犬夜叉サンデー感想(第161話〜第170話)
微笑みながらの登場
原作少年サンデー2000年3月22日(17号)第161話「闘鬼神の使い手」

     ☆     ☆     ☆

鉄砕牙の重さに苦しみながらも、犬夜叉は灰刃坊の攻撃を何とか凌ぐ。
結果的に灰刃坊は闘鬼神の邪気に自ら滅んだ。
刀々斎は消えぬ邪気に、刀を消し去ることを告げるが、そこはさすがに師匠の貫禄。
刀々斎の闘鬼神を使いこなせる技量を感じる。

そこへ颯爽と登場したのが「微笑みの貴公子」殺生丸。
なんか意味不明な微笑みをずっと浮かべているのが、今から見ると小物っぽい。
殺生丸は闘鬼神の邪気を押さえ込み、新たな闘鬼神の使い手となる。
奈落の臓物を使ってできた廃物利用の刀、嬉々として使う殺生丸に、実は違和感を感じていた、当時。

誇り高き殺生丸、奈落の謀略を逆利用で見返してやろうとの気持ちがあったのか。
まあ殺生丸が天生牙を斬る刀として使えるようになったのはつい最近。
弟が刀を振り回して闘っているのに、いつまでも自分が爪と牙では、兄の矜持が許さなかったかとも思える。
アニメでも光の鞭をつかってみたり、独楽のようにくるくる回ってみたりとかなり苦心が見られたことを思い出す。

どっちにしても灰刃坊の手に負えなかった闘鬼神を、殺生丸は瞬時に使いこなした。
(どうでもいいが、中途半端な笑みはやめて欲しい・・・。)
それは置いといて殺生丸の目的は、逃げ出した灰刃坊、もとい闘鬼神の入手ともうひとつあった。
血の匂いが変わった犬夜叉、その変化の秘密を確かめるため。

なざわざわざ調べにやって来たかがおもしろい。
関心ないならほっとけばいい。
妖怪の血を持つ妖怪犬夜叉にめでたく「昇格」したのなら、暖かく迎えるつもりだったのならおもしろい(あり得ない)。
犬夜叉の血が妖怪に変化したことの持つ意味に気づいていたのか、その危険を察していたのか。

最近の殺生丸の行動は非常にわかりやすいのだが、当時の殺生丸の行動には謎が多い。
もしも「殺生丸独占インタビュー」が実現したら、是非聞いてみたいのが、初期の鉄砕牙、りん、そして妖怪犬夜叉に関する行動の謎。
曖昧な笑みでかわされたらそれまでだが(笑)。

それにしても犬夜叉兄弟の父君、その血に耐えうることのできぬ子供を作り、もしかしたら手に入れることのできなかった鉄砕牙を作り、あの世でさぞかし心配したことだろう。
いつも書いていることだが、高橋先生が最初に「犬夜叉」という作品を書かれるにあたって、犬夜叉の家族をどのように、どこまで設定されていたのかとても気になる。
やっても意味ないことではあるけれど、もしもシリーズ、もし殺生丸が鉄砕牙にここまでこだわってなかったら、犬夜叉が鉄砕牙のないまま妖怪化していたら、と考えるととても興味深いものがある。

私が騒ぐ「パラレルワールド」ならば、犬夜叉が心を失った妖怪と化した世界、奈落の勝利で終わった世界、鉄砕牙が殺生丸の物になった世界などいろいろ考えられる。
もしかしたら犬夜叉と珊瑚、かごめと弥勒が恋し合う世界もあるかもしれない(笑)。
神楽が生き延びて、殺生丸と共に生きている世界があったら嬉しいかも。
 (2006年1月26日の日記) 
研ぎ澄まされた台詞
原作少年サンデー2000年3月29日(18号)第162話「血の匂い」

     ☆     ☆     ☆

「犬夜叉」という作品に惚れ込んだ理由はいろいろあるが、そのひとつに高橋先生の言葉の感性の鋭さをあげたいと思う。
シリアス、ギャグ、何よりシリアスの中にくすっと笑わせてくれる台詞。
この時期は先生御自身が「犬夜叉」という作品に慣れてこられた頃なのかなあ、一気に台詞が研ぎ澄まされてきた、そんな風に思う。
この犬兄弟対決では特に犬夜叉、殺生丸、そしてギャラリー陣の台詞がおもしろく、ハラハラしたり笑ったり、またドキドキしたりしたことを覚えている。

今でも悟心鬼が登場し、犬夜叉が妖怪化し、殺生丸が闘鬼神を作らせ、犬夜叉の血の匂いを確かめる、この部分を通して読んだ時のおもしろさ、スピード感は失われていない。
さらに鋼牙が加わっての影郎丸、獣郎丸戦に至るまで、17巻を読み始めると一気に18巻「出会った場所」からかごめと犬夜叉が心を確かめ合う部分まで読み進めてしまうのが私の中でのお約束(笑)。
そこから1話分だけ切り取って感想を書こうとするから無理が生じるのだけれど・・・。

さてさて今回、ツボな台詞を抜き出してみよう。

犬夜叉「待ってくれと言っても聞く相手じゃねえだろ。」
殺生丸「そういうことだ。」

殺生丸「闘い方をかえたのか、犬夜叉。」
犬夜叉「やかましいっ」

殺生丸「鉄砕牙が少しおもくなったのか。」
犬夜叉「少しじゃねえ バカヤロー!」

犬夜叉「あんな重い刀じゃ勝てるケンカも勝てねえ!」
殺生丸「身のほど知らずが。」

犬夜叉「この野郎・・・」
殺生丸「半妖はしょせん半妖か・・・」

そして「もういい、死ね犬夜叉。」と続く。
ここで犬夜叉の血が変化しかけ、殺生丸が一瞬恐れを感じることになるのだが、エクスクラメーションマークだのギザギザの吹き出しなど使いまくりの犬夜叉に比べ、どこまでも冷めた表情の殺生丸が印象的。
どこまでもクールな兄と熱血弟の書き分けがされていく(未だに)。

犬夜叉の血の匂いの変化に恐怖を感じた殺生丸は、この後犬夜叉に対し、どう出るかが興味深い。
先に書いてしまうと、犬夜叉の変化を確かめた殺生丸は、犬夜叉を救う道を選ぼうとする。
どこまでも素直になれない兄弟でありながら、守るものを得て成長する弟に対する感情がいくらかは和らいできたのだろうか。
りん、そして後の神楽にも見せる殺生丸の静かな優しさは、犬夜叉に対しても徐々に開かれていく。

ストーリーテラーとしての高橋先生にもとても魅力を感じた絶頂期だった気がする。
 (2006年1月27日の日記) 
あんたならもしかすると・・・
原作少年サンデー2000年4月5日(19号)第163話「本当の強さ」

     ☆     ☆     ☆

闘鬼神を得た殺生丸に、風使いの神楽が会いに来る。
殺生丸も、まだ「奈落・・・とか」状態で、さほどの関心もなさげだが、それでも奈落と同じ匂いを持つ分身、しかも女、には興味を持ったようだ。
意外なことに、これは神楽の勝手な行動で、神楽は自由になることを切望し、その願いを殺生丸に託す。
もともと自由な風として生み出された神楽のその後の葛藤は、元々奈落の楽しみだったのかと思うことがある。

神無のように苦しむ心もないなら、神楽はあんなに苦しむこともなかった、死ぬこともなかった。
同様に、赤子&白童子として生み出された分身も奈落に敵対した。
その意味で本当に分身といえる存在は、神無と最猛勝?だけなのかもしれない。
ちなみに夢幻の白夜はいまいちキャラがつかめないので除く。

最初から殺生丸に好意的でありながら、殺生丸のピンチにも積極的に助けようとはしない神楽。
奈落が怖いせいもあるだろうが、魔性の女としての神楽と、能面の貴公子殺生丸の恋物語はここから始まることになる。
今回のエピソード、一難去って一休み、の表紙の犬夜叉、空を仰いで微笑む横顔がとても愛らしくて好き。
両断された飛来骨を直す刀々斎のおとぼけぶりも好き。

犬夜叉は鉄砕牙の意味を、手放すことにより妖怪の血に翻弄される自分を知らない。
知ってしまったら、妖怪として楽に闘うことを選んでしまうと言い張る冥加。
犬夜叉は知るべきだと言う弥勒、迷うかごめ。
かごめや弥勒は、犬夜叉の性格や立場を熟知しているからこそ犬夜叉は知るべきだと思う。

「てめーら簡単に言うけどなっ・・・」
理由も告げられず鉄砕牙を抜き放つ犬夜叉は、その重みに耐えかね、川に落ちる、おかしい(笑)。
この様子では、理由も知らずに犬夜叉が素直に従うとは思えない。
ここで年の功でうまく説明し始めたのは刀々斎、さすが。

妖怪の血に操られ、鉄砕牙に頼って守ろうとする強さは本当の強さではない。
全てをわきまえて妖怪の血を封じ、鉄砕牙を使いこなすことこそ本当の強さであると、刀々斎は語る。
台詞は全然違うが、ここで犬夜叉は自らの力で鉄砕牙を振るうべきであることを悟る。
なるほど確かに、最近の単純なレベルアップの鉄砕牙と違って、この時期の犬夜叉の強さを求める心、否応なしに与えられた妖怪の血という試練が物語に深みを与えていることを感じ取れる。

犬夜叉というキャラが半妖として存在することが、物語に深みを与え、単なる少年漫画に終わらなかった大きな理由のひとつだろう。
当時あちこちのサイトさんを巡って感想を読むと、犬夜叉に憧れるだけでなく非常に感情移入の強いコメントが多かったことを思い出した。

最後は奈落の城。
分身作りの術?初披露の奈落だが、今となっては普通の人間の姿の奈落が恋しい。
神楽や神無や夢幻の白夜もこうやって生み出されたのか。
しかし、生まれかけた分身の何かが奈落を襲う。

見てしまった小姓たちの運命は、以下次号となったのだろう。
 (2006年1月28日の日記) 
七宝突っ込み絶好調
原作少年サンデー2000年4月12日(20号)第164話「四匹め」

     ☆     ☆     ☆

「殺された」奈落の前で小姓たちも殺され、どうやら四匹めの分身の餌となってしまう。
奈落にとって身の回りの世話をさせる人間は必要だろうが、操ることはできないのだろうか。
神楽は死んだ人間しか操れないようだが。
今回新たに生まれた分身、神無、神楽、悟心鬼に続く分身は今回はまだ姿を現さない。

奈落を「殺した」罰に、心臓を握り潰されそうになった分身は獣郎丸の方だろうか。
それはともかく小姓たちの給仕でお食事中の奈落と神楽や、城の民の陳情を聞く殿様奈落の姿なども一度は見てみたかった気がする。
その頃鋼牙は仲間を引き連れて奈落探しの旅。
こっちで「ピク」とする鋼牙と、向こうで「ぴくっ」とするかごめの対比がおもしろい。

鋼牙はかごめの匂いで、かごめは四魂の気配で互いに気づくのだが、かごめの前に立ちふさがるのは犬夜叉。
実は鋼牙の「いつ見てもピリピリカリカリ」、七宝の「かごめを奪われると思ってあせっとるだけ」、さらに鋼牙の「本っ当余裕ねえのな。」は、同時に私の感想でもある。
同時にかごめの「疲れるなー。」も。
さらに不思議なのは「おれが奈落をぶっ殺すまでかごめは預けといてやる。」の鋼牙の台詞。

自分の「自称」彼女を恋敵に預けて平気でいられる矛盾、物語の恋愛関係におけるこの都合の良さは、私の感覚とは非常に割り切れないものがある。
これは桔梗にも言えることだが、たんなるラブコメ、ギャグのための小道具扱いの鋼牙の立場が、「らんま」の良牙と共に、素直に楽しめない部分。
私が高橋先生の作品における恋愛要素に、最近興味を持てなくなってきたのも、ここに理由があるのだろう。
「らんま」で通用した三角関係が、そのまま「犬夜叉」に通用するかどうかは、読んでいる側の判断だろうが。

さて、犬夜叉たちと別れた鋼牙は、ついに奈落と出会う、傀儡だけど。
馬に乗ってる奈落も珍しいし、「妖狼族の若頭」としての認識しかない奈落もおもしろい。
鬼火らしきものもゆらゆら揺れて、牛車のような物かと思っていたら、荷車のような物に布で覆い、鎖を巻きつけた檻、これも珍しい。
奈落はこれを引いてどこに行くつもりだったのだろう。

犬夜叉探しの旅だったりしたらおもしろい。
あらら途中で鋼牙の方に会っちゃった、というわけで(笑)。
この影郎丸と獣郎丸は、私の中で非常に印象が強いゲスト妖怪。
鋼牙がいなかったら犬夜叉はまた妖犬化していたのか(今回は全くその心配がなさげ)。

アニメにおけスピード感と迫力、そして犬夜叉鋼牙の連携プレー。
好きなドラマシリーズ、「Xファイル」の「HUMBUG(邦題サーカス)」を髣髴させるところ。
そしてやはりアニメにおいて、監督が池田氏から青木氏に交代した記念すべきエピソードでもある。
何より原作もおもしろかったし、アニメもおもしろかったということで、好きなアクション系アニメエピソードをあげるとしたら、ベスト10には入れたいエピソード。

え〜と、タイトルはなんと単純!「獣郎丸と影郎丸」だ、珍しい。
けっこうやり過ぎ感を感じるタイトルが多い中で、屈指のシンプルさではないだろうか(笑)。
しかもこの長い話を1話にまとめたという意味でも、記録に残るエピソードだったりする。
 (2006年1月29日の日記) 
逃げ出した鋼牙
原作少年サンデー2000年4月19日(21号)第165話「獣郎丸」

     ☆     ☆     ☆

犬夜叉より先に獣郎丸と戦闘開始した鋼牙だが、獣郎丸の素早い動きに翻弄される。
それだけならまだしも、鋼牙は獣郎丸の轡の中に得体の知れない恐怖を感じ取る。
奈落は鋼牙「ごとき」に轡と鎖をはずす必要はないと考えたらしいが、たしかに鋼牙は身を翻す。

かつて犬夜叉が風の傷を会得した時、鋼牙を練習台にしようとしたことがあった。
その時も、鋼牙は危険を察知して逃げ出した。
野生の獣の勘が働いたのか、しかし奈落は鋼牙を賢いと評価する。
たしかに決してかなわぬ相手ならば、無理せず逃げる、プロの戦士ならば当然のことだろう。

そこで決して引かず、無謀な挑戦を繰り返す犬夜叉との対比がおもしろい。
そんな犬夜叉に魅力を感じる人もいれば、鋼牙の安定性に惹かれる人もいるだろう。
奈落と鋼牙の対決を鼻で察知した犬夜叉がそこに向かうが、その目の前を鋼牙が風のように駆け抜けて行った。
鋼牙は四魂のかけらを使って、走る速度を嘘みたいに?速めているのだが、そこに追いつく獣郎丸も凄い。

かけらなしでそこまでしてしまったら、鋼牙の立つ瀬がないので、ここは獣郎丸にも四魂のかけらを使ったことにして欲しい、是非。
鋼牙の後を追って来た獣郎丸、犬夜叉を見るや方向転換、標的を犬夜叉に見定める。
奈落もこれから本番とばかりに獣郎丸の轡と鎖を解き放った。
すぐさま傀儡奈落の首をもぎ取る獣郎丸。

誕生日の再現となるわけだが、今度やったら心臓を握り潰すと言われたにもかかわらずこの始末。
学習能力がないらしい。
今回の奈落は寛大で、獣郎丸の無礼を許す。
まあ犬夜叉の目の前で獣郎丸を殺したら、苦労して生み出した意味がないだろうが。

それにしてもこの時期の奈落は積極的だ。
獣郎丸を使ってきれいな女の子やかっこいい男の子を誑かしたりせず、一気に犬夜叉に会いに出かける。
傀儡とはいえ奈落直々のお出ましである。
しかもここでの獣郎丸の勝利を確信していたらしい。

このままいったら「犬夜叉 完」である、奈落の出番もなくなってしまう。
それでもいいのか?奈落。
そしてまだまだ甘い、奈落。

ただしここでもし、鋼牙が戻って来なかったら、どうなっていただろう。
獣郎丸と影郎丸を相手に、弥勒も珊瑚も相手にならないだろうし、かごめも危なかった。
一人で闘うには弱っちい鋼牙だが、犬夜叉の補佐役、サポートは万全。
やっぱりこの2人はいいコンビだ。
性格的に似ているようで微妙に違う、私はこんな2人が愛しくてならない(笑)。
 (2006年1月30日の日記) 
苦戦する犬夜叉
原作少年サンデー2000年4月26日(22,23合併号)第166話「解かれた封印」

     ☆     ☆     ☆

犬夜叉には七宝、邪見にはりん、そして鋼牙には2人の仲間。
ぼけと突込みが炸裂するおもしろさが今回も爆発する。
獣郎丸は犬夜叉に任せ、とっとと逃げてきた鋼牙だが、犬夜叉がやられればかごめも危ないことを突っ込まれ、大急ぎで犬夜叉たちの所へ戻る。
なんかこう間抜けなところが愛すべきと言おうか可愛いといおうか、でも結果的に鋼牙が危機一髪のかごめを救うのだからおもしろい。

もっとも今回は鋼牙は間に合わず、犬夜叉は獣郎丸と、姿の見えない影(影郎丸)に苦戦する。
獣郎丸の強さは犬夜叉と互角、しかし素早い動きの影郎丸に翻弄される犬夜叉、そして弥勒、珊瑚。
さすがの風穴も影郎丸の素早さには追いつけず、飛来骨も歯が立たない。
刀々斎に修理されたことにより飛来骨もパワーアップしてくれたらよかったのに。

ひとり苦戦する犬夜叉の体を突き抜け、ついに登場したのが影郎丸。
獣郎丸の体の中に封印されていた蟷螂と蛇のあいのこみたいな妖怪。
獣郎丸と同じ顔を持ち、奈落と同じく「くくく」と笑う。

後になってかごめの家で腹に穴が開いても我慢する犬夜叉がカレーに悲鳴を上げるのを見てかごめがあきれる場面が出てくるが、かごめはこの時のことを思い出していたのだろうか。
貫通した痛みはかなりのものだと思うが、半妖の時は人間に比べたら痛みの感覚が鈍いらしい(桃果人編参照)。
それでも苦痛に苦しみながら闘う犬夜叉、鋼牙はまだ来ない。
こういった戦闘の部分の迫力は、やはり色付き声付き動き付きのアニメに一歩譲るが、犬夜叉の痛みがこちらにまで伝わってくるようなこのエピソードには、本当にやきもきされた。

ここで鋼牙が来なければ、かごめがやられた、犬夜叉もやられた、GAME OVERのパターンになってしまう。
もうひとつアニメでおもしろかったのが、原作では獣郎丸の口から出てきていた汁がまぶしい光に変わっていた部分。
「はぁ〜、(ぴかっ!)」「しゅ〜(きらっ)」みたいな、めぞんの三鷹さんもどきのきらきらバージョン。
たしかにこの影郎丸と獣郎丸の顔、よくよく見るとけっこうハンサム。

アニメ製作側の人たちは、この「へんな汁出しやがって。
口のまわりをふけーっ」と殴られる場面に絶対思い出していたはず、めぞんの三鷹さん(笑)。
今回は影郎丸がその全身を見せたところまで。
次回はいよいよ鋼牙が再登場。

ここで少し先取りすると、影郎丸と獣郎丸に大きなダメージを与えられてしまう犬夜叉と鋼牙。
ところがここで、かごめがピンチ。
その時に火事場の馬鹿力を搾り出すのはどっちか、という話になる。
たとえ二股でもかごめと桔梗、それぞれにかける犬夜叉の想いの深さに到底鋼牙はかなわない。

ここが準主役、No.2の哀しいところ。
個人的には鋼牙だっていざとなったら犬夜叉に負けてないと思うのだが、作品上ではどうしても犬夜叉の引き立て役になってしまう。
鋼牙が出るとどうしてもテンションが上がってしまう、私の恋も負けてはいない?
とりあえずは鋼牙(松野さん)へのチョコ選びを楽しもう。
 (2006年1月31日の日記) 
共闘
原作少年サンデー2000年5月10日(24号)第167話「影郎丸」

     ☆     ☆     ☆

よく映画やドラマに乱闘に巻き込まれた正義側が一人なら壁に背を向け、二人なら背中合わせになって身構える場面がある。
もちろん少しでも隙を少なくするための策だが、パトリシア・コーンウェル著「検屍官」シリーズにおいて、その説明がされる。
ケイやウエズリー、常に残虐な死を見据えてきた者達は眠る時でも壁際でなくては落ち着けない。
マリーノにいたってはどこにいる時も壁を背に立とうとする。

一方だけでも危険がないようにすることによって、臨戦態勢を整えておく。
リアリティを大切にする小説なだけにそういった生き方をしている人が実際にいることに恐怖を覚えたものだった。
でももしそれが、背後に壁ではなく、信頼できるパートナーがついてくれたらどうだろう。
自分を守るために戦ってくれて、同時に自分も背後だけは安心して闘いに臨むことができる。

無機質な壁などよりずっとずっと余裕が生まれ、同時にパートナーとの絆も強まっていくだろう。
今回犬夜叉の背後を守るのは鋼牙。
かごめを守るという共通認識の下、犬夜叉は獣郎丸と、鋼牙は影郎丸と相対する。
ちょうど最新のサンデーでも犬夜叉と鋼牙の共闘(対魍魎丸)が見られるが、これはとても嬉しい。

「またケンカしとる。」
ませてはいても、まだまだ幼い七宝に
「強力してるのよ。」とかごめの一言が心地よい。

実際の二対二の戦闘は次回からだが、ここでもうひとつ笑えるのがあわや鉄砕牙の露と消えるとこだった弥勒と犬夜叉の応酬。
そりゃそうだ、顔の上ぎりぎりのところで鉄砕牙が薙ぎ払われるのだから。
いつも奇跡的なほど怪我も少なく、決して死ぬことのない犬夜叉一行だが、弥勒がここまで怖がる?のは珍しい。
重量級の獣郎丸には犬夜叉のちょうど良く?重い鉄砕牙で、スピード重視の影郎丸には「超速の妖狼 鋼牙」が相対する。

おもしろいのが重い鉄砕牙に苦戦する犬夜叉に妖犬化の気配がないことで、ここで鋼牙が来なくて苦戦が続けば、いつか変化していたのだろうか。
なんとなく今回は先生は変化は最初から描かないつもりでおられたような気がするが。

もうひとつ、突っ込んではいけないのにどうしても突っ込まずにいられないことがある。
犬夜叉たちと鋼牙が再会した時点でリュックと弓矢を背負っていたかごめだが、鋼牙と獣郎丸の戦闘をかぎつけた時に、かごめの背に荷物はない。
作品を読んでいて比べてみるとおもしろいのだが、かごめはいつも矢を放つわけではない。
珊瑚や弥勒に比べてもギャラリーに徹していることが多いかごめだが、戦闘時点で弓を持っていないことが多々ある。

たとえば影郎丸のスピードにはついていけなくても、獣郎丸に矢を放ってもいいんじゃ?と思ったときには弓はない。
以前かごめももっと戦うべきという書き込みをあちこちで見かけたことを書いたが、それ以前に先生の判断でかごめが戦うべき時、戦わない時の設定をしておられるような気がする。
まあ犬夜叉自体、かごめを守るという意識が強いので、いつもかごめにちくちく矢を放たれてるのは嫌がりそうだが。
アニメの戦士としてのかごめに違和感を覚えたのは、基本的に守られる立場のかごめ(原作における)がいつも勇ましく戦っていたからだったのだろう、今にして思えば。

さて17巻の裏表紙には「(犬夜叉が)いずれどれか(妖怪、半妖、人間)を選ばざるを得ないときが来たならば、犬夜叉はいずれを?」とある。
たしかに半妖の犬夜叉がある日朔犬の姿を見せ、17巻では妖犬化した(望んでないにしても)。
この時期これは「犬夜叉」という作品、「犬夜叉」というキャラにおける大きなテーマだったと思う。
今この問題はどうなったのだろうか。

なるほど最近の物語の厚みのなさは、こういった深いテーマが意識的にか忘れられているせいなのかもしれない。
 (2006年2月7日の日記) 
いざという時
原作少年サンデー2000年5月17日(25号)第168話「二対二」

     ☆     ☆     ☆

腹部を影郎丸に貫かれた犬夜叉、足をやられた鋼牙を尻目にかごめを狙う影郎丸。
次の瞬間飛び出したのは犬夜叉。

今週のサンデーでも思ったが、やはり立場の差はいざという時に出る。
犬夜叉を信じ切れなかった桔梗、そして痛みを忘れて飛び出せなかった鋼牙。
犬夜叉を信じて追うかごめ、そしてかごめを守るために痛みを忘れて飛び出す犬夜叉。

ただし桔梗に比べて鋼牙の懲りないところは、犬夜叉の、かごめのそんな姿を見せつけられてもあきらめないこと。
ここはもうそういうキャラなんだと思うしかないところだが、どこか哀れを感じさせるところが鋼牙とやはり「らんま」の良牙の共通点となるのだろうか。

ああいけない。
今回はまだ影郎丸がかごめを襲う、その瞬間までだった。
こういう大きな展開のないエピソードは、感想として非常に書きづらいところなのだが、ここで鋼牙愛でも語ってみようか(笑)。
まず「二対二」表紙の笑顔、前にある方がおっしゃってたことだが、私も原作犬夜叉や原作鋼牙の牙は出てない方が好き。
そして後から見た時の背中の縦線。

鋼牙は「犬夜叉」男性キャラの中でも露出度が大きいので、骨格がとても丁寧に描かれている、そこが好き。
特にアニメの「豹猫四天王」でかごめを助けるために崖の上に華やかに登場するシーン、鋼牙ファンには是非見てほしい。
「鋼牙のテーマ」もお披露目されて最高にかっこいいから。

さて、話がそれついでに2月のアニマックスは怒涛のオリジナル攻勢が続く。
炎珠に瓦丸に出雲登場、たぬき弥勒に病気になった「あの」邪見、帰ってこない雲母、かごめと桔梗の「危険な」遭遇、そして鋼牙と殺生丸「笑える」遭遇。
そして悪名高き「嘆きの森の戦い」と続く。
これを乗り切って子守弥勒が終われば七人隊編突入である。

私のメール友達に、新しく「犬夜叉」ファンになった人が何人かいるが、原作読んじゃうと皆一様に「早くオリジナル終わって欲しい、見ていられない。」とおっしゃる。
逆に原作読まずに待ってる人は「意外におもしろいです。」と書いてこられる。
私からのアドバイスとしては、これから「犬夜叉」ファンになる人は、まずアニメを最後まで見て、それから原作を読まれたらいいかもしれない。

個人的には炎珠編と出雲編は消化不良だったが考えさせられるところはあったし、助平法師(たぬき弥勒)はおもしろかった。
「帰ってこない雲母」には腹立たしさを感じ、「洞窟には桔梗とかごめの二人だけ」にはアニメオリジナル設定をどうまとめるのだろうとはらはらさせられた。
結局アニメは中途半端な終わり方をしたために、アニメオリジナルのさまざまな設定が放り出されたまま終わってしまったが、私が是非アニメで見たかったのが雲母と翠子の関係の結末。

犬夜叉が翠子の生まれ変わり説?まで飛び出した「ついに明かされた四魂の秘密」の結末である。
けれど今は全てが懐かしい。
今アニメをアニマックスで見直してもただ懐かしいだけで、今更どうこう思わないのは、私にとってアニメがすでに過去のものとなってしまったせいだろう、寂しいけれど。
「これから始まる七人隊が楽しみです。」などと書いていただくと本当にうらやましい。
 (2006年2月9日の日記) 
喧嘩しながら強くなる
原作少年サンデー2000年5月24日(26号)第169話「土中の敵」

     ☆     ☆     ☆

鋼牙が犬夜叉を怒らせ、犬夜叉が鋼牙を怒らせて互いにパワーアップするような2人だが、シリアスな中に珊瑚と弥勒の犬夜叉は「バカ」発言、

「礼は言わねえぞ!」
「言えよ、礼くらい!」の犬鋼漫才、

そして久々妖怪退治のプロとして珊瑚の毒薬などが登場し、戦闘もストーリーもテンポ良く進む。
中表紙の井戸を覗き込む七宝も可愛いし、この後犬夜叉と桔梗が、そして犬夜叉とかごめが心を確かめ合うエピソードへと話が続くから、私はたぶん原作の中で18巻が一番好きかもしれない。

だがこうして2人が連携しながら戦っていくのを見ると、いつもは1人突っ走って周りを心配させる犬夜叉が、むしろ鋼牙の押さえ役に回るのがおもしろい。
それだけ犬夜叉の方が場数を踏んでいると言うか、強敵相手に戦闘をこなしてきているという気がする。
鋼牙といえば印象的なのは極楽鳥か、あとは名もない雑魚妖怪ばかりが相手で、奈落がいきなりの大敵となったのだろう。
その意味でも先日書いた、鋼牙が四魂のかけらを手にしたばかりに巻き込んでしまった仲間の死の責任が、鋼牙には重くのしかかる。

琥珀のように、かけらを取られたら死ぬわけでもない鋼牙がなぜ四魂のかけらにこだわり続けるのか、それはやはり仲間の死を無駄にしたくないからだろう。
逆に言うと、四魂のかけらを失えば、鋼牙はその存在意義を失う。
いえ鋼牙自身がそう思っているかかどうかじゃなくて、私がそう思うだけなのだけど。

最後の最後にかごめに頼まれて「ほらよ。」と渡して「ちゃっ」と去っていく、そんな単純頭の姿が浮かばないわけではないが(笑)、辛うじて四魂のかけらで得た速さによって犬夜叉と対等の戦いができる鋼牙、やはり失いたくはないだろう。
しかし、魍魎丸、四魂の玉を穢そうとする奈落や魍魎丸を味方して鋼牙の足を止める翠子の意思、その理不尽さに鋼牙は幾度がピンチに陥る。

桔梗の言うように、四魂の玉の完成に鋼牙のかけらが必要ならば、やはり鋼牙はいずれ差し出すことになるだろう。
しかし今犬夜叉とかごめがしようとしている奈落や魍魎丸との戦いは、四魂の玉を必要としないもの。
もしも四魂の玉を使わず犬夜叉が鉄砕牙で奈落や殺生丸を斬り倒すことができたら、その時四魂の玉はどうなるのだろう。
鋼牙は使う、琥珀も使う。
残りは犬夜叉を人間にするとか桔梗を蘇らせるとか?

骨しか残っていなかった七人隊も、一度限りとはいえ完全なる人間体として蘇った。
一度死んだ桔梗や琥珀だってできないことはないと思う。
琥珀はともかく桔梗が望むかどうかは問題だが。

もうひとつ、カワウソ妖怪甘太の父復活を見ても誰も気づいてないのが驚きだが、天生牙の出番もありそう。
殺生丸は今は武器として使っているが、もちろん癒しの力も残っているだろう。
できなかったのは、神楽が瘴気に包まれていた時だったが、琥珀や桔梗はそうではないし。
私としては琥珀の辛うじて残っていた生命力が、四魂のかけらで命をつなぎ止めているうちに、実は回復していた、なんてオチも期待している(笑)。

果たして琥珀は死人なのか、それともかけらの力で生かされている重傷者なのだろうか。
 (2006年2月10日の日記) 
鬼蜘蛛の心
原作少年サンデー2000年5月31日(27号)第170話「粉砕」

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影郎丸&獣郎丸編も最終回、鋼牙の勘を信じた犬夜叉は、鋼牙共々獣郎丸を斬り捨てる気配を見せる。
同時に獣郎丸の口からは影郎丸が飛び出し、鋼牙を狙うが鋼牙は飛びのき、影郎丸は魍魎丸共々両断される。
大苦戦の犬夜叉、怪我は重い。

この後犬夜叉と鋼牙の喧嘩をおすわりで止めるのはともかく、「心がこもっていない」お礼の言葉はなんだかなあと思いながら読んだ。
犬夜叉の手当てをするための、鋼牙を追っ払うための口先だけのお礼?
鋼牙もがんばったのに?ここはあんまり笑えない。
かごめの目には犬夜叉しか映っていないのだから、この際鋼牙に対してはっきりした態度を見せて欲しい、「もう一度」。

と当時は思ったわけだが、ラブコメ要員としての鋼牙は引き下がるわけにはいかず、かごめも同志として曖昧な態度を保ったまま今に至っている。
今となってそれをどうこういう気持ちは今更ないが、ここからはむしろ己の心、桔梗を慕う鬼蜘蛛の心に気づいて愕然とする奈落の方がずっとおもしろい。
桔梗に会いたくて、でも桔梗を殺そうとかする気持ちは全然なくて、ただ一目会いたくて日参する奈落。
対する桔梗にも怒りや侮蔑の気持ちはなく、ただ静かな視線と言葉だけが奈落の心を逆なでする。

それにしても、それまで奈落は自分の心に潜む鬼蜘蛛の心を全然意識していなかったのだろうか。
鬼蜘蛛を殺し、奈落として蘇って一番先にしたことは、当の桔梗をその爪で引き裂いたことである。
殺せぬはずの奈落が桔梗を殺した。
もちろんこの時は桔梗は「土の結界」など身につけていない。
この時は鬼蜘蛛は「死んだ」ばかりで奈落は生まれたばかりで意識が「四魂の玉」にしかなかったということなのだろうか。

ここでおもしろいのは、奈落は人喰いかという問題。
弥勒が初登場の時、奈落は人を喰うと言い、18巻でも奈落は自分が人の心を捨てたら、最初に桔梗を喰うと言う。
そもそも半妖奈落が誕生したのは、鬼蜘蛛が妖怪たちに自分の体を喰らわせたからだし、その意味でも半妖奈落が人喰いであっても全然おかしくないのだが、奈落からそんな気配は感じられない。

人の心を捨てた今でも奈落はもっと洗練された世界を求めているようである。
これもいつの間にやら軌道修正されたのかな?などと考えてみるのもおもしろい。

今のいろいろくっつけた奈落、鎧甲まで狙ってる奈落、人の心を捨てたラスボス奈落に慣れてしまってると、この時期の普通の人間の奈落がとても新鮮で可愛い。
若殿の着物を着て、狒狒の毛皮を手にしているところを見ると、素肌に毛皮で近くまで来て村の近くで着替えたのだろうか、礼儀正しい奈落。
私はやっぱりこの頃の奈落の方が好きだな。
けれど、これほどまでに作品に影響を与えた「鬼蜘蛛の心」が最後になって出てこないわけがなく、桔梗と奈落の心の対決に犬夜叉の鉄砕牙がどう関わっていくかが戦闘における最大の見所となりそうだ。

以前某交流サイトさんで、「犬夜叉」の主役は誰か、という議論を見かけたことがある。
タイトルどおりの犬夜叉、最初から出てきたかごめ、四魂の玉を生み出した翠子などとたくさんの説があったが、当時の私は主役は人ではないけど「四魂の玉」じゃないかと思っていた。
でも最近は、「犬夜叉」の主役は桔梗じゃないかと思うようになってきた。

いえ表の主役は犬夜叉としよう。
影の主役が桔梗なのかも。
主演男優賞犬夜叉、助演女優賞桔梗、その他の賞は該当者なしといったところだろうか。
 (2006年2月11日の日記) 

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