれば鬼蜘蛛は元々人なのだし、妖怪と合体しても人として消えるわけはないのだから、奈落=半半妖、それまでに思いつかれた方はいらっしゃったのだろうか。 さらにとうとう妖霊大聖ならぬ刀々斎登場(猛々も)。 高橋作品の魅力のひとつにお年寄りの描き方が素晴らしいのもあると思う。 齢60年くらいの人間も、齢何百年の妖怪も、とてもおもしろい。 ☆ ☆ ☆ おまけで夢の話を。 きのうの夢でアニメ「犬夜叉」新作を見た、感動。 奈落は由香と絵理に妖怪をとり付かせる(どんな妖怪だったかは出て来なかった)。 久々に現代に帰ってきたかごめと犬夜叉、遊びに来た由香や絵理とでなぜかドーナツ作り(あゆみはいなかった)。 ここで由香が手を油でやけどし(私の経験?)、右手に包帯をぐるぐる巻いた由香をお姫様だっこした犬夜叉が病院に駆けつけることに。 後から追いかけるかごめだが、犬夜叉と絵理がなぜか速いので引き離される。 ここからなぜか私がかごめ目線になって場所は都内秋葉原の夜に切り替わる(戦国BASARAのアニメオープニング映像の如し)。 由香の包帯が破れ、そこから触手のようなものが突き出し、犬夜叉の首を絞め、苦しむ犬夜叉、大ピンチ。 絵理は指先から金禍のような炎の攻撃。 背景は眩い秋葉原のネオンが瞬き、暗闇には犬夜叉たちのシルエット。 しかし犬夜叉が触手を断ち切った瞬間やはりシルエットで殺生丸が登場、天生牙で絵理を斬れば、取り付いていた妖怪は逃げ出し、絵理が気を失う(正気に戻る)。 殺生丸がくるくる回りながら(アニメ初登場のイメージだな・・・)由香と犬夜叉に近づいたところで残念目が覚めた。 でもかごめの「犬夜叉!」って叫ぶ声や「殺生丸!?」と驚く犬夜叉のかすれ声も超リアルで、もちろん由香と絵理が豹変するところから犬夜叉のテーマが大音量で鳴り響き、幻想的な秋葉原の夜景とネオンの煌き、せっかくここまで来たんだから(犬夜叉を)アニメイトに連れて行きたいな。」とかごめの中で考えたことまでぼんやりと意識している。 おもしろかった、とても興奮した。 私だけアニメを一話多く見た気分(笑)。 こんなオリジナル、スペシャルアニメで作ってくれないかしら? (2005年9月25日の日記)
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刀々斎と妖霊大聖 |
原作少年サンデー1999年6月16日(29号)第125話「刀々斎」 ☆ ☆ ☆ 今妖霊大聖が犬夜叉に化した試練は、刀々斎初登場時に犬夜叉を試したことと似ている。 どちらも「へっぽこ」妖怪らしく自分を助けるために犬夜叉を利用しているように見えるが、そう見せるところが年の功、痩せ枯れた二大?老妖怪のしたたかさなのだろう。 おそらく刀々斎も妖霊大聖も、本気で戦えば当時の殺生丸、今の白蛇女妖怪を倒せるのではないか、だから犬夜叉に試練を与えられる。 パターンとしては同じなのだが、刀々斎の魅力により(笑)、原作でもアニメでも飽きないせいか、妖霊大聖に関してもただおもしろいだけだった。 最近は大物っぽく出てきて小物っぽく去るゲストキャラが多いので、むしろ蛇妖怪の方が心配だったりして。 さて今回は刀々斎(と猛々)初登場編。 当時の殺生丸のために斬れる刀を作るのは「やなこった」と拒否する刀々斎、冥道残月破を教える未来が想像できたろうか。 私はこの頃はむしろ、殺生丸は奈落と並んで二大ヒールとして存在し続けるだろうと思っていた。 今も昔もやる気満々の犬夜叉だが、当時も強い兄を相手に大苦戦、は次回の話。 今回はなにげに挑発、煽る刀々斎をひたすら楽しむ17ページ。 もうひとつ興味深いのは、犬夜叉への恋心がまだ定まらず、揺れてもいないかごめ。 桔梗のことがあるから犬夜叉を責めないかごめ、時には恋を意識し、桔梗を意識する、時には犬夜叉を思いやる、時には何にも考えないかごめ、かごめの幼い恋のステップがとても器用に描かれていて、読んでいて非常に楽しい。 同時にギャグには笑う、シリアスにはシリアス、おもしろさがちょうどいい匙加減だった時期。 先日高橋作品全てを網羅しておられるサイトさんを見つけたが、らんまもうる星やつらも長期に渡ると飽きの言葉が書かれていた。 これは「犬夜叉」に限らず、高橋先生に限らず、全ての人、全ての創作に共通したことなのだろう、かくいう私も、とそっと手を見る(苦笑)。 めぞんに関しては言及しておられなかったが、めぞんの場合はギャグからラブコメ、最後はシリアスなラブストーリーにまで変貌を遂げた作品、「犬夜叉」には可能だろうか。 刀々斎そっくりの愛らしい眼差しの?猛々も可愛くて、同時に殺生丸に最近乗ってもらえなかった双頭の騎獣妖怪の口がどうなってるか気になって、ああ懐かしい。 目を丸くして見ている七宝と後姿の雲母も可愛い。 アニメで「阿吽」と見た時、口の部分を確認するために、近所の神社に狛犬を見に行ったことも懐かしい。 やはり1頭は口をあけ(阿)、もう1頭は口を閉じて(吽)いた。 殺生丸は空を飛べるのが犬夜叉にとってはうらやましいだろうな。 けれども気になることは多い。 父君の牙を用いて二振りの刀を作った、それはわかる。 殺生丸への渡し方は映画「天下覇道の剣」どおりであって欲しい、あとは犬夜叉の鉄砕牙。 誰が母君亡き後、鉄砕牙を幼い犬夜叉から取り上げ、父君の墓に納めたのか、それ以前に誰が父君の遺骸をあの世界に納めたのか。 もしかしたら父君自身が自分で作った墓に出向いたのか、竜骨精に受けた傷により死期を悟ったのか、おそらく先生が今後描いてくださることはないだろうが、とても気になる。 殺生丸の母君は妖怪だから、本来ならば父君と一緒に同じ世界に葬られたと思うのだが、その様子もない。 そう考えると、「犬夜叉」と言う作品は、意外に見切り発車しちゃった部分もあるのかな?などと失礼なことも思ってしまう。 でも、というかだからこそ好きなんだよなあ、大好き「犬夜叉」。 (2005年9月29日の日記)
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犬兄弟の喋り方 |
原作少年サンデー1999年6月23日(30号)第126話「天生牙」 ☆ ☆ ☆ 犬夜叉と殺生丸、好きキャラ度は五分五分だが、ひとつだけ大きな違いがある、それは喋り方。 私は台詞が固ければ固いほど、古ければ古いほど好き、だから「三国志」や「十二国記」や戦国物が好き。 その点では犬兄の方がワンポイント高いかな? この頃の殺生丸、まるで子供、この頃の犬夜叉、さらに子供。 一応命がけの戦闘場面なのだけど、今読み返すと子供の喧嘩でおもしろい。 刀々斎にいいように振り回されてるし。 よく原作もアニメも飽きませんねと言われるけれど、未来を知ってから過去を読むことはおもしろい。 先生の伏線、同じ状況に陥った時のキャラの行動の変化、そして心の成長、キャラ間の感情の変化。 次号を知らないで読むことは新鮮、知ってて読むことは発見。 とはいえそこまで深読みする本はあまりないが(漫画では「犬夜叉」と「エロイカより愛をこめて」のみ)。 今回は重要なアイテムが登場する。 天生牙。 なぜ殺生丸がここまで鉄砕牙に固執するかが明かされる。 犬夜叉に贈られた物を奪おうとする殺生丸、なんかイメージ違うな、と思っていたが、兄弟にそれぞれ刀を残し、殺生丸の刀が斬れぬ刀ならば頷ける。 ただ斬れる刀が欲しいというよりも、父への複雑な想いと半妖の弟への侮蔑、父が蔑むべき弟には優れた刀を、自分にはなまくら刀を残した、そのことへの怒り、全てがその言動から伺える。 今神楽の恋を受け止め、その死を看取った、冥道残月破を得た殺生丸を知ってからこのエピソードを読むと、「成長したのねえ。」などと母の心境になってくる。 この命がけの兄弟喧嘩は、刀々斎によって水を差される。 まともに戦ったら刀々斎が一番強いんじゃないの?って思うくらい奥が深い刀々斎(笑)。 ところでもしも犬夜叉が完全なる妖怪だったらどうだろう。 飛天満天雷獣兄弟のように、二人仲良く生活を共にしてたのかな? 意外にそんなシーンは思い浮かばない。 弟が妖怪であっても己に頼むところのある殺生丸、出来の悪い弟として虐げていたような気がするのだが。 ここまで殺生丸の存在が重みを増してくると、最後の最後、奈落との最終決戦において出ないわけがない。 犬夜叉、かごめ、弥勒、珊瑚、七宝、雲母、殺生丸、邪見(りんはたぶん巻き添えにならないように置いてこられる)、桔梗、琥珀、鋼牙(と銀太、白角=アニメ名)、できれば楓もいて欲しい。 みんなして奈落を囲んで何がなんだかわからない中で、誰が奈落を倒したかわからない最終回なんてのもありかな? 最後に奈落を倒したのは俺だ、私だと犬兄弟の喧嘩のうちにTHE END。 桔梗もかごめも琥珀も置き去りにされたりして、などと想像が止まらないのも読み返すゆえ(笑)。 (2005年9月30日の日記)
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風の傷 |
原作少年サンデー1999年6月30日(31号)第127話「風の傷」 ☆ ☆ ☆ 前回最終ページでその爪で野盗を引き裂く殺生丸、さりげないが印象に残る場面。 「犬夜叉」という作品は、善と悪の境界線が非常に曖昧で、その辺がうやむやになってしまいがちな傾向があるが、おもしろさとは別の部分で、その都合の良さに慣れてはいけないと思う。 時々殺戮シーンの残虐さや七人隊のようなキャラクターに対する危惧の念が表面に出てきたり(交流掲示板、新聞の投稿など)、製作側がその部分を配慮していることを窺わせることがある(アニメの描写、読売テレビの会議録など)。 しかし目に見えない部分に関してはあまり意識していないというか、その部分が気になった。 ただそのことにあまりこだわると、今度は作品のおもしろさが半減してしまう。 「犬夜叉」という作品を一言で表現すると、私には「曖昧」となる。 たしかに奈落を倒し、四魂の玉を浄化するという究極の目標はあるけれど、そこに至るまでの全てが曖昧。 それほど漫画をこなしているわけではないが、これまで読んだRPG漫画の中で一番曖昧模糊とした作品、それが「犬夜叉」。 主要登場キャラがみんな15〜20才くらいであることに惑わされがちだが、実は「犬夜叉」、少年対象作品ではないように思う。 さて今回は「風の傷」を読む殺生丸と読めない犬夜叉の違いが明らかになる。 年上だからか妖怪だからか、鉄砕牙を使いこなす能力がありながら、「斬れぬ刀」しか与えられなかった(と信じる)殺生丸。 見た目の麗しさ(笑)と物静かな言動が紛らわしいが、実は殺生丸もとことん幼い。 いかにも幼い犬夜叉と、幼く見えないが実は幼い殺生丸。 というかこの当時、幼くないのは弥勒のみ。 「犬夜叉」は犬夜叉、かごめ始め登場キャラの成長物語。 そう考えると「少年サンデー」も納得できるかな? 犬夜叉と殺生丸、二人がかりでも太刀打ちできないのが飄々斎、じゃなくて刀々斎、そして猛々。 私は先生が描かれる中で、お年寄りが一番好きだ。 楓のような主要キャラはもちろんだが、戦闘の合間、束の間の日常に登場する老人たち。 琥珀を救う老夫婦、奈落の赤子の城での琥珀の面倒を見た老人、蛾天丸編、楓の村の人々等々。 次回はいよいよ(殺生丸のおかげで)犬夜叉が「風の傷」を会得する。 この犬夜叉の強さの過程を読んでいくと、竜骨精に瀕死の重傷を負った父君が不思議に思えてくる。 父君と息子たちの強さのバランス大崩れ、でも息子たちに父君ほどのことができるか(異次元の墓を作る、これほどの威力を持った刀を作る)といえばできないだろう。 たぶん最初の父君は竜骨精クラスの強さであったものが、話が長引くにつれ、どんどん強さ凄さが肉付けされていったのだろう、奈落や桔梗と同じく。 でも犬夜叉が始めてのスキルを得る次回はとても好き、迫力においてはアニメの方がいい。 殺生丸が竜の腕を身につけるまでのエピソードもアニメがとても良かった。 更新終わったらもう一度アニメで見よう、なにせ今は人待ち状態。 何することも出来ないのだから(笑)。 (2005年10月1日の日記)
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風の傷会得 |
原作少年サンデー1999年7月7日(32号)第128話「見えない軌道」 ☆ ☆ ☆ 最新第428話まで読んで、こうして風の傷に苦闘している犬夜叉と、鉄砕牙を欲しくてパタパタしている殺生丸を見ると、「可愛いなあ。」と思う。 もちろん当時は殺生丸を怖いとか、犬夜叉はいっぱいいっぱいで応援するとかいろいろあったけど、今読むと可愛くて仕方がないのは、今の犬兄弟に成長があるからだと思う。 もちろん「成長したね、良かったね。」などと言おうものなら鉄砕牙と天生牙の餌食となること間違いなしだが(笑)。 高橋先生が初期の殺生丸に与えた役割は、「犬夜叉の鬼教官」。 事実刀々斎が出てくるまでは、一振りの鉄砕牙を兄弟で奪い合っている構図で、人間でないから触れられない殺生丸が非常にかわいそうな立場だった。 冷酷な性格と華々しい美しさに隠れて目立たなかったが、自分には「なまくら刀」を残し、犬夜叉に自分の触れれぬ鉄砕牙を残した父君に対する想い、実は原作ではあまり触れていない。 どこまでも冷酷無比な兄としてのみ殺生丸は存在するが、この部分をアニメでは膨らませていた。 あそこまで大げさでなかったら素晴らしかったと思うのだが、語りすぎの殺生丸、くるくる回る殺生丸に惑わされてどうにも心の深みが味わえないのが残念だった。 実は私の中でアニメの殺生丸といえば、このくるくる殺生丸の姿がぽんと浮かび、どう考えても孤高の貴公子というイメージがしばらくなかった。 殺生丸の美しさに目覚めたのは、「止められない!妖怪の本性」で妖犬化した犬夜叉の暴走を「止めに来て」、今は懐かしい闘鬼神を振り払われた時の見上げた表情。 アニメ53話まではアニメ殺生丸は私の中ではお笑い要員だったのが、今思えば申し訳ないような話。 話がそれたが殺生丸が犬夜叉を盲目状態にしたことで、犬夜叉は目に惑わされず、風の匂いをかぎ分けることができた。 そして次回は風の傷を会得するのだが、何のための殺生丸か、原作に感情が描かれないだけ痛ましさも当時感じた。 犬夜叉のために存在した当時の殺生丸、父君の意図するところ、強いては先生の意図するところが読めなかった気がする。 もしかしたら鋼牙が出てくるまでは、殺生丸こそ究極のいじり系要員だったのでは?と思ったり。 ところで先日、メール友達になったばかりの人とおもしろい話になった。 あまりにもおもしろいお名前なので、是非サイト上で紹介したく、許可を頂いたのだが、「地下鉄杏仁」さん、女性である(笑)。 女性ながらにまんま地下鉄と杏仁豆腐が大好きとおっしゃるストレートなメールに、初めて読んだ時から爆笑が止まらなかったが、この方、私と性格や好み、趣味などが嘘みたいに似ている(私は地下鉄は興味がないが、食べ物の嗜好、好きな作家、俳優、音楽関係その他)。 なんとなく同世代で同じような経験をしている人だなあと思っていたのだが、これほど似ている私と彼女、好きな男性の好みが全然違う。 「犬夜叉」では私の鋼牙に対して殺生丸、「十二国記」では私の尚隆に対して朱衡、無理矢理勧めて見てもらった「戦国BASARA」の公式サイトでは、私が好きな炎属性真田幸村に対して雷属性の伊達政宗と、闇属性!の明智光秀、ワイルド系vsクール系、本当におもしろい。 みんながみんな犬夜叉好きだったり、読者の全てが鋼牙ファンでもいいと思うのに、呆れるほど別れる、なんでだろ。 ちなみに妹ちょびはほんわり系が好きで、こえむはカルトな人が好き。 姉妹でもこんなに違う。 これってやっぱり生まれ持ってる好みなのかなあ、さらに創作者のしっかりしたタイプの描き分けも必要なのかも。 その点で鋼牙ってかなり損してると思うのだけれど、一途なところで犬夜叉と対等、かな? 余談だが管理人が鋼牙派のせいか、メール友だちも鋼牙派が圧倒的に多い。 黒髪の人、金髪の人、たれ目の人、吊り目の人、熱い人、クールな人、たくましい人、細身の人、好みが決まる瞬間っていつなのだろう。 それともDNAの中に先天的に刷り込まれていて、どんなにかっこいい人でも好みじゃないとか決まっているのだろうか。 考えてみると不思議な気がしませんか? (2005年10月7日の日記)
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殺生丸を守った天生牙 |
原作少年サンデー1999年7月14日(33号)第129話「真の使い手」 ☆ ☆ ☆ これまでの殺生丸の行動を見ていると、天生牙を使いこなす、天生牙に守られる資格の一片も見えない。 特に無女を犬夜叉の母君に仕立て上げ、最後に殺す冷酷さには正直首を傾げた。 唯一の資格は父君の息子であること、ただそれだけ。 刀々斎が出てきた時点で、天生牙が殺生丸を守ることが腑に落ちなかった。 ところがこの直後、傷ついた殺生丸を救う(体も救う、心も救う)りんが出てくる。 狼に喰い殺されたりんを救うことにより、殺生丸もまた鉄砕牙の「真の使い手」となる。 どうしても主役の犬夜叉にばかり描く方も読む方も目が行きがちだが、ストーリーの裏側でそれぞれの物語が進行していること悟らせられるエピソードだった。 最近のぷつんぷつんと途切れがちなストーリー展開に比べて、当時に余裕と丹念を感じるのは私だけだろうか。 結局殺生丸の「おかげ」で犬夜叉は風の傷を会得、現在進行中のサンデー犬夜叉もやはり妖穴を匂いで嗅ぎ分ける。 どんなに鋭い爪を持っていても、どんなに鉄砕牙がレベルアップしても、基本は犬の鼻であることがなんだかおかしい。 犬夜叉は殺そうと思えば殺せる殺生丸を殺し切れなかった。 刀々斎は意識的にか無意識にかを指摘してはいないが、おそらく意識していたものだろう。 憎むべきも血の絆、断ち切れぬのも血の絆、ちょっと気取るとそういうことか。 そして傷ついた殺生丸は動けない。 ここで奈落に見つからなかったのがせめてもの幸せだが、なぜりんは殺生丸を助けようとしたのか、今度はここに疑問が残る。 人間に家族を殺され、虐げられるりんは人間を恐れる、妖怪は怖くないのか。 殺生丸の善性とを見抜いたつもりか、突然現れたりんの心理描写が全くないのが気になった。 もっとも今は殺生丸の心の礎としてしっかりした居場所があるから、そんなことどうでもいいのだが、なぜ気にするかというと、直後に出てきた鋼牙と殺生丸の扱いが違いすぎるから。 気まぐれで村を襲って人を喰う、おそらく数話限りで犬夜叉の鉄砕牙の餌食になるはずだった鋼牙と妖狼族。 人間の立場からすると許すまじ妖狼族が、いつの間にかラブコメ担当要員として生かされているために、登場時との大きな矛盾が残ってしまった。 これももう蒸し返されることはないだろう、犬夜叉やかごめ、彼らすら忘れてしまった問題なのだから。 今日から14巻に入って表紙は鋼牙(と犬夜叉)、しばらくは出ずっぱりの鋼牙が嬉しい。 しかも懐かしの極楽鳥まで出てくる(笑)。 ささっと絵に描ける方、どれくらいいらっしゃるかな? それから問題、極楽鳥の兄弟のうち、先に鋼牙に殺されたのは兄でしょうか、弟でしょうか。 思い出せない方は14巻を読み返してみましょう。 鋼牙のかっこ良さとへたれぶりが楽しめます。 意外に金禍銀禍兄弟と好対照だったりする面も。 最近もいろいろなワードが出てくるが(二枯仙、精命幹、仙気など)、いまいちしばらくすると忘れるものが多い。 この頃の、妖怪は妖怪なりの、人間には人間なりのインパクトがあった時代が懐かしい。 (2005年10月8日の日記)
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鋼牙登場 |
原作少年サンデー1999年7月21日(33号)第130話「狼」 ☆ ☆ ☆ 鋼牙から四魂のかけらを奪った(どうやって?)「妖狼族」が逃げた村の「人間」を皆殺しにする鋼牙たち。 人喰い妖怪で、生存のためならともかく、ただ殺しただけの殺戮。 「村人はただ殺されているだけ・・・ ましてや格好の餌食であるはずの鳥や馬は、まったくの無傷だとは・・・」 弥勒の言葉が妖狼族の全てを表す。 この村の人間が四魂のかけらを盗んだわけではない。 こんな妖狼族の鋼牙に対する犬夜叉たちの感情も、実はおかしい。 これは神楽など他の敵キャラに対しても言えることだが、底抜けのお人よしなのか、都合良く悪いことは忘れる主義なのか。 とまあこんなことは置いといて、私も鋼牙の魅力に丸め込まれた一人。 「ばーか。 忘れてたんだよ。」の表情に一目惚れ。 でも鋼牙は絶対アニメの方がいい。 アニメで好感度アップしたキャラベスト3は、鋼牙、神楽、そして珊瑚。 明日(10月10日)は高橋留美子先生の誕生日(おめでとうございます)。 数日先(10月16日)は鋼牙役の松野太紀さんの誕生日でもあり、アニメ犬夜 叉第1回放映日、つまり私が「犬夜叉」、高橋先生と出会った日。 あれからもう5年の月日がたとうとしている、速いなあ。 松野太紀さんといえば、「金田一少年の事件簿」で一目惚れ(一聞惚れ)。 金田一一役は、犬夜叉の山口勝平さんが演じられたこともあり(オペラ座の怪人がらみの映画)、その意味でもおふたりは因縁が深い? その後鋼牙でさらにブレイクするが、今はゲーム「真・三国無双4」で凌統役でも大人気。 ちょっとすかした感じがぴったりで(笑)。 これまで松野さんを知らなかった、あるいは知ってたけどさほど関心がなかった人たちが、凌統で松野さんの大ファンになったのが嬉しくて最近無双ゲームサイトを駆け巡っている。 話がそれたが、一方の重傷を負った殺生丸。 殺生丸をどう思ってるんだか、鼠など持って来るりんだが、殺生丸は少しずつ心を開いている。 親子3人結局は人間を愛する気持ちを持つ系統らしいが、殺生丸の相手を小さな子供(少女)にしたのはいいアイデアだったと思う。 いつか殺生丸が人間の女性を愛するかもしれないが、その前のワンステップとしてのりん。 いつかりんが殺生丸の年齢に追いつくか。 りんはなんとなく琥珀かな?とも思ったり。 ただ私は殺生丸×りん派ではなくて、りんに対してはあくまでも父性愛のようなものを感じる。 既出の女性キャラといえば、意外に桔梗がいい感じではないかと実は思う。 一緒にいてしっくりくる雰囲気という意味で。 2人にしたら余計なお世話か(笑)。 (2005年10月9日の日記)
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