犬夜叉サンデー感想(第281話〜第290話)
二度目の死
原作少年サンデー2002年9月18日(42号)第281話「新しい体」

          ☆          ☆          ☆

奈落は白霊山で神楽に「人間の心」を持たせて逃がした。
後に明かされるが、人間の心はに二つに分けられ、「桔梗を慕う」部分の心は肉塊になって白霊山に捨てられた。
人の心を持つからこそ人の心を理解し、操ることのできる部分、しかも自身は苦しみを感じない、は赤子へと受け継がれた。
29巻は白霊山での死闘を終え、心理戦に入る。

ここで犬夜叉が間に合うかと思ったが、間に合うことはなく、傷ついた桔梗は瘴気の底へと落とされる。
犬夜叉より先に殺生丸が来て奈落に刃を向けるが、逃げられたところに犬夜叉が駆けつけ、桔梗の死を知る。
今回はここまで。
犬夜叉と殺生丸の会話、かごめたちの心模様などは次回のこととなる。

この桔梗の二度目の死の部分、最後の死を迎えた桔梗のエピソード「落日」から「光」へを読んだ後で読み返すと、読む前とはまた違った想いがこみ上げてくる。
桔梗の死後の犬夜叉たちの行動や会話や心理状態や、全てが異なって描かれている。
桔梗の死を認めることのできない犬夜叉、素直に悼むことのできないかごめたち。
この時の描写は、後の「光」に至る桔梗の死を踏まえて描かれたものだろうか。

私はそうだと思う。
もちろん先生が語られるまでは、想像でしか言えないが。
桔梗が安らいで死ぬことで、犬夜叉は桔梗の死を受け入れることができた。
桔梗とわかり合えたことで、かごめたちは桔梗の死を素直に悼む。

それを踏まえて描かれた二度目の死には救いがない。
それだけにむしろ桔梗復活が誰にも予想されただろう。
高橋先生の優しさ、だろうか。
神楽、睡骨、桔梗、鋼牙(鋼牙は死んではいないが)など、たとえ悪事を働いても心に善の部分がある限り、その退場には限りなく優しい。

実際これからも残酷で悲惨な死に方をするりんや弥勒や琥珀など、誰にも想像できないだろう。
同時に思うのは、善人であっても無造作に殺される名もなき人々。
桔梗は桔梗であるがゆえに幸福な最後をとげ、神楽は神楽であるがゆえに満ち足りて死んだ。

以前友達とパニック映画を見に行って、友達は最後まで生き延びるヒロインに激しく感情移入していたが、私はむしろ私だったら真っ先に死ぬ、あるいは殺されるエキストラだろうなあと思った記憶がある。
そんな気弱な私のせいか、「犬夜叉」には限らないが、無造作に殺される人々、真っ先に退場しながら振り向いてもらえない人々への共感が強い。
高橋先生だけではなく、人が生き死にする作品を生み出す上で、優しさの配分は難しいのだろうと思う。

以前そういった人々への関心が少ないような気がすると書いたことがあるが、だからといって懇切丁寧にいちいち描いていたら煩雑だしおもしろさも消えるだろう。
どんな辛い目に会っても優しい目を向けられる存在、ほんのわずかの存在、なれたらいいけどなれないだろうなあ。
自分で自分を自己否定の強い人間だといつも思っているが、それでもここまで踏み込んで考えるのは「犬夜叉」だからだろう。
なぜ「犬夜叉」ならばここまで踏み込むのか、結論付けるとやはり奈落と桔梗の存在ゆえだろう、そう思う。
(2006年8月5日の日記)  
桔梗を探す犬夜叉
原作少年サンデー2002年9月25日(43号)第282話「桔梗の命」

          ☆          ☆          ☆

桔梗が瘴気の底に突き落とされ、奈落と殺生丸の戦闘が終わったところに来たのが犬夜叉。
犬夜叉は折れた弓を手に呆然とする。
犬夜叉は殺生丸が桔梗を見殺しにしたかと詰め寄るが、桔梗を助けられなかったのは犬夜叉だと指摘される。

仮に殺生丸が間に合っていたら、殺生丸は桔梗を助けようとしていただろう。
桔梗に対する関心はなくとも、前に睡骨からりんを助けてもらった恩もあるし。
しかし殺生丸は何も語らずに去る。
大切なのは犬夜叉自身の心、こんな殺生丸、いかにも兄という感じで好もしい。

この時犬夜叉が思い出した桔梗の言葉。

「奈落は私(桔梗)を殺しきれない。
 鬼蜘蛛の心が・・・
 私を慕う心が残っている限り―」

結果的にこの言葉が犬夜叉にとっても桔梗にとっても命取りとなる。
まさか「桔梗を慕う心」を奈落が捨ててくるとは思えないところに二人の油断があったわけだが、それは仕方のないことだろう。
問題は、桔梗復活後、「桔梗を殺せる奈落」が野放しになっているのに関わらず、再び桔梗と離れて旅することを選ぶ犬夜叉。
話が煩雑になるとは言え、桔梗の本当の死に犬夜叉がついていれたのは作者の優しさに過ぎない。

今度こそ俺が守るとは思わないのだろうか、と読んだ当時とても不思議だった。
いくら犬夜叉が強くなっても、桔梗が危険な時にそばにいないのでは守ることもできないではないか。
まあ全ては終わった、結果良ければ全て良し、で、この話題もおしまいにしよう。

その後焚き火を囲んで語り合うかごめたちと鋼牙。
アニメのようにメンバーが順番に語り出したが、まとめ上げたのはなんの曰くもない鋼牙。
この時点で桔梗が犬夜叉の「もう一人の恋人」であることは知らぬままに去って行く。

幼い七宝は「かごめをほったらかしにして桔梗を捜しに行った」犬夜叉を怒る。
犬夜叉の狼狽ぶりに冷静でいられないかごめに桔梗を悼む余裕はない。
この時期は読んでいても、キャラに感情移入できなくてすごく寂しかった。
でもその気持ちを今になってここにぶつける気にならないのは、やはり私の中で「犬夜叉」は終わったからだろう。
(2006年8月10日の日記)  
原作少年サンデー2002年10月2日(44号)第283話「犬夜叉の本心」

          ☆          ☆          ☆

桔梗の「死後」しっくりしない犬夜叉たち。
そんな犬夜叉たちに更なる罠を仕掛けたのは、前に神楽に抱かれて白霊山を去った赤子だった。
もちろん奈落の指示だろうが、今回は桔梗が生きている噂につられて犬夜叉がかごめの元を離れてしまうまで。
その噂を犬夜叉にもたらしたのは、神楽の屍舞に操られた僧。

冒頭の妖怪に殺された村人たち、操られた僧、城で殺された人たち、そして赤子を抱いた城の奥方と巻き込まれて死んだ人々も多く、話自体もどこか陰気な印象を受ける。
桔梗の生死を確かめるまでは心がそこから動けない犬夜叉、自分の気持ちを無理矢理抑えて犬夜叉を送り出すかごめ、とりあえずは旅の主導権は弥勒と珊瑚へ。
その先でかごめたちは城から派遣された侍たちにつかまってしまう。
怪異続きは承知の上、なるべく事を荒立てたくない弥勒たちは素直に捕まるが、それこそが奈落(赤子)の仕掛けた罠だった。

奈落は赤子(魍魎丸と一緒だった)と白童子の2人の子持ちだが、彼らほど大物感たっぷりに登場してあっけなく去った準レギュラー級キャラはいないだろう。
なんでだろうとずっと思っていたが、赤子と白童子、そして夢幻の白夜は所詮物語の引き伸ばし用キャラに過ぎないせいだろう。
奈落が出不精なのは、奈落が出てきて犬夜叉たちと直接対決すれば、そこにはどうしても最終回の予感が生じてしまう、これだけ物語が進んだ後では。
そこで奈落が逃げれば、その回数が増えれば増えるほど読者に「また逃げた」感、倦怠感が生じやすい。

それを避けるために神楽や神無、琥珀に赤子、白童子、夢幻の白夜と奈落代行がどんどん出てくる。
この中で幸せな結末を迎えるであろう(迎えた)キャラは神楽とおそらく琥珀だろう。
神無は正直見当がつかない。
キャラとしてはとても好きだが、神無自身が哀れまれたり、悼まれたりするとこるから程遠いところにいるので展開が読みにくい。

さて、城では弥勒と珊瑚は他の連れてこられた他の人間と共に殺されそうになる。
殺さずに、逃げずにその場を収めるために大苦戦の弥勒と珊瑚。
かごめだけは城の中に連れて行かれ、奥方が抱いた赤子と対面する。
次回が「心の闇」となる。

白霊山でも「(犬夜叉が)一晩中走り回ってる」なんて言ってたが、今回は「蹴散らすのは簡単だけど」の珊瑚に弥勒が「犬夜叉みたいなことを言うな。」などと言う。
犬夜叉に対して恋愛モードにない者から見る犬夜叉ってこんなもんか(笑)。
私の見方もこれに近いっていうか、未だにかごめはともかく桔梗がここまで犬夜叉に惹かれたのが不思議だったりする。
人の好みって本当におもしろい。
(2006年8月12日の日記)  
心の闇
原作少年サンデー2002年10月9日(45号)第284話「心の闇」

          ☆          ☆          ☆

ただ一人、城の奥に連れ込まれたかごめは赤子を抱かされてしまう。
かごめの心の闇を捉え、琥珀のようにかごめを操る作戦に出た赤子。

心の闇とは何か。
かつて幻影殺を仕掛けられた時、かごめだけが幻影殺が効かなかった。
それを私はかごめの特殊性と考えていた。

犬夜叉の心の闇は、犬夜叉に化けた奈落が殺した桔梗の記憶。
弥勒の闇は、一族を穿つ風穴の呪い。
珊瑚の闇は、最愛の弟が奈落に操られて父や一族を殺したこと。
七宝の闇は奈落絡みではないが、雷獣兄弟に父を殺される。

かごめにそのような体験はない。
かごめに幻影殺が効かなかった=心に闇がなかったのは闇を抱え込むような経験をしなかったからなのだろう。
そんなかごめが始めて恋を知り、嫉妬の気持ちを経験することで、かごめの心にも闇が芽生える。
こう書き記してみると、他のメンバーの抱える闇と、かごめが抱える心の闇はちょっと異質で、そこが私がこのエピソードに「出会った場所」のようにのめりこめない理由だろう。

奈落の謀略も通じなかったかごめの心の清らかさ、もしもそれが恋を知ってなお桔梗を嫉妬する気持ちのかけらも生まれることのないかごめならありだろうが、そうなったらかごめは最早人ではなくなる。
私がかごめに期待を抱き過ぎたのは、巫女の霊力が心の清らかさに比例すると信じていたからだった。
だが、怨念に取りつかれていた桔梗も、黒巫女となった椿も生への妄執を捨て切れなかった白心上人も、その心に関係なく、力として霊力法力を発動する。

めぞんの響子さんを素敵だけど完璧じゃない女性、らんまのあかねを可愛いけど完璧じゃない女の子と捉えていた私だが、かごめに対しては完璧な隙のない少女とずっと考えていた。
そこに従来のヒロインにはなかった眩しさで、そこに強烈に惹かれていた。
かごめの嫉妬(嫉妬自体ではなく、そのあり方)に関しては、当時から落胆する人が多かったが(私もその一人)、それはやはり初期の「清らか」「魂の大きさ」といった言葉にかごめの虚像を作ってしまったからだと思う。

そんなかごめの葛藤、かごめに対する葛藤も桔梗の死と共に終わりを告げた。
今は赤子を抱くかごめの危機を淡々と読んでいる。
今回はまだ危機のままだが、次回かごめは自分の心を受け入れることで赤子の謀略を打ち砕く。
やっぱりかごめは凄いって思わせてくれる展開、嬉しい。 かごめが心の闇、本当の闇を抱くのは、仮に犬夜叉が奈落に殺される、そんな時だろう。 「死」を扱う物語において、惨い死を経験している犬夜叉たちに比べ、かごめの闇はあまりに幼い。 それが悪いというのではない、だからこそ他を無償の心で救い得るかごめも存在する。 その意味でもかごめは他のキャラとは異質である。 そこに気づくのに本当に時間がかかったなあと我ながら思うのだが、「犬夜叉」が終わってずっとたっても、おそらく一番忘れ難い印象を残すのもかごめだろう。 その意味でも「犬夜叉」に出会えてよかったなあと思う今日この頃である。
(2006年8月13日の日記)  
かごめの特殊性
原作少年サンデー2002年10月16日(46号)第285話「暗示」

          ☆          ☆          ☆

「暗示」の表紙、憂いに満ちた表情のかごめの柔らかさがとてもいい。
この表情が予感させるように、かごめはここでひとつ試練を乗り越える。
犬夜叉が助けに来るが、試練はかごめが一人で乗り越えたもの。

「犬夜叉」には3人の恋するヒロインが登場する。
かごめ、桔梗、そして珊瑚。
話が進む中、3人の少女たちも様々な変化を遂げてきた。

まず桔梗。
蘇って後の怨念の塊から凛々しき巫女に。
おもしろいのは、桔梗は桔梗自身の力で変わってきたこと。
誰かに何かされたわけでもなく、試練の場に立たされたわけでもない。
自分自身の意思で大きく変わった。

次にかごめ。
かごめも嫉妬に苦しむ立場から、そんな自分を認めて受け入れる少女に変わったが、そのほとんどが奈落なり桔梗なりの「助け(試練とも言う)」がきっかけになっている。
「心の闇」を仕掛けられなかったら、桔梗に梓山に行かされなければ、かごめはどうだっただろうと思う時がある。
梓山の試練なく桔梗の死を迎えていたら。

しかしそういった試練の場に立たされた時に、かごめは一人の力で乗り越える。
かごめはそこが凄いと思う。
犬夜叉を慕う気持ちがかごめと桔梗、2人の少女を支えていることは当然だが、2人はいざという時一人の力で乗り越える。
その意味で2人の少女は自立した強さがあると思う。

それだけに私は「出会った場所」のかごめ、自らの力だけで変わったかごめが好きなのだ。
ちなみに水の底で瘴気に蝕まれた桔梗を助けるかごめは、人として当然のことと捕らえているのでここでは含まない。

実は一番自立できない弱さがあるのは珊瑚だろう。
戦う分には強いが、気持ちが内を向きやすいというか後ろ向きな性格は初期からあまり変わっていない。
珊瑚がかごめや桔梗のような試練の場に立たされたら、弥勒の支えなしには乗り切れないような気がする。
そこが珊瑚の魅力であるのだけれど。

この3人の少女の性格バランスがとても良くて、読んでいてもつい比べてしまうのだが、今回はとにかくかごめの独壇場。
その意味でも奈落ファミリーは犬夜叉一行を本当によく鍛え上げてくれる鬼教官だ。
今回神楽や白童子に操られそうになるかごめだが、それ以前に奈落が怖れる霊力が全く発動しないのはとても不思議。
まじめな話、百足上臈に見せていた、触れただけで相手を破壊する霊力は、破魔の矢を使うようになって、矢でなくては発動しないようになったのだろうか。
そんなことはどこにも書いていないが。

古くは雷獣兄弟から今回まで、かごめの「手から」霊力が発動した時点でピンチを逃れる機会は何度もあったのだが。
その点桔梗は素手でも何度か発動させている。
そこが巫女としての力の違いだったらおもしろいけど、書かれてなければ都合が良すぎる話となる。

今回桔梗に嫉妬する心を受け入れ、認めたことで乗り越えたかごめ。
この事件をきっかけに、三角関係がどう変わっていくかも見所となる(が、実はあまり変わらなかったりする)。
今回の「心の闇」だが、たとえば現代でごくごく普通の生活を送る私たちが捉えられたらどうなるのだろう。
かごめと同じくらいの年齢で、まだ激しい恋愛経験もなく、他人に対してコンプレックスを抱くこともなく、特別不幸でもない家庭。

犬夜叉や弥勒たちのような家族や大切な人を理不尽に殺されるような環境にはもちろんない場合、そんな人に白童子が付け入る隙はあるのだろうか。
実はありそうな気がする。
かごめがまず見せることのない、恐怖や不安、そんな負の感情。
かごめの特殊性は、何よりもこの「恐れのない心」なのだろう。

どんな危機に陥っても怖れたり怯えたりすることのない強さ。
現実にはあり得ない話だが、逆に言うと現実を生きる人間で「心の闇」のない人間はいないということになるが、さて・・・。
(2006年8月14日の日記)  
捨てられたのは
原作少年サンデー2002年10月23日(47号)第286話「捨てた心」

          ☆          ☆          ☆

「捨てられた心」の表紙の犬夜叉と、次ページ犬夜叉の腕の中、意識を失っているかごめの顔がいい。
かごめに色っぽさを感じることは少ないが、この時はとても色っぽいってそんな場合じゃないのだけれど。

ずっと前、アニメ「犬夜叉」にハマってまだサイトを作っていなかった頃、あちこちのチャットに出没していた時期がある。
その時「犬かご派」「犬桔派」という言葉を知った。
普通に「じゃあ奈かご派とか殺桔派もいるんですか?」と聞いてなぜか失笑された記憶がある。
今はどうかわからないが、当時は「犬かご」「犬桔」だけがカップリングとして確立していたのだろうか。

そのチャットの中で、もちろん犬かご派は「犬夜叉とかごめが結ばれて欲しい」ファンだったし、犬桔派は犬夜叉と桔梗が結ばれて欲しいファンだった。
で、「○○さんは?(当時えむの名前は使っていなかったので)」と聞かれ、「どっちとという気持ちはありませんが、犬夜叉の恋人はかごめだと思います。」と答えた。
「じゃあ○○さんは犬かご派ですね♪」と喜ばれてひどく驚いた。

当時から今、桔梗の死に至るまで、私は桔梗が犬夜叉の恋人だったと思ったことはない。
犬夜叉が常にかごめといることや、桔梗が死人(しびと)だからという理由ではなく、漠然と犬夜叉にとって桔梗は「過去」なのだと思っていた。
桔梗の死は感動したし哀しかったけど、犬夜叉はこれで過去にけじめをつけてかごめと一緒に未来に進むのだと読んだ。
でもそれが「犬かご派」としての意識なのかと自分に問うと、またそれも違うような気がする。

「カップリング」という言葉、当時から心に引っかかる大きな大きな謎だ。
なぜこんなことを書き始めたかというと、先日以前よくおしゃべりしていた桔梗ファンの友達から「もう犬夜叉を読むのを止めます。」と久々にメールが届いたから。
犬桔派としては、今後の犬夜叉とかごめだけの未来は辛いのだそうだ。
同時に最後に奈落を倒した犬夜叉が桔梗を追って死ぬようなことがあってもならないと思うと書かれていた。

優しい人だなあと思った。
○○派と呼ばれる人にとって、かごめや桔梗は大切な友達や家族として生きているように捉えられているのだろうか。
どんなに好きでも、所詮は架空の世界の架空の人物(犬夜叉に限らず)と見てしまう私には、それだけのめり込める人をとてもうらやましく感じる。

以前掲示板で話題になったが、アニメオリジナル「めぐり会う前の運命恋歌」に犬かご派は落ち込み、犬桔派は狂喜したそうだ。
そして「心の闇」などで犬かご派は喜び、犬桔派は落胆する。
その時も「そうか、そういうものなのか。」と不思議に感じたが、キャラを自分の中に実際に生かし、心を寄せるファンの心模様、とても興味がある。
そんな読み方見方をするファンがいることを知ったのも、今思えば「犬夜叉」からだった。

なんか最近「まとめ」に入ってる自分がいるなあ。

さて、本編の方はかごめ攻略に失敗した赤子と神楽が退散、一段落する。
今回の策は、弥勒と珊瑚に対しても、かごめに対してもこれまでの二番煎じで最初から効くわけないよなあと実は思ってた。
人間に手を出せず、苦戦するのは神無登場編ですでに見られる。
そこで弥勒と珊瑚が人間を手にかけるなどとなぜ思うのか、不思議でしかない。

彼らに対する知識の乏しい赤子の策か、それとも奈落の指図かわからないが、前者だとしたらまだまだ未熟、後者だとしたらまだ学ばないか、奈落、となる。

もうひとつ、心の弱さにつけ込んで、かけらで操るとなれば当然琥珀が出てくる。
琥珀の葛藤に比べ、かごめが桔梗への嫉妬で操られたら琥珀の悲劇があまりにも軽いものになってしまう。
ここはやはり犬夜叉たちの心を甘く見ていた赤子の稚拙な策だったのだろう。
実際奈落はこの後赤子=白童子を勝手に行動させ、自分は阿毘編まで出てこないし。

ただ今回やられた!っと思ったのは、奈落が捨てた人の心。
奈落は人の心を捨てて桔梗を「殺す」ことができた。
赤子は人の心であるから人の心を理解し、操る。
そして桔梗を慕う心のみが白霊山に捨てられた。

「人の心」が極端な言い方をすれば「善と悪」に分けられたことにより、赤子が「第二の奈落」として登場し、後に奈落が「桔梗を慕う心」を取り戻すことにより、さらに話が進んだ。
ついでに赤子自体も二つに分かれて赤子と白童子になった。
この展開で物語は引き伸ばされたが、完全なる悪となった奈落の魅力がなくなるといったジレンマが生まれた(私だけかもしれないが)。
やはり私は桔梗を慕う心に苦しめられる奈落が好きだ。

その意味ではカップリングではないけれど、一番興味がある組み合わせとして「奈桔」派なのかもしれない。
(2006年8月15日の日記)  
とっても可愛い耳千里
原作少年サンデー2002年10月30日(48号)第287話「耳千里」

          ☆          ☆          ☆

今回の表紙は骨喰いの井戸をのぞき込む七宝と舞い飛ぶちょうちょを見上げる雲母、とても可愛い。
でもそれ以上に可愛いのが29巻の見返しにカラーで登場している耳千里。
3つずつつけてるピアス(でいいのかな?)もおしゃれでいい。

耳が膝まで届きそう、と言えば「三国志」の劉備を思い出すが、以前日暮神社を見に静岡県に行った時、図書館か書店の民間伝承本で耳がすり鉢くらいある妖怪の記述を見た記憶がある。
ただ詳しいことは全然覚えていないのが悔しいのだけれど。
あやつがとても耳がいいなんて妖怪だったらすごいのになあ。

その前に楓の村に戻ってきた犬夜叉たちが描かれる。
桔梗の死を楓に告げる犬夜叉。
楓もまた桔梗の死を3度経験した。
最後の死に立ち会えなかった楓がもしかしたら一番辛いのかもしれない。

年齢を経て桔梗のためにはこれで良かったと思えるようになった楓だが、それでも桔梗の遺骨をこの地に眠らせてやりたかったと心に呟く。
桔梗の遺骨は結局一度も描かれることがなかったわけだが(ビジュアルの面で気を使ったのだろう)、私は犬夜叉が桔梗の遺骨(せめて遺灰でも)を持ち帰って村に埋める形でも良かったと思う。
以前アニメで楓が言った「墓を必要とするのは残された人間の心」の台詞と見事にリンクするのだが。

一方久々に現代に帰ったかごめは、かごめに気を遣う犬夜叉にむしろ戸惑いを感じる。
むしろ無気力と言うべきか。
こんな時は、やはり弥勒の理詰めの推理が頼りになる。
囲炉裏を囲んで話す楓と犬夜叉、弥勒に珊瑚。

ちょうどこの時、七宝は雲母と一緒に骨喰いの井戸に来てかごめを待っているのだろう。

さて、奈落は犬夜叉たちは赤子に任せ、耳千里に会いに来ている。
「このわしの耳もきさまの体にとりこむつもりかえ。」と聞く耳千里に
「安心しろ。
 きさまの薄汚い体になど興味はない。」

物を聞くのに失礼な奴、奈落。
それでも鋼牙や殺生丸を取り込もうとしてたから、彼らはビジュアル的に認めていたわけだ。
七宝は年下過ぎて駄目だったけど、弥勒や犬夜叉も妖怪なら危なかったんだろうな。
飛天はきっとOK、満天はパス、かな?関係ないけど。

それでも快く奈落に応える耳千里、いい妖怪だ。
全ての妖怪が奈落を嫌っている、あるいは怖れているわけでないことがわかったこともおもしろい。
そして最後の四魂のかけらのありかが判明する。
「あの世とこの世の境」、そこが後で犬夜叉の父君の墓のある場所となるわけだが、今回は「あの世とこの世の境」という言葉が出るところまで。

さらにこれからの行動に目的を見出した犬夜叉がかごめを迎えに来る。
「かけらを探すのに必要な」かごめ、そしてそれ以上に「顔が見たかったから」。

考えてみれば桔梗の死を迎え、自分を責め、苦しみ、やっと乗り越えてかごめに向き合おうとすると再び桔梗が復活する。
桔梗復活は確かに嬉しいことだけど、いつまでたってもけじめのつかない犬夜叉も辛いなあと思わずにはいられない。
(2006年8月16日の日記)  
印象薄い主人公
原作少年サンデー2002年11月6日(49号)第288話「鬼女の集落」

          ☆          ☆          ☆

29巻最終話は弥勒と珊瑚の恋の成就のサイドストーリー。
この山椒魚妖怪も奈落の謀略の一環と思いながら読み進めた私には嬉しい驚きだった。
弥勒と珊瑚、珊瑚に恋のライバルは一人もいないと言えるし、世の女性全てがライバルとも言える。
弥勒の心が珊瑚だけのものであることは、おそらく珊瑚以外の2人を知る人全てが知ってるはず。

このエピソードには篠助と若菜という恋人たちが登場する。
いわば山椒魚妖怪編の主役たちだが、かつて「犬夜叉」の中でこれほど印象薄い主人公はいただろうかと思うほど目立たない。
一人は一途に許婚を想い、一人は許婚を妖怪の魔の手から守ろうとする。
それほど切ない恋人たちなのに、すっかり弥勒と珊瑚に紛れてしまった。

特に篠助、ちょっと前に出た睡骨に似ているキャラだけに幸せになって欲しいと思わせるキャラだった。
高橋作品においては正統派キャラは目立たないという不思議な法則があるようだ。
この山椒魚偏、アニメとの比較もおもしろかったことが記憶に残っている。
特にカップ麺を食べる篠助問題は他サイトさんで話題になり、私も議論に参加させてもらった。

さて表紙には前回に続き七宝と雲母が登場。
今回は犬夜叉とかごめと4人でどこかの山道(崖?)から何かを眺めている。
こういうストーリーを感じさせる表紙は好きだ。
「犬夜叉」は結構コミックの表紙にしても顔があるだけ、メンバーが並んでるだけというものが多いので。

鬼女の「集落」だけにエキストラも多く、老若の女性陣の他、前述の篠助、若菜のカップル、犬夜叉たちに集落のことを教える老人、落ち武者などが登場。
もちろん山椒魚妖怪もしゃべる、別名「わらわ妖怪」。
悪役ではあるけれど、若き日の楓みたいなリーダ−格の女性も好きだ。

集落に紛れ込んだ落ち武者がお堂の中の「掛け軸」に生皮を剥がれて殺され、今度は犬夜叉たちがその村におびき寄せられる。
というより弥勒が代表しておびき寄せられる。
篠助が探す若菜はいないということで彼らの前には現れなかったが、実は落ち武者が殺されたお堂の中に隠されており、しかも「掛け軸」に篠助を連れてくるように命令される。
ここで集落の女性たちが操られていることを予感させ(若菜は正気っぽいが)、30巻へとつなげていく。

今回は一途な篠助をうらやましく見る珊瑚、邪気はないけど(珊瑚の)殺気を感じる犬夜叉、男女別々にされて落ち込む弥勒など見所?も多い。
個人的には「邪気や妖気を感じるか?」の犬夜叉の顔があまり見ることのない雰囲気で好き。

山椒魚妖怪編の後、赤子(白童子も)が本格的に始動するのだが、通してみれば彼らの存在も七人隊と同じく犬夜叉たちと奈落を隔てる障害に過ぎなかったような気がする。
(2006年8月17日の日記)  
弥勒が招いた珊瑚のピンチ
原作少年サンデー2002年11月13日(50,51合併号)第289話「観音堂」

          ☆          ☆          ☆

今日から30巻。
表紙には白童子、見返しには炎蹄、そして白黒の表紙には甘太が登場。
けれど30巻の主役は間違いなく珊瑚だろう。

鬼女の集落に誘い込まれた犬夜叉たち、ゲームのPS「犬夜叉」を思い起こさせる男女別々の部屋割り。
ここまでは微笑ましいけど、すぐそばに据え膳喰うのが当然の弥勒の態度は腑に落ちない。
いえ知らないところならいいというものでもないけど、わざと誘惑に乗って探るを越えてる気がする。
後の大団円のためとはいえ、この時の弥勒はあまり好きじゃない。

もう少し「誘いに乗っているように見えるけど実は乗っていない」弥勒にして欲しかった。
これじゃあ「誘いと知りつつできることならいくところまで行っちゃいたい」弥勒だ。
珊瑚が可哀そう。
でも「心の闇」をクリアして好奇心で目が輝いているかごめや、浮気に走る弥勒を見て落ち込む珊瑚を気遣うかごめはいい。

犬夜叉以上に女心ぼ機微を理解している七宝や、止せばいいのに弥勒の浮気をご注進してしまった雲母もいい。
人の恋路にはどこまでも鈍感かつ無神経な犬夜叉もらしくていい。
というわけで、今回は浮気弥勒以外のキャラ描写が細やかで読んでいてとても楽しい。

場面は一転、異様な気配に気づくは犬夜叉と珊瑚、珊瑚はさすがのプロ意識。
意地っぱりもここまで来ると度が過ぎるような気もするが(なにせ珊瑚はこの後、大変なピンチに陥る。)、ここで珍しい珊瑚の着替えが見られる。
髪を下ろした退治屋衣装の珊瑚が新鮮でなぜかときめいた記憶が(笑)。

ごくごく普通人のかごめや篠助は犬夜叉や珊瑚の気配で起きる組。
寝てろと言われて篠助がまた寝たらおもしろいが(そのまま素直に横になりそうな気配がツボ)、さすがにそうはならず、操られた若菜が篠助を迎えに来る。
若菜もある方法で山椒魚妖怪に操られているのだが、それでも篠助に対する恋心が残っているところが切なくていい。
珊瑚は水の底に引きずり込まれ、弥勒は「惜しくも」妖怪の罠に気づき、篠助は若菜に陥れられそうになる。

三人三様の大ピンチだが、珊瑚のピンチは弥勒が招いたと言えないこともない。
同時に珊瑚の純情は、プロフェッショナルの退治屋としての未熟さも感じさせる。
技術的な面はともかく、精神面ではやはり退治屋仲間や家族、もしくは弥勒やかごめのような支えがなくては強くなれない少女なのだろう。
意外にかごめや桔梗にはそういう脆さは感じたことがないのだが。

最終ページ、鎖でつながれて目覚めたばかりの珊瑚の表情がまた色っぽくていい。
「犬夜叉」連載中に先生の絵のタッチもだいぶ変化したが、この頃は色っぽいカットが多くてお気に入りだった時期。

掛け軸から飛び出した妖怪は絵のタッチも何も関係なく、いつ描かれてもこんな顔だったんだろうが、次回意外な素顔?が明らかになる。
その正体を楽しみに待ってた読者もいなかっただろうが。
(2006年8月18日の日記)  
掛け軸妖怪の正体
原作少年サンデー2002年11月27日(52号)第290話「腹の中の妖気」

          ☆          ☆          ☆

珊瑚を追った犬夜叉とかごめだが、珊瑚の気配は水辺で途切れていた。
普通なら珊瑚が水に落ちたと思うところだが、そこはさすが犬夜叉、異様な気配を感じ取る。
そこへ水中から現れたのは集落の女たち。
逆髪の結羅が楓の村の娘たちを操ったのを彷彿させるシーンだが、ここで犬夜叉が足止めされている間に珊瑚にはさらなる危機が迫る。

一方村の娘にお堂の中に連れ込まれた弥勒は掛け軸の妖怪と対決し、妖怪が男の生皮を求めるわけを知る。
この妖怪の正体を明かせば山椒魚なのだが、昔は「沢を支配する妖(あやかし)」であったと言う。
そう説明されてるだけで、なぜ人間の高僧に調伏されたのかはわからない。
生皮をはがれ、掛け軸に封じられるようなことをしてきたのか。

これまでも主やら何やら出てきたことはあるが、基本的に人間と妖怪は共存していることが多かった。
主だった頃から人間の体に卵を仕込んで操っていたのなら問題だが、どっちにしてもこの妖怪が復活するきっかけを作ったのは奈落。
人間にとっても妖怪にとってもはた迷惑な存在だ、奈落。

弥勒の次にお堂に来たのは許婚の若菜に連れられたこちらは何の疚しいこともない篠助。
しかし篠助への恋心が失われてはいなかった若菜が篠助をかばう。
後でやはり山椒魚に操られた珊瑚は弥勒に対して恋心の兆しも見せなかったな、そういえば(笑)。
弥勒に対する不信感、心の隙に完璧に付け込まれたのだろう。

そう考えれば、この山椒魚偏は珊瑚版「心の闇」だ。
そして珊瑚が弥勒を信じながらも信じ切れない心の弱さがこんな部分で露呈される。
もっとも雨降って地固まる、弥勒のプロポーズの後の珊瑚はどんと落ち着いて、むしろ肝っ玉母さんの雰囲気を漂わせるようになる、そこがまたいい。

風穴は娘が妖怪の前に立ちふさがったために使えず、錫杖で妖怪の左目を叩き潰した弥勒。
しかしまたしても娘が邪魔に入り、妖怪に逃げられる。
気絶させようとした弥勒だが、娘のおなかを殴った拍子に娘が吐き出したのは山椒魚の子ども。
妖怪は珊瑚の場面を見てもわかるとおり、卵を体内に入れられ、それがかえって人間を操っていたのだった。

卵がカエルの卵みたいになっていたが、調べてみたら山椒魚は一度に300〜500個の卵を産むのだそうだ、これはちょっと怖いかも。
若菜の体からも妖怪を取り出し、弥勒が犬夜叉たちに追いつく頃、妖怪がいよいよその姿を現す。
弥勒に目をつぶされたにも関わらず、頭のてっぺんをはげさせて登場するなどどこか愛嬌のあるこの妖怪、半妖をこれほど大事にしてくれた妖怪も初めてだ。
これが鋼牙や殺生丸だったら人間の生皮15人分、いえ20人分とでもなるのだろうか。

目の前に立派な妖怪(七宝)もいるのに無視していたが。
半妖の皮だから伸びるということでもあるまいに、ここまで希少価値があるのはおもしろい。
(2006年8月19日の日記)  

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