★凄絶にネタバレを含みます★
「魍魎の匣」は、たくさんの事件が絡み合ってひとつの物語を形作っているが、その中で一番惹かれるのが久保竣公、雨宮典匡、関口巽の「彼岸にいざなわれた」人たち。
物語だからこそ、の共感だけど、これだけ残虐な事件を描きながら、どこかうらやましい。
軽く行ってしまった雨宮、行きたくてあがいた久保、そして今回も行きそこなった関口。
京極堂シリーズ、特に初期の作品は、関口なくしては存在しない、何度読み返してもそう思う。
よりによって匣に囚われた久保が雨宮に会ってしまった、そして見てしまった、匣の中身を。
関口は見たかったけど止められた、でも結果的に見てしまった。
それは哀しいほど卑小でおぞましいものだった。
彼らの前には京極堂の正論も、美馬坂の狂気も、陽子の悲しみも木場の想いもことごとくが光を失ってしまう。
箱の中身を得たかった久保は少女たちを斬って匣に詰めるが、彼女たちは皆死んでしまう。
誰も久保に微笑んで「ほう」とは言ってくれない。
ならばと久保は、自らが斬られて匣に入ることを選ぶ。
久保は死ぬことも腐ることもなく、匣の中で意識を保ち続ける。
しかしそれは望んでいたような幸せではなかった。
「ほう」としか声の出ない意味も知る。
久保が会った匣の中の加菜子は本当に微笑んでいたのか。
それすらも久保の夢ではなかったか。
最後には「真っ黒い干物みたいなの」とまで言われてしまった加菜子。
それでも雨宮の目には愛しい加菜子の笑顔に見えるのだろう。
なんて哀れで、なんとうらやましい。
「人間であることをやめる」ことが、こんなに簡単にできるなら、それは時として耐え難い魅力を持つ。
けれどそれはやはり、はたから見たら、哀れで哀しい。
久保の事件が発覚せず、仮に物語が完成していたらどうだろう。
もちろん発売されることはなかったろうが、人が読む物語として存在していたならば。
未完に終わってしまった物語。
最後に久保自身の意識がその死の間際までの文章を綴って終わるが、改めてひとつの作品として読んでみたい。
京極堂シリーズで一番常人の感性を持つ青年?として気になるのが青木刑事。
敦子や鳥口以上に「普通」という言葉が似合う青年だが、今回久保のせいでひどい怪我を負ってしまう。
久保に毒されたかと心配になったが、彼は彼の普通さを失わずに京極堂シリーズに登場し続ける。
これは嬉しい誤算だった。
(2013年8月3日の日記)
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