十二国記感想 3
風の万里 黎明の空 第七章(第29話)(十二国記感想)
私には妙な癖があって、「これは見よう。」と決めているテレビ番組は、必ず録画す ることにしている。
以前、タイタニックがらみの特集番組を見ている時に電話がかかってきて、見逃して しまったことがあった。
特に歴史番組系は、貴重な情報が含まれることもあり、必ず録画する。
(もちろん見たらほとんど消す。)

ただし、問題は見る時間がないこと。
ビデオは山のようにたまるし、今テレビで見ている「プロジェクトX」なども、こっ ちで録画しながらこっちで1ヶ月前に録画したバージョンを見ているという体たら く。(笑)

オンタイムで見ているのはアニメ「犬夜叉」だけだったりする。
だから10月21日に放映された第七章も、今日(11月7日)に見ているわけで、 感想も大幅に遅れてしまった次第。

と、ちょっと言い訳が入ったところで、今日の十二国記。
まずは陽子。
民の中に降りて、遠甫の元で学ぶ陽子。
遠甫は問う。
「冬、人々に必要なものはなんじゃと思う?」

陽子は答える。
「暖かい・・・家ですか?」

遠甫が髭をしごく。
「−いや、家ではない。食料じゃよ。」

陽子は餓えたことがないから、まず住む所を想像した。
私はなんと心の中で「食べる物!」と叫んでいた。
実は正しい解答だったりするのだけれど、食いしん坊ぶりが実証されたみたいで、恥 ずかしかったりする。(笑)

ここに桂桂もいること、いきなり夕暉が姿を見せることがオリジナルとして入るが、 桂桂はともかく夕暉がどうしてここに出てくるのか首をかしげた。
私は「十二国記」のアニメ化の裏事情は詳しくないので、こういったことは見たまま 受け入れることにしているが、ここに夕暉が出てくる必要性、どなたか知っていたら 教えてほしいと思っている。

たとえば「図南の翼」アニメ化の予定がないから犬狼真君がやたらと出てきた、とか そんな事情だが。

次は鈴。
浅野と連れ立っている姿を見て、鈴が2人いるように感じたが、今回見ていて鈴が3 人も4人もいるようなオーラを感じてしまった。
もちろん負のオーラだが、ここまで強くたくましいと、以前までの悲惨が消えていっ そ笑える世界になってくる。
これってアニメ効果?それとも弊害?(私にとっては前者かも。)

清秀は原作でももちろん心を打たれたが、キャラとしてはどうこういう気持ちはな かった。
でも、アニメでのあまりの可愛さに今はぞっこん。(笑)
浅野の今後はともかく、鈴とあまりに似たキャラなだけに、むしろ邪魔にならない存 在になってしまったような気がする。
鈴×2、鈴×3、鈴のわけのわからん強さ、浅野のおかげでパワーアップ!

祥瓊は、むしろ楽俊登場を心待ちにしていたので、話の方は普通に見ていた。
ただ、こういった宿の描写などは、アニメならではで興味深い。
祥瓊の嘘により、共に捕まってしまった楽俊。
もちろん釈放される自信があるから堂々としているが、もし楽俊が、陽子と会った当 初のような身分だったらどうだっただろう?
それでも飄々としていたんだろうな。
盗みなどしてはいない、という自負、それを表に現さず。
楽俊、ほんとに希少価値のあるキャラだと思う。
これがほんとの癒し系?(笑)

次回はもしかして清秀が・・・、と思ったがもう放映済みのはず。
この山積みにされたビデオの山から辿りつくのはいつのことやら・・・。
ところで今週はアニメがお休みだった。
まさか時間が変わったのではないだろうな、と調べたが大丈夫だった、一安心。
 (2003年11月10日の日記) 
延麒六太登場 「十二国記」ゲーム日記
前回は楽俊に命を助けられるも好感度ダウンでセーブ、20日あまりも滞在して (笑)、続きは楽俊は傷つき倒れ、楽俊の口をふさぐか見捨てて逃げるかの選択を迫 られるところから。
どっちを選んでもいい気持ちはしないが、とりあえず「見捨てて逃げる」を選択。 (原作どおり)

逃げた自分を許せない陽子と青猿のけんか腰のやり取りはすなわち陽子の心の中の葛 藤。
会話は原作どおりではないが、非常に噛み砕いて読みやすくしており、好感が持て る。
ゲームではここで実際の戦闘が入るが、勝つ負けるかでここでも分岐が入るので慎重 に慎重に・・・。
ところでこのゲーム「十二国記」、青猿との戦闘シーンの音楽がとても感動的で (笑)、画面のチャチさを補って余りあるのがなんだかおかしい。

陽子自体がかなり育っているので難なく撃破、青猿は剣の鞘へと戻る。
人の心を取り戻した陽子は町へ戻るが、衛士が陽子を探しているため、街に入ること ができない。
ここでしつこくも(笑)、青猿再登場、「おまえ、鞘に戻ったんじゃないのか?」と 陽子の心の声を代弁しながらさっさと撃破。

ここで飴売り親子と再会する。
原作と微妙に違うのは、この親子も陽子のおかげで蠱雕から助かることができたとい う設定。
原作の親子の複雑な表情が、ここでは最初から明るく優しく陽子と接する。
楽俊の様子を見に街に行って1人戻ってきた母親(微真)は感謝の印にと、さまざま なアイテムを「安く売って」くれた。
くれるわけじゃないのかい、と突っ込みながらもハンカチ、櫛、生徒手帳などを売 る。

これらは陽子の初期アイテムで何かの機会に必要なのかととっておいたがどうやらお 金が必要な時に売り払う物らしい。
それにしても生徒手帳、買った微真はどうすんだろ?(笑)
また、親子を脅して食べ物を奪うつもりだったと告白する陽子に対し、「あの時とあ んた、顔が違う。とてもいい顔してて助けて上げたくなった。」と微真が言うが、そ れは楽俊に最初に言って欲しかったな・・・。

この後は森や荒地をうろうろしてひたすら雑魚妖怪との戦闘をくり返し、陽子を育て る。
雑魚と言っても馬腹などもいてけっこう強い。
頭にくるのが、それぞれの妖魔が「水、火、風」などの属性が決まっていて、陽子も それに合わせて刀を選ばなければならないこと。

たとえば「風属性」の馬腹に対しては、「火属性」の刀を使うと威力が倍増するが、 他の属性の刀だとほとんどダメージを与えられないとか・・・。
戦闘そのものはPS「犬夜叉」のような簡単なものだが、この属性選びで頭が痛い。
体力回復のためにせっせと石焼芋だのチョコレートだの食べまくりの陽子。(笑)
ステイタスが上がると「大丈夫、まだまだいける。」
口調が笑える。

そしていよいよゲームオリジナル、六太のナンパ。
騶虞の「とら」を妖魔と間違え、斬りかかろうとする陽子を止めるのが六太。
「虎(とら)なのか?」
「何言ってんだ、騶虞だよ。名前がとら。」
噛み合わない会話で笑った後、六太が巧の話を聞きたいからと食事に誘う。
さんざん焼きとうもろこしだの肉まんだの食べまくっていた陽子も「おなかすいてた んだ♪」とちゃっかり乗っかって初デート。
いつもの肉まんらしき物と麻婆豆腐らしきご馳走がとてもおいしそう。

ここで陽子がもうひとつ笑かしてくれた。
六太「血の匂いがする。」
陽子「そんなに匂うかな?」
あんまりお風呂入ってないんだ、と言いたげな陽子。
まあ麒麟のことを知らないから仕方がないんだけど、この2人の微妙にずれてる会話 はなんだかおかしい。

私の?陽子もどうやら成長してきたらしく、蛮骨の「竜雷閃」ならぬ「炎連斬」だの 氷結斬」だのとんでもない技を次々披露。
それでいて仕事をもらって「田植え」ではかえるに当たって悲鳴を上げるなど、慣れ てくればなかなかおもしろいゲームである。
ただし、プレステでも良かったのでないかと未だに思っているのだが。
 (2003年11月24日の日記) 
雑読主義
私はこの通りの雑読派なので、基本的には何でも読む。
最近は「三国志」「十二国記」に関係する物が多いが、思いがけなく関連ワードを見 つけて狂喜することもしばしば。
先日、曹操の書いた詩がらみで「三国志」に「蒿里」という言葉(驍宗が泰麒につけ た名)が出ていたことを書いたが、司馬遼太郎著「街道をゆく 20 中国・蜀と雲 南の道」にも「水のない海=黄海」の話題が出ていて嬉しかった。

ところが、コナンの映画がらみで甥っ子にホームズとジャック・ザ・リッパーの時代 に関して聞かれた時に、調べていてこんな記述を見つけた。

「古代の宗教哲学に関する執筆活動をしていたジェニングズ牧師は眠気覚ましの緑茶 を飲む。
突然牧師にしか見えない小猿出現。
牧師を監視するように見つめる。
それが1年続いた後、小猿は聖職の邪魔をするばかりか「罪を犯せ、人を傷つけろ、 自分を傷つけろ」と命令するようになる。
赤く光る目を持つ黒い猿。
消えた時に何が起こるかわからない。」(ワールドミステリーツアー ロンドン編)

このようにメモしておいたので、正確ではないが、だいたいこのようなこと。
女吸血鬼「カーミラ」で有名なJ.S.レ・ファニュの書いた「緑茶」に関するあら すじ説明である。

陽子が旅の間中悩ませられる蒼猿の原型ではないだろうか?とつい思ってしまった。
これももちろん私の想像だが、剣の鞘が蒼猿になったこと、その蒼猿がどうしてこの ようなキャラに作られたのか、ずっと興味を持っていた。

蒼猿は、陽子が己の心の弱さ、醜さと相対するために必要な存在だった。
小野先生はかつて京都大学ミステリー研究会の一員だったことを最近知った。
悪い癖でさっそく想像力を働かせてみる。
マニアックなファンに受けがいいが、一般大衆にはあまり評価されていないミステ リー。
綾辻行人氏(このお二人がご夫婦であることも最近知った。)らとの議論の中で、 「いつか使ってみよう。」心に決めた・・・。
あり得ないことだろうか。(笑)

この本、今探しているが入手は難しそう。
よってこの猿が最後に引き起こす結末、非常に気になる。

最後に最近特におもしろかった本。
図書館で見つけた子供向け「呉三国志」(斉藤洋著)。
挿絵がなんと「ルパン三世」のモンキーパンチ氏。
見つけた時に、ぱっと頭にひらめいたのが、ルパン=孫策の図。
ならば次元が周瑜で孫権は石川五エ門か?孫尚香が峰不二子?

孫堅はアルセーヌ・ルパンで銭形警部は曹操だーっ!などと受けまくってしまった が、実際に読んでみると、ものすごくまじめに描かれた絵でおチャラけて考えた自分 をちょっと反省。
たしかに孫策はルパンだったし、周瑜のかわいいことと言ったら。(笑)

だが、何よりも気に入ったのは、子供にわかりやすくやさしい言葉を使っているけれ ど、内容は非常に史実に忠実であると言うこと。
某アニメのように、子供におもねって内容を変えたりは絶対しない。
これは子供に気を使っているように見えて、子供をバカにしているのと同じこと。

久々に読んだ子供向けの本だったが、それだけに大人でも十分に楽しめる。
誤解のないように書いておくが、たとえばゲームなどをいくら残酷にしてもいいと 言っているのではない。
以前「三匹の子豚」などでも話題になったが、内容が辛いものだからといって安易に ハッピーエンドにするばかりが子供のためではないということ。

子供の読解力、見たもの読んだものから何を学ぶかは、私達の想像を越える。
読みやすくわかりやすい言葉を使う、漢字を少なくする、読み仮名を多くするといっ た部分は必要だろう。
だが内容の安易な変更は、子供にバカにされるだけである。
子供が読んでおもしろい本は、大人が読んでもおもしろい。

本でもアニメでも、子供を見下ろすのではなく、真っ向から向き合った作品を作って ほしいと思った一日だった。
他に読んでいる本は、「おもしろいほどよくわかる三国志(安部幸夫著)。
いろいろな人の書いた「三国志」を読んでいると、出来事やら性格やらがあまりに 違って混乱してしまう。
これを読むと、たとえば「221年に張飛が暗殺された」といった基本的な流れがわ かってくるので非常に助かる。

あとは日暮がらみで永井路子著「北条政子」「源頼朝」、横溝正史著「悪魔の手毬 歌」「迷路荘の惨劇」、吉村作治「エジプト文明」、陳舜臣「秘本三国志」、「ミス テリ−中毒」は養老孟司、ついでに「犬夜叉」第5巻。
取り寄せ中は内田康夫著「化生の海」。
「ミステリー中毒」に触発されて「神々の指紋」も読み始めたところである。
頭がパンクする日も近い。(笑)
 (2003年12月5日の日記) 
「十二国記」ゲーム日記
北梁にたどり着いた陽子だったが、宿に泊まるにも金がない。
やむなく陽子は職業斡旋所のような場所を訪れ、仕事を探すことにした。
店の主人が聞く。
「何か資格を持ってるかい?」
「はい。樽並べ初級です。」
「そうかい、けどちょうど田植えの人手が足りなくて困ってたとこだ、やってみるか い?」
「はい、お願いします!」
「カエルがいるから気をつけな。」

こんな感じで田んぼに出たが、何しろ私の陽子は不器用だから、あっという間に時間 切れ。
「何やってんのさ。これじゃお金は出せないね。」
ゲームと言えどもけっこう厳しい。

仕方ないので店に行って、25%程度の体力回復アイテムを売り払う。
陽子はもう水禺刀もMAX状態。
「犬夜叉」でただの「蛮竜」が「蛮竜閃」「竜雷閃」をぶっ放したくらいの大化け刀 になってしまった。
もう25%回復なんて当てにもならない。

相も変わらず蒼猿が出てきて何かとうるさいが、気のせいか原作、アニメより遊ぶ人 が親近感を持てるように作られているような気がする。
同時に雁国を目指す道すじ、いろいろな人に会っての「十二国記解説」が組み込ま れ、非常に丁寧な作り。
そこで気づいたのだが、私は六太と出会う選択肢を選んだが、別を選ぶと風漢と旅を するルートが得られるらしい。
次が楽しみ♪

さて、原作どおりに船に乗り込んで働かせられる陽子は「雑巾がけ」が得意らしい。
船の中では飴売り親子と再会したり、オリジナルキャラと戦ったり、蒼猿とおしゃ べりしたりと何かと忙しいが、私の方がゲームになじんできたのかそれなりに楽しめ る。

雁国について、電話&郵便番号を聞かれ、保護を受けるが、楽俊との好感度が下がっ ていることがたたって、ここで楽俊と再会できない陽子、ここでも寂しく一人旅。
次はいよいよ第四章、延麒六太との再会から始まる。
 (2003年12月11日の日記) 
風の万里 黎明の空 第八章(第30話)
サイトの引越しが終わるまでと封印していたアニメ「十二国記」。
さあ見るぞと楽しみにしていたが、そっか、清秀が死んじゃうんだ・・・。

今回は捉えられた祥瓊が、盗んだ品物を賄賂として渡して放免されるところから。
世間知らずだったはずのこの少女。
この時や、最終部分の身分を明かすところなど、けっこうさといというか、したたか な部分がある。
この一筋縄ではいかない感じがけっこう好き。

楽俊との旅の中で、少しずつ学び、己の愚かさを知る。
こうして見ていると、陽子自身だけでなく、楽俊も祥瓊も鈴も、あるいは桓魋や虎嘯 までが陽子の運気に巻き込まれ、陽子の元に集う運命だったんだなあと思う。

そして同時に蘭玉、清秀など巻き込まれたために悲惨な死を遂げる者もいる。
良いこと悪いこと、幸せ不幸せ、美しいもの醜いもの、全てを巻き込んでこその王な のだと納得できる。

楽俊は祥瓊に、
「努力もなしに与えられるってことは、その値打ち分の要求をされる」と言い、それ に気づき、公主としての務めを果たさなかった祥瓊の愚かさを諭す。
「教えてくれる人がいなかった。」
祥瓊は泣き崩れるが、やはり辛い。

人を見て愚かと言うのは簡単だけど、自分を振り返って自分は違うと言い切れるだろ うか。
たとえば祥瓊のそばに楽俊のような人がいたら、鈴がもっと早く清秀に出会っていた ら、考え始めるとどこまでも行き着くところがない。

そして鈴。
浅野、清秀と3人で馬車を雇うが、盗賊に襲われる。
ここでなんと桓魋@熊バージョン&凱之が現れ助けてくれた。
凱之は「黄昏の岸 暁の天」で李斎を助けてくれる人(の1人)。
桓魋は素顔が見られなかったが、凱之はずいぶん庶民的?な人だった。

ところで桓魋、なんだか聞き覚えのある声だ・・・。
「叢雲牙」だった、犬夜叉映画第3弾。
私的にはもう少し班渠のような声のイメージだったかも。
もうちょっと軍人っぽい?凱之共々。
人間の姿になると声が変わるんだろうか?

ちなみに凱之は中井和哉さん。
「無双」の「夏侯惇&典韋」 だし、犬夜叉では最近出たばかりの「星黄泉」。
中井さん大活躍。
でも桓魋は祥瓊と絡むのに、ここで鈴と出会うのはなぜ?

鈴の苦しみも見ていて辛い。
ひとりよがりの苦しみではあるけれど、むしろ陽子、祥瓊より身近な苦しみ。
なんだか「こんな性格に生まれた私が可哀そうなのよ!」と鈴の代わりに絶叫したく なってくる。

アニメでは浅野のせいで清秀が死ぬことになってしまう。
これは浅野をより追いつめる結果になるんだろうな、切ないな、と思って見ていた。

陽子は虎嘯に出会うが、こちらはさくさく進んで原作どおり。
でも清秀を抱き上げ、鈴に渡し、最後の言葉を伝える、この部分はやはり泣けた。
ひとりよがりだろうがなんだろうが、辛いものは辛い、人から見れば愚かでも、本人 は苦しい。

鈴の心の目を開かせてくれた清秀の死により、鈴に景王、つまり陽子に対するいわれ のない憎しみが生まれる。
人は愚かだ、何度も出てくる言葉。
それが自分であっても他人であっても、人は愚かに生きる。
これからこの3人の少女は己の愚かさと向き合って生きることになる。
同時にこの3人のキャラがどんどん魅力を増していく、これが楽しみ。

虎嘯は西凛太朗さん、蘭玉は川上とも子さん。
「時代を越える想い」の玻璃。
県正の岡和男さんは、めぞんや「人魚の森」に出ていらしたらしい。
馬車の御者は山口眞弓さん、桂桂が千葉千恵美さん、労蕃生は斉藤次郎さん。

祥瓊が出会う馬車の客は市川まゆ美さん。
「出没する謎の助平法師」の娘さんだったりする。(笑)
 (2004年2月11日の日記) 
風の万里 黎明の空 転章(第31話)
始まってすぐ、「なんかずいぶん乙女チックな顔だなあ。」と思った今回の十二国 記。
私はあまり作画にはこだわらない(作画監督さんとか)方だが、ちょっと目が丸い? そんな感じ。
もっとも気になるほどでもなく、鈴などはむしろいい顔になったな、と思えたくら い。

今回も三人娘が語られているが、中心になっているのは鈴。
清秀から離れられず、死体を抱いて泣き崩れるが、その鈴から清秀を抱き取って埋葬 してくれるシーンで、早くも革午(かくご)登場。
原作ではものすごく小市民的な態度を見せる革午だが、普通に生きる分には普通の 人、決して卑屈なわけでも卑怯なわけでもないことがわかる。

ただ、私もクレジットを見て「あっ、革午だ。」と思ったほどで、アニメを見ている 時は「ただの人」?(笑)
おそらく原作を読んでない人には、わからないだろうなあと思う、ここで登場する革 午の意味が。

主役級キャラがものすごい傑物になるので、どうしても低く見られがちだが、この革 午や「図南の翼」の鉦担のような存在ってすごく気になる。
現実だったら、むしろ自分は彼らの側に立つ人間だろうと思うから。
そしてこの革午、笑ってしまったのが室園丈裕(たけひろ)さん。
「犬夜叉」殺生丸初登場回で、猪の首をもぎ取っていた侍大将。
その後、自分も殺生丸にやられてたけど、こんな所に生まれ変わっていたらしい。 (笑)

この後、鈴は夕暉と会い、虎嘯に会う。
次回祥瓊が桓魋に会うだろうから、これでメインキャラ揃い踏み?
鈴は景王に筋違いの恨みを抱き、昇紘と共に復讐するつもりで三騅(青毛の馬のよう な騎獣)と冬器(昇紘のような仙=人でない者でも斬れる武器)を買う。

ここで三騅見れるかなあと楽しみにしていたが、残念ながらそれはなし。
そっか、どこかから連れてくるんだ・・・。
でもちらっと後姿が映っていたかも。
三騅って死んじゃったのかな、後で全然触れてないけど。

一方祥瓊。
走る楽俊を初めて見たが(笑)、楽俊が祥瓊に渡すお金はポケットマネー。
この辺もアニメだけだとぼかされてしまうかな。
祥瓊は去る楽俊に感謝を込めて頭を下げる。
そして気づく。

今までたくさんの人に頭を下げる生活を強いられてきたが、心から感謝して、あるい はすまないと思って頭を下げたことがなかった。
そんな自分の傲慢さに気づく・・・、はずがカットされてしまった。
これはものすごく残念、祥瓊にとっては大事な大事な心の変化だと思うのだが。

そして陽子は「僕(笑)」と会う。
なんか笑う前に「はい次!」って進まれてあれっ?って感じ。
しかも髪隠しの布ってただ頭にかけてただけ?で爆笑。
布を取ってみれば、髪はぼさぼさ、目の下に隈、寝つきが悪くて寝起きも悪かったみ たいな景麒。

苦労してるんだろうな・・・。
陽子がいなくては、宮殿で盛大にため息ついても誰も気にもとめないだろうし・・ ・。
景麒に教えてあげたい。
髪は長くなればなるほど痛みやすくなるんだよ。
蓬山では泰麒のように、女仙が御髪をとかしつけてくれたかもしれないけれど (笑)、今は自分でトリートメントやマッサージをしなくては。

で蒸しタオルを頭に巻いてる景麒を想像してしまう私・・・。
冗談はさておき、ここの慶主従の会話もずいぶんさくさく進む。
しかも陽子が雁にすがっていると思われていたのが、アニメでは浩瀚を怒れて逃げた ことを噂されている。
今回は出番がないんだから、まるっきり無視?された尚隆が哀れ。

ここまではまあ原作どおりなのだけれど、昇紘が浅野の言葉を理解したため?昇紘の 元に降った?浅野。
昇紘がスタイルはいいし、「何も知らぬ(何もできぬ)海客を王にすえる天意こそ 悪」と悪は悪なりに信念を持ってるところが原作と違う。

陽子たちに後でつかまった時、どんな態度を見せることになるのだろうか、ちょっと 楽しみ。
この世界をゲームとみなすことで、現実逃避を図る浅野は清秀の死でさえゲーム設定 であると思おうとする。
また、浅野が景麒を見かけたために、どうやら昇紘が陽子を、ひいては蘭玉を襲うこ とになるのだろうか?

オリジナルで宮廷シーンに登場する秋官長の金月真美さんの声が悪っぽくて(笑)素 敵。
役人役で園部好徳さんも登場する。
最近ゲームをする暇がないが、攻略本はとてもいい資料なので、ゲームをしない方に もお勧めかも。

余談だが、栃木県には蓬山や蓬莱山と呼ばれる観光地があるそうだ。
ただし蓬山は「よもぎやま」と読む。
もともとは霊場だが、キャンプ地やスポーツ施設があったり、自然を堪能できる場所 らしい。
今度行ってみようかな?
 (2004年2月20日の日記) 
風の万里 黎明の空 第九章(第32話) 
原作読んでる限りでは、鈴が一番駄々っ子みたいで目覚めるのが遅かったような気が するが、アニメでは「目に見えて(笑)」かっこいい。
話自体も鈴を中心として進んでいく。
オリジナルで鈴は早々と王宮に乗り込んでいく。
これにはびっくり。

でももっとびっくりしたのは、突然出てきた杉本。
「いっぱい子供を生むから」のあの台詞、何で出てきたのかと思ってたら、王である 陽子が子供を作れない運命であることへの伏線だったの?
だとしたらちょっと突拍子なさすぎ、でもあの笑顔は良かったな、杉本。

今のところ、泰麒(高里)にちょっかい出すシーンもなくなっちゃったし。
なんだったんだろ、あれ。

オリジナルで蘭玉が「下僕」のこと言って微笑む場面があるけれど、この後の悲劇を 思うとあまりに切ない笑顔。
なんだかもう泣けそうだった。
何も知らない陽子、何も知らない蘭玉、哀しくて切なくて、素敵なシーンだった。

逆に1人で異次元背負ってるのはとんちんかん浅野。
それなりに使いまわされているのに、全くストーリーに絡めぬ立場がとっても哀れ。
なぜか浅野が出てくると、笑いたくなってしまう。
ある意味すごいインパクト。(笑)

かぶりもの主従(陽子&景麒)の珍しくくつろいだ姿も少し入って、今度は祥瓊。
理不尽な磔の刑が執行されるのを見て、自分の父が行った恐怖政治(磔の刑もあっ た)、自分自身が磔にされそうになった記憶が蘇り、思わず石を投げてしまう。

追われる祥瓊を救うのは陽子とそして人型(笑)桓魋。
もっといかつい感じを予想してたら(熊さんのイメージで)、意外にインテリっぽ い。
ただ、いい子になった祥瓊が、ちょっと柔らかすぎて(口調など)、物足りない気も する。
でも鈴と並んで名台詞はびしっと決めてくれるだろう。

やっぱり今回の主役は鈴。
三騅も本で読んだ時は、あまりイメージがわかなかったが(青いだけの馬だった)、 アニメで見たら予想以上に大きくてすごくかっこいい。
この三騅、戦闘中に矢で射抜かれて、それっきり忘れた存在になってたような・・ ・。
アニメでもっと大事にしてくれないかなあ。

さらに素敵すぎは夕暉。
この子、こんなに大人っぽくてむしろ老成した感じなのに、「おねえさん」って ちょっと怪しすぎはしませんか?
ものすごい気合で作られたとしか思えない、素敵に描きすぎ、好きだけど。

夕暉に連れられ、鈴は虎嘯の仲間になる。
桓魋に助けられた祥瓊も桓魋の仲間になる。
でも今回は、人物紹介がなかったので、原作知らない人は、あの時の熊=桓魋とは気 づかないだろうな、たぶん。

それにしても驚くのは、少年泰麒&青猿&班渠の岡野浩介さんと昇紘&供麒の大川透 さん。
同じ人なのに、どうして声だけでなく、ここまで違う雰囲気にできるんでしょう。
逆に言うと、どうして声優さんをここまで使いまわすんでしょうか、すごく興味あり ます。
まさか予算のせいじゃないですよね。(笑)
 (2004年3月4日の日記) 
風の万里 黎明の空 第十一章(第34話) 
話がものすごい速さでさくさく進む印象の強い十二アニメ。
原作のたたみかけるような文章も、簡略すればこういうことなのね、と妙に納得しな がら見ている。
顔が見るたびに微妙に違うような気がすることをのぞけば、わりと素直に受け入れる ことができる。

今回、まずは桓魋と祥瓊、虎嘯と鈴の会話だけでぐいぐい引っぱる。
祥瓊を背負う桓魋と祥瓊の顔の近さや、話す時もものすごい近い位置にいるせいか、 なんとなくときめき♪
原作では彼らに限らず、一切恋愛モードの感じられない雰囲気があって、それはそれ で良かったけれど、アニメで感じるそこはかとない雰囲気も素敵。

虎嘯と鈴はむしろ兄と妹みたい。
最初にアニメ版桓魋を見た時は、その「悪そうな(笑)」雰囲気に驚いたが、これは これでニヒルな感じがなかなか良い。
「水を汲むのを手伝って」
「はい」は入れて欲しかったな・・・。
「無邪気な笑顔」は「ニヒルな笑顔」に変更されてた。

ただ、ものすごいシリアスな会話の途中で、突然「ガン!」と妙な音。
なんだ?と思ったが、そのまま見続けて一応終わり。
でも気になる、そこで再度見直し。

そしたら桓魋、中華鍋らしき鍋を、怒りに任せてへこましてた。
祥瓊も「えっ?」みたいなリアクションを見せるが、そのまま話は流れて、後でぐ いっと引っぱり鍋を元の形に直す桓魋。
さすが熊さん、この場面ですっかり桓魋(も)大好きになってしまった私。
この松本保典さんが、「犬夜叉天下覇道の剣」の刹那猛丸はいいとして、「サザエさ ん」のノリスケさん?と思うとやっぱり声優さんって凄い。

シルエットで登場の浩瀚、すでにゲームでその姿を見てるけど、扇?をかざす姿は諸 葛亮。(笑)
かぶりもの主従のわなわな震える景麒に爆笑し、ため息祥瓊に桔梗を思い出すが、後 半は一転して蘭玉の悲劇。
一応遠甫は最初から「連行される」設定らしい。
原作で、「殺そうとしても殺せなかった遠甫を連れ帰る」設定、ちょっと無理がある かな?と思っていたのでこれはとても好印象。

蘭玉、清秀、李斎をかばった名もなき少女に代表される、「善性があってなお理不尽 に殺される」存在の死は無条件に悲しい。
特に景王御璽を抱きこんで、必死に賊の目から隠そうとする姿、「今あたしを助け て」ではなく「あたしたちを、-慶国の民を、助けて・・・・・・。」と想う姿に原作を初めて読んだ時は涙 が止まらなかった。

蘭玉を忘れられない陽子は、後にあることがきっかけで再び蘭玉を想い、胸をつかれ る経験をすることになる。
王とは民を背負う者、それを忘れない陽子の真摯な性格が現れる名シーンだが、残念 ながらまだアニメ化はされていない。
今回景麒が泰麒に想いをはせる場面、「いざとなれば私が運ぶ」の台詞のカットは残念。
景麒がいつも受身なので、こんな部分はぜひ入れて欲しかった。

さて、これまで十二国記アニメで描かれるストーリーはもちろん、何気ない日常生活 や風景を無条件に楽しんできた私だが、ここで愕然としてしまったのが、桂桂を殺す のが(桂桂は助かるが)、浅野であったこと。
浅野がいるのは仕方がないとしても、原作には絡めて欲しくなかった。
これで浅野に救いがなくなる、浅野のためにも寂しいし、同時に浅野を許せない気がする。
これからオリジナルキャラの浅野にはどういう結末が用意されているのだろうか。
 (2004年3月13日の日記) 
風の万里 黎明の空 (第35話)
やっと落ち着いて十二アニメ見ることができるぞ!と喜んだのも束の間、なんかタイ トルが変なことに気がついた。
今回は十二章35話、なのに前回が十一章「33話」になっている。
しかもさかのぼって行っても32,31とちゃんと?続いている。
どこかでずれたらしい、時間がある時に直しておかなくては・・・。

さてアニメ「犬夜叉」とアニメ「十二国記」を見る時の大きな違いは、「犬夜叉」は オリジナル以外は常に原作を手元において、照らし合わせながら見ていること。
「十二国記」は、事前に原作を読み返したりはするが、アニメの時は手元に置かな い。
やっぱり私、「犬夜叉」に厳しい。(笑)

なぜ突然こんなことを書き出したかというと、今改めて脚本集を読むと、「へえ そ うだっけ?」「こんな変更あったんだ。」などと初めて気づくようなことが多かった から。
つまりアニメと原作の違いに「犬夜叉」ほどこだわっていないからなのだろう。
むしろ昔の中国的な風景や、妖魔や妖獣の姿を楽しんでいる。

前回蘭玉が殺され、苦悩する陽子と、鈴と祥瓊の出会いが今回のメインテーマとな る。
桂桂の傷口に焦げた跡がある(ピストルを暗示)ことを陽子にも視聴者にも知らせ、 改めてオリキャラ浅野の発砲を印象づける。
今回見ても、なぜアニメスタッフが浅野に桂桂を撃たせたのかがわからない。

現実を見据えることができず、罪を犯す浅野。
しかし、ある意味清秀や蘭玉とは違った意味での被害者と言えるかもしれない。
鈴、祥瓊、陽子、そして杉本にさえ諌め、救ってくれる人がいた。
5人の中で浅野だけが特別劣っていたとは思えない。

嫌なことから目を背けようとする性格の弱さは持ち合わせていたようだが(原作には ない)、それでも諌め、救ってくれる人がいたら、浅野も変われていたのではないか と思う。
そしてアニメに出てくる「愚かな」人物が全て悟りを開いて救われたら、それこそリ アリティがない、スタッフはそう考えたのだろうか。

どんなにいい人でも清秀、蘭玉らが殺されたように、救われないキャラを設定したの もリアリティを持たせるための意図なのだろうか。
浅野を許せないというよりも、そんな浅野に設定したスタッフの想いを、私なりにこ う解釈してみた。
もちろんこの時点でアニメは終了しているので、オンタイムで見ていた方には、それ なりに納得するものがあっただろうと思いたいのだが。

私自身の結論を見つけないので、最近は十二国記サイトめぐりも封印中。
それでも浅野の不人気は実感できた。(笑)

さて、アニメではなんとな〜くだが、桓魋&祥瓊、鈴は虎嘯ではなくて夕暉をとても いい雰囲気で描いている。
本人たちが意識しているのではなく、見ている側に「いいカップルだなあ。」と思わ せる雰囲気、これが好き。
アニメ「十二国記」は押し付けるものがないから自然に見ていることができるような 気がする。
労の存在感も、髪を下ろして大人びて見える鈴と祥瓊の会話も、原作どおりで素晴ら しい。
例によって見るたびに顔が違って見えるのが気になるが、桓魋側と浅野側の同じ会話 のカット割りも素敵。

「(仙を)斬れる。」と言い放つ陽子のかっこ良さには、おそらく男性ファンより女 性ファンがしびれたはず。(笑)
いよいよ次回は決戦前夜。
陽子と鈴、祥瓊が出会うこととなる、のかな?

先日行ったオーストラリア、「図南の翼」を持っていった。
今までは旅行といえば、常に「池波正太郎の銀座日記」だったが、今回初めて「図南 の翼」。
飛行機の中、青い空と広がる雲を見ながら読んでいて、ちょっとだけ皺虞に乗っかっ て空を旅する気分を味わうことができた、はずないか。(笑)

適度に長くて、何度読んでも飽きない本、しばらくは旅のお供は「図南の翼」に決ま りかも。
 (2004年4月6日の日記)  
図南の翼
うちに来てくださる方のほとんどが「犬夜叉」ファンだと思うが、時々「十二国記」 も読んでみようと思いますといった内容のメールを頂くことがある。
管理人としては何より嬉しいことで、「ぜひぜひ読んでみて下さい、アニメもおもし ろいですよ。」と大宣伝することになるのだが、ある方に「どれがお勧めですか?」 と聞かれ、はたと考え込んでしまった。

「十二国記」はちょうど「鬼平犯科帳」のように、大きな話の流れはあるが、ひとつ ひとつが独立しながら関連づいており、一口で言えば「どれから読んでもいいです よ。」という感じ。
定石どおりに出版された順番に読むのが一番いいのだろうが、こと「十二国記」に 限って私としては言いにくい。
以前も考察日記で取り上げたことがあるが、「十二国記」第1作は「魔性の子」。

出版社も新潮社(他は全て講談社)で、表紙のイラストも後のファンタジックな雰囲 気ではなくもっと生々しい。
だがこの話、私はあること知らなくて、「十二国記」をひととおり読んだ後で読ん だ。
そしてたぶん、もう読むことはないだろう。

おもしろくないというのではない、小野不由美独特のホラーテイストたっぷりで、 「ああこれがあそこの伏線だったんだ。」と思わせる技法は素晴らしく、最初に読ん でいたら最高におもしろいと思っただろう。
なのに最後に読んでなぜこんなに受けつけないのか、実はよくわからない。

ところが調べてみると、そう思っているのは私だけではないらしく、最初に読んだ人 はほとんど「おもしろい」と思い、最後に読んだ人はほとんど「もう読みたくない」 と思うらしい。
よって私としては素直に「第1作の魔性の子から読 むといいですよ。」とはなかなか言えないのが辛いところ。
では王道「十二国記」での第1作となる「月の影 影の海 」だが、実は私のまわりで、前編の途中で「ごめん、挫折した、」と言った 人が何人かいる。
別に謝らなくてもいいのだが。(笑)

主人公は陽子、アニメでも主役のストーリーキャラだし、全編ほとんどを通してのメ インキャラ。
この陽子の「選ばれた者」としての苦悩を描く。
陽子は傷を負ったり裏切られたりしながら、何よりも己の愚かさに苦しめられる。
それは重くて辛くて読んでる方も苦しくて。

なぜなら陽子の愚かさは、人間なら誰しも持っている醜い部分。
私たちが常に落ち込んだり悲しんだり、でも表には出さず、ひたかくしに隠そうとす る弱さ、ずるさ、汚さ。
その醜さ、愚かさに陽子は面と向き合う。

人は誰でも自分の愚かさと向き合うことは辛い。
ゆえに陽子に自分を重ね合わせ、醜い部分、汚い部分と否応なしに向かい合うことに なる、それが辛い。
でもこの葛藤があるからこそ、後半、楽俊に心を開く陽子、王としての陽子の姿に感 動することになる。
だから途中で挫折したと聞くともったいないな、とは思う。

同じ理由で「風の万里 黎明の空」の前編も読むのは ちょっと辛いかも。
次に「東の海神 西の滄海」。
私は尚隆は大好きだが、麒麟六太や尚隆と六太の関係についてはさほど思い入れはな い。

なぜと聞かれれば困ってしまうのだが、陽子、祥瓊、鈴、あるいは泰麒、景麒への想 いが強すぎるせいだろうか。
「勝平さん(六太)のファンじゃないからじゃない?」と言われたこともあるが、そ れ以前、原作を読んだ時から六太の存在は普通だった。(笑)
こればかりは好みの問題だろう。

本は素晴らしいと思うが、「これを一番先に読んで!」と言うかどうかはちょっと疑 問。
黄昏の岸 暁の天」は「風 の海 迷宮の岸」を読んでからの方がいいと思うし、「華胥 の夢」は短編集なので、そうなるとお勧めは「風の海 迷宮 の岸」か「図南の翼」だろうか。
私はたまたま「風の海 迷宮の岸」を最初に読んだ が。

図南の翼」は他の本(陽子がらみ)とは一線を画し た独立した物語だが、私が今一番好きなのはこれかも知れない。
アニメで祥瓊に冷たい?態度をとった少女王珠晶の昇山までの物語である。
アニメで珠晶の魅力を描ききっているとは残念ながら思えなかったが、王になるべく (実は違うが)昇山を決意する12歳の「金切り声を上げる薄汚い少女」、陽子、祥 瓊、鈴、泰麒らとは違う、最初から強い決意を前面に押し出したこの小生意気な (笑)女の子は、その特異な魅力で頑丘、利広、犬狼真君ばかりでなく、読む者全て をその世界に引きずり込んでいく。

「十二国記」では珍しく?陽性の魅力を持った女性と言えるかどうか、のキャラ。
皺虞は白と黒のはずなのに、表紙がどう見ても虎の黄色と黒のしましまなのはご愛 嬌。(笑)
「十二国記」調に慣れないうちは、「図南の翼」の厚 さに引いちゃう、と思った方は「風の海 迷宮の岸(泰麒)」かや はり「月の影 影の海(陽子)」をどうぞ。

風の海 迷宮の岸」は「 魔性の子」からつながるストーリーで、アニメは「月の 影 影の海」から始まっている。
ちなみに「図南の翼」という言葉の意味は、原作によ ると

−背は泰山のごとく、翼は垂天の雲のごとし。
羽ばたいて旋風を起こし、弧を描いて飛翔する。
雲気を立ち、青天を追い、そして後に南を図る。
南の国をめざして。
(・・・・・・図南の翼・・・・・・)
その鳥の名を鵬(ほう)という。
大企業を企てることを図南の翼を張ると言い、ゆえに言うのだ、王を含む昇山の旅を 鵬翼に乗る、と。

と描写されている。

「鵬」は「ほう」の他に「おおとり」とも読み、出典は荘子(広辞苑より)。
「おおとり」と読めば「鳳」と書くこともできる。
これで思い出すのが「三国志」の「龐統」。
さえない風体の人物だったらしいが、その才は諸葛亮の「臥龍」に比較して「鳳雛」 とたとえられた。

よく「たかがアニメ(ゲーム)にそこまでのめりこみますね。」と言われるが、「犬 夜叉」の戦国時代も含め、ある意味漫画やゲームもひとつのきっかけ。
「犬夜叉」に入れ込んで戦国時代に興味を持ち、「三国志」や「十二国記」で古代中 国を知る。
話や絵のおもしろさもさることながら、考察、検証のおもしろさが大きな魅力。
普段はただ「おもしろいね。」「つまんないね。」程度の感想で見てるだけ。
何でもかんでも語っているわけではないのでそこんとこよろしく。(笑)
 (2004年4月8日の日記) 
風の万里 黎明の空 第十三章(第36話)
なんとなく順番がごちゃごちゃしてしまったので、お店に行ってDVDのチェック。
今までずっと録画していたのでDVDのジャケット見るのは初めて、「風の万里 黎明 の空」3巻の桓魋がめちゃくちゃ素敵♪
けっこう「自分のサイト」では生真面目路線を突っ走ってたけれど、気がつけばミー ハーバレバレな今日この頃です。(笑)

ついでにアマゾンチェックもしてみると、意外なことにメインキャストが鈴役の若林 直美さんになってるんです、なんでだろ。
いえ別に若林さんでもいいんですが、一応メインは陽子ではないかと思うのですが。

          ☆          ☆          ☆

さて本編。
お着替え景麒のしどけない?寝姿、王宮での王と麒麟を虐げる者たちの場面がアニメ で具体的に掘り下げられる。
中にはいい人もいそうだが、基本的に王宮は王と麒麟をないがしろにする人間の巣。
その場にいない陽子はともかく耐えるしかない景麒が哀れを誘う。

六太のような麒麟もいるのだから、もう少し気の強さがあってもいいような気もする が。
ところでその六太が部下に化けて(笑)王宮にもぐりこんでいるらしい。
冬官長で山口勝平さん久々の登場。
こっそり景麒に忍んで行って励ます、あるいは大暴れする、そんな展開あっても良 し、あるわけなし。(笑)

そしていよいよ虎嘯と鈴、陽子、夕暉らの戦いが始まる。
知らせは桓魋と祥瓊にも伝わるが、桓魋たちが動き出すのはもうすこし後。
私怨ではない、昇紘を殺して恨みを晴らしておしまいとするわけにはいかない虎嘯た ち、自らに義憤の枷をつけ、夕暉の立てた計画の下、戦いは続く。

彼らの中には景王陽子がおり、陽子はそこで昇紘に飼われていた浅野に出会う。
こちらの世界に来て変わった陽子と変わらぬ浅野。
ピストルを見ても陽子は桂桂を撃ったのが浅野だと思い至らぬのか、浅野の言葉はか つての青猿のように醜く陽子を惑する。
しかし今の陽子の本音は、

「戦っているのは王だからじゃない、誰かに言われたからじゃない、しなければなら ないから。」
「(この)世界のせいにするな。世界は役割など与えてはくれない。」

に尽きた。
王としてというより、確固たる人間としての存在感が見事であり、同時に現実に、嫌 なことには目を背けてきた浅野との対比が凄いと思う。
ただし、浅野の弱さはいつも書くとおり、私の弱さ。
何のためにこの世界に来たのか、鈴を知り、誤った意味を知り、景王(であるはず の)由香を助けて連れ帰る、ただそれだけ。

浅野にも浅野なりの葛藤はあった。
そして同時にアニメで突然悪の魅力度アップした昇紘が突然あわてだすところが興味 深かった。
昇紘は後に陽子らに捕まり、無様な姿をさらけ出すことになるのだが、「麒麟が王を 選ぶこの世界を壊す」と悪に徹する姿にそれなりの信念が感じられたので、この辺を どのように修正していくのだろうか。

最後に虎嘯らの前で門が閉まり、鈴が虎嘯を三騅に引き上げた時に思ったこと。
「嫌がれ、三騅」
でもアニメの三騅はとっても素直でちょっとがっかり・・・。(笑)

          ☆          ☆          ☆
今は「犬夜叉」で手一杯ですが、十二アニメの感想がひととおり終わったら、今度は 「十二国記」のDVDを買って、第1話から感想を整理してきちんとした形にしていき たいと思います。
 (2004年4月12日の日記) 

十二国記感想

「十二国記を語る部屋」へ

ホームへもどる