―玄英宮。 雁国の王と麒麟の住む王宮。 その巨大な建物の、雲海を見下ろす露台に延麒六太の姿があった。 500年もの長い間、六太はこうして露台に置かれた陶の獅子の頭に乗っかり、届か ぬ足をぷらぷらさせている。 いくら子供とはいえ500年も座っていれば、獅子の頭も色あせてきそうなものだ が、未だに置かれた時と変わらぬ色彩を保っているのは、それだけこの麒麟が軽いとい うことの証だろう。 見下ろす海も500年間変わらず凪ぎ続け、それでいて波が一瞬も同じ形でとどまる事は ない。 六太は飽くことなく海を見下ろしている風を装っていたが、その実部屋の中で怒 り続けている3人の男達の声を聞くともなく聞いているのだった。 またか、猪突が言った。 まただ、酔狂が言った。 全く・・・、無謀がため息をついた。 思わず言わずもがなの台詞が口から出て三人三様にぎろりとにらまれ、あわてて身 をすくめる。 「俺は空気だ俺は空気だ俺は空気だ・・・。」 心の中で必死に念じ、ちらりと横目で窺うと、こんな「馬鹿」にはかまっておられんとばかりに、もう額をつき合わせた議論に戻っており、ほっと一息をつく。 「馬鹿」とは猪突、酔狂、無謀と共に王より下された麒麟の字。 自分の臣にこんな字をつける王も王なら麒麟もあてにはならんと無視されるのも毎度のこと。 王が消えた、王が朝議をすっぽかした、王が博打のかたに「ただ働き」させられている・ ・・。 何でも悪いのは王だ、馬鹿な王を持った有能な官吏達がその尻拭いをすべく右往左往してい る。 500年間続いた風景。 しかし、六太は思う。 500年の間に何かが少しずつ変わってきた。 官吏達の口調が次第に和らぎ、表情にもあきらめと同時にある種の信頼感が生まれるようになり、口ではどうこう言いながら、手に負えない腕白坊主の心配をしている親のような雰囲気になってきている。 この毎朝の議論もいわば朝議と同じ、日課に過ぎない。 猪突こと帷湍、酔狂こと成笙、そして無謀こと朱衡。 彼らは有能な官吏であり、「のんき者だが、莫迦ではない」あるいは「有能だがでたらめな」王(や麒麟)がいなくても、政(まつりごと)はきちんと成り立っているのである。 それにしても、毎朝毎朝飽きもせず。 思わず大口開けて欠伸をしてしまい、はっと口を押さえたがもう遅い。 頭から湯気を立てた帷湍と冷たい微笑を浮かべた朱衡がつかつかとこちらに向かって歩いてくる。 その後からは指をポキポキ鳴らしながら成笙が。 「へへっ。」 曖昧な笑みを浮かべて獅子から飛び降り、手すりぎりぎりまで後ずさった六太の姿が一瞬揺らめき、空気に溶けた。 次の瞬間、陽射しの中に金の鬣と角を持つ高貴な獣が現れる。 神獣麒麟はふわりと空に舞い上がり空中で停止した。 「全く都合が悪くなると転変して逃げる麒麟など聞いたことがない。」 帷湍が手すりをつかんでねめつける。 その声が聞こえたのか、高貴な獣は帷湍を振り返り、優雅な仕草でぺろりと舌を出した。 一生見ようと思って見れるものではない麒麟の転変だが、ここに感動する者などいない。 3人にとってはあまりに見慣れた風景、逃げ麒麟の転変もまた、毎度のことなのだ。 飛び去る麒麟を見送った朱衡が苦笑してたしなめる。 「そっとしておいて差し上げなさい。 台輔はお寂しいのですよ。」 「お寂しいだと? あの王も国もほっといて何日も蓬莱だ慶だと遊び歩く麒麟がか?」 成笙が目をむく。 「ご自分が王を置いて出かけるのはいいのです。 王だけ出かけて自分が取り残されるのが嫌なのですよ。 なにしろ御年十三のお子様であらせられますし・・・。」 「500年も生きてまだ子供だからお寂しいとな。 あきれたものだ・・・。」 帷湍がふっと笑みを浮かべた。 成笙も歩み寄り、手すりをつかんで空を見上げる。 「馬鹿でもでたらめでものんき者でも、とにかく500年は続いてきたのだ。 好きにさせてやるか。」 玄英宮から遠く離れた空の下、麒麟が小さくくしゅんとくしゃみした。 「3人して俺の悪口言ってるな。」 お返しにはなはだ麒麟らしからぬ悪口をあれこれ考えながら、六太は飛んだ。 延王尚隆がいるであろう関弓はあえて避け、黄海に向かう。 黄海に暮らす昔馴染みに会いに行こうと六太が決めたちょうどその時、雁の都関弓をぶらついていた尚隆が驚いたように足を止めた。 「あれは・・・?」 設定によると、現在も玄英宮に残っているのは朱衡のみとのことでしたが、この3人の組み合わせが大好きなので、3人揃っていることにしました。 一応尚隆メインの後編を予定しています。 |