犬夜叉サンデー感想(第301話〜第310話)
牛頭馬頭退場 その後に 〜阿毘登場
原作少年サンデー2003年2月19日(12号)第301話「門のむこう」

          ☆          ☆          ☆

これまでは、アニメ「犬夜叉」の放映順に考察日記を書いてきたが、発売されたビデオに追いついてしまった。
これからは、その週の原作、アニメも取り上げていくようにしたいと思う。

麗しの?牛頭馬頭があっさり引き上げてがっかりしていたが、妖艶な鳥使いの姫「阿毘」が登場。
彼女については後回しにして、まずは「火の国」阿蘇山。
犬夜叉達が雲母に乗って何日かかって九州までたどり着いたのか、途中で野宿もしたろうに、その道中記を描いて欲しかったと思う。
犬夜叉たちが食事をとったり、眠ったりしている間、最猛勝はおとなしく控えていたのだろうか、などといろいろ想像してしまうのだが。

さて「阿蘇山」だが、実は「阿蘇山」という名前の単独の山はなく、中岳を初めとした五岳からなる山々を総称して阿蘇山と呼ぶのだそうだ。
「犬夜叉」に出てくる、私たちにもおなじみのあの大噴火口は、中岳のもの。
昔はこの中岳を霊山とみなし、火口を「神霊池」または「御池」と呼んでいたとされる。

大きな噴火があると、神の怒りと恐れおののき、神霊の祟りとおびえたという。
実際、現在でも熱い水蒸気が噴出する「地獄」と呼ばれる場所(温泉地に多い)も残っているとか。
かごめが見切ったかけらのありか、この世とあの世の境とは、再び閉まった扉の向こう、犬夜叉達の父の墓とはリンクしていないのだろうか。

一方、最近は原作でも出不精をかこっていた奈落が久々に登場する。
いかにも奈落好みの妖艶な美女「鳥使いの阿毘」、鳥使いだけに、「阿毘」の名は鳥の名前から取ったのかと思ったが、とんでもない、「阿毘地獄」からが正解だろう。

地獄の底で釜茹でにされる、それこそ阿鼻叫喚の「阿毘地獄」。
期待にたがわぬ?残忍さを見せてくれるに違いない。
とことん悪役、なのにとことん素敵、高橋先生の真骨頂。
なにやら奈落による「使い捨て」にされそうな様相だが、一筋縄ではいくまい。
もしくは、あの世とこの世を自由に行き来する「姫」なのか。 阿毘の活躍に期待したい。
(2003年2月20日の日記)  
阿毘変化
原作少年サンデー2003年2月26日(13号)第302話「阿毘姫」

          ☆          ☆          ☆

先週牛頭馬頭と必死で戦った犬夜叉一行、今週はもう武蔵の国に戻って来ているようだ。
奈落は結局九州火の国には行かず、武蔵の国で阿毘を口説いて、もといスカウトしていたらしい。

実は私は奈落も大好きで(殺生丸も神楽も大好き、犬夜叉キャラはみんな好き)、性悪美貌の奈落が、妖艶悪女の阿毘に「姫」と呼びかけるシーンなど、背筋がゾクゾクッとしてしまった。

テレビでもさまざまなオリジナル妖怪が登場しているが、私が原作が凄いと思うところ。
散魂鉄爪と飛刃血爪しか持たなかった犬夜叉が、鉄砕牙を得て風の傷、爆流破を会得し、どんどん強くなっていく。

当然敵妖怪も、より強い相手でなくては太刀打ちできない、それは当然であろう。
もうひとつ大事なことは、強いだけでなく、さらに個性的、魅力的にならなければいけないこと。

初出妖怪でも、より魅力的でなければ「犬夜叉」のおもしろさは半減してしまう。
これだけ回を重ねれば、新しい妖怪の創造も困難なことだろうとは思う。
その点、アニメでは巨大化したり、蝦蟇だの蛾だのを蒸し返してみたりしてカバーしようとしていた。

そして今、原作には「鳥使いの姫」阿毘が登場する。
逆髪の結羅がパワーアップして戻って来たような一筋縄ではいかない美女。
この阿毘もついに変化する。
今までの妖怪とどこが違うのか、得体の知れない阿毘の魅力、やはり来週も一番に書店に走ることになるだろう。
サンデーを買うのに、持ち帰るまでの時間が惜しくて立ち読みしてしまう私である。

私が「こちこちの原作派」だなあと思うのは、たとえば今週号で、弥勒の「礼にはおよびません。」に続く台詞と珊瑚の反応を読んだ時。

同じようなことをしてても、あざとくないというか、ほんのスパイス程度のほどほど感がたまらなく好きなのだ。
腹を抱えて笑ってもらいたいわけではない、くすっと笑ってもらえればそれで十分、といった間と余裕。
後の雲母など、わざわざ大写しにしなくても、絶品のカットだと思う。

もうひとつ原作で好きなのが、風穴を開いた弥勒のシーンに弓を構えたかごめのさりげないカット。
「初めてのオリジナル」でも書いたが、アニメではかごめは立派な戦士であり、その面を強調している。
戦闘シーンでは、必ず5人順番に戦いの様子を描いてみせる。
これは好みの問題であろうが、私が好きなのは、やはりこっちのかごめだなあと思う。
描き方の問題であるが、決して前面に出てこない、控えめながらしっかりした存在感を持つかごめが「私は」好きだ。
 (2003年2月26日の日記) 
阿毘撤退
原作少年サンデー2003年3月5日(14号)第303話「三叉戟」

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奈落が阿毘に与えた武器(奈落の骨でできている)の名前が判明する。
「三叉戟(さんさげき)」、いわゆる三叉(三つ又)になった矛であるが、実はこの三叉戟、ヒンドゥー教の有名な破壊神、「シウ”ァ」の持ち物のことを言う。
シウ”ァ自身は男性神で、阿毘とは似ても似つかぬが、その妻パールヴァティの服装はけっこう阿毘と似ていたりする。
ただし、パールヴァティは「愛と美」を司る女神。

だが、さらにおもしろいのが、さらにシウ”ァの2人の妻、ドゥルガーとカーリー。
ドゥルガーは獅子に乗った美しい戦いの女神で三叉戟を持つ。
カーリーは血まみれの暗黒神。色が黒く、生き血を好む。
どうだろう、これらの神々を合体させ、「阿毘地獄」から名前をもらって誕生したのが阿毘とは思えないだろうか。
ただし、調べてみても地獄との関連はなく、これはいずれ明かされるのを待つしかないだろう。

思いがけない犬夜叉の強さに阿毘はいったん引き上げる。
「半妖同士のくだらない小競り合い」とはまあ良くも言ってくれたものだと思うが、いかにもプライドの高い姫らしい。
ここで阿毘と何らかの形で決着をつけ、地獄への手がかりをつかむかと思えたが、そこはさらりとかわされ、邪見とりん、神楽組と神無と琥珀、赤子の片割れ組と2つの謎が新たに出てくる。

いや、今までしまいこまれていた問題に、改めて手をつけたと言った方が良いだろうか。
神楽の疑問と神無の行動がいつか絡み合い、ほどけ合って、答えを出してくれるのだろう。
白童子に比べ、未だに赤子の状態の片割れが、これからどのような役割を担っていくのか、興味は尽きない。
 (2003年3月5日の日記) 
「ネタバレ」? それとも「的はずれ」?
原作少年サンデー2003年3月12日(14号)第304話「聖さまの里」

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乗馬するほどに成長した奈落の片割れ「白童子」に比べ、未だに赤子状態の「黒童子」(髪の毛が黒っぽいので勝手に命名)はさる城の若様として育てられることになる。
一方、とり逃がした阿毘を探し回る犬夜叉達は、久々の(おんぶによる)人助け。

今回新鮮なのは、弥勒まで大真面目に男の人をおぶっているところ。
もうひとつ、恋心を打ち明けあった後でも、雲母の背中で「錫杖乗り」している弥勒。
けっこうシリアスな展開なのだが、目に留まる台詞、カットなど見どころも多い。
タイトルに「ネタバレ」か「的はずれ」かと書いたのは、新たに登場した「聖さま」 の正体。

白童子が遣わしたわけではない、「どこにでもいる祓い屋」で片づけられているが、 襲い来る阿毘たちに向かって弓を射るその姿から、一瞬「桔梗?」と思ってしまった からである。
顔も見せず、声も聞かせぬ正体不明の祓い屋、只者ではないその雰囲気は、決して 「鬼の首城」の祓い屋お婆が戻ってきたわけではあるまい。

ただ、それにしてはアップになった手が荒れていて(老いた感じがあって?)これが 変貌した桔梗の姿と考えるにはしのびないものがある。
犬夜叉達が、白童子に足止めをくらっている間に、聖さまvs阿毘軍団の戦いが始ま る。
一日千秋どころか一日万秋の思いで待ちわびる来週の水曜日。

願わくば、奈落をおびき寄せるためにお祓い屋に身をやつした桔梗の登場であって欲 しい。
 (2003年3月12日の日記) 
聖さまの正体
原作少年サンデー2003年3月19日(15号)第305話「残された矢」

          ☆          ☆          ☆

聖さまの放った矢は白童子の結界を消し、犬夜叉の風の傷が白童子の体を打ち砕く。
矢に桔梗のような霊力がないことは、弥勒ならずとも気づくこと。
(なにせシャッ、ジュッである。)
ここで神楽は白童子に心臓がないことに気づく。

奈落から解放され、自由になりたいと願う神楽は、心ひそかに奈落の死を望んでいるが、私が前から疑問に残っていること。
奈落が死んだ後、神楽と神無は存在することができるのだろうか。
独立した存在ではあっても映画のように、奈落が死んだ瞬間、心臓が神楽の体内に戻るという設定は、少し都合よすぎるように私は感じた。

私は神楽も神無も好きなので生き続けてほしいが、奈落の死と共に、神楽も滅びるのではないかと思ってしまう。
奈落が死ぬ時に、心臓がたまたま神楽の中にあったとすれば話は別だが。
余計な詮索である、読み流していただきたい。

さて、かごめ達、そして読者の疑問に答えて犬夜叉は言う、「桔梗じゃねえよ。」

桔梗が七人隊のように四魂のかけらの力により、蘇ったとしても、死人と墓土の匂いは残る。
煉骨のように、他の匂いのする物をまとっていたとしても、霊力までは加減できまい。
さらに犬夜叉は「どこかで嗅いだことのある(匂い)」とヒントをくれる。
さあここで「奥義皆伝」に飛びついた人は、1人や2人ではないだろう。

弓矢を使う者、若返った楓(目の感じが違う)?蘇った翠子?まさか黒巫女椿や露姫ではあるまい。
楓や椿が白童子の結界を破る力があるとは思えないから、桔梗でなければ翠子しか考えられないが、あり得ない話である。

もう1人の有力候補?阿毘の母。
奈落との会話では、巨大な目しか見えなかったが、あれは変化した姿で、実は普段は 人型妖怪。
聖さまとして自身の周りに人を集め、後でまとめて血を吸うつもり?
阿毘を危険な目に合わせた怒りから白童子に矢を放つ?
血を得る=体力を回復することにより、地獄への道を開く存在ならば、結界破りもお手のもの?
なんか苦しい。
最後の稚児の「持ちこたえているといいのですが・・・」はどう考えても阿毘に対してだし、結局は桔梗説に落ち着くところ。
桔梗好みの大弓を持っていたし。
それにしてもこの稚児、どう見ても走っているようには見えないのが不思議なところ。
飛んでいるのか、ジャンプなのか。

桔梗の匂いが変わったのは、魂が他の人間に乗り移ったか、だとすれば犬夜叉の愛した桔梗の面影はそこにはないことになる。
それもなんだか信じられない、ということで推察も挫折、ひたすら来週を待ちわびることにしよう。

ところで白童子、人間の心は捨てたはずなのに、まだ背中に蜘蛛がはりついている。
これはなぜだろう。
まだ捨てきれぬ鬼蜘蛛の心か。
だとすれば奈落は桔梗を手にはかけたが、殺しきれなかったことになるのだが。
 (2003年3月19日の日記) 
かわいそうな阿毘
原作少年サンデー2003年3月26日(17号)第306話「里の結界」

     ☆     ☆     ☆

  最初に阿毘が登場したとき、久々に魅力的な大物妖怪が登場したと思った。
(なにしろあの厚化粧であるし、あの世とこの世を行き来もできるらしいし)
ところが実際にはこの阿毘、どうにも使われ方が中途半端で、いまいち不満を感じ る。

おまけに聖さま=桔梗?まで登場して話題をひっさらい、犬夜叉達も里まで来て聞くのは阿毘ではなく聖さまのこと。
はっきり言ってもったいない。

あの世のかけらと、聖さまと重要なモチーフは2つ。
さりげなく伏線をはって、それらの謎が絡み合い、紡ぎ合って、あっと驚く大展開を見せるのが高橋先生の技だろうが、今回に限り、どうもあっちにふらふら こっちでふらふらと言った間延びした印象を受けてしまうのはなぜだろう。
阿毘と共に読んでいるこちらまで意味もなく振り回されている気がする。

聖さま=桔梗説は犬夜叉一行の中でもずっとくすぶっていたにもかかわらず、奈落が桔梗を再び襲うかもしれないという危機感が妙に希薄なのも気がそがれる。
前にお邪魔したサイトの掲示板で白霊山のエピソード、奈落により殺された?桔梗を探しに行く犬夜叉とは対照的に、かごめ達の桔梗に対する思いやり、気づかいといった部分があまりにも希薄だという意見が出て、けっこう議論になったことがある。

その時はどちらかと言うとかごめ擁護派だった私でさえ、今回の展開は首を傾げてしまった。
さて、これから物語はどう進んでいくのか、今までとは違った意味で目が離せない。
 (2003年3月26日の日記) 
再び聖なる山
原作少年サンデー2003年4月2日(18号)第307話「禁域の山」

     ☆     ☆     ☆

白霊山に続く聖なる山シリーズ第2弾、普通なら「えっ、また?」と思うところだ が、なにせ聖さまの住処なのだから、どうこう言う筋合いはない。
最初になんだかかわいくなった楓が登場、桔梗の祠の墓土を取りに来た2人の稚児と 遭遇する。
この稚児たち、私は聖さま=桔梗説だから、死魂虫の変化した姿だと思っていたのだ が、楓によると式神らしい。
墓土は桔梗の体や顔の修復作業に使われるものとみたが、さて・・・。

一方、聖さまを追う犬夜叉一行は奈落の妖怪退治。
いつもなら真っ先に突っ走る犬夜叉に、ここで初めて迷いが見られる。
会ってどうする、わからねえ、でも会わなくては先に進めねえ・・・、前にも出てき た言葉がふたたびくり返される。
犬夜叉の葛藤、この時かごめはやはり蚊帳の外。

かごめが白童子にさらわれた後の「もしもまた桔梗の手がかりを聞かされたら、探し に行くでしょ。」「行かねえ!」に続く会話は全く頭にないらしい。
これに対し、相変わらずのかごめの寛容さが発揮されるが、すんなりと犬夜叉の背に 乗っているところなど、もうあきらめたのか開き直ったのか、自信があるのか余裕が あるのか、今までとはだいぶ様子が違うようだ。

今回ちょっと引っかかったのが、聖さまの矢に「破魔の矢」という言葉が始めて使わ れていること。
前に「桔梗ほどの霊力を感じない」と言っておきながら、「破魔の矢」発言。
これは弥勒たちも聖さまを桔梗と認めた証の言葉か、単なるミスか。

もうひとつ、奈落の妖怪たち、別にここで蹴散らさなくても、禁域の山には入ってこ れないはず。
わざわざ相手にするほどのことはあるまいと思ったが。
結局、奈落の妖怪たちのおかげで、犬夜叉だけが聖さまと遭遇。
来週こそ聖さまの正体が明らかにされるのだろうか。
 (2003年4月2日の日記) 
桔梗であって桔梗ではない存在 〜聖さまの正体
原作少年サンデー2003年4月9日(19号)第307話「滝壺」

     ☆     ☆     ☆

「してやられたっ!」と思った。
聖さまの登場で、誰もが桔梗と思っただろう。
そこで犬夜叉に「この矢からは桔梗の匂いがしねえ。
もっと別の・・・ (どこかで嗅いだことのある・・・) とにかく、おれたちの味 方の匂いじゃねえ。」と語らせている。

聖さまの正体は桔梗の式神(人形によって作られた)であり、放った矢の矢尻には鬼 蜘蛛の洞穴の土が塗ってあった。
説明役として神楽も登場。
たしかに、鬼蜘蛛の洞穴の土は桔梗を守り、奈落(白童子)を傷つける。 
嗅いだことはあっても味方ではない、見事に符合する。
さらに読み返してみると、弥勒が「桔梗さまほどの霊力は感じなかったが。」と言っ ている。
普段の桔梗ほどではなかったにしろ、霊力があったのである。
この「土の結界」、アニメではすっぱりカットされていたが、これからどう帳尻を合 わせていくのだろうか。

きちんと読めば気づいたであろう、聖さまの正体。
神楽が聖さまを破壊したことでその正体がわかる。
桔梗の顔を持ち、体のない存在、桔梗の魂により操られる存在、それが聖さまだった のだ。

本物の桔梗は動けもせず、声も出せぬまま、滝壺に横たわる。
楓の村の桔梗の祠、そこから取ってきた墓土が桔梗の体を修復したのか、美しいまま の桔梗である。
しかし、瘴気に蝕まれた体はもうすぐ命が尽きかけようとしている。
そこにただひとり導かれたのはかごめだった。

そこで稚児ふたりがかごめに放った言葉、「お選びください。(桔梗を)お救いする か・・・ しないか・・・」
救うためにはどうしたらいいのか、彼らは語ろうとしない。
ただ答えだけをかごめに求める。
読む者は必要なのはかごめの魂だろうと推測する。

ただし、魂を分け与えるだけでいいのか、全てを返さなければならないのか、そうす ればおそらくかごめ自身が消滅することになる。
もしくは桔梗との同化か。
この稚児たちは、楓が式神と言っていたが、どう見ても死魂虫に私には思える。
桔梗のために意思を持った存在として行動する存在である。

簡単に救うことを選ぶわけにはいくまい、少なくとも今週は。
これからまた1週間かごめは迷い続け、私も悶々と日を過ごすことになる。
それにしてもここまでして奈落と戦い続ける桔梗、凄惨である。
凄惨なだけに哀しく切なく、美しい。
 (2003年4月9日の日記) 
危ういけれど・・・
原作少年サンデー2003年4月16日(20号)第308話「選択」

     ☆     ☆     ☆

先週のサンデー感想で「必要なのはかごめの魂ではないか」と書いたが、思いきりは ずしたらしい。
桔梗を救うためにかごめがすべきことは、桔梗に触れ、瘴気を浄化することだった。
しかし、その方法を聞く前に、かごめはためらいなく桔梗を救うことを決意する。

かごめの霊力+迷いのない暖かい心が桔梗を癒し、復活させた。
桔梗が恋敵であるとか、犬夜叉のために仕方なくやるとか、そういった迷いがあれば 桔梗の胸の穴は埋まらなかった。
本当にこんな人間っているの?と思う。
同時にかごめなら、とも思う、また、いて欲しいとも思う。

でき過ぎ説も巷にはあるようだが、私はやはりこんなかごめであって欲しい。
それでいて、「犬夜叉は桔梗に会いたがっているのよ。くやしいけど・・・」という 本音を漏らす。
また桔梗相手に「本っ当に素直じゃないんだから・・・」と、構えたところが全くな い。
こんなかごめが私は好きだ。

比べるものではないかもしれないが、アニメの桔梗とかごめが洞窟に閉じ込められる オリジナル、やはり何かが違う。
あそこで桔梗とかごめの微妙な関係に安易に踏み込んだが、いつか今回のエピソード をアニメ化するときに、そのつけが回ってくることになるだろう。

それほど桔梗とかごめの関係は危うい。
危ういが、かごめはたしかに桔梗をも少しずつ癒している。
桔梗がかごめを認め、少しずつ癒されていくのなら、いつの日か2人の同化はあり得 るのだろうか。
犬夜叉を愛する、同じ魂を持つ者として。
裏陶の時のように、桔梗が吸収されるという意味ではない。
2人の魂がひとつに寄り添う、真の意味での同化である。
そうであって欲しいと思う。

土でできた体に与えたぬくもり、与えたのはかごめだった。
今回のエピソード、桔梗にとっては救いの物語ではなかったろうか。
 (2003年4月16日の日記) 
一息ついて、阿毘再登場
原作少年サンデー2003年4月23日(21号)第310話「苛立つ心」

     ☆     ☆     ☆

先週までの桔梗とかごめの息づまる展開がひとまず終わり、桔梗が去った。
この後、犬夜叉と桔梗が会ったりすれば、緊迫感が続いたろうが、今週のサンデーで はお約束の犬夜叉とかごめの桔梗問答。
いつもと違うのは、犬夜叉が「かごめによって桔梗が治ったのならもう会いに行かな い。」と初めて言ったこと。

かごめのために無理に言ったという感じではないので、犬夜叉の気持ちが大きく変 わったことを意味するのだろう。
犬夜叉の成長ではあるが、桔梗のために寂しくもある。
別に「犬夜叉&桔梗派」でも「犬夜叉&かごめ」派でもどちらでもないのだが。

ちなみに表題の「苛立つ心」、犬夜叉のことかと思ったら、かごめの方だった。
ただ、今回に限って言えば、かごめの心の急展開、ちょっと不自然な気もする。
今までかごめの心の移り変わりに違和感を持ったことはないが、今回に限り、であ る。
桔梗が絡むたびに同じことをくり返すより仕様のない状態だからかもしれない。

桔梗が現れ何かが起こる、犬夜叉の心が揺れる、かごめの心が苛立つ、桔梗が去る、 喧嘩になる、仲直りするのくり返し。
そこでこの三角関係に大きな変化が起これば、物語の方も一気に進むだろう。
それはまだ避けたい、そんな状態のように思える。

ここですっぱり描く方も読む方も頭を切り替えて阿毘登場。
初登場時の存在感に比べ、めっきり影の薄くなった阿毘本人より、巨大な、「名探偵 コナン」の犯人のごとき目を持つ、母親の方が意味深な存在である。
洞窟から出て来ないくせに、阿毘本人より物知りの母、その正体に期待である。

「怪しい城」とは奈落の双子の片割れの住む城だろうとは思うが・・・。
 (2003年4月23日の日記) 

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