犬夜叉サンデー感想(第181話〜第190話)
珊瑚の性格
原作少年サンデー2000年8月23日(39号)第181話「珊瑚の決意」

     ☆     ☆     ☆

犬夜叉一行の中で、珊瑚というキャラは他のメンバーと異なり、非常に気持ちが内に向きやすいというか、悪く言えば後向きな感じがする。
持って生まれた純粋さ、生真面目さ、責任感のなせることだろうが、ここで琥珀を殺して自分を死ぬという行動に出るのは、とても短絡的で突き詰めた珊瑚の性格を象徴しているように思える。
(この性格は復活直後の桔梗にも共通するような気がする。)

琥珀は自分を襲うだけならともかく、退治屋の仲間たちや父を殺し、罪のない幾多の人を殺し、そしてかごめを傷つけた。
珊瑚の胸中は察して余りあるものがあるが、他のメンバーが、だからこそ奈落を倒して琥珀を救おうと前向きなのに比べ、異質な気がする。
犬夜叉と桔梗の誤解、弥勒の風穴に比べれば、珊瑚の悲劇は常に現在進行形で、それだけに奈落の謀略に一番影響を受けているのは珊瑚と言えるかもしれない。

ここでの犬夜叉の行動や心理も興味深い。
犬夜叉が琥珀を信じることができないとしても、殺すことはないというのがキャラとしての大前提だろう。
にもかかわらず、犬夜叉はこの時まで琥珀を結局信じ切れていない。
珊瑚はともかく、弥勒やかごめが奈落の罠を疑っても琥珀自身は受け入れているのに比べ、犬夜叉は琥珀自体を疑う。

ここを読んだ時、犬夜叉ってほんと損な役回りだなと思った。
弥勒が言うように、犬夜叉は「馬鹿ではない(笑)。」
特に奈落に関しては経験に裏打ちされた犬夜叉の言葉は常に鋭かった。
この時ばかりは物語を盛り上げるために悪役に回ったのかなあと思う。

一方かごめを殺そうとしながら殺せなかったのは琥珀に人の心が残っていたせいだろうか。
さきほど書いたように、琥珀はこれまで何の迷いもなく幾多の人々を殺してきている。
珊瑚と過ごした束の間のひと時のおかげで琥珀の中の人の心がほんのわずか呼び覚まされたような気がする。
琥珀には、珊瑚たちが気づけなかっただけで封印された人の心がたっぷり残っている。

奈落にかごめを殺すようにと命令されながら殺せなかったのは、実は珊瑚のおかげ。
その意味でも珊瑚がここまで思い詰める必然性はない。
それにしてもそんな珊瑚のパートナーとして弥勒を配したのは素晴らしい設定だったと思う。
弥勒も珊瑚みたいな性格だったら、もしくは犬夜叉みたいな性格だったら、珊瑚がここまで急激に癒されることはなかっただろう。

弥勒の包容力は犬夜叉や珊瑚にはないもので、たとえばかごめと弥勒、桔梗と弥勒ならそれなりにいいカップルが生まれそうな気がするが、珊瑚には弥勒しか考えられない。
犬夜叉と珊瑚って余裕のないところが意外と似てるような気がするのは私だけ?
それにしてもかごめ、妖怪が傷つけることはできなくても、人間ならば普通に傷つけられるらしい。
犬夜叉が守っているからでは済まないほど戦闘やら瘴気やらに巻き込まれているかごめだが、この怪我の少なさ、何か意味があるのだろうか。

百足上臈や、時には奈落に放った破魔の矢は、人間に放つ時はただの矢になっているのだろうか。
そうだとしたらおもしろい。
次回は恐怖も悲しみもない琥珀を珊瑚が殺そうとするところから。
果たして犬夜叉は間に合うのか、以下次号!といったところだろうか。
 (2006年2月27日の日記) 
一緒にいてくれる・・・
原作少年サンデー2000年8月30日(40号)第182話「消えない顔」

     ☆     ☆     ☆

琥珀を殺そうとする珊瑚だが、危機一髪で犬夜叉が間に合った。
琥珀は現実と向き合わなくてはいけない、犬夜叉は全てを思い出させようと琥珀に詰め寄る。
いかにも犬夜叉らしい荒療治だけど、犬夜叉は正しい。
邪魔をしたのは神楽。

四魂のかけらは守ったものの、再び去ってしまった琥珀。
悔しがる珊瑚。
また罪もない人が殺されてしまう、また仲間が傷つけられてしまう、また琥珀が殺戮を繰り返してしまう。 ここからの犬夜叉はかっこ良過ぎて読んでいる方が気恥ずかしくなるほどだが(笑)、犬夜叉が言いたいのは人の心が残っている琥珀を殺しちゃいけない、生きたまま取り返すこと。

では人の心が残っていない琥珀だったら?と突っ込みたくなるが、それでも犬夜叉は救おうとするんだろうなあと思わせる台詞。
琥珀が珊瑚の弟である限り、琥珀が奈落に操られている限り、そして琥珀が望まぬ殺戮を続ける限り。
一方奈落の元に戻った琥珀。
奈落自身が「琥珀が記憶を取り戻すことの意味」を実現してみせる。

恐怖と罪悪感と絶望と、全ての記憶が琥珀を苦しめようとする、拒絶する琥珀。
これが今の琥珀の姿、まだ弱い心。
今の琥珀に犬夜叉の荒療治はまだ無理だった。
それでも琥珀の心から珊瑚の顔が消えない。

ほんの束の間だったけど、姉と一緒に過ごした意味は大きい。
こうして珊瑚と琥珀の葛藤を中心に据えた内面編はひとまず終了、蛾天丸登場という戦闘編の幕が開く。

最猛勝の毒を吸って苦しむ弥勒を看護する珊瑚のおちゃらけモードが入り、犬夜叉とかごめは2人の世界を作る。
今回の弥勒の助平は珊瑚を元気づけるため、という見方もできないわけではない(笑)。

何も知らない七宝がすごく可愛い。
七宝についてって何も見てない雲母もとても可愛い。

そして犬夜叉。
今の犬夜叉の心に消えない顔はあるのだろうか。
こうした場面を見ている限り、「全くない!」と断言してしまいたくなるのだが、それでも自分が守ろうとした女性に犬夜叉は限りなく優しい、かごめ至福の時。
計算ずくじゃないのが許せてしまう由縁だろう。

この時の2人の表情がとても柔らかくて好き。
最近絵がきつくなっているような気がするので、この時期のほのぼのムードの絵を見るとほっとする。
もうひとつ内面編と戦闘編の描き分けがはっきりしていてとても読みやすかった。
次回は犬夜叉再び妖犬化の危機、影郎丸&獣郎丸戦で出てこなかったのは鋼牙が一緒に戦っていてくれた安心感のせい?
 (2006年2月28日の日記) 
虫は苦手だ、蛾天丸
原作少年サンデー2000年9月6日(41号)第183話「変化の秘密」

     ☆     ☆     ☆

蛾天丸編に入る前に、朴仙翁を訪れる殺生丸の姿が描かれる。
私は朴仙翁は西国、京にあると思っているが、殺生丸がりんを連れて京都まで行くとは思えないから違うかな?
朴仙翁、犬兄弟の父の知り合いで鉄砕牙、天生牙2つの形見の刀の鞘も朴仙翁から削り出された物。
さすがの殺生丸も、朴仙翁の前では大人しい。

子供の頃、父に連れて来てもらった記憶なんかもあるかもしれない。
(それでも「きさま」呼ばわりなのだが)。
結局殺生丸は朴仙翁から犬夜叉の変化の秘密を聞くことになる。
奈落がどうやら知らない以上、他にその秘密を殺生丸に話す存在がいるとは思えないからこそ出てきた朴仙翁だろう。

そういえば映画「天下覇道の剣」にも朴仙翁が再登場、殺生丸に天生牙を渡す大事な?役目を担って爆笑させてくれた。
植物だけに逃げるわけにもいかないだろうし(笑)。
でも父君が犬夜叉に本当に鉄砕牙を「与えた」のかどうかは首を傾げるところ。
殺生丸が鉄砕牙が欲しくてちょっかい出さなかったら犬夜叉は鉄砕牙を入手していたかどうか。

冥加もありかを知らなそうだし、結局刀々斎か朴仙翁に教えられなければ犬夜叉は鉄砕牙なしのまま自分の血に翻弄されていただろう。

さて、とある村で足をくじいた老人を助けた犬夜叉一行。
かごめ以外で犬夜叉におんぶされた果報者といえば、珊瑚となずなとこの老人、くらいかな?
犬夜叉はいいことをした後は必ず不機嫌になるという弥勒の突込みがナイス。
孫からもらったヘビのヌケガラが本当に欲しそうな七宝、もらって嬉しそうな七宝が可愛い。

しかし楽しかったのはここまで。
老人と孫が帰った村では蛾天丸による殺戮が行われていた。
血の匂いをかぎつけ、駆けつける犬夜叉と弥勒。
村を襲う野盗の群れには目もくれず、犬夜叉が見据える先には大斧かついだ蛾天丸。
まだ人間型のまま 今回は終わる。

これまでの妖怪と違って犬夜叉の鉄砕牙に目をつけたところがおもしろい。
犬夜叉が鉄砕牙を手放すことで妖犬化し、鉄砕牙を触ることのできない蛾天丸、触れるけど変化させることができない野盗の違いがここから際立っていく。
それにしても蛾天丸の大斧、刃に人間の髪の毛らしきものが絡みついているところが怖い。

作品の中でもかなり暴力的な部分が目立つ蛾天丸編。
犬夜叉までもが悪人とは言え人間に手をかける。
それにしても今回置いてこられたかごめ、弓と矢を持ったままついて来てたらこの事件も簡単に片付いてだろうと思うとちょっと笑える。
奈落の瘴気も浄化するかごめの破魔矢、蛾天丸の毒の繭など簡単に壊してしまいそう。

ここでたまたまみたいに弓と矢を置いてこないで、それなりの理由付けをして欲しい気もする。
老人と孫を助けた時は背負っていた矢筒が犬夜叉を心配して駆けつける時はないってちょっと変では?
かごめが毒繭をあっさり壊していたら妖犬ストーリーにはならないとはいえちょっと都合がよすぎかも。
 (2006年3月3日の日記) 
囚われた犬夜叉
原作少年サンデー2000年9月13日(42号)第184話「毒の繭」

     ☆     ☆     ☆

犬夜叉の鉄砕牙が重くなっていなければ、犬夜叉はここまで苦戦することはなかったのだろうか。
初期の逆髪の結羅、飛天満天、蜘蛛頭などは犬夜叉の強さがまだ中途半端で敵キャラの強さに追いついてない気がしたが、この時期の1エピソードキャラの中では珍しいのではないだろうか。

まあ瘴気も避ける犬夜叉の素早さを持ってすれば、蛾天丸の毒粉なんてあっさり避けそうな気もするから、ここはやはり鉄砕牙のせいだろう。
その意味で蛾天丸は対犬夜叉戦を引き伸ばすことに成功したラッキーキャラと言えるかもしれない。
鉄砕牙を使いこなせていない犬夜叉は助けようとした弥勒と共に蛾天丸の毒の繭に囚われてしまう。
最近妖狼族の芯太が巨大な蛾の妖怪に囚われる話があったが、もしかしたらあの蛾の進化系が蛾天丸かもしれない?

余談だがアニメオリジナル妖怪の中で蛾羅丸はいいキャラだったのではないかと思う。
エピソード自体は目新しくもないわりに突拍子もない展開になったが、蛾天丸の一族であり、犬夜叉に殺された蛾天丸を軽蔑しているという設定は秀逸だったと思う。

さて鉄砕牙に興味を持った蛾天丸は手下の野盗に取ってこさせる。
しかし手下(人間)に触れた鉄砕牙に蛾天丸(妖怪)は拒まれる。
それまで蛾天丸は犬夜叉が半妖であることに気づかなかったらしい。
蛾の妖怪はそれほど鼻が効くわけではないようだ。

一方危険なのは前回犬夜叉たちに助けられた老人。
ここはじっとしていて欲しかったのだが、犬夜叉に鉄砕牙を返そうとしている。
結局鉄砕牙を奪おうとして殺されてしまうことになるこの老人、生きていて欲しかったと思う。
同時に自分たちを助けてくれた犬夜叉の狂気を化け物と恐れる村人たちと、そんな犬夜叉にも感謝する少年。

いつもは普通のエキストラでしかない普通の人間たちだが、こうして一人一人の性格や気持ちが描かれると、それはそれで切ない気がする。

          ☆          ☆          ☆

今日は午前中出かけて、午後テレビを見ながらパソコンをしている。
ちょうど「金田一少年の事件簿」を放映していたので、ふと思いついて検索かけてみたけれど、なんかもう過去って感じがしてとても残念。
「犬夜叉」もやがてはそうなっていくのだろうか。
やっぱりなんだかんだ言っても漫画なりアニメなり、続いているうちが花だなあと思った。

とりあえずは「犬夜叉」連載も終了も関係なくがんばってはいくつもりだけれど。
ちょっと複雑な気持ちになった。
 (2006年3月4日の日記) 
変化した犬夜叉と蛾天丸
原作少年サンデー2000年9月20日(43号)第185話「蹂躙」

     ☆     ☆     ☆

今回のタイトル「蹂躙」、何の事を指しているのだろうか。
蛾天丸に苦しめられる犬夜叉や弥勒?妖怪の血に翻弄される犬夜叉?野盗に苦しめられる村人たち?
あるいはそれら全てを含んでいるのかもしれない。

毒粉と毒の繭で動けない犬夜叉の前で娘が血を?吸われ、犬夜叉に鉄砕牙を渡そうとした老人が殺される。
そこに駆けつけたかごめと珊瑚にも危機が迫る。
弥勒の結界も限界で絶体絶命に陥った瞬間、犬夜叉は変化した。
毒繭を破り、野盗をその爪にかける。

降りかかる人間の血に呆然とする珊瑚。
そして蛾天丸も変化する。
これまで犬夜叉を苦しめたのが嘘みたいにあっさり殺されてしまう蛾天丸。

朔犬に対してはこれほど強く、妖犬に対してはこれほど弱い蛾天丸。
ではいつもの犬夜叉だったら?
あっさり勝っていたことだろう。

この後いろいろあって正気に返った犬夜叉は悩むことになる。
けれど人に害をなす妖怪ならば殺してもいいが、どんなに人に害をなす存在であっても人を殺すことにこれほどまでに罪悪感を感じる犬夜叉の心、一体何なんだろう。
妖怪を異形の者=悪い奴なら退治も可、という意識が同じ妖怪の血を持つ犬夜叉の中にあるのが興味深い。

どんな悪でも人は殺さない、妖怪なら殺してもいいというのは人間の理屈だろう。
その心が半妖である犬夜叉の持つ人間の心であり、それゆえに犬夜叉はほとんどの妖怪に忌み嫌われることになるのだろうか。
妖怪の立場にしてみたら、同じ妖怪の血を持ちながら、人なら殺さないぞ、妖怪なら殺すぞ、という犬夜叉の立場は違和感を覚えて当然だろう。
いえ以前からの半妖差別はもっと単純な「純粋な人間なり妖怪でないから」という単純なものだったと思う。

私が何度か原作を読み返すうちに覚えた違和感、それは犬夜叉の立場、その他主要キャラの立場が限りなく人間に近いものであるということ。
現在のように妖怪がむしろ動物に近い、複雑な心を持たない存在として認識している時代の立場だろう。
犬夜叉の時代、犬夜叉の世界の妖怪は、そんな単純な存在ではなく限りなく人間に近い者が多々いる。
その中で妖怪は「退治」し、人間は「殺せない」犬夜叉に、私はどこか中途半端さを感じる。

ここで老人を「殺した」野盗を「殺した」犬夜叉に老人の孫は「仇をとってくれた」と感謝する。
少年にとっては妖怪であろうが人間であろうが、祖父を殺した存在は憎い仇だろう。
しかし心を失っての殺戮であったにしろ人を殺してしまったことに犬夜叉は強い罪悪感と嫌悪感を感じる。

私は勧善懲悪でない「犬夜叉」という作品の、これは大きなテーマのひとつであると思っているが、実際は犬夜叉はそんなことは全然関係ない。
たとえば鋼牙や神楽のように、多少なりとも好意を持っている妖怪を殺したのなら罪悪感も感じるだろうが、とりあえず普通の妖怪退治では常に正義の味方である。
妖怪=悪とみなし、鋼牙や神楽はあくまでも例外と設定する、犬夜叉はどこまでも正義の味方として人を殺すようなシチュエーションは作らない、そこまで徹底していれば、普通の妖怪退治物で終わっていただろうが、そうしなかったところに「犬夜叉」の深さと同時に矛盾点も用意されてしまった。

この部分はほとんど意識されないまま物語は進むが、「犬夜叉」というキャラの正義感というものを考える上でこの蛾天丸編は格好の材料となるような気がする。
 (2006年3月5日の日記) 
助けに来た?殺生丸
原作少年サンデー2000年9月27日(44号)第186話「失われた心」

     ☆     ☆     ☆

以前「犬夜叉好きキャラアンケート」という企画をしたことがあって、その結果にとても驚いたことがある。
それは犬夜叉のファンが「朔犬」「「妖犬」、そして普通の犬夜叉のファンと3タイプに別れたこと。
犬夜叉というキャラは全てを含めて1人のキャラクタ−だと思っていたので、消えてしまったコメントの中にも、「朔犬は好きだけど妖犬は苦手、犬夜叉らしくないから」とか「犬夜叉はやっぱり銀髪犬耳の犬夜叉、朔犬や妖犬は別人」というような意見が見られた。
今回の妖犬編など読むと、その気持ちもわかるような気もするし、でもそのために後で悩む犬夜叉も、また犬夜叉なんだよなあといろいろ考えてしまう。
いずれにしろいくつかのアンケートでたくさんの意見を頂いたのは、私にとって大きな収穫だった。

さて本編。
今回は犬夜叉はまだ正気に返らず、殺戮を続ける。
さすがのかごめもおすわりどころか近づくこともできず、もちろん鉄砕牙を渡すこともできない。
暴走を止めに来たのはなんと殺生丸だった。

ただし今回はまだ止めに来たというより、犬夜叉の妖犬化を見届けに来たという感じがする。
実際に戦ってみて犬夜叉の変化を確認、もう用はないとばかりに気を失わせ、かごめに鉄砕牙を渡すように告げる。
ここで殺生丸人気急上昇の予感がしたが(笑)、とりあえず犬夜叉は殺生丸が助けてくれたことを知らないらしい。
かごめ達は話さなかったのか?

次回自己嫌悪に陥る犬夜叉は「俺たちがなりたかった妖怪は、こんなのじゃねえ!!」と心に叫ぶ。
最初は半妖としての差別に打ち勝つために妖怪になりたかった犬夜叉、桔梗と出会って人間になることを決めた犬夜叉、桔梗を失って悲しむ心を捨てるために再び妖怪になることを決意した犬夜叉、そしてかごめに出会ってかごめを守るために強い妖怪になりたいと望む犬夜叉がいる。

しかし念願の妖怪になった犬夜叉は心を失い、嬉々として殺戮をする。
犬夜叉の衝撃も、見てしまったかごめたちの衝撃も大きい。
今現在犬夜叉の妖怪に対する気持ちがどうなのかうかがい知ることはできない。
前半のこれほど大きなテーマだった妖怪犬夜叉の存在。

今はむしろ強い心で奈落を打ち倒すことを決意し、妖怪になることにこだわりがないように見えるが、それはあくまでも想像であって、犬夜叉自身がどうこういうシーンはない。
妖怪になっても鉄砕牙と、妖怪の血に打ち勝つ心で見た目どおりの犬夜叉のまま妖怪になることだってできるかもしれない。
最終話、奈落を倒して俺は半妖のままで強く生きていくぜ!ではアニメのノリになってしまうので、この辺はもう少し暴走を抑えることを学んでからの犬夜叉の気持ちを描いて欲しいと思う。

先日出たばかりの「デビル・メイ・クライ3スペシャル・エディション」なるゲームでちょこちょこ遊んでいるが、こちらも殺すか殺されるかの兄弟対決。
もちろんこちらも現実ではないのだけれど、やはり身内の諍いというのはどうも後味が悪い。
もっとも「犬夜叉」では、素直になれない兄弟ながら少しずつ和解していく様子が見られて、それがまたおもしろさのひとつなのだが。
 (2006年3月6日の日記) 
変化が解けて
原作少年サンデー2000年10月4日(45号)第187話「しみついた血」

     ☆     ☆     ☆

殺生丸は犬夜叉の暴走を止め、去ってゆく。
「自分が何者かもわからぬやつなど、殺す価値もない。
最後の言葉を額面どおりに受け取った者はいないだろう。

鉄砕牙を持たされ?自分を取り戻した犬夜叉。
自分を見失っていた間に引き起こした惨状に愕然とする。
助けたはずの娘たちも犬夜叉を化け物と罵り、ただ1人少年だけが祖父の仇を取ってくれたのだと言うが、犬夜叉には「狩った」意識しか持てない。

かごめまでも引き裂いてしまう予感に怯える犬夜叉。
どんな言葉よりも抱きしめるかごめの想いが犬夜叉に新たな決断を促す。
犬夜叉が1人刀々斎の元に向かうまでが今回のストーリー。

私がこれまで何度か書いてきたように、犬夜叉の父君はどのような方法で鉄砕牙を犬夜叉に渡すつもりだったのだろうか。
冥加なり刀々斎なりが犬夜叉が一定年齢に達した時に、渡すように言っていたわけではないらしい。
殺生丸が最初から天生牙を与えられたのは、優しさを学ばなければ使えない刀だから、殺生丸は訓練?のためにも持っている必要があった。

犬夜叉の母君が亡くなった時にわざわざ取り上げたのは、もしかしたら幼い犬夜叉から殺生丸が鉄砕牙を奪う危険性があったからだと思う。
(母君が生きていた時は、鉄砕牙は守り刀として母君の元にあった)。

犬夜叉が四魂の玉に関わり、奈落や幾多の妖怪たちと命がけの戦闘を繰り返さなければ妖犬化の危険性はなかったのだろうか。
半妖と虐げられる限り犬夜叉は成長しても戦わざるを得なかっただろうし、妖怪が普通に跋扈する彼らの世界では鋼牙や殺生丸でさえも戦いに巻き込まれる危険性は常にある。
ならば犬夜叉の、特に思春期に入ってからの妖犬化は必須で、それだけに殺生丸が奪おうとしなければ犬夜叉が入手することはなかったというこの展開は非常に気になる。

本当の場所を知らなかった冥加でさえ、犬夜叉にとって鉄砕牙が手放してはならない物であることだけは知っていた。
もしかしたら殺生丸が奪いにかからなかったら刀々斎か宝仙鬼あたりが黒真珠のヒント、父君の墓場での試練と共に鉄砕牙を与えていたのだろうか。

          ☆          ☆          ☆

最近知り合った桔梗ファンの方と桔梗についていろいろメールで意見のやり取りをするうちに、ふと思いついた考えがある。
今の桔梗があまりにもかごめに対する嫉妬や犬夜叉と一緒にいたいと願う気持ちを見せないことの理由、この方は桔梗が耐えているのだと思うと書かれていたが、桔梗が1人でいるシーンが何度か描かれているにもかかわらず、桔梗の葛藤などは18巻以降見られない。

私は三角関係をこれ以上煩雑にしないための先生の手法だと思っていて、それはそれで理解しがたいものであったのだが、もしかしたら桔梗の恋に関する煩悩の部分はもう成仏と言うのはおかしいか、消滅したのではないかと新たに感じた。
裏陶編で蘇った桔梗は恋への執着で生き延びる。
犬夜叉の腕の中で守ると宣言され、その部分は消え、奈落や四魂の玉に対する使命感だけが桔梗の中に残っているという考え、どうだろう。

もちろん犬夜叉への想いはあるが、もし桔梗が生きている人間だったらそこまで割り切れず引きずっていたであろう嫉妬や執着の心、裏陶編で生じた負の心がさっぱり消えたと言うのは。
まあこれも桔梗にしてみれば寂しい話だが、かごめの他に桔梗までが嫉妬だの執着だのを引きずっていたら話がさらに陰鬱になるからという考えよりはましかと思うのだが。
よって良くも悪くもかごめの生身の人間としての部分が強調され、対極に置かれた桔梗との対象が際立つ、と言いたいのだが、いかがでしょうか。
 (2006年3月7日の日記) 
目覚めた竜骨精
原作少年サンデー2000年10月11日(46号)第188話「爪の封印」

     ☆     ☆     ☆

19巻最終話は竜骨精編第1話。
今読み返すと、前髪がかぶさってる感じの犬夜叉が可愛い、狒狒奈落が懐かしい。
何もかもがシンプルだったあの頃が懐かしい、最猛勝も懐かしいというか愛らしい(笑)。
当時は苦戦した竜骨精も、今の犬夜叉ならあっさり撃破だろうな。

今回戦闘はなく、ちょっかい出しに来た奈落の場面と、かごめたちの元に来た刀々斎を含めた会話のみ。
父が殺しきれず、封印するに留めた竜骨精、この戦いで負った傷が元で父君は亡くなった。
話を聞くととんでもない強さになるのだが、刀々斎は封印されているままの竜骨精を斬れば良いと言う。
なるほどあまりにあっけない。

それであれほどまでに苦労した鉄砕牙を扱えるようになるのなら、犬夜叉の強さってなんだってことになる。
ここはむしろ奈落のちょっかいよりも犬夜叉自身が封印を解いて戦うように仕向けた方が、試練の重みが出たのではないかと思う。
ただこのエピソード自体感動とは別の時点で、犬夜叉は父君を越えてしまったことに強い違和感を感じたことも覚えている。

強いてあげれば竜骨精は封印は解かれたものの、父君から受けた傷は癒えてないから父君と戦った時ほどの強さではなかったということになるか。
竜骨精が完全体ならば、とても犬夜叉にかなわなかったということで。
そうでなければ父君の存在価値があまりに低いものになってしまう。

まあ霊力もなしに竜骨精を封印したり、異次元の世界(墓場)を作り上げること自体がおそらく犬兄弟には決してできない年の功であるかもしれないが。
純粋な妖怪である刀々斎の言葉も気になる。
「人を手にかけて平気なやつに鉄砕牙を持つ資格はない」
なるほど、どんな悪でも人は駄目、妖怪はOKなわけだ、この基準はむしろ人間側の勝手な理屈と思っていたが、刀々斎も言うとは興味深い。

逆に言うと犬夜叉の父君や、彼に関わった妖怪はそれほど人間に近いということか。
たとえば犬夜叉たちに出会う前の鋼牙だったら、自分に害をなすとあれば相手が妖怪であろうが人間だろうが殺しにかかるだろう。
犬夜叉世界も探せば、「どんな悪でも人間ならば殺してもいいが妖怪は同族だから駄目」なんて言う妖怪もいるのかも。
まあこう感じること自体の後味の悪さは、やはり「犬夜叉」が「人間の人間による人間のための」物語である証のせい(笑)。

どんなに人間に近くてもしょせん妖怪は異形の者という私たちの世界の私たちの理屈が物語全体を覆っているのかも。
それはそれでおもしろい。

余談だが人間を貶めることの多い妖怪たちだが、「犬夜叉」にはけっこう人間型に変化し、服を着ている妖怪が多いことに気づく。
あれほど人間を嫌い抜いていた殺生丸でさえも人間の「真似」をして人間型に服を着ている。
このおもしろさってなんだろう。
まあ犬夜叉の父君や殺生丸がいつも原形でいたら、恐竜が飛び回っているようなものだから、あの巨大さで木々はなぎ倒され武蔵の国などあっという間に壊滅しそう。

それはわかるが、だからと言って人型になる必要はない。
これは手が使えて便利だからなどという前に、やはり「犬夜叉」が人間界の物語だからだろう。
感想も書きつくすと、こんなどうでもいいようなことがおもしろくなってくる。

もしかしたら、ふと考える。
竜骨精も普段は夢幻の白夜みたいな、ああむしろ大蛇丸かな・感じの人型をしていて、父君が西国を、それほど強いなら竜骨精は東国を治めていたのかもしれない。
妖怪世界にも戦国時代があって、竜骨精が天下取りを目指して西国に攻めてくる、それを迎え撃った父君との戦い、ならば戦闘が行われたのは西国と東国の境、武蔵の国のはずれか相模(神奈川)、甲斐(山梨)あたり、竜骨精が封印されていたのもそのあたりかも。

          ☆          ☆          ☆

きのうのサンデーで「結界師」がおもしろかったのだけど、変化した藍緋にバイオ2のイビーを思い出してしまったのは私だけ?
倒すに難しい敵ではなかったけど、なんかやだったイビーに似てて笑ってしまった。
バイオはコード・ベロニカまでクリアしたけど、その後やってない、難しすぎて。
バイオ4がレオン&エイダが出てるから挑戦したいんだけど。

最近話が読めなくなってきた「結界師」だったけど、おもしろくなってきたかな?また。
 (2006年3月9日の日記) 
戦闘開始
原作少年サンデー2000年10月18日(47号)第189話「竜骨精」

     ☆     ☆     ☆

今日から20巻。
表紙のヒロインしているかごめは黒巫女椿に操られそうになった後。
片目を開けてちょうちょを見ている可愛い犬夜叉、そして竜骨精との戦闘開始。

完全体の竜骨精なら犬夜叉はかなわない(らしい)が、犬夜叉は父君がつけた爪の跡を貫けばいい、なるほど、そこが父君との差か。
鉄砕牙が一応当たってはいるのだが、竜骨精の体が硬く、刃がたたない。
犬夜叉を押しとどめるつもりの冥加が、犬夜叉が息子であることをばらし、父君が死んだことまでもばらしてしまう。
ここで父君は竜骨精との戦いで受けた傷が元で死亡したことが明かされる。

たしかに「今までさんざん父君の形見、鉄砕牙の世話になっておきながら(冥加談)」仇もへったくれもない犬夜叉だが、実は竜骨精を斬ることによって父君を越える気満々。
この辺冥加は年の功のわりに見るべきところを見てない気がする。
危なくなるたび逃げてきたつけか(笑)。

そこへ追いついてきたかごめ達。
妖気の強さから竜骨精が目覚めたことを知った刀々斎の口から出た言葉は鉄砕牙の奥義「爆流破」、懐かしい〜。 今でこそ奥義どころかいろんなものがくっついて、奥義どころかかけらもない爆流破だが、この時は竜骨精にあしらわれる必死な犬夜叉にかなり感情移入していた記憶がある。
竜骨精の爪で崖に叩きつけられた犬夜叉の手から鉄砕牙が落ち、妖犬化し始める犬夜叉、かごめの呼ぶ声が辛うじて聞こえているようだが・・・。

今回の話はここまで。
かごめの声でなんとか踏み止まれるかどうかの瀬戸際だったのだろう。
ここで1週間待たされた読者の心情やいかに。

犬夜叉が父君を強烈に意識しているだけに、すぐに妖怪化が始まったのだろう。
結局対奈落戦で妖犬化することはなかったが、もしも奈落の前で妖怪化していたら、長々続いた奈落探しの旅もあっさり決着がついていたかもしれない。
もう一度くらいなら妖犬化しても戻りそうだし。

話が少し変わるが、「犬夜叉」世界をパラレルワールドと設定するととても嫌がられることがある。
パラレルワールドという言葉を使ってしまえば、何でもありだから面白くないということなのだと思うが、それはどうだろうか。

個人論としては、たとえばかごめが学校を長期欠席しててものほほんとしてられる家庭と学校の存在自体がすでに別世界。
さらにもしかしたら妖怪のいない戦国時代にタイムスリップしたかごめだってどこかにいるかもしれないし、平安時代に戻って赤ちゃんの犬夜叉の世話をしているかごめもいるかもしれない。 何事もなくかごめが学校生活を送っている世界、肉づきの面や真由の起こした騒ぎが未だに「未解決事件」としてテレビを賑わせたり「赤い服を着た異常なほどの跳躍力を持つ裸足の少年」の映像がワイドショーに登場する世界。
以前夢に出てきたような犬夜叉と珊瑚、弥勒とかごめのカップルの世界もあるかもしれない。
私たちが見たり読んだりしているのはいくつもある世界のひとつ、それが私のパラレルワールド。

たとえば今見ている「金田一少年の事件簿」にそんなことは考えない。
金田一くんがあまりに都合よく毎回殺人事件にぶち当たる不思議、なんてそんなことは関係ない(笑)。
「犬夜叉」は元々があり得ない「タイムスリップ」&「人型妖怪」の戦国御伽草紙、パラレルワールドが許される物語なのではないかと私は思っている。
 (2006年3月10日の日記) 
変化はしたが
原作少年サンデー2000年10月25日(48号)第190話「爪と刀」

     ☆     ☆     ☆

今回犬夜叉の変化(へんげ)の過程において、非常におもしろいシーンが見られる。
前回「竜骨精」の最終ページ、鉄砕牙を手放した犬夜叉は変化し始めるのだが、そこで心配したかごめが犬夜叉の名前を叫ぶ。
この声はちゃんと犬夜叉に聞こえている。

しかしその後も犬夜叉は変化したままの姿で竜骨精と戦う。
さすがに変化してからの強さはかなりのもので、さすがの竜骨精もダメージを受ける。
引き上げようとする冥加や刀々斎だが、かごめはここに残ると言う、その声は犬夜叉には届いていない。

上空でそんな会話がされている間、犬夜叉は竜骨精が倒れている隙に鉄砕牙を拾いに行く。
鉄砕牙を手にした犬夜叉から妖気は消え、軽くなった鉄砕牙で犬夜叉は竜骨精の傷=心臓を貫いた、までが今回。

ここでおもしろいと書いたのは、犬夜叉が変化してもなお自分をコントロールできている点。
最初はかごめの声で自分を取り戻したのかと思ったが、その後も変化を続けているので関係ないらしい。
この後犬夜叉は妖怪の血を押さえて変化しなくなるが、実はたとえ妖怪化しても心を失わずに戦える術を身につけたことにはならないのだろうか。

朔犬、半妖と共に犬夜叉もたまには妖犬化して戦ったら、それはそれでおもしろいと思うのだが。
妖犬化がいけないのは、心を失ってしまうからで、コントロールできるならそのはかり知れない強さは犬夜叉にとっても強い武器となると思うのだが。
殺生丸は対犬夜叉戦で変化し、対奈落戦でも変化しかけている。
犬夜叉だって今後自由意志で変化できるのに、とまるで妖犬があってはいけないもののように封印されてしまったのはとても惜しいことだった。

もうひとつ興味深いのは冥加と刀々斎の台詞。
犬夜叉に襲われるのが怖いから逃げるという冥加はわかるが、刀々斎はむしろ目的を達成できなかった(この時点で)犬夜叉を見捨てるという冷たいニュアンスが感じられる。
それだけに1人でも残るというかごめの必死な叫びが引き立つことになるのだが、この刀々斎のある意味冷酷さ、作品中でも印象深いキャラとなった。

それにしても父君でさえ苦戦し、その傷が元で亡くなったという竜骨精の強さがどうも見えてこない。
結果的に犬夜叉は竜骨精を倒すのだが、それだと父君も殺生丸をも軽く凌いでしまったような印象を受けるが、実際はそうでもない。
アクション面で弱さがあるとはよく指摘される高橋先生の特徴だが、今回始めて納得できたように思う。
かなりモタモタしてはいたものの、戦闘の迫力という意味ではアニメの方がずっと上だったように思う。

そういえば私が一番好きなEDは曲も画面も「深い森」だが、そこで殺生丸が犬夜叉と戦う前の竜骨精を見にくる場面がある。
殺生丸は父君の敵討ちをする気はなかったらしいが、後に消えた竜骨精を見て何を思ったのだろうか。

ところで犬夜叉って鋼牙や殺生丸や自分の中にも妖穴って見えているのだろうか。
どう見ても皿回しの皿のような妖穴だから、いつも鋼牙や殺生丸の体の横でくるくる回っていたらそれも怖い(笑)。
 (2006年3月12日の日記) 

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