犬夜叉サンデー感想(第51話〜第60話)
弥勒の魅力
原作少年サンデー1997年11月26日(52号)第51話「不良法師」

     ☆     ☆     ☆

弥勒の魅力、ちょっと語呂合わせしてみた(笑)。
アニメでも弥勒初登場はいろんな意味で衝撃的だったが、原作で特に印象が強いのは、弥勒のおでこの広さかな?
この「不良法師」編、さまざまな情報らしきものが詰まっており、同時に一気に読み上げるおもしろさも可。

まずは扉絵。
舞い散る落ち葉を見上げる犬夜叉。
今では季節感も時間の観念もあってないようなものだが、当時は朔の日やかごめの誕生日やこういった風景などから時の経過を感じさせる部分もあったんだ、懐かしい。

次、化けイタチ退治でイタチの額に埋め込まれた四魂のかけらを見切る弥勒。
何度も書いたが、この力もかごめに吸い取られたかのごとく消えていく。
そして「人になること」「妖怪になること」「半妖として生きること」の間で揺れ動く犬夜叉の心理状態が明かされる。
この時点で、犬夜叉が妖怪化した時、「傷つかぬ心」を得ると思っているらしいのが不思議。

鋼牙や七宝の例を見るまでもなく、妖怪になったからと言って、心までがその体力並み、妖力並みに強くなるはずはない。
犬夜叉が妖怪になりたがっていたのは、半妖として蔑まされてきたことが原因と思っていたのだが、そうではなかった。
後に弥勒、が(犬夜叉が)妖怪になった時に人の心を保てるかと犬夜叉に問う。
実際、鉄砕牙を悟心鬼に折られて妖犬化した犬夜叉は、己の血の暴走を止めることができなかった。

人と妖怪が普通に愛し合い、ごくごく普通に子供ができるのに、半妖が妖怪になると言うことは、そこまで心を狂わせ、同時に変えることなんだと思った。
「犬夜叉」の中でそのように認識されていることがとても不思議だった。

そして弥勒の初のぞき。
けっこうしっかり見てるんだよな。
犬夜叉もすでに見てるけど、(何を?)「間違って」見ちゃったニュアンス。

「全く」興味のない犬夜叉と、女の子としてのプライドがちょっとばかし傷ついた?かごめの対比もおもしろい。
七宝の鋭い突っ込みも全開だし、初登場は八衛門。
最初に弥勒に殴られてたからと言って、その後もともすれば殴られキャラになってしまった悲劇の?タヌキ。
読んでるだけで中嶋聡彦さんの口調が脳裏に蘇る。
でんでん太鼓のような柄の法被が可愛い(笑)。

そして何と言っても弥勒が素敵。
実際に目の前に犬夜叉鋼牙に弥勒に奈落、殺生丸と並んでいたら、たぶんナチュラル睡骨を探しに行く私。
でも「不良」なところが弥勒の魅力。
当時は原作を読んでいなかったが、アニメのOPに出てたから、いずれは出てくるキャラと思っていた。
しかしまさかこんなキャラ、こんな性格だとは・・・。
法師ルックだし、もっとまじめな人だろうと思っていたが、甘かった。
もちろんいい意味で。

で、今日の感想。
「なんて素敵な法師様!」
誰かと同じ(笑)。
 (2005年1月20日の日記) 
風穴について
原作少年サンデー1997年12月3日(1号)第52話「玉泥棒」

     ☆     ☆     ☆

「犬夜叉大百科」さんからお借りしている「犬夜叉100の御題」、次回第13話の御題はそのまんま「風穴について」。
「犬夜叉」大ブレイクの要因のひとつは弥勒&風穴にあるに違いないと信じている私だが、実は謎も多い。

最初に確認しておきたいことがある。
私は基本的に原作に出ないキャラや名前は、犬夜叉用語として認識していない。
これはもちろん「犬夜叉」だけじゃなく、どの小説や漫画に関しても言えることだが。

ただ個人的に好きな「八衛門狸」などはどうしても使ってしまうし、アニメの影響?で1人増えたかごめの友達など、私の中でも境界線は曖昧なところがある。
原作でかごめは友達の名前呼んでたっけ?
ただ友達が1人増えただけ?
この辺が今度忘れ、ただ原作においてもかごめは北条くん以外は名前を読んでいないような気がする。

映画で弥萢と名づけられた祖父、実は原作解説本にも八衛門などと共にちゃんと名前が出てくる。
で、悩んだが結局祖父は祖父で呼ぶことにした。

さて本題。

1、生まれたての(50年ほど前という弥勒の台詞より)半妖奈落に、なぜ風穴、それも弥勒の祖父のみならず、父や弥勒自身にまで及ぶ呪いを及ぼすだけの力があったのか。

奈落が逃げるのに必死でたまたま祖父の手に風穴を開けてしまったのはなんとなくわかる。
必死だったからこそ、奈落にとっても諸刃の剣となる風穴が生まれてしまった。
大慌てで最猛勝の養殖にかかる奈落を想像してひとり笑ったりもしたが、それがそのまま呪いにつながる不思議。

その点アニメオリジナル「めぐり会う前の運命恋歌」でおもしろい解釈が見られた。
感想で詳しく書いたのでここでは飛ばすが、人間鬼蜘蛛をそそのかし、妖怪とのつなぎになるべく作られた蜘蛛の存在。
私は鬼蜘蛛を喰らった雑魚妖怪が何匹いても妖力が高まるだろうとは思っていない。

たとえば殺生丸クラスの妖怪と合体したのなら、それなりの妖力を得ると思うが、妖力1の妖怪が何匹合体しても奈落となった鬼蜘蛛が得る妖力は1のままだと思うのだが。
もっともこのアニメ蜘蛛、奈落の誕生と共にいつの間にやら消滅してしまった。
予想以上の奈落の妄執に取り込まれたという設定なのか?
原作で出てこないのだから仕方がないが、それにしても惜しいことではあった。

2、弥勒が吸い込んだもろもろの物はどうなったのか。

これも以前書いているので簡単に。
最初はブラックホールのような世界につながっていて、そこに飛ばされるのかと思っていたが、最猛勝の毒にやられるということはやっぱり内臓?
つまり弥勒の体が吸い込んだ物を瞬時に消化してしまうとか(笑)。
これまで弥勒が吸い込んだ鼠の大群やら鬼の首やら極楽鳥やら考えると複雑な気持ちになるが。

3、風穴と弥勒一族の関係

これが今回始めて書くテーマ、たぶん。
弥勒は奈落誕生からほぼ50年後、18歳で犬夜叉たちと会う。
一方弥勒の祖父は、まだ若かった50年ほど前に奈落と数年に渡って対決する。

若かった祖父と、弥勒が子供の頃に亡くなった父、現在18歳の弥勒。
これがわずか50年の間にあった出来事なのである。

わかりやすく説明してみよう。
弥勒が犬夜叉に会ったのを戦国50年に設定してみる。
若かった祖父(20〜30歳くらい?)が奈落と対決したのを戦国元年としてみよう、つまり50年前。
弥勒は戦国32年には生まれてなければいけない。

そうすると、戦国元年から戦国32年までの間に20〜30代の祖父が父を誕生させ、父が弥勒を誕生させている。
なんだかものすごい勢いだ(笑)。
ああ、奈落と対決した祖父にはもう父が生まれていたのかもしれないか。

そういえば、無心編でちび弥勒が出てくるが、この時弥勒の手はコミックではよく見えない。
弥勒も生まれた時から風穴があったのか、父の死により風穴が生まれたのか、アニメではどうなってたっけ。
こうなってくると弥勒の全国行脚の子作りおねだりも、あながち助平の賜物とばかりは言えない切実さを感じる今日この頃。
いえ実際そうなんだけれども、なかなかそんな面を見せてくれないので。

ところで弥勒、かごめには最初から子作りおねだり&おさわり披露しているが、一応かごめを犬夜叉の彼女と位置づけたらしく、その後これらの行動は見られない。
(のぞきはするけど。)
逆に珊瑚にはお定まりの台詞を言っていなかった。
要するに一目惚れ?だったのか、そんな複雑なところが意外な人気の秘密かも。

最後に弥勒は「奈落は人を喰らう」と言っているし、奈落も「桔梗を喰ろうてやる」と言っているが、私にはどうもそんなタイプには見えない。
これってもしかしたら初期のみの設定だったのかな?などと思ったりして。
もちろん人喰いしている鋼牙も想像できないが。
 (2005年1月21日の日記) 
「犬夜叉」のおもしろさ
原作少年サンデー1997年12月10日(2,3合併号)第53話「風穴」

     ☆     ☆     ☆

弥勒の風穴初登場回。
弥勒自身は「法力」と言っているのがおもしろい。

初めてこの話を読んだ時、不思議に思ったことがある。
弥勒は犬夜叉を吸い込む気満々、犬夜叉は弥勒を斬る気満々。
その間で「美しい娘御」発言にぽーっとなるかごめ。
もしこの時かごめが飛び込んでいなければ、犬夜叉は吸い込まれていただろうか。
同時に弥勒は鉄砕牙で風穴を斬られて自らも吸い込まれていただろうか。

この危機感と微妙なギャグが「犬夜叉」のおもしろさだと思う。
最初の犬夜叉とかごめの出会い、後の鋼牙と犬夜叉の戦いででもそうだった。
普通に考えたら、危機感とギャグは同じ場面では成立するはずがない。
この書き分けが最初に私が感じたおもしろさだった。

だが何度か読んでいくうちに、これもかごめの特質ではないかと考えるようになった。
敵として相対する相手でも、たとえ相手が人喰いでも、その本質、根本的な性質、優しさを見抜く、その特質。
他作品と違って殺し合う世界でも、その中でもギャグが光る、そのおもしろさ。
かごめの性格をうまく捉えることによってシリアスとギャグが同時に炸裂する爽快感。

今更だが「犬夜叉っておもしろい」と思った瞬間(笑)。
どうして私がここまで漫画にのめり込んだかというと、やはり「戦国時代」「もののけ」「桔梗と奈落の持つ深み」「勧善懲悪ではないややこしさ」そして「シリアスとギャグが同時に成立」だろう。
残念ながら、「犬夜叉側恋の三角関係」は「犬夜叉」のおもしろさにはなっていない、私には。

ここまで弥勒はとことんシリアス。
そして次回はいよいよ奈落の存在が明らかにされ、同時に助平ぶりも満開となる。

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最終日も過ぎてギリギリ、わずかに残っていたはるか遠くの映画館で、やっと犬映画を見ることができた。
詳しい感想は後ほど書くが、実はおもしろさ95%%。
私にしては珍しい(笑)。

いくつか用意されたテーマがとことんツボにはまるか、逆に引っかかる、気になるほどのインパクトがなかったかのどちらかで、綺麗な映像、素晴らしい音楽、これまでの映画とは段違いの顔の素敵さ、豪快なアクション、敵キャラの魅力(どっかでみたことあるけど)、そして何よりも「始めて見る」ことの新鮮さ。
これまで映画グッズはパンフとシルエット物しか買ったことのない私が今回ばかりは全部注文してしまったほど。
「おもしろければそれでいいや。」
突きつめると感想はこれだったりする。

そうそうついに、アニメ犬夜叉最強トリオの西前忠久さんが写真付きでパンフに登場(剛羅役)。
こんなお顔の声優さんなんだ、ほのぼの顔の西前さん、見ているこっちも思わずにんまり。
老人役が多いので、もう少しお年を召した方かと思っていたが、とても愛らしい(笑)。
個人的には飛天の神奈延年さん再登場が嬉しかった。

浅葱の折笠富美子さん(なずな、炎珠、沙羅)は、レギュラー以外は最多登場じゃないのかな?
本当に素晴らしい映画を作りたいと思われたなら、声優さんも大切にしていただきたいと、それだけはお願いしたい。
特に大事なキャラ、台詞の多いキャラであればあるほど、そんな役こそ声優さんの実力が必要不可欠なのではないだろうか。
 (2005年1月24日の日記) 
桔梗派宣言?
原作少年サンデー1997年12月24日(4号)第54話「呪われた手」

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弥勒の風穴の秘密、奈落の存在が明かされ、犬夜叉と桔梗の過去が結びつく。
同時に弥勒のかごめに最初で最後の?子作りおねだりとおさわり披露。
(かごめと犬夜叉の仲を弥勒なりに認めたのか、これ以降おさわりはみられず。)
共に四魂のかけら探しを目指すも、地獄絵師紅達登場の予感に早くも仲間割れ。

話がテンポ良く進み、弥勒を通して犬夜叉とかごめのキャラが際立ち、魅力的なゲスト妖怪(人)が続々現れ、すごい勢いのあった時期。
アニメで歪められた紅達像も、人の愚かさ、浅ましさをこれでもかと見せつけられ、自分の中で妙に紅達に馴染む部分があるのにぞくりとさせられる。
紅達にしろ桃果人にしろ、その魅力が爆発するのは、やはり汚い部分は汚いなりに、汚れた部分は汚れたなりに描くからだろう。
視聴者を意識して、微妙にぼかしたキャラにする、仕方のないことだろうが虚しく感じてしまう。

同じことは今のアニメ「ブラックジャック」にも言えて、やはりそういったダークな部分をきちんと描くことでしか伝わらないものってあるのではないだろうか。
「ブラックジャック」に関してはいずれ書いてみたいと思っているが。
先走って紅達のことまで書いてしまったが、今回は弥勒の性格、人当たりが良くて、それでいて深く人と関わることを苦手とする、これだけは押さえておきたい。
犬夜叉たちとの関わりの中で弥勒の性格がどう変わっていくか、表面的にはあまり変化がないだけに無心編、犬かご喧嘩編などで見られる弥勒の行動は特徴的。

私は弥勒キャラがもちろん大好き、辻谷さんのアニメ弥勒ももちろん大好き、だが好き好き的な(笑)魅力は感じず、むしろ観察しているような対象の人。
それだけに最近は傍観者&解説者専門になってしまった弥勒の姿は寂しい。
今週のサンデー化け猫編では久々法力大盤振る舞いがすごく楽しかったりする。

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「平和な食卓」感想に関してHNさんよりメールを頂いた。
許可を頂いて掲載すると、「私は感想を読んで、えむさんが桔梗派に思えました。」とのことだった。
へえと思って考えてみた。

基本的に私は特定キャラへの思い入れはなくて、どのキャラとも同じ距離を置いて考察しているつもり。
逆に言うと、全てのキャラに同じだけの思い入れがあるということ。
でも桔梗派、そうかもしれないと思った。

かごめが嫌いだからの桔梗派ではなく、犬夜叉と桔梗が結ばれて欲しいからの桔梗派でもない。
強いて言うなら「可哀想だから」。
現実に桔梗が目の前にいたら、一番忌み嫌われそうな想いだが、たぶん私が最初に「平和な食卓」を素直に楽しめなかったのは、常に頭のどこかで桔梗を意識しているからだろう。
桔梗が恋愛感情とは別に、奈落との戦いに犬夜叉を必要としていないように振る舞いながら旅を続けることに魅かれるのだろうか。
そこまで考えて、やっぱり思った。

犬夜叉と桔梗がいつも一緒にいて、かごめが一人孤独に奈落と対決していたら私はかごめのために怒るだろう。
今はたまたま桔梗がないがしろにされているように思えたから、桔梗のために怒った。
キャラの魅力は私にとってかごめも桔梗も変わりはない。

「判官びいき」という言葉がある。 日本人の特質とよく言われるが、常に弱い立場、悲劇的な立場の側に感情移入してしまう。 いろんな試合を観ていて、Aチームが負けてる間はAチームを応援し、逆転してBチームが負けだすと、今度はBチームの応援に回る。 特にどちらのファンでもない時は、意外とそうなる私。
今回も桔梗が恋愛に関して、損な立場にいるから桔梗派に見えるような書き方をしてしまったのだと思う。
ここで犬夜叉がかごめを置いて桔梗と二人で奈落との最終決戦に行ってしまったら、そして帰ってこなかったら、今度はかごめのために哀しいと思うし。

桔梗派じゃないことを力説してるわけじゃなくて、どっちに対する思いいれも一緒ということをわかっていただきたい。
HNさんとはこんな話をやり取りした。
「平和な食卓」に関しては他にもご意見を頂いているので、メールが追いついて許可を頂いたら紹介したいと思っている。
HNさん、ありがとうございました。
 (2005年1月25日の日記) 
死人(しびと)であること
原作少年サンデー1998年1月5日(5,6合併号)第55話「懐中の鬼」

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紅達が強烈な印象を残すのは、紅達が普通の人間でありながら、邪な純愛の心を抱くところにある。
アニメで社会的な影響を考えられてか、地位も名声も金も、あわよくば姫もといったただの悪党に描かれた時は、ひどくがっかりしたことを覚えている。
当時納得できなかった最大の部分。
もともと紅達なんて鬼蜘蛛奈落に比べたらあまりにちゃちで、社会的影響を考えるなら鬼蜘蛛奈落こそ考えるべきではなかったか。

もちろん鬼蜘蛛奈落の邪恋こそが「犬夜叉」の原点であり、誰が何と言おうと変えることはできなかった、それはわかる。
というか私自身紅達に感じたようなおぞましさを奈落には最初から感じていなかった。
スケールが大き過ぎて、あまりに立派な悪党で嫌うとか憎むとか、そんな次元を超えてしまった感がある。
奈落が美形なこともひとつにはあるだろう。

さらに紅達以上に陰湿なはずの無双すらも、アニメでははじけていた。
奈落や無双が社会的影響を考慮されていないのは、やはりその存在が「陽」であることが原因だろうか。
そう考えると、作る側も見る側も所詮人間、その時々の感覚で正義だの立場なの主張してみることが滑稽に思えてくる、我ながら。

ここでおもしろいのは、人の血と肝と墨の匂いにダウンする犬夜叉、かごめの自転車の荷台に可愛く乗ってる犬夜叉。
なにげに姫を口説いている弥勒、そして不幸なのになぜか笑える目が点々のお人よし顔の父と天然がちょっと入っている?姫。
意外に触れなば落ちん風情があったので、ここでかごめ達が乱入しなければどうなっていたか、ある意味楽しみ。
このお姫様や信長編に出てくる露姫など、普通なのにおとぼけキャラの人って大好き、美人だし。

一番おもしろいのはかごめの冗談「(弥勒が)だーい好き」を最後まで聞かないで落ち込んでいる犬夜叉。
けっこう自分に自信があるらしい(笑)。
ここを読んで突然脈絡もなく思い出したことがある。

ずっと前だが、ある掲示板で犬かご派と犬桔派の論争を読んだことがある。
犬かご派は、「桔梗は死人(しびと)だから犬夜叉には合わない。」と主張し、犬桔派は、「かごめは時代が違うから犬夜叉に合わない。」と主張されていた。
ということは、みんなして「かごめも桔梗も犬夜叉には合わない。」と主張しているのと同じことじゃない?と思った記憶があるが、その是非はともかくなぜ死人であることが罪なのか、不思議に思った。

不思議なことに、桔梗は死人であるから成仏するべきという意見はあっても七人隊が蘇るべきではなかった、成仏するべきという意見は読んだことがない。
桔梗が生き続けることが罪ならば、七人隊とて同じではないか。
ここが女性同士であること、犬夜叉が絡んでくることで桔梗ばかりが矢面にたってしまうことになる。
公平に書くと、これはかごめとて同じなのだが。

ところが桔梗の場合は特に楓や晴海によっても「成仏するべき」であることを言われている。
七人隊と桔梗の大きな違い、それは「命を繋ぎ止める物」による。
七人隊が四魂のかけらで生きているのに比べ、桔梗は今でも(描かれることはないが)、人間の死魂を使って生きているはずである。

犬夜叉が以前四魂のかけらで人を生き返らせることに思い至らないことは一時期不思議だった。
まあこれは珊瑚の天生牙と同じで、早く気づいてしまえば話が続かないせいと思うが。
鋼牙関連で魂魄について調べていて、この考え方は「人は生まれ変わる」ことにあるのだろうかと思った。

ここからはあくまで私個人の考えなので、鵜呑みにされると困るのだが、「こんな風に思う人もいるんだ。」と思ってくださればいいと思って書いてみる。
死んだ娘が再び生まれ変わるのに必要なのが魂なのではないか、娘たちの親はそれを奪われることを嘆き悲しみ、犬夜叉に「妖怪」退治を頼んできたのではないか。
私は「死人」であることが、悪とも罪とも不幸とも思わない。
もちろん七人隊の人殺しなどの悪とは別の意味で。

目の前にこうして生きていて、ゾンビでもなくキョンシーでもなくごくごく普通の生活が送れて初期桔梗のような怨念や妄執がなくて、周りも桔梗を異形のものとして受け止めず、受け入れてくれるならば、である。
(もちろんこれは「犬夜叉」のみでの話、現実ならばまた変わってくる。)
特に犬夜叉は半妖、これから何百年も生きることができる(設定)。

ならば人間と桔梗、人間と犬夜叉のような、片方ばかりがどんどん衰え、死んでいくという「人魚シリーズ」の悲劇もむしろ感じずにすむ。
だがいかんせんこの「死魂」だけが桔梗生存待望説の足を引っ張る。
「犬夜叉」ではわりと設定が変えられる、なかったことにされる、忘れられるといったことが多い。
今「犬夜叉」を読んでいて、桔梗に死魂を奪われた人間のことに想いを馳せる人はおそらくいないだろう。

私も今頃当時の原作の感想を書いているからどうしても「今まで書いたことのないことを書かなきゃ。」と思ってしまい、漫画自体を突き抜けてしまうことが多々あるのだが、それがいいのか悪いのかは残念ながらわからない。
どちらかというと後者のような気がしたりする。
 (2005年1月28日の日記) 
人の心に巣食うもの
原作少年サンデー1998年1月14日(7号)第56話「鬼を操る」

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地獄絵師といえば京極夏彦、陰陽師と何となく気になるジャンル。
アニメで弥勒が「牛頭馬頭」言ってるが、よくよく見ると、原作でも牛頭と馬頭が仕切っていた。

弥勒と犬夜叉たちは合流するが、おもしろいのは弥勒の求愛?にかごめがけっこう冷たく(笑)反応すること。
その気がないのは同じとしても、鋼牙に対する態度とはえらい違いだ。
こんなところからも弥勒が本気でないことは重々承知の上なのかな?と今では珍しいミロかご?路線がおもしろい。

ここで忘れられてた姫の代わりに七宝が紅達宅に乗り込むが、プレステ第1弾のゲームでは、七宝が参加しない時は八衛門が姫に化けていた。
八衛門の弥勒化け以外にも見たかったな、犬夜叉化け、かごめ化け(あっ、これはあったか、笑)、珊瑚化け。
じゃなかった、「これからも」見たいな七宝の七変化、八衛門の八変化。

犬夜叉は紅達の様子で四魂のかけらを使っていると見切っているが、その前に紅達と初めて会った時、かごめは紅達の腰の竹筒(の中のかけらに気づいていない。
この時は、紅達が人間であることを見切っているが、サンデー今週号の尼寺ではかごめは気づかず、犬夜叉が匂いで尼僧の正体に気づく。
この適当さが好きだったりする、すごく。

それにしてもこの時期の原作、読んでてほんとに気分爽快。
弥勒と犬夜叉は反発しながら紅達鬼軍団に立ち向かうが、この辺は戦闘なのに紅達すらも笑えるキャラでおもしろい。
こういった強い匂いに対しては、犬夜叉は弱い、笑えるほど弱い。
PS2「呪詛の仮面」では、今度はニンニクの匂いに四苦八苦、しかも妖狼族がらみで、これも可哀そうやらおかしいやら。
プレイ日記も半端に終わってしまったが、鋼牙がらみのエピソードはいまいちだった。

鋼牙が最初の頃の犬夜叉やかごめを信じ切れない頃の鋼牙に戻ってしまったし、今更あんなことでわざわざだまされるかな?と思えたし。
おまけに突っ走って神楽とウツギにやられちゃい、犬夜叉たちに助けられるのもお約束?
今日甥っ子が遊びに来て、犬夜叉無双に太鼓の達人と遊びまくったのだが、ちょうど今日がニンニクの匂いのお話だった。
犬夜叉の鼻には、カレーも辛さ以前に香りもきつそう、納豆も駄目そう、クサヤ干物とかドリアンとか絶対駄目そう。

実は私もクサヤとドリアンにはお目にかかったことがない。
口に入るものなら何でもOKを自負?している私だが、こればっかりは食べてみなくちゃわからないかも。

それにしても弥勒、ここでは姫、最近のサンデーでは尼僧とこれだけ時間がたってもやってることは変わってない(笑)。
そばに珊瑚もいるのになあ・・・。

次回は紅達の内面が明らかにされる。
最近出てきた刀秋にしろ紅達にしろ、たとえ人間であっても心の中には魑魅魍魎が巣食っていたのだろう。
邪心に取り憑かれた彼らは恐ろしいが、もしかしたら人間の心の中には多かれ少なかれ巣食っているのかもしれないなんて考えてしまう。
さほど大事じゃなくても人を傷つけ、妬んだり嫉んだり憎んだりする心。

それがあってこその人間なのかもしれない。
感想がどうも大げさになってしまうきらいがあるが、最近私はこの考察日記において「犬夜叉」そのものはきっかけに過ぎないのだと思うことがよくある。
「犬夜叉」をきっかけにして、考察を深めていくこと、おもしろい、おもしろいけどしんどかったりする、すごく・・・。
 (2005年1月29日の日記) 
紅達
原作少年サンデー1998年1月21日(8号)第57話「絵師の夢」

     ☆     ☆     ☆

紅達編は犬夜叉やかごめと、出会ったばかりの弥勒の会話がおもしろく、初期の中でも好きなエピソ−ドのひとつ。
絵的にも好きなカットが多くて「どんどん出てくる!」の後、犬夜叉が硬直する場面(かごめが「犬夜叉・・・?」と言っているところ)は犬夜叉の顔の中でもベスト3に入るくらい好き。
それから「やい弥勒!」の場面、フォローにならないフォローと憮然とする弥勒の会話がとにかく可笑しくて爆笑していた。
さらに拳骨なぐりの犬夜叉に弥勒の「技?」発言、とにかくおかしい。

最近の弥勒は助平関係、戦闘関係以外のギャグの面で目立たなくなっているので今読み返すととても新鮮。
それから弥勒が後に最猛勝に苦しめられるが、ここですでに邪気に当たっている様子が描かれている。
この頃から私の中で、弥勒の風穴の向こうにははブラックホールや異次元の世界ではなく、瞬間消化内臓があるのかみ、という考えが浮かんだりもした。

しかしここで一番おもしろいのは紅達の回想シーン。
紅達は最初に「使用人」を殺したことになっている。
いかにもうらぶれた姿で出てくるけれど、都では一流絵師として名を轟かせていたのだろうか。
刀秋しかり、紅達しかり、それなりの才能があるからこそ取り憑かれることもあるのだろうな、と思うとちょっとうらやましい部分もあったりする。

そこまで突きつめるもの、あるだろうか。
さらに仮にこの墨を得たとしても、描くのが下手だと使いようにない(笑)。
なにしろまん丸七宝を描いただけであまりの下手さに落ち込む体たらくなので。
こう書くと、よく「楽しいですよ。」とか「謙遜でしょ?」とか言われるが、小学校時代の同級生から「小学生の頃から変わらない絵と字」と言われているのが何よりの証拠。

取るに足らない小男のイメージだった紅達だが、実は都では有名な絵師、しかしその心は歪んでいて・・・。
しかもその絵に関する才能と情熱は、四魂のかけらによってさらに狂わされ・・・。
19世紀末に某国で起きた連続殺人事件を思い出した。
霊媒師により犯人は突き止められていたとか、犯人は最後の事件の直後に自殺したあの人とか、いろいろ説はあるようだが、何と言っても「検屍官」シリーズのパトリシア・コーンウェルがこの事件に挑んだ意欲作をお勧めしたい。

話がそれた。
高橋先生のすごいところは、こういった普通の人間の奥底に潜む恐ろしさの描き方。
小野不由美作品にも共通するすごさだが、それだけに空恐ろしい気もしたりする。
いかにも悪役という感じで迷いのない?飛天のような妖怪よりは、ずっと現実味があって引きつけられる。

飛天で思い出した、映画の感想まだだった。
ゲストキャラがいまいちインパクトなかったが、龍羅はかっこよかったな。
私が無制限に褒めちぎるのでかえって驚かれてしまったが(笑)、もちろん書きたいことはいろいろある。

次回の「汚れた墨」にてやっとのことで6巻終了。
まだまだ先は長い・・・。
 (2005年2月1日の日記) 
印象
原作少年サンデー1998年1月28日(9号)第58話「汚れた墨」

     ☆     ☆     ☆

紅達編は感動し〜たとか大好き〜とか絶叫するものではないけれど、とても印象に残る作品。
残念ながらアニメで紅達の陰湿な魅力?が消えてしまったこと、絵がとても変だったこと、弥勒と犬夜叉の慈悲問答がカットされたことで、原作アニメの中ではマイナスイメージが強いが。

ここで犬夜叉が紅達を殺そうとしないことを弥勒は慈悲の心と称する。
ここはとても好きな部分だが、この時犬夜叉が紅達を「退治」しないのは、紅達が人間だからなのだろうか。
妖怪はたとえ逆髪の結羅のような人間ぽくで女である存在でも迷いなく戦う犬夜叉だったから、犬夜叉にとっての基準ってなんだろうと思った。
犬夜叉に限らず、だが神楽とあれだけ殺すか殺されるかの死闘を繰り返しながらその死を悲しむ。

この辺はけっこう曖昧で、高橋先生が犬夜叉という「少年」をどう意識して描かれているのかとても興味がある。
読んでいて割り切れない部分の多い犬夜叉の性格だが、そこがまた魅力なのかも。
「慈悲の心」が紅達のみにいきなり発揮されるのは解せないが。
もっとも妖怪はほとんど問答無用で退治されるような妖怪ばかりなので、なんとなくまとまってはいるのだが。

後で読み返すと、業火を浴びて「このおれが人間なんぞに殺されてたまるか!」と叫ぶ部分、霧骨の毒を浴びた時の殺生丸を思い出した。
こんなところも似たもの同志の兄弟だ。
それにしてもこの妖怪の傲慢さってどこからくるんだろう。
人より長く生きて、人にはない妖力を持ち、人間をはるかに凌ぐ身体的能力を持っているから?

人間を餌としか思っていないような妖怪ならまだしもこの銀髪兄弟は考察するに興味深い。
まあ犬夜叉は半妖として虐げられたこと、殺生丸は父を人間に奪われたことなどがあるだろうが、もっと根本的なところで。

もうひとう印象的なのは、かけらの邪気を浄化するかごめの能力。
「おれには危なくて触れねえ。」という弥勒の不良台詞も懐かしい。
普段丁寧な言葉使いをする弥勒だが、それだけに弥勒の不良言葉って好き。
で「も死んでしまえば良いも悪いもない」もちょっと都合よすぎる言葉かも。

この頃はまだ弥勒も比較的余裕あったんだと思う。
最近では慈悲の心は妖怪や悪人に殺される側の立場にしか向けられていないようである。
そんなことまで考えてしまうのも、もう何十回読み返したかわからないほど読み返したから。
最初の頃はもっと単純に感動してたような気がする。

なにしろアニメが始まるまで「犬夜叉」の存在すら知らなかったって言うより「高橋留美子」の名前しか知らなかったから。
それだけに初めて見て読んだ時の衝撃ってすごいものがあった。
最近では小野不由美、P.コーンウェル、岩井志麻子かな?ミステリ畑では。
たとえば松本清張や司馬遼太郎はあらかじめすごいという評判を聞いているので、読んでみたら「ああやっぱりすごい」とは思うけど新鮮な感動というものじゃない。

そんな作家の新発見、開拓ってしてないなあ、最近。
こんなことを書きながらミステリチャンネルのポワロ(私はポアロの方が好き)シリーズで録画していた原題「ねじれた家」を見ていた。
そしたらなんと紅達役の島田敏さんが出てらした、これにはびっくり。
「ねじれた家」はアニメでも「エンドハウス怪事件」の名前で放映された。

実は私、これで「ポワロとマープル」見るのやめてたりする。
このことにかついてはいずれまた。
 (2005年2月4日の日記) 
奈落と殺生丸が出会う時
原作少年サンデー1998年2月4日(10号)第59話「仮の腕」

     ☆     ☆     ☆

初登場の時はとてもお茶目な顔つきだった殺生丸だが、今回はやや成長して登場、背もいくらか伸びたらしい?
今回の見所は奈落と殺生丸の美形対決。
残念ながら、この時奈落は顔を隠して狒狒顔なのでちょっと残念。
この時奈落はどんな顔をしていたのだろう。

ああこれは書き方がおかしい。
この後、狼夜干戦の後、奈落は犬夜叉たちに姿を見せている。
もちろん今の奈落と同じ顔。
しかし、あれは珊瑚が陥れられた城の若殿の顔。

今日から7巻がが始まったばかりだが、珊瑚が出てくるのは9巻も終わりの方。
この時点で奈落はすでに若殿の体を乗っ取っていたのだろうか。
別に父城主がおかしくなっていなくても、息子としておさまることはできるだろうし。
それともこの時はまだ若殿の顔を借りていただけだったのかな?

いかに話がめまぐるしく動いていても、この後の狼夜干戦、かごめが3日現代にいて桔梗に再会、桃果人と続くので、珊瑚登場までの期間はけっこうあったはず。
やはり奈落が顔を借りてたのかな?
無双のように顔を乗っ取らなくても顔を真似することはできるし。
私は復活した瞬間桔梗を殺してしまい、四魂の玉も手にすることができなかった奈落の50年がとても気になる。

弥勒の祖父とは元気に戦っていたようだが、同時に空虚な50年でもなかっただろうか。
最近は完全無欠の悪になってしまって、それはそれで好きなのだけれど、私はやっぱり初期奈落、桔梗に心を揺らめかす奈落がより好きかも。

アニメでは奈落と殺生丸、それに桔梗がねっとりとしゃべるので、「んならく」「んなに?」「んじゃけん」ぃいぬやしゃ」と聞こえてくる。
嫌いではないが、どうもこの3人がそれぞれ顔を合わせると笑ってしまう不思議。
その意味ではこの3人は似た者同士。

それはともかく、ここで殺生丸の第2回鉄砕牙使いこなし教室が始まる。
この鬼が、「紅蓮の蓬莱島」でパンフレットについに登場の西前忠久さん。
アニメ犬夜叉最強トリオ(西前さん、中嶋聡彦さん、田中一成さん)に興味を持ち始めた頃、一生懸命村人や野武士、雑魚妖怪の声を聞き分けようとしていたのも懐かしい思い出。

最初に出たプレステで紅達編の後の殺生丸編。
攻撃も効かず、相手になってくれない殺生丸を相手に延々と戦闘していくのにすぐ飽きて大変だった。
「呪詛の仮面」よりずっと単純だったが、愛着あるのはこっちかも。

          ☆          ☆          ☆

先日「通して読んだらおもしろい」というタイトルで考察日記を書いたが、私が大ファンの犬夜叉ファンの方が同じように書かれているのを読んで狂喜している。
1号ずつ読んだ時には味わえなかったおもしろさが、サンデーを積み上げて通して読むと感じられ、コミックになるとさらにおもしろさの度合いが増す。
どうしてだろうと不思議だったが。

サイト巡りをしていて、自分と同じ考え方をしている文章を見つけると嬉しいし、自分には思いもつかなかった意見を目にするともっと嬉しい。
私にはまだまだ足りない考察日記。
あれこれ突きつめるよりも、ぱっと感性で読んだ方がおもしろいのは仕方がないが。

          ☆          ☆          ☆

最近言い訳みたいに「目が疲れて〜」を連発しているが(笑)、原因がわかった。 モニターを買い換えた話は以前書いたかな?
17インチで解像度も1024×768。
これまでレポート用紙に書いていたのがスケッチブックに変わったみたいで嬉しいのはいいが、全体的に左によりすぎて、しかもスカスカ。

固定画像の見え方などもだいぶ変わって気になっている。
時間を見つけて直したいと思っているのだが。
それより何より色がまぶしい。
背景色が赤やオレンジ(あるんです、笑)はもちろん、背景が黒、字が白でもまぶしくて、目がちかちかする。

目が疲れるのはそのせいだとメールにて指摘していただいた。
なるほどなるほど、目が疲れるのも頭痛がするのもそのせいかと納得。
でもどうやって直したらいいのかな?
全く何から何まで試行錯誤の毎日が続いている・・・。
  (2005年2月5日の日記) 
鉄砕牙の謎
原作少年サンデー1998年2月10日(11号)第60話「鉄砕牙の威力」

     ☆     ☆     ☆

コミック7巻表紙は犬夜叉と殺生丸、見返しは狼夜干、次のページは見返り桔梗、第1話は珊瑚がまだいないので珊瑚抜きの犬夜叉一行、ものすごく豪華。
狼夜干もなんだか大物に見える。
いよいよ犬兄弟の二度目の戦闘ならぬ鉄砕牙使いこなし教室が始まるが、それより何よりおもしろいのは邪見の活躍。
今ではもうお笑いキャラでしかない邪見だが、当時はお笑いもある悪党、小悪党だったんだ、懐かしい。

でも不思議なのが鉄砕牙の結界。
人ならば仮の腕でも触れることができ、妖怪ならば善の者でも触れることができない(はずだったが七宝が触れている)。
犬夜叉の父君は母君を守るため、そして犬夜叉を守るために鉄砕牙を贈るが、妖怪にも善の者はおり、人間にも悪の者がいることに対する意識は抜け落ちているようである。
もちろん人間であっても妖怪であっても、犬夜叉一族以外が触れたところで変化はできないということで納得はできるけど。

犬兄弟の戦闘はシリアスだが、間にちょこちょこ笑える場面が入るのも楽しい。
今回はかごめの逃げっぷりの速さと何気ないけど「お知り合いで?」の弥勒の台詞。
この時点で犬夜叉、殺生丸、弥勒、邪見?と魅力的なキャラが次々登場するが、もちろんみんなが大好きだけどときめくものは特になかった。
アニメで鋼牙の声を聞いた瞬間、初めてときめいた、私の心臓(笑)。

出掛けに大慌てでこれを書きながら犬アニメを見ているが(アニマックス)、今日は殺生丸が悟心鬼の死骸を持って灰刃坊の所に行くエピソード。
犬夜叉が妖怪の血に太刀打ちできなくなり、妖犬化するあたりの話である。
これを見ながら、犬夜叉の鉄砕牙初期の話を読みながらふと考えた。
鉄砕牙が犬夜叉を妖怪の血から守るために必要な物のわりにはその手に入れ方が中途半端というか適当な気がする。

犬夜叉の血が不安定になる思春期15歳にその血を抑える鉄砕牙が必要ならば、私が犬夜叉の父君ならば15歳の誕生日に犬夜叉に与えるように、冥加や刀々斎に言いおいておく。
実際天生牙はどのような方法でかは知らないが、殺生丸は最初から持っている。
(この点「天下覇道の剣」は突っ込んでいてすごくおもしろかったが。答えにはなっていない。)
だいたい母君の元に置かれた鉄砕牙がどのような経緯で父君の墓、黒真珠の中に入ったのだろうか。

父君が死ぬ時になって母君から取り返したとは考えにくい。
父君が亡くなってからこそ母君にとって必要なはずだから。
幼い犬夜叉ではないだろう。
父君の墓は父君が生前に作っておいたのかもしれないが、その死後死骸の中に鉄砕牙を飾る場所を作り、鉄砕牙を納めた何者かがいるはずである。

冥加は父君の墓の場所を知らなかったし、刀々斎も初登場時、犬夜叉のことをよく知らないようだった。
わざわざ犬夜叉母子から鉄砕牙を取り上げた意思は一体誰なのか、悩んでしまう。
さらに殺生丸が鉄砕牙を手に入れようなんて気を起こさなければ、犬夜叉は鉄砕牙のことを知らずに終わっていたかもしれない。
そうなると、妖犬化した状態で収まりがつかなくなってしまうはず。

最初、犬夜叉が15歳の誕生日に渡されるはずだったが犬夜叉が封印されたために誕生日が封印の中で過ぎてしまったのかと考えた。
ところがそうなると高橋先生の「封印されている間は年をとっていない」発言と矛盾が生じる。
まあ四魂の玉に関わらなければ、犬夜叉とてこれほど命懸けの戦いに明け暮れることはなかったろうが。
たとえば20歳になったら渡すといった条件であったとは思えない。

犬夜叉は15歳で妖犬化の危険を冒しているのだから。
そうなってくると殺生丸には天生牙を与え、鉄砕牙の存在とその威力を知らしめた父君?が殺生丸に奪わせることによって犬夜叉を鉄砕牙の使い手として鍛え上げようと考えたのかと思ってしまう。
しかしそれではあまりに殺生丸が可哀そう。

散魂鉄爪から鉄砕牙へ、ただの?鉄砕牙から竜鱗までと犬夜叉の成長を鉄砕牙になぞらえて描いていく上でこんな初期の謎の答えはおそらく出ては来ないだろう。
しかし「犬夜叉」が終息に向かう前に是非この謎にも答えて欲しいと思った。
もちろん思っただけである(笑)。
高橋先生はおそらくここにこだわってはおられないだろうと思うから。
  (2005年2月6日の日記) 

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