宮部みゆきと時代物(三)

2月10日 泣き童子 2
★内容に関してネタバレ含みます。

「小雪舞う日の怪談語り」
この話はとっても好きです、内容もいいけどタイトルもいい。
特にお関の話。
母の愛を書いた話はたくさんあるけど、うまいなあ宮部さん、としみじみ思う。
何の葛藤もなく、当たり前のように自分の寿命を差し出す、そのさっぱり感がたまりません。

それでいてちゃんと幸せに生きて行く。
確かに寿命は10年喰われたけど、これほど素敵な生きざまもそうないのではないでしょうか。
半吉も、宮部物にはありがちだけど、やっぱり最後はちょっと救いがあった方が気持ちよく読めるものです。
おちかが恋してる青野利一郎はあまり印象に残らないけど、井筒屋七郎右衛門は今後もどんどん出て来てほしい。
おちかが黒白の間を離れて外出するのも新鮮でした。

「まぐる笛」。
これは「荒神」の下敷き?になった短編ではないかと思うのですが、私は「まぐる笛」の方がずっと好きです。
決着のつけ方もこちらに軍配を上げます。
長くすればいいというものではないという見本のような作品かと思います。
再読してふと上橋菜穂子著「獣の奏者」を思い出しました。
あそこまでの重さがないのが宮部物の特徴です。
だから宮部さんや上橋さんはすごくその時々の気持ちによって無性に読みたくなります。

「節気顔」。
最終話。
「あの男」が帰って来た。
おちかの前に、ではないけれど。

でも今回この男は善か悪か、さらに謎を残して終わります。
「日本経済新聞」に4作目が連載されているようです。
読みたいですねえ、でも我慢我慢。

「宮部みゆきの江戸怪談散歩」のインタビューで、おちかがお嫁入りして、代わりに伊兵衛の次男が引き継ぐ構想が あることを語っていましたが、私はおちかに続けて欲しいなあ。
やっぱり女性の方が華があるというか。
男性が主役になってとなると、急に畠中恵さんの「まんまこと」シリーズ思い出してしまいました(笑)。
それに結婚相手がどうやら利一郎じゃないっぽい?

お勝も好きなので、お勝がお嫁入りして幸せになるのは大賛成です。
とりあえず5作までは書く宣言されたので期待してます。
気になります、早く出版してほしいです。
(2016年2月10日の日記)
1月29日 泣き童子 1
★内容に関してネタバレ含みます。

「三島屋変調百物語」三作目。
江戸の町の庶民の生活を描くうまさは相変わらずですが、雰囲気は一気に初期の頃に戻ったような本作です。
「本所深川ふしぎ草紙」「勘忍箱」「あやし」など、賑やかさのない短編集を思い出します。

「荒神」の感想はすでに書いているので、「宮部みゆきと時代物」も現在のところ本作感想が最後になります。
なので2回に分けて大事に感想を書きたいと思います。

「魂取の池」。
以前も書いたと思いますが、私は宮部さんの悋気物?は苦手です。
私は魂の焼けるような?恋などすることもなく、同志のような人といつの間にか結婚しました。
それ以前もかなわないならあきらめる、振られる前に自分から去る。

かっこつけと言うより、自分の感情をあまり波立たせたくないタイプなのかと思っていますが、それでいて 怒り、悲しみ、落ち込みなどの感情の起伏は激しい方なので、悋気もたまたま起こすきっかけがなかったということなのでしょうか(笑)。

そんな私の(あえて抑えている?)部分を見せつけられる気がするから苦手なのかよくわかりませんが、宮部さんだけじゃなく悋気物の持つ 生々しさは苦手です。
でもこの作品はおもしろかった。
奇麗に昇華するのではなく、おもしろおかしく消えちゃった、そんな部分がとても好きです。

「くりから御殿」。
現実にも様々な事件や災害が起こって、「生き残ってしまった」人の苦悩をテレビや新聞で知ることがあります。
初めて読んだ時はまだ子供だったので、たとえば家族や友達を見捨てて逃げたんじゃないのに、なぜ自分を責めなきゃならないの?と 納得できませんでした。

今ならわかる、その言葉の持つ重み。
自分を責める言葉の中にある悲しみや怒りや苦しみや。
「亡くなってしまった人の分まで強く生きることが、亡くなってしまった人の望み」と励ますことは簡単ですが、その言葉の何と軽く聞こえる事か。
本作では、ヒロインがただ聞く、ひたすら聞くことによって結果的にその苦しみをいくらかでも和らげます。

聞いている側(読んでいる側)には容易に理解できる子供たちの優しさが本人にはどうしても届かない、その辛さ。
重く、そして哀しく優しい物語です。

表題作「泣き童子」。
いわゆる「怪談」に属する作品なのでしょうが、哀れなのは末吉。
彼は何者だったのか。
望んでもいない能力を与えられて不幸になる子。

生まれ変わって?なお母に疎まれ恐れられ。
怪談であり悲劇でもあります。
確かにおもんは悪い女です。
でも甘やかされて育った驕慢な我儘娘は世の中にたくさんいます。

実際宮部さんの作品の中にも何人か登場します。
でもみんながみんなひどい目に合ったわけではありません。
悪い男に騙され、悲劇的な結果に終わる娘もいるでしょう。
悪い芽を摘み取られて立ち直った娘もいるでしょう。

でもおもんは末吉に会ったばかりに運命を狂わされます。
末吉もまた、そんな能力を持ったばかりに、殺されます。
誰が悪いのでもなく、ただその恐ろしさが際立つ作品です。
(2016年1月29日の日記)
1月18日 桜ほうさら
★内容に関して軽くネタバレ含みます。

宮部さんの時代物といえば、初期から「おまえさん」まで私のイメージカラーは夕焼け色。
内容も、こっくり煮込んで照りまでついたお徳さんの煮物のように読んでいる。
「日暮らし」あたりから、砂糖を入れ過ぎてちょっとくどくなったかな?と感じてみたり。

「桜ほうさら」はちょっと違う。
表紙に惑わされたのかもしれないけれど(笑)、イメージカラーは桜色。
タイトルに惑わされたのかもしれないけれど(笑)、これまでよりもさらっとしている。
「三島屋変調百物語」シリーズもこちらに近い気がする。

この雰囲気の違いは、内容よりも主人公にあるのかも。
おちかも笙之介も、濃いキャラ付けがされていない。
描写も控えめ、ストーリーが淡々と続いていく。
「桜ほうさら」はむしろ周りの方が印象強かったりもするが、たまにはこんな雰囲気もいいと思う。

ただどちらが好きかと言われれば、私は「ぼんくら」系のこってりくっちり煮込んだ方が好きかな?
少なくとも何度読んでも飽きないという中毒性は、この本には感じなかった。
一度じっくり読んで大満足、本も完結自分も完結みたいな。
相変わらずのいい人揃いだけど、宮部さんの持ち味は、悪役すら憎めないところにあるのだろう。
好き、ではないが一番現実味を帯びたキャラは里江と感じた。

相変わらずみんないい人で読後感もいいけれど、今度はまた初期のようなちょっと毒を持った作品も読みたい。
ちなみにタイトルの「桜ほうさら」とは、山梨県の一部で使われる「いろいろあって大変だ」という意味の「ささらほうさら」に、 物語の中で象徴的に使われる「桜」を絡めた造語(Wikipediaより)。
私は書店で見つけたが、最初畠中恵さんの新刊かと思った(笑)。

この作品もドラマ化されたらしい。
サイトを見てみたら、笙之介は玉木宏さんだった。
すごくしっかり者に見える(笑)。
再放送しないかな。
(2016年1月18日の日記)
1月8日 おまえさん
★内容に関して軽くネタバレ含みます。

「ぼんくら」「日暮らし」に続く、まさかの井筒平四郎シリーズ第3弾。
出たのにびっくり厚さにびっくり「くどさ」にびっくり。
でもおもしろかった。

宮部さん本人も書いているけど、解説が、感想が、描写がしつこい。
「しつこいようだが」と書いてある以上にしつこい。
上下巻の3分の1は解説じゃないかと思うくらいにしつこい。

初読の時は少々邪魔に感じるが、2度目からは、語感を楽しむリズムを楽しむ読み方ができる。
弓之助の顔がどうだ丸助の顔がどうだ信之輔の顔がどうだ。
平四郎の顎がどうだ源右衛門の皺がどうだ淳三郎の襟巻がどうだ。

声を出して読んでみたらいいかもしれない。
宮部節のリズムを掴んだらくどさも消える。
たくさんの登場人物にいちいち解説つけたことで、弓之助押し感も消えたのではないか。

が、残念なのがそのせいで本来の主役の2人の影が薄くなってしまったこと。
ちょっとネタバレになるが、タイトルの「おまえさん」が彼らにかかるかと思ったら、それすらなかった。
今回は特にインパクトの強い登場人物が多いので、肝心の2人の存在感が薄く、よって最後も盛り上がりに欠けた、残念。

でもその芯となるストーリーを無視して、たくさんの人物を描いた人情劇と捉えると、俄然おもしろくなる。
私は特におきえが好きだ。
好きというのは当たらないな、むしろ嫌いだ。
でも単なる悪役で終わらせない凄みがある。
なんとなく完結してしまった気もするけれど、是非続きが読みたい。
去年もドラマ化されたことだし、是非是非お願いしたい。

どのインタビューだったかで、宮部さんが最近の社会には付いていけないから、現代物は書けないと話していた。
(かなり前の話ね)。
でもなんとなく最近は現代物ばかり書いているような。
映画で話題になったせいもあるかもしれないが、私はやっぱり宮部さんには時代物を書いて欲しい。
(2016年1月8日の日記)
12月25日 ばんば憑き
★内容に関して軽くネタバレ含みます。

短編集「ばんば憑き」。
こんなに素晴らしい作品なのに、手にするたび苦味がある。
本当に悲しいし、本当にもったいない。
今蒸し返すことはしないが、先入観を持たずに読めば、おそらくおもしろいと思わない人はいないだろう。

「坊主の壺」は怖い、素晴らしいけど怖い。
物の怪の怖さではなく、ある力を手にした時の代償が惨過ぎる。
人のためになる力ではなく、自分が望んだわけでもないのに、そこが怖い。
最後いい人ばかりで奇麗にまとまっているが、これって実は凄過ぎない?

「お文の影」、このタイトルが一番苦い。
でも政五郎や茂七、おでこが出て来る番外編としても秀逸な作品。
みんなの優しさ、狂った人の怖さ、哀れさ、そして惨さ。
読んでると怖いのだけど、読み終えると心が温かくなる。

「博打眼」は、きりっと引き締まってて「荒神」よりずっとおもしろいと思う。
宮部さんは長編よりも短編がいい。
短編を連ねて最後に一つの物語にまとめあげるのもいい。
最初からの長編は時々気怠くなる気がする。
犬張り子、可愛いね。

「討債鬼」、このテーマをこんな風に料理するかと瞠目した。
どう見ても悪役にしか見えなかった人物が実は・・・のくだりがいい。
ただ、結局正妻を追い出してしまった形になったのはちょっと引っかかるかな。
同じ結末にするにしても、もうちょっと変わった形がなかったのかな。

「ばんば憑き」は哀れで怖い。
きっちり結末がつかなかったという意味では異色の一品。
この奥さん、何とかならんのか・・・。

「野槌の墓」。
一番好きな作品。
「あかんべえ」を思い出した。
宮部さんは子供の使い方がほんとにうまい。

南條竹則さんの解説もおもしろかった。
(2015年12月25日の日記)
12月14日 あんじゅう
★内容に関して軽くネタバレ含みます。

「あんじゅう」は「三島屋変調百物語事続」の副題がつく。
つまり「おそろし」に続く三島屋シリーズ第2弾。
今回も4つの短編を最後にまとめる形で終わっているが、何といっても表題作「あんじゅう」 に尽きる。

読んでしばらくたつと、「あんじゅう」以外の話が思い出せなくなるほど。
他が悪いのではなく、「あんじゅう」が素晴らし過ぎるのだ。
宮部物の中でもベスト3には入れたい佳作。

あんじゅう(暗獣)の愛らしさ、あんじゅうと仲良く暮らす老夫婦。
話す「若先生」と聞く「おちか」。
宮部物の最高にいいエッセンスがぎっしり詰まった珠玉の一品。
最後は何度読んでも涙がにじんでしまうのだけど、それはまた気持ち良く泣けるんだ。
時々心が乾いて落ち込む時など、この「あんじゅう」を読むと心が潤う。

ただ前にも書いた記憶があるが、どうせなら最後まで共に生きても良かったのではないかと思う。
離れて寂しく生かすよりも、共に生きて安らいだ最期を迎えさせてあげる。
くろすけにとってどっちが幸せだったか。
あの結末を振り返ればいつもその疑問が湧く。

大事なネタバレになるのでうまく書けないが、「あんじゅう」を読んだ方は私の言いたいこと、理解できると思う。
私の周りには、宮部みゆきを最近知りましたって方は全くいなくって、みんな昔から好きでしたって人ばかり。
もしくは途中で知って、でもすぐに初期作から読み始めましたという人。
宮部物、時代物は外れがないから初期から読んでも大丈夫な稀有なジャンル。

今知って、これまでどんな作品書いてたんだろうと思って初期作読んでがっかりパターンは意外に多い。
作家さんにとっては理不尽な事だろうな、申し訳ない。
(2015年12月14日の日記)
9月14日 おそろし 三島屋変調百物語事始
★内容に関して軽くネタバレ含みます。

この本は宮部さんの時代物の中でもかなり好きです。
まず雰囲気や設定が好き。
宮部さんの時代物の主人公の娘といえば、勝ち気でチャキチャキした子が多かったですが、ここでは辛い体験を経て それを引きずっています。

明るいというより暗い、勝ち気というより内気、そんな娘おちかは、叔父夫婦に引きとられて、三島屋で暮らすことになります。
そこでおちかは「黒白の間」を与えられ、訪れた人の不思議な話を聞くことになります。
短編が続いて、最後に大きな話にまとめる、宮部さんお得意の手法ですが、まず1話目の「曼珠沙華」から引き込まれました。
動きのない、おちかがただ話を聞くだけ、それなのに不思議で怖い世界が目の前に広がって行くようです。

他の作品ではヒロインが実際に動き回って私達に江戸の世を、あやしの世界を見せてくれますが、この物語はあくまで 語るだけ。
なのに同じように江戸の世、あやしの世界が広がって行く、さすがです。

おもしろいおもしろいと読み進めて行くのですが、最後に脱力。
静のあやしの世界から、何やら冒険活劇の大団円になってしまいます。
戦うおちか、まとめる作者・・・。
う〜ん、宮部物って最後こういう展開結構ありますよね。

短編はあやしの雰囲気を纏ったままですっきり終われるのに、なんか決着つけねば、という使命感なのかかえってもやもやする。
続編を予想させる(実際出ましたが)謎は残るのですが、別の部分でもやもやします。
短編だけなら★5つ、最終話で★4つと言ったところでしょうか。
(2015年9月14日の日記)
9月4日 日暮らし
★内容に関して軽くネタバレ含みます。

「ぼんくら」の続編。
「犬夜叉」と「日暮」つながりで嬉しかったなあ、当時(笑)。

「ぼんくら」でなくなってしまった鉄瓶長屋。
ばらばらになってしまったお馴染みさん。
その寂しさがあったから、もしかしたら鉄瓶長屋復活?
そんな風に思った私は甘かった。

このシリーズで私が好きなのは平四郎、お徳、そして佐吉。
佐吉もやっと母に会えるなあ、幸せになれるなあと期待して読み始めたら、佐吉の幸せは 全く別の形でやって来た。
嬉しさよりも切なさが先に立つ。

おでこや平四郎の奥方、政五郎もいい。
弓之助はちょっとね、出来過ぎ持ち上げすぎかな?とさすがに思った。

でもやり方はともかく、この物語の宮部さん流の決着のつけ方はただ嬉しいだけでなく、苦く、 哀しく、切ない。
いかにも宮部さんな余韻を残す。

宮部さんの長編シリーズは他にもあるが、どれも終わることなく続いて欲しい。
もちろんこの平四郎のシリーズもだ。
「荒神」などの一話物より、どうしても登場人物への愛着が強くなるからだろうと思う。
(2015年9月4日の日記)
6月30日 孤宿の人
★内容に関して軽くネタバレ含みます。

順番だと「ひぐらし」だが、妹に貸してまだ返ってこないので(笑)、今回は「孤宿の人」で。
宮部さんの時代物の中で異質な作品と言っていいと思う。
再読して「荒神」や「蒲生邸事件」を思い出した。
庶民の人情物ではなく、武家を扱い、どこか歴史小説に近い雰囲気がある。

宮部みゆき作品を自分流にジャンル分けした時、「孤宿の人」だけがそれこそ「ひとりぼっち」で 残されそうな、そんな本である、可哀そうだけど。
でもすごく好きなんだなあ、これが。

2005年(平成17年)に出たようだが、たぶん新刊では読んでいないと思う。
図書館か古本屋さんで見つけたか、最初に手にしたのが文庫本だった。
上下巻の長い小説だったが一気に読み切ったっけ。

再読して歴史小説風に思ったから「蒲生邸事件」を思い出し、最後に死んでほしくない人、というより普通死なないだろうと 思うような人が死んでびっくり、な展開に「荒神」を思い出したのかも。
こういった事故や災害に巻き込まれるのに、いい人も悪い人もないのだが、小説だと主人公以外のいい人がなんとなく助かって 物語を見届ける役割を果たす、そんなイメージがある。
「荒神」も「孤宿の人」もその部分での意外性が共通している。

書かれたのがかなり前なので完成形ではないというか、かなり勢い任せな部分が今読むとあって、でもそれだけに技巧にこだわらない 迫力もまたある。
「ほう」の愛らしさと加賀殿との交流、こんな都合良く行くわけないだろうと頭の中で理性が訴えるが、感情が聞く耳持たず、ほうと一緒に 笑ったり泣きそうになったりどきどきしたり。
登場人物に共感しやすいのも特徴かもしれない。

こちらの対談」によると 続編の予定があったらしいが、今に至るまで書かれていない。
「孤宿の人」に関しては、続編はなくていい、この終わり方で本を閉じてそれでいい、そう思う。
(2015年6月30日の日記)
6月16日 あかんべえ
感想を書くために久々に読み返して、あっ、この話「境界のRINNE」に似てるって思い、おかしくなった。
主人公のおりんは病気のせいだったが、三途の河原まで行って戻って来る。
そして他の人には見えない霊の存在を感じるようになる・・・。

今頃そんなこと思うってことは、りんねが始まってから「あかんべえ」を読んでなかったってこと?
「あかんべえ」を前に読んでから6年以上たってる?
びっくりした、こんなに好きな本なのに。

もちろん最近の作品に比べればまだまだ他愛ないし、手堅いけど目をむくおもしろさではないし、 突き詰めた感動もない。
だけど、主人公のおりんが出来過ぎじゃないし、ホラーとしても人情物としても、悪を描くにしても懐かしい 「ほどほど感」がある。

最近の宮部さんの作品はこれらの部分が突き抜けた部分があって、昔ほど気持ち良く読めないことも多いので、 この「あかんべえ」あたりが宮部みゆきの時代物のほど良い完成形と言っていいかも。

おりんと霊のやり取りがとにかく楽しくて、関わる大人(両親)はちょっと可哀そうだけど、最後の大団円で まあ良かったかな?って気持ちになれる。
反面長坂主水助夫婦はキャラがいいのにちょっともったいなかった。
まあ「ぼんくら」の平四郎夫婦に設定が受け継がれていると思えばまだいいか。

これからもおりんが出て様々な霊と関わる話があっても、と思ったらそっちはお初のシリーズがあるか(笑)。
宮部さんにはこういったシリーズ物を続けて書いて欲しいな。
宮部さんの中では終わったシリーズも多いかもしれないけど、最近の一作物よりも、以前のシリーズ物の方が キャラにも話にも愛着が持てる気がする 。

ところで宮部さんには「宮部みゆきの江戸レシピ」という本もあって、その中に「あかんべえ」に出て来る 「白子屋vs浅田屋〜再現・白と黒の料理」もあったのだけど、あまりおいしそうに見えないのに笑った。
趣向としてはおもしろいけど、白だけの料理、黒だけの料理ってのはどうなんだろうね(笑)。
(2015年6月16日の日記)
5月26日 あやし−2
・「女の首」

手先が器用な太郎、なんて羨ましい。
そんな話じゃなくて、働いていないと落ち着かない、なんて素晴らしい。
そんな話でもないのだが、好きだなあ、この話。

じめじめ湿っぽくて、それでいて人の心はあったかくて、宮部時代物の真骨頂。
初読の時からストーリーも結末も予測できるようなよくある話、シンプルな話なんだけど、下手に凝り過ぎてないところがいい。
複数の作家が同じテーマ、同じ設定、同じストーリーで「女の首」を競作しても、間違いなく宮部さんの独走、そんな気すらする。
なぜか昔話の「ねことかぼちゃ」を思い出した。

・「時雨鬼」

宮部さんの「恋に狂う女」物は実はあんまり好きではない。
というか、そういう話があんまり好きじゃない。
でもこの「時雨鬼」はそういう娘を突き放して、ある意味冷たい視線で描いているところがいい。

でもその奥にあるおつたの、作者の優しさが冷たい時雨の中でじんわり伝わってくる。
最後、お信は心を決めかねたまま終わっているが、お信が立ち直る結末が予想できるようになっている。
読後感はいい。

・「灰神楽」

「時雨鬼」とこの「灰神楽」には政五郎が出て来るのだが、ここは「あの」政五郎と同一人物と決めちゃっていいのかな?
怖さという意味ではこの話が怖かった。
同時に政五郎夫婦のほのぼのとした雰囲気が伝わってくるから好き。

夫婦で灰神楽を見るくだり、シャーロック・ホームズの「悪魔の足」を思い出した。
あちらはランプに毒を仕込んであったという犯罪物で、「灰神楽」のような怪奇物ではないが、恐怖の分かち合いという意味で似ているような気がする。

・「蜆塚」

不老不死を宮部流にアレンジした「蜆塚」が最終話。
主役であったはずの米介が最後、凄惨な形で殺される。
宮部さんが絶賛する半村良著「どぶどろ」へのオマージュのような作品。
私は話の怖さよりも、米介の死に様の生理的嫌悪感が強かった。
(2015年5月26日の日記)
4月17日 あやし−1
それまでも宮部さんの短編時代小説はいくつか読んでいたが、その中で一番「湿っぽく」 感じたのが、この「あやし」。
さらにお初や茂七のような善の代表みたいな人物が出て来ないので、それだけリアルで、 さらに人間の「業」が強く打ち出された物語が多い。

これまで紹介した短編集の中で、もしかしたら一番好きかも。
特に「安達家の鬼」がある時点で。

・「居眠り心中」

この話は、ストーリーそのものよりも、「(死んでいる)おはるの開きっぱなしの目の上に ちょんととまった。」の部分の生理的嫌悪感が凄かった。
「悲嘆の門」でも同じような描写がたしかあったはず。
ホラー映画でもこの場面は鳥肌が立つ。

巻き込まれた銀次こそいい迷惑だが、彼なりにその恐怖をしっかり乗り越えて行った描写が 話の陰湿さを救う。

・「影牢」

こういう語り部式の話は好き。
よくわからないが、この形式で書くのは普通に書くより難しいんじゃないかと思う。
感じの良い老人が淡々と語る話の内容の凄まじさ、特にお多津の死の場面は、 お多津がいい人だけにあまりに惨い。

私の中で宮部さんは気のいい人、優しい人というイメージが本を読む時にどうしても拭えなくて、 それだけに悪を打ちのめす前段階の、善が虐げられる描写にはショックが大きい。
これが綾辻行人さん、小野不由美さんのような作家だったら、読む前から身構えているのだけれど。
いえ小野さんたちが悪人という意味ではなくて、普通にそういう描写のある作家という心構えが 出来ているという意味で。

そして目立たないが、松五郎からこの告白を引き出した人物の切れ者ぶりが清々しい。
与力の磯部が謎を解き明かすと同時に、松五郎の心も救ったのだろう。
普通だったら彼を主人公にして書いてもいいくらいだ。
そこをあえて目立たない聞き手に持って来たのがいい。

・「布団部屋」

強くて優しい姉が妹を守る物語。
いかにも宮部さんな一品だけど、お光のその後が気にかかる。

・「梅の雨降る」

自業自得といえば聞こえはいいけど、人を呪えば穴ふたつ。
これほど人が陥りやすい罠はあるだろうか。

呪いのせいか偶然か、おえんの願いはかなえられた。
そして次に呪われたのはおえん自身。
いえただ自分を責めるあまり精神を病んで行っただけなのかもしれない。
でも箕吉が見た、病み崩れたおえんの顔もまた事実。

・「安達家の鬼」

宮部さんの短編の中で一番好きな話。
鬼が見える「義母」と見えない「私」。
さらに鬼を愛した「女」と、「影牢」の鬼になった「お多津」を読み比べたい。

安達家があった場所を調べてみた。
「安達家」の名前は「安達ヶ原」から取ったと思われるが、「上州」は昔の「上野国 (こうずけのくに)」で現在の群馬県にあたる。
「桑野」という地名は、養蚕業が盛んな地ということで国内にいくつかあるが、 群馬県にはなく、一番近くて福島県。
この辺りを組み合わせて作った架空の宿場町だろうか。> 上州路ではわからなかったが、上州街道で調べれば、長野県上田市から群馬県嬬恋村間の 道路で、鳥居峠を越えて車で57分、歩けば7時間半!
国道などない昔のことだから一概には言えないけど、このルートでいいのかな?
なんとなく西に向かったと思っていたので、北上したとは意外だった。
(2015年4月17日の日記)
3月17日 ぼんくら
宮部さんの時代物の感想を読んでいると、厳しい評価として「みんないい人過ぎ、完璧過ぎ、特に弓之助!」という意見をよく見かける。
確かになあ、レギュラーとなる登場人物は皆善人で、そこに悪だの毒だの持った部外者、異邦人がやって来ることで物語となり、でもレギュラー陣の 善人っぷりが壊されることはない。
でも私はそこが好きで、あえて宮部さんの「時代物」と「現代物」を分けて読んでいる。

宮部さんの現代物はそう甘い物ではなく(「東京下町殺人暮色」など一部例外はあるが)、基本は人は善の心を持ち、同時に闇をも抱えている。
それだけリアルで心に重い。
宮部物に限らず、そういったシリアスな重い、あるいは暗い物語をがっつり読む時はそれなりの心の準備がいる。
そういう小説も書ける人だけど、時代物ではあえて書かない、私はそう思っている。

だから読んでて心地よい、だからといって軽いわけではない。
いい人だらけの江戸の下町の日常、時代的にもあり得ないはずなのに、ちょっと足を延ばせばどっぷり浸かれる街、そんなリアルさもある。
お徳さんの煮物屋に行ってみたいな、平四郎と茶店でところてん食べたいな、もしかしたらできるかも、そんな気持ちにさせてくれる。

でも日常性のリアルさとは逆に、事件の部分がファンタジーになっている気もする。
ファンタジーという言葉を私ははき違えていて(全く読まないジャンルだった)、夢と希望に満ち溢れ、汚いことは一切なく、出て来る人はみんないい人で 悪はみんな滅びる。
ついでにロマンスもたっぷりで時には魔法や架空の生き物(妖精とか)も出て来ちゃうみたいに思っていた、恥ずかしいことに。

私にとって典型的なファンタジーは「指輪物語」でも「はてしない物語」でもなくシャンナ・スウェンドソン著「ニューヨークの魔法使い」だろうか。
「守り人」シリーズや「十二国記」シリーズを読んで、ファンタジーと位置付けられているのを見てあれっ?となった次第(笑)。
それでも宮部さんの時代物のほとんどはファンタジーだと思う。
まあ確かに弓之助が出来すぎの部分はあるし。
もう少しだけ平四郎に(推理部分で)比重を置いたら完璧だったのではないかと思う。

でもやっぱり「ぼんくら」シリーズはおもしろい。
凄い美人なのに平四郎の妻になっちゃった?細君もいい。
もっと彼女のこといろいろ知りたい、と思うのに出て来ない。
でも平四郎とのやり取りなどが楽しくてとても好き。

お徳さんはもちろん好きだし、彼女とおくめさんの関係も切なかった。
今を生きる私でも「古き良き時代」を懐かしむ、そんな気持ちにさせてくれる。
そうそう名前しか出て来ないが茂七親分健在なのも嬉しかった。
名前だけで顔を見せる事すらしなかったのは、出版社側の事情なのかな?
(2015年3月17日の日記)
3月10日 平成お徒歩日記 2
私が読んでるのは文庫版ですが、その104ページに映画「犬神家の一族」のポスターが掲載されています。
悲しくも恐ろしい謂れのあるお玉ヶ池を見て宮部さんが「そこの水面に佐清の足が飛び出しててもおかしくない」 なんて言って、そんな自分を笑ってますが、確かにあのポスターはインパクトあります。

そういえば今映画石坂浩二版ではなく、古谷一行の金田一耕助シリーズのDVDコレクションが販売開始されましたね。
スカパーでだいぶ録画したけど、まだまだ見たことないのもいっぱい、欲しいけど高いんだよなあ、これが・・・。

「桜田門は遠かった」は「江戸城」、つまり皇居散策です。
見るべき物としては、もしレポート書けと言われたらこの本の中で一番困ると思います。
「見る」だけなら一度行けば十分とよく言われますが、そこを薀蓄やその日の体験を絡めてうまく書くところがさすがプロ。

いろんな人のエッセイ読んでると、書いた人がおもしろくないなあと思って書いてるところはわかるんですよね。
字数を埋めるために必死で書いてる感が伝わってくる。
書きたくてたまらない時は、読んでても楽しい。
でも宮部さんは、書くべきことがなくても書ける天才だと思います。

皇居散策はやはり春の桜がお勧めですよ、千鳥ヶ淵から武道館。
人も多いけどね(笑)。
通勤電車の朝夕のラッシュ時を想像してくださいな。
ちなみに私は散りはじめの、お濠に「花筏」ができる時期が一番好きです。
ニュースで「一番の見頃を迎えています。」なんて言われた日は駄目、人が多すぎて。

「流人暮らしでアロハオエ」は、最初「あっ、ずるい。観光してる」と思いましたが(笑)、宮部さんもこれはやばいと思ったのか、 八丈島と三宅島の違いについて一生懸命調べてくれたりしてます。
(でもどう見てもバカンス!写真からしてバカンス!)
でも作家としての日常をちらりと語ったりして読み応え十分です。

「七不思議で七転八倒」は私もやりました。
宮部さんと同じとこで写真撮ったりしました。
でも私は基本一人(たまには夫が付き合ってくれるけど)なので、こんなに賑やかにできるのはちょっとうらやましいです。
まあ私は一人の方が気楽でいいやってタイプなので仕方がないか。

「神仏混合で大団円」は私も大好き善光寺!
宮部さんは敬愛する池波正太郎さんが好きだった、門前風月堂の「玉だれ杏」は食べなかったのかな?

中山道歩きは私は板橋宿しか行ったことがありません。
退職した御夫婦で中山道歩きをする方がいらっしゃいますよと、観光センターで聞いて、いつか私もと思いましたが、結構しんどそうです。
ところで私、ずっと「中仙道」だと思っていました。
実際表示や小説ではこう書いてあるものもあります。

これも観光センターの受け売りですが、以前は「中仙道」だったのが、江戸時代に徳川幕府の通達により「中山道」に変えられたのだそうです。
それ以前は「中仙道」、さらに仲宿があったことからか、「仲仙道」と呼ばれたりもしましたが、「中山道」に統一されたという事でしょう。
でも「中山道」だと、どうも「なかさんどう」と読みたくなってしまいますね(汗)。

次はおまけ?のエッセイ「剣客商売『浮沈』の深川を歩く」。
宮部さんの池波語り、そして地元深川語りが炸裂!です。
私もこれを読んでこれまでいろいろ歩いてたことを自分の中で文章にしてみようという気持ちになりました。

最後は「いかがわしくも愛しい町、深川」。
宮部さんのお勧め本は、読んでまず外れがない。
もちろんプロの目ですぐれた作品を見分けて勧めてくれるということもありますが、なんとなく感性が似てるのかな〜と畏れ多くも思います。
というより宮部作品を読むうちに、宮部さんの感性に影響を受けるのかな〜と。

それまでも時代小説の舞台として好きだった深川が、宮部さんのエッセイによって、より好きになりました。
まるで自分にとっても地元のような(笑)。

多作な作家なので、お忙しいのでしょう。
これ以降お徒歩日記の続編が出ていないのが寂しいです。
是非続きを!
いつかぶらりと歩いていたら、江戸散策中の宮部みゆき御一行様をお見かけしました!なんてことになったら楽しいのだけれど。
(2015年3月10日の日記)
2月27日 平成お徒歩日記 1
江戸歩きの大先輩、宮部みゆきさんのお徒歩日記。
仲良しさんたちとワイワイ騒ぎながらやってるのが、いいなあ、楽しそうだなあと思いながら何度も読みました。
宮部さんの作家としての心構えや、プライベートな部分もちょっぴり明かしてくれて、気安く書いてるけど、 こういった日々の積み重ねが作品へと繋がっているんだなあと改めて納得したり。

続編を書いてくれないのが悔しい限り、忙し過ぎるんでしょうね。
不定期でもいいから続けて欲しいです。

「真夏の忠臣蔵」は、その名の通り四十七士が吉良を討ち果たして泉岳寺まで歩いた道筋をたどる話。
本編の前にちょっと入る泣き言?がまたおもしろい。

「当時の人々にとって時間とは人間のほうに調子をあわせてくれるものであり、生活のペースの指針となってくれるのは、 時刻ではなく、お陽さまの高さや月の傾き具合のほうだった」時代が、「六畳一間に時計が八個ある」宮部さんには つかみにくい。

それでも登場人物がじっとしてくれていればいいけれど、移動し始めると、宮部さんは古地図を広げて道筋をたどります。
歩いているのは誰か、足の速さ、年齢、性別、職業などによってどれほど差が出るか。
確かに読んでるだけで頭が痛くなる作業ですね。
宮部さんに限らず、これまでさらっと読んでた時代小説の裏にこんな苦労があったとは。

つい池波正太郎さんを思い出してしまったのですが、池波さんはまず江戸散策がありきで、江戸の街、その道筋が 頭の中に叩き込まれていた作家の1人だったんでしょうね。
こういう人はそんなにはいないんじゃないでしょうか。

今の宮部さんは、江戸の街について知り尽くした作家になっているのかな?
深川に関してはプロフェッショナルな気がしますが。
それでも宮部さんの時代物は、時代考証に引っかかることもなくすんなり読めてしまう、時には江戸であることを忘れてしまうほど 身近な日常に読めてしまうのが凄いです。

さて忠臣蔵、と書いただけで霊験お初の「震える岩」を思い出しますが、宮部さんも触れています。
吉良邸跡、回向院、泉岳寺と私も何度も行った大好きな場所。
この本を読んだ後は、ここに宮部さん来たのかあと感慨を持って眺めています(笑)。

「罪人は季節を選べぬ引廻し」もおもしろかった。
小伝馬町、鈴ヶ森、小塚原の印象は、誰が行っても同じ印象を受けると思います。
鈴ヶ森はあまりにも街中にぽつんとあるので、雰囲気が出ないと書いては失礼か。
逆に小塚原の刑場跡は怖い怖い。

知らないと、まず巨大なお地蔵さまにびっくりするでしょう。
がちゃがちゃした街中の、頭上を轟音を立てて走る常磐線にもびっくりするでしょう。
思いっきり現代なのに、怖い雰囲気があるんです。

「関所破りで七曲り」は江戸を離れて遠く箱根。
江戸散歩と違って気軽にできないし、宮部さんの行動が凄すぎて、びっくりしながら読みました。
よくぞ御無事でって感じです。

箱根は旅行で行ったことありますが、作られた関所で写真撮ったり、そんなことしかしなかった。
っていうか車酔いしまくってた記憶しかない(泣)。
でも小田原の象花子は見ましたよ〜。
もう死んじゃいましたけどね・・・。

小田原城も大好きです。
何度行っても飽きないお城、というかその街並み。
(2015年2月27日の日記)
8月16日 過ぎ去りし王国の城
宮部さんの小説は必ず読むけど、時代物は全て揃え、現代物は1冊も持っていない。
現代物は図書館で借りて読んだり、買っても読み終えたら妹にあげたり。
現代物が嫌いなわけじゃなく、おもしろく読んだ作品もあるのだが、なぜか「愛着」が持てないのだ。
「過ぎ去りし王国の城」もその一つ。

表紙とCMが素晴らしすぎて、過度な期待もあった。
表紙に比べて内容の質が低いというのではない。
何て言うのかな、ファンタジーを想像していたら、リアルなファンタジーだったと言えばいいのかな?
ほのぼのファンタジーを望んでいたわけじゃないけど、実は私、宮部さんのリアルなファンタジーはあまり好きじゃない。

「ファンタジー」のイメージを逆手にとった描写は凄いと思う。
異世界から、日常に戻って転げ回って嘔吐するなんてめったにあることじゃない。
(全く違う世界のファンタジーは別として)
社会問題に切り込む結末、なんてリアル!
凄いと思う。

私が好きな作品と比較してみる。
「犬夜叉」や「仁-JIN-」は異世界じゃなくてタイムスリップだけど、かごめが現代に戻って来るたびに転げ回って吐いてたらどんな 作品になってたろう(笑)。

もうひとつのリアル。
「仁-JIN-」では仁が常に歴史に介入することの意味を意識していた。
結果的に「仁-JIN-」では「歴史の修正力」が働いた。
「犬夜叉」では、かごめの世界とは違う世界の、妖怪のいる戦国時代に行っていた。
だからおそらくかごめが戦国時代で犬夜叉に出会うのも折り込み済みの世界。
でも「過ぎ去りしー」では世界自体が異物(主人公たち)の存在を意識している。

でもそこに良くも悪くも爽快感があるかというと、中途半端に、ない。
どん底に落ち込むわけじゃなく、歯ぎしりするほど悩むわけでもなく、だからといって幸せな終りでもなく。
ある意味ハッピーエンドなのだが、これ、ファンタジーにする必要あるのかな?って思ってしまう。

昔から宮部さんは社会問題に真っ向から挑むこともあれば、ファンタジーや家族ドラマにこね上げて書くこともあった。
でも作品の良し悪しに関わらず、やっぱり愛着が持てない。
「私の宮部さん」はやっぱり時代物、なのかな?
そろそろ江戸に帰って欲しい。
気持ち良く宮部ワールドに浸りたい。

(2016年8月16日の日記)
1月18日 宮部みゆきの江戸レシピ〜麦とろ 2
「宮部みゆきの江戸レシピ」。
私は結構楽しんだので、アマゾンの評価のあまりの低さにびっくりしました。
読んでみると、ひとつひとつの料理に対する宮部さんのコメントがないこと、作り方が掲載されていないこと、 宮部さんの書いた料理の中に現実的でない?料理があることが厳しい評価の原因なようです。

私は作ることは想定していない(笑)、写真集のような感覚で読んで(見て)いたのでレシピのないことは特に不満に思いませんでした。
宮部さんのコメント=文中での描写と捉えているので、それも格別不満ではありませんでした。

一番おもしろかったのは「あかんべえ」の「白と黒の料理」です。
その中で白なんきんは、「黄身の部分を調理した茹で卵を半分に切って 器に伏せて盛りつけた」のに、小説読んでた時から突っ込み入れたくらいなので(笑)、料理した福田浩さんの「それではなにがなんだかわからないので」の コメントには笑ってしまいました。

江戸時代に出てはおかしい食材を出すのは時代考証的に問題かと思いますが、宮部さんがいろいろ工夫しながらこしらえた「架空料理」はね、 私は素直に楽しみたいです。
むしろ黒の料理なのに、「蕪を菊の形に切って甘酢に漬け、上から黒ゴマを散らしたもの」はおかしいでしょ。
どう見ても白の料理でしょ。

この本に取り上げられている宮部さんの時代小説はどれも好きなので、写真を見ているだけでも小説の内容が思い浮かんできてまた読みたくなります。
その中で「おいしい物」的に一番好きなのが「初ものがたり」。
続編を匂わせながら、事情があって書けなかったことを宮部さんはどこかで書いていましたが、できることならこれからでも書いて欲しいですね。
時代小説の特に短編、作家宮部みゆきの魅力はここにあると信じている私です。

写真はわかりづらいけど牛タンと麦とろです。
とろろをご飯にかけてから撮れば良かったですね(笑)。
お店はどこだったかな、青葉?

お手軽なのは池袋東武の青葉ですが、お気に入りは浅草麦とろ。
浅草はおいしいお店があり過ぎて、いつも選ぶのに困ります。
スカイツリーができてから余計困ります(笑)。
(2018年1月18日の日記)
2月7日 小暮写眞館 2
★「小暮写眞館」に関してネタバレ含みます。★

「小暮写眞館」再読。
最初に読んだ時は、あまり印象に残りませんでした。
宮部さんの現代物の闇や重さもなければ時代物のキレもない。
宮部作品のエッセンスが中途半端に散りばめられているという感じ。

後で解説やインタビューを読むと、「理由」のような作品を宮部さんはもう書きたくなかったと語っています。
ああいった作品を書くことによって、自身に大ダメージを受けたようです。
なるほど、と思いました。
この作品は宮部さんにとってリハビリのような小説なのだろうか、と思いました。

ミステリーの要素もあるけどミステリーじゃない、オカルト要素もあるけどオカルトじゃない。
恋愛の入口を探るけど恋愛でもない、青春小説であるけどどっぷり浸かってない。
爽やかで優しいけれどそれだけじゃない。
みんな傷ついているけどそれで終わらない。

悪人の出ない作品内で、強烈なインパクトを残すのが垣本順子という女性。
再読してみてこの女性は相当デフォルメされているけど(恋愛部分を除いて)もしかして宮部さん自身?と思いました。
宮部さん自身は私が読む限り、そんなこと言ってないので、自分をモデルにしたつもりはないと思います。
彼女は普通に見たら非常識で感じの悪い女性です。
宮部さんがそんな人って意味じゃありませんよ?念のため。
彼女は傷つきすぎるほど傷ついている人なのです。
いい人過ぎるほどいい人たち、そして主人公によって変わって行きますが、最後はまた1人で前に踏み出していく。

作家という孤高の職業(助けてくれる人はいても、代わりに書いてくれる人はいない)を選んだ宮部さんのあがきが、 この作品によって浄化されていったのかなあとすら思いました。

ただ気になったのが「古さ」です。
デビュー当時の頃の雰囲気とあまり変わっていない。
仮に今昭和が舞台の小説を書くにしても、「今の感覚で当時を懐かしく書く」のと「古いと感じさせる書き方で当時を書く」のとは違うと思います。
いっそ時代物まで戻ればそんな違和感もなくなるのですが、あだ名のつけ方ひとつとっても違和感を感じました。

特に弟。
後であえてそのあだ名をつけたことが明らかになるのですが、そのあだ名を選ぶ必然性があったのかなあと思いました。

宮部さんの「理由」のような現代物は、その重さゆえになかなかスムーズに読み進めることができないのですが、この「小暮写真館」は 別の意味で読みにくい小説でした。
最後、柿本順子が去った時に、何も語らなくてもただ消えたのではなく、彼女が1人で踏み出した、その余韻を感じさせてくれる結末かと 思っていたので、彼女から手紙?が来たりするのは意外でした。
何も書いていなくても、相手の名前と住所を書いて投函した時点で、柿本順子と主人公の間に目に見えるつながりができます。
目に見えないつながりにして欲しかったかな。

そんな意味でも、良くも悪くも宮部さんの優しさがあふれた作品だと思います。
そしてその後の宮部作品を全て読んでいるわけではありませんが、リハビリし、リフレッシュして「理由」などで与えられた傷が癒えたのかな?とは思います。
その意味で「現代小説家」としての宮部さんにとっては大切な作品であるのかも。
(時代小説家としての宮部さんはあまり影響を受けているように見えませんでした。)

ところで、小暮さんの実家は巣鴨のとげぬき地蔵近くの煎餅屋さんです。
ここ読んだ時は嬉しかったなあ。
とげぬき地蔵近くにも煎餅屋さんはありますが、私は勝手に巣鴨地蔵通り商店街の入口(巣鴨駅側)にある雷神堂巣鴨本店こそ小暮さんの実家であると 決めつけてしまいました(笑)。

ここで焼きたてのおせんべい買って、ぽりぽりかじりながら巣鴨を散策、大好きです。
(2018年2月7日の日記)
7月28日 三鬼 三島屋変調百物語四之続 2
★内容に関して軽くネタバレ含みます。

久々に宮部さんの時代物で100%大満足な読後感でした。
宮部物はもちろん好きなんですが、最後のクライマックスの持って行き方で「えっ?」って感じることが多かったから。

でも今回は何もかもが胸にすとんと落ちました。
怖いものは怖いなりに、悲しいものは悲しいなりに。
1話目の「迷いの旅籠」がもうね、愛しい人を失って、悲しくて恋しくて会いたくて。
でもいざ会いに行けることになったら結局踏み出すことができなかった、この部分が辛かった。

彼らが不実なのではなく、それがまた人間の業であり、でも何の迷いもなく踏み出す者もいる。
それまでむしろ悪役?とまではいかないけれどちょっとのけ者っぽい立ち位置にいた者がいて、これでもかと恋しい描写を重ねた彼らではなく、彼だけが行く。

この部分がね、最高でした。

「食客ひだる神」は逆にほっこりする話。
神様のダイエット、そのおもしろさにやられました。
宮部さん、さすがです。

「三鬼」と「おくらさま」はいかにも宮部さんらしい物語。
読んだ時にふと既読感を感じましたが、同じような物語だからと言って同じような展開にはしない。
3人の男性の登場と退場でさらに続編(もう出てますが)への期待も増します。

でもおちかがまじめ過ぎて、これはこれとしてまたお初のようなおきゃんな町娘が主役の時代物も読みたいなあ。
(2018年7月28日の日記)
9月11日 あやかし草紙 三島屋変調百物語
★内容に関して軽くネタバレ含みます。

とてもおもしろかったです、宮部さんさすがです。
宮部作品の中で一番、とまでは言いませんがこのシリーズの中でも屈指のおもしろさだったのが特に「開けずの間」「だんまり姫」と「面の家」。
「開けずの間」を読んで「天狗風」を思い出しました。
「だんまり姫」に「孤宿の人」を思い出しました。
同じようなテーマを扱っていても、宮部さんの物語が確実に深みを増しているのがわかります。

神の恐ろしさ、あやかしの恐ろしさ、それに負けず劣らずの人の心の恐ろしさ。
陰惨なのに不快じゃない。
そんな中に「だんまり姫」は良かったなあ。

それに引き換えおちかや富次郎の側は物足りなかった気がします。
以前宮部さんがインタビューでおちかがお嫁に行き、富次郎が後を継ぐということを話していたのでこの展開は知っていたのですが、やはり綺麗な着物を まとった女性の方が華やかだよなあ。
富次郎も好きではあるけど、いまいち軽い。
ここはお勝にがんばって欲しいかな。
聞き役としてではなく、富次郎の指導役として。

おちかは心に闇を、病みを抱えていたからこその聞き手だったと思います。
富次郎はさらっとし過ぎてる気がするなあ。
その物足りなさを補ってくれるのが宮部さんの次作と期待します。
勘一も謎はあるけど今ひとつ影が薄い気がします。
謎を書かなかったせいでしょうか。

ところがそんな物足りなさを最後に突然ひっくり返してしまいました。
「男」と富次郎、いえお勝の相対の絵的な凄さ、やっぱり宮部作品は女性陣が強い。
お勝さん、ついでに富次郎の背中を一発はたいて活を入れてくれたらいいのに(笑)。
次作が楽しみです。
(2018年9月11日の日記)


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