犬夜叉サンデー感想(第371話〜第380話)
優しい奈落・・・
原作少年サンデー2004年8月4日(36号)第371話「神楽の心臓」

     ☆     ☆     ☆

今週号は「犬夜叉」「結界師」他いくつかの作品で扉絵4分の1くらい使ってあらすじ説明とキャラクター紹介をしている。
いつも通りの扉絵作品もあるのは、書き上げるのが早かった先生たちの分かな?などと考えるのはおもしろいが、絵が切れてしまうのが残念。

特に「犬夜叉」はタイトルロゴも大きいので、奈落と神楽が顔を合わせた表紙絵はわずか半分ほど。
いつもの迫力が感じられない。
できれば今週号限りにして欲しい。

さて今回の「犬夜叉」、こちらで神楽と奈落が緊迫の対面を果たしている頃、あちらでは魍魎丸に襲われた珊瑚と琥珀と雲母が絶体絶命、そして犬夜叉たちは琥珀と魍魎丸のかけらの気配が近づいていることを知り、その場に急ぐ。
そしてもう1組、豪華にも奈落の存在に気づいた殺生丸一行が登場。
何にときめくと言って神楽をはさんで対立する奈落と殺生丸の図(想像中)。

奈落の匂いに気づいた瞬間の殺生丸の美しさと、とってつけたような吹き出しの「!」。
白心上人の時も見せていた、奈落の優しげな笑顔も怪しすぎてときめきっぱなし。
「神楽・・・ きさまに自由をやろう・・・」
そしてその手には神楽の心臓。
「きさまにかえしてやろう。」
微笑む奈落。
「だから殺生丸に嫁に行け。」とは私の心の中の声。
もうすぐ婿殿がやってくるし。

そんな読者のときめきを裏切るのが
「渇望した自由が目の前に!?
だが、奈落の真意、言葉通りではない・・・!?」
そりゃそうだろうと思うが、いいのかそこまで言っちゃって(笑)。

そして琥珀を探して飛び回る珊瑚と雲母は魍魎丸に襲われる。
魍魎丸は雲母を取り込もうとし、珊瑚の飛来骨も歯が立たない。
傷ついた珊瑚をかばう琥珀。
ついに琥珀の心を珊瑚が知ることになるのだろうか。
珊瑚と琥珀は犬夜叉が間に合うだろうから、まあ安心だが、赤子に琥珀の心を知られる展開になったらどうなるのか。

もはや赤子と奈落は繋がってないし、そもそも赤子が白童子の死を知るはずもない。
奈落一家の謎がさらに深まり次週に期待。
(2004年8月6日の日記)  
二つの命
原作少年サンデー2004年8月11日(37号)第372話「終わらない苦しみ」

     ☆     ☆     ☆

神楽の自由の代償は、絶望と苦痛に満ちた束の間の生だった。
神楽の体に心臓が戻ると同時に奈落の触手が貫き、瘴気が注ぎ込まれる。

「せいぜい楽しむがいい。
命尽きるまでの短い時間(とき)を―

     ―(中略)―

神楽よ
それが・・・
きさまの求めていた自由だ。」

人の心を捨てて完全なる悪になりきった奈落よりも、私は以前の人の心を抱えこんだ奈落の方が好きだったが、奈落の魅力、ここに極まれり。
ここまで見事な悪役ぶりを演じられると、神楽に残酷な仕打ちをする奈落への怒りを通り越して、その向こうの高橋先生に拍手喝采を贈りたくなってくる。
なんというか、「犬夜叉」の世界を突き抜けてしまった。

一方琥珀。
気を失った珊瑚を救うべく、かなわぬと知りながら魍魎丸(赤子)に挑む。
もちろん太刀打ちできるわけもなく、魍魎丸に捕らわれるが、ここで琥珀の心を読んだ赤子の台詞、
「そうか琥珀おまえ・・・
記憶が戻ったのか・・・」

スケールの大きな奈落に比べて今頃気づいたか、やはり赤子も白童子の二の舞の予感大。
意識を取り戻した珊瑚の前で、赤子の心理攻撃にもたじろがぬ琥珀。
「ただでは死なん。」
かつて記憶を取り戻したら心が壊れてしまうと思われていた、気の弱い少年は本当に哀しいほど強く成長した。
しかし今四魂のかけらを奪われようとするその瞬間、間に合ったのは犬夜叉。

となれば神楽を救うのは当然殺生丸?と思わず胸きゅん。
以前胸に大穴をあけられた神楽が「くたばる前にただ一度だけ・・・」と殺生丸の元に来るエピソード、ものすごく好きだが、鼻も利かない神楽がよくもまあ放浪の貴公子の居場所を見つけたものだ、これも愛の一念か。
白馬に乗った王子様、でもなく阿吽に乗っても来ないだろうが、次回がもう待ち遠しくて。

ところがこの二つの命が消えようとしている今、重要な意味を持ってくるのが天生牙。
以前カワウソ妖怪甘太のエピソードで、甘太の父妖怪が「一度死んでから蘇る」様を犬夜叉たちは見ている。
ここで珊瑚に「天生牙で琥珀を助けてもらえるのでは。」という発想が出てこないのが不思議だったが、こんな時、神楽が死んでも天生牙、琥珀が死んでも天生牙、では二つの命の重みが消え失せてしまう。
天生牙と琥珀の命、今後絡んでいくのか、絡むとすればどのような形で絡むのか、甘太の時からとても興味を持っている。

この天生牙、殺生丸を守り、殺生丸に使い時を教え、とまるで自分の意思を持っているかのような反応を示す妖刀。
父君から流れこんだであろう優しい心が琥珀を救ってほしいと願わずにはいられない。
ところで、このテーマになると必ず思い出すのが、ゲーム第1弾RPG「犬夜叉」。

これは「犬夜叉」の始まりから原作にオリジナルのシナリオを絡めて、なんと完結してしまう。
その中で琥珀編も出てくるが、琥珀は「意識を取り戻し、自らの意思でかけらを取って消えて行く。」
消えて行くとはつまり死ぬこと。
ゲームながら、この選択には度肝を抜かれた。

だが冷静に考えると、そして今の琥珀を見ているともしかしたら正しい選択なのかもしれないとも思う。
珊瑚は違う。
珊瑚はたった1人の弟、生きていて欲しいし癒してあげたいし、共に生きたいと願うだろう、当然の感情。
これに対する1人の人間としての琥珀の選択、果たして珊瑚の想いに甘んじていけるだろうか。

琥珀にも神楽にも生き抜いて欲しいし、ハッピーエンドが望ましいのは当然だが、作品にリアリティを持たせるためには、やはりそれぞれの登場人物がその性格や設定に合った生き方をすることだろう。

ところでこのゲーム、他の部分でも度肝を抜かれる。
犬夜叉たちは奈落の城に乗り込んで神楽と神無を倒し、奈落をも倒すのである。
ところが奈落は死なず、なおも生き抜こうとする。
そこに登場したのが桔梗。

桔梗は奈落を滅し、自分も滅びる道を選ぶ。
2人が消えた城跡で呆然とする犬夜叉にかごめが言う。
「桔梗が)許してくれたのよ。」たしかこんな台詞。

そして2人は再び砕け散った四魂のかけらを捜す旅に出るのである。
完全に桔梗は脇役、考えられないこと。
今だと「なんと安易な」と驚いてしまうが、この時点ではまあ納得できることではあった。
逆に原作においてこの結末だけはあり得ないとも言える。

奈落は恐怖と怒りに打ち震えながら死んでいくが、実は後から桔梗にしっかりと抱きしめられる至福の一瞬。
もしかしたら本当にこんなことになったら、鬼蜘蛛の心、人の心に戻って静かな死を迎えるか、あり得まい、もちろん。
 (2004年8月11日の日記) 
うつろな瞳
原作少年サンデー2004年8月18日(38号)第373話「姉弟」

     ☆     ☆     ☆

今回は珊瑚と琥珀の姉弟の絆が主題となるが、琥珀が犬夜叉たちに救われた時点で私の中では一安心、わりと淡々と読んでいた。
ところが最終ページ、花に埋もれてうつろな瞳の神楽に胸がしめつけられた。
生きているのか死んでいるのか、奈落の元から逃げ出したことにより、結果的に奈落を追う殺生丸からも離れてしまったことになるのか。
殺生丸の天生牙が神楽と琥珀を救うのか。

相変わらず何もわからないことだらけだが、神楽はやはり殺生丸に救って欲しいと思う。
今は犬夜叉たちと琥珀が神楽の血の匂いを追いかけていることになるが。

今度のアニメは最終回を迎える前の珊瑚と琥珀の関係にアニメなりの決着をつけることになるようだ。
公式サイトをのぞいてみたら、雲母の視点で昔を懐かしみ、退治屋の里で珊瑚と琥珀が出会うことになるらしい。
原作では今回珊瑚が琥珀の心を知るが、アニメではどうなるのか気になるところ。

掲示板で「犬夜叉公式サイトがよみうりテレビのランキングで1位」のニュースを知らせていただいた。
嬉しい反面寂しく感じるのは、アニメ初期の頃は知らないが、最近ではアニメ終了が正式発表になって初めて1位になったこと。
これまでずっと1位だったら少しは歯止めになったかもしれないのにな、と思う。

アニメ終了が、原作に(高橋先生の気持ちに)どれほどの影響を与えることになるかはわからないが、これからも「犬夜叉」を応援し続けていきたいと思う。
 (2004年8月21日の日記) 
涙こぼれた
原作少年サンデー2004年8月25日(39号)第374話「風」

     ☆     ☆     ☆

最初に読んで、不覚にも涙がこぼれた。
「どうして」って気持ちと「やっぱり」って気持ちが心の中でせめぎ合い、何度も読 んだ、読むたび泣けた。

愚かなのは奈落。
いつもすぐには殺さず、苦しむ余地を残そうと画策することが結局相手に救いを与え る。
哀れなのは奈落。
束の間苦しんだけど、神楽は最高の幸せと共に逝った。

しかし神楽は奈落の分身。
人を愛する心が神楽にあるなら、それはまぎれもなく奈落(鬼蜘蛛)から受け継いだもの。
邪な男が桔梗に会ったことがいけなかったのか。
優しい巫女が鬼蜘蛛を救ったことがいけなかったのか。

全てが翠子の時代に遡って定められた運命ならば、それは鬼蜘蛛奈落にとっても悲 劇。
正義の味方が成敗する結末だけは見たくないな、そう思った。
その意味で私は決着をつけないアニメの終わり方は大歓迎。

奈落の瘴気のためか天生牙も神楽を救えず、殺生丸も神楽に触れることができない。
なまじっか殺生丸が神楽を抱きしめたりせず、その姿を見守るだけというのがたまら なく素敵だった。
心臓があって始めてときめく神楽の心がせつなくて。

その瞳に愛しい人の姿を焼き付けて、神楽は逝った。
たぶん、これは私の想像だが、殺生丸に神楽への恋愛感情はないような気がする。
神楽の運命を見据え、その恋心に応えるために殺生丸は来た、そんな風に読んだ。
殺生丸もまた父より受け継いだ優しい心の持ち主、その証だと。

神楽と殺生丸の素敵なシーンは前からあったが、神楽を見送る殺生丸の視線には恋と いうより思いやり、同情、いたわり、そんな感情があふれていたような気がする。
もちろんこれは私の勘違いかもしれない。
殺生丸にも神楽への想いはあった、そう解釈するべきかもしれない。

けれども私にはそう見えた、ただそれだけ。
余計にせつない。

なんだか犬夜叉たちが殺生丸の「笑っていた・・・」という一言を引き出すためだけ にいたような気がして可哀想ではあった。
アニメでも琥珀と雲母が力強く描き上げられ、主役のはずの犬夜叉たちは太陽の周り を回る衛星のように近づけず目立てず、そんな位置にいたが、このようなエピソード の時は仕方のないことなのだろう。

桔梗が奈落に瘴気の底に落とされた時のように、犬夜叉が殺生丸が手にかけたと勘違 いしそうでハラハラしたり、神楽の死に様が一瞬蛇骨と重なったり(色っぽさが)と 余計なものも感じたが、最後の最後に洗練された大人の恋物語を見せても らった。

「神楽が」迷いなく手にかけた妖狼族や人間たち、彼らのことを考えると、ここまで 綺麗に逝っていいのだろうかという気持ちは正直ある。
琥珀を逃がしたことがその償いの形となったのか。

だが

―あたしは風だ。
  自由な風だ。

舞い上がる風となって逝った神楽にはやはり良かったね、そんな風に言ってあげた い。

「風のように生きた神楽、風のように散る。」
最終ページの一文がどんな言葉よりも雄弁に神楽の全てを物語ってい る。
この方に新聞のあおり文句もお願いしたい。

アニメ終了の寂しさを吹き飛ばしてくれた素晴らしい今作に、諏訪氏のアニメ日記に 関して書きたかったことなどすっ飛んでしまった。

今日はもうどうでもいいや。

今日だけは神楽と殺生丸の素敵な恋物語に酔い痴れていたい。
ついでに夢でも見ようか、メンバーが1人増えた殺生丸一行。
邪見の悩みの尽きない日々を。
 (2004年8月25日の日記) 
新展開 そして急展開
原作少年サンデー2004年9月1日(40号)第375話「胸の穴」

     ☆     ☆     ☆

神楽の死の寂しさを未だに引きずっているこちらにしてみれば、あっけにとられるほどの言葉どおりの新展開。
連載物の宿命なのかもしれないが、登場人物がほんとに「人の死」を引きずらないな、そう思う。
もちろん冒頭で神楽の死を悼む犬夜叉たちから描き始めたらだれるかもしれないし、「犬夜叉」はストーリーのスピード感でぐいぐい読者を引っ張っていくのが持ち味だと思うので仕方がないと言えば仕方がないとも言える。
しかしそのために切り捨てられる部分のことを考えるとちょっと寂しい。

もちろん神楽の死からどれくらいの日数がたっているかわからないし、犬夜叉たちは何かと忙しそうなので、こちらは先週号から今週号までの間に犬夜叉たちの神楽を悼むに十分な時間が過ぎたことを想定しながら読むことになる。
むしろ殺生丸の方が、その辺の大岩に腰かけて空を見上げながら想いを巡らせているような気がする。

どきどきしながらページをめくったら、いきなり懐かしいような嬉しいような笑えるような2人連れ発見(笑)。
七人隊だのいろんなところに登場しては辛くも?逃げ延びるお笑いに近いキャラだが、今回彼らが出会うのは眠れる森の姫ならぬ桔梗。 ここでほとんどの人が晴海を思い出すだろう。
同時にここで桔梗が彼らを殺しにかかると思う人はもういまい。

長い年月を経て(実際は数ヶ月?)桔梗も変わった。
だが思い出されるのが晴海の悲劇。
晴海にしても無双の名の元となった僧にしても、なまじっかな法力があったばかりに逃げもせずに立ち向かい、殺される。
今の桔梗の心の中に、晴海を殺したことは傷として残っているのだろうか。

それはともかくとして、こんな情けないと言っては失礼だが、僧ですら通り抜けること ができた桔梗の結界、つまり桔梗の霊力がそれほど衰えてきているということか。
ここで飛鳥と胡蝶が復活し、嬉しいのだが次の桔梗の心のつぶやきにどきりとする。

「このままでは奈落を倒す前に・・・」
私には「命が尽きてしまう」と補えた。
「霊力がなくなってしまう」という意味かもしれないが、琥珀や神楽と違い、桔梗は体自体がまがい物。
犬夜叉への怨念がなくなれば消え失せるはずだった桔梗の体、むしろ怒りや憎しみに満ちていた方が保ち続けることは容易だろう。

今の桔梗が死魂と使命感で生き続けるものならば、気力霊力の衰えは致命傷になりかねない。
琥珀はとりあえず奈落から離れたことにより死の危機は免れた。
いかに奈落とて超能力でも使わない限り、今の琥珀からかけらを抜き取ることは不可能。

桔梗の強さに、その危うさを気づいてやれない犬夜叉を歯がゆく思いながら読んだところで、舞台は一転。
先日のアニメ「秘密の花園」とリンクしているかのように犬夜叉たちは退治屋の里を訪れる。
住む者のいない里は荒れ果て、「みんな安らかに眠ってる。だからもう・・・」との珊瑚の言葉が虚しく響く。

珊瑚は琥珀を取り戻した、それである程度満足しただろう、でも琥珀は?
死んでから安らかに眠っていると言われて自分の罪が消えることはない。
琥珀に救いがあるとするならむしろ「奈落に操られていたのだから」という部分ではないだろうか。

珊瑚の純情一筋で生真面目な、ある意味世慣れぬ性格がよくわかる場面だと思う。
もっともこの後、翠子の異変に気づいた冥加が犬夜叉たちを連れてきたことが明らかにされ、胸をなでおろす。

そして翠子再登場。
今回一番の急展開は、翠子の胸の穴が光、中にサナギがいたこと。
しかもこれこそが桔梗の操る死魂虫のサナギだった。
七宝の宿り蛹はお笑いだったがこっちのサナギはとことんシリアス、犬夜叉だけがサナギに桔梗の匂いを感じ取る。

その犬夜叉の態度(1人で見張りに残る)に気づいたのが冥加と七宝、これはすごい。
七宝って子供だけに余計な深読みしないというか鋭いひらめきを見せることが多くて時々驚かされる。
ここで囲炉裏の側に退治屋仕様の珊瑚と琥珀が並んで座ってるのがものすごく新鮮。
しかも全く違和感がない、ここは見ていて良かったなあと思う部分。

そしてサナギは死魂虫になり、桔梗を確信した犬夜叉が死魂虫を追う。
その桔梗は禊の途中・・・。
「もはや引き返せんな・・・」
その言葉に感じる不安、桔梗の中で時間は限られているのだろうか。

ただしこれまで、それこそ晴海編の頃から死魂虫を翠子から得ていたかということには疑問を感じる。
桔梗が蘇ってからもしばらく珊瑚は退治屋の里で暮らしているし、やはり今回の死魂虫は特殊なのだと思う。
けれども何事かを(おそらくは奈落との対決)決意した桔梗が翠子の骸に頼ったことはとても不思議に感じた。

私は生まれ変わりということで、翠子=桔梗=かごめをイメージしていたのだが、こういった場面を見ると、翠子にとって桔梗は娘であり、かごめは孫である、そんな見方もできるんだなと思った。
時には母が娘を助け、傷ついた母を娘が癒し、弱った母はその母を頼る、意外にしっくりくるような気がする。

翠子にとってはしっかり者で出来のいい娘と、頼りないがいざとなるととんでもない力を発揮する孫、そんな感じ?
なんだか同一人物説より馴染みやすい説かも、私にとっては(笑)。
それにしても原作において話が大きく動くと、今度こそ結末に向けての加速かといつもドキドキさせられる。

結局なんだかんだ言っても読者は高橋先生の手の上で踊らされているんだなと思った。
今はとにかく桔梗の無事を祈りたい。
同時に犬夜叉と桔梗の2人で奈落と対決となったらそれも予想外の展開となるのだが、映画との兼ね合いもあるのだろうか。
最近アニメと原作のストーリーが微妙に絡むことが多いのでとても気になる。
 (2004年9月1日の日記) 
琥珀と翠子
原作少年サンデー2004年9月8日(41号)第376話「同じ魂」

     ☆     ☆     ☆

先週は桔梗が動いた。
今週動いたのは琥珀と翠子?
先週桔梗が翠子の魂(死魂虫にて)を求めたことで、私はもしかしたら翠子は消滅するのかもしれないと思っていた。
桔梗に魂を与えたことで桔梗と同化した木乃伊はもはや抜け殻、そう思ったから。

ところが物語は逆に、翠子が蘇りつつあるような展開を見せる。
まるで桔梗に助けを求められたことで眠りから目覚めるかのように。
翠子は四魂のかけらを体に埋めた琥珀にまず指示を出す、「行け」と。

かけらに導かれた琥珀は翠子の結界を越え、結界はかごめを拒む。
琥珀は珊瑚に「心配しないで」の言葉を残した。
奈落を倒すためにかけらが琥珀に行けと命令した。

ものすごく不思議な展開となりつつある「犬夜叉」。
安易ではあるが、私も最後は犬夜叉とかごめが奈落を倒す、そんな固定観念にとらわれていたようだ。
しかし、今回は犬夜叉と桔梗が合流し、琥珀が動き出す。
奈落を倒すという殺生丸の決意も、神楽の死で余計強まっているに違いない。
アニメではじかれた鋼牙だって黙ってはいないだろう。

それにしてもかごめが翠子の結界に阻まれた意味が不可解。
雑念を捨てきれないかごめの心の弱さか、ここで突然思い出したアニメの「翠子のおすわり」。
あの時は犬夜叉がはるか彼方まで飛ばされていたが、それに近いものがあるかもしれない。

一方桔梗と犬夜叉。
滝壺でかごめによって一度は癒されたものの、桔梗の傷口は再び開き始めた。
奈落の恋心転じて憎しみ(呪う気持ち)がそれほど強いと言うこと。
翠子の魂を使わなければ、桔梗の体は瘴気に蝕まれ、骨と墓土に戻ってしまう。
つまり今度こそ本当に死んでしまうことになる、神楽のように。

「そんなに悪かったのか・・・」
犬夜叉の台詞。
これまで桔梗をなんだと思っていたのか、不死身の鉄人と?
桔梗の孤独な戦いの意味を知り、守るべき相手はかごめだけではないことに、やっと気づいた犬夜叉。
犬夜叉が守るべきはかごめであり、同時に桔梗である。

恋する気持ちは、おそらくもうかごめだけだろう。
それでも犬夜叉には、1つの魂を持つ2人を同様に気遣って欲しかったから、今日の展開は素直に嬉しい。
原作にも最後はある。
もちろんどんな結末になるかは予想すべくもないが(いろいろ予想はしているが)、やはり最後に奈落に立ち向かう犬夜叉の側には、桔梗とかごめ、2人が寄り添っていて欲しいと思う。

          ☆          ☆          ☆

最終回スペシャルはレギュラー以外にも出演される声優さんが多いので、きのう早めにチェックしていたが、なんだか違和感、弥勒がいない・・・。
ストーリーにはもちろん絡んでいるし、辻谷さん自身ご自分のサイトの「diary」で最終回収録にあたっての「犬夜叉」への想いを語っておられるので、これは明らかにミスだろう。
できることなら直していただきたい、特に最後なのだから。

弥勒というキャラ、そして辻谷さんに対してとても失礼なことだと思うから。
いつもはまず犬夜叉一行の声優さんを紹介し、それから楓や冥加の紹介が入るが、今回は京田さんや緒方さんなどのベテラン声優さんに敬意を込めて並べ替えてあり、その結果のミスだろうとは思う。
映画の宣伝や視聴者への対応で大変なこととは思うが、これだけは直して欲しい。

          ☆          ☆          ☆

サンデーにて「一旦お休み」宣言されたアニメ「犬夜叉」。
原作がたまったら放映再開なのか、一旦お休みして次は映画がだよって言いたいのか、映画までの間に視聴者の熱気が冷めるのを恐れて、ファンの応援次第では再開するかもしれないと思わせるためなのかわからないが、先日のラジオにしろものすごく曖昧で中途半端なコメントが続いている。

これはなぜだろう。
特にアニメ「犬夜叉」が低年齢層の視聴者を強く意識しているのなら、終わりは終わり、映画は映画、再開するなら再開するとはっきり伝えるのが筋だと思う。
公式サイトのお便りコーナーや他の交流サイトさんなどなかなか目を通す時間がないが、ファンの皆さんが冷静に受け止めてくださっていればいいなと思っている。

アニメ「犬夜叉」に関しては、みんながあまりにも振り回されすぎて、せめて最後だけは寂しいならば寂しいなりに、納得して終わりたいと願っているのではないだろうか。
 (2004年9月8日の日記) 
魂の対決
原作少年サンデー2004年9月15日(42号)第377話「使命」

     ☆     ☆     ☆

あの・・・大事な人を忘れていやしませんか・・・?

アニメ終了と同時に加速し始めた原作スリリングな展開、にもかかわらず謎も多く、先が読めない苛立ちもエスカレート。
あっ、もちろんいい意味で。
ただし今回いつにも増して紙面が汚い。
紙質の関係である程度なら仕方がないが、特に桔梗の緑なす黒髪がボハボハでこれはひどい。

それはともかくとして、謎も増えたが今回わかったような気がすることもあった。
1つ1つたどってみたい。

私はずっと、桔梗は死人(しびと)となることで、犬夜叉と共に長い年月を生きることができるようになった思っていた。
まずこれは大きな間違いだった。
今回桔梗は奈落の瘴気のために再び傷が開いた(前にかごめが癒した部分)。
桔梗と同じように「四魂の玉を汚す奈落を倒そうとしている」翠子の意思(魂)によって傷はふさがり、治ったかのように見える。

しかし「完全に治ったのか!?
もう二度と傷は開かないのか!?」

犬夜叉の問いに桔梗は「わからん。」と答える。
桔梗の命はこれほど危ういものだった。
仮に今回奈落の瘴気を受けなかったにしろ、強い使命感、あるいは愛憎の想いを失った時、桔梗は滅びるしかないのだと今気づいた。

本来ならば、裏陶編で桔梗の魂が、かごめの体の中に戻った時、桔梗は再び眠りにつくはずだった。
生き延びたのは「怨念」の力。
奈落の存在も知らず、犬夜叉だけを憎み、憎みながら愛し、犬夜叉を封印してその時を止めながら、瘴気で包み込む。
その凄まじい、それもまた鬼蜘蛛同様「妄執」であったと言える。

その愛憎の想いが今の桔梗にあるだろうか、あるとは言えまい。
ならばなぜ桔梗は死人として生き続けるのか。
別の「想い」があるから。

奈落を生み出した、四魂の玉を守りきれなかったことへの責任、巫女としての使命感、そして犬夜叉への想い。
それらがいかに強いものであるにしろ、「ひたむきな憎悪」ほどに骨と土でできた体に魂を留めておける力はあるまい。
弥勒だけではなく、桔梗もまた限りある道、本当の死へと突き進む道を歩き続けているのであった、これまでも。

奈落が滅び、四魂の玉が消滅した時、「使命を果たした」桔梗もまた滅びるのだろう、そう思った。
しかし桔梗は恐れてはいない。
今回琥珀もまた、死への恐怖を乗り越える。
四魂のかけらに導かれ、桔梗と共に去る。

奈落の手から逃れ、珊瑚といてもなお辛そうな顔をしていた琥珀が最高の笑顔を見せる。
「おれは死にに行くんじゃない・・・
奈落を倒すために行くんだ。」

犬夜叉に告げる琥珀、その決意、そしてその決意を幸せと思える笑顔。
四魂の力ではあるまい、琥珀本人がやっと見つけた救いの道。
たとえそれが死に向かう道であったとしても、琥珀は笑顔で去った。
犬夜叉に姉を託して。

珊瑚はわかってやれるだろうか、琥珀の想いを。
わかってやれないだろう、珊瑚の想いは盲目的な愛情、理屈ではない。
それでもなお琥珀は行った。

なんとなく来週珊瑚は泣くだろうな、と思うと胸が痛む。
今週は犬夜叉と桔梗だけのシリアスで濃密な場面が続き、琥珀が死ぬ間際の神楽のような笑顔を見せる。
登場キャラはこの3人だけ。

そしてここで驚いたこと。
ここにいるのは桔梗と犬夜叉。
(琥珀もその場にいたが、少なくとも犬夜叉は気づいていなかった。)

私が何度も書いてきたように、どうして桔梗は自分も犬夜叉にそばにいて欲しい、そう言わないのだろうかとずっと思っていた。
私の解釈は、犬夜叉の想いがかごめにあるのを知って、それでも桔梗がごねれば「犬夜叉の心が引き裂かれるから」我慢している、というものだった。
愚かだなあ、私。
つくづく思う。

犬夜叉は桔梗を守り、共に戦おうとする。
しかし翠子の結界は、そして桔梗の意思は犬夜叉を拒む。
桔梗は1人で去り、髪を一房残して琥珀も行ってしまった。

なぜ?
ここで注目すべきが桔梗が言い切った
「刀では・・・
奈落を倒せん。」の言葉。

ではこれまで神楽が、殺生丸が、犬夜叉たちが追っていた奈落の心臓の意味は?
仮に犬夜叉が奈落の心臓を手に入れたとしても、鉄砕牙では殺すことができないと言うこと?

桔梗の目指すものは、「奈落の魂と四魂の玉の消滅」。
奈落が完全なる四魂の玉を手に入れた時、玉は奈落の手の内で汚れ、奈落と同化する。
その刹那を狙って、玉ごと奈落を浄化する、これは桔梗にしかできないこと。

実はこれ、PSのゲームと同じ展開だったりするから、その通りには終わらないだろう。
しかしここで奈落の心の一面について思い当たったことがる。

犬夜叉や楓でさえ桔梗と間違えたほどの同じ容姿と魂と匂い?を持つ桔梗とかごめ。
犬夜叉はかごめとの旅の中でかごめにどんどん魅かれていくが、奈落は最初から桔梗一筋。
「犬夜叉」は「犬夜叉とかごめと桔梗」の恋物語であると共に、「奈落と桔梗の壮大な愛憎劇」でもある。
私が「犬夜叉」という作品にのめり込んだのもここにあるのだと思う。

奈落が桔梗一筋であることの意味、桔梗が奈落を「奈落を浄化するのは私にしかできない。」と言い切る意味。
ここに犬夜叉の入る余地はない、それはなぜか。

犬夜叉というキャラは、以前は孤独に生きてきたが、桔梗との出会いの中で生き直そうとする。
その後奈落の謀略によって桔梗と引き裂かれ、蘇った時には、すでにそばにはかごめがいた。
犬夜叉の強さは、守るべきものがあるときに最大限に発揮される。
犬夜叉の優しさ、正義感、性格、行動などを考えた時、私は犬夜叉の成長し切れていない幼さを感じることがある。

もちろん犬夜叉の年齢、設定などを熟考した上でのこと、欠点として捉えているわけではない。
以前の無双編で感じたことだが、犬夜叉は何度刀を振るっても意味ないことがわかっていてもあきらめない。
誤解を恐れずに書けば、むしろ無意味なほど挑み続けることによって、逆に突き抜ける、そんなイメージがある。
それが犬夜叉というキャラの魅力。

仮に「犬夜叉」ではなく、この漫画が殺生丸が主人公の「殺生丸」という漫画だったら、人はここまで主人公に感情移入できるだろうか。
ある意味欠点だらけで優柔不断で幼くて不器用で、そして限りなく優しい主人公だったからこの作品がこれほど受け入れられているということはあると思う。
私は奈落を主人公とした「奈落」もありだと思っているが。

もちろん殺生丸に魅力がないという意味ではない。
特に最近は殺生丸も何気ない優しさ、子供っぽさなどを垣間見せるようになってきて魅力が倍増したが、初期の頃はむしろ感情的な抑揚のない、ある意味完璧なキャラクターであることが、魅力の足を引っ張っていたように思う。

足で思い出した。
アニメの最終回で、神楽を助けようとしたりん、原作では足を引っ張っていたが、アニメでは手を引っ張っていたな。
何に気を使って変えたんだろう(笑)。

犬夜叉も確実に成長している。
しかしまだ足りないものがある。
今回犬夜叉とかごめが結界に拒否された意味を考える時、さらに思いついたことがある。

ここできのうの掲示板で、雪華さんが書き込んでくださった文章を取り上げてみたいと思う。

「恋する気持ちは、おそらくもうかごめだけだろう。」
と書かれてありましたが、原作ではそういう雰囲気になってきてしまっているのですか?
進んでいく展開は事実として受け止めなければとは思うのですが、犬桔を応援する私としては、恋する気持ちも愛する気持ちも、今も昔もこれからも桔梗様だけ…を望んでしまうので、上記が事実として疑いようないのであるとしたら、何とも言えない心境になってしまいます。
(けっして自分の望み通りにならなかった展開を否定するわけではなくて、どう進んでも「犬夜叉」作品はきっとよい作品であるとは思っていますが。)

掲示板では書き切れないこともあるが、さっき書いた「結界に拒まれた理由」が私の中で関連づいているので、ここでお返事を書かせていただきたい。

「恋する気持ちは、おそらくもうかごめだけだろう。」
これは原作において明示されているわけではない。
私が何度も何度も読み込むうちに、物語を通して感じる雰囲気というか、あまりに自然に心の中に浮かんできた感想で、きのう書きながら意識すらしなかった。

これは私の個人的な感想だから、「原作ではこうなっている。」と言い切ることはもちろんできない。
ただ今回読んで、桔梗は個人的感情を越えた、もっと高みを見据えているのではないかと、そんな気がした。
犬夜叉に支えられ、共に戦うことを願う気持ちは、桔梗の心を弱くする。
あえて孤独に生きることを選んだのは桔梗、そんな気がしてきた。

そして翠子が犬夜叉に、かごめに求めているのもこの「強さ」ではないだろうか。
今の犬夜叉、かごめでは奈落を殺すことはできても、四魂の因果を断ち切ることは不可能。
1人の戦い、仲間と力を合わせての戦い。
もちろん犬夜叉やかごめの、これまでの軌跡を否定する気持ちは毛頭ない。

仲間がいたから得たもの、犬夜叉がいたから得たもの、かごめがいたから得たもの、それらは2人の崇高な財産。
けれど支えるもののない、瘴気の底に落ちる時も1人だった桔梗の孤独と、それを乗り越えた桔梗の強さをも 得て欲しいのだと思う。
対奈落の最終決戦は、力の対決ではなく魂の対決、そんな気がする。
桔梗の愛した犬夜叉なら、桔梗を癒したかごめなら最後に到達する道だと思うし、そこで初めてクライマックスと終焉が来るのだと思う。

          ☆          ☆          ☆

雪華さんへ。
さっき書いたとおり、これはあくまでも私が漠然と得たイメージです。
他の人は「まだどっちも同じくらい好き」と思ってるかもしれないし、あるいは「やっぱり桔梗の方が好きなはず」と信じている人もいると思います。
私はかごめと桔梗の思い入れ度は5分5分、どちらに犬夜叉と結ばれて欲しいとか、そういった気持ちはありませんが、どうしても主観的なものも入ると思うので、雪華さんが原作を読んでみるというのはいいことだと思います。

良くも悪くもアニメの桔梗は別人です。
桔梗の本来の姿を知ることはいいことだと思います。
いえ別に宣伝ではなく(笑)。

          ☆          ☆          ☆

今回桔梗と琥珀だけが突き抜けたことを終焉と捉えないのは、何より大事な人を忘れているから。
あの・・・ 鋼牙のかけらは・・・?
奈落と対決に行くついでに寄ってかけらをもらってく?
まさか知らないうちに鋼牙はかけらを取られてたとか、そんな展開じゃないよね?

いつも本筋の周りをぐるぐる走り回っている永遠の衛星、鋼牙。
アニメでも哀しい扱いで最終回を迎えたのでまさかそんなことはあるまいが。
逆に四魂の玉が完成したと思って奈落と対決してたら、あれ?足りないんじゃない?みたいなことになったりして(笑)。
笑いごとじゃないか、桔梗の危機だ。

もう1つ。
掲示板で樹里さんよりかごめの靴のオリジナル。
私もいらなかったと正直思う。

最終回で押されているのにオリジナルや回想シーンは余計だし、最後のメッセージもう〜ん、と唸ってしまう内容だったし。
かごめが酸に足を突っ込んで、靴が焼けて使い物にならなくなったことも伏線として、EDにつなげたのだと思うが、あのEDで靴を選ぶかごめのママの映像だけで十分だったと思う。

あのED、鋼牙やかごめの家族、刀々斎&猛々、無心&八衛門などはとても素敵で、あの買い物の場面だけで、「かごめの靴が焼け爛れちゃったから新しいの買ってあげたんだろうな。」って読めちゃうし、そっちの方がずっといい。
ついでに足ずれ状態が続いている私としては、「そんな、すぐに履いて戦国時代の長旅行ったら靴擦れ起こすよ。ちゃんと履き慣れて、かかとにカットバン貼ってかないと。」なんて考えてしまう、余計なお世話(笑)。

こうしてかごめは初回のように、でも今度は犬夜叉と一緒に井戸に飛び込み、物語は続く・・・。

このサイトに来て下さる方は、もともと「犬夜叉」が好きな人ばかりだが、家族やオンラインの友達によく言われる台詞が「たかが漫画、たかがアニメ」。
私も電車の中でコミックやサンデーなどは読めないし、匿名のネット界だから張り切れるのかもしれない(笑)。

ただ「少年」であり「漫画」であっても描いているのは成熟した大人の女性。
高橋先生が今何歳なのかは存じ上げないが、少年少女向きの漫画の世界にいくらでも大人としての経験、知識、感性に裏打ちされた深みを与えることは可能だろう。

犬夜叉世代の、殺生丸世代の、楓世代の、かごめのママ世代の、七宝世代の読者が視聴者がそれぞれの年代に合った感性で得るものがあると思う。
もし「犬夜叉」が20代の主人公で、小説だったらもう少し一般世間の見る目も変わると思うが、読む側が受ける感動は同じだと思う。
それだけの深みがあるから大人でもハマる、漫画でも夢中になる。

とオンラインでも声を大にして言いたいのだが(苦笑)。
 (2004年9月15日の日記) 
祝!復活 〜鋼牙登場
原作少年サンデー2004年9月22日(43号)第378話「大蛇の巣」

     ☆     ☆     ☆

最終回にも登場せず(EDでチラッと出たけど)、先週までのサンデーでもなんとな〜く忘れられてた鋼牙が満を持してついに登場!
かえってびっくりした(笑)。
しかも出た途端危ないし。

意味深なのは表紙絵かごめと琥珀と桔梗の3人、しかもみんな憂い顔。
かごめ達は1人戻ってきた犬夜叉から説明を受け、彼らを拒んだ結界が翠子のものであることを知る。
そして鋼牙のかけらも必要とされていることから、鋼牙を捜し始めることになる。

その鋼牙。
「うさん臭(くせ)え臭い」を感じて駆け抜けるうちから、すでに罠の予感。
犬夜叉、桔梗はともかく、もちろん奈落や魍魎丸も探しているだろうから、あまり突っ走って欲しくないのだが。

鋼牙が会ったのは大蛇(おろち)族の1人。
妖狼族がほとんど人間同様の姿形であるのに比べ、人間の体に蛇の顔っぽいどうやら頭(かしら)。
巣穴が見たこともない妖怪に襲われ、仲間が喰われた。
最後の1人、この男はそやつの肉を食いちぎり、牙から毒を注ぎ込んで逃れてきたと語る。

しかし次の瞬間、男が食いちぎった肉に「体ん中から喰われ」、男の体中から妖怪の触手?が突き出したきて男は死ぬ。
これまでにもあまり例を見ない凄まじい最後、哀れ大蛇族。
肉の固まりの妖怪?は魍魎丸の臭いをさせながら飛んでいく、追う鋼牙、だから罠だって(涙)。

かごめが翠子と桔梗の関わりを感じながら、心配するのが鋼牙であったり相変わらずの犬夜叉と桔梗関係であったりすることは興味深い。
自分が結界に拒まれた事に関しては何の意識もないようである。
こういった部分でも「使命感」の強い桔梗との対比が際立つ。

かごめの意識とはどんなものだろうか。
これまで奈落に殺されたたくさんの犠牲者たちの敵討ち、四魂のかけらに対する責任、違うような気がする。
かごめはやっぱり「犬夜叉を守りたい」、それに尽きるだろう。
非常に個人的な意識のような気がする。

それだけに桔梗の根本的な強さ、かごめの犬夜叉を守る時に大爆発する圧倒的な強さの違いも出てくるのだろう。
どちらがどうというのではないが、同じ魂を持ちながらこれほど際立った対比を長期に渡って描き抜く高橋先生にはやっぱり敬服してしまう。

ところで桔梗は鋼牙のかけらのことを知っているのだろうか。
鋼牙と桔梗は意識的なすれ違いが設定されている。
犬鋼漫才も、鋼牙が桔梗の存在、つまり犬夜叉の二股を知らないからできることであって、鋼牙が桔梗のことを知ってしまったらはっきり言って笑いにならない。

作品中でも、犬夜叉と鋼牙の関係は鋼牙初登場時のシリアス展開から意識的にギャグ要員に変えられてきたように思える。
私は鋼牙は大好きだが、キャラとしての鋼牙には重きを置いていない。
鋼牙はもともと犬鋼漫才のために存在するキャラだと思っている。

鋼牙が犬夜叉に絡むために「かごめが好き」と設定し、いつもかごめと一緒にいたいという立場にならないのは「奈落を殺す」使命があるから。
つまり初めに「話を膨らませ、おもしろくするために鋼牙ありき」でそれにさまざまな設定を肉付けしていった、そんなキャラ。
後日掲示板に関して詳しく書く予定だが、この理由で犬夜叉と奈落(桔梗)、犬夜叉と鋼牙(かごめ)の恋愛に問題に関しては、同一にすべきではないという意識が私にはある。

犬夜叉の恋愛に関してあえて取り上げるなら犬夜叉と奈落(桔梗)、犬夜叉と奈落(かごめ)だろう。
そう、奈落とかごめの間には、恋愛に関しては何もない。
何もないことこそが犬夜叉の嫉妬を考察する上で非常に重要だと思うのだが、どうだろう?

話がそれるが、私が「犬夜叉の気持ちはかごめにある」と書いたことでショックを受けられた方がいることを知って愕然とした。
(メールでも頂いた、非難ではなく感想という形で)。
私自身が冷めているのかもしれないが、考察日記を読んで「えむさんはこう考えてるのね。」とたくさんある中の1意見として捉えていただいていると思っていたから、少なくとも私はそうなので。

「○○が嫌い」「○○なんかいなければいい」、そんな表現だけが読む人を傷つけるわけじゃないんだ。
こうして試行錯誤を続けることで、私も少しは成長しているのだろうか・・・。
ただやはりわかっていただきたいのは、私は別に高橋先生の代弁者を目指してこれを書いているのではないこと、読んでくださる方にも自分の想いや感性を大切にして、単なる参考意見として読んでいただきたいということである。

他の人の意見を読んでいろんな考え方、捉え方があることを知るのは大切だけど、それに振り回されちゃいけないといつも思っている。
自分と同じ意見は「受け入れる」、自分と異なる意見は「受け止める」、そんなスタンスって大切だと思う。

話がそれたが、鋼牙と桔梗の接点がないことで、桔梗は鋼牙のかけらのことを知っているのだろうか、と疑問が残った。
けれども琥珀が知っているか、七人隊編で、お世話係兼連絡係をしていたから。
そもそも桔梗はかけらがあと何個で完成するか、どこまで把握しているのだろう。
奈落はもちろん持ってるし、かごめも何度か奈落が持っているのを見ているから想像つくかもしれない。

けれども桔梗が何をして判断しているのか、非常に気になる。
かごめよりは察知範囲が広そうだが、それにしても・・・。
これなども後で回答が出てくるのだろうか。

鋼牙に戻って、鋼牙は得体の知れない妖怪を追って、ついに魍魎丸と再会する。
鋼牙は蛇の臭いが嫌いらしい。
濃厚な蛇の臭いの充満する蛇の巣穴、妖怪を吸収してしまったのは魍魎丸の巨大な腕?
そして喰い尽くされた幾多の大蛇族の死骸。

かつての妖狼族の悪夢が蘇るが、さすがの鋼牙も目の前に魍魎丸がいては感傷にふける暇もあるまい。
鋼牙の前の巨大な腕、魍魎丸の、鋼牙のかけらを奪うための・・・。

犬夜叉と桔梗、翠子、琥珀で息苦しいほど真摯な気配の立ちこめた先週までの展開とは打って変わって、風まとう鋼牙のスピード感あふれるエピソード。
かけらを持っていてさえ弱い鋼牙、とにかく生き延びてくれることを願いたい。
とりあえずは危機一髪で犬夜叉に助けられ、2人で力を合わせて魍魎丸を撃退、漫才の後再び去る。
かけらは取られてもいいかな?

神楽以降、琥珀にしてもそうだが、主要キャラだから死なないという法則が引っくり返っているような気がしてドキドキ感が強いので。
次号サンデーの宣伝でこんな広告文があった。

 四魂のかけら集う時、

 魑魅魍魎が闇を行く。

 果ては地獄か太平か・・・

 その命運は

 半人半妖の者にあり。

かっこいい。
「太平」がちょっと引っかかるけど。
ちなみに次号は映画特別試写会ご招待記念!表紙+巻頭!!!!」
!が4つもついたよ(苦笑)。

コミック感想も後日書く予定だが、表紙絵の変化してからの魍魎丸、体がこんな色なんだ。
そっか、アニメでもう見られないのか・・・、ちょっと寂しかった。
なんかものすごい効果音入りで、仰々しく現れそうだったから。
 (2004年9月22日の日記) 
翠子の意思
原作少年サンデー2004年9月29日(44号)第379話「かけらの異変」

     ☆     ☆     ☆

魍魎丸は体をいくつかに分け、それぞれの部分が新たな妖力を得るために動いていることが判明する。
鋼牙の所には左腕が来たが、胴体や足だったらちょっと笑える展開かも。
むしろちびっこ魍魎丸を6体にした方が、などといろいろ想像してしまった。
もっとも魍魎丸自体、可愛いキャラではないので、6体もいたらかえって怖いかな?六つ子の魍魎丸(笑)。

実際は相変わらずの「鋼牙危機一髪物語」。
魍魎丸の腕は、大蛇(おろち)族の毒も得てパワーアップ。
もともとが妖怪の寄せ集めだけに、妖力を得やすいという設定だが、鉄砕牙の強さに頼るだけの犬夜叉が、実は太刀打ちできる方が不思議な気がする。

たとえば飛天の雷撃と、結羅の神を操る能力と、蜘蛛頭の毒と、九十九の蝦蟇の魂抜きと・・・、今の展開から考えると、昔の懐かしキャラがチャチに見えてしまう。
今の犬夜叉だと、飛天や結羅は、小指の先でぽいって感じかな?
ただ、大蛇族、あるいは妖狼族、飛天クラスの妖怪がそんなにうじゃうじゃいるのか?という疑問はある。

初期の鬼蜘蛛にしても、魍魎丸にしても、雑魚妖怪をいくら集めても、その妖力は所詮雑魚クラスだろうと思う。
体が大きくなったり、力が強くなったりといった効果はあるかもしれないが、たとえば雷撃能力を得るためには飛天クラスの妖怪を取り込まなければならないだろう。
その意味で、鬼蜘蛛が体を喰わせた幾多の妖怪がどう見ても雑魚ばかりというのは、ちょっと引っかかっている。

「めぐり会う前の―」で鬼蜘蛛を誘惑?する蜘蛛が出てきたのは「つなぎ」役として非常におもしろい設定だったのだが、残念ながら中途半端に消えてしまった。
鬼蜘蛛の妄執を利用しようとして、強さの勝った鬼蜘蛛に取り込まれてしまったと見るべきなのだろうが。

話がそれたが、このように考えると犬夜叉のいる妖怪戦国は、まさに妖怪天国の模様を呈してくる。
それにしては犬夜叉たちが最近、魅力あるゲスト妖怪に出会えないのが残念でたまらない。
大蛇族の日常生活なんて楽しみたいのになあ。
ご飯の食べ方とか、妖狼族とのお喋りタイムとか。
やっぱり顎の関節はずして丸呑みするんだろか?

さて、魍魎丸の攻撃を避けようとした鋼牙のかけらが意外な反応を見せ、鋼牙は一瞬足が動かなくなる。
魍魎丸の腕の付け根から伸びた神経?血管?に捉えられた鋼牙を救ったのはかごめの矢。

あの細い触手を、鋼牙の足ぎりぎりで射抜くなんて、かごめの矢も上達したようだ。
かごめの破魔の矢が仮に鋼牙に当たった場合は、やはり怪我をするのだろうか?
それともかごめが「射抜く」意思を持った者しか傷つけないのだろうか。

小春編でも「あたしの矢は悪いやつにしか当たらない」と言っていたが。
万が一鋼牙に当たっても大丈夫、それが破魔の矢だったらものすごく便利かも。
でもおなかが減っても猪とか捕れないのか・・・。
「あの猪には絶対当てる!」とかごめが願うと、破魔の矢ではなく普通の矢になって、悪者ではなく獲物の猪でも当たるのかな?

ここで気になるのが、鋼牙の足が動かなくなった理由。
桔梗は語った、奈落を滅するには、四魂の玉の完成が不可欠と。
当然これは翠子の意思でもあるだろう。
翠子が桔梗に伝えたものではなく、それぞれの意思。

そのためには琥珀はもちろん鋼牙のかけらも必要である。
でも別にこんな危機的状態でかけらを取らせなくても、鋼牙の場合は良かっただろうに。

琥珀にしても、死ぬことでかけらを取り出しても仕方がないのはある意味事実。
私は実は琥珀は危篤状態でかけらを埋められてて、長い日々の間に、体がかけらの力も借りて治癒してるんじゃないかなあとものすごく楽観的な予想もしていたりする。

ついでに四魂の玉の威力は、これまでのかけらの力の総合だから、奈落を滅ぼすと共に桔梗の生身の人間としての復活もできそうな気がする。
かけら1つで七人隊を蘇らせた四魂である。
まあこういった希望的観測はともかくとして、今回私は四魂の玉の完成とためには、琥珀や鋼牙の命をある程度犠牲にしてもといった強い意思を感じた。
これまで抱いてきた翠子のイメージにはそぐわない非情な意思。

それが正しいかどうかは別として、気持ちはともかく奈落を倒し、四魂の玉を滅するという究極の目的のためには必要なのかもしれない。
琥珀が桔梗を追った時、犬夜叉は
「(琥珀が)死ぬということだ。
琥珀の命と引き換えに・・・
桔梗、おまえはそんなことのできる女じゃねえ。」とつぶやく。

もちろん琥珀は翠子に操られているわけではなく、自らの意思で後を追うのだが。
この流れを読んできて、犬夜叉とかごめ、桔梗の対比が非常におもしろく感じた。
犬夜叉とかごめは、常にその感性で生きているように見える。
その場その場の状況や判断で、感覚的に動く。

それが犬夜叉の鉄砕牙やかごめの破魔の矢、時には計算された技術を超える爆発を見せる。
桔梗はむしろ全体を見通し、己の使命や責任に思いを馳せる。
それが以前のような感情の吐露を見せなくなった所以だろう。
犬夜叉は今の桔梗をどう捉えているのだろうか。
なんとなく甘いな、と感じる。
私がいつも感じる犬夜叉の幼さは、こんなところにあるのだろう。
でも考えてみたら、「犬夜叉」は15歳の男の子を中心にすえた少年漫画で、むしろ桔梗の方が特殊なのかもしれない。

それから鋼牙。
「翠子・・・?
誰だ そりゃ。」から始まって、説明があっという間に終わってしまった。
以前の桔梗の説明でも、「その(奈落にとって)おっかねえ巫女を片づけたってことは・・・
奈落の野郎、これから安心してやりたい放題できるってことか?」

突っ込まない性格が幸か不幸か犬夜叉の二股を助けてるけど、それにしても哀れだ、鋼牙・・・。

今週号は表紙も豪華。
お正月特大号か?見たことあるぞ、このかごめ。
たしか羽根つきしてたような(笑)。
今回は緑の着物でお茶会ですか、珊瑚はピンクの着物にして欲しかったな。

しかもでかいよ雲母。
桔梗も髪をアップに綺麗な着物を着せて欲しいけど、キャラのイメージを大切にされているんだろうな、先生は。

あと、映画の情報。
「四闘神」と呼ばれる3人兄弟。
後の竜もどきと合わせて四闘神なのだろうか。
隈取睡骨型と、蛮骨らんま型と、「十二国記」の陽子っぽい髪型の3人組。

紅蓮の蓬莱島には「鳴動の釜」もあるらしい。
そして四闘神に捕らえられた?6人の半妖の子供たち。
ゲストキャラ多いな、この中の誰かが挿入歌を歌うのだろうか・・・。

          ☆          ☆          ☆

先日の「かごめと桔梗と犬夜叉と」で、かごめ派の方にも桔梗派の方にも配慮したつもりで書いたことで、言いたいことがわからない、あるいは間違って解釈されたことが何人かの方に指摘されました。
今回は今までの中で一番反響が多くて(って6人ですが)、正直驚いています。
やはり犬夜叉ファンにとって18巻「出会った場所」は気になるエピソードなんでしょうね。

あの時、犬夜叉が「桔梗はおれのあとを追って死んだ。
おれは桔梗に―
命懸けで応えなくちゃならねえ。」

正直に書くと、私はこの台詞の時点で「桔梗への今の恋愛感情」ではないなと思いました。
ただ桔梗との過去を想う、犬夜叉の心もまた「恋愛感情」と捉えています。
過去を懐かしむ、責任を感じる、それもあるでしょうが、それだけではないはずです。
桔梗は犬夜叉にとって「過去の女性」ではないというのが私の考え方です。
ただ「プラスα」のないストレートな恋心はかごめであると。

ここでもう一度だけ確認すると、私が「犬夜叉の心はかごめのものだと思う」と書いたとしても、「私が望んでいる」わけではないのです。
同時に「犬夜叉の心は桔梗のものだと思う」と書いたとしても、「私が望んでいる」わけではないのです。
あえていうなら私は中立派であり、書いているのは考察です。

もちろん自分の考察が正しいと思っているわけではありません。
考察とは、高橋先生の頭の中を覗き込むような、そんな作業だと思います。
100%正しいわけがないし、ファンサイトとしては、間違っているかもしれないことでも一意見として書ける、ある意味自由があると思います。

絶対にあり得ない話ですが、万が一高橋先生が読んでくださったとして、大笑いされるような全く見当違いの考察でもね(笑)。

これまで私が突っ込んで書くことをためらってきたのは、やはりかごめと桔梗の微妙な対立が、それぞれのファンの間でも微妙な対立となったり、時には感情的な対立となっている様子をあちこちで見てきたからです。
けれども、やはり犬夜叉ファンとしては避けては通れないテーマでもあると思います。

誰が読んでも納得できて、たとえ受け入れることはできなくても受け止めることができる、そんな文章を書ければ一番良いのですが。
私はそれがしたくて、試行錯誤を繰り返しながらも、こうして考察日記を書き続けているのかもしれませんね。
 (2004年9月29日の日記) 
奇想展開
原作少年サンデー2004年10月6日(45号)第380話「狼の墓場」

     ☆     ☆     ☆

何が驚いたってこの展開、鋼牙が主役、しかも鋼牙の成長物語、しかも今頃。
タイトルの「奇想展開」は「奇想天外」の間違いではない(笑)。
犬夜叉の鉄砕牙のように、鋼牙も厳しい試練の果てに新しい武器を得てパワーアップの予感。

妖狼族代々の魂をまといし妖爪「五雷指」。
生涯の敵(犬夜叉)との死闘の中で奥義「光の傷」会得、激流破、紫の五雷指と育てて最終奥義は金剛槍破ならぬ翡翠銛破?いかん、弱そうだ・・・。

ここで鋼牙でこの話というのはそれくらい奇想天外で、正直目が点?
いえいえあり得ない話ではないかも。
西国を統治していた犬夜叉一族(犬妖怪)に対し、東国を治めていたのは妖狼族の一族だったりして。
遠い昔、平安時代、翠子にまつわる四魂の物語に実は鋼牙も絡んでいた・・・?

いえやっぱりあり得ない(笑)。
唐突過ぎるし遅すぎる。
その意味でここで鋼牙が一族の宝爪を狙うからには、「奈落に何らかの影響を及ぼす力」を得るに違いないとは想像つくが。

ただ奈落を倒し、翠子の意思から身を(かけらを)守るために翠子&桔梗にすら戦いを挑むことになる鋼牙は、心ならずも「琥珀を(かけらを)守ろうとする犬夜叉たちと共闘することになる。
そこまでして鋼牙がかけらにこだわる理由がよくわからないが、矜持の高さというよりも、鋼牙の誇りの問題だろう。

おとなしく鋼牙が戻ってくるまで待ってる犬夜叉が可愛い(笑)。

ここで「刀では奈落は倒せん。」という桔梗の言葉を思い出した犬夜叉は、自分の鉄砕牙をもっと強くすると心に誓う。
力では倒せぬ奈落、それでも犬夜叉が頼るのは鉄砕牙。
それしかないとも言える。

犬夜叉の妖力は奈落や殺生丸に比べてあまりにも弱い。
今更霊力だの法力だの身につけることはできない犬夜叉。
力、肉体的、精神的、全てにおいて犬夜叉が求める力が奈落を越えることはあるのだろうか。

犬夜叉の力、桔梗の霊力、奈落の妖力の限界のなさはある意味都合よすぎる部分があるが、それにしたって限度もあろう。

私は犬夜叉にそこまでの力は残念ながらないと思う。
これ以上の力を得るとすれば、それは主役だから、という理屈に他ならない。
だからこそ翠子の、桔梗の力が必要。
しかしその2人の巫女は、四魂のかけらの完成なくしては、奈落を滅することはできない。

どちらに側にも優れた部分と足りない部分があり、だからこそ互いの力が必要なのだが、犬夜叉たちは四魂の玉の完成を阻止する側に回る。
「犬夜叉」を読み続けてきて思うことは、犬夜叉側の正義が必ずしも公平に見た正義ではないということ。
年齢的、性格的な部分で、犬夜叉たちは自分の理屈で判断し、行動する。

これが「犬夜叉」の勧善懲悪に納まりきらないおもしろさではあるが、一番大切な時に団結すべき反奈落側が内部分裂を起こしているようで、非常に危うい。
今の犬夜叉チームに必要なのは、「より強い力」ではなく精神の問題だと思うのだが。

妖狼族の宝爪はどう見ても力の増加、鋼牙の身を守る役にしか立たないようなのが気になるところ。
同時に犬夜叉たちがこうして試行錯誤を続けることで、話もそれだけ長く続くのだから、私としては万々歳。

それにしても今回は代々の妖狼族の亡骸を見ることができるが、妖狼族は死んでも一応人型なんだ。
七宝の父は死んだら狐に戻っていたが。
まさか生きていた時から七宝は人型で父が狐だったはずもなし。

おもしろいのは殺生丸で、あんなに嫌いだった人型をしてるんだよな。
まあいつも巨大な犬型だったら何をするにも不便で仕方がないだろうが。
犬夜叉はあの姿形しかないようだが。

五雷指を得る資格を試される鋼牙、墓守である三つ首狼との戦闘を開始する。
今回は犬夜叉も入れぬ妖狼族の聖地での戦い、危機一髪に助けは来ない。
これまで鋼牙が独力で倒したのってあんまりいないから、がんばれ鋼牙!

今回は鋼牙が主役、嬉しいはずなのにちょっと気が抜けてしまった私。
余談だが、先日書いた琥珀の命。
琥珀はもともと死んでいるのだろうか、それとも瀕死の重症だったのだろうか。

もし死んでいなかったのならば、かけらで命をつないでいる間に自然治癒力で治っているだろうと思っていた。
ところが珊瑚は、かけらで命をつないでいる間も傷が悪化し続けていた。
あのままではかけらを入れていたにしろ、いずれ死んでいただろう。

奥義皆伝では、「かけらはある状態に固定するだけだから、琥珀はかけらを抜けば死ぬ」と先生自身が解説されていた。
しかし上記の理屈だと、琥珀もとっくに死んでいないとおかしなことになる。
かけらの力プラス奈落の力なのかなあ。

もうひとつ奥義皆伝より。
四魂の玉が生まれたのは平安時代。
つまり緑子と犬夜叉、四魂の玉は同世代なんだ。
これ、勝手に話を作ってくっつけたら意外とおもしろいかも。

奥義皆伝は、数ある犬夜叉解説書の中でも一番好きだが、「犬耳は餃子の皮5枚分」とか「波波裸蜂報告書」とかそんなところばっかりで、大事な所をたくさん見逃していた。
四魂の解説をするのが弥萢法師(弥勒の祖父)であることもおもしろい。

弥萢法師は高い法力を持ちながら、美しい女性に化けた奈落に風穴の呪いをかけられる、ある意味とんでもないおじいちゃんだが(笑)、50年前に奈落と会った時にもしかしたら四魂の話が交わされていたのかもしれないなどと思ってしまった。
奥義皆伝に関しては改めて書いてみたい。
 (2004年10月6日の日記) 

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