「ストレンジャーソレント」感想2
「ストレンジャーソレント」第11回「日暮かごめ」
「犬夜叉」が終わった時、とても寂しくなって、しばらくぼーっとしていた。
申し訳ないけど「境界のRINNE」が始まった時も、自分の中ではそれほど盛り上がっていなかったっけ。
すぐに「犬夜叉」とはまた違ったおもしろさに目覚めたけど。
それでもしばらくの間、週1回のサンデー感想だけを淡々と書いていた気がする。

でも今はどう?
もうすぐ終わっちゃうけど、「犬夜叉」ワイド版があり、隔月だけど「ストレンジャーソレント」で高橋さんのキャラ語りが読め、 りんねのアニメまで始まった。
高橋留美子ファンとして本当に幸せだなあとつくづく思う。

さて今回は「犬夜叉」から日暮かごめ。
私としてもかなり思い入れの強いキャラ。
でもインタビューを読んで、意外とさらっとしてるなと思った。
かごめは設定上あまりぶれのない、迷わないというより迷いようのないキャラなのかもしれない。

最初の質問、かごめが犬夜叉の耳を触ったかごめってインタビュアーさん、最初の質問がそれですか(汗)。
理由はかごめがたくましい性格であるということ、同時に犬夜叉に興味を持ったという事を描くため。
キャラ同士が興味を持ち合うというのは、物語の要素としてかなり大切な事。

かごめと桔梗の相違点と類似点。
かごめは桔梗の生まれ変わりで容姿も似ているという設定だったが、似せようとすると無理が出るので、似せようとする努力は 途中で放棄したとか。

確かに犬夜叉や奈落が最初に桔梗と間違えるのが不思議なほど似てなかった2人。
(最初桔梗が犬夜叉を封印するあたりは桔梗も目が大きくて意外と似てるが、だんだん絵自体が変わって行く。)
むしろ桔梗を2人(双子にして)描いて、髪や服(巫女装束とセーラー服)の違いで区別つける方が無理なかったような。
でもそうするとかごめの性格に無理が出てくる。
(性格が違うから、表情が違う、目つきも違うとか、なるほど)

その後笑ってしまったのが「桔梗は一切ボケないし、真剣に生きている(いた)人です。
喜怒哀楽でいうと、「怒」と「哀」の割合が多い。
逆にかごめは「喜」と「楽」が多めです。」のところ。

コメント自体がおかしいのではなく、今「境界のRINNE」に出てくる榊あやめというキャラがまさにボケる桔梗、「喜」と「楽」が多い桔梗みたいなキャラなのだ。
ビジュアルがまさに桔梗で(眼鏡はかけてるけど)、巫女装束で、なんと「奈落の底」に落ちたりする。
ただこっちも翼に二股かけられてるみたいなキャラで可哀そうなのは何とかならないものかと思う。

犬夜叉の心に生きている桔梗の存在を認めながらも、嫉妬するかごめの女心の葛藤は哲学的ですらあったという質問側。
ここは、う〜んと思った。
どういう意図で「哲学的」なんて言葉を使ったのかよくわからない。
高橋さんいわく、「犬夜叉」連載時、読者の八割くらいが女性だったとか。
そして18巻のかごめが犬夜叉を想って泣く話「(出会った場所」)にはかなり反応があって手応えを感じたそうだ。

ただ18巻の時点は、まだ本当の嫉妬やそういった感情のないまだ綺麗なかごめであり、その後かごめ自身が変わっていく。
その後のかごめに対する読者の反応を高橋さんがどう捉え、どう描いて行ったのか、そこを突っ込んで欲しかった。
当時私は「犬夜叉」しか知らなかったのだが、その後「うる星やつら」「めぞん一刻」「らんま1/2」と読んで、るーみっくヒロインには「嫉妬」が かなり強烈な要素の一つになってるなと思った。

18巻当時の私はかごめをむしろ「聖なる少女」と捉えている節があり、その後の人間的な感情を見せ始めるかごめになかなかなじめず、 同時に一切の感情を見せなくなる桔梗にもかなり抵抗を感じてたっけ。
原作者として高橋さんは、かごめも桔梗も「完璧なるヒロイン」として描くつもりはなかったのだと思う。
ここのところをもう少し・・・。

そして最後のかごめの選択(戦国時代に残る事)を高橋さんはかごめ役のゆきのさつきさん(当時雪野五月)に聞いたところ、ゆきのさんが 「犬夜叉のところに行きたい」と答えたというのが前にも読んだエピソード。
ただもし仮に、あり得ないけど仮に、ゆきのさんが「現代に帰るべき」と答えたとしても、高橋さんはかごめを戦国時代に戻したと思う。

せめて私が願うのは、原作者としての優しさでかごめにじいちゃんや草太とちゃんとお別れさせてあげたかったなということ。
かごめが行ってから急に老け込んだじいちゃんを見て、なぜあえてかごめを急に戦国時代に戻したのかと思った。
かごめにとって、それほど究極の選択だったのか。
その表現だったのか、思い出すと未だに寂しくなる。
(2015年5月12日の日記)
「ストレンジャーソレント」第12回「真魚」
12回目にして初めて「人魚」シリーズから真魚登場。
湧太より先に真魚が来た。
真魚が主役だったのか、真魚の方が人気あったのか。

「犬夜叉」から入った私だから、それ以前の作品に関して読む機会はほとんどない。
AmazonのレビューでコミックやDVDの感想を時々読むが、高橋さんのコメントを読むことはなかなかできない。
当時はネットもなかったろうし、今「うる星やつら」や「めぞん一刻」などを遡って感想や資料を掲載しているサイトさんもあるかもしれないが、 探して読む時間もない。
そんな私にはこの「ストレンジャーソレント」は本当にありがたい。

それにしても今回の真魚で12回目(11回目になってるのは誤植)だが、人魚シリーズって12回目にして初めて出るほどマイナーな作品なのだろうか?
これまでの登場キャラをまとめてみたら、

・「うる星やつら」から「コタツネコ」と「ラム」
・「めぞん一刻」から「音無響子」と「五代裕作」
・「らんま1/2」から「早乙女乱馬」と「響良牙」と「シャンプー」と「天道あかね」
・「犬夜叉」から「犬夜叉」と「殺生丸」と「日暮かごめ」

コタツネコが限りなく浮いてるが(笑)、当時それほど人気があったのだろうか。
らんまだけ4人もキャラが登場してるので、キャラ人気という意味では「らんま1/2」が一番あったのだろうか。
いろいろ考えるのが楽しいけど、現在連載中の「境界のRINNE」は別格として、「犬夜叉」の次に「人魚」が好きな私としては12回目にして「やっと」という 気がする。

絵の変化により、今年6月に描かれた真魚がすごくきつい顔、でも綺麗な顔になっててこれはこれでいいな。
これまでのインタビューに比べてもベストに入る読み応えだった。

まず設定は「人魚」が先か「不老不死」が先か。
当時は内容を決める前にタイトルや予告カットを雑誌に載せる時代だった。
人魚の話を描くこと以外決めてなかったので、予告カットを見ながらストーリーを考えた。
なので「人魚発進」で、「不老不死」は後付け。
「人魚発進」って・・・(笑)。
実際に描き始めてキャラが歳をとらないので、設定をいつの時代にしても、キャラクターの年齢による容貌の変化を気にしないで続きを描けて嬉しかった。

「真魚は歴代作品の中でも強力なキャラクター、時には好戦的ですらあるというキャラ設定を読者に伝える表現とは?」
この質問が好きだ。

真魚は幼い頃にさらわれて、ずっと足かせをされていたから、初期の感情パラメーターは「怒り」が突出していた。
外界から遮断され、何も知らないがゆえのワガママ、子供っぽさもありつつ姿勢としては「前へ前へ」。
化け物が現れた時、身を乗り出してそれを睨みつける絵が意識せずに描けたとき、「この娘はこういう人間なんだ」と納得した。

他作品より、ラストの穏やかな会話のシーンが長いのは、とにかく希望のあるものにしたかったから。
物語が終わって、今回真魚はこのくらい成長した、というまとめのパートであり、悲惨だったり悲しい結末であっても、それに敬意を持ったうえで、湧太と真魚が 何を感じ、考えたのかということを描いておきたかった。

「うる星やうら」などの作品を描いている時に、不定期連作として描かれているが、全く異なるテイストの作品を同時進行で描く時の気持ちの切り替え法は?
切り替えというよりとても楽しみな作業だった。
普段はコメディを描いているので、人魚シリーズを描く時は、別の地方に旅に出るような感覚だった。

好きな台詞やシーンは?
人魚の台詞やシーンは全部好きだが、「人魚の傷」で真魚は初めて涙を流す。
湧太がかなり「ヤバい目にあっていた」ので、もしかすると生まれて初めて恐怖を感じたのかも。
でも「湧太が生きてると思ったら嬉しくて涙が出た」
これが真魚のキャラクターかな、と思い、特に好きなシーンだとのこと。

真魚はシリーズの中で湧太よりも顕著に変貌して行くので、その意味でも印象的なキャラだったな、そういえば。
久々に読み返してみようか・・・。
今回のインタビューは、人魚ファンなら必読です!
次回は同じく「人魚」シリーズから「湧太」。
(2015年7月3日の日記)
9月2日 「ストレンジャーソレント」第13回「湧太」
前回の「人魚」シリーズ真魚に続いて、今回は湧太。
イラストの湧太がかっこ良すぎて驚いた(笑)。
「境界のRINNE」もだけど、今の絵ってうまく言えないけどあか抜けた感じ。
シンプルだけど硬い気もする。

同じホラー系の「鏡が来た」と「人魚の森」を見比べて、人魚の方が絵が不安定に見えるけど潤いがあって、人魚の話には この絵が合ってるなあと改めて思った。

さてインタビュー。
最初はテーマを考えずに描いていたの言葉にまずびっくり。
高橋さんのインタビューではよく出るコメントだが、「人魚」シリーズに限って言えば、テーマがなくちゃ描けないだろうくらいに思っていたから。

500歳を超えた湧太の
「普通の人間に戻りたい。
折れは普通に歳をとって老衰で死にたいんだ」の台詞について
「話の性質上、不老不死、蘇りなどなど、不自然な『生』を扱う中で、結局『どう生きるべきか』ということが通底したテーマであった」とコメント。

シリーズを重ねるうちに、湧太の考え方、善悪の基準がそのまま物語の「ものさし」になったとのこと。
そして真魚と出会って湧太は生きる希望を持てたし、同時に「飽きるまで生きるのも悪くない」と言うが、それは今後それなりに厳しい「生」を 生き続けるであろう真魚を勇気づけ、励ます言葉であったと思うとのこと。

そして「人魚の傷」で、真人 が慕っていた女性に「なりそこない」になるかもしれないことを承知で人魚の肉を食べさせたことについては
「新しい保護者獲得というギャンブルでした。
それに負け、可愛がってくれた女性が死んでしまったのは不本意だったし、悪いことをしたと、全く思っていない訳ではないところに、 湧太に正論を吐かれ、イラッとしたのではないかと。」

たしかに「おれたちみたいなのが、いちいち人を好きになってちゃ、たまらないじゃねえか」という発言は、何度も好きになった果ての 諦念であろうと思うし、湧太も不本意ながらその気持ちが「わかって」しまったというコメントはとても納得できる。

主人公を不老不死にしたことで描きやすかったことは
「同じキャラクターで、どの時代でも描けること」。

不老不死で幸せになったキャラクターが出て来ない理由は
「やはり人間界で認知されていない不自然な『生』だからでしょうか。
さらに生きる目的が定めにくくなるということも言えると思います。
『人魚シリーズ』の場合、その目的が愛憎がらみのことが多いので、ダークになっているのかも知れません。」

好きなセリフは
「人魚は笑わない」前編の「俺は人魚の肉を食ったんだ」という場面。
シリーズ全てで言うセリフであり、一番の売りなので。

あと「約束の明日」の「生きることも死ぬことも一緒にしてやれなかった」
「舎利姫」の「おれと一緒に・・・行くか?」。

湧太が、別に一人で生きることを望んでいる訳ではない感じが好きとのこと。
質問が「セリフ」なのに「場面」で答えているが、湧太に関しては、会話の流れが好きなので、このコマのこのセリフという形で 選ぶのは難しいそうだ、なるほど。

以前、「犬夜叉」か「十二国記」の感想でも書いた気がするが、私は「不老不死」はそんなにいいものか、「不老不死」は描かれているような ものなのかとい疑問をずっと持っていた。
徐福の昔から多くの人が願っていた不老不死。

でも湧太と真魚のように特殊な人生を歩まなくても、人間は終わりがあるから生きられるということはあるだろう。
たしかに事故や病気や理不尽な形で死を迎えるのは辛い。
でも若いままで生き続けることに「飽きない」だろうか。
そもそもみんながみんな若いまま不老になるわけではない。

人魚の肉を食べるなり、仙になるなりきっかけはあるが、仮に宇宙光線などで一斉に不老不死になったら、老人は老人のまま、病人は病人のまま。
そんな都合良く皆若く健康で不老不死になるわけがない。
さらに「不老不死」になると、傷は治るしいいことだらけだが、不老はつまりそれ以上細胞なりなんなりが変化成長しないことなのだから、傷が 治ること自体おかしい。

髪は切ったらそれっきり、傷を負ったらそれっきり、でも死なない。
本来の不老不死はそんなものだと思う、ゾンビみたいだ。
まああり得ない世界だし、それでは物語として成立しないから、今のような「不老不死」になったのだろうが。

私が考えているのは、「不老不死」になった瞬間の状態が永遠に保たれることかと思う。
仮に「十二国記」の陽子が髪を切ったら斬った分だけ伸びる、怪我をしても怪我をする前の状態に戻る、そんな感じ。
それは「不老不死」という言葉は使えないけど。
そんなことを真剣に考えていたのは、やはり「犬夜叉」と「十二国記」にのめり込んでた頃(笑)。

次回は「めぞん一刻」の六本木朱美。
こんな企画でもなければおそらく取り上げることはないであろうキャラ。
ストレンジャーソレント様、小池一夫様、本当にありがとう。
(2015年9月2日の日記)
11月11日 「ストレンジャーソレント」第14回「六本木朱美」
当時からのファンが見たら、「これは朱美じゃない!」って思いそうな洗練されたセクシー女性のカット付き。
さすがに下着姿じゃなく、服装もおしゃれ。
私はこのカットの方が好きだなあ。

「犬夜叉」で「高橋留美子」を知って、遡って他作品を読んだが、「うる星奴ら」と「らんま1/2」は普通におもしろい漫画、 「めぞん一刻」と「人魚」シリーズが好きだった。
ただ、ギャグが基本的に苦手な私は、めぞんも主役2人のラブストーリーの部分だけ楽しみ、それ以外のキャラは むしろ2人の恋路の邪魔者と捉えていたから、五代、響子以外のキャラには実は思い入れがない。

そのギャグの部分こそめぞんのもうひとつの柱なのだけど。
濃いギャグより軽めのコメディが好きなのかも。
それでもなぜ朱美があんなキャラになったかというコメントはおもしろかった。

朱美のキャラ(下着姿で茶髪で、ずけずけと物を言うという感じ)は、まずは響子との差別化を図るため、あと五代がリアクションを とりやすくするため。
そんな朱美の雰囲気を伝えるには、キャミソールでの登場はベストだったとのこと。
確かにあれはびっくりした。
当時めぞんが青年誌連載だったとは知らず、サンデーでこんなん出てたのかとかなり困惑した記憶がある(笑)。

朱美を初めとした一刻館の住人たちは、「一応主役の、響子や五代の足りない部分を補う、または真逆の性格設定で バランスをとりつつ、そして響子と五代だけでは物語が進まない場を動かす」キャラだった。
確かに朱美や一の瀬さんの一言によって物語が動き始める部分は多かった。
高橋さんが「響子や五代」と響子を先に言うのは、やはり主役が響子だから?単なる語感?

朱美が女の武器をフルで活用していそうに見えながら、実はそういう駆け引きが大嫌いなキャラに見えた理由。
作者自身の好みで、朱美のような人は、サバサバした性格であって欲しかった。
キャミソールなのも、自分の女としての魅力に自信があるというよりも、その方が楽だから。
朱美自身の悩みなどは一刻館の外での事と割り切り、描くことはなかったので、描いていてとても楽しかったそう。

朱美のセリフは苦労した覚えがないので、ポンポン出てきたもの。
立ち位置的にも主役二人にヤジを飛ばしていればいいので楽だったとか(笑)。
脱線要員であり、たまに進行係であり、解説者でもあり、色々な局面でかなり便利に使えたとのこと。
これ、一の瀬さんと四谷さんにも当てはまる設定だと思う。

作者の反映としては、響子はヒロインなので内面を描くことが多く、恋愛絡みなので悩むと嫉妬するし、感情が暴走する方が 物語がはずむ。
それがあまりに理不尽な場合、朱美が厳しいコメントを出したりする。
この朱美の言い分が作者の考え方のモノサシとのことだった。
(2015年11月11日の日記)
1月5日 「ストレンジャーソレント」第15回「八神いぶき」
今の絵で見ると、八神いぶきというより「境界のRINNE」のれんげに近い(笑)。
前にも書いたような気がするが、私はもともと漫画でもなんでもギャグやコメディ、ロマンス系は見ない読まない方。
めんどくさいと思ってしまうのだ。
だから「めぞん一刻」も一通り読んだ後は、三鷹、こずえ、そしていぶきが活躍する?ラブコメモードのあたりは読み飛ばすことが多かった。

この3人がいなければ、五代と響子はもっとあっさり結ばれるわけ?で、さらに言えば一刻館の住人が邪魔しなければ、などと 考え始めると、「めぞん一刻」で読むところがほとんどなくなる。
つくづく味わい下手、楽しみ下手だったと思うが、「めぞん一刻」に関しては、基本この読み方は変わっていない。
だからいぶきが人気キャラだったというのは新鮮な驚きだった。
ああ高橋さんは「いぶき」じゃなくて「八神」と呼ぶのね。

八神は「もともと五代を教育実習に行かせよう」というのが始まりで、行かせるなら女子高が楽しいだろう、ならば響子の学生時代も 彷彿させるエピソードを盛り込もうという発想から生まれたキャラ。
「性格的に強気で行動的。
若さ故のこわいもの知らずというように響子とは逆のキャラクター設定。
でも女の子の清潔感、ピュア感、可愛らしさは描いたつもり」とのこと。

ここで私がなぜ八神が苦手なのか気が付いた。
私も高校時代は八神のような存在だったと思う(可愛らしさは別として)。
でも高校時代、というより青春時代のこわいもの知らずな私は、今の私にとっては苦い思い出。
別に許されない恋をしたとか(笑)、無軌道なことしたとか、そんなことではないけど、ごくごく普通に生きながら、その実いつもいっぱいいっぱいにとんがっていた。

八神にとって五代との思い出は、ちょっぴり切ないけれど大切な思い出、優しい思い出、心地よい思い出となるだろう。
そのピュアさが私にはなかった。
今読むと恋に恋する乙女であり、恋する自分に酔ってる、まさに青春真っただ中の少女だけど、このまっすぐさがまぶしく感じる。

とまあ自分語りはやめといて、八神は物語を大きく動かしたキャラではあったが、作者として特に深い考えはなかった。
ただ教育実習、響子の思い出、一方的ではあったが恋のライバルといった流れから、最終的に五代の就職活動にまで関わっていったので、物語の流れに うまくハマってくれたキャラだったそうだ。

八神とこずえがそれぞれのやり方で響子を追い込むにも、それぞれ別角度からというコメントには笑った。
八神の場合は、若さもあるのだろうが、ストレートな性格で、五代が響子を好きでも片思いなら自分にもチャンスはあるという考え。
こずえはもう少し用心深く「言わせない」という技を本能的に使うタイプ(笑)。
確かにこずえの「言わせない」タイミングは絶妙で、その意味でも高橋さんは「女」を描くのがほんとにうまいと思う。
ただそれが「犬夜叉」「らんま1/2」など少年漫画のフィールドに立った時に、ちょっと強すぎたようには感じる。

途中参加でありながら、物語に影響を与えるキャラの場合、主要人物と関係があった方がいいかとの質問には、ケースバイケースと答えている。
過去の因縁がなくても、今後「恋のライバル」になる人物というこれから広がるエピソードも作れるし、接点がある場合は「主人公の過去を掘り下げる」のに有効。
物語のベクトルをどちらに向けるか、どんな化学反応を起こすかは、キャラを投入してみなければわからないというのが正直なところだそう。

八神は最初から楽しく描けていたので、人気が出てくれて嬉しかった。
女子高というフィールドが加わったのも、物語に新鮮味を加える結果になった。
八神というキャラが読者に受け入れられたのは嬉しかったとまとめて終了。
今回は質問も気持ち良く、コメントとの掛け合い?がとても読み応えがあっておもしろかった。

次回はまたまた「めぞん一刻」から三鷹瞬。
やはり現実社会(漫画上ではあるけれど)の大人メインということで、その背景もリアルで複雑、取り上げやすいということか。
(2016年1月5日の日記)

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