犬夜叉サンデー感想(第211話〜第220話)
鬼蜘蛛から無双へ
原作少年サンデー2001年4月4日(18号)第211話「鬼蜘蛛と無双」

     ☆     ☆     ☆

薬草を腕に抱え、洞穴に入ってこようとする桔梗。
横たわる鬼蜘蛛の目に映る桔梗の姿は、これまでの桔梗の中でもベスト5に入れてもいいくらい印象的なカットだと思う。
犬夜叉も楓も誰も見たことのない桔梗の姿。
洞穴の中で桔梗は鬼蜘蛛だけを見て鬼蜘蛛に触れていた。

けれども動けない鬼蜘蛛には妄執をただ募らせることしかできず、その妄執が狭い洞穴の中にこもって無数の妖怪を呼び寄せた。
そして奈落が生まれたのだが、では喰われた鬼蜘蛛は?
奈落=鬼蜘蛛であろうとか、奈落の中で鬼蜘蛛は死んだのだろうとか、当時いろいろ考えたのだが、ここで無双が明らかにしてくれる。

奈落が誕生した時、奈落の中に鬼蜘蛛はいた。
しかし意識はあっても身体は思い通りに動かせず、愛しい桔梗を引き裂いてしまう。
さらに犬夜叉を封印し、死ぬまでの桔梗の姿を見せつけられる。
恋しい桔梗も欲しかった四魂の玉も燃えてしまった、そして奈落により強制的に眠りについた。

それでも意識のないまま桔梗を殺そうとする奈落の邪魔をし続けた結果、廃棄物として捨てられる。
そこから出てきた無双こそがかつての鬼蜘蛛だった。
不死身の身体を持つ無双は、犬夜叉への嫉妬と恨みをさらけ出す。
身体を砕いても再生する無双に犬夜叉は苦戦するが、その頃奈落も思いもかけない事態にあった。

奈落の右腕(ちょうど無双が犬夜叉に砕かれたのと同じ右腕)が勝手に形を変えようとしている。
奈落の身体は無双と同化し、その影響を受けてしまうようだ。
つまり無双の身体、鬼蜘蛛の心は奈落を作る無数の妖怪の「つなぎ」というわけ。
奈落が捨てるわけにはいかないものだった。

それで奈落は最猛勝を放って、捨てたはずの無双を守っている。
「まだ鬼蜘蛛とは縁が切れんようだな。」
静かな口調、静かな表情だが、この頃の奈落は素の部分を見せることが何度かあり、共感しやすい部分があったように思う。
(今は単なるラスボス。)

結局無双は桔梗に会うことなく奈落の身体に戻されることになるが、その前に是非桔梗に会って欲しかったとおもう。
問答無用で破魔の矢の餌食になりそうだが、その寸前に奈落に救われる?ことにして。
鬼蜘蛛と桔梗の対決、大きな見せ場になったのではないかと思う。
 (2006年4月27日の日記) 
無双の心臓
原作少年サンデー2001年4月11日(19号)第212話「心臓」

     ☆     ☆     ☆

奈落により生み出された分身は全て心臓がなく、その生死を奈落に握られているのだとずっと思っていたのだが考えてみたら悟心鬼もあっさり犬夜叉に殺されてたし、神無は奈落を裏切る怖れは100%ない(なんせ無だし)から、もしかしたら神楽だけが心臓を持っていなかったのかもしれない。
元々束縛を嫌う風の心を持つ神楽を生み出した奈落、神楽の自由への葛藤も裏切りも全てが計算のうちだったのかも、と思う。

無双は元々奈落に捨てられた分身だから心臓があるのは当然として、その背中に鬼蜘蛛の痣があるのが解せない。
無双が鬼蜘蛛自身の心だから痣があるなら、逆に神楽達にあるのがおかしい。
ならばあえて奈落が奈落ファミリーの証、謀略の象徴としてくっつけたとしか考えようがない。

白霊山で人の心を捨てた奈落にその後鬼蜘蛛の痣はあったのだろうか。
逆に人の心を取り戻した今の奈落に鬼蜘蛛の痣はあるのだろうか。
私論としては白霊山後、奈落の背に痣はなく、人の心を取り戻しても桔梗を慕う鬼蜘蛛の心は置いてきた奈落にも痣はないと思うのだが。
もしあるとすれば、それは奈落の趣味だろう(笑)。

ここで無双の鬼蜘蛛の痣のある場所がすなわち無双の心臓で、そこを斬ればさしもの無双も死んでしまうことに気づくのは弥勒。
しかし止めを刺す前に無双の身体は最猛勝によって運ばれて行ってしまった。
無双は奈落に守られていると犬夜叉は考えたが、実は次回が無双にとっての最終回。
アニメを見てからではあっけないと思える最後だった。

アニメではここでも奈落から逃れ、桔梗への狂気を膨らませる展開となる。
おそらく無双編でのアニメでの引き伸ばしの一番の成功例ではないかと思う。
 (2006年4月30日の日記) 
取り込まれた無双
原作少年サンデー2001年4月18日(20号)第213話「半妖 奈落」

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今回の表紙の犬夜叉と弥勒の表情が凛々しくて好き。
背景には最猛勝を飛ばした奈落、羽でもなく花でもなく蜂を飛ばす奈落、麗しい(笑)。
原作の無双は鋼牙にぶち切られた生ゴミくんと同じ扱い、犬夜叉たちや神楽の目の前で奈落に飲み込まれていく。
ここは是非アニメのごとく、無双の想いをもっと膨らませてほしかった。

この無双の姿に神楽は自分の運命を感じ取るが、話はさらっと半妖問題に移ってしまう。
弥勒が奈落は半妖かと問う。
神楽が犬夜叉の朔の秘密を奈落にばらしたかと試しているのだが、これは実は諸刃の剣。
半妖である犬夜叉が人間になる日があるのは当然、犬夜叉が一番弱体化する日となる。

これまで奈落は1日24時間毎日犬夜叉たちを見張っていたわけではないようだが、その気になれば朔の日を見つけるのは時間の問題だろう。
弥勒の問いは、神楽の沈黙を確認すると共に、犬夜叉の弱点を奈落に教えているようなもの。
当時はなんとも思わなかったが、今にして思えば奈落が朔犬に興味を示さないことを前提とした設定で、若干の無理を感じる。
全ては奈落の気まぐれで片づけられているが、時に姿を消すかごめを追わないことなどもう少しきっちりとストーリーに載せても良かったのではないかと思う。

高橋先生の他作品に関しては知らないが、こと「犬夜叉」に関して言えば、「描きたいこと」に囚われるあまり、ないがしろにされる部分もないとは言えないのではないかと思う。
それも物語がここまで続かなければおそらく気づかなかった部分。
ストーリーのマンネリ化、ループ化はよく指摘されることではあるが、もうひとつ長く続くことにより設定の粗が見えてくるということもあるのではないだろうか。

もちろんこの無双編の頃はそんな小さな部分は問題ではない。
とにかくおもしろく、とにかく熱中した、ただそれだけ。

さて無双を取り込んだ奈落は、犬夜叉のように人間になる代わりに自分の身体を分解し、「強い所をより強く組み直し― いらぬものを捨て、さらに強く」したことを告げる。
その証拠に犬夜叉の風の傷を阻む結界を作り出してみせる。
犬夜叉が進化すれば奈落も強くなり、鉄砕牙を鍛えれば奈落も変化する。
この犬夜叉と奈落の際どい攻防がこの時期一番の見所だった。

今回のベスト台詞。
奈落の「ほお犬夜叉・・・
おまえの頭もたまにはものを考えるのだな。」
どんな時にもユーモアを忘れない?奈落がいい(笑)。

次回は百鬼蝙蝠、そして半妖紫織が登場。
人でないことの苦しみ、妖怪でないことの悲しみ、虐げられる半妖紫織に向ける犬夜叉の眼差しが優しい。
 (2006年5月1日の日記) 
半妖紫織
原作少年サンデー2001年4月25日(21,22合併号)第214話「百鬼蝙蝠」

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百鬼蝙蝠編が他の妖怪退治と違うところは、「人間」を苦しめる妖怪に出会って退治するのではなく、最初から自分のレベルアップのために殺しにかかること。
刀々斎が百鬼蝙蝠の存在を犬夜叉に告げなかったのはそのためだろう。
また犬夜叉自身も結界の守り役である妖怪を斬ることにためらいはない。
ここに犬夜叉の非常に矛盾したものを感じるのは私だけだろうか。

結果的に紫織が半妖の少女だったから斬らなかったが、たとえ相手がどんな妖怪であれ、犬夜叉にとって害をなす者でなければ斬らなかったことはわかっている。
だが紫織に会うまでの犬夜叉の態度、たまたま紫織に百鬼蝙蝠という人間に害をなす存在が現れてくれたから反転犬夜叉は正義の味方に戻ることができた。
こんな矛盾を抱えこんだ半妖紫織の物語であるが、人身御供として百鬼蝙蝠に紫織が差し出されるところから話は始まる。
しかし紫織はその百鬼蝙蝠の一族月夜丸と紫織を差し出す女性とに間に生まれた半妖だった。

この村でも犬夜叉のように、地念児のように虐げられて生きてきた紫織。
母は、ならば妖怪の中で暮らした方が紫織も生きやすいだろう、百鬼蝙蝠側では紫織の能力を必要としているからと願ったのだろう。
半妖は人間世界で虐げられると同じように、妖怪世界でも虐げられるとは思いもよらないことだったのだろう。
そんな少女を斬りに来たことに犬夜叉は気づく。

紫織を差し出したにもかかわらず村は殺され、怒った村人たちが紫織の母を襲っているところに出くわしたのが犬夜叉たち。
母を助けた犬夜叉たちは話を聞くことになるのだが、ここで興味深い会話がなされる。
「犬夜叉」における大きな疑問は、人間と妖怪、愛し合って子供を産んで、その子供に負わせるもののことをこの犬夜叉や地念児や紫織の父母は考えているのだろうかということ。
しかもいかに母であれ、(人間からすれば)異常に長生きする子供を抱えた人間である母親が死んだ後の子供がこうして苦しむ子供たち。

この作品の割り切れないおもしろさに普通の漫画の枠を越えて強烈に惹かれるんだろうなあと思う今日この頃。
それだけに単なる悪との対決に納まってしまった最近の展開に特殊なおもしろさを感じないのだろう。
最近の「犬夜叉」は普通の漫画としておもしろいだけだ。

そして紫織の母が犬夜叉に投げかけた言葉の意味は重い。
「半妖だからって、妖怪に劣ってるわけじゃないし、人間に劣ってるわけじゃないってこと・・・」
この言葉、かごめや桔梗の口から出ることがなかったのはやはり妖怪という異形の存在と、そこまで直接関わってはいないせいなのだろうか。
いつの日かかごめなり桔梗なりが生き抜いて犬夜叉と添い遂げて子供が生まれたあかつきに、初めて生み出される言葉だろうか。

このように描かれた世界以上のことを考えてしまう、想像してしまう、だから「犬夜叉」はおもしろい。
少年漫画を設定して描いておられる高橋先生がそこまで意識されてるかはまた別なのだけれど。
けれど覚悟があって妖怪と添い遂げた親たちに比べ、生まれながらにして半妖の宿命を背負わされた者たちの人生の過酷さはやはり切ない。
少なくとも紫織と地念児は犬夜叉と出会うことによって救われたが、同時に犬夜叉自身も彼らとの出会いにより少しずつ妖怪と人間の垣根を越えているのだろう。

こればかりは奈落を倒したところでどうにもなるものではなく、犬夜叉が越えていくべきもの。
ただしこれが半妖が生まれながらに住む村ではなく、普通に行き会う場所場所では普通に人間と交友できているので、「犬夜叉」後の世界で人間と妖怪はどんどん近づいていったのだろう、そしていつしか妖怪は人間に吸収されていったのだろう。
もしかしたら今でも見た目は人間そっくりの半半半半妖くらいはいるかもしれない。
 (2006年5月8日の日記) 
5年前の発売日
原作少年サンデー2001年5月9日(23号)第215話「紫織の結界」

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ふと気がついたのだけど、今日の「紫織の結界」が出たのは5年前の今日だ、5月9日。

この週のアニメは奈落に騙され、犬夜叉と戦った珊瑚が誤解は解けたものの四魂のかけらを抜き取られ、苦しむあたり。
当時はサンデーも買っておらず、やっと最初のEDに出てきた女の子が「珊瑚」なことを知った頃、懐かしい。

もうひとつ余談だが、きのう変な夢を見た。
「高橋留美子ツアー」なるものがあって、参加しようとバスに乗ったらなんと運転手が高橋先生。
ちゃんと制服に帽子まで被ってる!

でも係のおじさんに「運転中は危険ですので運転手に話しかけないで下さい。」との注意が、ひえ〜。
やっと会場の温泉に着いて先生の講演。
なんと百鬼蝙蝠の紫織の肌の色はインドの神様ブラフマー(梵天)をイメージしたものである。
(梵天は男性神だし夢の中のことだからもちろん全然関係ない。)

愛と平和をもたらす神として(実際は梵天はそのような神ではない)、村に愛と平和をもたらすために作ってみましたと紙に書いてまで力説された。
ちなみにその字はとても下手だった(^_^;)(もちろん夢の話)。
その後高橋先生と温泉に入りながらいろいろおしゃべりできるのだが、私は入れなかった、なぜなら私は夢の中では「男性」だった。
その「事実」に愕然としつつ、いいなあ女の人は、どんな話してるんだろなんて思っているうちに目覚ましが鳴って目が覚めた。

「高橋留美子ツアー」はもちろん「犬夜叉松江ツアー」だし、高橋先生の運転手は松江レイクラインの運転手さんが赤いおもちゃの兵隊みたいな制服を着た女性だったことが印象に残っていたのだろう。
百鬼蝙蝠は今書いてる紫織編、温泉は先日行った玉造、そして梵天は「戦国BASARA」の伊達政宗について調べてて、政宗の幼名が「梵天丸」だったから?
おかしなもんです、夢。

本題に入って表紙のかっこいい犬夜叉を堪能してから、犬夜叉、紫織と母と共に百鬼蝙蝠の巣へと向かおう。
洞窟の入り口で血玉珊瑚を抱え、結界を張る紫織がいる。
母は人間界でいじめられるのなら、紫織を必要とする百鬼蝙蝠に渡せば大切にしてくれるだろうと思っていた。
その甘さを指摘するのは犬夜叉。

「妖怪ってのはなあ、絶対に半妖を仲間と認めねえんだよ。
 たとえそれが身内でもな。」
その脳内に浮かんでいるのは異母兄弟の兄殺生丸だろうか。

母も約束を破り、さらに村を襲う百鬼蝙蝠の姿を見てしまう。
犬夜叉の鉄砕牙も紫織の張る結界を傷つけることができず、母の元に帰りたい紫織の葛藤も続く。
ここで紫織と出会うことは、結果的に紫織を救うことになったもなったが、犬夜叉にとって得るものも大きかっただろう。
鉄砕牙が赤く染まり、強くなったという物理的な強さだけでなく。

この時期のこういった登場キャラの心理を深く掘り下げたエピソード、とても好きだった。
 (2006年5月9日の日記) 
月夜丸
原作少年サンデー2001年5月16日(24号)第216話「父の願い」

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もう何度読み返したかわからない「犬夜叉」だが、その中で何度読んでも胸が切なくなるエピソードがある。
真由とタタリモッケ、琥珀が殺してしまう城の人々(阿毘姫)、そして紫織編。
犬夜叉や奈落に直接関わる者たちの悲劇も切ないが、本筋に直接関わることのない、けれど犬夜叉が出会う者たちの悲劇。
特殊な強さを持たないだけに、そして優しい者たちであるだけに余計切ないエピソード。

紫織も確かに半妖であり、結界を張る特殊な力の持ち主ではあるが、本性は母を慕う健気な少女。
その母を想う心、娘を想う心を利用して母の手から紫織を奪い取った大獄丸がいる。
大獄丸が約束を守ると信じていたうちはまだ耐えていた母と娘だが、今回明らかにされたのは、妖怪世界を捨て、人間の元へ走ろうとした月夜丸が大獄丸に殺された事実。
犬夜叉はその真意を語らないが、弥勒と珊瑚が大獄丸(妖怪)と村人たち(人間)に向けた犬夜叉の気持ちを推し測る。

戦闘場面と心理の場面が見事に混じり合って言いようのない緊迫感を醸し出していく今回、そして次回犬夜叉と紫織の怒りが爆発することになる。
22巻を手にすると第1話の「無双」から第5話「半妖 奈落」までつい一気に読んでしまい、第6話「百鬼蝙蝠」に入ると最終話「赤い刃」までさらに一気読みしてしまう。
これはやはり邪なりの無双の葛藤、半妖としての犬夜叉、そして紫織の葛藤が迫ってくるせいだろう。
もうひとつ大切なこと、それは妖怪でありながら人間と「共に」生きる道を選んだ、犬夜叉以外唯一の妖怪、月夜丸の存在。

月夜丸は紫織親子だけではなく、犬夜叉にとっても忘れられない存在になったろう。
余談だがアニメで月夜丸を演じ、「紫織・・・」の一言ながら強い印象を残す鈴木琢磨さん、百鬼蝙蝠編の前編「紫織親子とアイツの気持ち」では紫織をいじめる村人の一人を演じておられた。
前編では紫織をいじめる村人、後編では紫織をかばう父親、「犬夜叉」では西前忠久さん初め何役かこなす声優さんは多いが、役名つきキャラで同じエピソードの中、ここまで正反対の役をされたのは、たぶん鈴木さんだけだろう。

月夜丸でとても印象の強い声優さんになったが、後でNHKアニメ「雪の女王」で女王に仕える青トロルで出演されているのを偶然見かけた。
「雪の―」は見たり見なかったりだったが、見るとつい気にしてしまう声優さん。
ついでにもう一人最近気になる声優さんがいる。
今見ている「BLOOD+」で小夜の義父ジョージを演じておられる大塚芳忠(ほうちゅう)さん。

私はアニメより洋画の吹き替えでお馴染みの声優さんだが、とにかく渋い。
ジョージはわずか6話にして死んでしまったが、その小夜達を包みこむ暖かさと、小夜をかばった死に様も忘れられないものとなりそうだ。
ちなみに西前さんも時々出演されている。
 (2006年5月11日の日記) 
結界の力
原作少年サンデー2001年5月23日(25号)第217話「紫織の力」

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今回はむしろ次回のクライマックスに至るまでのつなぎの部分だが、当時の鉄砕牙ではかなわなかった紫織の結界の強さと、大獄丸が父月夜丸を殺したことを知った怒りにより紫織が結界をコントロールしてのける部分が強く印象に残る。
結界の外にはじき出された大獄丸は犬夜叉の爆流破の餌食となり、一件落着?と思わせて次回ホラー映画のような1エピソードが続くのだが、ここで終わってもいいくらい犬夜叉の台詞が決まった回だった。
(もちろん次回のエピソードがあるから話もさらに盛り上がるのだが。)

今アニメを見直しながら書いているが、原作では大獄丸に襲われた紫織の母にだけ視線が向けられているが、アニメでは落ちていく紫織をしっかり狸(八衛門)さんが助けている場面が追加され、嬉しかった。
原作では紫織の村から帰る時のみ登場する狸さん。
弥勒がいつもどうやって呼んでいるのか気になるところ。

PS犬夜叉ではマップの所々に「八衛門」と書かれた石が置いてあって、そこでだけ移動できたっけ。
でも狸を使うとしっかり銀500を取られるのでなるべく雲母(ただで運んでくれる)を使うようにしたことなど思い出した。
こういう八衛門狸のちゃっかりしたところもきちんと捉えているこのゲーム、好きだったな。
さすがにもう遊ぶこともないだろうけど。

さて大獄丸を「退治」した犬夜叉、もちろん鉄砕牙を強くするために紫織を「斬る」つもりはない。
それは当然として、ここまで読んだ、あるいは見た人は「えっ、この玉(血玉珊瑚))を斬ればいいんじゃないの?」と思ったのでは?
実は私もそう思った。
で、次回を読んで「やられた〜。」とうるうるした(笑)。

引っぱるにしてもさすがの手法だよなあ。
「半妖」をテーマにここまで掘り下げた百鬼蝙蝠紫織編は、原作でもアニメでもとても好きなエピソードのひとつとなった。

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今週のサンデーのかごめに対する感想に関して4通メールを頂きました。
同調してくださる方2通、批判してくださった方2通、本当にありがとうございます。
批判してくださったメールの内容は、1通が責められるべきは犬夜叉で、かごめだけを責めるのはかわいそうというものと、かごめへの期待が高すぎるのでは?というものです。

ああそうかもしれないなあと思いました。
同時にもし日暮かごめが実在の人物だったり、たとえば俳優さんが演じておられるキャラだったらもっと遠慮があったかもしれないです。
どうしても架空の人物と思ってしまうので言いたい放題になってしまったのかも。
でもそれを読んでくださる方がどう思うかはまた別問題で、特にかごめにとても共感されてる方にとっては読みやすいものではなかったかもしれないなあと反省することしきりです。

もうひとつ犬夜叉に関しては、かごめほどの思い入れがないせいでしょう、煮え切らなくてもだからどうとはあまり思わないのかも。
男性キャラについては、ミーハー度100%の鋼牙は別格として思い入れ度で言えばむしろ中期奈落、最近の殺生丸、睡骨、風穴に関する弥勒の方がどうしても上になってしまって犬夜叉を素通りしてしまったのでしょうか。

公正かどうかという意味ではやはり「考察」をしている以上、難しいことではありますが、きちんと考えて書かなければいけませんね。
ご意見どうもありがとうございました。
  (2006年5月12日の日記) 
紫織の未来
原作少年サンデー2001年5月30日(26号)第218話「赤い刃(やいば)」

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犬夜叉が斬るべきは、紫織ではなく血玉珊瑚だった。
だがそれだけではなく、犬夜叉は血玉珊瑚に何か邪悪なものを見て取る。
だが血玉珊瑚は自身の力で結界を張り、犬夜叉の鉄砕牙を拒む。
血玉珊瑚の中には前回滅びたはずの大獄丸の怨念が残っていたのだった。

そして大獄丸は紫織を道連れにしようと襲い掛かる。
さすがの犬夜叉も間に合わず、しかし紫織親子を救ったのは別の結界だった。
大獄丸の結界が邪悪なものならば、この結界は父の愛溢れたまばゆい光。
消える直前、結界の中から現れて紫織に触れたのは父月夜丸の手だった。

大獄丸の怨念の残骸を斬り裂いた犬夜叉の鉄砕牙は、同時に血玉珊瑚をも両断する。
大きく波打ち、赤く染まる鉄砕牙、犬夜叉の紫織を救おうとした心が鉄砕牙のパワーアップにつながった。
理想的なレベルアップだったと思う。

結局血玉珊瑚の中に、父月夜丸、祖父大獄丸の魂と言っていいのか、死んだ者の魂が入り込んで結界を張る力となっていたものだろうか。
大獄丸と月夜丸、この邪悪な父と優しき息子の魂が紫織の生死を分ける一瞬に爆発した。
もしも大獄丸がただ紫織の力を必要とするだけだったら、ここまで人間を、半妖を蔑む妖怪でなかったら、ここまでドラマチックな物語にならなかっただろうと思うが、実はこれでハッピーエンドとはならないのが「犬夜叉」。

紫織は母と二人生き残る。
地念児編と違い、生き残った村人が紫織親子にこれからどう接するかは描かれていない。
当然母は紫織よりもずっと早く死んでいくだろう。
紫織の結界を張る力はどうなったのか。

血玉珊瑚が消えてその力もなくなったならば、紫織はか弱き少女に過ぎない。
ただの人間ならば無視されるところ、なまじっか妖怪の血を引くばかりに妖怪の中でも注目されてしまう半妖の立場。
その未来を心配する弥勒に犬夜叉が「苦労がこわくて、半妖なんかやってられるかってんだ。」と言い放つが(笑)、犬夜叉の強さ、戦う強さがない紫織にはこくな未来が待ち受けるだろう。

できればその後、紫織と再会するエピソードも読んでみたい気がする。
「犬夜叉」ではほとんどのゲストキャラとは一度別れたらそれっきり、だが普段は武蔵の国の中を歩き回っているのだから、来たついでに様子を見に来たって感じでなずなや小春、紫織や新太郎など犬夜叉たちと出会うことによって人生が変わったキャラたちのその後を見せてくれたら楽しいのだが。
なずなにいつもの台詞が飛び出す弥勒とか、村の青年と結婚し、幸せな生活を築いている小春を見てがっかりする弥勒とか、あれっ!?(笑)。

それでも22巻最終話は心のどこかが暖かく、ほのぼのとした気持ちで閉じることができる佳作だった。

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私が最近夢中になっている「BLOOD+」ですが、ハジに続き、人気急上昇したのが弥勒こと辻谷耕史さんの演じられている金髪の貴公子ソロモンです。
先日久々に辻谷さんの「サイト」で3月の日記(diary)ですが、ソロモン役について書かれていました。
ほんと辻谷さんの声って若い役でも年取った役でもぴったりハマりますね。
  (2006年5月14日の日記) 
りんと琥珀
原作少年サンデー2001年6月6日(27号)第219話「さらわれたりん」

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コミックも23巻に入り、第1話は神楽にさらわれたりんが琥珀と出会うエピソードだが、アニメではキャラ大集合の豪華版「豹猫四天王」、名作「珊瑚目指してオンリーユー」、そして殺生丸と邪見の出会い?がオリジナルで描かれる「邪見の鉄砕牙ブン取り作戦」が入ってこのエピソードとなる、懐かしい。
ちょっと前の話になるが、スカパーで「犬夜叉」を見始めたFさんからメールを頂いたことがある。
子供が好きなので録画してなんとなく見てましたが、なんとなくミロサンファンになって「珊瑚目指して―」でやられましたといった内容だった(笑)。

「さらわれたりん」を読んでたらなんとなく見たくなって「珊瑚目指して―」を引っ張り出して、ついでに「豹猫―」も見てしまった。
「豹猫―」では鋼牙も殺生丸も大活躍するので、あれこれ考えずに見ると素直に楽しめる。
さて24巻表紙は三強、赤い鉄砕牙を抜き放つ犬夜叉に殺生丸、そして具合の悪そうな?奈落。
表紙をめくると可愛い邪見、白黒の表紙は家でくつろぐかごめとブヨと続く。

月夜の晩の瓜泥棒はりんと邪見。
殺生丸が怖いからと言って律儀に見張りをしている邪見がやっぱり可愛い。
だがそこにやって来たのは神楽だった。
「犬夜叉」におけるキャラのおもしろいところは、犬夜叉のような熱血タイプと対角に神楽や殺生丸のようなクールなタイプを置いたこと。

この時の神楽も奈落に対する憎しみは別として、感情の起伏があまり見られない。
相手を殺したくて殺すわけでもなく、だからと言って嫌なわけでもなく、全てがごくごく簡単な行動として行われる。
もちろん実は熱い心を胸に秘めていた、といった展開も後に出てくるのだがこの神楽や奈落、桔梗や殺生丸のクールさは、犬夜叉たちのいかにも主役な熱さと好対照で、そのバランスがとても好きだった。

アニメで弥勒と珊瑚が出てくる前、犬夜叉、かごめ、七宝の三人旅の時は、それぞれの声優さんの声の高さにおもしろさとは別の部分で辟易した部分があったし。
これが逆に殺生丸と奈落と桔梗しか出てこない物語だったら読んでる方も気鬱になるだろうし。
犬夜叉たちの熱さと殺生丸たちの冷たさ、互いに煽りあって打ち消しあっておもしろさを盛り上げる。
熱さが勝るとうるさくなるし、冷たさが勝るとおもしろさが減る。

それもあったな、「犬夜叉」のおもしろさ。
今まであまり突き詰めて考えたことはなかったけど。
そしてそれが同じ高橋作品でも「うる星やつら」や「らんま1/2」との違いかも。

話がそれたが神楽はりんをさらい、琥珀に見張らせる。
奈落はりんを人質にとり、殺生丸に犬夜叉を殺させようとするが、それは奈落の真意ではない。
殺生丸もおとなしく犬夜叉を殺しに行くはずもなく、奈落が結界を弱めた?城に入り込む。

次回奈落の真意が明らかになり、奈落の城でのねちっこい戦闘が始まることになるが、ねちっこいながらもその麗しさは犬夜叉には出せないものだろう。
すると今度は犬夜叉の豪快な鉄砕牙捌きが読みたくなり、いい具合に現れる犬夜叉に拍手喝采を送りたくなる。
そこがアニメではひたすらねちっこく、度が過ぎるほどねちっこく、犬夜叉が来るタイミングや、殺生丸の奈落のお肉の包まれ具合の異常な長さやそれらの全てがおかしい。
でもそれはそれでおもしろいのは久しぶりに見たせいか。

ただここでりんと琥珀が出会うのは奈落の計算ではあるまい。
己を持たない琥珀だから、単なる見張りに過ぎないだろうが、ここでりんと琥珀が出会ったことで琥珀と殺生丸のつながりができる。
奈落は知っているのか、天生牙の持つ意味を。
そして今になっても殺生丸に琥珀を救うことを願わない珊瑚たち。

りんと琥珀の出会いから続く天生牙と琥珀の命の関係がどのように終結するか、興味は尽きない。
ここまで引っ張るということは、私は天生牙では琥珀を救えず珊瑚たちもそのことを知ってるという設定なのかなあなどと思っているのだけれど。
  (2006年5月16日の日記) 
45巻と読み比べ
原作少年サンデー2001年6月13日(28号)第220話「奈落の目的」

    ☆     ☆     ☆

最初に今日買ってきたコミック45巻から。
「鋼牙出放題」で文句なしのおもしろさ。
サンデーで毎週読むよりコミックで通して読んだ方が絶対おもしろい不思議。

養命酒から始まり(溶命樹の葉っぱは綺麗な赤だ)、白黒の表紙は優しい表情で寄り添う弥勒と珊瑚、そして裏表紙は傷だらけの鋼牙。
一番印象に残るのはどんとアップの表紙の犬夜叉。
本を開いたまま伏せると、鋼牙がさらに痛々しい。

鋼牙は妖狼族の加護を使い切ってしまい、溶命樹を吸収した奈落が遂に赤子&魍魎丸を吸収する。
奈落を前に凄絶に戦う弥勒が力尽き、看病する桔梗に葛藤をぶつける珊瑚。
何と言っても「第10話 瘴気の傷」の表紙の弥勒の横顔がいい。
覚悟を決めた男の顔だ。
けれど弥勒の死こそが珊瑚の最大の悲しみであることを考えると、命を大切にして欲しいと思う。

おもしろかった45巻だが、その後23巻を読むと45巻の絵が変わって来ていることをどうしても意識してしまう。
もちろん美しい絵もあるが、全体的に硬く、男性が描いた少年漫画のヒーローみたいな時もあるし、なんとなく不安定な印象を受ける、なぜだろう。
45巻で鋼牙と犬夜叉がにぎやかに広い空の下戦っていると思えば、こっちでは奈落と殺生丸があくまでも麗しく、どこまでもねちっこく狭い城の中で戦っている。
奈落は飛ばないし、殺生丸もほとんどその場所から動かない(笑)。

そばで見ているのは神楽だが、特に殺生丸の心配をしていないのがおもしろい。
かけらを持って会いに行ったばかりだが、それはLOVEではなく、HELPのみだったのか、まだ。
奈落がやろうとしてるのは、神楽の予想通り殺生丸を吸収してその妖力を自分のものにすること。
45巻では鋼牙を相手に同じことしてる、進歩のない奈落。

けれど鋼牙や殺生丸は欲しいが犬夜叉はいらないってのもおもしろい。
身体能力など犬夜叉が劣っているとは思えないのだが、やはり朔の日など余計なものがついてくるのが嫌なのだろう。
戦いの最中に犬夜叉が飛び込んでくるのだが、それは次回に置いといて別の場所では琥珀とりん。
取って来た瓜をりんが食べているのが、すいか割りしたみたいな原作と、琥珀の鎌でちゃんと切り分けたアニメの違いもおもしろい。

琥珀はこの時食べてないが、琥珀って食べ物を必要とはしないが普通に食べれるんだろうか、ふと思った。
城の中で大勢の人に混じって暮らしているし、不信感も持たれないのは生きてるから?
でも七人隊もお酒飲んだりしてたから、桔梗も普通に食べれるのかな?
りんのおしゃべりになんとなく和んだ様子の琥珀。

この2人の出会いは後の大きな伏線となる。
これがまだ琥珀に天生牙という流れにはなっていないが、意外とりんに頼まれれば殺生丸も一番素直に引き受けそうだ。
けれど和やかな時間は長くは続かず、琥珀は珊瑚が来たことを知る。
  (2006年5月18日の日記) 

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