犬夜叉サンデー感想(第291話〜第300話)
代償
原作少年サンデー2002年12月4日(1号)第291話「珊瑚の行方」

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一昔前のロマンス映画のような表紙で始まった「珊瑚の行方」だが、珊瑚の横顔、正面を見据える弥勒の表情は大人っぽくてとてもいい。
今回の犬夜叉ドキドキ台詞は「わらわってツラか、てめえ!」
いつにもまして失礼な奴だが(笑)、たしかに「わらわ」ってタイプには見えない。

操られた村の娘たちに苦戦する犬夜叉だが、そこに駆けつけたのは弥勒。
体の中の山椒魚を吐き出させることによって動きも封じる。
戦(いくさ)で家族をなくした女たちが観音堂の掛け軸を心の拠りどころにしていたのだと弥勒は言うが、こんな危険な掛け軸を拠りどころにするのもどうかと思う。
山椒魚の皮に描かれた観音さま。

晴海や無双(僧)、猫寺の尼などもそうだったが、中途半端な力はかえって危険というか、後々までしこりを残すことが多い。
その意味でも桔梗や翠子クラスの巫女や僧、法師がこの時代どれだけいたかはわからないが、稀有な存在であったことは想像するに容易だ。

最後の大どんでん返し(プロポーズ)のためとはいえ、私の中では大きく株を下げた今回の弥勒、その償いとも言うべき珊瑚との死闘が始まる。
弥勒を珊瑚の元に案内したり、二人の戦いにうろうろおろおろする雲母が健気で可愛い。

操られ珊瑚の色っぽさも好き。
そしていよいよ感動のフィナーレの幕開くことになる(笑)。

          ☆          ☆          ☆

先日池波正太郎著「新 私の歳月」を読んでいたら「丹下左膳」について書かれている部分でふと目が止まった。
ストーリーに「乾雲・坤竜の二名刀をめぐる争奪によって片目・片腕を失った丹下左膳は」とある。
なんか見覚えがある気がしてちょっと調べてみた。
「乾坤」は北条秋時が出てくるアニメオリジナル(138話〜140話)に登場する。

「乾の刃」と「坤の刃」が揃うと災いを呼ぶという「乾坤の薙刀」を秋時が「風雷神社」に奉納しに行くことから始まる話だが、「昇雲の滝」も出てきたりする。
「丹下左膳」に出てくる「乾雲・坤竜」も引き離されると互いを呼び合い、持つ者を狂わせる妖刀だった。
「乾と坤」が「天と地」を意味することはアニメの感想でも書いたが(乾は天、坤は地)、「乾坤一擲」という言葉になると、今度は「運命をかけてのるかそるかの勝負をすること」という意味になるのだそうだ。

遠い昔、中国で項羽と劉邦が戦った時、疲弊して戻ろうとした項羽に対し、同様に疲弊して自分の国に戻ろうとしていた劉邦を張良と陳平が励まし、勝負に出る。
結果、圧倒的優位と見られていた項羽が敗退、劉邦が漢を建国、高祖となる。

アニメはこれらの言葉を踏まえて作られたものと思うが、「竜」の言葉を使わず「風雷」、つまり「雷」にした意図がよくわからない。
「竜驤」「竜頭」とかけっこうあると思うのだけど。
他にいわれがあるのだろうか、聞いてみたいな、機会がないかな。
よみうりテレビやサンライズにメール出しても答えてくれないだろうな・・・。
(2006年8月21日の日記)  
プロポーズ
原作少年サンデー2002年12月11日(2号)第292話「特別なおなご」

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前回のシリアスな表紙の次は、やはり弥勒と珊瑚で心を打ち明けた後の穏やかな二人。
心を失い、操られている珊瑚、傷つけるわけにはいかない弥勒は珊瑚の強さに苦戦する。
やっと山椒魚妖怪の卵を取り出したところに駆けつけた犬夜叉たち。

退治屋らしからぬ心の隙を犬夜叉は不思議がるが、弥勒が浮気したから珊瑚の頭に血がのぼったとかごめが指摘
。 「私のせいですか・・・」
やっと気づいたか弥勒。
この時になっても罪の意識はないのか、弥勒。

最近シリアス街道爆走中の弥勒と珊瑚を差し置いて、犬夜叉の突っ込み全開で笑える台詞がとても多いが、今回も出た。
お礼と挨拶に来た篠助若菜に対し、
「おれたち、
おめーらの面倒はみてねーしな。」

なるほど篠助若菜に関しては、お世話をしたのは弥勒一人か(笑)。

その頃二人は幸せ街道まっしぐら。
まず「おまえは私にとって、特別なおなごなんだ。」と持ち上げ、「だからこそ、おまえをおなごとして好きになるまいと思っている。」と盛り下げる。
そして落ち込む珊瑚に止めをさしたのが

「もし、奈落との戦いが終わって・・・
 風穴の呪いが解け、私が生きていたら・・・
 その時は私とともに生き―
 私の子を産んでくれんか。」

の決め台詞。
もうコミックなしでも書ける台詞だ、頭の中でリフレイン。

この持って行き方がすごい。
最初にプロポーズして、けれど奈落を倒すまでは―、ではないんだ。
弥勒の本気も珊瑚の涙も何もかもが最高の感動だった。

けれど、それ以上に印象的なのがこの時のかごめ。
いえ邪見顔になってる野次馬モードじゃなくて、珊瑚の幸せを素直に喜ぶかごめの態度。
そもそも弥勒と珊瑚は、知らぬは珊瑚ばかりだが、障害なしのお互い一筋愛。
犬夜叉の「二股」に揺れ動くのはかごめの方だ。

でもそんな自分を省みて落ち込んだり羨んだりすることなく、珊瑚のために本気で喜ぶ。
いいなあこの子、そう思った。
妙に鋭い犬夜叉と七宝の合いの手?もおもしろくて半泣きしながら笑ってた記憶がある。

でも20人の弥勒と珊瑚の子、見てみたい。
「犬夜叉」そこまで続くかな?
同時に今、珊瑚の知らないところで風穴に苦しむ弥勒の姿を思い浮かべれば、このエピソードが哀しい思い出とならないようにと願わずにはいられない。

ハッピーエンドの弥勒と珊瑚の裏側で、神楽と赤子は殺戮の旅。
アニメで神泉と名づけられた僧と今回の僧、他にも徳の高い僧や神官を殺して心を覗いていたという。
おそらく神楽も赤子も二度と思い出すこともなかっただろう殺された人々。
幸せに死んだ神楽とこれらの人々を比べてみると、どこか複雑な気持ちになってしまう。

神楽も自分の苦しみはあったけど、最後まで自分のしてきたことに対する悔いはなかった。
それが無条件に許されるのは、やはり絵空事ゆえか、それとも幸せであろうがなかろうが、「死」が償いとなったからか。
(2006年8月22日の日記)  
冷や汗神楽
原作少年サンデー2002年12月18日(3号)第293話「分断」

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奈落戦が終わり、風穴の呪いが解けるまでは「特別なおなご」ではなく「一緒に闘う仲間」宣言してもしなくても同じじゃない、と突っ込み入れたくなるほど以前のままの弥勒と珊瑚。
犬夜叉一行は赤子と神楽が荒らし回った後を追う。
どんな形にせよ人間が妖怪と共存できたのが不思議なほど妖怪のうじゃうじゃいる犬夜叉の戦国時代だが、今回も神社で「人間」に封印されてた「妖怪」が神主の死後出てきて暴れたとか。

描かれない部分で次々に殺される僧や神主たち。
その最後の被害者が徳高く力もあり、強い心を備えた僧だった。
赤子を抱いた女の妖怪と噂される神楽と赤子だが、僧は赤子の方が主であること、その禍々しさを見抜く。
力及ばず殺された僧だったが、最後の力を振り絞り、赤子の体を両断する。

晴海やこの僧のように、死する瞬間に自分のことを考えず、戦う相手を見据えて逝ったり思いやって逝ったりする人物が好きだ。
出番も少なく、名をつけられることもほとんどないまま消えてゆく人々は時として主役以上に強い印象を残す。

惨い「死に様」の赤子だが、冷や汗かいてる神楽が可愛い。
こんな口元滅多に見ることがないし。
よっぽど奈落が怖いのだろう。

今回赤子の両断された顔を見て今週号の殺生丸を思い出した(サンデー204ページ)。

天生牙により顔が真ん中で切れているのだが、先に刀を描いて後から顔だったのか、ずいぶんバランスが悪い。
右と左が全く別人というか何というか・・・。

さて血と線香の匂いを追ってきた犬夜叉たちだが、僧が死んだ寺に着いた時にはすでに神楽は赤子を「持って」去った後だった。
僧が赤子を滅したと聞いた弥勒が赤子を「奈落が白霊山の中で生み出した心の化け物」と言うが、白霊山崩壊の時に大切に逃がしたその赤子がそんなにあっけなく殺されるわけがないと皆が思う。

そして逃げ出した神楽を待っていたのは神無。
両断された赤子に「いずれこうなるべきだった。」と言う神無は片割れを抱き、片割れを神楽に託す。
2人の新たなる分身が生まれることを予感させる神無の台詞。

そして僧を殺す時にも赤子がもらした赤子の言葉「あの世とこの世の境」が重要なキーワードとなってくる。
でも今回のベストは冷や汗神楽と最終ページのスーパーの袋みたいに赤子をぶら下げているところ。
こなれない感じの神楽の赤子の扱いには笑わせてもらった。
(2006年8月24日の日記)  
白童子誕生
原作少年サンデー2002年12月25日(4,5合併号)第294話「炎蹄」

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血と線香の匂いを追って寺に駆けつけた犬夜叉たちが見たものは、赤子を分断した僧の遺体と、僧の死によって封印を解かれた妖馬炎蹄。
弥勒の仲良し狸でさえ名前がないのに(アニメで八衛門とつけられたが)、たった数話の出番でこんな立派な名前をつけてもらえるなんて、幸せな馬だ、炎蹄。
蘇った炎蹄は「恩人」探しの旅に出る。

そして赤子の片割れを押し付けられた神楽が見たものは、片割れが成長して一人の少年になった姿。
今回はまだ名前は出ないが、この少年、名を白童子と自分で教えてくれる。
自分を「わし」と言うなど端正な顔の割りにずいぶん老成した印象を受ける。
奈落が名付け親だと思うが、片割れだけがこのように成長し、もう一人は最後まで名前もなく成長することもなく終わってしまった。

白童子の元を訪れる炎蹄と神楽が並んで空を飛ぶカットがいい。
アニメではへんてこな煉獄鬼なんてのが出てきて炎蹄の主となるが、そこ以外の炎蹄膨らませ部分、炎蹄と神楽の絡みなどはとても楽しんだ記憶がある。
アニメ的にも見栄えのするキャラだしな、炎蹄。

そして追いついた犬夜叉たちと白童子が遂に対面。
「馬の分際でそっちから来るとはいい度胸だな。」が今回のベスト台詞。
確かに相手は馬だけど、相変わらず失礼な奴だ、犬夜叉(笑)。

もうひとつおもしろいのが白童子の服探しをする神楽。
神楽や神無が生まれた時は、奈落が着物をあつらえたんだろうけど、そんな姿を想像するとおかしくなる。
神楽の髪を編んだり紅をつけたり、神無に関してはあの体型で着物は白、難しかっただろう。
そんな場面も見てみたい。

それにしても白童子の風格、さぞかし大物になるだろうと思っていたが、意外とあっけない最期を遂げることになる。
だが今は、友達(炎蹄)のできた白童子の今後の活躍に期待したい。
(2006年8月25日の日記)  
人間の次は・・・
原作少年サンデー2003年1月7日(6号)第295話「白童子」

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犬夜叉たちの前に現れたのは炎蹄に主と認められた白童子。
名付け親は奈落だろうが、神楽も名前にぴったりの着物を見つけてきたようだ、なんてセンスのいいファミリーだろう(笑)。
人間の僧に真っ二つにされた赤子の片割れが復活、しかもこんなに成長して、というのは犬夜叉にとっては信じ難いが、奈落ならば何でもありか。

赤子時代に神楽と共に人間を殺し回っていた頃のことを聞くのは弥勒。
議論好きな奈落一家には問答無用の犬夜叉よりも、言葉で対等にやり合える弥勒が適役。

白童子も素直に?答える。
あの世とこの世の境には「四魂のかけら」があるのだと。

犬夜叉たちにヒントを与え、とっとと逃げ去った白童子は今度は妖怪狩り。
どう見ても雑魚妖怪にそんな力があるようには見えないが、後で瀕死の状態の長い妖怪たちはあの世とこの世の境の姿を白童子に垣間見せる。
先に書いてしまえば、あの世とこの世の境こそがかつて犬夜叉とかごめが鉄砕牙を手に入れた父君の墓のある場所だった。

それまで私はあの場所は父君のためだけに作られた、いわゆる墓所のようなところだと思っていたし、ゲームでは異次元の世界に設定されていた。
しかし、これであの場所は死んだ妖怪が眠る場所であることがわかった。
死んだ人間、でも救われない人間が行くのは冥界?
では桔梗や神楽はどこで眠っているのだろう。

半妖犬夜叉はどこで眠ることになるのだろう、などという突っ込みはなしで、妖怪たちの首を集めてまわる白童子。
首を失った妖怪が一匹かごめと七宝を襲う。
というより首を失って迷走する妖怪の前にたまたまかごめたちがいたのだろう。

間一髪で犬夜叉が間に合うが、怖がっているのは七宝だけだったというのがすごい。
あの世とこの世の境探しと、長刀の鍛錬のために?妖怪を殺し回る白童子。
奈落にそっくりだが、確かに神楽の言うとおり奈落よりはよく動く。
これも後でかけらを手に入れるための奈落の指示であることがわかり、阿毘編へと繋がっていくのだが。

白霊山以来引き伸ばし論が強く言われる「犬夜叉」だが、この白童子から阿毘編にかけては心理描写も濃く、おもしろかったのではないかと思う。
炎蹄があっけなく消えたのは寂しかったが、だからと言ってアニメのような形での「活躍」はして欲しくなかったと思う。

          ☆          ☆          ☆

「犬夜叉」の後番組として登場した「ブラックジャック」が今日で終了した。
諏訪プロデューサーも嘆いておられたが、視聴率が振るわなかったらしい。
「犬夜叉」以上にファンの年齢層の高い原作を「月曜7時のアニメ」に持ってきたことに無理があったのだろうか。

「犬夜叉」ほどには原作に固執しない私だったけれど、それでも最近はほとんど見ることがなかった。
1回目の放送のOPの美しさと「月光花」におっと身を乗り出したけど、ブラックジャックの白衣のはおり方でアクション物を目指しているのかと一気に冷めた記憶がある。
他にも子ども&動物キャラの扱い方、ノワールプロジェクトなど、それが悪いとは思わないけどターゲットは私じゃないな、と。

それでも人気があって番組が続けばそれに越したことはないのだけれど、意外に早い終了に番組作りの難しさを改めて感じた。
「犬夜叉」でいろいろ批判が出たが、再び同じような姿勢で作られたような気もする。

それが「月曜7時のアニメ」の宿命なのだとすれば、作品を選ぶ時点でかなり限定されてくるだろう。
スタッフの皆様、お疲れ様でした。
次回作は「結界師」。

サンデーでも好きな作品のひとつだが、大きな謎(烏森)あり、もののけあり、もちろんアクションもありで期待は大きい。
今日CM見たけど、吉野裕行さん、「BLOOD+」の宮城カイに慣れてたせいか、いきなり子どもっぽくなって銀太みたい。
それと公式サイト、まだこれだけ?っていうのも気になる。
コナンって別に好きでもないんだけど、やってると普通におもしろく見てしまう自分が不思議だ。

後番組と言えば、もうすぐ終了の「BLOOD+」の後は「天保異聞 妖奇士あやかしあやし」が始まる。
こちらも時代物であやかし系。
主役(たぶん)の竜導往壓(りゅうどう ゆきあつ)に「十二国記」の驍宗、「BLOOD+」のネイサン、そしてクレヨンしんちゃんのひろしこと藤原啓治さん、あとやはり「十二国記」の浅野&「犬夜叉」の北条くんことうえだゆうじさんも登場、楽しみかも。

EDだったかな?ポルノグラフィティなのも楽しみ。
(2006年9月4日の日記)  
カワウソ妖怪
原作少年サンデー2003年1月15日(7号)第296話「首のない妖怪」

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ちょっと意外なこと、こんな所で殺生丸登場。
特にゲストキャラが甘太みたいな可愛いけれど、重要性のかけらも感じさせない妖怪だったし。
アニメオリジナルの蒼天編みたいなほのぼのストーリーになると思っていたら、見事絡んでくれた殺生丸と天生牙。
邪見とりん、存在だけで漫才になる2人が好き(笑)。

迷走する邪気、首のない妖怪はかごめと七宝を襲った妖怪だけではなく、他にもいることに気づいた犬夜叉たちは、とある村に辿り着く。
会話しているうちに迷走して戻って来たらしい。
早速攻撃開始の犬夜叉だが、その前に甘太が立ちふさがった。
この時とばかりに?間違える七宝、犬夜叉も間違えてるし、甘太は縁もゆかりもない妖怪を首がないとはいえ父親と間違えるし。

後で父妖怪も出てくるが、似ても似つかぬ姿だし。
水木しげる先生の描かれるカワウソ妖怪そっくりの甘太もとても可愛く、邪見、りんも含めチビキャラ大活躍の巻だった。
背負った風呂敷包みには父親の首、すぐに体を見つけてくっつければ助かるかもしれないと言う。
カワウソ妖怪がすごいのかと思っていたが、白童子に連れ去られた首もしばらく喋っていたので、妖怪自体がすごいのらしい。
犬夜叉がいつも相手を「縦斬り」するわけだ。

ちょっとおかしな形ではあるけれど、七宝の犬夜叉に対する信頼感も垣間見ることができ、おもしろい。
七宝はやはり同年齢程度の相手がいる方が生き生きして見える。
普段はあまり目立たないし、喋る時は突っ込み担当でかわいらしさと言う感じではないし、相棒雲母は喋らないし。
犬夜叉一行が6人組で、七宝くらいの年齢の女の子妖怪がいても楽しかったかな。
うじうじぐじゃぐじゃの十代グループを尻目にほのぼのコンビ。

その頃甘太の父妖怪は別の村に迷い込んでしまい、村人たちに狩られていた。
村人たちの立場もわかるが、いるだけで何もしてないできない父妖怪がなんだか可哀そうな気が。
犬夜叉は父妖怪の匂いに気づくが、同時に傷つけられた血の匂いも。

そして最初に続いて最後に再び登場、麗しの貴公子。
天生牙に導かれて来たのだが、父妖怪の元でぶつかり合う犬兄弟、どんな展開になるか全く読めなかった。
結局父妖怪が見た風景が他の妖怪が見たものと同じだったとしても、犬夜叉や殺生丸はともかく白童子が「あの場所」に気づく過程がもう少し説明が欲しかったかなという気がする。

七宝物というと、どうしても可愛い女の子絡みが目立つけど、この甘太編もストーリーの重要度とは別に大好きなエピソード。
「犬夜叉」終了後、七宝が主役?のベスト3を選ぶとするなら、七宝登場雷獣兄弟編、七宝の初恋石の花編と並んでこれをあげたい。
(2006年9月5日の日記)  
殺生丸を動かしたもの
原作少年サンデー2003年1月22日(8号)第297話「あの世とこの世の境」

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甘太の父親の匂いを嗅ぎつけ、駆けつけた犬夜叉たちの前にいたのは父親の死骸と殺生丸だった。
犬夜叉は「ややこしいやつ」などと言っているが、確かに天生牙のことを知らなければただの通りすがりだと思うところだろう。
甘太は父親の胴体に首をあてがうが、すでに体を傷つけられた父親は蘇らない。
泣きじゃくる甘太を尻目に立ち去ろうとする殺生丸。

確かにこの時点での殺生丸には冥道残月破の資格はなさそうだ。
かごめが頼んでも、怯えながら七宝が頼んでも一顧だにしない。
でもこの時の七宝には切なくなった。
飛天満天の雷獣兄弟に殺された父親、もちろんその時には父親を蘇らせる術はなかった。

七宝の想いは敵討ちに全て向けられており、犬夜叉とかごめの助けでそれは為されたのだが、できることなら蘇って欲しかっただろう。
今目の前に天生牙を持った殺生丸がいて、もしかしたら甘太の父親は助かるかもしれない。
自分の父親に重ね合わせて殺生丸に望みを託す七宝がどうしようもなく愛しかった。
(未だにここまで怖がるわけは?って謎はあるが。)

それでも七宝に「どけ。」と言い捨て、なお立ち去ろうとする殺生丸。
心が動かなかったわけではあるまい、むしろ犬夜叉の余計な?一言で意地になったようにも見える。
孤高の貴公子殺生丸、私より何百歳も年上だが、人間年齢に換算して年上の立場から見ると、意外に子どもっぽい部分がぽろぽろ出てくる。
私にとっては殺生丸も憧れの存在じゃなくて可愛い弟だ(笑)。

面と向かってそんなこと言う勇気はないが。
闘鬼神の餌食になりそうだし。

土壇場で天生牙が「助けてやりなよ、いいことあるよ。」と口添えしてくれて?今度は優しさから来る「どけ。」と天生牙を一振り。
「慈悲の心あるんだよ〜、使えるんだよ〜、天生牙。」とアピール、しわたけでもないが、とにもかくにも甘太の父親の命は救われた。

蘇った父親の見た世界「あの世」は犬夜叉とかごめ、殺生丸のある記憶を呼び起こす。
同時に別の場所では白童子(奈落)もその場所の存在に気づく。
この時点では犬夜叉とかごめ、殺生丸をその場所に導いた黒真珠の存在があったから、すんなり行くんだろうと思っていた。
逆に殺生丸は黒真珠がなければ行けないのだけれど、今の殺生丸にはその場所に行く必然性が、とりあえずはない。

この黒真珠、アニメで犬夜叉の右目の中に戻って行ったシーンが強烈過ぎて、原作でも描かれないだけで同様だろうと思っていたのだが。
余談だがゲームではこの黒真珠、売ることも捨てることももちろん使うこともできず、貴重なアイテム欄のひとつを最後まで埋めていた邪魔物だった。
かごめのリュックサックが登場してアイテム欄が増えてからは忘れられたアイテムとなったが。
ああ古い方のRPGゲームの話、PSの、「呪詛の仮面」じゃない方の。

だがなんといっても今回最高だったのは、甘太の父親にぽんと頭を叩かれて、「いろいろありがとな、坊や。」と笑いかけられた時の七宝の満開の笑顔。
「うん、おとうも元気でな。」
甘太の父親の手を自分の父親の手のように感じ、自分の父親に笑いかけたように感じたのだろう。
良かったね、七宝ってじんわり胸が熱くなった。

さっきはあんなこと書いたけど、殺生丸の心も動いてはいたのだろう、きっと。
こんな時にも素直になれない犬兄だから、意外に犬夜叉たちがいなくて甘太だけならあっさり助けていたのかも、かも?かも?かな?

次回からは犬夜叉が、奈落が、一応殺生丸がいかにしてあの場所、父君の墓のある場所、あの世とこの世の境に行くかが大きな課題となる。
だって消えていたし、黒真珠。
(2006年9月7日の日記)  
やっぱりずるい白童子
原作少年サンデー2003年1月29日(9号)第298話「宝仙鬼」

          ☆          ☆          ☆

今回は老人パワー炸裂で久々登場の刀々斎に猛々、冥加、宝仙鬼の息子とおもしろキャラの大集合。
犬夜叉が普通に押されているのがおもしろい。
表紙の雲母の背にぼーっとした表情で乗っている犬夜叉も好き。

犬夜叉が父君の墓への行き方を冥加に聞いている頃、かごめは弥勒たちに墓での経験、黒真珠のことなどを話す。
ここで明らかになるのが役目を終えた黒真珠が消えたという事実。
同じ手段を用いてはもう父君の墓に詣でることはできない。

もうひとつ、冥加や刀々斎は、四魂のかけらがそこにあるはずがないと言う。
父君だけではない全ての?妖怪の墓場であり、特別な道を通らなければいけない異世界。
さらにかつて一緒に行ったかごめもかけらに反応しなかったという事実。

それでもあきらめきれない、というよりかけらがあの場所にあることを確信する犬夜叉たちは、今度は宝仙鬼の元に向かう。
しかし先代の宝仙鬼はすでに死んでおり、今は息子の代。
自称修行中の息子は少々待ってもらわねば、と言う。
その少々がなんと百年(笑)。

座ったままばたばた倒れる犬夜叉とかごめ、淡々とした弥勒と珊瑚の対比もおもしろい。

その頃白童子は最猛勝から「門」というキーワードを受け取っていた。
さらに白童子の使い、神楽は犬夜叉たちに「火の国の山」という情報をもたらす。
火の国(現九州熊本県)の山阿蘇山、今なお煙を上げているという活火山、昔から神秘の山として知られているという。

先行しているはずの白童子は神楽と一緒にのんびりついて来ているらしい。
「こじあける」必要のある門、しかも命と引きかえに。
とりあえず犬夜叉に命と引きかえに門をこじあけさせ、その隙にさっさと入る目算らしい。

さすが奈落の分身、こういうずるいところも父親譲りだ。

          ☆          ☆          ☆

いまいち評判が良くなかった「BLOOD+」のゲーム「双翼のバトル輪舞曲」だけど、CMでよく聞いたアレクセイの声はやはり森川智之さんでした。
ゲームではあまり出番もなく、肩透かしの感が強いですが、やはり森川さんの声の色気?は凄いです。
「戦国BASARA2」でも片倉小十郎役で出演されていますが、ここでも大人の男性の魅力が全開。
特に前田慶次(森田成一さん)との恋談義はときめきつつも笑ってしまうおもしろさ。

でもやっぱり奈落が聞きたいなあと思う今日この頃。
気取り具合が最高の奈落、もう新しい奈落の台詞を聞くことはできないんでしょうか・・・。
(2006年9月8日の日記)  
牛頭馬頭登場
原作少年サンデー2003年2月5日(10号)第299話「門の番人」

          ☆          ☆          ☆

コミック31巻の表紙は珍しくストーリー性を感じさせるカット。
阿毘姫の僕?の鳥たちに向かって犬夜叉が鉄砕牙を振っている。
キャラが勢ぞろいした記念写真みたいなカットよりずっと好きだ。
実は見返しも鳥たち、先生のお気に入りなのか描くのが楽なのか(笑)。

当時はそうでもなかったが、何度か読み返すと犬夜叉に門を開けさせ、その隙に通るって方法、かなり無理がある。
白童子もその無理を感じていたから神楽を使って試してみたとはひどい話。
この頃から悪役だった神楽にいくばくかの悲劇性が感じられるようになり、琥珀への共感や殺生丸への恋を描くことによりヒールではなくヒロインとしてのエンディングを迎えていく。

さて門は鎖により封印され、番をしていたのは麗しき女性の姿をした二体の石像だった。
いえ本当は男性形、というよりおそらく性別のない存在なのだと思うがアニメではぺったんこの胸で、声も男性だった。
ただ牛頭馬頭像など見ていると、実際は原作版よりアニメ紅達編で登場したような、顔がまんま牛だったり馬だったりするのらしい。
ビジュアル的にはこっちの方がずっといい。

何日かかったのか狸の背に乗りのんびり旅を続ける犬夜叉一行。
武蔵の国を離れても妖怪はいると思うので、水戸黄門ばりに世直し旅をしながら行くのもいいと思うのだが、犬夜叉たちも殺生丸&神楽もその辺はさっさと済ませてしまった。
ちょっとつまんない。

この牛頭馬頭が門を開こうとする犬夜叉の前に立ちふさがる。
動き出した牛頭馬頭が問う、「通りたいのか?」
この辺の問答がとても好き。
相変わらず口が悪い犬夜叉だが、気にすることなく問い続ける牛頭と馬頭。
「通りてえにきまってんだろ」

鉄砕牙を振るう犬夜叉だが、この世に生きる妖怪を斬る鉄砕牙では牛頭馬頭を倒すことはできない。
それを告げる冥加の言葉が実は殺生丸=
天生牙の重要な伏線だったりする。
それにしてもよくついて来た、冥加。 冥加の逃げっぷりに関しては映画「時代を越える想い」のクライマックシーンがとても好きだが、それを髣髴させてくれる。

ところで今コナンを見ながら書いてるのだけど、「すっぽん」「かけすじ」「ブドウ棚」なんて言葉は初めて知った。
勉強になるなあ、コナン。
四国は一度行ったことがあって金比羅さんにもお参りした。
あの頃は若かったなあと笑っちゃうのがあの階段を二往復もしちゃったこと。
沿道の風景など懐かしかった。

ED見てて気づいたのだけど、今日のコナンにはBASARA幸村の保志総一朗さん、BASARA光秀の速水奨さんが出演されていた。
普通に喋られると全然気づけない、それほどBASARAのお二人は濃い(笑)。
(2006年9月11日の日記)  
ごり押ししてみたら
原作少年サンデー2003年2月12日(11号)第300話「開かれた門」

          ☆          ☆          ☆

通りたいと望む者がいる限り動き続ける二体の石像牛頭と馬頭。
犬夜叉の鉄砕牙では斬れず、弥勒の風穴で吸い込むこともできない。
苦戦する犬夜叉たちだが、冥加が妙案をひとつ。
石像を倒すのが無理なら、門を封印する鎖を断ち切ってとりあえず入っちゃえと。

石像が斬れないなら、鎖も斬れないんじゃないかと思ったが、そっちはこの世の鎖だったらしく、無事門は開く。
ところが犬夜叉より先に入ろうとしたのは神楽。
ちゃっかり進んだはいいが、門の向こうから差し込む光が神楽に襲い掛かる、のは次回の話。
同時にかごめも四魂のかけらの気配を感じ取るのだが、それもまた次回の話。

牛頭と馬頭は武器を使って普通に殺すようだから?敷石だと思われていた妖怪たちの残骸は、結局鎖を狙って門を開き、光に当たって石化した名残なのだろう。
神楽は長物妖怪たちの背に乗っていたから、先に妖怪たちが石化することにより助かった。
これが犬夜叉だったら大変だった。

結局犬夜叉たちも白童子もこの門からあの世とこの世の境に行くことはできず、後で殺生丸が天生牙のおかげで行くことになる。
ただあの世とこの世の境が結局何だったのかはわからないまま終わってしまった。
妖怪の墓場の一言では説明できない不可思議さがある場所だったが、もう犬夜叉たちが行くことはないのだろうか。

          ☆          ☆          ☆

今日の日記が「過去のサンデー感想」の最終回になります。
301話からはリアルタイムで感想を書いています。
軽い気持ちで始めたものですが、予想以上に大変だったというのが正直な気持ちです。
アニメ感想も過去のものを書いていますが、アニメは30分の中にも起承転結があって書きやすかったです。

原作は1話中ずっと戦うだけだったり悩むだけだったり話が全然進まなかったり。
しかもその後の展開もわかっているわけですから、どうしても新鮮な感想が出てきません。
逆に同じことを何度も書かないようにと思うあまり、突き詰めすぎたり深読みしすぎたりすることもあったと思います。
単純に楽しむ時期はとっくに過ぎたということもあり、本当に書き続けてよかったのかな?と思ったこともありました。

けれどもやり始めたからには、となんとか終えることができました。
今はしんどかったなあという気持ちと満足感で一杯です。
自分で読んでておもしろいと思える考察日記は10日分もないんですが、これから少しずつ修正などしていきたいと思います。
これまで読んでくださって本当にありがとうございました。
(2006年9月12日の日記)  

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