玄英宮(二)


薄闇に染まる街に、見まごうことなき緋色の髪。
「陽子か・・・。」
尚隆は、早足で歩いていく陽子を追った。

ふと足元に異形の者の気配を感じる。
「班渠か?」
「は・・・。」
「心配要らぬ、控えていてくれ。」
「御意。」
気配は消えた。

宿でも探しているのか、歩みを止め、あたりを見回している陽子にすぐに追いつく。
「景王にこのような場所でお目にかかることができるとは驚いたな。」
体をこわばらせて振り向いた陽子が大きく目を見開いた。
「延王。」
「しっ。」
急いで唇に指を当て、黙らせる。
「ここでは風漢と。」
陽子が頷いた。

「こんな所で何をしてるのだ?」
少し離れてしげしげと眺める尚隆から目をそらした陽子が照れたように言った。
「慶が雁に学ぶことを探しに来た。」
「ほう・・・。」

慶の驚異的な復興の噂は聞こえてきていた。
慶からの難民が減り、逆に慶に戻ろうとする人々が烏号に列をなしているという。
最初のうちこそごたごたしたが、偽王を排除してからこれほど安定した回復を見せた国は、尚隆の記憶をたどっても珍しい。
にも拘らず、この若い娘は足りないと言うのか。
尚隆は苦笑した。

「今夜の宿は決めたのか?」
「いや、まだ・・・。」
ちょっと困ったような陽子について来るように合図して、昔よく通っていた宿に向かう。
もう尚隆のことを覚えている者はいないだろう。
常宿にしていたのは二百年ほど前だ。

「こんな高そうな所・・・。」
渋る陽子に「俺の奢りだ、気にするな。」と笑いかけ、門をくぐった。
「仮にも景王をその辺の安宿に泊められるか。
荷物を置いて来い、飯を食おう。」
それでも陽子の遠慮を慮って中の上くらいの部屋を二つ取り、夕食は尚隆の部屋でとることにして、陽子を待つ間、適当な料理を注文した。

陽子が飲まないのは承知で酒もとる。
湯を浴びて着替えた陽子がさっぱりした顔で現れた頃、料理も揃い、尚隆は給仕を下がらせた。
「うまそうだな。」
目を輝かせた陽子が席につく。
「俺は飲んでるから、おまえは好きなだけ食ってくれ。」
旺盛な食欲を見せる陽子に目を細めながら、ゆっくり手酌で酒を飲む。

「そうだ、高里くん、いえ泰台輔が尚隆と延台輔によろしくと言ってた。
本当は直接会ってお礼を言いたいのだけど、戴もまだまだ大変らしくて。」
「泰台輔だの延台輔だのとかしこまって呼ばなくていい。
延台輔なんて言われたら、誰のことやらわからんぞ。
で、驍宗はどうなのだ?」

「だいぶ回復したらしい。
もうすでに王宮内をまとめにかかってるみたいだよ。」
「寝てろと言われて大人しく寝ている御仁じゃなさそうだからな。」
尚隆は薄く笑った。
「何か手伝えることはないかな。」

陽子が言い出し、柳と舜、芳をのぞく八の国の王と麒麟が協力してまず戴の台輔を取り返し、次に王を救い出してから一年がたった。
不老不死とはいえ、長い逃亡生活に弱っていた驍宗も、李斎や泰麒の助けを借りてなんとか国を立て直し始めているようだ。
李斎の懇願があったとはいえ、個人的な親交以外はほとんど付き合いのないこちらの世界において、あの救出劇は異例のことだった。
麒麟が参加した国の王たちの陽子に対する評価も高かった。

当の陽子はそんな周囲の視線に気づくこともなく、がむしゃらに働いている。
景王陽子に対して一番厳しい視線を向けているのは、陽子自身なのだろう。
そこが世慣れた尚隆には頼もしくも危うくも見えるのだが。

「陽子、あまり急ぐな。
お前はうまくやっている。
だがな、何もかも一度にやろうとはしないことだ。

お前が以前話していた大使館とやらも、俺に言わせれば時期尚早な気がするな。
特にこちらの世界には天の理というものがある。
一度の失敗は王の死と国の崩壊につながりかねないのだ。
俺はそんな例を何度も見てきた。」

「・・・更夜の話を聞いた。」
「陽子、更夜は。」
「わかってる。
更夜は仙に、犬狼真君になったから無理して雁に来る必要はない。
けど雁だけじゃ駄目なんだ。
どんなに雁が栄えて雁の国の民が妖魔を怖れなくなっても、他の国の王が倒れ、妖魔が人を襲えばその国の民は妖魔を怖れる。
たとえば雁に逃れて来て、そこで更夜と妖魔を見たら?

私はこちらの世界に来て王が斃れれば、妖魔が人を食い散らす現実に驚いた。
それがこちらでは普通のこととはいえ、食われる恐怖、食われる人を見る恐怖や悲しみはなくなるものじゃないだろう。
でも尚隆、この悲劇は防げるんだ。

どこかの国が倒れても、他の国が助け合って妖魔が現れる前に崩壊を食い止める。
そうして次の王が現れるのを待つ。
妖魔が黄海のみで生きる存在になったら、そんな世界になったらいいと私は思う。」

「陽子、おまえは十二の国の王になるつもりか?
五百年こちらで生きてきた俺でさえそれは不可能だと思う。
不老不死なのにこれまで最長で六百年、それ以上に生きた王はいない。
なぜだと思う。
一国の統治さえ容易いことではないからだ。」

「そうかもしれない。
一つの国さえ満足に治める事のできない者が十二の国で支え合おうと言うなんておこがましいのかもしれない。
けれど私は十二の国の王になるつもりはない。
十二の王で十二の国を統べるんだ、尚隆。」

尚隆は視線を宙に浮かした。
確かに今は大きなチャンスだ。
奏は期待できる。
戴ももう少しすれば落ち着くだろう。
悔しいが(笑)、範も大丈夫だろう。

才、恭、漣にもちろん慶と雁だ。
まだ麒麟のいない芳と巧はともかく、舜と柳、はどうだろう・・・。
大きな期待はできまい。
今は芳と巧を支えることが必要だ。

特に未だに麒麟の生まれる気配すらない芳は。
巧は慶と雁が、芳は恭と奏が個人的に援助しているが、確かにそれを全部の国で分担したら、国ごとの負担も軽くなる。
協力し合える王が揃っている。

それにしても、尚隆は思う。
尚隆も陽子と同じ倭の出身だが、尚隆の時代は多くの人間が天下を取ろうとあがいていた時代だった。
いわゆる戦国時代という奴だ。

「これが民主主義か。」
尚隆はつぶやいた。

何でもかんでも倭から持ち帰ってくる六太を牽制するのは尚隆の役目だ。
こちらの世界に必要でないもの、むしろ危険なもの、もう少し時をおいたほうがいいように思えるもの。
六太が言うところの民主主義は制約の多いこちらの世界にとってむしろ危険なものに感じた。

だが今の倭国から来た陽子ははるかに自由だ。
民が国を作り、民が国を統べる時代に生き、こちら生まれの王や古い時代を生きた尚隆よりはるかに柔軟な思想を持つ。
ゆっくり話したことはないが、泰麒もおそらくあの大人しげな顔の裏に同様の柔軟な思想を秘めているのだろう。

同時にそれはやはり危険だ。
利広や六太とすら話したことはないが、尚隆はもしも天帝が存在していて、こちらの世界が天帝の「箱庭」ならば、天帝はその箱庭があまりに整然と、何の問題もなく制御されていくことを喜ばないのではないかと思っている。

時には理不尽に思える天の理、理不尽に思えるのはそれが天帝の個人的な趣味だからだ、そうすら言えるのではないか。
李斎や陽子が言っていたように、各国に一人ずつ王を据えたら、その王が失敗しないように見守り、導いてやればいい。
そしたらこちらの世界が何千年続こうと王は各国一人、計十二、それで済む。
それで済まないのがこの世界だ。

だが。
尚隆は不敵な笑みを浮かべた。
天の理と戦ってみるのもおもしろいかもしれないな。
突っ走る陽子を支え、歯止めをかけ、危険を回避させ、それでいて天の理に触れるぎりぎりのところで最大限の自由を得る。

その気もないのに天の理に触れ、滅びるのは真っ平だ。
「退屈する暇はなくなるぞ、利広。」
尚隆は壁を通して奏を見据え、呟いた。

「尚隆?」
遠慮がちな声に我に返る。
ずいぶん長い間沈黙の底に沈んでいたらしい。
訝しげな陽子の顔に炎の影が揺らめいている。
陽子の皿はすでに空で、尚隆の料理はほとんど手つかずだ。

「ああすまなかったな。
こっちも食うか?」
皿を押しやると「いらない、太るから。」と押し返してよこす。

これだけ激務で太る暇もないと思うのだが、まあそれだけ心に余裕ができてきたということだろう。
尚隆が食べ始めると、陽子は今の慶について、泰麒から聞いた戴の現状など楽しそうに話し始めた。
尚隆に聞きたいこともたくさんあるらしい。

「お前さえ良ければ明日は関弓の街を案内しよう。
一人で回るよりも少しは役に立つのではないか?」
「ありがとう。」
陽子の笑顔が花開いた。

おやすみを言って部屋を出た陽子を見送りながら尚隆は呟いた。
「お前は十二の国を統べる王になるやも知れぬな。」
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相変わらず唐突な展開ですが(^_^;)、一応驍宗が救出され、戴も落ち着きを取り戻しつつあるという前提で書きました。

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