帰還
飛燕の背から見上げる戴の空は、痛いほどに澄んでいた。 「戴で最初の雪が降ってから、その雪が融けてしまうまでに、どれくらいの晴れ間があるでしょう?」 哀しくつぶやいた、名もなき少女の面影が李斎の脳裏に蘇る。 いや違う、名前を聞くことなど思いもしなかった、それほど李斎は追い詰められていた。 取り返すことのできない大きな過ち。 少女は殺され、もはや名前を知る術がない。 その少女があれほど待ち望んでいた束の間の晴れ間。 「煙が・・・。」 あの頃は煙で空が見えなかった。 あの頃はまだ殺される人がいた、燃やされる物があった。 今、見上げる空に煙はない。 殺され尽くし、燃やされ尽くし、あれほど望んだ青い空をもはや見る人もいない。 眼下に広がるは灰一色の虚無の世界。 救いを求めて慶に向かって飛翔している時も、人々の嘆き、呪い、悲しみが李斎を捉え、まとわりついて離れなかった。 「私達を置いていくのか、自分だけ逃げようとするのか・・・。」 立ち上る煙の中に、怨嗟の顔が蠢く。 「違う、私は戴を救いに行くのだ。」 絶叫しながら李斎は剣を振るい、妖魔を斬った。 片腕を失い、血と涙を振り絞り、やっとのことで慶に着き、景王に救いを求めた。 これで戴は救われる、そう願った。 しかし麒麟を伴って戻ってきた李斎が見た光景は胸を抉った。 たしかに泰麒を見つけた。 しかしその泰麒も角をなくし、麒麟としての力をなくし、普通の少年となんら変わることはない。 そして今、戴に救うべき民はいない。 胸の中から嗚咽がこみ上げてきた。 「台輔・・・。」 共に嘆きを分かち合おうと泰麒に視線を向けた李斎が硬直した。 笑んでいる、泰麒が、仁の生き物であるべき麒麟がこの惨状に微笑んでいる。 李斎は唇を噛みしめた。 初めて怒りがこみ上げてきた。 「台輔、この国を見て微笑まれるか。 この国がこのようなむごい有様になったのは・・・」 あなたのせい・・・、王が消えたから、麒麟が消えたから・・・。 理不尽な怒りだ、泰麒に罪がないのはわかっている。 それでもなお、李斎は叫ばずにはいられなかった。 共に悼んで欲しい、失われた幸福を、失われた命を。 絶句した李斎を、泰麒が静かに振り返った。 「李斎、今は悲しんでいる時ではないのです。 僕にはわかります。 王は、驍宗様は生きていらっしゃいます。 僕を待っておられます。 驍宗様がどこにいるのか、どうしておられるのか、僕にはわかりません。 でも見えます。 驍宗様の覇気が、失われていない王気が。 戴はこれから蘇る、全ての民が幸せを取り戻す。 それが見えたから僕は微笑(わら)ったのです。 失われた民を悼むのはそれからです。 僕の罪はそれから償いましょう。 あの世界で、記憶を封じられ、帰る努力もできなかったできそこないの麒麟です。 しかしこれ以上不幸な人間を1人でも増やすわけにはいかない。 李斎、戦いましょう。 これからの戴のために。」 「戦うと仰られるのか、仁の生き物が、麒麟が・・・。」 泰麒は飛燕を招いた。 飛燕が嘶き、騶虞に寄り添う。 肩を震わせ、俯く李斎の肩にそっと触れた。 「李斎、あなたは戴のために剣を振るって戦ってくれた。 その片腕を戴に捧げた、感謝しています。 あなたの想いがこの国を救う。 僕は麒麟として、麒麟のやり方で戦います。 僕たちの敵は、阿選ではありません。 この国を虐げる、運命との戦いです。 まずは驍宗様を探す、全てはそれからです。」 このか細い麒麟のどこにこれほど強靭な精神力が秘められていたのか。 戴から消える前にはなかった強さ。 これほどまでに苦しんだ、苦しんで苦しんでこの強さを得たのか。 李斎は泰麒の肩にすがって泣き伏した。 「これほどまでに成長されていたか・・・」 「李斎・・・。」 細い指がいたわるように、背中を撫でる。 慶を出るとき、覚悟を決めたはずではなかったか。 なのにこれほど私情に惑わされる。 そんな自分の心の弱さが情けない、そして泰麒の成長が嬉しく頼もしく誇らしく、そして寂しい。 李斎は顔を上げ、涙をぬぐった。 自分ばかりがいつまでも女々しくあってはならない。 ここまで生きていられたのが天の意思なら、その命は泰麒を守るためにのみある。 役立たずの体でも、泰麒の盾にはなることはできるかもしれない。 泰麒を守ることが、しいては戴を救うことにつながる。 この瞬間、李斎は昔の自分に戻ったような気がした。 幼い泰麒に出会った頃の、力強く武勇に満ちた将軍。 この麒麟が「王であってほしい」と願ったほどの誇り高い将軍に−。 「行きましょう、台輔。」 李斎は飛燕の首をめぐらせた。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 「十二国記」を書いてみたいとずっと思ってましたが、いきなり難しすぎるテーマに挑んでしまいました。 読んでくださった方はたぶん、「李斎が違う!」と思われたのではないかと思います。 はい、私もそうです。 ただ、戴に戻ってからの2人が全く想像できなくて、結局本編のある意味女々しい李斎の再現になってしまいました。 それにしてもこんなに苦労したのは初めてです。 こんな駄文でお恥ずかしい限りですが、自分で納得してから、なんて思っていると一生公開できなくなるので思い切ってアップしました・・・。 今度はもう少し軽めのお話に挑戦したいです。 |