第9話 囲炉裏端

「しかし困ったことになった。」
小屋に戻り、かごめのわき腹に薬草をぬりながら楓は誰にともなく言った。
さりげない風を装いながら、視線の端に寝転がってふてくされている犬夜叉の姿を捉え、複雑な思いに囚われる。

蘇る前の犬夜叉は野生の獣と同じだった。
まるで人間の住む家には全て罠が仕掛けてあるかのように警戒し、中に入るどころか近寄ろうとすらしなかった。
その犬夜叉が今はかごめと楓の後についてずかずか家に踏み込み、転がっているのである。
激高のあまりだろうが、犬夜叉を知る者にとっては信じられぬ光景だった。

激高・・・、楓は笑いをかみ殺した。
かごめが叫んだ言霊「おすわり」は犬夜叉に劇的な効果をもたらした。
まるで誰かの見えない手が持ち上げ、叩きつけたかのように犬夜叉が地面に激突したのだ。
あれは痛かったろう。

あの効果は桔梗の意図したものではなかったに違いない。
生まれ変わりであるにしろ、かごめという娘は桔梗とはだいぶ性格が違うようだ。
その気の強さや、犬夜叉に恋心を持たないことがあのような容赦のない攻撃になったのか。

犬夜叉も気の強い少年だ。
怒りのあまり我を忘れてかごめを追いかけ、警戒も何もなく家の中まで入り込んだとしても不思議はない。
それでも犬夜叉がかごめに対し、全く構えるそぶりのないのは意外だった。
かごめもまた犬夜叉に対して怖れたり警戒したりする様子がない。
「不思議な娘だ・・・。」
これもまた桔梗の生まれ変わり故なのか、どうもそれだけではないような気がするが・・・。

「四魂の玉が再びこの世に出てしまった以上― それを狙う悪しき者どもが群がってくるであろう。」
今考えても詮無きことを振り払い、楓はかごめに四魂の玉について語り始めた。
「あの・・・ 妖怪みたいのとか・・・?」かごめが聞く。
「妖怪だけではない。
 邪な心を持つ人間どもも・・・。」

楓は続ける。
「この戦乱の世で四魂の玉の妖力を得れば、どのような野望も達成できようからな。」
「へえ・・・?」
なんとなく納得したような顔のかごめは今度は犬夜叉に問いかけた。
「あんたは・・・ なんで四魂の玉が欲しいのよ。
 強いし、こんな玉の力を借りなくたって・・・」

「そやつは半妖ゆえ・・・。」
答えたのは楓。
そして起き上がるより早く犬夜叉は拳で床をぶち抜いた。
「ばばあ、さっきからなんなんだよ てめえは。
 俺を知ってんのか!?」

「わからんかね・・・ 無理もないが、おぬしを封印した桔梗の妹・・・ 楓だよ。」
楓は炎に照らされた皺だらけの顔をまっすぐに犬夜叉に向けた。
「楓っ・・・?」
犬夜叉が呆然とする。
その脳裏には封印された時の幼い楓の姿が浮かんでいるのだろう。

「あれから五十年・・・ わしも年をとったからね。」
今さら犬夜叉に驚かれて気にする年でもなくなった楓は苦笑する。
「へえ・・・あのガキがなあ・・・。
 ってことは桔梗のやつもすっかりばばあか?
 しょーがねえな、人間なんて。」

「桔梗おねえさまは死んだよ。
 おぬしを封印した同じ日に。」
一瞬犬夜叉の顔に悲しみの影が広がったように見えたのは気のせいか。
「くたばりやがったのか、あのアマ。
 そりゃせいせいしたぜ。」
犬夜叉はにやりと笑ってまた転がった。

「犬夜叉よ、安心するのはまだ早いぞ。」
おまえの心情はそんなものではあるまい、そんな気持ちを押し隠して楓はかごめと犬夜叉を等分に見据えた。
「かごめ、おそらくおぬしは桔梗おねえさまの生まれ変わり。
 四魂の玉はおぬしが守らねばならぬぞ。」
そして、そのかごめを守るのは犬夜叉、おまえの務めだ。

声にならない楓の言葉が届いたのか、犬夜叉はぷいと顔を背けると立ち上がった。
「どこへ行く、犬夜叉。」
「俺には関係ねえことだ。」
肩越しに言葉を投げつけ、そのまま出て行く。
「やれやれ・・・。」
楓はため息をつくと犬夜叉に続いて外に出た。

「その右目・・・。」
犬夜叉が振り向きもせずに言う。
「あの日俺がやったのか?」
「ああこれか・・・。」
楓は見えぬ右目を軽く押さえた。

「白い布を巻いてたのを覚えてる・・・。
 血がついてたし・・・。
 ・・・悪かったな・・・。」
「昔のことだ。
気にするな、犬夜叉。」
犬夜叉の姿がふいと消えた。

「わあ、綺麗な星。」
少し離れて空を見上げたかごめが歓声を上げる。
先ほどの百足上臈騒ぎでは星を見る余裕などなかったのだろう。
「おぬしの生国でも星は見えるだろう?」
「見えるけど、こんなに綺麗じゃないし・・・。」

うっとりと星空に見とれるかごめを残し、小屋に入ろうとした楓は物陰からこちらを窺っている利吉に気がついた。
「どうした利吉。」
「いえ犬夜叉まで小屋に入ってったのでちょっと心配で・・・。
 でも楓さま、まるで孫が2人できたようですなあ。」
「孫・・・?」
「さっきちょっと覗いたんですが、本当に嬉しそうでしたよ。」
ほんの僅かの間を置いて、利吉は続けた。
「楓さまにはお寂しい想いをさせてしまいましたなあ。
村のためとはいえ、申し訳ないことでした・・・。」

ではおやすみなさいまし、と帰っていく利吉に気づかないほど楓の胸は躍っていた。
巫女としてずっと1人で生きてきた楓に、利吉の言葉は嬉しいものだった。
これから楓には「孫」が増えてどんどん賑やかになっていくのだが、もちろん楓はそんなことは知らない。

ただ利吉の言葉を何度も思い返し、隣りに共に眠る者がいる嬉しさに一杯になって久々に熟睡するだけだった。
かごめもまた、相次ぐ騒動に疲れ果て、家を恋しく思う暇もなく深い眠りについたのであった。

翌朝は抜けるような青空となった。
男たちは百足上臈の骸を骨喰いの井戸に捨ててから、壊された家々の修理にかかる。
女たちは田や畑に出て農作業に勤しむ。
指揮を取る楓も忙しく、ほったらかしにされたかごめは村の中をうろうろ歩き回っていた。

目の前に広がるのはテレビの時代劇で見た風景。
ちょんまげ姿の男たちに着物姿の女たち。
話す言葉も昔風で、おまけに妖怪まで現れた。
「どうしてこんなことに・・・。」
かごめは途方に暮れていた。

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