宮部みゆきと時代物

8月26日 津軽の太鼓〜緑町公園
七不思議の最後、八つ目の不思議は、宮部さん曰く「足洗い屋敷」や「落ち葉なしの椎」と入れ替わって七不思議に数えあげられることのある、言ってみれば代打の話、「津軽の太鼓」。
当然「本所深川ふしぎ草紙」にも登場しない。
でもせっかくなので、「津軽の太鼓」も探してみたが、なんのことはない、以前紹介した「足洗い屋敷〜南割下水」の写真の「南割下水」の高札に「津軽の太鼓」「消えずの行灯」「足洗い屋敷」と3つセットで紹介されている。
この高札は緑町公園に立てられており、この公園のある亀沢2丁目付近にかつて津軽藩があったという。

初代は津軽為信。
ゲーム「戦国無双」など戦国時代を舞台にしたゲームではだいたい東北から遊び始める私、お馴染みの名前だ。
青森(津軽)からだと、北から攻められる心配がないので、配下が少ない序盤を東北、あるいは九州から始めるのが鉄則。
ただこの七不思議は、何が不思議なのか聞いてみれば良かったんじゃない?と今の時代なら思うほど曖昧なもの。

火事の時に、他の大名屋敷は火の見櫓で板木を打ち鳴らして街中に火事を知らせていたのに、津軽藩だけは、火の見櫓に太鼓を吊るして、それを打ち叩いていたそうだ。
なぜ?というのが謎(笑)。
それ以前に、私は火の見櫓といえば半鐘のイメージだったので、「板木」の時点でなんだか不思議。
ちなみにWikipediaでは半鐘が一般的とされている。

板木(ばんぎ)にしても太鼓にしても、実物を見てみたいと思って画像検索してみたが、残念ながら火の見櫓の全体図ばかりで、具体的な形はわからなかった。
こういうのってどこに行けば調べられるのかな?


さて、これで「本所深川七不思議感想=本所七不思議探索」レポは終了だが、実際は通して歩いたわけではなく、総武線で両国や錦糸町界隈に行けばちょっとのぞく形でぽつぽつ行っている。
学校など観光っぽくない所、総武線沿いから離れた、気軽に行き辛い場所を2回に分けて回ってみた。

一日で回ろうと思ったら、6時間くらいかかるだろうか?
残念ながら、宮部さんが打ち上げ会した両国駅構内の地ビール飲ませるパブはもうないが。

今もビールを飲ませる似たようなお店になっているが、私は以前のお店の雰囲気が好きだった(でも名前忘れた)。
本所深川は七不思議以外にもおもしろい場所がたくさんあるので、これからもどんどん紹介したいと思っている。

(あまりにも有名な所ばかりで、今更紹介というのも変かもしれないけれど、笑)。
(2013年8月26日の日記)
8月5日消えずの行灯〜葛飾北斎生誕の地
「本所深川ふしぎ草紙」最終話は「消えずの行灯」。
この話のヒロインおゆうは、本作の中でも、というより宮部さんの時代物の中でもちょっと変わった性格をしている。
この手の人情物には珍しく、限りなく現実的な女性なのだ。
夢を見ない、希望も持たない代わりに絶望もしない。

あるがままを冷めた目で受け入れて、ただ生きる。
だからと言って現状に流されるわけでもない。
押し寄せる不運に流されることもなく、その歩みは堅実だ。

そしてこの話自体もちょっと変わっていておもしろい。
実は私が読んでいて想像していた結末は、とーってもありがちなハッピーエンド。
おゆうは実は喜兵衛たちの本当の娘だった、あるいは本当の娘ではなかったけれど、喜兵衛の本当の娘のように受け入れられ、おゆうの頑なだった心も溶け、本当の親子のように幸せに暮らす。

宮部さんにとってはデビュー作に等しい作品だし、七不思議物語最終話だし、そんな風に綺麗にまとめるだろうと、まあなんと浅はかだったことか(笑)。
見事宮部さんにしてやられた。
快感、だった。
このしてやられた感は。

そんな消えずの行灯の舞台は「葛飾北斎生誕の地」あたり。
北斎は「富嶽三十六景」などで有名な江戸を代表する浮世絵画家の1人。
生誕の地のある北斎通りには、街路灯などに北斎の作品(複製)を展示する北斎ギャラリー(路上ギャラリー)が開設されている。
道を歩きながらのんびり見て回るには最適、現在94点展示されているというが、全部見尽くしてはいない。

もうひとつ、北斎通りには私の大好きな甘味処「北斎茶房」がある。
元は長屋の倉庫だったという木造の落ち着いた雰囲気のお店で、疲れた足を休めるのはもってこいの場所にある。
内装やメニューも洒落ていて、お店の人も忙しくなければ話し相手になってくれることも。
私も北斎ギャラリーのパンフレットもらって、見た作品にチェックを入れていたら、声をかけてもらった。


このパンフレットに北斎ギャラリー全展示作品の場所と絵の目録が掲載されているので、「北斎茶房」に寄ったらもらうとわかりやすい。
他にもいろんなお店に置いてあるとのことだったが、私が最初に行った時は、もう置いていないお店も多く、北斎茶房が確実だろう。

これで「本所深川ふしぎ草紙」の七不思議は終了だが、七不思議にはもうひとつ「津軽の太鼓」がある。
宮部さんも「平成お徒歩日記」に書いているが、「津軽の太鼓」は、「足洗い屋敷」や「落ち葉なしの椎」と入れ替わって七不思議に数え上げられることのある、いわば代打の話とのこと。
ならば八不思議にすればいいものを、と思うが(笑)、そこで「七」にこだわる理由を宮部さんは京極夏彦さんの「絡新婦の理」を引き合いに出して説明している。
これに関しては、いずれ「京極堂と仲間達」で「絡新婦の理」になった時に書きたいので、ここでは省略。

★「ブログ」に他の写真もアップしました。
(2013年8月5日の日記)
7月8日 足洗い屋敷〜南割下水
「本所深川ふしぎ草紙」に登場する場所は何度も行っているが、一番漠然としているのが、この足洗い屋敷。
写真の高札は緑公園にあるのだが、緑公園は「津軽の太鼓」の地として設定されているので、ここでは使えない(笑)。
まあ津軽屋敷と違って実在の旗本屋敷があるわけでないから、こだわらなくてもいいか。
ちなみに宮部さんはおみよの家を亀戸天神そばに設定しているが「東京歴史迷宮散策」では本所三笠町跡とあるので、総武に沿って両国駅から亀戸駅の間と見ていいだろうか。
三笠町、現在の亀沢町となる。

そうそう、「津軽の太鼓」は「本所〜」には登場しない。
実は七不思議ではなく八つの不思議があるのだが、その時々で入れ替わって七不思議にしているのだそうだ。
宮部さんのお友達、京極夏彦さんも「絡新婦の理」で人が「七」にこだわることについて触れていたが、「平成お徒歩日記」によると「津軽の太鼓は「足洗い屋敷」や「落葉なしの椎」と入れ替わって七不思議に数え上げられることのある話ということ。
詳しくは「津軽の太鼓」で書く予定だが、ここの不思議はあまり不思議ではないので(笑)、おまけのひとつにされたのだろう。

緑公園にある「南割下水」の高札には、水が淀み、暗く寂しい場所だったので「津軽の太鼓」「足洗い屋敷」「消えずの行灯」の舞台となったと書かれている。
下水と言っても、いわゆる排水溝ではなく、雨水を流すための掘割なのだそうだ。
池袋近くのバス停に、たしか「掘割」があったはずだし、「八丁堀」の地名もここから来た。
池波関係で後日取り上げる予定の「六間堀」もそのひとつでとてもおもしろい形をしていた。

なるほど、東京掘割めぐりをするのも楽しいかも。
現在は埋められてしまっているものが多いが、俯瞰の地図で見ると、掘割の形で残っていることも多いらしい。

「足洗い屋敷」、宮部版の話はとても好きだ。
お静がよくあるような、主人を「たらし込む」タイプではなくて、おみよにとっても優しい母親であろうとするところに惹かれる。
親子の信頼を勝ち取る手段に過ぎなかったとしても、それだけお静は必死だった、そうして生きて来たことを痛感させる。
さらにおみよがそんなお静の正体を知った上でなお憎めず、哀れに思い、そして成長する。

心の傷よりも心の成長を描くことによって、おみよという少女の魅力も増す。
宮部さんは子供、特に少女の描き方が本当にうまいと思うことが多々あるが、この短編もその一つ。

さて、両国といえば何度行っても「食」のイメージは「ちゃんこ」と「甘味処」。
そんなことはない、おしゃれなお店もたくさんあるのだが、どうも「和風+相撲」イメージばかりが先行してしまう(笑)。
でも先日行って見つけたのが「shake tree」というハンバーガーショップ。
とにかくおなかがすいて、この際何でもいいや、と思いながら歩いてたら、交差点の向こうにお店発見、何のお店かも確かめずに黄色信号を走って渡り、飛び込んだらハンバーガーショップだった。

黒服イケメンのお兄さんたちが勢ぞろいで、なんか昔通ったカフェバーを思い出す雰囲気。
手を洗うためにトイレを借りたらおしぼり持ってテーブルそばで待っててくれたりして、ちょっと恥ずかしい(笑)。
待ってる間に資料を整理していたら、話しかけてくれたりしてとても気さくな感じで好感度大。
そしてハンバーガーがおいしかった。

見た時はソースが足りない感じがしたけど、お肉の味をしっかり味わってもらうためにあえて控えめにしたそう。
足りなかったらお持ちしますと言われたけど、そのままで十分おいしい。
何よりピクルスが1本丸ごと入ってて、大きなバーガーでも全然飽きない。
(最初見た時は大きくて持て余しちゃうかな?と思ったけど)
ハンバーガーといえばマックやモスの私としては、このピクルスの大きさは嬉しい限り、もちろん相応のお値段です。


カントリー調のバーのようなお店でカウンターもあり、お酒もあるので今度は夜に来たい、リピート決定!
大満足して外に出て、今度は七つ目の目的に「消えずの行灯」の舞台、北斎生誕地に向かう。

余談だがこの本「本所深川ふしぎ草紙」と銘打っているが、深川は関係ないような気がする。
七不思議も普通は「本所七不思議」というだろうし。
宮部さんが深川出身で愛着があるから付け足したのか、私の勘違いで当時はいっしょくたにされていたのか、よくわからない。
そもそも本所と深川の境界線がわからない。
このあたりは今後の課題として調べてみたい。

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(2013年7月8日の日記)
6月15日 馬鹿囃子〜本所中学校
「本所深川ふしぎ草紙」の「馬鹿囃子」は、宮部作品に時々登場する私の苦手なタイプの娘が出てくるので、話もちょっと苦手。
綺麗事だけで生きてるつもりはないが、「嫉妬」が苦手。
宮部さんがまた、時折嫉妬深い娘を懇切丁寧に描いてくれるものだから、実は嫉妬する必要なんてなかった、相手もちゃんと自分のこと想ってくれてたんだってわかって一件落着、があまり楽しくない。
話はお吉の悲しみ、おとしにさえ馬鹿にされるお吉の苦しみが強すぎて、お吉に感情移入しながら一気に読み切った。

馬鹿囃子の舞台は墨田区東駒形3丁目、墨田区立本所中学校付近だという。
ここまで行けば、スカイツリー駅が近いので行ってみようかと思いつつ、テレビで見る大混雑が脳裏に浮かび(笑)、総武線駅に戻る流れが続いている。
混雑、行列が苦手、根性なしな私。

ところで本所中学校だが、学校のサイトやWikipedia他の情報を見ても、七不思議を意識してはいないようである。
置いてけ堀の第三亀戸中学校にしても、もっと七不思議関連を打ち出して、たとえば七不思議研究会みたいな部活動があったりして、と期待していたのだが、そういったものはないようだ。
残念だなあ。

歴史的名所なら宣伝になっても、伝承的名所?はマニアックすぎてインパクトないのだろか。
本所七不思議に中学生のうちから興味を持って調べまわるような活動、楽しいと思うんだけどなあ・・・。
この本所中学校はいかりや長介さんや王貞治さんの他に落語家の柳家さん喬さんの出身校でもあるので、もしかしてこの方七不思議関係の落語が得意?と調べてみたらそれもなかった、残念。

〒130-0005 東京都墨田区東駒形3丁目1−10
(2013年6月15日の日記)
5月30日 落葉なしの椎〜旧安田庭園と両国公会堂
落葉なしの椎はとてもわかりやすい場所にある。
旧安田庭園と両国公会堂がまさにその地で、ちゃんと高札もある。
旧安田庭園自体がかつての平戸新田藩の藩主、松浦家の上屋敷があった場所という。
七不思議の中で、「何がそんなに不思議なの?」と七不思議に入ること自体が不思議な「落葉なしの椎」だが、常緑樹とは言えただ1枚も葉が落ちることがなかったため有名になり、松浦家では不気味がってこの屋敷をあまり使わなかったなどという話を読むと、なんだか気の毒になってくる。

宮部さんもこの不思議で物語を作るのは苦労したのではないかと思う。
いえ話を思いつくまで、と書き換えようか。
話さえ決まれば書くのは楽だろうが(宮部さんなら)。
仮にだが、私が七不思議をモチーフにした小説を書こうと思えば、この「落葉なしの椎」が一番苦労しそうな気がする。

さて七不思議で急に親しみを感じ始めた平戸新田藩松浦家だが、Wikipediaによると、現在の長崎県平戸市の豪族であった松浦党より台頭し、戦国大名となった後、関ヶ原の戦いで東軍に付いたため、徳川家康より領地を安堵されて平戸藩となったという。
平戸といえば鎖国時代の数少ない貿易港のひとつという知識はあったが、ここにつながるか、おもしろい。
新田藩は平戸藩の支藩で「しんでん」と読むらしい(「にった」と読んでしまった)。
名字としての「新田(にった)」は以前からあったろうが、地名としての「新田(しんでん)」は字のままに新しく開発した田畑であり、そのまま地名として残ったのだろう。

旧安田庭園も散策するには気持のいいところで、通りかかれば必ず寄るが、公会堂は入ったことがない。
でもとてもきれいな建物だ。
残念ながら老朽化のために使用停止になったとのこと。

ただモデルとなった?椎の木がまだ残っているらしいのに気がつかなかった。
今度確かめに行ってみたい。
だいたい「椎の木」って札貼ってくれないと椎の木がどんな木かわからない。
たぶんこの木ですよ〜と教えてくれる札か何かあればいいのだが。

さて、こうして両国を歩いていると、お気に入りの店を見つけることも多い。
今回紹介したいのは明治2年創業の佃煮の「海老屋総本店」さん。

店構えが気に入って、買い物ついでに道を聞いたりしたのだが、気さくにいろいろ答えてくれた。
私はもともと佃煮はあまり好きではなかったのだが、街歩きをしていると、佃煮屋さんには素敵な建物が多くて(笑)、お話を聞きたくて入るたびに買うようになり、いつの間にか大好きになってしまった。
今は漬物よりも佃煮派かも。

写真は「落葉なしの椎」の高札。
後に見えるレンガ色の建物が両国公会堂。
ドーム型で日本庭園とのギャップが楽しい。

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(2013年5月30日の日記)
4月7日 置いてけ堀 3〜第三亀戸中学校正門前
3つめの置いてけ堀候補地は第三亀戸中学校正門前。
「平成お徒歩日記」で宮部さんが釣竿と魚籠持って写真に納まってる場所。
私が行ったのは日曜日だったので門が閉まってて学生の姿も見えなかったのが違うくらい。

実はここ、七不思議関係で一番迷った場所。
具体的な中学校名が出ているし、錦糸堀公園からそんなに遠くないので迷うはずないのだが、錦糸堀公園からから何故か北斎通りに向かってしまって大回り。
5人ぐらいに道を聞いたというワースト記録。
意外なことに知らない人も多かった。

知らないというより学校が多いらしく、どこにあるのが第三で、あそこにあるのは何だっけ?みたいなこと言う人が多くて顔見合わせて笑ったり。
私もよく道聞かれるけど、地元といえども意識してないと、建物と場所が一致しないというか言葉でとっさに出て来ないことが多い。
連れてくならいっそ簡単だけど。
ところで「亀三中」、着いてみれば亀戸駅のすぐそばだった、無駄に歩いたなあ(笑)。

ここですることは写真撮るだけ。
帰ってから学校のホームページ見てみたが、置いてけ堀に関する記述はなし。
この逸話を学校の特徴にしてもっと打ち出せばいいのに、七不思議研究部とか図書室に七不思議研究コーナーとかあればいいのに、と思った。
でも考えてみれば私も中学生時代なんて地元の歴史や史跡なってかけらの興味もなかったし。
(特に特徴ある場所でもなかった)。

池波正太郎物を読んでいたけれど、歴史の興味は一気に戦国時代、信長、秀吉、家康の四語でまとまる程度だった。
私の悪い癖で、興味を持つとそこだけは調べるが、そこから広がらない。
歴史に興味を持ったら、たとえば戦国時代につながる前後の時代、信長の前、家康の後、さらに秀吉以外に生きた人たちなど調べればいいのに、興味ないといっさい関わらない。
だから調べても身にならないし、読んでも忘れる。

歴史にしてもまず身の回りの地域の歴史を固めて少しずつ広げて行けたらいいのになあといつも思う。
まあそれができたら私も今頃歴史学者か。
悪い癖ついでに書くと、私は理想があればそこにすぐ飛びつきたい人で、地道に努力する気概に欠ける人。
だから当然理想に近づけないし挫折するのも早い。
私の人生いつもそれで失敗してたな・・・。
なぜか学校の正門見ながらしみじみ自分の人生を振り返っていた、笑う。
はたから見てたら絶対怪しい人だ。


さて、こうして七不思議のうち三つまで見てきたが、実際に私が見てなかったのは、この亀三中(置いてけ堀)と本所中学校(馬鹿囃子)、あと前回書いた置いてけ堀のタイルがある所だけで、他はほとんど公園や建物などお馴染みの場所ばかり。
まあ広範囲を歩くだけに、まとめて回ろうと思えば1時間2時間では難しいだろうが(ひたすら歩くだけならいける、笑)、スカイツリーからもそんなに離れてないので、「江戸を歩きたい」方にはお勧めかも。
ダイエットに最適!
特に両国は以前紹介した高札も多く、50か所全て回るのが私の生涯を通した目標・・・。
本気で歩けば一年以内にできそうだけど、他に行きたい所があり過ぎる。
(2013年4月7日の日記)
3月21日 置いてけ堀 2〜焼肉「三千里」前
2つめの「置いてけ堀」候補地は、宮部さんが文庫版「平成お徒歩日記」189ページで写真に写っている「置いてけ堀」の物語を絵にしたタイルの場所。
ところが私、ここで当初の目的である「置いてけ堀」がすっ飛ぶような物を発見したのである。
「焼肉三千里」の看板。

これで思い出したのが盛岡の焼肉「三千里」。
私はとにかくここの冷麺が好きで(焼肉に関しては記憶にない)、上京前は、とにかく冷麺を食べるためだけに盛岡まで通った時期がある。
東京でも焼肉はよく食べに行くが、どこに行っても冷麺に満足したことはない。
スーパーで時々見かける「戸田急」の冷麺がまさに盛岡三千里の冷麺で、黄色くて輪ゴムみたいな食感の麺に酸っぱいスープ、そして最後に加える辛いキムチだれ。
この「辛酸っぱさ」が、特にフルーツとの相性抜群で何度食べても飽きないお味。

その「三千里」がここ、錦糸町にあるとは!
と思ったが、サイトを調べてみたら、残念ながら名前が同じだけで全く別のお店だ った、残念。
冷麺もこちらでよく見る生そばのような色の冷麺。

行きたいなあ、盛岡の「三千里」と思ってこちらも調べてみたら、あれ?二軒しかない?
私が連れてってもらった頃は、ちゃんとしたお店じゃなくても小さな「三千里」があちこちにあって、確か山形にもあったような・・・。
だとしたら寂しい限り。
でもこちらの「三千里」も錦糸町近辺に店舗は多いし、今度行ってみようかなあと思っている。


「置いてけ堀」調べに来て焼肉の話で盛り上がってばかりでは情けないのでちょっと考えたことをひとつ。
前回紹介した錦糸町公園は河童の像だったし、ここのパネルも河童になっている。
「河童」と断定しているのはなぜだろう。

たとえば歌川国輝が描くところの「置いてけ堀」の絵に出てくるのは坊主頭の幽霊?みたいな姿だし、元ネタになった話にも「正体不明」あるいは「不気味な声」とあるだけで、河童とは明示されていない。
錦糸町公園にある河童の像のそばの立札には

ー「おいてけ!!」「おいてけ!!」の「声の主こそ『河童』と伝えられています」ー

とあるだけで、やはり詳しい説明はない。
Wikipediaによれば、声の主には河童の他にタヌキ、カワウソ、ムジナ、スッポン、さらに追いはぎまで諸説あるそうだが、付近の隅田川、源森橋、錦糸堀、仙台堀に河童の伝承があることが根拠とされて河童説で落ち着いたそうだ。
それで思い出した。
以前「犬夜叉」に登場した「河童の手のミイラ」を実際にあるという浅草橋の曹源寺に見に行った時、河童の川太郎が浅草橋近辺の治水工事に協力したという昔話を知ったんだっけ。
それにつながるわけか。
こういう風にピンポイントの知識がつながり始める瞬間がとても好きだ、おもしろい。
(2013年3月21日の日記)
2月22日 置いてけ堀 1〜錦糸堀公園
「平成お徒歩日記」を読むまでは、置いてけ堀の候補地が3ヶ所あるなんて知らなかった。
たぶん一番有名で一番有力な候補地「錦糸堀公園」で満足してたから、残り2ヶ所は行ったことがなかった、当然か。
3ヶ所が同じような場所にあれば、それも納得できるが、1ヶ所だけけっこう離れているのでわかりにくい。
まあ錦糸堀自体堀だから(現在の北斎通り)、堀に沿ったあちこちでいいわけだけど。

今回紹介するのはお徒歩日記で宮部さんが可愛い男の子と写真撮ってる河童像がある錦糸堀公園。
私が唯一知ってた候補地。
この像のそばには「置いてけ堀」の由来を書いた立派な立札もあるし、これを見た人は大体満足するんじゃないかな?と思う。

錦糸町駅を背に京葉道路に向かって進めば京葉道路を越えてすぐなのでわかりやすいが、未だにわからないのが、錦糸堀が「京葉道路」なのか「北斎通り」なのかどちらなのかということ。
候補地2ヶ所は京葉道路沿い、1ヶ所は北斎通りにあるし、いくつかのサイトさんをのぞいてみてもはっきりしない。
まあ元々あったお堀を埋め立てた上での民間伝承だし、はっきりしないのが当然だけど。
この辺は宮部さんも触れていて、私は宮部さんの残した足跡をついて回っているだけ。

余談だが、宮部さんが地ビールを飲んだ両国駅構内のビヤホール。
私もここのハーフ&ハーフが大好きで、両国で降りると必ず飲んでたが、別のお店に変わってしまった、残念。
今のお店も悪くはないけど、黒ビールそのままだと苦手な私でもすんなり飲めるここのハーフ&ハーフおいしかった・・・。
宮部さんがごくりと飲んだおいしい地ビールもたぶん前の店。

名前忘れたけどチェーン店だから探せばどっかにあるんだろうけど、両国で降りて飲むのが格別だったのになあ。
もしくは散々歩いて電車に乗る前に飲むあの一杯。

さて「本所深川ふしぎ草紙」の「置いてけ堀」。
話は好きだが、ヒロインはいまいち。
宮部さんの小説には、たまにこういう男の支えなしには生きていけない儚げな女性が登場する。
それはそれで魅力的なんだろうが、宮部さんの書くそういうタイプの女性はどうも影が薄いというか魅力を感じない。

逆にたくましいタイプ、おきゃんなタイプが魅力的過ぎて、こういうタイプがあか抜けないのかもしれないが。
それだけにおしずの境遇に同情しつつも淡々と読み、読後感も残らない。
この話が続いて行けば、これからおしずも魅力的になるかもしれないというある種期待感を持たせて締めるのはさすがと思うが。
あと罠の掛け方がちょっと都合が良すぎるかな?とも思う。

七不思議の中では一番インパクトの強い「置いてけ堀」を使っているだけに、もったいなかった。
(2013年2月22日の日記)

1月26日 送り提灯
「送り提灯」の舞台は回向院。
「歴史迷宮散策」では法恩寺となっているが、元々1か所ではなく本所一帯を歩いてると付いてくる提灯だから、特定の場所ではないのだろう。
回向院も法恩寺も本所に行けば必ず訪れる大好きな場所である。

明暦の大火(振袖火事)をきっかけに建立された回向院は両国駅のすぐそば。
両国で降りて、本所歩きを始めようとすれば、自動的に通る場所なので、必ず寄る。
広くて緑の多い居心地のいい場所、と言っては失礼か、でも近所のお年寄りや昼休みのサラリーマンがのんびり過ごす姿が見られる。

ちなみに南千住にある南千住回向院は、小塚原の刑場跡に建てられたせいか、夕方など通りかかると、ふっと背筋が寒くなるような雰囲気があり、もちろん散策するような場所もない。
宮部さんも「平成お徒歩日記」で南千住回向院に行って(「罪人は季節を選べぬ引廻し」)、かなり怖かったと書いてるけど、それ以前に夜に訪れる度胸に感心。

そして法恩寺は池波正太郎著「鬼平犯科帳」で有名なお寺。
若き日の鬼平さんが、法恩寺の大屋根を見ながら高杉道場に通ったわけだが、法恩寺はそれほど大きなお寺ではないので、大屋根を想像していると「?」となる。
震災・戦災によって焼失してしまったため、今の姿で建て直されたとのこと、以前は大屋根があったのかも。

上京以来、かなりの数の寺社を巡り歩いたつもりだが、これまで訪れた中で一番頂いた由来書が立派だったのが法恩寺。
二つ折りにしたA3サイズの厚手の光沢のある豪華版で、カラー写真が満載、「池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』の登場人物である鬼平や左馬之助は法恩寺の大屋根を見ながら高杉道場へ通ったということです。」と誇らしげな記述が微笑ましい。

さて、「送り提灯」の主人公おりんは12歳だが、読んでいると、口調のせいかもっと幼く感じる。
それでも気働きに優れ、賢い娘で宮部時代物の典型的なタイプの少女だ。
ところが奉公している大野屋の娘に言いつけられて、神無月に毎夜丑三つ時(10月の午前2時頃)に回向院の境内まで行って小石を一つ拾ってくるように言いつけられる、それも百晩、100日。
お嬢さんの恋のためである。

と書くといくらか聞こえが良くなるが、このお嬢さん、「絶え間なく」恋をする、「たくさんの」の恋をしてきた。
それだけに、純真なおりんの目で見れば、今回の恋、少し生臭い。
たとえ今度こそ本気であったとしても、選んだ相手が悪かった、男を見る目がなかった。
けれど気づかず、せつない恋のおまじないを、おりんに押し付ける。

悪気はない、全くない。
それだけにあほらしいけど、おりんにしてみたらたまったものではないだろう。
描写はされていないが、おりんは清助にほのかな想いを寄せているようだ。
でも清助はお嬢さんにかなわぬ恋心を抱いている。

そんな清助から中途半端な優しさを示されても、おりんは苛立つだけだ。
この2人の会話がいい、おりんの心の動きがいい。
宮部さんは、娘を描くのが本当に上手だ、子供も上手だけど。

結局お嬢さんにはバチが当たるわけだけど、そのせいでおりんは清助と離れ離れになってしまう。
送り提灯が清助であったのか、そうではなかったのか。
これからも困った娘のお嬢さんがいる大野屋で、清助がいなくなった大野屋で働き続けなければならないおりんは、もう送り提灯にも出会えない。
苦みが残るお話だった。
(2013年1月26日の日記)
12月29日 山田屋さんの人形焼
本所七不思議の地をたどりながら、「山田屋」さんも探し歩いた。
「東京歴史迷宮散策」に宮部さん御用達と紹介されており、調べてみたら「本所深川ふしぎ草紙」を書くきっかけになったお店だという。
人形焼は食べたことないのだが、どうやら七不思議に関する人形焼らしいし、と行ってみたわけ。

錦糸町駅を背中に京葉道路に向かって歩いて行くと自然に目に入る場所だった。
9月に移転したということで、真新しい店舗に綺麗な胡蝶蘭、下町の人形焼のお店というには綺麗過ぎる感じだが、お店の人が気さくで優しい。
(画像で検索した以前の店舗も雰囲気あっていいのになあ・・・。)

いつも買いに来る近所のおばあさんとのやり取りなど、聞いてるだけで楽しくなってくる。
結構混んでたので、ぼうっとお店の中を見ていたら、「直木賞作家宮部みゆき ごひいきの店」としっかり書いてあった。
手書きっぽいのが微笑ましく、またどこかで宮部さんが「私など効き目ないですよ。」おっしゃったけど、サイトの宣伝に使わせてもらったという記事を読んで、親しみを感じる。

手の空いたベテランぽい店員さんが声をかけてくれたので、お店の写真を撮らせてもらい、人形焼を買う。
なるほそ、狸や太鼓など、七不思議に沿った人形焼がちんまり並んでて可愛く、おいしそう。
歩き回っていい加減疲れていたので、甘い物がとってもおいしそうに見える、危険(笑)。

ところがビニール袋に入っているお徳用を1個買ったら、当然ながら包んではくれず、ナイロン袋に入れてぽんと渡されたので大慌て。
「すみません、包装紙いただけますか?」と頼んだら、そういう要望も慣れているのか、すぐに1枚くるくるまるめて輪ゴムで留めて、「はい。」と渡してくれた。

こういうなにげないやり取り、店員さんの態度で私などこのお店がすっかり好きになり、錦糸町来たら必ず買おう、なんて人形焼あまり好きでないことも忘れて思ってしまうのである。

でも山田屋さんの人形焼、軽くレンジで温めて、濃く入れたお茶で食べたら3個ぺろりといけてしまった(笑)。
なんだろ、皮がおいしいんだ。
食べながら包装紙の七不思議を改めて読んで、ここから「本所七不思議」を書き上げた宮部さんってほんとにすごいって改めて思ったのである。

★狸が一番のお気に入り。
(2012年12月29日の日記)
12月14日 本所七不思議〜片葉の芦
先日本屋さんをぶらぶらしていて「 東京歴史迷宮散策 」を見つけて思わず買ってしまった。
こういうジャンルで「迷宮」「不思議」「謎」なんて言葉に、私はほんと弱い(笑)。
電車の中で、ぱらぱらめくってみて最初に出たのが「本所七不思議」だった。
正直言えばこの手の本は山ほどあって、七不思議自体はありきたりなものでしかないのだが、宮部みゆきさんの「本所深川ふしぎ草紙」とコラボしてあるのはおもしろかった。

宮部さんは「平成お徒歩日記」でも本所七不思議巡りをレポートしていて、読者にとっても特になじみが深い。
「片葉の芦」の高札や「置いてけ堀」候補地?のひとつである錦糸堀公園(河童の像がある)などは行きやすいのでよく見に行くが、七不思議を通して歩いたことはない。

秋葉原駅から亀戸駅までの一本道(京葉道路)、総武線の線路に沿って回向院、法恩寺、亀戸天神など池波氏ゆかりの場所も多く、通して歩いたり、錦糸町、両国、浅草橋などで乗ったり降りたり行く機会も多い。
三つ目通りを調べた時に、緑図書館で博識のご老人(図書館員さん)にいろいろ話を聞いたが、あの人は健在だろうか。
宮部さんが「お徒歩日記」で書いてるように、「方眼紙を敷き詰めたような」町で、七不思議は両国から亀戸にかけてのその道の両側に点在しているのだが、結構距離もあり、迷ってしまってまだ辿り着いていない場所もある。
迷って迷って迷いまくったのだ。

見たい場所は10ヶ所。
七不思議の候補に8件あるのでその8か所+「置いてけぼり」の候補地2ヶ所追加の10ヶ所である。

まずは「片葉の芦」。
両国駅で降りて、宮部さんにならって両国橋のたもとにある「片葉の芦(片葉堀跡)」から始める。
両国橋のたもとに着いたら、交番の反対側、ちょっとした繁みの脇の道に入ると、すぐに「片葉の芦」「藤代町跡」「駒留橋跡」と高札が3本立っている。
高札とは、時代劇でよく見る、人相書きなどを貼りつけた、山形で屋根のある?立札。
両国ではなんと61ヶ所に歴史由来の高札が立たってて、いつか制覇してみたいと思っているのだが。

さて、「芦」、話で聞いて絵で見てもよくわからない。
芦笛も聞くけどよくわからない。
で、画像検索してみたら笹みたいな感じだった。
両国さんもどうせだったらその辺に芦植えてくれたらいいのにね。

実はこの近くに「与兵衛すし跡」の高札もある。
「本所深川ふしぎ草紙」の「片葉の芦」に出てくる近屋藤兵衛のモデルだろう。
もっとも与兵衛のように、ご飯にわさびと刺身をのっけて握るスタイルの寿司を屋台で立ち食いさせたのではなく、もう出ていたがあまり知られてなかったその寿司を、お店で食べさせた人物として描かれる。

「片葉の芦」は、藤兵衛が正しいのではなく、お美津が正しいのでもない、食い違うのにぶつかる、その不幸の上に成り立つ小説である。
この話ではお美津を世間知らずとして描いているが、このような少女を優しいヒロインとして据える小説も圧倒的に多いはずだ。
お美津が成長してからはむしろ悪役のような描写だが、これもまた理解し難い父親との確執と思えば気の毒にも思えてくる。

本当の優しさは藤兵衛だろう。
だがお美津がいなければ彦次は飢えたまま死んでいたかもしれないし、お美津の優しさを支えに成長することもできなかった。

藤兵衛が仕事をこっそり世話するだけでは、彦次の胸にわだかまるものは、藤兵衛への怨みだけだったろう。
ふしぎ草紙と銘打っている作品だけど、片葉の芦よりも、藤兵衛殺しの犯人よりも、この親子をどういう気持ちで宮部さんが描いたのか、それが私にとっては一番大きな謎である。

七不思議にかけて、七話が掲載されているが、私が一番好きなのはこの「片葉の芦」だったりする。
宮部さんが本所七不思議をどう仕上げるか、興味津々で読み始めて最初に当たった物語だからかもしれない。

(2012年12月14日の日記)
7月13日 宮部みゆきは二人いる
私がホームページを始めたのはアニメの「犬夜叉」という作品にハマって、その感想を書きたくなったから。
すでにアニメが始まって2年たっていたからもう90話くらいまで放映されていたから、毎日のように感想を書いた。
頭の中がもう24時間「犬夜叉」でいっぱいだったから、「犬夜叉」のことばかり書いた。

しばらくして感想も追いついてきて、他にも書きたいことがいろいろ出て来たので、他のコンテンツも立ち上げ、ブログも作った。
「犬夜叉」以外にも、本や漫画やゲームの感想を書いた。
日記のような形で日々の出来事も書いた。
時には落ち込んだこと、腹立たしかったことなども書いた。

そんなある日、メールが届いた。
女子中学生かな?って雰囲気だったが、そのAさん(としておこう)も「犬夜叉」が大好きで、いつも楽しく読んでいるとのことだった。
でも最近読んでて楽しい事ばかりじゃなくて、私の愚痴など書いてあるのが悲しいと書いてあった。
「大げさに言えば、えむさんのホームページでは現実を忘れて楽しみたい」と書いてあった、驚いた。
私のホームページである、何を書こうと私の勝手である、ずっとそんな風に思っていた。

というよりそんなこと意識もせず、その日その日で書きたいことを書き散らしていたから、こんな風に捉えて来てくれる人がいることに驚いた、ありがたかった。
同時に私の中に、言い方は悪いがある種の「枷」が生まれたようにも思う。
うまく言えないのだが、この「枷」は未だに私の中にあって、時にはさしさわりのないことしか書けない状態に私を追い込むが、このメールから学んだことは大きかった。

そこで宮部みゆきである。
宮部みゆきは二人いる、と書いたが、乱暴に分ければ現代物を書く宮部みゆきと時代物を書く宮部みゆきである。
シリアスな現代物はほとんどが怖い。
自分がいつか陥るかもしれないリアルな恐怖は下手なホラーの比ではない。
特に「火車」の借金地獄などは本当に怖かった。
触れたくない怖さがあった。
おかしな言い方だがサイトで触れたくない怖さである。

一方前回書いたように、宮部みゆきの時代物は暖かい。
先日読んだ松井今朝子著「円朝の女」で著者が「時代小説が今よく読まれている理由も、ちょっと時間軸をずらして、現実離れした世界に逃げたいからなのかもしれません。」と語っ ていたが、宮部みゆきの時代物はまさに逃げたい読者を一番心地よく包み込んでくれる。
だからといって都合良く薄いわけでもないし、一般的なファンタジーほど現実離れしているわけでもない。
女性作家の書く時代物はおおむね好きだが、中でもサイト的に一番相性がいいのが宮部みゆきというわけだ。
あの日以来、なんでもこのように分けて考える癖がついた。
私個人の読み方はちょっと違うが、「趣味のサイトの在り方」をずっと模索し続けていて、そんな結論に達しつつある。

宮部みゆきの現代物(シリアス物)のような、さらに自分をさらけ出すような内に向かうタイプのもう一つのサイトも作ろうとしたことがあるが、結局両立できずに挫折してしまった。
そうそう、もう一人「平成お徒歩日記」を書いた、「ドリームバスター」を書いた、でもってゲーム大好きな、ちょっとはっちゃけた素に近い宮部みゆきもいる。
なんだ、宮部みゆきは三人いるのか。
いろんな作品を宮部みゆきの中の三つの個性が書いているのではなく、三人の宮部みゆきがそれぞれ書いているのだ、と私は固く信じている。
(2012年7月13日の日記)
5月15日 宮部みゆきと時代物
宮部みゆきの本を初めて読んだのがいつのことかは覚えていない。
たしか妹か友だちのどちらかが好きで揃えていたのだろう。
というのは、読み始めてすぐに、宮部みゆきを子供の頃からずっと読み始めていたような錯覚に陥ってしまったから である。
その本が何だったのかも覚えていないが、時代物だったことだけは覚えている。

宮部物は出れば必ず読む私だけれど、私にとって宮部みゆきは時代小説作家、それに尽きる。
現代物が嫌いなわけじゃなくて、それはそれで好きなんだけど、時代物が好き過ぎて、現代物の印象がとっても薄い のである。
宮部みゆきの時代物のどこが好きかと言えば、哀しい話もある、怖い話もある、やりきれなさの残る話もある、 にもかかわらず、「宮部みゆきの時代物」というだけで、心が温もるような、そんな雰囲気が好きなのだ。

宮部物には子供が多く出て来る。
大概ころころころころよく動く。

宮部物には少女も多く出て来る。
大概くるくるくるくるよく働く。

もちろんそれだけではない。
おおらかな武士や、おっとりしたおかみさんや、時にはとんでもない悪人も出る。
全て愛すべき個性に満ち満ちた人物だ。

もちろんいくらキャラが良くても、話がおもしろくなくてはそれほど読まない。
怖かったり、不思議だったり、哀しかったり、楽しかったり、いろいろだ。
読み終えた後はやっぱり心が暖かくなる。

池波小説と同じく舞台はほとんど江戸であり、さらに宮部みゆきは「食べることが大好き」な性格もいかんなく発揮 する。
これが好きにならずにいられようか。

他にも好きな時代小説作家はたくさんいるが、宮部みゆきが特に好きな理由がもうひとつある。
「平成お徒歩日記」である。
歴史や小説に登場する史跡や寺社を歩き回る。
私も漠然とはしてたことだけど、宮部みゆきは本にした。

しかも旺盛な好奇心、楽しさとは別の部分で歴史としてしっかり捉えるその鋭い感覚、親しみやすい性格と多分にミ ーハーな部分(笑)。
読んでて楽しい。
そっか、私もやってみようと思った。

確かにただ漫然と見て写真を撮るだけだと、記憶も薄れ、資料もしまい込んだまま忘れてしまったりする。
書いたらいい。
見たこと感じたこと知ったこと。
簡単なことなのに全然思いつかなかった。

宮部みゆきは読者のために書いたけど、私は自分のために書くことにした。
これが楽しい。
宮部みゆきに感謝、である。

というわけで、これから宮部みゆきの時代物の感想を、時には現代物も取り混ぜて書いていきたいと思う。
(2012年5月15日の日記)


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