趙雲の日常


息を潜め、藪をにらむ。
趙雲は愛用の槍、竜胆を握りしめる。
藪が動く。風ではない。動物が動かしているようでもない。
こちらをうかがっている。それも、敵意を込めて。

趙雲は体を沈めた。先手必勝。
飛び出す。
「いざっ!」
「待て!」
知っている声。目の前に現れた、狼狽(ろうばい)した知っている顔。
しかし急に止まることができるはずがなく。
のどかな山奥に、派手な破壊音が轟いた。

◇◆◇◆

「──それで、貴殿はこの近隣の村の住民に請われ、盗賊退治に参ったのだな?」
陽光を弾く鎧をまとった馬超が確かめる。趙雲は頷き、すまなそうに顔を上げた。
兜の中で頭を割ったらしく、額から血がどくどくと流れている。馬超はぞんざいに
傷口に血止めの薬を塗って包帯を巻く。包帯が血止めの薬と血に汚れる。

「馬超殿は、何をしにこのようなところに?」
「丞相に命じられたのだ。この辺りに盗賊がはびこり、治安が悪いということな
ので、これを持って討伐せよと」
馬超はななめに提げた皮製の小さな袋を軽く持ち上げた。こまごましたものを入
れるような小さな袋だが、厳重に縛られ、中身は分からない。
「いざとなったら開けて使えと丞相に言われたのだ。それまで、けして開けるな
と」
「丞相が……?」
馬超が頷く。

趙雲は丞相──諸葛亮の穏やかな面と、優雅に羽扇(うせん)を動かす姿を思い
出した。
どんな小さなことでも必ず自分で処理する生真面目で律儀な男で、執政に関して
は底知れぬ才能を秘めている。
しかしやたらいろんなものを発明し、それを平気で実戦使用する。
自爆したことや煽りを受けたことが、一体何度あることか。
なんとも両極端な男。それが諸葛亮だ。
「中身は一体なんなのでしょう? 馬超殿、聞いてないのですか?」
馬超は首を振った。趙雲はいやなものが胸を占めるのを覚えた。
「丞相のことだ。何か考えがあって馬超殿に持たせたに違いない」
馬超はつぶやき、兜を被り直す。何事もないかのように槍を持ち、山頂を見た。

「私はまっすぐ街道を行く。いずれ会うだろう」
「では、同行いたしましょう。盗賊はどこにいるのか、御存知ですか?」
「街道沿いにある仙の祠だ」
「目的は、同じようですね」
馬超が立ち上がり、袋を握り締めた。
袋がもぞりと動き、二人は叫びそうになるのを必死でこらえた。

◇◆◇◆

その頃、諸葛亮はのんびりと愛妻、月英の淹れた茶を飲んでいた。
「馬超殿に、何を持たせたのですか?」
聡明な顔立ちに理知的な表情。凛とした声。諸葛亮は優雅に微笑み、月英を見上
げた。月英は自分の茶を淹れ、向かいに座る。
「大したものではありません……」
茉莉花の香りのする茶をすすり、諸葛亮はつぶやく。

「孔明さま。お答えをいただけませぬか?」
「本当に、大したものではないのです。ただ…」
「ただ?」
「私の予測が正しければ、盗賊には効果覿面でしょう」
「……そうですか。では、これ以上訊きませぬ」
答えをはぐらかされたと思ったらしく、月英は拗ねた表情で茶をすすった。
熱さ   に舌を出す。
滅多に見せないお茶目な仕種に、諸葛亮は思わず口許を緩めた。

◇◆◇◆

それぞれの愛馬に乗り、二人は街道を行く。
のんびりと穏やかな日差しに、時折   聞こえるとんびの声。
長閑である。
このまま狩でもして兎でも狩り、持って帰ろうかと趙雲は考えた。
しかし哀願する村人たちの顔を思い出し、首を振る。

「しかし」
馬超が口を開く。
「仙は、住処を盗賊に荒らされ、腹を立てぬのか?」
「さあ……そもそも、仙が人界に住むというのがどうも怪しい。
ただの俗信で   しょう」
「たしかに修行を積んだ天仙は人界に住まぬものですが、仙とは気まぐれなもの
らしいからな。
ひょっとしたらいるかもしれん」
「そうですね」
趙雲は微笑み、馬超に馬を近づけた。
「仙が見られるのなら、一度見てみたいものなのですが」
「ふん。一見する価値はあるか」
さして面白くなさそうに馬超は言い、空を見上げた。
馬超の表情が変わった。

異変を察知した趙雲は槍を構える。馬超は袋を後ろに回し、馬を止めた。
大木から、影が飛び降りてきた。
手には刀。明らかにこちらを狙っている。
少年は趙雲と打ち合った。
刹那。
趙雲の頬に朱が走る。やや間を置いてから血が垂れた。
「趙雲殿!」
馬超の声。趙雲は頬の血を手の甲で拭い、後ろを見た。
まだ幼いが、はっとするほどの美貌の持ち主だ。眼光は鋭く、鋭利な刃物を思わ
せる。
濃紺の戎衣(じゅうい・軍服)をまとい、腕を薄く切っている。

「名乗れ!」
趙雲は怒鳴る。少年はその鋭い目を馬超に向けた。
「貴様らだな! この道を荒らす盗賊どもは!」
若い声だが、人を威圧するような響きがある。
「違う!」
馬超が叫び、槍を構える。
「ならば何故この道をやすやすと通る! ここは盗賊の街道だぞ!」
「我らは劉備配下の武将だ! 盗賊と一緒にするな!」
少年の目に疑惑が浮かぶ。かっとなった馬超が飛びかかろうとして趙雲が止めた。

「相手は子供だ! 馬超殿が本気になられてはならぬ!」
槍を持った手で制す。少年は鋭い目で趙雲を睨む。毅い瞳。
独りで挑んでくる獣。ならば独りで受けるが流儀。趙雲は馬を降りた。
対等にならねば、勝っても意味はない。
「我らを疑うか」
問いは短い。
「そうだ」
答えも短い。
「ならば疑いは、槍を以て晴らす!」
駆ける。刀。打ち合う。勝負は刹那のうちに決まる。刀が折れ、宙を舞った。
素早く少年を組み敷いて押し倒す。くぐもった悲鳴。
「……見事な腕ではあるが、趙雲殿に及ばんな」

馬超は素直な感想を漏らし、袋に手をやった。今は静かになっている。
使うべきではない。
趙雲は目で馬超を制する。馬超は袋から手を離した。
「私たちは、盗賊ではない。ご理解いただこう」
「……分かった」
不満そうに少年はつぶやく。どこまでもふてぶてしい少年である。
「……まだ、疑っているようですね」
「当たり前だ。この道は、盗賊の縄張りだ。武将が自ら乗り出したなんて、信じない」
趙雲は困ったように笑うと、少年を解放する。少年は立ち上がり、二人を見上げた。
「じゃあ、盗賊を倒してよ。あいつらがいたら、色々と大変なんだ」
「分かっている。この道を行けばいいのだな?」
「そうだ。じゃあ、頼んだよ!」
少年は道の向こうに駆け出す。
羽のように軽く、猫のようにしなやかな動き。趙雲はその動きに見とれた。

「なんなんだ、あの少年は。村のものか?」
「いいえ。違うようです。私は……見てません」
趙雲は首を傾げた。
袋が動く。馬超は喉の奥で声を漏らした。
情け程度に「翠蓉堂」と書かれた看板が下がった祠が見える。
いかにも粗野でまともな職業に見えない男が十人。それぞれ得物を持ち、大声で
談笑している。
頭領と思われる男が二人に気づく。続いて男たちが気づく。
「ここを通りたければ……」
街道を根城にする盗賊の常套句を言う前に。
盗賊は趙雲と馬超に倒されていた。

「大した盗賊ではないな」
「そうですね」
十人を全員丁寧に縛り上げ、趙雲はふと顔を上げた。
「さっきの」
先ほどの少年が、祠を覗き込んでいる。
「中は、あんまり荒らされてないか」
「やあ」
趙雲が声をかけると、少年は振り向いた。陽光を受けて、少年の目が緑に輝く。
「……君は胡人か?」
「胡人? 西の民族だね。違うよ。僕は漢人だ。盗賊を倒してくれたんだね。
ありがと」
少年は微笑む。ぞっとするほど艶かしい微笑。少年の笑みではない。
「僕一人じゃ、どうすることもできなくてさ。困ってたんだ」 「そうか。これで、この街道ももとの賑わいを見せるだろう。
この祠も、きちんと祀られるようになる」
「そうだね。これでやっとおいしいものが食べられる」
今度は少年らしいあけすけな笑顔。趙雲はほっと息をついた。

「あのさぁ」
少年は馬超が下げている袋を指差した。
「それ、くれない?」
「これか?」
馬超は袋を持ち上げた。中身が微かに動く。
「そう、それ。くれない?」
「どうせ使わなかったから、かまわぬが…」
「ありがと!」
声が弾ける。少年は白い歯を見せて笑い、袋に触れた。
そのまま祠に入る。
「あ、おい、いらんのか?」
祠の中に問いかける。
少年の姿をした仙人の木像が、静かに立っているだけだった。
「……その袋、一体何が入っているのですか……?」
趙雲は恐る恐る袋を見た。
馬超は涙目になって袋を開けた。
中には何も入っていない。
「空?」
「いや、先ほどまで、何かが入って……」
趙雲と馬超は顔を見合わせる。
「まさか、な」
「それは……ないでしょう。しかし…」

☆★☆★

あの少年は、
ひょっとしたら、仙人だったのかもしれない。

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三国志関係でお邪魔している「白夜の鐘楼」の松竹梅さんから、キリ番記念の小説をいただきました。

松竹梅さんのメッセージ

「キリ番500を踏まれたえむさんへ捧げる短編「趙雲の日常(女っ気ナシ)」デス
ラストのぽかんとしてる趙雲と馬超がビジョンとして浮かぶまでが一苦労でしたが浮かんでからは結構楽しみました♪
趙雲をかっこよく書くつもりが、仙人やら諸葛亮やらに振り回される始末。おかしい、そんなハズじゃ…
えむさんどうぞ♪」

正攻法で書かれているかと思いきや、こんな風に来ましたか。
かすかに「十二国記」の匂いなどもして、さすがと言うしかありません。
礼儀正しく律儀な性格もそのままに、諸葛亮、馬超と個性的なキャラとの組み合わせ、素敵です♪
できればまたお願いしたいです。(笑)

松竹梅さん、本当にありがとうございました。

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