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12月15日 「ダ・ヴィンチ」より小野不由美インタビュー2 |
次は、シリーズの舞台となる異世界は、古代中国を思わせるが、ヒントになった作品や本はあるかとの質問です。 中国風の世界にしたのは、小さいころ「西遊記」が猛烈に好きだったからだと思います。 「西遊記」は私も子供用の本で読んでおもしろかったし、故夏目雅子さんが三蔵法師を演じた「西遊記」も見ましたが、 「なぜ三蔵法師を女優さんが演じているのだろう?」と思った記憶しかなかったり(笑)。 でも上橋菜穂子さんの守り人シリーズが「カタカナ世界」にピタリとはまったように、「十二国記」はやはり漢字じゃないと! とは思いますね。 麒麟が天意に従って王を選ぶという、王と麒麟の関係の着想については あちこちで書いていますが、田中芳樹さんの「銀河英雄伝説」から。 「死なないラインハルトのいる世界」がスタート地点でした。 これは有名な話ですが、実は私、「銀河英雄伝説」は読んだことがありません。 Wikipediaを参照すると、あらすじとしては、遥かな未来、銀河に進出した人類は、皇帝と貴族が支配する銀河帝国と、 帝国から脱出した共和主義の人々が建国した自由惑星同盟に別れて戦っていました。 ラインハルト・フォン・ローエングラムは銀河帝国側の主人公であり、野心的な人物だそうです。 余談になりますが、昔ハマってたゲーム「戦国無双」に登場した毛利元就がヤン・ウェンリー(自由惑星同盟の 主人公)にすごく似ていたと盛り上がっていたなあ、そういえば(笑)。 ただ不老不死にしろ何にしろ、「死なない設定」というのは、ある意味都合の良い設定でもあるので、書く側描く側に とっては難しい設定なんだろうなとは思いました。 さて、「白銀の墟 玄の月」でひとつの区切りがついた「戴」ですが、この構想はいつ頃からできていたのかという質問です。 戴に何が起こって高里が神隠しに遭ったのか、帰還したあとどうなったのかについては、「魔性の子」の時点で 考えていました。 当時は書く予定などなかったし、「・・・・・・だったりして!」というレベルの物だったんですが。 前回も書きましたが、「月の影 影の海」から入って、主役は陽子だった私なので、このコメントには驚かされました。 「華胥の夢」まで読んで「魔性の子」でしたからね。 「十二国記」は華やかな中華ファンタジーであって怖いものではなかった、なのにその後読んだ「魔性の子」は完全に ホラーでした。 あの時の居心地の悪さ、「魔性の子」を私の中の「十二国記」のどこに据えたらいいのか、悩んだことは忘れられません。 ただ、「魔性の子」が出たのは1991年(平成3年)、今から29年前です。 その時点で泰麒の物語ができあがっていたそれも書く予定がなかったのに、というのにもまた驚かされました。 淡々と答えてますが、実は緻密に、丹念に考えていたんだろうなとは思います。 「だったりして!」の「!」がね、全てを表していると思いますよ。 (この項続く) (2020年12月15日の日記)
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2月3日 「ダ・ヴィンチ」より小野不由美インタビュー3 |
次は、質問者の方が、泰麒の成長に感無量となりましたが、小野さん自身は
どう感じていらっしゃるかとの質問です。 読者が「成長した」と感じてくださったのなら、なんとか巧く書けたのかな?と 思います。 物語の中には小野さんの想いがたっぷり詰まっているのでしょうが、小野さんは基本的に 解釈や感想は読者に全てゆだね、御自身はあまり語らないタイプの作家ですよね。 そこが物足りなくもあり、小野さんらしいなと思いもし。 「巧く」という漢字を使うところが小野さんらしいです。 「巧みに書けた」、物書きとしての技術にとてもこだわる方だと作品を読むたびに思います。 次は「白銀の墟 玄の月」は驍宗の行方、泰麒の行動、阿選の真意など、シリーズの中でも ミステリー色が強い作品ですが、これは意図されたものかという質問です。 出自がミステリなので、これ以外の書き方ができないんだと思います・・・・・・。 これは不思議な質問だと思いました。 確かに期間があいたこともあり、上記のような「謎」の部分が読者の中で強く意識されたことは 否定しませんが、そもそも謎のない物語があるでしょうか。 たとえば「月の影 影の海」の陽子の正体、「風の海 迷宮の岸」で泰麒が驍宗を畏れた理由、 謎でした。 でも読者は物語を読んで、答えを知ります。 「白銀のー」も同じです。 ミステリ色が強いと感じるのは、その謎の期間が長かったからでしょう。 でもだからといって私はミステリ色が強いとは感じませんでした。 小野さんにとってもちょっと心外な質問だったんじゃないかな? 次は「白銀のー」の執筆期間に関する質問です。 関係ファイルの一番古いタイムスタンプが2014年(平成26年)になっているので、本腰を入れて 書き始めてから五年ほど。 でも諸般の事情で完全に手が止まっていたリ、他の仕事で離れていた時間もあったとのことです。 これはちょっと意外でした。 「黄昏の岸 曉の天」が2001年(平成13年)に出ているので、その時からという事で、18年くらいという 答えになるかと思ってました。 思い込みって怖いですね(笑)。 ずっと書きたくて書きたくて書きたくて、でもいろんな事情で書けなかったのかな?と さらに怖い思い込みもありました。 (この項続く) (2021年2月3日の日記)
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2月18日 「ダ・ヴィンチ」より小野不由美インタビュー4 |
執筆中の思い出やエピソードについて質問です。
電話のない世界なので、タイムテーブルの管理がややこしかったです。 あと、近年とみに記憶力が衰えているので、登場人物の名前が覚えられず・・・・・・。 ぜったい読者の方々のほうがよく覚えておられると思います。 読者ってすごい。 ここを読んだ時は笑ってしまいました。 クールなイメージの小野さんの率直な読者賞賛! 読者の想いが長い長い間届き続けていたんですね。 時にはプレッシャーになっていたかもしれませんが。 次は第1巻81ページ掲載の「希望を捨てるな」が物語のひとつのテーマであり、読者への メッセージのような気がするのですが、いかがでしょうかという質問です。 作品をどう読むか、何をメッセージとして読み取るかは読者に任せるべきことだと思います。 まさにその通りで、優れた作品であればあるほど読者に押し付けるのではなく、読者にゆだねる、 そんなものだと思います。 私も作者の想いをやテーマを高らかに主張するよりも、行間に感じさせてくれる物語が好きです。 「白銀の墟 玄の月」の山田章博さんの描かれた泰麒のイラストを見ての感想は?という質問です。 1巻の表紙を拝見して、「こんなに立派になって」と。 本当に「こんなに立派になって」と、感嘆しつつ寂しい気持ちがありました。 本音を言えば、ちび泰麒のままでいて欲しかったり・・・。 (この項続く) (2021年2月18日の日記)
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2月22日 「ダ・ヴィンチ」より小野不由美インタビュー5 |
★「白銀の墟 玄の月」に関してネタバレを含みます。
物語を書き終えての気持ちです。 やっと約束を果たせた、という気分がしています。 おそらくですが、「十二国記」を書いていない時でも常に意識されていたんだろうなあと思います。 書きたい気持ちや焦りや、そんな諸々が積み重なっての長い時間だったのではないでしょうか。 待つ側にとっても長かったけれども・・・。 最新作として刊行予定の短編集に関してです。 「白銀の墟 玄の月」に入りきらなかった話を纏めようと思っています。 「白銀の墟 玄の月」を買われた方、もう無料プレゼントの1話目は読まれましたか? 私はまとめて一気に読みたいので、あえて読んでいません。 なので1話目の内容も知りませんが、「私の十二国記」の登場人物たちにたくさん出て欲しいと 願っています。 今後「十二国記」シリーズはどちらに向かうのかという質問です。 始めたときに撒いたものは回収し終えたので、今後のことは未定です。 いやいや回収してないから!と思わず心の中で叫んでしまいました。 始めたときに撒いたものは回収できたかもしれませんが、百歩譲って漣や才の主従の出会いや 過去は我慢しましょう。 でも、 ・十二の国が協力し合うことを考え始めた、また、この世界に疑問を持ち始めた陽子の挑戦。 ・柳、範、芳、巧の今後。 ・舜の内情。 などまだまだ撒かれただけで芽生えてない種子はたくさんありますよ。 比較的書かれた恭や奏も読みたいし。 短編集には当然?慶、雁、戴は登場するでしょうが、やっぱり連や才も絡んで欲しいし。 あくまでも未定であって終了ではないことに希望を持ちたいです。 コロナ渦の中での生活についての質問です。 もともと用がない限り家から出ない、家族以外にはほとんど会わない生活なので、まったくなんの変化もありませんでした。 それはちょっと心配です。 とにかく体を大切に、運動もたくさんしないと、って余計なお世話ですね。 でもけっこう体調を崩されることが多いようなので、根を詰め過ぎずに健康に留意して頂きたいです。 最後にファンに対するメッセージです。 とにかく、長い空白にもかかわらず、お待ちくださっていた読者のみなさんには感謝の言葉もありません。 丸写しするのは気が引けるので、要点をまとめると1巻2巻の発売日は首都圏が台風に見舞われ、大変でしたが、 その影響を受けて様々な対応をされた書店、読者の皆様への感謝でした。 たしかにあの日は荒れました。 でもそれもすでに遠い記憶となってしまいました。 さて、「白銀の墟 玄の月」を読んでの改めて感想を書こうと思いましたが、どこまで書いていいのか、そもそも感想があるのか、 実は自分でもよくわかっていません。 読む前は驍宗の救出、泰麒との再会、戴の復活を勝手にイメージしてじんわりしてた時期もありました。 けれども実際に読んでみて、何て言うのかな、研ぎ澄まされた緊張感の中にあったような気がします。 新しく登場した人物や用語の難しさももちろんありますが、それだけではない、登場人物への共感よりもその厳しさ、 泰麒の厳しさに李斎と一緒に置いてきぼりにされたような・・・。 気づいてみれば驍宗は自ら脱出し、阿選らを倒して泰麒と驍宗も再会し、戴も復活はしていないものの、王も麒麟も戻りました。 私が泣けたのは飛燕の死と最後に六太が出て来たところ。 「私の十二国記」でした。 今回のインタビューをきっかけに、もう一度今度はじっくりと読んでみようと思います。 そしてがっつり感想が書けるのはやっぱり短編集もひととおり出てからかな?と思います。 (2021年2月22日の日記)
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6月28日 芸術新潮「十二国記絵師 山田章博の世界」 |
私が「十二国記」を知ったのは、「犬夜叉」ファンサイトを立ち上げて、そこで知り合った方に
教えて頂いた時だったように思います。 だから、すでに「華胥の幽夢」まで出ていて、一気読みできるという至福の時を過ごしました。 それが山田先生のイラストが掲載されたホワイトハート文庫だったか、イラストのない講談社 文庫だったか、それとも混ざっていたのかはっきり覚えていませんが。 ただ山田先生のイラストは、宮部みゆき著「ドリームバスター」で知っていたような気がします。 でもその時はそれほど挿絵に思い入れなく読んでいたような・・・(遠い記憶)。 私が本気で好きになったのは、アニメ「十二国記」を見た時だったかもしれません。 そして今年が「十二国記」30周年記念ということで、この「芸術新潮」始め、画集とガイドブック、 2023年のカレンダーの発売が決定しています。 嬉しいですね、さらに新作があればさらに嬉しいのですが(笑)。 さて「芸術新潮」、印象的な表紙です。 陽子の横顔なのですが、流れるような赤い長い髪が、書店でもとても目立っていました。 そして陽子は身体的に成長することはないのですが、その横顔がとても大人っぽくなっています。 様々な困難を乗り越え、精神的に成長した大人の陽子の横顔です。 本当に綺麗。 最大の見どころは当然A4サイズのカラーイラスト。 「十二国記」を最後に読んだのは、3年前に「白銀の墟 玄の月」を読む前に、「魔性の子」から 「丕緒の鳥」まで読み返した時。 それだけにたくさんのイラストが懐かしいです。 次はイラストに関する小野先生へのインタビュー。 小野先生が「緊張のあまり何も覚えてない」とおっしゃるのが凄いですね。 楽俊が1回きりの登場の予定が、山田先生のイラスト見たさに続投決定の話は初めて知りました。 楽俊好きの私には嬉しいエピソードです。 次は表紙の陽子の絵ができるまでの密着取材。 絵とは縁のない私なので、専門用語はわからないのですが、とにかく繊細で細かいところまでこだわって 描くのが素晴らしく、もうため息をつくことしかできません。 これまでの十二国記絵の中で、一番好きかも。 そして初心者のための十二国記ガイドと続きます。 次は山田先生のインタビュー。 初対面の時の小野先生の印象は、小さくてかわいい、そしておしゃべりだったそうです(笑)。 でも書いている作品が「魔性の子」。 このギャップに魅力的だったでしょうね。 他にも漫画作品を手掛けている山田先生ですが、残念ながら私は読んだことがありません。 「十二国記」以外で印象的だったのが、ゲーム「無双OROCHI2 Ultimate」で山田先生が キャラクターデザインを担当された「玉藻前」「応龍」「九尾の狐」「渾沌」「哪?」が登場したことです。 特に玉藻前と九尾の狐(人型)の妖艶な美しさが際立っていました。 「無双OROCHI」は3作出ていますが、私はこの「無双OROCHI2 Ultimate」がキャラが賑やかで一番好きでした。 でも素晴らしい絵を描かれるなんて羨ましいなあといつも思っていますが、インタビューを読むと、 仕事のために大変な苦労をされていて、それはそれで頭の下がる思いがしました。 その他の記事では、山田先生以外の装画・挿絵に関して印象的な画家として、横溝正史シリーズを手掛けた 杉本一文先生も紹介されており、「犬神家の一族」の表紙がカラーで(しかも大きなサイズで)見ることができました。 美しい装丁、表紙、装画で好きな作品はたくさんありますが、私にとってはやはり山田章博、 杉本一文両氏かと思います。 なお、「十二国記」30周年記念ガイドブックは8月25日、「十二国記」画集第二集「青陽の曲」は9月15日発売です。 キャラクター人気投票結果も興味深かったです。 詳しくは「こちら」 (2022年6月28日の日記)
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9月1日 十二国記ガイドブック(一) 小野不由美インタビュー |
正直言って『営繕かるかや怪異譚』は書かれているのに、どうして『十二国記』は書いて下さらないのだろうと、
ずっと思っていました。 その答えがこのインタビューにあります。 ☆ ☆ ☆ 『白銀の墟 玄の月』の追い込みをしているときに、別のホラーの短編を並行して書いていたのですが、そちらの 作品ではポストを”ポスト”とそのまま書ける!幸せー!と。 ☆ ☆ ☆ 一番インパクトのある言葉でした。 十二国記の物語を紡ぐためには、まずその世界を設定しなければならない、その大変さ。 ストーリーがどうこう以前の問題なのです。 もうひたすら小野先生に謝るしかありません。 我がまま言ってごめんなさい。 「十二国記」に具体的な食事のシーンが少ないのにも理由がありました。 アニメで出て来た円卓に蒸しパンや麻婆豆腐っぽいお料理が並んでいるカット、ゲームでもやたら出て来ておいしそうだった 記憶がありますが、陽子が見るからこそ「蒸しパン」のような物と表現できるのです。 普通に中華料理の饅頭(マントウ)のようなと書いてしまうと、それは正しいイメージではなくなる。 なので向こうで具体的な料理が出せるのは陽子と泰麒が出て来る時だけ。 彼らに「蒸しパン」のような物と語らせることによって、初めて正しいイメージが表現できる。 尚隆だと時代が違って中華に馴染みはないだろうし、でも陽子も泰麒もグルメが似合わないし。 なるほど〜と笑いながら納得。 とにかくインタビュアーの方が上手で昔から小野作品に関わっている編集の方なのかな?内情に詳しいので 本当に読みごたえがあります。 そういえば楽俊が出してくれた酒に漬けた桃を、砂糖で煮たのもおいしそうだったなあ・・・。 もうひとつ驚いたのは、第1作『魔性の子』の時点でこれだけの世界観が出来上がっており、含みを持たせた終わり方になっており、 そして「十二国記」に続いたその見事さです。 私は本当に「十二国記」に関しては(当時)新参者で、『月の影 影の海』から『華胥の夢』まで一気に読めたある意味幸せ者です。 『月の影 影の海』『風の万里 黎明の空』『黄昏の岸 暁の天』『図南の翼』までを涙ボロボロこぼしながら一気に読んだあの数日の 感動は忘れられません。 なぜか『東の海神 西の滄海』の存在に気づかず飛ばしてたり、読む順番が刊行順と違ったりしてますが、そんなことはどうでもいいのです。 とにかく「十二国記」の世界にどっぷり浸かった至福の一時でした。 そして私もまた忍従者の仲間入りを果たしたのでした。 (2022年9月1日の日記)
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9月7日 十二国記30周年記念ガイドブック(二) |
私は夢を見る この本の文の全てが小野不由美によって書かれていたら この本の絵の全てが山田章博によって描かれていたら 無理だとわかっていて それでも夢見てしまう ってちょっと大げさに書いてしまいました(笑)。 インターネットがなかった時代、他の人の感想も考察もお金を出して買って読むものでした。 けれども現在私達は、ネットで熱い感想も深い考察も詳しい解説も、(ほぼ)無料でいくらでも読むことができます。 特に「十二国記」は内容の深さ、人気の高さ、そして待ち時間の長さにおいて特筆すべきものがあります。 私も、何年も何年もいろいろなブログやサイトを巡って読みまくって新作が読めない渇きを癒してきました。 そんな読者は多いのではないかと思います。 そんな時代に「十二国記」に限らずですが、ガイドブックで、お金を払って、他の方の感想や思いを読む意味って 何だろうって考えてしまいました。 もちろん用語解説や年表、世界観や設定説明はわかります。 誰もが「十二国記」を知り尽くしているわけではない。 実際私も今回初めて知った設定がいくつかありました。 でもガイドブックに想いを書くなら、ただ愛を語るのではなくプロとして納得させるものであって欲しいと思いました。 そして読み始めた萩尾望都先生の文章に、そんな私の傲慢な考えは吹っ飛びました。 他にはずいぶん軽いなあと思うものもありましたが、これはガイドブックのために書かれた文章ではなく、以前書かれたものの 再録なんですね。 「yom yom」掲載の文章などは、文字数が限られているのが残念です。 我がまま言えば、改めて書き直して頂きたかったなあと思います。 畠山恵先生、冲方丁先生等々、書きたいことはもっともっとあったんじゃないかなあ。 あとはやはり編集者の方々の裏話がおもしろかったのですが、その感想はまた次回。 それにしても「十二国記」って「まだ」30周年なんですね。 私は「十二国記」を知ったのが20年前くらいだと思うのですが、それでも軽く5,60年くらい待ってる気がします(笑)。 (さすがにそれほど生きてませんが。) リアルタイムで読んでた方の待ち遠しさ、とても想像ができません・・・。 (2022年9月7日の日記)
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9月13日 十二国記30周年記念ガイドブック(三) |
この本の嬉しさは、目次から54ページの世界地図に至るまで、全てのページに山田章博先生のイラストが
掲載されていること。 もちろんこれまで本に掲載されたものばかりですが、特にカラーで描かれたイラストが綺麗。 解説を読みつつイラストを見ていると、そのイラストが掲載された本を読んだ時の感想や、その頃の 出来事すらも思い浮かんできます。 私が一番好きなのは、李斎だなあ、やっぱり。 初登場時の毅然とした強さと優しさ、おもしろさ(笑)。 素晴らしい人物だけど、王ではない、と思わせる描写の見事さ。 どんなに惨めな境遇に落ちても国を思い、泰麒を思い、王を思い、命を懸けるその潔さ。 思いの強さゆえに大切なことを見失い、苦しむその人間臭さ。 完璧でないゆえに、人間臭いゆえに、こんなに惹かれるのでしょうか。 李斎は意識していないかもしれませんが、やはり戴を救ったのは李斎だったと今更にして思うのです。 ああ懐かしいなあ、更夜や利広、頑丘、鴨世卓の廉麟の漣国主従。 そしてイラストのない櫨先新や宗麟などが悲しい。 何よりパソコンが新しくなって十二国記用語を全部登録し直さなければならないことが悲しい。 それはともかく、「誰が何と言おうと!」全ての国を書いて欲しい!全てのキャラを描いて欲しい!そう思わずにはいられないのです。 コラムの中では、「『魔性の子』をいつ読むか?」が興味深かったです。 私は『魔性の子』の存在をずっと知らなくて、「華胥の夢」まで読んで、それから読んだので、悪い意味で衝撃的でした。 コラムでは「魔性の子」を先に読んでも後で読んでもどちらでも、と書いてありますが、やはりこれは先に読むべき作品です。 そして十二国記をある程度(せめて「黄昏の岸 暁の天」まで)読んでから、もう一度読むべき作品です。 ああ熱い十二国記ファンは、新しいパソコンを買うたびに、十二国記用語をちゃんと登録し直すんだろうなあ・・・。 ここまで、いちいち単語登録しながら下書き書いてたら、軽く1時間かかってしまいました。 余談になりますが特別エッセイの鈴村健一さん。 アニメを見たのが昔過ぎて、今では楽俊というより沖田総悟。 あまりに正反対なキャラで楽俊に戻るのが難しい・・・。 (2022年9月13日の日記)
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9月28日 営繕かるかや怪異譚その参 |
★物語に関してネタバレ含みます。 ホラーというより怪異。 小野作品には珍しく、明るく解決する怪異。 ダイレクトな怖さではなく雰囲気。 ・「待ち伏せの岩」 読後感がちょっと中途半端。 余韻を残すというより、ここはもう少し進んで欲しかったと思います。 ・「火焔」 怖いのは怪異より人。 気持ちがそちらの方に・・・。 ・「歪む家」 ここから一気に読むスピードが上がりました。 元々ドールハウスとかミニチュア物が好きです。 自分で作るほど器用じゃないし、作ったところで置く場所もないけど見るのが好き。 それだけに具体的な怪異が怖かったです。 それにしても、主人公周りはみんないい人ですね。 (害を与える人物はいるけど) それがほのかな怪異にほんわか暖かい結末を与えてくれるのだと思います。 ・「誰が袖」 今回の中では印象の薄い物語ですが、最後の物を大事にする感覚がいい後味。 ・「骸の浜」 ジェットコースターが急降下したようなおもしろさで一気読み。 なんとなく「ゴーストハント」を思い出しました。 とても現実的な怖さでもあります。 初めて涙が出ました。 ・「茨姫」 子供の頃読んだ「秘密の花園」を思い出しました。 今回一番好き。 怖いだけじゃない仲直りの、余韻が最高です。 ただ尾端さんがもっと活躍して欲しいな、好きなので。 表紙が一番目立ってるのはちょっと寂しい。 尾端さん目線だとまた違った物語になるので、もうちょっとだけ出番を増やしてほしいです。 今からその四が楽しみです。 とりあえずまた最初から読み返します。 (2022年9月28日の日記)
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10月3日 漂舶 |
★物語に関してネタバレあるかも? 遂に読めました、「漂舶」。 感じたのは読みやすさと懐かしさと「私の十二国記が帰って来た」という思い。 Wikipediaによれば、時系列では「東の海神 西の滄海」に次ぐ2番目。 六太が尚隆を雁国の王として迎え、その後斡由が登場するのが「東の海神―」。 「漂舶」はその後、斡由の乱が落ち着いて、尚隆と六太がいかにして臣下の 厳しい目をかいくぐって脱走を図るか、というお話です(笑)。 もちろんそんなギャグみたいな話で終わるわけはなく、後半は尚隆の斡由に対する 思いが描かれます。 作品としては1997年(平成9年)に書かれているわけですから、「白銀の墟 玄の月」 よりはるか前です。 私が好きなのは、この時代の作品の柔らかさです。 小野先生にしてみれば、それが「未熟」なのでしょうか。 内容は厳しい、でもちゃんと笑いどころがあり人でいうなら尚隆。 「白銀の墟 玄の月」は隙がなくて、驍宗のよう。 そして尚隆は斡由と、驍宗は阿選と相対します。 驍宗が消え、泰麒が襲われた時点で(つまり「白銀の墟 玄の月」)が出る前)は、なぜ 同じようなコンセプトの作品が出たんだろうと不思議でした。 「白銀の墟 玄の月」を読んだ後では、斡由と阿選では全く立場も思想も異なることがわかるのですが、 一言でいうと斡由はわかりやすい。 だから尚隆が斡由に感情移入するのも理解できました。 でも驍宗と阿選の関係は、「白銀の墟 玄の月」を読み終えてなおよくわかりません。 漠然とした感想や考察はありますが、うまくまとまらない・・・。 「漂舶」を読み終えて、もう一度「白銀の墟 玄の月」を読んでみようと思います。 さて、これで幻の短編「漂舶」が出たわけですから、次は「中庭同盟」ですね! 小野先生には拒否されそうですが、こちらも是非リライトで。 「ゴーストハント」ファンなら必読の書ですから。 特に綾子が好きな方はさらに好きに、興味のない方は綾子好きになること請け合いな 逸品があります。 (2022年10月5日の日記)
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10月11日 「十二国記」の30年史(一) |
編集者の鈴木真弓さんのインタビュー。 熱い思いがほとばしるようなものではなくて、淡々とした冷静な語り口にまず驚きました。 でも内容は濃く深い。 「私はもともと編集者志望というわけではなくて」の言葉が鈴木さんの深さを表しているように思います。 担当している方をファンの立場で熱く語る編集者が多い中、鈴木さんのインタビューはとても斬新に感じました。 もうひとつ驚いた私の大きな勘違い。 これまで小野先生のインタビューなど読んできたにもかかわらず、私は悪霊シリーズを小野先生がティーンズ世代と いうのと大袈裟ですが、かなり若い段階で書かれていたと思い込んでいたのです。 私が大好きな漫画家の高橋留美子先生や青池保子先生などが学生デビューしているのとごっちゃにしてました。 同じ世代なのにクールで精神が大人な小野先生が、甘々な少女小説を書くのが嫌でホラーに走ったとばかり・・・。 なんでしょうね、この勘違い。 今回、綾辻行人先生のデビュー作「十各館の殺人」に関わっていた頃、綾辻先生の「配偶者である」小野先生に何度も会って いて、それがきっかけで執筆を依頼とのエピソードにもうびっくり。 小野先生、20代後半でバースディ・イブは眠れない」でデビュー、悪霊シリーズは当然その後です。 このインタビューで軽く触れていますが、悪霊シリーズまでが女子中学生をターゲットとしたティーンズハート。 高校生・大学生から20代まで対象を広げたホワイトハートから十二国記が始まります。 「TH(ティーンズハート)の中でも小野さんの作品は異色でしたが、それでもジュニア向け文庫という制約は ありましたから、それに合わせてくださっていた。 しかし『魔性の子』は全くタッチが違う。 ハイブロウだし、一般向けに書かれた作品になっていて、存分に筆を振るっておられるのがわかりました。」 ハイブロウとは、知的で趣味が良くて高級であることだそうです、なるほど。 確かに悪霊シリーズも怖かったですが、麻衣の語り口による文体は私はむしろ苦手で、漫画の方が読みやすかった 記憶があります。 リライト版は何度も読み返しましたが。 「魔性の子」は後に続く「月の影 影の海」などよりもずっとホラーしてました。 あの雰囲気で十二国記が続いていたらここまで人気が爆発しなかったのではないかと思っています。 「魔性の子」のとことんリアルなインパクト、そしてそれに続く美形揃いの美しい世界で広げられる、でも内容は やはり相当きつい。 後で、「月の影 影の海」の前半で挫折した人が多かったことを知りました。 さもありなん、陽子の葛藤があまりに現実的でファンタジーの世界で繰り広げられるようなものではない、あまりに身近。 それだけに読み切った時のカタルシスが凄いんですけどね。 と書きつつ、十二国記シリーズをだいぶ読み進めてから「魔性の子」の存在を知った時の絶望感ときたら・・・。 あの時のショックは未だに忘れませんね。 これから十二国記を読む方は、「魔性の子」から読むべきです、絶対。 (2022年10月11日の日記)
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4月15日 「十二国記」アニメ設定画集(一) |
はっきり覚えてはいないのですが、私は「十二国記」を最初はイラストなしの講談社文庫版で読んでいたので、
山田先生の絵を見るのは、アニメが最初だったような気がします。 なのでしっかりした線と、べったり塗られた色が印象に残っているのですが、それでも陽子をはじめキャラのイメージ、 さらに人物だけでなく、麒麟や使令、妖魔、女怪などもあまりに素晴らしくて驚きました。 強いてあげれば、六太や冗祐には別の意味でびっくりしたかな? この本が出ると知った時、私は「アニメ設定画集」なので、小説の挿絵ではなく、アニメの公式サイトキャラクター紹介などに掲載される はっきりした絵の方の本かと思っていました。 だからそれほど興味がなかったのですが、山田先生自身が「端書」に 「パッケージ絵はともかくキャラクター原案はあくまでも制作のための検討素材で、資料集というのでもなければ広く一般に披露するものではない」と 書かれてあり、俄然興味が湧いてきました。 アニメ絵でもなく、挿絵でもない原案。 当時は公式サイトなど見に行ったりしなかったので、ほとんど見てないはずの絵。 楽しみです。 そしてやはり端書に登場するのが昇紘と月渓。 アニメは昔の作品ではありますが、山田先生がネタバレを避けているので、ここでも触れません。 ただ、昇紘は小説とアニメとでは別人物と言って良く、アニメで初登場の月渓は、山田先生の意識が強く反映されています。 解釈の違いを、御自身は「罪」と思われているようですが、そんなことは当時も今も微塵も感じませんでした。 その後、画集が始まりますが、なるほど「DVD」のパッケージが続きます。 私は録画と配信ばかりでDVDもBDも買っていないので久々に見ましたが、知らない絵ではないです。 特に陽子のボロボロのセーラー服や、蒼猿の人間ぽい見た目が印象に残っています。 あと挿絵にも共通していますが、尚隆のかっこよさと仙子のインパクトは凄かった。 でも桓魋はアニメの方が好きかな?松本保典さんだったし(笑)。 次に掲載されているのは小野不由美先生の言葉です。 脚本は會川昇先生、キャラクターは山田先生で、とお願いされたとの事。 「會川昇」の名前に当時の記憶が蘇りました。 陽子の独白ではアニメとして成立しないためとの理由でオリジナル設定で共に十二国記の世界に渡った杉本優香と浅野郁也。 2人の設定というより、展開が馴染めなくて、当時出たアニメ脚本集も言い訳にしか思えなかった記憶が・・・。 今配信でアニメを見返していますが、やはり受け付けないのは、2人が十二国記の世界に渡ったことではなく、2人の使い方だなと 改めて思いながら見ています。 次がこの画集のメインと言える、設定画です。 (2024年4月15日の日記)
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5月7日 「十二国記」アニメ設定画集(二) |
設定画を見て誰もが一番驚いたのが、陽子の下着姿ではないでしょうか? はい、私もです(笑)。 思わず「アニメにあったっけ?」と記憶をたどったほど。 でもコメントを見ると、十二国記の世界に来る前のふっくらした体形と、その後の苦労を重ねて スリムになった体形の比較でした、描き分けがすごい。 実際アニメで陽子に服装以外にそれほどの変化があったのでしょうか、全く気づきませんでした。 あと私服やパジャマが可愛いです。 でも陽子のお父さんだと、ノースリーブもNGそうです。 次に印象に残ったのが昇紘。 アニメではスタイリッシュな極悪おじさんで、斡由や驍宗と被ってるような気もしましたが、 設定画ではでっぷり太って 「一寸見、大物そうに見えますが、叩けば金と女性のスキャンダルが出て来る政治家タイプ。」 「不正が発覚すると、『お手向い致す!』とか言って抜刀しながら心臓発作とか興しそう。 美味いもん食い過ぎ。」とか好き放題書いてます。 あと、出番の少ないキャラも丁寧に描かれていて、アニメの続編出ないのが本当にもったいないですね。 主役の陽子が云々とか、まだ完結していない云々など、理由はいろいろあるようですが、むしろ「図南の翼」は 作りやすいと思うんですよね、同行のオリキャラも必要ないし。 アニメ配信、音楽と声優さん、ストーリーは本当に好きなんですが、どうしても浅野と杉本が気になって流し見に なってしまいます。 設定画、素敵でしたがもっと妖魔や女怪も見たかったです。 あと楽俊がちょっと生々しかったかな? (2024年5月7日の日記)
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5月14日 「十二国記」アニメ設定画集(三) |
アニメ「十二国記」の脚本を書かれたのは會川昇氏。 アニメのオリジナル展開に納得できず、納得するためにアニメ脚本集全5巻を買ったものの、読んでも 納得できず、の当時の熱い、そして頭の固い自分をどうしても思い出してしまうお名前です(笑)。 アニメ「十二国記」はいくつかの短編を挟んで、陽子が虚海を渡り、王になるまでを描く「月の影 影の海」、 やはり本当は十二国の世界の住人だった胎果の麒麟・泰麒の物語「風の海 迷宮の岸」、王になってからの陽子と 2人の少女が出会う「風の万里 黎明の空」、そして尚隆と六太の過去を描いた「東の海神 西の滄海」が制作 されました。 その後、泰麒ばかりか驍宗まで行方不明となり、李斎が陽子の元に救いを求めてやって来るのが「黄昏の岸 曉の天」 です。 泰麒は何とか戻って来たものの、周りの助けを借りず、李斎と2人旅立ってしまいます。 この後どうなるかが明かされていなかったので、會川氏は続編が出るのを待ち、アニメ化する気持ちはあったようです。 でも実際に続編が出て結末が明かされたのはそれから18年後! 作品内では6年しかたっていないのですが、現実世界では18年も待ち続けなければなりませんでした。 そしてこれを今アニメ化できるかと問われれば、會川氏ではなくても無理と思えるのではないでしょうか。 当時の「十二国記」とは、何と言えばいいのかな、変わりました。 私は以前感想で「進化・深化」と書きましたが、誤解なく受け取って頂きたいのですが、ポップスからクラシックにジャンル替え したような変化を感じたのです。 どちらが良い悪いとか、どちらか上か下かでなく、全く別物の世界。 アニメ化するなら、私はむしろ「図南の翼」をアニメ化して欲しい。 陽子が主役でないから、という理由でアニメにならなかったようですが、珠晶という人物は出番の少ないアニメの中でも 強烈な印象を残しています。 やはりアニメ化するなら当時の作品を、と思っている読者は少なくないと思います。 (余談ですが、私は「東亰異聞」をアニメ化して欲しいと切望しています。) 會川氏が「オリジナルで完結編を書くようにと内々の話もあり」と書かれており、結果的に書かずにいて下さったことには 感謝の気持ちしかありません。 (2024年5月14日の日記)
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5月24日 「十二国記」アニメ設定画集(四) |
會川氏のおぼえがきでもうひとつ、興味深かったのがキャスティングに関してです。 私はドラマCDを聞いたことはないのですが、キャストをざっと見たところ、アニメとほとんど同じかな? 一番驚いたのが、山口勝平さんが楽俊候補だったこと。 先行していたドラマCDには楽俊は出ていなかったのですね。 アニメは複数の役をこなす声優さんが多くて、特に芥瑚と李斎の進藤尚美さんや、達姐と玉葉の津田匠子さんは 印象に残っています。 男性では何といっても重朔、浅野郁也、傲濫の三役をこなした上田祐司(うえだゆうじ)さん。 でも今となっては楽俊は鈴村健一さん以外考えられません。 私は鈴村さんを初めて聞いたのがのほほんとした楽俊だったので、後に「銀魂」で沖田総悟を聞いて そのかっこ良さにびっくりしました。 当時の犬友(犬夜叉ファン友達)に、「鈴村さんはかっこいいのが普通だよ。」と言われたことをまだ覚えています(笑)。 当時の鈴村さんが声優さんとしてどういった立ち位置だったのかはわかりませんが、オーディションに参加されたのですね。 ちなみに山口さんは六太の他に冬官長を担当されました。 次に出るのが景王陽子の久川綾さん。 「月の影 影の海」は小説はあまりに陽子が可哀そうで読むのが辛い、アニメはあまりに陽子がうるさくて見るのが辛いと 感じた時期もありました。 でもそれだけに、本当の意味での王となった時の凛とした陽子の声は本当にかっこ良かった。 オーディションで、初期の陽子しか演じきれない役者さん(會川氏は声優さんでなく、役者さんと書かれています)が多い中、 久川さんは「やがて景王になるであろう強さを内に秘めながら今はまだそれに自身も気づいていない」陽子だったのだそうです。 次に登場するのが李斎の進藤尚美さん。 「月の影 影の海」では陽子を十二国記の世界に連れて行く芥瑚で出番は少なかったですが、「風の海 迷宮の岸」での李斎は 柔らかさの中に鋼の強さを秘めた大人の女性。 李斎が傷つき、それでも戴のために命をかける「黄昏の月 暁の天」はこれからでも遅くはない、アニメ化して欲しい作品です。 そして珠晶の山崎和佳奈さん。 彼女もまたキャスティングが難航したキャラだそうです。 まあ「図南の翼」を知らなければ、子供のくせに、とか暴君に見えてもおかしくない。 でも山崎さんの声と演技の可愛らしさで、見た目はこんなだけど、本当は・・・という見えない部分の深さ豊かさが表現されて いたと思います。 やはり「図南の翼」、アニメで見たいです。 (2024年5月24日の日記)
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6月6日 「十二国記」アニメ設定画集(五) |
今回は製作スタッフの本間道幸氏と押切万耀氏のインタビュー。 こちらは初めて知る話が多くておもしろかったです。 特に気になるところをあげて、みるとやはりオリキャラについての部分。 (本間)「オリジナルキャラクターは、原作で表現されているもののうち、アニメでは表現しきれない 内面の表現などを保管する役割を果たしていました。」 (押切)「アニメを作る側としては、オリジナルキャラクターも一緒に異世界に行かせた、というのは 會川さんのナイスアイデアだと思いました。 (中略) 今でもオリジナルキャラについては様々な意見があるのは知っていますが、あれは小野さんと會川さんの 互いへの深い信頼によるものだと思っています。」 とても納得できるコメントでした。 そこにアニメを見る側の意見を付け加えさせて頂くと 「オリキャラやオリジナル設定に反対しているわけではないです。 そもそも浅野も杉本もオリキャラではありません。 だから陽子の葛藤の受け止め役として異世界に同行するのは納得できます。 でもあまりにも物語の世界に深く関わり過ぎたように思いました。 前半は異世界における陽子の葛藤がメインで、読む方も苦しくなるほどなのですが、浅野を巡る関係や、 陽子に敵意を抱く杉本の存在感が強すぎて、陽子が過酷な運命以前に、浅野や杉本に振り回されている感が強く、 誰が主役かわからない展開になってしまったのが辛かったのです。 せっかく出したのだからと、しっかりした役割を与え、きっちりまとめて下さったのが 結局良かったのか悪かったのか・・・。 音楽に関しては、梁邦彦氏の「十二幻夢曲」、今でも時々BGMで聴きます。 インストゥルメンタルのOP曲はアニメでは初めてというのは知りませんでした。 そういえば同じ小野作品の「ゴーストハント」もそうですよね。 OP、EDともに好きな曲です。 山田氏の画に関してもたくさん語られていましたが、小松尚隆だった頃、性格的に鎧はつけなかったのでは?と 判断された話や楽俊の大きさに関するコメントはおもしろかったです。 アニメの楽俊はちょっと大きすぎたようです(笑)。 一番共感したのが、本間氏の「図南の翼も、その先も、最後まで観たかったなあ。」でした、本当に。 実はその前に「會川さんの脚本で」とあるのにはちょっとためらいましたが、「図南の翼」はオリジナル要素を 入れる必要はなさそうですもんね。 ほとんど2人旅、仲間もどんどん増えて行くし。 作って欲しいです、本当に。 (2024年6月6日の日記)
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6月12日 「十二国記」アニメ設定画集(六) |
今回は陽子役の久川綾さん。 当時は「犬夜叉」登場声優さんくらいしか知らない状態だったので、久川さんの声を聞くのは 初めてでした。 その後もいろいろな作品を見る方ではないので、久川さんの声で印象に残っているのはアニメ「魍魎の匣」 の柚木陽子くらいでしょうか。 でもこのダブル陽子、どちらもとても素敵で強く印象に残っています。 運命に翻弄されながらも芯の強い女性(少女)。 とても柔らかい女性的な声で、時にかっこいい。 大好きな声優さんの1人です。 陽子は久川さん以外考えられない!と私が思う久川さんですが、最初は祥瓊に応募したとか。 祥瓊は桑島法子さん、やはり女性らしく、かつ芯の強い女性を演じるのにぴったりな方です。 確かに陽子と祥瓊、久川さんと桑島さんが役を交代してもおかしくないかなあと感じます。 そんな中、久川さんは陽子のように何も知らない状態で、十二国記の世界で学んでいく役。 難しかったろうなあと思いきや 「むしろ、元々の十二国の世界の住民役や、胎果じゃない王や麒麟役の先輩方の方が、十二国の世界の すべてを知っている前提で演じなければならないので、さぞ大変だったろうと思いました。」 には、なるほどと思いました。 原作の世界設定を読み取るのも大変でしたが、蒼猿役の岡野浩介さんが、解説資料を印刷して持って来てくれたそうです。 蒼猿は十二国の世界でも陽子のサポート役でしたが、あちらはかなりいじめっ子。 現実の岡野さんはとても優しい方なんですね。 ちなみに岡野さんは、少年版泰麒こと高里要や班渠も担当されました。 かっこ良かったなあ、班渠。 特にゲームの班渠。 久川さんが大好きなのは鈴村健一さんの楽俊と松本保典さんの桓魋、半獣好きをアピールでした(笑)。 松本さんがアフレコの合間に「ハチミツをくれ〜」と言ってたエピソードを披露。 プーさんかい!と突っ込み入れたのは私だけではないはず。 景麒役の子安武人さんも景麒は真面目なのに、子安さんはとにかく笑わせてくれるムードメーカーというのに納得。 私の中で子安さんは常に「戦国BASARA」の猿飛佐助です。 他にも小野先生、音響監督の柏倉ツトムさん、山田章博さんに関するコメント、原作の感想など盛りだくさんで 読み応えありました。 (2024年6月12日の日記)
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6月18日 「十二国記」アニメ設定画集(七) |
今回は楽俊役の鈴村健一さんと高里要・蒼猿・班渠を演じる岡野浩介さん。 まず鈴村さんですが、アニメやゲームを語る割に見る作品は少ない私にとって、鈴村さんと言えば楽俊と 「銀魂」の沖田総悟です。 のんびりまったりおっとりの楽俊の後、沖田総悟を見た時は、あまりの変わりっぷりにびっくりしました。 印象に残ったのは、「ネズミの姿の時と人間の時とどう演じ分けるんだろうか」の部分。 でも「楽俊にとって獣の姿でいることはなんら特別なことではないのだなと分かり」、いわゆる 「動物のキャラクターっぽい声の作り方ではなく、ベースラインは人間であるということを意識して」 「多少のネズミ感は出しますがー(中略)−獣感を出さずに」 ネズミ感は出すけど獣感は出さずに、何となくですがわかる気がします。 (獣感と書くと、匂いのイメージが・・・、うん、ない方がいい、笑) 今配信でアニメ「十二国記」を見直していますが、まだ人間楽俊が出て来ないので違いはわかりませんが、 楽俊と言えば感じる「のんびりまったりおっとり」感がイコールネズミ感なのかな? 人間バージョンはもう少しさらっとしていたような・・・、遠い記憶ですが。 岡野さんは、「十二国記」以外ではやはり小野不由美作品の「ゴーストハント」の安原修を覚えています。 高里要・蒼猿・班渠・安原修があまりにキャラが(声が)違い過ぎて全く気づきませんでした。 抑揚のない高里、心をえぐって来る蒼猿、かっこいい班渠、そして天然な安原。 私は蒼猿と班渠はアニメよりもゲームの方が印象強いです。 とにかく班渠がビジュアル、声、性格共にダントツで好きです。 岡野さんはアニメのオリキャラについても言及しています。 オリキャラじゃないことは置いといて、違和感があるという感想を聞いたと話されてるので、やはりそういう感想は 多かったんでしょうね。 当時はネットで感想を読み歩くようなことはしていなかったので、受け入れ難いのは私だけかと思っていました。 声優さん含め制作側にとっては浅野も杉本もオリキャラ扱いだったんですね、そこが不思議です。 蒼猿が一番難しく、高里はとにかく卑屈に。 今はあまりないように思えますが、「十二国記」はとにかく1人2役3役が多くて、冬官長はどう聞いても 山口勝平さんでかなり笑ったのを覚えてます。 鈴村さんも岡野さんも、プロの声優でありながら大の「十二国記」ファンであり、小野不由美ファン。 アニメからこれだけたっても当時の事をしっかり話してくれるのが本当に嬉しく思いました。 楽俊も高里もまだまだ出番はあります。 また作って欲しいですね、アニメ。 (2024年6月18日の日記)
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6月24日 「十二国記」アニメ設定画集(八) |
私が「銀魂」を見たきっかけは、当時の犬友(十二国記も好きだった人)に、「楽俊と泰麒が出てるよ〜」と
教えてもらったのがきっかけだったような(うろ覚え)。 でもギャグのノリについて行けず、シリアスな長編をいくつか紹介してもらいました。 それでも楽俊の鈴村さん(沖田総悟)と泰麒の釘宮理恵さん(神楽)はいろんな意味で衝撃的でした。 まあそんな懐かしい思い出は置いといて、釘宮さんのお話で一番印象に残っているのが、蓬莱にいる頃の泰麒が、 雪の降る中、庭に出されて凍えるシーン。 原作ではモノローグで「−おかあさん、また、泣くのかなあ。」だけ書かれています。 この言葉を釘宮さんが声に出して言ったのでしょうか。 アニメを見たのはだいぶ前ですが、少なくとも「風の海 迷宮の岸」の冒頭部分ではなかったように思います。 寒さに凍える泰麒の吐息がとても印象的でした。 それはともかくその時の音響監督さんからの厳しい言葉に、釘宮さんが学んだこと。 ああ厳しい世界だなあと他人事ながら思いました。 でもだからこそ「十二国記」が素晴らしい作品に仕上がったのですね。 そして釘宮さんの好きなキャラはやっぱり楽俊♪ 楽俊大人気♪ 最後は監督の小林常夫氏インタビュー。 私の大好きな「グリーンディスティニー」が出て来て嬉しかったです。 陽子が超人的なジャンプ!吹き出してしまいました。 でも陽子には冗祐が憑いていますから(笑)。 制作当初は懐かしのセル画。 でも絵コンテの楽俊がトトロみたいでかなり笑えます。 実際に出て来る楽俊とはまた違った可愛さが、というか獣感が・・・。 アニメ設定画集も読み終えました。 また原作を読み返してアニメも見直そうかな。 (2024年6月24日の日記)
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10月9日 アニメ「屍鬼」と「十二国記」 |
★小説・漫画・アニメの「屍鬼」に関する重大なネタバレがあります。 先日配信でアニメ「屍鬼」を見つけたので、「おお、懐かしい!」と見直しました。 何より驚いたのが桐敷沙子(すなこ)役が悠木碧(ゆうきあおい)さんだったことです。 アニメ「薬屋のひとりごと」の猫猫が沙子だったなんて! これはかなりの衝撃でした。 それはさておき、見ていて気がついたこと。 最近「十二国記」アニメ設定画集を読んで改めてオリジナル部分に関して感想を書いたせいでしょうか。 「屍鬼」も重大なオリジナル設定があることに気がつきました。 これまでは気づかないというより普通に受け入れていたのでしょうね。 前半の主人公とも言える結城夏野は、原作(小説)では死んだまま蘇ることなく退場します。 アニメでは人狼として蘇り、人間側の尾崎敏夫と協力して屍鬼達と闘います。 これって浅野郁也や杉本優香が十二国記の世界に渡る以上の改変ではないでしょうか。 ところが私、この部分はむしろ喜んでしまいました。 夏野に特別な思い入れがあったわけではありませんが、原作を読んだ時、夏野は主人公だから「当然」最後まで 生き残って屍鬼と闘い続け、最後には「勝つだろう」と思っていたからです。 おそらくほとんどの読者がそんな展開を予想していたのではないでしょうか。 でもそこを裏切るのが小野先生の凄いところ。 原作の夏野の退場はさすが小野先生!と思いつつも正統派を望みたい私としてはどこか居心地の悪さを感じていたのです。 だからこそアニメの夏野復活には拍手喝采でした。 もうひとつ気になったのが、最後。 ここは原作通り室井静信と沙子は生き延びます。 一度は死を受け入れようとした沙子を静信が説得して生きる選択をするのです。 おそらくですが、アニメではここで綺麗に収める(死を選択)する話が出たのではないかと思います。 でも、小野先生はそこは譲らないだろうと思います。 生き抜くことを選択した2人が今後も生き続けるなら、人を殺し、蘇り(屍鬼)を増やしながら生きて 行くのでしょうか。 沙子は静信がいれば、これまでのように「家族」に固執することなく生きて行けそうです。 でも1度でも噛まれてしまったら、人間は変質するのでしょうか。 だとしたら、そこが一番恐ろしい、小野先生らしいホラーな部分だと思います。 私は甘ったれた人間なので、ここは2人が覚悟を決めて死を受け入れる結末を希望していました。 小説を読んでからアニメを見る時も、アニメでそこは改変して欲しいとさえ思っていました。 結局オリジナルがどうのこうの言うのは、読む側、見る側の都合なんだと改めて思った次第です。 こういった受け入れ難い理不尽な怖さこそが小野不由美ホラーの真骨頂なのでしょう。 「屍鬼」、何度も読み返すような「好きな」小説ではありません。 (アニメはまだ気軽に見られる) でもやはり「凄い」小説なのだと、本棚に並んでいる分厚い2冊を眺めながら思うのです。 この2冊のハードカバーの分厚さ、そして存在感。 黒いオーラが見えそうです。 (隣りはなぜか京極夏彦著「どすこい」だったりします) でも原作でも大好きだった武藤徹と国広律子がとても大切に描かれていてそれは嬉しかったです。 アニメ「屍鬼」を観た後、「十二国記」も観直しましたが、陽子、祥瓊、鈴がそれぞれ別のキャラのナレーションで 物語が展開しているところなど、今見ると原作に沿っている場面は素晴らしい作品だと認識しました。 昔より抵抗感がなくなったせいでしょうか。 「図南の翼」、アニメ化して欲しいです、もう無理かな。 (2024年10月9日の日記)
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