犬夜叉サンデー感想(第191話〜第200話)
犬夜叉は父を越えたか
原作少年サンデー2000年11月1日(49号)第191話「新生鉄砕牙」

     ☆     ☆     ☆

強すぎる妖怪の血を克服した瞬間、鉄砕牙は軽くなり、犬夜叉は竜骨精の心臓を貫いた。
しかしそれだけでは鋼(はがね)の体を持つ竜骨精は死なない。
鉄砕牙の刃(やいば)を風の傷が取り巻いており、常に風の傷を発動できる状態になったが、それでもまだ竜骨精には太刀打ちできない。
竜骨精を倒せるのはただひとつ、「爆流破」のみ。

そしてよけきれぬほど巨大な妖気の塊を打ち出された犬夜叉は、ついに究極奥義「爆流破」を放つ。
ただし今回は、犬夜叉が匂いと勘?で斬るところまでで、その結果(竜骨精を倒す)や、爆流破の解説などは次回へと回される。
読者はここで爆流破を会得しなければ犬夜叉は死ぬのだから、これこそ爆流破なのだろうと予測するだけとなる。
まあここで犬夜叉が失敗したと思う人はいないだろうが。

竜骨精編は次回まで続くのだが、ここで大きな疑問が生じる。
犬夜叉は妖怪の血に翻弄されて妖犬化して、鉄砕牙に頼る気持ちがあるから鉄砕牙を使いこなせなかった。
そこで竜骨精を斬りに来たわけだが、犬夜叉の父君が竜骨精を封印するところまではわかる、その時の傷が元で亡くなった事もわかる。
そこで犬夜叉は竜骨精を斬って父君を越えると言う。

そして犬夜叉は爆流破を会得し、竜骨精を斬った。
ではここで犬夜叉は父君を越えたのだろうか。
越えたと思う人はおそらくいないのではないだろうか。

ストーリー自体が父君のことなどなかったかのように爆流破=刀の成長に移行してしまっているのも気になる。
もちろん犬夜叉の精神的な成長があるからこその爆流破であることは理解できる。
しかしここに父君を持ってきたことは大きな失敗ではなかったかと思う。
あくまでも「妖怪の血」の克服のみにとどめておくべきだった。

父君や、精神的な大人という意味では上の殺生丸、彼らの存在が軽くなるだけで、父君が倒せなかった竜骨精を倒したから父君を越えたという結果は短絡的に過ぎるだろう。
実際戦いの後で、犬夜叉は風の傷をいつでも出せること、(刀々斎言うところの)爆流破を会得したことは会話の中で出てくるし、おそらく妖怪の血を克服した、同時に新生鉄砕牙を使いこなせるようになったからのようにすっきりした顔を見せてはいるものの、父君に関しては触れていない。

あえて竜骨精編に父君を絡ませるとするならば、ここで一歩近づいたとか、犬夜叉の意識もその程度だろう。
さらに現在に至るまでの「犬夜叉」を読んでいると、犬夜叉は犬夜叉なりの成長をしてはいるものの、それは父君を越えるものではないし、むしろ父君とは違った部分での成長を重ねているように思える。
むしろ殺生丸の方が外見、性格、生き方などの上で父君を強く意識しているように思えるのだが。

もちろんだからといって妖怪の血に翻弄される犬夜叉の葛藤や、それを克服しようとしてがんばる姿に感動しないというのではない。
このどこか不器用で一途で、幼いけれど心優しき半妖の少年には竜骨精編においても十二分に感情移入させるものがあったし、犬夜叉に殺されるかもしれないのに残ると言ったかごめの健気さにも胸がきゅんとした。

作品では見られないが、この後弥勒か珊瑚がこの時のかごめの言葉を犬夜叉に告げただろう、たぶんかごめのいない所で。
その時の犬夜叉の反応も見てみたかったような気がする。
話が進みすぎたが、次回が竜骨精の最終話、そして黒巫女椿編へと話は進む。
 (2006年3月16日の日記) 
爆流破会得
原作少年サンデー2000年11月8日(50号)第192話「会得」

     ☆     ☆     ☆

犬夜叉の一振りは竜骨精の妖気を押し戻し、風の傷に巻き込み逆流させて竜骨精の鋼の体を打ち砕いた。
この時点での鉄砕牙の最終奥義「爆流破」が誕生した瞬間。
この後刀々斎の説明と感嘆、調子に乗った犬夜叉と弥勒の掛け合いが入るが、竜骨精編は終了し、黒巫女椿老婆版と、今は懐かし神楽が登場。
しかし明かされるのは、黒巫女椿が50年前に桔梗と戦い、敗れたという事実だけ。

楓同様50年の時を経て老婆になっている椿だから、今の姿はまがいもの。
ではその本体は?は次回のお楽しみとなる。
先に書いてしまえば、美しかった巫女椿は若い姿を維持するために四魂の玉を求め、敗れた後は妖怪に魂を売った。
形は違えど本質的な欲望と、そのかなえ方は奈落に相通ずるところがある。

奈落が椿に何を望んだかは今回は書かずにおくが、やがて若く美しい黒巫女椿は、やはり若く美しいままの巫女桔梗と再会することになる。
桔梗の不老不死(一応)の姿は桔梗の望んだものではなかったが、人間としてあまりにも本質的な欲望に囚われた椿の姿は、ゲストとして登場する他の妖怪とは一散を画した強烈な存在感があったことを覚えている。

もうひとつこれは私だけの感想だが、映画「時代を越える想い」が酷似したストーリーとなったことでも印象に残っている。
もちろん黒巫女椿が似てたんじゃなく、映画が似てたという意味でだが。

          ☆          ☆          ☆

とても素敵なメールを頂いた。
以前よくメールを下さった方からで、「アニメが終わってからサンデーや単行本を読むこともなく、今ではアニメのタイトルを見ても内容が思い出せないほどですが、『ひとりごと』を読んでああ七人隊、懐かしいなあとあの頃の感動がこみ上げてきました。

スカパーを持っていないので今アニメ犬夜叉を見ることはできませんが、その前にオリジナルが続いて待ちわびた七人隊、オープニングが『Grip!』になって生で?動く七人隊を見た時の感激、思い出しました。
今度DVDを借りてこようと思っています。」というメール(許可を頂いて引用しています)。

本当にその通りで、特に凶骨登場時の声のかっこよさと体の大きさにはとにかく驚いたのも懐かしい思い出(笑)。
蛇骨がもろに女性声だったのも、銀骨の嫁取りダンスも何もかもが懐かしい。
当時はいろいろ言いたいこともあったが、今見直すと単純におもしろいのも時間の経過故なのかも。
 (2006年3月17日の日記) 
黒巫女 椿
原作少年サンデー2000年11月15日(51号)第193話「黒巫女 椿」

     ☆     ☆     ☆

原作では竜骨精との戦いの後、すぐに黒巫女椿に入るが、アニメでは間に七宝の初恋「石の花」、弥勒と珊瑚が仲間から離れて山犬妖怪を退治に出かける「山の中の姫」、そして満を持しての「桃果人」、初めてのオリジナル「スズナとセリナ」が入り、黒巫女椿が続く。
アニメ製作も安定期に入り、奇想天外な変更もなく、まだそれほど追いつめられてもおらず、自信に満ちて作品製作がされていた時期だった。

その黒巫女椿、実はとっても若作り、が初めてかごめを危機に陥れる。
元々かごめは霊力に守られているのか、桔梗の影響が残っているのか、妖怪が傷つけることのできない(はずの)少女。
百足上臈がかごめに触れようとして、その霊力に腕を弾き飛ばされていたが、その理屈で言うなら満天がかごめを失神させて連れ去ることができた方がおかしいほど。
本来ならば、満天がかごめの首を絞めた時点で霊力が発動していたはずなのだ。

それはともかく妖気という巫女に対するハンディのない分、むしろ普通の人間の方がかごめと普通に闘うことができるのかもしれない。
それがかごめを上回る霊力の持ち主ならなおさら、そこで椿が登場することになる。
ただし追いつめられると桔梗を上回るパワーを発揮するかごめとなれば、椿が太刀打ちできるはずがないという結果になった。

もちろん話がそこまでとんとん拍子に進むわけはなく、自分への攻撃に対して全く無警戒のかごめは椿の式神に血を数滴奪われる。
楓と弥勒だけが忍び寄る邪気を感じ取るというのが法力と霊力を駆使して戦うプロフェッショナルを意識させてかっこいい。
おそらく普通であれば犬夜叉も感じ取るだろうが、ここはかごめが帰って来ないのにそわそわしていてそれどころではないらしい。

一方かごめ。
久々に学校に戻ってみれば授業(数学)はさっぱりわからず、疎外感を感じるもクラスメートに犬夜叉のことを聞かれるとオノロケ全開。
普段の生活を見ていると、ほんとに学校のこと気にしてる?って突っ込みたくなるほど戦国時代にいっぱなしの現在だが、スパイス程度に描かれる日常生活ならこれも可か。

そして井戸から出たところを式神に噛みつかれるが、式神の姿は見えず、とにかく迎えに来た犬夜叉と共に楓の家へ。
こんな時なのに、かごめのソックスをめくっているのが楓でも珊瑚でも七宝でもなく犬夜叉であるところが、2人の恋の幼さを感じてみたり、我知らずときめいてみたり(笑)。

しかし椿が奈落に渡された四魂のかけらにかごめの血をたらした瞬間、かごめのかけらは黒く染まり、かごめの体内に入る。
椿の持つ奈落のかけらはすでに邪気で穢れており、それがかごめの血を媒体にしてかごめのかけらと共鳴し、かごめを呪う。
同時にかごめの心も体も操ることができる、となるのだが、奈落の瘴気を浄化するかごめの霊力も、椿のかごめを上回る霊力がプラスされればいいように操られてしまうことになるらしい。

にもかかわらず椿にかごめをあなどるなと忠告する奈落がここにいる。
後になると桔梗も椿はかごめにかなわないと言うし、なんかいいように利用されちゃってる椿だが、犬夜叉&かごめがかつてないほど心理的に追いつめられ、奈落、桔梗と椿をはさんだ犬夜叉、かごめの苦戦の対比がとてもおもしろかった。

ただし今回は犬夜叉たちの前に椿も出てこず、倒れたかごめに楓が呪いの存在を感じる所まで。
この後かごめが犬夜叉を破魔の矢で殺そうとするのだが、これは予想はしにくい展開だったのではないだろうか。
私は何となくかごめの破魔の矢、殺すほどではなく半端に当たれば、犬夜叉は人間になるのだろうと思っていた(笑)。

この時は矢がまともに当たらなかったが、後に白霊山の結界に入り込んだ犬夜叉が人間に戻ってしまう場面がある。
当たらずとも遠からずかな?と嬉しかったが、ならば奈落だってかごめや桔梗に射掛けられたら半妖から人間になっちゃうじゃないかとか。
いえ奈落はすでに人間の体は残ってないのだから、神楽を鎖でつないだ時のように分解しちゃうんじゃないかとか、読み込みも過ぎるとほんとどうでもいいようなことばかり考えてしまう。
 (2006年3月18日の日記) 
呪詛返し
原作少年サンデー2000年11月22日(52号)第194話「呪詛」

     ☆     ☆     ☆

相手が黒巫女の呪いとあってはさしもの犬夜叉もなす術がなく、いつもとは違った椿とかごめ、そして桔梗の心と霊力の対決がいつもと違ったおもしろさを醸し出す。
頼れる「法力」の持ち主弥勒も、四魂のかけらによりパワーアップされた椿の結界を破ることができない。
楓はかごめのそばに残るが、おそらく楓も同様だろう。

椿の命令「犬夜叉を殺せ」に必死に抵抗するかごめだが、ついに犬夜叉に矢を向けてしまう。
仮に矢を放ったところで犬夜叉が逃げさえすれば犬夜叉が傷つく、あるいは浄化されることはないと思われるが、犬夜叉も咄嗟に逃げ出すことができない。
結果的にかごめは矢を2本放つが、どちらもはずすのはかごめの想いが椿の命令に勝ったのか犬夜叉の反射神経か、それともかごめの腕前ゆえか。
どれにしても緊迫した場面が続く。

犬夜叉が逃げればかごめは呪殺されることになるのだが(できるかどうかは別として)、もちろん犬夜叉はそんなことは知らない。
いずれにしても追い詰められた犬夜叉とかごめ、2人の葛藤が今回のメイン。

けれどここにもうひとつおもしろいエピソードが挿入される。
桔梗が犬夜叉に恋したために霊力が衰えたことを知った椿が桔梗に呪いをかけ、返される話。
犬夜叉に恋し、そのために霊力を失った桔梗を、椿はなぜ知っているのか。

あれほど桔梗が隠し切っていた(楓さえも知らなかった)2人の恋、椿がよほど桔梗に関する情報に気を配っていたか、あるいは人間界では誰も知らなくても、妖怪や四魂の玉を欲しがる悪意に満ちた人間の中では有名な噂だったりして?
そう考えると生前の桔梗が犬夜叉に、犬夜叉を人間にするために四魂の玉を使えば、桔梗は「ただの女になる。」と言った言葉が大きな意味を持ってくる。

四魂の玉を守るだけが桔梗の巫女としての仕事ではないはずだが、桔梗が恋を成就させてしまえば霊力を失うのなら頷けないこともない。
同時に若くして死んだが翠子も、そして楓も巫女として生きる限りは恋を許されなかったという高橋先生より描かれる「犬夜叉世界」の巫女の法則が見えてくる。
その点修行によって培った弥勒の法力ならば、恋しようが結婚しようがその後もしっかり退治屋夫婦としてやっていけそうだが。

しかし五十年前、椿は霊力の衰えた桔梗にさえかなわなかった。
椿が受けたのは「呪い返し」。
有名なのは陰陽師安倍晴明だろう。

「宇治拾遺物語」によると蔵人の少将の身内が蔵人の少将を妬み、呪いをかけたが、それに気づいた清明が呪いを返した。
返された呪いは、呪いをかけた者に戻ってしまう。
以前読んだ陰陽師に関する本では「人を呪わば穴二つ」、人を陥れようとする者は必ず報いを受けるという戒めに使われたと書いてあったが、いずれにしろ呪いを返すには、返す側(桔梗だったり清明だったり)が、かけた側より圧倒的に強くあることが前提になる。

つまりどんなに桔梗の霊力が衰えていても桔梗>椿は動かしがたい事実だったわけで。
今回相手が桔梗からかごめになって、椿は同じことをしようとしているのだが、結果以前にどこか小物っぽいのは、「呪詛に成功したら四魂のかけらは自分の物」と素直に信じている部分だろう。
桔梗に関してはあれほど情報ネットワークを張り巡らせていた椿、奈落に関する知識が少しでもあったならたとえ呪詛に成功したとしても、奈落がかけらを渡しそうにないことくらい見抜けるだろうに。
その点椿は実に人が良い。

(かごめに関しては)我関せずだった桔梗、どこか椿がかごめにかなわないことを見越している神楽、慎重にいくように忠告する奈落と、どこまでも軽く見られる椿。
しかし自信満々の椿がさらなる手を打つことになる。
 (2006年3月19日の日記) 
途切れた呪詛
原作少年サンデー2000年11月29日(53号)第195話「向けられた矢」

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椿の呪詛に必死でかごめが抵抗するちょうどその時、椿の結界を破った桔梗が奈落を壊して?登場する。
恨みを片時も忘れたことのなかった椿に比べ、今の今まで椿のことを忘れきっていた桔梗がちょっと笑えたり(笑)。
ここに美しき異形の巫女ふたりが相対することになるのだが、桔梗への怒りで頭がいっぱいになっている椿は、この隙に呪詛が途切れ、四魂のかけらが浄化されていることに気がつかない。

今のうちにと犬夜叉に背負われ、椿の元に向かうかごめ。
かごめの見せ場になると時々現れる「凛々しい顔」今回も発動。
犬夜叉の衣を縫いとめただけだけだったのは、かごめの腕か、かごめの想いか、結局犬夜叉がよけたのか。

椿の若さと美しさへの執着は、まあ人としてわからないことではないがそれでも妖怪に、しかも雑魚妖怪に魂を売る心情というのは到底理解できないかも。
己への自信、美しさへの自信、この自意識過剰には「ふ〜ん」と唸るしかないというか。
それだけに呪い返しで負けたことよりも、顔に醜い傷をつけられたことが許せなかったのだろう。

しかしおもしろいのは、それだけ桔梗に恨み憎しみがありながら、当の桔梗が現れても喧嘩はするものの、結局は奈落に言われたとおりかごめを律儀に狙い続けること。
椿にとって桔梗って何だったの?と首を傾げざるを得ないが、四魂の玉を得てからゆっくり桔梗と決着をつけようと思ったのか、死人(しびと)で生きるより妖怪に魂を売った方が勝ちという妙な優越感ゆえか、桔梗自身に対してはどうこうするつもりがないように見える。

この後かごめに犬夜叉を狙わせたことがばれて、冷や汗をかかされることになるのだが、結局桔梗は高みの見物。
お堂の中からいつの間にかいなくなるのだが、桔梗が椿を手にかけなくてもかごめが勝つだろうという信頼感のなせることだったのか。
椿を取り巻く側(奈落や桔梗や神楽や)から見るとどうも頼りない黒巫女なのだが、それでも十分苦戦してしまう犬夜叉やかごめって・・・。

滅多にないことだが、犬夜叉側と敵側のバランスが取れていないという珍しい例だったのではないかと思う。
同時にかごめに立ち向かうには、妖怪でも巫女でもない生身の人間が一番であることが立証されたとか?
それでもしょせんかごめや桔梗に巫女としてもかなうはずのなかった黒巫女椿、親近感があって好きなキャラの一人。

しかも「人間」なのに犬夜叉は斬る気満々、一体なんだったろう、この統一感のなさがおもしろい。
もうひとつ注目すべきが、かごめによって射抜かれた火鼠の衣。
かごめを背負って椿の元に向かう間に急激な速さで修復されている。

「竹取物語」や「山海経」にも出てくる「崑崙山」の火鼠の衣ならば、汚れたり破けたりすると火にくべれば元通りになるとのことだが、いつ誰がこの衣を縫い上げたのか、最終回までに是非明かして欲しいのだが、無理だろうなあ。
 (2006年3月20日の日記) 
相対するかごめと椿
原作少年サンデー2000年12月6日(1号)第196話「椿の祠」

     ☆     ☆     ☆

椿がいたのはお堂ではなく祠だった、まず訂正。
かごめにちょっかい出すのはかまわないが、犬夜叉に手を出したらお前を殺す、桔梗の言葉はなかなか凄まじい。
だが、逆に言うとこれはかごめへの信頼感を表す言葉とも言える。
わざわざ桔梗が助けなくてもかごめは大丈夫、かごめの力を知り尽くした桔梗だからこそ出てきた言葉だろう。

かごめを人質にされて振り回されているのは犬夜叉。
しかし犬夜叉とかごめがやって来たことに気づいた桔梗は退散する(どうやって?)。
この回の凛々しい表情のかごめが結界を射抜き、弥勒と珊瑚も通り抜けることができる。
こうして犬夜叉対椿のバトルが始まるのだが、椿は再び四魂のかけらを穢し、犬夜叉が鉄砕牙を使えないように仕向ける。

でもたしかに椿が集中している間は、手も足も出なかったかごめ。
結果的に椿を倒したのは最後の最後だったことを考えると、かごめの時には桔梗をも凌ぐ爆発力と同じくらいの危うさを感じてしまう。
かごめに対する戦闘方法としては桔梗を巻き込んでの大騒ぎとは裏腹に意外と堅実な椿。
かごめがこれほどの魂と霊力の持ち主でなかったら案外成功していたかもしれないと思わせる。

今回読み返して思ったのだが、椿が桔梗と再会した時に、桔梗に復習しようとはせず、律儀にかごめを狙った理由がわかるような気がした。
まず今の椿は四魂のかけらを仮入手していること。
かごめをうまくしとめれば、それは自分のものになる(と椿は信じるお人よし)から、それを捨ててまで桔梗を狙う理由がない。
しかも桔梗は「死人(しびと)」だった。

互いに異形の者ではあるが、桔梗は死人で自分は(一応)生きている。
これが椿が老婆で桔梗が若かったならともかく、同等の若さ(と美しさ)があれば、桔梗に敵愾心を持つ必要もない。
むしろ椿は死人である桔梗に優越感を示す。
それが犬夜叉を殺させようとしたことがばれてからは、立場は逆転、椿は改めて桔梗にかなわないことを自覚。

むしろ畏怖心を持っているように見える。
なるほどこれではかごめにかなうはずもない。
というか犬夜叉とかごめ、互いに人質にして2人を揶揄し、特にかごめを怒らせたことで椿の運命は決まった。
本気で怒れば奈落さえも砕いてみせるかごめの霊力。

結局椿にとっては驕りと欲があだとなったわけだが、だとすればなぜ奈落がわざわざ椿を使おうとしたか、謎が残る。
「もう少しましな働き」って一体何を期待してたのだろう。

この頃の奈落は自分が画策したことをきちんと見届けてがっかりしたり悔しがったりしていたものだ、懐かしい。
最近では投げっぱなし。
たとえば神楽を死ぬまでのわずかな自由を与えて解き放ったが、その後神楽の姿を見続けていたら、神楽が救われたことを知ったことだろう。
奈落が決して得られないもの、愛する人に与えられた至福のひと時、見守られた死。

私はむしろその姿を見届けて悔しがる奈落が見たい。
かえすがえすも人の心を失った奈落が残念だ。
などとまとめてしまったが、椿編はまだ2話続く。
 (2006年3月23日の日記) 
苦戦は続く
原作少年サンデー2000年12月13日(2.3合併号)第197話「式神」

     ☆     ☆     ☆

霊力vs法力。
弥勒の破魔の札に集中力をそがれた椿に、かごめが矢を放つ。
矢ははずれ、椿の「桔梗のまがいもの」発言にかごめの堪忍袋の緒が切れた?

それにしてもいつも桔梗を背負って比べられると感じるかごめに、桔梗へのコンプレックスから逃れられない椿。
どこか共通点のあるふたりの巫女だが、それをどうはねのけるかがふたりの違いだろう。

あせった犬夜叉も式神の妖怪を倒し、弥勒も蛇型妖怪を断ち切ったが、椿にはまだ余裕がある。
かごめの呪いも解けないままに次回に続く。

これで終わっては短すぎるので?式神のことも書いてみたい。
作品中で式神を使うのは桔梗、椿、そしてたぶん奈落。
神楽や神無は完全なる分身だろうが、最猛勝や傀儡はある意味式神と言えるかも。

(それにしても最近さっぱり見なくなった最猛勝(と桔梗の死魂虫)、ちょっと寂しいかも。
夢幻の白夜もいるのだが、場つなぎの印象が強くいまいちキャラが立っていない)。

歴史上有名なのは陰陽師安倍晴明。
紙だの蝦蟇だのあらゆる物を使って式神を作っていたが、実際はそれほど融通の効くものではなかったらしい。
自宅(現晴明神社)のそばの戻り橋という所にいつも置いておき、そのせいで戻り橋を渡って会いに来る源博雅を事前に察していたなどという逸話が夢枕版「陰陽師」に掲載されている。

その意味でも椿の霊力自体は決して中途半端なものではなく、妖怪に魂を売ったことによって増幅されていたのだが、むしろ精神の方が追いついてなかったような気がする。
奈落だって体を喰らわせた相手は雑魚妖怪、もちろんその時は四魂の玉もなかった。
奈落なり桔梗なりかごめなりが、むしろ四魂の玉に頼らず使命感や執念の力で霊力や妖力を高めていったのに比べ、やはり椿には四魂の玉に頼りきる心の弱さがある。

私はこの椿の中途半端さにむしろ共感しやすいが、それにしても犬夜叉、まだてこずっている。
結局20巻最終話で話はすっきり完結するが、コミック派にとっては、21巻の発売日を待ちわびることなくすんでよかったのではないだろうか(笑)。
 (2006年3月24日の日記) 
椿の結末
原作少年サンデー2000年12月25日(2.3合併号)第198話「呪い返し」

     ☆     ☆     ☆

呪い返しは自分、あるいは自分側の人間に向けられた呪いを、呪いを放った者に返す術だが、当然のことながら呪いを放った者より優れた霊力なり法力なりが要求される。
そして返された呪いは放った者に向けられ、呪いを受けるのも自分となる。
呪う側によほどの自信と力がないととても危険な術なのだが、己の力を過信しすぎた椿はついにかごめにより呪いを返された。
結局かごめが自分の力で決着をつけたというのもおもしろいが、逃げた椿を狙った鉄砕牙は椿には届かず、椿は逃げ去る。

魂を売った妖怪たちも死滅し、四魂のかけらも奪い返された椿、原作では描かれていないが目の鱗状の傷?も治らず老いさらばえていくのだろう。
もしもこれが少年漫画でなければ、椿には自らの死という結末しか残されていないような気がする。
それほど見た目の若さと美しさにかける椿の執念は凄まじいものだった。

ところがアニメの感想でも書いたが、アニメでは最猛勝にかけらを奪われた椿が一気に老化し、灰になって死ぬ。
まあ死に方としては七人隊などと同じ、ぼかした描き方だからともかくとして、椿としてはどちらが幸せな結末だっただろう。
私は生き延びる原作よりも、死を迎えるアニメの方が優しい結末だったように感じた。

以前はとにかく原作との違いばかりに囚われていたが、久しぶりに見直すと原作同様、作品を通して製作に携わる側を眺めるような気持ちになってきた。
その意味で紅白巫女や巨大式神(犬夜叉とかごめ)などのオリジナルをかき分けて、椿という女性の葛藤や人間味がオリジナルとして見えてくる。
常に子供向けを意識しているように感じたことも、ならばいっそ椿を生かしておいた方が原作どおりだしわかりやすいところ、あえて死なせた。

脚本の千葉克彦氏、男性である。
男性なだけに女性に対して冷酷になりきれなかったのだろうか、などと考えるのもまた楽しい。
ちなみに千葉氏脚本のアニメには好きなエピソードが多い。
阿毘編で城の人々を殺す琥珀と珊瑚の再会や殺生丸とりんのオリジナル、山犬妖怪などしっとりした女性の感情を描いた作品が記憶に残る。

桔梗物にもあったかどうかは残念ながら忘れてしまった。
怒涛のオリジナルの何作かや男の子活躍物も書かれているが(笑)、やはり本分は女性物かな?と思ってみたり。

特筆すべきは最後の桔梗の台詞。
「私に負けたおまえが―かごめに勝てるわけがない。」
所詮椿は眼中にないともいえるし、かごめに対する絶対の信頼感ともいえる。
さらに犬夜叉の背で寝たふり?かごめの「好きで一緒にいるんだから・・・」

椿編を終えて犬夜叉と椿をはさんで離れていく二人の少女。
かごめのやすらぎと桔梗の静けさと。
やはり「犬夜叉」にはかごめと桔梗、ふたりがいないと作品として成立しないんだなあと思わせられた最後のシーンだった。
 (2006年3月25日の日記) 
初恋はただ一度だけ
原作少年サンデー2001年1月10日(6号)第199話「石の花」

     ☆     ☆     ☆

なぜ今更ながらのタイトルなのか、アニメを見た人にはわかるはず(笑)。
やはり「黒い雲母」のこうめ、「七宝奥義」のみずきと続いたことで原作ファンにはむしろマイナスイメージが強くなってしまったことも懐かしい思い出。
「黒い雲母」はオリジナルの中ではいい話だったと思うから、むしろ七宝の初恋などと設定しない方が良かったのかもしれない、今にして思えば。

「犬夜叉」ではゲスト妖怪以外のキャラ、なずなや露姫、志麻など名前つきの少女キャラがとても印象が強い。
(少年キャラはあまり印象に残るキャラがいない)。
サツキも初登場からインパクトが強かった。
干し柿を盗んだと村の子供にいじめられていたところを七宝に助けられるが、実はしっかり盗んでいたというオチにサツキのたくましさがよく出ていたと思う。

反面兄の死を受け入れることができず、石英のかけらに翻弄される。
もうひとつ興味深いのが、これまで作品中に出てきた中で、唯一「四魂のかけらを見切ることのできないキャラ」であるということ。
アニメ名羅刹の勘助みたいに悪心を持って四魂のかけらに執着するようになると四魂のかけらに気づくようになるとか?まさかだけど。

さてサツキのいる村にたどり着いた犬夜叉一行は、というより弥勒は人のよさげな名主の家に、妖怪が救っていると言って入り込む。
全然信用していない仲間たちだが、弥勒の話は本当だった。
お札によって追い出されたのはイモリ妖怪、たいした敵ではなさそう。
ところがこのイモリがよからぬことをたくらんで、それがサツキ、そして七宝に関わっていくわけだが、その辺はとてもおもしろくて「石の花」は大好き。

以前も書いたが高橋先生が渡辺久美子さんの七宝声に触発されて描かれたという有名なエピソードでもある。
アニメがとてもほのぼのと暖かくて大切に作られた感じも好印象だった。

          ☆          ☆          ☆

今キャラソン副音声のスペシャルトークを聞いているが、ああこれかって思ったのが、feat.桔梗に関する発言。
脚本があってその通り話しているだけだと思うが、たしかに犬桔派には辛いコメントかも。
主役は犬夜叉とかごめというのが大前提であっても、犬夜叉の恋ではかごめと桔梗はどちらも主役、大切にして欲しかったなあと思う。
個人的には犬夜叉と桔梗のしっとりしたデュエットがあってもいいような気がする。

そこ以外の他声優さんのコメントや山口さんと雪野さんのおしゃべりや物まね?はおもしろかった。
でも副音声も本編と同じくらい長いので、通して聴くのはしんどいかも、七人隊からは明日聞こうっと。
一度聴いたらもう聴くことはないと思うが(もったいない?)、キャラが歌うというより声優さんがキャラ「を」歌うって感じで予想以上に楽しめた。

次回出すならやはり「犬夜叉&鋼牙シリアスバージョン」「犬夜叉&鋼牙ギャグバージョン(合いの手かごめ)」「犬夜叉&桔梗」「奈落&桔梗」「楓、冥加&刀々斎」とかお願いしたい(笑)。
「七宝&雲母」なんていうのも可愛いかも。
 (2006年3月31日の日記) 
心の人助け
原作少年サンデー2001年1月17日(7号)第200話「砕かれた夢」

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旅を続ける犬夜叉たちはさまざまな人々に関わっていく。
奈落が直接関わることのない時は、報酬のあるなしに関わらず妖怪退治もする。
そんな中、犬夜叉たちの優しさが出会う人の心を救うことも多い。
七宝ががんばったサツキ、闘う弥勒に打たれた小春、妖怪だから悪いわけじゃないことを犬夜叉に教えてもらったなずななど。

けれど犬夜叉たちにとって彼らは本当に束の間の時を過ごすだけの存在で、どんなに心に思うことがあってもいずれ別れが来る。
作品の中で犬夜叉がすれ違う人々はわりに淡々と別れを受け止めるが、彼らと犬夜叉たちの違いは何だろう。
そんな問いに答えてくれるのが七宝。
「おらと関わったばかりに。」

犬夜叉一行のメンバーは多かれ少なかれ特殊な能力を持っている者たち。
半妖犬夜叉は鋭い爪と鉄砕牙を持ち、当然ながら人には真似のできない身体能力を持つ。
巫女のかごめは霊力と四魂の気配を見抜き、瘴気や邪気を浄化する力、法師の弥勒は法力と風穴、退治屋珊瑚は飛来骨と妖怪に関する豊富な知識。
そして猫又雲母のおかげで珊瑚たちは空を自在に飛び回ることができ、七宝、あれ、七宝は?えっと癒しと狐妖術といざという時のがんばりか。

小春やサツキには何もない、足手まといになるだけ、そして危険なだけ。
それがわかるから小春も最後は弥勒についていくことをあきらめるし、七宝もサツキに別れを告げる。
番外編として、七宝が成長したサツキに出会う話など読んでみたいなあと思ったこともある。
それほどに健気な七宝、がんばる七宝、そしてひとつ大人になった七宝にしんみりしながら読むことができた。

七宝と入れ替わりに登場する犬夜叉の粋な計らいもさることながら、全てを感じてその上でやはり七宝が助けてくれたのだと、「ありがとう」と言うサツキもいじらしい。
そして兄の死を認めず、意地をはって生きてきたサツキが素直に生きることを学ぶ。
犬夜叉たちは常に人助けを意識しているというわけではないのだが、それでも出会う人々の心に何かを残していく。
この時期のこんな話はとても好きだった。

次回は本筋に戻って鋼牙と神楽、そして朔の日の犬夜叉が登場する。
 (2006年4月1日の日記) 

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