犬夜叉サンデー感想(第71話〜第80話)
再読するおもしろさ
原作少年サンデー1998年5月6日(23号)第71話「奈落」

     ☆     ☆     ☆

今回はほとんどが奈落の語りで話が進むが、読むたびに新しい発見や謎が出てくる。
これは「犬夜叉」に限らず、だがやはりそれなりの深さ複雑さがないとあり得ない事だろう。

私はずっと桔梗は犬夜叉を「封印」して自分が死を選んだのだと思っていた。
ところがそれだと、犬夜叉はこの後どうなるはずだったのか疑問が出てくる。
年老いた楓がそれまでは犬夜叉の森を神域の森として守っていただろうが、時の影響を受けない限り、犬夜叉はそれこそ現代までも存在し続けることになる。
桔梗が蘇るつもりがなかったのは裏陶編の台詞を読んでも納得できる。

そこでこんな風に考えるようになった。
当時桔梗は激情のあまり、犬夜叉を「殺そうとした」。
しかし鬼蜘蛛の心を持つ奈落が桔梗を殺せないように、桔梗の矢は最後の最後で犬夜叉の命を奪うことができず、結果的に封印となった。
そう考えると裏陶編での桔梗の「魂が動けない」理由がわかるし、犬夜叉の森を包む瘴気(桔梗の怨念)のことも辻褄が合う。

当然でしょ?って言われるかもしれないが(笑)、私は桔梗は「巫女として」犬夜叉を「封印」し、自分も死を選んだと思っていた。
桔梗が「女として」犬夜叉を「殺し」、後を追ったと考えるようになったのはもう30回くらい読み返してからの話。

そして次。
奈落の台詞で「おまえごとき半妖のせいで。」というのが出てくる。
当然奈落はこの時点で自分もまた半妖であることを知らなかったことになる。
「奈落=半妖」が後で考えつかれた設定であろうことは置いといて、では奈落はいつ自分が半妖であることに気づいたのだろうか。

その時の奈落の驚愕、興味深い。
(桔梗に半妖であることを指摘された時、奈落はすでに自分が半妖であることに気づいている。18巻「土の結界」より。)
というのは奈落は後に自身の「人の心」は持て余し、苦しむが自分が半妖と蔑まれることに対しては気にも留めていないようである。
人の心を捨てたからと言って完全な妖怪になったとは言えない事は、四魂の玉を求める奈落自身がよく知っている。

3つめ。
奈落は桔梗が生きたいと願って四魂の玉に願をかけた時に、桔梗を殺して汚れた玉を奪うはずだったと言う。
桔梗が生きたいと願うことが、なぜあさましいのか、果たしてそれで玉が汚れるかという疑問はともかく、その時奈落は桔梗を殺せただろうか。
実はこの時の奈落は桔梗に触れることはできても殺せない奈落である。

喰われたはずの鬼蜘蛛の心、桔梗を求める心が邪魔をするから。
アニメで無視された土の結界、どっちにしても奈落は桔梗を殺せないから、と解釈してかっとされたのかもしれない。
けれども土の結界を身につけない桔梗は殺せなくても「触れることは」できた。

奈落には髪の毛一筋も触れさせはしないという桔梗の想いが土の結界を身につけさせ、奈落が殺すどころか触れることもできないようにした。
こんな微妙な部分はいらなかったのか、この時の桔梗、運命の幻影殺から解き放たれた桔梗がとても好きなので、やはり原作どおりの桔梗を描いてほしかったなあなどと思ってしまう。

それにしても犬夜叉と桔梗、会ってもいつも見事に別れるなあ、この時から(笑)。
桔梗が常に一人でいることをを選ぶという設定、犬夜叉にとってはありがたいだろうが、守ってないじゃん、共に生きてないじゃん。
この桔梗の心理を養老氏に聞いて欲しかったなあ。

氏の愛読書にはもちろん「犬夜叉」も含まれていたが、対談そのものはむしろ「犬夜叉」以前の作品について語られているように見えた。
「死」に関する部分も、どちらかというと人魚シリーズに言及されていたように思えた。

もちろん「桔梗まで犬夜叉と一緒にいたいってごね始めたら、少年漫画を越えた昼メロドラマになってしまいますからねえ。
だからといってかごめも桔梗も連れ歩くわけにはいかないでしょ?
だからなんです。」
なんてコメントは出てこないだろうが(笑)。

最後にこの時の奈落、はっきりとではないが顔を見せる。
すでに髪も顔も人見系。
もう人見家を乗っ取ってたのかもしれないけど、実は人見の若殿、鬼蜘蛛の生まれ変わりだったりして。
鬼蜘蛛は奈落の中にもいたかもしれないけど、かごめと桔梗の例もあるし。

前にすでに人見家乗っ取ったかもと書いたが実は10巻で退治屋の里を滅ぼし、仮の姿と身分を手に入れたと言っているので乗っ取ったのはこの時かなあと。
そう考えると、「輪廻転生」、翠子と桔梗、かごめの間にも幾度か生まれ変わりはいたのかもしれない。
出てこなかっただけで。

          ☆          ☆          ☆

晩御飯を食べながらBJスペシャル見ていたら、なんか懐かしい若そうなのに若そうでない哲学的なお声が・・・。
やっぱり「四魂の玉を造る者」の一押しオリキャラ出雲こと松本大さんだった。
しかも後半には豹猫四天王の夏嵐こと鉄炮塚葉子さん、妖狼族銀太の吉野裕行さんが登場。
チラッと見ただけなので確信が持てなかったのだが、脚本が會川昇さんのお名前に見えた。
公式サイトには脚本まではなかったので、後で確認してみたい。

それにしても良くも悪くも綺麗にまとめるなあがいつも見て思うこと。
話の流れだけが同じでいい人が出てきたり、救いの結末にしたりして、感動することもあるが、う〜んと唸ることもある。
原作ファンにも比較的評判がいいとされるアニメBJだが、奇麗事でどこまで引っ張れるかはある意味興味がある。
それにしてもピノコの存在ってどう思われてるんだろう、子供世代には。

ピノコ誕生エピソード、アニメ化するべきと思いつつ、しないだろうと思ったり。
私の素朴な疑問、ピノコって体内にいた時は普通に大人だったのに、ピノコになったら口調はもちろん精神年齢も子供になってしまった。
体は子供な大人になるだろうと思ってたら、なぜ中身も子供になったのだろう、とても不思議。
 (2005年4月11日) 
カードの桔梗
原作少年サンデー1998年5月3日(243号)第72話「目印」

     ☆     ☆     ☆

今回は話が3つに分かれる。
ひとつは奈落の初瘴気を斬ってのけた犬夜叉が奈落の背に鬼蜘蛛の痣を見つける。
ふたつめは一度現代に戻ろうとするかごめに「また戻ってくるか?」と問う犬夜叉。
この時の二人の表情が、これでもかというほど優しい。
犬夜叉はこの時桔梗がまだこの世にあることを知らないから、かごめに対してとても素直な感情を見せる。

そして一転。
晴海に見つかってしまう桔梗。
芍薬だろうか、花を抱いて佇む桔梗は美しいが、その近辺には邪気が渦巻いている。
この時と次回、元結をほどいて死魂虫と戯れる桔梗が私が一番好きなカットだが、愛ゆえに犬夜叉を共に地獄に引きずり込もうという怨念もまた、桔梗を彩る。

まず鬼蜘蛛の痣について。
この時点では奈落に残る鬼蜘蛛の心のことは知られていないから、鬼蜘蛛は後奈落の謀略の象徴となる。
おもしろいのが鬼蜘蛛が奈落の足を引っ張る足かせとなっても、奈落は鬼蜘蛛を使い続ける。
まあ少なくとも人見家を乗っ取る時は、奈落は自分の中の鬼蜘蛛の心に気づいていなかっただろうし、鬼蜘蛛の心を目覚めさせたのは桔梗の存在だったろうからきちんと辻褄は合っている。
映画で奈落が巨大鬼蜘蛛に化けていたのは度肝を抜かれたけど(笑)。

一方弥勒と楓の眼力では見切れなかった狼夜干のかけらをかごめが抜き出す。
弥勒の結界は奈落には通用しなかったが、夢幻の白夜は太刀打ちできなかった。

狼夜干戦がひと段落して、心がまたひとつ近づいた犬夜叉とかごめ、そして陰の美しさを放つ桔梗。
好きだなあ、この頃のかごめと桔梗。
汚れのないかごめの心と泥沼であがく桔梗。

この後、かごめはより現実感を伴った少女へ、桔梗は凛々しき巫女へと成長する。
現在は存在感のないかごめと何を考えているのかわからない桔梗へと移行しつつあるが、最近犬夜叉、殺生丸、桔梗とその仲間が合流した。
対奈落の最後の切り札はやはりかごめと桔梗、二人の巫女の力だろう。
特に鬼蜘蛛の想いがあるだけ桔梗の力が強いはず。
二人のヒロイン、力と共に魅力も大爆発してほしい。

で、この見返り桔梗を見てふと思い出したのが、カードゲーム「巫法札合戦」。
私は自分が興味あるというより、甥っ子を「犬夜叉」好きに引きずり込みたくて、それには自分が遊び方を知っておかねば、と勉強?した人。
今ではすっかり疎遠になってしまったが、カードサイト?の人にデッキの組み方を習ったり、自分で遊んでみたりした。
結局甥っ子が興味を持ってくれず、私もそのうちしまいこんでしまったが、ふと「原作桔梗のカードってなかったっけ?」と思い出した。

たしかそれがこのカット、見返り桔梗だったような気がする。
中野の「まんだらけ」に30枚100円で売られていたさほど価値のないカードも「犬夜叉応援」のために買い続け、とにかく山。
その中でゲームのおまけだったかサンデープレゼントだったか忘れたが、原画のカードが数枚出た。
今引っかき回してみたら、初期の可愛い犬夜叉、別の意味で可愛い初期殺生丸、そして見返り桔梗。
他にもあったかな?

他のカードはアニメ絵なので、これらはすごく貴重。
カードにはゲームとは違ったおもしろさがあった、そのカードの技や意味が「犬夜叉」におかしいほどマッチしていてそれが楽しかった。
カードゲームを自分で作るのって楽しいだろうなあなんて思ったりした。

たとえば場に出すカードに刀々斎を加えると、犬夜叉など刀系の御供が強くなるし、神無にダメージを与えると、「あたしに任せな」と神楽が自分の戦2に神無のダメージを加えてやり返してくる。
「犬夜叉に触らないで」は犬夜叉のダメージをかごめが加えて返してくるし、「下がって!七宝ちゃん」は珊瑚の七宝に関するダメージ返し。
にもかかわらずこの台詞は実はかごめだったり(笑)。

こういう連携技は犬夜叉一行の他に豹猫四天王、七人隊、紅白巫女、奈落一行などが多い。
りんは殺生丸のダメージを回復させるし。
さすがにこれからは遊ぶこともないだろうが、無作為にデッキを作ってみた(御供は4人)。

御供は「凶骨」に「犬夜叉」、「影郎丸」に「無女」というある意味すごい組み合わせ。
犬夜叉は備えなしで「飛刃血爪」「散魂鉄爪」、鉄砕牙をつけて「風の傷」、蛇骨は「凶骨さまの血肉になりな!」とあとは一般の戦法札と回復呪法と引き札、戦法阻止の護符。
無女達には誰でもつけれる備の氷の槍やら神楽の扇やら。

もう一組は「狼夜干」と「ニセ水神」と「悟心鬼」と「かごめ」。
善悪入り乱れて戦うので、犬夜叉はかごめをがんがん攻めるし、かごめはダメージ阻止の血玉珊瑚使って逆に犬夜叉に半妖に効果の高い戦法使うし。
このデッキではとても遊べないけど(笑)、「夢の殺生丸、神楽、りん、邪見一行」とか「どろどろ渦巻く恋模様犬夜叉、かごめ、桔梗、奈落」とか「青春謳歌!犬夜叉、鋼牙、北条くん(いたっけ?)、鋼牙」とか。

他にも極悪妖怪引き連れたかごめとかハーレム状態七宝とか考えるといろいろできそう。
神楽と桔梗とかごめがお供の奈落とか?
あっだめだ。
なんかカード熱が再燃しそう、ってそんな暇ないし・・・。

今日ニュースに出たばかりの騒音犯罪のナレーション(テレ朝系列)がなんと関羽の増谷康紀さん。
もちろん淡々と読んでおられたが、できれば関羽モードで読んでみてほしいなあと不謹慎にも思ってしまった。
関羽だったら激怒するようなニュースだったから。
 (2005年4月12日) 
妖怪退治
原作少年サンデー1998年5月20日(25号)第73話「死魂」

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素直な気持ちをかごめに伝えて、また一歩近づいた二人の心。
二人は桔梗がこの世にあることを知らず、当然のことながら何のこだわりもない。
そんな犬夜叉とかごめ、弥勒と七宝はある村で妖怪退治を頼まれる。
相手は死に逝く娘たちの魂を奪う妖怪、それが桔梗であることをもちろん犬夜叉たちは知らない。

このまま気持ちがひとつになることを疑わない、ただ幸せなかごめと、犬夜叉の退治の標的になってしまった桔梗。
2人の少女の明暗が特に際立ち、村で子供たちと共にいる桔梗の表情の優しさが余計切なかった。
原作桔梗の哀しい美しさと共にこのエピソードが記憶に残る理由がもうひとつある。

アニメスペシャルとして作られたこのエピソードは、第1回の放送以来、初めて感動したというか、アニメとしてのおもしろさとは違った深みがあって素晴らしかった。
アニメが単純明快な冒険物としてだけではなくて、やはり原作の持つ深みを踏襲しようとしているんだと初めて実感できた。
同じギャグなのに原作よりアニメで笑ったなんてそんなにないことで、それも嬉しかった。

今回の悲劇の主役は桔梗ともう一人晴海。
顔を奪われた無双やアニメで神泉と名づけられた僧など、生半可な法力を持つために殺された者は多い。
全くなければひたすら逃げるだろうし、弥勒や桔梗のように妖怪を凌ぐ力があれば勝つこともできる。
その意味で無双や晴海の存在は「犬夜叉」世界において非常に興味深い。

もっとも今回は桔梗vs晴海の前哨戦。
晴海の放った破魔の経文を返す桔梗。
邪気を放っていたとしても桔梗は妖怪ではなく死人(しびと)、その辺がまた晴海の中途半端なところなのだが、相手が桔梗でなければそれなりの力は発揮できたはずで、殺されてしまった時は晴海のためにも桔梗のためにも哀しかった。

晴海は力では桔梗に及ばなかったものの、年の功で桔梗のあるべき理由を見抜く。
それが桔梗を怒らせ、激情にかられて殺すことになる。
桔梗にはとても同情するが、もちろん許されることではないのにこれもその後物語の中で消え失せていく。
しかし私はこの頃の桔梗に一番魅かれる。
それはかごめにはない生々しさであり、後の凛々しき巫女となった桔梗を余計に引き立てるからである。

遠い昔の幼い妹楓を思い出させるような小夜が桔梗の心を慰めるが、「もう少し一緒にいてやりたかったけれど・・・ 潮時か・・・」の言葉が桔梗の孤独を表現する。
桔梗の正体を知らない者とは長く共に暮らせないから、桔梗に定住の地はないから。
逆に言うと妖怪、半妖、人より長く生きる者には桔梗は一歩近づいた。
かつて犬夜叉は人間になろうとした。
犬夜叉が人間になれば二人は共に年老い、共に死んでいける。

犬夜叉、紫織、地念児など彼らの母親は人間であるだけに、恋人(夫)がまだ若いうちにどんどん年老いていく。
犬夜叉の母君はたまたま父君を先に失い、自分も若くして亡くなったが、もしどちらも健在であれば、犬夜叉がまだ幼いうちに若い父と老婆の母を持っていただろう。
皮肉なことに桔梗は死人(しびと)になったことで、犬夜叉と長い時間を生きることができるようになった。
人の死魂を奪うことをどう考えるかは置いておいてこの戦国時代に裏陶だけが存在していたならば、もしかしたらあったかもしれない犬夜叉と桔梗の生活。

二人だけの、静かな長い長い人生。
そこに奈落が現れ、かごめが現れ、波乱にとんだドラマが始まった。
「犬夜叉」という作品のおもしろさはここにある。
私がらんまにはさほど興味がなくて、犬夜叉にここまで魅かれるのもこの物語の深さゆえだと思う。

人魚シリーズの不老不死(桔梗は不老不死ではないが)の人間、異端者としての孤独と恐怖につながる、高橋作品の中でも大きなテーマのひとつ。
その意味でも「犬夜叉」はこれまでの全ての高橋作品の集大成と言えるだろう。

この時期に「犬夜叉」という作品が生まれて、そんな作品に出会えて本当に良かったと思う。
時々辛くなることもあるけど、そんな時こうして初期から読み返すとやっぱり犬夜叉愛がかき立てられる。
などと書きながら「千と千尋の神隠し」を見てたら涙で何度も手が止まった。

我ながら強情で、自分のためには絶対泣けない人なので、思い切り泣きたい時があるとこういった作品を見たり読んだりする。
いえ別になにか理由があって泣きたいわけじゃなく、「久々に思いっきり泣きたいなあ。」なんて思った時(笑)。
本だと何もできなくなるので、ほとんどがこういった画像作品だが、その中でも宮崎作品はさすがで、自分でも笑っちゃうだけ泣ける、気持ちいいだけ泣ける。
そしてすっきり、また何にでも取り組めるようになる、こんな自分がおもしろい。

ちなみに「犬夜叉」だとあれこれ考えてしまうので向きでなかったりする。
そんな自分が寂しかったりする(笑)。
 (2005年4月15日) 
元結ほどいて
原作少年サンデー1998年5月27日(26号)第74話「救われぬ魂」

     ☆     ☆     ☆

晴海編の桔梗がこれまで全ての桔梗の中で、なぜ一番好きかというと、巫女としての桔梗が元結をほどくことで女性としての生々しさを感じさせることを実感したからだった。
犬夜叉の腕の中で素直な感情を吐露する時、奈落に露骨な蔑みを言い放つ時、桔梗は髪を下ろしている。
今回のように意識してほどくこともあれば、先生が意図的に描かれたのか、大事な場面でほどけてしまうこともある。
特に印象深いのは、新生奈落により瘴気の底に突き落とされる瞬間の桔梗。

奈落の攻撃により元結は引きちぎられ、「死」の瞬間桔梗は犬夜叉を想う。
ちょっと話がそれるが、ここで駆けつけた犬夜叉が桔梗の言葉を思い出す場面がある。

「奈落は私を殺しきれない。
 鬼蜘蛛の心が・・・
 私を慕う心が残っている限り・・・」

そうかと妙に納得したことを覚えている。
だから犬夜叉は桔梗と離れていても平気だったんだ。
たしかに奈落がどんなにがんばっても桔梗を殺せないのであれば、離れていても安心、理屈は通る。

桔梗が奈落に「殺され」て、蘇ってなお桔梗を守ろうとしないことには今は目をつぶろう。
だって今原作が急展開しているのだから。
こんな些細な疑問など吹き飛ばしてくれることを期待しているから。

話を戻して桔梗を成仏させようとする晴海との対決。
桔梗の霊力からすれば足元にも及ばない晴海、その晴海が桔梗を「救おう」とすることに桔梗の激情が爆発する。

「救うだと・・・?
 おまえ・・・ごときが・・・」

おまえごとき、本来の桔梗からは考えられない言葉、それほど桔梗は追い込まれていた。
事実、前回は死魂と戯れながらもうすぐ犬夜叉を(地獄に共に落ちるために)迎えに行くと呟いている。
こうして見ると死魂を操る桔梗は美しいが、これが現実ならばやはり桔梗自身が言うとおり、おぞましい姿として人の目には映るだろう。

ただなぜ死人(しびと)であることがおぞましいのか、疑問が残る。
七人隊のように死魂を必要としない死人(しびと)なら、生き続けてもいいような気がするが。
むしろ犬夜叉が桔梗の将来の死を受け入れて、たとえばかけらの命をつなぐとか、そんなことを思わないのが興味深い。
もちろん桔梗はそんなことを望みはしないだろうが、犬夜叉が一緒にいない時の桔梗への想いの希薄さはこんなところにもあるのかも。

さらに桔梗がおまえごときと哀れんだ晴海が、桔梗を哀れみながら死んでいく。
自分が生きることの「おぞましさ」を知っている桔梗の表情が哀しい。
桔梗は人殺しの場面を見てしまった小夜を気遣うが、その桔梗に小夜は怯える。
傷ついたのは桔梗。

そして犬夜叉とかごめがついに桔梗がこの世にあることを知る。
桔梗の想い出は想い出として大切に胸に秘め、恋人として心を寄せ合うはずだった二人の状況も激変する。
奇麗なだけだったかごめもまた、女性としての生々しい感情に苦しめられることになる。

もしも桔梗が死んだままで、犬夜叉とかごめが仲良くかけら探しをするだけだったら、私にとって「犬夜叉」はおもしろい漫画でしかなかっただろうと思う。
かごめと桔梗、2人がいるから「犬夜叉」はおもしろい。
それを意識し始めたのもこの頃だったと思う。

          ☆          ☆          ☆

朝日新聞4月16日版「be」5面に「養老孟司さんのヒーロー」というタイトルで高橋先生に関するコメントが掲載されていた。
コメントといっても1面の4分の1使っているのでかなり長い。
「養老先生と遊ぶ」でも掲載された「めぞん一刻」の登場人物揃い踏みのイラストも載っていて、サブタイトル?は「漫画家 高橋留美子 絶妙な距離感にぞっこん」。

全作品を網羅していらっしゃる養老氏だが、残念ながら本でも新聞でも「犬夜叉」に関する記述はほとんどない。
「うる星やつら」からのファン世代には「犬夜叉」は新しすぎるのかな?
高橋作品のおもしろさのひとつに「言語感覚」とあるのが嬉しかった。
養老氏のような方がこうして漫画作品を絶賛してくださることは、高橋先生にとっても嬉しいことだろうし、漫画読者としての私も誇らしい。

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最近のお気に入り。
ホンダのエアウェイブのCM曲。
Shania Twain(シャナイア トゥエイン)の「UP!」という曲だそうだ。
CM自体は印象なくて、何のCMだっけ?って思うくらいだが(車のCMです、笑)、曲はとてもかっこいい。
「元気が出る曲ベスト」に入れようかな?なんて思っている。
 (2005年4月17日) 
桔梗の妖気
原作少年サンデー1998年6月3日(27号)第75話「桔梗の結界」

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桔梗を追った犬夜叉より先にかごめが出会うが、この頃までの桔梗に悲惨なのは犬夜叉の森は桔梗の瘴気に包まれ、晴海には邪気を感じると言われ、かごめたちは桔梗の結界と死魂虫に妖気を感じ、と露骨に妖怪扱いされていること。
犬夜叉への愛憎の気持ちがどんなに凄まじいものであれ、桔梗の後でちゃんと草花も生えてるし(笑)、犬夜叉や鬼蜘蛛以外に向けた優しさなどを見るにつけ、桔梗に瘴気や邪気や妖気は違うのではないかと思う。

せめて怨念ぐらいにしてあげないとって、それでも十分悲惨だが、自分の弱い部分を見抜かれて激情にかられて殺すなど、本来の桔梗なら決してやりそうにないことをしてのけるのだからある程度は仕方がない。
桔梗の陰の部分を際立たせようとして盛り上げすぎたのかなあなどと今は思う。
ひとつ間違えれば犬夜叉とかごめの恋の邪魔者、悪役キャラになってしまいそうなところ、犬桔派、犬かご派に別れて舌戦が繰り広げられるほどの人気があるのは、やはりかごめにはない複雑な大人の魅力と生々しい現実感だろう。

そしてこの頃、犬夜叉との恋を意識し始めたかごめが始めての嫉妬を感じる。
最初の頃の先陣切って動き回っていたかごめが一歩退き、控えめなキャラとなる。
そして逆に追いつめられた時、とことん傷ついた時、犬夜叉や仲間たちの最大にピンチに本領を発揮するようになる。
珊瑚が鉄砕牙を奪って奈落の城に乗り込んだ時、犬夜叉が桔梗を選ぶとかごめに言った時、そしてかごめがそれを受け入れて戻ってきた時。

かごめよりはるかに年上の私が無条件に憧れるほどの凛々しさ優しさ愛らしさがあった。

かごめが「目立たなくなった」ことの是非はともかく、対照的な2人の少女の描き分けが素晴らしく、この時期の「犬夜叉」の中核のひとつをなしていた頃だった。
ところがその後、外国では桔梗がとても評判が悪いというかいなきゃいいのにといった風に思われていることを知った(掲示板などで)。
これは情緒の問題なのかな、外国ではもっとストレートに犬夜叉とかごめの単純冒険物語が受けるのかな?と思った。
もちろん全てがそうとは言わないけれど。

以前映画「ゴースト」を見た時この国は善悪の判断がずいぶんはっきりしてるな、と思った記憶がある。
善は善、悪は問答無用の悪。
死んだ人を天国にいざなうか地獄に引きずり込むか、その判断に何の迷いもない。
その判断を誰がするのか、そのストレートさに感動とは別に思い切り引いた。

日本人の心に潜む良くも悪くもある種の曖昧さ、が桔梗のような存在に豊かさを見出すのだろうし、逆に「千と千尋の神隠し」が外国で受け入れられたことも、むしろその豊かを求められたのかな?などと思ってしまった。
その点私はこの豊かさ兼曖昧さがとても好きだ。
時にはその曖昧さが世界の中ではマイナスになってしまうこともあるけれど。
たとえば奈落も悪と判断できるものか、奈落が抱えてきたもの、犬夜叉を地獄に引きずり込もうとする桔梗が抱えるもの、やはり単純に「悪」と決め付けたくはない。

高橋先生の描くキャラが私にとって魅力的なのは、犬夜叉でさえも完全なる正義ではなく、奈落でさえも完全なる悪ではないところ。
その曖昧さに惹きつけられる。

さて今回はかごめが結界を突き抜けて桔梗に出会ってしまうところ。
犬夜叉が来ることを知る桔梗はかごめを木に縛り付ける。
結界が張られ、犬夜叉にはかごめの姿が見えなくなる。
おもしろいのが、結界は無意識に通り抜けることができたかごめがここでは捉われてしまうこと。
桔梗に触れられたことが大きいのだろうか。

もうひとつ桔梗で気になるのはかごめを攻撃するわけでもなく、「見せ付ける」ことを選ぶこと。
犬夜叉を共に地獄に引きずり込もうとする桔梗が、それをかごめに見せることを選ぶ。
「おまえ・・・ 犬夜叉のなんなのだ?」と問い、同じ魂を持つかごめの恋を読み取ったのか、とても残酷な仕掛けをする。
表情を消しているが、晴海を殺す時にも劣らない激情が凄まじい。

そして最後に謎の台詞。
「おまえを助けにではない、私に会いに来るのだ。」
ここは是非かごめに突っ込んで欲しかった。
「だって犬夜叉はあたしがここにいることを知らないんだから、助けに来るわけないじゃない!」
後のかごめが桔梗を瘴気から救うエピソードと照らし合わせて読むと興味深い。

ところで今日、電車の中でクリスティーの「ひらいたトランプ」を再読した。
これはクリスティー作品の中ではあまり知られていない方だと思うが、ポアロの他にバトル警視、オリヴァ夫人、レイス大佐と私の好きな人が勢ぞろい。
この中でおもしろい展開がある。
一人の魅力的な男性に二人の魅力的な女性が恋をする。

男性はどちらにも惹かれていて、しかも二人の女性は親友で同じ家に一緒に住んでいる。
一人は内気で美しく、もう一人は陽気で活発。
ハーレクインロマンスばりの恋が展開するが、それはいいとして、最後の最後に二人が男性の前でボートから落ちる。
男性からの距離も同じ、もちろんどちらも泳げない。

ポアロの目の前で男性が助けたのは活発な娘、ローダ。
実は殺人犯でもあった内気な娘アン、デスパード少佐を恋するあまりローダを殺そうとしたアンはそのまま沈んで死んでしまう。
クリスティーの女性観は時に非常に厳しく残酷である。
それが悪いというのではなく、それがクリスティー作品の特徴のひとつと私は思っているのだが、それに比べて高橋先生は優しい。

たとえばかごめと桔梗が同時に瘴気の底に突き落とされた、それも犬夜叉の目の前で。
どちらとの距離も同じ場合、犬夜叉は咄嗟にどちらを助けようとするだろうか。
究極の選択であり、究極に残酷な選択、しかし結果は出る。

高橋先生は決してそういった場面は描かれないし、その視線の優しさが嬉しい。
同時にその優しさが犬夜叉の中途半端な優しさにつながっていると思うと複雑なものがある。
もう目が離せない駄々っ子みたいでそこが魅力ではあるのだけれど。

次回は犬夜叉と桔梗の再会、ギャラリー(かごめ)付き。

          ☆          ☆          ☆

今日のBJおもしろかったです。
BJの恋愛もの?はこの前の「偽りのウエディング」もだし好きですね。

アニメは子供キャラが賑やか過ぎるので、BJには大人の女性がいいんじゃない?って思ってしまいます。
原作はBJにはピノコしかいないって思ってたんですけどね。

青池先生が以前どこかで書いていらっしゃいましたが、ピノコの恋は決して報われない、その残酷さはう〜ん、アニメにはあまり感じられませんね、残念ながら。

でも奇麗事には過ぎるけど、BJも幸せな作品だなあと思います。
うらやましい気持ちがします。
犬アニもがんばれ!

もひとつおまけ。
コナンでOPがZARDに変わりましたね。
ZARDってどれも同じに聞こえるけど好きなんです、嬉しいです。
 (2005年4月18日) 
ただ一度だけ
原作少年サンデー1998年6月10日(28号)第76話「死の匂い」

     ☆     ☆     ☆

「犬夜叉」読者に犬夜叉のくちづけは?と聞いたら「桔梗と2回、かごめと○回(2?3?、度忘れ中)」と答える人と、「ただ一度だけ」と答える人と真っ二つに別れるだろう。
原作派というだけでなく、アニメと映画における犬夜叉のくちづけのシーンは感動は別として「違う」と感じた私は当然後者。
特に映画の犬かごキスシーンは、「そういえばコナンでもお約束であったなあ・・・。」などとぼんやり考えていたほどで、桔梗があるならかごめも?などと我ながら不謹慎なことを考えた記憶がある。

今書いてておもしろいのが、犬夜叉と桔梗はイメージが「くちづけ」で、かごめは「キス」だなってこと。
今後かごめの「くちづけ」が見られることを激しく希望する(笑)。

もちろん犬かごキスシーンこそ犬夜叉の全て、と思われる方もいらっしゃるだろうし、アニメの犬桔のくちづけが一番、と信じる方もいらっしゃるだろう。
そういった方も自分の感想、想いを大切にして頂きたいと思う。

話がそれたが今回のエピソードはコミック8巻の第8話。
扉絵は犬夜叉と桔梗だが、興味深いのが次回「かごめの声」と「やさしい匂い」。
どちらもかごめだが、「かごめの声」のかごめは厳しい表情、「やさしい匂い」は見違えるほど優しい表情。

犬夜叉も守ろうとするかごめ、犬夜叉を癒すかごめの好対照が際立つ。
可哀そうなのが桔梗で、犬夜叉にくちづけし、地獄に引きずり込もうとしたまではよかったが(よくないが)、かごめに死魂を奪われ、死魂虫に守られて逃げてからは犬夜叉の念頭から消えてしまう。

最近犬夜叉たちの感情の希薄さを何度も書いているが、冷静に考えると犬夜叉も桔梗もかごめも、そして珊瑚や弥勒も最初からそうだったんだ。
むしろ最初は馴染んでいた私が気になり始めたというか、私の方が変わったんだ。
なぜかというと、やはり「連載の長さ」になってしまうかも。

私も常々思っているし、よく意見としていただくことだが、「犬夜叉」はもっと早く終わるべき作品だったのではないかということ。
大きな区切りが七人隊後だったが、あそこで終わっていたらもっとすんなりと、余韻を残してくれたのではないかと思う。
七人隊以降が、四魂関係、恋愛関係に微妙に矛盾、ステレオタイプを意識させることを考えると、あながち間違いとはいえないかもしれない。
もちろん私は「犬夜叉永久連載派」だからそれがどうというのではないが、初期何も考えずに単純に楽しめた頃が懐かしい。

ただし今回はまだかごめの力も爆発せず、桔梗が犬夜叉を地獄に引きずり込もうとするまで。
桔梗に関して不思議なことは、なぜ「地獄」なのかということ。
死人が蘇ることが罪なのか、もちろん桔梗は自分で望んで蘇ったわけではない。
生前あれほど徳を積んだ巫女が、なぜ今地獄に落ちなければならないのか。

犬夜叉を信じきれずに殺し、しかし殺しきれなかった桔梗。
蘇って犬夜叉への愛憎に苦しむ桔梗、晴海を殺した桔梗、しかしそれが地獄に直結するとは思えない。
桔梗が地獄に落ちるべきなのではなく、桔梗が地獄を望んでいるのだろうか、だから桔梗は今地獄に落ちようとしているのだろうか。
この死人(しびと)として生きることが罪ならば、人の死魂を奪うことも罪、ならば桔梗にどうする道があったのか。

今メールを頂いた内容に関して逆髪の結羅編を見ている(アニメ)。
ついでにコミックも読み返して不思議に思ったこと。
犬夜叉に結羅の髪の巣は見えていたのだろうか。

かごめが空中に浮かんで見えるなど、結羅の髪の毛は見えなかった犬夜叉、あれだけ大きな毛玉(笑)になってたら見えたのかな?
ゲームでは巣の中に入って結羅と戦っているので見える設定だったし。
道案内の髪の毛は見えなくて、傷つけられはするという理不尽な髪の毛。
結羅の髪の毛には攻撃用と式神ならぬ式髪?系と2種類あるのかも。
 (2005年4月19日) 
桔梗を追わぬ犬夜叉
原作少年サンデー1998年6月17日(29号)第77話「かごめの声」

     ☆     ☆     ☆

懐かしい匂いは桔梗の匂い、やさしい匂いはかごめの匂い。
どちらも犬夜叉にとっては大切で、でも桔梗の匂いは同時に哀しい。

どうして犬夜叉がここまで桔梗に負い目を感じるのか考えたことがある。
裏陶編で犬夜叉が言っていた。

「おまえも辛い目にあっていたんだな。
 おまえは人間で・・・女だから、
 おれよりずっと・・・

   ずっと辛かったんだな・・・。」

犬夜叉にとってはこれが全てだろう。

互いを信じ切れなかったのはどちらも同じ。
桔梗は奈落が化けた「犬夜叉」に殺されたが、犬夜叉は「桔梗」に殺された(結果的には封印となったが)。

復活当初の桔梗は犬夜叉を思いやる余裕がなく、犬夜叉だけを責める。
人間じゃなくても女じゃなくても、犬夜叉だって辛かったはず。
けれども自分の辛さは心に秘めて、桔梗だけを思いやる。

かごめの力で桔梗の思惑ははずれるが、それでも犬夜叉は桔梗が望むなら共に地獄に落ちることを拒まない。
かごめに癒され、桔梗に哀しい犬夜叉。
無条件の優しさは桔梗を少しずつ変えて行き、ぶっきらぼうな優しさはかごめの心を惹きつける。

私は犬夜叉というキャラにはそれほど思い入れがないが、一番好きなのはこの時期の犬夜叉かも。
同時に私の正直な気持ちを書くと、この時点で犬夜叉の恋する心はかごめにあったのではないかと思う。
これは私が思うことを綴っているだけで犬桔派の人を傷つけるつもりは毛頭ないことは確認しておきたいが、ここで桔梗を追わぬ犬夜叉にそれを感じた。

桔梗の「その女の方が・・・ 大切なのか・・・」の言葉。
私を含め、犬夜叉の気持ちを量りきれなかった全ての読者より先に桔梗は犬夜叉の気持ちがもうかごめにあることを気づいていたのかもしれない。
奈落のことも考えれば、一番いいのは犬夜叉がかごめと桔梗の2人を連れ歩いて、2人を守りながら四魂のかけら探しの旅をすることだが、桔梗が後に犬夜叉にどうして自分と一緒にいてくれないかとごねないことは、この時桔梗が知ってしまったことが原因となっているような気がする。

優しい犬夜叉、恋ではなく愛でもなく優しさ。
こうして何度も読み返してみると、犬夜叉にとって(本人が気づいているかどうかはともかく)、最初から二股だったことはないのかもしれない。
逆にそう考えると、これまでの犬夜叉の態度というものがすんなり腑に落ちてくる。

愛しいなあと思う。
そんな犬夜叉、そんな桔梗、そしてかごめが本当に愛しい。
私も含め、読者がこうして悶々とあーでもないこーでもないと悩むことこそ先生の狙いだったのかもしれない。
単純に楽しめる作品より、こっちの方がずっとのめりこんでしまうから。

そして犬夜叉から去った桔梗は楓の元を訪れる。
奈落の存在、そしてかごめの存在に関して楓に聞くために。

犬夜叉を癒す、生前自分がしてあげたかったことを代わりにしてしまったかごめ、犬夜叉のそばに寄り添うかごめ。
おかしな話だが、たまたまここにいたのが珊瑚なら、桔梗はそれほど気にしなかったろう。
同じ魂を持つ存在であることは桔梗が一番良く知っている。
だからこそ辛い、だからこそ憎い、そんな桔梗の想いが描かれるのは次回なのだが。

桔梗にとってここまで強い存在であるかごめだが、今回はさほど目立っていなかった(私の中では)。
かごめと犬夜叉の関係がとても優しく暖かく、そんな気分にしてくれるのも次回の話。

後に桔梗も凛々しい巫女として復活し、私怨を超えた強さを見せるが、この意味ではかごめは到底かなわないものがある。
しかしその桔梗すら癒してしまうかごめの心。

前に「犬夜叉」という作品の主役は?と聞かれ、「四魂の玉」と答えたが、もしかしたら「犬夜叉」の主役はかごめと桔梗、この同じ魂を持つ2人の少女かもしれない。
先日の日記でかごめはキス、桔梗はくちづけと書いたが、ここでもかごめは少女、桔梗は女性という感じがする。
それもあって「少年」と位置づけたい犬夜叉にはかごめ、むしろ「青年」と位置づけたい殺生丸に桔梗がふさわしいと思ったのかもしれないと思った。
 (2005年4月21日) 
やさしい「匂い」
原作少年サンデー1998年6月24日(30号)第78話「やさしい匂い」

     ☆     ☆     ☆

香水の香り、花の香り、コーヒーの香り・・・。
「香り」という言葉は感性に心地よく響く。
それに反して「匂い」ということばには動物的な生々しさを感じる。
「香り」が心地よいのに比べて、「匂い」は必ずしも心地よいばかりではない。

初めて原作で(先に見たアニメではタイトルに「匂い」という言葉は出て来なかった)「やさしい匂い」というタイトルを読んだ時、とても驚いた。
犬夜叉、殺生丸、鋼牙など限りなく人間に近い妖怪(半妖)でも、「鼻が効く」といういかにも動物的な特徴を持つ。
となると彼らが感じる「匂い」とはむしろ「体臭」に近く、こんなかっこいいキャラが主人公の少年漫画に随分生臭さというか生々しさを取り込んだなあと感心した。

人間にとって異形のものでありながら、見た目の麗しさ(笑)だけでなく人間にすんなりと溶け込む彼らだが、もしこれが現実ならば、やはりかなりの生々しさを感じるだろう。
高橋留美子(先生)ってすごいなあと始めて思ったのがこの時で、これだけキャラに動物的な生臭さ、つまり現実感を取り入れながらそれを感じさせない、むしろ「やさしい匂い」という言葉にときめくような、そのセンスが凄いと思った。

「匂い」というキーワードはこの後何度か出てくる。
かごめの部屋に忍び込んだ犬夜叉が感じる匂い、犬夜叉鋼牙の仲悪コンビがギャグモードで使うむかつく匂い、神楽の危機を感じ取った殺生丸など使いどころがまたツボで、こんなところも犬夜叉作品に惹きつけられる。

元気キャラと妖怪退治のおもしろさに紛れながら、奈落や桔梗に感じる生々しさ、過去を辿って「人魚」シリーズや「炎トリッパー」に通じる「人間」の本質の生臭さなどはやはり先生独自のものだと思う。
もちろん違った形で「人間」を描く作家、漫画家などたくさんいらっしゃるだろうが、私には高橋先生の手法がとても馴染んだ。

そして本編、犬夜叉とかごめのどたばた&優しくて柔らかいやり取りにきゅんときた。
もしアニメしか見ていらっしゃらない方がいたら、この部分だけでも原作を読んで欲しい。

「原作アニメ比較」で書いた文章をそのまま引用すると

そして桔梗は去り、アニメではかごめも現代に戻ってしまう。
ここからが大事な場面なのだが、原作では、かごめは現代に帰らない。

かごめ自身が犬夜叉に、犬夜叉の気持ちを問いただす。
そして犬夜叉の気持ち、「桔梗もかごめも別人として、しかし両方とも同じくらい想っている」を受け入れる。
いわゆる二股ではあるが、かごめは犬夜叉の苦しい気持ちを理解している。

犬夜叉の背中にもたれ、かごめが眠り込んだのも知らず、犬夜叉は心につぶやく。
「やさしい匂いがする・・・」

そして話し続ける。
「かごめ、おれ・・・おまえの笑顔が好きだ。
なんか・・・お前と一緒にいると、ホッとするってゆーか・・・」
私の大好きな場面である。
犬夜叉も、かごめも1カットごとの表情が、泣きたくなるほど優しい。

一方アニメでは弥勒と七宝に、かごめと桔梗のどちらを取るか、選択を迫られた犬夜叉が、やはり「両方」と答え、「荷物が気になって」戻ってきたかごめの「おすわり」を喰らう。

こちらの二股は、桔梗は愛のため、かごめはかけら探しの必要性のため。
この時のかごめに「やさしい匂い」など感じられない。


未だにアニメでなぜこの様に変更されたかわからないが、絵の愛らしさとかごめの優しさ、なにげに甘える犬夜叉など、初期の名場面のひとつだし、本来のかごめが描かれているので、アニメのみでかごめのキャラを捉えてしまうのはもったいないと思う。

うらやましいなあ、まだ読んだことない人、見たことない人。
もう一度「犬夜叉」を完璧に忘れて白紙の状態で読みたいし見たい。
どんなに好きでも新鮮な感動だけは味わえないからなあ。

          ☆          ☆          ☆

今回の考察日記の下書きを書きながら、またまたまたまた「かごめの声と桔梗のくちづけ」を見た。
いったんアニメが終了したことで、終わる前とだいぶ見方が変わったことに気づいておもしろかった。
今CMでやっている6大ヒーローなどを見ても、ある年齢層にとっては「二股かけるヒーロー」はあの時間帯のアニメとしてはまずかったのかもしれない。

以前のように怒りまくってではなく冷静に見てみると、前半のアニメは「桔梗←犬夜叉←かごめ」の片思い路線が設定されたような気がした。
でもだからといって犬夜叉と桔梗が出来上がってしまっては困るので、懐剣桔梗に高笑い桔梗、木の上桔梗など犬夜叉を寄せ付けない桔梗を描く。
そして後半は逆に「桔梗→犬夜叉→かごめ」路線に修正、桔梗が悪役になっては困るので、原作に近い桔梗を描き、王道犬かごを押し出す。

通して見ると犬夜叉の妖犬化から竜骨精戦あたりから修正に入ったのかと思った、ちょっと強引かな?
今までそんな風に捉えた事はなかったが、今日突然そんなことを考え出した自分がおかしい(笑)。
 (2005年4月22日) 
桃果人
原作少年サンデー1998年7月1日(31号)第79話「人面果」

     ☆     ☆     ☆

今日から9巻桃果人編。
1話から7話までが桃果人で、単発エピソード、せいぜい前項編の多かった初期では珍しい。
原作では晴海編に続くのだが、アニメになるのは珊瑚登場、水神編などをはさんで9ヵ月後。
当時は珊瑚を早く出したかったのだろうと思っていたが、アニメになったのを見てこのエピソードのアニメ化は苦吟されたんだろうなあと思った。

飛天満天の雷獣兄弟などの残虐さはうまくぼかすことができるだろうが、この桃果人に関しては、人を喰ったり、人の頭が木の実になったりといった残虐さもさることながら、桃果人というキャラが人間であること、人が人を喰うことのおぞましさなどが夜7時の時間帯には問題があったのだろう。
アニメではその点桃果人のおぞましさがオブラート十枚に包まれたような中途半端さを感じたが、仕方がなかったと思う。

その点原作は遠慮がない(笑)。
といっても今回は犬夜叉が桃果人に出会うまで。

まずは最初に数学のテストで満点をとり、大きな100点テスト用紙を持って満員の観衆の中?駆け抜けるかごめの夢が描かれる。
これには笑ったっけ。
同病相哀れむで私も理数がとことん苦手。
文系心理学系は他の大学の講義を聞きに行くほど熱心だが、理数系はとりあえず赤点取らなきゃいいや、単位落とさなきゃいいやくらいの人だったからかごめの夢は身をつまされた。

目覚めたかごめは学校生活に不安を感じ、現代に戻ろうとする。
この頃はまだかごめも現在ほどの真剣みがまだないというか、気軽に現代と戦国時代を行き来しているのがわかる。
もちろん悪い意味ではなく、四魂のかけらのもたらす災い、犬夜叉奈落をめぐる人間関係が今ほどシリアスじゃなかったからだろう。
現在のかごめは現代を気にしないというより、物語の中でその部分が消失しているので学校がどうの進学がどうのといった話は出てこない。

これはリアリティのなさというより物語が佳境に達して余計なものをそぎ落としたという風に受け取った。
「感情」面でのそぎ落としはともかく、こういった手法はこれもすごいなあと目を輝かして読んでいる(笑)。

ところでこの時出てくるクラスメート、アニメで名づけられた絵里と由香らしき女の子はいるのだが、もう一人はあゆみとは似ても似つかぬ髪形、七宝みたいな。
クラスメートの変遷を調べてみたらおもしろいかも。

さて犬夜叉たちは川から流れてくる「たこ坊主」ならぬ人の頭を見つける。
こうして流れてくるものを拾って慈善を積んだ?おかげで水神編では犬夜叉たちが水の中から拾われるが、供養のためとはいえ普通に拾っている弥勒が凄いと思った。

人が死んだ時、人はその人を怖いと思う。
見た目は全然変わらなくても、その体からは何かが抜ける。
魂ともいう、霊魂ともいう、魂魄ともいう、とにかくそれは人が人であったことの証。

証がなくなった体はただの物体となる。
それが「人」に限りなく近いだけに、人は恐怖を覚える。
私もそうだった。
それだけにこの作品における「死生観」にはいろいろ考えさせられるのだが、こうして「死んでいった名もなき人々」を大切にする弥勒が嬉しい。

犬夜叉たちが見つけた、木になる老人の首から話を聞いている間、桃果人はまた一人、人を喰う。
人間としての苦しみ、飢え、戦から逃げ出そうとして桃果人の元に来た人間たち。
後に出てくるが、実際仙人がいて桃果人に術を教えていたのだから、彼らのしたことは無意味ではないはずだった。
遠い昔、武帝の時代から人は不老不死を求め、極楽を夢見てきたのだから。

ただこの木の実、老人がまだ意識があって普通に喋るところが怖かった。
瓶に詰められた首や川を流れてきた首は動かなかったので、木からもがれた瞬間本当に死ぬのだろうか。

今回の話をおもしろくしているのが、犬夜叉の朔の日にぶつかること。
一晩待って元気になってから退治に行くことを拒否する犬夜叉がらしいというかなんというか(笑)。
それでかえって(いつものように)苦戦する結果になるのだが、だからこそ見せ場もあるし感動もある。
特に今回は戦うかごめの凛々しさも、より深まった犬夜叉との絆も素晴らしかったが、それはまた次回の話。

おもしろいのが今日が朔の日であることに気づいたのは七宝だけ。
犬夜叉にとっては命に関わる(ほとんど寝ない)日なのだが、かごめ達にはまだその深刻さがわかっていないらしい。
今回桃果人編は犬夜叉ツボの台詞も多く、やはり決め台詞は勝平さんの声で聞こえてくる。

と思ってアニメを見たらやっぱり犬夜叉かっこいい。
私の友達で勝平さん大好きな人がいて、一押しアニメはこの「全ては桃源郷の夜に」だそうだ、気持ちがわかった(笑)。
 (2005年4月24日) 
吸い込まれるのは?
原作少年サンデー1998年7月8日(32号)第80話「箱庭」

     ☆     ☆     ☆

名前を呼ばれて返事をすると吸い込まれるのは西遊記、見ただけで石になるのはメデューサ。

かごめたちが「見た」だけで吸い込まれたのは桃果人の箱庭。
原作で重かった晴海編に続いて小気味良い桃果人となるのだが、前回書いたようにアニメでは晴海編の9ヵ月後となる。
間に入るのは

珊瑚登場
ニセ水神
無心
琥珀の生存(生きているかどうかはともかくとして)
奈落の城での戦闘
地念児
奈落が桔梗をさらい
桔梗がかごめを殺そうと?し
刀々斎と天生牙
鋼牙の妖狼族、りん、神楽と神無が登場し
風の傷が破られ
悟心鬼、灰刃坊から闘鬼神が誕生(ついに折れたが)
そして名作「出会った場所に帰りたい」から琥珀との再会
獣郎丸と影郎丸
蛾天丸と朴仙翁
竜骨精に爆流破
七宝の初恋に山犬妖怪の姫

これだけ話を進めておいて、何の違和感もなく桃果人編を挿入できたのは、やはりアニメのすごさだろう。
以前は話やキャラ設定が原作と違う所だけが気になっていたが、それにも慣れるとこうして今まで見えなかったことが見えてくる。
特に珊瑚がいること、妖怪になりたい想いを語る犬夜叉と弥勒のシーンが放映済みであり、犬夜叉がすでに妖犬化していることの違いは大きい。
妖犬になってみたら犬夜叉は己の心を失った、そのことが犬夜叉に与えた衝撃は大きい。

ただ私は思ったのだが、仮に犬夜叉が四魂の玉を使って人間になったなら、こんな苦しみはなく、普通の妖怪になれそうだということ。
犬夜叉が四魂の玉を体に仕込んだだけで人間なり妖怪なりになれるとは思えないから、そこにはやはり桔梗なりかごめなりの霊力が必要なのではないかということ。
半妖であることで犬夜叉は妖怪の血に苦しめられる。
四魂の玉を使って妖怪になってしまったら心を失うことなく、殺生丸や鋼牙のような妖怪になるのではないだろうか。

桃果人編後の弥勒と犬夜叉との会話にはそのことが出てこないので、どのような形にしろ「妖怪になる=血に苦しめられる」ことになるのだろうか。
もちろん犬夜叉の願いがすでに妖怪になることではないことを考えると、これは答えの出ない疑問なのだろう。
犬夜叉はそんなことを言っていないが、四魂の玉の因果を断ち切ると言っているので、それが自分の体に仕込んで妖怪になることで消滅させようとしているのではないことが容易に想像できる。

今回は犬夜叉が桃果人にピノキオのごとく飲み込まれ、かごめ達が四魂のかけらを残して吸い込まれてるところまで。
残された四魂のかけらのチェーン?が切れていないところを見ると、四魂の玉はこういった仙術の影響を受けないということだろうか。

犬夜叉が見てしまったばっかりに小さくなる花、桃のようだが、花弁が多い。
八重咲きの桃ってあるのかな?

この桃果人編が原作で登場したのは上記の通り1998年7月8日。
アニメになったのが2002年1月21日。
私がアニメの感想を書いたのは2003年2月16日。
そして今日2005年4月29日に原作の感想を書いている。
その間約7年。

7年後の感想に何の意味があるのか我ながらおかしいが、始めたからには最後まで続けたい。

          ☆          ☆          ☆

今頃情報ですが、コンビニで売っている「高橋留美子コレクション めぞん一刻」で響子さんのぴよぴよエプロン全員プレゼントサービスが。
早速バックナンバーを揃えたいと思います。
 (2005年4月29日) 

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