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最猛勝 |
原作少年サンデー1998年2月18日(12号)第61話「最猛勝」 ☆ ☆ ☆ ワールドホビーフェアでの原画プレゼント、この最猛勝編の「犬夜叉よ、鉄砕牙のサビになれ・・・」と殺生丸が鉄砕牙を手にするシーンが描かれたものだった。 応募するたびに同じ原画で3枚もたまってしまったが。 でも大きさや真ん中の折り目がないだけでこんなに素晴らしいんだ、紙質が違うだけでこんなに豪華なんだ、と何度も取り出しては眺めている。 1枚は部屋に飾って1枚は観賞用、1枚は永久保存。 最猛勝編を読んでいて思い出したのが映画「紅蓮の蓬莱島」。 犬夜叉が最初から当然のようにかごめをあてにしているところが不思議だった。 たしかに鬼の腹編で犬夜叉はかごめの力を求めるが、基本的には己一人の力に頼むところが多い性格だと思っていた。 ぎりぎりまで一人でがんばって、どうしても自分一人ではかごめや仲間を守り切れないと知った時、初めてかごめに助力を求める。 原作の鬼の腹編で犬夜叉がかごめの助力を求めたから、もうこれはやってもいいんだという暗黙の了解ができて、気持ち良く退治屋コンビを描くことができたのかなあと思った。 少なくとも私はあれ以後何でもかんでも二人がかりでというようには捉えていないのだが。 まあ映画の感想はおいといて、ここで初期の犬夜叉、何でもかんでも一人でがむしゃらに突き進む犬夜叉を見ることができたのは嬉しい。 同時にかなうわけないのに犬夜叉の前に立ちふさがり、犬夜叉を守ろうとするかごめにも感動したっけ。 小ばかにしたような殺生丸の「うるわし」発言や邪見と弥勒の大喧嘩?などもおもしろかったが、なんといっても最猛勝。 最初は弥勒を苦しめる嫌なやつと思っていたが、なんとなくいじらし系、可愛い系ですごく好き。 特に殺生丸や犬夜叉の案内係を努める時の最猛勝が好き。 もっとも今回は次回からの犬兄弟クライマックスへのつなぎのような部分で、特に大きな見せ場はなく、ちょこちょこ笑ったりドキドキしながら進むだけ。 犬夜叉の感動、かごめの感動などはこれから爆発する。 もちろんミロ邪漫才も。 今はこれを書きながら「ブラックジャック」を見ている。 私はだいたいテレビをオンタイムで見ることがなくて、とりあえず見たい番組は録画しておく派。 もちろん全て取っておくわけじゃなくて見たらすぐ消すのがほとんどだが。 それで今頃「にいちゃんを返せ!」 」を見ているのだが、白角の岸尾大輔さんが出ていらした。 ああ懐かしいなあと思って見てしまった。 以前どうして「ブラックジャック(以下BJ)を見ているんですか。」とメールを頂いた。 「BJ」の視聴率が上がればアニメ「犬夜叉」の復活は遠のくから、犬夜叉ファンが「BJ」を見ることは「犬夜叉」に対する裏切りだと思いますと書かれてあった。 私が見ようが見まいが視聴率には関係ないことはおいといて、私はおそらくアニメの終わりを受け入れているんだろうなあと思った。 たとえば犬アニメが絶頂期の頃の突然の打ち切りだったら怒るだろうと思う、私も。 また「BJ」を放映したいがために犬アニメを打ち切ったなら見ないだろう、「BJ」は。 でも原作派だからということではなく、アニメの息切れ感、一部のオリジナルに感じる虚しさなどを思い出すにつけやはり仕方がないという思いはある。 もっと勢いがあったらアニメ製作をたとえやめたくてもやめられなかったはず。 ただし、だからといってこれで終わって良しと言っているのでもない。 無理してオリジナルを作る必要もないほど原作がたまったら、「また作られるに違いない」と思っているだけ。 業界に詳しい人、これまでたくさんのアニメを見てきたコアなファンの人たちは「もう無理でしょうねえ。」とよく言われる。 実際そうかもしれない。 けど私は信じているから、実際に犬アニメが復活するかしないかで迷ったり怒ったりしないんだと思う。 何より月曜日の7時から8時までアニメ枠が見る人が少ないためにドラマ枠になったりする方が怖い。 熱い思いは大切だけどそうすることで何を引き起こしてしまうか考える必要はあると思う。 私自身アニメ終了に関して大失敗をしているので、今だから言えるのかもしれないが(笑)。 それに「BJ」は見るべき作品だと思う。 ずいぶん奇麗事に薄められてしまってはいるけれど、やはり人の命について考えさせられることは多い。 (2005年2月8日の日記)
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弥勒と邪見 |
原作少年サンデー1998年2月25日(13号)第62話「腕を奪う」 ☆ ☆ ☆ 中期までの「犬夜叉」は台詞を暗記するまで読み込んでも飽きることがなく、とにかくおもしろい。 中でもこの時期、殺生丸によって傷つけられたかごめを現代に帰すまでの犬夜叉の葛藤、真意がわからず揺れるかごめの心理状態は、魅かれ合いながらまだ気づけぬ二人に対する甘酸っぱい感情を覚えていた。 私にしてみれば遠い想い出だ(笑)。 だが今回の「腕を奪う」も、がんばる犬夜叉も健気なかごめもかっこいい殺生丸も差し置いて、弥勒と邪見の漫才全開。 ひとつ間違えばイライラするような場面だが、さすがに笑わせる。 「うる星やつら」時代からファンの、筋金入りのメル友は、そこが誰にも真似のできないるーみっくの魅力だと力説するが。 私もかなりこだわってる方だと思うが、るーみっくで青春を謳歌した、私など足元にも及ばぬコアなファンがこの世界にはうじゃうじゃいて、その人達と話をするたびに「高橋留美子作品」の魅力について考えさせられる。 前にも書いたが、私は「犬夜叉」から入ったせいか、他作品は好きと言っても他の漫画と好きの度合いはそんなに変わらない。 「炎トリッパー」「人魚シリーズ」「めぞん一刻」が「犬夜叉」以外の好きな作品ベスト3だが、たぶんファンサイトを作ろうとは思わなかっただろう。 なぜ「犬夜叉」だけにこんなに入れ込むのか、ちょうど今日penpenさんに掲示板で書き込んでいただいたこともあり、考えてみた。 (これまで書いてきたことと重複する部分もあるが。) 私はアニメで「犬夜叉」を知ったが、それは高橋留美子先生だからという意識はなくて、ただ「戦国時代」と「物の怪」と「キャラのかっこよさ」だったと思う。 それだけならただおもしろくて、毎週見るアニメというだけで終わっているだろう。 桔梗と奈落が出たことで、話に深みが出た、原作を読んだ、その物語の複雑さに次に魅かれた、ここまでは何度か書いた。 でも最近の葛藤は、確かに自分でも笑っちゃうほど、なぜだろう。 「犬夜叉」って、「犬夜叉」のキャラって完璧な人が1人もいないところがいいのかもしれない。 犬夜叉も単純明快なヒーローではなく、特に年上世代からは可愛いというか、異性としてじゃなく弟のような、心配でならないところがある。 犬夜叉の正義感、恋愛感など、先生がそんな性格に作ったんだからと割り切って読めばいいものを、あれこれ心配してしまう。 殺生丸や奈落、桔梗と物語の中で比較的大人っぽいキャラにしても抱えたもの、内に秘めたものが見えてくる。 これはおそらく私が犬夜叉世代でなく、かなり年齢が上であることにも原因だろう。 犬夜叉やかごめを自分と同一視するのではなく、距離をおいてしまうのもそのせいかも。 犬夜叉たちは命をかけて殺したり殺されたりしているし、同時に命をかけて恋もする。 平凡な現実社会に生きている(笑)私には想像もつかないシリアスさだけど、それでも可愛い、愛しいと思ってしまう。 その表現の巧みさに魅かれるのだろう。 「犬夜叉」が他の作品と違うところは、キャラに対する想いを越えて、作品を作り上げている高橋先生、アニメスタッフの方々の頭の中を覗くような作業をしていること。 何を意図してこうしたのか、このキャラにどういう役割を与えているのか、考えることは楽しい、楽しいけれど苦しい。 だって自分の想いを高橋先生にぶつけて、答えをもらうわけじゃないから。 常により深く、より入り込もうとすると欲求不満状態になってしまう。 「犬夜叉考察日記」、楽しんで書いていると思われているかもしれないが、実は苦しい。 苦しいけれど書きたいことが溢れてきて、書かずにはいられない。 そんなエネルギーを与えてくれたのが「犬夜叉」であり、それだけ私にとって魅力的な作品だったと言えるだろう。 もちろん楽しみ方は人それぞれで、キャラが好きでもいいだろうし、アクションだからいいという人もいるだろう。 私も時々単純に楽しんだ方が楽なのにな、と思うことはあるけど、仕方がないと思う。 penpenさんが 「犬夜叉を愛する人たちがとても真面目に、真剣にこの作品に対して悩み苦しんでいることに驚きました。 アニメと原作の違い、ストーリーが完結しないこと等、問題はいくつかあるようですが、みなさん本当に真剣に悩んでいるんですね。 なんでそこまでと思うほどです。 それだけ作品に惹かれているのでしょうか?そんなつらい思いをしながら、それでもファンでありつづけるというのは何なのでしょうか?」 と書いてくださったが、これで答えになっているだろうか。 このような人たちは、多かれ少なかれ同じような感情を抱いておられると思う。 私の犬友にも同じような葛藤を抱いている人はたくさんいるし。 少なくとも私にとって「犬夜叉」は漫画ではなく、「高橋先生の頭覗き」になっているような気がする。 (2005年2月25日の日記)
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一途な奈落 |
原作少年サンデー1998年3月4日(14号)第63話「奪還」 ☆ ☆ ☆ 対殺生丸戦のクライマックス。 犬夜叉の覇気が殺生丸を越え、殺生丸は退散する。 気を失ってもなお鉄砕牙を手放さない犬夜叉の覇気がどこから来るのか。 この時点ではかごめを守りたいという想いだろうと思っていた。 ところがこの後、「女が死ぬのはもういやだ」との犬夜叉の想いが明らかにされる。 かごめと桔梗、犬夜叉の想いが常に二人の元にあった時期。 これもまた「二股」かもしれないが、現在のかごめといる時はかごめだけ、桔梗といる時は桔梗だけの犬夜叉よりもずっと好きかもしれない。 もちろんこの時点で桔梗は「成仏した」と誰もが思っていただろうし、このままであれば、犬夜叉の中で桔梗は切なく優しく哀しい思い出となり、すんなりとかごめに全ての想いを向けていただろう。 ここで桔梗が復活することが、私を他作品とは別格の興味と関心を「犬夜叉」に向ける結果となった。 もうひとつ、奈落をただの悪役としなかったことも。 その意味で、私は奈落が人の心を抱えて葛藤していた時期が一番好きかも。 私の「犬夜叉」履歴。 初期、単純におもしろい。 中期、桔梗と奈落を中心として深みに惚れた(笑)。 現在、にっちもさっちもいかなくなって(意識的に)忘れられてる恋愛問題と、単なるヒールになってしまった奈落が辛いかも、ちょっとだけ。 好きキャラ人気投票で、桔梗や奈落に投票はしないと思うが、私が一番関心があるのはやはり桔梗と奈落と睡骨かもしれない。 もちろんカップリングや○○派ということではなく、だってカップリングでは「中立派」だし、派で言うなら「どっちも好き派」だから。 もうひとつ興味深いのは、殺生丸により傷つけられるかごめ。 かごめというキャラは、「鬼の腹」編で自分から踏み込んだ時は別として、ほとんど怪我をすることがない。 犬夜叉、弥勒、珊瑚のように直接戦うキャラでないことは知っているが、七宝(やはり怪我をしない、笑)に比べると「狙われ率」も高いのに。 他に思い浮かぶといえば、錬骨の煙攻撃の時だろうか。 一時期私は邪なものを浄化する霊力が、同時に邪なものからかごめを守っているのかと考えた。 桔梗の方が安定した霊力を持っているにもかかわらず、傷つけられるのは、かごめの持つプラスαの部分がかごめを守るのだと。 だが突きつめて考えると、ちょっとお笑いの世界に入ってくる。 たとえば錬骨に眠らされたかごめ、奈落が殺そうと思えば容易に殺せるだろう。 七人隊にまかせっきりにしないで、自分も行動を共にしていれば、この時一番恐れるかごめを殺せたはず。 もちろんこの時奈落は忙しくてそれどころではなかったが、そう考えると、奈落=悪の美学とは随分都合のいいキャラに見えてくる。 そういえば、かつての人の心を持っていた奈落、桔梗に触れることのかなわなかった奈落は、かごめに触れることはできただろうか。 桔梗には「愛の心で」、かごめには「霊力ゆえに」触れることができなかった(かごめを恐れていた)のかな? 前にも書いたような気がするが、同じ顔、同じ魂の2人の少女に対し、揺れる犬夜叉と恋の対象としてのかごめには目もくれず、一途に桔梗を想い続ける奈落。 もしかしたら奈落の方が恋愛に関しては純粋無垢なのかもしれない。 私はそんな奈落もやっぱり好き。 (2005年3月3日の日記)
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かごめと桔梗の今昔 |
原作少年サンデー1998年3月11日(15号)第64話「別れ」 ☆ ☆ ☆ 先日掲示板にてマイコさんよりおもしろいテーマを頂いた。 引用してみると 「犬夜叉考察日記など」「短いお話」「犬夜叉100の御題」読みました。そしてえむさんは桔梗派では?と思いました。 「犬夜叉考察日記など」ではどっちも好きと書かれてましたが、―(中略)―でも「短いお話」は桔梗の話が多いし、かごめより桔梗に比重がかかっているように見えます。 私は「犬夜叉」を読んだことがないのではっきり見えるのかもしれません。 えむさんはどう思われますか? 私が盛んに御題やお話を書いていた頃は、毎日5時半には更新できるという、今にして思えば夢のような時期だった(笑)。 当然考察日記以外のコンテンツにも時間をかけることができた時期、実はこれは同時にサイト上での「犬夜叉」原作中期にあたる。 これまでも何度か書いてると思うが、私が一番好きなかごめは18巻の「嫉妬」から「出会った場所」にかけて。 犬夜叉と桔梗が抱き合う場面を見て自分の心の醜い部分に気づき、苦しむかごめ、そして乗り越えて犬夜叉に会いに来るかごめ。 そして一番好きな桔梗もやはり18巻。 かつては犬夜叉を地獄に引きずり込もうとした桔梗が犬夜叉の腕の中で運命の幻影殺から解き放たれ、その足で奈落の元に向かう凛々しさ。 私が惹かれて書きたがるのはこの時期の2人だと思う。 ただしこの時期のかごめの場合、あまりにまぶしすぎてひたすら憧れるだけ、感情移入するまではとても至らない。 むしろ心に闇を抱え、泥沼から這い上がってきた桔梗の方にどうしても肩入れしたくなる。 ただこれを「桔梗派」と言われると、自分の中で首を傾げてしまう。 かごめも桔梗も魂はひとつでも、私の中では別人で、かごめに動の魅力があるなら桔梗は静の魅力、かごめが暖かい春の陽射しなら桔梗は冷たく冴える秋の月。 どちらを好きになるのも自由だろうが、どっちも好きでもいいんじゃないかと私は思う。 しかしこの話はあくまでも中期のかごめと桔梗であって、最近はどうかと言うとちょっと気持ちは変わってきた。 女性としての心を意識し始めたかごめはむしろ身近で、以前のような現実離れしたまぶしさは感じないし、心を見せない桔梗もあまりに隙がなくて近寄りがたい。 つまり中期のどちらも大好きなかごめと桔梗から気持ちがすっと一歩引いたのが今の私。 忙しさにかまけてお話だの小説だの書かなくなったのもあるが、以前のような思い入れがなくなったのもると思う。 「犬夜叉」という作品に思い入れはもちろんあるが、登場キャラは全て登場キャラであって、自分の友達だったり恋人だったり家族だったりすることはないというか。 (これは最初から)。 これでマイコさんへの答えになったでしょうか。 そして今日の本題「別れ」では、タイミングよくかごめの印象的なシーンを見ることができる。 「別れ」の表紙の「見返りかごめ」は初期のかごめの中でも特に好きなカット。 高橋キャラはカラーより白黒の方が好きかもです。 とりあえず最初は殺生丸と奈落の麗し対決。 突然現れた狸(八衛門もアニメ名だが、これはお気に入り)にへたれている弥勒、どんな風に乗っかってるのか謎な自転車。 そしてかごめを抱きしめる犬夜叉。 ここを読んだ時、犬夜叉の思い、かごめのとまどいに感動しつつも、犬夜叉の思いに気づけぬかごめに目が点になった。 中学時代の私はすれてる方だとは思わないが(笑)、あまりに幼いかごめに驚いたのだと思う。 それほど犬夜叉の抱きしめ方って切実だったと思うのだけど。 こんなことを書いてる自分には、青春が遠い思い出に思えてくるから情けない。 もうひとつおもしろいのが犬夜叉に井戸に突き落とされて、戻れないかごめ。 犬夜叉が四魂のかけらを奪ったと言っても、犬夜叉はしばらく井戸のそばにいたから、流れ的には戻ってこれてもおかしくない気がした。 当時は四魂のかけらの妖力は、ある程度持ち主の意思に左右されるのかと思った。 つまり、犬夜叉がかごめに戻ってきて欲しくないと念じたからかごめは来れないみたいな? 四魂の妖力に関しては、わりと都合良く使われている部分があるが、今回がその最初だったのかもしれない。 (2005年3月15日の日記)
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奈落の正体 |
原作少年サンデー1998年3月18日(16号)第65話「鬼蜘蛛」 ☆ ☆ ☆ 最初は単純な戦国冒険活劇だと思っていた「犬夜叉」だが、この辺から桔梗、奈落と深みを持ち始める。 その前に、この頃ってかごめも怪我をしたり服を汚したりしていることが珍しい。 最近は弥勒や珊瑚、雲母が戦闘に参加するのでかごめはあまり出番がなく、たまに後から矢を放つ程度。 でも最初は敵側にしても犬夜叉とかごめしかいないわけだから、当然かごめも攻撃対象。 それでふと思ったのだが、かごめって奈落以外の敵に関しては全く無防備なんだろうかって当たり前の疑問。 一番厄介な奈落がかごめに対して恐怖を感じていたが、現在の奈落は人の心を捨てているわけだから、かごめに対しても桔梗と同様平気で攻撃できるのか。 それとも桔梗とは関係のない部分でかごめの霊力だけでも奈落はかなわないのか、ある意味不思議。 同時に人の心を捨てた奈落でさえも恐れるかごめなら、その他の雑魚妖怪など相手にならないような気もするが。 そうなってくると鉄砕牙も飛来骨も弥勒の法力も出番がないわけで、「犬夜叉」において犬夜叉たちと敵(妖怪も人間も)の力関係、体力や妖力、霊力や法力のバランスが曖昧なのが「犬夜叉」の特徴と言えるのかも。 極端に言えばかごめが最初の百足上臈の時のように、気合いを入れて?手を差し出すだけで妖怪が撃退されたらそれはそれでおもしろいかも(おもしろくないか・・・)。 もっとも妖怪が百足上臈をランク1、冥王獣をランク401なんてきちきちランクづけられてたら「資料犬夜叉」になってしまってやっぱりおもしろくないかも。 犬夜叉がかごめから四魂のかけらを奪い、かごめを現代に帰した意味を知るのは弥勒、わかってやれないのがかごめと七宝。 もしここに珊瑚がいたら、やっぱり珊瑚も悟ってあげられない組だろうな。 さらに弥勒が奈落と桔梗の関係に言及する。 それまで犬夜叉はもちろん、弥勒より遥かに年上の私でさえ気づかなかった(笑)ポイントに気づく弥勒がすごい。 そして年の功か楓も漠然と気づく。 人間でありながら四魂の玉を、桔梗の心を穢したがっていた鬼蜘蛛と奈落の関係。 弥勒も楓も犬夜叉も驚く、それほど人間が妖怪(半妖)になるとはあり得ないこと。 いくら邪悪であっても所詮人間の鬼蜘蛛が、なぜ半妖奈落になり得たか。 これは高橋先生も設定しておられなかっただろうと思う。 つまり邪な「人間」がその「邪悪さ」故に「半妖」になることが基本であり、まず「鬼蜘蛛奈落ありき」なのだと思う。 そこに勝手に理屈をくっつけると、それもまた「四魂の玉」の力ではなかったかと思ったりする。 四魂の玉を持っていない犬夜叉が井戸を越えて現代に来るように、四魂の玉を持たないかごめが井戸を越えて戦国時代に来るように、ある程度の範囲の中に四魂の玉があり、狭い洞穴で邪な鬼蜘蛛の想いが凝縮され、その媒体となったのが桔梗。 奇想天外なオリジナルになりそうだ(笑)。 でも内容はともかく、「めぐり会う前の運命恋歌」ぐらいの深さで原作を掘り下げたオリジナルがもう少しあったら犬夜叉人気もまだ継続していたんじゃないかなあとつい思ってしまう。 次回は奈落のねちっこい嫌がらせが爆発、ここで奈落が嫌いになるか、高橋先生ってすごいと思うかが「犬夜叉」ファンと作品ファンの境目になりそうだ。 今日はうちでのんびり、午後は下書き書きながら「金田一少年の事件簿」見ようとテレビをつけたら、ちょっと早くて「はじめの一歩」。 そしたらいきなり松野太紀さんの声が、思わず胸キュン。 一瞬だったので誰キャラの声かもわからなかったけど、他にも八衛門の中嶋聡彦さん、コナンの高木刑事の高木渉さん、犬夜叉の妖怪園部好徳さんも発見。 今日はいい日だ(笑)。 ☆ ☆ ☆ そうそう先日「ワンピース」のパスネットの話をしましたが、なにやら「ほっかほか弁当」でも「ワンピース」がらみのキャンペーンが行われているようですよ。 公式サイトには情報載ってませんでしたがポスター貼ってました。 それから 国際アニメフェア2005では「名探偵コナン」の映画水「平線上の陰謀」にちなんだスタンプラリーがあるそうです。 両方好きなメル友へ、メール代わりの情報でした。 (2005年3月19日の日記)
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洞穴 |
原作少年サンデー1998年3月25日(17号)第66話「邪気の跡」 ☆ ☆ ☆ アニメは原作数話をまとめて作るので、現代に戻っているかごめも出てくるが、原作では今回はかごめは犬夜叉のイメ−ジでしか登場しない。 EDの声優さんのクレジットから雪野さんのお名前が抜けるわけで本当に珍しいこと。 そしてすでにかごめが出てこないことに寂しさを感じた記憶がある。 鋼牙は出ないのが当たり前だったからさほど寂しさも感じなかったが(笑)。 さて犬夜叉、弥勒と楓は50年前鬼蜘蛛がいた洞穴にやってくる。 (七宝は犬夜叉が井戸に差し込んだ木をどけようとして井戸の所にいるので、ここにはいない。) 鬼蜘蛛が横たわっていた場所、人間がいた場所には草も苔も生えていない。 弥勒は鬼蜘蛛が妖怪に取り憑かれたと結論づけるが、以前書いたように、鬼蜘蛛が体を食らわせたのは雑魚程度の妖怪たち。 それらが100匹集まったって雑魚は雑魚だと思うが、奈落の四魂のかけらを得る以前の能力(犬夜叉に化ける、風穴を開ける)がどうして得られたのかは未だに謎。 アニメオリジナル「めぐり会う前の運命恋歌」でもその辺を探っていたが、中途半端は否めなかった。 そしてアニメではカットされた偽者桔梗登場。 「紅蓮の蓬莱島」でふっとこのシーンを思い出してみたり・・・。 その後登場したのがキュートな狼狼夜干。 なんだかんだ言っても犬夜叉に頼る七宝も可愛いし、弥勒の手から飛び出してる狼の尻尾、狼夜干との会話などおもしろい部分が多かった。 ところが犬夜叉は殺生丸の毒にやられた傷が治りきっておらず、苦戦する。 初期だったこともあり、こんな戦闘シーンはアニメの方が迫力あったと思う。 ☆ ☆ ☆ ガッシャーさんの「日々のかけら」で日記もさることながら、映画のモデルとなった写真が素晴らしい。 千畳敷は私も行ったことがあるが、「紅蓮の蓬莱島」の「殺生丸の回想中、凶羅と戦うシーンのベースにした」角度、距離感、色合いなどはこの写真でなければ得られないものだし。 「鏡の中の夢幻城」の神久夜の城のイメージなど、この写真ならではだよなあと「鏡の―」見直してみたり。 「紅蓮の蓬莱島」のDVD発売がほんと待ち遠しい。 待ち遠しいけど、「紅蓮の―」のパンフレット見た後で、「鏡の中の―」のパンフレットを見ると気持ちがめげる。 仕方がないとはいえ別人だよなあ・・・。 ストーリーや背景や、その完成度から人物の顔でマイナス20%くらいになってしまったのが前3作は本当に惜しい。 ☆ ☆ ☆ 問い合わせをいただいている「ワンピース」情報、「公式サイト」を参照してください。 Tシャツはうらやましいですね。 他に鉛筆や指人形など。 私は「ワンピース」自体は興味ないですが、「犬夜叉」はフィギュアっぽいのがメインで、実用的なグッズがあまり出ないのでもう少し考えて欲しかったなあと思います。 ☆ ☆ ☆ セブンイレブンの「三国志フィギュア」、毎日お昼のたびに5回買ったら全部諸葛亮でした。 いえ嫌いじゃないですよ、好きですよ。 でも5個はいらん・・・(涙)。 (2005年3月22日の日記)
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犬夜叉の恋を熱く語ろう |
原作少年サンデー1998年4月1日(18号)第67話「ふたつの時」 ☆ ☆ ☆ コミックを通して読んでいると、何話かごとに、微妙に絵の雰囲気が違うことに気がつく。 一番わかりやすいのがかごめの顔で、時には凛々しかったり時には可愛かったり時には優しかったり。 今回の「ふたつの時」のかごめはとても可愛い。 表紙のポートレート風のかごめが特に可愛い。 かごめがいつもセーラー服を着ているせいか、たまに私服に着替えるととても新鮮、それもあるが。 あとびっくりしたのが体操着姿のかごめの足の長さ(笑)。 嘘だろって言うほど長い。 珍しいポニーテールも可愛いなんて書き出すから男性と間違えられたりするのかな? 私は間違いなく女性ですとここで言い切っておこう。 ここで魅力的なのがほのぼの爽やか北条くんとかごめに化けた七宝、そしてキュートな狼夜干。 もちろん不良法師に戻った弥勒と動じぬ楓も好き。 何のことはない、今回のエピソードは、原作の中でも特に好きなエピソードのひとつ。 犬夜叉とかごめのシリアスな部分も、私から見れば可愛いなあと思ってしまったり。 なぜここまで素直に可愛く感じられるかといえば、やはり犬夜叉とかごめの一直線だからだろう。 桔梗が出てからの犬夜叉の恋愛はやはりそれぞれに複雑に絡み合い、単純な解釈ができにくくなっている。 犬夜叉の恋についてこれまで何度も書いてきたが、一番感想なり意見なりをいただくのもこのテーマ。 とてもおもしろいというか不思議なのが、犬夜叉擁護派と犬夜叉批判派がはっきりわかれること。 (あくまでも恋に関して。) 擁護派は、犬夜叉を自分の心の恋人と捉えたり、かごめや桔梗が自分の親友だったりと、もはや仮想キャラを超えて感情移入しているというか同化しているというか、とても純粋で感覚的に作品を捉えておられるように思う。 逆に批判派は、あくまでも「作品」として捉え、愛のベールなしに見据える理論派?いえ理論派というと冷たく感じられるかもしれないが、もちろん根底にあるのは深くて熱い「犬夜叉愛」。 サイト巡りをしていて感じることは、いわゆる筋金入りのるーみっくファン、「うる星やつら」「めぞん一刻」の時代から青春を高橋留美子作品に捧げて来た本格的なファンに後者(理論派)が多いことである。 さらに犬夜叉世代よりも上の人が多いのも興味深い。 もちろんこれらは私が網羅しているサイトさんのみで得た感想であり、全てがそうだと言うつもりはない。 ところで自分を振り返ってみると、自分でも理論派だろうとずっと思っていた。 ところが過去の日記を振り返ると、その時々でかごめのために犬夜叉を怒ったり、桔梗のためにかごめを怒ったりと一貫していないことに気づいた。 と言うより思いっきり感覚的、と言うより感情的。 本当に自分でも情けない。 言い訳みたいにやたらと長くなってしまったが、それはこれほどこの問題について書くときは気をつけなくてはならないから。 犬夜叉の恋に関しては本当に微妙でデリケートで、捉え方が人それぞれなので、やはり冷たいとか桔梗派とか思われてしまうのだろう。 なぜこんなことを書いているかと言うと、掲示板にて鈴夏さんから素晴らしい書き込みをいただいたから。 鈴夏さんは犬夜叉キャラに同化している純粋なファンの代表として私の考察を理不尽に感じられたのだと思う。 実は私の感じ方は鈴夏さんとそんなに変わらないのだが、私の見方が犬夜叉の態度よりも高橋先生の描き方として捉えているために誤解されてしまったのだと思う。 本当に至らない、私の文章。 全てのタイプの犬夜叉ファンと意見が一致しなくてもいいから納得してもらえるようになりたいなあと思ってはいるのだけれど。 けれどもこうして自分を見直す機会を与えてくださった鈴夏さんには本当に感謝しています。 鈴夏さんは私が気を悪くするのではないかと心配されていたが、とんでもないです、本当に感謝していますので気にしないで下さいね。 (2005年3月28日の日記)
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原作68話でアニメの20話 |
原作少年サンデー1998年4月8日(19号)第68話「破られた結界」 ☆ ☆ ☆ 初期のアニメの展開の速さは当時から言われたことだが、タイトル通り原作68話でアニメのわずか20本分。 20話の中で犬夜叉とかごめの出会いがあり、百足上臈から屍舞烏、逆髪の結羅に殺生丸が登場し、鉄砕牙を入手し、無女は殺され、九十九の蝦蟇だ肉づきの面だ紅達だ、タタリモッケに蜘蛛頭で朔犬登場、裏陶が桔梗を復活させ、殺生丸(と邪見)は奈落に出会い、弥勒も登場もちろん七宝も、そしてキュートな狼夜干。 よくもまあ詰め込んだものである。 しかし逆に考えると、毎週(2週間にわたったエピソードもあったが)魅力的なキャラや妖怪が次々に登場し、圧倒的なスピード感で視聴者(私も含め)をぐいぐい惹きつけた。 後のオリジナル多発と兼ね合わせて考えると、アニメ休止から時間がたったせいかもしれないが、プラスマイナスゼロになってきたような気がする。 とはいえアニメ20話「あさましき野盗 鬼蜘蛛の謎」は狼夜干戦の途中まで。 殺生丸から受けた毒のために傷が治りきらぬ犬夜叉がパワーアップした狼夜干を相手に苦戦している頃、かごめは北条くんと「あてつけ」デート。 後で見た「らんま1/2」もそうだったが、あかねもけっこう乱馬へのあてつけに良牙を利用してるなあと思ったことがある。 かごめが犬夜叉を、あかねが乱馬を好きなのは当然わかっていることだから、実は良牙や北条くんは実に可哀そうなキャラ。 北条くんは最強陽性キャラだからさほど傷ついたそぶりは見せないが、良牙は結構落ち込む場面が多い。 ただ、ここで私が高橋先生がすごいと思うのは、そんなかごめやあかねが「いかにもあてつけ」じゃなく、そこが可愛いと思えるところ。 ひとつ間違えば犬夜叉とかごめ、乱馬とあかねの引き立て役の可哀そうな北条くんも良牙も、それでもかごめが、あかねが好きなのね、ってすごく愛しい。 鋼牙に関してのかごめの態度は少々首を傾げる部分があって、それはこれまで何度か書いてきたのでここで省く。 だから私は犬夜叉より鋼牙が、乱馬より良牙が好きなんだと思う。 ただし私の周りはみんな鋼牙より犬夜叉が、良牙より乱馬が好きな人ばかり、これが「勝平効果」か(笑)。 でも先日松野さんの鋼牙が大好きな「同志」がメールを下さり、嬉しかった。 さて今回は犬夜叉を守るために犬夜叉を小屋に閉じ込め、結界を施した弥勒と楓が奈落に襲われるところ。 先日夢幻の白夜が本人は結界を破れなかったことを考えると、さすが奈落と思ったが、今にして思えば、奈落が半妖であり、人間の部分があったかもしれない。 小屋から飛び出した犬夜叉に楓と弥勒が「保護してやったというのに。」「忘恩の輩ですな。」と言うところは何度読んでも笑ってしまう。 でもおもしろいのは、狼夜干は楓たちを見つけることができなかったが、同時に触れることもできないのだろうか。 結界に関してはわからない部分が多い。 特に「犬夜叉」に関する独特の使い方がなされているので、その強さや見切る妖怪のレベルなどが一定しない。 これはいつも書く「四魂のかけらを見切る」ことにも関係があるが。 こだわって書いてはいるものの、だからどうだと言うものではなく、ただただ楽しいだけなのだと思っていただきたい。 今日の考察日記を書きながら「名探偵ポワ(ア)ロ」を見ていたら弥勒の辻谷耕史さん、桃果人編でかごめの弓になってくれた仙人の大木民夫さん、そして白心上人の松岡文雄さんが出演してらした。 これにはびっくり。 犬夜叉リンクも本気で調べたらおもしろいものができそうである。 いつかやってみたい。 ☆ ☆ ☆ 「ニンテンドーDS 」でこの夏ゲーム「うる星やつら」が出るそうです。 会話とタッチを楽しむアドベンチャーで、好感度によってイベントが起こるらしいです。 ラムにしつこくさわり過ぎると怒りのお仕置きが? (2005年3月29日の日記)
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今日から8巻 |
原作少年サンデー1998年4月15日(20号)第69話「気配」 ☆ ☆ ☆ 29日の日記のタイトルを「原作68話でアニメの20話」としたが今読み返してあれっ?と首をかしげた。 今日から8巻に入ったのだがそうなると7巻までの中に68話が入っていたことになる。 コミック1冊に10話だと思ってたのでもう一度コミックを引っ張り出してみたら1巻は8話だった。 ちなみに1巻も他のコミックと値段は同じ(笑)、ページ数まで少ない。 しかも1巻は逆髪の結羅編の途中なので、きりよく区切ったわけではないらしい。 これはなぜだろう。 私がアニメが始まるまでの4年間を知らないことが歯がゆく思われるのはこんな時。 「犬夜叉」登場と共にファンになりたかったなあ、いえそれより高橋先生のデビューと共にファンになりたかったなあなどと言っても詮無いことを考えてしまう。 さて8巻。 実は私、高橋先生のカラー絵よりも白黒の絵が好き。 特に女性キャラの唇がカラーになると苦手なのかもって偉そうに、描けないくせにって苦笑しつつ。 ああ駄目だ また同じことを書いてしまった。 私がメールや掲示板で一番身がすくむのは、「ずっと読んでます」「いつも読んでます」といった感想を頂いた時。 いつも自分の書いたものを読み返してる暇はないので、時々まとめて読み返すと恥ずかしくなる。 同じことを何度も何度も、今初めて書いたような顔をして書く、もちろん意識して書いてることも多いが、そのほとんどは忘れている。 おかしいと思ったところは是非指摘して頂きたいと思っている。 話がそれたが今回は七宝のおかげでかごめが戦国時代に戻ってくる所まで。 かわいそうなのに爽やかな北条くんも、健気にがんばる七宝もいいが、さらにおもしろいのはなぜ弥勒と楓が狼夜干の四魂のかけらを見ることができなかったか。 単に奈落が狼夜干の体の深くに押し込んだから見えにくくなっただけなのかな?楓と弥勒の眼力では。 もうひとつおもしろいこと。 犬夜叉は四魂のかけらがなくても、かごめが「骨喰いの井戸」の近くにいなくても現代に来れるが、かごめの場合は四魂のかけらが骨喰いの井戸のごくごく近くにないと戦国時代にこれないらしい。 ではかごめが戦国時代にいる時に犬夜叉は現代に来れるのだろうか。 かごめよりも犬夜叉がタイムスリップに自由が利くという設定、おもしろい。 もしかしたら500年の時を越えて、犬夜叉って現代にいるんじゃないかな?って思ってみるのも楽しい。 もしかしたら北条くんかもしれないし、乱馬そっくりなキャラ(笑)かも。 かごめが気づく、「犬夜叉っ?」みたいな。 私は最終回はかごめは現代に帰ってくると思っている。 以前「犬夜叉」の最終話に向けての想像を書いたことがある。 桔梗は奈落と共に消滅、かごめは現代に帰る、もう戻れなくなる、珊瑚と弥勒は結婚するが、犬夜叉は一人彷徨う。 そう書いたところ、ある方から厳しいお叱りのメールを頂いた。 「えむさんは犬夜叉が不幸になって欲しいんですか。」 そんな内容だった。 その時は、見知らぬ人を傷つけてしまったことで自分も傷ついた。 個人的にいろいろ考える自由はあるが、それをサイト上で公開することで管理人としての責任も出てくる。 難しいな、ほんと難しい。 最近犬夜叉の恋愛問題についてかなり突っ込んで書いているが、メールでもいくつか感想を頂いている。 やはり私が犬夜叉とかごめに冷たい、そんな風に思ってしまったという内容もある。 書いても書いても書ききれない想いがなんか頭の中でくすぶっているが、掲示板で新たに書き込んでもらったきよべさんのご意見にふっと肩の力が抜けた。 きよべさん、本当にありがとうございます。 えむさんが、今の目の前にいる相手が一番心配な(桔梗といる時は桔梗、かごめといるときはかごめ)犬夜叉より、以前のどちらも心配で選べない犬夜叉が好きというのはちょっと同感です。 前者だと下手すれば八方美人に見えてしまいそうですものね。 でも犬夜叉がそんな少年ではないということはいままでの物語の積み重ねでちゃんとわかる、そのあたりが高橋さんのうまさではと思います。 同様の事はいまあえて犬夜叉や珊瑚が桔梗と琥珀の心配をする描写がないということでも言えるのではと思います。 えむさんがそういう描写があればとおっしゃっておられましたが、確かに直接には描写はなかったですが、最近では『平和な食卓』前の最新刊の琥珀が桔梗とともに消え、一行が四魂の玉の完成阻止に方針を決めた時の珊瑚の迷いや、それ以前の葛藤の積み重ねは十分に読み手に伝わってる、今この時も全くこの二人のことを心配していない訳ではないが、あえて休息話では描かなくてもということではないかと思いました。 そっか、たとえばかごめが戦国時代に来てすぐ馴染んだこと、犬夜叉やかごめが旅の途中奇異の目で見られないこと、他にももっと些細なことで、「見えない前提」に関しては熟知していたつもりだった。 やっぱり恋愛問題になると私も冷静でいられなくなるのかな? けっこうキャラへの感情移入が強いのかもしれない、私。 最近自分の文章を読んで、その長さくどさにうんざりしてしまうことがある。 それでも見捨てることなく遊びに来て下さる方々、こうして意見を下さる方々には本当に感謝したい。 ☆ ☆ ☆ もうひとつ、きよべさんから情報を頂きました。 「新潮社」より出版されている養老猛氏著「養老先生と遊ぶ」という本に養老氏と高橋留美子先生の対談が掲載されているそうです。 きよべさんによると 私はるーみっく作品は短編から読み始め、長編は『犬夜叉』が初めてで、このあえて描かない部分が多いという事が気になっていましたが、今月末発売された『養老先生と遊ぶ』(新潮社)という養老猛さんの特集本に掲載されていた養老さんと高橋さんの対談を読んで少し疑問が解けました。 この対談ではえむさんが何度か書かれていた登場人物の死のことも少し触れられていますし、高橋さんの頭のぞきと考察を表現されるえむさんにおすすめです。 とのこと。 早速注文しました。 本が届いたら、感想でも書いてみたいと思います。 ちなみに対談のタイトルは「あこがれの人、高橋留美子 脱線だらけの人生相談」だそうです。 楽しみです♪ (2005年3月31日の日記)
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奈落が遂に・・・ |
原作少年サンデー1998年4月22日(21,22合併号)第70話「再会」 ☆ ☆ ☆ 実は今、去年の「名探偵コナンクリスマススペシャル」を(今頃)見ながら書いている。 コナンは好きも嫌いもないのだが、甥っ子に合わせて映画も全て見ているし(笑)、見るとやっぱりおもしろい。 そういえば先日はテレビで「銀翼の魔術師」を放映していた。 これも映画館に見に行った。 奇想天外展開だが、さすがうまく見せるなあと思いつつ、勝平さんのキッド&新一声に「犬夜叉ぁ〜」と涙。 そういえば私の周りには松野さんよりも勝平さんのファンの方が多いことは先日書いたが、さらに犬夜叉ファンよりキッドファンが多いのはなぜ? ああ、そんなことが言いたいんじゃなくって、放映の直後?数日後?、乱気流に巻き込まれた飛行機が多数の怪我人を出したニュースが報じられた。 ひやりとした。 このコナンは甲子園での自殺願望男の事件を取り上げているが、この男の死んだ息子で無双趙雲の小野坂昌也さんが出演されていたのにびっくり。 当然だが趙雲とは全然違う。 さて「犬夜叉」。 初期の「犬夜叉」で私が一番惚れ込んだのは、主役?の犬夜叉よりもセクシー弥勒よりも、実はかごめ。 特に今回狼夜干戦で帰ってきたかごめが犬夜叉に抱きつくシーン。 同世代のときめきではなく、「いいな、この子、うらやましいな。」と思った。 私が原作かごめが好きな理由(初期の)は、あれこれ考えないところにある。 この時は犬夜叉に想いをぶつける、奈落の城では犬夜叉を揶揄されたことに怒りを爆発させる。 小春編では犬夜叉を守るために動けぬ体で弓を持つ。 (アニメでは、初期は犬夜叉に対して片思いっぽい設定だったせいか、非常にあれこれ気を回す。) この自然体が何よりうらやましかったというかまぶしかった。 しかし、同時にこれは、持って生まれた性格もさることながら「心に闇を抱えるほどの経験をしていなかった」ことも関係しているんだろうな、と「心の闇」まで話が進んでから読み返して思うようになった。 一方犬夜叉もかごめの気配?匂い?を感じて、これまでの苦戦から一転、狼夜干が邪魔な障害物扱い(笑)。 そしてついに犬夜叉と奈落が出会う。 隠れて様子を見ていた奈落の言葉が興味深い。 桔梗そっくりのかごめを見て衝撃を受ける(が恋することはなかったらしい・・・、ある意味不思議、純情奈落)、そして心に呟く。 「しかし何故だ? この奈落に見えぬものはなかったというのに・・・ あの女だけは見えなかった。」 かごめが今戻ってきたから見えなかったとか(笑)そんな意味ではあるまい。 屍舞烏や逆髪の結羅が噂や匂い?を嗅ぎつけて犬夜叉と戦っている間、奈落を何をしていたか、読者が抱くかもしれない疑問への牽制か? この時考えたのは、犬夜叉復活、四魂の玉復活を知った奈落が人見家を乗っ取ったり?いろいろ準備をしている間に様子を伺いに犬夜叉の周りに出没していたかということ。 その時、たまたまかごめが現代に帰っていていなかったから「見えなかった」のか、かごめが「いたのに」何かに阻まれて見えなかったのか。 ところがこの、いかにも重大に見えた奈落の台詞も話の流れの中で消滅していく。 奈落はかごめを恐れるが、かごめをこの時見つけてから、かごめに関してどうこうする様子があまりないのがおもしろい。 私なら最猛勝をはりつけておいて、かごめが現代に帰ったら井戸を壊すとか、もっと気にするような気がする。 ちょうど「千と千尋の神隠し」みたいにね。 今回の奈落の回想で明らかになる奈落と桔梗の関係、かごめの表情の柔らかさ、なども含め好きでもあり、「犬夜叉」を読み解く上で大切なエピソードとなる。 相変わらずシリアスの中にちょっぴり効かせたギャグテイストも健在。 何度も書いてるように、私は「犬夜叉」が初めての高橋作品だったのでこの「シリアスの中にちょっぴり効かせたギャグテイスト」はある意味大きな衝撃だったことを覚えている(笑)。 ☆ ☆ ☆ 高橋先生は「短編作家」という言葉を良く見かける。 短編が素晴らしい、だから長編は・・・とその後に必ず続くのだが、実は私はこの意味がわからない。 私が「犬夜叉」以外に特別な関心があるのは「人魚シリーズ」と「炎トリッパー」だけで、それ以外の作品ももちろん好きだが、「普通の漫画」の域を超えるものではない。 「らんま」などもテレビで見る限りでは、「短編の積み重ね」に見えるのだが、どこが違うのだろう。 ☆ ☆ ☆ 犬バスチョロQが届いた♪ 可愛い!懐かしい!けどちっちゃい(笑)。 チョロQの意味がよくわからなかったので、もっと大きいものだと思っていたから。 でも実際に見に新潟に行った思い出が蘇って写真など引っ張り出してみた。 そうそう新潟の友達からメールが届いた。 地震と雪で大変だったけど、あちらも桜が満開で暑いくらいだそうだ。 良かった、本当に良かった。 (2005年4月10日の日記)
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