宮部みゆきと時代物(四)

6月29日 火焔太鼓〜「魂手形」
今頃ですが、宮部みゆき著三島屋変調百物語七之続「魂手形」読み始めました。
実は発売日に1話目の「火焔太鼓」を読み始めたのですが、途中でやめてしまったのです。
私はもちろん宮部さんの時代物は好きですが、人外の者(もののけ、妖怪など)が 出てくる話はちょっと苦手です。

霊験お初捕物控の「天狗風」のような、人の念が怨霊化したような話は逆に大好きなのですが。
これは良い悪いじゃなくて個人の好みなので宮部さんには申し訳ないけど仕方ないですね。
さらに聞き手が、おちかから富次郎に交代したことで、またちょっと熱が冷めました。
話の幅が広がって物語としてはおもしろいのですが、富次郎の場合、おちかほどの背景がないので、 どこか軽い。
掘り下げようとすれば、富次郎の日常生活になって来るのもいかにも軽い。

宮部小説の中で、富次郎のような人物は主役じゃないと思います。
主役のそばに控えて賑やかしとして、助っ人として、キーマンとしておちかを支える立ち位置にいるべき 人物。
そう思って来たのですが、今回の「魂手形」で気持ちか切り替わりました。
(作品名としての「魂手形」じゃなくて、本の題名としての「魂手形」です。)

ただ「火焔太鼓」の富次郎はまだちょっと弱いかな。
富次郎の葛藤に引っ張られてしまいます。

物語は予想通り受け継ぐ者がいる展開でしたが、実は語り手が?と思っていたのでちょっと拍子抜け。
意外とあっさり感が。
逆に「次」に継ぐ者の事を考えた時にぞわっとしました。

あと今回の表紙が、これまでの宮部さんの時代物の表紙の中で一番好きです。
富次郎が描いたのかな?と思わせる絵ですね。
時代物に合うかな?と思いつつ、富次郎の心象風景がそのまま描かれているようでとても好き。
(2021年6月29日の日記)
7月2日 一途の念〜「魂手形」
私の中で聞き手としての富次郎がはじめてすとんと腑に落ちたエピソード。
冒頭の「旨いもの」の話が富次郎らしさ全開で、私も高くても安くてもおいしい物が 大好きだから、うんうん、そうそう、と何の本読んでるんだか忘れるくらい楽しくて (しかもこの旨いもの描写が結構長い)、それがおみよの串団子との出会いにつながって、 そこで羽二重団子思い出したりしながら楽しく読んだ、冒頭は。

私はお団子は甘じょっぱいみたらしやあんこが好きですが、「羽二重団子」のきりっと しょっぱい焼団子も捨てがたい。

そんな至福のひと時がでんぐり返ったのがおみよの異変。
これは正直言って能天気な富次郎だからこそおみよの話を受け止めることができたし、 おちかには話に来ないでしょうし、そもそもおちかとは出会いがなかったでしょう。

富次郎の場合は、口入家を通して家にどっしり構えているより、こういう思いがけない出会いを 通した方が自然でいいかも。
そう簡単に事件に出会うかな?都合良すぎるかな?と思いつつ、世の中には毎週殺人事件に 遭遇する名探偵もいることだし問題ないです。

例によって、おちかにはとても聞かせられないような話が続いていきますが、この物語の凄いところは 誰が見ても兄弟の顔が変わっていたこと。
ネタバレになるので詳しくは書けませんが、生みの親だけに変わって見えるならある意味納得。
でも誰の目にも変わって見えた、宮部的ホラーの真骨頂です。
宮部ホラーは「人」が怖いのです、「人」が哀しいのです。
物の怪や妖が登場するよりも、人の「一途の念」で狂った時、あるいは変化(へんげ)した時、そのしんねりした 怖さがにじみ出るのです。

最後、富次郎の前から姿を消したおみよ。
彼女は富次郎の前では子供だったけど、語るうちに女になり、富次郎の前から姿を消しました。
最初に会った頃、富次郎の胸をつんとさせた16歳の少女は富次郎にとってどんな存在だったのか。
底抜けに明るいだけの娘ではないことを見抜いていたのなら、やはり富次郎には聞き手の資格があります。
そう思います。
(2021年7月2日の日記)
7月12日 魂手形 〜「魂手形」
今回の語り手に茂七親分を一瞬思い出しました。
なんだか気持ちのいい人、優しくて男気があって。
どんな風に怖くなっていくのだろうと楽しみに読み始めて。
本編はなんだかすっきり気持ち良く終わって良かったねって。

最後の最後におちか、富次郎の危機を告げられて、改めて百物語の 業を感じて・・・。
いえ違う。

私が一番怖かったのは、吉富が化け物になって仇を討ったこと。
明記されていませんが、すぐに途絶えた後妻の悲鳴に、彼女は 死んだことがうかがえます。

人の身ではできないことを、人の心ではできないことを、化け物になることで 果たした、それを許した作者の恐ろしさ。
気持ち良く物語を仕上げたその恐ろしさ。

後妻は恐ろしい女だったけど、このような殺し方をして、化け物になっていたから という免罪符があってそれで良しとしていたのでしょうか。
心に傷があったから、吉富は懺悔に現れた、そのような気がしてならないのです。
粋に自由に生きて来たように見える吉富、実際にそうだったのかもしれないけれど、 それでも抱えるものがなくてはならない。

吉富は水面の代わりに化け物になったのです。
私はそこが一番恐ろしかったです。
そして吉富は、この部屋で語ったその日に救われたのだと思いたい。
水面を救う、仇を討つという大義名分があったとはいえ、作者がそんなに簡単に人を殺めることを 許すはずがない、私はそう思いたいです。

「魂手形」の怖さを私はそこに感じました。
でもお竹さんは良かったですね、三味線じゃかじゃか鳴らしながら出て来て欲しかったけど、可愛い イラストで我慢です(笑)。

そして最後のおちかの危機。
おちかだって人間です。
殺された許婚と殺した男。
理屈で感情を割り切ることなんてできなくて当然です。
そこにつけ込んで来る男の恐ろしさ。

読者としては、おちかが完全にこの世界から離れたわけではないことを確認させてくれたことは 嬉しいです。
吉富が義母に比べて実父に冷たいと自嘲気味に語っていたのが伏線でしょう。
次作への強烈な引きにもなりました。

でもここはあえて魂手形の恐怖とお竹さんの余韻のままにきっちり終わっても良かった気がします。
本編よりも強烈な印象が残ってしまいました。
(2021年7月12日の日記)
9月14日 子宝船 きたきた捕物帖(二)
私の頭の中には2つのみゆき部屋があります。
ひとつはじっくり音楽に浸る「中島みゆき部屋」、もうひとつがお江戸が舞台の 「宮部みゆき部屋」。

お初や井筒平四郎、政五郎に茂七、おちかやお徳、宮部さんの時代物に出て来る キャラが自由自在に動き回っています。
当然お初と平四郎や、おちかとお徳など、異なる小説の人物が好きなように会ったり 話したり。

残念ながらリアルなお江戸の生活は想像できませんが、テレビドラマや本所七不思議をイメージしながら 想像するのが楽しい。

「きたきた捕物帖」1作目はまだキャラの印象が薄くて、一番覚えているのが「屋台のおやじ」。
私のみゆき部屋では、今でも元気に稲荷寿司を売っています。
もちろん茂七親分も元気です。

2作目「子宝船」でも、まだきたきたコンビもおかみさんも印象薄め。
逆に懐かしのおでこや政五郎や弓之助が輝いています。
嬉しかったけど、平四郎家はどうなったのかしら?
弓之助が継がなかったら困ったろうな。
そんな話も読みたいです。

「きたきた捕物帖」の印象が薄いのは、主役である北一が大人しくて内省的だからでしょうか。
三島屋のおちかも物静かな感じでしたが、話がホラーっぽいのでぐいぐい読ませます。
あと、お初や弓之助のように、賑やかな性格で話を引っ張ってくキャラが欲しいかな。
(弓之助はちょっと出来過ぎ感がありましたが。)

かみしめるように読めば、じわじわおもしろさが伝わってくるのが「きたきた捕物帖」。
3作目を待ちながら、もう一度1巻から読み返したいと思います。
(2022年9月14日の日記)
11月21日 よって件のごとし 三島屋変調百物語八之続
私は未だに聞き手が富次郎よりおちかの方がおもしろかったと思っているのですが、 おちかには幸せになって欲しいと願う作者の気持ちもよくわかります。
さらに「賽子と虻」などは、とてもおちかには聞かせられないグロテスク。
おちか物はどちらかというと心理的な怖さを際立たせる雰囲気でしたが、富次郎物は 物理的というか、B級ホラー。

昔「フェノミナ」という映画を見て、かなりトラウマになりましたが、今作の「賽子と虻」は それ以上のインパクト。
ストーリーより頭に浮かぶビジュアルが。
虫苦手!
初読時はそ表題作「よって件のごとし」もほとんど記憶に残りませんでした。
ゾンビなのに。

宮部さんの時代物って、いつも「ほんわか」という先入観があって、いつも構えることなく読み始め、 どかんとやられることが多いです(笑)。
怖さそのものよりも出し方がうまいですよね。
確かに基本設定はいい人だらけのふんわり設定なのですが、「ぼんくら」などの人情物にしても、 三島屋のようなホラーにしても、人の悪意やホラーの怖さは手を抜かないのでびっくり箱の ような驚きがあります。
お化け屋敷のような作品なら、最初から構えて読むんですけどね。

全然関係ないですけど、最近小説界もホラーブームですか?
それとも私が目を向けるようになっただけ?
このところずっと海外ミステリーというよりコージーミステリーに浸かってましたが、内藤了さんの 藤堂比奈子シリーズから日本のホラーに原点回帰。

宮部さんもホラー、特に時代物のホラーをがっつり書き続けて欲しいです。
読んだのがだいぶ前なので、ストーリーを忘れてる部分もありますが、しつこいようですが虻の インパクトだけは忘れられない。
しばらく再読できないか、鳥肌が・・・。

ただ気になるのが、日常の部分があまりに綺麗に終わって、三島屋終了?と思ったら「大極宮」で 継続がアナウンスされてましたね、良かったです。
もう8冊目だしねえ、本当に良かった。
ぼんくらも新作書いてくれないかなあ。
まあ世代が変わった?から無理なのかなあ。
(2022年11月21日の日記)
9月11日 青瓜不動 三島屋変調百物語九之続(ブログより)
第一話を読んで、あっ、「私の」宮部さんだ!と嬉しくなりました。
図々しいお話ですが。
宮部物はもちろん全部読んでますが、一番好きなのはやはり「ぼんくら」や「茂七」シリーズの世界。
久々にあの世界にどっぷり浸かれたなと。

お奈津です。
お奈津のようなキャラが、私が一番好きな宮部物、時代物のキャラです。

話はもちろんおもしろいのですが、一話を読んだだけだと、おちかに危機が?
でもそのおちかの危機を富次郎が救った?
二話目が楽しみですが、じっくり時間をかけて大事に読みたいと思います。
(2023年9月11日の日記)
11月28日 だんだん人形 三島屋変調百物語九之続
「青瓜不動」に続く2話目。
もう何年も宮部さんの時代物を読み続けていますが、未だに宮部さんにはほのぼの物語を期待してしまいます。
実際はそういう話ばかりでなく、人間の業の凄まじさを描いた作品もたくさんあってそろそろ慣れても いいと思うんですが、まあなかなかね。

今回も「だんだん人形」にしてやられました。
勧善懲悪、最後は悪が報いを受けて善が救われて大団円を期待してたんですけどね。
とてもとても惨い話でした。

これは語り手本人の体験ではなく、遠い遠い昔の出来事です。 ともすればおとぎ話になりがちなところ、遠い御先祖様をそのまま主役に据えて起こったことにしているので 臨場感もまた凄まじい。
水の冷たさ、傷の痛み、心に受けた衝撃までもがリアルに伝わって来て、息をするのも忘れて読み込みました。

物語の中で現実に戻った時にこっちも一息ついてお茶を飲んだりするわけです。
ただ、その現実の場面があまりに軽い。
聞き手の富次郎と語り手の文三郎がどんどん仲良くなっていくわけです。
くだけていくわけです。
そこが実は残念でした。
一気に最後まで読ませて欲しかった。

おちかにずっと背負わせるのは気の毒です。
おちかが幸せになって良かった、役目を終えることができて良かったとは思います。
おちかは聞き手を務めることによって、その荷を下ろしていきました。
富次郎は聞き手をしながら成長していきます。

だからどうしても物語をがっつり受け止めることはできない。
「だんだん人形」の話によって、またひとつ成長するのです。
そこが少し物足りなさを感じます。
物語に「合いの手」を入れず、一気に読み上げたかったなあと改めて思いました。

それにしても宮部さん、あの笑顔で情け容赦ないですね。
昔はもう少し時代物には柔らかさがあったような気がするけれど。
だからある意味ファンタジーの世界、杉浦日向子さんがしたように江戸時代に遊ぶ楽しさが味わえました。
でも今はちょっと違う。
それが宮部さんの変化、進化、深化、(おかがましいですが)成長でしょうか。
そっちの江戸は「きたきた捕物帖」で描いていくかもしれませんね。

もう2話残っていますが、まだ読んでいません。
富次郎があと2話の中でどう変わっていくかが楽しみです。
(2023年11月28日の日記)
1月28日 自在の筆 三島屋変調百物語九之続
以前から考えていたこと。
おちかにこれ以上重荷は負わせたくないけど、富次郎はやっぱり軽い。
でもじゃあ誰が?と言われればそれも思い浮かばない。
でも「自在の筆」を読んで、富次郎も「ふさわしい」聞き役になってくれたって思いました。

それと同時に、この「葛藤」は辛いものなのだろうと思いました。
私はこのような葛藤は経験したことはありません。
たとえば絵の、たとえば文の才能があるから、このような葛藤が生まれるのだと思います。
宮部さんクラスの作家でもきっとあるのではないかと思います。
辛い、でもやめられない、その葛藤。

でも富次郎はその葛藤をきっぱりと乗り越えましたね。
見事です。
そして乗り越えることができなかった老いた絵師。
でも彼は彼なりのやり方で決着をつけました。
悲劇でしたが、やはり見事です。

でもあの筆が与えた物は一時の満足、その実態は・・・の恐ろしさが「自在の筆」の持ち味でしょうか。
宮部さん、見事です。
最後まで読んで、もしかしたらお勝がベストの聞き役かもとも思いました。

余談ですが、小梅をあやして帰って来た富次郎が、小梅の頭のてっぺんの甘い匂いに胸が晴れるシーン、 京極夏彦さんの「百器徒然袋ー雨」の「鳴釜」を思い出してくすっと笑ってしまいました。
同様の京極ファン、多いんじゃないかな ?
(2024年1月28日の日記)



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