犬夜叉サンデー感想(第271話〜第280話)
蛇骨の最後
原作少年サンデー2002年7月3日(31号)第271話「鼓動」

          ☆          ☆          ☆

美しき殺戮者、蛇骨が遂に退場する。
止めを刺さないのはともかく、四魂のかけらは取るべきだろうが念頭にないらしい。
結局蛇骨を殺したのは煉骨だった。
かけらを奪い、その様子を最猛勝にしっかり目撃されている時点で煉骨も退場間近の予感大。

それにしても美しきキャラは死に様も美しい。
雑魚物妖怪だとぶつ切りの肉片になってその辺に散らばったりしているが、死人であれば灰となって消えてゆく。
逆髪の結羅や神楽などもそうだったし、桔梗もそうだがイメージを損なうことなく退場することを意識しているのだろう。
逆に現実に眼を背けさせていると言えないこともないが。

七人隊の中では蛇骨の死に様も好きだが、睡骨のかけらを奪って止めを刺した報いを受けていることになるのだろうか。
そんな「自業自得」という言葉を全く意識していない蛇骨の性格、けっこう好きだ。

そしてついに桔梗と白心上人が出会う。
奈落に出会って弥勒と戦って、そして桔梗に会ってしまう白心上人。
白心上人は出会う相手によって自分も変わるが、同時に鏡となって相対する相手の心模様を映し出す。

奈落は成仏できずにがんじがらめに縛られていた白心上人の心を解き放ち、弥勒は力による成敗を試みるが失敗。
しかし魂が解き放たれただけでは白心上人の心は救われなかった。
白心上人の厳しすぎる善性が、解き放たれてなお白心上人を苦しめる。

桔梗は白心上人を図る。
白心上人の苦しみは、かつて桔梗がたどった、そして乗り越えた道だった。
だからこそわかる白心上人の苦しみ。
救ってやろうとか癒してやろうという気負いもなく、ただ相対する桔梗。

人は完璧でないから人として生きられる。
人を恨み、命を惜しみ、だからこそ人であるということを桔梗は諭す。
そしてそんな自分を貶めるのが人であるならば、そんな自分を受け入れるのもまた人。
受け入れることで見えてくるものもある、安らげることもある。

桔梗にとって犬夜叉を恨みながら死に、恨みに凝り固まって蘇ってから乗り越えるまでの道のりは、この時のための壮大なプロローグであり、この時白心上人を救い、成仏させたエピソードはその後の自身の安らかな死の壮大な伏線となる。
その意味で桔梗は登場キャラの中でも一本筋の通った描き方をされているキャラだと思う。

それにしてもこの七人隊編、人の善性とは一番遠いところにいるような存在に白心上人を絡めた意図がどこにあるのか、興味深い。
残念ながら七人隊編がこの時期に入って間延び傾向にあったために、この桔梗と白心上人の問答のおもしろさが生かされなかったような気もする。
さらに「人の善性とは一番遠いところにいるような存在」と書いた七人隊の生き残りがとても人間的なおもしろさを見せるのだが、それもまた評価されていなかったのが残念だった。

七人隊が人気爆発したから話が長くなったのか、実際のところはわからないが、読んでいてそのような印象を受けることは否定できない。
次回は七人隊編もクライマックス、最後の七人隊との戦いが始まる。
(2006年7月23日の日記)  
また二人・・・
原作少年サンデー2002年7月10日(32号)第272話「聖域の消滅」

          ☆          ☆          ☆

今回さらに二人が去って行く。
煉骨と白心上人。

共に死んで後蘇ったのは同じだが、一人は救われ、静かな眠りにつく。
一人は殺そうとした相手に先手を打って殺される。
生来の頭の良さが災いしたとは言え、あまりに煉骨哀れである。
相手の殺気を読み取る嗅覚が研ぎ澄まされているような気がして、この時の蛮骨がとても好きだけど。

なんだかんだで超個性的な殺戮集団をこの若さで束ねていた凄みが伝わってくる。
しかも蛇骨を殺し、自分を裏切った煉骨を躊躇なく殺しながらも寂しげな顔を作ってみせる雰囲気もいい。
仲間を殺したという意味では」、睡骨を殺した蛇骨も同じなのだが、かけらを蛮骨に渡した時点で許されるという都合のいい解釈もいかにも蛮骨。
しかしこの後、独りになったと寂しがる表情は紛れもなく本物。

自分が手にかけた煉骨の恨みさえも犬夜叉に、そして奈落に乗せて敵討ちを決意する。

いよいよ犬夜叉は七人隊最後の生き残り蛮骨との最終決戦を迎えるわけだが、七人隊の魅力は「矛盾の魅力」なのだと思う。
まあ凶骨、霧骨、銀骨は置いといて、だが蛮骨、蛇骨はその最たる例だろう。
睡骨はむしろ二重人格としての矛盾をあからさまに打ち出していたために、蛇骨や蛮骨のような複雑な魅力とはならなかったように思う。

もちろん私が好きなのは、彼らよりもう少し大人の次元で矛盾を抱え込んでいた睡骨だけど。
「ったく、頭のいいやつはバカだなあ。」が蛮骨今回の名台詞。
「ハチの頭」は意味がよくわからなかったが、この台詞はわかりやすい(笑)。

一方桔梗と相対していた白心上人は聖なる結界を解く。
桔梗を試すようなことを言いながら、素直にその身をさらけ出したのは、やはり心が救いを求めているからだろう。
桔梗は白心上人をその腕に抱くが、救おうとはしない。

人でありながら人を救おうとするおこがましさを桔梗は知っている。
同時に恨みの念が人の心に巣食えば人は縛られ、苦しむことも知っている。
だが白心上人が苦しんでいたのは恨みのせいではなかった。
求める自分になりきれず、あまりに厳しいその善性で弱い自分を認めることができずにいた。

人は弱いものだと、だからこそ人なのだと受け入れた白心上人は今度こそ静かな眠りについた。
しかし桔梗の旅はまだ終わらない。
心安らかに死んで行ける者は幸せだ。
睡骨、そして白心上人。

桔梗が心安らかな死を迎えることができるのは、まだまだ先のこととなる。
そして旅はさらに過酷なものとなる。

白心上人に関するテーマ、「人の心」と私は思っているが、それはそのまま奈落に受け継がれていくものだろうと当時思った。
桔梗への愛憎、犬夜叉への嫉妬。
実は奈落に関して言えば、奈落の心にはこれしかない。
(強い妖怪になるといった気持ちもここに付随してくる)。

かごめや弥勒や珊瑚や鋼牙は奈落の人の心に直接関わってくる存在ではない。
かごめは桔梗の生まれ変わりだし、弥勒は祖父が奈落退治で関わっただけ。
対象が弥勒でなければならない、珊瑚でなければならない理由はなかった。
珊瑚は退治屋の存在が邪魔だったからだし、鋼牙はかけらが欲しかった(のはかなり後になってから)。
殺生丸に至っては、最初は犬夜叉の兄だという理由で利用されただけだった。

後にそんな言葉では片付けられない深い関わりが出てくるのだが、たとえ奈落が人の心を捨てても直接心がつながっているのは犬夜叉、ですらなく桔梗ただ一人だろう。
その愛憎の念は奈落を縛り、奈落を苦しめる、はずだった。
謀略を駆使して好き放題しながらも、奈落の心の奥底にある鬼蜘蛛の心、桔梗を慕う心が好きだった。
桔梗が白心上人に向けた言葉は、そのまま奈落に救いがあるとすれば奈落に向けてもおかしくない言葉だった。

ところがこの後、奈落はまさに白霊山に人の心を捨ててしまう。
単なるラスボスの奈落じゃつまんないなあと思ったりもしたのだった。
(2006年7月24日の日記)  
蛮骨の敵討ち
原作少年サンデー2002年7月17日(33号)第273話「回廊の底」

          ☆          ☆          ☆

白心上人が成仏し、聖なる結界が消滅したことにより雲母、七宝も元気になる。
辛い様子は見せていなかったが、当然同じ場所にいた鋼牙たちもきつかったに違いない。
そして蛮骨と犬夜叉の弔い合戦も始まった。

しかし七人隊の死に様を考えてみると

凶骨→鋼牙に殺された。
霧骨→殺生丸に殺された。
銀骨→煉骨の爆雷筒に巻き込まれたが、煉骨に四魂のかけらを抜かれた。
睡骨→桔梗に破魔の矢で射抜かれるが、蛇骨に四魂のかけらを抜かれ、止めを刺された。
蛇骨→犬夜叉の鉄砕牙で断ち切られるが、煉骨に四魂のかけらを抜かれ、止めを刺された。
煉骨→蛮骨が殺した。

で犬夜叉が直接殺したメンバーは一人もいないことがおもしろい。
かけらを抜かれなかった場合の銀骨、睡骨、蛇骨があの状態で生き延びることを考えるとかえって怖いが、実際はどうなのだろう。
かけらがある限り死人(しびと)でも生き続けることができるはずだが。
蛇骨の「ダメだ こりゃ。」は「もう生き続けることは無理」の意味だろう。

もちろん蛮骨は承知の上で、むしろ傭兵として奈落との契約をきっちり果たすために犬夜叉に挑んだのだろう。
犬夜叉を倒し、契約を果たした上で奈落がかけらを奪おうとするのなら奈落を殺す、そう考えていた。
後で奈落の言葉により、蛮骨の「敵討ち」だったことがわかるのだが、私としてはむしろ仲間の死を悼みながら(煉骨も含め)も契約のために犬夜叉に戦いを挑む設定の方がおもしろかったかなと思う。

生前も(過剰殺戮はともかくとして)契約した仕事はきっちりこなした七人隊。
きちんと仕事をしていた(つもり)なのに殺されたことは七人隊の側に立ってみれば理不尽なこと甚だしかったろう。
それでも戦国時代においてすら危険すぎて生きる場所のなかった七人隊、その首領の蛮骨は最猛勝に奪われなかった分の仲間のかけら+かごめのかけらをフル活用。
さすがの犬夜叉も増幅された蛮骨のパワーの前には苦戦を強いられる。

一方巡りめぐって元の回廊に戻った弥勒と珊瑚。
聖なる結界の消滅によりあふれ出したのは「邪気」ではなく「妖気」。
回廊の底には「おもしろい」奈落の顔。
小さな顔。

なぜ奈落が持つ「気」が邪気から妖気に変化したのか、明かされるのはまだ後だがこの最終ページは別の意味でインパクトがあった。
特に白心上人を誑かす?いえ解き放つ奈落の優しげな表情を美しいと思い、好きだった直後だから余計笑えるカットだった。
(2006年7月25日の日記)  
戦いは続く
原作少年サンデー2002年7月24日(34号)第274話「ふたつの気配」

          ☆          ☆          ☆

今回は犬夜叉と蛮骨、弥勒&珊瑚と神楽の戦いがメインで、話はほとんど動かないのだが、各キャラの台詞の中にいくつかヒントが出てくる。
これほどされても「神楽を憎めない」とのたまうた弥勒がいたが、ここでも神楽の風を避け得たことがむしろ不思議、といった扱いを受ける。
もしくは神楽の方に二人を殺す気が最初からなかったのか、弥勒はそれを早い時期から気づいていたのか。

ここで神楽が風の刃(やいば)を放ったのは、弥勒たちに見られてしまった?奈落を逃がすためだろう。
その隙に消えた奈落。
弥勒はこの期におよんで逃げるとは、奈落は未だに不完全な状態にあるのだろうと推理する。
犬夜叉の朔の日に当たる、奈落体の組みかえ期。

弥勒の推理は正しかったが、自分の目で確かめろと珊瑚共々回廊の底に落とされる悲惨な展開。
弥勒と珊瑚、とっくに人間の限界超えてるような、やってることもやられていることも。

一方パワーアップした蛮骨に苦戦しまくりの犬夜叉。
蛮骨はいくら悪党でも所詮は人間、その妖気のないことが犬夜叉の爆流破を阻む。
それを踏まえて奈落は盾として七人隊を選んだと犬夜叉は推理する。

ここは設定上はそうだろうが、少々疑問も残る。
睡骨の言葉や、犬夜叉たちが始めて七人隊の噂を聞いた時の会話などを思い返すと、七人隊は蘇ってからかなり長い時間がたっているような気がするのだが。
お医者の睡骨に殺人鬼の時の記憶がなければ、生前とごっちゃにして「いろんな村で治療をほどこして回り、ここ(睡骨が桔梗と出会った村)に居ついた」という言葉が出てくるのかもしれない。

それでも死人(しびと)から目覚めた瞬間の睡骨が善人と悪人のどっちだったかでその後、この村に来るまでの展開も変わってくるだろうし(おそらく目覚めてからはずっと善人)。
もうひとつ、七人隊の噂が広まり、彼らを殺した戦国武将たちが寄り集まって作られた討伐隊の一隊が蛇骨のために全滅するエピソードにしても展開がスムーズ過ぎる。
この流れで言うなら、奈落はかなり早い段階で七人隊を目覚めさせ、白心上人を蘇らせ、結界を張らせて「いざという時の隠れ場所」を作っていたことになる。
白霊山の噂も桔梗が出会う瀕死の男(桔梗に遺髪を託す)も知ってた白霊山の噂。

下手すれば犬夜叉の爆流破誕生後間もなく、となってもおかしくない。
こういった部分は高橋先生はあえて?描かれないことが多く、台詞から想像することになるのだが、そうすると流れから読み取れる設定と、後になって明らかになる事実とがうまくかみ合わないこともある。
現在のサンデー、天生牙の秘密に関する殺生丸と母君、刀々斎の関係などもそのひとつと言えるのではないだろうか。

先生はむしろ頓着しない人って感じで私はむしろ好きだが(笑)。
理路整然としたものより、こういった行き当たりばったり感が強い物語の方が突っ込みがいもあるし。
他のシリアス系作品「人魚シリーズ」などにはあまり感じなかったこの不思議感(全くないわけではない)が「犬夜叉」に多いのは、やはり連載期間の長さだろうか。

そしてもう一組はかごめと鋼牙(と仲間たち)。
かごめが感じた四魂のかけらの気配、しかも二か所からの、はひとつは蛮骨、ひとつは奈落。
一応琥珀もその辺をうろうろしているのだが、距離が離れているのかかけらが一個のせいか、この時点のかごめは気づかない。

「案内しろ、かごめ!」と先陣切って飛び込んでいく鋼牙、こんな場面ももう見られないか、と今は笑うよりもため息のひとつもつきたくなってくる。
まあ最初から四魂のかけらをどっかから奪って?拾って?持っていた鋼牙だから、かけらを見切る目は持っているということで。

最後は再び犬蛮戦に戻り、いよいよ犬夜叉の反撃が始まる。
今考察日記は犬夜叉と蛮骨最終決戦中、アニマックスはそのちょっと前の睡骨が豹変するあたり、そして声優さんの資料「アニメ犬夜叉最強トリオ」が鋼牙vs煉骨戦のあたりなので、自分の中で七人隊モードがごっちゃになって、七人隊の退場する順番、蛮骨が犬夜叉や琥珀と会った回数など、かなり混乱している状態。

つまり原作の後期七人隊編を読んで、アニマックスで中期七人隊編を見て、DVDで初期七人隊編を見ているわけ。
なんか気持ちの中で七人隊が妙に盛り上がっているのがおかしい。
鋼牙と桔梗退場で一段落した現在のサンデーより盛り上がってるって、絶対変。
でも頭の中で七人隊祭り開催中、楽しい(笑)。
(2006年7月27日の日記)  
再び反撃
原作少年サンデー2002年7月31日(35号)第275話「蛮骨の力」

          ☆          ☆          ☆

対蛇骨戦に続いて再び犬夜叉の反撃が始まる・・、のだが、考えてみれば犬夜叉にとって苦戦→反撃はいつものパターン。
最初から相手が弱くちゃ物語にならないわけで、最初に百足上臈や屍舞烏で一撃必殺の強さを見せてくれたけど、逆髪の結羅戦からはほとんど苦戦続きだ。
いえナマズ妖怪とかイモリ妖怪なんかもいるけどこの際パスして(笑)。

そのために犬夜叉はいつも戦っている印象が強い。
時折心理描写も入るが、それにしても延々戦かっている印象が強い。
その相手にかごめの破魔の矢や弥勒の風穴を見舞えばあっという間に片付くのだが、そういうわけにもいかず、かごめたちがギャラリー&解説者に回る傾向が一時期強かった。
さらに今回のようにメンバーが別々の場所に分かれるとか、さまざまな工夫をこらし、犬夜叉以外も見せ場を作るようになったが、それでも気づけば犬夜叉は戦っている。

ただその工夫が、今度は戦闘場面の描写の冗長につながっているような気がしないでもない。
煉骨、蛇骨から蛮骨に続く犬夜叉の戦闘場面も間延びしてしまった感が強い。
この点アニメは30分にまとめ、音楽や効果音、声と動きを加えることによっておもしろさと迫力を際立たせていた。
私は他の少年漫画に詳しくないが、少年漫画に描く数少ない女性漫画家として、高橋先生の戦闘描写はどうなのだろう。

仰々しい描写が少なく、心理状態にこだわる分、迫力もまたないような気がするのだが。
そんなこんなの犬蛮戦もいよいよ終わりに近づく。
四魂のかけらでパワーアップされているとは言え、尋常ではない蛮骨の強さ。
次回蛮骨はここで犬夜叉を殺し、邪魔するのなら奈落すら倒して生き延びる決意を見せる。

だが100%の読者がそれはかなわないことを知っている。
まあ蛮骨がゲストキャラであることを除いたとしても、やはりそう思ってしまう理由がある。
蛮骨の強さはいわゆる力技。
真っ向勝負の強さ。
この点犬夜叉や珊瑚と同じ強さと言えるだろう。

しかしそんな強さは奈落に太刀打ちできるものではない。
奈落と対を張れるのは、本来ならばかごめや桔梗の霊力、そして弥勒の法力。
風穴が弥勒の死に直結していることや、かごめの矢が滅多に当たらないという奈落にとっての好条件のおかげで救われている部分はあるが、私が妖気&邪気を操る奈落を倒すべきは犬夜叉ではなく、かごめか桔梗と思っている理由はここにあった。

奈落の妖力は鋼牙や殺生丸(や七宝)の妖力とはまた別個のものなので、余計そう思ったのかもしれないが。
さて、そんな肉体的な強さをいくらパワーアップさせたところで、蛮骨に未来はない。
今始まった犬夜叉の反撃により、蛮骨も危うくなったところで次回に続く。

もう半分は弥勒と珊瑚。
神楽によって回廊の底に落とされるも、途中で珊瑚が踏みとどまる。
弥勒が見たのは妖怪の残骸と奇妙な肉塊。
ここに奈落がいたのだが、妖怪の残骸はともかく、この肉塊が何を意味するのか、種明かしもまた後になる。

こうして三方に分かれていた犬夜叉、弥勒と珊瑚、かごめたちがひとつに終結した時、始まったのは最終章か、それとも新たな始まりか。
もしもアニメがなかったら「犬夜叉」はその後どのような展開を迎えていたか、考えてみるのもおもしろい、詮無いことではあるけれど。
(2006年7月28日の日記)  
七人隊の終焉
原作少年サンデー2002年8月7日(36,27合併号)第276話「両断」

          ☆          ☆          ☆

鳴り物入りで登場した割には印象の薄かった蛮骨だが、その死に際に犬夜叉との会話で強い印象を残す。
自分たちのことは棚に上げて、の前提付きだが傭兵として散々利用されながら、最後はその大名たちに殺された。
たしかにその残虐ぶりが要因だったのだが、蛮骨側の立場に立つと、それを承知でこき使っていたではないか。
散々利用しておいて、用済みとなれば危ないからと殺す、雇用側の勝手さは、蛮骨の人間不信を煽るに足る理由となる。

奈落に対する不信感など、蘇った七人隊の中でも、そこまで考えていたのは蛮骨だけではないだろうか。
奈落が蛮骨を蘇らせ、事情を説明してかけらを渡し、後は任せたということもあるだろうが、他メンバーはそもそも思い至っていなかったようだ。
出番の少ない凶骨、霧骨はともかく蛇骨は人生享楽型だし、睡骨は自分のことで精一杯、煉骨はどこか蛮骨の隙を窺っているような状態だった。
銀骨も出番はあったが、あまり物事を深く考えるタイプには見えなかったし(笑)。

肝心の蛮骨の最後は長さの割にはあっけない。
ただしこの後登場した奈落によって、さらなる蛮骨賛歌が描かれることになる。
「死人(しびと)」ではあったが人間だった七人隊。
もしも彼らが死人ではなく生きた人間の立場で同様の殺戮をしていたとしたら、果たして犬夜叉は蛮骨を殺せていただろうか。

犬夜叉の「退治」の基準はその行いだけではなく、相手が人間か妖怪かに尽きる。
蛮骨が生きた人間ならば殺せなかったとしたら、死人=人間を否定したことになり、桔梗に対する大いなる矛盾を生じるのだが。
案外七人隊で犬夜叉が直接殺したのが蛮骨一人という結果は、この矛盾をなるべく読者に意識させないようにする苦肉の策だったのかもしれない。

ほとんどが七人隊のメンバー同士の殺し合いで、他に殺したのが鋼牙と殺生丸という細かいことにこだわらない二人であったこと。
ちょっと犬夜叉びいきが過ぎるような気がするのだが。
実際に殺したかどうかよりも、殺す気があったかどうかと聞かれれば、犬夜叉は殺す気満々で戦っていたし、それでいて後で落ち込むかというとそういうわけでもない。
もちろん犬夜叉だって鋼牙を始め、殺さないですましている妖怪はいっぱいいるのだから、なまじっか人間がどうのという意識を打ち出さない方が良かったのではないかと思う。
読者が人間なのだから、主人公が平気で人間を手にかけるようなキャラだと生理的な部分で引かれてしまうということはあるだろう。

ならばいっそ犬夜叉が人間を殺す対象とする場面がない方が、ずるくはあるけど矛盾は抱え込まずにすんだのではないだろうか。
そういった矛盾もまた犬夜叉というキャラ設定だと押し通すならば、残念ながら犬夜叉は私にとって魅力的なキャラではなくなってしまう。
まあ実際は「七人隊=人間=犬夜叉が殺せる相手かどうか」というテーマは七人隊編においては意識されなかったのだと思う。
たしかにそんな矛盾を感じさせない七人隊としての魅力と、絡めてきた白心上人の存在でうまくぼかされてはいたが。

私としてもそんなことを考えながら読んでいたわけではなくて、当時は単純におもしろかった。
過去を遡って感想を書こうなどと思わなければ、触れることもなく終わっていたと思う。
過去サンデーの感想を書くこと、今だから書けることも当然あるけれど突き詰めすぎてしまうことも多いわけで、こうして書き続けることがいいのか悪いのか、正直言ってわからない。
今回は蛮骨の死と同時に、周りの壁が変化を始めるところまで。

蛇骨といると、年齢そのままに少年のイメージが強かった蛮骨だが、犬夜叉との戦いの中ではむしろ落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
アニメでは犬夜叉その2みたいな感じのキャラだったが、私はテンション上がりまくりのアニメ蛮骨よりもこっちの方が好きだった。

余談。
今「世界ふしぎ発見」見ながら書いているが、「犬夜叉」の曲が使われており、懐かしかった。
あと「完璧」の語源がクイズで登場。
以前「犬夜叉」で出てきた「不妖璧」を私は「不妖壁」と勘違いし、壁を背負って逃げてく奈落を想像したことがある。

壁(かべ)ではなく璧(たま)ですよ、と教えていただいたりと、それもまた懐かしい。

余談もうひとつ。
過去のサンデー感想が終わったら書こうと思っていた高橋先生のインタビュー(大学漫画)の感想だけど、これだけは先に書いておきたい。
先生自身のコメントじゃなくて磯部涼氏の文章より。

 「うる星やつら」が78〜87年、「らんま1/2」が87〜96年と、きっちり10年間ずつ連載してきたことからすると、「犬夜叉」もそろそろエンディングを迎えてもいいはずで(以下略)

「犬夜叉」は96年11月13日に連載開始となった。
この計算でいくと2005年11月頃が終了と計算されるが(笑)、この頃は灰と芯太が登場したり、鋼牙が五雷指披露したりの部分、終われない・・・。
ただインタビューを読むと、先生自身が「終わるまい」じゃなくて、「まだ終われない」と思っていらっしゃることがわかり、心強かった。

もうひとつ先生のコメントで、奈落が「らんま」の久能に見えてくるとかおもしろいのがたくさん。
でもこれはある意味ショックなコメントだった。
(2006年7月29日の日記)  
奈落の中で
原作少年サンデー2002年8月21日(38号)第277話「肉壁」

          ☆          ☆          ☆

「犬夜叉」に限らず、漫画もアニメも映画も架空の世界であることは重々承知。
傷があっという間に治ろうと、服がいつもきれいだろうと、髪型が一切崩れなかろうとそういうものだと思って見てきた。
実際は妖怪の血を被り、ほとんどお風呂に入ることもない生活、かごめ以外はほとんど着たきり(珊瑚は2着だが)のメンバーなど汚いんだろうな、と思う。
そんな「架空の設定」までもぶち壊してくれたのが、今回の「肉壁」、「にくかべ」と読む。

やっと合流できたものの、奈落の「腹わた」に絡め取られた犬夜叉、「粘液」にまみれた弥勒と珊瑚、「胃酸?」の洗礼を受けたかごめと七宝、雲母。
鋼牙にいたっては「喰われている」状態。
私自身が「匂い」に神経質なせいか、このあたりの場面はいろいろ想像してしまい、生理的に駄目だった。
しかも自分のおなかの中に「顔」がある奈落・・・。

このエピソード掲載時は夏のさなかだったし、ある意味グロテスクなホラー漫画の世界。
そのイメージを避けるために奈落の体内でもあくまでも清らかに描かれる犬夜叉たちだったが・・・。
結局この時点では「人の心」も肉塊として体内に捨ててる奈落だが、場所的に奈落の体内じゃなくても良かったんじゃないかなあと思う。
まああまり想像しなければどこでもいいのだが。

さて、喰われた鋼牙を追いかけたかごめたちは回廊の底に落とされ、肉塊に埋もれていた弥勒と珊瑚に再会。
同時に蛮骨との戦いを終えた犬夜叉も、奈落の腹わたに絡め取られたまま下方から突き上げられてくる。
実はこの時、奈落が新しい体披露の欲求に負けずに、一組ずつ殺していたら、ここで「犬夜叉」は終わっていただろう。
意識のない犬夜叉、喰われたままの鋼牙さえ殺してしまえば、気をつけるべき風穴の弥勒と破魔の矢のかごめも始末はたやすい。

結果的にみんな集めて大演説を始めたことで、殺しそこねる結果となる。
こんな場面が続くから、「引き伸ばし」感が強くなってしまうのではないだろうか。
学習能力のない奈落。

というより引き伸ばしの半分は奈落が担当しているから、一番大変なのも奈落かも。
アニメでよく私は犬夜叉がアニメ犬夜叉を、かごめがアニメかごめを演じているという風に捉えていたが、案外奈落も台本読みながらぶつぶつ言ってたかもしれない。

「犬夜叉」の物語を進めまいとすると、ゲスト妖怪が登場するサイドストーリー、恋愛関係(犬夜叉メインや弥勒メインで)、レベルアップ(主に鉄砕牙)が描かれることが多いが、ゲスト妖怪も初期のエピソードごとに登場した個性豊かな妖怪に比べ、中期から後期はあまり印象のないキャラが多い。
ぱっと思い出そうとしても、私が印象深かったのは、灰と芯太の妖狼兄弟と金禍銀禍くらいか。

恋愛関係はこれまで何度も書いてきたが、鉄砕牙のレベルアップは、一応は爆流破会得が刀自身の最高で、あとはおまけという解釈だろうか。
ストーリーを「引き伸ばし」の観点で捉えていくと、たしかにこの白霊山は奈落対犬夜叉の最終決戦にふさわしい場所であるようだ。
ではこの時まとめて終わっていれば良かったかと聞かれれば、私は嫌かも(笑)。

「犬夜叉」はやはり終わるべくして終わるのがいい。
(2006年7月31日の日記)  
8月1日 新生奈落
原作少年サンデー2002年8月28日(39号)第278話「新生」

          ☆          ☆          ☆

顔だけの登場だった奈落が、遂にその全貌を現す。
奈落成長のために必要なのは、鋼牙だけらしい。
それでも無視し続けだった七宝にも優しくないけど言葉をかけてくれる。
無視されるのと「か弱い小妖怪(だから喰う価値もない)。」と揶揄されるのとどっちが幸せかはわからないが。

あれだけの耐性を持つ犬夜叉すらいらないとなると、何のために全員ここまで集めたのかわからないことになる。
やはり自分の新しい姿を見せたかっただけなのか。

だがここで蛮骨の遺骸を出してきて、人間の愚かさを、なぜ自分が人間や半妖はいらないかを滔々と語るのだが、逆に蛮骨に対する、人間に対する賛歌に聞こえてこないこともない。
仲間六人が死に、合わせて七つのかけらを得た蛮骨。
ただし凶骨と霧骨のかけらは奈落に戻ったと思うのだが、違うのだろうか。
とにかくかけらを手に蛮骨は犬夜叉に仇討ちを挑むのだが、蛮骨以外に前に書いたように犬夜叉が直接殺した仲間はいない。

鋼牙、殺生丸を含め(桔梗は含まれていないらしかった)、犬夜叉たちのために蘇らせられ、犬夜叉たちのために再び殺された仲間たちの無念をぶつけるための象徴が犬夜叉だったのだろう。
蛮骨は、奈落が邪魔したら奈落も殺すと言っていたが、もし犬夜叉を倒せていたら、その足で逃げずに奈落を殺しに行ってたような気もする。
蛮骨の最大の魅力は、この男気か。

奈落は改めて蛮骨最後のかけらを奪い、骨と墓土に戻った蛮骨。
死者への冒瀆に怒る犬夜叉だが、蛇骨に止めを刺さなかった犬夜叉がここで怒るのが犬夜叉の優しさとする描写ならば、私はどこか違うと思う。
「なにを怒る 犬夜叉。」
今回は奈落の言葉に説得力あり。

それでも奈落にまんまとつかまり、かごめを守れない、仲間を守れない犬夜叉の葛藤は痛いほど伝わってくる。
「新生」の表紙から最終ページに至るまでの犬夜叉の表情を追うだけでも見ごたえがある今回の展開。

そして遂に登場とげとげ奈落。
私はシンプルな方が好きだなあ。
胸の間になんかあるし。

「邪気」ではなく、「妖気」が増した奈落、より妖怪に近づいたと言うことか。
でも桔梗が使えばあっという間に犬夜叉を人間にすることもできる四魂の玉。
かけら1個から始まった奈落の道のりも長かった。
努力の人、奈落。

余談だが、もしも犬夜叉なり奈落なりが四魂の玉を使って妖怪なり人間なりになった場合、四魂の玉は玉として彼らの体内で存在し続けるのだろうか。
これまではかけらを体に埋め込んでも、かけらとして存在するので、取り出されれば元通りだった。
四魂の玉として体内に取り入れられ、一定時間がたてば、溶け出して体と一体化するのだろうか。
そうでなくては困るわけだが。

これまでは蜘蛛頭の体内で溶けてひとつになったり、奈落が集めたかけらを固まりにする場面は見られたが、最後に奈落が妖怪に生まれ変わる瞬間が楽しみだ。
今回は怒りの犬夜叉が風の傷を放つところまで。
しかしこれは反撃とはならず、さらなる危機を呼ぶ予感。
犬夜叉が仲間を殺すことこそ奈落の本当の狙いだろうか。
(2006年8月1日の日記)  
はね返された風の傷
原作少年サンデー2002年9月4日(40号)第279話「妖気の渦」

          ☆          ☆          ☆

今日から29巻。
表紙は顔色の悪い奈落と血色のいい桔梗、なんかおまけっぽい犬夜叉。
次ページはカラーでも地味な耳千里。
さらに白黒ページに入ってかごめの横顔。

表紙の桔梗と同じ向きの横顔だが、かごめの優しい表情、桔梗の寂しげな表情の対比が際立つ。
たしかに29巻のかごめと桔梗はこの表情に象徴されるような出来事に遭遇する。

前回犬夜叉が放った風の傷は奈落に返され、妖気の渦にからめ捕られた。
風の傷は妖気の渦の中でまわり続け、犬夜叉たちを襲う。
かごめが破魔の矢を放つまで皆が無事だったのは奇跡に近い。
珊瑚の飛来骨で弾き返せる風の傷と言うのもどうかと思うが。

遠くから見守る桔梗も妖気の渦に気づくが、そこで見つけたのは空飛ぶ神楽。
矢を放つ桔梗を神楽は殺そうとするが、何者かが神楽を止める。
「桔梗を片付けるのはおまえじゃない・・・」
意味深な台詞を吐く、まあ赤子と書いてしまっていいと思うが、この年齢にして奈落の屈折した恋心に精通しているようだ。

こっちでは桔梗の存在に気づく奈落。
離れていながら視線を切り結ぶ2人のカットがとても好き。
奈落の白霊山での仕事は終わり、残るはひとつ、桔梗の死、自分がもたらす桔梗の死。
犬夜叉たちにもう用はないと奈落は去って行く、鋼牙を連れて。

そこでかごめが気づく。
妖気の渦なら破魔の矢で消せる。
ここで鋼牙(妖怪だから妖気を持ってる)まで浄化されたらどうしようと実は思ったが、矢はうまく当たり、鋼牙は奈落からは開放される。
かごめの破魔の矢が止め刺し役にならないように、かごめは弓が下手に設定されているが、こういう時ははずすわけにはいかない。

かごめの弓の腕は、その気迫に左右されるのだろうか。
今回のかごめの気迫もとても好きだ。
そして風の傷も収まる。
それでも動じない奈落、壁を崩し、鋼牙と共に犬夜叉たちを殺しにかかる。

ここと最終ページの奈落の顔がなんかいやらしい。
奈落の最大の目的は、妖怪になることでも犬夜叉を倒すことでもなく桔梗をその手で殺すこと。
そもそも妖怪になりたい気持ちも、桔梗への恋心に苦しむ「人の心」をなくすためだった。
この辺は実は初期の犬夜叉と共通している。

私は妖怪になれば強い心を持ち、恋や様々な葛藤に苦しむことはないとは思わないのだが、もし妖怪ならば嫉妬の念がないのであれば、犬夜叉の母君と殺生丸の母君は水と空気のような関係だったのだろうなあと思う。
「まるっきり」嫉妬で苦しむ様子のない鋼牙など見ていると、それもありかな?と思えるのが不思議。
そういえば完全な妖怪で心の弱さに苦しむ姿って描かれたことない(私が奈落の心を受け継いだと解釈している神楽はのぞく)。

妖怪界では全てが割り切れる性格の持ち主しかいないのだろうか。
どうも人間と妖怪の境界線が、人間と妖怪ではなく人間と動物の境界線のように見えてくるのだが。
私はむしろ妖怪であっても弱いものは悩み、報われぬ恋に苦しむ姿ってあると思うのだが、その部分はどんどん曖昧になっていって、私の中ではとても不満だった。

ここで奈落が「人間の心」を捨てたことで奈落は桔梗を「殺せる」のだが、「人の心」と「桔梗を慕う鬼蜘蛛の心」がごっちゃになっているのかもしれない。
アニメであまり感情を出さない桔梗にはいろいろオリジナルな台詞を語らせていたのに、奈落にはあまりそれがなかったように思う。
奈落の心の描写が非常に曖昧なために、確固たる解釈の上にオリジナルを入れ辛かったのではないかと、今「吸い込まれる黒い光」を見ながら思った。

犬夜叉たちを地の底に葬りながら桔梗の元へと向かう奈落。
桔梗と奈落の対決は、刃(やいば)を交えて戦う以上の迫力を持って読む側に迫ってくる。
これまで「桔梗を慕う鬼蜘蛛の心」により絶対的優位に立っていたことで油断が生じたか桔梗。
あせる犬夜叉、ほくそ笑む奈落、厳しい表情の桔梗と三つ巴になるかと思っていたのだが・・・。
(2006年8月3日の日記)  
感じ合う心
原作少年サンデー2002年9月11日(41号)第280話「真の目的」

          ☆          ☆          ☆

鋼牙を奈落から開放したものの、意識のない鋼牙の体はどんどん落ちて行く。
犬夜叉はかごめを七宝に託し、鋼牙を助けに行く。
「七宝!」と呼ばれて「なんじゃ?」と出てくる無邪気な顔、久々に印象的なカット、可愛い。
かごめとしても危険過ぎて、これ以上犬夜叉には頼めなかったろうが、自ら助けに行こうとするところがいい。

消化されつつある鋼牙、崩落する白霊山の中脱出を図る2人、かっこいい。
個人的にはこんな時くらい「鋼牙」「犬夜叉」と呼び合って欲しいけど。
こうしている間にも奈落は桔梗の元に向かっているのだが、哀しいかな犬夜叉は気づけない。
そして桔梗の前に降り立つ奈落。

何とか脱出できた犬夜叉たちの会話が入るが、さすがにここでは「それどころじゃないんだよ、犬夜叉!」って心の中で呼びかけてしまう。
とげとげつけて、だらだら引きずって「見て見てボクの新しい体、カッコいいでしょ?素敵でしょ?」とほめてもらいたい奈落を桔梗は一蹴。
傷つく?奈落だが、桔梗が言いたいのは外見ではなく中身だった。
今の奈落は傀儡と同じということか。

奈落が外に出した大切なもの。
それは神楽が運んでいた赤子なのだが、その正体まだ明かされない。
奈落は外に出した物については答えず、桔梗の「真の目的」を聞く問いに実力行使で答えてしまう。
桔梗に触れることができるどころか、桔梗を「壊す」奈落。

血と肉ではなく破片が飛び散る桔梗の体。
桔梗が「人ではない」ことを痛切に意識させられる瞬間だった。
そして遠くにいた犬夜叉も感じる桔梗の危機。
匂いでもなく気配でもなく、心で感じ取ったのは犬夜叉と桔梗の心のつながりゆえだろうか。
(2006年8月4日の日記)  

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