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蜘蛛の巣 |
原作少年サンデー1997年9月17日(42号)第41話「蜘蛛の巣」
☆ ☆ ☆ 朔の日で妖力を失った犬夜叉も、この蜘蛛頭や桃果人編を読む限り、体力だけは人並みはずれているらしい。 もちろん場数を踏んで培われた強さもあるだろうから、珊瑚と近いものがあるのかな? しかし犬夜叉は極太の蜘蛛の糸に絡め取られ、蜘蛛頭の毒を注ぎ込まれてしまう。 ここでかごめが大活躍。 今ではかごめが戦闘の中心に立つことがほとんどなくなってしまっただけにとても新鮮。 以前も書いたかごめの足、ここで「危ないと―」と叫びながら鉄砕牙を手に蜘蛛の巣をよじ登る部分も好き。 ここでも百足上臈の時のような霊力は発動しないのがおもしろい。 やはり弓を手にしたことで、霊力は弓専用、手そのものにはなくなってしまったのか。 けっこう土壇場の場面は多いのだが、もしかして犬夜叉という「守り手」を得たことで、かごめの心に犬夜叉に頼る心が生まれ、弓という媒体を通さなければ戦闘面における霊力が発動しなくなったのかも。 ここでおもしろいのがかごめの蜘蛛頭に対する「卑怯者」発言。 七人隊でかごめが蛮骨に同様に言った時は、蛮骨がかわいそうだとか、死をかけた戦いに卑怯も何もないとか、犬夜叉だって仲間が手助けしたりするんだからどっちもどっちとか、あちこちで激論が戦わされた。 しかし私の見る限り、蜘蛛頭への卑怯者発言に関してかごめを批判したり蜘蛛頭を擁護したりするコメントは出ていなかった。 やはりなんにしろ喧々諤々の論争が沸き起こるのは、対するキャラに魅力、思い入れがなくてはならないわけで。 その意味では蜘蛛頭もけっこうかわいそうなキャラ、私はなずなのこともあり、好きなエピソードなのだが。 でも特定キャラファン同士、原作派とアニメ派の激論など読むにつけ、やはりこういった対立は双方に魅力があって、互いに相手を無視できない存在の時に始めて成立するものだということは興味深い。 同じかごめの発言で蛮骨は同情され、蜘蛛頭は無視され、いかにも哀れ。 その意味でもここまで対立する要素がある作品のすごさがよくわかる。 (2004年12月3日の日記)
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膝枕 |
原作少年サンデー1997年9月24日(43号)第42話「結界の中」
☆ ☆ ☆ 飛天までの流れの小気味いいかごめからタタリモッケ、そして蜘蛛頭への優しいかごめへとかごめのキャラクターが形作られていく中、最高の場面が朔犬と膝枕。 人間に戻り、蜘蛛頭の毒を受けて気弱になっている犬夜叉は、かごめに膝枕をせがむ。 この時の膝をついたかごめの足が好き、色っぽい(笑)。 「おまえ・・・いい匂いだ。」 「あんなの・・・ウソだ。」 何度読み返しても気恥ずかしくなる殺し文句。 惹かれ合っているのに互いの幼さゆえ気づけない、この頃の2人のもどかしさは初期の「犬夜叉」のみのおもしろさだが、好きは好きとしてこの場面はなんだか話の中から浮いてるような気がするのは私だけ? ずっと「犬夜叉」を読んでいくと、犬夜叉が人間になって傷ついても、さほど気弱になるようなことはなく、なんかここだけ別人みたい。 もちろんここは野暮は言わず、目をハートにして読んでいればいい話。 特に朔犬ファンの視線を釘付けの名場面、コミック表紙のかごめの髪の柔らかい雰囲気も好き。 もうひとつ大事なのはなずなの心。 アニメではさっくり流して傍観者になってしまったが、ここではずっと優しい和尚と蜘蛛頭の間で葛藤を続けている。 主役以外の一般人がこのような形で絡む話は割と少なく、その意味でもアニメのみのファンには特に読んで欲しいエピソードではある。 タタリモッケの悟の「母」、なずな、そして現在出没中の刀秋のような普通の人間ががんばる話はおもしろい。 力があって、強さがあって精神的にも強くて、そんなキャラががんばるのはすごいなあと思うけど、共感できるのはこっちかも。 ☆ ☆ ☆ 久々に「めぐり会う前の運命恋歌」を見ながら書いている。 そこでふと思ったこと。 桔梗はかごめの「おすわり」見たことがあるのだろうか、ないだろうなあ。 描き方はともかく、桔梗の心は「めぐり会う―」で描き抜かれていたと思う。 その心で作った言霊の念珠、「おすわり」使用されてるのを見たら、初期の怒りや憎しみ倍増だっただろうなあ。 まあ当時犬に対して「おすわり」「伏せ」みたいなしつけ?の言葉はなかったろうが、その結果地面に叩きつけられている犬夜叉を見たら・・・、ちょっと怖い、いえちょっとどころでなく怖い。 では桔梗の言霊に対する犬夜叉の反応ってどうだったんだろう。 「愛しい」、やっぱりピュキーンと飛んできて磁石みたいに桔梗に引っ付く犬夜叉しか想像できない。 膝枕といい、どうも私にはロマンの心が足りないようだ(笑)。 (2004年12月7日の日記)
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犬夜叉ってかっこいい |
原作少年サンデー1997年10月1日(44号)第43話「犬夜叉復活!」
☆ ☆ ☆ 犬夜叉ってかっこいい。 なんだかんだ言いつつ基本はこれ。 特に優しい和尚など初めから存在しなかったことを知るなずなを助けるシーン、「そっちの話はすんだらしいな。」 「今度はおれの相手をしてもらうぜ。」と1ページぶち抜いて出てくるカットにはベタ惚れだった。 鋼牙が好きだからと言って他のキャラが嫌いというわけではない、もちろん。 特に当時の犬夜叉には主役として物語をぐいぐい引っ張っていく強烈な魅力があったよなあ、と何度読み返しても懐かしい。 今の犬夜叉、もちろんまとめどころ、見せどころはきちんとあるけれど、妙にコンパクトにまとまってしまったというか大人しくなってしまったというか、そんな物足りなさがあるのでとても新鮮。 もっとも未だに当時の犬夜叉のままだったらうるさく感じたかもしれないが(笑)。 コミック5巻、10話中6話が蜘蛛頭編。 それでも飽きさせないスピード感あり、戦闘の迫力あり、胸がときめく犬かごシーンあり、そしてなずなの葛藤と成長ありと「犬夜叉」のおもしろさが全て凝縮された私の大好きなエピソード。 あっ、忘れちゃいけない、初登場の朔犬の魅力も爆発だった。 最近は定期的な朔犬化やかごめの学校問題などが取り上げられることはあまりない。 もともとあやふやだった時間の観念がさらにとらえどころがなくなったのはちょっと残念。 とにかく最終ぺ−ジ、何度読んでも「犬夜叉のテーマ」が鳴り響く。 「犬夜叉」のアニメ化、良かったことはたくさんあるけど、和田薫先生の犬夜叉劇伴が生まれたことを真っ先にあげる人は少なくないだろうなと思う今日この頃。 未だに私の元気の元の筆頭音楽は自分で作った犬夜叉劇伴ベスト10集。 他はポルノグラフィティ、B.スプリングスティーン各元気が出る曲ベスト10集(笑)。 落ち込んだ時用とかいろいろなベスト曲集作ってたんだよなあ(笑)。 もちろんホームページを立ち上げてからはそんな暇はなくなったが。 (2004年12月13日の日記)
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かけらのありか |
原作少年サンデー1997年10月8日(45号)第44話「かけらのありか」
☆ ☆ ☆ 先日 「小説 犬夜叉」感想で「舞台が戦国時代とはいえ、かごめがというより高橋先生の言葉の感覚が浮わついてないところが好き」と書いたが、43話の「犬夜叉復活!」ってけっこう全タイトルの中で浮いてるな(笑)。 さて蜘蛛頭編最終話感想。 犬夜叉の「用があるんでい。」「やり返しただけでい。」の「でい」が意味なく可愛い、好き。 そんなことよりおもしろく感じたのは、蜘蛛頭の体内であっという間に固まる四魂のかけら、あっという間に溶け込む妖力。 他の妖怪と比べて(かけらは体内にあるだけ、溶け込むことはない)、これが蜘蛛頭の技と解釈すればいいのだろうか。 四魂の玉の力って最初はある程度設定されたのだろうが、話が(予想以上に)長くなるにつれ、臨機応変にさまざまな力がつけ加えられていったような気がする。 同時に四魂の玉(かけら)の主となるには、それ相応の器(妖力など)がないとあまり意味をなさないようだ。 その意味で蜘蛛頭って犬夜叉に太刀打ちできる強さはなかったが、妖力はけっこうあったのかもしれない。 ほとんどの妖怪が四魂のかけらを埋め込んで強くなろうとしているが、奈落や黒巫女椿は四魂のかけらはかけらとして扱っている。 こんなところもおもしろいが、「たまたまだった」と言っちゃっていいのかな? 何度も書いているが、私は蜘蛛頭編のかごめとなずながとても好き。 なずなに関しては先日書いたが、かごめと犬夜叉の最後の会話、目立たないけどいいなあと思った。 気が弱くなってしまった朔犬、本人にしてみればあまり突っ込んで欲しくないだろうけど、そこで「どうしてどうして?」みたいに知りたがる女の子だったら犬夜叉とはうまくやってけないだろうなあなんて。 ここは小さなことだけど、後期のヤキモチ以外はとことん相性が合ってると感じたりした。 それにしてもいつも大上段に構えて考察などしているせいか、単純な感想っていっそ難しい(笑)。 原作アニメ比較でほとんど書き尽くしているし。 じゃあなんでやってるの?って聞かれれば困るけど、やっぱり隙間があると(287話まで)気になるので、埋める作業を続行中。 来年中には完成するかな? 最近考察日記以外の更新をあまりしてないので欲求不満気味かも。 特に「アニメ犬夜叉最強トリオ」と「十二国記を語りたい」はなるべく早く完成させたいのだけれど。 犬アニメはとっくに終わっているし、「語りたい」も新刊が出るまでにはねえ・・・。 (2004年12月14日の日記)
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桔梗復活 |
原作少年サンデー1997年10月15日(46号)第45話「骨と土」
☆ ☆ ☆ 桔梗復活裏陶編。 この時期は雰囲気の非常に柔らかい絵が続いて18巻頃までの間で一番好きな時期。 蘇る桔梗もどちらかというと可愛い感じかな? 裏陶が楓の村を襲う件は、vs楓の直接バトルの迫力が素晴らしかったアニメに軍配を上げたい。 この時期どこでだったか「あっという間に復活する村の不思議」を突っ込む意見を見つけたが、それを言うなら原作の肉づきの面だってかごめの家が壊されてたし。 まともに考えたら正体不明の化け物が現れて神社を襲い、かごめの部屋が壊された、これだけで3ヶ月は引っ張れるニュース。 しかもその家に住む少女が病気がちで休んでばかりいるのに無関心な学校、となったら格好の野次馬ネタ。 それを無視して描いていくのは決してリアリティの欠如ではないと思う。 「いちいち描いていられないから」と思うべきだと思う。 先日書いたばかりだが、かごめ達の服がいつもきれいなのも、怪我があっという間に治るのも全てお約束。 「犬夜叉」に限ったことではない。 そういえばコナンで、小学生がそんなにしょっちゅう殺人事件に出会うわけがないという書き込みも見たことがあるが、それがなくては物語が成立しない、それでいいのではないだろうか。 確かにホームズなどの探偵、十津川警部など警察関係の人間以外が事件に出くわすことは現実ならば少ないだろうが、金田一少年、浅見光彦、言い立てたらキリがないような気がする。 話がそれたが、45話では桔梗大好きの犬夜叉の想いが明らかにされる。 かごめもちょっとだけときめいてみたりもするが、まだ恋心を意識しているわけではない。 裏陶というのも三途の川の奪衣婆みたいな格好をしているが、アニメでの声とシャープな動きが好きだった。 特に桔梗を復活させた恩人でもあるし。 ☆ ☆ ☆ アニマックス「犬夜叉」、今日は「かごめに惚れたあいつ」が登場。 もちろん鋼牙の大活躍。 録画だけしておいて出かけるつもりだったが、結局座り込んで見てしまった。 鋼牙はこの時期緊張感があって今見ててもドキドキしたりする。 わざわざ極楽鳥に連れ去られる犬夜叉には大笑い、ついでに骸骨投げてる犬夜叉にも大笑い。 なずなの「バチ当たりなやつだなあ。」、ここでも言ってやりたい。 この頃のアニメもほんとおもしろい。 無条件におもしろい。 アニメの原作前の終焉なんて夢にも思わなかった頃、懐かしい。 と書いてあるが(笑)、「かごめに惚れたあいつ」は前の話。 この日記を書いた日にちょうど見てたわけで、最新は「出会った場所に帰りたい」。 (2004年12月20日の日記)
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桔梗の言霊 |
原作少年サンデー1997年10月22日(46号)第46話「抜け殻」
☆ ☆ ☆ 桔梗の霊骨を取り戻しに行く楓と、ついて行く犬夜叉、かごめ、七宝。 ここでおもしろいのが、犬夜叉に同情するかごめの心。 犬夜叉は桔梗が好きだった→なのに桔梗に胸を射抜かれた(つまり振られた)→50年も封印された(そこまで嫌われた)みたいな解釈となるのか。 100%の同情は、つまりはかごめが犬夜叉への恋心をまだ意識していないことにもつながる。 肉づきの面編で犬夜叉のかっこよさを見せつけられ、蜘蛛頭編では「いい匂い」の爆弾発言(殺し文句とも言う)を聞かされて、何度もときめいたわりにはあっさりしているのがおかしい。 もうひとつおもしろいのが、裏陶ってかごめの顔が桔梗に似ているから、それだけの理由でかごめをさらったということ。 ここまでしておいて思いっきり他人の空似ということもあり得たかも。 裏陶は妖怪としての力や妖力はたいしたことないようだが、むしろ翠子、桔梗、かごめにつながる霊力的な能力は傑出している。 四魂のかけらなしで人一人生き返らせる、ある意味すごいこと。 ただし、蘇らせられる人間の方も、桔梗ほどの霊力と魂の持ち主でなくては「完全な人間」としての蘇りは不可能らしい。 原作において、犬夜叉に壊された土人形と人間の合いの子みたいな戦闘隊、特に魂は出てこないようだ。 仮に魂を戻してあったとしても桔梗ほどの蘇りはできないような気がする。 さらに人間になったとしても、桔梗ほどの怨念、執念、使命感、つまり体と心を保ち続ける気力がなくては偽りの体を維持することはできないだろう。 そう考えると裏陶の能力、桔梗の場合は特別で、普通の人間ならば完璧に蘇らせることはできないような気がする。 だいぶ格が落ちたが、それでも裏陶なくして桔梗の復活はあり得ず、その意味でも忘れ難いキャラだったりする。 そして以前にも書いたが、奈落、琥珀の命をつなぎ、七人隊を復活させた奈落は、もしも桔梗が蘇っていなければ桔梗復活を試みていただろうか、四魂のかけらを使って。 高橋先生にそのつもりはなかったのだと思うが、もしこれが現実の話ならば、奈落の選択はだいぶ変わっていたような気もする。 鬼蜘蛛無双の心を持って桔梗復活を願う奈落。 そうなっていたら、奈落の最終目的は完全なる妖怪になることではなく、桔梗を復活させることとなり、犬夜叉など眼中になかっただろう。 ところで蘇った桔梗、かごめの「おすわり」を見たことがない。 もちろん見せないようにしているのだろうが、もしも桔梗がかごめの「おすわり」を見てしまったら、と思うと興味深いものがある。 妄執の虜となっていた桔梗ならば嫉妬の念はさらに燃え上がるだろう。 今の桔梗なら・・・、「言霊の念珠」は霊力の高さもさることながら、犬夜叉との「心のつながり」がなくては使えぬもの。 もちろん霊力があって「孫と祖母」のような心のつながりはあっても楓にも使えないだろう。 この場合の「心のつながり」は「慕い合う、想い合う恋(愛)の心」と限定される。 今の桔梗であっても「言霊の念珠」は十分使用可能だろう。 もう一個言霊の念珠を作って犬夜叉にかけてもいい。 かごめの「おすわり」と桔梗の(とりあえず)「鎮まれ」で地面に叩きつけられたり、ぴょ〜んと飛んで桔梗に引っ付く犬夜叉・・・。 とりあえず無難なのはやはり桔梗が「おすわり」見ないこと、かな? (2005年1月2日の日記)
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再会 |
原作少年サンデー1997年10月29日(48号)第47話「拒絶」
☆ ☆ ☆ 前回の感想で書いた「桔梗がかごめのおすわりを見ていないこと」に関して、いくつかご意見を頂いた。 「犬夜叉」がリアルな物語である以上、桔梗がかごめのおすわりを見てしまう場面があっても当然ではないかというご意見もそのひとつ。 これに関しては私はちょっと違うと思うとお返事を書いた。 かごめの性格として、この三角関係の中でわざわざ桔梗の前でおすわりを発動させることはないと思う。 悪い言い方をすれば、桔梗の前でのおすわり発動は2人の仲を桔梗に見せ付けていることになるわけで、鋼牙に見せるのとはシリアス度が違う。 かごめはそこまで思いやりのない少女ではないと思う。 たまたま桔梗が見ていることに気づかずに発動させてしまうことはあり得るかもしれないが、これまで読んでいて、桔梗が2人を(風下から)そっとのぞいているような状況は考えにくい。 復活当初の桔梗であれば、前回書いたとおりの嫉妬の念がさらに燃え上がり、かごめへの憎しみが増加するだけで、そこまで桔梗を傷つける必要はあるかといえば、私はないと思う。 もうひとつは桔梗が「おすわり」と言ったら念珠は発動するだろうかという疑問。 これには笑ってしまった。 かごめと桔梗のおすわり合戦、犬夜叉哀れの図。 だが、これも桔梗の言霊(おすわり)には反応しないような気がする。 桔梗が作った念珠であったにしろ、かごめが「おすわり」の言霊を発動させてしまった時点で、この念珠においてはもう決められてしまったように思う。 つまり、桔梗が「おすわり」と言おうが、独自の言霊を言おうが、この念珠に関しては効果がないということ。 桔梗が新たに念珠を作って犬夜叉にかけ、新しい言霊を設定すれば、もちろんそれは効果があると思うが。 2つの念珠をぶら下げた犬夜叉、やっぱり哀れ。 この時ふっと思ったのだが、私は前回 「もちろん霊力があって『孫と祖母』のような心のつながりはあっても楓にも使えないだろう。 この場合の『心のつながり』は『慕い合う、想い合う恋(愛)の心』と限定される。」 と書いた。 これもなんだか違うような気がしてきた。 楓が犬夜叉に念珠をかけ、しかも犬夜叉が自分ではずせないようにした。 そこまでできたのだから、楓が言霊を投げかけていれば、犬夜叉は当然反応していたかもしれない。 四魂の玉を持ったかごめ、桔梗の生まれ変わりと思われたかごめが現れたことにより、楓はその力をかごめに譲った。 そんな風にも思える。 つまり「心のつながり」ではなく単なる「霊力」。 そう書いてしまえば身もふたもないが。 さらにもうひとつ、前に映画の話題でも書いたが、犬夜叉の念珠をどうしてはずさないのかという疑問も頂いた。 元々はかごめや楓にすら心を許さない犬夜叉の暴走を止めるためのものだった。 犬夜叉と仲間が心を通じ合わせることができた今、犬夜叉に言霊の念珠はもう必要ないと思うと私も書いた。 かごめのヤキモチ専用になっているような気もするし。 これは「犬夜叉」というキャラクターが、言霊の念珠とおすわりあってのものという先生の確固たる念かとも思う。 いつまでたってもやんちゃな犬夜叉、その象徴という意味で。 言霊の念珠をはずした犬夜叉が妙に落ち着いた印象になっても困るとか。 しかし、個人的にかごめのおすわりが犬夜叉を救う場面、暴走を抑える場面というと、初期をのぞくと妖犬化した犬夜叉を押さえる場面など、わりと少ない。 むしろヤキモチのはけ口、鋼牙との喧嘩仲裁の方が印象が強い。 対等に想い合っているはずが、かごめに敷かれている印象が強いのもこのせいだろう。 もちろんここまで書いてしまうと、そもそも桔梗が言霊の念珠を作ったこと自体が首を傾げる展開となるのだが。 悪人ではない犬夜叉の暴走を止めるためだけならわかる。 しかし想いを込めて念珠をつなげる桔梗は想像するだに美しいが、犬夜叉への支配を感じはしないか。 もちろん言霊の念珠とおすわりが初期「犬夜叉」のアピールポイントであったことは確かなので、そこに後から肉付けしようとする方に無理があるのは承知の上。 もうひとつ考えられることは、先生自身はもはや念珠はいらないと考えられながらも、アニメ、映画、ゲーム、グッズなどとの関連があってはずすわけにはいかないということ。 先生からかけ離れた商業戦略とでも言おうか。 案外こっちの方かもしれないなあなどと思いつつ、原作感想に入りたい。 さらわれたかごめの救出に向かう中で、犬夜叉と桔梗の過去が回想という形で明かされる。 あまりにはかなく、あまりに一途で純粋で、それゆえに運命のあの日、互いを信じ切れなかった2人。 恋人とは表現できない、私には。 ここでおもしろいのが、桔梗(奈落)に射抜かれる犬夜叉、木のそばにいる。 おそらく50年間眠ることになる御神木?のあたりだろう。 誤解して怒り狂った犬夜叉は村を襲う。 そして今度こそ本物の桔梗に射抜かれる。 射抜かれて縫い止められたのは再び御神木。 この御神木と村の位置関係が、おかしなまま、ここでも描かれる。 やはりかつての桔梗と楓の村は今の御神木の所にあり、犬夜叉を封印したことで現在の場所(高台の麓)に村を移したのだろうか。 一方かごめ。 魂の結界を張るのも、名を呼ぶなと悲痛な訴えをするのも全てかごめの中。 かごめが桔梗の生まれ変わり、魂が同じ、そういった説はここですんなり受け入れられた。 そして「ただの生まれ変わりではない(楓説)」であることは、桔梗を上回る魂の大きさなどで証明されていくのだと思う。 ここでも裏陶が四魂のかけらを見切っているが、特筆すべきは桔梗の美しさ。 「やっぱり・・・私らしくないか・・・」と寂しげな笑みを浮かべ、犬夜叉を見上げる桔梗、そして心に悲痛な叫びを上げながらも、顔はあくまで無表情に犬夜叉に相対する桔梗。 楓は今より老けて見える。 四魂の玉を巡る戦いの中で、楓もまた生き生きとした魅力を取り戻していくように見えて好ましい。 次回が桔梗復活クライマックス。 桔梗の命をつなぎ止めた怨念、陰の気がこれまでどこにあったのか、といったテーマで書いてみたい。 (2005年1月4日の日記)
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怨念 |
原作少年サンデー1997年11月5日(49号)第48話「裏切り」
☆ ☆ ☆ 「桔梗の命をつなぎ止めた怨念、陰の気がこれまでどこにあったのか。」 これが今回のテーマ。 裏陶の術で蘇った当初の桔梗の状態は「無」だった。 かごめのそばに近づき、犬夜叉と再会した時に「かごめの中」で桔梗が目覚める。 「私の名を呼ぶな!」 悲痛な桔梗の叫びは、かごめの中から聞こえる。 かごめは桔梗の持つ陰の気も含め、桔梗の魂を丸ごと自分の中に抱え込んでいた。 次回になるが、かごめの霊力もまた発動し、陰の気だけ残して「桔梗の」魂を取り戻す。 私は最初、かごめの魂があった、その中に桔梗の魂もあった、つまりかごめは2人分の魂を持っているのだと思っていた。 だから蘇った瞬間、桔梗とかごめが別個の存在として生きることができるのだと。 桔梗が蘇ってかごめが抜け殻になるまでそう思っていたのだった。 今考えるとおかしいのだが。 そうすると、桔梗に返した?陰の気の分だけ、かごめの心が浄化されたのだろうか、この時。 言い方は悪いが、桔梗は自分の中の不純物だけ残して、浄化された魂をかごめに再び与えたことになるのだから。 かごめが現実にはあり得ないほどよくできた少女に描かれるのを読むにつけ、ああそうなんだと納得した。 つまり桔梗に会う前のかごめの方がもっと俗っぽかったというか(笑)。 しかしこの後、かごめが心に闇を抱えたり、嫉妬の想いに苦しんだりするのを見るにつけ、また桔梗も陰の気だけの桔梗から、全てを超越した凛々しき巫女になったのを見るにつけ、魂もまた育つんだなあと思うようになった。 だったらかごめから魂を取り返さなくても、生き続けることができるんじゃないかと、当時は思った。 陰の気を浄化して、さらに風船のように魂を育てる桔梗。 死魂も食料には思えなかったので、死魂を使って魂を育てるんではないかと。 今の桔梗、今までにしなかった最後の砦である翠子の死魂を求めるまでに追い詰められている。 奈落に受けた傷も再び開き、残っているのは対奈落だけではなく時間との戦い。 漫画だから犬夜叉が現代に言っている間に「本当の死」を迎えることはないだろうけど、これが現実ならば、いてもたってもいられなくなるような気がする。 さて、ここで魂を取り戻した桔梗と犬夜叉が対決する。 桔梗ばかりが犬夜叉を責める展開だが、実は犬夜叉、「桔梗」に2度も矢を射掛けられている。 もちろんこの時点で鬼蜘蛛奈落の存在は誰も知らないのだから、犬夜叉とて恨み言のひとつはあるはず。 特にかごめに初めて会った時の犬夜叉は、(憎みきれない)憎しみを露にしていた。 この後犬夜叉は桔梗の言い分、怒りや憎しみ、悲しみを全て受け入れるが、こんなところに犬夜叉というキャラの根本的な優しさがあるような気がする。 もっともこの優しさが後の泥沼につながることを考えると複雑な気持ちになるが。 犬夜叉は桔梗と出会う前に同じ顔をしたかごめに出会い、見慣れたことにより(笑)、ある程度心の準備ができていたのかも。 かごめと会った当初から、ものすごく人馴れしていて「孤独」を感じさせない犬夜叉ではあったが。 これってかごめもそうだが、楓の存在も大きかったのではないかと思う。 犬夜叉が「半妖」と蔑まれることは人間社会では意外とない。 (地念児や紫織などで時々は出てくるが)。 前に書いたような気もするが、犬夜叉の場合は常に虐げられてきたと言うよりも、母の死後をきっかけに自ら人間社会を拒否してきたのだろう。 妖怪社会ではかなりいじめられたように描かれているが。 妖怪連れで旅をしているかごめ達もいたって普通に村々に溶け込んでいるし。 その度ごとに半妖半妖言われてる風もない。 それだけにアニメオリジナルの、問答無用の妖怪退治人間が悪い意味で際立っていた。 それにしても復活当初の犬夜叉と桔梗が出会っていたらもっと悲惨な結果になっていたかもしれないと思うと、桔梗のためにも良かったと思う。 (2005年1月14日の日記)
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桔梗とかごめ |
原作少年サンデー1997年11月12日(50号)第49話「怨念」
☆ ☆ ☆ 生前の恨みのままに犬夜叉に襲いかかる桔梗、逃げない犬夜叉、裏陶編の最高のクライマックス。 今回気になる点はふたつ。 ひとつは犬夜叉に抱きしめられ、桔梗を恨まない犬夜叉、いたわる犬夜叉の言葉に涙しながらも憎み続ける桔梗。 「魂が・・・そこから動けない・・・」の悲痛な叫びの意味。 桔梗はもう憎みたくないんだと思った。 桔梗が許さなかったとしても、とりあえずは落ち着いて犬夜叉の話を聞き、お互いの誤解に気づけば、二人が救われるチャンスはあったはず。 ここで桔梗が成仏してしまったら物語が成り立たないことは置いといて、なぜそれができなかったか、当時不思議に思った。 桔梗は自分が死ぬ時も、犬夜叉を殺さず封印するだけに留めている。 その桔梗のなりふりかまわぬ激情は正直言って意外だった。 何回か読んで答えを見つけたように思った。 桔梗は死人(しびと)だから、そこまで魂が自由ではなかった。 当時を振り返り、犬夜叉と話す冷静さを保つという選択肢は最初からなかったんだと思った。 憎みたくはなかっただろう、それでも憎まずにはいられない桔梗の苦しみがどれほどのものだったか。 その、一時は犬夜叉と共に地獄に落ちようとまで思いつめる桔梗が、現在のような崇高な巫女としての姿を取り戻すことは、ある意味不思議。 桔梗だからできたのだろうと思う。 現在はかごめに対する嫉妬の心も持ち合わせていないかのように振る舞う桔梗。 桔梗にとって、奈落と共に四魂の玉と翠子の因縁を消滅させる使命は、自分の恋心に優先するものだったのだろうか。 現在あまりにも感情を見せない桔梗に、こんな風に考えるようになった。 もうひとつは犬夜叉の危機を救ったかごめの部分。 かごめは完全に意識がなかったから、もしかしたらかごめに残る桔梗の想いが犬夜叉を救ったのかな?なんて思ったりもした。 ところがその後、かごめは桔梗の魂をも取り戻す。 これはやっぱりかごめが無意識の状態でやったことなんだ、ここも不思議だった。 ロマンチストに過ぎるかな?私。 楓は次の回で、かごめは桔梗の「ただの生まれ変わり」ではないと心に呟く。 この時思ったことは、桔梗が翠子の生まれ変わりで、かごめが翠子と桔梗の生まれ変わりなのかな?ということ。 かごめの桔梗を超えた+αの部分は、かごめが桔梗と翠子、2人分の霊力と魂を持っているんじゃないかな、とか(笑)。 残念ながらこの答えは未だに出ていない。 ☆ ☆ ☆ これまで何度も書いてきたかごめのヤキモチに関して。 たまたま録画していた「めぞん一刻」を見て思い出したことがあった。 高橋作品の女性キャラってけっこうヤキモチ焼きが多いなあと前に思った。 ラムもあかねも響子さんもけっこうヤキモチ焼き。 響子さんに至っては五代君と三鷹さんと両方にヤキモチを焼いている、けっこう激しい。 でもそれがとても可愛く魅力的に感じられるのは、先生の筆力、キャラ設定だと思う。 私は高橋キャラのヤキモチの描き方が好きだったことを思い出した。 なのに以前感じたかごめのヤキモチに対する違和感、なぜだろうと考えてみた。 やっぱり「二股男」犬夜叉の問題だな(笑)。 これまでのキャラも三角関係はあったが、本人同士の想いがストレートで微笑ましく思えてしまう。 「犬夜叉」の場合は、犬夜叉が両方を好きなこと、かごめがいつも犬夜叉と一緒にいるのにヤキモチ焼くなんて、という気持ちがあったことが原因だったかも。 「犬夜叉」は他作品に比べて恋愛関係も複雑なので、「ヤキモチなんか焼いちゃって、可愛いなあ。」とは素直に思えないのが辛いところ。 私の方が理不尽だったりするかも(笑)。 (2005年1月15日の日記)
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一段落 |
原作少年サンデー1997年11月19日(51号)第50話「引き裂かれた魂」
☆ ☆ ☆ 裏陶編最終話。 桔梗は去り、桔梗が死の世界に戻ったと信じる犬夜叉や楓は悲しみの中にも安堵する。 かごめも意識のない間のことは覚えておらず、「犬夜叉」2つめのクライマックスもクリア。 (最初のクライマックスは、もちろん犬夜叉とかごめの出会い)。 この後、弥勒が登場して物語がスピード感と爽快感を増していく時期。 同時にかごめのおおらかさ、ごく自然に相手の心を和らげる自然体も全開、一気にかごめに魅かれた時期(私が)。 しかし桔梗は生きていた。 「犬夜叉」に大人のテイスト、シリアスさが加わり、私の「犬夜叉」へののめり込みも一気に増加した(笑)。 最初、かごめが桔梗の生まれ変わりで桔梗自身が出てくることはないだろうと思っていたので。 たぶん桔梗復活がなかったら、私の中で「犬夜叉」は「今まで見た中で最高におもしろいアニメ」で終わっていただろう。 もちろんサイトを作ることもなかったと思う。 その意味では恩人かな? 今回一番好きな顔は「やっとあたしの顔見た。」のかごめの顔。 表情も髪型も柔らかそう。 (2005年1月日の日記)
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