十二国記感想 1
十二国記
「十二国記」。
ホラーミステリー作家、「屍鬼」で有名な小野不由美の描くファンタジーである。
ファンタジーというジャンルをどのように捉えたらいいのか私にはよくわからない が、イメージとしては空想的な、あまり刺激のない「綺麗な小説」なのだろうとずっ と思っていた。

だから、あの小野不由美が?ファンタジーを?と最初はひどく驚いた。
しかも教育テレビでアニメが放映されると言うではないか。
まずは「屍鬼」から、タイトルどおり生者を喰らう死者、の構図の物語である。
いや、喰らうというのは正確ではない、生き血を吸うと言い直すべきだろう。

ある村に吸血鬼が現れ、村人たちの知らないうちに一人ひとり血を吸われて死んでい く。
しかし死人は蘇り、新たな生贄を求めて彷徨う、いつの間にか村の中で生者と死者の 割合が逆転し、村人たちは吸血鬼の存在に気づく。
はっきり言ってよくある話である。
よくある話で小野不由美はどのように独自の世界を作り上げたか。

「十二国記」のテーマなのに、「屍鬼」について語ることをお許しいただきたい。
「屍鬼」で小野不由美は人間を描く。
普通の人間と、異形の人間と。
吸血鬼の存在に気づき、堂々と、あるいは嬉々として殺戮にのぞむ普通の人間もい る。
生き血がなければ生きていけない存在でありながら、それを拒否して本当に死んでい く異形の人間もいる。

普通の人間=善、異形の人間=悪と限定しないあいまいさがある。
ここが「屍鬼」のおもしろさであり、怖さ、哀しさであろう。
(私に怖かったかと聞かれても困るが、哀しかったかと聞かれれば哀しかったと答え る。)
「屍鬼」はスティ−ウ”ン・キングの「呪われた町」を題材にしているのだそうだ。

キングが吸血鬼をもはや人間ではないもの、怪物として描き、殺す人間側を正義の徒 としてなんのためらいもなく描いているのに対し、「屍鬼」はあいまいである。
襲う者の哀しみ、狩られる者の恐怖、狩る者のためらい、全てが曖昧模糊としている ために、より複雑な人間描写が要求されるが、そこが小野不由美の得意とするとこ ろ。
恐ろしいほど丹念に、緻密に、綿密に描写していく。

この人間描写、心理描写によって、「屍鬼」は単なるホラーにとどまらない、恐ろし くも哀しい人間味あふれる小説に仕上がった。
だから読んでみてくださいと薦めることはできないが。
さっきから怖くない怖くないと威張っているが、それは私がホラー慣れ?しているか らであって、世間一般の常識からすればやっぱり怖い作品だろう。
恐怖の描写は強烈である。

さて、その小野不由美のファンタジー、見当がつかないのもある意味当然かもしれな い。
たまたま図書館で見つけたが、ホワイトハート文庫なる本で、表紙にやたら愛らしい イラストが散りばめられてあって、しかも隣はコバルト文庫。
一気に引いてしまった。
結局読むきっかけとなったのは、ここに遊びに来てくれている私と本の趣味がとても 似ている方が熱烈に推薦して下さったから。
結論から先に言えば、たちまち夢中になってしまった。
やはり食わず嫌いはいけない。
肝心の「十二国記」についてはまた後ほど書きたいと思う。      
 (2003年5月2日の日記) 
十二国記本題
さて肝心の「十二国記」である。
ファンタジーというならファンタジーらしく綺麗だし、小野不由美らしく怖くもあ る。
何より私が最近興味を持っている中国古代史に関連があることがなおさらおもしろ い。

簡単に紹介すると、まずこの地球上ではない、どこかにある世界があり、そこには十 二の国がある。
国名を奏、雁、慶などと言い、衣服、言葉などまさに古代中国を感じさせるが似て非 なるものでもある。
ヒントとして、日本のことを「倭と呼ばれる国」などと言う台詞が出てくるので、余 計そう感じるのだろう。

各国には麒麟と呼ばれる霊獣が存在する。
麒麟であって人である、高貴な存在で、この麒麟がその国においてただ1人の王を選 ぶのである。
この十二国、現在の私達の世界とは行き来できない場所であるのだが、「蝕」と呼ば れる嵐のときなどこちらの世界からあちらの世界へ流される者が出てくる。

あるいは十二国からこちらに来て生まれ育つ者も出てくる。
それが普通の人だったり、王たる者であったり、まかり間違って麒麟だったりする。
麒麟に選ばれ、王となったとて、それでめでたしめでたしではない。
王としての苦悩、失道しての混乱など、さまざまな葛藤、恐怖、痛み、そして死が描 かれる。

小野不由美の真骨頂である。
同時に人への愛、信じる心、優しさ、高潔さなども描かれる。
登場人物が非常に魅力的で、完璧なる麒麟、王などはもちろんだが、一般庶民、第1 話の主役となる陽子が出会う人々が、善人も悪人も非常に生き生きと描かれて記憶に 残る。

ただの悪人はおらず、ただの善人もいない。
それなりの深み、背景を持った悪人であり、善人である。
特に半獣(鼠であり、人間である)楽俊は本当に素敵な存在。
虐げられる立場でありながら、優しく純粋で自然体。

さっき名前の出た陽子なども、わけあって苦しい旅を強いられる。
苦しいとは、殺戮の旅である。
相手は人間ではなく妖魔だが、血にまみれ、肉や骨を断つ手応えを否応なしに感じな がら陽子は殺戮を続ける。
究極の餓えも、究極の恐怖も、究極の痛みも強いられる。

こちらの世界では平凡な女子高校生だった陽子がなぜそんな目に?、王たる者として 麒麟「景麒」に選ばれた存在だからである。
ある意味「犬夜叉」や「三国志」と共通部分を持つ物語だが、「犬夜叉」より現実的 で、「三国志」より生々しいと言ったら、「十二国記」の持つ雰囲気を感じていただ けるだろうか。

前回書いたアニメ化、教育テレビで放映できるようなアニメにしたのは失敗ではな かったかと思う。
まだ数回観ただけだが、残虐性といった部分でなく、主人公の苦しみ、孤独と言った 部分をちょっと綺麗に浅くさしさわりなくまとめてしまった感じがする。
先にアニメを観て、それから本を読める方、本当に幸せだと思う。
同時に原作のアニメ化、映画化といったものの難しさを痛感している次第である。
 (2003年5月4日の日記) 
漫画雑感 〜十二国記
「十二国記」もまた、原作とアニメの違いを声を大にして語りたい作品である。
前に書いたことと重複するかもしれないが、あらすじを簡単に説明してみる。

現在アニメ化されているエピソードの主人公は陽子、赤い髪を持つ普通の女の子であ る。
だが、実は陽子は古代中国によく似た、十二の国がある世界に存在するはずだった、 しかも王として。
景麒と名乗る麒麟が陽子を選び、十二国に連れて行く。

だが、陽子を狙う妖魔との戦いの中で景麒とはぐれた陽子は、元の世界に戻るための 苦しい旅を続けるのである。
アニメでは、大体この辺までが放映された(教育テレビ)。

最初に「十二国記」が教育テレビで放映されると聞いたとき、ある種の違和感を感じ た。
小野不由美原作の「十二国記」、教育テレビの枷に収まりきるだろうか。
もしかしたら教育テレビ向けのアニメとして出来上がってしまっているのではないだ ろうか。
原作に真っ向勝負を挑むとしたら、とても教育テレビで放送できるような内容とは思 えなかった。

案の定、アニメでは大幅な変更がなされていた。
まず、陽子の他に、杉本、浅野という2人の高校生が十二国について行く。
原作では、陽子自身がとことん追いつめられる。
餓え、怪我、妖魔の襲撃、人間不信。

追いつめられた陽子は自ら民家に盗みに入る。
頼る者などいない、生きるために陽子は悪をも選択する。
アニメでは悪に徹する役目は杉本。
陽子はどこまでも中途半端で主役の周りをうろうろするだけ。

杉本の圧倒的な存在感の前にすっかりかすんでしまった。
とことん落ちた陽子だからこそ立ち直った時の強さ、たくましさ、潔さといった部分 が映えるのだが、残念ながらアニメにはそれがない。
なぜこんな・・・、とずっと考えていたのだが、あるサイトさんでその答えを教えて いただいた。

陽子一人だと独り言ばかりになってしまって映像的に作りづらいという理由があるの だそうだ。
私としてはひとりごとでも十分だと思うのだが。
その時々の背景、音楽、陽子の口調、台詞、全てが違えば当然映像としても違うので はないか。

と、ずっと思っていたのだが・・・。

先日「犬夜叉」の項で書いたのだが、原作で心の中で思っているところを、口を動か し、声に出してしゃべらせるシーンが気になっていた。
原作どおりに思っていることは思っているように、しゃべっていることはしゃべって いるように表現して欲しい。
ところが実際に口が動いていないで言葉だけが流れるシーン、妙に間延びして見えた のである。
表情だけが変わってもおかしいし、音楽や背景の効果にも限界があるだろう。

そう考えると、きれいごとに過ぎる陽子、主役の座を奪った杉本の存在も認めざるを 得なくなってしまった。
しかも、より切実な杉本の方に共感してしまったりするのである。
これには困った。

もちろん原作の面白さが失われてしまったことは残念なのだが。
とても教育テレビでは放送できないようなアニメであって欲しかったという思いは残 る。
残虐な、という意味ではない、もっと峻烈な、陽子が落ちるところまで落ちて、そこ から這い上がらせるような、きれいごとではない、もっと突き詰めたもの。
その部分をきれいにぼかしていては、十二国記の魅力は消える。
最初はアニメにそれほど思い入れはなかったが、これからは十二国記の感想も考察日 記につづっていこうと思っている。
 (2003年6月9日の日記) 
月の影 影の海 (十二国記)
アニメ第十話十章 放送年6月10日(教育テレビ毎週火曜日午後7時)

原作小野不由美著「月の影 影の海(十二国記)」 講談社

          ☆          ☆          ☆

「十二国記」に関しても、これから毎週感想をつづっていきたいと思っているので、 タイトルを色分けしてみた。
あらすじに関しては前にも書いているので触れないが、古代中国をイメージしていた だけると良いと思う。
「慶国」の王となるべく選ばれた陽子はついに「延国」の現王「尚隆」と出会う。

その前に犬夜叉ファンなら忘れてはいけない声優陣。
まずは尚隆を選んだ麒麟「六太」が山口勝平さん、アニメオリジナルの「浅野君」が 健康マニアの北条君こと上田裕司さん、陽子を選ぶ「景麒」が蛾天丸の子安武人(た けひと)さん。

そういえば、七人隊の声優がさかんに噂されていた頃、子安さんの名前もかなり有力 視されていた記憶がある。
楊朱衡には鬼蜘蛛もとい無双で壊れた家中宏さん。
こちらの無双は犬夜叉とも仲良しである。

もう一人、犬夜叉とは関係ないが、気になる声が尚隆役の相沢正輝さん。
「金田一少年の事件簿」や「名探偵コナン」で時おり名前を見かける方が、とにかく 出演作品が多いのには驚かされた。
カップラーメンマン(アンパンマンより)なんていうのもある。
芸暦の長い声優さんなのだろうか。

アニメ十二国記において特筆すべきがもうひとつある。
オープニングとエンディングのテーマ曲である。
オープニングは梁邦彦氏が手がけられている「十二幻夢曲」。

日本を含め、アジア民族の血を全て受け継いだかのような辻氏の作られた壮大な、そ れでいて幻想的でどこか物悲しい旋律には何度聞いても鳥肌が立つ。
経歴を見てみたら、お医者さんをはじめ、浜田省吾のバックバンド、ジャッキー・ チェンの映画のサントラ製作など、わけがわからなくなるくらい凄い人のようであ る。

興味のない人に本でも音楽でも薦めることはしない主義だが、この曲だけは聴いて欲 しいと思う。
極端な話、アニメを観なくてもいいから曲だけは聴いて欲しい?そんな感じである、 背景も素晴らしい。
そして有坂美香さんが歌うエンディング、「月迷風影」がまた素晴らしいのだ、実は これも聴いて欲しい。
アニメを観ろと言っているのと同じになってしまうが(笑)。

今日は10日に観たアニメの感想を書くはずだったのだが、長くなってしまった。
今回は紹介まで。
 (2003年6月14日の日記) 
第十章 〜十二国記感想
十二国記関係でいつもお邪魔している、とても綺麗な絵を描かれるサイトさんがあ る。
その方の感想を読んでいると、非常に登場人物、背景などの色、形、かもし出す雰囲 気、音、もしかしたら匂い、そういった部分にこだわりを持たれていて、私など思い もつかない部分に反応しておられるので驚くことが多い。

私はなにしろ「絵無(絵心がない)」の「えむ」だから、行間からイメージが取りと めもなく浮かんでくるだけで、しかもアニメなど画像で見せられると、たいがい違う イメージだったりする。
しかもそれをうまく表現できないというどうしようもないことになる。
その分言葉にはこだわっていると言えるのかもしれないが。

さて、今回気になったのは尚隆と楽俊。
延王尚隆は正装してもピンクのリボン?
はともかくとして、堂々とした王様ぶりが相沢さんの声との相乗効果で本当に魅力的 なキャラ。
私の中ではアニメで高感度UPの筆頭といったところか。

半獣楽俊は、私のイメージでは「動物のお医者さん」のスナネズミだった。
だから色は淡い茶色系で、顔ももっとすっきりした感じ。
しかし、原作を再読してみたら、ちゃんと「灰茶」と書いてある。
尻尾なども、スナネズミのようだったら、あまりにも生々しかったかもしれない。

面白いなと思ったのが、陽子が「わたしと楽俊のあいだにはたかだか二歩の距離しか ないじゃないか」という台詞。
アニメでは、楽俊が陽子の方に歩いていくのを見て「あれっ?」と思ったのだが、た しかに楽俊は近づかなければ陽子に触れることができない。
原作には歩み寄るシーンがなく、いきなり触れている。
こんな兼ね合い、よく原作を読み込まれている感じがして気持ちが良い。

声には実は違和感があったのだが、人間の姿になったらしっくりきた。
これは不思議。
キャラ設定などには小野先生の意見がかなり取り入れられているということなので、 人間になった楽俊の声が「低く」ならなくても違和感は感じない。

ただ、陽子が楽俊に気持ちをぶつけるシーン、原作ではもっと前に出てきている。
尚隆に会う前のことである。
これはどういうことなのだろう。

今回一番好きだったのは、陽子と杉本が別々に同じ話を聞くところ。
細かいカット割りでわかりやすく、見応えがあったと思う。
 (2003年6月17日の日記) 
第十一章 〜十二国記感想
今回は水神だった勝生真沙子さんも登場するが、楊朱衡が陽子と楽俊に語る尚隆と延 麒の歴史で30分を乗り切る。
飽きさせない展開で、時代考証の上でも見応えあり。

まず、延麒六太が日本で人として生きていた時代。
寛正5年(1464年)、子どものいなかった足利義政と日野富子は義政の弟で浄土 寺門跡になっていた義尋僧正を無理矢理還俗させ、義視と名乗らせて後継者とした。

ところが後に富子が男の子(義尚)を産んでしまう。
それにより、義政の後継者として、義視には細川勝元、義尚には山名宗全がついて戦 が始まる。
これが応仁の乱である。
応仁の乱は応仁元年(1467年)から11年にも渡り、義政の実子義尚が将軍職に つくことで終結するが、あちこちで火が放たれ、京の都は焼け野原となり、罪のない 一般の人々まで巻き添えになって、死体の山で足の踏み場もないほどだったという。

そこで親に捨てられ、死にかけた延麒六太は女怪によって救われた。
オリジナルの部分で、別国の麒麟、泰麒を髣髴とさせる六太の生活が挿入される。

一方延王尚隆。
昔の日本において小松三郎尚隆(なおたか)の名を持つ。
広島における村上水軍との戦いがモチーフとなっているが、村上水軍の時代は115 2年から1600年ごろまで。
以前、七人隊=傭兵=雑賀衆について書いたが、村上水軍も独立した組織でありなが ら海賊業も行い、傭兵としての一面も持っていた。

毛利、武田、織田部隊の雇われ水軍として、仲間同士戦ったという記録も残ってい る。
犬夜叉の時代とリンクしている部分もあり、興味深い。
当時の瀬戸内に小松家があったかどうかはわからなかったが、村上水軍ゆかりの地 に、小松という地名があることは確認できた。

小松家が滅ぼされた名残なのか、小松という地名から小松尚隆をイメージしたのかわ からないが、アニメに登場した家紋も見つけることができなかった。
いずれにしても尚隆は当時からピンクの紐で髪を束ねていることが発覚。

その尚隆と延麒六太がやがて出会い、国を立て直すことになる。
オリジナルの部分も深みがあって、初期の違和感もすっかり払拭された。
(今回杉本らが出ないこともあるが)
アニメでは、これから杉本たちにも、それなりの決着をつけなくてはならないだろう が、私としては、このまま日本に返すか何かして、静かに消えていって欲しいな、と 思ってしまった。

もう彼らの使命は終わった、とは言い過ぎだろうが。
これからもアニメが作られていくとすれば、再び勘違いに苛立ち、苦悩する2人の少 女が出てくることになるのだから。
 (2003年6月19日の日記) 
第十二章 〜十二国記感想
アニメ「十二国記」の感想を書くようになってから、原作を読まなくなった。
というより、感想を書き終わるまでは読まないようにしている。
「十二国記」に関してはその方が素直に楽しめるから。

困ったことに、肝心の主役陽子よりも杉本、予王など女性陣に思い入れが強くなり過 ぎてしまったのだ。
予王、同時に老王にも見える。
若く美しいままの景麒、景麒に恋し、景麒に関わる女性全てに嫉妬し、殺そうとする おぞましさ、悲しさ。
そんな自分の中の闇を自覚し、景麒を救うため、自ら死を選ぶ。

演じるのは一休さんであり、「犬夜叉」鬼首城のお祓いおばば、藤田淑子(としこ) さんである。
女の業の恐ろしさが短いカットに凝縮される。
一方杉本。
「この子はいじめられっ子ではないな。」と思った。

アニメでの設定は、世間一般で言うところのいじめられっ子ではない。
杉本自身が回りを拒否して、「いじめられる」立場にわが身を置く。
ひとりよがりで自分のことしか見えず、それでいて自分自身を見ようとはしない。
陽子に叩きつけた叫びは、まさに自分に向けられるべき言葉だったろう。

悪役ではあるが人間くさい。
今回の最後の部分で、どうやら陽子と和解するようだが、ちょっと寂しい展開。
カットによって尚隆や陽子の顔が別人に見えることがあったが、背景や風景の美しさ は絶品。
ビデオを止めて、おそるおそる紙に真似して描いてみる。

思いっきり落ち込んであきらめた。
次回はいよいよ最終章。
予告で陽子を口説いている?楽俊、しかも全裸だし・・・。
ここはやはり見せぬが花だろう。

私が一番好きな使令は冗祐。
迷う陽子に「わたしは知っている。」と告げた冗祐。
アニメでは姿を見せてくれた、これは嬉しかった。
前にも思った、想像していた姿とはだいぶ違うが。
堀川仁さんの声も素敵である。

「城の奥深く、厚い包囲網の内側にあったその部屋に捕らわれていたのは、一頭の 獣だった。」に始まる最終部分。
悪びれぬ口調の景麒がただ懐かしい。

景麒も陽子の変容に驚く。
「本当にお変わりになった。」
「うん。たくさん勉強をさせてもらった。」

「人の形にはならないの?」
「裸で御前にはまかりかねる」
その憮然とした声がおかしくて、陽子は小さく笑った。

何度読んでもおかしくて、嬉しくて、涙がにじむ。
アニメで描き抜いてくれるだろうか、最終章に期待したい。
 (2003年6月26日の日記) 
第十三話 〜十二国記感想
「月の影 影の海」最終話。
今回も原作を忘れて素直な気持ちで見ました。
絵そのものの美しさはともかくとして、動きがほとんどなく、紙芝居のような部分が 多いのはわざとでしょうか。

塙王の狂気、塙麟の悲哀、胸を突かれます。
尚隆は、陽子は正義の士であり、苦しみに耐える強さを持つ。
王としての誇りを持てぬ者、王に対して誇りを持てぬ者の悲劇が辛い。
杉本にしろ、悪役と言い切ることのできないそれそれのキャラの深みがアニメ「十二 国記」にはあります。
最初は杉本たちの存在に苛立っていた私ですが、今は杉本の退場がただ寂しい。

ところで今週気になっていたのが、楽俊が陽子を慰める場面。
先週の予告ですでに登場し、「これは見せぬが花だろう。」と思っていたのですが、 堂々の?全裸を披露。
「杉本に見られたらどうするんだ。」とあせってしまったが、しっかり見られたんで しょうね。
ここはちょっと苦しい展開でしょう。(笑)

陽子の言葉で一番印象に残っているのが、「わたしは(心が)貧しい人間で、だから 貧しい人間関係しか作ってこられなかった。」という台詞。
原作にも登場しますが、実際に耳で聞くと胸に「ずん」と来ます。
私自身が人間関係が苦手で、落ち込むことが多いせいでしょうか。

原作では、景麒を取り戻しに行った後、すぐに陽子が景麒と対面します。
その間の部分、戦闘シーンなど、もっとじっくり見せてくれるかと思っていたのでこ こはがっかりしました。
さらに景麒と陽子の会話もあっさりさっぱりで、気合を入れて見ていたのに、肩すか し。
陽子と杉本、日本に帰った杉本のシーンも挿入したため、時間的に描ききれなかった のでしょうか、残念です。

これらの挿入シーン自体は良かったと思います。
ただ、陽子が景気を助ける瞬間まで悩んでいて、帰るようなことを言っていて、景麒 に会って追うとの自覚を持ち、後でまた悩むシーンが出てくるのはどうかと思いまし た。

でも陽子の顔の凛々しさと、尚隆、景麒、冗祐の声の揃い踏みで、もうそれだけで満 足です。
そして最後に、少年「泰麒」が登場。
私はまだ、子どもの泰麒をほとんど見ていないのですが、もうこうなっちゃったの? とちょっとショックでした。
もうすっかり声変わりまでしちゃって・・・。
しかも蒼猿さんじゃないですか、岡野浩介さん2役ですか。

今週でおしまいだと思っていたら、来週は転章?
泰麒が帰ってくるんですか?
杉本が泰麒の意識を目覚めさせるんですか?
どうも話の流れがよくわからないです。

それから最近発見したこと。
うちのテレビでBS見ることができるんでした。(涙)
今までBSでも放映あったんですよね。見たかった・・・。
とりあえず「乗月」「東の海神 西の滄海」は見れそうです。
でも「十二国記の世界」、どんな内容だったんでしょう?
悔しいです。
 (2003年7月2日の日記) 
第十四話 〜十二国記感想
今回は「月の影 影の海」最終章で、総ざらい&十二国記用語解説といったところ。
麒麟、卵果、海客といった言葉の意味を確認することができ、興味深かった。
楽俊と陽子の会話によりつづられていくが、こうして初回分から通してみると、陽子 の描き方の変遷がよくわかる。

顔もずいぶん凛々しくなったし、話し方も違う。
私はアニメで初期の陽子は、あまり好きになれなかった。
原作の陽子に対しては、同情、共感といった思い入れがあったのだが、アニメ版陽子 には違和感、というかうるささを感じていたような気がする。

今の陽子は好きだ。
前にも書いたが「わたしは(心が)貧しい人間で、だから貧しい人間関係しか作って こられなかった。」という台詞。
わかっていても、なお変わることのできない自分と比べ、陽子は潔い。

最近ちょっと調べてみたいことがある。
「十二国記」において、日本は「倭」と記されているが、これは有名な「魏志倭人 伝」から取られた言葉。
三世紀中頃の日本についての記述(らしい)というのが一般的だが、この「魏志倭人 伝」、なんと陳寿著「三国志」の中に含まれているのだそうだ。

極端な言い方をすれば、三国志の時代と、倭の国(日本)、十二国記のイメージがた がいにリンクしていることになる。
前にもそんなことを書いたような記憶があるが、「魏志倭人伝」が「三国志」から取 られたものだというのは全く知らなかった。

ただ、「三国志」と「十二国記」については、まだまだ読み込みが足りない。
別に漫画だからではないが(笑)、「犬夜叉」はとことん読んだし、とことん観た。
HP開設前からとことん調べもしていた。

それに比べ、「三国志」と「十二国記」だと、たとえば「100の質問」に答えるだ けでも大汗かいてギブアップの体たらく。
小説にも挑戦したいのだが、そもそも基礎となる部分が全然身についていない。
「犬夜叉」だって、まだまだ調べたいことがたくさんあるし、「三国志」「十二国 記」にまで手を伸ばす時間的余裕はさすがにない。

いつか調べてみたい。
 (2003年7月13日の日記) 
風の海 迷宮の岸 〜十二国記感想
「風の海 迷宮の岸」は、「月の影 影の海」に続く第2作なんですが、私が最初に読んだのはこちらの方でした。
以前から小野不由美ということで興味はあったんですけれども、「ホワイトハート文庫」のあまりにも綺麗なイラストが、かえって漫画チックに感じて、ティーンズ文庫のようなものだろうからと思い、敬遠していたのです。

でも、ここに遊びに来てくれている方に勧められて、ついに手に取ったところがもうおもしろくておもしろくて・・・。
その「風の海 迷宮の岸」がテレビでも始まっています。
相変わらず?主役は景麒とか、蓬莱に帰った杉本さんが大活躍とか、原作とアニメの相違はありますが、今ではほとんど違和感ないです。

特に、今日は最初から最後まで、じわっと心が暖かくなって、時おり涙がにじんでくるやらおかしいやら。
私はもちろん、慶国(陽子、景麒)、雁国(尚隆、延麒)も大好きですが、やはりこの戴国泰麒が一番思い入れがあります。
あっ、もちろん小さい頃のこっちに来てからの泰麒ですよ。
最初に読んだせいもあるかもしれませんが、とにかく可愛くて愛しくて、今日なんて景麒に「なにやってんのよ、も〜っ!」などと心の中で怒りまくってました。

この不器用さがチャームポイント?の景麒ですが、小さな子相手にそれはないだろって。(笑)
でも泰麒により学ぶところも大きかった景麒、そしてそれがまた慶国の悲劇へとつながっていくわけですが。

そして今回はなんと、犬狼真君が!(予告で)驍宗が!
どうも驍宗は私の中で煉骨のイメージが強かったんですが、全然違いましたね。(笑)

これであと、李斎と頑丘を見ることができたら、もう思い残すことはないです・・・。

それから声優陣がまたすごいです。
京田尚子さん(楓ばあちゃん)も先週だっけ?出ていらっしゃいましたが、他にもゆかなさん(神無)、勝生真沙子さん(水神様)、石田彰さん(信長)、野田順子さん(末吉など)、能登麻美子さん(りん)、江川央生さん(地念児銀骨)、子安武人さん(蛾天丸)、藤田淑子さん(お祓いおばば)と勢ぞろいしたんですね。
今日は山口勝平さん(延麒)の出番はなかったですが。

犬狼真君は(信長だけに)意外に軽いノリでした。
もうちょっと退廃的な?とまではいきませんが、けだるい雰囲気を想像していたので。
それにしても、名前がいいですねえ。
犬と狼ですよ(犬夜叉鋼牙?)、しかも「真」の字は、実は私の名前の最初の一字と同じなんです。(だから「えむ」)
キャラ的にも大好きです。

今にして思えば、子安さんの「犬夜叉」での扱い、もったいなかったなあと思ってます。
噂では七人隊候補として名前あがってた時期もあったようですが、もし決まってたら誰だったんでしょうね。
私だったら蛮骨かも・・・。
まさか銀骨霧骨ではあるまい。(笑)
収録現場で、そんな話、してるのかなあ。
一度でいいから見学してみたいです。
 (2003年7月29日の日記) 
十二国記感想 〜ホワイトハート文庫と講談社文庫
友達に勧められて「十二国記」を借りに図書館に行ったとき、図書館には「ホワイト ハート文庫」版しかありませんでした。
山田章博さんの、とても綺麗な華やかなイラストの入った本です。
小野先生のイメージにとても近いイラストとのこと、陽子も尚隆も楽俊も、「ああこんな感じなんだ。」って思いながら読みました。

そして先日、時間つぶしに立ち寄った書店で、講談社文庫版の「十二国記」を見つけました。
内容(文章など)は同じだろうってなんとなく手にとってみたのですが、たちまち1冊読みきってしまいました。
すごくすっきりしていて、最初にこっちを読んでいたら、と思うと残念でたまりません。

もちろん山田さんのイラストは大好きですが、無の状態から自分なりのイメージを膨らませて、それからホワイトハート文庫を読みたかったなあと思います。
今更言っても詮無いことではありますけれども。
さっそく講談社文庫も全巻揃えることにしました。

さて、今日のアニメ「十二国記」。
私の大好きな驍宗と李斎が登場します。
それにしても進むの速いな、泰麒編は・・・。

驍宗は戴国王となる存在ですが、今回はまだ候補の一人に過ぎません。
でも、黒い鎧、白い髪(私はもっと長いと思っていました)、褐色の肌、真紅の瞳。
その覇気に泰麒は気圧されるものを感じ、天啓に気づくことができずにいます。
意外に普通の現れ方をしたが、うちのテレビが悪いのか、アップになるまで目が真紅には見えませんでした。
(赤が綺麗に出ないテレビなのかな?)

声は藤原啓治さん、どこかで聞いたことがあるなと思っていたら、ええっ?クレヨンしんちゃんのおとうさん!?
声優さんって怖いです・・・。
もう少し鋭い声を予想していたかも、いえクレヨンパパだから言うのではなくて。
ちなみに「三国志」では張飛だったそうです、これもアニメなんでしょうか。
この時の趙雲は小杉十郎太さん、「金田一少年」の剣持警部です。ああっ、イメージが・・・(涙)。

そして李斎、もう少し猛々しい女性を想像していたら、すごく綺麗な優しげな、それでいて毅然とした女性でした。
声は進藤尚美さん、いかにも李斎という感じで素敵な声です。
この2人が並んだところがとても素敵で大人のカップルという感じですね。
原作では戴国も驍宗、李斎もとんでもないことになったまま、時間ばかりが流れています。
早く続きが読みたいです。

飛燕、計都に続いて来週は傲濫にも会えますね、待ち遠しいです。
 (2003年8月5日の日記) 
風の海 迷宮の岸第五章(十二国記感想)
陽子編「月の影 影の海」に比べて、非常に原作に近く作ってくれているのに、この物足りなさは何だろう、ってずっと考えていました。
あらすじ通りに淡々と進むばかりで、登場人物、特に泰麒の心理描写の掘り下げがほとんどないんですね。
次回が終章と、どんな理由があるのかとても短いシリーズになってしまったこともあるのでしょうが。

今回は驍宗と李斎に使令や転変について語るところ、饕餮(とうてつ)の折伏(しゃくぶく)、天啓がないと信じながらも驍宗を王と認めてしまうところと心理的に重要な場面がたくさんあります。
それを25分におさめようとしたところに無理があったのではないでしょうか。
原作を読んでいると、泰麒の葛藤が、読んでいるこちらも胸が痛くなるほど迫ってきて、それでも驍宗を選んでしまった理由が納得できるのですが、原作を読まずにアニメを見ている人がいたとして、その人には今日のアニメ、理解できたでしょうか。
泰麒の想いが十分に伝わったでしょうか、とても不満が残ります。

部分的なところでは、驍宗が意外に俗っぽい?と思いました。
これはこれでいいですが、まあ原作とは別人だな、とか・・・。
嫌いではないですが。
あと、尚隆登場の時も思ったことですが、私はやはり正装、盛装姿より、鎧や普段着でさらっと歩いている姿の方が好きだなあと。

傲濫の折伏では、傲濫の蟷螂みたいな手?(原作では鎌首と表現)、淀んだ血の凝りのような二つの目までは凄いなあとどきどきしながら見ていたのですが、ぐわっと顔が出た瞬間、「あっ、こりゃ駄目だ・・・。」と。
これはアニメが悪いのではなくて、頭の中で描く実体のない恐怖のイメージに勝る絵が存在するはずはないということで。 出さないわけにはいかなかったんでしょうかね?顔・・・。

でも、大きな赤い犬の姿になった傲濫は素敵でした。
使令では冗祐と傲濫が好きですね、後は更夜(駮)が楽しみかも。

この時も驍宗は泰麒を動揺させないために傷を負って動けない振りをするはずが、実際に動けなさそうだったし。
犬狼真君もずいぶん気軽に出てこられるようで(笑)、これだけノリが軽いとありがたみも薄れてくるような。
後々になって泰麒と再開した李斎は、泰麒の成長に一抹の寂しさを感じずにはいられないようでしたが、アニメではすでに登場している少年版泰麒。

泰麒の成長は、あの時で止めて欲しかったなあ、転変したし、折伏も覚えたし。
泰麒本人にとっては、その幼さこそが苦痛以外の何者でもなかったようですが、見ているこちらも寂しいです。
李斎は原作とは別の意味で素敵でした。
 (2003年8月12日の日記) 
魔性の子(十二国記)
先日、仕事の帰りに講談社文庫版の「十二国記」シリーズ、全部買ってきました。
すごく急いでいたので、「東の海神 西の滄海」「図南の翼」など、すでに買って あった本のことも忘れて全部です。
自分のことながら全くあきれてしまいますね。(笑)
講談社文庫とホワイトハート文庫を本棚に両方並べてご満悦。
でもやっぱり手にとってみるのは講談社文庫かも。

それはともかくとして、最近気づいたのが、私は「魔性の子」を読んでいなかったこ と。
小野不由美の著書に「魔性の子」があることは知ってましたが、出版社も違うし(新 潮社)、十二国記関係の本だとは夢にも思っていなかったんですね。
「十二国記」自体、1冊ずつが独立した形態の物語なので、抜けているとも思わな かったし。

そこであわてて買ってきました。
書店で見つけてまず愕然としたのが、カバー(表紙)の絵。
イラストはもちろん山田章博さんなので、違和感ないはずなのに、何かが違う。
実際ホワイトハート版と並べてみても浮いているんですね、どうしてでしょう。

ファンタジーと言うより、ミステリーの表紙のような、現実的というか、人間の生々 しさがそのまま出てしまったというか・・・。
出版社が違うので、あえて違った雰囲気にしたのかもしれませんが、がっかりしてし まいました。

そして内容。
泰麒が日本に帰って?いた間の出来事をつづったものですが、表紙に「十二国記」の 文字がなく、たまたま読んでみた人が理解できるんだろうか、とちょっと不思議に思 いました。
たとえば小野不由美や十二国記を知らなくて、絵やタイトルが気に入って買ってみる ことってよくあると思うんです。

私はもちろん全部読んでいるので理解できますが、どうなんでしょう?
そう思って読むと、今までの十二国記に比べて極端に説明が少ないですよね。
舞台が現代日本ということで、あまり説明は必要ないにしても、泰麒、傲濫など、十 二国記独特の言葉に対し、泰麒が最小限に説明しますが、広瀬はわからなかっただろ うし、(十二国記を知らない)読者もわからないと思うんですが。

出版社が変わったのは事情があるんでしょうし、仕方がないと思うんです。
でもまさか表紙に「十二国記」という文字を表示してはいけないなんて取り決めあるんじゃ ないでしょうね、とか思っちゃいました。(笑)

ストーリーは、日本に再び流された泰麒の戴に帰るまでの生活を描いたものです。
傲濫や仙子が、泰麒が毒されていくにつれ暴走しだし、周囲の人を事件に巻き込んで いきます。
そのことは前にも書いてありましたが、正直言ってここまでひどいことになっている とは思いませんでした。

泰麒の周囲の人間だけだと思っていたら、もう国全体を巻き込む社会的大事件になっ ていたんですね。
大量殺戮です。唖然としました。

話は当然のことながらおもしろいです。
文句をつけるつもりなど毛頭ありませんが、やはり違和感を禁じえない部分がありま した。

まず泰麒、存在感が希薄なのは仕方がないと思います、異邦人の立場だし、記憶を 失っているし。
しかし、少なくとも自分がこの大量殺戮の中心にいることを感じながら、何もしな い。
哀しむ、苦しむ、記憶を取り戻し、迎えを待つ。
自分の国に帰って生き生きと蘇る(黄昏の岸 暁の天)、それは当然でしょうが、日 本の国をあれだけの恐怖と殺戮に巻き込んだ責任はどうなるのか、と聞きたい。

何もできないかもしれない、でも何かしようとしたか聞きたい。
まるで悪役のように泰麒を恐れ、おもねる人々、最後には憎み、殺そうとする人々、 たしかに罪は重いけど、泰麒の何が彼らをそうさせたか、泰麒は帰ることで全てを清 算すればいい。
でも残された人々は?
もうひとつ、十二の国の世界を重視するあまり、日本という国をあまりにも軽視して いるような気もしました。
もちろん蝕(字が微妙に違うんですが)の影響も最小限に、こちらの世界の被害を少なく、その気持ちは感じまし た。
でも、泰麒が原因で起こったことに対する、「十二国」側のやはり責任、がどこにも 見られない。

泰麒を取り戻し、戴の国を救う、各国の王や麒麟が協力して(今までほとんどなかっ たこと)それは素晴らしいことだと思いますが、どうしても
「その名前は台風の季節が過ぎ、霜の降る季節になっても消されないままぽつねんと 残されていた。
-ただ一人だけ。」
で済ましていいものかどうか、考えてしまいます。

そう考えると、泰麒を守る立場にあったはずの広瀬が一番の被害者だったのではない でしょうか。
あまりにも残酷な、殺されるより残酷な結末、広瀬を残して「帰る」泰麒。
「あなたは人なのだから。」それですむのでしょうか。

もちろん救われない物語はたくさんあります。
けれども、それなりに納得できるものであって欲しいと思うのは、素直に感動できな い私のわがままでしょうか。

ただ、もしアニメ「十二国記」を見る前に「魔性の子」を読んでいたら「杉本」の存 在にここまで拒否感を持たなかったかも知れないなあと思っています。(笑)
 (2003年8月15日の日記) 
風の海 迷宮の岸終章(十二国記感想)
偽王を選んでしまったと思い込んだ泰麒の苦悩、言葉で説明せずに行動に出た景麒、雁王六太の猿?芝居。
何もかもが大好きな場面で、ここでまた泰麒が愛しくてせつなくてたまらない場面が延々と続くわけですが、何ですか?このさっくり感は・・・。

とにかくあらすじをなぞっているだけにしか思えません。
もっとじっくりたっぷり楽しみたいのに・・・。

「十二国記」のアニメは、今現在出ている文庫全部をアニメ化するわけではないのでしょうか?
先日も鈴が出てきたし、犬狼真君もやたらと出てくるし、生田先生はもう亡くなってしまったし。
後半部分はまとめてしまうんでしょうか?

こちらの泰麒とあちらでの泰麒、両方を同時に見せる手法、私はどうかと思います。
中途半端な気がします。
杉本が広瀬のような役どころを演じているのもどうも気になるし。
「魔性の子」はカットして大筋だけ取り込んじゃうとか、そんな感じなんでしょうか?

でも、戴王と雁王が麒麟たちを見守る場面、タイタニックのような手すりのそばの陽子と景麒。
貧弱な私の空想力ではとても満たされない十二国記の世界が堪能できるのはやっぱり嬉しい。
できれば最後に陽子たちが会った女怪をもっとちゃんと見せて欲しかったです。

来週は「転章」となりますが、今度はどんな形で見せてくれるのでしょうか。
えっ?まだ陽子と景麒?
まあそれもいいですけど・・・。

ところで私にとって、ものすごく大切な場面、「それでも私は王だろうか。」と驍宗が言い放つ場面って、「風の海 迷宮の岸」ではなかったでしたっけ?
また最初から読み直してみないと・・・。

今、公式サイト見てきました。
来週は六太の回想になるみたいですね。
そして次は「風の万里 黎明の空」が始まります。
鈴と祥瓊ですね。
アニメでは陽子と景麒が全編を通しての主役になるのかな・・・?

「風の万里ー」は、「月の影 影の海」と共に、上巻がとても読むのが辛い本で、1度読み通した後はほとんど飛ばし読みしています。
だからと言ってアニメでオブラートに包まれて出されても困りますが。難しいところですね。
まさか浅野くん復活、なんてこと、ないですよね。(笑)
 (2003年8月19日の日記) 

十二国記感想

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