|
2月13日 珊瑚の心 |
原作少年サンデー2008年2月13日(11号)第541話「光の罠」 ☆ ☆ ☆ 今週初めて奈落を憎らしいと思った。 キャラとして「魅力的な悪役」を離れて憎らしいと思ったのはたぶん初めて。 それは策略の相手が珊瑚だからだろう。 なぜだろう、かごめや桔梗に比べてあまりに普通の弱さの持ち主だからか。 弥勒を救うためにりんを殺す。 かごめや桔梗なら絶対陥らない罠に今珊瑚が陥ろうとしている。 仮にりんをここで殺したところで誰も救われないのに。 おそらく珊瑚も心のどこかで気づいているだろうに。 同時に初めて「ツボにハマった」奈落の策略の見事さにも感動を禁じえない。 なんだかんだ言っても心のどこかで架空の物語を意識し、どこか冷めた部分があるのが常だが、今回は本気で胸が痛んだ。 それはやはり珊瑚の弱さに自分の弱さが通じる部分があるせいだろう。 現実にはあり得ない凄まじい戦いの物語だけど、珊瑚の持つ脆さ、すぐに内に向きたがる心の弱さ、頑なさは現実の人間と変わりがない。 珊瑚こそ「犬夜叉」主要キャラの中で一番等身大というか現実味のある性格の持ち主だろう。 仮に弥勒が誤って風穴を開いて1人死ぬことになったとしても、そこに哀しさ、切なさはあっても惨めさは感じないだろう。 けれど刹那の想いに周りも自分も見えず、冷静な判断ができない珊瑚の行く手には惨めな結末が垣間見える、同時に弥勒の結末も惨めなものになりかねない。 そうなってはならないと、珊瑚のために強く願う。 なのに相変わらずのごり押しくん(またの名を犬夜叉)は相変わらずの猪突猛進。 有能なる軍師(かごめ)がいなければ全てが終わった後も奈落の体内をがしがし削っていそうだ。 先週の感動が即成長につながらないところがいかにも犬夜叉か。 同時に珊瑚の前ではちゃんと服着てる奈落にちょっと笑ってしまった(そんな場合じゃないのに・・・、涙)。 そしたら弥勒の前でも服着てたので、どうやら服着ているのが幻奈落というわけらしい、わかりやすい。 願わくば最終決戦に登場する時は本体であっても服は着て欲しい。 ただ衝撃的な展開ではあるけれど、殺生丸が間に合うだろうという安心感はどこかにある。 りんを殺そうとした珊瑚を見ても珊瑚の心を推し量って怒りは奈落に向けるだろうし。 後はそこをどう見せてくれるか、弥勒と珊瑚の、殺生丸とりんの感動的な再会をどう見せてくれるか、楽しみに待ちたい。 先週の絵が素敵過ぎて今週は表紙からしてぴんと来なかったが、215ページの「法師を殺す。」に対する珊瑚の表情、そして奈落が全体的に綺麗だった。 ところで先週号のかごめの霊力封印が解けて四魂の玉に光がよみがえったことに関して3人の方からメールを頂いた。 やはりこの四魂の玉に光が「よみがえる」必然性というか、そういった描写はなかったとのことで、それぞれの方が解釈してくださっているのだが、3人3通り、見事に違っていたのには驚いてしまった。 梓山を踏まえてあの光はもともと「桔梗の光」というより「桔梗とかごめの合作の光」だったと解釈したAさん、桔梗が死んで魂がかごめと同一化し、桔梗=かごめだから光もよみがえったと捉えたBさん、元々桔梗を上回る霊力の持ち主だったかごめの霊力が「全て」解放されたからこれまでできなかったことができるようになったのではないかと考えたCさん、どの解釈もなるほどと納得させられるものだった。 逆にこれほど深読みして考えて、その上でなおこれだけ違った解釈が出ざるを得ない「犬夜叉」という作品が難解と言うより優しくないな、と感じてしまった。 私が「犬夜叉」を通して感じることは、高橋先生があらかじめ綿密なプロットを練るタイプじゃなく、最初に根っこだけ作っちゃって、後は野となれ山となれじゃないけど、幹つけてここは太くここは細く、ここに枝つけてみよう、ここは花咲かせてみようみたいな後付け設定タイプじゃないかと言うこと。 最初は伏線ではなかったものが後になって伏線にされると言えばいいのか、そんな風に感じてきた。 (ただしこれは話してきた人ほとんどに否定されている、笑)。 それでいて大きな破綻がないのは凄いし、だからこそさまざまな解釈をする楽しみもあるのだが、やはり時々苦しくはなるなと思う。 そこが実は「犬夜叉」の他作品にはない大きな魅力だったりするのだが。 今週は他に「ハヤテのごとく」がおもしろかった。 (2008年2月13日の日記)
|
真打ちかごめ、いよいよ登場 |
原作少年サンデー2008年2月20日(12号)第542話「飲みこまれる光」 ☆ ☆ ☆ 奈落の失敗は幻が奈落だけだったこと。 弥勒すらも幻と化し、どこか他の場所で風穴を開いていたら、今度こそ奈落の企みは成功していただろう。 やっぱり奈落、どこかが甘い。 おかげで弥勒が犬夜叉、かごめ共々滅ぶ最後は回避できたわけだけど。 それでも珊瑚の顔を思い浮かべながら「最後の」風穴を開こうとする弥勒、そして吸い込まれてしまう危険をものともせず突っ込む犬夜叉の姿は本当にかっこよくて。 先日のかごめもそうだったが、私はカラー絵よりも思春期の少年少女の突きつめた美しさが高橋先生の真骨頂だと思っているから、本当に嬉しい。 これで弥勒は救われたか? まだ正気に戻ってはいないようだが、犬夜叉がそばにいればとりあえずは大丈夫だろう。 危ないのは珊瑚の方。 さまよえる貴公子殺生丸は未だ到着せず、珊瑚の心は遂に闇に堕ちる。 弥勒を「救う」ために、奈落を「殺す」ために、りんを「殺す」。 迷わぬ決意が四魂の玉をも闇に染める。 四魂の玉の恐ろしさは邪悪な心だけではなく、弱い心、哀れな心さえも糧としてしまうところだろう。 これで仮に珊瑚がりんを殺さずにすんだとして、珊瑚はこのことに影響を受けずに生きることはできるのだろうか。 全てが奈落のせいにされ、珊瑚の記憶にも残らず、なかったこととして片付けられてしまうのだろうか。 かつて珊瑚は奈落に騙され、犬夜叉を殺そうとしたけど、今はあの頃とは事情が違う。 全てが片付いた後で、珊瑚は己の決意の責任を取らなければならないと思うのだが。 今回の珊瑚はそれほどのことをしようとしているのだが。 おそらくりんを殺し、弥勒が助かったら珊瑚は生きてはいないだろう、その覚悟はできているだろうと思う。 弥勒とは違った形で弥勒のために命を捧げるつもりなのだろう、あまりに哀しい。 そこに来合わせたのは琥珀。 必死の叫びも届かぬままに、珊瑚の所業を見せ付けられることになる。 さらに来るはずは殺生丸。 りんの危機に間に合うか間に合わないか。 けれどもここで真打ち登場、その名はかごめ。 かごめというキャラは、その力が強大すぎるゆえに、どうも出番を奪われがちなようだ。 極端な話、もののけ系なら破魔の矢が当たりさえすれば、それで全てが片付くのだから、犬夜叉たちの出番がなくなる。 そこでいかにかごめに力を使わせないかに心が砕かれ、中途半端なギャラリーになっていたことが多かった。 今ぎりぎりのこの瞬間に、かごめは自分が何をすべきか悟る。 見えるものに惑わされず、見るべきものを見る、それがかごめの力、かごめの役目。 そしてかごめが見据える先には、裸の奈落、じゃなくて本物の奈落がいた。 かごめが矢を放つと同時に珊瑚が飛来骨を投げる。 りんを救うのは殺生丸か。 琥珀が身を挺してりんを庇うか。 何よりもかごめの矢が奈落を、四魂の玉を打ち砕くか。 打ち砕いたところで飛来骨は止められないのだからここは再びかごめが攻撃、殺生丸がりんの救出の殺かご連携か。 それも見たい。 奈落以上に淡々としているのが夢幻の白夜。 下手すると奈落以上の大物に見えてくる危険あり。 ここであえて琥珀と絡ませることに何か意味はあるのか。 大きな期待で以下次号! (2008年2月20日の日記)
|
2月27日 外れた矢 |
原作少年サンデー2008年2月27日(13号)第543話「消える矢」 ☆ ☆ ☆ 満を持して放ったかごめの矢が四魂の玉を貫いて、奈落の心臓を撃ち抜いたら奈落といえどもおしまいだろう。 そしたらあっけなく「犬夜叉」が終わってしまう、それはまずい、確かにまずい。 けどここまで来て外して「くれた」矢には何故か吹き出してしまった(奈落の体には当たっているのだけれど)。 珊瑚の闇、弥勒とりんの危機、奈落の悪、かごめの覇気と息づまるような緊張感がぎりぎりまで来たとこだけに、私の中で何かがはじけた。 自分がなにを撃つべきなのか、よく見て、自分の矢は必ず奈落に届くと信じて・・・。 届いたね、良かったね、だけど・・・。 がっかりしたんじゃなくてなんだか奇妙な爽快感、これが「犬夜叉」か? おかげで一番ありきたりの結果、かごめの矢が珊瑚の飛来骨を阻止する、がありきたりに終わらず、見事な効果をあげていると思う。 琥珀が犠牲となってりんを救う結末は回避、もちろん珊瑚の飛来骨がりんを殺す結末も回避された。 おもしろいのは奈落の本体がダメージを受けた同じ場所をに幻の白夜もダメージを受けたこと。 それでも飄々としている夢幻の白夜が印象的だった。 しかしそれですまないのが珊瑚と殺生丸。 弥勒を助けるためにりんを殺そうとした自分を殺生丸は殺す権利があると珊瑚は思う。 読者はここでこれまでの殺生丸の成長を思い、殺生丸は珊瑚を許すだろう、怒りの矛先を奈落に向けるだろうとどこか安心感を持ちながら読むだろう、少なくとも私はそうだ。 しかし、仮にここで立場が逆だったらどうだろう。 捕らわれたりんを助けるために殺生丸が弥勒を殺したら、殺そうとしたら。 珊瑚は殺生丸を許せるだろうか。 心を試されたのは珊瑚も殺生丸も同じこと、珊瑚がりんを殺そうとするか、殺生丸がその珊瑚を殺そうとするか、その逆でもまた然り。 殺生丸なら許すだろうという安心感が先にあって、だからこそ奈落が珊瑚にこの策を使ったような気がするのは、そう描かれたように感じるのは気のせいか。 たとえ殺生丸が珊瑚を許しても、珊瑚自身は己を許せないだろう、そうあるべきだろう。 これからの展開が珊瑚に甘い、作品として危ういものにならなければいいのだが。 その上で珊瑚が救われるならいいのだが。 それはともかく174ページ、見つめ合う珊瑚と殺生丸の珍しい場面、殺生丸の眼に哀れみを感じるのは私の願望か。 今週最大の功労者のかごめに話を戻して、矢を放つ瞬間の表情が凄くいい。 巫女としては誠に存在感の薄かった瞳子がここで回想の形で登場、瞳子編で追いつめられたかごめと瞳子の会話が大きな伏線であったことを知る。 幻も含め、奈落の表情の描写がころころ変わるのもおもしろいが、やはりここで矢が当たるべき場所から外れたのは惜しい。 おかげで奈落は逃げたし夢幻の白夜も逃げ得た(2人のために、実は嬉しい)。 決着をつけないため、以外に矢が外れた理由はあるのだろうか。 今四魂の玉そのものを射抜くことでは完全なる決着はつかないという、翠子なり桔梗なりの意思が働いたとも考えられる。 かごめの練習不足説も昔はあったが置いておこう(笑)。 完全に霊力が発揮されていないため、四魂の玉に押しのけられた、あるいはよけられたとも考えられる。 (見た感じでは矢は直進しているようだが。) もちろんなんらかの理由があった方がおもしろい。 奈落本体が手ひどくやられたことにより、蜘蛛玉奈落がどうなるのか、まだ出てこない七宝や邪見がこれからどう関わるか、などまだまだ見所は尽きないが、残念ながら今週はここまで。 弥勒を連れた犬夜叉とかごめが来週にらみ合っている、いえ見つめ合っている珊瑚と殺生丸に合流するのだろう。 そろそろ「奈落を倒せば全ては解決」な猪突猛進を離れて、「四魂の因果を断ち切るために、何をすべきか」を犬夜叉たちも考える時期に来ているのかもしれない。 (2008年2月27日の日記)
|
殺せる瘴気 |
原作少年サンデー2008年3月5日(14号)第544話「中心」 ☆ ☆ ☆ 奈落にしてみれば、珊瑚がりんを殺そうが殺すまいがそんなことはどうでもよかったわけで。 りんを殺そうとする姿を殺生丸に見せればそれで良かったことになる。 奈落が幻であることを気づかせないようにだろうが、りんが意識のない状態にあることはりんの心を傷つけない、いい設定だったと思う。 高橋先生の優しさというよりも作品設定の限界だろう(奈落の優しさとも言える、笑)。 一方殺生丸。 無幻の白夜に言わせると話を聞いていたようだ。 すると珊瑚が飛来骨を投げようが投げまいが、りんが殺されることはあり得なかったことになる。 実際に殺してしまったのならともかく、殺そうとしただけでは怒りをかき立てる結果にはならないのだろう。 ここでも奈落の計算は裏目に出る。 他者の弱さ、醜さ、哀しさに関してはどこまでも周到に操ってのける奈落であるが、他者の善性に関する部分で常に失敗する。 そこが奈落の哀れなところだ。 殺生丸の眼に映る珊瑚は奈落の謀略にまんまと乗せられた愚かな人間だろうか、それとも奈落に追いつめられた哀れな被害者だろうか。 いずれにしても殺生丸の標的は最初から変わらず奈落、珊瑚はもはや眼中にないようだ(いい意味で)。 そして殺される覚悟ができているとは言え、珊瑚の心を占めているのはりんを殺さずにすんだことに対する安堵より、りんを殺そうとした自分を責める心より、弥勒に会いたいという一途な想い。 架空のキャラが作り上げてる「犬夜叉」という世界にあって、珊瑚だけが凄まじく人間だ。 それだけに瘴気に対して珊瑚が防毒面をりんにつけてあげる、それを殺生丸が見ている描写は大きな蛇足に思えた。 珊瑚ならりんを殺そうとしたことなどなくても、この場にあれば同様のことをするだろう。 この姿を見て殺生丸が珊瑚を許す気になるといった展開にはならないで欲しいと思う。 前回「これからの展開が珊瑚に甘い、作品として危ういものにならなければいいのだが。その上で珊瑚が救われるならいいのだが。」と書いたが、そこが未だに心配だ。 さて、前回四魂の玉を貫くには至らなかったかごめの矢だが、光は戻っていた。 相変わらずにやけている本体奈落だが、その心は慌てふためいているらしい。 かごめが赤面せずにすむように、うまい具合に矢に当たってくれたようだが、こんな姿にしてしまった自分の所業に別の意味で赤面してしまいそうだな、かごめ。 女性読者の心の赤面に気づかぬふりして、話は強引に進んでいく。 犬夜叉が放った冥道残月破もまた外れる。 これはかごめと違って、犬夜叉が放つ瞬間に足場を崩したから外れたのだろう。 外れた冥道残月破は、なんと夢幻の白夜の背負っていた刀身のない刀に吸収されてしまった。 それを見ていたのは七宝。 重要な場面だが、七宝と夢幻の白夜のやり取りがなんともおかしい。 ここでも無視?の七宝哀れ。 ただし冥道残月破を吸収して黒くに変化した刀と「この刀は一度しか使えない」という白夜の台詞は覚えておかなくては。 同時に「奈落がこれをどう使うつもりかは知らないが・・・そろそろ決着ってことか・・・」は先生から読者へのメッセージか。 そして再び奈落。 ここでもそんな場合じゃないのに「今までとは違う殺せる瘴気」発言には笑ってしまった。 これまでの度重なる瘴気攻撃は殺すつもりのない瘴気だったのか。 奈落の悪の美学だったか優しさだったか。 人間を殺せる瘴気の中に、これまで同様かごめと弥勒は進んでいくのだろうか。 珊瑚はともかくりんの安全とか全然考えてないな、犬兄弟は。 逆に言えば防毒面や犬夜叉の衣で防げるくらいなら、奈落の瘴気もたいしたことなく思えてくる。 今「四魂の玉」がどんな役割を果たしているのか、かごめの「光」がどう影響してくるのか、そして当然登場キャラたちの命運は(特に珊瑚)、来週号も待ち遠しい。 (2008年3月6日の日記)
|
精一杯生き抜いて |
原作少年サンデー2008年3月12日(15号)第545話「絶望」 ☆ ☆ ☆ 奈落の瘴気を全身に受けた瞬間、珊瑚は戦士から女に戻った。 戦闘の邪魔にならないように、戦う時は常に髪を結んでいた珊瑚。 桔梗が巫女から女に戻る時、髪がほどけていたように、今珊瑚もまた女に戻って弥勒と再会する。 そして弥勒と二人死の淵に落ちて行く。 珊瑚がりんを殺そうとしたこと、皆がひたすら己の力を盲目的に信じて突き進むだけだったこと、なのに奈落を攻め切れなかったこと。 悔いることはたくさんあるけど、彼らは皆精一杯あがいて精一杯戦って精一杯生き抜いた。 「すまなかった。一人にして・・・」 動けぬ体で珊瑚に寄り添う弥勒。 「私も・・・ 連れていって・・・」 弥勒の法衣をつかむ珊瑚、それが動けぬ珊瑚にできる限界なのだろう。 静かなあきらめの中、二人は死に向かおうとする。 殺生丸の天生牙もあるだろう。 刀々斎が言うように、犬夜叉の冥道残月破が奈落に「勝てば」二人は助かるかもしれない。 けれど今の二人は本当に綺麗だ。 決して自ら死を選ぶのではない。 精一杯生き抜いて、それで力尽きて死んでいくのなら、それは決して惨めな死に様ではなくひとつの形だと思う。 心のどこかで二人はレギュラーだから助かるだろう、助かって欲しいと願う気持ちはあるけれど、今はこの後の展開を考えず、静かな死を迎えようとする二人に心を寄り添わせていたい。 そして奈落。 あえて珊瑚の飛来骨を受けた奈落の体は解体し、弥勒と珊瑚の絶望や犬夜叉たちの悲しみに反応した四魂の玉の力を受けて、究極の形か、人間型の奈落が誕生する。 余計な物を削ぎ落とし、奈落の闇もまた完成する。 四魂の玉が奈落の体内にあるのか、まだ前に浮かんでいるのか、体の表面にくっついているのか今週はよくわからないが、これで奈落は四魂の玉と同化し、支配者となったのだろうか。 以前の桔梗の言葉を思い返せば、四魂の玉と奈落が完全に同化すれば、四魂の玉は奈落の体内に溶け込み、四魂の玉は消滅するのではないかと思う。 だとすれば奈落にはまだもう一段階あるのだろうか。 「思い合えば合うほどに・・・絶望は深い・・・」 奈落の言葉は犬夜叉と桔梗の過去を思い起こさせるものではあるけれど、高橋先生の「犬夜叉」を描き続けて培ってきた「こなれ」によって、桔梗の時よりもその辛さが胸に突き刺さってくる。 戦いを見守る刀々斎は「冥道残月破を真実自分の物にできれば、犬夜叉は奈落に勝てる」と言うが(モノローグ、この言葉は犬夜叉に届いてはいない)、冥道残月破は夢幻の白夜によってその背の刀に吸収されてしまっている。 当然刀々斎はそのことを知らないだろう、犬夜叉も知らないだろう。 ただ一人見ていた七宝は今後どのように関わってくるのだろうか。 冥道残月破が全て吸収されたか、あるいは一部だったかによって展開も変わってくるだろう。 もうひとつ気になるのは最終ページ、「怒れる犬夜叉が今、鉄砕牙に新たな力を―!?」の部分。 冥道残月破を越える新たな力が付加されるのか? 奈落は人の心の負の部分を吸収するけど、犬夜叉は仲間のための怒りや仲間への想いを糧として成長する。 そしてりんや琥珀と共に珊瑚を追う殺生丸。 やはり殺生丸は珊瑚への怒りなど超越したところにいるようだ。 奈落の殺せる瘴気は珊瑚を集中攻撃か。 人間であるかごめ、りん、琥珀らを瘴気で一気に殺すよりも、生かしておいてその悲しみや怒りといった負の感情を吸収した方が奈落にとって特なのか。 小さな描写だが、子猫に戻った雲母もまた珊瑚と運命を共にするかのようだ、それも切ない。 奈落が珊瑚がりんに防毒面を譲ったことをあえて犬夜叉たちに聞かせることも、奈落にとっては効果的なのか。 「罪ほろぼし」に対する犬夜叉たちの反応をおそらく楽しんでいるのだろう。 犬夜叉たちが珊瑚の口からりんにしようとしたことを聞く日は来るのだろうか。 全てが謎で、全てが切ない。 同時に結末に向けて高橋先生渾身の描写、その迫力に圧倒される。 「マンネリ」「ループ」を口にして、「犬夜叉」から離れてしまった人たちにも、今こそ読んで欲しいと思う。 (2008年3月12日の日記)
|
戸惑う展開 |
原作少年サンデー2008年3月19日(16号)第546話「奈落の望み」 ☆ ☆ ☆ 闇を喰らう者は奈落、光をもたらす者はかごめ、今本当の戦いが始まろうとしている。 今週号、犬夜叉とかごめがいかにして弥勒と珊瑚を救おうとするかが描かれると思っていたが、そうではなかったことにまず驚いた。 なるほど、弥勒と珊瑚にはまだ「時間」がある。 死を待つ時間であると同時に犬夜叉たちが奈落を倒し、弥勒の風穴を消滅させ、珊瑚の瘴気を浄化するための時間が。 夢幻の白夜が刀に吸収した冥道残月破だったが、鉄砕牙はまだ放つことができた。 吸収されたことを知らない犬夜叉が迷いなく放った冥道残月破が奈落を襲う。 しかしこれはまだ犬夜叉が「真実自分の物に」できた冥道残月破ではない。 だから奈落に歯が立たないかと思っていたら、遂に奈落が四魂の玉と同化した。 まるでそのままだと冥道残月破の餌食になるから防御のために使ったかのようだ。 ならば何故今まで四魂の玉と同化しなかったのか。 何故奈落自身があえて自分が追いつめられるぎりぎりまで待って同化したのか。 桔梗の亡骸と共に燃やされた四魂の玉が桔梗の犬夜叉への未練を利用し、かごめに生まれ変わった体を使って再びこの世に戻ってきたと奈落は言う。 ここで興味深いのは、四魂の玉が復活できたのは、桔梗に犬夜叉への未練があったためということ。 逆に桔梗が全ての未練を断ち切り、死んでいたら四魂の玉の復活はなかったということになる。 次に奈落は四魂の玉は砕け散っても災いをふり巻きながら再び集まり、時空すら越えると言う。 かつて桔梗は四魂の玉を犬夜叉を人間にするために使えば四魂の玉は消滅(昇華のイメージ?)すると言った。 それが客観的に見てどうかはともかくとして、そこに負の心が入る余地はなく、四魂の玉は桔梗という巫女の霊力の元で使いこなされる物だった。 しかし奈落は四魂の玉自体が心の闇を糧に悪を支配する意思を持ち、消滅浄化を拒否するものであると示す。 四魂の玉の中で戦っているはずの翠子の意思や想いは奈落の中にはかけらもない。 今となっては翠子の魂すら奈落や曲霊の邪念によって消え失せてしまったのだろうか。 宝仙鬼の元で戻ることを拒否していたかけらの意思はもう残っていないのだろうか。 翠子は桔梗とひとつになったことで全ての意思を桔梗に託し、消えたのだろうか。 さらに奈落は言う、 「四魂の玉は絶対になくならない。 たとえ・・・この奈落が滅びてもな。」 ここからが戸惑う展開に入る。 かごめの洞察力が凄過ぎるというか、奈落があっさりやり込められすぎるというか、あっけにとられたというのが正直な感想。 「奈落・・・あんたは・・・本当はなにがしたかったの?」 かごめは問い、自身で答え、再び問う。 奈落がやってたことはただひとつ、仲間同士の絆を嘲り、人と人が愛しあう心を呪って、引き裂こうとする、それが奈落の望みだったのかと。 人の心を知っていなければできないこと、絆の大切さを知ってるからこそ、それを失う苦しみがわかるからこそできること。 四魂の玉は奈落の本当の望みかなえてはくれなかったのね、とかごめの眼差しには哀れみが、そして図星を指された?奈落の顔には涙のように傷が見える。 四魂の玉は吸収した者の心も体も本当の化け物に変えてしまう、だから今まで迷っていたのではないかとかごめは問う。 かごめに類まれな霊力と仏のような優しさと神のような正義があったとしても、この場でいきなりここまで突っ込むというより唐突に奈落の心を読みきる展開が理解できない。 逆に今の今まで気づかなかったのか、考えてもみなかったのかとも思ってしまう。 たとえば 「奈落・・・あんたは・・・本当は桔梗を殺したくなかったんじゃないの?」 「奈落・・・あんたは・・・本当は桔梗を殺したことを後悔してるんじゃないの?」 「奈落・・・あんたは・・・本当は四魂の玉が怖いんじゃないの?」 こんな単純でストレートな問いなら話はわかる、納得できる、かごめらしい。 けれどこれまでのかごめの印象からすると、かごめというより翠子や桔梗がかごめの口を借りて奈落に言霊を放っているとしか思えないのだが。 奈落は、鬼蜘蛛は桔梗を愛した。 妖怪に体を喰らわせてまで桔梗を得ようとしたのは、極限まで穢れたものではあったけど奈落の心だ、人としての鬼蜘蛛の心だ。 蘇って後、愛しい桔梗が犬夜叉を愛する様を見せつけられたのも奈落であり、鬼蜘蛛だ。 桔梗を喰らってやると誓い、想い人である犬夜叉を呪うのも焼け付くような嫉妬の心だ、人も妖怪も関係ない奈落の心だ、鬼蜘蛛の心だ。 仮に奈落が人の心、苦しむ心を完全に捨てたとしても、恋や嫉妬に苦しんだ心の記憶が消えるものではない。 奈落がもし恐れるのなら、それは四魂の玉に支配されること、自分が自分でなくなることだろう。 たとえ待ち受けるのが虚無であっても虚無を感じるのが奈落自身なら恐ろしくはないだろう。 奈落は一人、桔梗を慕う心、憎む心、弔う心を記憶として留めながら虚無の心で闇を生きればいい。 「なにを今さら・・・」 この言葉を奈落はもっと自信を持って言うべきだった。 しかも奈落が四魂の玉を吸収してから放たれたかごめの言葉。 ここで動揺するのなら、奈落の全ては崩壊する。 後半はかごめから犬夜叉にバトンタッチし、犬夜叉もまた至極もっともなことを言うのだけど、こっちはもう頭に入らなかった。 なんか綺麗だなあ、これで奈落の最後も綺麗に終わるのか、今は様子を見ることしかできないけれど。 犬夜叉の仲間を思う強い気持ち、奈落に対する強い怒りは新たな冥道残月破を生み出し、今度は奈落に衝撃を与える。 夢幻の白夜や殺生丸がいるからこれでおしまいとはならないだろうが。 私は先日「珊瑚だけが凄まじく人間だ」と書いたが、あれはある意味珊瑚賛歌だった。 弥勒のためにりんを殺そうとしたことを称えているのではない。 以前も書いた記憶があるが、桔梗は死魂を使い、退治されるべき存在として生きていた。 その後、桔梗は奈落を倒すために命を懸ける存在になったけど、それでも死魂なくては生きられなかっただろう。 桔梗の陰で娘の死魂を取られて泣く親は尽きなかっただろう。 それは仕方のないことだったとも思う。 その後七人隊が登場する。 かけらひとつで死魂がなくても普通に生きられる存在だった七人隊。 けれど犬夜叉も奈落も桔梗もそれを使って桔梗を生きさせようとはしなかった。 彼らの中で桔梗は、想いとは別にこの世にあってはならない存在として、確固たる?立場にあった。 そういう常識人のようなところが彼らにはあって、それが物足りなさでもあり、でもそれが「少年漫画」の限界というより、そういうものだろうと思っていた。 まあこれは極端な例だが、そういった、時には浅ましさを感じるほど突き詰めたものが感じられなかったというか。 (初期桔梗、初期奈落にはいくらか見られ、そんなところは好きだったが。) それが今回の珊瑚である。 所業の良し悪しはともかく、初めて生の人間を見たとある種の感動を覚えた。 それが今週また話は綺麗な世界へと戻り、奈落までが綺麗な世界に引きずり込まれて昇華したら寂しいな、と思った。 でも私自身のこの感想も大きな矛盾がある。 543話「消える矢」の感想で ―そろそろ「奈落を倒せば全ては解決」な猪突猛進を離れて、「四魂の因果を断ち切るために、何をすべきか」を犬夜叉たちも考える時期に来ているのかもしれない。― こう書いた。 そんな私にしてみれば、まさに望むべき展開なはずなのに、そう思えないのが我侭というか何というか、情けない。 情けないまま以下次号・・・。 今週は「週間少年サンデー創刊50周年記念」でスペシャル企画が続々登場。 ・次週17号には「うる星やつら&タッチ」クリアファイルの付録あり(犬夜叉じゃないけど)。 ・カラーページで高橋先生がサンデーとの出会いを語る。 「スーパージェッター」とか「W3」とか「バンパイヤ」とか「どろろ」とか。 ・サンデー超ヒロイン列伝トップはラムで。 新潟にも高橋留美子記念館とか作って欲しい・・・。 ・純金純銀青銅クリア仕上げ?のラムちゃんフィギュアが501名様に!って1名様の純金は20万円以上だそうです・・・。 ・ユニクロで「らんま1/2」「うる星やつら」のTシャツ発売中!→「ユニクロ」で公開。 (2008年3月19日の日記)
|
生への執着 |
原作少年サンデー2008年3月26日(17号)第547話「斬る冥道」 ☆ ☆ ☆ 先週の奈落に対するかごめの反応に戸惑い過ぎて、奈落の 「四魂の玉は絶対になくならない。 たとえ・・・この奈落が滅びてもな。」 この言葉に対する自分の感想を書くのを忘れてしまった。 そこで今週のサンデーを読む前に、前回の追記から始めてみたい。 私は奈落のこの言葉に、奈落にはもう生への執着がないのだろうかと感じた。 奈落がこれまで読者の前では語っても、犬夜叉たちの前ではほとんど語ることのなかった己の心境、桔梗への想い。 それでも誰から見ても奈落の全てが桔梗のためにあったと言えるだろう。 四魂の玉を手に入れて汚し、それを使って自分が本物の妖怪になる。 存在だけで自分を束縛し、弱い部分をさらけ出させてしまう桔梗を殺す。 邪魔であり、憎い犬夜叉たちを殺す。 前にも書いたが、仮にこれらの「奈落の望み」を全てかなえたら、奈落には何が残るのだろう。 奈落は「虚無」と答えている。 しかしこの「四魂の玉は―」に続く台詞を読むと、桔梗も犬夜叉たちもいない世界で虚無の中で虚無と共に生きること、それは死と同義となるように思えてくる。 奈落は桔梗のいない世界での存在意義をもはや見出せない、というより見出すつもりがないのでは、と。 ただし犬夜叉やかごめや殺生丸たちは確実に仕留める、それが奈落に残った最後の仕事では、と。 奈落にしてみたら、これ以上生にしがみつく気持ちもないが、犬夜叉たちより先に死ぬ気もない。 犬夜叉たちを片付けたら後はもうどうでもいいみたいな。 何度斬られても再生する奈落の執着は、本物の妖怪になるより犬夜叉たちを殺すためだけに向けられた執着ではないかと。 むしろ奈落は汚れた四魂の玉をここまで育てた養い親兼守り人兼支配者として四魂の玉を滅したりせず、次の世代(時代)に持ち込みたいのではないかと思った。 桔梗が滅びても、犬夜叉たちが滅びても、そして奈落が滅びても、四魂の玉の因果に苦しめられ、憎み合い、争い合い、殺し合って生きる者たちが新たに生まれればいい。 新たな奈落が、新たな桔梗が、新たな犬夜叉が次の時代で苦しめばいい。 それが奈落の望みなのではないか。 犬夜叉が断ち切ると誓った四魂の玉の因果を奈落は永遠に続けたいのではないか。 故に奈落は無理に四魂の玉と同化したりはせず、守り人に徹しながらその力だけは利用してきたのではないかと思った。 「立つ鳥あとを濁さず」どころか濁しまくりの穢しまくりの終焉が奈落にはふさわしい。 ここまで書いてから読み始めた今週のサンデー、七宝と雲母は出ないが刀々斎に猛々、冥加、楓、弥勒に珊瑚、殺生丸一行には邪見が合流と揃い踏み。 集結そして終結を予感させるのが寂しい。 鋼牙が遠くから蜘蛛玉を見つけて駆けつけて来ないかなあと少々期待していたのだけど、それはないまま終わりそうだ。 鉄砕牙は斬る刀、その鉄砕牙と冥道残月破を犬夜叉が真の意味で使いこなした瞬間、冥道残月破は刃となって奈落を襲う。 さしもの奈落も新調した衣装ごと今度こそ分解かと思いきや、顔まで壊れながら再び復活。 強い絆で結ばれて?いたかのように思えた夢幻の白夜もさすがに顔が破壊されることはなく、傷つく程度。 257ページの奈落ように、右目と髪だけ残った夢幻の白夜になったらやっぱり怖い。 それでもしぶとく残る四魂の玉を狙うはかごめ。 余裕はないものの、さすがは奈落、触手を操りかごめに矢を放たせないくらいの余力は残っているようだ。 そして奈落はせっかく完全な人型に戻ったのに、今度は宝仙鬼のようになってしまった。 蜘蛛玉の外では刀々斎と冥加が犬夜叉のレベルアップに気づき、楓の村では楓が蜘蛛玉崩壊に気づく。 ここで楓がちゃんと出てくれるのが嬉しい。 そして意識の戻らぬ珊瑚を救おうと、弥勒が目覚める。 珊瑚を抱いて走る弥勒。 しかし弥勒の「生への執着」は珊瑚だけのもの。 ここは二人で生き抜くことを考えて欲しい、そうでなくては生き残れまい。 弥勒も目立たぬ形ながら、その生き様を試される。 そしてこの期に及んでまで麗しいのが殺生丸。 追いつめられた奈落に気づき、止めの爆砕牙を放つ。 ここで甘ったるい兄弟愛を打ち出さず、殺生丸が犬夜叉の仕事を認めた上で、その視線は奈落に固定しているのがいい。 でも今週の主役は邪見!誰が何と言おうと邪見だ。 ここまで来ても吹き出さずにはいられない愛らしさ。 一生懸命なのに、殺生丸に再会できてこんなに嬉しいのに、殺生丸の眼中になし。 というより足蹴にされてるし(笑)。 「ん?何か踏んだか?」くらいの意識もないだろう、シリアスど真ん中の殺生丸。 崩壊しつつももう一度 「たとえこの奈落が滅びても四魂の玉は絶対になくならない」とくり返す奈落。 冥道残月破を吸収した刀を背負った夢幻の白夜も奈落の元へ向かう。 その表情には普段の飄々とした雰囲気はない。 皆が奈落の元に、いえ四魂の玉の元に終結した時最終決戦が始まる。 さてサンデー読んでみて、読む前に書いた奈落の言葉に対する考察はどうだったか。 はずれずとも近からず、か。 あるいは山の彼方の空遠く、と溜息のひとつもつきたくなるほどかけ離れているのかもしれない。 ちょっと前に「曲霊」が出てきたが、ストーリーがこのように進んでくると、曲霊が出た意味って一体何だったんだろうと考えてしまう。 その存在は奈落はもちろん犬夜叉側にも何の影響も与えていないように見える。 そもそも曲霊は四魂の玉の状態を表すものであって、存在を表すものではない。 そこにあえて「犬夜叉」流の解釈で妖怪もどきの曲霊を出してきたところにどんな意味があるのだろう。 むしろ以前奈落の城から逃げ出して鋼牙にやられた生ゴミくん(奈落が体を作り変えた際出た妖怪の残骸)のように、四魂の玉から、かつて翠子と戦っていた妖怪たちの魂が「捨てられた」部分が曲霊だったように思えてくる。 曲霊が存在するなら当然「直霊」も存在するはずで、イコール翠子の魂とするならば、翠子の魂が直霊の形を取って出現することもあり得るわけだが、その気配はない。 四魂の玉から余計なものが削ぎ落とされ、とことん奈落で満たされた四魂の玉が残っているのだろうか。 だとしたら四魂の玉は、奈落や桔梗(かごめも含む)、犬夜叉たちを導く主役ではなくて、単なる奈落のアイテムだ。 その四魂の玉に孤独や嫉妬や苦しみや、僻みや嫉みや悲しみや、奈落の全ての負の心をつぎ込んで、次の時代に受け継いで、奈落の魂を受け継いだ者が、犬夜叉たちの魂を受け継いだ者との新たな戦いを開始する、そんな続編を願ってしまう私が一番執着心が強いのかもしれない。 犬夜叉と殺生丸はそれぞれの刀で奈落を滅することを求める。 先週奈落の心に触れたかごめは、破魔の矢で四魂の玉を浄化した後、奈落にどのように向き合うのだろうか。 犬夜叉や殺生丸とは違う、ただ滅する、ただ四魂の因果を断ち切るだけではない何かがあって、先週はその伏線だったのだと思いたいのだが・・・。 (2008年3月26日の日記)
|
奈落を極める(話はそれるよどこまでも) |
第547話「斬る冥道」追記 ☆ ☆ ☆ きのうも書いたように、どんどん「犬夜叉」自体から離れて行ってる気がする最近の私の作品感そしてキャラ感。 一旦リセットして「犬夜叉」にもう一度白紙の状態で向き合おうと反省してみた。 でもその前に、離れついでに私の?奈落を極めてみたい。 キーワードは「奈落の望み」に出てきたかごめの言葉、「四魂の玉は吸収した者の心も体も本当の化け物に変えてしまう」。 体も心も化け物になるのは嫌だろう。 奈落の望みは四魂の玉を支配し、君臨しての同化だろう。 最初にこの部分を読んだ時、唐突に「人魚」シリーズの「なりそこない」を思い出した。 人の心を失い、化け物となって生きる、醜いだろう、恐ろしいだろう、哀しいだろう。 しかし、見方を変えればそれこそ奈落の求めていたものではないだろうか。 嫉む気持ちや妬む気持ちや孤独や憎悪、全てを忘れたかった奈落の。 そしてそこにこそ「虚無」がある。 しかし奈落には迷いがあった、何故だろう。 四魂の玉に支配され、奈落が奈落でなくなったら、奈落の中から「桔梗の記憶」もまたなくなるからではないだろうか。 桔梗を憎む表の想いとは裏腹に、桔梗を慕う裏の気持ち、意識の底に隠れて気づかぬ部分に囚われながら生きたいからではないだろうか。 「夜叉の瞳」の新吾のように。 というより、そうであって欲しいという気持ちが私の中にある。 きれいごとでは済まされない、かっこよくは生きられない、そんな奈落であって欲しい。 そしてそれこそがこれまで奈落が手にかけた者達への贖罪の道だろう。 奈落は救われたりせず、自ら望んで無明の闇をさまよい続けて欲しい。 それが「私の」奈落であり、私の「犬夜叉」だ。 「いくらなんでもそれはないだろう。」と笑っていただけたらとても嬉しいのだけれど。 最初は書くつもりだった作品や他のキャラはなんとなく書けず、奈落だけ書くことができた。 結局奈落への思い入れが一番強いということなのかもしれない。 同時に奈落がどんなに苦しんだにしろ、慈愛によって救われることを求めてはいない私が一番残酷なのかもしれない。 奈落が憎いから救われないで欲しいんじゃなく、救われないことこそが「奈落の望み」なんじゃないかなあとつくづく思った次第。 (2008年3月27日の日記)
|
奈落の最後(話はずれるよいつまでも) |
第547話「斬る冥道」追記その2 ☆ ☆ ☆ 「斬る冥道」追記というより「奈落を極める」の追記のつもり。 犬夜叉が言う「四魂の因果を断ち切る」ことでどういう結果が生まれるか、お花見しながらずっと考えてた。 少年漫画で主人公が犬夜叉で、だからこそ犬夜叉が決着をつけるべく生まれた言葉だろう。 けれども私はそこにどこか居心地の悪さを覚える。 奈落の最後その1。 鉄砕牙なり天生牙なりで四魂の玉ごと破壊される。 奈落は「おのれ」と呻くか「桔梗!」と叫びながら死んでいく、王道パターン。 確かに四魂の玉がなくなることで四魂の因果は断ち切れるが、奈落の恨みが消えることはなく、もちろん奈落が救われることもない(救われるべきかどうかは別として)。 奈落の最後その2。 かごめの破魔の矢で四魂の玉もろとも浄化され、「今までごめんなさい」と己の所業を深く反省しながら死んでいく。 四魂の因果は断ち切れるし、ある意味奈落も救われるが、これでは今までその手にかけられた者たちの魂も浮かばれまい。 奈落の最後その3。 かごめの破魔の矢で四魂の玉だけが浄化され、消滅する(桔梗や翠子の魂登場もありかもしれない)。 桔梗は死に、苦労して育てた汚れた四魂の玉が消滅して、奈落のこれまで全てが無駄となる。 「わしは一体何のために・・・」 奈落は全てを失い、望み通り虚無の世界へと堕ちて行く。 その後奈落が自ら死を選ぶか、犬夜叉に斬られるか、生きて闇をさまよい続けるかは正直あまり関心がない。 あえて書くなら、私が願うのは前回「奈落は救われたりせず、自ら望んで無明の闇をさまよい続けて欲しい」と書いたように、何もかも失ってなお桔梗を求めて生き続けること。 死んでしまえば奈落にとって全ては終わる。 生きて桔梗の幻に囚われ続けて欲しい。 前に黒巫女椿が登場したエピソードがあったが、椿の最後のアニメと原作の描き分けが印象に残っている。 美しさを失い、急激に年老いた椿を高橋先生は生かしておく。 アニメでは椿は灰になって死ぬ(脚本は男性だった)。 どちらが椿にとって優しい結末だろうか。 同性に対して思い切り残酷になれるのは、もしかしたら女性かもしれないと当時思った。 これも前回書いたが、奈落が憎いから救われないで欲しいんじゃなく、救われないことこそが「奈落の望み」なんじゃないかなあと思う私は、奈落に虚無の世界で生き続けて欲しいと思う。 そしてそれを妨げるのが、奈落に結末を与えるのが犬夜叉の、鉄砕牙の、「斬る刀」の役目なのだろう。 奈落に対して一番好戦的な犬夜叉こそが奈落に一番優しい、なんて風に思ってしまう私である。 (2008年3月29日の日記)
|
お花見しながら考えた |
第547話「斬る冥道」追記その3 ☆ ☆ ☆ 「斬る冥道」追記というより「奈落を極める」追記というより「奈落の最後」の追記のつもり。 調子に乗ってさらに続く奈落の最後想像編。 なにしろ今日は寒かった。 職場のお花見ならどんなに寒くても我慢して最後まで参加なとこだけど、そうでないからとっとと帰る。 飲むもの飲んで食べるもの食べてとっとと帰る、その途中で考えた。 奈落の最後、私の希望はきのう書いた通りだ。 「かごめの破魔の矢で四魂の玉だけが浄化され、消滅する(桔梗や翠子の魂登場もありかもしれない)。 桔梗は死に、苦労して育てた汚れた四魂の玉が消滅して、奈落のこれまで全てが無駄となる。 『わしは一体何のために・・・』 奈落は全てを失い、望み通り虚無の世界へと堕ちて行く。」 だが、ふと昔出たゲームPS「犬夜叉」を思い出した。 その終わり方の感想を考察日記で書いてたので引用してみると 犬夜叉たちは奈落の城に乗り込んで神楽と神無を倒し、奈落をも倒すのである。 ところが奈落は死なず、なおも生き抜こうとする。 そこに登場したのが桔梗。 桔梗は奈落を滅し、自分も滅びる道を選ぶ。 2人が消えた城跡で呆然とする犬夜叉にかごめが言う。 「(桔梗が)許してくれたのよ。」たしかこんな台詞。 そして2人は再び砕け散った四魂のかけらを捜す旅に出るのである。 完全に桔梗は脇役、考えられないこと。 今だと「なんと安易な」と驚いてしまうが、この時点ではまあ納得できることではあった。 逆に原作においてこの結末だけはあり得ないとも言える。 奈落は恐怖と怒りに打ち震えながら死んでいくが、実は後から桔梗にしっかりと抱きしめられる至福の一瞬。 もしかしたら本当にこんなことになったら、鬼蜘蛛の心、人の心に戻って静かな死を迎えるか、あり得まい、もちろん。 もちろん当時は桔梗がまだ生きていたのでこんな結末だったのだろう。 ただ当時は不思議に思えた終わり方が、今では逆にあり得ないことではないと思うようになってきた。 桔梗の死があった上でのことだけど。 奈落が想う桔梗は死んだが、もしも桔梗の魂が奈落を連れ去るのなら、今の犬夜叉は許せるだろうか。 奈落が桔梗を想うことすら許せなかったかつての犬夜叉だった。 もしも桔梗が再び現れたなら、それは奈落を滅ぼすのではなく、浄化消滅させるためだろう。 かごめと奈落の関係はとても希薄で、奈落にとってかごめは桔梗と似ていることすら意識の外であるように思える。 そのかごめに奈落の想いも孤独も憎しみもまるごと浄化し、消滅させる、荷が重いと言うよりかごめの役目ではないような気がする。 たとえ死んでも桔梗にしかできないことではないだろうか。 愛ではもちろんなく、怒り、憎しみでもない。 巫女としての使命とでも言おうか、そういった崇高なもの、愛すら越えたもの。 奈落と「絆」のある桔梗だからできること。 なんだか桔梗に連れ去られる奈落の笑顔までも見えてきた、私も相当危ない(笑)。 死んだ桔梗が再びかごめの中で再生とか、想像はどんどん膨らみ、尽きることがない。 そうなると翠子がどっかへ行っちゃうのだが・・・。 突拍子もないことを延々と書き連ねてきたが、結論。 私にとっての「犬夜叉」は、犬夜叉でもかごめでも、もちろん翠子でもなく、桔梗と奈落の物語なのだということ。 だから本来のストーリー、本来のキャラ設定からどんどんはずれてきているのだろう。 書きたいことを書き尽くして、これで本来の「犬夜叉」に戻れるだろうか。 きのうのブログで「ここまで来たら、もう後戻りは不可能か?大丈夫、戻れます(笑)。」なんて自信満々に書いたけど、だんだん自信がなくなってきた。 本来の「犬夜叉」と私の「犬夜叉」が混在して、さらに別物語になっていくような気がするのだが・・・。 (2008年3月30日の日記)
|
4月2日 白夜の最後 |
原作少年サンデー2008年4月2日(18号)第548話「白夜の刃」 ☆ ☆ ☆ 早く読みたくてお昼のサンドイッチかじりながら読み始めた「犬夜叉」、ぽたっと落ちた、ツナマヨが(涙)。 「てめえ!!」の犬夜叉の顔にぽたっと。 慌てて拭いたけど、このままとっとけば、いつかカビとか生えてくるんだろうか。 もう一冊買った方がいいんだろうか・・・。 さていろいろ考え続けてる中で、ふと私はなぜこんなに桔梗にこだわっているんだろうって考えた。 かごめ(と犬夜叉)に全てを託して死んでいった桔梗。 桔梗はもう静かに眠らせてあげればいいものを、あえて引きずり出して重荷を背負わせる、なぜだろう。 今週号を読んで答えを見つけたように思う。 でもその前に順を追って感想を書いてみたい。 最初は弥勒と珊瑚。 珊瑚を救うために最後の風穴を開こうとする弥勒。 その覚悟は美しいけれど、以前の父親の死に様からして、ここで弥勒が風穴を開いたら珊瑚も巻き込まれるのは必至。 それどころか犬夜叉たちを含め、奈落も含め、蜘蛛玉も含め、一気に全てが消滅してしまいそうな怖さを感じるのだけれど。 意外とそれが奈落の狙いだったりして、なんて思ったこともあったのだけれど。 ところが弥勒の風穴は消えつつあるようだ。 奈落の呪いの力が弱まったと弥勒たちは気づく。 珊瑚の瘴気もどこへやら、二人も再び参戦か。 先週の邪見に続いて今週の主役は七宝。 そうじゃないんだけど気持ち的に七宝。 雲母もしっかり錫杖もしっかり飛来骨もしっかり受け止め?弥勒と珊瑚までしっかり受け止めて?くれた。 すごいよ七宝! 急いでいる時は四つ足で走ってるとこも可愛い。 弥勒、珊瑚、七宝も雲母を連れて犬夜叉たちの元へ向かう。 まん丸になって弥勒たちを運びながら両手に錫杖飛来骨持ってる姿も可愛い。 七宝力持ち。 そして殺生丸。 周りに犬夜叉とかりんとか琥珀とか、味方がいようがおかまいなしで斬りまくる。 りんたちはともかくどこにいるかわからない弥勒たちはもはや眼中にないのか?殺生丸。 でも今週本当の見所は犬夜叉、かごめvs奈落の対決。 ここで再びかごめと奈落の不思議な問答が入る。 犬夜叉の鉄砕牙でも殺生丸の爆砕牙でも斬れぬもの、それは奈落の魂とかごめが叫ぶ。 「そのために私がいるのよ! 奈落! あんたの魂を浄化するために!」 かごめの「私」と「あたし」の使い分けには注意したい。 「そうだ かごめ・・・」 奈落は心で答える。 「最後は魂の闘いだ。」 ここで最初に書いた桔梗が後をかごめに託した意味に戻りたい。 奈落に殺された桔梗は四魂の玉に、奈落に何らかの影響を与えるために光を残したのだと思われていた。 しかしその光は琥珀を救うために使われた。 死んだ桔梗がそんなに都合良く光の力を変えることはできないと思うので、最初から琥珀のために残した光だったのだろう。 だとすると桔梗はかごめを信頼して全てを託したことになる。 そのかごめが「奈落の望み」で奈落を哀れむような表情を見せたことが気になっていた、ずっと。 生への執着を捨てたかのように見えた奈落の言葉、そこに発したかごめの言葉はあまりに深すぎるものだったけれど、「(奈落の)桔梗を殺してしまった、もう生きていても意味はない。」という気持ちを感じ取ったのなら、かごめも桔梗の代わりに奈落に対処できるかもしれないと思った。 けれど今週のかごめの言葉に「ああ、やっぱりかごめじゃない。」と正直思った。 かごめの浄化は犬夜叉や殺生丸が奈落の体を壊せるけど魂は壊せない、でもかごめの破魔の矢なら、霊力なら壊せる、手段に過ぎない。 恨みを残さず、四魂の因果を断ち切るためには「私怨」と書けば強すぎるか、「怒り」を越えた何かがなければならないと思う。 「使命感」と言えるかもしれない(かごめに使命感がないと言っているのではない、ただ使命感の意味が違うような気がする)。 さらに桔梗と奈落の間には「絆」があった。 かごめと奈落の関係は、犬夜叉や弥勒、珊瑚、殺生丸と奈落以上に希薄に見える。 そのかごめが奈落を倒すのならば、結局は奈落より強い力、強い魂で倒すことになるのだろうか。 でも今週一番驚いたのは夢幻の白夜。 なんてあっけない。 一瞬「場つなぎ」なんて言葉が頭に浮かんでしまったし、白童子を思い出してしまった。 飄々としたキャラで好きだっただけにがっかりしてしまった。 投げやりとも寂しそうともとれる最後の台詞がとても寂しい。 ここで大切なのは夢幻の白夜がかごめを「斬った」こと。 犬夜叉から奪った冥道残月破だが、かごめは無傷。 かごめの霊力を斬って浄化の力をなくしたと判断するのが妥当だろうか。 逆に奈落がかごめの霊力を奪って巫女奈落になったりしたらおもしろい、なんてふざけちゃいけない。 問題はかごめが斬られたこと。 犬夜叉が夢幻の白夜を倒すのは一瞬遅れたから、もしも夢幻の白夜が「斬れる」刀で斬っていたら犬夜叉にとっては取り返しのつかない一撃になるはずだった。 ところが夢幻の白夜は、というより奈落はかごめを殺そうとはしていない。 奈落もまたかごめとの「魂の対決」を望んでいるのか。 一番恐れるかごめを殺すのではなく対決する、その意味を知りたい。 かごめの中の桔梗の魂を奪おうとしたなんて展開を希望したいが、桔梗が嫌がるだろうし無理か・・・。 先日「自称ずれてる犬夜叉ファンのえむさんは『犬夜叉』がどのように終わると思いますか?」とメールを頂いた。 前にどっかで書いた記憶があるが、奈落の最後は犬夜叉に斬られるか、かごめに射られるかはともかくとして当然死ぬだろうが、そこで四魂の因果が断ち切られた瞬間全てがリセット、それが希望。 かごめのタイプスリップによって変えられたさまざまな歴史。 こだわらなければこだわらないが、こだわりだすと止まらないタイムパラドックス。 妖怪のいる戦国時代があるのはいいとして、四魂の玉はなく、鬼蜘蛛はいても奈落が生まれなかった時代に戻る。 全ての出会いも全ての殺戮も消え失せて、かごめ15歳の誕生日の朝に戻り、普通の生活が再び始まる。 もちろん全ての記憶は消え、翠子も弥勒も珊瑚も犬夜叉も桔梗も鬼蜘蛛も、それぞれの時代をそれぞれの場所で生きる。 辛うじて「日暮神社」の名前とその由来とが記録として受け継がれて行く。 寂しいけれど、切ないけれど、私にとってはそれが一番自然な終わり方だ。 ただ「ふたつの世界」でかごめが 「この時私はまだ、 ふたつの世界のどちらかを選ぶ日が来るとは思ってもいなかった。」 と語っているのでこの予想(希望)は見事に玉砕されている。 かごめ自身が自分の意思で現代に戻るか戦国時代に残るか決めるわけだから、四魂の玉消滅によって否応なしにリセットされる結末はあり得ないわけで(笑)。 「炎トリッパー」で戦国時代に残るバージョンがすでに描かれてしまっているので、今回は現代に戻るかな?とも思っているし、同時に最後はかごめの恋を成就させてあげたいとも思う。 いずれにしろ高橋先生がいつまでもかごめがふたつの世界を行き来するのではなく、どちらかに決める結末を用意したことは英断だったと思う。 結局私の頭に浮かぶのは、奈落の抜け殻(あるいは壊れた魂)を連れ去り、共に滅びる桔梗の姿だったりする。 慈愛でも恨みでもなく、奈落を救うのでも地獄に落とすのでもなく、虚無の世界に導く桔梗の姿。 いつまでたっても「深読み」「ずれ読み」終わらない。 (2008年4月2日の日記)
|
最終決戦開始 |
原作少年サンデー2008年4月9日(19号)第549話「集結」 ☆ ☆ ☆ 「犬夜叉、なにを手間取っている!?」 殺生丸からこんな台詞が出る日が来ようとは。 今週は本当の最終決戦がスタートしたところ。 犬夜叉たちが奈落をどう倒すかより、奈落が倒された後どうなるかが気になるこちらとしては、淡々と読まざるを得ない。 気になると言えば風穴の呪いが解けつつある弥勒はともかく珊瑚がどうしてこんなに元気なの?とか、奈落が冷静なのはまだ隠し玉があるせいなのか、もう生への執着がないからなのか、どっちなのか悩んでみるとか、その程度。 特に弥勒と珊瑚の復活の仕方には、どっぷり感情移入した後だけにあっけないなあと。 もちろん気合いを入れれば考えどころはたくさん出てくる。 弥勒の風穴の呪いが解けつつあるのすら罠なのかとか(実際に風穴を開いても大丈夫だったのでこれは却下)。 今週矢を放つ場面のなかったかごめだが、夢幻の白夜の冥道残月破でどのような影響を受けたのかとか(霊力を奪われて四魂の玉の浄化が出来なくなるかと思ったら四魂の玉にはしっかり光が蘇ってるし)。 後はもちろん最後が近づく、その恐れなのだけど、その前の全キャラ集結はちょっと気恥ずかしい(鋼牙いないし楓いないし冥加いないし刀々斎いないし=この場に立ち会って欲しいキャラ)。 なんとなく自分の中で「犬夜叉」がもうすぐ終わるとすんなり受け入れていることが一番寂しいのかもしれない。 結局今週は戦闘を見守るしかないので感想としてはあまり書くことがない。 最近目につく「半妖」の言葉、前は犬夜叉が奈落に対して使っていたが、今週も表紙で使っている。 同じく半妖として存在しながら、1人は限りなく正の方向へ、1人は限りなく悪の方向へ成長したことを改めて認識させたいのだろうか。 でも奈落と犬夜叉、「半妖」という言葉で括ってしまうには無理があるような気がする。 確かに妖怪図鑑でもあれば、種族?は半妖だろうが。 人間の母と妖怪の父が愛し合って生まれた半妖が犬夜叉。 1人の人間が邪念のために妖怪に体を喰らわせて生まれた半妖が奈落。 たとえば奈落が人間の母と妖怪の父が愛し合って生まれた半妖であったなら、2人の相違はあえて取り上げる価値もあるだろう。 「奈落の望み」で私の心に響いてこなかった犬夜叉の言葉も結局はきれいごとに過ぎないのだろうか。 やはり奈落は体は犬夜叉に、魂はかごめに壊されて終わるのだろうか。 ただそれだけなのだろうか。 何度も書いた奈落と桔梗の絆、それを越えるものは残念ながらどこからも誰からも感じられない。 退場した桔梗に重荷を課すことを潔しとしないなら、最後に奈落を導くのは奈落の中の桔梗、存在しない桔梗なのかもしれない。 今週号のカラーページで久々鋼牙が登場(アニメだけど)、懐かしかった。 そこに諏訪氏のコメントがあってアニメを「犬夜叉一行がゲストキャラの成長→卒業を促す」ものとされたそうだ。 えっ、そうだったの?と驚いてしまった。 ぱ〜っと頭の中でアニメ作品を思い出そうとしても、このテーマに相当するのはタタリモッケ(真由)とか地念児とか原作物ばかりでアニメならではのテーマに沿った作品が浮かんでこない。 それだけこちらが原作への思い入れが強いせいかもしれないが、アニメの力押し感も未だに拭えないからだろう。 ただ、当時アニメに感じた力押し感を、今原作に感じているのだからファンなんて勝手なものである。 (2008年4月9日の日記)
|
かごめと絆と魂と |
第549話「集結」追記 ☆ ☆ ☆ キーワードのかごめの台詞 第546話「奈落の望み」より 「奈落・・・あんたは・・・本当はなにがしたかったの?」 第548話「白夜の刃」より 「そのために私がいるのよ! 奈落! あんたの魂を浄化するために!」 ☆ ☆ ☆ 上記の2つの台詞を比べてみると、「奈落・・・あんたは・・・本当はなにがしたかったの?」は奈落の不用意な言葉の中に、かごめが奈落の孤独や苦しみを感じ取り、怒りを納めて奈落を理解し、救いにかかるのではないかと思わせる。 「そのために私がいるのよ! 奈落! あんたの魂を浄化するために!」はかごめの怒りだ。 浄化の言葉は奈落の魂を清めるというより、魂を攻撃する、攻撃できるという意味を感じさせる。 前者は奈落の上から包み込むような雰囲気を持ち、後者は下から突き上げるような激しさを持つ。 前に書いたように私は前者に違和感を感じ、後者にかごめらしさを感じた、何故だろう。 それはやはり、私はかごめが奈落の魂を本当の意味で浄化できると思っていないからだろう。 犬夜叉や殺生丸は奈落の体を壊し、かごめは奈落の魂を壊す、それがかごめの役目であり、同時に限界でなくてはならないと思っているからだろう。 かごめに優しさが足りないとか、霊力が足りないと言うのではない。 かごめもかごめなりに様々な苦しみを乗り越えて成長した。 けれど、たとえかごめに聖人君子の魂と、翠子以上の霊力があったとしても奈落を「浄化」できないだろう。 というよりそうであって欲しい。 なぜならかごめと奈落の間には、奈落と桔梗にあったような「絆」がないから。 問題なのはかごめじゃなくて奈落の方、絆のないかごめには奈落を倒せても、奈落に結末を与えることができないのが自然と思う。 最近「絆」という言葉をよく使っているが、私には奈落と桔梗の絆というより奈落の桔梗に向けた想い(=一方的な絆)は、はかり知れなく強く深いと思っている。 そして桔梗が奈落の想いを理解したからこそ絆も生まれたと思っている(もちろん受け入れてはいないが少なくとも受け止めた)。 犬夜叉でさえ最初惑わされたかごめと桔梗の相似。 ちょっと乱暴な考え方かもしれないが、私は犬夜叉がかごめと桔梗、2人の少女に心惹かれたのは、やはり2人が犬夜叉にとって1つの魂を持った「1人の少女」だからだと思っている。 同一だから同様に惹かれる。 もちろん人格は別、かごめと桔梗は別人と認識はしていても。 けれど奈落は全くと言っていいほどかごめに関心がなかった。 なさすぎるほどなかった。 珊瑚が鉄砕牙を奪って奈落の城に乗り込んだ時のかごめは凄かった。 犬夜叉も弥勒も歯が立たず、絶体絶命のピンチに陥った時にかごめの怒りが爆発、奈落の体を打ち砕く。 奈落はかごめを「恐れて」いるとよく書かれたが、確かに犬夜叉や殺生丸も怖いけど、ある程度その力は測ることができるだろう。 けれどかごめの怒りの爆発、霊力爆発は奈落にとって予測のつかない力でダメージを与えてきたのではなかったか、これまで。 特に奈落が犬夜叉たちを追いつめて、得意の絶頂にいる時に限ってそれはやって来る。 奈落にとって一番怖いのは、犬夜叉でも殺生丸でもなく、かごめのはずだ。 にもかかわらず、奈落は時々(少ないけど)かごめにちょっかい出すけど、それ以外は本当に無関心だった。 原作では愛によって生まれた半妖犬夜叉と、妄執によって生まれた半妖奈落と最近2人の関係を位置づけているが、同時にかごめと桔梗を同一視している犬夜叉と、2人を完全に切り離している奈落という位置づけもできるのではないだろうか。 この期に及んで?と聞かれそうだがこの期に及んでもと答えよう。 意外にかごめも気になり、翻弄される奈落でもおもしろかったんじゃないかと思う部分もあるけれど(笑)。 まあ実際にそうだったら煩雑すぎ、生々しすぎて少年漫画の域を越えるか、残念だけど。 愛も憎しみも桔梗一筋の奈落と、2人の少女に同時に恋した犬夜叉、その描き分けは鮮やかだったが、私が奈落により思い入れが強いのも、そんなところにあるのかも。 話がそれたが、そんな奈落だからこそ、かごめに殺されることはできても、本当の意味で浄化されることはできないだろうというのが私の結論、というより「私の望み」。 そこで桔梗、本来ならばPSのゲームみたいに奈落の臨終に桔梗の幻が出てきて奈落を連れ去るのが望ましいのだけれど、前に書いたように、かごめたちに全てを託して安らかな眠りについた桔梗を引っ張り出すのは忍びない。 だからと言って先日また見た「永遠の想い 乾坤の薙刀」みたいに桔梗の魂がかごめに乗り移り、かごめの体を借りて、ではかごめの立つ瀬がない。 かごめだってがんばった。 じゃあどうしよう。 これも先日書いたけど奈落の中の桔梗、奈落が心に生み出した桔梗が奈落に結末を与えるっていうのが一番自然な気がする。 奈落の中の桔梗の意思は「奈落の望み」だろう。 奈落は救われることなど望んでいないから(と私は信じているから)、奈落の中の桔梗は奈落を望み通り虚無の世界へ導くだろう。 犬夜叉や殺生丸が奈落の体を壊し、かごめが奈落の魂を壊す、そして奈落の決着は奈落の中の桔梗が、つまり奈落自身がつける。 その時に犬夜叉も桔梗を想う奈落の心を慮るほどに成長していたらいいなと思う。 その時こそ犬夜叉が桔梗の面影を心の奥底に大切にしまって、かごめにまっすぐな恋心を向けることができるのではないだろうか。 ところで先日小田原城に行って実際に使われた武器など見てきたが、改めて刀や矢じりを見て「ああ、犬夜叉やかごめはこれを使って戦ってるんだ。」と思った。 相手が妖怪だけになんとも思わず読んでるけれど、「殺し合い」の世界であることに変わりはない。 「犬夜叉」は犬夜叉たちの正当性を高めるために「人間は駄目、妖怪ならばOK」をかなり押し出した作品だと思う。 これだけ長く続くとそんな部分にも矛盾が噴き出して来るが、もしかしたら高橋先生も描いていて苦しかったんじゃないだろうかと思った、自ら課した制約で。 最近「犬夜叉」がもうすぐ終わるのは寂しい、終わらないでほしいというメールを頂くようになったが、寂しさとは別の部分で、「犬夜叉」はやはり終わるべき時期に来ているように思う。 高橋先生にとって「犬夜叉」が枷となる前に大団円を迎えて欲しい。 (やっぱり終わって欲しくないと言うのが本音です・・・。) (2008年4月14日の日記)
|
奈落が目指す場所 |
原作少年サンデー2008年4月16日(20号)第550話「崩壊」 ☆ ☆ ☆ 自分で「最終決戦」と書くのはいいけど、人が書いた「最終決戦」なんて字を見るのは嫌だーっ!と心の中で絶叫しながら読み始めた今週の「犬夜叉」。 あまり見たことのないレイアウトの表紙がいいな、特に犬夜叉、かごめと殺生丸。 はた迷惑な奈落の蜘蛛玉(もはや蜘蛛玉奈落とはとても言えない)も遂に崩壊を始める。 わざわざ蜘蛛の形になる意味あったんだろうか、なんてかすかな疑問を残したまま。 中では奈落の今度こそ最終形態か? 木彫りじゃないんだけれど、どう見ても木彫りにしか見えない奈落の変化に、犬夜叉は 「とうとう玉に心を喰わせたか・・・」 と呟く。 四魂の玉と同化したとは言わず、四魂の玉に心を喰わせたと言う。 鬼蜘蛛が体を妖怪に喰わせたことで生まれた奈落が、今度は四魂の玉に心を喰わせた。 普通に台詞を言ってないので(モノローグはある)、心を奪われつつあるのか、最後が近づいて満足に話せない状態なのかはわからない奈落。 その体もまた犬夜叉の冥道残月破と殺生丸の爆砕牙、弥勒の風穴、珊瑚の飛来骨により崩壊しつつあるが、鬼面と化した奈落は何かを待ち続ける。 そこにもはや生への執着は感じられず、奈落最後の大仕事、そのタイミングを図っているかのように見える。 「その時」が来たら、奈落はかごめに矢を打たせるつもりらしい。 最終ページに飛ぶと、この蜘蛛玉は崩壊しながら楓の村に向かっていることがわかる。 奈落の目的は楓の村の壊滅ではあるまい。 鬼蜘蛛だった頃、桔梗にかくまわれた場所、2人だけの時を過ごした場所、鬼蜘蛛終焉の場所、そして奈落が生まれた場所であるあの洞穴に向かっているのではないかと思う。 奈落が四魂の玉に支配されたならば、奈落は翠子の木乃伊のある退治屋の里に向かってもおかしくないが、ここまで翠子の存在が無視されては、それはもうないだろう。 奈落が待っているのは蜘蛛玉が洞穴に到着する瞬間だろう。 それを見越して死ぬ前の桔梗が罠を仕掛けてたりして。 以前奈落が桔梗の幻を使って洞穴に罠を仕掛けていたが、それに対する桔梗の呪い返しならぬ罠返し。 だったら奈落も本望か。 ああ駄目だ、どうしても桔梗が頭から離れない。 さて、奈落の瘴気の強さの変化に気づいた殺生丸は邪見に避難を命じる。 もちろんりんと琥珀も連れて、だがこの時のやり取りも緊迫してるのになんだかおかしい。 邪見「も」邪魔なんだよ〜となにげに突っ込んでるりんも好き(笑)。 ここでりんは珊瑚に、琥珀は弥勒に防毒面を託す。 描写はないが、珊瑚はここでも何か思うことがあるはず、その余裕もまたないか。 防毒面ひとつで助かる奈落の瘴気のせこさに乾杯。 七人隊のお馬鹿キャラ霧骨の、防毒面の役立たない毒が懐かしく?思い出される。 でも考えてみれば、妖怪が平気な瘴気というのも不思議だ。 奈落なら妖怪にも影響を与える瘴気、作れそうなのに。 弥勒も風穴消えつつあるからといって「瘴気」を吸いまくるのはどうなのか? 弥勒と珊瑚は元気すぎ。 これがアニメなら「犬夜叉のテーマ」が大音響で流れる頃だろうが、実は今「日本史サスペンス劇場」を見ながら書いてたら「犬夜叉」の劇伴が使われまくりでちょうどいい。 殺生丸が「・・・・・・」とこの場面に反応しているが、りんが弥勒に、琥珀が珊瑚に防毒面を渡してたら別の反応しそうだ。 脱兎の如く飛んで来て防毒面を取り替える殺生丸も見てみたかったかも? 弥勒と珊瑚は生かしておいてそばに置きたかったらしい奈落だが、もはやちびっこトリオに用はなし。 構っている余裕がないとも言えるか、とりあえず3人は無事脱出する。 近くにいなかったとは言え、誰も防毒面を貸してくれなかったという哀しい立場のかごめだが、どうやら瘴気に耐性があるらしい(浄化)。 じゃあ今まで犬夜叉が庇う必要なかったじゃない、とか思ってみたけど今日の瘴気は特別仕様、浄化できる瘴気なのかも、奈落の瘴気は数十種類か。 でもかごめにしろ弥勒、珊瑚にしろ防毒面を借りたり、耐性があったりという幸運があったからいいものの、逆に言えば見境なく突っ込んできたというわけで。 こんな時弥勒や珊瑚、かごめに避難を促す余裕はなかったか、犬夜叉。 「生身の人間ぞろぞろ引き連れて(by煉骨)」無事に生きているのはよほどの奇跡か奈落の優しさか。 この辺はやはり兄殺生丸の方が年の功。 仮に蜘蛛玉が桔梗の洞穴なり他の目的地なりに到着した時、奈落は何をしようというのだろうか。 ここで気になるのがかごめが「斬られた」こと。 最初霊力かと思ったが、かごめ自身が瘴気を浄化しているので、霊力ではないようだ。 (もちろんかごめが浄化ではなく、奈落がかごめに害を為してない可能性もあるけれど)。 次に気になるのが「かごめの中の桔梗の魂」を「奪った」のではないかということ。 コミック5,6巻に登場する裏陶編で、かごめから裏陶が奪った桔梗の魂のあらかたはかごめの中に戻っている。 何らかの形で奈落が気づいていれば、あり得ないことでもないかな? でも理想は想い出の洞穴でかごめに破魔の矢を打たせ、犬夜叉たちも巻き込んで死に至る奈落。 そして四魂の玉の力で第三の復活を遂げることを意図する奈落、だろうか。 ただ一人生き残った奈落は桔梗の魂を抱いて生き続けるって先週とはだいぶ予想も変わったな。 もちろんこれは私が理想とする奈落の意図であって、実際は桔梗により虚無の世界へ落ちて欲しい。 でも奈落が犬夜叉たちを道連れにしていったん滅びるために必要なものがわからないから、あれこれ考えてはみたものの全て却下ということで(笑)。 (2008年4月16日の日記)
|
純情奈落の真骨頂 |
第550話「崩壊」追記 最近頂いたメールで触れられていた話題に関して。 ☆ ☆ ☆ ず〜っと「犬夜叉」のことを考えているせいか、変な夢を見た。 蜘蛛玉が鬼蜘蛛の洞穴にすぽんと入って出られなくなり、ぎゅうぎゅう詰めになる夢。 瘴気は出て来なくて、犬夜叉となぜか殺生丸が奈落と3人で押しくらまんじゅう状態。 「何やってんだっ、奈落!」なんて勝平さんの声まで確かに聞いた。 その後奈落が何と答えたか、犬夜叉たちがどうなったかは残念ながら覚えていない。 一気にギャグになって嬉しいんだか哀しいんだか(笑)。 それはさておき体を打ち砕かれながら一心不乱に想い出の洞穴を目指す奈落、その目的は何か。 一度死んで四魂の玉の力で三度蘇る、想い出の場所で犬夜叉たちと共に死ぬが、前回浮かんだ目的だった。 けれど何度か読み返すうちに、奈落にとって犬夜叉たちや殺生丸ってもはや眼中にないのでは?と思い始めた。 死に向かう奈落の頭の中には桔梗だけ、そんな感じ。 ではなぜこんな姿になってまで犬夜叉たちを引き連れていくのか、それはかごめのため?とふと思ったり。 奈落はかごめを「斬る」ことによって何かを奪ったかもしれないが、逆にかごめに何かを与えたかもしれない。 冥道残月破は元々失った命を与える刀、天生牙が持っていた力、あり得ないことではないような気がする。 では奈落はかごめに何を与えたか? 奈落を滅ぼす力かな?なんて思ってみたり。 桔梗亡き今、桔梗と瓜二つな(実は似てない)かごめ、桔梗の魂を持つかごめ、桔梗の意思を受け継ぐかごめに最後の瞬間を与えて欲しいとか。 かごめの慈愛とか癒しとか霊力とかは関係ないしそんなものは必要ない、桔梗と同じ魂を持つその顔と手があればいい、なんて。 そうなるとかごめ本人に関心はなくても、夢幻の白夜を使ってちょっかい出させた意味も通じてくるのだけれど。 かごめは「浄化」を連呼するけど、それは奈落を「殺す」ことではあるまい。 初期のかごめは屍舞烏を殺したり、間接的にではあるが逆髪の結羅も殺している。 そんなかごめがだんだん「戦闘に参加しない」立場に置かれるようになったのは、その霊力を持て余したこともあるだろうが、妖怪の跋扈する戦国時代を生きる珊瑚とは違う、現代人であるかごめがあまり妖怪に手をかけないようにとの配慮ではないかと思ったことがある。 悪党とは言え半分人間であり、見た目も限りなく人間である奈落をかごめに殺させることの抵抗は大きいだろう。 斬るのは犬夜叉、浄化(魂を壊す)はかごめの役割はここにあると思う。 そこで奈落はあえてかごめに力を与え、かごめに自分を殺させようとする。 しつこく書けば、その後奈落の中の桔梗の面影が奈落を虚無の世界へ導く、それが奈落の目的か。 かごめがいなければならない。 そのための犬夜叉たちはおまけ、と書けばあんまりだが、少なくとも奈落にとってはそうなんじゃないかなあと思ってみた。 それを通させないのが「犬夜叉」であり、犬夜叉の役目だろうが、そんな奈落も見てみたい。 でもそしたら奈落心の勝利で終わってしまうか・・・。 ☆ ☆ ☆ 第548話「白夜の刃」追記 感想で書いたかごめの「私」と「あたし」の使い分けについて。 かごめが自分のことを「私」というのは今回が初めてではない。 私が強く印象に残っているのは18巻「かごめの心」で桔梗と共に行くことを決めた犬夜叉にかごめが会いに来る場面。 犬夜叉と桔梗が一緒にいるところを見てショックを受けたかごめのモノローグから「私」がずっと続くのだが、実際に犬夜叉に会い、語り始めたかごめは自分のことを「私」と口にする。 犬夜叉と桔梗の想いを受け入れ、それでも犬夜叉と一緒にいたいと自分の気持ちを素直に吐露するかごめ。 私はここでひとつ大きく成長し、前に踏み出したかごめの姿が、この言葉に表現されていたと思った。 未だにかごめの一番好きな場面だ。 「白夜の刃」でもかごめの強い決意を強調するために使われたのではないかと思う。 たとえば記憶のない琥珀と2人きりになった時など相手に応じて使い分けることもあるが、かごめが「私」と言い始めたら「かごめ勝負の時」と思ってもいいんじゃないかなあと(笑)。 でもメールで書いて頂いた「桔梗から引き継いだ意志の反映」もおもしろいと思うしあり得ないことではないと思った。 (2008年4月17日の日記)
|
「崩壊」追記と53巻感想 |
第550話「崩壊」追記 ☆ ☆ ☆ 以前お世話になったことのあるサイトさんに久々にお邪魔した。 そしてびっくりしたのが「崩壊」の感想で、奈落の目的を「かごめと同化」ではないかという意見があったこと。 目から鱗というか、なるほどかごめを殺す、かごめに殺されるがあるならかごめと同化するがあったっていい。 かごめに瘴気が効かないのもかごめを傷つけたくないためとか。 かごめの中で桔梗の魂と共に生きるなんてことになったら確かに奈落にとっては理想的で、もしかしたら霊力まで手に入る。 では夢幻の白夜が斬ったのは奈落が同化するための空間か?とかいろいろ考えてしまった。 逆に言うと読む側にとっては一番のバッドエンディングだ。 それにしても読む人読む人が皆違う結末や展開を予想できるこの懐の深さはどうだろう。 先日「犬夜叉」は語らない作品であるがゆえにいろいろな解釈、幅広い視点が存在すると思うとメールを頂いたが、確かにこれほど考察しがいのある(突っ込みがいのあるとも言う)にはこれまで出会ったことがない。 時には不親切に思えるほどだが、これがまた「犬夜叉」のおもしろさなのだろう。 ☆ ☆ ☆ コミック53巻感想 まず表紙が犬夜叉が遠くに行っちゃったような気がしてちょっと寂しい。 で、かごめは?と思ったら現代で勉強中。 なんとなく結末を暗示しているような気がしてそれも寂しいって考えすぎか。 第1話「曲霊の影」の憂いに満ちたかごめの顔もいい。 物思いにふける邪見と七宝のイラストも可愛くて、なんだか読む前におなかいっぱい胸いっぱい(笑)。 ところが内容の方はシリアスというより難解。 52巻から、いえ51巻から、とどんどん遡って読み直さないとストーリーの把握がしにくい。 「曲霊に見られた途端に気絶」って文章だけだと曲霊親衛隊みたいでちょっと笑えるかごめの霊力消失から始まって琥珀の「死」まで。 こうして通して読んでみると、このあたりも本当に振り回されたなあと思う。 究極の悪の如く登場してあっけなく消えた曲霊、こんな場合のかごめの一大事、仲がいいんだか悪いんだかわからない殺生丸と夢幻の白夜、琥珀の苦悩と決死の覚悟、奈落に(やっと)さらわれたかごめ、琥珀の死・・・。 さらに楓の小屋にいる邪見とりん、完全無欠の殺生丸、退治屋の里の一場面、そして弥勒と珊瑚のくちづけと印象に残るシーンも多かった。 最後のページで琥珀は死を迎える。 次の巻で蘇ることはもうわかっているのだけれど、想いとは別にやはり琥珀は死を持って終わるのが自然だったのではないかと改めて思う。 登場キャラを生かすも殺すも原作者次第、それはわかっているけれど、自然な流れでなければそこには違和感が残る。 ただ琥珀を殺すにしのびない、琥珀を生かした理由に説得力がなければ、それは高橋先生の中途半端な優しさになってしまう。 次巻に期待を持たせるべく琥珀の「死」を持って終わった53巻だが、あまりに美しく自然に完結しすぎて、そこに哀しさと同時に大きな充足感も感じてしまってどうにもならない。 (2008年4月18日の日記)
|
目からウロコの奈落論 |
第550話「崩壊」追記 ☆ ☆ ☆ 先日おもしろいメールを頂いた。 自称「奈落に優しくない男性読者(お名前は別)」の方からで、奈落にふさわしい最後をイメージしてくださったもの。 滅びつつある奈落を四魂の玉を使って人間になった犬夜叉が、かごめを抱きしめながら勝利の笑みを浮かべて見下ろしている。 願いが成就した四魂の玉は消滅し、奈落はかごめの中に桔梗の魂を見てしまい、犬夜叉が抱きしめているのが桔梗に見える。 しかも奈落は死ぬことも叶わず、その光景を目に焼き付けたまま永遠の闇をさまよい続ける、だそうだ。 奈落の悪行にはこれくらいしないと殺されてきた人や妖怪たちが浮かばれないとのこと。 「その光景を目に焼き付けたまま」永遠にというのが凄まじい。 たしかに 1、犬夜叉に負ける。 2、犬夜叉が四魂の玉を使って「願いを叶える」。 3、四魂の玉が消滅する。 4、桔梗が犬夜叉と結ばれる。 5、死という救いさえ許されない。 と奈落がしたかったこと全てを犬夜叉がやってのけ、しかも奈落に見せ付ける、まさに奈落に対する完璧な報復。 奈落の全てが無駄になると言うか何と言うか・・・、なんだか奈落がかわいそうなほど。 けれど奈落に思い入れのない厳しい目で見たら、このような結論になるのが自然かもしれない。 というよりそうあるべきなのかもしれない。 もちろんこれが現実の世界の中でのことなら私としても奈落に一片の思い入れも持たないだろう。 架空の世界だからこそ時には犬夜叉の側に立ち、時には奈落の身になって想像を働かせているわけで。 問題は上記のことを犬夜叉やかごめがするかどうか、できるかどうかだ。 犬夜叉が妖怪になろうが人間になろうが「四魂の玉を使って幸せになれば」奈落の不幸で成立するが、今さら犬夜叉がそんな力を必要とするかどうか。 人間になって現代でかごめと暮らすか、かごめが「本物の妖怪になって」と望まない限り、犬夜叉は半妖として生きていくような気がする。 人間であっても半妖であっても妖怪であっても大切なのは「生き方」と学んだ犬夜叉だから。 次に四魂の玉の消滅だが、「正しい願い」という伏線が出てきているので何らかの願いは為されるだろう。 私などは四魂の玉を翠子の木乃伊の胸の中に戻してやって成仏させてあげるでいいんじゃないかと思うけど。 あとはかごめや奈落の登場によって変えられてしまった歴史のリセットとか。 これで妖怪半妖まで消えてしまったら大変だが、現代に続く流れとしてはあり得ないことではないかも。 かごめが犬夜叉と結ばれることは確実だろうが(たとえ最後に現代と戦国時代、2つの世界に別れることになったとしても)、かごめの中には桔梗の魂も残っているわけだから、確かに奈落にとっては桔梗と犬夜叉、にも見えるかな? でもあれほどかごめに関心のなかった奈落のこと、よほど意識が朦朧とするか目がかすむかしないと辛いかな? 「死」という救いが許されないというのは、私も翠子編からのイメージとしてあり得ないことではないと思う。 というよりあってほしいと思う。 ただ今回とても興味深かったことは、「犬夜叉」の内容に関するメールでこれほど違う角度から切り込んだ意見を頂いたのは初めてということ。 これまでは比較的同じようなスタンス、同じような視線の同志が多かったので。 それはそれでたまらなく楽しいことだけど(笑)。 全く奈落は罪作り。 「犬夜叉」が終わってしまったら、考えることがなくなって寂しくて寂しくてたまらなくなるに違いない。 (2008年4月21日の日記)
|